キューバ年表その(4)

 

1960年9月   1961年1月   1961年4月   1961年5月   1961年7月

1962年1月   1962年4月   1962年7月  1962年8月  1962年9月  1962年10月   1962年11月  

 

1960年

1960年1月

1.1 革命政府,60年を「土地革命の年」と宣言.米砂糖会社所有の土地7万エーカーを接収.うち半分はオリエンテ州にユナイテッドフルーツ社が所有していた牧草地および森林.ユ社はこのほかにもあわせて23万エーカーの土地を保有.

1.11 米国務省,キューバにおける米国人資産の不当な接収の実態を明らかにする「白書」を発表.

1.12 砂糖キビの収穫を狙う空襲があいつぐ.この日ハバナ近郊に一斉空襲.

1.13 アレン・ダレス,NSCに対し「キューバ・プロジェクト」を提案.注意深く秘密作戦を進めるよう求める.NSCの賛同を得たCIAは「40人グループ」を編成.「作戦40」を開始.キューバ市民の一斉蜂起に亡命者武装勢力が加わり,臨時政府を樹立.その求めに応じて米軍が上陸するというもの.秘密作戦担当副長官リチャード・ビッセルは,キング大佐を外しトレイシー・バーンズにキューバ作戦本部を任せる.バーンズはジャック・エングラーを現地作戦責任者に,ハワード・ハントを亡命者組織の責任者に,デビッド・アトリー・フィリップスを情報宣伝責任者に指名.グアテマラ政府転覆工作時のベテランで固める.スタッフはこの時点で40名.ピッグス湾侵攻時には588名まで増強され,『秘密工作部』最大の班となる.

1.16 ニクソン,キューバ糖の輸入割り当てを削減する用意があると発言.

1.20 カストロ,テレビ演説.国務省の「白書」に激しく反発.テレビで「われわれは孤立してたたかっている小国であり,この闘争のなかで孤立した国家であるという現実から脱却しなければならない」と演説.このあとミコヤンのキューバ訪問を発表.社会主義国との接触を示唆.同時に教会の行動に対し公然と非難.

1.20 オリエンテ州のチャパラ精糖工場に空襲.

1.21 ハバナ郊外のコヒマールとレグラの市街地に空襲.2百ポンド爆弾4発が落とされる.

1.28 モンカダをはじめ全国の兵営が教育省に譲渡され教育施設に転換される.

1.29 アイク,対キューバ政策発表.キューバの関係修復提案を拒否.議会に対し,キューバ産砂糖の輸入割当て大幅削減のための権限をあたえるよう要求.CIAはカストロ打倒対策を検討開始.

1月 ラウル・ロア外相,キューバ糖買い付け要請のためヨーロッパとアフリカ諸国を訪問.米国の圧力により成果をあげることなく帰国.

1月 政府,反政府の論陣を張る「アバンセ」紙と「エルムンド」紙を接収.

1960年2月

2.01 マタンサス州の砂糖キビ地帯に空襲.

2.04 メキシコに続きハバナでソ連産業貿易展開始.アナスタス・ミコヤン第一副首相,訪米のあと開会式出席のためと称し突如キューバを訪問.ソ連はキューバ革命支持の態度を明らかにする.

2.04 ブラジル,砂糖輸入割り当てに関する米国とキューバの交渉を仲介すると提案.米国はこれを拒否.

2.07 軽飛行機がカマグエイに飛来.ビオレータ,フロリダ,セスペデス,エストレージャ精糖工場に甚大な被害.

2.13 ミコヤンとカストロのあいだに共同声明.最初の通商協定調印.ソ連は5年間にわたり500万トンの砂糖を購入することとなる。キューバの年間原油必要量の3〜5割をソ連が引き受け、石油製品、小麦、鉄、肥料と機械を供給することで合意.さらに年利2.5%で合計1億ドルの信用を供与することでも合意。

2.14 米政府、ソ連との条約締結に果実輸入禁止でこたえると同時に砂糖輸入割り当てカット,全面禁輸などの可能性を示唆する.

2.18 マタンサスのエスパーナ精糖工場を襲撃した軽飛行機が,自ら被弾し墜落.パイロットの米国人ロバート・エリス・フロストが死亡.機体から発見されたフライト・カードで,フロリダ州タミアミ空港から出撃したことが明らかになる.遺留品から彼は少なくとも三回にわたり空襲に参加していたことが判明.米国務省は遺憾の意を表明.

2.20 中央計画委員会(JUCEPLAN)発足.首相,蔵相,商工相,公共事業相,国立銀行総裁,INRA代表,経済相がメンバーとなり,計画経済への第一歩を踏み出す.フレスケ蔵相,米国に亡命.

2.23 アイク,CIAにたいし,亡命キューバ人によるキューバ侵攻作戦の準備に着手するよう秘密命令.ハーベイの75年上院委員会での証言によれば,アイクは二度にわたって「海外指導者の排除のため“処刑能力”を創出せよ」と指示.ハーベイが要人暗殺計画の主任に任命される.このころCIA医学サービス部は遅効性の毒薬ボツリヌス・トキシンのカプセルを開発.この毒を沁み込ませた葉巻をカストロに吸わせることになる.責任者のシドニー・ゴッドリーブはストレンジ・ラブ博士(映画「博士の異常な愛情」に出てくる殺人狂)の異名をたまわる.

2.23 軽飛行機数機が,ラスビリャスのワシントン,ウラシア精糖工場およびマタンサスのマンギート精糖工場に来襲.焼夷弾を投下する.

2.24 カストロ,キューバ労働総同盟で「キューバ経済の自立発展のために」という題で演説.(1)所得の増大には工業化が必要である,(2)工業化には資本が必要だが,これを外国からに頼ることはできない,(3)工業化のためには労働者の自発的熱意,拠出,犠牲的精神が必要である,と訴える.

2.26 連邦裁判所、キューバ侵攻をたくらむロランド・マスフェレル・ロハスに対し、ニューヨーク周辺に行動範囲を制限する命令。

2.28 モンカダ兵営,小学校となる.

2.29 ダレス国務長官、キューバからの交渉再開の申し込みを拒絶する。拒否の理由は、キューバが、「交渉進行中は経済に損害を与えるような一方的な行動をとらない」ことを条件として求めたためとされる。

2月 政府,サボタージュに対抗し重要な製糖工場のいくつかを接収.フアン・マリネーリョPSP議長は「反共の旗をかかげる者は反逆の旗をかかげると同じである」と発言.

2月 カトリック系学生よりなるDR学生派(DRE),「トオリンチェラ」を発行し反共攻撃を開始.

2月 ハントはバーナード・バーカーを助手に亡命者組織の統一に乗り出す.のちにフランク・スタージスも一味に加わる.メノヨ,キューバを出国.マイアミで「アルファ66」を結成.トニー・バローナの指導する革命的民主戦線(FRD)結成.マヌエル・アルティメ・ブエサは革命的回復運動(MRR)を結成.亡命キューバ人「アゴスト大佐」,キューバに潜入しエスカンブライに反革命ゲリラ隊を編成.国防省幹部のトニー・サンチアゴを巻きこみ米大使館内で反乱計画を立案.トニー・サンチアゴは腹心十名をエスカンブライに送りこんだ後マイアミへ脱走.

1960年3月

3.01 アイク,議会に対し砂糖法修正案を提案.砂糖輸入割り当ての裁量権を大統領に与えるよう要求.

3.04 ベルギーから購入した武器(小銃)を積んで,ハバナ港内に停泊していたフランス船「ラ・クーブル」号が二度にわたり爆発・沈没.75人が死亡(一説に81名),2百人以上が負傷.この時国籍不明の飛行機がハバナ上空を旋回していたという.

3.05 ラ・クーブル号事件抗議集会には百万人が参加.カストロはこれを米国による破壊工作だとしてCIAを非難.この演説の中で「祖国か死か」というスローガンをうちだす.

3.08 サンクリストバル地区に軽飛行機が可燃性物質を投下.砂糖キビ畑が炎上する.

3.09 キューバ問題について検討する国家安全保障会議が開かれる。まずカストロ打倒のための「強力な宣伝キャンペーン」が確認される。その柱としては、@砂糖輸入の停止、A石油輸出の停止、B武器禁輸の継続(バチスタ時代から始まる)、Cキューバ侵攻のための亡命者の準軍事組織の結成、からなる。

3.09 国家安全保障会議,「キューバにおいて別の政府に権力を与える」方法の協議を開始する.ビッセルCIA副長官が,「カストロ政権に対抗する秘密作戦計画」を報告.「将来のゲリラ作戦に備え,キューバ国外で准軍事的な戦力を育てる」ことを目的とする.暗号名はプルータス作戦と名付けられる。

CIAのキューバ転覆計画: 暗号名は同じ「プルータス作戦」だが、後にランズデールが立案したものとは異なる。計画の柱は
@CIAと協力しカストロに反対するキューバ人亡命者組織を作ること,A反カストロの宣伝攻勢,B亡命者委員会の権限のもとに,キューバ国内に情報収集と行動のための地下組織を作る.Cキューバ国外に軍事組織を創設し,これを国内に潜入させ,組織化と訓練,直接行動に当たらせる.
このためCIA内に25人からなる作戦本部をつくり,その部隊による上陸作戦を侵攻計画の中心とする.計画実現のため440万ドルの予算を要求.

3.09 国家安全保障会議はさらにカストロ暗殺計画についても検討。議事録によればキング大佐は「フィデル,ラウル,チェをワンパッケージで排除することが,非常な困難をともなうが,必要である.それが出来なければ,現政権は武力行使で倒す以外にないだろう」と発言.同時にグアンタナモにキューバが攻撃を仕掛けたように見せかける偽装工作を提案.

3.10 前日の報告を受けNSC続開.「フィデルの取り巻きはフィデル以上に悪質」としてキングのワンパッケージ提案を了承.CIA,反カストロ派の有力な政治家の確保に成功,反対派連合を結成する目処が立ったと報告.

JMウェーブ作戦: マイアミにキューバ侵攻のための秘密拠点を建設。「将来のゲリラ活動のためキューバ以外の地に準軍事力」を築くことを目的とする。マイアミ大学の南キャンパス内にワシントン以外では最大のCIA本部が設置され,暗号名「JMウェーブ」と称する準軍事作戦が展開.キューバ人亡命者の軍事訓練を開始.
印刷会社,不動産会社,旅行会社,銃砲店,喫茶店,貸しドック,私立探偵事務所,石油貯蔵所,倉庫会社などを次つぎに設置.マイアミ沖のスワン島にキューバ向けの放送局「ラジオ・スワン」を設置.キューバ人亡命者のやとい入れにはニューオリンズのCIA職員ガイ・バニスターがあたる.また武器の入手にはジャック・ルービーとフランク・スタージス(又の名をフィオリーニ)があたる.

3.13 ニューヨークタイムズ、「もうひとつのマイアミ・陰謀の町」と題して現状をリポート。反カストロの陰謀をめぐらす5つのグループをリストアップする。

5つの亡命者組織: @マヌエル・アントニオ・バローナら旧真正党系の「革命救援運動」(Movimiento de Rescate Revolucinario)、Aホセ・イグナシオ・ラスコらの「キリスト教民主運動」(Movimiento Democratico Cristiano)、Bマヌエル・アルティメらの「革命再生運動」(Movimiento de Recuperacion Revolucionario)、Cフスト・カリーリョの「モンテ・クリスティ協会」(Associacion Montecristi)、Dアウレリアノ・サンチェス・アランゴの率いる「民主民族戦線」(旧トリプルA)。

3.14 NSC,キューバ指導部の「排除」工作について合意.CIA内では(1)LSDを噴霧し錯乱させる,(2)葉巻に薬物をしみこませる,(3)脱毛剤の硫酸タリウムを靴にしこんで,フィデルの髭を脱落させる,の三案が検討される.

3.16 アイゼンハワー,キューバ糖輸入割当て量の変更権限を求める新砂糖法案を議会に提出.

3.17 アイゼンハワー大統領はCIA計画を最終的に承認。計画を国務次官補,国防次官,CIA長官,国家安全保障問題担当大統領特別補佐官からなる「特別グループ」が検討・承認.その後アイクとNSCメンバーもこれを承認した.

グッドパスターのメモ: 会議に出席したグッドパスター将軍は、「いちばん心配なのが機密の漏洩と破綻だ.もし計画が漏れたら,全員が大統領は知らなかったと証言せよ」とアイクが述べたと書き残している。

3月 CIA,グアテマラに雇い兵訓練のための基地提供を依頼する.グアテマラ駐米大使アレホスとの交渉成立.イディゴラス大統領は国内での訓練を認め,副大統領ロベルト・アレホス・アルス(アレホス駐米大使の弟)の所有するタラレウの農場を提供.広大な基地のなかに,訓練キャンプと飛行場が建設される.

3月 親米資本家出身のルフォ・ロペス蔵相,カストロと対立し辞任.まもなく米国へ亡命.ロランド・ディアス・アスタライン海軍大尉がこれに代り就任.M26左派による政権掌握完了.

3月 ブラス・ロカ,党をカストロのめざす方向に結びつけ「社会主義への歴史的,必然的な移行への道を照らす」共産党綱領案を提出.M26の「行動とサボタージュ」グループを中心に革命的労働者党(POR)結成.第4インターに加入して合法活動を開始.

3月 CMQテレビ局,当局の手により接収.CMQの主筆でかつてのカストロの盟友コンテ・アグェーロは米国に亡命.

3月 米政府,キューバの農業用ヘリ購入申請を拒否.

1960年4月

4.19 最初のソビエトのタンカーがハバナに入港。

4 カストロ,リオ条約体制を非難.ラウル国防相,チェコを訪問し武器購入で合意.米国は武器禁輸措置で対抗.

4 政府,ユナイテッド・フルーツ社の持つ残りの林野20万エーカーを有償接収.ユナイテッド・フルーツ社の資産は完全消滅.

4 CIA,傭兵募集を開始.スタージスはゲリー・ヘミングスとともに国際反共旅団を結成.亡命キューバ人から傭兵を徴募.ノース・カロライナのCIA基地キャンプ・ピアリは“ザ・ファーム”と呼ばれ亡命者訓練センターとなる.武器の調達に関してはキューバ革命前から密輸に関わっていたスタージスが担当.トラフィカンテの組織を利用して入手.ルイジアナ州ポンチャートレーンにも訓練基地を開設.ボッシュが指導に当たり,主としてMIRR部隊が訓練を受ける. これとは別にフランク・ベンダーをキャップとする秘密武装集団結成. キューバに利権を持つ資本家が財政支援. これらが後の上陸部隊の母体となる.

4 日本とのあいだに友好通商条約締結.

4 ラウル・ロア外相,グアテマラがCIAに亡命キューバ人の軍事訓練基地を提供していると声明.グアテマラはこれに抗議しキューバと断交.

1960年5月

1 カストロ,メーデー演説において,グアテマラで上陸部隊の訓練がおこなわれており,近日中に計画が実施にうつされるだろうと発言.「キューバ・シー,ヤンキー・ノー」のスローガンを打ち出す.

1 ソ連を偵察していたスパイ機U2,撃墜される.米ソ関係は一気に緊迫.

4 ミコヤン,通商代表団をひきい訪問.ソ連は今後5年間に5百万トンの砂糖を買い付けるとともに,果物,ジュース,繊維,皮革などを購入すると約束.ソ連産原油を国際価格の2/3で輸出,また小麦,銑鉄,鋼鉄板,アルミニウム,新聞紙,硫黄,苛性ソーダ,肥料などの輸出についても合意するなど大規模な経済援助で合意.さらに年利2.5%,12年償還の条件で1億ドルの借款供与,キューバへの武器供与についても合意成立.

5.08 キューバとソ連が国交を樹立.LAの各国共産党は,キューバ擁護のキャンペーンを一斉に展開. 

9 インドネシアのスカルノ首相,キューバを公式訪問.

11 米国,キューバへの技術援助を打ち切り.

11 キューバ政府,テキサコ,エッソ,シェルなど外国資本の石油会社にソ連からの原油の精製を打診.

17 マイアミ沖合いのスワン島に建設されたキューバ向け謀略放送「ラジオ・スワン」が送信開始.他にもいくつかの対キューバ放送局がCIAの支援を受けて設立され、夏までに謀略放送を開始する。

24 各社は精製受入れを表明.一方で技術者を徐々に引き揚げ始める.

26 アメリカ大使館、米国および西半球の利益になると大統領が決断しない限りキューバへの軍事援助は停止されるとのメモを提出する。

5月 CIAはハワード・ハントを長として5つの亡命者政治組織を統合,「民主革命戦線」(FRD)をでっちあげて受け皿とする.アントニオ・マセオ、フスト・カリーリョ、マヌエル・アルティメ、サンチェス・アランゴが代表委員、バローナが幹事長、アルティメが軍事主任となり、CIAとの対応の窓口となる。旧バチスタ派は前面には出なかった。

アントニオ・マセオ アントニオの孫に当たり,ハバナ市内で外科医であった.真正党の代表として代表委員に名を連ねるが、ただのお飾りに過ぎなかった。息子のアントニオはピッグス湾作戦に参加. 

5月 マヌエル・ライ前公共事業相,人民革命運動(MRP)を結成し地下活動開始.11月には米国亡命.

5月 政府,反革命を挑発する「ディアリオ・デ・ラ・マリーナ」紙を閉鎖.

ディアリオ・デ・ラ・マリーナ: キューバで最大発行部数を誇る日刊紙。親米・親バチスタの保守的な論調で知られ、いかなる瞬間においても革命を支持することはなかった。

5月 カストロ、ミロ・カルドナを駐米大使に任命。実際の赴任は遅れる。

5月 ヘミングウエイが主催する恒例の魚釣り大会がハバナのバルロベント・ヨット・クラブで開催される.革命を支持するヘミングウエイに敬意を表し、カストロとゲバラも大会に参加.

1960年6月

2 CIA,二つの国内基地に加え新たにパナマで傭兵の訓欄を開始.アルティメ,CIAの指示(バーカー)を受け元将校10人のリクルートに成功,パナマの訓練基地に送り込む.その後も次々と志願者を増やす.

4 米国,キューバの多くの反米活動について抗議文を送る.キューバは受け取りを拒否.

6.07 ソ連から最初の原油到着.米国務省の指示を受けたシェル,エッソ,テキサコの各社は,本社の方針に反するとして精製を拒否.現在では、アメリカ政府による指示であったことが知られている。またアメリカ政府からの圧力を受けた米国籍石油会社は、キューバへの石油輸出を拒否する。

11 ハバナ市内の4つの米系ホテルを接収.ヒルトン・ホテルはホテル・ハバナ・リブレと改称.

6.16 アメリカ外交官エドウィンL.スイートとウィリアムG.フリードマン、反革命派の秘密集会に出席していたところを逮捕される。その後、「テロリスト行為を助長し、彼らに亡命の保障を与え、反乱を促す出版に財政的な支援を与え、武器を密輸した」と告発され、国外追放処分を受ける。

18 ソ連・キューバ通商協定調印.カストロは訪ソの提案を受諾.

24 カストロ,「キューバ糖の割り当てが1ポンド削減されるごとに1工場を接収する」と演説.「われわれは砂糖の輸入割り当てを失うかもしれないが,彼らもまたこれまで投下したその資本を失うのだ.砂糖の輸入割り当てと資本設備の交換なら,われわれにとって不足はない」と.

27 米下院,砂糖法修正案を承認.

28 キューバ政府,ソ連原油の精製を拒否する精製所を無償で接収すると発表.

6.29 石油会社との交渉,最終的に決裂.精製三社は石油供給を停止.キューバ政府,テキサコの製油所を無償接収すると発表.外国貿易を政府の完全管轄下に置く.

1960年7月

1 政府,テキサコに続きスタンダード,シェルの両社も精製を拒否.政府は直ちに両者を接収.

3 米上院,キューバの石油会社接収に対抗し、砂糖法修正案を可決.キューバの今年度の砂糖割当てを無効化する。

5 キューバ政府,砂糖割り当て停止に対する報復として米国系企業36社の資産接収を決定.

6 アイク,議会決議を受け対キューバ砂糖輸入割り当てを95%削減すると発表。同時に,キューバからの砂糖輸入を一時停止し未執行分の70万トンを凍結,さらにひきつづく経済制裁強化の意志を表明.

7 ソ連から最初のタンカー,アンドレイ・ヴィシンスキー号が接岸.当日米国の空母が近海を遊弋,ジェット戦闘機が上空を旋回する.

7.09 フルシチョフ,プラウダで次のように述べる.「もしペンタゴンの侵略勢力がキューバに対して侵略の挙に出た場合には,ソ連はロケットの砲火でもってキューバ国民を支援することができる.そのことを,ペンタゴンの輩に忘れさせないようにしよう」

7.09 ゲバラは,大統領官邸前で演説.「キューバは史上最大の強国が所有するロケットで守られた,カリブ海にある栄光に満ちた島である」と発言.ソ連との攻守同盟の存在を示唆.

7.10 アイゼンハワー米大統領,フルシチョフ声明に対し国際共産主義の支配体制を許さないと声明.

11 キューバ政府,新砂糖法適用への報復処置として全ての米国企業および財産を接収すると発表.

17 ラウル国防相,ソ連を訪問.緊急対応策について2週間にわたる協議.共同声明では「ソ連はキューバに対する米国の軍事的干渉に反対するため,あらゆる手段に訴える」とうたう.ラウルは引き続きチェコ訪問し,武器購入について交渉.

20 ソ連,ラウルとの会談後,米国が買い付けを拒否したキューバ糖70万トンを全量買い付けると発表.ただし国際価格で,これまでの1/2.キューバは国連総会で「我が国が侵略されるようなことがあれば,ソ連の好意を受け取る以外の道はなくなるだろう」と声明.

21 CIA,ハバナのアセット(資産=工作員の隠語)に対しラウル暗殺を実行するよう指示.1万ドルの成功報酬を約束.計画は未遂に終わる.

7.23 中国・キューバ貿易・科学技術・文化諸協定調印.両国間の最初の通商条約となる。「今後5年間にわたりキューバ産砂糖を年間50万トンづつ市場価格で買い付ける」ことで合意.

26 カストロ,「アンデスをシェラマエストラに」と演説.キューバがLAの武力解放を望むことを表明.

28 オルランド・ボッシュ,30日間の滞在許可を与えられ米国入り.その後8年にわたりMIRRを率いテロ活動を続ける.

7月 CIA,キューバ人パイロットの訓練を開始.国防省からAD-5練習機を借入れ,海軍技術者が指導・整備にあたる.

7月 政府,ボエミア誌を没収.これを最後に反政府派のマスコミは消失.

7月 カルドナ,駐米大使に赴任しないまま辞任。ハバナのアルゼンチン大使館に亡命し、革命との絶縁を宣言.

7月 大統領選に出馬のケネディ,アレン・ダレスの紹介でFRD代表と会見.上陸作戦の進攻を示唆される.

1960年8月

1 ソ連からの最初の武器が陸揚げされる

6 第1回LA青年大会開催.カストロ,ハバナ競技場で開かれた記念集会において演説.報復措置としてすべての米国籍企業を接収すると声明.民兵に武器を供与すると声明.またゲバラは「われわれの革命は,カストロ主義的方法によってマルクスが志向した道を見出した」と演説.キューバ革命を社会主義的なものと規定する.

6 米国と外国籍資産の国有化始まる.接収総額は10億ドルに及ぶ.

7 キューバのカトリック指導部,キューバにおける共産主義の進展を非難.カストロは教会運営のテレビ局とラジオ局を禁止.

13 政府当局,すべての米国系企業が国有化されると発表.北米砂糖産業,キューバ・アメリカ商事会社,西インド会社,モア湾鉱山会社,ユナイテッド・フルーツ砂糖会社など米系製糖会社の36工場,キューバ電力会社,国際電話会社を完全接収すると発表(10月末には完了).電力会社をアントニオ・ギテラス電力公社と命名する.

14 都市改革法施行.ハバナ市内のすべての抵当権と富裕市民のセカンドハウスが接収される.

16 サンホセで第6回OAS外相会議開会.会期中にトルヒーヨがベタンクール,ベネズエラ大統領暗殺未遂事件の黒幕であったことが暴露される.OASは全会一致でドミニカに対する武器禁輸と国交断絶を決議.

16 アイク,ブルータス計画に対し1億3千万ドルの支出を承認.ただし「米国の軍人は交戦状態においては使用してはならない」との条件を付す.

18 NSC,CIAに対しルムンバ暗殺を指示.CIAは技術部長ジョセフ・シュレイダーをコンゴに派遣.シュレイダーはボツリヌス毒素を持参し,現地のCIA責任者に手渡す.

19 米政府,キューバへの経済封鎖を発表.

21 PSP第8回大会開催.ひきつづき議長にホアン・マリネーリョ,書記長にブラス・ロカを選出.ブラス・ロカ書記長は革命にいたる闘争を総括.解放闘争に対する態度を自己批判すると同時に,M26に歴史的再評価をくわえる.現状を「キューバ革命のヘゲモニーが急進左翼の手に移りつつあり,労働者階級の役割が重要になっている」と評価.全革命勢力の単一運動への統合の展望を打ち出す.

24 キューバ訪問中の英領ギアナのジャガン通産相とのあいだに錫鉱山開発援助協定締結.10年間に5百万ドルを,年利2%で貸与.決済は錫でおこなうという条件.

28 OAS外相会議,「中南米に置ける共産主義浸透増大とその対策」に関する討議.米国は「米州諸国の政治・経済・社会的状況を利用して侵略を図るソ連・中国のたくらみ」を非難.「キューバは中南米全域に共産主義革命を拡大させるためゲリラ部隊を訓練しており,中南米諸国はこの脅威を放置すべきではない」とし,OASの集団的措置の対象としようと画策.キューバのロア外相は「ソ連と友好関係を維持したからといってキューバの主権が損われることはない.キューバは米国と紛争解決のために話し合う用意がある」と反論.LA諸国は名指し非難には賛成せず.メキシコなど8ヶ国は,米提案をキューバの受入れ可能な決議に変えるよう要求,さらに民主制の確立,内政不干渉の原則も折り込むべきと主張する.結局,米提案の「サンホセ宣言」が採択されるが,名指し非難には失敗.キューバ代表団は投票前に退席.

28日 米国,キューバへの貿易制限を開始.米上院,「カストロに軍事経済援助をあたえた国には米国の援助を打切る」と決議.

8月 CIA,カストロ暗殺計画にとりかかる.ビッセル副長官から「汚い仕事」の指示を受けた保安局長シェフィールド・エドワーズ陸軍大佐,マフィア最大のボスであるシカゴのジアンカーナと接触するため,工作支援部長ジェームス・オコンネルに安全器(フィクサー)を探すよう指示.オコンネルは元FBI捜査官で暗黒街に顔が効くロバート・A・メイヒューと接触.メイヒューはハワード・ヒューズの個人顧問としてCIAとの連絡役を勤めていた.この頃は私立探偵事務所を持ち,ギャングとの関係も深かった.

8月 最初のカストロ暗殺作戦.CIAエージェントに毒入りの葉巻一ケースが手渡される.このケースが,どのくらいカストロに近づいたかは不明.75年の上院調査で判明しただけでこのあとの五年間に8回の暗殺計画が立てられている.

8月 マイアミから潜入した反革命ゲリラ,ハバナ市内のホテルを襲撃.

8月 キューバ女性同盟が結成される。ラウル・カストロの妻、ビルマ・エスピン・ギリョイス(Guilloys)が書記長に就任。

60年9月 カストロの国連出席騒動

9.02 サンホセ宣言に対抗してキューバ人民全国大会開催.カストロは会議の席上で52年の相互防衛条約書を破り捨てる.「もしキューバが帝国主義の軍隊により侵略されれば,ソ連の援助を受け入れる」と宣言.さらに中国との国交樹立,ソ連との経済関係強化等を決定.第1次ハバナ宣言発表.モンロー主義を拒否し「人間による人間の搾取と,帝国主義金融資本による低開発国の搾取」を強く非難.社会主義的傾向をうちだすとともに,キューバとLAの革命条件の同一性,ヤンキー帝国主義に対するLA革命の不可避性を訴える.

9.02 商務省、特定の自動車とその部品について一般輸出許可書の発行を停止する。

9.06 ボゴタで第二回ラテンアメリカ21カ国経済開発会議開催.米代表ダグラス・ディロンの提案した「ボゴタ計画」が採択される.対キューバ封じ込めの立場から,クビチェック提案を大筋で受け入れ,対ラテンアメリカ5億ドル借款を提起.「進歩のための同盟」計画の下敷きとなる.

9.07 財務省、キューバを含む国への船舶による輸出は、積荷がすべて明らかにならなければ許可されないと通達。

9.08 CIA,「沈黙作戦」と称するエスカンブライへの飛行計画を開始.翌年3月までに12回の飛行が行われ,武器・弾薬を輸送.エスカンブライの反革命ゲリラを指揮していたのはペドロ・ロマン・トルヒージョ,他にオリエンテではオレガリオ・チャルロ・ピレータが反革命ゲリラを組織.キューバ,正規軍のほか20万の民兵隊を組織,攻撃に備える.民兵隊特別大隊を組織,エスカンブライの反革命ゲリラに対する掃討作戦を開始.10万人の民兵を動員してすべての山を包囲.

9.13 アイク,LA諸国への経済援助を強化すると同時に,これまで以上に「注意を払う」だろうと声明.

9.14 国務省,カストロが国連総会に出席する場合,行動範囲はマンハッタン島内に限られるだろうと通告.キューバ政府,駐ハバナ米大使の行動範囲は国連総会中ベダード街周辺に限定されるだろうと通告.

9.14 米国の在キューバ全銀行を接収.米国議会は,キューバに経済・軍事援助を行った国に対する制裁を規定する法案を可決.

9.14 メイヒューは連絡役にマフィアのボス,ジョン・ロセリを選ぶ.ロセリは本名フィリッポ・サッコ.ジアンカーナの弟分で西海岸に派遣され,ラスベガスとロスを縄張りとするボスとなる.第1回会談がビバリーヒルズのレストラン,ブラウン・ダービーでおこなわれる.ロセリは政府の正式代表との会見を要求.これを受けてロセリとオコンネルがNYのプラザホテルで会見.暗殺計画の推進で合意.CIAは暗殺の成功報酬として15万ドルを提示.ロセリはジアンカーナとトラフィカンテを計画に加える一方,マイアミのケニルワース・ホテルに作戦本部を設置.キューバ人亡命者との協議を開始.

9.17 さらに三つの米国系民間銀行を接収(チェース・マンハッタン銀行、ニューヨークとボストンのファースト・ナショナル・シティー銀行)

9.18 英国はキューバとジャガンが交わした錫鉱山開発援助協定を拒否.

9.18 カストロ,第15回国連総会出席のため訪米.数千の民衆が空港に出迎える.代表団は国連ビルに近いレキシントン・アベニュー42丁目(37丁目?)のシェルボーン・ホテルに入る.ホテルは亡命者らによる騒動を懸念し「保証金」を要求する.代表団はこの「不当かつ受理不可能な金銭的要求」を拒否し,国連本部前にテントを張る.

9.19 国連本部でハマーショルド事務総長と押し問答した挙げ句,深夜,支援団体の紹介を受けハーレム七番街125丁目のホテル・テレサに移動.数千の人々が歓迎.

9.20 早朝にフルシチョフがホテルテレサを訪問し,初の会談.フルシチョフは「カストロは共産主義者ではない.しかし米国の圧力のおかげで二年後にはそうなるに違いない」と予言.そのほかホテルテレサにはナセル大統領,ネルー首相,黒人運動の指導者ラングストン・ヒューズやマルコムXが訪問.

9.20 エスカンブライの反革命ゲリラが本格活動開始.翌年3月頃まで続く.指導者はオスバルド・ラミレス,マルガロ・ランサなど.政府軍は本格的な掃討作戦を開始。

9.22 アイク,キューバをのぞくLA各国首脳を招き昼食会.カストロはこれに対抗しホテルの従業員を招き昼食会.

9.23 カストロ,ソ連代表部を訪れフルシチョフと会談.4時間半にわたり懇談.

9.26 カストロ,国連総会で4時間半にわたり演説.OAS決議は,現に空と海から襲撃をかけている米国ではなく,いまだ一度も攻撃をかけたことのないソ連を非難するという偽マンで成り立っていると非難.「帝国主義的金融資本は売春婦であるが,いまやわれわれを誘惑することができなくなった」と発言.

9.26 ロランド・マスフェレル・ロハスの指揮する4隻のボートがマイアミから出発。うち1隻だけがキューバに着く。その後上陸グループは摘発され、3人のアメリカ人(アランD.トンプソン、アンソニー・ザーバとロバートO.フラー)が処刑される。

9.26 ソ連による最初の大規模な武器補給が行われる.このあと特に,対空防衛機能の強化のため,大量の軍事技術者が派遣される.ソビエト軍の技術部隊がキューバ入り.まもなく2万に達する.

9.27 カストロらの帰国に際し,米国はキューバ航空機を差し押さえ.カストロはソ連提供のイリューシン18機で帰国.

9.28 カストロ,革命広場で帰国報告.演説中に4発(2発?)の爆弾が爆発するのを聞きながら,カストロは集団的警備の充実のため町内会単位の革命防衛委員会(CDR)の設立を提案.満場の拍手で確認される.

9.29 4発の大型輸送機が武器弾薬をエスカンブライのハナバニージャ滝付近に落下.

9.29 アメリカ政府、アメリカ人が所有するニカロ・ニッケル鉱山での操業を停止するとキューバ政府に通告。

9.29 米政府,キューバ在住米国人に対し家族を帰国させるよう勧告.

9.30 キューバ,砂糖33万トンをソ連へ売却すると発表.

9.30 米国務省,キューバに旅行しようとした米国人に対し,警告するとともに,旅行を中止するよう勧告.緊急の理由がない限りキューバへの旅行を慎むよう発表。

9月 CIA、革命戦線にてこ入れ。反革命組織としての性格が明確になる。サンチェス・アランゴはこれに抗議し辞任。「CIAはすべてを支配しようとしている。アルティメのような武闘派がCIAのお気に入りとなった」と述べる。フスト・カリーリョは提案には反対するが戦線に残留する。

 

60年10月 基幹産業の国有化実施

4 ロランド・マスフェレル,27人の部下を率いフロリダからキューバ侵入を試みるが失敗.米当局に拘束される.

7 ラウル・ロア国連大使,CIAがキューバ侵攻をめざし亡命キューバ人傭兵をグアテマラで訓練していると提訴.

8 政府軍民兵隊は米国籍機から投下された兵器を捕獲.反革命分子百名以上を逮捕.

10.10 マドルーガとセイバ・モチャを結ぶ道路を通行中のジープが,ヘラルド・フンドーラの一味に狙撃される.1歳の子供とその母親が死亡.

13 基幹産業国有化法制定.105の製糖工場をふくむ382のキューバ人経営企業と全民間市中銀行,貿易会社を国有化.カナダ系を除く外国系の銀行すべてと,大企業273社も国有化される.

13日 エスカンブライのゲリラ指導者5人が処刑される。

13 マイアミのキューバ領事館,白昼襲撃を受ける.アベラルド・レオン領事は暴行を受け重傷を負う.

14 凍結していた農地改革法の実施を決定.62年末までに法定最大基準面積40ヘクタール以上の農地の接収を完了.米資本所有地3百万エーカーが国有化される.カストロ「革命の第1段階は完了した」と宣言.

14 都市改革法(法律890号)発効.都市部の不動産売買を政府の管理下におき,住宅建設のイニシアチブを政府に移行.賃貸を目的とする家屋の所有が禁止される.会社所有の不動産はすべて国有化,大規模な工場,店舗,輸送会社も国有化される.米企業のうち小規模のもの2百社は没収をまぬがれる.

10.18 米国政府、米製品のカナダ経由でのキューバ輸出を制限するよう申入れ.カナダはキューバに対するいかなる禁輸措置も支持しないと表明.

19 米商務省、輸出規則を改正。食料,医薬品などを除く対キュ−バ輸出の全面禁止を決定.医薬品についても商業省の特許状が必要となる.また米国籍船舶のキューバ寄航も禁止.今日まで続く経済封鎖の源流となる.グアンタナモ基地への増派も認める.

20 ジアンカーナと太いパイプを持つ民主党の大統領候補ケネディ,「共産主義がフロリダの海岸からジェット機で8分のところまで来るのを許した」とアイクを批判.「自由の戦士」である亡命キューバ人への支援,キューバの在米資産の凍結,カリブに於ける共産主義の脅威に対し米国,LA諸国,ヨーロッパの同盟国の一致した行動を訴える.

20 米国,キューバ駐在大使を召還.事実上断交.

21 M26の青年グループとPSPの青年同盟,合併して反乱青年協会(Asociacion de Jovenes Rebeldas)を結成.

21 ゲバラ国立銀行総裁,翌年2月まで通商代表団の一員として社会主義諸国を歴訪.

24 キューバ政府,禁輸措置に対抗して,都市改革法を実施.残りの米国系企業166社,家屋など米国企業の全資産が接収されることとなる.

10.28 米国、米州機構理事会でキューバがソビエト・ブロックから軍事援助を受け取っていると非難。

30 グアテマラ紙「ラ・オラ」,キューバ人亡命者が国内において侵攻のための訓練をしており、米政府がそれに関与していると暴露.

10月 ペルー政府,リマのキューバ大使館で,左翼団体への秘密援助を証明する文書が盗まれ暴露されたと発表.ペルーはキューバと断交.その後中南米各国で同様の発表が相次ぐ.後にキューバ孤立をねらうCIAの差し金であったことが明らかになる.

10月 いくつかの婦人団体が結集しキューバ婦人連盟を結成.会長にはフランク・パイスとともにサンチアゴでのゲリラ戦を指導したビルマ・エスピンが就任.

10月 ロセリ,計画にジアンカーナのほか,亡命キューバ人と関係の深いトラフィカンテを巻き込む.シカゴ・ギャングの一味でCIAのエージェントでもあるリチャード・ケイン,ハバナ訪問.カストロ暗殺計画を持ち込む.

 

60年11月  グアテマラ秘密基地の発覚

11.01 アイゼンハワー,グアンタナモ米軍基地は将来にわたって放棄することはないと声明.ドルチコス大統領,アイゼンハワー声明に反論.国内の米基地は合法的に接収すると声明.

11.4 国内はカストロ支持でかたまり,一斉蜂起は困難な状況となる.CIAは亡命者の侵攻作戦に比重を移す.グアテマラの進攻部隊をゲリラ部隊ではなく正規軍として強化するよう指示.この時点で6百人の兵が訓練を終え,出撃待機に入る.UF社やガルシア海運などから1千3百万ドルの援助.作戦40は事実上解消される.

11.07 エスカンブライ山麓のエル・コンダード村ボカ・チーカで,飛行機から武器が落下される.

11.8 ケネディ,ニクソンを破り米大統領に当選.

11.8 ゲバラ,「ルック」誌と会見.「農業改革以外のすべての急進的措置は,好き好んでなされたものではない.米国がキューバに加えた圧迫が革命の“急進化”を迫ったのだ」

11.13 米商務省,これまでにほぼ10億ドルの米国系資産が接収されたと発表.国務省「キューバがこれまでにソ連・東欧から戦略物資2万8千トンを輸入した」と発表.

11.13 グアテマラで若手将校による反乱.軍部の約半分が反乱に加担.米国はグアテマラで訓練中のキューバ人傭兵も投入し反乱を鎮圧.

11.17 アイク,グアテマラ,ニカラグアでの共産主義侵略防止努力を支持し,両国の要請で海空軍をカリブへ派遣すると声明.20日間にわたり空母1隻,駆逐監5隻をカリブ海へ警戒出動.キューバはキューバ侵攻準備の一段階として,政治混乱を口実にグアテマラ,ニカラグアの基地を整備するのが狙いだと非難.

11.18 アレン・ダレスとビッセル,ケネディと会見し作戦の概要を説明.

11月 ゲバラを団長とする経済使節団,ソ連・東欧を歴訪.資本財援助を含む貿易協定の調印に成功.

11月 ”美男子”のあだなを持つ殺人狂のイグナシオ・リンダ元大尉,ピナル・デル・リオ州のロス・オルガノス山地にたてこもりゲリラ活動開始.

11月 米国郵政公社規則が改められ、輸出が特に制限される国のリストにキューバが加えられる。

 

60年12月  国内破壊活動の活発化

12.01 独裁政権を支持してグアテマラに介入したことから,進攻部隊反バチスタ派による内紛発生.革命戦線はこの反乱を間接的に支持したという。CIAはただちに介入し反バチスタ派2百名を逮捕.

12.04 アルテアガ枢機卿とハバナ大司教、8人の司教が連名でキューバ政府を非難する文書を発表。

12.08 ゲバラ,ソ連共産党大会で演説.統一党の見とおしについて発言.同時におこなわれた81ヶ国共産党・労働者党会議への正式参加は認められず.その後エジプト,インドなどを歴訪「人民政府が大衆の生活を重視する政策を採っていようといまいと,そこには深刻な貧困が存在する」と新興独立国を批判.

12.13 マイアミのカトリック福祉事務局(ブライアンO.ウォルシュ枢機卿)と亡命人学校ラストン・アカデミー(ジェームス・ベーカー校長),ペドロ・パン計画を開始.「マルクス・レーニン主義教化を避けるため」マイアミに子供たちを亡命させようとする.

12.16 アイク,大統領宣言3383号を発表。次年度第一四半期のキューバ糖輸入割り当てをゼロとする.

12.19 ゲバラを団長とするキューバ代表団とソ連,関係を一層強化する共同声明を発表.カストロ,社会主義国が米国の輸入停止措置に対抗してキューバ糖4百万トンを発注したと声明.

12.26 ペドロ・パン(ピーターパン)作戦が開始される。キューバの児童10人あまりがハバナ空港を立ち、アメリカに向かう。

12.26 ウォルシュ枢機卿,国務省幹部と会見.ピーターパン作戦を説明.まずキューバ政府が親から子供を取り上げ,シベリア送りにするというデマを流し,ハバナの教会幹部も巻き込んで子供をフロリダに亡命させるという陰謀.

12.27 キューバ官憲,反革命集団「第五中隊」のメンバー17名を逮捕.彼らは葉巻の箱にダイナマイトを詰め,商店や劇場に投げ込もうとしていたと自白.

12.30 キューバ諸国民との友好協会(ICAP)設立.

12.31 ピナル州カバーニャス山地のサグアとラ・ムラタのあいだのピナリージョ地区に武器が落下される.ピナルの反革命ゲリラはバチスタ軍伍長のルイス・ララ・クレスポが指揮.彼は革命中の人民弾圧の犯人として捜索されていた.

12.31 NSC,「プルート作戦」を承認.陸海空の三軍2千名が進攻部隊上陸にあわせ出撃体制に入る作戦.上陸の場所はトリニダーと決められる.アレン・ダレスCIA長官,テレビインタビューで,これからの5ヶ月がキューバから共産主義を排除するのにもっとも好都合な時期になろうと言明.ケネディに作戦の受入れを迫る.この時点で,反革命軍の兵力は5百から二千に増大.B26爆撃機24機,輸送機12機の他,戦車,無反動砲,対戦車ロケット砲などが装備される.

12.31 ハバナの百貨店「ラ・エポカ」,爆弾により全壊.

12月 ニコ・ロペス記念中央学校の前進「革命教育学校」が設立される.初代校長にはリオネル・ソト.

12月 エスカンブライのゲリラ,その数を増す.最大時推定は5千人に達したという. 旧エスカンブライ戦線を中心とする反政府ゲリラ,CIAの援助を受けフロリダより潜入.シエンフエゴス付近に上陸した後,カシルダの石油基地を破壊.その後エスカンブライにたてこもる.

12月 M26右派指導者のアモーリ・フラヒナルスに率いられた電力会社労働者数百人が,特権的な既得権の侵害に抗議しデモ.

12月 ロセリとメイヒュー,ヒットマンの安全な逃亡を考慮において,射殺ではなく遅効性の毒薬による毒殺を第一選択とすることで合意.CIAのシュライダー博士はボツリヌスを粉末にしたカプセルを製造.

12月 革命後の2年間で医師,教師の半分以上が国外亡命.

 

1961年

61年1月  米国,キューバと断交

1.01 政府,61年を「教育の年」と宣言.「民衆が民衆を教える」「知らないものは学べ,知るものは教えろ」を合い言葉に全国識字運動開始.カストロは「キューバには読み書きを知らないことを恥じるという革命の良心が必要である」と決意を述べる.PSPのブラス・ロカ書記長は経済優先の立場から識字運動を批判.

識字運動の成果: 学校を一時閉鎖,10万人の青少年,「祖国か死か」部隊に組織された10万3000人の労働者,3万5000人の教師などのべ26万8千名のボランティアが参加.百万人の文盲に対し教育.1年間の運動で文盲率は23.6%から3.9%に減少.

1.02 革命記念パレードに戦車,臼砲をはじめとするソ連製最新兵器が登場.カストロ,革命記念日で演説.「米大使館員の8割はスパイ活動に従事している」と発言.スパイ活動を続ける駐ハバナ大使館の館員156名(60名?)をキューバの米国大使館と同数の11人(18名?)に削減するよう要求.ラウル・ロア外相,国連安保理に対し,米国が侵攻を準備していると非難する決議案を提出.

1.02 ラウル・ロア外相,国連安保理に対し,米国が侵攻を準備していると非難する決議案を提出.

1.02 フルシチョフ,モスクワのキューバ大使館で開かれた革命記念レセプションで演説.「もっとも野蛮なアメリカの帝国主義者が,キューバへの直接侵攻をたくらんでいる.彼らは,その口実に,ソ連がミサイル基地を建設しているとデマを飛ばしている.ソ連はキューバ国内に基地など一つも持っていない」

1.03 アイク,「米国の自尊心と忍耐にも限界がある」とし,キューバとの国交断絶を表明.スイス大使館を米国の利益代表部に指名.キューバは同様にワシントンのチェコ大使館を利益代表部に指名.国交断絶にはLAの6ヵ国も同調.多くの中南米諸国は外交関係維持を表明するが,米国はこれらに対し猛攻撃.次期大統領ケネディは,キューバに対する経済的圧力を強化するため次年度の砂糖割り当てをゼロにすると声明.

1.03 国交断絶に伴い,ペドロ・パン計画は国務省より承認され,亡命した子供たちのビザは不要とされる.ウォルシュの証言によれば,その後の20ヶ月で,「同伴者のない未成年者」1万4千人がマイアミに亡命.その大半はふたたび親と巡りあえず.

1.05 国連安保理,キューバの対米非難決議案を賛成ゼロで否決.

1.05 米国内に「キューバに関するフェアプレー委員会」結成.議会に対しCIAによる秘密訓練基地の調査をおこなうよう要求.

1.05 トリニダド県サン・アンブロシオのラス・ティナヒタスで,オスバルド・ラミレス・ガルシアのゲリラが,識字運動の部隊を襲撃.最初の犠牲者は18才のボランティア教師コンラド・ベニテス・ガルシアと農夫のエリオドロ・ロドリゲス・リナレス.政府はトマセビッチを指揮官とする軍を送り反乱を鎮圧.カストロは自ら作戦指揮を執り民兵隊とともに作戦に参加.青少年の識字運動チームはコンラド・ベニーテス旅団と名づけられる.

1.05 プリオは米国に亡命.カストロを共産主義者として,政権打倒の「聖戦」をよびかける.

1.06 ラス・ビリャス州トリニダーのエル・コンダードとマグアのあいだで飛行機から20のパラシュートが落下.これらは武器・弾薬,爆弾,通信機器であった.

1.06 キューバ,「ヤンキーの侵攻」にたいして軍事的警戒態勢に入る.

1.07 ピナル州カバーナスとバイア・オンダのあいだに米国製の武器が落下される.革命軍と反革命ゲリラとのあいだに戦闘.革命軍兵士マヌエル・コルデーロ・ロドリゲスが死亡.このゲリラは二人の米国人オースチン・ヤングとピーター・ジョン・ランブトンに率いられていた.

1.16 国務省プレス・リリース2491号、米国人のキューバ旅行を制限すると発表.キューバを訪問しているアメリカの市民には標準の保護サービスが保障されないとする。

1.17 キューバ当局、反乱部隊指導者3人を処刑。

1.18 キューバ,ケネディ就任を前に24時間厳戒体制に入る.

1.19 ピナル・デル・リオに侵入しようとした米傭兵7人が逮捕される.

1.20 ケネディ,米大統領に就任.カストロ,米国が関係改善のイニシアチブをとれば,外交関係を「新たに開く」用意があると述べ,外交断絶後続けていた20万の民兵による外敵侵入警戒動員を解除.

1.21 カストロ,「われわれは平和を求めたい」と述べ,侵略の疑いで逮捕した米人6人の裁判を無期延期.ゲバラは「新大統領が対キューバ断交の決定に加わっていないことは重要である」と述べる.

1.21 アレン・ダレスとビッセルがケネディと会談.キューバ侵攻計画を提示し実行を迫る.ケネディはこのとき初めて作戦の全貌を知ったという.

1.22 アレン・ダレスとレムニッツァ統合参謀本部議長、新政府の主要メンバーに対し侵攻計画を説明。参加者はラスク国務長官、マクナマラ国防長官、ケネディ司法相など。

1.23 ミロ・カルドナ、USニューズ&ワールド・レポートに寄稿。「キューバで総蜂起が起こるだろう。この反乱は、それが大規模な軍事侵攻と結合することになるか、特別に訓練された人々が継続的に進入することになるか、軍事的に決着されなければならない。今日の時点で、大規模な侵入が必要かどうかを決めることは不可能である」

1.25 ケネディ,最初の記者会見でキューバとの国交回復を拒否.ニューヨーク・タイムス,侵攻作戦の詳細な内容を暴露.

1.25 エロイ・グティエレス・メノヨの率いるエスカンブライ第二戦線のメンバー、国内での抵抗を断念。三隻の漁船に分乗しキーウェストに到着。

1.28 ホワイトハウスで最初のNSCトップ級会談。ケネディが侵攻計画への態度を表明.米軍の直接参戦には反対し,ペンタゴンの再考を求める.トリニダーを上陸地点とすることについても,人口ちょう密な地域での戦闘を避けるため反対.統合参謀本部はトリニダーに代えてピッグス湾上陸を提案.ピッグス湾はキューバ南岸ラス・ビリャス州に深く切れ込んだ入り江.海浜地帯を除く内陸部はサパタとよばれる沼沢地帯で,戦車などの機動戦は不可能であり,上陸軍が橋頭堡を築くには絶好の条件.

1.30 ケネディ,一般教書で「進歩のための同盟」政策を推進すると発表.同時にキューバについて「国内外の共産主義独裁に反対したたかう」と声明.

1 PSPに対する非合法化を定めた法律,正式に廃止.

1 革命教育学校創設.6州11校に中堅幹部7百名を集め思想教育を強化.革命統一組織への足掛かりとなる.講師のほとんどをPSPのメンバーが占める.

61年2月  フセプランの発足

2.01 カストロ,イタリア共産党機関紙「ウニタ」のアルミニオ・サビオリ記者との会見で,過去の小ブル的偏見と反共主義を自己批判。共産党を最大級に持ち上げる。

カストロの発言要旨: キュ−バ共産党(PSP)は、つねに社会構造の根本的変革の必要を明らかに主張してきた、唯一のキューバの政党である。最初、共産党が私と反乱軍を疑っていたことは確かである。イデオロギー的・政治的にみて、それは当然の立場であった。シエラにいたゲリラの指導者の心は、ささいなブルジョワ偏見と欠陥で満たされていたからである。マルクス主義の文献を読んではいたが、まだわれわれの思想はあいまいなままだった。それは、専制政治と特権を破壊するために、すべての勢力が力をあわせなければならなかったからでもある。
われわれは一緒になった。理解し合い共同で働き始めた。共産党は、キューバの大義にたくさんの血とたくさんのヒロイズムを与えた。今後、われわれはお互いに忠義を尽くして、兄弟のようにともに働き続けるだろう。

2.3 親バチスタ派と最近亡命してきた反バチスタ派とのあいだに主導権争い.マイアミで民主革命戦線の会議.トニー・バローナ(マヌエル・アントニオ・デ・バローナ),アウレリアーノ・サンチェス,フスト・カリージョ,ホセ・イグナシオ・ラスコ,マヌエル・アルティメが出席.指導部にはトニーとアルティメが選ばれる.

2.06 ラス・ビリャス州カバイグアンのサンタ・ルシアに30個のパラシュート.武器・弾薬,爆弾,通信機器,食糧が落下される.

2.13 ラスビリャス州クマナジャグアのエル・ナランホ地区に20個のパラシュート.

2.16 リノ・フェルナンデスの率いる反革命派部隊500人が投降。サンタクララの刑務所に収容される。

2.17 ラスビリャス州ラ・シエリータのサンブラスとシルキートのあいだに13個のパラシュートが落下.

2.17 ブラジル,再度調停を提起.ケネディはこの提案を拒否.

2.23 中央銀行法改正.中央銀行以外のすべての銀行の貸出業務を停止.

2.23 工業省,外国貿易省新設,社会主義国歴訪より帰国したばかりのゲバラが工業相に就任.レヒノ・ボティ経済相が中央計画委員会(JUCEPLAN)委員長となる.ドルティコスが法相を兼任.ゲバラは主要産品の価格を固定し輸入規制によりドル流出を抑制.高度累進課税により資金を生み出そうとする.

2.25 JUCEPLAN,チェコ経済学者の支援を受け工業化4ヵ年計画を発表.5年間で10億ペソを投入し重工業の発展をはかる目標を設定.発電能力を5年間に2倍にすること,年産130万トンの製鉄工場,現能力の2倍のセメント工場,自動車コンビナート,工作機械工場,電子工業コンビナートなど,家電・事務用品に始まって船舶・車両に至るまでのあらゆる工場を全国各地に建設する壮大な計画を立案.資金のおおくを社会主義国からの援助に頼る.

2.28 マイアミ・ヘラルド紙,南フロリダとルイジアナ州ポンシャトレ湖のキューバ人亡命者の訓練基地の存在を暴露.新聞発表は当局の圧力により中止.

2 フェリックス・ロドリゲス(又の名をマックス・ゴメス)とラファエル・キンテーロ(暗号名チチ),4月侵攻準備のためキューバ国内に潜入.国内組織と連絡をとり破壊活動を展開.アルベルト・ミュラーに率いられたDREゲリラ,オリエンテで活動開始.

2 CIA,ボツリヌス菌をしみこませたタバコをカストロの下に密かに送る.

2月下旬 統合参謀本部、グアテマラの基地に視察団を送り戦闘能力を評価。統合参謀本部は,視察団の報告を受け、CIAによる対キューバ準軍事作戦を評価.「最終的勝利は大衆蜂起による政治的解決にかかっている」と条件を付ける.

61年3月  革命評議会の結成

3.01 キューバ当局、少なくとも10回にわたり敵対的な飛行機がキューバ領空内に侵入したと発表。

3.01 キューバ,ベネズエラに対し非公式に対米調停を依頼したとの報道.

3.01 エルサル、キューバと断交。その後ホンジュラスが4月、コスタリカが9月、パナマが12月に相次いで外交断絶。

3.02 ケネディ,キューバからの輸入を一切禁止すると発表.

3.03 ラスビリャス州のエル・マメイとチャルコ・アスールに武器・弾薬が落下.

3.05 アルゼンチン政府,両国間の調停に乗り出す意志を表明.

3月上旬 ゲリラに土地を提供したロベルト・アレホス、イディゴラスからの親書を携えワシントンを訪問。親書はゲリラの存在により自らの立場が困難になりつつあるとし、4月末までの国外退去を求める。

3.09 メキシコ市で民族独立・経済解放・平和のためのLA会議開催.元メキシコ大統領ラサロ・カルデナス,元アルゼンチン副大統領アレハンドロ・ゴメス,カストロ夫人ビルマ・エスピンが呼びかけ.「LA諸国民はキューバをまもることを強く表明する.それはわれわれ自身の運命をまもることにほかならないからである」と宣言.

3.09 エクアドルのベラスコ大統領、アメリカがさまざまな融資を見返り条件に、対キューバ断交を迫っていることを明らかにする。

3.10 キューバ連帯会議に出席したクベラは,メキシコ市やアカプルコで歓楽にふけり,キューバ大使館の批判を受ける.この間に友人の紹介でCIAエージェントと最初の接触.

3.11 第二回目のNSC会議。ケネディは反革命の受け皿としてリベラル層の参加を促す。ビッセルの提起したトリニダー上陸作戦は、隠密作戦に不向きなこと、飛行場の強度などの技術的理由から破棄される。

3.11 マイアミのホテル・フォンテンブローでマフィアの会見.ロセリと,メイヒュー,トラフィカンテ,ジアンカーナ,トニー・バローナが出席.メイヒューが毒薬カプセルと1万ドルをトニーに手渡す.トニー・バローナは,ハバナの救援隊幹部アルベルト・クルス・カソに毒薬を渡す.

3.11 エスカンブライで反革命ゲリラを指導したウィリアムA.モーガン少佐とヘスス・カレラス・サヤス少佐、ハバナで反逆罪のために処刑される。モーガンはオハイオ州トレドの出身。

3.11 破壊活動によりハバナ主要部が停電となる.市内での爆弾,銃撃事件頻発.

3.11 ケネディ,米国の農産物をキューバに輸出することを禁止.

3.12  キューバ,食糧配給制へ移行.

3.12 MRR,ニューオリンズでエウヒニオ・ディアス(通称ニーニョ)の下に訓練をつんだ傭兵160人,高速艇でサンチアゴ港のエルマノス・ディアス精油施設を襲撃.ロケット弾により水兵一人が死亡,民兵一人が負傷.カークパトリック報告によればこの高速艇は米国籍のバーバラ号から発進したもの.その後バラコアに上陸してグアンタナモ海軍基地を「襲撃」する予定であったが,果たせないまま逃亡.

3.13 カストロはDRの大統領官邸襲撃4周年記念集会で,侵攻に備える演説.

3.13 ケネディ,ホワイトハウスにキューバ,ドミニカを除くLA各国大使を招き,広範囲な十カ年計画「進歩のための同盟(アリアンサ・パラ・プログレッソ)」を提唱.民衆の生活改善と経済成長を達成するため,向こう10年間で250億ドルを拠出するとする.

3.14 3日間にわたるNSCの議論が終了。三つの候補地の中から、ピッグス湾が選ばれる。ケネディは最終決定を留保する一方、米軍の直接参加を無条件に禁止する。

3.18 国内の反革命派がミラマールで秘密作戦会議。当局の摘発によりウンベルト・ソリ・マリン、マヌエル・プイグ、ロヘリオ・ゴンザレス・コルソらが逮捕される。

3.20 CIA,内部分裂を繰り返す民主革命戦線への統制を強化.さらにマヌエル・ライら元革命派の人民革命運動の抱込みをはかる.人民革命運動と民主革命戦線の代表がマイアミのスカイウエイ・モーテルで会見.いったんFRDを離れたキリスト教民主運動(MDC)も加えキューバ革命評議会(CRC)結成.

3.22 CIA,ニューヨークでキューバ革命評議会(NRC)が成立したと発表.人民革命運動の推すミロ・カルドナ前首相を、議長兼「自由キューバの臨時大統領」に指名する.トニー・バローナが「首相兼国防相」に,マヌエル・ライが地下活動責任者に,アルティメが侵攻部隊「司令官」に就任.右派はこれに反発,サンチェス・アランゴを書記長に民族解放革命委員会を結成.

3.29 キューバ軍、カルロス・アントニオ・ロドリゲス・カボを拘束。ロドリゲスはCIAのエージェントで、「エル・ガジェゴ」の別名でテロ工作を展開していた。

3.29 ピナル州アルテミサのフピテル農場に武器・弾薬が落下.この日までに押収された武器の総重量は70トンを越える.

3.31 米政府,法律第8715公布.1948年の砂糖法の408項を修正.ケネディ,アイクの政策を引き継ぎ対キューバ砂糖輸入枠をゼロにすると発表.

3.31 USニュース&ワールド・レポートによれば、マイアミでは亡命者が公然とキューバ侵攻を触れ回り、米国の支援を約束し、新兵を募集していると報告。

3 軍の掃討作戦によりエスカンブライのゲリラはほぼ壊滅.官憲当局,元エスカンブライ指揮官で米国人のモーガンを、CIAと内通したとして逮捕,処刑.

61年4月  

4.01 国家保安局,CIAや秘密組織と関係を持つ人々を一斉検挙.ハバナ市内の革命再生運動(MRR)基地を摘発.ロヘリオ・ゴンザレスら幹部を逮捕.島を三つに分け東部をラウル,中部を参謀長アルメイダ,首都をフィデル,西部をゲバラが管轄する臨戦体制を確立.

4.01 上院外交委員長のウィリアム・フルブライト、ケネディに覚書を送る。「カストロ体制は肉に刺さったとげではあるが、心臓に突き刺さった短剣ではない」と述べる。

4.03 米国務省,キューバ白書を公表.「いまやキューバはソ連の衛星国となり,革命の初心を裏切った」と断罪.「キューバの人民は西半球の友人たちとともに,自由をかちとるため戦うだろう」とし反カストロ活動を正当化.

4.04 米国家安全保障会議(NSC),統合参謀本部の答申を受け,CIAのキューバ侵攻作戦を最終的に承認.フルブライト上院外交委員長のみが反対をつらぬく.ケネディは計画承認の絶対条件として,どのような状況に陥ってもアメリカ正規軍の投入は絶対に赦さないと発言.

4.05 CIAのビッセル副長官,上院外交委員会の秘密会で報告.ミグ戦闘機多数がすでにキューバ国内に到着しており「1〜2カ月でかの地に若干のミグ戦闘機が現れると予測している.またチェコでミグ戦闘機の訓練を受けたパイロットがまもなく帰国予定と報告.これを受けたケネディ,侵攻計画の発動を決定.

4.07 ニューヨーク・タイムス,「カストロ政府打倒のために何処までキューバ人亡命者を助力するかについて政府部内に激しい政策論争がある」との記事を掲載.関連記事が続く.キューバはこの記事から侵攻作戦が近いと判断.

4.08 キューバ革命評議会、ミロ・カルドナ議長の名で,キューバ人が武器をとってカストロ打倒にたちあがるよう呼びかけ.声明は、ニューヨークタイムズで発表される。

カルドナ声明: 我々は反革命派ではない。そんなものではありえない。我々は、金と権力をもとめる少数者のために国民を貧困に突き落としたバチスタ前体制を、敵として戦った革命家だ。その信念は現政権と戦う今も同じだ。カストロ政権は我々の国を裏切って、混沌に陥れたからだ。

4.08 マイアミの出入国管理局、国務省の要請を受けロランド・マスフェレル・ロハスを逮捕。国務省はアメリカ(特にフロリダで)での彼の存在が「米国の利益を損なう」と述べ、旧バチスタ派に対する断固たる姿勢を示す.

4.09 マイアミ連邦地裁,キューバ侵攻を試みたロランド・マスフェレルを中立法違反で告訴.

4.09 ハバナの百貨店エンカントとペプシ・コーラ工場でCIAの仕掛けた時限爆弾が爆発。

4.10 グアテマラとフロリダの傭兵部隊,ニカラグアのプエルト・カベサスに集結.出動命令を待つ.

4.12 ケネディ,侵攻を予告する声明を発表.「キューバ国内のどのような戦争にもアメリカ人を関係させないよう政府は全力をつくすつもりであり,政府はその責任を果たしうると思う」と述べ,「政府の態度は米国内の反カストロ避難民にも良く理解され共感されている」と結ぶ. 声明のあと,側近ソレンセンに「いかなる紛争もキューバ人達自身の問題だ」と語る.

ケネディ声明の骨子: (1)如何なる状況の下でも米軍はキューバに介入しない,(2)在キューバ米市民の安全保障,(3)バチスタ亜流政権復活の阻止,(4)「キューバにおける根本問題は米・キューバ間にではなくキューバ国民自身のあいだにある」とし,紛争のキューバ人自身による解決をうたう,(5)米国がキューバ侵攻の基地となることを否定.

4.12 ニノ・ディアス少佐の率いる164名の揚動部隊,ラ・プラヤ号に乗りキーウエストを出発.

4.12 ソ連大使館のゲオルギ・コルニェンコがシュレジンジャー補佐官と非公式に接触。カストロとの交渉継続を望む旨伝える。

4.13 ハバナのキューバ最大のデパート「エル・エンカント」で二回目の爆弾テロ。7階建てのビルが全壊.一人が死亡,18人が負傷する.指揮者はマリオ・ポンボ・マタモロス.実行犯は人民革命運動(MRP)のカルロス・ゴンサレス・ビダール.

4.13 プエルト・カベサスの上陸部隊が乗船を開始。

4月14日

4.14 ブラジルのクアドロス新大統領,キューバの自決権を支持し,米国との関係修復を仲介すると声明.

4.14 2506旅団を称する侵攻軍2千名,ルイス・ソモサ大統領の見送りを受け,ニカラグアのプエルト・カベサス港を出港.ヒューストン,アトランティック,リオ・エスコンディド,カリブ,チャールズの五隻に分乗しピッグス湾に向かう.米空母と駆逐艦が周囲を護衛.

4.14 ラ・プラヤ号,グアンタナモ東方48キロの沖合いに出現.モカンボ川河口に上陸する予定だったが,海岸に民兵が警備していたため上陸を断念.

4.14 メイヒュー,トニーに「カストロ処刑」を指示.トニーはオパ・ロッカの旧海兵隊兵舎に幽閉されたため連絡が取れず.

 

プラヤ・ヒロンの闘い

4月15日

4.15 CIAの雇った9機のB26爆撃機,キューバ空軍機を偽装してニカラグアを出発.

午前6時,キューバ空軍の標識を付けたB26が2機,シウダド・リベルタード(旧コロンビア兵営)の滑走路を爆撃.同時に二機がハバナ郊外の空軍最大の基地サンアントニオ・デ・ロス・バニョスを攻撃.つづいて2機がサンチアゴ基地を攻撃.7人が即死,44人が負傷.サンアントニオを爆撃したB26が1機,対空砲火により撃墜される.

キューバ空軍の残存戦力: この爆撃でキューバ空軍はB26二機,AT6練習機1機,DC3輸送機1機,T33ジェット練習機1機を失う(全空軍機の約半分).この時点でキューバ空軍が所有する航空機はB26が15機,T33練習機3機,シーヒューリ6機のみ.

AM 爆撃に参加しなかった残りの1機は直接マイアミに到着.空襲がキューバ空軍内部の反乱者によるものであると声明するが,現場に居合せた記者により偽装標識が即座に見破られる.米政府は犯人との関係を秘匿するため,第二次爆撃を中止.

pm 反革命軍上陸がうわさされ全国に戒厳体制.2万5千の正規軍をスクランブル体制に,民兵20万人に総動員令を出す.官憲当局は反革命分子の一斉取締を開始.ソリマリン前農相をはじめ,約十万人が内通の容疑で拘留.野球場,劇場,学校などに収容される.逮捕者の中には教会幹部も含まれる.マヌエル・アルテアガ枢機卿はアルゼンチン大使館に亡命を求める.

pm キューバ軍は侵攻部隊の上陸地点をオリエンテと予想し,ラウル指揮下の12個大隊を増援.中部にはアルメイダ軍,西部にはゲバラ軍を配し,全海岸線を非常警戒.ニーニョ・ディアスはバラコア付近で陽動作戦.米艦船もオリエンテ方面で動きを強める.

pm ラウル・ロア外相,国連総会の政治委員会緊急会議において「この爆撃は,疑いもなく大規模な侵攻の序曲である.この侵攻は米国に指導され,衛星諸国,中南米の独裁者たちに励まされつつ,準備されたものである」と非難.スティーブンソン米国連大使は米国の関与を否定.「爆撃した飛行機はキューバ自身のものである」とし標識をつけた飛行機の証拠写真を提示.LA諸国を中心に世界各地でキューバ支持のデモが展開.

4月16日

AM カストロ,ハバナ市内のコロン共同墓地で開かれた空爆犠牲者追悼の大衆集会で演説.革命の社会主義的性格を提唱.

カストロの追悼演説: 帝国主義者がわれわれを許せない理由は,われわれが米国の鼻先で社会主義革命をおこなったからである.われわれがライフルを手に,この社会主義革命を守るつもりでいるからである.この社会主義革命を,我々は銃で擁護しよう.昨日我々が対空砲火部隊が侵略機を銃撃で蜂の巣にした勇気で,社会主義革命を擁護しよう.
このたたかいは貧困者の,貧困者による貧困者のための闘いであり,帝国主義とあらゆる形の搾取を破壊する社会革命とのあいだのたたかいである.そのために我々は命を捧げる用意がある。

AM 報道各社が偽装爆撃の疑いについて取材攻勢を開始。ラスクとスティーブンソンはキューバ島内からの離発着が可能となるまで、越境爆撃を中止することで合意。これをケネディに伝える。

pm ケネディ,侵攻作戦の開始を最終的に認可.ただし,国連で偽装爆撃が問題となったことから空軍基地の爆撃は禁止.CIAはラスクに対し渡洋爆撃の続行を強く求める。

4.16 フランク・ベンダー,10名の要員を送り「臨時政府」首脳を拘束.フロリダ州オパ・ロッカ海軍基地の兵舎に幽閉.

4月17日

0am 上陸用艦船からプラヤ・ヒロン,プラヤ・ラルガに艦砲射撃開始.

0:30am コチノス(英ピッグス)湾を囲むシエナガ・デ・サパタに上陸開始.作戦の総指揮はCIAのグレイストン・リンチとウィリアム・ロバートソン.バジェーナ号とティブロン号の本隊はプラヤ・ヒロン(暗号名ブルービーチ)に上陸.

1am プラヤ・ヒロン西方2キロのカレトンでは,識字運動部隊が半日にわたり50ミリ機関砲と軽火器で抵抗.大部分が戦死.

1:15am アグハ号の別の一隊がプラヤ・ラルガ(レッドビーチ)に上陸.計画ではさらにマルソパ号,バラクーダ号,アトゥン号の部隊がカレータ・ベルデ(暗号名グリーンビーチ)に上陸の予定だった.

2:00am 戦車や装甲車が次々揚陸される.侵攻部隊は76ミリ砲を装備したシャーマンM41タンクを5輌,50口径の機関銃を装備した装甲車を10両保有していた.さらにバスーカ砲が75門,さまざまな口径の野砲が60,75ミリと57ミリの無反動砲が21,50口径の機関銃が44,30口径の重機関銃と軽機関銃合わせ39,火炎放射器が8,持ちこまれた.手榴弾は2万個以上に達した.軽火器としてはブローニング児童ライフル108,M3サブマシンガン470,ガランド・ライフルとM1カ−ビン銃をあわせて635,ピストルが465丁だった.海上兵力としては,輸送艦5隻,二つの長距離砲隊,重火器を運ぶための五隻の大型舟艇,4隻の上陸用舟艇を保持していた.また上空援護のため,16機のB26爆撃機,6機のC46輸送機,8機のC54輸送機,2機のカタリーナ水上機を保有していた.

2:30am 伝令はジープで1時間かけハグエイ・グランデまで走り,中央に電話連絡.CIAは「キューバの愛国者が解放の戦いを開始した」という「ミロ・カルドナ議長の声明」を発表.CIAの放送局ラジオ・スワンはキューバ人民に武器を取るよう呼びかける.

3:00am カストロ,第1報を受ける.オーストラリア精糖工場に駐屯するシエンフエゴス第339民兵大隊に南方進出を指示.さらにマタンサスの民兵将校学校大隊の精鋭870名に緊急出動を命じる.全国に戒厳令を発布,全民兵を戦闘配置につける.

3:30AM  第339民兵大隊340名(一説に900名)が南下を開始.アウストラリア南方19キロのバルビテで侵攻軍の先峯と接触.

4:00am カストロ,エンリコ・カレラス大尉の率いるサンアントニオ飛行隊に対し全力を挙げ沖合いの艦隊を撃破するよう指令.

4:30am 夜明けとともにニカラグアから来襲したB26爆撃機が空襲を開始.キューバ空軍機を偽装し,民衆に機銃掃射を加える.領空に入るまで米軍戦闘機が護衛.領海線上には空母エセックスが待機.この空母には戦闘機40機と海兵隊員を搭載.その他駆逐艦5隻,ヘリ空母,上陸用舟艇(LSD)が戦闘中待機する.

4:30am キャベルCIA副長官、侵攻軍の艦隊を米空母艦載機が援助するよう求める。ラスクは明白な介入行為となるとし、この提案を却下。

5am ラジオ放送,カストロ名の声明をくり返す.「キューバ人民へ.ラスビリャス州南部で,海上および陸上から,飛行機および軍艦の支援の下に,反革命部隊が攻撃中である.反乱軍および人民民兵の光栄ある兵士たちは,敵のあらゆる上陸地点において戦闘を開始した.勝利を確信するわれわれが諸部隊はすでに敵に向かって進撃している」

5:30amキューバ空軍機,コチノス湾深く侵入した侵攻軍の輸送船を発見.

6:00am 侵攻軍の降下部隊,沼沢地帯のソルピリャールへ降下.ラグナ・デ・ソテロのカフェテリアを集結地点とする.もうひとつの降下部隊はヒロン東方のサンブラスおよびソプリジャールの付近に着下.ソブリジャール飛行場およびコバドンガ製糖工場の確保を目指す.

7:00am キューバ空軍、ジェット練習機2機によって先導された6機のB26爆撃機が、ラルガ海岸沖の船舶をロケット砲撃.武器弾薬を満載したヒューストン号が自爆・撃沈,司令船バーバラJ号も被弾浸水し沖合いに避難.

8am シエンフエゴス大隊,プラヤ・ラルガの三叉路で敵部隊の待ち伏せ攻撃を受ける.バルビテに後退し防衛戦を張る.圧倒的な火力差により,36人が戦死する苦戦を強いられるが,数時間にわたり敵の進出を阻止.

9:00am ホセ・フェルナンデス・アルバレス少佐のマタンサス部隊,オーストラリア製糖工場に到着.そのまま前線に出発.部隊の半分はラグナ・デ・ソテロ方面に展開し,降下兵部隊と対峙.残りはシエンフエゴス大隊との合流を目指す.別動隊は東南方のソプリャールの滑走路を確保に向かう.マタンサス部隊に同行したホセ・ラモスが,オーストラリア製糖工場を司令部とし,現地の総指揮をとる.

9:30am マタンサス部隊の戦車は歩兵の護衛なしにカモフラージュなしの道路を進軍.味方機を偽装したB26爆撃機16機が反復空襲.炭焼労働者などの民兵も機銃掃射の前に多くの犠牲者を出す.

10:00am 最高司令官カストロ名の戒厳指令が配布される.

カストロ指令: 最高司令官は反乱軍,民兵,すべての公安部隊に命令する.警戒を強化し,サボタージュあるいは犯罪行為を犯そうとしているものには,見つけ次第仮借なく手を打て.革命防衛委員会は反革命分子に対する警戒を強め,彼らの活動を告発せよ.労働者・農民・知識人およびすべての勤労者に勧告する.自己の部署を守り,生産および教育のための努力を倍加せよ.また全国民は,秩序と厳正な規律を維持し,傭兵と第五列分子,サボタージュをおこなうものと反革命分子を粉砕するために協力せよ.すべてのものが自由な主権国家キューバを守る行動に移れ.すべてのものが社会主義と愛国主義と民主主義のキューバ革命を守れ。

10:30AM キューバ飛行隊による二度目の爆撃.ヒロン海岸沖の船団を爆撃.ニカラグア船籍のリオ・エスコンディド号が撃沈.残りの船舶は一斉に海上を離れる.他の艦船は一斉に逃亡.上陸軍は補給を断たれる.キューバ空軍のT33練習機は、さらに船団を擁護していたB26爆撃機5機を撃墜.

11:00am カストロ,「米国民と世界へ」を発表,「上陸した傭兵と冒険家たち」と闘うための連帯を呼びかける.ハバナでは不穏分子3万6千人が予防拘束される.ウンベルト・ソリ・マリン元農相も逮捕される.逮捕されたとき反革命の破壊活動プランを身につけていた.彼は米国亡命中だったが,数日前国内に潜入したという.

0:00pm マタンサス部隊,度重なる空襲のなかを進撃.パルピテに達し339部隊と合流.さらにラルガを目指す.落下傘部隊は民兵隊により制圧される.

2:00PM パルピテ南方5キロのプラヤ・ラルガで激戦が始まる.武装に劣るマタンサス部隊はかなりの死傷者を出し,いったん撤退.

3:15PM カストロ,アウストラリア工場へ到着,ラモスに代わり陣頭指揮を執る.

6:00pm 東方に進出しようとした侵攻軍の降下部隊,11人の民兵が死守するコバドンガ製糖工場を落とせず撤退.

8:00pm ラルガに対するキューバ軍の夜襲が始まる.待ち伏せ部隊は浜辺に後退し陣地を構築.

11pm ホセ・マルティ第一戦闘部隊,第二戦闘部隊がオーストラリア工場に到着.そのままフィデルの指揮の下に前線に赴く.オーストラリア工場の統括責任者にはアウグスト・マルティネス・サンチェス労働相がつく.

12pm 前線に到着したカストロ,部隊に突撃(マランガ)を命令.数次にわたり敵陣地への夜襲をくり返す.アメイヘラス長官の指揮する革命警察の部隊も加わる.激戦が翌朝まで続き,侵攻部隊は徐々に消耗.

17日夜 ラジオ・スワン,勝利を偽る放送.「バヤモ港は占領された.ピノス島は占領され,収監中の囚人1万人が解放された.フィデルは逃走中である.ゲバラは自殺した.ベダード街は完全に破壊された.プリオの部隊はサンチアゴを奪取した.ミロ・カルドナとバローナの参加する臨時政府が,ラスビリャス南部に打ち立てられた」

4.17 フルシチョフ,ケネディ宛書簡で「ソ連はキューバに対する軍事攻撃を撃退するに必要なあらゆる支援を,キューバ国民と政府に与える」と述べる.ブラジルのクアドロス大統領,キューバには国を守る権利があると語り,両者が交渉のテーブルにつくようよびかける.

4月18日

4:00AM 国際的反発の強さに驚いたケネディは,早朝実行予定の第二波の全土爆撃中止を指示.ビッセルはこの指示を無視して,米人パイロットの爆撃機にナパーム弾と高性能爆弾による爆撃を許可.三機のB26がサンアントニオ基地を爆撃.

4am ホセ・マルティ戦闘部隊,プラヤラルガ主要部の奪還に成功.さらに第116大隊と警察軍部隊がプラヤ・ヒロンへと進出を図る.カストロの部隊はサンブラス製糖工場に向かう.米軍のジェット戦闘機F86セイバーがキューバ軍に攻撃を加える.

6:00am プラヤラルガの侵攻軍,ヒロンに向け撤退開始.

7:00AM カストロ,敵がピナル・デルリオにも上陸との情報を受けハバナに戻る.のちにCIAのたんなる揚動作戦であると判明.

12:00am プラヤ・ラルガの上陸軍,プラヤ・ヒロンへ向け壊走.B26もキューバ軍のT33練習機により4機が撃墜される.パイロットはアラバマの州空軍に所属していることが判明.

2:00pm ラルガを確保した革命軍,ヒロンに向け進軍開始.飛行機の機銃掃射と敗残兵の狙撃の前に多数の犠牲者を出しながらも着実に前進.キューバ軍のT33はヒロン海岸に陣取る侵攻部隊を空襲.

3:00pm ペドロ・ミレト少佐(農相)のひきいる戦車部隊と重砲隊,コバドンガ製糖工場に到着.さらに掃討を続けながらサンブラスを目指す.

6:00pm 政府軍,ヒロンの侵攻部隊に対し野砲による集中攻撃を開始.C54により空中投下された補給物資は,侵攻部隊に届かずに終わる.

8:00pm ケネディ,ホワイトハウスに議員夫妻千二百名を集め晩餐会.

9:00pm プラヤヒロン沖合50マイルに戻ったアトランチコ号,武器弾薬などを揚陸しようとして,上空援護を要請.

4.18 国連安保理緊急会議開催.ラウル・ロア外相,侵略者はCIAによって雇われ訓練された傭兵部隊であると激しく非難.ラスク国務長官は米国の関与を否定.

4月19日

0:00am 晩餐会終了後,ホワイトハウスで緊急閣議開催.4時間にわたる.CIAと統合参謀本部は,海上待機中の空母からジェット戦闘機を戦闘に参加させるよう要請.ケネディはこれを拒否し一切の支援活動を中止させるよう命令.ただし侵攻軍のB26部隊が現地上空を飛んでいる間に限り,アメリカの標識を消したジェット戦闘機を援護作戦に投入することに同意.

7:00am 侵攻軍のB26による第2波攻撃.手違いから擁護戦闘機の到着を待たずに開始.キューバ空軍の迎撃により惨敗し四散.米国人現役将校(アラバマ州軍)を含む米人パイロット4名が死亡.

8:00am 侵攻軍,東方の拠点サンブラスを放棄しヒロンに撤退.カストロはマタンサス部隊とともに南下し,カヨ・ラモナでミレトの部隊と合流.

5:30pm 革命軍,ヒロンに進入.侵攻軍部隊は四散し沼沢地帯に逃げ込む.

4.19 ミロ・カルドナ議長,オパロッカ基地からの脱出に成功.バローナ,マヌエル・ライら6人の幹部がワシントンに出てケネディと会見.米国の直接介入を強く要求.

4.19 ロバート・ケネディ司法長官,大統領宛にメモ.「ロシアにミサイル基地を作られたくなければ,今,その意思をはっきりさせなければならない」とする.具体的には(1)米軍を直接上陸させる.(しかし大統領は絶対反対するだろう),(2)キューバ封鎖網を強化する,(3)OASに働きかけて,兵器のキューバへの流入を阻止する,案を提示.

4.19 フルシチョフ,ケネディ宛の親書.「ソ連はキューバに基地を持たないし,持つつもりもない.しかし将来再び武装キューバ人が侵入するなら,大変なことになる.それは第三次世界大戦へとつながりかねない危険な道である」

4月20日

4.20 カストロ,侵攻開始72時間の時点で侵入軍の完全撃滅を発表.この侵攻でキューバ側は156名の死者を出したが,侵攻部隊の92名を殺害(うち米国人4名),B26爆撃機10機,輸送船2隻を撃墜・破壊.サンロマン,アルティメら生存者1122人全員を捕虜とする(数字については若干の異同がある).

4.20 全国一斉に侵攻軍への協力者を摘発.逮捕者は10万人にのぼる.ソリ・マリン元農相,侵攻軍に内通したことが判明,反逆罪に問われ銃殺刑に処せられる.労働者戦線指導者のサルバドルも逮捕.

4.20 ケネディ米大統領,米新聞編集者協会年次大会で演説.ソ連のキューバへの武器援助を非難.これからもキューバを見捨てず,共産主義と対決していくと演説.

4.21 キューバ亡命組織,CIAの援助の不十分さから侵略部隊が見殺しにあったと非難する声明.

4.21 ニューヨークのユニオン広場で、「フェアプレイ・オン・キューバ」の集会、ノーマン・メイラーらの呼びかけで三千人を結集。

4.23 ケネディ,失敗の原因を総括するためキューバ研究グループ(通称グリーン委員会)を設置.元陸軍参謀総長のマックスウェル・テイラー将軍を委員長に任命.メンバーにロバート・ケネディ司法長官,アレン・ダレスCIA長官,海軍作戦部長のアーリー・バーク.

4.26 ケネディ大統領,侵攻作戦の失敗を公式に認め、「勝利には500人の父親が名乗りを上げるが、敗北は孤児である。すべての責任は私一人が負う」と声明.

4.27 キューバ,米国に対し平和共存のための交渉に入るよう主張.さらに米国が望むなら外交関係,友好関係を結ぶことも考慮すると声明.

4.28 ケネディ,西半球における共産主義とは交渉の余地なしとし,キューバの提案を拒否.キューバに対する経済封鎖の実施を発表.

4.28 ケネディ,ジアンカーナにカストロ暗殺を依頼.

4.27 ラスク国務長官,トルコのジュピター基地撤去を示唆.トルコ政府はこれに反対.

61年5月  社会主義革命の宣言

5.01 カストロ,メーデーで演説.「われわれの革命は社会主義革命である」と宣言.単一党結成の予備段階として革命統一組織(ORI)結成.組織担当書記(第一書記)にエスカランテを指名.機関誌「社会主義キューバ」の編集長にはファビオ・グロバルトが就任.

カストロの名文句: ケネディは“わが国の海岸から160キロのところで社会主義革命が起きるのを許すことはできない”といった.だがわれわれは海岸から160キロの所に資本主義国があるのにちゃんと耐えている.国が大きいからといって,小国との紛争を解決するのに実力を用いる権利があるわけではない

5.01 米国機がハイジャックされる.犯人はプエルトリコ生まれのAntuilo Ramierez Ortiz.ハバナに降り立ち亡命を許される.

5.03 2506部隊のアルティメ「司令官」,キューバ放送と会見.侵攻がCIAの企画,指導によるものであったこと,CIAのハワード・ハント作戦本部長が彼を司令官に指名したことを認める.

5.03 ギャラップ世論調査で、政府への支持率が82%に上昇。これを見たケネディは「これじゃアイゼンハワーとまったく同じだ。失敗すればするほど、私の人気は高くなる」と自嘲したという(シュレジンジャー)。また軍事介入に反対したケネディの立場に対し65%が支持、海兵隊を派遣すべきだったとする意見は25%にとどまる。

5.10 キューバへの軍事干渉を終わらせるアピールがニューヨークタイムズで発表される。賛同者の内41名はハーバード大学の学部メンバー。ほかにボストン大学、MIT、ブランダイス大学などの教官や作家など70名。

70人アピール: 著名人としてはジェームズ・ルター・アダムズ、リリアン・ヘルマン、デイビッド・オーエン、デイビッド・リースマン、ノーム・チョムスキー、ティモシー・レアリーなど。
反共リベラルの基本スタンスに立ち、「外交関係の緊張緩和と通商関係の再開によって、カストロ体制を共産主義ブロックから離脱させる」よう求める。また「ラテンアメリカの他の国で全体主義国家主義が生まれる社会的条件を除去することに集中する」ことを訴える。

5.17 アントニオ・ヒメネスINRA長官,耕地の4割にあたる4百万ヘクタールが解放され,29%が人民農場に移行と発表.協同組合農場もこの時点で12%を占めるが,砂糖キビ農場を除くすべての協同組合が将来人民農場に移行することとなる.

5.20 カストロ,捕虜の代表10名を米国に送り釈放キャンペーンをおこなわせる.

5.28 子供向けの映画を上映中のピナル市の映画館に何者かが放火..児童26人,大人14人が負傷.

5 ゲバラ,「米国が妨害しなければ,キューバは65年までに生活水準を現在の2倍に押し上げるだろう」と声明.

5 ソ連とのあいだに次年度の貿易協定締結.貿易総額は5億4千万ドルから7億5千万ドルに伸張.内容的には石油,物資,機材の輸出増大と砂糖輸入増大による.

5 全国小農協会(ANAP)創立,15万人を組織.

5 CIA,パティー作戦を開始.キューバではカンデラ作戦と呼ばれる.7月27日の式典に出席するフィデルをハバナで,ラウルをサンチアゴで暗殺しようとする計画.計画の具体化には現地キューバ人のアルフレド・イサギレ・デ・ラ・リバが当たる.これと並行してイヒニオ・ディアスにグアンタナモ基地を「襲撃」させる計画も開始.

61年6月  レボルシオン紙の廃刊

6.03 ウィーン会談.フルシチョフはベルリン問題での最終通告を提出.ケネディはフルシチョフ提案を戦争の可能性に道を開くものと非難.

6.6 カストロ,米国,スペイン,プエルトリコ,ニカ,グアテマラに捕らえられている政治囚同数と引き換えに侵攻軍兵士を釈放すると声明.

6.13 グリーン委員会議長のテイラーは侵攻計画の失敗をきびしく批判する報告書を提出.「カストロと長きにわたって隣人関係を維持することは出来ない.カストロに対する政治,軍事,経済,そして宣伝活動のために新しいガイドラインをもうけるべきである」とする.統合参謀本部は、CIAからの指導権の奪取を狙い、あらたな作戦計画「シンクラント0プラン」の作成にとりかかる.

シンクラント0計画の骨子
政治・軍事・経済・宣伝の全分野にわたってあらたな基準にもとづく作戦が必要となっているとし、@キューバ国民が共産主義政権に対して蜂起した場合,Aカストロ政権内部に変化が起った場合,Bカストロ自身に異常が認められた場合に,どのように対応するかを研究するもの.

6.16 ORIの文化部長にエスカランテの弟のセザールが就任.次長にはオルドキの妻でPSP幹部のエディド・ガルシア・ブチャチャが就任.ブチャチャは就任後ただちに,M26の文化誌「月刊レボルシオン」および週刊誌「レボルシオン月曜版」を批判.オルドキは,59年帰国後エスカンブライの反革命ゲリラ掃討作戦に参加し少佐に昇進.さらに国防次官にまで上り詰める.

6.30 ルネス紙に所属するカメラマンが,ハバナに残る暗黒街を撮影した映画を作成.テレビ番組で放映.映画局がこの映画を没収したことから,映画局とルネス紙との対立に発展.カストロは文化人を招き,国立図書館で3日にわたるヒアリングをおこなう.ルネス紙およびレボルシオン紙を事実上反革命と断定.両紙は廃刊となり,カルロス・フランキ編集長は解任される.

カストロの発言
「現在憂慮が抱かれなければならないのは,革命が自由を圧殺することではなく,革命そのものが圧殺されることである.…革命的な芸術家あるいは知識人が,絶対的な実質的自由を問題にすることは,実際上はあり得ない.問題は,反革命主義者ではないが,革命家として自覚もしていない芸術家や作家にとっての自由である.彼らにとって革命が一つの問題であるのと同様,革命にとって彼らは一つの問題をなす」と表明.
解決策として@すべての人が参加できる単一の文芸協会,A(革命的なものもふくめ)いかなるグループの独占も禁止すること,を提起.

6月 ケネディは,テイラー報告に基づきNSCあてに国家安全保障活動メモ(NSAM)55号,57号を送付.55号は統合参謀本部に対し,冷戦体制に備えて米軍の戦力評価を指示.57号は戦時と否とを問わず,軍事的活動の総責任は統合参謀本部議長(当時はライマン・レムニッツァー)にあると明示.CIAの秘密作戦がトップの統制原則にしたがうべきであること,軍事力行使を伴うものについては統合参謀本部の指示を仰ぐべきであることを求める.CIAはカストロ暗殺と国内撹乱に比重を移す.

6 ケネディ,スチブンソン特使をLA各国に派遣.ヒロン湾以後の方針につき説明.

61年7月  

7.22 キューバ当局,イサギレと協力者を逮捕.武器を押収する.パティー作戦は壊滅.フィリップス,パティー作戦に変わる暗殺計画としてリボリオ作戦を考案.ホセ・プハルス・メデーロスをハバナに派遣しベシアーナと接触させる.

7.26 ソ連の宇宙飛行士ガガーリンを迎え,モンカダ記念集会.カストロ,社会主義革命統一党(PURS)の結成を宣言.参加者はカストロの問いかけに「統一,統一」の叫びで応える.このあと大規模な社会主義の宣伝キャンペーンが広がる.

7.28 第一回キューバ知識人大会が開催される.ドルティコス大統領の開会宣言に続き,ニコラス・ギジェンが「革命と人民に対する作家・芸術家の創造的責任」と題する報告.「自由というものは絶対的な言葉ではない.反革命を宣揚する自由はダメ,帝国主義をバラ色に描く自由もダメ.革命のためにすべての自由を!」と述べる.

7 エレノア・ルーズベルトを会長とする「トラクターと捕虜釈放の交換委員会」が発足.

7 ヘミングウエイ,米国国内で自殺.

7 イースタン航空機,キューバ行を希望するものによりハイジャック.最初の「キューバ行きエクスプレス」となる.

7 サンチアゴでの成功に学び,ハバナでもJUCEIが発足.経済の計画化を目指す.現実は逆に,既存システムの破壊だけが先行し,経済混乱に拍車をかける.

61年8月  フセプランの挫折

8.5 OAS経済社会理事会(CIES),プンタデルエステで開催.キューバからゲバラが出席.その後アルゼンチンでフロンディシ大統領と秘密会談,ブラジルでクアドロス大統領と会談する.ゲバラは帰国後JUCEPLANの経営者委員会のメンバーに任命される.このあと事務局長のレヒノ・ボティと激しい論争を展開.

8.12 「ベルリンの壁」建設が開始される.

8.17 OAS経済社会理事会,「進歩のための同盟」をうたった憲章を採択.米国は10年間で政府資金110億ドルを含め2百億ドルの援助を約束.米提出のキューバ共同制裁案を否決.

8.26 全国各地の多くの工場で原料や部品不足のため操業ストップ,モノ不足が深刻に.政府は生産部門のすべての責任者(閣僚,技術者,共同組合長,農場長)3千5百名を召集し,「第一回全国生産会議」開催.

第一回全国生産会議の概要
カストロは会議の冒頭に演説.「革命はいかなる生産の危機にも直面しておらず,生産は拡大の一途をたどっている」と発言.同時に「今はもう有頂天の時代は終わった.例え犯罪者の車でも,自分のものでない車に手を触れたものはすべて十年の禁固だ」と警告.
レヒノ・ボティ経済相,「4年後にキューバの一人当たり工業生産量はラテンアメリカ最高の水準に達し,電力エネルギー,鉄鋼,セメント,トラクター,石油精製産業ではトップとなるだろう」と,計画の意義をふたたび強調.
実際の議論はゲバラ工業相が指導.
「我が国の生産に多くの弱点と多くの誤りがあることは明らかである.それらの誤りの中で,あるものについては正当な理由があるのかもしれない.しかし大切なことは,誤りを正当化することではない.その繰り返しを避けることなのである」と厳しく警告.
具体的には,官僚主義を主要な危険とするいっぽう,「民主主義の過剰で議論が止めどなくおこなわれ,誰も責任をとらない」現状を指摘.さらに軍の勝手な動員による生産ストップも厳しく批判.
討論の中では,現場の意見を無視した計画作成,統計技術の低さによる計画自体の欠陥がきびしく批判され,計画再検討の必要性も指摘される.

8 CIA,リボリオ作戦を開始.唯一の残された反カストロ組織である人民革命運動(MRP)を使って暗殺計画を進めようとするもの.MRPは60年末にマヌエル・ライ・リベーロが創設したもので,アントニオ・ベシアーナ・ブランクが現地での指導に当たる.現地に潜入したエージェントから武器を渡されたベシアーナはアベニーダ街のアパートの8階に部屋を借りる.カストロが大衆集会で演説する旧大統領宮殿の北テラスまで直線で70メートルのこの部屋に,バズーカ砲や多数の機関銃,手留弾,民兵の制服などが持込まれる.10月4日大統領宮殿前で開かれるドルティコス大統領の帰国歓迎集会が暗殺計画の実行予定日となる.

61年9月  プラヤ・ヒロン裁判

9.1 第1回非同盟諸国首脳会議,ベオグラードで開催.「グアンタナモ基地はキューバの主権と領土保全に影響をおよぼす」と非難.会議に出席したドルティコス大統領は「われわれの最大の論点は,民族自決と帝国主義,新旧の植民地主義に対する闘いにある」と発言.

9.8 侵攻部隊捕虜の内,14人のみが有罪.アルティメ総司令官らは禁固30年の刑を受ける.カルビーニョらバチスタ時代の殺人鬼5人に死刑の判決.カルビニオは銀行強盗で捕まったあと警察の手先となり,M26に潜入.活動家を売り渡した功績で警察幹部に昇進.刑はただちに執行される.米国との捕虜釈放交渉始まる.キューバはトラクター500台を要求するが米国は拒否.

9.21 米政府の防衛力評価報告が発表される.ソ連のミサイル能力が意外に小さく,米国の核攻撃力を遙かに下回ることが明らかになる.

9.25 内務省,カストロ暗殺のためCIAにより送りこまれたルイス・トロエジャら三名を逮捕.CIAはこのほかにも10組の暗殺チームを送る予定で,すでに2組の暗殺チームを送り込んでいた.フィリップス,キューバに再入国.ベシアーナにカストロ暗殺の指示を与える.

9.30 グアンタナモ基地の海兵隊大尉アーサ―・ジャクソン,基地労働者ルベン・ロペスを拷問の末虐殺.

9 ミサの行列,反革命デモに発展.130名の神父が国外追放.マヌエル・アルテアガ枢機卿はアルゼンチン大使館に避難.政府はハバナ・カトリック大学をはじめ多くの宗教立学校を閉鎖.

61年10月

10.02 中国訪問中のドルチコス大統領,米国のキューバ・台湾政策を非難する共同声明.

10.3 ベシアーナと彼の仲間,保安局からマークされていることを知り,決行前日に米国に亡命.

10.03 教師デルフィン・セン・セドレ,ラス・ビリャス県ケマド・デ.ギネスのノボア農場でマルガリート・ランサ・フローレスのゲリラに殺害される.

10.5 バンディ大統領特別補佐官,秘密文書「キューバ緊急対策」を提示.「キューバ政界からカストロを取り除く可能性に関連した」計画を立案.CIAの分析局「国家評価局」も独自の報告「キューバの現状と展望」を提出.「カストロがいま暗殺か自然死で倒れれば,混乱した影響が出るに違いないが,現政権にとって致命的な打撃にならないことはほぼ確実である.生き残った指導部は共通の危機に直面しておそらく一致団結するだろう」とする.これらの報告を受けたケネディは,「可能な限りの方法で,キューバの共産主義政権を転覆させる為の秘密作戦」の検討を指示.

10.6 グアンタナモ基地に働く労働者,米軍人により拷問を受け死亡.

10.11 当局,アベニーダ街のアパートを摘発.ハバナ郊外アマドール・オディオ所有の農場に潜んでいたMRP残党を逮捕.

10.27 16時間にわたり,ベルリン境界線を挟んで米国とソ連の戦車が対峙.

10.30 米ソ交渉開始.米政府は交渉期間中すべての破壊工作および軍事作戦の停止を指令.

10月 CIA最高監査役のライマン・カークパトリック,秘密計画の全貌を示す文書を提出.99年解禁されたこの文書で,米国のキューバへの秘密作戦は59年夏にはすでに始まっていたことが明らかになる.

10月 米国の黒人ジャーナリストウィリアム・ワーシー,ひそかにキューバ入国.連邦法違反の判決を受ける.

61年11月  ダレスCIA長官の更迭

11.01 ホワイトハウスのラテンアメリカ専門家リチャード・グッドウィン,ケネディ大統領へのメモを送る.この中でカストロ政権打倒のための計画の作成・実行にはロバート・ケネディ司法長官がもっともふさわしいと進言.

11.05 ハバナ州当局,州内から文盲が一掃されたと発表.年内に文盲率は20%から3.9%に減少.

11.09 ロランド・マスフェレル・ロハスに対するアメリカ連邦裁の訴訟は、説明なしで却下される。彼はキューバへ27人が侵入した作戦について中立法を犯したとされていた。

11.09 7月にキューバを訪問したNYタイムスのタド・シュルツ記者,ケネディと単独会見.ケネディは「米国は倫理上の理由から,カストロの暗殺に訴えるような状況に立ち至ってはならないと思う」と発言したという.

11.11 ベネズエラ,キューバと断交.

11.15 ランスデール,ロバート・ケネディ宛のメモで,対キューバ作戦に関して自説を展開.「今や,貴方の危機感を解消するために,何をしなければならないかが明らかになってきた」と述べる.この提案は,後に「マングース作戦」に発展.

11.16 ケネディ,ワシントン大学で演説.「われわれは自由な国家として,敵対国とテロルや暗殺,二枚舌,演出された暴徒,みせかけの危機といった戦術で競うべきではない」

11.26 識字活動家マヌエル・アスクンセ・ドメネッチと,彼の教え子で農夫のペドロ・ランティガ・オルテガ,トリニダド県リオ・アイのパルマリート農場でゲリラに殺害される.キューバ政府はこれを機に,反革命策動への危機感を強め,体制を強化.

11.29 ケネディ,キューバ侵攻失敗の責任でアレン・ダレス長官を更迭.ジョン・アレックス・マコーンを後任に指名.ケネディはCIA本部落成式で「諸君の成功は公表されない.しかし失敗は喧伝される」と演説.

CIAの対応と反キューバ作戦の変化: ビッセルはCIAナンバー・ツーであり,ピッグス湾事件の責任者であったことから,自らの更迭を必然と考えた.しかしカストロ暗殺計画は続けなければいけないと確信していた.
退陣に備え,計画を秘匿するため,彼はエドワーズ保安局長を実行部隊からはずした.そして,これに代わるものとして,キューバ工作を一手に集中する「機動班W」を新設.ウィリアム・ハーベイを責任者に任命した.この機動班は後にマングース作戦の一部に組み込まれる.ハーベイは,「ベルリン・トンネル作戦」の指揮者としてで勇名をはせた人物である.
ハーベイの立案した外国要人暗殺計画は,コード・ネームをZRライフルとされる(別名処刑活動).年間5千万ドルの予算を獲得したハーベイは,マイアミにゼニス工学サービス社(暗号名JMウエーブ)を設立.CIAの秘密活動の拠点ととする.現地責任者にはセオドア・シャックリとゴードン・キャンベルが就任.フィリップス,ハバナでの情報活動の経験を買われ,マイアミのJMウエイブ本部入り.ピーターパン作戦を企画するなど心理戦の分野で活躍.
ラングレーとマイアミに併せて400人の規模となった「機動班W」は,3千人のキューバ人情報提供者を管理.多数の艦船を抱え,「西半球第三の海兵隊」の異名をとる.ハーベイは一方で再びマフィアと接触.毒殺計画を再発足させる.

11.30 ケネディ,キューバ・プロジェクト(キューバ政府を転覆させるためのあらたな秘密作戦計画)を承認.ラスク国務長官へのメモで「キューバ人が共産主義政権を打倒するのを援助すべく,可能な限りの資産を活用すること」と指示.

11.30 大統領緊急指令を受けたNSC,「キューバ国内の共産政権を取り除き,アメリカと平和共存できるような政権を樹立する」ことを決定.特殊拡大グループ(SGA)を編成.以後対キューバ作戦はCIAの手を離れペンタゴンの手に.

特殊拡大グループ(SGA): ボブ・ケネディとテイラー将軍が統轄する.正規のメンバーは二人のほかバンディ国家安全保障担当補佐官,アレクシス・ジョンソン国務次官補,ロスウェル・ギルパトリック国防次官,マコーンCIA長官,ライマン・レムニッツァー統合参謀本部議長.テイラーの推薦によりエドワード・ランスデールが作戦計画作成の作業を担当.
ランズデールはフィリピンでマグサイサイ大統領の顧問としてフク団の鎮圧作戦を指導.その後ベトナムに渡り,ゴ・ディン・ディエムの顧問として,「戦略村」計画を発案するなどの「業績」を持つ.就任にあたり,大佐から空軍准将に昇格の上,任務に就く.ランスデールはマングース作戦を作成.以後,この計画に基づき,62年末までに5780回の対キューバ武力行動が展開される.

61年12月  カストロの共産主義者宣言

12.01 フィデルの革命幹部学校における講義がテレビ放映される.「キューバ革命においてPSPは労働者を代表し,M26は農民を代表し,幹部会は学生を代表していた」とし,M26の役割を相対化する総括.

カストロの共産主義者宣言: かつて私は、いささか理想主義的な,世界の現実を知らない社会改革者であった.われわれが革命の舞台で,革命の現実,階級闘争に直面せねばならなくなるにつれて,マルクス・エンゲルスの著述のいっさいの真実が納得されるようになり,レーニンが科学的社会主義にあたえた真に天才的な解明が納得されるようになった.いまや私はマルクス・レーニン主義者である.そして私は,私の命の終わるまでマルクス・レーニン主義であり続けるだろう。

12.9 コロンビア.キューバと断交.

12.22 カストロ,文盲根絶作戦の完了を宣言.革命後の三年間で中間層を中心に25万人が米国亡命.カストロは亡命者を潜在的反革命分子とみなし,出国防止策を採らず.

12.26 ピナル・デル・リオに上陸しようとした二人のCIAエージェントを逮捕.

 

1962年

62年1月

1.01 軍事パレード.ミグ15とミグ17を中心に60機が飛行.少数ながらミグ19も見られる.武装ヘリや軽輸送機も見られる.

1.01 政府,62年を「計画の年」と宣言.第一次4ヵ年計画スタート.亡命続出による技術者不足,資材不足,部品不足,生産ストップ,物資の欠乏という悪循環によりまもなく挫折.

1.03 米国務省,キューバをソ連の衛星国とする第二キューバ白書を発表.

1.03 キューバ政府,米国による119件の領空侵害に抗議.うちグアンタナモ海軍基地から飛び立った飛行機による領空侵犯が76件を占める.

1.07 ラスク国務長官は「今月末のOAS総会でカストロ主義による西半球の脅威について議論し,経済制裁を検討することになるだろう」と述べる.

1.07 ピナルデルリオで飛行機から落とされた武器が捕獲される.

1.14 MRRのフアン・マヌエル・ギヨー・カステリャノス,CIAの手引きで国内潜入に成功.MRR傘下のカソリック青年同盟(JEC),カソリック学生同盟(JUC),カソリック青年労働者同盟(JOC)との連絡に成功.さらにMRP,11月30日運動,キリスト教民主運動(MDC),革命幹部会(分派)などとも連絡を取る.

1.18 キューバ・プロジェクトに関する最初の会議が持たれる.ランスデイル,政府最高首脳とNSC特別拡大グループに「プロジェクト・キューバ」の概要を提出.

プロジェクト・キューバの概要(1989年機密部分解除)
CIAの協力の下に,破壊作戦,情報作戦など32のプロジェクトが提案される.作戦の最終局面においては必要ならば軍事力も含む,米国の直接介入が想定される.記録文書の最初には「キューバ問題は今日この政府にとって最大の課題(the top priority)である.これに比べれば,ほかの問題は二義的な意味しかない」と強調される.
「ピッグス湾の失敗は,米国在住のキューバ人愛国者にショックを与えた.新しい作戦はラテンアメリカ諸国から支持を受けなければならない.そのためには,キューバ国内の政治勢力が行動を起こさなければならない.破壊活動や宣伝活動により,国内緊張を高め,それが最高潮に達したとき,政府の何らかの行動に呼応して,国民の怒りの行動を爆発させることになる.政府内部からの反乱を誘発することも考慮すべきである.
このときから,米国は反乱に対して公然たる援助を与える.可能ならば他の西半球諸国の軍事を含む協調が求められる」

1.19 ロバート・ケネディの執務室でSGA会議.ロバートは「1.カストロの打倒は可能であり,米国にとって最優先課題である.2,時間,金,人を惜しんではならない.最後の章は書かれるべきではなく,成されるべきである」と発言.「プロジェクト・キューバ」は専門家たちに送付され意見が求められる.

1.19 米政府,各国政府が60日以内にキューバへの制裁に踏み切るよう提案した文書を,OAS加盟諸国あてに送付.

1.22 7日間にわたりプンタ・デル・エステで,21か国が参加して第8回OAS外相会議.米国は「マルクス・レーニン主義は,米州の政治機構にそぐわない」とし,キューバ制裁を提案.ドルティコスを代表とするキューバ代表団は,キューバ排除は国連憲章に違反と非難.

1.23 OAS外相会議に対抗してハバナで第二回キューバ全国人民会議開催.ラサロ・カルデナス,サルバドル・アジェンデ,フランシスコ・ジュリアン,ウルグアイ社会党書記長ビビアン・トレス,グアヤキル大学学長アントニオ・パラなどが招かれる.

1.28 キューバ当局,都市の輸送を麻痺させるため,化学物質と磁気作動爆弾を仕掛けようとしたテロリストを摘発.

1.29 OAS外相会議,14対1で,キューバの参加停止決議(除名)と武器禁輸等の制裁を決議.ブラジル,メキシコ,アルゼンチン,チリ,エクアドルなど6か国は,加盟各国の国内問題への不干渉を定めたOAS憲章の原則を犯すおそれがあるとし,棄権に回る.その後これらの国に対し,CIAの政府転覆策動が強まる.メキシコ議会はキューバ支持を再確認.

1月 キューバ国内で本格的な破壊活動を開始.精油所・鉄道・製糖工場などにとどまらず,映画館やデパートなど一般市民の集まる場所にまで無差別テロ.内務省調査では8月までに6000件の破壊工作があり,数百人の民間犠牲者を出す.

62年2月  第二次ハバナ宣言

2.03 ケネディ,「61年外国援助法」の第620条a項にもとづき,大統領令第3447号(対キューバ全面禁輸)を指令.キューバ産品を原料とする第三国製品の輸入,米国の生産品の第三国からの再輸出を含め禁止.キューバを支援する国への援助停止も指示.食糧と医薬品は除外されたが,その場合も一般輸出許可が必要となる.

2.03 マクナマラ国防長官,パナマ運河地帯を視察.キューバを拠点とする共産主義の陰謀は,西半球を危険にさらしており,米国とその盟友は,この脅威に対して軍事的な準備を始めなければならないと強調.

2.04 革命広場で開かれた全国民集会,OAS外相会議のキューバ除名決議に対抗し,第二次ハバナ宣言を採択.「革命家の義務は、革命を成すことである」とし、ラテンアメリカの人民に、帝国主義に対して立ち上がるよう求める。

第二次ハバナ宣言
OASからの脱退と社会主義の選択を宣言したもの.
民族ブルジョアジーの役割はLAにおいては少ないとし,2段階革命論を否定.「中南米に革命の機は熟した.農村でのゲリラ戦が都市の労働者階級,革命的インテリゲンチアと結びつく時,革命運動は全人民のものとなって成功する」とし,「すべての革命家の義務は革命をおこなうこと」と述べ,武装革命路線をよびかける.
同時に革命の輸出問題については「キューバが革命の輸出をたくらんでいるという非難に対して,われわれはこう応える.革命は輸出されるようなものではない.ただ人民がそれをおこなうだけなのだと.キューバ革命は,すべてのラテンアメリカ諸国に厳存する現実から不可避的に生じたのである.…いまや疑う余地はない.ラテンアメリカの搾取され,辱められている人々,彼ら自身のため永久に,彼ら自身の歴史を今から書き始めようとしたこの人々に,われわれは思いを致さなければならないのであろう…
低開発国では労働者階級が存在しない.しかし革命的勢力となる階級は存在する.それは農民である.農民は労働者と革命的インテリゲンツィアに指導されて,国民解放の闘争のなかで決定的な重要性を持つ.
…人民の針路が閉ざされているとき一番肝要なことは,合法的な手段で権力を奪取できるというような無意味な安易な幻想のうちに人民を引き留めておくのは妥当ではないということである.革命が不可避的であることは誰もが知っているが,革命の戸口に座り込んで帝国主義の死骸が葬送されるのを待っているのでは足りない.革命家の義務は革命をおこなうことなのだ」

2.05 キューバのマリオ・ガルシア・インチャウステギ(Inchaustegui)国連大使,OASの制裁決議を非難.国連憲章に基づく調停を提案.さらに米国がキューバへの直接進攻作戦を準備していると警告.

2.07 禁輸措置,発動.ケネディ,禁輸措置の対象を拡大すると発表.従来からの輸出禁止に加え,キューバからの商品輸入を全面禁止.さらに米国商品の第三国を通じての間接輸出も禁止する.さらにキューバと友好関係を保持している国への財政援助を削減.食物と医薬品を除くすべての貿易が全面禁輸となる.

2.15 航空母艦を含む大規模な米艦隊がキューバの海岸線を包囲し威圧する.

2.15 国連総会,「米政府によるキューバ干渉の停止を求める決議案」を否決.賛成11,反対50,棄権39.

2.19 キューバは米国がピッグス湾事件に次ぐ第二の侵攻計画を立てているとし,米国の攻撃について議論するため緊急安保理を開催するようもとめる.

2.20 ランスデイル,6段階からなるキューバ政府転覆計画をSGAに提出.3月から10月までの予定表を含め計画の全貌を説明.8月からゲリラ作戦を開始.第二に政府要人を亡命させ,その「内部告発」により「自由の戦士に対する国際的同情を喚起し」,世界の世論を味方につける.そして10月を「革命が起こり,共産主義体制を転覆する」エックスデーに定める.米国はその「革命を防衛するためただちに軍を派遣するが,今のところは手を縛らない」とする.

2.20 ジャクリーン・ケネディ,フロリダの偽装組織に保護されたキューバ人児童を「慰問」.

2.22 国務省のウォルター・ロストウ,NATO特使として西欧諸国を歴訪.キューバ禁輸措置への協力を迫る.

2.26 キューバ公衆衛生省,ポリオ絶滅のための全国キャンペーンを開始.年末までに根絶にこぎつける.95年4月,WHOはキューバを米州におけるポリオ根絶のさきがけとして顕彰.

2.26 SGA会議,ランズデール案を検討.「キューバ・プロジェクト」は大幅に規模縮小.ランズデールには情報収集計画をより厳密に明らかにするよう指示が出される.統合参謀本部 (JCS)はキューバ侵攻作戦の策定を最優先課題とする.

2.26 米大西洋軍最高司令官は,統合参謀本部の諮問に答申.当面,米国の介入が正当化されるレベルまで,国内の反乱軍の活動は活発化していないとし,活動水準を引き上げるよう,武器の密輸作戦を強化する提案.

2.27 国連総会に引き続き,安保理でもキューバの訴えは4対7で否決される.英国代表は「キューバの訴えはたんなる宣伝活動に過ぎない」と酷評.

2.27 フーバーFBI長官,ジュディス・キャンベルとジアンカーナとの関係をケネディに報告.

2月 A.ダレスについでさらにチャールズ・カベル副長官,ビッセル作戦本部長を解任.リチャード・ヘルムスを後任作戦本部長にあてる.カベルはハワード・ヒューズのコンサルタントに就任.ビッセルは統合参謀本部につながるシンクタンク,防衛分析研究所(IDA)に職を得る.

62年3月

 LAにおける社会主義封じ込めを狙う「進歩のための同盟」発足.

3.01 SGA,当面の行動を情報収集に限定することを確認.そのほかの行動は,キューバとカストロを孤立させる外交戦略に支障のない範囲で続行することとなる.

3.07 統合参謀本部の秘密文書,「ここ9ないし10ヶ月の間にキューバ国内に反乱が起こることは期待できない.したがって米軍の直接行動を正当化するためのなんらかの“挑発”(provocation)が必要である」

3.8 社会主義革命統一党(PURS),25人からなる全国指導部を発表.カストロの命により,ニコ・ロペス中央学校の卒業生20名が党結成の準備実務にあたることとなる.

全国指導部の顔ぶれ
M26からは,・カストロ,・ラウル,・ゲバラ,・ドルチコス,・ラミロ・バルデス,・フアン・アルメイダ,・アルマンド・アルト,・ギジェルモ・ガルシアなど13人
PSPからは,・アウグスト・マルティネス・サンチェス,・ラサロ・ペーニャ,・フラビオ・ブラボ,・オスマニ・シエンフエゴス,・セベロ・アギレなど10人
革命幹部会からは,ファウレ・チョウモンなど2人が選出された.

3.09 国防省当局,統合参謀本部に「キューバに対する軍事干渉を正当化する口実」と題する文書を提出.

国防省による「挑発行動計画」の概要
まず,いくつかの事件をグアンタナモ基地周辺で起こし,キューバ軍が行ったように見せかける.ついで水と電力確保のため,駐留部隊が出動.このときキューバ軍の重砲陣地を攻撃・破壊し,キューバの本格参戦を誘発する.これと平行して“メイン号事件”をいくつか引き起こし,キューバ軍がやったように見せかけ,大規模な救出作戦を展開する.またボートに乗せた難民を攻撃する(real or simulated)ことによりキューバのテロを弾劾する.そして米国内の難民も襲撃する.またプラスチック爆弾を米国国内各地で爆発させたあと,キューバのテロリストを逮捕し,キューバ政府を非難するキャンペーンを展開する.F86戦闘機をミグ戦闘機に偽装し,キューバ軍の標識をつけて米軍施設を攻撃させるか,米国の民間航空機を襲撃させる.などが柱となる.

3.11 テイラー,マングース作戦を評価検討.「マングース作戦の政治的ガイドライン」を提出.「革命の開始には何よりも国内の蜂起が必要だが,最終決着は米軍の直接参戦を要するだろう」とする.

3.13 ライマン・レムニッツァー統合参謀本部議長,マクナマラ国防長官宛てに対キューバ破壊活動計画案「キューバに対する恐怖作戦」を提案.

3.13 青年共産同盟の主催で大統領官邸襲撃の記念集会.主催者によるエチェベリアの遺書の改竄に対しカストロはその場で激しく抗議.

3.13 キューバ,かつてない旱魃に見舞われたことから食糧配給制に移行.

3.13 ハバナ州で豚飼いの青年が,傭兵ワルデマル・エルナンデスの一味に縛り首にされる.

3.14 テイラーの起草した「マングース作戦のガイドライン」細則が,SGA会議で了承される.このガイドラインでは,1,カストロ政府打倒のためには,国内の資源を徹底して活用すること.2,しかし最終的な成功のためには,米国の断固たる軍事的介入が求められるだろう.3,国内活動は米国の軍事干渉に合理的根拠をあたえ,作戦実行を容易にし,支援するために役立つだろう.

3.16 ケネディ大統領,マングース作戦ガイドラインの報告を受ける.ケネディは作戦を承認すると同時に「最終的勝利には,米国の断固たる軍事的介入〔decisive military intervention〕が求められるだろう」と意見を述べる.このあとマングース作戦,本格的に始動.

3.20 グアンタナモ基地の駐留米兵による挑発行為が相次ぐ.キューバ政府,外交文書により米政府に抗議.

3.23 米政府,キューバ制裁法の強化.キューバ製品を原料にふくんでいる商品(具体的にはニッケル合金)は,第三国からであっても輸入を禁止すると発表.

3.26 カストロ,テレビ放送で演説.PURS内におけるPSPの分派活動を公然と批判.エスカランテがすべてを管理し,ついには「彼の許可なしには子猫が子供を生むことさえ不可能となった」と非難.エスカランテを罷免.エスカランテは国外追放となりソ連に亡命.党は集団指導制に移行.

3.29 フロリダに戻ったギヨー,亡命者団体の統一に当たるが,一部の反対のため挫折.CIA幹部に反対分子の排除を求める.

3.29 ピッグス湾事件の被告に相次いで判決(4月7日まで).キューバ市民権を剥奪,総額6,200万ドルの罰金を課す.

3 ラウル,国防相兼務のまま副首相に就任.ゲバラと並ぶ影響力を獲得.このあとゲバラとの方針の違いが顕著になる.

62年4月

4 反乱青年協会,共産主義青年同盟に改称.

4.06 フィデル、外国代表団との会見で「ラテンアメリカの革命は武装闘争でなければならない。これが唯一の正しい道である」と強調。

4.07 ブラヤ・ヒロンの捕虜全員に重労働30年の有罪判決.総額6千2百万ドルの罰金支払いと引き換えに釈放する条件をつける.

4.9 米海軍,15日間にわたる史上最大規模の演習「クイック・キック」作戦を開始.海兵隊4万と空母フォレスタルほか83隻の艦艇,800機の航空機が参加(一説に四軍総勢一万人).プエルトリコのビエケス湾でキューバ進攻を想定した強襲上陸訓練をおこなう.

4.09 キューバ政府,ふたたびグアンタナモ基地の兵士の挑発行為について,外交ルートを通じて米国に抗議.内容は繰り返される海と空からの爆撃,作物や工場に対する破壊行為,キューバ領内の海岸への不法上陸と,殺人事件などである.

4.10 2百以上の亡命者団体を統率する革命評議会のミロ・カルドナ議長,ケネディと会見.ケネディは米軍を直接キューバに対して用いる用意があると表明.評議会は亡命者に米軍への志願をよびかけ,キューバ人部隊の創設を狙う.

4.11 「プラウダ」は「キューバ人がわれわれとおなじように社会主義を建設しつつある」と報道,社会主義国家と同等の扱いをうちだす.

4.14 キューバ政府,ピッグス湾事件被告のうち負傷者60人を解放.彼らはマイアミに送られる.

4.15 CTCを改組した革命的キューバ労働者同盟(CTC/R),第1回大会を開催.ゲバラが開会演説をおこなう.

4.28 武装した亡命キューバ人,キューバ通信社のプレンサ・ラティーナ社のニューヨーク支社を襲撃.職員3人が負傷.

4 トルコのジュピター型ミサイルの基地が使用可能となる.これを見たフルシチョフは,ジュピター・ミサイルに対抗して,キューバにミサイルを配備する計画を検討するよう指示.側近のフロール・コズロフ,セルゲイ・ビリューゾフ戦略ロケット軍司令官,マリノフスキー元帥らが構想の検討にあたる.

4月 CIA,蜂起に向けての戦略を確定.5月に武器弾薬とともに先進的な政治分子を送り込むことを決める.フロリダ・キーズ諸島ではスタージスとディアス・ランスに指導された国際反共旅団が本格的な訓練を開始.

4月 ハーベイ,前任者エドワーズを介しロセリとマイアミで接触.NYにロセリ,オコンネルを呼び,あらためてキューバ・コネクションの再開を指示.ロセリは計画からメイヒューとジアンカーナを排除,ハーベイから引き渡された武器弾薬をマイアミのキューバ人に分配.一方でカストロ暗殺計画を再開.毒薬カプセル,再び完成.スペイン外交官でCIAエージェントのアレハンドロ・ベルガーラがキューバ国内へ持ち込むこととなる.

4月 エスカンブライのゲリラ,ふたたび活発化.畑や家屋の焼打ち,鉄道や道路の破壊などをくり返す.掃討にあたった軍にも300を越える死者.6月には約3千まで増強されるが,その後外部からの援助がないまま衰退.このほかシエラ・マエストラにも5百名を越えるゲリラが活動.最終的なゲリラの消滅は66年まで持ち越される.

62年5月

5.1 ギヨー,再びキューバ潜入.

5.6 英紙,マイアミ西南の沼沢地帯で,440人の反革命ゲリラが20人組に分かれ通信,爆破などに関する訓練を受けていると報道.

5.7 R.ケネディ,CIAのマフィアとの関係についてヘルムズ副長官より状況説明を受ける.ヘルムズは,かつてカストロ暗殺計画を立てたときにジアンカーナらと関係があったことを認めたが,現在は関係が切れていると強調.R.ケネディは「われわれとの事前協議なしにマフィアといかなる接触も持つべきではない」と言明.

5.08 キューバ侵攻を想定した10日間の合同軍事演習「ウィップラッシュ(皮鞭)」が始まる.カリブ海では「ジュピター・スプリングス」と名付けられた軍事演習.これに呼応して亡命キューバ人組織も破壊活動を強化.

5.9 キューバ革命評議会,カストロ政権に対する全面戦争が近く開始されると発表.ベルガーラ,大使館内で救援隊のアルベルト・クルース・カソと接触.カプセルを渡す.カソはさらにホテル・ハバナ・リブレのバーテンダー,サントス・デ・ラ・カリダード・ペレス・ヌニェスにカプセルを渡す.ロセリ,毒薬がキューバ国内に搬入完了したと報告.

5.12 重武装した旧モンテクリスティ派の船が領海内に侵入.キューバの哨戒艇を奇襲攻撃.キューバ側の乗員3人が死亡,5人が負傷.

5.16 アルファ66,キューバ哨戒艇襲撃事件で,犯行声明を発表.

5.22 アルファ66ゲリラ,ピナルデルリオに上陸.政府軍75人を殺傷し,甘庶畑数千エーカーを焼く.革命評議会は「経済悪化にともなって,キューバ国民の不満は急速に高まっている.解放のときが来た」と発表.

5.25 フルシチョフの執務室に7人の人物が集められキューバへの核ミサイル基地建設について協議.出席者はグロムイコ,ミコヤン,コズロフ副首相,マリノフスキー国防相,戦略ロケット軍司令官セルゲイ・ビリューゾフ元帥,シャリフ・R・ラシドフ政治局員候補,アレクセイエフ大使.ミコヤン,グロムイコらはこの計画に反対,アレクセーエフもこの構想に懸念を表明したという.フルシチョフは近くハバナ着任予定のアレクセーエフ大使に,ミサイル配備構想に対するカストロの意見を聴取するよう指示.

5.29 ギヨー,仲間とともに逮捕される.

5.29 ラシドフ,ビリューゾフ元帥ら,「灌漑施設に関する農業視察団」の一員としてキューバ訪問.フルシチョフは政治局に対し,キューバへのミサイル配備計画を発表.

5.29 ソ連代表団,カストロ首相およびラウル国防相と会談.ソ連側は,「必要ならば核ミサイルの配備まで含め,キューバ防衛体制強化に協力する用意がある」と切り出す.カストロは「興味あるアイデアだが,同志とよく相談したい」と返答を保留.

5.30 カストロ,チェやドルティコス,ブラス・ロカらと相談した結果,核兵器の配備を受け入れると返答.のちの回想では,カストロは「米国の侵略を未然に防ぐための措置が,社会主義陣営全体を強化することになる」と判断し,受け入れを決定したという.その後核弾頭ミサイルの装備について議論開始.

5 ブラス・ロカはカストロを支持する声明を「社会主義キューバ」誌に発表.ORIに残留.

5 佐々木アカハタ国際部長,キューバ訪問.ブラス・ロカ前PSP書記長などと会見.

62年6月

6.02 オリエンテで不法侵入した反革命ゲリラ二人が,当局により射殺される.

6月 マサンタス州のカルデナス市で物不足に抗議する主婦の鍋叩きデモ起こる.政府はドルチコス大統領を派遣し,説得にあたる.ハバナ市近郊のエル・カノでも商店スト発生.

6月 ロセリとハーベイ,マイアミで会談.ロセリは三人編成の暗殺隊がキューバに上陸したと報告.

6 フルシチョフ,キューバへの核ミサイル配備を最終的に決断.軍トップに派遣部隊の編成・創設を指示.軍は核弾頭つきMRBM24基,IRBM16基の配備を決定.さらに大規模な実戦部隊の派遣も決定.選抜された4つの連隊,SAー2地対空ミサイルを扱う24の砲兵中隊,ミグ21迎撃機42機,イリューシン28爆撃機42機,沿岸警備のための巡航ミサイルを積んだコマール級ミサイル艦12隻などの配備を決定.

62年7月

7.02 ラウル国防相を団長とする軍事使節団,16日までの2週間ソ連を訪問.空港にはミコヤン第一副首相と,マリノフスキー国防相が出迎える.

7.03 ラウルとフルシチョフの会談.その後の2週間,使節団は休みなしにビリューゾフらソ連軍当局関係者と会談.フルシチョフも二度にわたり会談に顔を出す.キューバは核弾頭つき中距離ミサイル,核搭載可能な爆撃機配備を含む軍備増強を要請.ソ連は広島型の数十倍強力な核弾頭を持つR12,R14準中距離弾道ミサイル(一説にSS4型)の配備を了承.このミサイルは射程距離が数百キロに及び,その到達範囲内にワシントン,セントルイス,ダラスをふくむもの.あわせて射程距離90キロの戦術核ミサイル「ルナ」の42基配備も了承.

7.03 ケネディ,マシューズ記者を招き長時間にわたり会見.キューバ問題解決のための「もう一つのオプション」を探る.

7.15 武器を積んだソ連の輸送船第一陣が黒海を出発.この行動は極秘のうちに行われ,ソ連軍はアナディール作戦と名づける.

7.17 ラウルの使節団とソ連,秘密協定に調印.2カ月半でミサイル配備を完了させ,その上でフルシチョフがキューバを訪問し軍事協定に正式調印する趣旨.使節団は何らの声明も出さないままソ連を離れる.米国情報筋はソ連との交渉決裂と見る.ラウルは帰国にあたり,「もはや米国が侵攻してこようと恐れる必要はなくなった」と声明.

7.17 革命回復運動(MRR)の指導者フアン・ファルコン,キューバ国内に潜伏中を逮捕される.テレビに出演したファルコンは,CIAがもうひとつの侵入計画を準備しており,それに先立つキューバ不安定化作戦を実施中であると述べる.

7.25 ランズデール,SGAでマングース作戦の第一段階に関して到達状況を報告.11隊のCIAチームが侵入に成功し,8月30日の蜂起に向かって着々と準備が進んでいるとする.うちピナル州ではゲリラ部隊が総勢250人に達したと報告.しかし計画遂行に大幅な遅れが出ていることを認める.ランズデールはこの報告にもとづき,四つのオプションを提示する.四つのオプションとは,情報工作,政治工作(指導者の抹殺を含む),経済工作(サボタージュ,限定撹乱),準軍事行動.

7.26 カストロ,モンカダ9周年記念集会で演説.「国内の雇い兵たちは,すでに影響力を失った.われわれはいまや米軍の直接侵攻に備えなければならない.ケネディはキューバ侵攻の決意をすでに固めたが,我々は彼らをたたき返すあらたな武器を獲得した.間もなくマリエル港に,ロケット兵器を積んだソ連船を迎えるだろう」と演説.キューバ側はこの時点で,マングース作戦をほぼ正確に掌握していた.農地改革に関しては「行き過ぎを是正する時がきた.独善的な一部の極端な偏向主義者は中小自作農に苛酷な仕打ちをした.もし接収地の一部返還が必要な場合はちゅうちょなく実施する」

7月 エスカンブライ第二戦線,DRE,MRPの三者が反共解放軍(FAL)を編成.他のグループにも一斉蜂起に加わるよう呼びかける.蜂起の具体的内容としてはハバナ市内の軍・警察関係拠点を占拠.その後国内の反革命分子の援助を受けながら,島の中央部を確保するというもの.

62年8月

8.08 SGA,マングース作戦の実行状況について報告.「キューバの侵攻への反応は,キューバ軍の戦意と新たな兵器への習熟ぶりによって規定される.ソ連が援助を続けるならば,日を追って彼らの戦闘能力は向上するだろう」と述べる.

8.10 2千人からなるソ連軍事専門家,マリエル,およびマタンサス港に上陸.7〜8月だけで百隻にのぼるソ連船がキューバに入港.ソ連軍創設以来最大の輸送作戦となる.

8.10 CIA,黒海やバルト海からキューバに向かうソ連船が,MRBMを積載している可能性が強いとケネディ宛に報告.確実な証拠がないため,政府部内では重視されず.

8.10 ラスク国務長官の執務室で特別グループ拡大委員会開催.ラスクのほかR.ケネディ,ランズデール,マクナマラ,マッコーンらが出席.マングース作戦第一段階(情報収集)が完了したと判断.これにともない,第2段階への移行を決定.マクナマラ国防長官は「カストロを排除するのなら,殺す以外に方法はない」と発言したと伝えられる.

8.11 武器と爆発物を持ったCIA反革命分子が,カマグエイで逮捕される.

8.12 カストロ,公式に協同組合方式の失敗を認め,「協同組合主義者はなかば搾取者である」と非難.国営農場路線に切替える.INRA総裁にCRロドリゲスが就任.カストロ演説を受け「今後は砂糖生産7百万トンを維持しながら他の農業生産を拡大する方向を目指す」と発表.

8.12 ランズデールの時刻表によれば「この日,国内の労働者がストライキに立ち上がる」予定.「翌日,CIAのラジオ・ボイスが,彼らの見事な反応に対して感謝の声を放送する」予定だった.時刻表の進行内容はすでに崩壊.

8.13 ランズデール,「情報工作,政治工作,経済工作,準軍事行動」の四つのオプションについて計画書を準備するよう,関係者に指示.

8.13 アレクセーエフ大使,正式に着任.カストロに核ミサイル配備を含む相互防衛協定の主文を手交する.

8.15 キューバ国内で,無線放送の送信設備を持つ反革命分子が摘発される.

8.17 マコーンCIA長官,あらたな追加情報を加え,キューバに攻撃型ミサイルの基地が建設されている可能性があると報告.ラスク国務長官とマクナマラ国防長官は,防衛的な武器に限られているとし,CIAの意見を否定.

8.20 テイラー議長,ケネディ宛にメモを提出.「もはや国内の反政府運動に期待することはできず,米軍の直接干渉なしにキューバ政府を打倒することは不可能である.マングース作戦を成功させるためには,より攻撃的な活動が必要である」と報告.ケネディは攻撃強化プランを承認するが,米軍の直接行動については拒否.

8.23 SGAの報告を承けたNSC会議,マングース作戦中の「プラスB計画」を可能な限りすみやかに実行に移す決定.10月20日をエックスデーとする.ロバート・ケネディが最高責任者となる.

プラスB計画について
マングース作戦では,A計画は準備段階,B計画は各種の破壊活動の展開段階,Cが反乱から内戦段階である.
B計画はキューバ国内での蜂起計画を基本とし,情勢に応じて米軍が干渉する筋書きだったが,これだけで不十分な場合,米国がデマ宣伝,大規模施設の破壊などを行うことになっていた.これがプラスB計画である.
今回の決定はB計画がほとんど壊滅したため,プラスB計画をB計画そのものと代えてしまう作戦.

8.20 ケネディは「可能な限りの短時間で,アメリカ軍の公然たる武力を行使することなく,カストロ政権の打倒を目標とした計画を展開するよう」指示(NSCメモ181号).

8.20 NSC会議の席上,マコーンCIA長官は,キューバに入港するソ連船が8月に入って異常に増加していると警告.「偵察機が搭載された巨大な梱包物を撮影し,写真分析センターによればミサイルもしくは大型爆撃機の可能性(いわゆる攻撃型兵器)が高い」とする.ラスクやマクナマラはこの見方に反対するが,ケネディは反対を押し切り,攻撃型ミサイル配備の可能性も念頭において作戦を進めるよう指示.

8.22 ソ連のチャーターした英国船籍貨物船ストリーサム・ヒル号,ハバナ港を出港.砂糖8万袋を積みソ連に向かう.途中スクリューの故障のため,サンフアン港のドック入り.積荷の砂糖は保税倉庫に預けられる.反革命分子がこの砂糖に大量の異物を混入したため,ソ連は砂糖の受け取りを拒否.

8.23 国家安全保障担当補佐官マックジョージ・バンディ,NSAM 181を発表.Bプラス計画を全速力で具体化しなければならないと強調.

8.24 旧DR派の亡命者グループ,ハバナ市中心部のシェラ・マエストラ・ホテル,チャプリン劇場,ミラマール地区に二隻のボートから無差別射撃.この攻撃で20人が犠牲となる.首謀者バスルトは96年の「兄弟の救援」機事件でもリーダーを務めた.

8.25 カストロ,快速艇によるハバナ攻撃について,国連あてに抗議文を提出.

8.26 米国沿岸警備隊はフロリダ州マラソンでDRのボートを押収.しかし参加者23人は逮捕もされず、告訴もされずに終わる。

8.26 チェ・ゲバラとエミリオ・アラゴネス・ナバーロを代表とするキューバ経済使節団,モスクワに到着.アラゴネスはカストロの首席秘書.

8.29 キューバ上空を偵察中のU2機,建設中のSAMミサイル基地8カ所を探知.さらに巡航ミサイル艦基地の存在も確認.この時点でサンクリストバルのミサイル基地はまだ発見されず.

8.29 ケネディは記者会見でソ連を非難.記者会見の背景となったのは,中間選挙を前にして共和党が,キューバ問題を中間選挙の最大の争点とすると発表したため.ゴールドウォーター,ケープハート議員などは,ミサイルの脅威について,民主党の弱腰を非難する発言を繰り返す.

ケネディの弱腰発言: 「モンロー・ドクトリンは西半球に対する対外干渉の拒否であり,今日とりわけキューバにそれが当てはまる」と、ソ連を非難。同時に、「現時点でキューバ侵攻の意思はない.そのような行動はきわめて深刻な事態を引き起こし,多くの人々に危害をもたらす」とし,直接侵攻を否定。

8.30 ソ連訪問中のゲバラら,クリミアの別荘でフルシチョフと会談.ミサイル協定に関するカストロの意見書を手渡す.ゲバラは攻撃型ミサイルの配備を公にするよう主張するが,フルシチョフはこれを拒否.

8.30 SGA,キューバにおける破壊活動の目標施設のリストを準備するようCIAに指示.

8.31 ケネディ,SAMミサイル基地の存在が確認されたとの報告を受ける.

8.31 ケネス・キーティング上院議員(R-New York) ,議会で「ソ連のロケット基地がキューバ国内に建設中である」と演説.OAS調査団を派遣するなど何らかの行動をとるよう求める.米国内にキューバ侵攻論台頭.ニューヨーク・タイムスは「カストロ打倒のため三軍が大攻撃をおこなう」ことを示唆する報道.

8月 南方軍司令官の直接指揮下に「中南米消防隊」創設.空挺部隊,上陸作戦部隊などで構成,暴動鎮圧を主要任務とする.中米機構内に中米防衛局を設置.ペンタゴンの指揮下に各国参謀長を結集.

8月 ファウレ・チョーモン,マルコス・ロドリゲス事件を摘発.ロドリゲスは密告がオルドキの指示によるものであったことを告白.オルドキとブチャチャは全国指導部を解任される.さらにオルドキは,裁判の過程でメキシコ亡命中にCIAと関係していたことが判明.すべての職を解任され自宅拘禁となる.

8月 キューバ当局によれば、1月から8月までに、重要な経済目標への716の破壊作戦を含む5,780の反革命活動が実行される。

 

62年9月

9.02 ゲバラを代表とするキューバ経済使節団,核ミサイル秘密協定を含む武器援助協定を締結.

ソ連=キューバ共同声明: 侵略的帝国主義者の脅威にさらされたキューバ政府は,武器供給および訓練のための技術専門家を主体とする軍事顧問団の派遣を求めた,ソ連政府はこの要請を注意深く検討した結果,キューバの安全と独立を守るあらゆる必要な措置をとることに同意した.兵器がキューバに対して供給され,専門技術者がキューバの将兵を訓練するため派遣されるだろう.
共同声明では,ミサイルや核の問題は触れられず.秘密合意では,核兵器のキューバ配置が完了してから,適切な時期に合意内容を発表することとなる.フルシチョフは,米国の中間選挙後,62年末にキューバを訪問し,そのときにミサイルの存在を公表したいとの意向を示す.

9.03 ロストウ,ケネディの求めに応じソ連軍の評価報告を提出.「SAMミサイルが米国の国防に与える影響は無視できる.しかし核兵器に関しては厳密な一線を画す必要がある」とする.またマングース作戦を強化しつつも,「キューバ人反カストログループが,米国の援助に頼らずに,政権打倒に成功する可能性についても,もっと研究する必要がある」と指摘.

9.03 米上院議員ジョージ・スマザース、ソトローム・サーモンド、ケニスB.キーティングの三人が、キューバに対する直接攻撃を共同提案する。提案ではNATOのような軍事同盟を結成し、共同でキューバに当たることが示唆される。

9.03 ラテンアメリカ自由貿易連合(LAFTA),7対4,棄権2でキューバ除名を決定.

9.05 ケネディ,ピエール・サリンジャー報道官を通じて,ソ連=キューバ武器援助協定に対し懸念を表明する声明を発表.議会での主戦論の拡大に対応したもの.

9月5日 キューバ政策に関する大統領声明
この4日間で新たな状況の展開があった.キューバにSAM地対空ミサイルが配置された.以前よりはるかに多くのソ連軍将兵が配備された.しかしいまのところ,攻撃部隊は存在しない.ソ連の軍事基地も確認されていない.地対地攻撃型ミサイルも存在しない.もしこれらが確認されるならば,きわめて深刻な事態が発生するだろう.我々は西半球への共産主義の進出をあらゆる手段で阻止する.

9.05 ソ連の大型貨物船オムスク号,キューバ到着.引続き8日にはポルタヴァ号も入港.ミサイルを搬入.この他,技術者を装ったソ連軍の精鋭部隊が続々と上陸.

9.07 ドブルイニン大使,国連大使スチーブンソンと会見.「キューバに配備されているのは防衛兵器のみ」と改めて確認.

9.07 米戦略空軍司令部(TAC),キューバ空爆のための計画策定グループを編成.空挺部隊と上陸用舟艇による上陸作戦の援護を検討.

9.07 ケネディ,米国はキューバに地対地ミサイルが設置されるのを断じて許さないと声明.最大限十五万人の予備役将兵召集権限を与えるよう,議会に要請.

9.07 カストロ暗殺第1隊失敗の後を受け,第二次の暗殺隊が編成される.結局キューバ潜入を果たせぬまま.

9.08 NATO諸国,米国の圧力を受け対キューバ財政援助を停止.国交断絶の要求は受入れず.

9.08 最初のMRBMを搭載したソビエト貨物船オムスク号がハバナに入港。

9.10 アルファ66,高速艇によるキューバ海岸襲撃を続ける.港内停泊中のキューバ船サン・パスクアル号,英貨物船ニューレーン号が相次いで沈没.

9.11 ミサイル発射台,キューバに到着.フルシチョフ,「キューバ援助は平和的なものであり,キューバに対するいかなる軍事行動も,ソ連船へのいかなる攻撃も,戦争開始と受け取る」と対米声明.ソ連政府,@ソ連のミサイルは極めて強力であり,キューバなど他国に据え付ける必要はない,Aキューバに送った兵器と軍事資材はまったく防禦的なもので,米国に危害を与えることはない,と声明.

9.11 カストロ,対米防衛非常措置を声明.

9.12 タス通信,ソ連政府の公式声明を発表.米国の海外侵略を非難する一方,「ソ連はいかなる国にも報復的な防衛兵器を配備する必要がない」とし,「例えばキューバにおいても同様である」とつけ加えアメリカで沸き上がる疑惑を強く非難.

9.13 ケネディ,キューバ懲罰の声が高まるのに対し記者会見.対キューバ攻撃の条件を明示するとともに,議会に予備役15万の召集権を要請.

9月13日の記者会見
権力亡者のカストロは今にも米国の侵攻があるかのように触れ回っている.このような宣伝は,独裁体制を強化しようとする,キチガイじみた努力に過ぎない.
今のところキューバ国内には攻撃的兵器は存在しないが,もし事態が進行すれば我が国は成すべき全てのことをする.キューバがソ連にとって相当な能力を持つ攻撃的軍事基地になり,その軍備増強が,どのようなかたちにせよ米国の安全を脅かすことになるなら,米国はあらゆる必要な手段をとる.
議会には戦争決議採択への動きがあるようだが,一方的な軍事行動は必要ない.無責任な発言は慎んでもらいたい.

9.14 U-2型偵察機,キューバ西部に建設中のミサイル基地を確認.

9.15 ソ連の輸送船「ポルタバ」号,MRBMを積んでマリエル港にはいる.マリエル港からサンクリストバルに向け、少なくとも8基のミサイルが輸送される.

9.18 キューバ軍,米軍の度重なる領空侵犯に抗議する声明.

9.19 侵攻作戦に向け五つのキューバ向けラジオが放送開始.NBCテレビ,フロリダとグアテマラで米国の援助を受け訓練にはげむキューバ人亡命者の実態を放映.カストロを批判する漫画5百万部が印刷され,宣伝ビラとチューインガムを詰めた1万のビニール袋が流される.ピーターパン作戦で連れ去られた子供たちのキャンプが大々的に報道される.

9.20 上院,「必要とあらばキューバに対する実力行使を是認する決議」を86対1で採択.下院は海外援助法に三つの付帯決議をつけて採択.付帯決議はいずれもキューバ支援国に対する制裁を内容とするもの.

9.21 国連総会が開かれる.グロムイコ外相はケネディ声明を予防戦争の理論であると非難.軍事資源の平和利用宣言案を提出.「米国は戦争ヒステリーをあおり,キューバを侵攻しようとしている」と米国を非難.「キューバに対する米国の攻撃は,戦争を意味することになるだろう」と警告.

9.21 タイム誌「ケネディの対キューバ政策は生ぬるい.国民はモンロー主義に基づく外交を求めている」とし,武力干渉をふくむ強硬姿勢を要求.ブッシュ上院議員は「米国はキューバの共産主義支配を終わらせる権利と義務を持っている.米国の行動のみが,モンロー主義が滅びていないことをソ連に思い知らせることが出来る」と主張.

9.22 ソ連からキューバへ向け核弾頭を乗せた船がイギリスの西を通り大西洋へ出る.

9.25 カストロ,キューバにソ連「漁業基地」を建設する計画を発表.

9.26 議会タカ派のイニシアチブで上下両院合同決議,「もし米国に脅威が与えられるなら」キューバに軍事干渉する権限を大統領に付与.決議にもとづきマクナマラは,空爆・侵攻態勢の早期完成を指示,大西洋艦隊がキューバに向け行動を開始.

9.27 空挺部隊,上陸舟艇に対する支援を盛り込んだ戦略空軍の共同プランが,カーチス・ルメイ空軍参謀総長に提出される.参謀本部はこの計画を受理し,10月20日をエックスデーとすることが定められる.

9.27 ハバナ市内で5人のCIAエージェントが逮捕され、大量の武器が押収される。

9.28 海軍の偵察機が,キューバに向かうソ連船カシモフ号のデッキの積み荷を撮影.分析の結果イリューシン28軽爆撃機と判明.イリューシン28は12年以上も前に開発された飛行機で,すでにソ連においては現役を退いていた.核弾頭を積むことも技術的に不可能ではないが,これまでそのような使われ方をしたことはない.

 

62年10月

10月1日

10.01 フルシチョフ,カストロあてに親書.「世界の社会主義の名において,ソ連はキューバをみずからの領土であるように考え,防衛する.ソ連の態度についてはすこしも疑念を持つ必要はない」と述べる.

10.01 統合参謀本部,大西洋軍総司令官ロバート・デニソン提督に封鎖作戦の準備に取りかかるよう指示.大西洋軍配下の海・空軍司令官には,空襲に向けた装備を開始するよう指示.大西洋軍本部,キューバ空襲作戦(Oプラン312)の準備を急ぐよう関係各部隊に指示.

10月2日

10.2 米政府,対キューバ禁輸強化策を発表.ラテンアメリカ諸国およびNATO諸国に対し,強化の内容を説明.米国籍船のキューバ寄港をいっさい禁止.キューバに軍事援助する国の船の米国寄港をいっさい禁止.キューバ貿易を継続する国への経済援助停止.社会主義国に寄港した船は,ブラック・リストにあげられ米国寄港を禁止.またキューバと交易のある会社の船舶は,米国商品の扱いを禁止される.

10.2 米国の要請によりワシントンでOAS非公式外相会議.米州に対する攻撃的武器がキューバに集まらないよう,個別的集団的監視を強化するとの共同声明を発表.米当局者は「ソ連や中国の干渉とたたかう」立場を強調.

10月4日

10.04 核弾頭を積んだインディギルカ号,マリエル港に入る.核弾頭管理責任者ベロボロトフ大佐も同席.

10.04 SGA会議,マングース作戦の進行状況を確認.ボブ・ケネディは「大統領は破壊活動を一層強化し,状況を打開するために大規模な作戦の発動を希望している」と述べる.会議は,キューバ港湾への機雷敷設,キューバ軍関係者の誘拐・尋問を行うことで一致.

10月5日

10.5 カリブ海全域を対象とした,極めて大規模な軍事演習「ファイブリグレクスー62」の実施を決定.演習開始予定は15日から.仮想敵のコードネームはORTSAC(カストロの逆)

10.5 夏から編成にとりかかっていたヒスパニック系の謀略部隊,編成を完了しキューバ出動体制に入る.

10.6 統合参謀本部,大西洋艦隊に対し侵攻計画の第一段階の発動を指令.大西洋軍本部,キューバ侵攻の準備を急ぐよう指示.陸上部隊,航空機,艦船その他を戦闘配置につけ,空襲に続くフルスケールの上陸作戦(Oプラン314およびOプラン316)に備える.

10月8日

10.08 ドルティコス大統領,国連総会で演説.10月2日の米政府決定は,国連憲章を侵犯する「戦争行為」だと非難.演説は反カストロ派の妨害で4回も中断される.「もし攻撃されれば,我々は防衛に立ち上がる.そのための武器は十分にある.しかしそれらの武器は欲しくもなかったし,使いたいとも思わない」

10.8 イギリス,バハマのマヤグアナ海軍基地を,米国のキューバ侵攻のための補給基地として貸与することに同意.

10月15日

10.15 早朝 国立写真解析センター,U2機の撮影した写真を解析.ハバナ西方90キロ,サンクリストバルの山中にMRBMミサイル基地を確認.その後の調査で全土に6ヶ所のMRBMミサイル基地,さらに建設中のIRBM基地,サン・フリオスの飛行場にイリューシン28爆撃機を発見.

10.15 SGA,対キューバ秘密作戦の強化を指示.とくに「破壊活動を質量ともに強化し,多彩な行動を展開するよう」指示.

10.15 フロリダのエウヘニオ・ロランド・マルティネス,ピナル州マタアンブレ銅山に地雷を仕掛けるよう,CIAから指示を受ける.この計画は,25日にはキューバ当局の知るところとなる.

10.15 2週間にわたる大規模な軍事演習「PHIBRIGLEX-62」が開始される.海軍2万,海兵隊4千が合同でビエケス島への強襲上陸作戦を展開.仮想敵は独裁者「Ortsac」(カストロの逆読み).

10.15 公衆衛生省,三種混合ワクチン(ジフテリア,破傷風,百日咳)の接種キャンペーンを開始.

10.15 アルジェリアのアーメド・ベンベラ首相,ケネディとの会談の後キューバ入り.カストロは,この訪問を「勇気ある行為」と讃える.米国はアルジェリアへの経済援助をいっさい停止.

10.23 午後からキューバ上空への威嚇的偵察飛行が始まる.海軍と空軍のF-8UとRF-101機が,地対空ミサイルの射程内に入る低空で侵入.11月15日まで続く.

23日4:00PM 国連安保理が特別会議を開催.スチーブンソン大使は「キューバは,世界制覇を狙う共産主義の共犯者である」と非難.キューバ代表マリオ・ガルシアは,検問を戦争行為であると非難.ソ連は米国の海上封鎖を国連憲章違反とし,キューバ近海での米海軍の行動を停止するよう求める決議案を安保理に提出.ソ連代表バレリアン・ゾーリンは米国のミサイル非難を「全くの偽り」と呼ぶ.

23日8:35PM カストロ,90分にわたりテレビ演説.米の海上封鎖政策を主権の侵害と非難.「米国がキューバに対し敵視と攻撃の政策をとり続ける限り,キューバは決して武装を解除しない.キューバには攻撃用兵器はないが,もし我々が望むときにはそれを手に入れる.いかなる種類の点検も認めない.帝国主義者がどんな態度をとろうと関係ないことだ」と宣言,

10.23 米国務省,アルジェリアへの経済援助を全面停止するよう,国際開発局(AID)に指示.

10.23 OAS緊急理事会,ボリビアを除いた全会一致で,米提案の武力による海上封鎖決議を承認.ミサイル撤去の要求が認められなければ,米国のキューバ侵攻を支持することで合意.

10月24日

14:00 米国海軍,キューバ海上封鎖の開始を指示.アルフレッド・ウォード中将指揮下の「大西洋第二艦隊」による海上封鎖が開始.駆逐艦16隻,巡洋艦3隻,対潜空母1隻などを封鎖線に配置.この艦隊はもともとキューバ侵攻作戦(0プラン)の実行部隊として編成されたもので,空母エンタープライズ,インデペンデンスを中心とした128隻の大艦隊.ウォードはこの艦隊の司令官でもあった.

2:00PM ウ・タント国連事務総長代行,非同盟40か国の要請を受け,ケネディとフルシチョフに同一書面の私信を送付.「戦争につながる行為を直ちに中止するよう」求める.

10月25日

2:19PM ケネディ,ミサイル基地撤去が実現されない限り,交渉を拒否し,封鎖を続行すると声明.「ウタント提案は,ソ連軍事関係者が引き続きミサイル基地を建設するのを防ぐことはできない」と述べる.

16:00 国連緊急安保理が続開招集.スチーブンソン米大使は基地を撮影した写真を示し,キューバの核ミサイルの存在を認めるようソ連大使ゾーリンに迫る.安保理と平行してOAS緊急理事会が開催.(1)キューバからミサイルを撤去せよ,(2)リオ条約にしたがって武力行使をふくむあらゆる個別的集団的措置を加盟国がとるよう勧告する,との決議を全会一致で採択.キューバ除名を再確認.LAの多数は米国を支持.メキシコ議会はキューバ支持を再確認.

25日 マタハンブレ銅山の施設を破壊するためのCIA作戦チーム,キューバ国内に派遣されるが,情報をキャッチしたキューバ当局の手により行動は阻止される.

10.25 ソ連国防省より現地軍ガルブス司令官に打電.「キューバ人民軍と協力して,上陸軍に打撃をあたえるため全力を上げて準備する」よう指示.いっぽう,独自判断による核兵器使用を禁止.後にグリブコフ将軍の証言によれば,上陸してきた米軍に対する9機の戦術核の使用については,現地軍に使用権限が委ねられていたという.

 

10月26日

深夜 キューバ駐在ソ連軍司令部,「敵偵察機に対し通常兵器によるあらゆる軍事行動をとること」を決定.

09:00 マリノフスキー国防相,キューバ防衛のため大陸間ミサイルがいつでも発動の準備があると声明.

--2:00P.M. ブラジル政府,米国とキューバとの仲介を非公式に提案.「米国が侵攻しないという確約の下に,キューバのミサイル撤去をもとめる」というもの.

26日夕方 カストロ,フルシチョフ宛てに電文書簡.書簡の内容は1990年にグランマ紙上に発表される.92年1月の回顧シンポジウムでは,カストロは,直接侵攻が始まればソ連防衛のために核の使用は不可避的であると強調した.

カストロのフルシチョフ宛て書簡の要旨: 「我が国が知り得る限りの情報を総合すると,アメリカ帝国主義の攻撃は24時間から72時間のうちに起りうる.攻撃には二つの可能性がある.第一に特定の目標を破壊するための限定的な攻撃,今一つは直接侵攻である.後者は米軍にとって多大な戦力を必要とし,我々にとっても最も忌まわしい形態だ.しかし我々はいかなる形の侵略にも決然として戦う.キューバ国民の志気はますます高まっており,侵略者に対して英雄的に戦うであろう」
「今日の情勢の下では,キューバへのいかなる攻撃も,ソビエト軍への攻撃を意味する.したがって熱核戦争への道を意味する.もし米国が侵略を開始すれば,そのときソ連は,米国が世界で最初に核兵器を使う国となることを,決して許さないだろう」

26日 カストロ,アレクセーエフの反対意見を押し切り,領空内に侵入する米国機には発砲するよう指示(一説に低空で侵入する複数の航空機にのみ限定).このころ連日数十機の米偵察機がキューバ上空を飛行するが,1万メートル以上の高空ではキューバ軍に対応能力なし.

 

10月27日(暗黒の土曜日)

午後3時30分 オリエンテ北部バネス上空を偵察中のU2機がソ連軍の対空ミサイルにより撃墜される.最初にミサイル基地を発見した機長のルドルフ・アンダーソン少佐が死亡.実際は,ソ連が命令したもの.事件後,マリノフスキー元帥は現地をおだやかにたしなめ,今後はもうU-2機は撃墜してはならないと命令したという.

--8:50P.M. ウタント,停戦交渉継続中はミサイル基地の作動を停止するよう,カストロに要請.カストロは米国の封鎖解除までは,そのような約束はできないと拒否.同時にウタントのキューバ訪問を提案.ウタントは直ちにこの提案を受諾.

--night: カストロ,ソ連大使館を訪ねアレクセーエフと長時間の会談.アレクセーエフから米ソ首脳の往復書簡についてのブリーフィングを受ける.

10.27 カストロは国民に”祖国と共に死のう!”と訴え,正規軍と民兵隊のすべてに24時間警戒態勢を命じる.

10.27 カストロ,ウタント国連事務総長宛書簡で「米国が脅威除けば基地建設中止」と言明.平和解決のための5原則を提唱.(1)経済封鎖の解除,(2)グアンタナモ返還,(3)キューバ領内に侵入しての空中・海上査察の中止,(4)亡命者による海賊行為の停止,(5)国内での破壊活動の中止を要求.

 

10月28日(黄金の日曜日)

午前9時(モスクワ時間午後5時) モスクワ放送,フルシチョフのケネディ宛ての手紙を発表.「ソ連政府はキューバにおける軍事基地建設工事の中止命令をすでに発した」と声明.ケネディ,フルシチョフの決定を歓迎すると声明.

午前 フルシチョフ声明についてキューバには事前の相談なし.モスクワ放送によってはじめて事実を知ったキューバ国民はショック状態に陥る.このあと直ちにサンアントニオ空軍基地へ向かったカストロは,低空で侵入する米偵察機を撃墜するよう命令.しかしこの日,サンアントニオへは米軍機の侵入はなかった.

カストロの悪態: 一説によれば,フルシチョフの変身を知ったカストロは、"son of a bitch, bastard, asshole" と罵ったという.また数日後,ハバナ大学での演説では「玉無し野郎」と表現したという.

--around noon カストロ,ウタントに文書回答.「侵攻せず」の約束だけでは受け入れられないとし,五項目の要求を提示.経済封鎖の終了,威嚇的偵察飛行の中止,プエルトリコの米軍基地からのキューバ攻撃の中止,キューバ領空・領海内での偵察作戦の中止,グアンタナモ基地の返還を要求.

--1:00P.M. キューバ駐留ソ連軍,ミサイル撤去の指令を発する.

夕方 ハバナのソ連大使館,クレムリンからの長文の電文を受け取る.ミサイル撤去の理由を縷縷説明した後,「ソ連はいかなるときもキューバを守る国際的責務を守り抜く」と結ばれる.アレクセーエフは電文をドルティコス大統領に手交.

10.29 米政府,キューバの要求を全面的に拒絶.ミサイルの除去が確認されることが,どんな交渉にでも先行しなければならないと強調.さらにIL-28爆撃機のキューバからの撤去を求める.

10月30日

早朝 ウタント事務総長,カストロとの話合いのため,ハバナに向かう.米軍の海上・空中監視は,ウタントとキューバ政府との会談の間2日間停止される.

10.30 SGA,キューバ国内におけるすべての破壊工作を一時中止するよう指令.ランズデールが指令徹底のためマイアミに派遣されるが,この時点ですでに3組の破壊活動チームがキューバに潜入.破壊活動チームはキューバ国内でサボタージュを行うために組織され,6人で一組のチームを編成していた.

午後 ウタント,ハバナ入り.ただちにカストロと交渉開始.ほかにキューバ側参加者としてドルティコス,ラウルロア.

ウタント=カストロ会談  ウタントはいくつかの認証方法について提案.具体的には以下の査察形態を示す.
 1,国連監視団による基地の地上査察・検証   2,国連の航空機による空中からの査察  3,国際赤十字委員会(ICRC)による査察
カストロはいずれの形態による査察も,「国家に対する侮辱行為」として拒否.「何故,ミサイル撤去の公約だけでは不十分なのか? キューバに侵攻しないという米国の公約を評価するのなら,侵攻を防ぐための兵器を撤去するという公約を,なぜ米国と同じように評価できないのか」と語る.

10月31日

10.31 カストロ,フルシチョフあて打電.「貴殿は戦略ミサイル撤去の決定がなされる前に,我々が相談を受けたと考えているようだ.しかし我々にはそのような覚えはない.…キューバ国民がどんなに国と人類に対するおのれの責務を果たそうとしていたか,貴殿にはおそらくわからないだろう」

午前 ウタント,第二回目の会談を開始.キューバ側出席者は一回目と同じくカストロ,ドルティコス,ラウル・ロア.カストロは撃墜したU-2機のパイロット,ルドルフ・アンダーソンの遺体を米国に返還することで合意.カストロは「U-2機を撃墜したのはキューバ人からなる防空部隊だ」と,偽りの主張.「キューバ人民はもはや連日の威嚇飛行に我慢できない.キューバ領空を侵犯する飛行機はいつでもどこでも撃ち落してやる」といきまく.ウタントはソ連ミサイルの撤退確証手段について何らの是認も受けられずに終わる.

 62年11月

11月01日

8:30PM カストロ,ウタントとの交渉を終えたあと放送演説.ウタント国連事務総長のミサイル基地国際視察の受入れ提案を拒否したと発表.「我々はかつてなくソ連の指導性に確信を持っている.我々はソ連の高潔な友情を忘れてはならない」と述べつつも,今回のソ連の判断には同意できないとし,食い違いを明らかにする.そして査察の拒否と五項目要求とをあわせ,「20世紀におけるバラグア宣言」と表現する.

11月2日

午後 ミコヤン,ニューヨークからハバナに到着.カストロの五項目要求を支持すると発言.米軍侵攻を信じるカストロは,ソ連の頭越しの妥協に怒り,ミコヤンとの会見を拒否したが,アレクセーエフの説得により承諾したという.ミコヤンとの会談の結果,ソ連軍の実戦部隊一個師団を残すことを条件に,ミサイル撤去に同意.ミコヤンの滞在は24日間にわたる.

11.02 カストロ,「米国はキューバに恥をかかせるためにミサイルの点検を要求している.我々はこの要求を受け入れない.兵器を引き揚げるというソ連の決意は十分に信じられる.米国が点検を求めるそれ以上の権利はどこにあるのか? そもそも米国にはキューバに侵略する権利などない.米国の要求は,いわば泥棒をしないという誓約と引き換えに,我々が査察を受け入れろということだ」

11月03日

9:00AM ミコヤン,ハバナ市内のカストロ私邸で初の公式会談.アレクセエフのみ同席.カストロは単独で会談に臨む.カストロは「ソ連は自分の武器をキューバから持ち帰る権利をもっている.賛成はできないがその権利は尊重する」と発言.会議開始直後にミコヤン夫人急死の訃報が入る.ミコヤンは同行した息子セルゴをモスクワに戻らせ,自らはキューバに残留する決断.

11月04日

11.4 ミコヤンとキューバ首脳との会談.キューバ側の出席者はフィデルのほかドルティコス大統領,ラウル・カストロ国防相,ゲバラ,エミリオ・アラゴネス,C.R.ロドリゲス.

11月4日会談の概要
 
ミコヤンがソ連の態度を全面的に表明.今回の解決は,核戦争に突入せずにキューバ侵攻を防止できたという点で,ソ連=キューバ側の勝利だとする.同時に「外交の分野ではまだすべきことが残っている」と述べる.
一連の事態に対するキューバ側の誤解を解くため,無期限にキューバに滞在すると表明.
ドルティコスは「我々はまだ米国の侵攻中止の約束を手にしていない」と質問.ロドリゲスは「何をもって勝利というのか」と質問.
ミコヤンは「さまざまな軍事的悪条件を考えるなら,米国の侵攻を中止させ海上封鎖を解除させたことが最大の勝利」と答える.
さらにミコヤンは、「キューバにソ連の基地を作ることは本来の目的ではなく,キューバを侵攻から守るためのものである.撤去は本質的な敗北ではない.むしろあらゆる外国基地を撤去させることが目標だ.カストロへの事前通告を行わなかったことについては,ケネディが24時間以内にキューバ攻撃を開始するとの最後通告を送ってきたためだ.計画を翻訳して暗号化する作業,これを解読する作業を往復するだけで24時間は過ぎ去ってしまう.いったん戦争がはじまれば,もはやケネディに止める力はなくなだろう.侵攻作戦の発動を阻止するには今しかない,そして侵攻阻止という目標においてキューバの同志も意見が一致するだろうという前提で決断した.トルコの基地云々は米国内で行われている議論であり,いまの我々にとってはどうでもよい」
手紙のつじつまが合わないとするフィデルの質問に対し「フルシチョフの手紙には26日付と27日付の二つがあり,26日のものは公表されていない.当然ケネディの密書も公開されていない.トルコ問題は後から付け加えられたものだ」とあきらかにする.
トルコ基地の代わりにグアンタナモ返還を要求しないのかとの質問に対して「いまの軍事バランスを考えれば,グアンタナモの返還と引き換えにソ連の完全撤退を行うのは自殺行為だ.さらにこの要求に固執すれば米軍内部タカ派の強い反発を呼び,ケネディの立場をさらに微妙にするだろう」
この後検証問題をめぐる長い討論が続く.

11月05日

11.05 ハバナ会談,三日目を迎える.まずミコヤンがフルシチョフとケネディのやり取りを詳細に報告.カストロはミコヤンの努力に応じ,「ソ連との間の揺るぎのない完全な信頼」に「謝意」を表す.その後,ミコヤンはウタント提案を受け入れる立場から,戦略ミサイル基地の査察か,ミサイル搬出作業の監視しか検証の方法はないとし,キューバの港湾に停泊中のソ連船に対する臨検を認めるよう提案.会議は一気に紛糾.カストロは「一方的な査察受け入れは人民のモラルにかかわる」と反対.ソ連の助けなしでも国を守り抜くと主張し,港湾もふくめ一切の国内査察を拒否.

11.05夜 第四回目の会議.出席者はドルティコス,ゲバラ,C.R.ロドリゲス.カストロは体調を崩したとの理由で欠席.ドルティコスはキューバ領内でのいかなる査察も拒否すると返答.公海上での臨検を主張.ゲバラは「ラテンアメリカの革命家たちはソ連の態度に極めて困惑している」とソ連を厳しく批判.ミコヤンはブレスト・リトフスク条約にかかわるレーニンとブハーリンの論争を引き合いにしながら,ゲバラを説得.レーニンを引き合いに出したことについてはC.R.ロドリゲスが批判.

11.05 キューバ当局,ピナル州に潜伏したCIA破壊工作チームを摘発.このチームは10月20日にキューバに潜入した三組のチームのひとつで,隊長はミゲル・オロスコ・クレスポ.自供によればオロスコは,62年だけで25回の侵入作戦に参加.今回はリップ・ロバートソン,ロバート・ウォールの指示を受け,フロリダからピナルに潜入.

11月07日

11.07 ソ連,ミサイル撤去船が米海軍の洋上点検を受けることに同意.フルシチョフは十月革命記念レセプションで,キューバ危機は去ったとし,危機回避を「理性の勝利」と述べる.中国の陳毅外相,キューバを支持.屈辱的譲歩を許さずと演説.

11月8日

8日 キューバ国内に潜入したCIA破壊チームのひとつが,予定された工場に爆弾テロを実行.この事実はエクスコムの大半のメンバーには知らされなかった.

11.8 米国,ソ連船に搭載されたミサイルを空中査察することでキューバのミサイル基地撤去を確認.ケネディは「すべての攻撃用兵器が撤去されたとしても,対キューバ敵視政策と経済封鎖をやめるつもりはない」と声明.

11.12 ケネディはフルシチョフ宛ての手紙で,「カストロは依然戦争を望んでおり,あらゆる攻撃用兵器の撤退まで臨検を続行する」と声明,イリューシン28爆撃機の退去を要求.フルシチョフ,海上封鎖の解除と交換にイリューシン28中距離爆撃機の撤退を認める.ミコヤンはフルシチョフとケネディの相互理解こそがキューバの生き延びるための不可欠の条件だとして,カストロを説得.

11.12 キューバ国内におけるCIA組織の最高指導者ミゲル・オロスコ逮捕される.

11月15日 

7:00PM カストロ,ウタント宛てに5ページからなる返書.5項目の要求を再確認.「ミサイル撤去は確認済みのことであり,一方的な査察提案に対しては,どの国であろうと,たとえ国際機関であろうと断固拒否する」と回答.「わが国の領空を侵す偵察機は,自らの安全を脅かしていると知るべきだ.17日以降,我々は主権を守るためのあらゆる手段をとる.たとえわが国が破壊されようとだ」と警告.

11月16日

7:00AM 第二次大戦後最大の,陸海共同の上陸作戦が始まる.ノースカロライナのオンスロー海岸で,キューバ侵攻のリハーサルとして実施.2日間の演習には,海兵隊6個大隊からなる上陸チームが参加.4個大隊は上陸用舟艇により,2個大隊はヘリによる上陸を想定.

4:05PM 統合参謀本部,ケネディと会見し上陸作戦の準備状況を報告.陸軍部隊10万,海兵隊4万,空挺部隊1万5千が戦闘準備を完了したとする.さらに侵攻を支援するため,550の航空機,180の艦船が出動態勢に入ったと報告.この状態は最長30日間維持することが可能とする.テイラー議長の準備書面によれば,統合参謀本部はまず隔離を強化,これでもイリューシン撤去が実現しなければ,空襲に踏み切るべきと進言した.

16日 ブラジル,ラテンアメリカの非核地帯化を目指す条約締結を提唱.これに基づく国連総会が開催される.背景にキューバの核包囲を目指す米政府の要請.カルロス・レチュガ新国連大使(10月31日発令)は「まず核大国がラテンアメリカにおける核の不使用を宣言すべきである.そして外国基地の閉鎖を実行すべきである.キューバが友好国に基地を提供するのが許されない一方,敵対国に基地を提供しなければならないのは論理的に矛盾している」と糾弾.

19日 カストロ,ウタントに通告.「ソ連がイリューシンを撤去するというのなら,我々はそれに反対しない.なぜならそれはソ連の所有物だからだ」と述べる.同時に「キューバに侵犯する航空機は撃墜される覚悟を持つべきだ」とあらためて警告.一方的査察を全面的に拒否.

11月20日

6:00PM ケネディ記者会見.「本日フルシチョフ議長から,1ヶ月以内にキューバ国内のすべてのイリューシンを撤去するとの確約を得た.これを受けて国防省に隔離作戦の停止を指令した.現地確認ができない状況のもとで“不侵攻”を宣言することはできないが,キューバが共産主義の輸出のために,それらを使わない限り,カリブ海の平和は保たれるだろう」と述べる.

11.21 撃墜されたU2機パイロットの遺体,米国に送還.

11.21 この日米軍機が領内に侵入.キューバは米軍上陸の日が来たとして最終決戦体制に入る.

11.26 ミコヤン,キューバからの帰途ケネディと会談.フルシチョフの交渉重視の姿勢を伝える.

11.27 キューバ政府,ケネディの演説に応じ,「米国内の亡命者訓練基地を公開するなら,査察に応じる」と反論.

11月 ジェームス・ドノバン弁護士を窓口とする,侵攻部隊の解放交渉再開.同額の医薬品との交換で,釈放することで合意成立.CIA内のW機動班は「特別問題スタッフ」に改称,ハーベイは解任され,デズモンド・フィッツジェラルドが後任となる.フィッツジェラルドはカストロの趣味がダイビングであることに目をつけ,技術サービス部に細菌付きダイビング・スーツの開発を指示.捕虜釈放のためキューバにおもむくドノバン弁護士に持たせようとするが失敗.ハーベイはロスでロセリと接触,暗殺計画の中止を指示.

 

62年12月

12.2 カストロ,国民への放送.「ソ連とのあいだに意見の違いを生じたが,この溝を広げることは米国を利するだけだ」と自重を呼びかける.

12.04 エスカンブライ第二戦線を名乗る高速艇二隻が,ビリャ・クララ州カイバリエンの港を攻撃.他にも高速艇による海岸部の奇襲攻撃が続く.

12.5 INRA総裁CRロドリゲスを団長とするキューバ代表団訪ソ.いったん失脚したファスティノ・ペレスとオルツキーも代表に加わる.

12月12日 フルシチョフ,ソビエト最高議会で2時間半にわたり演説.米国がキューバ不侵攻を確約したと強調.「しかしもし米国がキューバに侵攻すれば,キューバは無防備のままでいることはありえないだろう」と述べる.

12日 ケネディ,記者会見.キューバのすべての戦略ミサイルとイリューシン爆撃機の撤去が確認されたと発表.さらにホワイトハウスとクレムリンを結ぶホットラインの設置を提案.

12.17 「レボルシオン」紙,ソ連のミサイル危機に対する降服を非難する人民日報社説を1ページ半にわたり掲載.

12.21 キューバ,ブラヤヒロンの捕虜1,113名をを5千3百万ドル相当の医薬品・児童用食料と引き換えに解放することに合意.一部は1986年まで釈放されず.

12.24 パンアメリカン機,捕虜をハバナからマイアミに空輸.

12.29 ケネディ,マイアミでのオレンジボールに釈放された侵攻軍の捕虜を招待.「2506旅団の軍旗がいずれ自由なハバナにひるがえるだろう」と激励.ジャクリーンはスペイン語で彼らの勇気を讃える挨拶.元捕虜たちは「Guerra! Guerra!」のシュプレヒコールで応える.

12月 ゲバラ工業相,生産振興の基本は精神的刺激であり物質的刺激は従属的なものと演説.

62年 アルジェリア,モロッコ間に紛争勃発.キューバはアルジェリア側に立ちアメイヘイラス警察長官を司令官とする義勇軍を派遣.