パナマ年表

(1519年以前はLA年表に一括)

1500年  1600年  1700年  1800年  1900年  1920年  1940年  1964年 国旗事件

1968年 トリホス登場  1981年 トリホスの死  1988年  米軍のパナマ侵攻

 

1500

02年 コロンブスの第4回航海。カリブ海側のモスキトス湾(Golfo de los Mosquitos)、チリキ沿岸を経てポルトベーロ(Portobero)に上陸。「美しい港」と命名。

13 ダリエン総督バスコ・ヌニェス・デ・バルボア(Núñs de Balboa)、パナマ地峡を横断し太平洋岸に到達。「穏やかな、平和な海」と名づける。

19.8.15 ペドラリアス,高温多湿のダリエンを嫌い,太平洋岸のガジネーロ川(リオ・アバホ)河口にパナマを建設.その後アンデスからの物資輸送の中継点となる.大西洋岸にはノンブレ・デ・ディオスの港が再建され,二つの町を結ぶ道路はカミノ・レアルと呼ばれる.ダリエンとアクラはまもなく消滅.

パナマの由来: パナマという名前は、先住民の「魚が豊富なところ」という言葉にもとづく。この最初の植民地は、17世紀にモルガン船長によって破壊され、現在はパナマ・ビエホ(Panamá Viejo)と呼ばれる史跡になっている。

20 ペドラリアスに代わる新総督着任.まもなく急死したため,ペドラリアスが引き続き総督の地位に留まることとなる.

21.3 ティエラフィルメのチリビチとマラカパーナ沿岸のインディオ,アロンソ・デ・オヘダの奴隷狩に抗議して反乱.サント・ドミンゴのアウディエンシアはゴンサロ・デ・オカンポをおくりこれを鎮圧.

22 パスクアーレ・デ・アンダゴヤ,パナマからサンミゲル湾を経てチョチャマ地方まで進出.原住民より東方のピル国がゆたかな金をもっておりそれはさらに南の大国から供給されているとの情報を入手.インカ帝国の存在が示唆される.

24.11 フランシスコ・ピサロ,約百名の探検隊を指揮してパナマから南に向かう.

31 ペドラリアス,ニカラグアのレオンで死去.

31 パナマで黒人奴隷の大暴動発生.残党は山中に逃げ込み,逃亡奴隷(シマロン)として自活.

33.3 インディアス枢機会議,パナマとグアテマラの植民者に対し,インディオの奴隷化を認める.

38 パナマにアウディエンシア設置(一説に35年).グアテマラ総督府の管轄に入る.

40 アンタゴヤ,パナマよりカリ(現コロンビア)地方に進出.

42 パナマのアウディエンシア,いったん廃止.パナマはグアテマラに移設されたアウディエンシアの管轄下に入る.

50 パナマ,グアテマラからペルーの行政管轄に入る.

53 ダリエンで,逃亡奴隷「バリャノ王」の反乱が流血の事態に発展し,スペイン副王カニェテが仲裁に入る.同じ頃,マルーンの反乱はパナマ,ポルト・ベリョでも発生.その後スペイン軍により鎮圧.

67 パナマのアウディエンシア,ペルー副王領のもとにふたたび設置.カスティーヤ・デル・オーロ(現パナマ),ベラグアス(現コスタリカ,ニカラグア)を行政範囲とする.

70 この頃パナマのシマロン(逃亡黒人奴隷)の勢力最大に達する.ロンコンチョロンを始め三つの町をもち,7百人の武装兵士を要するにいたる.ノンブレ・デ・ディオス北方のビジャノでは,2千の逃亡奴隷が集落を形成.スペインのキャラバンを襲撃し,海賊と同盟して各地を略奪.

ドレイク船長のパナマ襲撃

1572年

5 ドレイク,二隻の船に73人の部下をのせプリマス港を出発.アクラ近くのポート・フェザント(孔雀港)の隠れ家を拠点としてノンブレ・デ・ディオス襲撃の準備に入る.

7.29 ドレイク,パナマへの第一回攻撃.ノンブレ・ディオスを奇襲.一時町を占拠,10万ペソを掠奪.追手の前にドレイクは負傷し逃走.その後ノンブレ・デ・ディオスとカルタヘナとを結ぶ連絡船を相手に海賊行為を繰り返す.この間何回かカルタヘナの町を襲撃.

12 ドレイクの一行に伝染病流行.28人が死亡,戦力は20名以下に減少.

1573年

2 ドレイクら18名,シマロンの協力を得て「王道」の要衝クルセスに達し財宝の奪取を試みるが失敗.そのあとノンブレ・デ・ディオス近くで二度目の襲撃に成功.

78 ドレイクのかつての部下ジョン・オクスンハム,ダリエンから地峡を越え真珠諸島へ侵入.帰途スペイン軍に捕らえられ,リマで処刑される.このときシマロンの掃討もおこなわれ,秘密集落ロンコンチョロンが破壊される.

95 ドレイク,世界一周,無敵艦隊との対決のあと,さらにカリブ攻撃を再開.27隻の船に2千5百の乗員をのせカリブに入る.最初プエルト・リコを攻撃するが失敗.つぎにサンタマルタ,ノンブレ・デ・ディオスへ転戦するが,攻撃を前もって知ったスペイン人は市外へ避難ずみで成果上がらず.バスカービル大将の指揮する750名の陸戦隊が,ノンブレ・ディオスからパナマに向かうが,悪路に阻まれ5日後に撤退.

96.1.29 ドレイク、西インド諸島に向かうためポルト・ベリョで風待ち中,病いを得て死亡(53歳).エリザベス女王はドレイクを騎士に叙す.

97 地峡横断ルートのカリブ側基地として,ノンブレ・ディオスにかわり,防御の容易なポルト・ベロに要塞が建設される.ペドロ湾を守る5つの要塞が築かれるが、高温多湿のため港湾関係者を除いて定住者はなし.サンロレンソ要塞とともに世界遺産の文化遺産に登録されている。

 

1600

66 モルガン,9隻の船と460人の兵をひきい,ポルト・ベリョを二週間にわたり占拠,市民を人質に身代金として金貨25万枚をせしめる.翌年にかけてキューバ,マラカイボ,ジブラルタルをつぎつぎに攻撃.

70.10.24 カリブの海賊2千人がイスパニョーラ島に集結.モルガンの提案を受けパナマ襲撃で合意.モルガンを総指揮官に選び,37隻の船に乗り込み出港を開始.

1671年 モルガン船長のパナマ襲撃

1.18 4百人の海賊部隊,チャグレス川河口のサンロレンソ要塞を奪取.双方併せ死者4百人を出す激戦となる.本隊が合流し,チャグレス川をさかのぼりパナマに向かう.

1.28 海賊部隊,パナマ攻撃を開始.5日間にわたる激戦の末パナマ占領.戦闘でパナマの町は灰塵と帰す.

2.24 モルガン,3週間にわたりパナマを掠奪.175頭のロバに戦利品を積み,6百人の捕虜を連れパナマを引き揚げる.

3 モルガン,戦利品を一人占めにし,仲間を置き去りにして英国に逃げ去る.

72.10.31 スペイン,パナマを再建することを決定.アルフォンソ・メルカド・デ・ビリャコルタを司令官に任命.

73.1.21 メルカド,オールドパナマを撤退。8キロ離れた現在のパナマ・シティーに移設.ここは現在の旧市街(カスコ・ビエホ Casco Viejo)に相当する地区で、現在もカテドラルや国立劇場などの建築が残る。

74 モルガン,戦利品と手柄話をタネに宮廷にとりいり,ナイトの称号を受け,ジャマイカ副総督に任命.海賊退治に精を出す.

80 バーソロミュ・シャープら海賊,ダリエンから地峡を横断.太平洋岸に侵入するが,成果ないまま四散.

99 スコットランド人ウィリアム・ペイタソン,東西交易の中継点としての発展を夢見て,ダリエンにカレドニアの町を建設.悲惨な結果に終る.

 

1700

18年 ペルー副王領より分かれヌエバグラナダ副王領が新設される。パナマはヌエバグラナダに編入される。

39 イギリス,さらなる屈服を要求し戦争開始(ジェンキンスの耳戦争).ポルトベーロ,サンロレンソがエドワード・ヴァーノン提督の艦隊に占領される.スペインはパナマ・ルートの利用を断念しマゼラン海峡まで船隊を回遊させる.繁栄を失ったパナマのアウディエンシアは,あらたに創設されたヌエバグラナダに帰属することとなる.

51 パナマのアウディエンシア,最終的に廃止されヌエバグラナダに編入される.ポルトベロの基地が再建される.

 

1800

09 ヌエバグラナダ副王は,国内政情不安に伴い政庁をボゴタからパナマに一時移転.

20 スペイン本国に自由主義革命起こる.

1821年

11.10 パナマのロス・サントス市,スペインからの独立を宣言.

11.28 パナマ市で独立をめぐる会議開催.完全独立派,独立コロンビアへの併合派,ペルーの副王への帰順派の三派が対立.最終的に独立とグラン・コロンビアへの併合を決議.共和国から大幅な自治を認められる.この日は現在も(スペインからの)独立記念日として祝日となっている。

24.10 ボリーバル,米国と平和,友好,航海,通商条約締結.米国に対し航海と通商に関する最恵国待遇を約束.パナマ運河のあらゆる通商ルートを米国に解放すると規定.

26.06.22 パナマでボリーバルの提唱したアメリカ諸国会議開催.

29 ボリーバル,英国・スエーデン人技師を雇い地峡横断ルートを調査.のちのパナマ鉄道のルートとして生かされる.

1830年

9.26 パナマ,エクアドルとベネズエラに続きコロンビア共和国からの分離独立を宣言.

12.11 パナマ,ボリーバルの説得によりコロンビア共和国への復帰を決定.

31.7.9 パナマ,ふたたびコロンビアからの独立を宣言するも敗北.(コロンビアは31年から63年までヌエバグラナダをなのるが,ここではコロンビアで統一)

40.11.18 コロンビア本国による自治権制限の動きが強まる.トマス・エレーラ将軍,コロンビアからのパナマ地峡州の分離運動.「主権的パナマ州」を宣言する.

41.12.31 エレラ政権は列強の支持を得られないまま1年で崩壊.パナマ,三度の独立運動に敗れコロンビア共和国の州の一つとして編入される.

45 ヌエバ・グラナダ,対英防衛の立場から米国に接近.パナマ地峡鉄道建設を巡る米国との交渉開始.

46 米国とのあいだにビドラック=マジャリーノ条約締結.パナマ地域におけるヌエバ・グラナダの主権を承認させる一方,米国に自由交通権,運河を開さくする権利を認める.

48.7.10 ビドラク=マヤリノ条約にもとづき,米国との平和,友好,航海,通商条約改定.いかなる地峡ルートも米国に開放されること,関税の免除が与えられることをとりきめる.以後,米国は「コロンビア政府の要請に基づき」,9回にわたりパナマへ海兵隊を進駐する.

49 米国のヒューズ大佐,パナマ地峡鉄道のルートを策定.同時に,将来の運河のルートについても提示.

1850年

50.5 太平洋郵船会社の創設者ウィリアム・アスピンウォル,ニューヨークの実業家ヘンリー・チョンシーら,コロンビア政府からパナマ鉄道建設の許可を取りつける.工事はリモン湾内のマンサニヤ島に基地を建設することから始まる.労働者はつぎつぎと熱病に倒れる.

50年 米英間にクレイトン・バルワー条約締結.パナマ,ニカラグアを含む両洋間運河の中立化で合意.米国は運河建設の着手を制限される.

51.10 横断鉄道,カリブ側のリモン湾から13キロ内陸に進みチャグレス河畔のガツンに達する.早くも旅行客が殺到.会社はマンサニヤの基地をアスピンウォルと命名.ヌエバグラナダ政府はこの名称を拒否,コロンブスの名をとってコロンと名付ける.

53.11 難工事の末チャグレス川にかかる橋が完成.

54.1 米海軍の「サアン」号,ダリエンに上陸.艦長アイザック・ストレイン中尉の率いる地峡横断探検隊は道に迷いチュクナケ川を下る.飢えと病気で隊員のほとんどが死亡.

55 パナマの民族主義者フスト・アロセメーナ将軍,コロンビアからの分離を画策.軍事・外交・地峡交通以外の内政面で主権を持つパナマ州の確立をめざす.このあとパナマでは政争が相次ぎ,20人の知事が交代する.

55.1.27 横断鉄道,パナマまで開通.総工費7百万ドル,犠牲者は9千名に達する.

1856年

4 鉄道開通後失業した黒人労働者と,ウォーカー傭兵とのあいだに衝突.傭兵15名が死亡,16名が負傷.

9.19 米国,海兵隊を派遣し三日間にわたりパナマを占拠,コロンビア政府に対し鉄道沿線地域の割譲を要求する.政府が断固として要求を拒否したため,海兵隊はそのまま引き上げる.

58年 米軍のミシュラー中尉がパナマ地峡の地形調査.

59 米墨間にマクレイン=オカンポ条約調印.テワンテペク地峡の自由通行権を獲得.しかし上院で批准されず流産.

1860年

60年 米軍,パナマに派遣される.コロンビア政府の承認なしの一方的なもの.

61年 米軍,パナマに派遣される.このたびは,46年条約に基づくコロンビア政府の依頼を受けての出動.

62年 米軍,パナマに派遣される.コロンビア政府の依頼を受けての出動.

63年 コロンビアで新憲法が制定される。パナマは大幅な自治権を達成。

65.3.09 再びコロンビアによる直接支配が復活。パナマでの独立をもとめる運動は武装衝突に発展.米国軍は“米国市民の生命と財産を守る”ため,パナマ上陸.このあとコロンビアに対する反乱が頻発するがいずれも失敗におわる。

69.2.15 グラント大統領,改めて運河建設への意欲を表明.パナマ運河の建設協定をコロンビアと締結.運河地帯防衛,利益配分,借用期限などで議会の同意を得られず批准に失敗.

69 ロッキー山脈を越えて西海岸と結ぶ最初の大陸横断鉄道が完成.以後パナマ横断鉄道は急速に衰退.

69 スエズ運河開通。

1870年

70 米海軍提督セルフリッジとタルの指揮の下,5年間にわたり大規模な地峡調査が行われる.

72 グラント大統領の下に地峡運河委員会設置.

73.5.07 パナマ人によるコロンビアからの分離独立闘争に際して,合衆国市民の生命と財産を保護するため,2週間にわたり軍隊を派遣.同様な上陸作戦は,1885年,1901年,1902年及び1903年にも行われた.

76.2.7 大陸間運河調査会,すべての運河候補地を検討した結果,全会一致でニカラグア・ルートが最適と諮問.これにもとづきニカラグア政府との交渉開始.運河の排他的使用と,米軍による保護を求めたため,交渉は決裂.

79.5 レセップスが会長を勤めるパリ地理協会の主催で国際運河会議開催.パナマ運河はフェルディナン・ド・レセップスの主張する開削方式によることに決定.両大洋運河国際会社発足,社長にレセップス就任.フランスとコロンビアの間に,パナマ運河建設協定締結.

1880年

1.01 レセップスも参列して運河の太平洋口の予定地で起工式.その後レセップスは米国を訪問し,ヘイズ大統領と会談.米国はヨーロッパ列強の進出をつよく警戒.

3 ヘイズ大統領,米国はみずから管理する運河を望んでいるとし,レセップスへの利権譲渡に関してコロンビア政府に抗議.エバーツ国務長官は,もし運河が建設されれば,米国は両方の出口に軍事基地を建設すると宣言.

81年 ガーフィールド新大統領,ヘイズの方針を確認.クレイトン‐ブルワー条約の改訂に乗り出すが失敗.

1885年

1.18 コロンビアで保守党のヌニェス政権成立.パナマの自治は大幅に制限される.パナマ州の自由主義勢力,ペドロ・プレスタンの指導の下に独立を求め反乱.米国はコロンビアとのビドラク=マヤリノ条約にもとづき,ただちにコロンに海兵隊を上陸させ,横断鉄道会社の保護にあたる.

3 米海兵隊,ふたたびコロンに上陸.コロンビア鎮圧軍の上陸を拒否する一方,みずから蜂起を鎮圧しパナマ鉄道の安全を確保.コロン市内の米大使館に亡命したプレスタンら首謀者を逮捕し絞首刑に処す.

1888年

6 パナマ運河会社,深刻な資金難に襲われる.議会に賄賂を贈り宝くじの発行にこぎつけるが,売れ行き不良でかえって資金難に拍車をかける.

12 パナマ運河会社,建設予定の4割まで掘削したところで資金難となり建設を断念.12億フランが費やされ,マラリアと黄熱病により2.2万人が死亡.うち2万人はジャマイカ,バルバドスからの黒人労働者.

1889年

2.04 フランス政府,パナマ運河会社にたいし破産宣告.レセップスは政界への贈賄の容疑で起訴.建設権を米国に譲渡.

10 米民間企業のマリタイム運河会社,ニカラグア運河建設工事を開始.サンフアン・デル・ノルテからサンフアン川に沿ってジャングルを伐採し,鉄道を敷き,幅85メートル深さ5メートルで掘削開始.

1890年

90年 海軍大学の教官マハン、「海上覇権論」を発表。地中海のスエズ運河のようにカリブ海にも運河が必要であるとのべる。

92 両洋間運河会社の主任技師だったフランス人フィリペ・ブナウ・バリリャ,新運河会社を設立.レセップスの資産を受け継ぐ.

93 ニカラグア運河建設を目指したマリタイム運河会社,米国を襲った経済恐慌に連鎖して倒産.この時点で掘削距離は8百メートルに留まる.

95 米海兵隊,パナマに上陸

97 マイナー・キース,スナイダー・バナナ会社を買収.パナマのボカス・デル・トーロに6千エーカーのバナナ農園を開拓.

98.12.05 マッキンレー大統領,議会へのメッセージ.戦艦オレゴン号の教訓を踏まえ,大洋間の水路の必要を強調.これを受け,ニカラグアの運河工事再開を勧める議員立法,超党派の支持で米上院を通過.

99.2.05 第一次ヘイ=ポーンスフォード条約が調印される.米国による運河建設権は認められるが,単独管理権は拒否される.セオドア・ルーズベルト,ヘンリー・カボート・ロッジラテンアメリカの拡張主義者は,「この条約は海上能力に優れた英艦隊に有利になるだけ」と反対.上院は批准を拒否.

99 フランス運河会社の主任技師で筆頭株主のフィリペ・ブナウ・バリーリャ(Phillipe Bunau-Varilla:フランス語読みだとどう発音するのでしょうか?)の依頼を受けた米国代理人ウィリアム・ネルソン・クロムウエル弁護士,活発なロビー活動によりマーク・ハンナ上院議員を抱き込むことに成功.ニカラグア運河法案を棚上げすさせる.議会下院はふたたび各ルート(ニカラグア,パナマ,コロンビア)の比較調査をおこなうウォーカー調査団を設置.

 

1900

1900年

ウォーカー調査団,ニカラグア・ルートを推薦する答申.(1)自然のルートを利用するため工事は簡単,(2)伝統的に米国の選択肢であった,(3)風土病などの危険は最も少ない,(4)沿岸領域の経済発展も期待できる,(5)米国により近い,(6)工事費はパナマより2億ドル安くなる,と報告.政府はこの報告に基づきニカラグア,コスタリカと条約交渉に入る.

1901年

1 ハバナの占領軍に派遣されたウィリアム・ゴーガス軍医少佐,市内の下水などの衛生を徹底.半年間で黄熱病の駆逐に成功.

11.18 米英のあいだに第2次ヘイ・ポンスフォート条約調印.クレイトン=バルワー条約の破棄で合意.米国は,平等なアクセス権を保障することで,運河建設ルートの排他的管理権を獲得.

11.20 米海兵隊,米国市民の保護と鉄道会社の運行確保のためパナマに上陸.二週間にわたり占拠.

01年 米運河調査委員会(ウォーカー委員会),訪仏.パナマ運河会社は4千万ドルで権利と資産を売却する提案.調査委員会は「パナマがもっとも実際的で便利なルートである」と答申.

ウォーカー委員会報告: (1)掘削距離が短く,横断に要する時間が短かい,(2)すでに鉄道と港が存在しており、建設期間が大幅に短縮される,(3)潤沢な労働力,(4)水門や掘削の必要がより少ない,(5)レセップスの会社の実績,経験,熟練を引き継ぐことが可能,(6)相手国はコロンビアのみである,(7)フランスへの権利補償金が1億ドルから4千万ドルに値下がりしたため,建設コストが当初見積もりを大幅に下回る。

1902年

1月 米下院,ニカラグア運河の建設を認可.

2.21 米上院,第2次ヘイ・ポンスフォート条約を批准.

6.19 「ニカラグアとの交渉の前に,コロンビア政府とパナマ案について交渉せよ」というスプーナー上院議員の修正案(スプーナー法)が議会で可決.米議会世論はニカラグアからパナマに傾く.パナマ運河会社,建設権を米国に売却.

9.17 米海兵隊,パナマ上陸.二ヶ月にわたり占拠を続け,鉄道運行を確保.

12.30 フランス政府,パナマ運河会社をアメリカに譲渡することを決定.

02 千日戦争終結.パナマでは自由主義派の勝利に終わる.

02 マルチニク島のペレー火山爆発.麓の町サン・ピエールが壊滅し3万人が死亡.1週間後にニカラグアの火山でも小噴火.パナマ運河会社の技師長フィリペ・ブナオ・バリーヤは,火山の噴火を描いたニカラグアの切手を配り,ニカラグア・ルートの危険性を米議会に大宣伝.

 

1903 パナマ「独立」

1.22 コロンビアと米国とのあいだにヘイ・エルラン条約調印.1千万ドルの一時金と年25万ドルの使用料で,百年にわたる運河建設権,運河地帯の排他的管理権を認める.

条約更新の優先権は米国にあり,コロンビアは米国以外の国に譲渡できないなど屈辱的内容であることから、当初、交渉は難航.コロンビア大使はワシントンの要求を拒否したまま帰国.トマス・エルランが代理大使(charge d'affaires)となって条約に調印した.

5 ホセ・アグスティン・アランゴを中心に独立の陰謀が始まる.地峡鉄道会社のマヌエル・アマドール・ゲレーロ医務部長,同じく鉄道会社のカルロス・コンスタンティーノ・アロセメナ技師,パナマの名門貴族フェデリコ・ボイド,ガブリエル・デュックらが「革命委員会」を組織.コロンビアのパナマ知事オバルディア,軍司令官ウェルタの抱込みに成功.

8月 コロンビア政府,議会にヘイ=エラン条約を提示.すべての議員がこの条約に反対の意向を明らかにする.

10.09 アマドール,ニューヨークのクロムウエル法律事務所を訪問,革命への援助を求める.クロムウエルは援助を拒否.バリヤはアマドールの要請を受けルーズベルト大統領と会見,支援をとりつける.

10.31 コロンビア議会,権利譲渡の条件をめぐる大激論のうえ条約批准を拒否.米国の策動に備えただちにパナマに軍を送る.トバル将軍の部隊400名が,カルタヘナ号に乗組みコロンに向かう.

1903年11月

11.01 ルーズベルト大統領,コロンビアを「腐敗した虐殺者の猿ども」とののしる.そしてコロンビアの許可なしでも運河建設を強行すると述べる.

11.02 「革命委員会」,パナマ地区で反乱開始.戦艦ナッシュビルと巡洋艦ディキシーがリモン湾で,マーブルヘッドとモヒカン号がパナマ湾で,それぞれ洋上待機の体制に入る.

11.03 トバル軍,米軍に数時間遅れてコロンに到着.鉄道会社のシェーラー大佐は,策略により将校団を切り離しパナマに送る.パナマの独立派はただちに独立を宣言し将校団を軟禁.すでに独立派に買収されていた駐屯軍はこれに抵抗せず.

11.04 パナマ市カビルド,臨時評議会政府を樹立しパナマ共和国の独立を宣言.マヌエル・アマドールが初代大統領に就任.

11.05 米国は直ちに新政府を暫定承認.コロンとパナマ市に軍艦9隻を配置してコロンビアを威圧.さらに海兵隊に上陸して横断鉄道を統制の下に置くよう指令.

11.06 コロンビア軍,米軍の圧力に屈し,パナマ撤退.

11.06 米政府,コロンビア軍の撤退を待って正式にパナマ新政府を承認.

11.13 パナマ政府,バリーヤを特命全権大使に指名.バリーリヤは米政府に信任状を提出し,正式代表団の到着を待たず,ただちに単独交渉に入る.

11.18 ヘイ国務長官とブナウ・バリーヤとのあいだにパナマ運河条約締結.革命委員会は内容を知らされないまま.

運河条約: 米国はパナマ政府に即金で1千万ドル,9年後から毎年25万ドル支払う代わりに,パナマから運河建設・運営権,幅16キロの運河地帯を百年間にわたり「あたかも領土の主権者であるかのごとく所有」し,それを「永久に使用・占有・支配」する権利を獲得.米国はパナマの独立を保障し、国内に混乱が生じた際には介入する「義務」を負う。
また、「パナマの完全な独立は米国により保障されるため,独自の軍を持つ必要はない」とされる.実際はエステバン・ウエルタス将軍(独立派)の指揮するコロンビア軍部隊が,そのままパナマ軍に移行.

12.27 制憲議会選挙が施行される。

1904年

1月 ルーズベルト,議会へメッセージ.パナマ干渉の合理化のため,「条約上の権利と義務,(米国の)国家の安全と利益,(米州の)集団的文明,(現地)住民の利益」の4つをあげる.

2.6 パナマ議会開催.運河条約批准.米上院もまもなく運河条約を批准.バリーヤはただちに全権大使を辞任しフランスに去る.モーガン上院議員,パナマ「独立」はルーズベルトの陰謀であると非難.クロムウエルも条約に反対.

2.13 パナマ新憲法.大統領制と2院制を採用し,アメリカの干渉権も承認.

2.23 議会,保守党のアマドールを初代パナマ大統領に選出.ウエルタスが最高司令官に任命される.選挙期間中,米海兵隊が上陸し反政府派の監視に当たる.

2.29 ルーズベルト,陸軍省の下に地峡運河委員会を設置.委員長にJ.G.ウォーカーが就任.

4.28 米議会,「パナマ運河地帯臨時政府暫定法」を可決.パナマ運河建設に必要な資金1千万ドルの支出を承認.運河地帯の土地および財産の接収の権限を大統領に付与.運河地帯総督にG.W.デービスが就任.

5.04 米国,パナマ運河建設予定地を正式に接収.フランス人の残した運河工事を再開.J.F.ウォレスが技師長に就任.

6月 青山士(あきら)、パナマ運河建設に参加。ガツン工区の副技師長となる。帰国後は、数々の治水工事(荒川放水路削、鬼怒川改修、信濃川分水)にかかわる。

11.17 米海兵隊がアンコンに上陸。1週間にわたり占領。

12 ウェルタス司令官,アマドール大統領の追い出しを図り解任される.解体されたウエルタス軍に代わり国家警察部隊が創設される.

1905年

2 運河建設後1年で34人の病死者.5百人が職を捨て帰国.政府は建設委員会を大幅改組.技師長はジョン・スティーブンスに交代.

7 ハバナで黄熱病撲滅に成果をあげたゴーガス衛生局長,パナマでも本格的な対策活動開始.半年後に黄熱病の発生は皆無となる.

1906年

6.29 パナマ運河,閘門式に設計変更.ジョージ・ワシントン・ゲーサルス大佐が技師長に就任.

11.09 セオドア・ルーズベルト大統領,パナマを視察.

06年 国民議会選挙。保守党が28議席中25を獲得。

1907年

4.1 ゲーサルズ大佐,地峡運河委員長を兼任.閘門式運河建設が本格化.

6 最初の総選挙が実施される.

1908年

4.2 ゲーサルズ,さらに地峡地帯総督も兼任し権限を一手に集中.

08 大統領選.アマドールの推す民族派のリカルド・アリアスと,保守党・自由党の推すホセ・ドミンゴ・オバルディアの対立が激化.米国は海兵隊を上陸させ,200名の選挙監視団を派遣し干渉.アリアスは立候補辞退を余儀なくされる.その後選挙のたびに米国の選挙監視団が派遣されることとなる.

08 国警隊,千名まで増強され,全土の治安維持にあたる.

1909年

1.9 米,パナマ,コロンビアの三国条約調印.コロンビア政府はパナマの独立を承認する。議会は批准を拒否.

09年 パナマ大統領選.投票結果をめぐり混乱となる.米海兵隊が介入.

1910年

3月 オバルディア大統領が死亡。カルロス・メンドーサが暫定大統領に指名される。

3 「ワールド」紙,パナマ運河条約をめぐる疑獄を暴露.ルーズベルトは「ワールド」紙を告訴するも敗北.真相はうやむやのまま.

9.14 辞任したメンドサに代わり、パブロ・アロセメナが暫定大統領として選ばれる。

1911年

3.23 ルーズベルト前大統領,カリフォルニア大学で講演.パナマ運河について「伝統的なやり方ではいまだに着工もできなかったろう.まず運河地帯を奪い取っておいて,そののちに議会に論議させる方法をとったために,工事も進行したというわけである」と演説.

1912年

5 アメリカ政府,6月地方選挙のため高級陸軍将校よりなる選挙監視団を任命する.

7.14 パナマ大統領選挙.海兵隊が上陸し監視に当たる.愛国連合のペドロ・ディアスはふたたび辞退を余儀なくされ、PLのベリサリオ・ポーラスが大統領に選ばれる。

8.24 米政府,パナマ運河法を制定.運河地帯内の土地の私有禁止,運河関係者以外の居住を禁止.

1913年

9.25 総延長80キロにおよぶパナマ運河開通.建設費5億ドルを費やし,最大時には5万人がはたらく.労働者7千人が病気・ケガ・災害などで死亡.

1914年

1.07 「アレクサンダーラバレー号」がパナマ運河の全長を初めて航行.

1.21 米軍部隊がパナマから撤退。

4 ウィルソン大統領,コロンビアとの関係修復をはかり,T.A.トムソンをコロンビアに派遣.パナマをめぐる一連の経過に関して「遺憾の意を表明」するトムソン=ウルティア条約に調印.ルーズベルトが強力に反対したため米議会の批准を得られず.

6.15 米政府,パナマ運河通航料法を制定.

8.03 第一次世界大戦勃発.

8.15 運河開通.パナマ運河運行開始.

11.13 米国,パナマ運河の中立性に関する大統領宣言を発表.

1915年

7.16 パナマ運河を初めて戦艦が通過する.

15年 米国,パナマ警察の武装を解除.裁判制度,教育制度保険制度などの公的制度を支配下におさめる.

16.6.30 PLのラモン・バルデスが大統領に選ばれる。野党は選挙をボイコット。

17.04.07 パナマ,ドイツに宣戦布告.

18.6.03 バルデス大統領急死.ベリサリオ・ポーラスが暫定大統領に就任。

後継のシロ・ウリオラは大統領居座りをはかり,議会選挙を無期限延期.国民の抗議行動は反米運動に発展.米国はウリオラの方針を違憲と判断.政府の「要請」を待たず海兵隊を上陸させ鎮圧.その後海兵隊はユナイテッドフルーツ社防衛のため2年間にわたりチリキ県に駐留.

1920年

2 運河地帯にはたらくパナマ人労働者1万7千人が賃上げを要求しスト.海兵隊はストを鎮圧し首謀者のウィリアム・プレストン・ストウテを国外追放に処す.

8月 PLのベリサリオ・ポーラスが引き続き大統領に選出される。

1921年

4.20 コロンビアとの「友好・運河の権利」条約が米上院で批准される.米国はパナマ運河の代償としてコロンビアの自由通行権と2,500万ドルを支払うこととなる.

21 コスタリカ,米国の支持を受けパナマのコト地方に武力侵入(コト紛争).軍事力を持たないパナマは,いったん侵入者を駆逐するが敗れ領土を失う.米海兵隊は紛争を利用しチリキ,ベラグアスを占拠.

21 内陸部でマーカス・ガーベイの派遣したウィリアム・プレストンの指導でパナマ労働者連盟創設.

22.3.01 コロンビア議会,補償金と引き換えに「遺憾の意」の表現を削除することに合意.「友好・運河の権利」条約(トムソン-ウルティア条約)の批准書がボゴタで交換される。コロンビアは正式にパナマの独立を承認。

23 運河地帯に米国人の進出盛ん.このため職を失った技術者,医師,弁護士,官僚など中間層は,秘密結社「市民行動」を結成し反米闘争組織を開始.

24年9月 PLのルドルフォ・キアリが大統領に選出される。

24 ガーベイの組織とは別に左派系の労働者総同盟が設立される.

1925年

10.12 パナマ市の下町,チョリージョ地区を中心に家賃値上げ反対の運動が広がる.「市民行動」と労働者総同盟は協力して借家人連盟を結成.家賃不払いストをきっかけとして全土に反政府運動起こる.チョリージョは運河建設に従事した後住み着いた黒人たちの町.

10.21 アルファロ大統領の要請を受けた米軍はパナマ市内に出動.600名の部隊により市内を10日間にわたり占領,8名の死者,多数の負傷者を出す.

25 家賃ストをきっかけとして,パナマ労働者党(共産党の前身)結成.

26.7.28 米・パナマ両政府の間にアルファロ・ケロッグ協定締結.米国が第三国と戦闘状態に入れば,パナマも自動的に戦闘状態に入ることを確認.米軍のパナマ領内での演習を認める.アルモディオとアルヌルフォのアリアス・マドリ兄弟ら,条約批准反対の意見書を議会に提出.議会がこれを拒否したため武装反乱を起こす.議会は結局協定を批准できず.

28.8.05 大統領選挙。PLのフロレンシオ・エルモディオ・アロセメナが勝利。野党は選挙をボイコット。

29 日本人移民天野芳太郎,パナマに漁業会社天野商会を開業.成功するが大戦中は米国で強制収容.

30.3 パナマ労働者党を母体に共産党結成.

31.1.02 アリアス兄弟,オリガルキーと米国支配からの解放をめざす共同行動党(Accion Comunal)を組織.武装反乱に成功し,アロセメナ大統領を打倒.リカルド・ホアキン・アルファロ駐米大使が暫定大統領に就任.

32.10.01 理論的自由党(PLD)をひきいるアルモディオ・アリアス,大統領就任.アルヌルフォはこれとは別に国民革命党(PNR)を組織.運河建設のあと居ついた黒人労働者など外国人排撃に争点をすり替え,親ファシスト組織に変質.

33.10.07 パナマに主権国としての交易権が認められる.パナマに不利益なアメリカ企業は,運河地域から排除することが可能となる.

35 パナマ国立大学設置.その後の民主運動の拠点となる.

36.3.2 アリアス=ルーズベルト合意成立.これに基づきハル=アルファロ条約が調印される.米国はアルファロ=ケロッグ協定の破棄とパナマ独立条約第一条の削除に合意し,パナマに対する保護国規定や干渉条項を撤廃.運河地帯の主権がパナマにあることを確認,用地取得にはパナマの事前合意が必要と認める.また,通行料収益分配額も年25万ドルから43万ドルに引き上げ.米議会の批准は39年までずれ込む.

独立条約第一条: 米国はパナマの独立を保障し、国内に混乱が生じた際には介入する「義務」を負う。また、「パナマの完全な独立は米国により保障されるため,独自の軍を持つ必要はない」とされる.同時に米国は有事の際には運河防衛のためパナマ領内に軍隊を派遣する権利を獲得。

36年 ファン・デモステネス・アロセメナが大統領に就任。

1939年

10.02 パナマで汎アメリカ会議.米州沿岸300カイリ以内を安全地域と設定し,米州諸国の中立宣言を発表.

1940年

6 大統領選,アルモディオの後継者ボイドにかわり,国民革命党のアルヌルフォ・アリアス(アリアス兄弟の弟)が当選.米国の提案した運河地域外の軍事基地供与を拒否するなど強硬な反米政策を打ち出す.

10 アルヌルフォ,大統領に就任.ファシストの傾向をもつ民族主義者として,外国人排斥をうちだす.マスコミを一手ににぎり排外主義とデマゴギーをあおりたてる.中国人商店や移民の財産を「国有化」.イギリス圏カリブ諸国からの黒人移民を国外追放する.議会,ハル=アルファロ条約を批准.

1941年

3.05 アメリカ・パナマ防衛協定が調印.パナマ運河地帯以外についてもアメリカの防空権を認める

10.07 アリアス,ハバナでキューバ人の愛人と密会中,米国と通じたリカルド・アドルフォ・デラ・グアルディア内相により無血クーデター.アルヌルフォはニカラグアに亡命.原因は米系電力会社に対する値下げ強制のためといわれる.

12.31 デラ・グアルディア大統領、議会を解散。

42.5.18 デラ・グアルディア大統領,ドイツに対し宣戦布告。米国と軍事基地供与協定「42年協定」を締結.リオ・アト空軍基地を含む134ヶ所1.5万ヘクタールの土地を戦時施設として徴用されることに合意.第二次世界大戦終了後1年以内に返却することが規定される。運河地帯のクォリーハイツに米南方軍総司令部設置.

43.9 パナマ共産党,ブラウダー主義の影響を受け解散.人民党に名称変更.

43 国立大学,フアン・デモステネス師範学校の学生を中心に,人民党の影響下にパナマ学生同盟結成.翌年さらに青年愛国戦線が結成される.

1945年

3 政府、アリアス派の反乱を鎮圧。

5月 制憲議会が召集される。

6月 反グアルディア派が多数となった議会,グアルディア大統領を不信任.駐米大使エンリケ・ヒメネスを新大統領に選出.デラ・グアルディアは国外亡命.

12月 コロンでアリアス派の暴動。警察との衝突で6人が死亡。

46.12 米軍,終戦に伴い98カ所の基地を返還.リオアト空軍基地ほか13基地の継続使用を要請.ヒメネス政権はパナマ国民の激しい反対の前に,米提案を拒否.

46 パナマの南方軍本部内に「米州学校」(School of the Americas)が設立される.

47.12 ヒメネス政権,米国の圧力に屈し基地の継続使用を認めるフィロス=ハインズ協定.外相として政界復帰したアルファロは,抗議の辞任後,反対運動に加わる.青年愛国戦線を中心に,42年合意の撤廃を求める運動広がる.1万の群衆に包囲された議会はこの協定の批准を拒否.運河地帯を除く米軍基地は一掃される.

1948年

5.09 大統領選挙。アルヌルフォが勝利するが、反米的態度を警戒する国家警察は就任阻止に動く.開票の不正操作により自由党のドミンゴ・ディアス・アロセメナが次期大統領に選出される。選挙審査会はアロセメナの勝利を宣告.アリアス派は不正選挙を叫び抗議行動。

7.03 パナマ市内でアリアス派の暴動。3人が死亡。政府は非常事態を宣言。

7.12 議会、ヒメネス大統領を弾劾。エンリケ・オバリオが暫定大統領に指名される。

7.14 最高裁判所、議会の弾劾決議が憲法に違反しているとの判決を下す。

7.17 運河地帯のコロン市に商品輸送の中継基地コロン・フリーゾーン設置.

10.01 ドミンゴ・ディアス・アロセメナが大統領に就任。非常事態を解除。

1949年

4月 ふたたびアリアス派の反乱。政府は非常事態を宣言しこれを鎮圧。

8.23 アロセメナ大統領,任期途中で死去.ダニエル・チャニスが暫定大統領として指名される。

11.20 チャニス大統領、国家警察隊司令官ホセ・レモン大佐の圧力の結果辞任。ロベルト・キアリ副大統領が大統領に指名される。

11.22 パナマ市内はアリアス派の暴動により無政府状態となる。ホセ・レモン司令官はアルヌルフォと密約を交わし、アルヌルフォの復帰を認める。

11.25 中央選管は前回選挙を再集計し,あらためてアルヌルフォの当選を宣言.アルヌルフォを嫌う米国はパナマと断交.

12.14 米国、パナマに対する外交制裁を停止。国交を回復する。

49 カリブ司令軍本部,米国からパナマのクオリー・ハイツ基地に移動.

50.9.26 米国,運河地帯政庁と切り離し独立採算制のパナマ運河会社を設立.

1951年

3 フェデラル・トラスト貯蓄銀行をめぐるスキャンダル発生.政府はフェデラル・トラストを閉鎖処分.国外亡命より戻ったデラ・グアルディア,アルヌルフォを激しく非難.アルヌルフォはデラ・グアルディアを逮捕.

4 パナマ最高裁,共産党員の公職追放を憲法違反と判決.

5.07 議会の弾劾に直面したアルヌルフォは、国会を解散し憲法を停止。民衆はゼネストで応える。

5.10 アリアスの腐敗と独裁的傾向に危険を感じた議会と裁判所は,アリアスに辞任を求める.議会決議にもとづき出動した国警隊長官ホセ・レモン大佐とこれを拒否したアリアスとのあいだで銃撃戦.3時間の闘いで16人の死者を出したあとアリアスは降服し亡命.

5.11 議会、アルヌルフォに対する弾劾を決議。アルシビアデス・アロセメナ副大統領が臨時大統領に就任.

51 パナマ人民党,あらためて科学的社会主義の原則を確認.

1952年

5.11 クーデターの立て役者ホセ・レモン大佐,大統領に当選.

10.01 ホセ・レモンが大統領に就任。反共攻勢強まる.共産党を非合法化する一方、教育及び税制等の改革を実施。さらにフィロス=ハインズ協定の撤回を米国に迫る.

52年 内陸部のサンチアゴ市で農民のデモ.デモ隊は一時市街を占拠.

52 左翼学生のたまり場である国立大学に対抗して,ユナイテッドフルーツ社の出資でカトリック大学創設.

53 コロンに自由貿易地帯創設.

53 第二次運河条約改定交渉.運河の使用料を引き上げ,米国の支配面積も縮小される.また地峡を横切る道路の建設も認められる.

53 ホセ・レモンの後継司令官にボルサル・バジャリーノ.国家警察(PN)は,米国との相互防衛条約を基礎に5千人にまで増強され,国家警備隊(GN)に改組.軍隊としての内容を整える.

1955年

1.02 ホセ・レモン大統領と二人の随員が,パナマ市内でアルヌルフォ派により暗殺される。ホセ・ラモン・ギサード(Guizado)副大統領が暫定大統領に就任。

1.15 グイサド大統領、レモン大統領の暗殺に関与したとして議会で弾劾される。リカルド・アリアス・エスピノサ副大統領が暫定大統領に就任。

1.25 運河条約改定,「相互理解と協力」条約締結.レモンの業績をたたえレモン・アイゼンハワー条約と呼ばれる。運河地帯におけるパナマ政府の徴税権を認める.使用料も193万ドルに引き上げ.米国は運河地帯以外にリオ・アト空軍基地などの使用権を獲得.

1956年

5.13 総選挙。全国愛国連合(Coalicion Patriotica Nacional : CPN)のエルネスト・デ・ラ・グアルディアが、自由党のビクトル・ゴイティアを破り当選。議会選挙でもCPNが42議席を獲得。自由党は11議席にとどまる。

7.21 パナマで米州大統領会議開催.21ヵ国が参加.アイゼンハワー米大統領,パナマ訪問.

9 エジプトでスエズ運河が国有化される。ダレス国務長官はスエズ運河国有化に関して「運河地帯の主権は完全に米国が持っている」と声明.パナマ国民はダレス声明に対して一斉に反発.

57.10.1 国連総会の安保理非常任理事国にパナマが選出.

1958年

5.19 運河地帯に国旗を掲げようとした学生三千のデモ,国警隊と衝突.18名が犠牲となる.大学生は一斉にスト入り.コロン〜パナマを歩く「飢餓行進」は米軍と衝突するなど国内騒然.政府は戒厳令を公布

6 運河地帯のクォリー・ハイツに南方軍司令部設置.カリブ司令部に代わり中南米全体をエリアとする.

58 米議会,運河を横断する橋の建設を決定.世銀の投資によりパンアメリカン・ハイウエイの建設が始まる.

1959年

4.26 キューバで訓練されたゲリラ部隊,革命行動運動(MAR),ベラグアス県のマンディンガ湾に上陸.タバサラ山地のエルトゥーテ山にたてこもる.

4.27 パナマ政府、解決要請を米州機構に提出。OASは要請にもとづき調査委員会を設置。ブラジルのフェルナンド・ロボを議長とし、ブラジル、コスタリカ、パラグアイ、米国より構成される。

5.01 米国の武力援助により、タバサラのゲリラ部隊はほぼ壊滅。OAS,潜入部隊のうち87人がキューバ人と発表.これを機に、国警隊内部に公共秩序維持特別部隊が創設される.

11 独立記念日の学生デモ.パナマ大学学生のデモ隊5千が米国大使館を襲撃.その後,運河地帯に侵入し国旗を掲げようとする.米国陸軍部隊と衝突し死傷者80数名.マーチャント国務次官の訪問に抗議する6千人のデモに発展.アイクは境界線地区に限り,両国国旗を掲げることで妥協をはかる.

1960年

5.08 大統領選.自由党のロベルト・チアリが当選.積極的に財政出動.スラム一掃計画,住宅・病院の建設,公衆衛生の充実に努める.このとき対外債務は8,300万ドル,年間予算は1千万ドルの赤字.

9.21 ケネディ,軍事施設を除くすべての運河地帯施設へのパナマ国旗の掲揚を許可.学校・病院などは国旗の掲揚そのものを自粛.ダニエル・フレイド上院米州委員会委員長,「たとえパナマ国旗を掲げても,屋根はわれわれのものだ」と発言.

11.02 ボカス・デル・トーロ県で,ユナイテッドフルーツ社のバナナ労働者が,賃上げと労働条件改善を訴えストに入る.

11.04 ストライキはチリキ,アルムエージェスに拡大.各地で製糖・バナナ・プランテーション労働者のスト相次ぐ.一部は武装闘争へ移行.輸出は2ヶ月にわたりストップ.

61.1 UF社,スト弾圧を断念.労働者の選挙により選ばれた代表者を正当な交渉相手として承認.

62.12 チアリ,ワシントンを訪問しケネディ米大統領と会談.パナマ運河条約改訂で共同声明.

 

1964年 国旗事件

1月

1.09 運河地帯内のバルボア高校で,米国人右翼学生が米国国旗の掲揚を強行.これに対抗してパナマ人学生2百人が,国旗を米国国旗と並べて掲揚するよう要求してデモ.国旗を掲揚しようとしたパナマ人学生代表6人に米国人集団が暴行,パナマ国旗を引き裂く.パナマ市民数千人が,境界線に殺到し暴動となる.暴徒は鉄道駅を襲撃し,パンナム・ビルを焼打ち.米軍は狙撃班を配置し,無差別射撃を指令.

1.10 暴動はコロンにも拡大.境界地帯のいたるところで放火,発砲.2日間の暴動で死者27人,負傷者4百人以上を出す.

1.11 パナマ,コロン両市からの抗議デモは10万人にふくれ上がる.米国は運河地帯への交通を完全遮断.運河地帯からの収入は途絶.海外からの資本も逃避.

1.13 チアリ大統領,米国と国交断絶.事件の処理をめぐり国連安保理に提訴.労働者連合はゼネストを提起.OAS理事会開催.国連緊急安保理開催.

1.21 国民親衛隊によるクーデターの動き.チアリは新運河条約の締結をあくまで要求.

1.23 ジョンソン米大統領,パナマ運河条約を改訂する用意があると発言.

64年3月

3 OAS,パナマ問題での調停を放棄.両国間の直接交渉にゆだねる。

3.21 ジョンソン米大統領,パナマ問題で譲歩の声明.

4.03 チアリ,圧力に屈し米国との国交回復案を受諾.新運河条約をめざし交渉を開始することで合意.

5.07 米軍、選挙を前に艦隊を送り、2週間にわたり威嚇行動。

5.10 大統領選.アルヌルフォが当選するが,国警隊はアルヌルフォの就任を実力で阻止.チアリの推す全国反対連合(UNO)のマルコ・ロブレスが勝利を宣言.ロブレスは前の国警隊長官。

6.01 不正選挙に抗議するアルヌルフォ派の街頭デモ。コロンとパナマで3人が死亡。

12月 ジョンソン大統領,「公正と正義を実行する」と表明.パナマ運河条約改訂交渉の開始に合意.反米世論をかわすと同時に,新パナマ運河建設への布石.

1965年

9.24 ジョンソン米大統領,米・パナマ両国は新運河条約構想に同意と発表.米議会,パナマ新運河建設調査委員会を設置.4年間にわたり平面式運河建設の可能性を探る.

67.6.26 ロブレス政権と米政府との間で国交修復交渉.1903年の条約を廃止,パナマが運河地帯の主権を回復したうえで,運河を両国共同管理とすることで合意.将来の水面式運河についても共同で検討する,運河の防衛には引き続き米軍が当たることなどで合意.国民の強い反発の前に,米・パ両国のいずれもこの条約を批准できず.

 

軍事政権への移行

1968年

3.24 アルヌルフォ派が多数を占めるパナマ議会,ロブレス大統領を弾劾。デルバイエ第一副大統領を臨時大統領に指名.

3.24 バジャリーノGN総司令官と結託したロブレスは国会を封鎖,野党本部に襲撃をくわえる.市民の抗議行動あいつぐ.

5.12 大統領選.自由党ロブレス派とチアリ前大統領派のあいだに内紛.チアリ派と手を握ったパナメニスタ党のアルヌルフォ・アリアスがみたび大統領に選ばれる.ボリス・マルチネス少佐を中心とする秘密結社「ザ・コンボ」,アリアス政権転覆の計画を開始.

10.01 アリアス,みたび大統領に就任.国警隊幹部を総入れ替え.マルチネスはチトレ県へ,オマール・トリホス中佐はエルサルバドルへ左遷される.

10.11 若手将校によるクーデタ発生,議会,すべての政党が解散され,政治家数百名が逮捕される.アリアスは米軍基地に逃げ込んだ後米国に亡命.軍事評議会議長のピニージャ大佐を臨時大統領に据える.ウルティア副大統領,いったん逮捕されるもその後釈放され,ピニージャと並び二人制の暫定評議会代表となる.トリホス,ボイド少佐,マルチネスが実質的指導部を形成.バジャリーノは政界に復帰せず.

10.12  暫定評議会,閣僚を指名.サムディオ派やアリアス派もふくむ幅広い顔ぶれとなる.ピニージャは暫定大統領として自由選挙の実施を約束.クーデターに抗議する暴動がパナマ市内のスラムなどで発生するがまもなく押さえ込まれる.

10.15 米国、パナマ軍事政権との関係を断絶。1ヵ月後には解除。

11 軍事政権反対の学生デモ.軍により百名以上が逮捕.報道管制が敷かれ,大学は数ケ月間にわたり閉鎖される.

12 トリホスが国警隊長官に,マルティネスが参謀総長に就任.政府の実権は若手将校の手に移る.

1969年

1 政府,62年の土地改革法を改めて実施すると発表.3年以内に総面積70万ヘクタールの土地を6万戸の農家に配分すると公約.その他教育,医療でも意欲的な計画.

1 アリアス派のゲリラ,チリキで活動開始.農民反乱が数ケ月にわたり続くが,指導者のほとんどが軍の手にかかり虐殺.

2.4 評議会内部でマルティネスら急進派と,改革に反対する地主や資本家の支援を受けたトリホス派が対立.マルチネスとその支持者3名は敗れマイアミに追放される.トリホスは,親マルティネスのピニージャ臨時大統領,ウルティア副大統領をフンタから追放し,代わりに二人の民間人を登用.工業家のデメトリオ・バシリオ・ラカスを暫定大統領に,法律家のアルトゥーロ・スクレを副大統領に据える.

2月 トリホスは全政党を非合法化し内閣改造.民間人閣僚5名が辞任し,軍部独裁色がより明瞭となる.米国と資本家の権益を守ると保障.その後トリホスは急速に左傾化.「決起か死か,決してひざまづきはしない」と反米,反オリガルキーのスローガンで土地改革などに着手.自らの政治勢力として新パナマ運動を創設.メキシコの制度革命党に真似,労働者・農民,中間層の結集を図る.この政変で功績を上げたマヌエル・アントニオ・ノリエガは,チリキ地方軍司令官に昇進.

12.13 国警隊副司令官ラミロ・シルベラ,アマド・サンフール,ルイス・ネンツェン・フランコの三大佐,トリホスのメキシコ訪問中にCIAの支援を受けクーデター決行.オリガルキー組織の全国私企業評議会はCIAの支持を受け共産主義者トリホスの追放を宣言.

12.16 トリホスは辞任を拒否しチリキに到着.ノリエガ少佐,ルベンダリオ・パレデス中佐の支持を得たトリホスは,ダビド兵営に支持者を結集してパナマ市内まで示威行進.大衆の圧倒的な支持の下にクーデターを鎮圧.ノリエガは功績を買われ幕僚入りし,情報機関G2の責任者となる.

1970年

1 トリホス,ペルーやボリビアの民族主義的軍事政権に影響を受け,ポピュリスモの立場をとるようになる.国内の共産党とは距離を置きつつ,キューバにも接近.

4 軍政下初の地方選挙が第64選挙区で行われる.町内会の代表による間接選挙で郡長,収入役,郡会議員が選出される.

7 臨時政府委員会,銀行法改正(オフショア銀行法).国際金融センターを発足させタックスヘイブン化を推進.パナマは一大金融センターとなる.いっぽうで税法を改正し,商工業資本家階級への課税を強行.ユナイテッド・ブランド社をふくむ内外の民間企業のいくつかを国有化.

9.01 トリホス,ロブレス時代の67年協定を否認すると公式に通告.改めて新しい運河条約の交渉を開始。米国政府内でも運河をパナマに返還すべきであるとの議論が高まる。

10 ラ・チョレーラ地方で民族行動前衛(VAN)を結成し武装闘争を展開したニト・サンティソ,軍の手により射殺.

1971年

2月 トリホス、「第二パナマ運河建設について日本に協力を要請する」と発言。

4 トリホス,国連安保理のポストと引き替えに,運河条約の改定交渉再開に応じる.

6.29 運河交渉開始.米国は第2運河の建設権を要求するが,トリホスはこれを拒否.リオアト基地などの使用期限終了.パナマ政府は契約更新を拒否.

7 コロンビア人神父エクトル・ガジェゴス,農民共同組合を組織.ノリエガの手にかかり暗殺される.

71 トリホス,新パナマ運動への結集を図るこれまでの路線を改め,直接民主主義の路線をとる.農民の組織化に力を注ぎ,ヘリで全国の農村を飛び回り,農民集会に積極的に参加.農地改革を実施して協同組合農場を作ったり,農村開発、道路整備等を実施し地方の開発を推進。また都市下層大衆向けに住宅建設を推進するなどポピュリスト的政策を実施.政策推進にあたっては人民党が積極的役割を果たす.

71年 ノリエガ,軍の情報局長として頭角を現す.CIAエージェントとなり,国防総省やDEAと人脈をつなぐいっぽう,麻薬組織ともすでに関係していた.

1972年

4 新議会が制定した憲法により大統領制は維持される。トリホスは政府主席として大統領と同様の権限を維持。トリホスは権力基盤確立のため労働組合に接近.労働者憲章を制定し,公務員労働者やユナイテッド・ブランド社の農業労働者を中心とするパナマ労働者全国中央組織(CNTP)を結成.企業に労組との交渉を義務付ける.さらにキューバとの国交回復,基幹産業の国有化などに取組む.

8.02 第64選挙区での方式を元に全国で選挙.従来の国会に代わる全国コレヒミエント会議(人民議会)開催.議員505人が選出され,トリホスの組織したナショナリスタ党が圧倒的多数を占める.従来政治から外されていた西インド系黒人やムラートの代表も中央政治にかかわるようになる.大臣,国警隊司令官の任免権,国際条約の調印権など国家統治権を78年までトリホスの手にあずけることを議決.

9 パナマ政府,米国の反対を押しきり,南ベトナム解放民族戦線代表団の入国を許可.

10.2 軍参謀本部が作成した新憲法、議会の承認を得て発効.大統領制は維持されるが、既存政党は公的活動を禁止され,政治的発言力を制限されるようになる.トリホスは新憲法発効により任期6年の「パナマ革命最高指導者」に就任.行政・立法・司法にわたり独裁的権力を持つ.

10.11 パナマ革命4周年記念.トリホスは「6年間で運河と運河地帯を祖国の支配下におき,その後政治から引退する」と演説.

10月 トリホスの実兄でスペイン駐在大使のモイセス・トリホス、ヘロイン取引に関与した疑いがかかる。DEAからのリークに基づき、米国のメディアがいっせいに報道。

11 運河地帯のバス会社でスト.パナマ人労働者はバス16台をパナマ領内に持出す.トリホスはバス返還を拒否.

1973年

3.15 パナマで国連特別安保理事会開催.トリホスは「植民地主義は自由人の監獄である.自国が植民地でないことを誇っている国が,我が国の中枢部に植民地を保持し続けようとするのは理解に苦しむ.われわれは絶対に星条旗のもうひとつの星にはならない」と米国を断罪する演説.パナマの運河に対する主権を認め,新運河条約の早期調印をうながす「パナマ運河地帯に関する決議案」提出.

3.21 アメリカ,国連特別安保理でパナマ運河決議に拒否権を行使.英国も棄権に回る.第三世界諸国を味方に付けたトリホスは15ヵ国中13ヵ国の賛成を得るが,決議は流産.

1974年

1.04 米国とパナマ,運河の段階的返還で合意,新協定に調印.

2.07 タック外相とキッシンジャーのあいだで8項目の合意成立.パナマの運河および運河地帯に対する主権を認め,新運河条約発効とともに運河地帯の管轄権がパナマに移行することなどを確認.新条約の基礎確定.

3.05 パナマでバナナ輸出国会議開催.中南米7ヵ国が参加.ホンジュラス,コスタリカ,パナマの政府は,40ポンド箱ひとつにつき1ドルのバナナ輸出税を課すとするパナマ合意に署名.ユナイテッド・ブランズはこの合意に強く抗議.

7 UB社,パナマからのバナナ輸出を停止.パナマ政府のバナナ農園を国有化する計画に抗議する行動.3ヶ月間で輸出年間目標の45%がストップする.

8 トリホスは米国の運河問題での態度に怒り民族主義的傾向を強める.パナマ,キューバと国交回復.ニコラス・アルディド・バレルタ計画相を団長とする百名の代表団がキューバ訪問.

9.17 コスタリカ,コロンビア,ホンジュラス,グアテマラ,パナマの政府,「バナナ輸出国機構」の設置で合意.加盟国の利益を守り,適正価格を維持するため,共通の方針で臨むこととする.最大の生産国エクアドルは,機構への不参加を決める.UB社はこれらの国から撤退する方針を示唆する.

1975年

2.27 ロジャーズ米国務次官補,「パナマが新条約批准拒否すれば,運河の閉鎖の可能性も考える」と恫喝.

3.22 パナマで運河関係国首脳会議.コロンビア・コスタリカ・パナマ・ベネズエラ4ヵ国が参加.

1976年

1 フォード大統領,CIA再建のためブッシュを長官に指名. ノリエガを中米における主要なコンタクトとして引き継ぐ.ノリエガは,すでに60年代からCIAとつながっており,情報提供の見返りに,最高で年間10万ドルを受け取っていた.また彼の麻薬取引へのかかわりは見逃されてきた.

1.15 トリホス,キューバを訪問し,パナマ条約改定への賛同を求める.パナマの運河主権要求を支持する共同声明.

5.03 パナマ運河施政権返還をめぐる米,パナマ交渉再開.

6.10 キッシンジャー米国務長官,ボイド・パナマ外相と会談,運河交渉で楽観的見解示す.

8月 レーガン,共和党の大統領候補レースに参加.「パナマ運河地帯は米国の神聖な領土である.それはアラスカと同様である.それはルイジアナをフランスから獲得したのと同じく,国家が金を出して購入したものである.我々はそれを守り抜くだろう.そのことをトリホスに分からせなければならない」と演説.

76 フォード大統領,運河条約調印を拒否.

76 ウーゴ・スパダフォラ厚生次官,職を辞し同士を募り,サンディニスタに参加.

76 積極的な財政とオイル・ショックの結果重債務状態に陥る.新労働法成立.景気の悪化を反映し,72年の憲章からは多くの後退.

1977年

1.17 ベネズエラ・コロンビア・コスタリカ・ホンジュラス・エルサルバドル・メキシコの6ヵ国,パナマ運河返還を迫る共同声明.カーター新大統領にメッセージを送る.カーターは、パナマ運河問題を対中南米政策の最優先課題として取り上げる。

2.14 カーター新政権の下、3年ぶりにパナマ運河条約改訂交渉が再開される.10日後にはふたたび中断.

3 永野重雄日商会頭,中米視察団長としてパナマ訪問.トリホス将軍と新パナマ運河建設について会談.

5.09 ワシントンでパナマ運河返還協定改定交渉再開.米政府が新たな提案.

8.06 パナマ運河に関する中南米6ヵ国首脳会議,ボゴタで開催.

8.10 パナマ運河交渉,基本的合意に達する.カーター=トリホス共同声明発表.

カーター・トリホス協定: 「パナマ運河条約」「パナマ運河の永久中立と運用に関する条約」およびその付属議定書からなり,99年12月31日正午を期してパナマ側に無償で譲渡されること,その後の管理・運営・維持はパナマが行うこと,その防衛もパナマの手に委ねられること,運河は国際的通航水路として永久に中立化され,戦時であると否とを問わずあらゆる国の船舶がまったく平等に通航できること,などを決める.ただし運河の運営権はパナマに委ねるが,防衛は米国が受け持つこと,新運河建設には米議会の承認が必要とされる.さらに海面運河の可能性の検討もうたわれる.

9.07 米国とパナマ,ワシントンのOAS本部で新運河条約(カーター=トリホス協定)に調印.調印式には中南米23ヵ国の元首・代表が参列.

10.14 カーターとトリホス,パナマ新運河条約に関する了解声明を発表.

10.23 パナマ国民投票.66%の賛成で新条約を批准.同時期に米国で行われた世論調査では,78%が運河返還に反対.

12.12 パナマ政府,CIAの絡んだトリホス暗殺計画の関係者を逮捕と発表.

1978年

1.13 バード米民主党院内総務,新パナマ運河条約支持を表明.

1.18 トリホス,新運河条約で米の防衛権と通航優先権を組み入れてもよいと言明.

1.26 民主・共和両党,新パナマ運河条約の批准で合意.

1.30 米上院外交委員会、新パナマ運河条約の批准案を修正可決。

2.01 カーター,議会に対し新パナマ運河条約の批准を要請.

2.27 米上院本会議,パナマ運河条約の修正案をいったん棚上げにする.

3.10 米上院,運河条約を審議.返還後も米軍の介入を認める付帯条項を可決.

3.16 米上院,パナマ運河条約のうち運河の中立に関する条約部分を1票差で批准承認.

4.18 米上院,付帯条項をつけた上で,68対32で新条約を批准.2,000年までにパナマ運河を返還することが正式に決定.

6.14 式典を前に賛成派と反対派の学生が銃撃戦.2人が死亡.オイルショックと放漫財政により経済危機を迎え,軍部独裁への批判高まる.

6.16 パナマで批准書交換式典. カーター大統領がパナマを訪問し,トリホス将軍と批准書を交換.

9.26 米下院,上院に続きパナマ運河施行法を可決,カーター大統領の署名で成立.

10.01 人権外交を受入れたトリホスは、政党活動を公認。69年のクーデター以来禁止されていた政党が復活する.アルヌルフォ・アリアスの帰国も認められる。

10.11 トリホスは「革命の最高指導者」の地位を降りる.全国代議員会議(国会)での選挙を経て,アリスティデス・ロヨ前教育相が大統領に就任.「民政化」開始.トリホスは国警隊長官の地位にとどまり実権を掌握するいっぽう,選挙に向け自派の政党として民主革命党を結成.

1979年

5.09 ロヨ・パナマ大統領,訪米.

6 トリホス,サンディニスタ革命を支持しウーゴ・スパダフォラ厚生次官を指揮官とする義勇軍を派遣.

8 トリホスの要請を受けた永野日商会頭,渡米し米国と民間レベルの接触.現運河西方のカイミト=ラガルト間58キロに開削方式の運河を建設する構想を提示.

9.25 米上院本会議,パナマ運河の返還に関する移行措置の細目を決めた国内法案を可決.翌日下院でも採択.

10.01 パナマ運河新条約発効.運河は共同管理に移行し段階的に返還が進むこととなる.

10.02 ボリビア・コロンビア・ペルー・ベネズエラ各大統領・エクアドル外相,パナマ議定書に調印.

12.28 米政権の要請を受けたトリホス,運河条約の見返りとしてイラン元国王パーレビの受入れを決定.コンタドーラ島に保護.ロヨ大統領は,イランへの引き渡しを検討する用意があると発表.

79年 連邦検察官,ノリエガを麻薬取引と武器密輸で告発する姿勢を示す.カーター政府高官は,ノリエガの持つ情報源が貴重なことから,この告発を妨げる.

1980年

1.25 永野日商会頭ら日本財界代表,パナマ訪問.第2パナマ運河建設候補地などを視察.「80年代に第二パナマ運河のメドをつける」と発言.現運河の西15キロに全長98キロの海面運河を建設する案を打ち上げる.

3.24 アリスティデス・ロヨ・パナマ大統領,訪日.大平正芳首相,第2パナマ運河構想への協力を表明.

1981年 トリホスの死

1月 ブッシュ副大統領,政府の反麻薬キャンペーンの責任者となる.スタンフォード・ターナー前CIA長官が関係を絶った,ノリエガとの関係を復活させる.

7.31 トリホス将軍のデハビランド機,コクレシトへの移動のためペノノメを離陸.離陸の10分後に山間部に墜落.トリホスは謎の死亡を遂げる.離陸直前に何者かが飛行機に細工したとのうわさ有り.秘密警察長官マヌエル・アントニオ・ノリエガ・モレノ大佐の関与がうわさされるが,原因はいまだに不明.フロレンシオ・フロレス・アギラール大佐が後継の国警隊司令官に就任.

12 スパダフォラ,「ラプレンサ」紙でノリエガとG2が政治家を脅迫して思いのままに動かしていると非難.

1982年

3 国警隊内部の権力争い.フロレスに代わりルベン・ダリオ・パレーデス大佐が司令官就任.国警隊を改組し国防軍(FDP)創設,軍の権限をさらに強める.

4.01 新運河条約にもとづき,運河地帯での米国の司法権が終了.

7.30 パレデス,米国の意向を受け共和制への復帰を目指す.トリホスの路線を受け継ぐロヨ大統領は健康上の理由で辞任.後任にリカルド・デラ・エスプリエジャ副大統領が就任.

9 「第2パナマ運河構想」具体化.パナマとアメリカ政府,日本に第2パナマ運河建設準備委設立を呼びかけ.

12 トリホスの下で秘密警察長官を務めたノリエガ大佐,参謀総長に就任し勢力を伸ばす.

1983年

1.27 パナマ運河委員会,運河通航料金の9.8%引き上げ決定.

2.01 永野経済使節団,パナマ訪問.

4.10 パナマ・コスタリカ・コロンビア3国大統領会談,パナマで開催.

4.24 憲法改正を問う国民投票,88%の投票率で成立.84年の選挙実施が承認される.

8.12 パレデスは次期大統領選に立起するため最高司令官を辞任.パレーデスに代わりノリエガが軍最高司令官に就任.以後米国と保守派に対し妥協的姿勢を強める.ノリエガ後任の参謀総長にはトリホスの甥で若手に人望の高いディアス・エレーラ少佐が就任.

9.04 エスプリエジャ大統領,パレーデスの意向を受け内閣大幅改造.

9 13の政党が選挙登録を済ます.労働者農民党(PALA),共和党,パナメニスタ党(PP)分派,拡大人民戦線(FRAMPO)などは国民民主連合(UNADE)を結成.バルレッタを大統領候補に擁立.副大統領候補には共和党のエリック・アルトゥーロ・デルバジェとPLNのロデリック・エスキバル.真正パナメニスタ党(PPA),PDC,全国自由共和運動(MOLIRENA)の他多くの小政党は民主対抗同盟(ADO)を結成.大統領候補には83才のアルヌルフォ・アリア・マドリを立てる.

ニコラス・アルディト・バルレッタ: バルレッタはトリホス時代の計画相,その後世銀LA副総裁,OAS経済問題担当局長をつとめるなど,国際的知名度を持つ親米派エコノミスト.経済学をシカゴ大学で学ぶ.このときの教授は現国務長官ジョージ・シュルツ.

9 軍内政変.ノリエガが実権を掌握.ノリエガ,パレーデスが大統領選への立候補を取り下げると声明.選挙は国民民主同盟のバルレッタと,アリアスを中心とする民主対抗同盟の対決となる.

1984年

2.13 パレーデス,人民民族党の支持を受けふたたび立起の動きを見せる.しかしディアス・エレラ参謀総長が,軍としてパレデス不支持を表明したことから立候補を辞退.ノリエガはエスプリエージャ大統領を辞任させ,イリェカ副大統領を代行にすえる.

3 スパダフォラ,ノリエガを国際的な麻薬密売人と非難.トリホス死亡に関与していた可能性も示唆.

4.30 ララ法相を暗殺したメデジン・カルテルのエスコバル,ノリエガの了解を得てパナマに逃げ込む.

5.06 大統領選,16年ぶりに直接選挙となる.選挙をめぐり軍の不正操作が横行.人民党など左翼勢力は,右翼化した与党から離脱し独自候補を擁立.実体はアルヌルフォの圧勝であったが,選挙管理委員会の最終発表では,バルレッタ30万票対アリアス29万9千,わずか千7百票差でバルレッタが辛勝.

5.06 全国選挙管理委員会,6日投票の大統領選について「勝者を決定できない」と宣言.裁判所の裁定に委任.抗議のデモ隊に軍の発砲,一人が死亡し40人が負傷.

5.16 パルレタの「当選」が確定.コレヒミエント議会が廃止され,復活した一院制の議会選挙では,67議席のうち与党民主革命党(PRD)34,野党真正パナメニスタ党(PPA)14.PALAが7議席をしめる.

5.21 パナマ空軍のヘリ,DEAとともにダリエンのエル・サポ山麓にあるコカイン精製工場を急襲.21人を逮捕しヘリ1機と双発機2機を押収.

6.24 民主党のジャクソン大統領候補,パナマでエルサルバドル反政府左翼ゲリラ代表と会談.

10.11 バルレッタ,大統領に就任.16年ぶりに民政復帰.実権は依然ノリエガの手に.米国はシュルツ国務長官が就任式に出席することで,結果的に選挙の合法性を承認.

11.13 バルレッタ,IMFの勧告を受け入れ緊縮・増税計画を発表.労働者のストやデモにより,いくつかの提案については撤回を迫られる.

84 パナマ運河委員会(委員9名中5名が米国人)、米国従業員への特権を拡張する決定。パナマ政府は、地元の労働者を差別するものであり、78年の運河条約に対する侵害だと抗議。

84年 米軍のスク−ル・オブ・ジ・アメリカズ(SOA),パナマからジョージア州フォート・ベニングに移る.

 

1985年

1 パナマ不況,深刻化.労組や経済団体も政府支援を取りやめる.

8 ノリエガ,経済政策の失敗を口実に公然と政府批判を開始.

スパダフォラ虐殺事件

9.15 ノリエガを批判し続けたスパダフォラ,コスタリカ国境地帯で首なし死体となって発見される.首の切断は,その筋においては,裏切り者への復讐の際の常套手段である.ノリエガは事件への関与を否定するが,当局の捜査は拒否.メディアや野党指導者はいっせいに犯人の調査と厳罰を要求.市民は真相究明を要求し集会,デモを展開.

9.23 国連総会出席中のバルレタ大統領,事件調査委員会を結成すると表明.米国務省に支持を求める.エリオット・エイブラムズ米州問題担当補佐官は,バルレタを支持する発言.これを受けたエヴェレット・ブリッグス米大使は,公式の場で「真の民主主義は,軍に対する厳格なシビリアン優位を要求する」と発言.大使館幹部は事件を報道したラ・プレンサ紙を訪問,スパダフォラの家族を受け入れるなど,一連のジェスチャー.ノリエガは一時スイスに避難.

9.28 国連総会出席中のバルレタ大統領,ノリエガに呼び戻され,経済再建の失敗を理由に辞任を迫られる.後任にエリク・アルトゥーロ・デルバイエ第一副大統領.米国は大統領交代劇を厳しく批判するが,コントラ支援を重視する立場から結局黙認.

9 米・日・パナマの三国からなる代替運河調査委員会が発足.

10 新政権,高まる抗議の声を前に,すべての学校を一時閉鎖.いっぽうで牛乳代,米価,石油価格の値下げなど一連の緩和策を採る.デルバイエはIMFの提示するいかなる条件も,労働団体,経済団体との合意なしには実施しないと声明.

11.01 CIA長官ウィリアム・ケーシー,ラングレーの本部にノリエガを招聘.国務省の要請にもかかわらず,ケーシーはスパダフォラ事件やバルレタ解任問題には触れず,レーガン政権が彼に支持を与え続けることを保障.DEAも貴重な情報源として引き続きノリエガを利用する姿勢を示す.

12月中旬 国家安全保障担当補佐官に着任したジョン・ポインデクスター提督,エリオット・エイブラムスらとともにパナマを訪問.ノリエガとの会見でスパダフォラ事件を問いただすが,ノリエガは容疑を全面否定.(ノリエガの証言によれば)ポインデクスターは,ニカラグア侵攻作戦への協力とコンタドーラからの脱退を迫る.ノリエガが拒否したことから交渉は決裂.

 

1986年

1.20 運河をゲリラ攻撃から守るための米・パナマ領軍の合同軍事演習開始.

3.21 パナマ政府,マルコス前フィリピン大統領の亡命を正式に拒否.

3 デルバイエ政権,ふたたび緊縮財政と自由化に方向転換.経済関係三法案を提案し野党や労組の反対を押切り成立させる.労働者は政府の経済政策に反対し「構造調整に反対する労働者週間」を展開.デモに対し機動隊が銃撃,イト・バランテスが死亡.

3 政府,米上院外交委員会の西半球小委員会,パナマにおける民主主義の状況をめぐりヒアリング開始.翌月には下院でも調査開始.

6.02 新パナマ運河計画を検討するアメリカ,日本,パナマの3ヵ国共同委員会が発足.

6.12 ニューヨーク・タイムスのセイモア・ハーシュ記者,政権幹部筋からのリーク情報に基づき、ノリエガ政権の実態を暴露。@15年にわたりCIAとキューバの両者に情報を提供し,輸出会社をあやつり,米国の技術をキューバ,東欧に流していた.AコロンビアのM19へ武器を供与している。Bパナマ軍幹部が麻薬取り引きへ関与しており,ノリエガ自らも麻薬資金で蓄財している。Cスパダフォラ暗殺事件にも言及.ノリエガはのちに「米国が自分を敵視するようになったのは,ポインデクターとの会談以来のことだ」と証言.

9 パナマ運河代替案調査委員会設置のための協定調印.調査費用を日本,米国,パナマが均等負担することとなる.

10 デルバイエ,内閣改造.強い反対を押し切り閣僚4人を更迭.

12 米政府,麻薬ルートにキューバ,ニカラグア,パナマが関与しているとの大宣伝開始.ラ・プレンサ紙編集長ロベルト・アイセンマン,政府の暗殺計画を逃れ米国亡命.野党派放送局ラディオ・ムンディアルは閉鎖を命じられる.

 

1987年

6月 ディアス事件と反ノリエガ暴動

6.1 国軍ナンバー2で参謀総長のロベルト・ディアス・エレラ大佐が辞任.事実上ノリエガによる解任.トリホスの死後国軍幹部のあいだに交わされた秘密合意書では,87年にノリエガは引退し,エレラが後任となることで合意されていた.ディアスはトリホスの甥にあたる。

6.05 ノリエガ,さらに5年間,国軍最高司令官の地位にとどまると発表.

6.07 ディアス・エレーラ,84年選挙におけるノリエガ将軍の大統領選不正工作への関与を示唆.(1)84年選挙は実際はアリアスが勝っていた.(2)トリホスの事故はCIAが空軍司令官を買収して機内に爆弾をしかけたものである.(3)これらの事件すべてにノリエガが絡んでいる.(4)スパダフォラ事件についてもノリエガが関与と証言.

6.08 パナマ・シティーで市民10万人が参加する反ノリエガのデモ.エレラにより名指しされた人物の即時解任を求める.数週間にわたり全国で市民ストとデモが展開される.

6.10 野党勢力はアウレリオ・バリアを中心に全国市民十字軍(CCN)を結成.ノリエガ司令官とデルバイエ大統領の退陣を要求する行動が激化.

6.11 パナマ全土に非常事態宣言.エレラを反逆罪で告発.基本的人権を停止,検閲制を実施.各地でノリエガの私兵集団が野党支持企業への襲撃を繰り返す.CCNは数日間にわたる全国ストで対抗.

6.11 米国議会,真相究明とノリエガ即時退陣を要求する決議採択.ノリエガはこれに抗議し反米デモを組織.米大使館を襲撃し駐米大使を国外退去させる.

6.13 GNのドーベルマン部隊,市民十字軍の黒幕で財界の大立物ガブリエル・ルイスを襲撃.ルイスは米国に逃れたあと旺盛なロビー活動を展開.

6.26 米上院,E.ケネディ議員の提案したノリエガ非難決議を,84対2の圧倒的大差で採択.スパダフォラ事件,大統領選の不正,麻薬密輸にノリエガが関与していると告発する.

6.30 上院決議に抗議する政府系労働者のデモ隊,米大使館を包囲.暴動状態となる.ノリエガはこのデモを黙認.シュルツは現地のアーサー・デイビスに対し「ノリエガの好きなようにさせよ.それにより彼らの運命が決まるだろう」と訓令.

6.30 エイブラムス次官補,ワシントンの国際問題会議で報告.「パナマ国軍の政治的発言力を奪い,麻薬がらみの腐敗を根絶し,軍本来の作業に専念すべく近代化しなければならない」と述べる.

7月

7.02 政府の秘密政治工作に抗議する市民十字軍のデモ,暴動に発展.

7.02 ワシントン・ポスト紙,パナマ情勢とその背景に関する詳細な解説を掲載.国務省からのリークによるものと見られる.

7.07 企業家スト開始.政府派と反政府派の衝突激化.OAS緊急会議,米国の干渉を非難.

7.10 野党の数万人のデモが,軍・警察と衝突.百人以上が逮捕される.反政府派はこれを「暗黒の金曜日」とよぶ.デルバイエ大統領,非常事態を宣言.反政府系新聞と放送局を閉鎖,反対派に対する一斉弾圧開始.

7.23 レーガン大統領,パナマに対する87年度経済軍事援助,総額6百万ドルの執行を停止すると発表.国務省の要請を受けた国防総省は,南方軍とパナマ軍との接触を抑制.CIAはノリエガへの給料支払いを停止.

7.27 GNの特殊部隊,ディアス前参謀総長の自宅を襲撃,銃撃戦のすえ逮捕.

8.08 米国は、パナマ援助を一時停止。

8月 米国務省,ニューヨーク駐在パナマ総領事ホセ・ブランドンを通じてノリエガ辞任の可能性を探る.

8月 ノリエガ,ダニエルJ.マーフィー退役提督をパナマに招待.米国との関係修復の可能性を探る.マーフィーは85年の退役まで,ブッシュ副大統領の秘書長を務めた人物.

10.20 デモ・集会の禁止令発令.

11月 マーフィー,ふたたびパナマを訪問.ブランドン計画とほぼ同様の提案を説明.ただしノリエガは89年5月の選挙まで現職にとどまることができるとする.

12.21 ノリエガ,ブランドン計画拒絶の態度を明らかにする.

12.30 国防総省のリチャード・アーミティッジ国際安全問題担当補佐官,パナマを訪問しノリエガと会見.ブランドンの計画に基づき,遅くとも88年4月までにノリエガと彼の側近が引退すること,デルバジェが89年5月の選挙までの暫定大統領を務めること,メディア規制を撤廃することなどを求める.どうじにこれが政府の全部所の統一見解であることを強調.さらに一説によれば,ノリエガの辞任と交換に麻薬疑惑を不問にする可能性も提起したといわれる.

 

1988年

デルバイエ解任と米国介入

1月 レーガン,麻薬が米国社会への重大な脅威となっているとし,麻薬組織との戦いを進める宣言.

1月 ノリエガ,ブランドン総領事を解任.ブランドンはマーフィーの介入により手の内が明かされ,交渉が不調に終わったと非難.

88年2月

2.04 マイアミの米連邦裁大陪審,ノリエガを麻薬密輸,資金洗浄,不正所得,恐喝など12の罪状で起訴.

起訴内容: 起訴状によれば,メデジン・カルテルがパナマ経由で2トン以上のコカインを米国に密輸するさいにノリエガが援助.ノリエガはその見返りに450万ドルを受け取った.また麻薬業者がパナマを避難所とし,コカイン精製設備を作るのを黙認した。

2.18 デルバイエ大統領とエープラムズ中南米担当国務次官補がマイアミで会談.エイブラムスはデルバイエにノリエガ解任を迫る.

2.25 デルバイエ大統領,みずからの所有するテレビで演説。ノリエガを最高司令官より解任すると発表.マルコス・フスティネス大佐を後継者に指名.レーガンはただちにデルバイエに対する承認を発表.反政府派はデルバイエに対する不信から支持を保留.

2.25 声明を聞いたノリエガはただちに部隊を出動させ,デルバイエを自宅に監禁.電話線を切断する.続いて新聞,テレビ,ラジオ局に閉鎖命令.軍にデモ隊鎮圧を命令.フスティネスはノリエガに忠誠を誓い,最高司令官就任を拒否.

2.26 国民議会開催.デルバイエのノリエガ司令官の解任を憲法違反として弾劾.米政府は「われわれはデルバイエ解任を含め,軍事支配を永続化しようとするあらゆる企てを糾弾する」と声明.

2月 マイアミに続きタンパの連邦大陪審もノリエガを三つの罪状で起訴.米国麻薬業者が140万ポンドのマリフアナを密輸するのを援助し,100万ドル以上を受け取ったというもの.

2 パナマ,コンタドーラ・グループの資格を停止される.

88年3月

3.01 国民議会,デルバイエとロデリック・エスキベル副大統領を解任し,マヌエル・ソリス・パルマ教育相を暫定大統領に選出.

3.01 ソーサ駐米大使,在米パナマ資産接収求め提訴.

3.03 デルバイエ,米紙上に布告を掲載.ノリエガ将軍が支配する現政権との経済断絶を各国に要請.

3.03 米国国務省,デルバイエ政権を承認すると同時に,デルバイエの要請を受けパナマ政府の在米資産を凍結すると発表.市民十字軍,銀行窓口業務の停止を組織.

3.07 米干渉に抗議する国民行動戦線,人民党も参加して発足.

3.08 市民十字軍,米国の圧力の下デルバイエを正統な大統領として承認.ノリエガ退陣要求デモ,治安部隊と衝突.

3.11 米議会,運河使用料の支払停止,特恵貿易待遇停止,米市場への関税免除停止,パナマ人の米入国審査強化の4項目を含む対パナマ経済制裁を議決.

3.16 ケサダ,バルドネド,空軍ナンバー2のビジャラスなど若手少佐集団を中心にクーデターを計画.レオニダス・マシアス警察長官を押し立てる.計画はすべて失敗し未遂におわる.首都は戒厳状態に.

3.17 米政府,対パナマ特恵貿易待遇停止などの経済制裁を実施.パナマは「経済侵略」と非難,反政府の拠点となった銀行をすべて閉鎖.

3.18 全土に非常事態宣言.電力・水道・電話など公営企業,一部政府組織など計16組織を軍の直接指揮下におく.軍は戦略軍事委員会(CEM)を組織.民族派軍人が大幅に進出,国家運営にあたる.

3.19 マイケル・コザック国務次官補,パナマに特使として派遣される.ノリエガに対し,最高司令官5周年となる8月12日をもって退役し,89年5月の選挙まで海外で休暇をとるよう提案.交換条件としてフロリダにおける告発の取り下げを提起.ノリエガは,米特使の出した辞任提案と出国提案を拒否.

3.21 ソリス・パナマ大統領代行,ラジオ・テレビで演説.「ノリエガが1989年5月の大統領選挙までに国軍司令官を辞任する意向を伝えてきた」と発表.

3.21 「市民十字軍」,米国の干渉に呼応してデモ,銀行の窓口払停止に始まる資本家ストを開始.パナマ経済はマヒ状態に.

3.22 ホワイトハウス,パナマ問題に関する声明を発表.「国軍がシビリアン・コントロールの下で重要かつ進歩的な役割を果たしていくよう期待する」とし,国軍存続を条件に内部の決起を促す.

3.25 ソリス大統領代行,ゼネストを中止するよう布告.パナマ銀行協会に営業再開命令.協会側は拒否.

3.29 フィッツウォーター報道官,「米政府は,パナマ問題解決のため,ハード・オプションの可能性も含め検討中だ」と述べる.エイブラムズは,限定された武力行使を示唆.特殊部隊によりノリエガを捕らえ米国に連れ帰るオプション,デルバイエに米兵6千をつけ国内に戻すオプションなどを提案.しかしペンタゴンは,これらについて法的・戦術的な疑問を呈する.

88年4月

4.01 3週間にわたり4万人が参加するカリブ海軍事演習「オーシャン・ベンチャー88」開始.

4.02 フィッツウォーター米大統領補佐官(報道担当),対パナマ軍事介入の可能性を否定.背景に,軍の干渉を望む国務省と,これに消極的な国防総省・統合参謀本部の対立.

4.05 米国,憲兵5百と警察犬多数を含む海兵隊千3百人をパナマ運河地帯に緊急派遣.南方軍司令官ウェルナーは,「ノリエガにとってこれは脅しにも何にもならないだろう」と消極的意見を述べる.

4.06 フィッツウォーター補佐官,パナマに8日から海兵隊の第一陣800人を派遣すると発表.ノリエガ、軍内忠誠派を中核として「尊厳大隊」を編成。

4.06 ソリス大統領代行,マクグラス大司教に,カトリック教会の調停申入れを受入れるむね回答.

4.06 ノリエガの国外退去を求める群衆と国防軍が大規模衝突.パナマ検察当局,国営テレビ通じデルバイエ大統領・ソサ駐米大使ら3人に逮捕令状.

4.08 レーガン米大統領,国家緊急経済権限法を発動.米国企業とその関連会社の全面支払い停止,在米パナマ資産凍結等の経済制裁を実施するむね発表.

4.08 ソリス,大統領に正式就任.

4.12 米軍基地に侵入した武装集団と米軍とのあいだに戦闘.

4.20 政府,ゼネスト抑え込みにほぼ成功.非常事態宣言を解除.

4.24 ソリスは国会の承認を受け大統領に正式就任.主要閣僚含む7閣僚更迭.外相にリテル国連大使を指名.

4.25 ベーカー財務長官,「軍の出動が絡むオプションは,我々の選択肢には入っていない」と述べる.

4.28 フィッツウォーター報道官,「ノリエガ将軍のパナマからの出国を必ずしも求めない」と言明.

4.29 パルコ・コロンビア大統領とアルフォンシン・アルゼンチン大統領,ボゴタで会談.「CG+SGはパナマ政府の要請あれば問題解決のため行動する」と発表.

4 デュカキス候補,ブッシュのノリエガにまつわるスキャンダルを激しく攻撃.世論調査でブッシュを追い越す.

4月 リビア、経済援助として2400万ドルを提供。

88年5月

5.11 米政府,ノリエガ将軍が8月までに出国すれば刑事訴追を取下げると提案.この提案は議会から猛反発を受ける.大統領選で窮地に追い込まれたブッシュも,「麻薬にまみれた独裁者を不問に付すのは,政治的自殺に等しい」として,政府構想に対し反対の意思を表明.

5.17 国防軍,米軍との関係を正式に断絶.ワシントン駐在武官の召還を発表.

5.17 米上院,防衛予算可決にあたり,86対10の大差で「非拘束付帯決議」(nonbinding amendment)を採択.「ノリエガの麻薬疑惑に関する告発を取り下げることを前提とした,いかなる交渉も合意も行われてはならない」とする.

5.20 ノリエガ,強気に転じる.米政府がソリス大統領代行をパナマの大統領として受け入れない限り米との交渉はありえないと演説.

5.21 レーガン米大統領,NSC(国家安全保障会議)を招集.大統領選挙をにらみながらパナマ情勢を協議.

5.23 コザック米国務次官補代理(中南米担当),大統領特使としてパナマ訪問.

5.29 レーガン,実力行動の計画を放棄.経済制裁を強めながら内部崩壊を待つ方針に転換.

5.30 アリアス・コスタリカ大統領,グアテマラのセレソ大統領とペレス元ベネズエラ大統領にパナマ問題打開で調停要請.

5 日本政府,米国の経済制裁のため深刻な経済危機に陥っているパナマ国内の貧困層を対象に2千7百万ドルの緊急援助.

5 ノリエガ支持派5千人による民兵組織「尊厳大隊」創設.反ノリエガ派に対する襲撃,掠奪を繰り返し,ノリエガの大衆的基盤をさらに弱める.

7月 レーガン,「パナマ3作戦」を承認.ノリエガの元ライバルであるエドワルド・エレーラ・ハッサンが企画したクーデターを援助する作戦.(パナマ1,パナマ2作戦については詳細不明)

7.26 CIA,「パナマ3作戦」の概要を上院情報問題特別委員会で報告.報告の内容は,翌日のワシントン・ポスト紙にすっぱ抜かれる.

8.27 パナマ国内に潜伏していたデルバイエ前パナマ大統領夫妻がマイアミ入り.

9.20 パナマ政府,来年5月に大統領選をおこなうと声明.SELAはこれを受けて,米国によるパナマ経済制裁の解除を要求.

11.11 ソリス・パナマ大統領代行,ブッシュ次期大統領と話合いの用意があると表明.

12.22 レーガン米大統領とブッシュ次期大統領,デルバイエと会談,ノリエガ将軍の退陣と国外退去を求める共同声明.

12 リビア,パナマに対し2千万ドルの緊急融資.

 

1989年

2.01 コスタリカのパナマとの国境地帯に米兵740人が入り,道路整備などにあたる.

2 米紙,ブッシュ大統領がCIAを通じて1千万ドルの資金をノリエガに供給していたと報道.ドール議員,ブッシュがCIA長官だった時代にノリエガに報酬を支払っていたかどうかを質問.ブッシュは答弁を拒否.

3.02 反ノリエガのデモに16万人が参加.

4.06 ブッシュ米大統領,議会に対パナマ経済制裁を継続するよう要請.議会は「パナマ4」を許可.反対派の選挙費用をまかなうため,1千万ドルを拠出.

4月 パナマ当局,反ノリエガ・キャンペーンのため秘密ラジオ放送を企てたCIA工作員を摘発.

4 DEAとパナマ当局による共同の麻薬摘発作戦.マネーロンダリングの容疑で5人を逮捕.最大の大物カルロス・エレータ・アラマランはパナマ反対派連合(ADOC)の指導者で,エンダラ大統領は彼の弁護士であった.彼はジョージア州で1トンのコカインを輸送しているところを逮捕された.CNNを除くマスコミはこの事件を一切報道せず.侵略後,エレータがCIAのコンタクトであったことが明らかになる.

89年5月 ノリエガの選挙結果受け入れ拒否

5 ノリエガは民主革命党を中核に七党からなる国民解放連合(COLINA)を組織.カルロス・デュケを候補に推す.野党は死去したアルヌルフォの部下で弁護士のギジェルモ・エンダラ・ガジマニを候補におしたて民主野党連合(Alianza Democratica de Oposicion Civilista ADOC)を結成.人民党は,自決権を守る立場から,国民解放連合に参加.米国はADOCに1千万ドルの秘密援助.マーサ共和党議員を団長とする上下両院の超党派議員14名からなる「選挙監視団」ハワード米軍基地入り,さらにビザなしで入国強行.

5.07 大統領選.民間調査機関の出口調査では,55.1%対39.5%でエンダラの圧勝.軍は一部で投票所を襲撃するなど不正策動.

5.08 与野党両候補が勝利宣言.選管委員会が結果を発表しないまま,混迷状態となる.中南米24政党代表は米を非難,選挙は合法的と証言.

5.08 米政府が派遣したパナマ大統領選挙監視団,「選挙が自由かつ公正に行なわれたことは証明できない」との声明発表.

5.08 カーター前大統領,マリオットホテルで記者会見.カトリック司教会議の非公式集計(約3対1でエンダラの勝利)にもとづいて,ノリエガ派の不正と反政府派の圧勝を発表.「ノリエガはパナマ国民から法的権利を奪った.この独裁者に対して世界的な非難の声が上がることを期待する」と発表.

5.09 フィッツウォーター米大統領報道官,米政府が軍事力行使を含む対パナマ制裁措置を検討と発表.ブッシュ米大統領もパナマ大統領選での野党候補の圧倒的勝利を宣言,ノリエガ将軍退陣のため国際的圧力をかけるよう各国指導者に促す.

5.10 中央選管委員会のロドリゲス委員長,外国からの干渉を理由に選挙の無効を宣言.

5.10 パナマ市で市民野党民主連合(ADOC)のデモ隊を「尊厳大隊」が襲撃,エンダラ大統領候補,リカルド・アリアス・カルデロン副大統領候補,ギジェルモ・ビリー・フォードら3人が負傷,ほかに野党支持者2人が死亡.襲撃の模様はテレビを通じて世界に発信される.

5.11 ブッシュ大統領,対パナマ制裁に関する特別声明.ノリエガ司令官退陣に向けて,アーサー・デイビス駐パナマ大使の召還,運河地帯以外のパナマ国内に居住する米国人要員および家族の引き揚げ,など7項目の措置を発表.戦闘部隊一個旅団1千9百名を緊急派遣.IMFはパナマを融資対象無資格国とし,融資を停止.

5.11 リチャード・チェイニー国防長官,テレビのインタビューに答え,「米軍派遣の目的は,誰がパナマを支配するかを決定するためではない」とし,米国軍のパナマ干渉の可能性を否定.

5.12 ペレス・ベネズエラ大統領,駐パナマ大使を召還.

5.13 ブッシュ米大統領,ノリエガ将軍を追放するためパナマ軍などに事実上のクーデター呼掛け.

5.17 OAS外相会議開催.ノリエガ司令官批判決議を採択するとともに,加盟3ヶ国の外相からなる和解委員会をパナマに派遣することを決定.

89年6月

6.09 グアテマラ訪問中のクエール米副大統領,「ノリエガ将軍はパナマを出国しなければならない」と演説.

6.10 米国,OAS各国に対しパナマへの支持を取り下げるよう要請.

7.16 ノリエガ将軍側近と与野党大統領候補が初の会談.

7月 FBI、「在外犯罪人を当該国政府の事前承認なしに逮捕できる」と発表。司法省もこれを追認。

89年8月

8.10 南方軍,パナマで陸海空統合演習,軍事威圧を強める.パナマは国連安保理に監視団派遣を要請.

8.23 OAS外相会議開催.国内対話をめざすOASの調停は不調に終わる.米国が国警隊内部で反乱を誘発する工作を行っていることに関し,コスタリカとベネズエラを除く各国から強い批判.OAS代表の訪問に抗議するパナマ大学の反ノリエガ派学生集会に軍の発砲.死者をだす.

8.31 ソリス・パルマの任期が終了。国民議会は次期大統領に会計検査院長のフランシスコ・ロドリゲス・ポベダ将軍,副大統領にカルロス・オソレスを選出.

89年9月

9.01 OAS外相会議,政権を交替し出来るだけ早期に(再)選挙を実施するよう要求する決議.

9.01 ロドリゲス暫定政権発足.米国をはじめ多くの国はこれを承認せず。ブッシュ大統領は「ノリエガによって選出されたいかなる政府も認めない」としパナマとの断交を発表.

9.05 ブッシュ,ホワイトハウスから全米テレビ放送.「今日,もっとも深刻な国内問題は麻薬である」とし,全面戦争を宣言.南米麻薬業者の撲滅戦略を発表.カリブ海域麻薬取り締まり特別部隊を設置。コロンビアなど南米3ヵ国に総額78億ドルの援助を与えるとする.さらに間接的ながらノリエガ政権打倒への支持を訴える.

9.30 ブッシュ,ウェルナー南方軍司令官を更迭し,「マッドマックス」の異名をとるマクスウェル・サーマン将軍を任命,侵攻計画の策定にあたらせる.さらに2千名の兵員をパナマに派遣。

89年10月

10.01 モイセス・ヒロルディ少佐,妻を介して南方軍将校と接触.クーデターの企図を伝え,援助を要請する.ヒロルディはノリエガ側近の一人で,マシアスのクーデターを鎮圧した当事者.チェイニー国防長官は要請を受諾し,南方軍にノリエガ逮捕に備えよと指示.サーマンは,ヒロルディがノリエガの忠実な部下であること,計画の内容が稚拙であることから,実現性を疑ったという.

10.01 統合参謀本部議長,クロ−提督からコリン・パウエル将軍に交替.

10.03 モイセス・ヒロルディ少佐らがクーデターを起こす.一時ノリエガ逮捕に成功.南方軍に引き渡そうとするが,駆けつけた「2000年大隊」により制圧.このときブッシュはサーマン南方軍司令官にノリエガ拉致を命令するが実行されず.ヒロルディら首謀者は拷問の末殺害される.

10.04 軍当局,ヒロルディのクーデター未遂事件に関連して容疑者37人を逮捕.

10.04 クーデター失敗と,米軍の拙劣な対応に批判が噴出.ジェシー・ヘルムズ上院議員は「これでもう,クーデターを試みるものはいなくなっただろう」と非難.

10.8 中南米首脳会談.パナマの除名を決定.CG+支援グループ,パナマの資格を停止.

10.13 ブッシュ,パナマ問題で記者会見.ノリエガが退陣し,正義がもたらされることを望むが,だからといってクーデターなら何でも支持するというわけではないと弁解.

89年11月

11.10 米政府,パナマへのあらたな経済制裁措置としてパナマ船籍船の米国への寄港を来年度より全面禁止する方針を表明.

11.17 OAS総会,パナマに対し自由選挙の完全実施を要請する決議を採択.

11月 マスコミ,「パナマ5作戦」を暴露.国軍内部でクーデターを起こす計画.CIAは300万ドルの予算を受け,「ノリエガを直接暗殺する以外のすべての行動の自由」を与えられる.

米軍のパナマ侵攻

89年12月

12.14 人民議会,米国の経済制裁に抗議する意味で米国との戦闘状態宣言.「米国による,絶え間ない徹底的な精神的,軍事的な嫌がらせは,パナマにおいて戦争状態を作った」と声明.ノリエガ将軍を「民族解放の最高指導者」と讃え,新設の「政府主席」に任命.ノリエガの退陣の可能性は消失.

12.15 ABC放送のテッド・コッペル,議会の宣言をゆがめ,ノリエガが米国に戦争宣告したと報告.他社もこれに追随.

12.15 国軍兵士,米軍パトロールカーを止め,乗車していたMPを一時拘留.

12.16 非番の米海兵隊員4人,挑発目的で市内の検問を強行突破.パナマ軍兵士の銃撃により,ロバート・パス中尉が負傷死.これを目撃した海軍中尉夫妻は,逮捕され殴打を加えられる.コリン・パウエル統合参謀本部議長は,強硬な態度で臨む意志を表明.南方軍指令部は緊急出動態勢を指示.

12.16 パナマ空港で武器を携行した米軍兵士が拘留され,武器を押収される.

12.17 警官から職務質問を受けた米軍将校が,警官に向け銃を発射.負傷を負わせる.

12.17 ホワイトハウスでパナマ侵攻作戦を決める会議.ブッシュは限定的なノリエガ捕獲作戦を提案するが,パウエルは,国軍をそのままにした限定作戦では不可能であると主張.パナマに民主主義体制を確立するため,政治・軍事態勢を含めた全面破壊作戦を提唱する.ブッシュもこれに同意.

12.19 国軍総司令部(コマンダンシア)攻撃のため,パナマ駐留部隊の中からタスクフォース・バヨネット部隊を編成.司令部をバルボア高校内に設置.

12.20 パナマ駐留軍1万3千を中核とし,パナマ軍総兵力の2倍にあたる米軍2万5千名が,予告なしで戦闘に入る.ブッシュ,全米向けテレビ放送.軍事作戦を「Just Cause」作戦と名付け,米国市民の保護,民主主義回復,麻薬追放を目的とすると発表.ノリエガ逮捕に協力したものに百万ドルを払うと声明.

12月20日の戦闘状況
0:45AM 武装ヘリ部隊が市内6ヶ所に対し爆撃開始.最初の14時間に首都の上に400発の爆弾が落とされた.タスクフォース・バヨネットが市内西部の国軍司令部を襲撃.建物は瓦礫の山と化す.司令部周辺のエル・チョリジョ地区には,最初の4分間だけで67発の爆弾,重砲,ミサイルが雨あられと降り注いだ.労働者街のサン・ミゲリート地区は火の海と化す.空爆の犠牲者は数千名に達したと見られる.
初めての実戦参加となったF117Aステルス戦闘機は,パナマ南西90キロのリオ・アト空軍基地と軍事学校周辺を爆撃.2千ポンド爆弾二発を投下.精鋭部隊の2000大隊を釘付けにする.
第82空挺師団はトリホス国際空港と,隣接するトゥクメン空軍基地を確保.アマドール基地では最大の戦闘,17時間にわたる.市内では尊厳部隊の残党が狙撃で抵抗.

12.20 米国のテレビ各社,ヘリの着陸,飛行機の急降下爆撃,兵士の街頭行進,炎上する敵軍の本部,米兵を解放者のように歓迎するパナマ市民の映像を繰り返し放送.さらに集会でマチェテを振りかざすノリエガの映像を流し,「ノリエガはどこだ?」と絶叫する.パナマ人の犠牲者,民族主義者の武装抵抗についてはまったく触れず.

12.20 エンダラ,パナマの米軍基地内で大統領就任の宣誓.侵攻開始の数分前の慌ただしい儀式だったという.

12.20 米軍,全土を統制下におくと宣言.戒厳令を公布.ノリエガ派活動家7千を逮捕.国軍将兵6千を拘留.中米諸国は,米国の傍若無人ぶりにあいついで非難声明.ペルーは侵攻に抗議し,リオ条約からの脱退を決議.

12.20 ルーマニアでチミショアラ事件勃発.

12.21 ノリエガ司令官の行方を追う米軍は,同将軍がいるとみられるキューバ,ニカラグア両大使館を包囲.

12.21 日本政府「武力の行使は遺憾だが軍事行動の背景は理解できる」と表明.

12.22 OAS,米国の侵攻を非難する決議を20:1(反対は米国,他6ヶ国が棄権)で採択.国連安保理ではコロンビアなど7ヶ国が,軍事介入の停止と即時撤退を求める共同提案.中国,ソビエトなど10ヶ国は賛成するが,米英仏3ヶ国の反対により否決.

12.24 ノリエガ,バチカン代表部に逃げこみ亡命を申請.国軍にすべての戦闘を中止するよう呼びかける.心理作戦大隊はバチカン大使館前でロックの大音響を鳴らし続ける.

12.27 中央選挙管理委員会,「5月の大統領選の当選者はエンダラだった」と発表.

12.28 ABCテレビ,パナマ人の少なくとも千人が犠牲となったと報道.街路では1ブロックだけで55の死体を数えたとの現地レポート.

12.29 米軍,ニカラグア大使公邸を襲撃.キューバ大使を逮捕,ペルー大使館を封鎖.ほかにもイベリア航空,スペイン銀行などに侵入し残党がり.人民党本部は掠奪を受ける.

12.29 ニカラグアのオルテガ大統領,米軍が駐パナマ大使の公邸を強制捜索したことに抗議.マナグア駐在の米外交官20人を国外追放すると発表.

12.29 国連総会,ニカラグアの緊急動議により,「米軍のパナマへの軍事介入を非難し即時撤退をもとめる決議」を採択.日本はこの非難決議にも反対に回る.

12.30 ブッシュ米大統領,米軍によるニカラグア大使公邸への強制捜索に遺憾の意を表明.

 

1990年

90年1月

1.3  8:50pm バチカン代表部,圧力に屈しノリエガ引き渡しに同意する.米軍,ノリエガをハワード米空軍基地に連行し逮捕.ブッシュはマイアミで連邦裁にかけると声明.また軍事干渉の継続を発表.米軍のパナマ攻撃で6千人以上が負傷し,2万人が家を失った.経済損失は20億ドルにのぼり,経済封鎖で危機に陥った経済に更なる打撃を与えた.92年統計でGDPは40%低下,失業率は35%,貧困率は50%以上に達した.

1.5 マイアミ・ヘラルド紙,ギジェルモ・フォード副大統領がメデジン・カルテルのマネーロンダラーと親密な関係にあることを暴露.

1.8 米国,麻薬密輸阻止のためカリブ海側のコロンビア領海内に空母ジョン・F・ケネディー,原子力巡洋艦を派遣.コロンビアは強く抗議.

1.9 米軍,ペルー大使館を武力封鎖.レオナルド・カン外相は,とらえられたあと後ろ手にしばられ市中を引き回される.

1.9 米民間団体,軍事侵攻で市民1千2百人が犠牲となったと発表.占領下のパナマで初の抗議集会開催.

1.14 ノリエガ,米国のホムステッド基地に身柄を移送.初公判のためマイアミ連邦地裁に出廷.

1.14 ベネズエラ,ソリス元大統領代行の亡命申請確認.

1.22 エンダラ新大統領,コスタリカ訪問.

1.25 ブッシュ米大統領,10億ドルのパナマ経済復興援助計画発表.

1.26 ノリエガに対する保釈尋問.ノリエガの保釈申請は棄却される.

90年2月

2.11 軍部の解体と非武装の「警察隊」創設を閣議で決定.国家防衛軍は解体され、非軍事的性格の国家保安隊(国家警察隊、海上保安隊及び航空保安隊で構成される)に再編される。

2.12 連邦裁,CIAの協力者であるという理由でエレータに対する刑の執行を停止.

2.21 エクアドル国会,パナマ亡命中の元大統領が事故死した事件で,ノリエガ将軍の関与調査.

2 米軍,1カ月にわたりパナマ市とコロンの貧困地区に対する「平定作戦」を実施.1千名以上が逮捕される.さらに不法居住者の追いだし作戦も展開.

90年3月

3.1 エンダラ大統領,経済援助の約束が実行されないことに抗議しハンスト入り.

4.30 エンダラ,ブッシュ大統領と会談.運河拡張の早期推進を求める.

5.11 米軍侵攻を支持していたカトリック教会,一転して米軍批判に踏み切る.

5.20 チョリージョの住民など2千人が,米大使館まで抗議のデモ.100家族が米政府に対し1億ドルの補償を要求.

5.25 ブッシュ米大統領,ニカラグアとパナマに計7億2,000万ドルの経済援助決定.

6.20 パナマ市内で,米軍占領反対をスローガンとする1万人の「喪服デモ」.20の政党や労組などが呼びかけ.

9.22 企業家2千名が,米軍進行による被害の補償を求めて提訴.政府は補償問題で米国とのあいだに見解の相違があると声明.

10.16 雇用確保を求める労働者の集会,5万人を結集.

90年12月

12.3 国家警察隊元長官をリーダーとする軍の一部(二百名)が参謀本部を占拠し反乱.エンダラ派駐留米軍の出動を要請.鎮圧部隊とのあいだでの戦闘により十数人が死亡.

12.4 ゼネストを翌日に控え決起集会.10万人が結集.コロンでもコロン失業者運動(MODESCO)が大量動員に成功.

12.5 エンダラ,非常事態を宣言し,ゼネストを押さえ込む.法律25号を公布.「民主主義を不安定化させようとする」労働者は無条件に解雇できるとし,労働組合活動家を大量解雇.

12.20 米軍侵攻1周年を迎え,主権回復委員会のよびかけた「黒の大行進」に1万人が参加.公務員削減に対する労働者の抗議運動強まる.パナマの失業率は2割に達する.

 

1991年

1.15 米南方軍,パナマ全土から完全撤退したと発表.

3.21 民間世論調査の結果,エンダラ大統領の支持は14%にまで低下.

4 与党ADO内に混乱.キリ民党が政権から排除される.

7.25 米上院,パナマ基地の永続化のため運河条約の再交渉を開始するよう求める決議を採択.エンダラはこれを拒否.

7.31 スアレス副大統領,米国の援助公約不履行を非難.

9.5 マイアミ連邦地裁,ノリエガの麻薬裁判を開始.

10 議会,年金改悪を主な内容とする社会保険庁改革法案を可決.医療従事者協会は3日にわたるゼネストで抗議.

12.5 ゼネスト発生.米兵5百が「クーデター計画を粉砕するため」パナマ市内に入る.元国警隊将校二人が殺され,多くの人が逮捕される.エンダラはこの事件を利用して非常事態を宣言,労働運動を押さえ込む.

12 エンダラ,野党第一党キリ民党の支持を受け,財政再建のためのフォード計画を実施.国有企業の売却,保護関税の撤廃,国家公務員5万人の首切りを内容とする.これを受けIMF,IDBも対パナマ融資を再開.

12月 パナマ、中米5カ国と共に中米統合機構 (SICA) 設立に関するテグシガルパ議定書に署名。

12 司法長官,汚職により逮捕,罷免される.

 

1992年

1 エンダラ政権,国軍の国家保安隊への改組を問う国民投票を実施.67%の反対で否決される.

2.03 国際金融機関との債務リスケが成立。フォルド副大統領がIMFなど国際金融機関,西側債権国会議(パリクラブ)に対する延滞債務の全額返済を発表.好調な建設部門などの好調に支えられ比較的高い経済成長を達成。しかし、失業、貧困問題の悪化から、国民の不満は高まる。

2 コロン失業者運動,道路封鎖をふくむ抗議行動.

4 街頭デモに対し,初の警察力行使.

4月 マイアミ連邦地裁、ノリエガに対し麻薬密売容疑等により禁錮40年の判決。

5 エンダラとコロン失業者運動,雇用創出と貧困対策のため2千万ドルを拠出することで合意.

6.11 ブッシュ米大統領,パナマ訪問.パナマ市内中心部の広場で歓迎式典.警官隊が会場外の反米デモ隊に催涙ガス弾を発射したため,式典は中止.

6.29 議会,軍備放棄とこれに代わる国家保安隊の創設,議会の権限増大をふくむ憲法改正案を可決.国民投票に付託.世論調査ではエンダラ支持は9%まで低下.

6 パナマ市の北30キロのチリブレで掃敵作戦を実施中の米軍部隊に発砲.米兵一人が死亡,数人が負傷.

7 コロン失業者運動,合意の非履行に抗議し実力行動を展開.バナナ労働者は地震後の対応に抗議し無期限ストを開始.公務員もゼネストを構える.

7 ブッシュ大統領,パナマを訪問.数千の抗議デモが迎える.当局は参加者65名を逮捕.デモに対し実弾攻撃開始.参加者1名が殺害される.

11 OASなどの選挙監視のもとに憲法改正案に対する国民投票.圧倒的多数の反対で否決.

12月 パナマで中米大統領会議が開かれる。

 

1993年

5 チリキで原住民組織4千の抗議デモがパンアメリカン・ハイウエイを封鎖.

 

1994年

2.07 エンダラ大統領,政治混乱解消のため7閣僚を入れ替える内閣改造を実施.

5.08 大統領選施行.トリホスの流れを汲む民主革命党(PRD)のエルネスト・ペレス・バジャダレス・ゴンサレス・レビジャ,33%を獲得し大統領に当選.アルヌルフィスタ党(PA)のミレヤ・モスコソ・デ・グルーベルが29%,パパ・エゴロ運動(MPE)のルベン・ブラデスが17%,民族共和自由運動(モリレナ)のルベン・ダリオ・カルレスが16%を獲得.

5.08 同時に行われた議会選では,PRDが72議席中32議席を確保.他にPAが14,MPEが6,モリレナと連帯党(PS)がそれぞれ4議席を確保.

6 米軍駐留存続の是非を問う世論調査.経済的理由により米軍駐留の存続を望む声が7割に達する

7 パナマのコミューター航空機がサンタリタ山脈上空で空中爆発.乗客・乗員21人全員が死亡.うち12人がユダヤ人.「神の子」が「志願者による自殺攻撃」と犯行声明.

8 パナマ議会,国軍廃止のための憲法改正案を承認.警察官はいっさいの政治活動を禁止される.

9.01 エルネスト・ペレス・バジャダレス,大統領に就任.

9.04 パナマ政府,クリントン米大統領の要請でキューバ難民を1万人まで受け入れる.

10 パナマ新議会,「外国の侵略に対しては,すべての国民が武器を取る義務がある」という付帯決議をつけ,憲法改正案を支持.軍隊廃止及びパナマ運河庁 (ACP) に関する規定等を盛り込む。

12月 国民投票で憲法改正が成立。2000年以降にパナマ運河を管理運営する機関(パナマ運河庁)に関する章を追加。

 

1995

7.13 パナマ市で,殺人罪などに問われているノリエガに対する判決公判.裁判所は無罪評決を下す.

11.3 独立記念日に2万人の市民が駐留米軍の完全撤退や経済危機打開を訴えデモ行進。

11.29 米軍の撤退を求めて学生が抗議行動

11.30 学生,労働者が米軍駐留延長と閣僚給与2倍化に反対する抗議行動。

95年 WTOに加盟するための競争力強化を目指し、開発信託基金 (FFD)を創設。国営電話通信会社 (INTEL) 及び国営電気会社 (IRHE) を民営化。売却益を基金に当てる。

96年 パナマ運河庁設置法案が国会に上程される。

1997

5.08 パナマの米南方軍,国際麻薬対策センターをパナマに設置,米軍兵力2千を駐留させると発表.麻薬を口実に,運河返還後も米軍の居座りを図る.バジャダレス大統領もこれに呼応して,ハワード米軍基地が麻薬対策センターとして活用される場合には2000年以降の駐留継続もあり得ると表明.

5.29 米南方軍,これまで大西洋軍管轄だったメキシコ湾,カリブ海域を管轄に加えるとともに,司令部をパナマからマイアミに移転.

6.11 パナマ運河庁設置法案が施行される。

6 パナマ「生活水準全国調査」. 年519ドル以下の所得の極貧層は全人口の18.8%で農村や先住民地域に集中.年905ドル以下の貧困層は37.3%を占める.

9.07 政府,パナマ運河国際会議を開く.会議には台湾の李登輝総統夫妻を公式招待.

9月 米国南方軍司令部が閉鎖される。

10.17 ノリエガ将軍に対する禁固20年の有罪判決が確定.

10月 米軍軍属ザック・エルナンデスが殺害される.容疑者としてペドロ・ミゲル・ゴンザレスら3人が逮捕される.彼の父は与党民主革命党首で国会議長.

12月 ザック・エルナンデス殺害事件で,被告たちに無罪が宣告される.米政府は強い不満の意を表明.

 

1998

8.30 大統領の連続再選出馬の是非を問う国民投票が実施される.投票の結果、圧倒的大差で改正案は否決され、バジャダレス大統領の再選はなくなる.

10.25 与党民主革命党(PRD),オマル・トリホス将軍の息子のマルティン・トリホス・エスピノ氏(35)を大統領候補に選出.PRDを主体とする連合「新国家」を結成し選挙に臨む.最大野党アルヌルフィスタ党はアルヌルフォの未亡人ミレヤ・モコソを候補に推し,「パナマ連合」を組んでたたかう.他の少数4政党は「野党行動」を組み,アルベルト・バジャリオを押す.

 

1999

1.16 パパ・エゴロ運動のルベン・ブラデス,次期大統領選ではPRDのマルティン・トリホス・エスピノを支持すると表明.党内からいっせいにブラデス批判が巻き起こる.

3.4 マイアミ連邦地裁,ノリエガの刑期を40年から10年に短縮する決定.

3.11 米軍の南方司令部,太平洋岸の運河入り口に接したロドマン海軍基地(350ヘクタール)をパナマ政府に返還.

5.02 大統領選.ミレヤ・モスコソが44.8%を獲得し当選.これまで与党だった民主革命党のマルティン・トリホスは37.6%にとどまるが、議会選挙ではPRDが71議席中34議席を獲得.ルベン・ブラデスの設立した政党「パパ・エゴロ」はこれまでの6議席をすべて失い,解散に追いこまれる.

ミレジャ・モスコソ アルヌルフィスタ党の党首でアルヌルフォ・アリアスの未亡人.アルヌルフォはこれまで3度大統領となり,3度追放された。88年フロリダで死亡.トリホスは故トリホス将軍の息子.ルベン・ブラデスはパナマを代表する国際的ポップス歌手。

5.05 ハワード空軍基地内に置かれた麻薬捜査センターがフロリダに移転.閉鎖される.

7.30 米陸軍基地が閉鎖.

8月 マルティン・トリホス、民主革命党(PRD)書記長に就任。

9.01 パナマ史上初の女性大統領モスコソの就任式.「12月31日のパナマ運河返還で真の独立を達成する」と声明.

11.01 米軍がハワード空軍基地を返還.

11.09 民主革命党(PRD)のブッシュ議員,米海軍基地を建設する交渉の覚え書きがあると発言.フェロ駐パナマ大使は全面否定.

11.30 最後の米軍基地返還 米軍駐留に終止符.

12.14 ミラフローレス閘門でパナマ運河返還式典開催.モスコソは、カーター元米国大統領と運河返還に関する文書を交換。

12.31 正午を期して、米政府のパナマ運河委員会(PCC:Panama Canal Commission)の業務が完了。パナマ運河及び運河流域が85年ぶりに米国からパナマに返還される。

 

2000年

1.01 パナマ運河の返還式典に数万人が参加.

11月 パナマで第10回イベロアメリカ首脳会議。

11.17 パナマ当局,キューバ情報機関からの情報により、市内のサンフランシスコ・ホテルに滞留中の亡命キューバ人テロリスト4名を逮捕.彼らはサミットに出席中のカストロを,「肉体的に抹殺しようと」していた.(テロリストの名はルイス・ファウスティノ・クレメンテ・ポサダ・カリーレス,マヌエル・ディアス,ペドロ・レモン,ギジェルモ・ノボ)

 

2001年

1.01 パナマ政府,国有化以降1年間の経過を発表.運河通行料収入は増えたが,設備近代化が迫られていると述べる.

2.06 パナマの労働者街で電気・電話代値上げに抗議するデモが暴動化.10人が負傷,七人が逮捕される.

2.14 労働運動指導者のヘクター・アビラ,6日の暴動を煽ったとし逮捕される.抗議デモでさらに37人が逮捕される.

2.15 警察,チョリージョ街に非常線を敷き,活動家のアジト数カ所を急襲.

4.10 社会混乱を避けるため.パナマの当局とMONADESOなどの代表が会談.大司教ホセ・ディマスの調停によるもの.翌日,何らの成果を生むことなく散会.

5.04 パナマでバス代値上げに対する抗議行動.建設労働者単一組合(SUNTRACS)だけで25,000人を動員.サンミゲリートでは警官隊と衝突し,20人が逮捕される.学生・高校生は街路にバリケードをきづき警官と対峙.160人が逮捕される.

5.08 ベラグアス県サンチアゴで,ウラカ学院の生徒,教師,父兄が一体となって48時間スト.中央政府が学校の設備問題について調査団を派遣するよう要求.

5.09 主権防衛国民行動(MONADESO)の呼びかけで,バス運賃の値上げに抗議して10,000人以上の人々がデモ行進.出動した機動隊は多量の催涙ガスを群衆に向かって発射.群集は,警察やバスに石を投げつけ,街路にバリケードを築く.夜になって,暴動はサンタ・アナやエル・チョリージョ地区に拡大.20以上の会社が略奪され,移住・帰化局を含む政府事務所が破壊され,4台の政府車が燃やされた.少なくとも5人の警官をふくむ18人が,銃弾によって負傷した.少なくとも80人が逮捕された.

5.10 米国務省,「パナマでの混乱の対象が米国人に向けられる可能性がある」とパナマ在留の米国市民に警告.

5.10 政府は首都と近郊,およびコロン県の公立学校,国立大学の全てのキャンパスで授業を中止した.

5.12 政府は輸送セクター,公務員,組織労働者全国会議(CONATO)代表者と, 料金値上げ問題の解決のための会談.MONADESOは参加メンバーから排除される.

 

2002年

1.09 国会において、モスコソ大統領が指名した最高裁判事2名が承認された。野党連合は政治的任命だとして反対したが、PRDのアフーら3議員が造反したため案件は成立。

1.15 PRDのエレーラ議員、造反議員が賛成票を投じるのと引き換えに賄賂を受け取ったと発言。

1.16 造反議員の1人アフーは、記者会見で、「造反は、野党内に賄賂が横行しており、これに抗議するためだった」と、わけの分からない意見。さらに、「昨年12月に成立したコロン複合輸送センター(CEMIS)設立法の審議中に、1人2万ドルで野党議員買収が行われていた」と爆弾発言。フィクサーはPRDカスティジェロ議員だったと名指し。

1.18 パナマ企業家協会、「汚職に反対する市民十字軍」を結成。国民に対し汚職に関する情報の提供を求めるとともに、汚職議員、公務員の辞職を求める。

1.21 モスコソ大統領、有識者5名からなる汚職対策大統領委員会を設置。

1.21 検察庁、アフー発言にもとづき、CEMIS関係議員と関連業者(サンロレンソ・コンソーシャム)より事情聴取を開始。

1.24 検察庁、最高裁判事の承認時に、与党から野党議員に対して多額の賄賂が動いたとのPRDの告発にもとづき、国会関係者への事情聴取を開始。

2.27 汚職対策大統領委員会、「50の提言」を発表。国会議員の特権の一部廃止、公職者選任法の改正などをふくむ。

3.05 米国国務省が発表した人権年次報告、司法は汚職に満ちており、非効率かつ政治的に操作されているとの評価。

3.06 パナマ検察庁、カリレス、ラモン・ロドリゲス、ノヴォ・サンポル、エスコベドの4名につき、カストロ暗殺を企てた証拠は不十分であると発表。

3.28 キューバのペレス・ロケ外相、国連人権委員会で演説。パナマ政府に対し4名を裁き、刑罰を科すよう求める。

3月 サンホセ島において米軍が使用した化学兵器が発見される。パナマ政府は住民に避難命令。ブッシュ米大統領は、化学兵器による汚染問題を解決することを約束。

4.17 真相究明委員会が最終報告書を提出。68〜90の軍政期間に110名の人々が行方不明または殺害された。

4.22 昨年11月にニカラグア警察がパナマ警察に「売却」したAK47ライフル3000丁と500万発の弾薬が、コロンビアのパラミリタリーの手に渡ったことが明らかになる。報道では、ニカラグアGIR社が仲介し、ニカラグア警察にパナマ警察の購入指示書を提示し引渡しを受けたとされる。パナマ警察は購入指示書は虚偽のものとして、本件への関与を強く否定する。

5.07 報道によれば、ノリエガ将軍が75年に米国の銀行に預けた約47億ドルの資金が年率3.5%で運用されてきた結果、総額116億ドルまで増えており、これが手つかずのままといわれる。(1兆3千億円!)

5.08 モスコソとニカラグアのボラニョス大統領が会談。武器不正取引事件につき、コロンビアを含めた3ヶ国の外相を中心とする調査委員会を設置し調査を進め、米州機構(OAS)やINTERPOLといった国際機関にも協力を要請することで合意。

8.18 アレマン外相がオットー・ライヒ米国国務省西半球担当補佐官と会談。サン・ホセ島の遺棄化学兵器問題について善処を求める。ライヒは調査団をサン・ホセ島に派遣することを検討中と答える。

11.22 イスラエル人実業家シモン・イェネリックが武器売却に関与した容疑で逮捕される。当局によれば、イェネリックは売却を仲介したニカラグアGIR社のソジェールと共にニカラグア警察の武器保管場所へ行き、武器を受領したとされる。

 

2003年

1.18 ダリエン県のプクロ村およびパヤ村をコロンビアのパラミリタリーが襲撃。住民4名が死亡、米国人2名、カナダ人1名が拉致される。拉致された3名は、23日、コロンビアのウンギーアにおいて解放され、現地の人権擁護団体に引き渡された。

1.21 武器密輸事件に関するOASの報告書が発表される。エスカロナ内相、アリアス外相、バレス国家警察長官、ジャルビス国家安全保障会議議長、ガルス政府警護隊長官が同席。「ニカラグア当局は武器の取引に関する米州協定に違反していた」とされる。エスカロナ法相は、「ニカラグア当局は購入指示書についてパナマ国家警察に確認するのを怠った。パナマ当局に問い合わせれば、購入指示書が偽造されたものであることがはっきりし、本件のような事態は避けることができたはずである」と述べる。

1.28 コロンビアにおいて両国外相会談が開催される。@コロンビアは国境15ヶ所の警備を強化する、A両国政府は国境地帯の情報交換とパトロールを強化する、Bコロンビア人難民の帰還問題について協議委員会を設置する、などが合意される。

1月 ソサ検事総長、アフー議員とカスティジェロ議員、CEMIS関連企業の責任者に対する公判を求める。

2.18 パナマ運河庁(ACP)、米国電力会社の原子炉を積載した輸送船の運河通航を拒否。ACPによればこの輸送船に積載した原子炉の重量は950トンであり、ACPが認めている放射性物質の最大積載量(150トン)を大幅に超過している。

3.21 イラク開戦。アリアス外相は「パナマはイラクの武装解除を求めた国連安保理決議第1441号の達成のために、米国をはじめとする複数の国連加盟国がイラクに対して展開している軍事行動を理解する」と発言。

3.24 国会、野党議員が提案した対イラク軍事行動に反対する決議を採択。「対イラク軍事行動は国連決議の枠外の行動であり、各国の議会に対し、国連決議に対する尊重を表明するよう求める」とともに、イラク問題の平和的解決を訴える。

3.31 米国務省が2002年版「世界人権報告」を公表。裁判官の任命が政治的であること、警察官の汚職が蔓延していること、裁判の効率が悪く多くの未決囚が存在していることなどを批判。

6月 モスコソが訪米しブッシュとの会談。二国間自由貿易協定 (FTA) 交渉開始に合意。経済と環境、貿易と農業、司法改革、安全保障をテーマに協議。

8.14 米国政府、サンホセ島の浄化を行うための機材供与、技術協力及び200万ドル以上の資金援助からなるパッケージを提案。

8月 政府当局、サンホセ島と並び懸案となっている旧パナマ運河地域射撃演習場の浄化問題に関して、「米国とパナマで運河条約の解釈に相違がある。かなりの年月が必要である」と語る。

9.05 アリアス外相、サンホセ島浄化に関する米政府提案を拒否すると発表。アルファロ駐米大使は、「米国政府は、今回の措置によりサンホセ島の汚染に関する全責任を免れようとしており、この点は受け入れることができない」と語る。

9.10 10日、モスコソ大統領、ホバネ社会保険庁(CSS)長官を暫定解任。ビジャラスが長官代行に就任。モスコソは、「CSS理事会でホバネの“明白な能力の欠如”が明らかにされた」と発表するが、実際はホバネが民営化に抵抗したためとされる。

9.11 労働者評議会にCSS労組も加え、「社会保険防衛のための国民戦線」を結成。CSS民営化反対・基金の自主性の尊重・ホバネ長官の復職・ホバネが作成した2004年度予算の承認などを要求する。

労働者評議会(CONATO): パナマ最大の労働センター。教員組合(30万人)、建設労組(1.5万人)など産別労組8団体により構成。

9.18 モスコソ、CSSの民営化を行わないことを確認する一方、新たに策定された収支均衡型の2004年度予算案を承認。

9.21 「社会保険防衛のための国民戦線」が、12項目からなる請願書をモスコソ大統領に提出。モスコソは請願書を受理するとともに、「国民戦線」との協議に応じる用意があると述べる。

9.23 労働者評議会の呼びかけで、CSSの民営化に反対する24時間スト。パナマ市やコロンなどで数万人がデモ行進に参加する。警察当局の弾圧により多数の市民・学生が逮捕される。一部の学生らは道路封鎖。

9.25 ビジャラスCSS長官代行とCSS労働組合の一部がスト停止に合意。「社会保険防衛のための国民戦線」はこれに従わず、10月30日に全国ストを実施することを決定。

9.29 ワット米国大使、「不逮捕特権により国会議員の犯罪が処罰されないことは、政治家に対する市民の信頼を損なわせ、パナマの民主主義の問題となっている」と述べる。モスコソ大統領は、ワット大使に対し講演の内容を説明するよう求める。

10.04 最高裁、「CEMIS」事件と最高裁判事の国会承認に係る汚職事件に関し、検察庁が提出した起訴状を却下し公訴を棄却。

10.03 ホバネCSS長官、「暫定解任は手続き上の要件を満たしておらず、人権を侵害するもの」と抗議する書簡を、大統領宛に送付。

10.22 政府は、ホバネ長官の解任を正式に決定。

11.03 コロンビアからの独立100周年記念式典。モスコソ大統領は、「パナマは多様な文化の国であり、コスモポリタンな国であり、人種等による差別は一切ない」と述べる。

12月 テハダ人権擁護官、パナマ亡命中の元ハイチ独裁者セドラスが、過去に大量虐殺及び拷問を行っていたとする人権擁護グループの告発を受理し、パナマ外務省に対し同氏に関する資料の提供を求める。

 

2004年

1.10 10日、司法技術警察、米国の協力により、ダリエンにおいてコロンビア麻薬カルテル「ノルテ・デル・バジェ」の指導者であるモントヤの身柄を拘束。モントヤは米国財務省から特別指名手配されており、米国麻薬対策局のチャーター機で米国に移送される。

1.26 テハダ人権擁護官、大統領府長官に対し情報公開法に基づく情報開示を請求。大統領府大臣は請求を拒否。

2.25 米国国務省が2003年版「世界人権報告」を公表。パナマは、@司法制度が政治的な影響を受けており非効率であること、A盗聴や不法拘束など警察官による人権侵害があること、B刑務所内において刑務官による人権侵害があること、C女性及び少数民族に対する差別があること、D情報公開法の運用に不備があることなどが批判された。

3.15 ベネズエラは、76年のキューバ機爆破・撃墜事件に関しポサダの身柄引き渡しを求める。パナマ政府は回答を保留。

4.20 パナマ第五刑事裁判所、カストロ暗殺未遂事件に関し、「集団の安全に対する罪及び公文書偽造」で6名に有罪判決。「発見されたプラスチック爆弾は、衝撃が200メートルに及ぶ高性能なものであり、カストロ議長及びその周囲の人々に重大な害を及ぼす明確な意図があった」とする。

各被告の量刑: ルイス・ポサダ・カリレス(76歳)とガスパル・ヒメネス(69歳)が禁固8年。セサル・マタモロス(67歳)とギジェルモ・ノボ(65歳)、ペドロ・レモン(50歳)が7年。共犯としてパナマ人ホセ・マヌエル・ウルタドが4年。

4.20 サモラ駐パナマ・キューバ大使、「判決は、ポサダとその共犯者が多くの人々を殺害しようとしたテロリストであることを示している」と述べる

4.21 キューバ外務省、「ポサダらへの量刑は、犯した犯罪から見て不十分である」と批判。

4月 米国とのFTA交渉が開始される。

5.02 大統領選挙。民主革命党(PRD)のマルティン・トリホス候補(40歳)が、民衆党との連立を基盤に圧倒的勝利。アルヌルフィスタ党のアレマン元外相は支持基盤が分裂したことなどにより惨敗。

5.02 国会議員選挙でも、PRDが78議席のうち過半数を超える42議席を獲得。

5.26 最高裁、テハダ人権擁護官による情報公開請求を認め、ピティ大統領府大臣に対し大統領機密費の取り扱いに関する書類の提出を求める。

8.13 トリホス政権の閣僚が発表される。観光大臣には歌手のルベン・ブラデス(Ruben Blades)が就任。

8.22 ポサダ・カリレスらに対しモスコソが恩赦を与えるとの噂が広がる。キューバ政府は「恩赦が与えられればパナマとの外交関係を断絶する」と警告。

8.23 モスコソ・パナマ大統領、「キューバ政府による脅迫はパナマの内政への干渉である」とし、バルセナス駐キューバ大使を帰国させる。

8.24 アリアス外相は、サモラ駐パナマ・キューバ大使を招致し、48 時間以内に国外に退去するよう通報。

8.25 パナマのモスコソ大統領,任期終了目前にカストロ暗殺未遂事件の犯人4人を釈放.「キューバに犯人を引き渡せば,命が失われることになるため」と説明.

8.25 コロン州知事ガサン・サラマは、パナマの尊厳と誇りと名誉のために辞任すると表明.「マイアミの極右系キューバ人とアメリカ政府の圧力があった」と述べる.

8.26 釈放された4名がパナマを出国。3名はマイアミへ向かうが、ポサダの行方は不明となる。

8.27 トリホス次期大統領,現政府がとった行動は、テロに関する寛容の表現であり、大統領権限の濫用と非難し,就任後はハバナとの外交関係を再構築すると述べる.

8.27 ベネズエラ政府,4人の「テロリスト」を赦免したことに抗議し,在パナマ大使を引き上げると通告.また「4人をキューバかベネズエラに引き渡せば死刑になる」とのモスコソ発言に対して「ベネズエラ国民の寛大さ」に対する侮辱と、強い不快感。大統領就任式へのチャベスの出席を保留。

8.27 メキシコ政府,キューバにおけるパナマ利益代表部の役割を引き受けると提案.

8.28 ベネズエラのランヘル副大統領、外相は「テロに対するたたかいについて世界中のコンセンサスができているとき、テロで断罪されている人間を赦免するとは理解できない.マイアミが彼らを受け入れるなら、アメリカはこの上ない責任を負うべきである」と糾弾.

8.28 ブラジル労働党、モスコソのテロリスト釈放を非難する声明。「選挙を控えキューバ人社会の票が必要なブッシュ大統領が、決定に影響を与えている。このことが事態をいっそう深刻にしている」と述べる。

8月 財政赤字が7.3億ドルに達し対GDP比で6%を超える。IMFとの合意に基づき制定された財政責任法の規定を満たさないことから、トリホス大統領は、財政責任法の一時停止措置を採る。

04年9月

9.01 民主革命党(PRD)のマルティン・トリホス,第59代のパナマ大統領に就任.「一方は刑を受け、他方は許されるというような、二種類のテロがあるはずがない。テロに対してはそれが何であれ闘うべきだ」と演説.キューバやベネズエラとの関係を改善すると明らかにする.トリホスはオマール・トリホス将軍を父に持つ41歳の企業家.

9.06 ベネズエラとの関係正常化。

9.22 トリホス大統領が国連で演説。「民主主義制度を揺るがすのは軍隊でなく、貧困問題である。債務国の国民は生まれたときに、生涯収入以上の債務を抱えている」と訴える。

9月 新政権、財政責任法を一時停止し、6億ドルの国債を発行。一連の社会政策にあてる。パナマでは人口の4割にあたる280万が貧困層で、失業率は13%に達する.

10.01 コスタリカと国境を接するパナマのボカス・デ・トロス州で、チキータ・ブランズの子会社ボカス・フルート・カンパニー、地域に供給している電力料金を引き上げると発表。チャンギノーラ地方の住民は「価値と尊厳の委員会」を結成し、反対闘争に立ち上がる。委員会は積み荷活動を妨害し、バナナの販売と輸送の活動を止めさせる。

10.12 レアル大統領府長官、会計検査院に対しモスコソ前政権における大統領機密費の情報を求める。「前政権は機密費にかかる領収書及び会計検査院の決裁書の記録をまったく遺さなかった」と非難。

10.12 会計検査院、「大統領機密費にかかる領収書記録は保持していない。記録は大統領府が保持しなければならず、前政権の職員が責任を負わなければならない」と回答。

10.18 トリホス大統領は、大統領府直属の諮問機関として国家汚職防止透明性委員会を設置。トリホスは、「すべての公務員を対象とした公務員倫理法の承認、公務員の倫理的能力の再訓練プログラム及び情報公開促進プログラムの作成」が当面の任務となる、と説明。

10.21 アルミランテで13時間にわたる停電が復旧した後、電気のショートから3軒の家が焼ける。これをきっかけに抗議行動が暴動化。ボカス・フルート・カンパニーは抗議活動に係わった労働者11人を解雇し、地域住民との交渉を拒否。

10.22 暴動鎮圧のため警察部隊が現地に入る。政府側発表によれば、このとき28人が負傷し、このうち24人が警官だった。警察は「鈍器」によって攻撃され、二人の警官が不満分子に拘束された。

10.23 アルミランテ地方は「無政府状態」に入る。住民は地域警察の本部を占拠し、警官を人質に取り、もし軍を送り込むようなことになれば警官を処刑すると脅迫。また暴徒は「モロトフ爆弾」を作るためにガソリンスタンドを襲い、燃料を持ち去った。

10月 ディチテル&ネイラ社による世論調査。70%以上の人々がパナマにおける最大の害悪として汚職問題を挙げる。

11.13 パナマを訪問したラムズフェルド米国防長官、サンホセ島の遺棄化学兵器による汚染問題について、「トリホス・カーター条約の発効によりそれらの問題はすでに終わった」と述べる。アレマン内相は、「これらの問題は未解決である」と反論。

11.14 モスコソ前大統領、私用として衣服、宝石などに300万ドルを使ったことを認める。モスコーソをめぐる疑惑としては、そのほかに@大統領の自由裁量勘定項目の2300万ドルの使用使途が不明。A台湾からパナマに供与された4500万ドルの操作の疑い。

11.19 コスタリカでイベロアメリカ・サミットが開催され、ポサダ恩赦に「深い懸念」を表明する「テロに関する特別宣言」が採択。トリホスはラヘ・キューバ国家評議会副議長と会談し、領事関係を再開することに合意。

11.21 パナマ選挙法廷、モスコーソ前大統領の選挙特権を取り上げることを決定。これによってモスコソの疑惑調査の道が開かれる。アルヌルフィスタ党(PA)内でも、反モスコソ派のエリシエ・マクカイが決定を支持。

11月 憲法改正案が発効。制憲議会を通じた憲法改正が可能となる。

11月 パナマがG-3(メキシコ、コロンビア、ベネズエラ)に加盟。旧コンタドーラ・グループが復活する。

12.20 パナマ侵攻15周年。労働総自治センター(CGAT)の書記長マリアーノ・メナは、障害者や遺族への補償に対して何の対策も考えていないとしてトリホス大統領を非難。アメリカは死者は423人に過ぎず負傷者が2000人だとしているが、人権グループや家族は、このときの死者を3000人としている。カトリックの僧侶で、祖国防衛国家運動のコンラド・サンフール会長は、「アメリカの侵攻は我々の歴史上最も破壊的な出来事」と語る。

2005年

1月 トリホス政権、財政改革のため政府職員数の削減、所得税率の改正を柱とする財政改革法を提案。臨時国会において成立。

1月 アルヌルフィスタ党が臨時党大会を開催。モスコソ総裁(前大統領)は辞任。党名をパナメニスタ党に変更。

5月 社会保険庁(CSS)が財務危機に陥る。政府の提出した改革法案は建設労働者、教職員、医療関係者、学生などの抗議を呼ぶ。トリホスは国民対話を召集。企業、労働組合などとの対話を積み上げる。

8月 キューバとの外交関係が再開される。

9月 ベネズエラ、新駐パナマ・ベネズエラ大使を任命。

12月 国民対話のうえ、改革法案が議会で可決される。2005年度の税収は前年度比で11%増加。

2006年

1月 新社会保険庁改革法が施行される。

2.28 元世銀幹部で「経済的暗殺の告白」の著者ジョン・パーキンズ、CIAがトリホス殺害を指示したことを明らかにする。

当時、パーキンズは世銀からパナマを「しつける」ミッションを引き受け、トリホスと交渉した。「トリホスはCIAにとって障害だった。私が彼との交渉で失敗したので、CIAのジャッカルが自分を殺しに来るだろうとトリホスは思っていた」

4.24 パナマ運河庁(ACP)のバスケス議長、「120に及ぶ検討案の最終案」として運河拡張計画をトリホス大統領に提出。

4.25 パナマ政府、運河の拡張計画を発表。巨大閘門「第3閘門」を新設する案が選ばれる。工事費は52億5千万ドルとされる。 

4.30 パナマの汚職担当主席検事メルセデス・デ・レオン、ルイス・ポサダ・カリレス釈放に関わった、ミレジャ・モスコソ前大統領時代の関係者を捜査すると発表。当時の官房・司法大臣、警察情報調査部長、国家警察長官、移民部長などが対象。

6月 公的債務は105億ドル、返済額は2006年度には17億ドルに達する。

7月 経済財務省は、1996年に発行したブレディー債の残高全てに相当する約3億5160万ドル分について、繰り上げ償還すると発表。

7月 ベネズエラ・コロンビア間のパイプライン「アントニオ・リカウルテ」の建設が開始される。トリホスはチャベス、ウリベ大統領と会談。パナマを含めた3カ国を結ぶガスパイプラインの建設に関わる覚書に署名した。将来的にはパナマの大西洋側までパイプラインが延長されることとなる。

8月 教職員組合(FAM)、給与引き上げ要求を掲げストライキ。全国規模で5週間にわたり続く。

8月 ディチテル&ネイラ社の世論調査においてトリホス大統領の支持率が67.2%に上昇。

10.22 国民投票。78%が新計画を支持。トリホス、運河の将来につきパナマ人自身の主権で決断したことを宣言。