キューバ年表その(6)
 

1981年  1982年   1983年    1984年   1985年   1986年   1987年   

1988年   1989年   1990年  1991年   1992年   1993年   1994年   94年7月

 

1981年

81年1月

1.20 レーガン,大統領に就任.キューバはレーガン就任に対抗して,総人員50万人の民兵組織「国土防衛隊」を創設.米国の直接侵攻,海上封鎖もありうるとし,「ゼロ・オプション」の準備に入る.

1 ホルヘ・マス・カノーサを指導者とするキューバ人亡命者グループ,キューバ系アメリカ人全国基金(CANF)を結成.レーガン政権に大きな影響を持つロビー団体となる.

2.11 米政府,米企業と不正な取り引きを推進したとしてキューバ利益代表部のリカルド・エスカルティンを国外追放.

2.22 ミース大統領顧問,エルサルバドル情勢に関連して「キューバ海上封鎖」の可能性を示唆.このあとエルサルのFMLNに対する支援の問題が、米・キューバ間の最大の争点となる。

2.24 カストロ,ソ連共産党大会に出席.演説でエルサルバドル問題に触れ,ゲリラへの軍事援助を否定.

3.03 米国内やLA諸国で米国のエルサルバドル介入に反対するデモ.レーガンはテレビ放送で「ヘイグ国務長官はキューバに対する攻撃を示唆したことはない」と弁明.中米への武器輸出を理由に,キューバに対して直接攻撃を加える意図はないことを確認.

3.17 ブッシュ副大統領,反カストロ派の亡命キューバ人にCIAが援助を与えることに賛成しないと述べる.

3.18 ウォルター・ステッセル国務次官,上院外交委員会で証言.南フロリダのキューバ人準軍事組織キャンプを支援しない.カストロ政権打倒という目標も支持しないと証言.

3.23 コロンビア,M19に対するキューバの支援を理由にキューバとの国交を断絶.キューバ政府はM19への関与を否定,レーガンの圧力を受けた措置と批判.

3.26 親キューバ文学者ガルシア・マルケス,M19との関係を疑われコロンビア政府から逮捕状.マルケスはメキシコ亡命.

4.11 マルミエルカを団長とする非同盟諸国和平使節団(インド,キューバ,ザンビア各外相とPLO代表),バニサドル・イラン大統領と会談.停戦の具体案を示す.

4.19 カストロ,アメリカは中米諸国の人民抑圧的な政府に武器を与えていると非難.

4.21 カストロ,プラヤ・ヒロン20周年の記念演説.ケネディ=フルシチョフ合意は現在も有効であると強調.核戦争の回避こそ「われらが時代のもっとも緊急な課題」であると声明.

5.8 ブッシュ副大統領,キューバは西半球で最悪の人権状況にあり,独裁と暴虐な弾圧の体制を輸出しようとしていると演説.ケイシーCIA長官,「公共の民主主義プログラム」を策定.この計画の一環としてキューバ系アメリカ人全国基金(CANF)を創設.オペレーション40の公然組織に位置づける.ホルヘ・マス・カノーサを議長に据える.カノーサはピッグス湾参加者.その後も多くの侵攻作戦に参加し,中米との麻薬密輸で荒稼ぎしたといわれる.

5.13 コスタリカ,キューバにおける人権抑圧を理由に国交断絶.

5月 ハバナのボジェーロ区で発熱,眼窩,腹部,筋肉の痛み,発疹,頭痛,筋力低下を徴候とする疾患が発生.しばしば多発性の出血を伴う.数日後にシエンフエゴス,オルギン,ビリャ・クララでも同様の症例が報告される.その後急速に全国に波及.検討の結果デング熱であることが判明.

6.06 出血性デング熱,猛威を振るう.この日1日だけで11,400人の患者が新たに発生.全罹患者は344,203人に達し,うち116,143人が入院する.158人が死亡,うち101人は児童.

6 カンクンで先進国と発展途上国の会議.レーガン,カストロを招聘しないことを条件に会議への出席を了解.キューバは非同盟諸国首脳会議の議長国であるにもかかわらず会議に招請されず.

81年7月

7.09 カストロ暗殺のためキューバに潜入したアルファ66のメンバー5人が逮捕される.アルファ66指導者のウンベルト・アルバラド,さらに破壊作戦を続けると声明.

7.26 カストロ,この数週間で81人の子供を含む113人がデング熱のために死亡と発表.カストロはこの病気がCIAによってもたらされた疑いがあるとし,殺虫剤の輸出を米国にもとめたが拒否されたことをあきらかにする.84年,オメガ7指導者のエドワルド・アロセナはなんらかの細菌をキューバ国内に持込んだことを認める証言.

7.27 米国務省,デング熱流行に対するCIAの関与を否定.商務省が殺虫剤のキューバ輸出を承認したことをあきらかにする.

8.07 カストロ,メキシコを訪問.ポルティーリョ大統領と中米問題を中心に意見交換.

8 デング熱の媒介となる蚊の駆除作戦を展開.マラチオン液がトンあたり5千ドル(通常の三倍半)で緊急輸入される.病院だけでなく,寄宿施設を持つ学校の多くが隔離病棟にあてられる.

8 フランク・スタージス,キューバ潜入をはかるが失敗.

81年9月

9.1 ヘイグ国務長官,FMLNにはすくなくとも数人のキューバ人軍事顧問が存在している」と証言.キューバはこれを否定し,ヘイグの宣伝はナチのゲッベルスをもうわまわる恥知らずなデマだと激しく非難.

9.8 アルゼンチン・フォード社社長,自動車数千台をキューバに輸出すると発表.

9.11 オメガ7,マイアミとニューヨークのメキシコ領事館に対する爆弾攻撃の犯行声明.

9.15 ハバナで国際議員会議総会開催.世界百以上の国から千人以上の代表が出席.米国からもロバート・スタフォード上院議員を団長とする議会代表団が,政府の反対を押切り出席.開会のあいさつでカストロはレーガンの政策に対し不満を表明.

9.23 レーガン,「対キューバ放送に関する委員会」を立ち上げる大統領命令12323に署名.トマス・エンダース国務次官とリチャード・アレン安全保障担当補佐官,キューバ向け謀略放送局「自由キューバ放送(通称マルチ放送)」の設立計画を発表.4年後のラジオ・マルティ開設につながる.

9月 米国の意を受けたイスラエルとエルサルバドル,武器輸出協定で合意.カストロ,レーガンを「血にまみれたファシスト」と非難.

81年10月

10.07 カドウミPLO政治局長,キューバ訪問.「サダト大統領暗殺によってキャンプデービッド合意は失敗した」と発言.

10.10 最後のデング熱患者が発生.

10.16 ブッシュ米副大統領,来年1月から「ラジオ・マルティ」の名称で反キューバ放送を開始すると発表.

10.29 ジャマイカのシアガ新政権,キューバと国交断絶.

10.30 カリブ海で一ヵ月間にわたる海軍演習が始まる.キューバへの軍事挑発を強化.

10 キューバ人教師二人が,ニカラグア北部地帯でコントラにより射殺.米国はキューバの「拡張主義」を警告.

11.06 国防総省当局、海軍の演習はキューバに対するメッセージであると述べる。アメリカの侵入が差し迫ったとみたキューバは,予備役を最大限動員し警戒態勢に入る.

11.14 公衆保健省,ワクチン運動の展開によりデング熱は根絶されたと発表.

11.20 ロベス・メキシコ大統領,ヘイグ米国務長官がキューバとニカラグアに対する直接軍事行動の可能性を示唆したことに対し懸念表明.

11.30 ヘイグ国務長官,メキシコシティーでカルロス・ラファエル・ロドリゲス副大統領と秘密会談.ヘイグがエルサルバドル政府に対するアメリカの支持を繰り返し,ロドリゲスはキューバがFMLNに武器援助していないことを繰り返す.ヘイグは言葉でなく行動で誠意を示せと応える.

12.10 国務省,第二キューバ白書発表.キューバがLA諸国のほとんどで破壊活動をおこなっていると非難.

12月 キューバ政府幹部、ハバナの米利益代表部と接触.キューバがニカラグアを含む全中央アメリカに武器出荷を停止したと通告.対米関係改善の意向を伝える.

1981年 農業部門に「生産ブリガーダ」が導入される。企業側と契約を結び、一定の作業を請け負う労働者グループ。

 

1982年

82年2月

1.27 レーガン米大統領,1981年秋にヘイグ米国務長とC.R.ロドリゲス副首相が秘密会談をおこなった事実を確認.

2.21 メキシコのポルティーヨ大統領,サンディーノ勲章授賞のためマナグア訪問.エルサルバドル内戦調停の意志を表明.さらに米国とクーバ,ニカラグアの関係改善にも乗り出すと声明.

2.22 カストロ,「中米・カリブ海地域の危機回避に関するポルティヨの努力を全面的に支持する」との書簡を発表.

2.24 レーガン,OAS総会においてカリブ開発構想(CBI)を発表.メキシコの提案を無視すると同時に中米に対する武力行使を示唆.「米国貿易のほぼ半分,輸入原油の2/3,そして輸入戦略物資の半分以上がパナマ運河およびメキシコ湾を通過している」と発言.反共諸国への援助強化により,軍事独裁の民政移行と民族運動の抑えこみにより中米権益死守の姿勢を強調する.「新モンロー主義宣言」と言われる.この構想を推進するため民主主義擁護全国基金(National Endowment for Democracy)を設立.ここから約100万ドルがCANFに流れたといわれる.

2 米国,キューバを国際テロリスト国家のリストに加える.コロンビアのM19を支援しているとの理由.

3.18 オルテガ議長,ハバナを訪問しカストロと会談.

3.20 米国務省,カストロが1981年12月,FMLNへの武器援助強化を指令したと発表.

3 ヘイグ=ロドリゲス会談に引き続き,ヴァーノン・ウォルターズ将軍が,米特使としてハバナにおもむく.カストロとロドリゲスとの5時間の会談.ウォルターズはマリエリートスの中止と,中米への軍事援助中止を要求.カストロはこれを拒否.

3月 会談決裂を受けた国務省,観光・ビジネスを含むキューバへの旅行を禁止.漁業協定の延長を拒否.キューバは密輸業者の共同取締りをうたった沿岸警備隊合意を破棄.

82年4月

4.09 米政府,マイアミ=ハバナ間のアメリカ航空チャーター便の運行を停止.

4.10 マルビナス紛争におけるキューバの立場を示すため,軍事クーデター以後引き上げていたキューバ大使をふたたびブエノスアイレスに派遣.12日にはアルゼンチンもハバナに大使を派遣.

4.19 財務省,米市民のキューバ渡航を原則として禁止.渡航を許された親族,報道関係者などもクレジットカードの使用は禁止される.期限切れとなる漁業協定も延長せず失効させる.

4.24 カストロ,『トランスアフリカ・フォーラム』誌との会見で,対米関係改善に向け努力の用意ありと言明.

4.29 米国防省,「オーシャン・ベンチャー82演習」を開始.キューバのグアンタナモ基地の米人家族救出のため敵前上陸するという想定のもとに,4万5千人の海兵隊,60隻の艦艇,350機の航空機が参加する海軍の「リーデックス作戦」など八つの作戦をふくむ.オーシャン・ベンチャーはソリッド・シールド作戦と交互に隔年おこなわれる軍事演習.

82年5月

5.25 ガルチエリ・アルゼンチン大統領,フォークランド紛争で,アルゼンチンの立場を支持するカストロに感謝の書簡.

5月 米政府,ビジネスと観光目的のキューバ旅行を禁止.

6.16 CRロドリゲス副大統領,国連で演説。1981年以降レーガン政権の攻撃に対抗するために、キューバが軍事力を二倍化したとのべ、米国との和解の可能性を否定.

8.10 米下院,ラジオ・マルチの放送開始を許可.上院は承認せず.

8月 国務省,カーター政権以来のキューバ担当者スミスとフレチェッテを更迭.スミスはラジオ・マルティの計画に反対,禁輸停止を主張していた.

9.01 第一次対外債務問題が発生.キューバ,対外債務の元本返済も不可能となったと宣言.負債総額は30億ドルのハード・カレンシーを含む110億ドル.西側各銀行に対して,10億ドルの債務繰り延べを要請.

9.2 オメガ7,ベネズエラの航空機爆破事件調査続行に抗議し,マイアミの領事館を爆弾攻撃.

82年10月

10.2 FBI,オメガ7のメンバー4人を,80年のキューバ国連大使公用車への爆弾事件で逮捕.アロセナにも逮捕状.

10.19 カストロ,ハノイ訪問.チュオン・チン・ベトナム国家評議会議長とのあいだで友好協力条約に調印.

10月 政府は海外投資を促すため「合弁企業法」を制定.外国資本を49%まで許可する.しかし利益の海外送金に対する厳しい規制から,実績は上がらずに終わる.

82年11月

11.05 麻薬容疑で逮捕されたキューバ系米国人の証言から,マイアミの連邦地裁は4人のキューバ人高官を「コロンビアの麻薬をキューバ経由で密輸した」容疑で告発.海軍司令官のアルド・サンタマリア提督,フェルナンド・ラベロ駐コロンビア大使,レネ・ロドリゲスICAP総裁など4名が名指しされる.キューバは,この告発を「悪意に満ちた虚偽」と非難.今後米沿岸警備隊との協力をいっさい拒否すると声明.

11.16 カストロ,ソ連を訪問しアンドロポフ書記長と会談.

11.27 ブッシュ副大統領,ナミビア独立とキューバ軍撤退を一体化するため,アフリカ諸国歴訪.アフリカの31ヶ国外相は「一体化」策動を非難する共同声明で対抗.この頃アンゴラ戦争が泥沼化,エチオピア軍事政権の人権抑圧などにより軍への内部批判が高まったとされる.

12.3 コロンビアのベタンクール大統領,ボゴタでレーガンと会談.キューバのOAS復帰を提案する.レーガンは「ソ連との関係を断たない限り復帰はありえない」と言明.

12.11 カストロ,「現時点でアンゴラ撤兵の意思はない」と言明

 

1983年
 

1.5 パナマのコンタドーラ島で,メキシコ,パナマ,ベネズエラ,コロンビアの4カ国外相会議.紛争の平和的解決に向けて調整開始.「域外国の干渉を廃止,中米紛争を東西対立の文脈においてとらえず,関係国の対話・交渉による問題解決の必要性を訴える共同声明」を発表.
@中米地域への外国の干渉の停止,
Aすべての軍事援助の停止,
Bエルサルバドル内戦の停戦交渉開始,
Cニカラグア政府とコントラとの対話を訴える.

3.1 パリで13ヶ国からなる債権国会議,キューバの債務返還の1年間延長に応じる.

3.23 レーガン,偵察衛星の写真をもとに「グレナダに空軍基地が建設中」と発表.ジャンボ機の発着ができる滑走路の建設援助をもとめるグレナダの要請を拒否.

3.26 オルテガ議長,キューバ訪問.カストロ首相と軍事情勢協議.

4.19 「堅固な盾83」演習開始.米国,79年以来中止していたSR71によるキューバ偵察飛行を再開.SR71偵察機が二度にわたりキューバ領空を侵犯.以後の三年間,毎年連続で,大規模な軍事演習「堅固な盾」をグアンタナモ沖合いのカリブ海で実施.キューバはこれに対抗して,ソ連軍との共同演習「要塞83」を実施.演習にはハバナ攻撃を想定した訓練も含まれる.

4月 4人のキューバ知識人が全米各地の大学で講義.陸上競技選手はプエルトリコの大会に参加.アメリカのアマチュア・ボクシング選手団がキューバ訪問.三つの音楽グループが米国内,プエルトリコを演奏旅行.

5.22 ゴールドウォーター上院情報委員長,キューバに直接侵攻して51番目の州にすべきであったと発言.

5.24 トマス・エンダース国務次官,キューバの利益代表部に対し,アトランタ刑務所に収容されたマリエリトス789人を引き取るよう要請.

5.24 米国,日本に対しキューバ産ニッケルをふくむステンレス鋼の輸入を禁止すると通告.日本はキューバ産ニッケルを使わないことを約束.

5.25 国務省,ワシントンのキューバ利益代表部に書簡.キューバが米国内に収容中の不良入国者を引き取るまで,ハバナにおける入国ビザの発行を停止すると通告.米国は2746人の不良収容者のために毎年4千万ドルをつぎ込んでいた.ヘイグ国務長官は犯罪者を米軍艦船で送還すると提案.フロリダ州知事ボブ・グレアムは,グアンタナモ海軍基地のゲートを通じて,犯罪者をキューバ国側へ追い出すよう提案.

6.17 キューバ,米国務省の要求を拒否.悪質キューバ人の送還を決める前に,キューバからの正規の入国ルートを再開すべきだと要求.

6月 キューバ,西側銀行からの借金のうち,13億ドルについて,依然返済が不可能であることを明らかにする.

7.3 ハバナで「すべての人のための健康:キューバの25年の経験」カンファレンスを開催.百か国から千3百名が参加.米国からも150人の参加者.

7.22 FBI,マイアミで反キューバ活動を続けていた,「オメガ7」の指導者エドワルド・アロセナを逮捕.キューバの国連大使ラウル・ロアを暗殺しようとした容疑.カストロは,これに応え,犯罪者引取りに前向きな姿勢を見せる.

7.26 カストロ,モンカダ30周年記念式典で演説.レーガン米政権のニカラグア封鎖を非難.一方で,ニカラグアにいるキューバ人軍事顧問を引き揚げると発表.

7.28 カストロ,米国人記者を相手に会見.もし米国が中米干渉をやめるのならキューバも同様にするだろうと言明.現在ニカラグアに二百の軍事顧問,二千の教師,五百の医師,数百の建設技術者,農業技術者など合計4千名が派遣されていることをあきらかにする.

7.30 レーガン米大統領,キューバが中米紛争解決に真剣に取り組むなら,交渉の用意があると言明.「キューバがソ連との関係を絶ち,アメリカ州諸国の一員に復帰することを望む」とコメント.

8.04 シュルツ米国務長官,上院外交委員会で,ウォルターズ特使が1982年初めキューバでカストロ首相と会談したことを公式確認.

8月 レーガン,ホワイトハウスでキューバ系米国人記者Tomas Regaladoと会談.ケネディ-フルシチョフ秘密の合意の正統性を認める.その後,スピークス報道官は,ケネディ=フルシチョフ合意を米国の側から破棄するつもりはないと述べる.

8 カリブ開発構想を具体化した「カリブ地域経済再建法」,議会で承認.受益国からの米国輸出に対し12年間にわたり関税免除,輸出志向型経済の発展をうながすとともにカリブ海をとりまく事実上のドルブロック形成をめざす.現実の援助はジャマイカとドミニカに集中.

9.13 上院,VOAの経営するラジオ・マルチの設置を承認.レーガンは総裁にアール・スミス元キューバ大使を指名.

9月14日 レーガン,「ケネディ=フルシチョフ合意はすでに破棄されている.ソ連とキューバは攻撃用兵器としか考えられないような兵器を,何度となく持ち込んでいる」と発言.

9.18 レーガン政権,「ミグ23は攻撃用兵器とは認められない」とのカーター政権の見解を踏襲する方針を決定.

83年10月 グレナダ侵攻事件

10.19 グレナダでバーナード・コードら極左集団によるクーデター.ビショップ首相ほか3閣僚が銃殺される.

10.20 カストロ,グレナダのクーデターに関し強く遺憾の意を表明.「もしビショップらが処刑されたのであれば,それは殺人として罰せられるべきである.これはグレナダの革命そのものを危うくし,帝国主義者を力付ける深刻な過ちである」ときびしく非難.米国のマスコミはビショップを「ソ連とキューバの陰謀による犠牲者」として持ち上げる.

10.21 東カリブ海諸国機構総会,米国のグレナダ侵攻を「要請」.空母アメリカ,インデペンデンスをふくむ米艦隊,2万人の上陸部隊と空挺部隊が,在留米人保護を口実にグレナダに向かう.グレナダ,キューバの軍事援助を要請するが,キューバは新政権の評価を保留.

10.22 カストロ,グレナダのキューバ人はほとんどが建設技術者であり,戦闘には耐えないと表明.グレナダ在住の外交官に対しては,グレナダの途方もない間違いにより彼らの生命が深刻な危機状態にあることを認めたうえで,米軍が接近しつつある現在,彼らを引き揚げることは「不名誉」となることを指摘.グレナダにとどまり「彼らが直接攻撃を受けた時のみ」グレナダ政府のためにではなく,「みずからの身を守るためにのみ」闘うよう指令.建設技術者に対しては,米軍が上陸し空港に侵入しても決して抵抗しないよう訓示.

10.22 キューバ,米政府に「暴力や干渉なしに困難を解決するよう,グレナダ政府との接触を続けるよう」要請.米政府はこれを黙殺.

10.25 グレナダ侵攻作戦開始.1万の兵が上陸.人口11万人,武装兵力2千人の小国を6日間で制圧する.空港のキューバ人建設技術者636名と軍事要員43人は、米軍の攻撃に応戦を迫られる.グラナダ滞在中のキュー人24人が死亡,57人が負傷,642人が捕虜となる.

10.25 スリナムのブテルス政権,米国の圧力を受けキューバとの国交関係凍結.

10.26 第82空挺師団,グレナダに降下.ただちに空港のキューバ人攻撃作戦に参加.軍は厳重な報道統制を敷いたうえで,虚偽の情報を流し続ける.これを受けて米報道各社は「さらに千名以上のキューバ兵が山に逃げ込み,ゲリラ戦を展開しようとしている」と報道.グランマ紙は「米兵には木や岩がすべてキューバ兵に見えるようだ」とマスコミ報道を批判.

10.26 OAS緊急会議,18ヶ国中13ヶ国が参加して開催.米国のグレナダ侵攻を自決権に対する侵害と批判.構成国の一員として領土不可侵の原則を尊重するよう警告.

10.27 レーガン,テレビで演説.「数千のテロリストが活動するのに十分な武器庫を発見,共産主義者のテロを事前に食い止めることができた」など低劣なデマ宣伝に終始.レス・ジャンカ報道担当次官は,みずからの信用に傷がつくとして抗議の辞任.

10.28 米大西洋艦隊司令官ウェズレー・マクドナルド提督,「押収された文書によれば千名以上のキューバ正規兵が建設技術者を偽装してグレナダに進駐」と発表.数日後にはキューバ側発表の通りに修正.

10.28 米国,グレナダ侵攻を非難し干渉の即時停止と軍隊の引き揚げをもとめる安保理決議案に拒否権を発動.

10.28 米上院,キューバがマリエリトスの引き取りを受入れるまで,グレナダのキューバ人捕虜を拘留するというレーガンの提案を承認.

10.31 国際赤十字のキューバ人負傷者収容機,バルバドスに到着.グレナダ入りを要請するが,米軍は受入れを拒否.

83年11月

11.1 米軍,グレナダのキューバ大使館を包囲,実力封鎖.臨時総督ポール・スクーン将軍,2日正午までに国外退去するよう指令.キューバ政府はすべての捕虜,負傷者,死者が引き渡されるまで指令を拒否するよう訓令.アメリカ下院,大統領への拘束力のない決議を採択.「グレナダでのキューバ人捕虜にくっつけて,不良マリエリートスを送り返すよう」要請.

11.2 総督,指令を撤回.国際赤十字機,グレナダに到着.負傷者と病人57人を乗せハバナに向かう.

11.2 国連総会,米国により拒否された安保理決議案を108対9票の大差で可決.

11.12 遺体37体がキューバ到着.うち13体はグレナダ人.捕虜全員と外交官も帰国完了.

11 「民主主義のための国家基金」,米議会を通過.カリブ諸国に対する国家転覆策動への援助を公然化.

12.28 オメガ7のアロセナ,ニューヨーク連邦地裁にラウル・ロア暗殺未遂をはじめ14回の爆弾事件の犯人として起訴される.FBIはオメガ7を麻薬密輸業者に雇われた国際テロリストと呼ぶ.

83年 キューバの対外債務に対する期限延長と再融資がパリで成立.

83年 ドルティコス元大統領,自殺.

83年 シエンフエゴスのフラグア原発,総工費25億ドルをかけ着工.6割完成したところでソ連の援助凍結のため工事を中断.

83年 工業部門でも「生産ブリガーダ」が導入される。86年までに300企業に2,500の生産ブリガーダが形成される。

 

1984年

1.01 カストロ,キューバ解放25周年記念集会で演説.62年のミサイル危機の当時,キューバには42基の中距離ミサイルが配備済みだったと明らかにする.

1.11 キッシンジャーが座長を務める中米調査団(大統領委員会),ソ連とキューバのこの地域への干渉が米国の安全にとって最大の問題となっていると報告.

1 キューバ,エチオピアに派遣している兵を1万から3千に減らすと言明.

3.13 オメガ7の指導者エドワルド・アロセナ,80年のキューバ外交官フェリックス・ガルシア暗殺の疑いで追起訴.公判での証言で,80年にウィルスをキューバ上空から散布したことを認める.

3.17 ドスサントス・アンゴラ大統領,キューバ訪問.共同声明で、ナミビアからのキューバの軍隊の撤退と、国連安保理事会決議435号の実施に関して、その条件を明らかにする。

3.19 レーガン,キューバ系米国人の集会で演説.「カストロは腹を空かせた狼のように,貪欲な目と鋭い歯で平和を愛する隣国を狙っている」と非難.

4.09 キューバ系米国人全国財団(CANF),マイアミで集会.中米の反共勢力を援助するよう議会に圧力をかけることを決定.ホルヘ・マス・カノサ理事長は「米国の世論を動かす闘いに負けてはならない」と強調.

4 カストロ,ヒロン湾記念日で演説.経済不正の横行に対し「自由化は人間の利己心を刺激した」として75年体制の修正を提案.

4.20 米軍,グアンタナモの陸,海,空を使った演習をふくむオーシャン・ベンチャー作戦を開始.

4月 中央計画委員会(JUCEPLAN)に代わり、政府・党の合同プロジェクト「中央チーム」が発足。企業利益のみが追求されるシステムの改革を試みる。

5.09 レーガン,テレビ演説.キューバがエルサルバドル・ゲリラへの援助を倍加し,この秋にもドゥアルテ政権を崩壊させようとしていると非難.エルサルバドル政府への軍事援助を2倍以上に増加する.

5.14 国防総省、グアンタナモ海軍基地を一新するために4300万ドルを投じると明らかにする。

7.25 民主党の大統領候補指名を争った黒人運動指導者ジェシー・ジャクソン,エルサルバドル,ニカラグアを歴訪したのちハバナ到着.中米問題の平和的解決とキューバとの国交正常化をうたう.

7.26 カストロ、モンカダ襲撃記念日の演説,ジェシー・ジャクソンの要請にこたえ、@麻薬取り引きや密入国の容疑で収監中の米国人22名,および政治犯26名を釈放、A教会の広範な活動を認める、Bアメリカと出入国管理問題についての対話を開始する、と発表.また同じ演説の中で,原子力発電所を建設中であることを明らかにする.

7.27 米下院外交問題小委員会,キューバにおける人権問題について審議.人権問題担当国務次官のエリオット・アブラムス,元キューバ政治囚のアルマンド・バリャダレスが証言.

7.31 米国とキューバ政府,入国問題で協議.

9.10 バーナム・ガイアナ協同共和国大統領,キューバ訪問.

9.26 コントラ代表のアドルフォ・カレロ,ニカラグア国内のキューバ人への攻撃を強化すると発表.

10.14 ブラント前西独首相,中米問題解決のためキューバを訪問.CG提案に沿ってキューバ人をニカラグアから引き揚げるよう提案.

11.20 中米訪問中の不破哲三委員長,ハバナでカストロと会談.

12.14 米国とキューバの間に「出入国手続き正常化合意」成立.キューバはマリエリトス2千7百名のひきとり(毎月百名)に合意.米国は政治犯3千人の受入れと年間2万までの移民引き受けに合意(実際には年間2千人にとどまる).カストロは,キューバからの違法出国を奨励しないという,レーガン政権の立場を評価する発言.アロセナに終身刑の判決が下されたことについても評価.

12.31 無差別殺人の犯人イスマエル・ラビート,飛行機をハイジャックしてキューバに逃亡.

12月 「誤りと否定的傾向の矯正の過程」が始まる.拝金主義,生産活動における精神的刺激の軽視,企業活動における水増し生産報告,生産資材の不当な流用・私物化,管理の汚職などが摘発される.

12 CANF,ラジオ・マルチの開設を議会に申請,承認される.ただし1月に放送開始の予定は延期される.キューバはただちに難民協定の凍結を発表.

84年 キューバ,ソ連からの石油受け取り千3百万トンのうち,4百万トンを国際価格で転売開始.

 

1985年

1.01 新住宅法が発効。賃貸家屋およびアパートの占拠者は、その住居をいったん購入した上で売却することを許される。

1.10 カストロ,オルテガの大統領就任式に出席のためマナグア訪問.コンタドーラ・グループ4ヵ国外相と個別に会談.

1.21 オハイオ州のジェームス・マローンを団長とする全米カトリック会議代表団,キューバを訪問.カストロと会見し政治囚250名の解放を要求.帰国後両国関係の正常化と禁輸解除を求める声明.

1月 レーガン政権,第二期目に入る.カストロは,レーガンがソ連との軍縮会談に前向きな立場を示したことに対し,「レーガンは平和的な大統領として歴史に名を残したがっているのかもしれない」と述べる.

2.03 カストロ,ワシントンポスト紙と会見.レーガン政権は国際問題の解決について,より現実的となり,対話を求めるようになった,と述べる.両国間に建設的な関係が結ばれることを希望すると表明.

2.03 スピークス報道官、カストロの呼びかけに対し、@LAにおける破壊活動の停止,Aアフリカからの撤兵,Bモスクワとの関係清算,C国内での人権侵害の停止、が実現しない限り関係改善はありえないと言明.「我々が欲しいのは言葉ではなく,行ないだ」と反論する.

2.03 共産党中央委員会,ペレス書記局員兼政治局員候補を解任.

2.11 ニューヨークに続いてマイアミ連邦地裁でもアロセナに対する裁判.23の容疑すべてについて有罪と認められる.

2.21 12月合意にもとづく「好ましからざるキューバ人」の送還開始.収監者がアトランタの収容所を出てキューバに向かう.

2.27 D.オルテガ大統領が「新和平提案」を緊急発表.CG提案を支持し,@キューバ軍事顧問団撤退,A新兵器購入の無期限凍結を打ち出す。キューバ政府は、軍事顧問百人が5月から帰国を開始すると発表.同時に中米地域の緊張緩和のためすべての外国人軍事顧問が中米から撤退するよう要求.米国はただちに拒否.

2月 キューバは米国のラビート引渡し要請に答えず.レーガンはこれに対する報復としてラジオ・マルティの開局を急がせる.

3.1 サンギネッティ,ウルグアイ大統領に就任.キューバとの復交を声明.

3.11 レーガン,報道関係者との懇談.「もしキューバ国内で反乱が起きればこれを支援するか」との問いに,「それは多くのキューバ人を悲惨な事態に巻き込むだろう」と否定.また,「これまで具体的な成果はないが,我々はキューバとの関係改善を望んでいる」と述べる.

3.20 ラウル,ソ連訪問.ゴルバチョフと会見.

3.21 カストロ,メキシコのエクセルシオール紙との会見で,LAと第三世界諸国による債務支払い一括停止を提案.

4.14 エクアドル大統領コルデロ,キューバ訪問しカストロと会談.

5.20 マイアミでキューバ向け謀略放送「ラジオ・マルティ」開始.米国文化情報局(USIA)の援助を受け,キューバ向けにニュース,論評,音楽,スポーツを流し始める.キューバ側は直ちに妨害電波でこれに対応.

5.20 カストロはラジオ・マルティの放送開始に抗議。84年の移民協定を凍結すると発表.アンゴラからの軍隊撤退を中止,中米での米国の「汚い戦争」を非難.

5.28 デクエヤル国連事務総長,キューバを訪問.カストロ,マルミエルカ外相と会談.

5.29 前国防長官,CIA長官のアーサー・シュレジンジャー,キューバを訪問.カストロとLA債務危機を中心に会談.

6.14 国務省,キューバの12月合意破棄に対抗しキューバ人難民へのビザ発行の停止.

6月 キューバ国立銀行がパリ・クラブに提出した報告書なるものが,CANFの手により流布される.これによれば,数回にわたり,キューバは世界市場で安い砂糖を買い,それを世界価格でソ連に転売.また安いソ連石油を買い,それを転売することでドルを稼いだ.

85年7月

7.08 レーガン,「キューバ,イラン,リビア,ニカラグア,北朝鮮の5ヶ国がテロリスト国家連合を形成し,米国を世界から追放しようと狙っている」と演説.

7.28 アラン・ガルシア,ペルー大統領に就任.就任演説で債務支払いを輸出額の10%に抑えると表明.

7.29 ジェームス・ベイカー財務長官,グアテマラで記者会見.債務問題の「政治的解決」は,銀行の貸出意欲を減退させるだけで,これまでの努力を台無しにするものと批判.

7.30 リマでキューバもふくむLA20ヶ国外相会議開催.ガルシア提案を受け,輸出額とリンクした債務支払い方式をよびかける.

7.30 ハバナで債務問題国際会議開催.LA37ヶ国から代表千2百名が参加.債務構造の根本的変革を訴える.債務問題で中南米諸国首脳会議を呼掛け.

8.18 CANF,ベネズエラのフアン・デ・ロス・モロス重刑務所からポサダ・カリレスを救出.カリレスはエルサルに渡り,イラン・コントラゲート作戦に関わるようになる.NSCの直接指示の下,ニカラグアへの武器の配布に従事したとされる.

9月 レーガン,ラジオのインタビューでカストロ政権の武力転覆を否定.ケネディ-フルシチョフ合意を守ることを確認.キューバが西半球社会に戻るつもりなら,門戸を開放するだろうと述べる.

85年10月

10.04 レーガン,大統領宣言5377号を発表.学者,芸術家,ジャーナリスト,その他キューバの旅券を所持する一切の人物に対し,入国ビザの発給を停止する.その後1年間にわたり,両国の非難合戦が続く.

10.8 ベイカー財務長官,ソウルで開かれた世銀・IMF合同年次総会で演説.今後3年間にもっとも深刻な債務を負う15ヶ国に対し二百億ドルを貸与,IMFへの債務の5割棒引きを柱とするベイカー構想を提案.一般債務に関して手を付けないベイカー構想は,まもなく破産.

10.25 ドゥアルテ大統領の娘との捕虜交換で釈放されたニディア・ディアス司令官など96名のFMLN捕虜と3名の政治囚,ハバナに到着.セスペデスは米国で「カストロとの共存は可能」と講演.

10.29 シェワルナゼ・ソ連外相,カストロと会談.

10 MPLA,全土で大攻勢.南ア軍を追い詰めるが決定的勝利をえられず.

11.1 ワシントンでCIAのケーシー長官とノリエガが会談.ケーシーは禁輸製品をキューバに販売する事業にノリエガが関わっていることを非難.

11.16 カルロス・マヌエル・デ・セスペデス枢機卿を団長とするキューバカトリック代表団,全国教会評議会とそのLA協力委員会の招きで訪米.滞在中にエイブラムス米州問題担当国務次官,マクファーレン安全保障担当補佐官らと会見.セスペデスは米国で「カストロとの共存は可能」と講演.

12.2 コロンビアでOAS総会.キューバ復帰のためのOAS憲章改正が議題となる.

85年 キューバ人亡命者,ザビエル・スアレスがマイアミ市長に当選.CANFの政界への影響力を強める.マス・カノーサは州政府内の「自由キューバ委員会」の座長となり,対キューバ政策の決定権を握る.フロリダ州選出の上院議員マック(共和党)とグレアム(民主党)はCANFの意向を忠実に代弁.

85年 カストロ,カトリック教会のと初の公式会談.その後,フリアル・フライ・ベト著「フィデルと宗教」を発表.80万部を売るベストセラーとなる.

85年 カストロ,ナンバー3と言われたバルデス内相のほか,ウンベルト・ペレスJUCEPLAN長官,ギジェルモ・ガルシア・フリアス運輸相,セルヒオ・デル・バジェ保健相を更迭.党書記局からアントニオ・ペレス・エレロ共産党イデオロギー担当書記,ヘスス・モンタネ中央委員会対外関係部長を更迭.ペレスはエチオピア駐在大使に転出,モンタネはカストロの秘書官となる.内相にはホセ・アブランテス,JUCEPLAN長官はラウルが兼任.

 

深刻化する経済困難

1986年

1.29 ハバナのハイメ・オルテガ・アラミノ枢機卿,フロリダ州知事に対しキューバ難民オマル・ブランコの死刑執行を停止するよう嘆願.

1 レーガン政権,右翼を総動員してUNITAのサビンビ議長歓迎キャンペーン.

2.04 共産党第3回大会開催.カストロは,「失敗と欠陥」と題して深刻な経済危機をもたらした最近十年間の社会主義建設上のあやまりを自己批判,官僚主義を激しく非難,バルデス,ペレス,ガルシア,エレーロ,モンタネを政治局員からも解任.いったん休会.

2.17 キューバのカトリック教会が主催し、キューバにおける教会の役割について国際会議を開催。ラテンアメリカ諸国と米国からの聖職者が出席。バチカンも代表を送る。

2.18 アフリカ担当国務次官チェスター・クロッカー,上院外交委員会で証言.CIAによる千5百万ドルのUNITAへの秘密軍事援助を認める.上下両院の情報委員会は援助を停止するよう求める.

3 カストロ,ソ連共産党27日大会に出席.「プラウダ」紙は,「両国間の経済協力の効率向上の方策が検討された」と報じる.カストロは大会の後,北朝鮮を訪問.金日成と会談し友好協力条約を締結.

3 国務省,第三世界映画フェスティバルに出席しようとしたキューバ映画監督パストル・ベガの入国を拒否.主催者のアトランタ市長アンドリュー・ヤングはこの措置に抗議しフェスティバルを「キューバ映画協会週間」と名付けることを宣言.

3 南アのコマンド部隊,ナミベ港を襲撃. 停泊中のキューバ貨物船を沈め,ソ連船を破壊するなどの被害を与える.

4.11 ソ連、キューバに5年間で30億ドルの融資協定を結ぶことで合意。

4月 カストロ、ピッグス湾事件記念日の演説で「おかしな傾向が蔓延している」と、官僚機構の腐敗を非難。「あやまりと否定的傾向の是正の過程」キャンペーンが開始される.背景に深刻な経済の後退。

5.20 ブッシュ副大統領,CANFのもとめに応じラジオ・マルチに出演.コントラとUNITAに対する支持を訴えた後、「自由キューバ万歳」と叫んで演説を終える.

5.18 カストロ,自由農民市場は,新資本家と新ブルジョアの根拠地となりつつあると非難.政府は農民自由市場を閉鎖,物質的刺激策を避け民衆動員による経済再建をめざす.

5.20 国務省「キューバにおける人権」報告発表.生活のすべてにわたって自由が侵害されていると攻撃.

6.12 カストロ,4機の原発プラントが建設中であることを認める.これらの原発はIAEAの安全基準を満たしており,カストロの息子で物理学者のフィデル・カストロ・ディアス-バラルトが委員長をつとめるキューバ原子力委員会が管理にあたっていると声明.

6.18 フランク・スタージス,盗品故買の容疑で逮捕される.

6.23 国務省とキューバ利益代表部とのあいだで,12月合意の復活について協議.キューバはラジオ・マルチの放送中止の要求を取り下げる代わりに,米国向け放送を始めることを提案.

6.25 キューバ,ブラジルと22年ぶりに国交回復.

6 キューバ,反革命組織と関係をもたない亡命キューバ人に限り,年間2千5百人まで一時帰国を認める.

7.8 米国とキューバ,メキシコで難民協定について会談.放送権を米国が認めないことから,ものわかれに終わる.

8.22 米国務省,一連の経済封鎖強化措置を発表.第三国の子会社を通じての迂回輸出を禁止の対象とする.キューバ人が第三国で獲得した米国ビザを無効とする.在米キューバ人の本国送金限度を,年間2千ドルから1200ドルに減額.

8月 商務省は米国製部品が10%以内,かつ製品価格が1万ドル以内の部品について,海外子会社のキューバへの輸出を認める.

9.10 カストロ,ジンバブエで開かれた第8回非同盟諸国首脳会議に出席.その後アンゴラを訪問.ルアンダで3千のキューバ人を前に「キューバ軍4万人は,南ア軍がナミビアとアンゴラから撤退するまでとどまる」と声明.カストロ訪問にあわせMPLAのクイト・クアナバレ攻撃開始.戦車が渡河し,続いて二つの大隊が進撃するが,対戦車ミサイルの反撃に遭い甚大な被害を出したあと後退.

9.13 同様の作戦を繰り返すが,再び進出に失敗.

10 南ア軍,クイト・クアナバレの飛行場を破壊して撤退. UNITAのサビンビ議長は訪米し「第三世界の解放者」として歓迎される.

10.18 キューバ,最後のピッグス湾関係囚人ラモン・コンテ・エルナンデスを釈放.コンテはバチスタ時代カラタラー大佐の率いる「特殊グループ5」のメンバーとして多くの人々を虐殺した人物.

11.30 共産党第3回大会再開.カストロの2月報告を採択.「誤りと否定的傾向の修正」を決議。「ゲバラ精神の復活」を唱える。

12.02 共産党大会で、ラウルがカストロの後継者として指名される.書記局には中央委員会軍事部のセネン・カサス司令官が就任.政治局にはビルマ・エスピンFMC議長,アベラルド・コロメ・イバラ司令官,ロベルト・ベイガCTC書記長,黒人代表としてサンチアゴ州党書記のエステバン・ラソが選出.

11月 大統領宣言5517号.通常の出入国管理手順が回復するまで,第三国経由の米国入国も停止.対キューバ経済封鎖を強化.

86年12月

12.03 キューバとパリクラブとの債務交渉が失敗。キューバは事実上のモラトリアムを余儀なくされる。外貨不足のため西側からの輸入を50%削減.

12.11 SR71の偵察飛行に抗議し,80万人が米国利益代表部を包囲.

12.20 キューバ,アルファ66創設者のエロイ・グティエレス・メノヨを釈放.

12.27 第3回人民権力全国議会開催.カストロを国家評議会議長に再選.カストロ,諸問題を放置したままでは「社会主義や共産主義に到達するどころか,資本主義より悪い体制になってしまう」とし,これらの構造的欠陥を精神主義で克服しようとする.ロカ,ガルシア,バルデスは副議長のポストを更迭される.デル・バジェは国会議員の資格も喪失.

12 麻薬密輸ルートにキューバ,ニカラグア,パナマが関与しているとの大宣伝が開始される

12 共産党中央委員会開催.「現在の過程は誤りと否定的傾向の修正の過程である」と規定.・拝金主義,労働規律の弛緩,不当な価格設定など生産倫理上の問題,・生産と労働の効率の低さ,企業幹部の経営への無関心,・公私混同や物資の横流しなど社会生活場の諸問題などを指摘.新綱領を採択.砂糖と原油価格低下に対応するため,自由主義諸国からの輸入を半減させるなど緊縮経済政策を承認.

86年 政府の公認で,全国司教会議開催.これにあわせ,政府は外国人神父に対する長期滞在ビザの発行を認める.

86年 メキシコ商業銀行,貿易バランス改善を目的としてキューバに1億5千万ドルのクレジットを供与.

 

1987年

1 CANF総裁のホセ・ソルサノ,NSCのLA問題首席担当官に就任.

1 ミゲル・ルイス・プーをリーダーとする内務省将校グループ,マイアミの亡命キューバ人レイナルド・ルイスと連絡をとりながら最初の麻薬密輸作戦を実行.「購買局」の機関を利用しパナマから麻薬を入手.高速艇を利用してフロリダへの持込みをはかるが,沿岸警備隊に逮捕され失敗.

2.1 上院外交委員会委員長にキューバとの関係正常化を支持するクレーボーン・ペルが就任.

3月5日 フロリダ州ホークス・ケイでキューバミサイル危機に関する国際会議.ハーバード大学国際問題センターの核危機プロジェクト(ジェームス・ブライト教授)が主催.マクナマラ,ディロン,ボール,バンディ,ソレンセン,シュレジンジャーなどエクスコムの元メンバーが参加.国家安全保障アーカイブは大量の文書を提供.ケネディがラスクにキューバとトルコのミサイルの取引を検討するよう指示した事実などが明らかになる.その後5回にわたりシンポジウムを開催.

3.11 ジュネーヴの国連人権委員会,キューバにおける人権侵害を非難する米国の決議案を否決.19対18の僅差であったことから、米国は人権委員会での多数派工作を強める。

4.03 マイアミで禁輸法違反の疑いで3人が逮捕.パナマにあるキューバのトンネル会社シボネイ・インタナショナルに総額百万ドル相当のコンピュータ機器を販売した容疑.

4月 国家安全保障アーカイブ,国務省が収集・保管していたミサイル危機に関する数千ページの記録から,情報公開法に基づき27の文書を提出.

87年5月

5 内務省の麻薬密輸グループ,台湾空軍の戦闘機パイロット,フー・チャンと契約し麻薬を輸送.フー・チャンは米国で逮捕後DEAの情報提供者となる.

5.11 イラン・コントラゲートに対する議会公聴会開始.

5.27 フェリックス・ロドリゲス,米議会で証言.証言終了時,議員の何人かはロドリゲスの勇敢な反共の闘いを讃える.

フェリックス・ロドリゲスの証言: @ブッシュ副大統領の安全保障担当補佐官ドナルド・グレッグが,ロドリゲスのエルサルバドルでの仕事を紹介した. Aグレッグはベトナム戦争時,サイゴン第三地区におけるCIAのチーフとして偽装会社「エア・アメリカ」を運営し,このときロドリゲス と知り合った. Bのちにオリバー・ノースが彼に語ったところによれば,コントラへの空輸網を組織すべく彼をエルサルバドルに招請したのは, ラファエル・キンテーロである. C彼は,ルイス・ポサダをコントラの作戦に参加させるべく,ベネズエラの刑務所を脱獄させエルサルバドルに運んだ.

5.28 ピッグス湾とアンゴラの英雄ラファエル・デル・ピノ・ディアス准将,セスナ機でマイアミ亡命.ラジオ・マルチは、キューバの指導部を道徳の欠如で告発するピノのインタビューを、キューバ向けに大々的に放送.

6.06 フロレンティノ・アスピリャガ少佐,チェコのキューバ大使館から逃亡.彼の証言により,キューバにおけるCIAの秘密作戦は,その9割がキューバ情報部により把握されていたことが判明.

7.06 キューバのテレビは、アメリカ利益代表部によるスパイ活動について暴露キャンペーンを開始。

7 南ア軍大規模侵攻「モドゥラー作戦」開始.米国はザイール経由でUNITAに物資補給.

8.12 オルテガ大統領,ハバナを訪問しカストロと会談.エスキプラス合意後の展開について意見交換.

8.13 カストロ、「中米に駐在するすべての軍事アドバイザーの除去」を求めたエスキプラス合意を受け入れると述べる。

8.24 米税務当局,IBMパソコンのキューバへの販売にノリエガが関与と見て捜査開始.

8 ソ連,週刊誌「ノーボエ・ブレーミャ」でキューバの経済政策を公然と非難.これに対しラファエル・ロドリゲスが書簡をおくり反論.

9.15 ロバート・トリセリ下院議員,ニュージャージーのコントラ訓練基地に関し連邦当局が調査するよう要求.トリセリによれば,この基地は亡命キューバ人とニカラグア人により運営されており,アルファ66のウンベルト・アルバラドが作戦を指導.

10.08 カストロ,ゲバラ没後20年記念日に,イタリアのジャーナリストGianni Minaとのインタビュー.「ボリビアでの活動を発案したのはゲバラだった.計画もすべて彼がたてた.我々は可能な範囲で彼を援助した」

10月11日 ミサイル危機に関する第二回会議,マサチューセッツ州ケンブリッジで開催.前回メンバ−に加え,ソ連からフルシチョフの草稿執筆者ヒョードル・ブルラツキ,ミコヤンの息子セルゴ・ミコヤン,ゴルバチョフの個人秘書シャクナザロフが参加.ソ連側の未公開情報が大量に提出される.会議の主題は,なぜフルシチョフがキューバへのミサイル配備を決断したかに集中.

10 ジュネーブの国際人権委員会,米国の提案したキューバにおける人権侵害を非難する決議を採択.コスタリカは米国の圧力を受け決議に賛成.

10月 建設関係の専門家集団「ブラス・ロカ分遣隊」が発足。高賃金で効率のよい作業を保障することをうたう。

87年11月

11.10 スエーデン外相スベン・アンデルソンがキューバ訪問.カストロは,国連人権委員会の提起した人権問題での疑問に答え,国際赤十字総裁がキューバの刑務所における人権状況を調査するよう求める.

11.11 南ア,初めて軍がUNITAを助けるためアンゴラ領内に侵入していることを認める.南ア軍,モドゥラー作戦を「フーパー作戦」に切り換え,戦闘をさらにエスカレート.

11.15 南ア軍,MPLAの要衝クイト・クアナバレに迫る.キューバはMPLAの要請に応え増派を決定.

11.19 メキシコで難民協定をめぐる米=キューバ秘密交渉.84年の12月合意を再度発効することで合意.ラジオ・マルチとひきかえにキューバの米国向け放送を開始する問題についてはひきつづき討議することとなる.

11.20 米国-キューバ移民協定,メキシコシティーで正式調印.キューバはマリエリートス2万3千のうち,オークデイルの連邦収容所,及びアトランタ刑務所に収監中の不良キューバ人2千6百人を引き取ることに合意.

12.15 上下両院,テロリスト以外には,思想信条によりビザ発行に差別をおこなってはならないと決議.

12.20 両国政府,移民協定の復活で合意.

12.22 米議会,キューバ向けテレビ放送の開始にあたっての調査費10万ドルの支出を承認.

87年 乳幼児死亡率が千分の13.6まで低下.これはラテンアメリカ中最低で,米国よりも低率.

87年 米国務省,ベネズエラで釈放されたボッシュの入国申請を拒否.

 

1988年

1 南ア軍,クイト・クアナバレ奪回作戦を開始.二ケ月にわたる激戦となる.

1月 ハバナの米国利益代表部首席,外交官の集まりに招待される.

88年2月

2.05 ノリエガの麻薬密輸疑惑を調査中の連邦検察,疑惑にカストロが関連していることを示唆.前パナマ軍情報部長ホセ・ブランドンの議会での証言によれば,ノリエガは84.6にハバナでカストロと密会.カストロがメデジン・カルテルを紹介したという.

2.15 共和党大統領選候補ロバートソン,ソ連がキューバに核兵器を配備していると発言.フィッツウォーター米大統領補佐官はロバートソンの発言を否定.

2.16 オルランド・ボッシュ,刑期を終え出所.釈放に当たっては駐カラカス米大使オットー・ライヒ(CANF幹部)の尽力があった.

2.18 ボッシュ,有効な入国文書なしで、ベネズエラからマイアミに到着.76年の保護観察中の出国と合わせ,出入国管理法違反の罪で,移民帰化局(INS)によって拘留される.

2.24 カストロ,NBCとテレビ会見.訪米し禁輸やグアンタナモ基地の問題について上院と議論したいと表明.またキューバはメデジン・カルテルの麻薬密輸の通過点ではないとブランドンの証言内容を否定,議会関係者がキューバを訪れブランドンの嘘を示す証拠を受け取るよう要請.

2.24 マイアミ連邦地裁で,レイナルド・ルイスら16人がコロンビアのコカインをキューバ経由で密輸入したと告発.レイナルド・ルイスは5日後にパナマで逮捕されマイアミに護送される.

88年3月

3.11 国連人権委員会年次総会.人権調査団をキューバに派遣することを決定.米国はキューバの人権侵害非難決議に失敗し取り下げる.

3.23 南ア軍,クイト・クアナバレに5回目の集中攻撃.MPLAとキューバ軍9千が,500台の戦車,ミグ戦闘機など600機の航空機で応戦.制空権を確保したキューバ軍が,南ア軍に決定的な損害を与え防衛に成功.南ア軍は50機の航空機,47台の戦車,数百の兵を失い後退.キューバはこの闘いをアフリカのヒロンと讃える.

88年4月

4.01 米国防省,オーシャン・ベンチャー88作戦を開始.4万の兵,28の艦船を動員.米市民撤退演習がグアンタナモ基地で展開される.

4.07 キューバのチェス選手ギジェルモ・ガルシア,ニューヨーク・オープンで二位となる.米財務省は賞金1万ドルの引き渡しを拒否.

4.21 カトリック教会のニューヨーク枢機卿ジョン・カーディナル・オコナー、ハバナでフィデル・カストロと会見。枢機卿クラスのキューバ訪問は革命以来初となる。

4 制空権を奪われ戦線が総崩れとなった南ア軍,アンゴラからの撤退を発表.

4月 国務省,キューバの舞踏団とボクシング・チームに国内旅行を許可.

88年5月

5.3 アフリカ担当国務次官チェスター・クロッカーを議長に,ロンドンでアンゴラ停戦会議始まる.初めてMPLA,南ア,キューバの4者がそろい交渉開始.

5.13 アルフォンス・ダマト上院議員,軍部がパナマに「踏み込み,たたきだせ」と演説.ノリエガはキューバから軍人と武器を運び込み,自分のボディーガードにしていると非難.パナマのホルヘ・リッテル外相は「キューバ化」は米国風の悪い冗談と反論.

5.17 ボッシュは,わずか3ヶ月の拘留ののち解放.背景にブッシュ大統領とCANFの裏取引.

6.04 ナジブラ・アフガニスタン大統領,国連訪問の後キューバを訪れる.

88年7月

7.02 メキシコ大統領選挙でサリナスが勝利.カストロはサリナスに「祝意」を伝える.

7.27 カンボジアのヘン・サムリン議長,ハバナ訪問.両国間の友好協力条約調印

7 カストロ,モンカダ記念演説でペレストロイカ路線の受入れを拒否,独自の経済政策の遂行を強調.

88年8月

8.08 4ヶ国会議,南アとキューバ軍のアンゴラ撤退,ナミビア独立で合意.

8.09 カストロ,エクアドルを訪問.

8.10 DEA,麻薬業者との共同の闘いをキューバに提案.国務省は消極的な態度に終始.

8.23 レーガン,改正通商法に署名.キューバからの書籍,映画,レコードなどメディアの輸入許可制(事実上の禁止)を解除.

88年9月

9.16 国連人権調査チーム,人権状況調査のためキューバ訪問.

9.21 西ベルリンで開かれたIMF・世銀総会に対応して,ラテンアメリカ30ヶ国外相がベネズエラで非公式協議.キューバもメンバーとして参加.

9.22 トム・ハーキン上院議員,ブッシュ副大統領はかつてCIA長官時代に部下だったルイス・ポサダが,コントラ補給作戦に果たした役割について国民に説明する責任があると追及.

9.29 EC,キューバとの外交関係を樹立.

88年10月

10.2 対話を支持する「家族の権利を守るキューバ系米国人委員会」,マイアミの集会に2千人を結集.

10.15 キューバ、国連安全保障理事会の非常任理事国に選出される。

11.15 4ケ国,ナミビアの独立とキューバ軍のアンゴラ撤退で合意.UNITAのサビンビ議長は,「ブッシュはキューバとソ連のアンゴラ支援が続くかぎり米国も支援を続行することを約束」と語る.

88年11月

11.26 クレーボーン・ベル米上院外交委員長,キューバを訪問.帰国後,「キューバとのより合理的な,標準化された関係」をもとめ,対話を促進すると声明.トリチェリ下院西半球問題小委員会委員長も前後してキューバ訪問.「生活水準は高くない.しかしホームレス,飢え,病気など,ラテンアメリカでは当たり前のものが,ここでは見られない」と語る.

11 キューバ,全米カトリック会議との折衝で政治囚44人の解放に同意.

88年12月

12.5 カストロ,社会主義批判が「流行」となっているいま,断固として社会主義を守ろうと国民によびかける.ソ連の「改革」について触れ,「成功を祈るが失敗した場合はわれわれにとって深刻な事態をもたらすだろう」と警告.

12.14 チャールズ・レンジェル委員長を団長とする下院麻薬特別委員会調査団,キューバを訪問しカストロと会談.カストロは麻薬追放のため協力を惜しまないと言明.

12.22 国連決議435号可決,ナミビア独立実現方式を定めた「ナミビア合意」成立.キューバとアンゴラ政府とのあいだに撤退の日程に関するとりきめ.

12.23 キューバ,南ア,米国の三国代表,国連でアンゴラ和平協定に署名.ナミビアの独立が承認され,キューバは91年までに軍を段階的に撤退させることとなる.

88年 コネチカットで上院議員選挙.対キューバ関係改善派のロウェル・ウェイカー議員(共和党)を落選させるため,CANFは対立候補の民主党ジョセフ・リーバーマンを援助.

88年 経済計算制度が廃止される。

 

1989年

89年1月

1.10 キューバ軍,アンゴラからの撤退開始.450人からなる第一陣をラウル国防相以下が出迎える.

1. 26 国家安全保障アーカイブ,マングース作戦関連の文書を公開.カストロとフルシチョフが防衛のためにミサイル導入を決意した経緯が明らかになる.破壊,侵入,心理作戦を結合させたこの計画が,ケネディの承認を受けていたことも明らかになる.

1月27日 モスクワで第三回目のミサイル危機検討会議が開催される.米ソ両国に加え,キューバ側の情報もはじめて明らかにされる.

キューバ側情報の重要なポイント: @米情報筋はキューバ駐在ソ連軍を1万ないし1万2千と踏んでいたが,実際には4万人を超えていた. Aキューバ側は米軍の侵攻を予測し,その際犠牲者は80万人と見積もっていた. Bミサイル危機の際,実際にキューバには20発以上の核弾頭が存在した.しかしそれはミサイルには装着されていなかった.

1月 カストロ、経済危機からの脱出をめぐり党内に対立があることを認め、「急がず、適切な体制を検討しよう」と呼びかける。

89年2月

2.01 カルロス・アンドレス・ペレス,ベネズエラ大統領に就任.キューバとの国交を回復.

2.05 マクナマラ元国防長官,ミサイル危機について、「当時のモスクワやハバナは,米国が侵略を試みようとしていると考えても当然だった」と発言.

2.08 国務省,議会に人権白書を提出.キューバと北朝鮮を世界最悪の人権侵害国と非難.

2.24 国連人権委員会調査団,米国の「キューバには1万5千の政治犯がいる」という非難にはなんら根拠がないと報告.

89年3月

3.4 亡命キューバ人レイナルド・ルイス,バラデロ空軍基地から船でコカインを米国に持込んだとして有罪を宣告される.ルイスは,軍内に広がるキューバ・コネクションの一員であると証言.カストロ,内務省に関係者がいるか調査するよう命令.

3.18 ニューヨークで米州麻薬問題対策会議.米国はハバナ,マナグア,パナマの市長へのビザ発行を拒否.

3.24 ブッシュ,両党の議会代表を招きコントラ援助計画を発表.コントラ援助の見直しを要求.援助継続で超党派合意が成立,4千万ドルの「人道的援助」法案を可決.ゴルバチョフのキューバ訪問が中米への干渉を停止する機会となるよう期待感を表明.中米地域への「新思考」適用を要求.オルテガはこの要求を「国家主権への干渉」と非難,

3.28 ベイカー国務長官,LA各国駐在の大使に向け「政府は今後キューバとの関係を改善する意志はない」と訓令.

89年4月

4.04 ゴルバチョフ,キューバを訪問.人民権力全国会議(国会)で演説.人類共通の価値優先を強調.ニカラグアへの武器援助停止を示唆する.カストロ,ソ連におけるペレストロイカ路線に一定の評価を与えつつも「複数政党制には興味がない」と言明.「ペレストロイカを受け入れることは,我が家で他人の妻と住むようなもの」と批判.今後25年間の技術協力を取決めた友好協力条約調印.この時点でキューバの貿易先の87%がコメコン諸国で占められる.

4.28 南アフリカ,アンゴラ,キューバがナミビア緊急合同委員会.南西アフリカ人民機構(SWAPO)の撤収検証で合意.

5.01 国防省,グローバル・シールド作戦を開始.核戦争を想定しF4,F15,F16をキューバ領空に侵攻させ,ついでB52がフロリダから飛び立ちハバナ近くの海岸線にまで接近.

5月 米国務省、「オーランド・ボッシュはテロリストの経歴を持っている」とし、亡命者保護を与えることを拒否。

89年6月

6.16 キューバ当局,麻薬コネクションに関する調査結果を発表.アルナルド・オチョア中将,内務省物資調達局の前局長アントニオ・デラグアルディア少将など最高幹部14名が摘発される.オチョアはキューバ軍内でもっとも有名で人望のあった将軍.アンゴラ進駐軍の司令官,エチオピア,ニカラグアにおける最高軍事顧問を歴任し,逮捕当時はキューバ最精鋭といわれる西部軍の司令官を務めていた.軍内強硬派としてアンゴラ撤退に反対していたといわれる.

6.16 キューバの高官逮捕の報道を受け,クレイボーン・ペル上院外交委員長,レインジェル下院麻薬対策委員長があいついで麻薬撲滅の闘いでキューバとの共同を主張.国務省は,キューバとの直接対話は従来の政策に反すると批判.

6.22 グランマ,内務省グループが87年1月から89年4月23日までのあいだにコカイン6トンを米国に密輸,340万ドルを受け取ったと発表.

6.22 アンゴラ和平を協議するアフリカ20ヵ国首脳会議開会.アンゴラ政府(MPLA)とUNITAが24日午前零時を期して停戦することで合意.

89年7月

7.9 カストロ,議会で演説.米国はすくなくともミゲル・ルイスとアントニオ・デラグアルディアの二人が麻薬に関与していた事実を把握しており,それをキューバ当局に教えるべきであったと批判.

7.12 レインジェル麻薬対策委員長,ブッシュ政権は反共政策をもてあそんでおり,キューバの麻薬対策への協力の意志を無視していると非難.

7.13 麻薬事件の首謀者4名が銃殺刑,10人が懲役刑に処せられる.グランマ紙は「今日の世界で,威信も道徳感もない国は無防備だ.英雄的な人民から名誉を奪うことは力を奪うことに等しい」と強調.オチョア処刑後,西部軍将校の7割が更迭される.また内務省の最高幹部が処刑されたことから,ラウルを先頭とする国防省が軍事力の主導権を回復.

7.26 カストロ、革命記念式典で社会主義路線の堅持を表明.

演説のさわり: もしも,明日,或いはある日,ソ連で大きな内戦が勃発したというニュースで目を覚ますことがあっても,或いは,ソ連が解体したというニュース,それは決して起こらないようには望んでいるが,そういうニュースで目を覚ますことがあっても,そういう状況にあってもなお,キューバは存在し,キューバ革命は闘いつづけ,抵抗し続けるであろう

8.17 ニューヨークタイムズ、ブッシュ(父)大統領がボッシュ釈放を取引したと報道.これによればブッシュはCANF系下院議員Ileana Ros-Lehtinenとひそかに会い,息子ジェブ・ブッシュ(フロリダ州知事に立候補予定)へのCANFの支持を依頼.これとひきかえに,ボッシュ釈放を認めたという.

8 キューバ,米国を賛美するソ連の週刊誌を発禁処分に.

89年10月

10.05 シェワルナゼ外相,ニカラグア訪問の帰途カストロ首相と会談.

10.12 ペルーでリオグループ首脳会議.キューバのOAS復帰を勧告.

10.18 国連総会,キューバを来年1月から二年間の安保理非常任理事国に選出.賛成146,反対10票.

89年11月

11.20 財務省,キューバを訪問する米国市民の米ドル使用を一日百ドルに制限.

11 カストロ,「われわれはすでに若干の影響を被りつつある.われわれは深刻な困難に直面することになろう」と発言.

12 マイアミの亡命キューバ人,車に「来年はハバナで」とのステッカーを貼る.準軍事組織はフロリダ湿原での軍事訓練を再開.CANFは新たな「民主憲法」を制定,「ブルーリボン委員会」でポスト・カストロの経済計画を討議開始.

12月 国会,観光業を外貨獲得の重要な手段であるとし,優先する計画を決議.

 

1990年

90年1月

1.02 革命記念集会でカストロ演説.「社会主義陣営の存在はキューバの達成した成果の土台であった.その崩壊により,経済面,特に物資調達の面で深刻な事態に直面している.今年の見通しでさえ定かでなく,ましてや来年からの見通しを立てることは困難な状況にある」

1.04 米軍,キューバ航空が在留キューバ人60人を搬送するためパナマ入りするのを許可.キューバ大使館およびキューバ大使公邸の包囲は解かず.(パナマ関係の詳細はパナマ年表を参照)

1.09 コメコン総会開催.ソ連は91年1月から国際価格による通商と通貨による決済に移行するよう提案.

1.11 プラハ放送のハバナ特派員,「政治情勢をいちじるしくゆがめて放送した」との理由により国外追放処分.

1.26 キューバ,CNNワールド・レポートの定期放送を開始.

1.26 キューバへの釣り旅行を企画したテキサスのダン・スノウ,対敵通商法違反の容疑で起訴.90日の拘留,5千ドルの罰金の判決.

1.28 カストロ,第16回キューバ労働者センター(CTC)大会の閉会演説.「我々はすでに”戦争における非常時体制”の計画を持っているが,いまは”平和時における非常時体制”の計画を作成しなければならなくなった.最悪の事態を予測して,その対策を立てなければならない」

1.30 沿岸警備隊のシンコティーグ(Chincoteague)号,メキシコ湾の公海を航行中の貨物船ハーマン号を麻薬密輸船の疑いがあるとして追尾.ハーマン号はキューバがチャーターしたパナマ船籍の貨物船で,パナマ国旗を掲げクローム鉱を積んでタンピコに向かっていた.沿岸警備隊はパナマ政府の乗船許可を受けたうえ,ハーマン号に停船を命じるが,ハーマン号はこれを拒否しメキシコへの航海を続行.沿岸警備隊はハーマン号に放水を浴びせ,さらに銃撃・砲撃を加える.カストロは査察受入れを断固拒否するよう指令.ハーマン号は重大な損害を受けつつ,メキシコ領海内に到達,沿岸警備隊は追尾を断念.タンピコ入港後メキシコ官憲が臨検をおこなうが麻薬はなし.

1 国務省,AT&Tの光ファイバーを用いたキューバ電話回線の近代化の申請を拒否.

90年2月

2.01 ハーマン号乗組員,ハバナで熱狂的歓迎を受ける.国連安保理議長の当番国となったクーバのアラルコン大使,ハーマン号事件調査のための特別理事会の召集を各国に打診.

2.17 カストロ,共産党による一党支配と民主集中制の維持を表明.その上で一定の政治改革へ取り組むことを明らかにする.

90年3月

3.06 国連人権委員会,米国,ポーランド,チェコの共同提案になる「キューバにおける人権侵害」を非難する決議を採択.カストロはキューバだけを特別視する国連決議に従う意志は毛頭ないと表明.

3.27 1億5千万ドルをかけ設立されたキューバ向け放送「テレビ・マルティ」が送信開始.キューバ側の妨害電波により島内での視聴は不可能.

3 キューバ共産党代表団,日本共産党を訪問.国際情勢についての意見交換をおこなう.

3 ラウル,第4回共産党大会へのよびかけを発表.

ラウル論文の骨子: 86年以来の修正過程を総括し、@75年体制の否定的傾向、A過去から蓄積された問題、Bわれわれ自身の過ちや不十分さ、の克服過程であったと規定する。そして「キューバの現実に即した社会主義形態」を追求する必要性を強調。社会主義の完成のため国民参加の拡大を観点とする制度変革について提案し,全国的討議をおこなうよう訴える.

90年4月

4.17 カストロ,日本人記者団と会見,複数政党制導入について否定.

4.25 ホセ・ラモン・フェルナンデス教育相を団長とする代表団,チャモロ大統領の就任式に出席.

90年6月

6月 ANCのマンデラ議長,マイアミを訪問.地元政治ボスはいかなる歓迎も拒否し,デード郡への黒人観光客立ち入りを三年間禁止する.二ヶ月前にマンデラがキューバを讃える演説をしたことへの報復.

6 キューバ,大嘗祭への出席を発表.

6 キューバ在住の芸術家作品を展示したマイアミのキューバ人美術・文化博物館に爆弾.

90年7月

7.17 米司法省,いったん確定したオルランド・ボッシュの有罪判断を覆し釈放.

7.20 ブッシュ大統領、オルランド・ボッシュに恩赦を発令。事実上の亡命者保護を与える。

7.20 ニューヨークタイムズ,社説を掲げボッシュ釈放を批判。「オルランド・ボッシュの刑務所からの解放は,テロリズムに関するアメリカの信頼性を傷つける驚くべき政治的な判決である」と述べる.

7.26 カストロ「社会主義陣営にあった国々との通商は事実上消滅した.ソ連からの供給は50%も減った.現実を直視しよう.いますべてがバラ色とは決していえない.しかしソ連が分裂し解体しても,たとえ崩壊しても,われわれは社会主義を守りぬく」と演説.

7.27 シアトルで開かれたグッドウィル競技大会にキューバから150人の選手が参加.国務省は団長のフェルナンデス教育相へのビザ発行を拒否.

7 スペイン大使館などに合わせて,35名が亡命を希望して逃亡.政府は出国の自由が認められているいま,「亡命」は米国の宣伝策動にすぎないと非難.

90年8月

8.2 イラク,クエートを占領.キューバは安保理のイラク非難決議に賛成するが,禁輸決議には棄権.

8.29 第一次緊縮政策を発表.キューバは疑いなく「平和時の特別期間」(el Periodo especial en Tiempo de Paz)に入ったとする経済非常事態を宣言.ソ連からの原油供給が当初計画の5分の1に削減されたことにより,備蓄が80%に減少.エネルギー節減政策実施を余儀なくされる.

平和時の特別期間の骨子
事態を4段階に分ける.
第一段階を石油輸入量が年間必要最低量である1000万トン以下の場合とし,さらに200万トン輸入量が減少するたびに新たな段階を迎える.徹底した緊縮政策をとり,@国営部門への石油供給制限,A個人用ガソリンの3割削減,Bモアの「ゲバラ」ニッケル工場の閉鎖,C家庭電力の1割自主削減.さらに生産性の悪い工場や学校を閉鎖する.肥大した党・官僚組織の合理化,労働者の配転などを断行.待業者には給料の60%を支払う.

90年9月

9.24 「グランマ」以外の14の全国紙,15の地方紙を日刊からはずす.共青機関紙「フベントゥ・レベルデ」,CTC機関紙「トラバハドーレス」を週刊紙とし,国防省機関紙「バスティオン」は休刊となる.「ボエミア」以外の雑誌はすべて休刊とし,ボエミアもページ数が2/3に減少.

9.26 食料品のほとんど,その他の生活用品のすべてが配給制となり,自由市場は事実上廃止.政府配給は一人一日あたりパン一切れ,卵は週3個,魚か鳥の肉が月に一度,食用油は一人年1ビン,ミルクは8才以下の児童にのみ配給されることとなる.

9.28 キューバは単年度で60億ドル相当の経済援助,10億ドルの軍事援助,1千万トンの原油,60億ドル相当の商品を失う.事実上第三次5ヶ年計画を中断し,超緊縮政策を展開.カストロは,第4回党大会の延期を発表.国民に対し忍耐をよびかける.自家菜園の奨励,ロウソクや石鹸の製造法,馬車の復活,中国から自転車百万台の輸入などが実施される.火発用重油の品質低下のため,ハバナ市内はスモッグが蔓延.ブッシュは「カストロ最後のときが来た」と演説.

9月 キューバとの関係改善を訴えてきた上院のペル議員,下院のトリセリ議員があいついで経済封鎖を求める立場に転換.背景にCANFの強力な働きかけ.

90年10月

10.05 共産党,地方委員の選出に複数立候補,直接秘密投票制を導入すると発表.

10.18 米国とソ連,エルサルバドル政府とFMLNとの交渉促進をよびかける共同声明.ソ連はキューバに対しエルサルバドル向けの武器供与を中止するよう要求.

10.26 米議会,米国企業の海外子会社のキューバとの交易を禁止するマック修正を可決.また、いかなる国もキューバから砂糖その他の製品を買うなら援助を停止を行うとする。

マック修正の影響: 米通商省の承認を受けた米国系会社の取引高は、88年の2億5千万ドルから、この時期に7億2千万ドルに達していた.その9割は食料品.主要な理由は、ソ連崩壊によりキューバの輸入が急増したことによる.

10.31 カナダのキャンベル司法長官,米政府がカナダ国内の米資本会社に対して干渉することを禁止.

10月 キューバ政府,米国亡命人組織「キューバ系民主綱領」との対話開始.

90年11月

11.13 キューバ,経済封鎖解除決議案の国連総会上程を延期.米国は,決議に賛成しないようラテンアメリカ諸国に外交攻勢.これを受けたコンタドーラ三国が,キューバを説得したもの.

11.18 ドイツ開発援助省,国家統一にともない旧東独の対キューバ援助を停止すると発表.

11.24 「配転労働者への労働・賃金に関する措置についての決議」第17・90号が布告.石油およびその他の原材料の供給減少により,労働者の配転が必要となったとし,企業・労組・職場の代表よりなる職場委員会を選出し,労働者の選別にあたることになる.

90年12月

12.29 共産党第5回全国会議.報告では,・ソ連からの輸入量は2年前の80億ドルから40億に半減,・今年度の協定量の半分足らずしか供給されていない,・具体的には石油が54%,その他の部品は20%,特に交換部品はゼロであると明らかにする.閉会の挨拶でカストロは「すべてのキューバ国民は生活の悪化に対する覚悟が出来ている.しかしさほど急激ではなく,深刻なものでもないだろう」と発言.この時点では対ソ連輸出は前年比96%を確保.ソ連からの輸入も13%減におさまる.

12.30 ソ連とキューバの次年度貿易に関する協定締結.五年契約はすべて破棄され,単年度契約に切り替わる.ドル決済が導入され,砂糖価格も1トン800ドルから500ドルに切り下げられる(国際価格は200ドル前後).ソ連は約50億ドルの年間通商と1千万トンの石油供給,10億ドルの経済援助の維持を約束.

12月 国会,緊急食糧増産計画を承認.米作地の拡大,養豚場・養鶏場の建設,淡水魚漁獲の拡大などを打ち出す.資材不足のため,計画はほとんど実施されずに終わる.

12 チェコスロバキア政府,米国におけるキューバの利益代表部をチェコ大使館内に置くことを拒否.

12 マイアミの亡命者は,車に「今度のクリスマスはハバナで」のステッカーを一斉に張り出す.

90年 ソ連共産党第28回大会開催.シェワルナゼ外相,「もしわれわれが以前行ったと同じように,軍事費に国家予算の四分の一を支出し続けるならば,国家を最終的に破産させることは明らかである.過去20年間だけでも西側とのイデオロギー闘争に7千億ルーブルが軍事的対決の費用として追加支出され,対中軍事対決のために2千億ルーブル費やされた」「ソ連は主として軍事力によって超大国となった.しかし軍事力の無制限の増大は,ソ連を三等国に突き落とし,崩壊の一歩手前まで追い込む過程となった」

90年 イズベスチア紙、キューバのソ連に対する累積債務が90年末現在で150億ルーブルに達したと報道。

  

1991年

1.03 アンティグア諸島で第4回ミサイル危機問題シンポジウム.「二つの超大国とキューバ」と題され.三国間のダイナミックな関係が検討される.

1.16 カストロ,国連安保理のメンバーとして,湾岸戦争を阻止できなかったことに遺憾の意を表明.

2.24 カストロ,米軍主導の多国籍軍によるイラク,クウェート進撃を激しく非難.「米国は虐殺を欲している」と発言.

2 スイス,チェコ大使館に代わり利益代表部を置くことを許可.

91年3月

3.06 UNCHR,キューバ政府が人権状況視察団を受け入れるようもとめる決議を採択.

3.20 キューバのミグ27戦闘機,キーウェスト海軍基地に亡命.

3.30 キューバ,コンゴ政府とのあいだで77年以来駐留していたキューバ兵の撤退で合意.

4.16 キューバ共産党の中央委員会が開催。カルロス・アルダーナ書記は第4回党大会を秋まで延期すると発表.

4 アルダーナ書記,カナダとの間のe/mail接続を承認.

91年5月

5 カストロ,ソ連からの原材料供給が完全停止されたと発表.原油供給は89年1300万トンから91年300万トンに激減.

5.21 ブッシュ大統領,亡命者の集会に出席.カストロに政治囚の解放と選挙の実施を求める演説.

5.24 アンゴラ派遣兵最後の部隊が帰還.ラウル国防相は演説で派遣兵が延べ37万3千に及んだと発表.カストロによれば戦費は年間10億ドル(砂糖500万トンに相当する)にのぼり,戦士・事故死による犠牲者は5万人に達する.

6 キューバ,チリのFPMRへの支援を打ち切りずみであると声明.

91年7月

7.23 エル・ヌエボ・ヘラルド紙に,テロリストが声明を送る.「キューバを訪れる観光客やビジネス客は軍事目標とみなされ,彼らを対象とする行動はテロではなく軍事行動とみなされる」とする脅迫.

7月 バスルトの組織した「兄弟の救援」機、キューバ空軍のミグ戦闘機が周りを包囲する中、フロリダ海峡での難民救援活動を開始。イカダ難民を見つけ出し、その位置を沿岸警備隊に通告。キューバ軍はFAAに厳しく抗議。

7 グアダラハラで第1回イベロアメリカ首脳会議開催.LA諸国とスペイン,ポルトガルの21ヶ国元首が勢ぞろいする.会議は出席したカストロに対し,国内民主化を呼びかける.キューバは会議中にコロンビア,チリ,パラグアイとの領事関係,経済関係の再開を決定.

7月 共産党中央委員会,19の部署を9に削減.書記は7名から5名に,勤務員は5割削減される.地方委員会の部長職,第二書記職も廃止される.軍の規模を3〜4割削減する計画が発足.兵役が3年から2年に短縮される.

91年8月

8.10 ハバナで第11回米州競技大会開催.39ヶ国が参加.キューバは国威をかけて大会を成功させる.大会では米国をしのぎ最高の金メダルを獲得.

8.21 米国務省,「封鎖ということには,他国とキューバとの貿易を妨害するための措置を,米国が行うことも含まれる」と説明.事実上の封鎖強化.

8.29 キューバ共産党,ソ連崩壊を受け声明.ソ連共産党崩壊にかかわらず独自の社会主義路線を守り抜くとする.

91年9月

9 コロンビア,キューバと国交関係を樹立.

9 ハバナで反体制活動家が公然と政府批判行動を開始.

9.10 モスクワでゴルバチョフとベイカー国務長官の会談始まる.

9.11 ゴルバチョフ,「ソ連は,キューバ駐留ソ連軍教育訓練部隊1万1千名の撤退についてキューバと協議にはいる.またキューバとの関係を【近代化】するつもりである」と述べる.ベイカーは「この行動は米国のソ連に対する態度に良好な影響を与える」と賞賛.

9.11 キューバ外務省,直ちに声明を発表.「ソ連軍のプレゼンスは,キューバの安全保障にとって象徴的な意味あいを持つに過ぎない」とし,「事前協議や通報なしにこのような発言が行われたのは,国際法及び両国間の協定に照らして,適切さを欠いている」と批判.この時点で駐留軍の実数は2千8百名.

9.14 「グランマ」紙,「ソ連の一方的,無条件,しかも事前協議なき決定は,米国が進攻計画を推進することにゴーサインを出すのに等しい」と非難,米ソ両軍の同時撤退を要求.

9.18 ベネズエラのデュラン外相,初の公式訪問.「キューバを追いつめるのを止めよう」と発言,キューバに対する原油輸出の拡大を発表.

9.20 ブッシュ,キョーバ共産党崩壊の日が近いと演説.「キューバのうめきを聞いて喜んでいる」と発言.経済封鎖の一層の強化を訴える.

9 キューバ国内8団体がキューバ民主化協議会(CDC)を結成.複数政党制,市場経済導入,総選挙の実施,共産党支配を決めた憲法の廃止など77項目を提案.政府は幹部のルイス・ビタ・サントスら6人の逮捕で応える.

9月 ゴルバチョフの「近代化」声明

91年10月 第4回共産党大会

10.10 キューバ共産党第4回大会,サンチアゴ・デ・キューバで開催.外国代表団や記者団の参加を認めず.カストロが冒頭演説.ソ連からの商品輸入は当初目標の1/4に過ぎず,特に年頭初の5ヶ月間は,ほとんどまったく食料輸入が途絶えたと報告.今日でも豆の5割,ラードの7%,植物油の16%,コンデンス・ミルクの11%,バターの47%,缶詰肉の18%,粉末ミルクの22%,魚肉の11%しか受け取っていないとする.ソ連と東欧のうしろだてはなくなったが,困難の中でも独立と革命を進めると演説.76年以来のソ連型経済管理・計画体制の弱点を指摘すると同時に,中央集権的計画経済体制の維持を表明.

10.12 ボッシュ,キューバ系亡命者の集会で演説.「キューバに銃を送れ,金を送れ」と呼びかける.リリース以来、ボッシュは亡命者にキューバに武器を送るよう主張し続けた.

10.13 新綱領を採択.@経済政策としてはラテンアメリカ諸国からの投資誘導,外貨獲得産業として観光,柑橘類,水産,薬品生産を重点化.A民主化に関わる措置としては,信仰を持つものにも党員資格をあたえることを決定.党の「無神論原則」を放棄.国会・地方議会議員の直接公選制,技術職の個人経営許可など.B機構改革としては党内民主主義の強化を理由に書記局を廃止,政治局を縮小(政治局員を25名に),中央委員会は人員を6割削減.ベテラン幹部4人の退任など.一党制の維持をふくむ新綱領を採択しカストロ第一書記らを再任.

10.14 サンチアゴ・デ・キューバでうち上げ集会.カストロ,ゴルバチョフ大統領を厳しく非難.キューバは世界の進歩と民主主義,革命の旗手となったと述べる.「中国,ベトナム,北朝鮮との関係強化」をうたった決議を採択.

10.23 労働時間,昼休みを含む8時間から連続7時間労働となる.職場での昼食サービスは廃止.

10.23 メキシコのコスメル島でメキシコ,ベネズエラ,コロンビアの三ヵ国首脳会議.ブッシュの米州自由貿易地域構想を支持し,キューバも含めたLA全体の自由貿易化をうたう.会談にはカストロ首相も招へい.国会議員選挙を直接選挙制とし非党員の参加を認めると発言.トラレトルコ条約への参加の意志も表明.

91年11月

11.03 カストロ首相,外国からの投資に門戸を開放する意向を表明.

11.04 長距離列車,長距離バス,長距離トラック,ハバナ市内バスなどの削減が発表される.

11.22 キューバ駐留ソ連軍の撤退をめぐる両者の交渉,合意に達しないまま終了.

11 政府,給与の三割削減.パン,卵に続きタバコ,家庭用灯油も配給制に移行.

91年12月 ソ連解体

12.06 カストロ,学生組織の会合で演説.ソ連からの原油輸入が12月に入り完全にストップしていることを明らかにする.

12.08 ゴルバチョフ,ソ連解体を宣言し大統領辞任.ソ連邦崩壊.これまでの年間60億ドル相当の経済援助がうち切られ.ソ連からの原油輸入は,89年1300万トン,90年1000万トン,91年665万トンと激減.しかも91年からはドル決済.砂糖価格も500ドルからさらに国際価格の200ドルまで下落.ニッケルの輸出価格も低下.

12.20 第二次緊縮政策が発表される.いくつかの職場の閉鎖,テレビ放映時間を半分に短縮.管理部門のエアコン停止.夜間スポーツの中止.バス運行を1/3に削減.一時停電など施行.中国から自転車数十万台を輸入.

12.21 旧ソ連を構成する11カ国首脳により独立国家共同体の創設宣言.ゴルバチョフは大統領辞任を声明.

12.23 カストロは「ソ連崩壊は,それが果たしてきた役割,キューバとのあいだで維持してきた友好的関係から見て,痛ましく,悲しむべき事態である」と論評.「来年は非常時が最悪の事態となり,正念場となるだろう.社会主義陣営とソ連の崩壊の影響を最大限受けることとなるだろう」と述べる.

91年 市場為替レートは20倍近くまで上昇し、平均月収は2ドルまで低下.ヤミルートの物資は2000%に高騰.闇市場の拡大をもたらし、経済の二重性を一層推し進める.

91年 シエンフエゴス市郊外フラグアの原発建設工事,ソ連の都合により中止.

 

1992年

92年1月

1.3 市民34人がヘリコプターでアメリカに亡命する.

1.06 国家安全保障アーカイブと国務省,FOIAの訴えを受け,ケネディ=フルシチョフ間の往復書簡を全面公開.62年10月30日から12月19日のあいだに交わされた11の書簡は,危機のクライマックスとなった10月28日以降も依然,緊張関係が続いていたことを明らかにする.

1. 09 「米国・ソ連・キューバ三国の関係」と題するシンポジウムがハバナで開催される.ミサイル危機に関する一連のシンポジウムの締めくくりとなる.カストロは4日間の全会議に出席.彼の果たした役割について証言.ソ連からはアナトリ・グリブコフ将軍が出席.当時,キューバ国内に短距離の戦術核ミサイル9基が配備され,米軍が上陸した場合は,現地のソ連軍にミサイル発射の最終決定権が与えられていたことを明らかにする.

1.09 不法出国を企てたルイス・ミゲル・アルメイダ,ハバナで警備艇のハイジャックを試みる.このとき,警官ら3人が殺害される.

1 カストロ,ゲリラ運動への支援,アフリカなど現存政権への軍事協力を停止すると発表.

1 マス・カノーサ,ヘリテージ財団で講演.「キューバ経済は東欧やロシアよりさらに深刻な状況に置かれている.カストロは権力から排除されつつある.今年はキューバにとってきわめて重要な年になるだろう」

1 ケネディとフルシチョフの往復書簡,封印を解かれ国防雑誌に掲載される.ケネディはミサイル撤去にあたり一切の言質を与えていなかったことが判明.

1 キューバとカナダ間にe−mail回線が開設される.

92年2月

2.05 民主党ロバート・トリセリ下院議員,「キューバ民主主義 '92」法を提案.一般にはCDA(Cuban Democracy Act)と呼ばれ,また提案者の名をとりトリセリ法と呼ばれる.・キューバと経済関係を維持ないしは援助を供給する諸国への援助削減を含む制裁,・米企業の国際子会社による対キューバ取引禁止,キューバに寄港した商船の180日間の米国内入国禁止などを規定.トリセリは「キューバ国内に大混乱(havoc)を発生させるのが狙い」と語る.トリセリはそれまで民主党リベラル派とみなされていた.

2 カストロ,革命体制が最大の危機に直面しており,体制延命が最大の課題であることを認める.

2 メレンデス経済協力相,「メキシコのホテル産業インフラへの投資はキューバ経済の発展に寄与している」と評価.

2 ブッシュ,マイアミ・ヘラルド紙に投稿.「私の目的はカストロ全体主義を終息させることにある.カストロ政権の寿命はあとわずかである.われわれは引き続き経済的にカストロを追いつめていく.同盟国・友好国に対しても協力を要請する」

3.3 UNCHR,国連特別視察団の受け容れに協力するよう,キューバ政府に求める決議を採択.

3.06 エリツィン・ロシア大統領,ドイツ・ポーランド・モンゴル・キューバに駐留中の旧ソ連軍部隊をロシアに移管する大統領令発令.

92年4月

4.18 ブッシュ「キューバ民主化の可能性はかつてないほど高まっている.禁輸効果をあげるには“鉄は熱いうちに撃て”である」と強調し対キューバ経済封鎖強化を発表.キューバに寄港した船の米国寄港をいっさい禁止.ただし国際関係を配慮し,CDAには慎重な態度をとる.

4月 キューバ,米国の侵攻に備え民兵訓練を強化.地下壕づくりをすすめる.共産主義青年同盟大会,地下壕内で開催.

4月 クリントン候補,マイアミのリトル・ハバナでCANFのパーティーに出席.「トリチェリ・グレアム法案を支持する.ブッシュはカストロをやっつける好機を逸した」と発言.一日で27万ドルの選挙資金を獲得.ボストン・グローブ紙は,これを「ファウストのバーゲン」と呼ぶ.

5.06 カルロス・ラヘ閣僚会議事務局長,「資本主義世界に向けた社会主義的開放が必要である.外国資本は戦略の基礎ではないが,戦略の構成要素のひとつである」と述べ,開放政策の推進を強調.

5.27 エリツィン・ロシア大統領,キューバから砂糖150万トンを緊急輸入すると発表.

6.10 ハバナで18カ国115企業から132名が参加して,「外国投資に関するユーロマネー会議」が開催される.米国からはIBM,コダック,フィリップ・モリス,ブリストル・マイヤーズ・スクイブなどの代表78名が参加.

6.15 ニューヨークタイムス,「貧しきキューバ人をさらに苦しめるのか」と題する社説を掲げ,トリセリ法を論評.「民主主義法という名前と実体は逆さまだ.そこには怪しげな理屈と内容の残酷さと,選挙目当ての醜さが同居している.キューバ系米国人の有力な一派は,いまや傷ついた政権を棒で突っついては歓声を上げている.結局のところ,それはマイアミでのうのうと暮らす亡命者たちが,貧しさにあえぐ故郷の哀れな同胞たちに加える心無い仕打ちを手助けするだけのことである。連中は軽蔑に値する」

6.20 イシドロ・マルミエルカ外相,健康上の問題で辞任.後任には国連大使リカルド・アラルコンが就任.

6 原子力庁長官フィデル・カストロ二世,解任される.

92年7月 憲法改正

7 カストロ,マドリードで開かれた第二回イベロアメリカ首脳会議に出席.総会はキューバの民主化促進を決議.

7 第11回人民権力全国会議開催.141条中76条に及ぶ憲法修正を決定.

憲法の主な修正点
@「基本的生産手段は全人民の社会主義的所有とする」とし,民営企業の部分的存在を認める.A社会主義国の一員であることをうたった前文を削除,LAをはじめとする発展途上国との一体性を宣言.B「国家による貿易の独占」を廃止し,海外からの投資条件を大幅に緩和.C人民解放闘争の支援をうたう条文を削除.C選挙制度改革案と直接秘密選挙制導入を決定.D政府の公式方針を「無神論」から「世俗論」に変更し,宗教を理由にした差別を禁止する.

7.16 第三段階の緊縮政策開始.計画停電,列車・バスの運行回数の減少,個人へのガソリン供給の大幅な制限など.ハバナでは1日10時間の停電.第4段階は迎えることなく,危機を切りぬける.

7.28 中距離列車の運行,毎日1便から週三便に減少.

7 中国がキューバ援助を大幅に削減.ブッシュはこれを受け,議会に中国を「最恵国待遇」とするよう提案.

8.14 ロシア紙『ネザビシマヤ・ガゼータ』,カストロの息子フィデル・カストロ・ディアス・バラルトが500万ドルの公金着服により逮捕されたと報道.

8.16 キューバ,国連事務総長にあて,トリセリ法案を非難する書簡.

8 メキシコのサリーナス大統領,CANF の代表ホルヘ・マス・カノサと会見.反カストロ色を鮮明にする.

92年9月

9.05 カストロ,フラグア原子力発電所の建設を断念,旧ソ連の軍事顧問団の撤退に合意と発表.停電時間は一日6時間にのぼり,イカダで米国に逃亡するものが続出.

9.18 キューバ,国連総会に対し,米国による経済封鎖を終わらせる必要性を調査するよう要求.

9 カルロス・アルダーナ(政治局員,国際関係・イデオロギー担当書記局員),外国企業から海外出張中に使用可能なクレジット・カードの提供を受けたことが明らかとなる.アルダナは改革派の若手幹部で,カストロの秘蔵っ子としてナンバー3の地位にあった.

9月 民主党のクリントン候補,トリチェリ法案を可決するよう議会に呼びかける声明.

92年10月

10.07 コマンドL,米本土から高速艇で出撃しバラデロを襲撃.ホテル・メリダに銃弾を打ち込む.「コマンドL」はこの年だけで,少なくとも8回にわたりキューバ襲撃を実行.キューバ政府の抗議を受けた国務省は,司法省に正式捜査を依頼.司法省はFBIに捜査を指示.

10.15 下院,キューバ民主主義法(CDA)を276対135で可決.トリセリ法は食料・医薬品を国際紛争解決の手段としてはならないと定めた国際法および国連決議に抵触するものとして,国内外から抗議が殺到.ブッシュは署名に難色を示す.

トリセリ法の骨子: @キューバに寄港した船舶の180日以内の米国への寄港を禁止する、A米国資本の海外子会社にキューバとの貿易を禁止する。この時点で外国籍子会社の取引はほとんどすべて食料と医薬品のみであった.さらに米国市民がキューバに旅行すること,キューバ人亡命者が家族に送金することなどを禁止する.法律は私的なグループが食料,医薬品をキューバに送ることについては黙認.

10.23 クリントン,マイアミでカノーサと会談.CDA支持の態度を明らかにし,27万6千ドルの選挙資金提供を受ける.

10.23 クリントン・カノーサ会談に衝撃を受けたブッシュは,ただちにマイアミにとび,大衆の前でCDAに署名.署名式での演説では,「この法律はカストロ独裁政権の不可避的な崩壊を早めるだろう.キューバにおいて自由を掲げるためには,カストロを倒さなければならない.私が二期目の大統領に選ばれるなら,自由キューバを訪問することになるだろう」と演説.ブッシュはこれで55万ドルを獲得.トリセリは「これで数週間のうちにカストロ体制は倒れる」と豪語.

10.26 キューバ共産党中央委員会,外国企業から賄賂を受けたとして,カルロス・アルダナの政治局員解任と党除名を発表.後任に軍出身のホセ・ラモン・バラゲール前駐ソ連大使が指名.

10.29 人民権力全国会議第12回定例会議,国会,県会議員の直接秘密投票制度の導入を定めた選挙法改正案を基本的に承認.

10月 ハバナでミサイル危機30周年記念大会.カストロはキューバが政府打倒を目指す革命グループに対してもはや物質的支持を提供していないと明らかにする.

10月 個人へのガソリン券発行が事実上停止.

92年11月

11.06 カルロス・ラヘ閣僚会議議長,外国資本の導入は社会主義の原則の中で行われると強調.ただし投資の具体的なあり方については個別に検討すると述べる.

11.07 クリントン,ブッシュを破り大統領に当選.

11.24 第47回国連総会,食料と医薬品を国際紛争解決の手段として用いてはならないとし,キューバ経済封鎖を撤回するよう求める最初の決議を採択.賛成59,反対3(アメリカ、イスラエル、ルーマニア),棄権71票.前年にもキューバは同様の決議案提出を図ったが,賛成が得られないと見て撤回.

11.27 ロシアとキューバとのあいだに石油・砂糖バーター協定が調印される.93年度に230万トンの石油と150万トンの砂糖が交換されることになる.

92年12月

12 新選挙法にもとづく地区議会選挙実施.翌年の人民議会選挙の予行演習となる.共産党を除く大衆団体から構成される「推薦委員会」が定数を上回る候補者を推薦.このリストにもとづき有権者が投票することとなる.

12 キューバ空軍の創設者アルバロ・ブレンデス元司令官,非合法の反体制組織,社会民主党への入党を表明.カストロに反体制派との対話を求める.

12 ロシアからの原油輸入は年間180万トンに減少.これは89年実績(1,300万トン)の13.5%.飼料は160万トンから45万トンへ,肥料は130万トンから25万トンへ減少.コメコン諸国との貿易額は89年実績に対し93%減少.キューバの貿易収入は45%減少.緊縮政策,さらにきびしく.個人へのガソリン供給は原則的に停止.

92年 亡命キューバ人オレステス・ロレンソ,セスナ機でフロリダより侵入.深夜に無人のハイウエイに着陸.妻子を乗せてふたたびフロリダに亡命.

 

1993年

93年1月

1.02 フロリダの沿岸警備隊,92年度に収容したキューバ難民は2,565名と発表.

1.06 キューバ自由連合のカルロス・アルベルト・モンタネル総裁,ロシアを訪問.コズイレフ外相,社会民主党などと会談.自由連合は反カストロ,民主主義を目指すいくつかの中間派亡命者組織の連合.

1.07 主として輸送上の問題から,ハバナ市内の卵と砂糖の配給制限が強化される.

1.08 「コマンドL」の指導者トニー・ブライアントが記者会見.キューバを対象とする攻撃をさらに強化すると声明.とくにホテルを狙い撃ちにすると述べる.彼はキューバを訪れる観光客に注意を喚起し,「この瞬間以降,我々は戦闘状態に入る.もはや中立法は存在しない」と声明.ブライアントはブラック・パンサー崩れの黒人で,のちに「コマンドL」は根っからの人種主義者だと非難し脱退.

1.14 メキシコ外務省,トリセリ法は受け入れられないと声明.

1.18 エロイ・グティエレス・メノヨ,キューバの平和的変革を目指す亡命者組織「カンビオ・クバーノ」を結成すると声明.キューバとの文化交流や平和的対話を支持.

1.23 中国の駐ハバナ大使,外交および経済関係を強化する用意があると声明.

1.24 キューバ,麻薬密輸の罪で米国市民5人(うち4人はキューバ生まれ)を拘留.

1.28 キューバとジャマイカ,科学・技術,観光に関する協定調印.麻薬取り締まりについても協力協定.

93年2月

2.04 ハバナでの停電,一日あたり8時間に延長.

2.10 キューバ当局,反政府組織「労働者組合」の指導者ラファエル・グティエレスを逮捕.

2.13 キューバ紙,軍が深刻な石油不足に悩んでいると報告.

2.15 砂糖生産,前年度の700万トンから420万トンへ激減.キューバ国営砂糖会社,中国向け輸出用の砂糖不足を補うため砂糖をタイから買い付けると発表.

2.16 キューバ石油公社,カナダ,フランス,スエーデンの会社と原油探索の契約を締結.

2.21 ベラヤチ・イラン外相,キューバ訪問.キューバとイラン,砂糖と石油のバーター協定に調印.イランはキューバからの砂糖輸入を拡大.

2.24 新選挙法に基づく州議会と国会議員の選挙実施.信任投票型の直接・秘密投票で589名の候補者全員が有効票の9割以上の得票で当選.歌手のシルビオ・ロドリゲスとパブロ・ミラネスも国会議員に選出.マイアミ筋によれば30%近い白票が出たという.

93年3月

3.5 リカルド・アラルコン外相,キューバは混合経済を目指すものではないが,資金,技術,海外市場を獲得するため外国からの投資を歓迎すると語る.

3.10 ジュネーブで国連人権委員会(UNCHR)開催.「基本的人権と個人の自由が継続的に侵害されている」とするキューバ非難決議を採択.キューバは報告が不公平で操作された情報に基づいていると非難.

3.11 欧州議会,キューバの人権団体受け入れと,選挙のやり直しを求める見解を発表.オスカル・アリアス,デスモンド・ツツらノーベル賞受賞者4名が,政治的抑圧の停止と刑務所査察の受け入れを要求する声明.

3.15 全国人民議会開催.カストロが国家評議会議長に留任.アラルコン外相が人民議会議長に就任.アラルコンに代わり,共青書記長のロベルト・ロバイナ・ゴンサレスが新外相に就任.

3.26 カリコム,キューバとの関係強化を表明.

3 今世紀最大といわれるハリケーンがキューバを襲う.損害総額は10億ドルにのぼる.砂糖生産は4百万トンまで低下.ハバナ市内で卵の供給ストップ.

3.29 最後のソ連軍部隊数百が,キューバを後にする.

93年4月

4.08 連邦検察局,ラウル・カストロらキューバ政府関係者15名を麻薬取引の疑いで起訴.

4.08 テレビ放送の時間短縮.

4.15 イランとの間に砂糖と石油のバーター協定締結.

4.20 ラウル,メキシコ紙と会見.ソ連崩壊後武器供給は大幅に減少し,現在の経済状況から見ても整理が必要となったと話す.さらに,1980年代初めにはすでに,旧ソ連との軍事同盟関係が事実上解消されていたことを明らかにする.6月には大幅な軍備削減を実施.

4 中国とキューバのあいだにバーター貿易協定が締結される.キューバが砂糖60万トンを中国に供給する代わりとして、中国がキューバに医薬品や食料を提供することとなる.

93年5月

5.08 ラムゼイ・クラーク前司法長官,作家のアリス・ウォーカー,アメリカ原住民運動代表のデニス・バンクスら,キューバを訪問.カストロに7万5千ドル相当の医薬品を手渡す.

5.09 公衆衛生省,92年末以来,3万人の視神経炎患者が発生と報告.米国を中心に多くの眼科専門医と栄養学者が調査に参加.

5.20 武器・爆薬を満載しキューバに潜入をはかったアルファ66の船が,フロリダ・キーズで沿岸警備隊により拿捕される.乗り合わせた9人の武装キューバ人はFBIに逮捕される.

5 ラヘ閣僚会議議長,「キューバが抱えている問題は経済問題であり,政治問題にすり替えてはならない.われわれは困難なことは承知しているが,革命の性格に対応する人間的な道を選ぶ」と語る.

93年6月

6.03 キューバ最大の発電所が,相次ぐ故障によりダウン.停電は1日8時間以上に及ぶ.89年に比べ輸出は4割以下に落ち込み,輸入は1/4に低下.

6.15 経済協力委員会のメレンデス議長,国交正常化に向けた幅広い対話のため,60年代にキューバが接収した米国資産への補償を話し合う用意があると声明.米国務省は正式なルートを通じての提案ではないとし,提案そのものを無視.

6.15 グランマ紙,軍装備の一部削減を実施と報道.

6.22 共産党政治局,40周年を迎える「7月26日」記念日に,恒例の大行進は行なわないと発表.

6.23 下院通商・司法問題小委員会,ラジオ&テレビ・マルチへの資金供与を全面停止するよう決議.

6.29 カストロ,外貨所持の合法化,過剰通貨の解決を議会に提案.「社会主義そのものを守るのではなく,革命の成果を守ることが重要だ」と強調.「すべての種類の問題は,大いなる英知を持って現実的に検討しなければならない.我々は賢明でなければならない義務がある.決意や勇気や英雄主義だけでは革命は救われない.我々の心が痛むことがあっても,権威が痛むことがあっても,いろいろな事柄の解決を新たな方法で見出していくならば,英雄主義はより大きくなる」

6.29 ウェイン・スミスを代表とする退役将校と防衛専門家のグループがキューバを訪問.両国間の軍事的緊張の緩和について話し合う.ラウルは今後数年間で軍備を3〜4割削減すると表明.ウェイン・スミスは,カーター政権時代に国務次官を勤め,キューバとの国交回復交渉にあたった.その後ハバナ代表部の上級外交官を務めた.現在キューバ・プロジェクトを主宰している.http://www.us.net/cip/cuba.htm

93年7月

7.02 亡命者を乗せるためコヒマルに米国籍の高速艇が侵入.捜査に出動した警察を襲撃.国境警備隊がこれに応戦したため銃撃戦となり,二人が死亡3人が負傷.キューバ系米国人4人が逮捕される.これに抗議した住民数百名が街頭行動.内務省軍暴動鎮圧部隊の出動により住民500名が逮捕される.共産青年同盟第一書記コンティーノの演説に対して激しいヤジと投石.

7.15 人民議会開催.政府は「われわれの理想を放棄するものではない」と前置きしつつ,国民の外貨所持を解禁する方針を提示.カストロは「現実的な考え方をしなければならない」と演説.闇ドルの横行を黙認する態度を明らかにする.

7.16 ブラジルのバイーアで第三回イベロアメリカ首脳会議開催.米国の経済封鎖を止めるよう求める決議を採択.

7.21 ハバナで中南米の左翼政党,団体の代表100人によるフォーラム開催.

7.26 サンチアゴでモンカダ記念集会.カストロは「イデオロギーやドグマに縛られることなく,また自由化一本槍ではなく,経済の現実的な建て直しを実施していく」と発言.外貨所持および使用解禁の方針に関しては「外貨へのアクセスの有無により特権が生じることは否定できない」が,外貨輸入能力が4年前の81億から17億ドルまで低下した現状にあってはやむを得ないと述べる.さらに亡命キューバ人と島内家族との往来を認めると言明.また中国とヴェトナムの経済的成功を誉めたたえ,両国の路線に学ぼうとする姿勢を打ち出す.

7 ニューヨーク・タイムズ,「貿易停止を緩和するのと引き替えに,すべての政治囚の釈放をカストロに求める」よう提案.

7 キューバ軍,縮小再編計画を完了. 軍はタコアシ生活に陥る.空軍の演習はほぼ不可能となり,潜水艦は航行不能となる.パイロットを中心に軍人の亡命者が相次ぐ.軍は建設会社を創設,ガビオータ旅行社を経営するなど,ビジネスに乗り出す.ガビオータ社は94年末実績で2億2千万ドルの収入を確保した.これは国家収益の15%に上る.また政府機関内においても運輸相,通信相の二つのポストを委ねられる.

7 「平和を求める宗教者」グループ約300名,全米120都市から集めた援助物資100トンを95台のトラックに乗せ,メキシコ入り.キューバへの搬出に成功.

7 クリントン,キューバ民主主義法のトラック2の内容として,米=キューバ間の電話サービス改善のための投資を許可.

93年8月 ドル自由化

8.02 カストロ,経済の「自由化」を発表.ドルの流入を放任し,外国資本の参加を全面自由化.国内的には制限つきながら個人営業を認める方向を打ち出す.街には売春する少女たち,ヒネテラス(jineteras)が溢れる.

8.04 キューバ,四つの経済関係閣僚ポストを総入れ替え.

8.10 カナダ連邦政府,アンゴラ戦争以来15年間続いた相互援助停止措置を解禁.

8.14 キューバ政府,ドルの使用を事実上黙認することを決定.全国に250の外貨ショップを開設,ドル還流を図る.

8.21 カストロとの交渉を求める亡命キューバ人団体,「民主主義のためのキューバ人委員会」が設立される.

8.22 モンテビデオでラテンアメリカ議会開催.米国の経済封鎖を非難する決議を採択.

8.23 グランマ紙,資源枯渇のため紙面を縮小.

8.29 CDR,暴力と犯罪の激増に対し組織をあげて戦うよう訴える.共産党ハバナ市委員長ホルヘ・レスカノ・ペレスは社会を守るため不法行為に対して厳しい措置をとると警告.

8.30 カリコム諸国代表,ワシントンを訪れクリントンと会談.ジャマイカ首相パターソンは,「キューバとの関係は全く実務的なものである」と発言,関係強化の意向を表明.

8.31 キューバ政府,新学期を前に「すべての学校は閉鎖されず,すべての児童は勉学を続ける」と発表.同時に鉛筆,ノートなどの寄付を国内外に呼びかける.

8 CIA,クリントンにキューバ情勢を報告.「いつ何がおきてもおかしくない.カストロは権力を維持するためには血の海もいとわないだろう」と警告.

93年9月

9.06米国,カナダ,ヨーロッパのNGO150団体の代表が集まり,財政的援助を目指す「キューバ協力会議」の創設を決定.

9.08キューバのカトリック教会僧職者会議開催,

9.14 キューバ司教会議,30年の沈黙を破りカストロをきびしく非難する司牧教書を公表.個人的自由の欠如,権力の独占,国家警察による過度の干渉などを非難.「キューバにおけるあらたな貧困」を克服するための「真の和解」をよびかける.

9.15 政令141号および国家労働社会保障委員会・国家財政委員会共同決議第一号が発令.輪タク,花売り,理髪、大工、宝石修理など117種に及ぶ職種の個人営業が許可される.また農家庭菜園で作られた農作物について自由販売が認められる.

9.16 欧州議会,トリチェリ法に対する非難決議を採択.キューバに対する経済封鎖を解除し,トリチェリ法に従わないように各国に勧告.キューバとの間で政治・経済・文化面での協定を早期締結する方向を確認.EU人道事務所(ECHO)を窓口として,改革を支援する人道的支援プログラムが開始される.

9.17 キューバ空軍のミグ21-Bが米国に亡命.続いて23日にはミグ23機が亡命.

9月 農業改革に向けての共産党中央委員会政治局合意を発表.農民を協同組合(UBPC)に組織し,管理の自主性を広範に発展させ,独立採算とするよう求める.農地の7割を占める387の国営農場のうち36%を,2,500の協同組合基礎組織に分割再編.

93年10月

10.1 米政府とキューバ,事務レベルでの協議でキューバ人犯罪者1,500名の送還に関して合意.結局キューバ政府トップは承認せず.

10.10 「キューバのヘミングウエイ」を書いた作家ノルベルト・フエンテス,ボートで亡命しようとして逮捕される.

10.13 上院と下院,ラジオ&テレビ・マルティに2千万ドルの援助を継続することで合意.

10.15 ハバナ郊外のレグラ市で,数千人の市民が,警察により殴殺された青年の遺体を先頭に警察署へデモ.

10.22 ロバイナ外相,キューバ政府と中道派の亡命キューバ人団体との対話を提案.

10.28 コロンビア,M19ゲリラ問題以来断絶していたキューバとの関係を「国際化の原則に従って」再開すると声明.

10.30 政府,新経済改革計画を発表.政府補助金の打ち切りや所得税の導入などの厳しい財政政策,政府職員数のみなおし,石油,観光,海外投資受け入れ政策の改革などを柱とする.また農業部門においては,国営農場内に協同生産基本単位(UBPC)をあらたにつくり,その範囲内での売却権など自主的経済を目指す裁量権を認める.

10月 オーストラリアのウェスタン鉱山会社,ピナル・デ・マジャリ鉱山のニッケル生産のために合弁会社ピナーレス社を設立.投資総額は5億ドルに及ぶ.

93年11月

11.5 アルファ66,キューバを訪れる外国人観光客は誘拐,暗殺の対象とみなすとし,キューバ国内の潜入分子が観光客を襲撃すると予告.カナダの旅行業者に死の予告を送る.

11.15 13人を乗せた飛行機がフロリダに亡命.

11.18 カストロ暗殺計画に関する詳細なCIA文書が機密扱いを解かれ,公開記録に回される.六〇年代初頭をカバーするこの報告は,CIAがマフィアと組み,カストロ暗殺を企てたことを明らかにする.彼らは毒入りシガーやボールペンを用いてカストロを暗殺しようとした.責任者ハーベイが米政府最高レベルの関与を示唆したメモも公表される.

11.21 江沢民中国国家主席,中国の元首として初めてキューバを公式訪問.カストロと会談し協力関係の拡大などを協議.約4億ドルの通商協定を結ぶ.

11.26 キューバの公安当局幹部がテレビに出演.ケネディを撃ったのは亡命キューバ人二人と米国人ギャング三人だったと証言.ケネディ暗殺はより大きな陰謀の一部に過ぎなかったと語る.

11 ワトソン国務次官補,キューバ民主化まで経済封鎖を続けると表明.

93年12月

12.1 サンフアンで開かれた中米・カリブ競技大会で,39人の選手が大量亡命.

12.3 「民主主義のためのキューバ人委員会」,ワシントンで初の公式会議.マルセリーノ・ミジャレスを代表に選出.CCDは米国の経済界で活躍するキューバ人を中心に結成.マイアミの弁護士アルフレド・デュランが議長を務める.デュランはピッグス湾に参加し1年以上を獄に送った.

12.6 国連総会,去年にひきつづきキューバの提出した米国の経済封鎖を非難する決議を討議し採択.賛成票が昨年の59から88ヶ国に増加,ヨーロッパの主要国が棄権から賛成に回る.反対は米,アルバニア,イスラエル,パラグアイの4ヶ国,日,露,英は棄権に回る.総会は同時に,

12.14 キューバとカリコムの間に経済協力協定調印.

12.20 国連総会、UNCHRの報告に基づき「イラン、イラク、スーダン、キューバの各国政府に政治的弾圧を止めるよう求める」決議を採択.賛成74、反対29、棄権61票。

12.21 カストロ令嬢で元ファッションモデルのアリーナ・フェルナンデス・レブエルタ(37),偽造パスポートを用い観光客になりすまし,スペインに亡命.間もなく彼女の娘アリーナ・サルガド・フェルナンデスも亡命に成功.

12 一部で20時間停電が実施されるなど節電措置が一段と強化されるなか,人民権力全国会議が開催.政府は公共料金の値上げや,各種無料サービスの廃止により過剰通貨の回収を図る.議会は,外貨の保有・使用と協同組合設立など,夏からの一連の経済措置を承認.個人営業の容認は強い反対で延期される.公共料金値上げに関しては,全国的な大衆討議にかけることとなる.会議を受けIMFはキューバ政府の姿勢を支持すると表明.

93 二つの大規模な軍事演習が行われ,25万人が参加.労働者に武器が手渡され民間防衛を委ねられる.

93 カンビオ・クバーノとキューバ民主主義委員会(CCD)が相次いで結成される.カンビオはエロイ・グティエレス・メノヨの指導する団体.65年キューバ潜伏中を逮捕され,22年の刑を務める.87年出国後は武闘派の立場を捨て,キューバ政府との対話の道を探る..

 

1994年

94年1月

1.01 米沿岸警備隊,93年度に船でフロリダに到着したキューバ人亡命者は3,656人に達し,92年度に比し43%増と発表.93年度国連報告によれば,亡命者の4人に一人が海上で死亡.キューバ系米国人組織「兄弟の救出」によれば、二人に一人が遭難死という.

1.23 共青,機関紙で若者の売春の実態をレポート.

1月 公共料金の値上げに関する「労働者国会」が各地で開催される.全国の職場で300万人以上が参加.

1 ハバナでキューバ連帯集会が開催される.全世界から左翼活動家千名が結集し,アメリカ帝国主義に対する最後の砦を守るため連帯することを誓う.とりわけ経済封鎖批判の国際キャンペーンを強化することで合意.

1 コマンドLのトニー・ブライアント,キューバの観光地を攻撃すると声明.敢行客はただちに退去するようにと警告.

94年2月

2.9 マイアミ・ヘラルド紙,パブロ・エスコバルの個人ファイルからラウルとの密会を撮影したヴィデオが発見されたと報道.これによればメデジン・カルテルとキューバ軍が米国へのコカイン密輸で協力したことが明らかという.

2.12 ハバナ市内に,米国が希望者全員にビザを発行するという噂が広がる.利益代表部に詰めかけた青年と警官との間に乱闘事件発生.

2.16 米政府,旧ソ連諸国からのニッケルの輸入制限措置を解除.ニッケルの一部はキューバ原産であるが,「どこまでが再輸出かを鑑別することが不可能なため」と説明.

2.17 キューバ労働研究所,個人営業認可後半年で14万人以上が開業したと報告.

2.24 コロンビア,1日あたり1万5千〜2万バレルの原油をキューバに供給すると発表.これはキューバの消費量の1/3にあたる.結局キューバ政府が支払いを保証できないことから流産に終わる.ロシアとも石油400万トンと砂糖150万トンのバーター協定をひきつづき継続することで合意が成立.自国内での原油生産も懸命の努力により今年は100万トンに達する.

2.27 4月に予定されるハバナでの「国家と移民」会議に,キューバ政府の参加招請を受けたエロイ・グティエレス・メノヨ,招待を受けると発表.

94年3月

3.01 カナダとメキシコの外相,米玖関係改善を求める共同声明を発表.

3.09 ジュネーブのUNCHR総会,昨年に引き続きキューバ非難決議を採択.

3.07 政府,ヤミ商売や売春を摘発する「ヒロン94」作戦を展開.ハバナのホテル周辺の売春は50〜150ドル.キューバ人の最高賃金は月22ドル.

3.13 基礎産業省,全国の発電能力の6割が故障または修理中で稼働していないと発表.

3.19 ジョアン・バエナ・ソアレスOAS事務総長,これからはキューバ復帰を念頭に置かなければならないと発言.

3 砂糖生産,400万トンにとどまる.(平年作は700万トン)

94年4月

4.18 米国企業数社の指導者が,米国=キューバ通商会議を設立.国務省,国際開発機構の幹部を務めたオットー・ライヒが議長を務める.

4.22 ハバナで二七カ国200人の国外居住キューバ人を招待し「国家と移民」カンファレンス開催.国内の反体制派は除外される.

4.22 グランマ紙,市場開放化へ向けて,経済関連の政府機関を機構改革すると発表.

4月 政令147号発表.中央省庁の統廃合をふくむ大幅改革実施.外資経済協力(旧国家経済協力委員会),科学技術環境(旧キューバ科学アカデミー),観光(旧全国観光庁),経済計画(旧中央企画庁),財政価格省(旧国家財政・価格委員会),労働・社会保障省(旧国家労働・社会保障委員会)の六省を新設.5省庁が廃止され,6省庁が改組される.政府機関は50から32に削減.省庁勤務員は1万2千から5千に,部局数も1,000から600に削減.

4 ALPHA 66の軍事指導者ウンベルト・ペレス,来月からキューバ国内観光施設に対する攻撃を開始すると声明.

94年5月

5.01 全国会議臨時議会招集.ホセ・ルイス・ロドリゲス蔵相は,「労働者国会」の討議に基づき,歳出の大幅な削減と過剰通貨の制限を提案.議会は酒・タバコの十倍化,電話・電力など公共料金の引き上げ,新税の創設,福利厚生補助金の削減などの財政改革を承認.過剰通貨(93年度GDPの65%)を吸収し、財政赤字(90年代一般にGDPの3分の1に達した)の克服をめざす。

5.15 5機の飛行機がフロリダからきてカルデナスからマリエルにかけての海岸線近くを飛行,一時的に領空を侵害.同様の侵害が5月中に4回.

5.20 カストロ,観光業者の年次総会に出席.キューバは観光客に対して清潔で健康的なイメージを維持することを望むと発言.麻薬もギャンブルも売春もない観光を主張.

5.28 亡命を望むキューバ人100人あまりがベルギー大使館に乱入.80年以来最大の乱入事件となる.

5月 闇ドルレート,1ドル=120ペソにまで高騰.(公式レートは1ドル=1ペソ)

5 公共料金の引き上げ、無料制度の有料化、奢侈品価格の引き上げが行われる。学校給食を有料化.労働者への給食補助を打ち切り.野球や音楽会などの入場券も有料化される.このあとイカダ難民が激増.

94年6月

6.02 反カストロ派キューバ人の パラミリタリー 指導者二人(ロドルフォ・フロメタとファウスト・マリモン)がマイアミで逮捕される.彼らはこの春アルファ66から分かれコマンドスF−4を結成.スティンガーミサイル,その他のハイテク兵器をFBIおとり捜査員から購入しようとした.

6.06 ブラジルのベレンで第24回OAS総会開催.ブラジルとカナダがキューバの経済的,政治的孤立を終わらせるよう発言.OAS復帰へ向けた動き.

6.13 メキシコのサリナス大統領,キューバを訪問し通商拡大について交渉.メキシコの電話会社「グルポ・ドモス」,キューバ国内の電話網近代化についてキューバの通信省と合意.3億ドルの対メキシコ債務のスワップを行い,政府とのジョイント・ベンチャー事業に参加することとなる.グルポ・ドモスは15億ドルを投資し,キューバ国営電話会社株の49%を取得.

6.13 亡命を求めるキューバ人20名がドイツ大使館に乱入.ペルー大使館には亡命希望者百名余りが駆込む.

6.20 カナダ外務省,16年の対キューバ経済制裁を終え,開発援助を再開すると発表.援助は民間救済組織を通じて実施されることとなる.

6.21 「エコノミスト」誌の主催するカンファレンスがハバナで開催される.カブリサス通産相は「いまやラテンアメリカ諸国が最大の貿易対象国となった」と報告.

6.29 欧州連合,1100万ドル相当の人道的援助を約束.

6月 流通通貨量12億ペソに達する.ペソは急速に下落し,1ドル120ペソにまで下がる.国民はペソに対する信頼を失い,労働意欲が低下.

6月 キューバ,カリブ諸国連合への加盟を認められる.

94年7月

7.01 経済引き締め第二弾.教育・医療・文化・スポーツなどで,一部無料制度を有料化.ガソリン代,約4倍に値上げされる.さらにグランマ紙は徴税システムの導入を提案.

7.13 ハバナ港からタグボート「3月13日号」が盗まれる.フロリダへの脱出を阻止しようとする警備艇と衝突.ボートは港の沖7マイルで沈没。31人が救助されるが、40人以上が溺死する.クリントンはこの事件をキューバ当局の野蛮さのあらわれと非難.

7.24 キューバをふくむカリブ諸国連合がスタート.

7.26 モンカダ記念式典で,初めてラウルがフィデルに代わって演説.フィデル重病説流れる.

7 米国亡命を希望し,客船を乗っ取り船長を殺害した犯人,米国で英雄として迎えられる.

94年8月 フェリー乗っ取り事件

8.04 米国亡命を狙うグループがハバナ港内を横切る通勤フェリーを乗っ取る.この際防衛にあたった警官一人が死亡.

8.04 乗っ取られたフェリー周辺で暴動発生.港に集まった群衆千人が「自由」を叫んで暴動.投石や窓ガラスの破壊などで35名が負傷,300人が逮捕される.カストロは,もしワシントンが移民政策を変えないのなら,彼らの移動を阻止することを止めると声明.

8.5 全国議会,法人所得税(経常利益の35%),自営業所得税、勤労者個人所得税をふくむ新租税法(法律第74号)を承認.さらに売上税、住宅・アパート・土地の賃貸収入税、印紙税などが制定された。合弁企業の税率は30%におさえられる.

8.08 レオネル・マシアス・ゴンサレス,マリエル港で海軍艦艇を奪い,24人を載せて米国に逃亡.この際海軍将校ロベルト・アギラールを殺害.マシアスはマイアミで英雄として歓迎される.カストロは米国の不法出国賞賛に対し態度を硬化,不法出国黙認の方針を示唆.

8.14 マリエル港に停泊中のタンカーに,5百人が乱入し亡命を求める.カストロがマリエルまでおもむき参加者を説得,翌日には全員が自主的に下船.

8.16 沿岸警備隊,15日だけで272人のキューバ人漂流者を保護したと発表.さらに16日には339人,17日には537人に達する.押し寄せる難民に対し,米海岸警備隊は「ピケ」を張り阻止.

8.18 1月からの通算で6500人,10日からの1週間で1600人が入国する事態に発展.フロリダ州知事ロートン・チャイルスは州単独では難民に対応できないとし,クリントンに移民非常事態の宣言を要請.クリントン政権はキューバ難民を政治難民として受入れる方針を変更.自動的な入国許可を撤回すると表明,難民は無差別に拘留しグアンタナモに収容すると声明.

8.19 クリントン,フロリダのキューバ系市民と会談.制裁強化案を提示する.内容としては・在米キューバ人からの送金を月3百ドルから150ドルに制限(本国の家族・親戚への送金総額は年間5億ドルにのぼる),・キューバ人送還のため以外の米国からキューバへのチャーター機の飛行機便数を削減,・対キューバ放送を強化,・国連にキューバの人権侵害を非難する決議を提案するなど反キューバ宣伝を強化.(全米キューバ系米国人財団(CANF)は大統領選でクリントンに30万ドルを献金)

8.22 キューバ難民,19日以降もさらに急増.23日には最大の2548人を収容.5日間で1万人を越える.亡命希望者,キューバ政府所有のフェリーやタグボートを奪い逃走.パトロール隊の攻撃により32人が死亡.

8.23 クリントン政権,移民法による制限の緩和を通じてキューバ人の合法的移民を奨励することを決定.ハバナでの移民申請を簡略化する.グアンタナモの収容施設には4万の難民が収容される.

8.24 フェルナンド・ラミレス国連大使,難民問題の背景には32年に及ぶ経済封鎖があるとし,この問題について全般的な交渉を行う用意があると声明.

8.24 カストロ,テレビで演説.クリントンの難民急増問題への厳しい対応に対して非難.ボート・ピープルを引き留めるつもりはないと発言.難民の出国を黙認する態度を明らかにする.

8.29 カストロ,内務省,国境警備隊,国家保安部に対し通達.手製の危険な舟艇で海外脱出したり,青少年を巻き添えにするのを禁じるよう指示.ただしそれは陸上においてのみ施行すること,説得のみにとどめ実力行使は一部例外をのぞき行使しないこと,特に火器の使用は不可とする.すでに海上に出た舟艇に対しては,偶発事故を防ぐため警告を繰り返すにとどめ,物理的力を用いないこと.国境警察はその警備範囲を領海内に制限し,必要とあれば援助を与えること.

8.31 キューバ,トラテロルコ非核条約加盟の意志を表明.

8.31 28人のキューバ人が地雷原を横切りグアンタナモ基地へ駆け込む.途中3人が地雷で負傷.

8.31 パナマが1万人,ホンジュラスが5千人の難民受け入れの意思を表明.

8 国会,法人・個人所得への累進課税法案を可決.

94年9月

9.01 ニューヨークで難民問題に限定した実務者協議開始.キューバ代表は国会議長アラルコン.キューバ側は10万人へのビザと送金停止措置の撤回を求める.

9.06 スペイン訪問中のロバイナ外相,マドリードで反対派亡命者と会見.キューバ人権委員会のラモン・セルーダ,「民主主義のためのキューバ人委員会」のアルフレード・デュラン,「キューバ変革」のエロイ・グティエレス・メノヨが出席.経済封鎖に反対することで一致.

9.09 米玖間で難民問題について合意.新移住協定締結.米国入国が安全,合法的かつ秩序正しく行われるよう保証することで同意.米国は82年協定で定められた年間2万人へのビザ発給を履行すること,キューバ政府は,合法的手段を執らずに個人的方法で米国に渡航することを禁止することで合意.

9.17 共産党機関誌『グランマ』,ラウル・カストロの発言として「農民が作物の一部を自由市場で販売することを近く認める」と報道.国家への引き渡しノルマを達成したあとの余剰生産物は(必須食料を除く),新設の農業市場で政府の価格介入なしに自由に販売できることになる.「今日わが国の政治的,軍事的,思想的問題は,食糧を探すことである.農産物市場の開設は国民の一致した支持を受けており,カストロ議長も支援している」

9.29 EU議会,大量難民問題に関連してキューバ決議を採択.@キューバの変革の必要性を主張し、政府と亡命者グループの接触を歓迎.Aアメリカに対してキューバ社会の混乱を防止するために制裁を解除するよう訴える.

94年10月

10.01 政令191号および農業相・国内商業相の共同決議にもとづき,全国130の農・畜産物販売自由市場が開設される.議会の行政審議会商業管理部が指導することとなる.これにより国営農場の農産物の一部が自由価格で売買されることになる。

10.4 政府,国営農場への補助を削減.96年までに利益を出さなければ農場を閉鎖すると発表.

10.4 米国の憲法権利センター,「経済封鎖が医療危機をもたらしている」としOAS人権委員会に提訴.

10.12 米国務省,移民拡大協定を抽選方式で実施すると発表.これにより少なくとも年間5〜6千人,総計2万のキューバ人が米国ビザを与えられることになる.

10.15 武装した反革命テロリスト7人がハバナ東方360キロのカヨ・サンタマリアに上陸.漁民一人を殺害し,その車を盗もうとしたところで,駆けつけた警察当局と銃撃戦を展開.三人が負傷した後逮捕される.マイアミに本拠をおく民主主義民族統一党(PUND)のセルヒオ・ゴンサレスが明らかにしたところでは,彼らはPUNDの活動家で,米国の中立法侵犯を避けるためバハマから侵入.

10.15 CANF,マス・カノーサの名でキューバに投資する海外企業に脅迫状を送付.「貴殿のキューバへの投資は全体主義への奉仕と見なされる.そしてかつての持主に対する権利侵害と見なされる.民主的な新政府が成立した暁には,貴殿の投資はすべて国家の手に没収されるだろう」

10.15 ハイメ・クロンベト国会副議長,キューバの砂糖産業は以前の水準を回復するのに5年を要するだろうと発言.

10.22 キューバ共産党創設者の一人ファビオ・グロバルトが、ハバナ市内で死亡。エスカランテ除名劇の際はカストロ支持の立場をとったが、その後政治の表舞台からは姿を消していた。

10.24 ヘイズ国務省キューバ担当官,ハバナを訪問.移民問題交渉を開始.この時点でグアンタナモに2万4千人,パナマに8千人が収容.収容中の難民に混乱が広がる.20人が収容所を脱走,当局との衝突で8人が逮捕される.

10.25 閣僚評議会執行委員会政令第192号発表.工業製品や手工品についても自由市場を開設すると発表.国営の外貨ショップ、国営の農産物自由市場、自営農の自由市場、工業製品・手工業製品の自由市場、市民相互間の売買(闇市場)と、キューバには5つの自由市場が存在することとなる。

10.26 国連総会でキューバ経済制裁解除を求める決議を可決.賛成派は88→101国に増加,反対は4→2(米国とイスラエル),棄権は57→42(日本を含む)に減少.

10.30 カルロス・ラヘ,砂糖産業についても外国資本に開放すると発表.

10.30 ローマ法王,新たに30人の枢機卿を任命.ハバナ大司教ハイメ・オルテガも枢機卿に叙せられる.

10.31 ロシア,見返りの砂糖輸入が目標額に達することが期待できないとし,キューバへの石油供給を停止すると示唆.モスクワのキューバ大使館はこの報道を否定.

10月 キューバ国立銀行の中央銀行と商業銀行の機能を分離、キューバ中央銀行(BCC)を設立した。また外国貿易取引を専門に行う国際貿易銀行(BICSA)、企業向けの短期融資を目的としたノンバンクの国際金融会社(FINSA)、企業への信用供与を目的とする信用・商業銀行(BANDEC)なども設立された。

10 グアンタナモ基地収容中の難民に混乱が広がる.20人が収容所を脱走,当局との衝突で8人が逮捕される.

94年11月

11.2 FBI捜査員,フロリダ南部のテロリスト組織を捜索.キューバ向け人道的援助物資を貯蔵する倉庫を爆破しようとした3人を逮捕.これらの物資は経済封鎖に反対するキューバ系アメリカ人の手で集められ,「平和と友好のための神父の会」の手でキューバに送られようとしていた.

11.4 ロシア政府,キューバに対し94年度議定書の完全履行を保証する.

11.10 グアンタナモ基地から飛び立った「救援の兄弟」機が領空に侵入.キューバ政府を非難するビラを撒布.キューバ政府は利益代表部を通じて抗議.

11.11 ハイメ・オルテガの枢機卿就任を祝うミサがハバナ大聖堂で開かれる.バチカンの特使ロジェ・エチェガライ枢機卿が列席.数千の人々が教会の内外を埋める.

11.15 米国内NGOのヒューマン・ライト・ウォッチ(人権監視団),マイアミのキューバ人社会において表現の自由が著しく制限されており,4月のハバナ会議に出席したキューバ人に多くの脅迫や暴行が加えられていると報告.

11.16 キューバ,UNCHR視察団の受け入れを表明.UNCHRのホセ・アヤラ・ラソが現地入りし,反対派グループと会見.その後カストロとも会見.何人かの囚人について即刻解放するよう要請.

11.18 エチェガライ枢機卿,ハバナでカストロと会見.貧困層を中心とする社会問題の解決にカトリック教会が協力するという法王の考えを説明.

11.21 世界・キューバ連帯会議開催.100ヶ国以上の代表が参加.アラルコン議長が冒頭挨拶.米国の世界に対する「民主主義」押しつけを非難.

11.24 ホセ・ルイス・ロドリゲス金融・物価担当相,ここ数年間で初めて金融・財政事情が回復に転じたと報告.

94年12月

12.7 パナマ運河地帯の二つの収容所で,キューバ人難民600人が3時間半にわたり投石騒ぎ.米軍兵士40人が負傷し,軍用車両12台が破壊される.騒ぎのあいだに約百名がフェンスを破り脱走.

12.12 マイアミで米州首脳会談開催.米国のネオリベラリズム押し付けに各国の反感が強まる.

12.23 スペイン紙の報道によれば,カルロス・ラヘ国家財政委員会議長がマドリードでIMFと密かに接触.金融援助の可能性を探る.

12月 新鉱山法制定.海外企業の100%出資を認める.ニッケルなどへの外国投資の法的基礎が築かれる。

12月 議会,当面,労働者の賃金に所得税を課さない,海外からの家族送金には課税しないなどを決議.