1963年1月 1963年7月 1964年 1965年 1966年 1967年 1968年 1969年 1970年 1971年 1972年
63年1月
1.02 今年のメインテーマが「組織の年」とされる。カストロ,革命4周年集会で演説.「われわれに欠けている最大のものは,敵に対する社会主義陣営の総力の結集である.いまこの問題が由々しいものであることを率直に認めなければならない」
1月7日 米ソ両国,ミサイル危機の終焉を宣言する国連共同声明に調印.ウタント,スチーブンソン,クズネツォフが署名.「すべての問題が解決したわけではないが,ケネディ- フルシチョフ 了解をもとに満足すべき進展があった」と述べる.キューバのレチュガ国連大使はウタントに抗議文を送り,五項目要求が満たされない限り,米ソ両国の合意に賛同することはできないとする.
1月15日 カストロ,長時間にわたるテレビ演説.「米国にとってカリブ問題は終わっていない.戦争は回避されたが,平和が訪れたわけではない.ケネディの不侵略の言葉は信じられない」と警告.
1.24 マタンサス州に反革命工作ひろがる.二人の子供がマタンサス州ペドロ・ベタンクール県ボロンドロンのカンデラリア農場でフアン・ホセ・カタラ・コステのゲリラにより殺害される.2ヵ月後に壊滅に追いこむ.
1月下旬 SGAの段階的廃止が始まる.これに代わり国務省を中心とする特別グループが編成される.バンディを議長とする.マングース作戦は廃棄される.
63年1月のCIA再編
マングース作戦の廃棄に伴ない,CIAの「タスクフォースW」も廃止されることとなる.マイアミの組織「JWウエーブ」を含めた実質的な任務は,「特殊問題処理班」(Special Affairs Staff)として存続.
カストロ暗殺計画を新たに作成.なかにはダイビング好きのカストロに結核菌入りの潜水服を贈るとか,カストロが潜る辺りに爆薬入りの貝を仕掛けるなどの珍案,奇案.
仕掛け人には新たに暗号名AMーLASH(DR幹部で元大学学生連合委員長のロランド・クベラ)を獲得.高圧ジェットの毒薬を内蔵したボールペンを手渡す.
アル中になったハーベイ班長は,作戦責任者のポストを外されローマに転出.デスモンド・フィッツジェラルドが新班長に就任.フィリップスは謀略の本拠地となったメキシコ支局に支局長として転出.支局長代理にはハントが就任.
SASは隠密的性格をさらに強化,特殊行動班を改組し「コマンドー」を結成.2506旅団の生き残りを迎えてオペレーション40を再編成.ゲリラ部隊が中米各地,ジャクソン基地,ベニング基地などで訓練に入る.
指導にはフィリップス,ハント,ヘミングス,スタージス,クレイ・ショーがあたる.キューバ人幹部にアキン・サンヘニース,ディアス・ランス,フェリックス・ロドリゲス,ニーニョ・ディアス,アルティメ,ボッシュ,ルイス・ポサダ・カリーレス,トニー・クエスタらをすえる.
63年だけで少なくとも6回のキューバ潜入・破壊作戦を展開.CIAの影の部隊として,後にジョンソン大統領から「カリブ海殺人会社」の異名を奉られることとなる.1 ハバナ=モスクワ間に直通航空路開設.ソ連・キューバ農業援助協定調印.農業技術者4百人を派遣.
1 中米5ヵ国外相会議.キューバ制裁を協議.
1 ケネディ,ソ連政務次官と会談しキューバの今後の取扱いについて検討.ラスク国務長官,「キューバを侵略しないという約束はもはや無効」と声明.
1 ウルティア前大統領,マイアミに亡命,ただちに反革命策動開始.
63年2月
2.06 米政府,米資本による生産物がキューバと国交を持つ国の船舶で輸送されることを禁止.キューバ貿易をおこなう外国船会社に対する制裁処置を発表.
2.08 米政府,キューバ旅行を禁止.米市民によるキューバとの金融・商業取引を違法と見なすと発表.
2.09 米国,ソ連に「キューバからソ連軍人も撤去せよ」と要求.
2.18 フルシチョフ,ケネディ宛てに書簡.「キューバに残留する数千のソ連軍を3月15日までに撤退させる」と述べる.軍事顧問については明らかにせず.同時にフルシチョフはキューバのもとめに応じ,4個師団のうち1個師団をキューバに残留すると約束.
2.21 統合参謀本部,キューバ有事の際の行動計画を全般的に見直し.CINCLANTに対し,以下の検討をもとめる.@キューバで反乱が起きた際米国による軍事的・準軍事的介入はありうるか? A反乱軍への武器供与はありうるか? Bいかなる条件の下で直接侵攻を行うべきか? C反乱が大規模化し,勝利の可能性が見えてきたとき,これを一気に実現するためCINCLANTプラン316号を発動することは可能か?
2.22 中国が,対キューバ借款供与協定に調印する.
2.28 米政府,マングース作戦を公式に放棄.NSC内の拡大委員会(SAG)は解散され,マックジョージ・バンディ安全保障担当補佐官を議長とするキューバ問題再検討特別グループが組織される.このグループは,ミサイル危機後の情勢に対応した新たな指針を作ることを目的とし,秘密工作に対しては個別の提案を検討し許諾を与える役割に限定される.かわって国務省内に本部をおく「キューバ調整委員会」が設置され,秘密工作の推進もふくめキューバ封鎖を強める手段を検討することとなる.ランスデイルは「作戦は終わった.すべてのファイルは記録保存所送りにしてくれ」と国務省に連絡.
2月 ソ連・キューバ貿易協定締結.1週間後に中国との間にも締結.
2月 アルファ66,ソ連船への襲撃を組織.フロリダの警察当局,アルファ66と革命回復反乱運動(MIRR)の訓練基地を捜索.MIRRはオルランド・ボッシュ(小児科医)が指導するゲリラ部隊で国際反共旅団の支援を受けていた.移民局は不法滞在者の摘発に乗り出す.事情を知ったケネディはFBIを派遣し「ノーネーム・キー」の基地を摘発,武器を押収.
2月 ゲバラ,「クーバ・ソシアリスタ」誌に論文「官僚主義に反対する」を発表.
2月 公衆衛生省(MINSAP)のイニシアチブで全国でワクチン接種キャンペーン開始.CDRや婦人連盟の協力で,4ヶ月間に児童2百万人にポリオ・ワクチン.成人もふくめ4百万人にジフテリア,破傷風,チフスの予防接種.翌年より小児マヒの新規発生なし.
63年3月
3.04 デリオ・アルメイダの率いるゲリラ,10歳の子供を殺害.民兵隊による掃討作戦への復讐という.
2. 18 ケネディと中米6ヵ国の首脳によるサンホセ会議開催.「キューバ包囲網の構築」を内容とするサンホセ宣言を採択.
3.19 L-66,キューバ近海でソ連船ルゴフ(L'Gov)号を攻撃.
3.21 ケネディ,キューバ人亡命者によるソ連船の攻撃は「キューバに対するソ連の立場をいっそう強めることになる」として批判.
3.26 L-66,キューバ産砂糖を積んだソ連の貨物船バクー号を撃沈.ケネディ,アルファ66などの襲撃を中止するよう指令.
3.28 リオで,キューバ連帯会議開催.中南米その他から千三百人が参加.当初政府は開催を認めない方針を採るが,結局黙認.グアナバラ州知事ラセルダは開催を認めす,強行するなら州警察導入も辞さずと声明.会議はリオ対岸のリオ州ニテロイ市で開催される.ラセルダはあくまで集会を妨害しようとするが,リオ州の第1軍管区オスピノ・アルビス司令官が,集会支持を表明したことにより断念.
3.29 ケネディ,反カストロ派によるソ連船攻撃は実力で阻止すると声明.
3月 カストロ,ハバナ・リブレのカフェテリアに入る.カリダードは冷蔵庫内に隠した毒薬を仕込もうとするが,カプセルが冷蔵庫に張り付いてしまっていたため失敗.
63年4月
4.01 ジュピター型ミサイルに代わる,ポラリス型原潜が地中海に就航開始.
4. 03 特別グループ,キューバにおける破壊作戦を中止.バンディは高官級会議で「このような行動は意味がない」と発言.
4.21 バンディ,NSC幹部に宛て「キューバ政策の新たな方向の可能性」と題するメモを提出.三つの選択肢を上げる.さまざまな条件設定の一つとして「カストロとのある種の合意に基づく事態の進展」を想定する.米政府は革命評議会への公的援助を停止.ミロ・カルドナ議長は「新侵攻計画の約束を裏切った」と米政府に抗議し辞任.政府は侵攻計画の存在そのものを否認.
4.22 フィデル・カストロ、ABCニュースのライザ・ハワードと5時間のインタビュー。後に彼女は、「カストロは、アメリカとの和解をもとめている。しかしチェ・ゲバラ、ラウル・カストロとヴィルマ・エスピンはいかなる和解にも反対している」とCIAに報告。(これはライザが完全に手玉に取られている証しですね)
4.25 トルコのジュピター・ミサイル,撤去を完了.マクナマラ,ケネディに「 トルコでの最後のジュピター・ミサイルが,まもなく撤去される」と報告.
4.27 カストロ,ソ連が用意したTUー114でソ連訪問.ミコヤンがムルマンスクまで出迎える.訪ソ中カストロはシベリア,中央アジアをふくめ歴訪.期間は40日間にわたりソ連国内14都市を回る.ソ連は,レーニン賞を贈り,帰途はムルマンスクまでフルシチョフが見送るなどカストロ懐柔につとめ,ミサイル危機で冷却した両国関係の修復を図る.カストロはフルシチョフから秘密交渉の真相を聞かされ,キューバがソ連にとっては東西対決のコマの一つに過ぎなかったことを知る.
4月 国内での思想統制強化.リャノ派の最後の大物でM26機関紙「レボルシオン」主筆のカルロス・フランキ解任.
4月 米国内より飛来した双発機,ハバナ市外の製油所を爆撃.
63年5月
5.1 ロバート・ケネディ,CIAに「キューバに対して取り得るあらゆる手段のリストを提出するよう」指示.
5.10 ソ連滞在中のカストロ,ABCテレビのインタビューに答え「捕虜の釈放と,亡命者組織への援助停止は,両国の関係改善にとって二つの好ましい徴候」と発言.
5.10 マイアミでCIAの指導の下に亡命者組織の一本化が図られる.指導者にはロバート・ケネディ司法長官の友人といわれるピッグス湾参加者のエンリケ・ルイス・ウィリアムス.
5.11 キューバ・ソ連新協定.平和共存路線を確認しゲリラ戦略の絶対化を否定するいっぽう,キューバに対する経済支援の強化を引き出す.このあとキューバは工業化重視より砂糖重視に切り換え,砂糖を武器に経済建設(フルシチョフ提言).さらにキューバ軍事力強化と,米軍侵攻時の残留部隊をふくめた対応についての秘密協定が結ばれたという.
5.23 ソ連=キューバ共同声明.「もし米国大統領の誓約が破られ,キューバへの攻撃が発生すれば,ソ連は米国を「処分」するためのあらゆる手段を提供するだろう」と表明.カストロ,レーニン・スタジアムで開かれた友好集会で演説.「キューバは米国をふくむあらゆる諸国との平和共存を希望する」と述べる.
5月 キューバに反革命分子上陸.失敗に終わる.
5月 ケネディ,上院ハト派のマンスフィールド議員と会見.大統領再選後ベトナムからの完全撤退を実現すると非公式言明.
5月 労働者百万人を対象にしたテストで,55%が小学2年生程度,28%が3年ないし6年程度の学力.中学生の水準に達していたのは5.5%に過ぎなかった.また2千の国営農場の責任者のうち4割が4年以下の教育しか受けていなかった.
5 ハビエル・エラウドの指揮するゲリラ隊,ボリビアからペルーへ侵入.プエルト・マルドナードで政府軍の攻撃を受け壊滅.エラウドも殺害される.
63年6月
6.1 ケネディ政権閣議,「カストロとの連絡チャンネルを作ることが可能かどうか検討することも一つの価値ある課題であろう」との認識で一致.バンディが「建設的代案」と称するこの方向は,ケネディの後期キューバ路線の一方の柱となる.
6.04 カストロ,ソ連から帰国.空港での会見で対米関係正常化の用意ありと声明
6.10ワシントンのアメリカ大学で「平和の為の戦略」講演.アメリカが単独で大気圏内核実験を停止することを宣言.「われわれはソ連に対する態度を変えなければならない,疑惑が疑惑を呼ぶ悪循環を断ち切らなくてはならない」と表明.「他国が核実験を行なわぬ限り,我が国もそれを行なわぬことを,ここに宣言する」
6.15 ケネディ,特別グループと会見.キューバに対する新たな秘密破壊作戦の計画を承認.
6.19 ケネディ,新たな対キューバ秘密作戦を承認.この作戦は主要石油精製工場の破壊,発電所の破壊,キューバ最大の製糖工場の一つ「ブラジル」の破壊の三つからなる.マングース作戦が国内の反乱を引き起こすことにねらいがあったのとは異なり,新作戦は「不満と抵抗の精神を呼び起こし,不服従,ひいては反乱を誘う」という限定されたもの.フロリダでの反カストロ武装行動に対する取り締まりは,実質上野放しとなる.
6.20 ワシントン=モスクワ間に「ホットライン」を敷設することで両国が合意.
6.30 米国の学生グループ,キューバの招きを受け,プラハ経由でハバナ入り.政府は参加者の帰国後旅券を没収.
6月 INRAのCRロドリゲス,リーベルマン方式にもとづき,個別企業に自主的な経済計算および自主金融の権限を与えようとする.ゲバラ,INRAの新方式に反対する長大論文「予算制度下におかれた企業に関する経済的分析の基礎としての生産費に関する考察」を発表.技術幹部が徹底的に不足している現状ではリーベルマン方式の導入は不可能であること,キューバのような小国では中央に計算を集中させることが可能であり,より好ましいとする.
6月 アルベルト・モーラ対外貿易相や,仏経済学者ベッテルハイム,ゲバラの経済政策に対して批判.「大議論」が開始される.
6月 フロリダの訓練基地,当局の捜査を受け壊滅.ポンチャートレーンがゲリラ最大の基地となる.CIAは主力部隊をニカラグアに移動.ソモサとウィスキーやドラッグで取引のあったアルティメを司令官に指名.新たな作戦を立てる.この作戦は政府トップにも内密にされ,コマンドー精鋭千名をキューバ各地に上陸させ,バラデーロ半島や三千もの島々に根拠地を形成するというもの.フロリダの国際反共旅団基地(スタージスとゲリー・ヘミングスが指揮)ではMIRRを中心にDRE,11月30日運動の部隊が訓練を受ける.バニスターの組織は国際反共旅団の一部を形成し,ダラス=ニューオリンズ=マイアミ間の武器輸送ルート「ルイジアナ回廊」を担う.
7.03 OAS外相会議.キューバとの人的交流禁止を決議.チリが反対,ブラジル,ハイチ,メキシコ,ベネズエラの4国が棄権.米国は「米州における共産主義者の活動禁止」の決議採択を狙うが,継続審議となる.
7.08 米国,キューバに対敵通商法を適用.3千万ドルの銀行預金をふくむ在米キューバ資産を全面凍結.経済制裁もさらに強化される.NATO諸国は米国の圧力を受け,キューバへの兵器輸出は中止したが,通常貿易については継続.
7.11 米政府,英国,カナダ,メキシコ,スペインにキューバへの商業飛行を停止するよう要求.
7.12 カナダ通産相「キューバ貿易をめぐるこれまでの政策に変更を加えるつもりはない」と発言.
7.14 ゲバラ,アルジェのアジア・アフリカ経済会議で演説.経済困難の原因について「当初われわれは社会的必要を満たすことに余りにも重点をおきすぎた.経済条件を十分に考慮せずに,より公平な賃金を払い,雇用を増進することに熱中していた」と自己批判.
7.24 キューバ,ハバナの米大使館を接収.
7月 ケネディ,フルシチョフとのあいだに大気圏内での核実験禁止に関して合意.
63年8月
8.1 FBIと地元警察,ポンチャートレーンに立ち入り.1トンを越えるダイナマイト,90センチ砲,ナパーム弾など多数を捕獲.キューバ人9名,米国人2人を拘束.米国人の一人は武器商人で極右団体ミニットメン創始者の一人,リッチ・ロークリ.
8.5「大気圏,宇宙及び水中における核実験を禁止する条約」成立(部分核停条約).
8.10ゲバラの指示で,各企業の責任者の総点検が実施される.6年以上の初等教育を受けていない人物132名が転職させられるか,再教育コースにまわされる.
8.16 ニカラグアの基地から出撃した爆撃機,カマグエイの製糖工場およびカシルダ港の石油基地を爆破.マナグアでソモサのキューバ侵略加担に反対するデモ.このほかアルファ66,コマンドLによる精糖工場,精油施設,工業プラントへの襲撃あいつぐ.
8.24 ゲバラ,「PSPは(ゲリラ戦争の時)革命を指導しなかったし,闘争方針を適切に理解しなかった」と発言.
8月 キューバ,軍に対し警戒体制を発令.
8月 革命法廷,CIAスパイ4名に死刑判決.
8月 カストロ,少なくとも今後10年間,「農業は経済の基盤となろう.また砂糖は我が国の経済発展のための基礎として役立てなければならない」と新農業政策を提起.CRロドリゲスINRA局長は「砂糖と米を作ろうとするよりも,米を買うために砂糖をより多く作るほうが良い」と言明.
8月 全国小農協会大会,第二次農地改革を前に協同化推進を決議.
63年9月
9.3 ケネディ,テレビのインタビュー番組で軍事顧問団1万5千人の引き揚げ計画を発表する.「90マイルしか離れていないキューバに対する軍事行動をも正当化できないわれわれが,9千マイルも離れた東南アジアでの戦争を果たして正当化できるのだろうか?…これは最終的にはベトナム人の戦争であり,勝か負けるかは彼ら自身にかかっている.我々はベトナム国民対共産主義の戦いに手助けはできる.しかし実際に戦って勝たなければならないのは,彼ら自身なのだ」と語る.
9.05 双発機二機がサンタ・クララに爆弾を投下.一人が死亡,3人が負傷.
9.7 カストロ,AP特派員ダニエル・ハーカーと会見.CIAの暗殺計画に関連して「われわれは米政府と闘い,同じ方法で対応する用意が出来ている.米政府がテロリストどもを援助してキューバの指導者を排除するつもりなら,彼らの身も安全でないことを考えるべきだ」と発言.
9.18 ケネディ側近の一人で駐ギニア大使のウィリアム・アトウッド,カルロス・レチュガ国連大使と秘密裏に接触.カストロはアトウッドをハバナに呼ぶように指示.ケネディも黙認を与える.カストロ,数千人におよぶソ連軍事顧問を送還.政治囚を釈放するなど対米デタントにむけたジェスチャーを示す.
9.25 キューバ,世界で最初のベトナム連帯委員会を設立.
9月 特別グループ,キューバ国内の重要経済施設への,一連の破壊作戦を承認.
9月 ゲバラ工業相,「ゲリラ戦争」を発表,農村での武装闘争が唯一の路線であり,条件の成熟を待つのではなく,決起の中心の断固たる姿勢が条件をうみだすと強調.
9月 PSP機関紙「オイ」紙,キューバ方式の闘争がLA全土で起こるだろうと論評.
9月 「進歩のための同盟」通商委員会設置.ロックフェラーなど多国籍企業の代表から構成され,援助を利用した収奪をより強めるために機能.「米国は投資にとって有利な環境を作りだす措置を講ずる国にのみ,援助計画を実施しなければならない」と主張.
63年10月
10.3 土地国有化法を公布(第2次土地改革).中農層のサボタージュに対処したもの.フランス人農業顧問ルネ・デュモンは無謀な改革として強く反対.5カバレリア(68ヘクタール)を越える農地の有償国有化.農地相続が出来るのはキューバ国籍の人間のみとなる.外国人所有の土地はすべて買い上げられ,1戸あたり67ヘクタールの農地が,10万人の小作人たちに与えられた.この結果国家が農地の7割を占有するに至る.
10.4 有史以来最大のハリケーン「フローラ」キューバを直撃,オリエンテ,カマグエイ両州を中心に死者4千2百人,家屋倒壊3万を出す.
10.23 CIA,ケネディを無視してあらたなカストロ暗殺のためのAMーLASH作戦を開始.ヘルムズ副長官,マコーン長官に無断でデスモンド・フィッツジェラルドSAS班長をパリに派遣.クベラと面会させる.暗殺用の武器としてペン先に毒のついた万年筆を手渡す.フィッツジェラルドはクベラの信用を得るため政府の正式代表になりすます.クベラはバチスタ時代に情報部長を暗殺した経歴を持ち,カストロとフリーパスで会える立場にあった.反共主義の立場に固執し,CIAに情報を流し続けてきた.
10.24 ケネディ,アトウッドの知人でフランス人記者ジャン・ダニエルとホワイトハウスで会見.カストロとの会見のため米国内で準備中のダニエルに対し,キューバとの関係改善の可能性を検討するよう示唆.ピエール・サリンジャー元報道官によれば、経済封鎖の解除もありうることを示唆したという。
10月 ケネディ,NSAM263号に調印.ベトナムに駐留する1万6千の軍事顧問すべてを65年末までに撤退させることとなる.そのうち千人は年末までに帰国の予定.
10月 キューバ軍部隊,アルジェリアにわたりモロッコとの戦闘に加わる.
63年11月
11.02 ゴ・ジンジエム大統領暗殺.
11.14 ハバナのカバーナ要塞で4人のキューバ人(アルヒミロ・フォンセカ・フェルナンデス、ウィルフレード・アルフォンソ・イバネス、イスラエル・ロドリゲス・リマ、エラスモマチン・ガリア)が処刑される。4人は武装してキューバに上陸、浸透を図ったとされる。
11.18 ケネディ,マイアミ訪問.亡命者組織より死の脅迫が送られる.ケネディは汎米新聞編集者協会での演説で,カストロらを一握りの陰謀家集団と非難し,真の革命を望むキューバ国内の革命的集団を励まし,「西半球にもうひとつのキューバを作らせることは断じてありえない」と強調.その一方「米国はどんな国に対してもその国のあるべき経済政策について命令するつもりはない.どんな国にも,その国民の必要性と意志に応じて独自の経済制度を形成する自由がある」と述べる.また,キューバがソ連に対して主権を回復し,近隣国の政府転覆への活動をやめるなら「すべてが可能になり,われわれは友情と支援の手を差しのべるだろう」と語る.
11.20 ジャン・ダニエル,カストロと会談.ケネディがデタントを目指す意志のあることを伝達.ダニエルによればカストロはケネディの言葉を「ひとことも聞き逃さぬように熱情的な関心をもって」聞き,「わたしはケネディが正直に話していると信じよう.わたしはまた,今日,正直さを表わすことは政治的にも意義深いことだと思う」と語る.
11.22 ケネディ暗殺.カストロはキューバの関与を否定.「ケネディの死を喜んでいるのは,彼の対キューバ外交の弱腰を非難していた極右,反動だけ」と声明.
11.22 CIAはAMラッシュを用いたカストロ暗殺計画を中止.
11.26 軍事選抜兵役制度法公布(徴兵制).17才から45才までの男子に兵役義務.
11月 LA共産党大会,ハバナで開催.全体として平和共存路線を支持しながらも,ベネズエラ,コロンビア,グアテマラ,ホンジュラス,パラグアイ,ハイチの6ヵ国では武装闘争が必要と合意.武装闘争を正規の路線として承認.中国派は会議をボイコット.
11月 ホルヘ・リカルド・マセッティの指揮するゲリラ,ボリビアからアルゼンチン北部に侵入しゲリラ活動開始.
63年12月
12.02 社会主義革命統一党(PURS)発足.
12.11 ゲバラ,国連総会で『武装闘争こそ社会主義実現のための唯一の道』と演説.その後アフリカ諸国を歴訪.
12.13 ロバート・ケネディ,キューバへの旅行を解禁を提案するが,国務省の反対により流産.
12.16 米国,船主に対しキューバへの物資輸送を禁止.
12.19 LBジョンソン,アトウッドを通じた対話の窓口を「凍結」
12.23 CIAコマンド部隊,米国から破壊作戦に出動.ピノス島シグアネアのドックに係留中のキューバ海軍の魚雷艇を魚雷攻撃でしずめる.これにより将兵,乗組員4人が死亡.
12.29 ニコライ・ポドゴルヌイ政治局員,2週間にわたりキューバ訪問.
12月 革命直前に560万トンだった砂糖生産量,63年には380万トンまで低下.政府は70年までに砂糖の年間生産を一千万トンに引上げる計画を発表.
12月 フィリップス,ベシアーナと会見.メキシコに行ってG2幹部で従弟のギジェルモ・ルイスに接触するよう指示.さらにルイスを買収し,オズワルドのキューバ大使館訪問と彼の親カストロ的態度について証言させるよう指示.
12月 ソビエトから供給された器材を使って、ラジオ・スワン放送に対する妨害電波の発信を開始。
63年 キューバ軍,最初の海外派兵.アルジェリアに派遣された軍隊がモロッコとの国境紛争に参加.
1964年1月1.01 カストロ,革命記念日の演説で米国との関係改善を望む意向を明らかにする.
1.07 カストロ、ハーバートL.マシューズとの会見に応じる。「キューバはソビエトのミサイルで島を防衛するという考えを先延ばし(put forward the idea)にした」と述べる。
1.07 イギリスのレイランド自動車,キューバへバス4百台を輸出.米国務省は「キューバを孤立化させる努力を損うもの」とこれに抗議.英通産相は「英国がボイコットの対象としていない国に,企業がものを売るのはまったく問題ない.非戦略物資の輸出は米国がソ連に小麦を売るのと変わりない」と声明.翌月にはフランスもトラック輸出.
1.12 カストロ,キューバ訪問中だったポドゴルヌイとともに二度目の訪ソ.ゲバラ工業相もこれに同行.
1.22カストロとフルシチョフの会談後,向こう6年間砂糖価格をポンドあたり6セントとする長期貿易協定締結.これは国際価格よりも高く,かつ最低価格が保証されたもの.同行したゲバラ工業相も,技術供与協定の締結に成功.両国は革命の非平和的移行の可能性でも一致.
64年2月
2.02 米海軍,領海侵犯の疑いでキューバ漁船4隻と乗員38人をだ捕.
2.06 キューバ漁船だ捕に抗議し,グアンタナモ基地への給水,配電を停止.米軍はジャマイカより給水船を往復させ対抗.
2.07 米国はグアンタナモ基地のキューバ人従業員千5百人のいっせい解雇で対抗.年金の支払い,積立金の返還も拒否される.
2.14 ダグラス・ヒューム英首相,訪米.ジョンソンとの会談後の記者会見で「英国は貿易なしに生きていけない国であり,ボイコットなど信じられない」とキューバ貿易の継続の意志を表明.
2.18 米国,キューバと貿易をおこなう国には援助を打ち切ると声明.キューバ経済封鎖不履行を理由に英,仏,西,モロッコ,ユーゴへの軍事援助を停止.
2.21 米国,だ捕した漁船員29名を釈放.
2 ゲバラ,ウルグアイの雑誌「マルチャ」に「社会主義と人間」を発表.キューバでは階級闘争が続いていると指摘,生産を上げるうえで,労働者の政治的自覚が決定的と強調.
2 ソ連,中国の破門を目的に世界共産党首脳会議の開催を提案.多くの共産党の反対により流産.
64年3月
3.13 ラスク国務長官,上院外交委員会で証言.禁輸の目的は・カストロのLAへの進出の野望を抑える,・キューバ国民にカストロ政権はためにならないことを理解させる,・LA諸国民に共産主義には未来がないことを分からせる,・ソ連に東側体制維持のための重荷を背負わせることにあると証言.この頃からふたたびキューバへの侵犯行動が活発化.
3.25 ウィリアム・フルブライト上院外交委員長,直接侵攻は失敗し,経済封鎖も成功していない状況の下では,カストロ体制を「小うるさいが大した害もない存在として受入れる」以外に方法はないと発言.
3.25 ゲバラ,ジュネーブのUNCTAD(通商と経済発展のための世界会議)に出席.IMFと進歩のための同盟を激しく非難する演説.国際機構というものは,結局は米帝国主義の道具にしか過ぎない.IMFは資本家のためのドルの番犬であり,世銀は米国資本が発展途上国に進出するための露払いであり,米州開発銀行はそのアメリカ版である.
3.31 ブラジルでクーデター発生.米機動艦隊,カリブに集結.駐ブラジル大使リンカーン・ゴードンのもとめに応じブラジルに向かう.
3月 革命幹部会事件でマルコス・ロドリゲスに対し死刑判決.
64年4月
4.19 カストロ,U2機によるキューバ領空侵犯に抗議.侵犯が続くなら地対空ミサイル発射の用意があると警告.
4.20 国務省「62年の再現を防ぐためU2による空中査察は必要であり,今後とも続ける」と表明.
64年5月
5.1 カストロ,「キューバ偵察の米機は撃墜する」と演説.
5.4 米国,医薬品,食糧をふくめ,対キューバ輸出を完全禁止.
5.7 イギリス,米国の反対があってもキューバとの貿易を継続すると表明.カナダもキューバ孤立政策に反対の声明.
5.13ブラジル軍政,キューバとの国交を断絶.
5.13 ニカラグアのモンキー・ポイントを基地とする反革命ゲリラ,船でオリエンテ州ピロン港の製糖工場を砲撃.砂糖7万袋に被害.首謀者はバハマのアンドロス島に住む銀行家でCIAエージェントのポール・L・E・ヘリウェル.
5.14 米商務省,「キューバが要請した千5百万ドルの食料および医薬品の輸出は過大である」として特許状の取得を要求.事実上の全面禁輸.
5.20 マヌエル・ライの一派,プエルトリコからキューバへの侵入をはかる.
5.29 キューバ国防省,ラス・ビリャス州サンクティ・スピリトゥス付近に細菌爆弾多数が投下されたと発表.
5月 マイアミで反革命55団体の統一組織,「中央評議会」を設置.
64年6月
6.29 カストロの妹フアナ・カストロ,亡命.ニューヨークタイムスによれば彼女は60年以来CIAから金を受け取っていたという.
6月 「社会主義キューバ」誌,ゲバラとベトレームの論争を掲載.これと平行して政府部内で経済再建策をめぐり論争.ゲバラの積極経済策は退けられる.また「革命の輸出」についても慎重策が大勢を占める
64年7月
7.06 カストロ,ニューヨーク・タイムスのリチャード・イーダー記者と会見.いつでも和解の交渉に入る用意があると表明.ラテンアメリカの革命に対する援助の打ち切りと政治犯の釈放を条件として提示。米政府は、ソ連との関係を絶たない限り交渉はありえないとし、ただちにカストロ提案を拒否.
7.18 国境警備隊員ラモン・ロペス・ペーニャ,歩哨の任務中,グアンタナモ基地からの銃撃により射殺される.
7.26 ベネズエラで第9回OAS外相協議会.キューバからの武器を隠した基地が見つかったベネズエラ政府は,制裁強化を強硬に主張.直接,間接を問わずキューバへの経済封鎖を決議.メキシコ,チリ,ウルグアイ,ボリビアが反対に回る.米国,対キューバ貿易をおこなったイギリス,フランス,ユーゴに制裁措置.
制裁決議の内容: キューバにおける全体主義の進行とラテンアメリカに対するテロ活動に抗議.ベネズエラのゲリラ支援をリオ条約違反と認定.
@キューバの行動は侵略である,A加盟国はキューバとの外交関係を断絶する,B人道的理由にもとづく品目以外の貿易を全面禁止とする,C必要な場合には軍事力に訴えた個別的集団的自衛権の行使も可能である.7.26 キューバ,OASの決定に対抗して「サンチアゴ宣言」を発表.OASには他国を侵犯し非難するような道義的,法的権限はなく,決議は「恥ずべき反革命の呼びかけ」でしかないと非難.しかし具体的な対抗手段は打ち出されず。
7月 経済再建策をめぐり政府部内で論争.これまでゲバラの推進してきた積極経済策は退けられる.また「革命の輸出」についても慎重策が大勢を占める.
64年8月
8.3 メキシコ,OAS決議と関係なしに従来の対キューバ関係を維持すると声明.ハバナとのあいだの定期航空路を存続.
8.12 チリ,ボリビア,対キューバ断交に踏み切る.
64年9月
9.8 ウルグアイも対キューバ断交.LAではメキシコのみ外交関係を継続.
9.20 ド・ゴール大統領,一ケ月にわたり南米10ヵ国を歴訪.対米依存脱却,キューバ化の回避,第3勢力論を主張.
9.22 国務省,学生58人のキューバ訪問を組織したレヴィ・ラウプをパスポートへの事実不記載の容疑で告訴.
64年10月
10.14 ドルティコスのソ連訪問中にソビエト政変.KGB前長官アレクサンダー・シェルピンと彼の手下ウラディミル・セミチャストニが行動を開始したといわれる.フルシチョフが失脚し,レオニード・ブレジネフが書記長に,アレクセイ・コスイギンが首相に,ポドゴルヌイが国家元首に指名される.
10.18 ブレジネフとドルティコス,平和共存を訴える共同声明を発表.
10 ゲバラ,「国際問題」誌に寄稿.「砂糖キビ栽培を罪悪視し,乏しい資本の分散を強いる」従来の多角化計画を自己批判.同時に原材料供給を無視した代替化工業計画も反省.
ゲバラの自己批判: 砂糖キビ栽培ほど収益の上がる農業活動はない,それはキューバの歴史が証明している.革命当初われわれがこの経済原則を見落としていたのは,帝国主義支配や農村の惨状を砂糖と結びつけて考えずにはいれなかったためである.
われわれは大量の工場を建設し輸入代替産業を振興し都市労働者に雇用を与えることをねらった.しかし間もなく,これらの工場は国際的に見ると技術水準が低すぎることが分かった.輸入代替も,原材料が調達できなければ実質的にはたかが知れたものであることが明らかになった。11 ゲバラ,フルシチョフ失脚後の経済政策転換に期待してソ連を訪問.ブレジネフとの交渉は決裂.ゲバラは社会主義国の利己主義に幻滅。
64年12月
12.11 ゲバラ,国連で世界各国における帝国主義者の蛮行を激しく非難.「平和共存は大小をとわず,すべての国家のあいだに存在しなければならない.強大国のみがその特権を持つような平和的共存はあり得ない.諸国間の共存は搾取者と被搾取者,圧制者と非圧制者のあいだの共存を包合するものではない」と批判.その後ゲバラは,工業相の地位のままキューバの移動大使として三ヶ月にわたりアフリカ諸国および中国を歴訪.
12.11 反革命グループ「キューバ民族主義運動」は、ゲバラ演説に抗議し国連本部をバズーカで砲撃.
12.21 国務省,キューバ貿易を推進するなら援助を停止するとスペインに警告.
12.28 グティエレス・メノヨ,「アルファ66」の3名をひきいキューバ潜入.エスカンブライにゲリラ戦の根拠地組織を試みる.CIA指導下の反革命ゲリラ,ハバナ港に向かうスペインの商船シエラ・アランサス号を襲撃,大破.アルティメとクベラ(AMラッシュ),CIAの仲介で接触.カストロ暗殺計画をふたたび検討.カリダードをはじめとするハバナ・リブレ内の反革命分子,摘発される.
12月 マルコス・ロドリゲス事件に関与したホアキン・オルドキとブチャチャ,別件で逮捕され収監.
12月 C.R.ロドリゲスを団長とするLA共産党使節団,訪中.革命の性格をめぐり,毛沢東と激しい論争となる.
12月 刑法改正.自殺を試みることは反革命的犯罪であると規定.
人民連帯重視の時代 65年1月
1.01 ゲバラ,マリで記者会見.「LAの革命勢力は現在武装行動の段階に進みつつある」と声明その後ブラザビルに入りアルフォンス・マセンバ・デバト大統領と反帝闘争の進め方について討議.まもなく他のアフリカ諸国を歴訪中,マセンバの失脚を知る.
1.02 カストロ,砂糖産業重視政策に転換.今年を農業の年とすると発表.自らINRA議長に就任.70年の生産目標を1千万トンとし,国民総生産の25%を砂糖産業に投資.サトウキビの栽培面積は35%増加し,潅漑施設が拡張され,大量のトラクター,除草剤が輸入され,多数の肥料工場が建設される.いっぽうで「海外からいかなる援助もなされなくても,我が国民はそれに耐えうる」と宣言.自主路線をうちだし,革命の輸出を推進する.
1.25 メノヨ,国内潜伏中を捕らえられ,禁固30年の刑に.
65年2月
2.3 アフリカ歴訪中のゲバラを団長とする党代表団,密かに中国訪問し関係修復を図る.ゲバラは林彪と会談するが,革命の輸出路線を批判され交渉決裂する.
2.6 さらに別の4名のゲリラが逮捕.テレビで「CIAに雇われた後ニカラグアで訓練を受けた」と証言.
2.17 ブレジネフ新政権,キューバとのあいだに経済協力3ヶ年協定.ソ連はおよそ5億ドルに上るキューバの負債の支払いを延期。さらに1億7千万ドルの新規借款を承認.
2.25 アルジェでAA連帯機構第二回経済会議開催.ゲバラ,「ソ連は闘いつづける途上国から収奪する点で,帝国主義と大差ない」と発言.ソ連の社会主義諸国および第三世界への援助に関してとっている態度を厳しく批判.この発言はラウルらキューバ政府幹部との亀裂を決定的にする。
2 カストロ,官僚主義は帝国主義とならんで社会主義実現のための大敵であると糾弾.ソ連の平和共存路線を批判する一方,中国の対ソ批判を,国際共産主義運動の足並みを乱すものとして非難.国内での中国の反ソ・キャンペーンに対しても批判.
65年3月
3.01 モスクワで国際共産党会議にむけての準備会議開催.招待された26党のうち17党が参加.中国の反対をおしきり,ラウル・カストロとオスマニ・シエンフエゴスが参加.会議ではソ連に完全に同調.
3.03 ゲバラ,レオポルドビル・コンゴの反乱軍と接触.ゲリラ闘争参加の可能性を探る.
3.12 ゲバラの著書「キューバにおける社会主義と人間」がハバナで出版される.その後公式の場所には顔を出さず.
3.14 ゲバラ,アラブ連合を最後に3ヵ月にわたるアジア・アフリカ歴訪から帰国.空港にはカストロとドルティコス,ラウル,CRロドリゲスが出迎える.ラウルらはゲバラの海外での反ソ言動について糾弾したといわれる.
セリア・サンチェスの思い出: 帰国したゲバラは,カストロらとの延べ40時間にわたる会談に臨んだ.彼はキューバとソ連の関係を危険に陥れたとして,その無規律と無責任性を厳しく批判された.ゲバラはアルジェでの発言は報道のとおりである.キューバを代表してそれを行なう権限はなかった,だが,発言内容を変えるつもりはない.そして,アルゼンチン風のユーモアをもって言った.『自己懲罰にかけて,サトウキビ刈りに行く』と.
3.26 ゲバラ,カストロと会談後,工業相を辞任.公式に明らかにされないまま,実質的に政府,党の要職を解かれる.
65年4月
4.02 ゲバラ,「別れの手紙」をカストロに手渡す.キューバ市民権と革命政府における職責を放棄.2百人のキューバ人部隊とともにコンゴを目指す.容貌を変え,偽造パスポートを持って出国したという.
4.02 ラウル,ソ連訪問しブレジネフと会見.ソ連政変後最初のキューバ幹部の訪問となる.
4.20 カストロ,記者会見で「ゲバラは多彩な能力を持っており,たぐい稀な知恵を持ったもっとも完璧な指導者の一人である.彼は革命にとってもっとも役に立つところに現われるだろう」と発言,閣僚からの辞任を示唆.ポサダス派は親トロツキズムに移行しつつあったゲバラをカストロらスターリニストが暗殺したと宣伝.
4.28 ドミニカで反政府蜂起発生.米国は2万の兵を投入.
4 最後の反政府ゲリラとなったカマグエイ戦線のフアン・アルベルト・マルティネス・アンドラーデ(マリオ・ブラボ),捕らえられ自殺.これを最後に国内の組織だったゲリラ活動は消滅.革命後,通算して3百の部隊4千人がゲリラ活動を展開.ゲリラによる犠牲者は549人にのぼる.
65年5月
5.3 連邦最高裁,国務省に対しキューバ行パスポート発行を要求した市民団体の訴えを退ける.
5.6 キューバ官憲,56年以来ハバナに在住しCIAのエージェントとして働いていたローレンス・K・ラントを逮捕.
5.10 ガーナで第4回AA人民連帯会議.キューバはオブザーバーとして出席.翌年1月ハバナで三大陸人民連帯会議を開催することを決定.
6 CIA,クベラとの接触を断つ.
6月 カストロ,国内に2万人の政治犯が存在することを認める.
7 コンゴ(ブラザビル)入り.「タトゥ司令官」の名で約9ヵ月にわたり反ツォンベ闘争を指導.
3.20 ゲバラ,カイロを経由してコンゴに潜入し,反乱に参加.120名のキューバ人志願兵と共に戦うが,秋には作戦を断念し撤退.
8.6 ザイールにより攻撃を受けたブラザビル・コンゴ政府と,ブラザビルに本部をおくMPLAを支援するため,ホルヘ・リスケ・バルデス指揮下の国際旅団が出発.
65年9月
9 ゲバラ,コンゴで4ヶ月にわたりベルギー傭兵との直接戦闘を指揮.黒人の士気が低く戦闘は不調におわる.
9.28 カストロ,米国亡命を希望する人の亡命を認めると声明.そのため10月10日から1ヶ月間,バラデロ近くのカマリオカを出港地に指定し開放する.
9.30 社会主義革命統一党(PURS),党名の変更,中央委員会,書記局,政治局の設立と人事を決定.
65年10月
10.01 PURS,キューバ共産党と改称し再発足.中央委員会,政治局,書記局を設置.委員の名が公表される.M26機関紙「レボルシオン」とPSP機関紙「オイ」とが合併し「グランマ」を創刊.ブラス・ロカを責任者として社会主義憲法の起草に着手.中央委員100名のうち68名がM26,旧PSPからは21名が選ばれる.69%は軍の階級を持っていた.
10.03 カストロ,ハバナのチャプリン劇場で開かれた共産党結成記念集会で「名簿から外さなければならない唯一の資格者」の伝言を伝えるとして,ゲバラの「別れの手紙(3月執筆)」を読み上げる.
ゲバラの別れの手紙: 僕の唯一の欠点,少しばかりクソ真面目なせいで,僕はカストロに信頼をおいていなかった.指導者として革命家として,君をいち早く理解もしていなかった。
キューバ国内での革命に,私をつなぎ止めていた責務の一半はどうやら果たし終えたように思う.私はここに,私の地位と市民権とを放棄することを心に決めた.世界の他の土地が,微力な私の援助を要請している.…さよならをいうときが来た.あなたと,同志たちと,今やわたしのものである人民に.わたしは一人の自主的な労働者としての義務を遂行するため大臣を辞職する。10.18 CIA,ゲバラが権力の座から脱落し,キューバ革命が方向を変え始めたとするメモを発表.
10.10 ハバナ近くの小さな漁港カマリオカ(Camarioca)からの出港開始.マイアミから大挙して押し寄せた亡命者の船舶に乗り,一ヶ月間に「不満分子」5千人が出国する.米国は海上安全上の問題から,航空機を使うようスイス大使館を通じて提案.
10 コンゴでのベルギー傭兵との闘い不調に終わる.ゲバラは120名のキューバ兵とともに戦線撤退.戦闘終結後も多くのキューバ人が残留し,ゲリラの訓練にあたる.
65年11月
11.6 米国とのあいだに月3千〜4千の亡命を受入れる協定成立.マサンタス州のバラデロ飛行場とマイアミ間に米航空機の就航を認める.米国はこれを「フリーダム・フライト計画」と呼ぶ.
11月 「クーバ・ソシアリスタ」紙,共産党政治局と書記局のメンバーを発表.政治局にはカストロ兄弟,ドルチコスのほか,アルマンド・アルト,フアン・アルメイダ,ラミロ・バルデス,ギジェルモ・ガルシア,セルジオ・デルバリェが参加.エスカランテ派を完全排除.書記局はカストロ兄弟,ドルチコス大統領のほか,ブラスロカ,ファウレ・チョモン,C.R.ロドリゲスの6人からなる.カストロが第1書記に就任.
11月 北京での次年度貿易協定交渉,不調に終わる.中国は砂糖輸入額を80万トンに削減,さらに米の輸出も削減する意向を明らかにする.
11月 同性愛者その他の兵士のために,UMAP基地が創設される.
12.01 亡命者の空輸作戦「フリーダム・フライト」作戦が開始.最初の1年だけで4万5千人が亡命.71年までに25万人が米国に渡る.
12月 キューバ大蔵省解体.国家予算を事実上廃止,カストロ,労働組合の自主性を重視するマルティネス・サンチェス労相の労働政策を激しく批判.サンチェスは自己批判し辞任,さらに自殺をはかるが未遂に終わる.
1966年 66年1月
1.02 カストロ,革命広場で開かれたAALA代表団歓迎集会で演説.「キューバ向け米輸出の割り当てを削減した」と中国を非難.またキューバの出入国政策は「出て行きたい人は出て行きなさいだ」と発言.
1.03 政府,66年を「連帯の年」と宣言.
1.09 中国,カストロの非難に対し,「米はベトナム解放戦線に回した」と反論.
1.13 第1回3大陸人民連帯会議,ハバナで開催.27ヵ国の政府代表を含め82カ国512人の代表が参加.「武装闘争を含めたあらゆる形態の闘争をおこなう権利」「帝国主義的暴力にたいして革命的暴力で立ち向かう権利」を宣言.「ベトナム人民の闘争は,歴史の現段階における基本目標,すなわち民族解放,社会主義,世界平和の擁護をめざす全世界人民の闘争の不可分の一部である」ことを確認.トロツキストを「帝国主義の手先」と非難.あいさつに立ったカストロは「世界のいかなるところにおけるいかなる革命運動も,キューバの無条件の支援を期待できる」と発言.
1.16 三大陸人民連帯会議に引き続き,LA人民連帯会議.LA連帯機構のハバナ常設と来年の大会開催を決定.
1月 三大陸連帯会議のあと中南米を視察中の尾崎,仁科の両氏,リマで一時逮捕.
66年2月
2.05 中国,米の輸出を半減.
2.06 グランマ紙,「中国政府がキューバ国民の善意を裏切る」との見出しでカストロの長文の声明を掲載.「帝国主義者によるベトナム侵略が激化しているいま,社会主義国の分裂は回避すべきであると強調してきたが,中国は分裂を策し,米国のキューバ封鎖に加担」と非難.毛沢東を「裏切者,偽善者」ときめつける.中国は米をベトナムに優先的に送る義務があると反論.さらにカストロは中国大使館が大量の宣伝文書を配布しているとして押収.
2.13 ソ連とのあいだで今年度の貿易協定締結.総額10億ドルに達する.ソ連はさらに9千万ドルの新規信用供与を与える.
66年3月
3.1 国家保安部,1年半にわたる取り調べの後,クベラらをハバナ市内で逮捕,25年の刑を宣告.容疑はライフルによるカストロ暗殺計画であり,この時点でCIAとの関連は解明できず.
3.14 カストロ,人民日報の反論に対し,再批判.
3.27 サンチアゴからハバナに向かうイリューシン18旅客機がハイジャックされる.機長はマイアミへの飛行を拒否.ハバナ空港に着陸.犯人は機長を射殺する.
3月 コンゴ解放戦力が中国寄り路線をとるようになったため,ゲバラとキューバ人兵は引き揚げる.空港までカストロが出迎える.ゲバラはそのまま南米に向かい,3ヶ月に渡り南米諸国をひそかに歴訪.キューバ軍,ブラザビル・コンゴに出兵.軍事政権を20年以上にわたり支える.
66年5月
5.1 カストロ,メーデー演説.「共産主義と社会主義とは,ある意味では,お互いに並行して建設されなければならない」と唱える.
5.21 民間人一人が,グアンタナモ基地からの銃撃により射殺される.
5.27 グアンタナモ基地との境界線で,米兵の発砲によりキューバ兵死亡.カストロ,基地への給水を停止,全土に警戒体制をとるよう指示.
5.29 エルミニオ・ディアス,ハバナ西部のホテル・コモドロ付近に上陸.ホルヘ・マス・カノーサのカストロ暗殺の依頼を受け国内潜入をはかる.民兵隊と銃撃戦の末射殺される.
5月 米議会,禁輸強化決議.キューバ貿易を続ける国への食料輸出を禁止.
66年6月
6.1 ピナル・デル・リオに潜入を試みたCIAエージェントが逮捕.その後も侵入行為が続く.
6.21 ベネズエラのオヘダFLN議長,カラカス市内潜行中,密告により捕えられ,拷問のすえ虐殺.カストロはベネズエラ共産党の裏切りと見る.
66年7月
7.24 キューバの支援を受けたFALN,ファルコン州に上陸作戦敢行.イラカラ山系のゲリラ部隊との合流に成功(シモン・ボリーバル作戦).壊滅作戦の失敗により,FALNの権威再確立.武装闘争を唯一の革命路線とする「イラカラ宣言」を発表.共産党と分離して独自の政治機構を確立.キューバはチェ・ゲバラの派遣を提案するが,PCVは拒否.
7.25 民間防衛全国委員会創設.
7.26 カストロ,モンカダ記念集会でラテンアメリカの正統派共産党を非難.武力解放路線を擁護.
7 ピナル・デル・リオにボリビア・ゲリラのための秘密訓練基地が開設される.キューバ軍兵士16人がゲバラの闘いに志願.内5人は,コンゴでもゲバラと行動をともにした.3人は共産党中央委員だった.
8.22 キューバ労働総同盟第12回大会(キューバ革命的労働総同盟第2回大会)開催.労働者の低生産性と勤労意欲の低下が問題となる.労組を労働者の自己防衛の組織ではなく,革命推進の原動力と位置づける.ミゲル・マルチンが書記長に選出.
9.28 カストロ,物質的刺激に基礎をおいた考えをきびしく批判.道徳的刺激政策の原則を打ちだす.「われわれが共産主義に到達するのは決して資本主義の道を通じてではないだろう.なぜなら資本主義の道によっては,誰一人として共産主義に達しないからだ」と述べ,共産主義を実現する革命的意識は「今日明日に作り出され得るとは思わないし,数年で作り出され得るとも思わない.だがわれわれは,もしこの方向に向かって闘わないならば,もし絶えずこの道を前進しないならば,このような意識は決して作り出されるものではないと信じている」
9.29 キューバ国防省,亡命者グループの飛行機がキューバ海岸を爆撃と発表.
10月 ゲバラ,キューバ国籍を放棄しボリビア入り,ゲリラ戦の準備開始.
11.02 ジョンソン大統領,キューバ人調整法(Cuban Adjustment Act)に署名.59年1月1日以降,米国に入国し,2年以上居住したキューバ人亡命者は,米国移民法の適用から除外され,自動的に永住権を得ることとなる.革命以来米国に亡命した12万人がただちに永住権を申請し,承認される.このあと150万のキューバ人が米国に亡命.アルファ66,コマンドスL,オメガ7などの準軍事組織が飛躍的に増強される.
12.03 米空軍の現役パイロットのエヴェレット・ジャクソン、ラ・ビリャスで反革命派に武器と器材を投下。直後に打ち落とされ、捕らえられる。
1967年 67年1月
1.02 ロランド・マスフェレル・ロハスと彼の部下67人が、ハイチとキューバに侵入を図ったとされ、フロリダ州マラソンで逮捕される。FBIが機関銃、ピストル、ナイフなどを押収。
1.02 ハーバート・マシューズが、ニューヨークタイムズに寄稿。「革命的平等の進行に伴い、育児、公衆衛生、住宅、道路など、社会経済構造が改善されている。とくにそれは貧困層と農村地帯で顕著である。初めてキューバの黒人は、経済的にも社会的にも白人と同等の地位を持つことになった」と述べる。
1月 中国,キューバ駐在大使を召還.キューバも大使を引き揚げる.
1月 ドブレの「革命の中の革命」,ハバナで発行.フォコ(移動する根拠地)路線,党に対するゲリラの優位性,毛沢東の「人民戦争論」の否定,一段階革命論を打ち出す.都市労働者や政党の役割,統一戦線思想は否定され,「革命の輸出」が公然とうたわれる.
1.28 カストロ,文化は人類の遺産であると述べ,国際著作権条約からの脱退を宣言.
67年3月
3.13 カストロ,ベネズエラ共産党の武装闘争中止の方針に対し公然と批判.「われわれマルクス・レーニン主義者は,革命的政府としか関係を樹立するつもりはない.もしもコミュニストと自ら任ずる人々が,その義務を遂行しえないならば,われわれは闘いのなかで真にコミュニストとして行動する人々をこそ支援するであろう」「この革命は,それがなにびとであろうと,断じてその追従者とはならないであろう.この革命は,それがなにびとであろうと,断じてその許可を求めはしないであろう」 ベネズエラ共産党は7項目にわたる反論を発表.カストロは同じ月ハバナ大学でソ連批判もおこなう.
3月 グランマ紙,キューバが「社会主義と共産主義を建設する過程における官僚主義の現象に直面している」とし,官僚主義は革命前から存続していたが,革命初期段階で「成長し,発展し,強化され」ていると攻撃.
3月 キューバ,スイス・フランスとのあいだに資産補償協定を締結.
67年4月
4.7 共産党,組織担当書記アルマンド・アルトの指揮下に反官僚主義キャンペーンを開始.「党に属さぬことが,行政部にポストを占める障害となることはない」と言明.
4.16 ゲバラ,カミリ近郊でゲリラ戦開始.ゲリラ隊にはキューバ陸軍少佐4人,大尉5人が含まれ,そのうちの2人は共産党中央委員であった.三大陸人民連帯機構書記局機関紙「トリコンチネンタル」に「第二,第三,多くのベトナムを作ること…これが合言葉である」とメッセージ発表.ベシアーナ,フィリップスの指示に従いボリビア入り.米軍事顧問としてゲバラの捜索に当たる.
4.20 レジス・ドブレ,ボリビアで逮捕される.
4月 ドルー・ピアソン,CIAはカストロ暗殺計画に関係していたとすっぱ抜く.
67年5月
5.3 メキシコ・シティーのキューバ大使公用車にしかけられた破砕性爆弾により4人が負傷.
5月 キューバを出発したFALNのゲリラ部隊,ベネズエラ上陸.まもなくキューバ兵を含むその多くが捕らえられる.
67年6月
6月 コスイギン,グラスボロでジョンソンとの会談.平和共存路線の継続を表明.その後ハバナに立ち寄る.カストロ,キューバは侵略を受ければ単独ででもたたかうと宣言.ソ連への不信感を表明.
6.26 コスイギン,訪米のあと5日間にわたりキューバを訪問し,カストロと会談.革命輸出路線の推進につき意見の調整をはかるとともに,関係修復にあたる.コスイギンはラテンアメリカ諸国共産党の合法的な活動を無視してゲリラ闘争を行うことについて批判.カストロは「すべてのラテンアメリカ人民は祖国の解放に貢献する権利がある」と反論.合意に達せぬまま終了.
67年7月
7.16 アルファ66メンバー,カストロ暗殺計画にもとづきフロリダから高速艇で侵入.2日後に逮捕される.
7.26 カストロ,米国内の黒人闘争に共感の意を表明.
7.31 LA連帯機構(OLAS)第1回大会,ハバナで16日間にわたり開催.キューバとウルグアイ共産党の共同イニシアチブで進行.伝統的共産党と,キューバ派ゲリラの統一をはかる.ウルグアイ共産党のアリスメンディ書記長が副議長を務める.「LAで革命闘争を続けているエルネスト・チェ・ゲバラ少佐」を名誉会長に選出.会場にはマルクスやレーニンに代わりボリーバルの肖像が飾られる.会議は「大多数のLA諸国では,武装闘争が革命の基本」と宣言.
8.10 カストロは閉会演説で大衆の意識水準を理由に行動を開始しない「エセ革命家」を非難.「この大陸には共産党だけによって構成される運動よりずっと広範な運動がある.われわれはある組織の行動を,そのことばではなく行いによって判断する」と発言.ベネズエラ共産党に対しては「革命家の敵,帝国主義と寡頭制の道具」となったとし「ゲリラを都市から指導しようとすることは愚かであるばかりでなく犯罪でさえある」と断罪.大会はLAの反動政府と貿易を続け借款を供与している「一部の社会主義国」の態度を非難する決議を採択.
67年9月
9月 カストロ,ゲバラの意志をつぎ「精神的刺激」を重視した「新しい人間」の創造をめざすと宣言.「1,2年もすればキューバの輸出は拡大し,特定の史上や特定の供給者に依存する必要がなくなり,キューバは完全に自給自足体制にはいることが出来るであろう」と述べる.
9.22 OAS外相会議,キューバ孤立化宣言を採択.域外国に対し対キューバ貿易,金融,運輸の規制をよびかける.非社会主義国のキューバむけ商船に対し燃料の補給を拒否.チリ,コロンビア,エクアドル,メキシコ,ウルグアイの5ヶ国は棄権.
67年10月
10.09 ゲバラ,ロドリゲスの尋問を受けた後,ボリビア軍の命令により処刑される(39才).詳細はボリビア年表に。
10.14 ベネズエラ中央大学で,ゲバラの死に抗議するデモ.
10.15 カストロ,「ゲバラの死は悲痛な事実である」とその死を確認.全国民に対し30日間の喪に服すことを呼びかける.
10.18 ハバナの革命広場でゲバラ追悼集会.百万の市民が結集.カストロは,「ゲバラの生涯をかけた闘いは,歴史の光栄ある1ページとして若者たちを励ますだろう」と演説.
10月 モスクワで次年度貿易協定に関する交渉.ソ連は・これまで毎年8%の割で増加してきた石油供給をこれ以上増加しないこと,・年間協定を三年度協定にしたいというキューバの要望には応じられない,と通告.
11月 ソ連でゲバラ日記発行.序文でゲバラの冒険主義をきびしく批判.キューバとの亀裂を深める.
12月 カストロ,賃金のノルマとの連動をやめ,個人の自営業,信用利子や税を廃止,農民への税金や砂糖キビへの税金を廃止するなど極左的方針をうちだす.
12月 旧PSP党員35名による反党グループ逮捕.
親ソ政策への転換 68年1月
1.02 カストロ,革命記念集会で石油の配給制への移行を発表.砂糖工場に代替燃料を開発するよう指示.
1.11 英国人ジャーナリスト(ピーター・デイビスとジョイ・サール)、ハバナで軍事施設の写真を撮ったとされ、逮捕・追放される。
1.12 カストロ,ハバナの国際文化会議で演説.「共産主義者は正義のたたかいを選ぶよりはソ連の指令にしたがうものであることを理解した.……彼らはチェのように死ぬことが絶対にできないだろうし,彼のように真の革命家になることも決してできない」「マルクス主義は成長する必要がある.そしてある種の関節硬直を脱し,客観的かつ科学的な方法によって,今日の現実を解釈する必要がある.独断ほど反マルクス的なものはない」
1.13 カストロ、チェ・ゲバラの遺骸の引渡しと交換に100人の政治犯を釈放する用意があると述べる。
1.18 ハバナで、反革命派への武器を投下した軽飛行機が撃墜される。操縦していた米国人エヴェレット・ジャクソンが逮捕される。
1.23 ラウルがPC中央委員会を召集。エスカランテらの分派活動について報告.「ソ連がキューバに対して経済制裁を適用し、キューバを従属国とするよう奨励した」とし、ホセ・マタール中央委員,ラモン・カルシネス中央委員ら9人の元PSP幹部をふくむ37名について、なんらかの法的措置をとるよう勧告.CRロドリゲスは証言のなかでソ連の「政策上の失敗」と「誤った国際政策」を非難.(エスカランテは64年帰国をゆるされ国内活動を続けていた)
1.25 マイアミで夜明け前に爆弾が爆発。反カストロ・グループ「キューバの力」(El Poder Cubano)が犯行声明。標的はキューバに商品を出荷していた二つの企業。
1.28 エスカランテは分派活動とソ連への通報容疑により「反逆罪」を適用され、15年の禁固重労働.ブラス・ロカ,ラサロ・ペーニャ,CRロドリゲスは中央委員会に残留.ソ連の召集する世界共産党会議への不参加も決定.
68年2月
2.03 ニューアークからマイアミに向かっていたイースタン航空の旅客機が乗っ取られる。飛行機は193人の乗客を乗せてハバナに向かう。
2月 南ベトナム解放民族戦線「テト攻勢」.ケサンの海兵隊基地を2ヶ月にわたり包囲,攻撃.ウェストモーランド司令官,52万の現兵力に加え,さらに20万の増派を要請.
2月 キューバが送り込んだ二重スパイ,ニコラス・シルガド・ロス(CIAの暗号名サファイア),フィリップスとの接触に成功.フィリップスがベシアーナのボス「モーリス・ビショップ」であることを突き止める.
2月 ブカレストで世界共産党協議会開催.キューバは代表を送らず.
68年3月
3.13 カストロ,大統領官邸襲撃事件記念集会で「大革命攻勢」開始を宣言する。農業生産へのマンパワー動員とともに,賃金体系の改革を実施,同一労働同一賃金の原則により熟練労働への評価はなくなる.労働時間は個人の良心によって定められることになり時間外手当も廃止.給料は国定となり砂糖キビ刈りの96ペソから最高裁判事の900ペソまでのあいだに集約される.同時に怠けもの追放作戦を奨励.ハバナを中心に消費財不足に対する不満がひろがっていることを認めつつ、言論引締めと批判的表現への抑圧を強める.カストロはこれを「キューバにおける文化大革命」と考える.
怠けもの追放作戦: ハバナ地区の955軒のバーをふくめた6452の私的ビジネス中,実に36%が革命政権の確立後生まれたものであること,街頭のカフェ,アイスクリーム屋,オムレツ・サンドイッチ売りなどの小商業が如何に巨利をあげ,まじめに生産にはげむ大衆の労働意欲を阻害しているか,如何に彼らが食料配給制の裏をかいて闇取り引きをおこなっているかを指弾.全国で靴屋や床屋など零細店舗を中心に,それまでのこっていた5万6千の私企業が接収される.
「明確に勝つ断固として,小売業と名の付くものはすべて排除するという提案をしなければならない.われわれがこの地で革命を起こしたのは街角で商売をする権利のためではない.貨幣の持つ魔力を取り除き,それを逆戻りさせないことが絶対に必要だ.事実われわれはその完全廃止を計画しているのだ」3.22 今年度のソ連との通商協定成立.ソ連は貿易の伸び率を前年までの23%から10%に減少させる。これは実質的には昨年比13%減となる。また同時に,これまでの累積債務3億3千万ルーブルに対する利子の支払いを要求.石油供給削減,武器の無償供与の停止,技術援助の中断を決定.
3.31 ジョンソン,北爆の一方的停止,次期大統領選不出馬を声明.ベトナムの戦闘,テト攻勢の後激化.マイアミのCIAエージェントはほとんどがベトナムに転出.
4.04 キング牧師,暗殺される.全国125の都市で黒人暴動発生.政府は対応に忙殺.6月にはロバートF.ケネディも暗殺される。
7.02 ゲバラ日記,ハバナで刊行.カストロは序文で「我々はチェの生き方を信じている」と述べる.
カストロの序文: マルクス主義者,共産主義者を自称する人の中には,チェを誤った冒険家とか,ラテンアメリカにおける武装革命闘争の終焉を告げる白鳥の歌だった,と評する人がいる.しかしそれは,彼らが戦いたくない,人民解放のために戦うつもりがないことを正当化する手段に過ぎない.彼らは人民の闘いを漫画化し,外国の搾取者との交渉の道具に,組織を変質させた.どんな時代でも,どんな状況でも,闘わないための口実はいくらでもある.しかし闘うことなしに,決して自由は勝ち取れない。
7.20 ボリビアのインティ・ペレド,グランマ誌に「われわれはふたたび山に戻る」とのアピールを発表.ゲバラの遺志を継いでゲリラ活動を継続する決意を表明。
68年8月
8.17 ホルヘリスケ労相,労働者の行動を点数化する労働証明書を発行すると声明.カストロによる全土の「アニマル・ファーム」化,頂点に達する.
8.20 チェコ事件発生.多くのLA諸国共産党がソ連を支持したのに対し,メキシコとドミニカの共産党は干渉反対の態度を示す.
8.23 カストロ,テレビに出演.事実上ソ連軍の侵攻を支持する演説.その後カストロ主義を大きくソ連よりに修正.背景に深刻な経済危機.
カストロのソ連支持演説: チェコの主権と国際法は疑いもなく犯された.率直に入って合法性はない.しかしわれわれはチェコへ軍隊を派遣せざるを得なかったという苦しい必要性を認める.この決断を下した社会主義国を非難するつもりはない.なぜなら,チェコが資本主義に向かい,資本主義の胸の中に入っていくのは,是が非でも阻止しなければならなかったからである。
…もしヤンキー帝国主義がわが国を攻撃した場合,そしてわれわれが派遣軍を要請した場合,ワルシャワ条約機構軍はキューバへ派遣されることになるだろう。68年9月
9.16 ボッシュら,マイアミ港のドックに係留中のポーランド貨物船Polanica号にバズーカ砲を発射.ボッシュは逮捕されるが、4年後の1972年に仮釈放される。
9.18 マイアミの商店街「リトル・ハバナ」で爆弾テロ.亡命者グループが犯行声明.キューバ侵攻の資金を失った亡命者は国内での親カストロ派へのテロを繰り返す.
9月 国家安全保障部,麻薬常習者となったエウヘニオ・アメヘイラス警察長官を解任.カストロはこれを機に「甘い生活」摘発作戦を開始,一連の粛清を断行.この過程でオリエンテ州党第一書記のアルマンド・アコスタも解任される.
10月 砂糖キビ採り入れに対する大衆動員開始.労働者,学生,子どもまでが休日返上で採り入れに入る.一方で軍に供給する石油すら枯渇するようになる.
11.15 ボッシュ,南フロリダの地方裁判所で有罪判決を受ける.
11月 キューバ,チェコ侵入の尖兵となった東ドイツと共同声明.あらゆる種類の修正主義とオポチュニズムに対するたたかいの重要性について合意.東欧問題に関する自主的観点を完全に放棄.
12月 ベネズエラ大統領にCOPEIのラファエル・カルデラが当選.カルデラはキューバとの国交回復の可能性を示唆.
68年 エルベルト・パディーリャの詩集「オフサイド」、クーバ作家芸術家協会賞を受賞。軍の機関紙「ベルデ・オリーボ」はこれを批判する論文を掲載。
1969年 1969年1月
1.02 革命十周年記念集会.石油に続き砂糖も配給制に移行.ソ連からキューバ担当のノヴィコフ副首相が出席.カストロはソ連を徹底的に礼賛しつつ,「キューバの農産物全体の生産高は向こう12年間に年率15%成長するだろう」とぶち上げる.そして「国民的目標として70年に1千万トンの砂糖収穫を実現しよう」と呼びかける.
1.09 ニクソン,大統領に就任.亡命者グループを重用,キューバ侵略作戦の推進を指示する.
3.4 キューバ,南ベトナム解放戦線とのあいだに国交樹立し,ジャングル内の解放区にテント張りの大使館を開設.
4 新貿易協定締結.キューバ側の条件はかつてない有利なものとなる.
4 カストロ,レーニン生誕記念日の演説.ソ連現政権を最大級の表現で評価する.
5.14 ソ連の艦隊,シエンフエゴスに入港.
6.5 モスクワで世界共産党会議.中国,北朝鮮,アルバニア,北ベトナム共産党は出席を拒否.日本共産党も出席を拒否.カストロ,共産党中央委員会の世界共産党会議への不参加決定を取消し,CRロドリゲスを派遣.ロドリゲスは「帝国主義と,反動と戦争の勢力に対して寄り広範な防禦を発展させるため,共産主義者の行動の統合が重要である.何処から来るものであろうと,ソ連国民に対する挑発や侵略がある場合には,ハバナはモスクワを支援する.キューバは永遠にソ連とともにある」と発言.周囲を驚かせる.
69年7月
7.10 カストロ,ペルーのベラスコ軍政を「この革命を推進したのが誰なのかはたいして重要ではない.この革命が発展し構造改革をもたらし,反帝革命として推進され,ペルー人民の利益を守るのであれば,われわれはいかなる偏見も抱かずこの革命を支持する」と評価する一方.キューバ路線の絶対化を自己批判.
7.22 攻撃型原子力潜水艦を含む7隻からなるソ連艦隊,キューバ親善訪問のためハバナに到着.司令官ステパン・ソコラン海軍少将主催のレセプションにはカストロ兄弟をはじめとする幹部が顔をそろえる.カストロはブラス・ロカを従え巡洋艦「グロズニイ号」を訪問.ソ連水兵の精神的優秀さと比類のない革命的素質を賞賛.以後ソ連海軍の定期寄港開始.シエンフエゴスに海軍基地としての機能集中.
7.26 カストロ,革命記念集会の当日,ソコランとともに砂糖キビ刈り込み作業に参加.水兵たちも砂糖キビ刈りのボランティアに参加.
8.25 ラスべガスからフィラデルフィアへ向かうTWAのボーイング727が乗っ取られる。80人の乗客と6人の乗務員を乗せた飛行機はハバナのホセ・マルティ空港に到着。
9.14 メキシコ大使館の報道担当員がCIAエージェントとして働いていたことが発覚.キューバはメキシコ政府に抗議.
69年10月
10.5 エドワルド・ゲラ・ヒメネス空軍中尉,ミグ17でマイアミ近くのホームステッド空軍基地に亡命.十年後に今度は米旅客機をハイジャックしてキューバに戻る.
10月 ソ連のグレチコ国防相,キューバを公式訪問.カストロ兄弟とともに砂糖キビ刈り入れ作業を行う.この年の末までにキューバの累積債務は40億ドルに拡大.さらに無償軍事援助は15億ドルにのぼる.
11.10 共和党選出のニューヨーク市長ネルソン・ロックフェラーを団長とするLA経済調査団,調査報告を発表.キューバ以外のLA諸国における多様な政治形態を容認する立場を明らかにする.
12月 米市民216人からなる「ベンセレーモス旅団」,砂糖キビの取り入れ支援のためキューバ入り.ベトナムからも砂糖キビ連帯の戦士が到着.
1970年 1970年1月
1 キューバ,ソ連の圧力を受けベネズエラFALNへの援助を中止.キューバの方針転換をめぐりFALNで内部分裂,ブラボ,フランシスコ・プラダら主流派はキューバの路線転換への批判を開始.ブラボ,「カストロ主義者たちは国内経済強化に熱中し,ソ連と妥協して以来,中南米の革命運動にたいする援助を完全に中止した」と非難.コロンビアのファビオ・カスターニョも「カストロは援助を一方的に打ち切った」と暴露し,キューバと決別.
2 キューバとソ連,LAの進歩的政府を支援し,それらの政府がキューバと復交するよう促進することで合意.キューバのLAに対する路線は大きくソ連よりに修正.
2 世界各地から砂糖キビとりいれに連帯するボランティアが到着.米国からは第二陣として687人が到着.
3.20 詩人エベルト・パディリャ,治安当局に逮捕される.1ヶ月後に全面的な自己批判.
70年4月
4.04 ラウル国防相,2ヶ月にわたりソ連訪問.軍事力整備について協議.キューバ兵力は最大時の30万から23万まで縮小.戦力そのものはソ連の援助を受け飛躍的に強化.
4.17 アルファ66,キューバ東端バラコア近くのユムリにメノヨが組織した武装ゲリラ13人を侵攻させる.戦闘でキューバ兵4人が死亡,2人が重傷.侵攻兵4人も死亡,残る9名が逮捕.
4.23 カストロ,ソ連との友好強化の必要を強調.
4 ベネズエラFALNの指導者ダグラス・ブラボ,「キューバはすべての注意を経済発展に向け,反帝国主義闘争を弱体化させている」との公開状を発する.カストロはレーニン生誕百周年記念演説で「このようなえせ革命家,イカサマ師の攻撃には根拠がない」と応酬する.
70年5月
5.01 侵略者,ラスビリャスで砂糖倉庫を破壊.ビジョルド(Villoldo),50人の兵士とともに東部北岸の漁港サマを75分にわたり占拠.
5.10 アルファ66のラモン・オロスコ,仲間9名の救出のため,キューバ領海内でプラタフォルマ1号と4号の漁船二隻を沈没させ乗組員11名をバハマに連行.キューバ政府の抗議を受け,イギリス政府が乗組員を救出.
5.12 ソ連滞在中のラウル国防相,ブレジネフと会談.軍事的関係の強化で一致.
5.19 カストロ,砂糖収穫が史上最大の850万トンに達したものの、1千万トンの目標は達成できなかったことを認める.ただし対ソ輸出量は311万トンにとどまっていることから,この数字は統計操作の可能性あり.
5 政府,亡命希望者登録を停止.これまでに革命前医師総数7千のうち4千が亡命.ハバナ大学経済学部の2百人の教授のうち3名を除く全員が亡命.
6 キッシンジャー補佐官,ニクソン大統領に対し「ソ連はキューバの更なる軍事的使用をワシントンに慣れさせようとしており,注意を要する」と警告.
7.26 カストロ、砂糖生産額が最終的に850万トンにとどまり、計画が失敗したことを告げる。1千万トン目標達成できず,しわよせを受けた砂糖以外の産業では著しい生産減退.カストロは辞意を表明するが、大衆の抗議にあい撤回.
カストロ演説: グラン・サフラの失敗と産業多角化による増産計画の失敗は指導部の責任である。経済は危機状態にある。「自分は現実を知らない理想主義者であった.先輩社会主義諸国の経験の重要性が分かった」
8月04日 ソ連のユリ・ヴォロンツォフ特使,キッシンジャー補佐官と会見.キューバに関するケネディ=フルシチョフ了解の確認を求める.ニクソンとキッシンジャーは「再確認」を決定.
8.17 キッシンジャー,ヴォロンツォフと会見.了解事項が現在も有効であると伝える.
8月 「教育のための戦う母親旅団」が結成される。不足する労働力を補うため、女性の労働への参加を奨励。
70年9月
9.09 小規模なソ連の艦隊がシエンフエゴスに入港.船団には原潜支援用の特殊船舶もふくまれる.
9 ベシアーナ,チリでシュナイダー暗殺事件(トラック2作戦)に関わる.
9.16 U2機の偵察によりシエンフエゴスに地下潜水艦基地が拡張中であることが明らかになる.キッシンジャーはドブルイニン大使を呼び,ポラリス型原潜を送り込むことに対し警告を発する.NSCは基地の爆破,海上封鎖の再現などを検討するが,再選を前にしたニクソンは決断を保留.
9.25 ニューヨーク・タイムズ,「シエンフエゴスにソ連の潜水艦基地が建設されかけている可能性」について報道.
10.06 ドブルイニン大使,キッシンジャーを訪ね,シエンフエゴスの「原潜基地」疑惑について釈明.「ソ連政府は現在も62年のケネディ=フルシチョフ了解を遵守している」と述べる.
10.09 キッシンジャー,ドブルイニンに公式メッセージを手交.“了解”に対する違反行為として5つを例示.「米国としては“了解”には潜水艦基地の建設許可は含まれていないと理解する」と述べる.ドブルイニンは,この問題はまもなく解決するだろうと示唆する.
10.23 ドブルイニン,キッシンジャーと会談.ソ連はキューバ国内に軍事基地を保有せず,今後も“了解”を破るつもりはないと通告.キューバともその方向で外交努力中であると発言.「第二のミサイル危機」は回避される.
70年11月
11.3 アジェンデ大統領の就任式にドルティコスを団長とする代表団派遣.
11.10 チリ,キューバと国交回復.OASのキューバ封じ込めに風穴が開く.
12 ソ連とのあいだに経済科学技術協力委員会の設置で合意.翌年には経済・技術協力協定調印に漕ぎ着ける.
1971年 71年1月
1.4 ニクソン,シエンフエゴスの潜水艦基地は防衛的なものであり,62年のミサイル協定に反せず,米国の脅威とはならないと表明.ただし原潜が利用すればそれは協定違反となると注釈.
71年2月
2.24 米国沿岸警備隊,メキシコ湾で操業中のキューバ漁船4隻を領海侵犯の疑いで逮捕.キューバは公海上であったと抗議.沿岸警備隊は5月にも同様の行為を繰り返す.
2.25 ニクソン,外交教書で「チリの国交回復措置は米州秩序に対する重大な挑戦であり,今後のチリ外交を注意深く見守る」と表明.
3.2 だ捕された漁船の乗組員,釈放され帰国.尋問時に亡命を勧められたと証言.
3.20 68年にキューバ作家芸術家協会賞を受賞した詩人エベルト・パディージャ,反革命の疑いで逮捕される。サルトルやバルガス・リョサはカストロに手紙を出し、再考を要請。
4月 第一回全国教育・文化会議が開催される.カストロが演説。@文化教育活動におけるイデオロギー的政治的要素を重視すること。A文学作品よりも教科書の発行に重点を置くこと。B文化的帝国主義を一掃するため、文化に対する外国の影響を排除することを訴える。また「えせブルジョア・インテリ」を激しく攻撃し、サルトルらの要請を拒否。
5月初め パディーリャ、37日間にわたる拘束の後、自己批判し釈放される。
5.20 サルトルは「自己批判はスターリン時代を髣髴とさせる」という書簡をカストロに送る。カストロは「自己批判を拷問のためだと主張する哀れな分子」と反論。その後サルトルはキューバ革命に距離をおく。
6 キューバ航空,チリとのあいだに定期航路開設.
7.12 グアンタナモ州で列車転覆.死者4人負傷者17人を出す.マイアミの亡命者グループが犯行声明.
9 ホワイトハウスの「鉛管工」グループのメンバーであるハワード・ハント(CIA)とゴードン・リディー(FBI),エルズバーグ事件の漏洩元を調査するためエルズバーグのかかりつけの精神科医のオフィスに侵入.実行犯はピッグス湾参加者のフェリペ・デ・ディエゴ,CIAの航海士として350回以上もキューバに侵入したエウヘニオ・マルティネス,バーナード・バーカーからなるチーム.
71年10月
10.11 ペルーのベラスコ大統領,リマで開かれる発展途上77ヶ国グループ会議にキューバを招待.
10.12 米国領内から高速艇と大型舟艇が襲来.オリエンテ州の漁村ボカ・デ・サマを夜襲.民兵2人を射殺,少女を含む数人が重傷.1週後,ニューヨークにおいて犯行を声明.
11.10 カストロ,専用ジェット機でチリを公式訪問.各地でアジェンデ支持を訴え,10日間の予定が三週間に延びる.ベシアーナとヘミングス,記者会見の席上でカメラを偽装した拳銃でカストロを暗殺する計画.射殺犯は革命を裏切ったカストロを糾弾するビラをまき,その場で射殺される筋書き.
11.18 カストロ,コンセプシオン大学で講演.学生の質問に答え,如何にして自分が共産主義者となったかを語る.また別の講演ではゲバラについて語る。
71年12月
12.3カストロ,歓送集会で発言.「ファシズムが姿をみせたら,われわれの革命精神を武装しよう」「精神が武装されたときには人民は強い」.アジェンデ「わたしがモネダ宮を去るのは,かれらが私を弾丸で蜂の巣にしたときだけである」と発言.
12.4 カストロ,チリからの帰途,リマ空港でベラスコ大統領と,キトでイバルラ大統領とそれぞれ短時間の会見.
12.5 反革命ゲリラの送りこみにあたっていたCIAの海賊船「ライラ・エキスプレス」号,キューバ海軍によりだ捕.15日には同じく「ジョニー・エキスプレス」号もだ捕.米国は即時釈放を要求し,特別警戒体制に入る.
12月 経済戦略の再検討が行われる.物質的インセンティブの承認,会計検査システムの復活など.
1972年 72年4月
4 サンチアゴでUNCTAD総会.キューバ代表のラウル・ロア外相は「低開発国の対外債務は600億ドルにのぼり,年利のみで50億ドルを払わなくてはならなくなっている」とし債務国の結を団呼びかける.
4 モントリオールのキューバ貿易事務所でダイナマイトが爆発,事務員1名が犠牲となる.
5.03 カストロ,10カ国歴訪2カ月の旅に出る.最初の訪問国となったアフリカ諸国は、あいついでキューバを承認.その後東欧6カ国を歴訪.
5.24 元学生運動指導者ペドロ・ルイス・ボイテル,53日間のハンストのあと衰弱死.
6 ペルー,キューバと国交樹立.
6.25 カストロ,アフリカ・東欧諸国歴訪の後ソ連に再び入る.モスクワ空港にはブレジネフ,コスイギン,ポドゴルヌイの三巨頭が出迎え.
7.11 カストロ,63日間にわたる外遊から帰る.帰国後コメコンへの加入を発表.さらにソ連への傾斜を強める.マタンサスに15万トン級のタンカーが入る港が建設される.200キロ南方のシエンフエゴスの石油精製所までパイプラインがつながる.
10.10 2隻の武装船,キューバ漁船を襲い爆破.13日ヘリコプターがボートで漂流中の乗員を発見救助.
72年11月
11.7 ニクソン,マクガバンを破り大統領に再選.
11.19 キューバ,ハイジャックに関する米国からの公式会談の申入れを受諾.
11月 ソ連方式による政治機構改革実施.政府と党の役割を区分し行政能率を上げる.ラウルが第一副首相となり,その下に7人の副首相が置かれる.砂糖相場の好調も手伝い,キューバは年9%の経済成長を達成.
11月 ジャマイカ人民国家党勝利.マンリー政権誕生.非同盟路線をとりキューバとも接近.
72年12月
12.09 アジェンデ・チリ大統領,各国歴訪の帰途キューバ訪問.
12.8 ガイアナ,ジャマイカ,トリニダード・トバコ,バルバドスの旧英領4ヵ国,キューバとの国交樹立.
12.13 カストロ,米国との交渉はハイジャック関連のみとすると声明.
12.14 カストロとアジェンデ・チリ大統領,外国の搾取に反対する国際的な統一行動を呼びかける共同声明.
12.18 カストロとC.R.ロドリゲス,ソ連結成50周年記念式典と第23回党大会出席のため,ソ連を訪問.
12.26 マナグア大地震.キューバの医療チームがマナグアに派遣され,献身的活躍により被災者に深い感銘を与える.
12.23 カストロ,モスクワでソ連・キューバ経済科学技術協力協定に調印.
12.29 訪ソ中のカストロ,対ソ債務40億ドルの返済を今後13年間凍結し,利息を帳消しにすることで合意をとりつける.さらにキューバ経済活性化のため約3億7千万ドルの信用が新たに供与される.今後7年間キューバ砂糖とニッケルを,世界市場価格を上回る価格でソ連が買い取ることでも合意.カストロはソ連を「きわめて寛大で非利己的で兄弟愛を持った真の友人」とほめたたえる.
72 キューバ軍,南イエーメン政府の要請を受け出兵.
72 キューバとの学術・文化の交流を図る米国民間人団体「キューバ研究センター」が,ニュ−ヨークで設立される.
72年 仮釈放となったボッシュ,あらたに革命組織連合コマンド(CORU)を結成する.CORUはマイアミ,ニューヨーク、ベネズエラ、パナマ、メキシコ、アルゼンチンなどでの多数の爆破事件で犯行を認めている.
1973年 2.15 キューバと米国とのあいだに「航空機,船舶等乗っ取りに関する了解事項覚書(ハイジャック防止協定)」調印.これ以降ハイジャックはほぼ消滅.
3.03 公衆衛生省,キューバの幼児死亡率がLA諸国中最低になったと発表.
3バングラデシュと国交樹立
3 ニューヨークのキューバ研究センターで爆弾が爆発.
4.06 イースタン航空8894便,マイアミ国際空港に最後の亡命者84人を運ぶ.65年以後,3,049便が26万の人を運ぶ.この年末までに米国に亡命したキューバ人は,中〜上流階層を中心に60万人に達する.これはキューバ総人口の1割にあたる.
4 キトのECLA総会に出席したC.R.ロドリゲス,この20年間米国の援助はLAからの利益の流出額以下であり,LAに債務と従属構造を残しただけと非難.
4 キッシンジャー,ハイジャック防止協定にもとづき,キューバ人亡命者をビザなしで入国許可する執行命令.
5.28 アルゼンチンでカンポラが大統領に就任.民政移管.新政権は就任式に参加したドルティコスとのあいだで国交回復に合意.
6.21 チリのキューバ通商部にダイナマイトが投げこまれる.
7 アルファ66の創立以来の幹部アントニオ・ベシアナ,コカイン密輸への関与を問われDEAにより逮捕.懲役7年の判決.
7.26 カストロ,「LA人民が救われるには,米帝国主義のクビキを断ち切って革命を起こし,ともに団結する以外にない」と演説.
8.06 バチスタ,亡命先のスペインで死亡.
9.02 カストロ,2週間にわたりガイアナ・アルジェリア・イラク・インド・北ベトナムを歴訪.
9.05 アルジェリアで第4回非同盟諸国首脳会議.キューバは15ヶ国からなる調整委員国に選出される.キューバは一貫してソ連の弁護人として発言.カストロは「二つの帝国主義という考えはソ連についての見方の誤りであり,米帝国主義の免罪につながる」と批判.カストロとシアヌークが会議場にて激論.
9.12 カストロ,ハノイを訪問.中ソの緊張の高まりを前に社会主義国の連帯を再強化するよう訴える共同声明を発表.ハノイに滞在中チリのクーデターを知る.
10.2 米当局,パナマ運河を通行しようとしたキューバ船イミーアス号を拘留.軍艦が取り囲む.パナマ政府は国際運河の原則に反すると米当局を非難.
10.4 キューバの漁船カヨ・ラルゴ17号と34号,テロリストの乗った武装船に襲撃される.乗組員一人が殺され,残りの船員は水や食料なしのゴムボートに遺棄される.キューバ軍のヘリが翌日,ゴムボートで漂流中の乗員を発見救出.
10 中東戦争(Yom Kippur戦争)開始キューバ,シリアに戦車の操縦士500名を派遣.
10 革命防衛委員会(CDR),創立13周年を祝う.『グランマ』紙によれば組織人員は500万に達する.
11.13 パナマの米当局,6週間ぶりにイミーアス号を釈放.
11.15 キューバ労働総連合が第13回大会を開催。効率改善の努力をする中で賃金と生産性を結合しようとの合意。
11 WHO,キューバをマラリア消滅国として承認.
1974年 1.01 ラウル,革命記念日の演説.革命が70年以降新しい段階に入っていると演説.「経済活動,国内の発展,社会を指導するためのすべての機構の改革」が可能となり,また必要となった.このような「制度化の全過程と経済的,社会的活動全般の発展が最も重要なものとなるだろう」
1.20 メキシコ市のキューバ大使館に強力爆弾.建物は半壊.この後リマ,ジャマイカのキングストン,マドリード,ロンドン,メキシコのメリダ,パリなどの大使館であいついで爆弾騒ぎ.
1.28 ブレジネフ,ソ連共産党書記長としてはじめてキューバ訪問.グロムイコ外相も同伴し1週間にわたり滞在.
2.02 ブレジネフとカストロ,経済封鎖中止を要求する共同宣言発表.ソ連が第三世界に与えた経済・軍事援助総額の半分をキューバが占めることになる.中国,ソ連の膨張主義を非難.
2.05 ラウル国防相,ブレジネフに同行しソ連を訪問.
3.28 ベトナムのファンバンドン首相,キューバを訪問.ふたたび社会主義国の団結を訴える共同声明.
3 ザイール軍,FNLAを支持してアンゴラ内戦に直接介入.背景に米国の支持.
6.30 マタンサス州で「人民権力」の代表を選ぶ最初の選挙.投票率は94%に達する.4712名が立候補し,1079名が当選.
6 中国,FNLAに武器供与と軍事顧問の派遣を決定.
6月 CORU,リマ、マドリード、オタワ、ブエノスアイレスのキューバ大使館に小包爆弾を送る。
74年7月
7.02 カストロ,「封鎖解除を話し合うのならキッシンジャー国務長官と会談する用意がある」と発言.
7.05 カストロとフルブライト米上院外交委員長とのあいだに書簡交換.
7.6 メキシコのエチェベリア大統領,キューバを訪問.キューバの教育,農漁業における成果を賞賛.「不公正な対キューバ禁輸政策はやめなければならない」と発言.
7.10 米財務省,研究者や報道関係者に限りキューバ旅行の制限を部分緩和.
7.18 平和部隊の前LA担当官マンキビッツら,カストロと会談.一部はマスメディアに流される.
7.26 カストロ,ウォーターゲイト事件に関連して「キューバ孤立化政策は次第に過去のものとなりつつある.かつて「キューバの民主主義」のために養成された傭兵たちが,いまや米国の民主主義を掘り崩すために重宝されているとは皮肉なことだ」と演説.
7 米国,ザイールを通じてFNLAへの武器援助を開始.
8.09 ニクソン辞任.フォードが大統領に就任.
8.22 パナマ,キューバと国交回復.
8.29 メキシコのラバサ外相,ワシントンを訪問.フォード米大統領・キッシンジャー米国務長官と会談.米・キューバ間の国交回復に向け仲介を申入れ.
9.11 エドワルド・アロセナ(通称オマール),崩壊した「アルファ66」に代わるテロ組織として「オメガ7」を結成.
9.26 U2に代わる偵察機SR71ブラックバード,キューバ上空のスパイ飛行を開始.
9.28 共和党のジェイコブ・ジャビッツと民主党のクレイボーン・ペル上院議員,対キューバ政策検討のためハバナ入り.カストロなどキューバ政府首脳と会談.国交断絶以来キューバを訪れた最初の国会議員となる。
10.01 二人の上院議員が記者会見.両国間の関係を改善する時期が来たようだとし,予備会談の開始を提唱.
10.21 カストロ,米テレビに出演.関係改善への意欲を示す.
10.21 フォード米大統領,メキシコを訪問しエチェベリア大統領と会談.キューバ政策変更なしと言明.
10 新憲法の起草委員会が発足.ブラス・ロカ政治局員が委員長に就任.
11 両国間の関係改善をめぐり,年余にわたる米国との秘密交渉開始.国務省のウィリアム・ロジャース国務次官,ローレンス・イーグルバーガー国務省顧問が,ワシントンとニューヨークでキューバ側と非公式に接触.
11.24 キューバも加えたLAカリブ砂糖輸出国グループ結成.
12.29 ベネズエラとのあいだに国交回復.
12.30 ニカラグアのFSLNコマンド,パーティー襲撃に成功.釈放されたD.オルテガらとともにハバナ入り.
12月 マタンサス州で「人民権力」の実験開始。
12月 カストロ、「革命後15年たったが、依然女性の権利は、我々が政治的・文化的に遅れをとっている分野である」と自己批判。共産党における女性の比率は12.7%にとどまる。
国際政治への復帰の時代 75年1月
1.04 フォード大統領,米国内におけるCIAのスパイ活動を調査する特別陪審員を選任.さらにネルソン・ロックフェラー副大統領を長とする調査団に,CIAのカストロを含む外国首脳暗殺計画を調査するよう命じる.調査委員にはレーガン前カリフォルニア州知事,ディロン前財務長官,レムニッツァーNATO総司令官など8人.
1.15 ポルトガルのアルボールでアンゴラ三派の停戦会議.10月の選挙と11月の独立に向け三派が協力することで合意.米国務省はFNLAのキャンペーンに30万ドルの援助を行うことを決定.アンゴラ内政に干渉の構え.キンシャサの支局長はFNLAのホールデン・ロベルトにアンゴラ侵攻を指示.
1.18 西ドイツ,キューバとの国交を回復.
1.27 米上院,超党派の特別情報委員会を設置.フランク・チャーチが委員長に就任.CIA,FBIをはじめとする公的情報機関の国内外における活動全般を調査することを目的とする.民主党のゲイリー・ハート,モンデール,共和党のハワード・ベイカー,ゴールドウォーター,ジョン・タワーなど両党の大物議員が名を列ねる.
1.28 国連のLA諸国グループ会議,議長国ジャマイカの発議でキューバを会議に招請.OAS理事会も対キューバ交流について「行動の自由」を認める.
1 中南米諸国,LA経済機構(SELA)設立で合意.キューバも含めた統合実現.設立総会は11月.
2.01 オメガ7,国連のベネズエラ代表部に爆弾攻撃.
2.09 エドワードM.ケネディ上院議員、メキシコのTVのインタビューに答え、「キューバ孤立化政策は、当初の理由が何であったにせよ、現在それは無効であり誤りである。米政府は制裁をやめキューバとの関係を正常化すべきだ」と語る。
2.11 亡命キューバ人指導者ルシアノ・ニエベス,マイアミ市内で暗殺.ニエベスは米国のキューバとの対話政策に賛成していた。マイアミ市当局によれば、キューバ系テロリストは20名程度とされる。
75年3月
3.01 マイアミ市長のモーリスA.フェレ、エドワードH.レビ司法長官に警察の支援を要請。フェレは「キューバ人亡命者社会が政治的動機による暴力的傾向を強めている」と指摘。ルチアーノ・ニエベスの暗殺とダニアのテレビ局「WKID」の爆破事件を取り上げる。
3.04 マイアミのピッグス湾参加者協会前議長フアン・ホセ・ペルエロ,エドワード・ケネディを批判。「ピッグス湾を敗北に追いやったのは彼の兄である.亡命キューバ人の中には暴力的なものも大勢いる」とどう喝.
3.6 キューバとコロンビア,外交関係を復活.
3.07 「タイム」誌,CIAがマフィアと組みカストロの暗殺を計画と報道.
3.17 非同盟運動調整会議,ハバナで開催.カストロはあいさつの中で「産油国は利益を先進国に投資するのではなく,低開発国への援助に用いるべきである」と発言.
4.30 ベトナム軍,サイゴン奪取.ベトナム戦争終結.
4.10 新憲法草案が完成.「グランマ」紙に掲載.党を始め軍,労組,青年・婦人団体などに数百万部が手渡され大衆討議が開始される.
75年5月
5.29 ロバート・メイヒューとシェフィールド・エドワーズ,チャーチ委員会でCIAのカストロ暗殺計画について証言.ランスデール退役少将は,初めてマングース作戦の存在を明らかにする.
5.30 ランスデール,AP通信との電話インタビュー.「62年当時,仲介者を通して届けられたジョン・F・ケネディ大統領からの命令により,暗殺を含むどんな手段ででもフィデル・カストロを取り除くという計画を開発し始めた」と述べる.
5.30 カーター政権とキューバ政府,利益代表部の相互設置で合意.
5 MPLAのネト議長,キューバ軍のフラビオ・ブラボ司令官と会談.軍事顧問230人を秘密裏に派遣することで合意.
5 ビンガム下院議員,キューバ禁輸の停止案を提出.フォードはOASの制裁措置が終了するまで行動を起こすべきでないと提案を拒否.マクガバン前大統領候補,キューバを訪れカストロと会見.帰国後,禁輸の停止を主張.
75年6月 明らかになったカストロ暗殺計画
6.13 ヘルムズ,上院情報委員会で証言.マングース作戦に一致して,「カストロを取り除くこと,あるいは殺害することが,当時なすべきことのひとつとして了解されていた」と述べる.
6.19 サム・ジアンカーナ,チャーチ委員会での証言を数日後に控え,自宅で射殺される.
6.24 CIA元副長官レイ・クラインは,アイクもケネディもカストロ暗殺計画を承認していたと発言.
6.24 ロセリ,チャーチ委員会でFBI証人として第1回目の証言.
6.25 フォード大統領,ロックフェラー調査団のレポートをチャーチ委員会に引き渡すことで合意.米国人女性マリー・ロレンツによるカストロ毒殺計画の他,精神錯乱剤や脱毛剤を用いた陰謀があいついで暴露される.
6 キッシンジャー国務長官,カストロとの直接折衝を指示.長官親書を携えた密使がカストロと会談.その後1年半の秘密交渉で利益代表部の相互設置を合意.
6 ハバナで第24回LA・カリブ共産党会議開催.史上最大の規模となる.「反帝,民族・民主,福祉・平和,社会主義を目指すLA宣言」を採択.「LA人民の闘いは,独立を目指す第二回目の,そして最終的な闘いとなるだろう」とする.カストロは「革命家は真っ先に暴力に訴えるべきでない」と武力革命路線を否定.また「ヤンキー帝国主義といちゃつく中国共産党の対外覇権主義を断固糾弾する」と中国を非難.
75年7月
7.03 『ワシントン・スター』,カストロ暗殺計画はケネディ元司法長官が指示と報道.
7.08 カストロ,みずからの知るかぎり,暗殺計画は50-80回あったと語る
7 ヘルムズ元長官,チャーチ委員会で証言.カストロ暗殺計画がケネディ大統領の指示に基づくものであったことを示唆する.マフィアとの関係については両者とも否定,後に偽証罪に問われる.カストロ暗殺計画については「カストロとその政権を排除するのが作戦の目的であり,そのための手段に制限はない」と開き直る.また63年10月にフィッツジェラルドをクベラと面会させたこと,その際政府の代表を装わせたこと,AMーLASH作戦の実行にあたってマコーン長官の裁可を得なかったことを認める.
7.29 OAS第16回特別外相会議,サンホセで開催.リオ条約改定議定書を採択.不干渉原則を確認し,すべての国が政治・経済体制を自由に選ぶことができるとし,反共同盟としての性格をあらためる.また「各国がおのおのの政策と国益に従いキューバとの国家関係を改変することを認める」対キューバ「行動の自由」決議を採択.集団制裁を解除する.米国も決議に賛成.キューバとの関係正常化に向け真剣な討議をする用意があると声明.ただし自国の経済封鎖は続行.
7.30 ジャック・アンダーソン記者,カストロが米上院にCIAの暗殺計画の記録を送付したとすっぱ抜く.
7 南ア軍,ナミビアを占領しアンゴラに圧力.FNLAとUNITAの両軍も米国の援助により増強.窮地に立ったMPLAはキューバに新たな支援を要求.
75年8月
8.06 ,商務省の輸出許可取得を条件に,海外米系子会社の対キューバ輸出を個別承認することとなる.ただし第三国で生産された非戦略物資であり,アメリカ原産の部品が20%以上含まれていないことを条件とする.
8.09 南ア軍とポルトガル人の傭兵部隊が国境沿いの水力発電所を防衛するという口実でアンゴラ南部に侵入.ソ連,MPLAに対する大規模な武器輸出を開始.ザンビア,ブラザビル・コンゴを通じて流す.武器の使用法についてはキューバ人軍事顧問230人が指導.
8.17 メキシコのエチェベリア大統領,キューバを訪問.
8.21 米国務省,対キューバ経済封鎖措置の一部解除を発表.フォード大統領は「米国企業が国外で生産した商品をキューバに向け輸出することの可否は,その国の政策により決定される」と述べる.これは、米国企業の外国の子会社がキューバと取引するのを認可したもの.カストロはただちに歓迎の意向を表明.
8.27 フィリピンのマルコス大統領特使としてキューバ訪問中のイメルダ夫人,61年以来断絶していたキューバとの国交再開協定に調印.
8.29 商務省,輸出管理規則を改正.キューバに寄航した船が米国内で燃料補給することを認める.
8 上院委員会報告でAMラッシュ計画の存在が明らかに.キューバはクベラをAMラッシュと同定.カストロ,キューバを訪れたマクガバン上院議員と会見.未然に摘発された暗殺計画が,これまで24件に達したと発言.
9.14 ラウル・カストロ国防相,メキシコ訪問.
9 ロジャーズ国務次官補,「米国にはキューバとの関係を改善し,対話を始める用意がある」と発言.
9 ブラザビル・コンゴのマリエン・ナグアビ大統領,キューバを訪問.MPLA支援について協議.コンゴ川河口の港ポアン・ノア(Pointe Noir)に大規模な軍事支援施設を建設することで合意.
75年10月 アンゴラ戦争本格化
10.07 UNITAの少年兵の部隊がアンゴラ中部ノバ・リスボアを攻撃.南ア軍事顧問16名も同行.ノバ・リスボア近郊で遭遇戦を展開.アンゴラ戦争の開始.
10.14 南ア政権,MPLA政権の成立を阻止するため直接参戦を宣言.キューバ軍はブラザビルの支援基地に大挙進出.
10.17 LA経済機構(SELA)発足.ベネズエラのペレス大統領がイニシアチブを取る。パナマで開かれた設立総会には、キューバをはじめ20ヶ国以上が参加.
10.23 南ア軍の装甲部隊,国境を突破しアンゴラ領内に侵入.サバンナ作戦開始.これに呼応してCIAが組織したアンゴラ民族解放戦線(FNLA)がザイールからアンゴラ北部に侵入.キューバは戦闘部隊3万5千の配備を開始.
10.31 ロランド・マスフェレル・ロハス、マイアミで車に仕掛けられた爆弾により暗殺される。
75年11月
11.03 ECLAの下部組織カリブ開発・協力委員会第1回総会,12ヶ国が参加してハバナで開催.
11.05 南ア軍,ナミビア国境から七百キロ侵入.電撃作戦により南部を席捲.FNLAは首都ルアンダ北方二五キロにまで迫る.MPLAのアゴスティーニョ・ネト議長,キューバに緊急軍事支援を要請.キューバはただちに対戦車砲を持つ1個大隊を派遣.1843年の奴隷蜂起で闘いに倒れた黒人女性の名をとりカロルタ作戦と名付ける.
11.11 MPLA,アンゴラ人民共和国の成立を宣言.キューバはただちに承認.FNLA,首都攻撃を開始.キファンゴンド基地のキューバ人部隊により撃退される.キッシンジャー,「キューバのアンゴラへの干渉は,米国・キューバ関係の正常化に重大な影響を与えるであろう」と述べる.
11.20 上院特別情報委員会(チャーチ委員会),CIAの外国人指導者暗殺計画についての347パージにのぼる中間報告を発表.60年からの5年間にすくなくとも8回のカストロ暗殺計画が立てられたことがあきらかとなる.同様にキューバのほかの要人にも暗殺が企てられていたことが発覚.
11 関係改善の交渉,アンゴラ問題が障害となり事実上決裂.フォード大統領は、カストロに“international outlaw”とラベルをつけた.そしてアンゴラにキューバの軍隊を送ることを「不当侵略行為」と非難した.しかしアンゴラの内戦で戦っている派閥のひとつを支援することがテロリズムなら,米国は同様に有罪だった.
75年12月 第1回共産党大会
12 キバラ南方のニア川にかかる「ブリッジ14」でMPLAとUNITAの最初の大規模な衝突.南アのズールー部隊がキューバ人部隊を撃破し橋を確保.キューバ軍は指揮官ラウル・ディアス大尉が死亡するなど重大な損失を蒙る.
12.14 ニューヨークタイムズ、「マイアミで亡命キューバ人への反感が強まる−懸念される反カストロ派テロリストとの関係」と題するジョージ・ヴォルスキ記者の記事を掲載。
ヴォルスキのレポート: 反キューバ人感情は、ここ数週間で明白になった。この10日に9つの強力な爆弾が爆発した。司法当局は一連のテロを反カストロ亡命者によるものと断定した。過去18ヶ月で100個の爆弾が爆発しているが、犯人は一人として捕らえられていない。
12.17 キューバ共産党第1回大会,代議員3千人を集め開催.ソ連のスースロフ,ハンガリーのカダル,ブルガリアのジューコフ,ベトナムのボー・グエン・ザップなど86カ国来賓が列席.カストロは,延べ11時間にわたり演説した.
第一回共産党大会におけるカストロ演説: まずキューバ革命の歴史を総括.過去の自主解放路線を自己批判し,ソ連・東欧型モデルを受け入れると演説.これとともに経済政策における極端な「精神的刺激」重視路線を是正.
40年憲法に代わる新憲法草案を下部討議に付すとともに,マタンサスで先行された「人民権力」(国会および地方議会にあたる)を全国規模で実現することを提唱.新綱領においてはキューバを社会主義国家と規定.「今後は共産主義国家への移行を目標に進む」とする.また共産党を「キューバ社会及び国家の上に立つ指導勢力」と規定.一党独裁体制を確立.プロレタリア国際主義を掲げ「社会主義と人民の民族的解放をめざす闘いの国際的必要性を,キューバの立場に優先させる」とうたう.12.19 米上院,アンゴラへの軍事介入を禁ずる決議を採択.
12.20 フォード大統領,ソ連・キューバのアンゴラら介入を非難.キューバのアンゴラ関与は,近い将来における国交回復の可能性を妨げていると警告.アンゴラ介入とプエルトリコ独立運動への支援を続けるなら,関係改善の努力を停止すると声明.
12.22 党大会成功を祝う大衆集会において,キューバ軍のアンゴラ参戦が発表される.その後十数年間の戦闘に延べ30万人が参加.
カストロのアンゴラ事態についての演説: アンゴラはアフリカのプラヤ・ヒロンである。我々はMPLAの指導するアンゴラが勝利すると確信し,英雄的な闘いに必要とされるすべての援助を惜しまない。われわれはラテン=アフリカ人の国である.プロレタリア国際主義なくしてキューバ革命は存在しえなかったし,それなしにはわれわれは革命的であることをやめなければならない。
12.31 ピッグス湾参加者のホセ・アントニオ・プラト,UNITAに参加してキューバ軍と闘うキューバ人亡命者を募集と声明.「アンゴラが終わり次第,この軍隊でカストロをやっつける」といきまく.
75年 ミグ23戦闘機,キューバへの配備を開始.
1976年 76年1月
1.10 トリホス,キューバを訪問.共同声明でキューバは運河地帯に対するパナマの主権回復のたたかいを支持.
1.17 キッシンジャー米国務長官,ベネズエラ・ペルー・ブラジル・コロンビア・コスタリカ・グアテマラ歴訪.ベネズエラのペレス大統領との会談では,キューバのアフリカ侵略を非難.
1.22 ピッグス湾参加者のロランド・オテロ,マイアミ市内における連続爆弾事件の犯人として指名手配.オテロは米国を逃れドミニカに亡命.いったん官憲に逮捕されるがバラゲール大統領の計らいで釈放されチリに向かう.
1.26 カナダのトリュドー首相,キューバを公式訪問.
1.27 グランマ紙,アンゴラへの派兵をはじめて公式確認.
1 共産党,機構改革を発表.中央委員会の上に11人からなる政治局,その上に9名からなる書記局という構成となる.第一書記にカストロ,第二書記にラウル.ドルティコスは大統領を辞任,引き続き政治局員にとどまる.
1 OAU,最右翼のナイジェリアもふくめMPLA支持を決議.中国はFNLA支援を中止.
76年2月 キューバ社会主義憲法
2.08 MPLA,キューバ軍の助けにより南ア軍に勝利したと発表.この時点で駐留キューバ軍は1万5千名に達する.
2月 作戦を実行したヨハネス・フォスター首相に対する,南ア国内の批判高まる.
2.15 共産党提案の新憲法,国民投票により承認される.「革命の制度化」が完成.
新憲法の柱: @社会主義国家の宣言:憲法前文ではキューバは「マルクス・レーニン主義を指針と」し,「労働者・農民,肉体および知的労働者からなる社会主義国家」であり,すべての権力が労働者人民に属すると規定される.A共産党の一党支配:第5条では,共産党は「社会および国家における最高の指導勢力であり,社会主義建設および共産主義社会への発展という目標への共通努力を組織立て,指導する」と規定,公式統治機構の中に包摂される.B宗教の制限:第54条では革命の原則に背く信仰の実践,宗教組織の創設を禁止する.Cカストロの至高権力:カストロはホセ・マルティの指導の下に「勝利を収めた革命」を実現したとし,終身指導者に位置づけられ,内閣評議会議長兼軍総司令官,共産党第一書記となる.
2.24 新憲法.正式に公布.「家族憲章」も公布される。
3.06 カストロ,ソ連・東欧諸国を歴訪.その後アンゴラに向かう.
3.08 フォード米大統領,キューバがアンゴラ介入を続けるかぎり復交の可能性はないと言明.
3.14 カストロ,ギニアでMPLAのネト議長と会談.キューバ軍の段階的撤退で合意.
3.18 米政府,キューバへの旅行を認可.滞在中100ドルまでの米ドル使用を許す.
76年4月
4.05 キッシンジャー国務長官,「米国はアンゴラにおけるキューバ派遣軍の存在を無期限に黙認することは出来ない.米国はこれ以上キューバの海外における軍事干渉を容認しない」と警告.カストロは,「革命は輸出できるものではない.それぞれの国の人民から発生すべきものである」と開き直り.
4.06 就業中の漁船フェロ119号と123号,快速艇の襲撃を受け甚大な被害.乗組員一人が死亡.
4.07 イラン,内政干渉を理由にキューバと断交.
4.22 リスボンのキューバ大使館に爆弾.建物は完全に破壊され,外交官二人が死亡,ほか数人が重傷を負う.
4.23 ロセリ,チャーチ委員会で第2回目の証言.カストロ暗殺計画について証言,ギャングとのコネクションを明らかにする.
4.30 マイアミのラジオ解説者エミリオ・ミリアン,右翼によるテロを批判した後,車にしかけられた爆弾で両足を失う.
4.30 カストロ,スウェーデンのパルメ首相に親書を送付.アンゴラから兵力を撤退中であり,1年以内に完了すると示唆.
5.03 カストロ,キューバの中南米諸国軍事介入を否定.
5.24 パルメ首相,キッシンジャー米国務長官にカストロの親書を手交
6.05 キューバの国連代表部が爆破される.
6.06 カストロ,アンゴラになお一部兵力が残留と言明.
7.09 ジャマイカのキングストン空港で,キューバ航空機への手荷物を載せたカートが爆発.
7.10 バルバドスのキューバ航空事務所で爆弾.この他サンホセ,パナマでキューバ航空に対するCORUの爆弾攻撃があいつぐ.
7.23 テロリストが,メリダ駐在領事の誘拐を図るが失敗.この襲撃で,キューバ人漁業技術者一人が死亡.
7.26 ネト・アンゴラ大統領を迎えモンカダ記念集会.カストロは当分のあいだアンゴラ駐留継続と演説.
8.7 カストロ暗殺計画のフィクサーとなったジョン・ロセリ,マイアミ北方のダムファウンドリング湾で,ドラム缶に詰められた射殺死体となって浮いているのを発見される.
8.09 ブエノスアイレス駐在のキューバ大使館員二人が誘拐される.二人は現在も消息不明のまま.
8.18 パナマのキューバ航空事務所に爆弾.コロンビアのキューバ大使館前でも車爆弾が爆発し,パナマ航空の事務所を破壊.CORUは一連の爆弾事件について犯行声明.「次は飛行中の航空機を爆破する」と予告.
8.23 フロリダでロランド・オテロに対する裁判.オテロはピッグス湾侵攻にあたりCIAから爆弾班として訓練を受けたと証言.
9.28 カストロ,砂糖価格の下落,世界的インフレ,交易条件の悪化,国際的経済危機の悪化などの理由により経済成長目標は達成しがたいことを明らかにする.
76年10月 キューバ航空機撃墜事件
10.01 ラウル国防相,モスクワでブレジネフ・ソ連共産党書記長と会談.
10.06 キューバ航空のDC-8機が,バルバドス空港を離陸10分後に上空で爆発.乗客など73人全員が死亡.犯人はトリニダードから乗り込み,トイレに爆弾をセットしたあとバルバドスで降り,米国大使館に駆け込む.
10.06 この飛行機は,ガイアナの首都ジョージタウンからトリニダード,バルバドス経由でハバナに向かっていた.乗客のうちキューバ人は57人.この中には中米選手権で金メダルを総なめにし,帰国途中のジュニア・フェンシング代表24人も含まれていた.
10.07 二人のベネズエラ人爆破犯,バルバドスからトリニダーに逃れるが,空港で現地警察により逮捕される.「革命組織連合共同委員会」(CORU)のオルランド・ボッシュとルイス・ポサダ・カリーレスの指示を受け,犯行へ参加したことを自白.
10.08 カラカスのキューバ大使館,放火により炎上.
10.14 CORUのオルランド・ボッシュとルイス・ポサダ・カリーリェス,キューバ航空爆破の容疑でベネズエラ籍の二人のCIAエージェントとともにベネズエラ官憲により逮捕.ポサダはペレス大統領の内相時代の補佐官でCIAエージェント.
10.15 サファイアからの情報でCIAの犯行であることを知ったカストロは,犠牲者追悼集会でサファイアの身分を明らかにするとともに,CIAの犯罪をきびしく糾弾.ハイジャック協定を破棄すると発表.キッシンジャーは爆破事件へのCIAの関与を全面的に否定.
10.20 トリニダーのエリック・ウィリアムズ首相,犯人の扱いをめぐり会議を召集.席上,CIAとの関係を示すノートの存在が明らかになる.その後の捜査で広範なテロリスト網が動いていたことが判明.のちに(1998)、ポサダはCANFに雇われていたことを認める.
76年11月
11.02 カーター,フォードを破り大統領に当選.
11.07 マドリードのキューバ航空支店で爆弾事件.
11.15 米下院暗殺問題特別委員会発足.ケネディ大統領と,キング牧師暗殺に関しての調査開始.
76年12月
12.02 新憲法にのっとり選出された「人民権力」の全国議会(国会)開催.常設会議として31名からなる国家評議会を選出.
12.03 カストロが国家評議会議長,ブラス・ロカが副議長兼全国議会議長に就任.カストロは革命軍最高司令官,党第一書記,国家評議会議長(国家元首),閣僚評議会議長(首相)を兼任することとなる.
12.03 カストロ,国会で演説.「米政府がキューバ政策を転換するよう期待するとともに,中国のチリとの国交維持を非難.
12.19 FBI,オルランド・ボッシュがチリ元外相レテリエル爆殺事件にも関与と断定.捜査官をベネズエラに派遣.
1977年 1977年1月
1.01 第1次経済発展5ヵ年計画スタート.年間成長率5%を目標とし、砂糖産業の近代化,ニッケル増産,砂糖以外の工業発展をめざす.制度的には国家統計委員会,財政委員会,国家か各委員会,国家技術・資源供給委員会,国家企画委員会,コンピュータ技術研究所が相次いで設立.銀行制度も改めて再構築される.
第一次5ヶ年計画: 「革命初期には農業生産に努力を集中する以外道がなかった.今日でも農業は重要である,しかし重点が置かれているのは工業化である」とし「工業化の過程をめざましく加速させる」ことを目標に掲げる.
五カ年計画の策定・実施過程の中で「効率を上げ,天然資源をより効果的に活用し,かつ政治・行政分野の幹部の経済意識を高めるための経済管理・計画制度」が順次確立される.1.24 米下院議員30人,カストロ宛て書簡でマトス釈放を訴える.
1.31 バンス国務長官,キューバとの国交正常化の意欲を表明.カーターは国交回復の条件として@国内における人権の尊重,Aアンゴラ撤兵,BLA諸国への干渉の停止を上げる.カストロはCBSとの会見で「カーターにその意志があれば喜んで会見する」と語る.
1月 第一次五ヶ年計画遂行のため、経済計算制度を柱とする「経済運営計画システム」(SDPE)が採用される。必要な費用を払った後の利益が企業の手元に残ることになる。また銀行からの借り入れ、企業間の直接取引きも認められ、余剰生産物も自由に販売できることとなる。ソ連の65年度の経済改革に習ったもの。
2.15 ロペス・ポルティーヨ・メキシコ大統領,カーター米大統領と会談.キューバ問題について,キューバとの仲介を言明.
2.16 カーター米大統領,キューバ,アンゴラ,ベトナムとの国交へ意欲示す.対キューバ復交に(1)アンゴラから撤兵(2)革命輸出の中止(3)人権抑圧停止の3条件提示.
2 キューバの国連代表部員ネストル・ガルシアと国務省キューバ問題担当官カルバー・グレイスティーンとのあいだに会談開始.
3.09 カーター米大統領,記者会見でキューバ・ベトナム・カンボジア・北朝鮮への米人の旅行制限を3月18日付で撤廃・5年以内に在韓米軍撤退の公約を実行と言明.
3.11 カストロ,アフリカ7ヵ国・東独・ソ連を歴訪.リビアでは対イスラエル宥和策をとるエジプトなどを非難するカダフィとの共同声明.
3.16 カストロ,アデンでエチオピアのメンギスツ議長,ソマリア大統領バーレと会談.カストロはエチオピア・ソマリア・南イエメン・アファルイッサの連邦案を提示したが,両国の拒否にあったといわれる.
3.19 カーター,米国市民のキューバ渡航制限を撤廃すると発表.米国市民がキューバ旅行中100ドルまでの商品を買うことも可能となる.偵察機によるキューバの空中査察も停止(人工衛星による観察が可能となったため).
3.23 カストロ,モザンビークを経てアンゴラを訪問.現地に1週間にわたり留まる.カストロはザイールのアンゴラへの干渉を非難するが,「ザイールに介入するつもりはない」と言明.この時点で海外駐留兵力は4万人にのぼる.
77年4月
4.05 サウスダコタ大学のバスケットボールチーム,同州選出のマクガバン上院議員の尽力により,革命後初のスポーツ交流としてキューバで友好試合.
4.07 ザイール政府、キューバが反乱を支援したとし断交.ラウル国防相は,ザイールの反乱に関して「キューバ兵はザイール侵攻に加わっていない」と言明.
4.08 アフリカ諸国歴訪のあとソ連を訪れたカストロ,アジア・アフリカ・ラテンアメリカ諸国人民の反帝闘争を支持する共同声明を発表.
4.13 ニューヨークタイムス,FBIがレテリエル暗殺事件の犯人としてCORUを取り調べ中と報道.
4.27 米=キューバ漁業協定調印.海上の境界線および漁業権に関する合意が成立.米国の2百カイリ経済水域宣言にともない,キューバ・フロリダ間の国境水域における漁業権の調整を図る.
4 プリオ・ソカラス,マイアミ・ビーチのアルトン・ロードの自宅で銃による自殺.
4 キューバ,軍事顧問200名をエチオピアに派遣.またカタンガ州における反乱を支持しザイールと断交.さらにコンゴ(ブラザビル),モザンビーク,ギネア,ギネアビサウ,赤道ギネアに部隊を駐屯.
77年5月
5.13 ボッシュ,NYタイムズと獄中会見.CORUが50件以上の爆弾テロ作戦を行ったと述べる.
5.25 米国務省、「キューバ軍事顧問のエチオピア派遣は両国間の関係改善を妨げる」と、キューバに対し警告。
5.30 ハバナとワシントンに両国の利益代表部を開設することで合意.
5 国交断絶後はじめて米国人の団体観光客をのせたカルラス・ラインの客船がハバナ入り.定期航空路の開設を企画したマッケイ国際航空のマイアミ支店に爆弾.同航空は計画を中止.カルラス・ラインも同様の理由で定期航路化を中止.
5 フランク・スタージス,FBIの調査に答え,「アフロキューバ委員会」でアンゴラ,ザイール兵の訓練にかかわっていることを明らかにする.
6.03 キューバ,カーターのもとめに応じ米国人囚人10名を釈放.囚人の多くは麻薬犯.
6.16 上院外交委員会,禁輸解除の提案を否決.
7.10 カストロ,キューバと敵対する国以外においては,その国の革命運動を支援することはないと言明.
7.18 ラウル,ソ連訪問.アンゴラ情勢などについての意見交換?
7 スタージス,英国内でアンゴラ政府打倒のための傭兵を募集.アンゴラにキューバの亡命政権を打ち立てる計画.
8.15 米連邦当局,マイアミのピッグス湾参加者ペドロ・ヒルを逮捕.舟艇3隻の他対戦車砲などの武器を押収.
8 キューバ,ピノス島に第三世界の中高生を教育する国際学校を開設.十数か国から1万人以上の学生を受入れる.
9.01 ワシントンのチェコ大使館内,ハバナのスイス大使館内に各々の利益代表部が設置される.
9.28 CDRの第1回全国大会.カストロはこの間の前進として・空中査察の停止,・漁業協定の調印,・旅行禁止の解除,・利益代表部の設置をあげ,同時に未解決の問題として@禁輸措置の継続,Aグアンタナモ基地の返還拒否をあげる.接収企業の補償問題については禁輸による被害と相殺するよう提案.
77年10月
10.5 米国経済人会議にキューバ通産相を招待.禁輸解除の方向で合意.
10.16 カストロ,ジャマイカ訪問.マンリー首相は「南アの人種差別主義者がアンゴラを占領しようとするならば,キューバが解放勢力を援助するのは当然」と演説.
10.24 ハバナで第3回全米法律家会議開催.米国をふくむ9ヶ国の代表が参加.
11.05 ソマリア政府、ソ連軍事顧問を追放しキューバと国交断絶。両国が対立するエチオピアに軍事顧問を送っていることに抗議するもの。
77年12月
12.01 リッチモンド米上院議員,カーター米大統領親書を携えキューバ訪問.
12.06 カストロ,アンゴラに真の和平が訪れるまでキューバ軍は撤退しないと言明.
12中旬 キューバ,「ソマリアからの侵略を受けたエチオピアからの要請を受け」戦闘部隊を派遣.1ヶ月の間に2万の兵を送り込む.
12.20 オメガ7,キューバに食料と衣料などの援助物資を送ったアルマセン・エン・エスパニョール社に対し爆弾攻撃.
12.22 米政府,国内在住キューバ人の本国家族への送金を,4半期ごとに500ドルまで認める.
12.24 第2回人民権力全国大会.カストロは米国が禁輸継続の理由としているアンゴラ派兵について語り,「米国はグアンタナモから撤退し,アジアの諸国やトルコから撤退するべき」と「お互い様論」で反論.
12.26 オメガ7,航空機爆破事件の犯人オルランド・ボッシュを拘留していることに抗議し,国連ベネズエラ代表部に爆弾攻撃.
1978年 78年1月
1.09 米財務省,米国内居住者がキューバ在住の親族に5百ドルを越えない範囲で送金することを許可.
1.16 キューバ国境警察と米沿岸警備隊,ハバナで会談.救助作戦の共同,麻薬犯罪とテロリストの取り締まりなどで合意.
1.21 国務省,1回限り,8万ドル以下の条件でキューバへの医薬品の販売を許可.
1 キューバ,エチオピアへ2万人を派兵.ミグ23戦闘機も配備.
2.01 ラウル国防相,ソ連訪問しブレジネフと会談.
2.24 ブレジンスキー米大統領補佐官,「アフリカの角」でソ連,キューバが介入を強化と非難.エチオピア派遣のキューバ兵は1万人を越えたと報告.
2.27 サイラス・バンス国務長官,アンゴラにキューバ兵が駐留する限り国交回復の見通しはないと声明.
3.01 ブレジンスキー米大統領補佐官,米ソ戦略兵器制限交渉(SALT)でソ連の譲歩を要求.ソ連・キューバのアフリカ軍事介入はSALTに影響と警告.
3.02 ソマリア軍がオガデン地方の領有を主張し侵入.カーター,ソ連とキューバがソマリアから撤退するよう呼びかける.
3.09 ソマリア,オガデン地方撤退を発表.カーター米大統領はこれを歓迎するとともに,ソ連・キューバのエチオピアからの撤収を呼びかける.
3.20 ハバナで両国漁業関係者の実務会議.
4.14 FBI,マイアミでオメガ7のメンバー二人を爆弾事件の犯人として逮捕.この二人はレテリエル事件にも関与.
4.22 フアン・アルメイダ国家評議会副議長,国連のナミビア問題特別委員会に出席のため米国入り.ヤング米国連大使とアフリカ問題,両国関係について協議.さらに事務レベルでの秘密協議が断続.
4月 国防相P.W. Botha,南アフリカの議会に「アンゴラ侵入は米国との共謀によるものであった.しかし彼らは我々を砂漠にとり残した」と証言.
5.25 ザイールのシャバ地方でカタンガ・ゲリラが蜂起.カーターはこの反乱にキューバ軍とMPLAが加担と非難.キューバ政府はこれを否定.カストロは米国の利益代表を官邸に招き,この反乱は遺憾であり停戦に向け努力すると表明.
5.27 カストロ,エチオピア臨時軍事評議会議長メンギスツに,エチオピア政権を支持するメッセージ
5米国利益代表部,ピッグス湾事件の際戦死した米国人CIA要員の遺体引き取りを非公式に提案.キューバ側は米国の遺体確認を求める.
78年6月
6.8 ターナーCIA長官,議会でカタンガにおけるキューバ軍の関与につき証言.
6.10 CBSテレビ,「シャバ州への反政府軍侵攻を阻止しようとしたが失敗」というカストロの米政府あての伝達を報道.カストロ,カタンガの反乱については米政府に事前に情報を提供していたと声明.カーターもこれを認める.
6.18 カストロ,三大テレビネットワークと会見.「カーターは過去20年間でわれわれに対しまともな対応をした唯一の大統領であり,われわれは再選を期待する」と表明.一方ブレジンスキー安全保障担当補佐官に対しては国際政治を知らず戦争をもてあそぶ無責任な人物とこきおろす.
6.27 カストロ,カーター米大統領との会談を希望すると表明.
6.28 人民権力全国会議,ピノス島を「青年の島」と改称.
6月 グレナダで第7回OAS総会開催.バンス国務長官,人権が守られない国へは援助を凍結すると演説.グアテマラ,エルサルバドルはこれに反発し,自ら援助を拒否.
7.04 アミン・ウガンダ大統領,「キューバ人はアフリカの英雄」と称賛.
7.26 サンチアゴでモンカダ記念集会.カストロは63年のアルジェリア出兵,73年のシリア出兵などの過去の派兵を引きながら,キューバの国際主義の伝統をうちだし,アフリカ出兵の正当性を主張.また中越戦争に関連して中国のアジア政策を非難.ベトナムへの援助の可能性も示唆する.
7.31 カストロ,グアンタナモ基地の撤去を求める.
7 数ヶ月の間に相次ぎ,キューバの国連代表団事務所,キューバ利益代表部,ソビエト代表部に爆弾が仕掛けられる.
8.01 連邦大陪審,レテリエル事件の判決.キューバ系米国人ノボ兄弟,アルビン・ロスらに有罪を宣告.またマイケル・バーノンほか3人のチリ情報局員を事件の主犯とし,最終責任者としてチリ秘密警察長官にたいし有罪宣告.チリ政府は犯人引き渡しを拒否.
8.31 国会を占拠し,政治犯の釈放に成功したニカラグアのFSLNゲリラ22人,ハバナに到着.
9.06 カストロ,海外のキューバ人との対話を提唱.これに応じた75の海外在住キューバ人組織が「75委員会」を結成.
9.09 ニューヨークの国連キューバ代表部に爆弾。
9.12 カストロ,昨年に引き続きエチオピア・リビア・アルジェリア歴訪.
9.13 国連のキューバ代表部,ニカラグアのソモサ大統領が国民を大量虐殺と非難する声明.
9.28 下院暗殺問題特別委員会,元ハバナのギャングの元締めトラフィカンテに証言させる.
9.28 フォスターに代わり,サバンナ作戦時の国防相ピーター・ボタが南ア首相に就任.アンゴラに対する不安定化政策を拡大,SWAPO制圧のためと称して,アンゴラに対し計11回にのぼる大規模侵攻作戦を展開.
10.5 オメガ7,キューバのボクシング選手の出場に抗議し,マジソン・スクエア・ガーデンに爆弾.
10.21 キューバ政府,政治犯46人とその家族のマイアミ行きを許可.
11.19 ソ連,キューバのMiG-23戦闘機は防衛用であり,攻撃機能を持たないとの事実を公式に確認.
11.30 ローランド・エヴァンス記者ら,「攻撃能力を持つミグ23戦闘爆撃機がキューバに配備」と報道.カーター大統領は「ソ連が62年合意を破るような兵器をキューバに持ち込んではいないと確約した.キューバに核兵器が存在する証拠はない」と言明.
12.9 キューバ政府と75委員会,ハバナで「対話」.カストロは政治犯3千名釈放の意向を表明.亡命,離散家族の再会,海外の親族と面会するための渡航の自由で合意.
12.29 オメガ7,オルケスタ・アラゴンのニューヨーク公演を中止させるためリンカーン・センターに爆弾.米政府は爆弾テロに対し法の力を最大限に発揮すると声明.実際には通常捜査以上のものは行われず.
1979年 79年1月
1.01 キューバ政府,海外在住の親族訪問を許可.1年間で1万人以上が渡航.
1.17 国務省,ミグ23のキューバ配備を確認.ミグ23には核兵器搭載能力はなく,62年のケネディ=フルシチョフ合意の侵犯にはあたらないと発表.
2.21 ラウルを団長とするキューバ軍事代表団,ソ連を公式友好訪問.
3.13 グレナダで無血革命.新宝石運動のモーリス・ビショップが政権につく.
3.24 マルミエルカ外相がエチオピアを訪問。アジスアベバで軍事政権と共同声明。米国務省はキューバ兵5千人がエチオピアに駐留と発表。
3.25 オメガ7,ニューヨークとニュージャージーで連続爆弾事件.当局はレテリエル事件の犯人で逃走中のビルヒリオ・パブロとホセ・ディオニシオ・サンチェスの犯行と見て追及.
3月 米下院暗殺問題特別委員会でボッシュが証言.1976の大型旅客機爆破に関して「暴力に対しては暴力で戦わなければならない。時に無実の人々を傷つけることを避けることができないとしても…」
4.14 グレナダとのあいだに国交樹立.
5.17 カストロ,メキシコ訪問.
5.18 オメガ7,ワシントンのキューバ利益代表部に爆弾.
5.18 カストロ、ハバナの米代表部と非公式に接触。ザイール参戦の事実はないと表明。
5.26 中国政府、「キューバはソ連の手先」と非難。
6.13 カストロ、カーターとの会談の用意があると表明。
6.19 テッド・ワイス下院議員(D-NY),禁輸解除と国交回復の法案を提出.
7.17 下院暗殺問題特別調査委員会,キューバはケネディ暗殺に関与せずとする最終報告を提出.
7.19 ニカラグアでサンディニスタ革命成立.
7.24 PLOのアラファト、モンカダ記念集会参加のためキューバを訪問。
7.25 非同盟諸国外相会議、キューバのアフリカ派兵をめぐり対立。最終的には、次期首脳会議を予定通りハバナで開催することで合意。
7.26 カストロ,モンカダ蜂起記念集会で演説.「ニカラグアは第二のキューバとならず,新生ニカラグアとなろう」と発言.翌日新政権と外交関係樹立.集会にはH.オルテガ,アルセ,ヌニェスの三派代表,フンタを代表してアッサン,ロベロが参加.ほかにサンディニスタ司令官26名が参加.
7.26 マイアミで75委員会メンバーの経営するパドロン・タバコ工場に爆弾.
8.27 キューバ政府,カストロ暗殺を図ったロランド・クベラスを始めとする政治囚4百人の釈放を発表.78年以来の累計は2千8百名に達する.
8.30 チャーチ上院外交委員長,ソ連の戦闘部隊(combat brigade)3千がキューバに駐留と発表.大問題となる.その後の調査でこの部隊は62年11月以来駐留しつづけており,62年合意の侵犯にはあたらないことが判明.
79年9月 ハバナで非同盟首脳会議
9.01 ハバナで第7回非同盟諸国首脳会議開催.チトー,アサド(シリア),フセイン国王(ヨルダン),フセイン大統領(イラク),ファン・バンドン(ベトナム),ラーマン(バングラ),マリク(インドネシア副首相),アラファト,ワルトハイムらが出席.94の政府代表を含む138ヶ国代表が結集.キューバはその後3年間議長国をつとめる.カストロは議長演説で米中両国を非難.会議の中立性をめぐり紛糾を呼ぶ.
9.07 カーター米大統領,ソ連戦闘部隊のキューバ駐留に対し「この現実は受け入れられない」と言明,即時撤収を求める.
9.13 カーター米大統領,キューバに対する禁輸措置の1年間延長を命令.
9.17 タイム誌,「ソ連のハバナ情報センター」として写真を掲載.この写真はのちに57年建設の旧ITT社のビルと判明.
9.19 バンス国務長官,キューバ駐留ソ連軍問題に関してドブルイニン駐米ソ連大使と会談.
9.25 カーター米大統領,ニューヨーク・クィーンズ大学での対話集会で,キューバを「ソ連のかいらい」と批判.
9.30 カストロ,「キューバに駐在するソ連部隊は軍事訓練のための要員であり,その性格はミサイル危機のとき以来変わっていない」と強調.
9 ネトMPLA議長死亡.ドスサントスが後継議長に就任.
79年10月
10.1 カーター大統領,キューバ軍が近隣諸国に対して行動することは認められないとし,フロリダにカリブ海共同戦略軍本部を設置すると声明.ソ連政府,駐留部隊はミサイル危機以来置かれてきた訓練部隊のみであると保証.
10.02 ジスカール・デスタン仏大統領,キューバを訪問.米ソSALT-II(第2次戦略兵器制限条約)の早期批准を要請する共同声明.またソ連部隊のキューバ駐留については「部隊の存在が戦略的均衡を危険に陥れる可能性はない」と表明.
10.11 カストロ,国連総会出席のためニューヨーク入り.1960年以来の訪米となる.
10.12 キューバ政府,マトスを釈放.その後マトスは,ニカラグア内戦でコントラ特殊作戦の指揮官に就任.
10.16 カーター米大統領,キューバ軍が海外に駐留する以上,同国承認の意思はないと言明.
10.17 グアンタナモに海兵隊千8百があらたに上陸.
10 カストロ,国連総会に出席.非同盟諸国会議の議長として二時間にわたり演説.
11.25 オメガ7,75委員会の指導者エウラリオ・ホセ・ネグリンをニュージャージーの自宅で暗殺.
11.01 1936年に制定された刑法に代わる新刑法が実施される。
11.06 キューバの教師ボランティアがニカラグアに派遣され識字運動に当たる。
11 ラウル,インフレ亢進による経済危機を認める.タバコの青枯れ病により27%が被害.砂糖キビにカビが付き,豚には流行病.米国の細菌爆弾によるとのうわさ流れる.
12.03 キューバ航空,ハバナ=ニューヨーク間に最初のチャーター便を運行しようとするが,爆弾脅迫にあい断念.
12.05 ピッグス湾で戦死したCIAパイロットの遺体が遺族に引き渡される.米政府はその後もパイロットがCIA要員であったことを否定しつづける.
12.07 「オメガ・セブン」がニューヨークのキューバ国連代表部の一部を爆破.
12.11 「オメガ・セブン」がニューヨークのソ連国連代表部を爆破.外交官ら6人が負傷.
12.17 カストロ,発展途上77ヵ国グループ閣僚会議で,OPEC諸国に第三世界への投資拡大を要求.
79 キューバ軍,ソマリアのオガデン進出に際しエチオピアからの要請を受け出兵.この頃,キューバ軍は正規軍15万人のほか内務省軍を抱え,ソ連製の近代兵器(ミグ23戦闘機,,MI24戦闘ヘリ,SA6対空ミサイル,T54およびT62戦車)などを擁するラテンアメリカ屈指の軍であった.6万を超える軍隊がアンゴラ,エチオピア,コンゴ,ニカラグアなど12カ国に派遣されていた.
1980年 80年1月
1.31 カストロ,イラン・アフガニスタンの事態に憂慮を表明,ソ連を暗に批判.
1 非能率を理由に9閣僚を含む多くの官僚を更迭.
2.16 武装集団,ハバナ係留中のリベリア航空機をハイジャック.フロリダでは英雄として歓迎される.カストロは,もし亡命者を英雄として歓迎したいのならカマリオカをふたたび開港してもよいと提案.
3.12 グレナダで新しい国際的な空港の建設が始まる。多くのキューバ人が建設に従事。
3.26 マルミエルカ外相,パキスタンを訪問しジアウル・ハク大統領と会談.「パキスタンとアフガニスタンの調停役となる用意がある」とするカストロ首相の親書を手交.
3月 「農民市場」で剰余農産物を自由価格で売買することが認められる。
3 新賃金体系が施行される.
80年4月 マリエリートス事件
4.01 キューバからの亡命を求める6人がハバナのペルー大使館にマイクロバスで突入.警備のキューバ人警官が車に轢かれ死亡.キューバ政府は犯人引き渡しをもとめるが大使館側は拒否.
4.04 キューバ政府はペルー大使館から警備員を引き上げ。これを機に市民1万人近くが大使館に殺到.
4.06 ペルー大使館,これ以上の難民流入を防ぐようキューバ政府に要請.キューバは周辺道路を閉鎖.
4.16 ペルー大使館の亡命希望者のうち5百人がコスタリカに到着.
4.18 グランマ紙,船で直接フロリダに行きたいものは自由に出国してよいと声明.
4.21 カーター,「自由をもとめるキューバ人を歓迎する」と発言.フロリダから亡命者を迎えるための小型船舶が,ハバナ西方30キロのマリエル港に入港し始める.
4.23 カーター政権,ビザなしにマリエル港に向かった船には千ドルの罰金を課すと声明.
4.23 レーガン,ブッシュと共和党大統領候補の指名争い.テレビ討論ではキューバ海上封鎖を主張.
4.30 米国,5月にカリブ海でグアンタナモ上陸作戦を中心とする大規模な軍事演習「堅固な盾(Solid Shield)80」を開始すると発表するが,国際世論の反対にあい中止.
80年5月
5.1 カストロ,メーデー集会で「堅固な盾」作戦の中止を歓迎.7日から予定していた「ヒロン19」作戦を中止すると声明.演説の中でカストロは軍の基本路線と機構を変更すると発表.「地方民兵隊」(MTF)を創設し,150万の国民を組織,「全人民戦争」の概念で国防を展開すると報告.「全人民戦争」とは武器を全国民に渡しゲリラ型の防衛戦争を想定したもの.全国的には内務省,各地方では共産党組織がMTFの指揮・運営にあたることとなった.この結果,軍隊の発言力は大幅に弱まる.集会にはニカラグアのD.オルテガ,グレナダのビショップ首相も参加.
5.2 米国亡命をもとめる前科者4百名がハバナの米利益代表部に逃げ込む.
5.04 マルミエルカ外相,イランを訪れバニサドル大統領と会談.非同盟諸国緊急会議開催で合意.
5.06 カーター,1万7千のキューバ人が流入したフロリダに非常事態宣言.キーウェストに国家警備隊を送り入国者同士の争いを平定.難民に対し最高1,000万ドルの財政援助を決定
5.14 カーター,キューバ政府に対し秩序正しい送還を要求.船舶による難民輸送を禁止.航空機による輸送に切り換えるよう提案.4万のキューバ人が殺到したことからハイチなど他国からの難民との扱いの不公平をめぐり議論が沸騰.キューバは禁輸措置を解除しない限り提案には応じられないと声明.
5.24 フロリダのエグリン空軍基地,アーカンサスのチャフィー基地に保護された難民,自由と待遇改善をもとめ暴動.地域住民は難民の懲罰をもとめ基地に押し掛ける.
6.01 カストロ,キューバ人の船舶によるアメリカ亡命禁止を命令.
6.07 カーター,キューバ国内で重罪を犯したものと,米国内で暴動を起こした者を送還すると発表.司法省に対し犯罪者の国外追放を指示.そのほとんどがアトランタ刑務所に収監される.カストロは「バチスタ時代の殺し屋や,CIAに雇われたテロリストを追放するのならわれわれは喜んで彼らを受入れ懲罰するだろう」と声明し,事実上送還受け入れを拒否.
6.13 ニカラグア政府,7月19日に革命1周年記念式典にカーターとカストロを招待したと発表.
7.9 ニュージャージー州警察,難民保護のために集められた資金がオメガ7に流れていると報告.
7.19 カストロ,革命1周年記念集会出席のためマナグア訪問.カーターは出席せずマクヘンリー米国連大使が代理出席.カストロとのあいだにキューバ断交後初めての閣僚級接触.またカストロとアラファトの会談も行われ,中東情勢について意見交換.ソモサのもとで法務長官をつとめたオルランド・ビリャルタ,ニューオリンズでカストロ暗殺の準備をするも果たせず.
7.26 カストロ,モンカダ27周年記念式典の演説で「いかなる覇権主義にも従属しない」と強調,暗にソ連への不快感示す.
8.03 カストロ,メキシコのポルティーリョ大統領と会談.グァンタナモ基地撤収,キューバ経済封鎖の解除を呼びかけた共同声明に調印.
8月 ローマ法王ヨハネ23世,カストロに関係修復を求める書簡.カストロはバチカン訪問を受諾するが結局実現せず.
80年9月
9.11 オメガ7,キューバ国連代表部の外交官フェリックス・ガルシア・ロドリゲスを,ニューヨークの街頭で白昼射殺.マスキー国務長官はこの事件を「許すべからざる行為」と強く非難.
9.15 ラウル,ソ連訪問.
9.15 連邦上訴審,レテリエル事件で有罪を宣告されたオメガ7の三被告に対し逆転判決.
9.16 マリエリトスによる米国機のハイジャックあいつぐ.キューバ政府,ハイジャッカーは裁判のため米国に送還すると警告.
9.17 グロムイコ外相,キューバを訪問.カストロと会談し関係修復を図る.
9.18 アルナルド・タマヨ,キューバ人初の宇宙飛行士となる.
9.23 キューバ,イラン・イラク戦争終結工作のためマルミエルカ外相を両国へ派遣.
9.26 キューバ,難民を空路によって輸送するというカーター提案を受諾.マリエル港から米国への出国を停止.これまでに12万5千人が出国.世界的な小説家レイナルド・アレナスも米国に亡命.マリエル港から出港したため「マリエリートス」と呼ばれる.内3千人は重罪歴があるか,精神障害者など「好ましからざる素質」を持った人間であった.
9.26 ベネズエラ軍事法廷,ボッシュらキューバ航空機爆破事件犯人を無罪放免.キューバはカラカスの大使館を閉鎖.
10.30 ジャマイカでシアガ政権成立.翌日キューバ大使の国外退去をもとめる通告.
11.4 レーガン,大統領に当選.「サンタフェ文書」に基づき,強硬な反共反キューバ政策.
11.13 米財務省,キューバ産ニッケルを含んでいるという理由で,フランスのクルーソー・ロアール社のステンレス鋼輸入を禁止.
11.30 マルミエルカ外相,非同盟諸国首脳会議議長国としてイラン・イラク戦争の調停工作を進める.テヘランでバニサドル大統領と会談.75年のアルジェ協定で合意された線まで相互に撤収するなど5項目の和平案を提示.
12.17 ハバナで共産党第2回大会,140の海外党代表を含む5千人の出席の下開催.「技術的な問題はあるが、新体制は順調に推移している」と評価。砂糖国際価格の低迷や病害により達成できなかった第一次5ヶ年計画を総括し,経済効率化をよりいっそう推進する第二次5ヶ年計画を採択.
第二次五ヶ年計画: 公共部門より個人消費部門の向上を優先し,自由市場を開始するなど民間主導による経済刺激を狙う。小規模な個人企業の設立が認められる。水道や住宅の修繕、靴の修理、洋服の仕立てなどの商店が復活。また労働の量と質に応じた賃金体系が発足。熟練者や技術者、管理者が優遇されることとなる。
12.20 キューバ共産党大会、人事を発表。フィデルの第一書記,ラウルの第二書記は変わらず.政治局員を13人から16人へ増員.ロカとロドリゲスは書記局を退任.イシドロ・マルミエルカは外相に転出.
12.22 不良マリエリートスの本国送還に関する両国間の第1回会談.その後数回にわたる.
1980年 前年からかけて,各地で出血性結膜炎,出血性デング熱が流行.サトウキビの赤さび病,タバコ青ゴケ病も拡大.デング熱では158人が死亡,うち101人は子供だった.
1980年 SPDE導入企業が全企業の95%に達する。