ニカラグア年表 その1

2010.12.31 これまで細切れで読みにくかったのを4つにまとめました。第一部がサンディーノの死までの時代です。
第二部はソモサの時代、第三部は第一次サンディニスタ政権の時代、第四部は親米政権から第二次サンディニスタ政権への時代です。

 

1500年  1600年  1700年  1800年  米英両国の進出  ウォーカー戦争  保守派政治の時代  

 セラヤ自由党政府の時代  米国のセラヤ政府転覆  護憲戦争  サンディーノの時代  サンディーノの死

 

征服以前,ニカラグア中央高地と太平洋岸にはアステカ,マヤ族系の人々が居住.アステカ人のナウアトル語に近いピピル語が話されていた.スペイン人がニカラグアに到来したとき,三つの部族がいた.ニキラノ,チョロテガノ,チョンタルである.

 このうちニカラオカリ(現在のリバス付近)を本拠とするニキラノ族は,ニカラオを首長とし豊かな生活を送っていた.チョルテガノ族はニカラグア中央部に住んでいた.山岳部に分布するチョンタルはより少数で,ニカラグアの先住民とされる.文化的にも他に比べ遅れていた.チョンタルはスペイン人が持ち込んだ疫病によりほぼ絶滅し,残りの部族がスペイン人と通婚を重ね今日のメスティソを形成.

 リバスには,16世紀初頭からアステカ王国の先遣隊(ポチテカ将軍)が駐屯し,王国の南端基地として南部との交易を行っていた.ニキラノ族はアステカ族の話すナウアトル語を学び,アステカの同盟軍として活動するようになっていた.

 カリブ海岸にはコロンビア北部ダリエン方面からの移住民が居住.チブチャ語圏に属する種族とされ,原始的な狩猟生活を送っていた.この中では東北部のバウィーカ族が,イギリス軍から得た武器で他部族を圧倒.逃亡黒人と通婚し海岸部を支配.ミスキート族と呼ばれるようになる.内陸部に逃げ込んだ原住民はスム族,ラマ族と呼ばれる.

 

征服時代

1500年

02.9.12 コロンブス,第4次航海でホンデュラスからニカラグア東海岸のココ河口に上陸,暴風雨を免れたところから「神に感謝」岬と名付け,スペイン領ベラグアスを宣言.(一説に25日)

04 アステカ王国の資料によれば,この年,ニカラグアでの南米諸部族との交易が開始.コチボルカ(現リバス近郊)に中継基地を建設.

08 スペイン国王,大陸(当時はニカラグアとコロンビアのあいだ)に植民することを決定.これをカスティーヤ・デル・オーロ(現パナマ),ベラグアス(現コスタリカ,ニカラグア)の二地方に分ける.

14 スペイン,パナマ地峡の支配を強化するため,バルボアを更迭.ペドラリアス・ダビラを総督として派遣.実際はバルボアに対する讒言を受けたものであったようだが、バルボアの側にも先住民への対処で相当問題があったようである。

18 アステカ王国滅亡.これにともないリバスの交易基地も事実上消滅.パナマもスペイン人により支配されるようになり,南からの交易品も途絶える.

パナマからの征服隊

16年 ペドラリアス,コスタリカのニコヤ地方にエルナン・ポンセらを派遣し探索にあたらせる.

18年 イスパニョーラの地主ヒル・ゴンサレス・ダビラ、航海士アンドレス・ニーニョとともに探検計画をインディアス会議に提出。会議の議長を務めるファン・ロドリゲス・デ・フォンセカ司教の裁可で承認される。

19年6月 カルロス王は、ゴンザレスとニニョのニカラグア探検に同意を与えた。

20年1月 ゴンザレスとニニョはパナマに到着した。ペドラリアスは計画の承認を拒否し、船と船員を確保することを禁止した。ゴンザレスとニニョはパナマ沖の真珠諸島で4台のブリガンティン型帆船の建造を開始した。

22年1月26日 ゴンサレス、真珠諸島を出発。4日後に船の浸水でパナマ西部に上陸を余儀なくされる。その後ゴンサレスは陸路コスタリカに進み、ニニョは船を修理した後海路北上した。

22年 ヒル・ゴンサレス,コスタリカ地方を探検.部隊を歓迎したニコヤと彼の率いる原住民6千人はまもなくカトリックに帰依したという.

1523年

4.05 ヒル・ゴンザレス・ダビラ、ニカラグアのリバス付近で先住民首長ニカラオと会見する。ニカラオは"Nic-atl-nauac"の名を良い加減読みしたもの。

記録によれば、ニカラグアに進出したヒルは,ソロトラン(Xolotolan:現ニカラグア湖)と湖中に浮かぶコシボルカ(Cosibolca:現オメテペ島)を探検.現在のリバス附近でニカラオ族と遭遇.ニカラオの支配する原住民の歓迎を受け,多くの金や真珠を手にする.ニカラオ一族9千人がカトリックに帰依.全員が8日以内に洗礼を受けたという.

4.17 二ニョの船団は太平洋岸を北上.現ホンジュラスのフォンセカ湾に達する.フォンセカは当時の司教ロドリゲス・デ・フォンセカの名をとったもの.

5月 ヒル・ゴンサレス、ディリアンヘンの率いるニキラノ族3千(一説にディリアン族4千名)から激しい抵抗を受けコスタリカに撤退。ヒルは先住民から金を巻き上げ、キリスト教への改宗を強要したという。

6月 ゴンサレスとニーニョ、3隻の船、100人の消耗した乗員とかなりの金を持ってパナマに帰還.先住民の富について大いに宣伝した。

1524年 

24 ニカラグアから戻ったヒル・ゴンザレス,ニカラグアの支配権を主張.ペドラリアスはゴンザレスを逮捕し財宝を没収するよう指令。ゴンザレスはパナマ脱出に成功しサントドミンゴに逃げる。

24 その後ヒルは,大西洋岸からのニカラグア進出を窺い、ホンジュラスに上陸.

24 ペドラリアスは,部下のフランシスコ・エルナンデス・デ・コルドバ(ユカタン半島発見のコルドバとは別人)にニカラグア征服と防衛を命じる.(遠征に加わったエルナンド・デ・ソトは,後にピサロのインカ帝国征服にも参加.41年,フロリダ遠征中に戦死)

24 コルドバ,コスタリカに達しビリャ・ブルセラスを建設。コスタリカにおける最初の定住地となる。コルドバはさらにニカラグア方面を目指す.

24 ニカラグア入りしたコルドバ、リバスに近いグラナダに最初の基地を建設.さらにマナグア湖を越えレオンにまで達し,第二の基地サンティアゴ・デ・ロス・カバジェロス・デ・レオンを建設.グラナダには上級将校が,レオンには下級将校と歩兵が定着する.

25 コルドバ,副官ペドロ・デ・ガロをメキシコに向かわせる.メキシコから本国に連絡をとり,ニカラグア総督領の創設とコルドバによる支配を認めさせようとする計画.ガロを迎えたコルテスは,コルドバに同情し,コルドバの訴えを支持すると表明.部下のルイス・マリンにニカラグア進出の準備を開始させる.

25 コルテスの支援の意思を伝えるルイス・マリンがレオンに到着.これを受けたコルドバの部隊は二つに分裂.サントドミンゴで,女をめぐる争いから,コルテスに暴行を受けた経歴を持つガラビートとその一味は,ひそかに部隊を離脱しパナマに帰投.コルドバの裏切りを伝える.これに怒ったペドラリアスは,コルドバに死刑を宣告.

異文
オリドの反乱制圧のためホンデュラスまで進出したエルナン・コルテス,コルドバを寝返りさせることに成功.ホンデュラスに続きニカラグアも制圧.弟のディエゴ・ロペスを総督に任命,レオンを首都に定める.

26.6 ダリエン総督ペドラリアス,ニカラグア再制圧に乗り出す.裏切り者コルドバに斬首刑を宣告.娘婿のロドリーゴ・デ・コントレーラスをニカラグア総督に指名.(「二キラノ人の首長ニカラオは頑強に抵抗し、一度は征服者を追い返した」という記載がある)

異文
26年 ペドラリアス、カスティリャ・デ・オロおよびニカラグア総督の地位をペドロ・デ・ロス・リオスに譲り引退。1531年、 91歳で死去するまでレオンで余生を送る。

27.6 コントレーラスがニカラグア制圧に成功.コルドバは捕らえられ,反逆罪でレオンにおいて処刑される.この後ニカラグアで奴隷貿易が盛んとなる.太平洋岸の港からパナマ,ペルーへ年間20隻以上の奴隷船が周航.その後の30年間でニカラグア人口は百万人から数万人に減少.

12 グアテマラとニカラグアに総督制の導入が決まる.スペイン政府,アルバラードをグアテマラの,ペドラリアスをニカラグアの総督に任命.

異文
アルバラード,マドリードでの宮廷工作により,ニカラグア・ホンジュラスを含む支配権を獲得.

28 スペイン政府はペドラリアスをニカラグアの支配者に指名.ペドラリアスはパナマからレオンへ居を移す.ニカラグア原住民を奴隷として輸出することで巨利を上げる.40年頃には原住民の枯渇により奴隷輸出は終焉.

29 ヌエバ・エスパーニャとダリエン総督領の境界確定.ニカラグアはダリエン総督領へ編入されることとなる.

30 北部ニカラグア,ホンデュラスの中央高地で砂金の採集が盛んになる.グラシアス・ア・ディオス,トルヒーヨ,サンペドロなどが中心地として発展.20年ほどでこの金ブームは終焉.

31.7 ペドラリアス,レオンで死亡.その権限は娘婿ロドリゴ・デ・コントレラスとその弟の手に.部下の多くはピサロの探検に加わり南米進出.レオンとグラナダを除く植民地は消滅し,ニカラグアの影響力は減退.

31 レオンに司教区設立.ディエゴ・アルバレス・オソリオが司教に就任.

33.3 インディアス枢機会議,パナマとグアテマラの植民者に対し,インディオの奴隷化を認める.

 

1535年:ラスカサスのニカラグア滞在

4 ラスカサス,デサグアデロ河(現サンフアン河)河口に到着,グラナダに向かう.

6 コントレラス,ニカラグア総督として赴任.インディオを奴隷としてペルーに「輸出」する事業で利益を上げる.この当時百万人居た原住民は,その後の10年で半分がペルー,パナマへ奴隷として売られ,残りの多くも疫病で死亡,わずか8千人が生き残る.

8 ラスカサス,グラナダでインディオの改宗作業に従事.

12 奴隷となるインディオの減少に悩むコントレラス,デサグアデロ地方への奴隷狩遠征を企画.従兄のディエゴ・マチェーカを指揮官に任命.ラスカサスはこの遠征に対し猛反対.

36.4 コントレラス,レオン司教オソリオの許可を得て遠征隊をおくるが大失敗に終わる.コントレラスはラスカサスに従軍司祭就任を要請するが,ラスカサスはこれを拒否.

6 コントレラスによる暗殺の危険を感じたラスカサスは,レオンを去りグアテマラのサンチアゴに向かう.

38 パナマにアウディエンシア設置.ニカラグア,コスタリカもパナマの管轄にはいる.

39 ディエゴ・マチェーカ,アロンソ・カレロ,ニカラグア湖からデサグアデロ川(現サンフアン川)を下り,大西洋岸にいたる.これによりグラナダと大西洋を結ぶルートが出来,その後ニカラグアは太平洋岸を中心に発達.

1540年

42 ヌエバセゴビアに金鉱発見.採掘のためアンティリャス諸島から黒人奴隷を移入.

43 新大陸に二つの副王領設置.ニカラグアはパナマのアウディエンシアを離れ,ヌエバ・エスパーニャ副王領に編入される.

44 ヌエバ・エスパーニャ副王領の下でグアテマラにアウディエンシア設置.南部メキシコからパナマにかけての地域がグアテマラのアウディエンシアの下に統合される.5人からなるアウディエンシアの議長は知事および総督を兼任したことから,グアテマラ総督領とも呼ばれる.最初のアウディエンシアはホンジュラスのグラシアスにおかれる.

45.8 レオン司教オソリオ死去.ラスカサス支持者のアントニオ・デ・バルディビエソ,レオン司教に着任.

49 グラシアスからアンティグアにアウディエンシアが移設される.

1550年

50 インディオ保護のために戦った,デ・バルディビエソ司教,マチェーカにより暗殺.

58 イギリス海賊,カリブ海岸沿いに出没を始める.

63 アウディエンシア,ふたたびパナマに設置.ニカラグアもパナマ管轄下に入る.

70 グアテマラのアウディエンシアは管轄範囲を縮小される.パナマ,ユカタン半島,タバスコは管轄を外れる.それぞれの地域に代官(アルカルデ・マヨール)がおかれ,実際の統治を委ねられる.ニカラグア地方の行政府および議会(アジュンタミエント)はレオンに置かれ,教会の司教等が配置される.

72 イギリス人海賊ドレイク船長,ノンブレ・ディオス襲撃の途中,サンフアン川に侵入.

73 アウディエンシア,さらにグアテマラに復帰.ニカラグア,コスタリカ,グアテマラ総督領に編入.

89 ペルラス湾(現ブルーフィールズ)に海賊の根拠地設置.

 

カリブ海賊の時代

1600

00 海賊に対する防衛のためサンカルロスに砦を建設.スペイン,本国産物と同一の産品をインディアスで生産することを禁止.これに抗議しグラナダで暴動.

04 ベルデテ神父,モスキティア地方で布教活動開始.

09 レオン,モモトンボ火山の噴火により壊滅,スブティアバに場所を移して再建する.

33 オランダ人海賊がトロガルパ(現ブルーフィールズ)のミスキート居留地に基地を構える.

36 ニカラグアのカリブ海岸ぞいの島プロビデンス(現コロンビア領プロブデンシア島)に,木材伐採を目的とするイギリス人の入植開始.5年後にスペイン艦隊により駆逐され,残党はニカラグアに逃れる.

38 イギリスの武装船団,ベリーズに到達.定住を開始.

43 ミスキート族と海賊の連合軍がマタガルパを襲撃.

48 ニカラグアに強い地震.つづいて51年,63年にも地震に襲われる.

54 ミスキート族,ヌエバセゴビア地方を襲撃.

64 英国人海賊ジャックマンとモリス,カンペチュ湾を襲撃.ビリャ・デ・モサに上陸した後,トルヒージョを攻撃.

65 海賊ジョン・デービス,グラナダ,レオン,エルレアレホを襲撃.

66 海賊モルガン船長,マンスヴェルト(オランダ人)ら,メキシコ,ホンデュラス襲撃のあと,サンフアン川を遡上しグラナダを攻撃.

68 イギリス,フランス,オランダの海賊があいついでニカラグアを襲撃.農産物の集散地グラナダは壊滅的な打撃を受ける.

70 海賊ガヤルディーヨ,グラナダを襲撃.

78 ジャマイカを根拠地とするイギリス人海賊,モスキート海岸にも砦を建設.実効支配を確立.アンティル諸島より黒人奴隷を移入.その他カリブからの逃亡奴隷(シマロン)も流入,原住民と混血しミスキート族を形成.原住民のスム族を内陸に追い込む.スペイン人は彼らを「サンボ・モスキートス」と称する.

85 グラーフ,グロニエ,タウンリーが率いる海賊軍団がパナマを攻撃するが,失敗に終わる.海賊はパナマに代わる獲物を求め,コスタリカのプエブロ・ビエホ,ニカラグアのグラナダを攻撃.

87 ジャマイカ総督,「モスキート国国王」をでっち上げ,モスキート地方を英国の保護領とすると宣言.カリブ海岸沿いのスペイン人は英国人海賊により駆逐される.ミスキート族の王ジェレミ1世,ジャマイカで戴冠式をおこなう.

 

1700年

04 イギリスとミスキート連合軍,ヌエバセゴビアに侵入.

07 イギリスとミスキート連合軍,リバスを攻撃.

11 ジャマイカ総督,ミスキート族の王アニバルと協定.「モスキティア」王国を公認し保護領とする.(一説に1740年)

14 王位継承戦争終了.ハプスブルグ家に代わったブルボン家は新大陸に一定の自由化を認め,殖産に力を注ぐ.レオン,グラナダ,リバスに輸出農産物生産者の集団が新興.皮革,干し肉を生産・輸出する業者はレオンを中心に自由貿易派を形成,独自の武装勢力を持つ.一方旧来の利益を擁護しようとする集団はカトリック教会に依拠しつつ保守派を形成,グラナダを根拠地とするようになる.

20 ミスキート族,ジャマイカの黒人奴隷の反乱を支援.

32 ドイツ系プロテスタントのモラビア派,カリブの英語圏で布教開始.腐敗した国教会にかわり黒人のあいだに影響力を広げる.

44 「ジェンキンスの耳」戦争勃発.ジャマイカ総督ホグソン,モスキティア統治を強化.

48 イギリス軍,サンフアン・デル・ノルテを占領.アキスグラン友好条約により返還.

1770年

73 ジャマイカでマルーンによる大規模な反乱起こる.イギリスはミスキート族を動員してこれを弾圧.

77 ボアコ族の酋長ヤリンセ,イギリスに対し反乱.捕らえられ処刑.

79 米国独立戦争にともない英西戦争開始.スペインはモスキティア,ベリーズの英勢力と対決.英植民者はロアタン,ミスキート海岸へ避難.

1780年

80 英海軍,のちに提督となるネルソンを指揮官にジャマイカより攻撃を開始.ニカラグア運河ルートの確保をめざしサンフアン・デルノルテ,ホンデュラスのカスティヨ・ビエホを占拠.ネルソンが病気で倒れ中断.

81 マヌエル・ガリステオ,本国から派遣,ニカラグア湖と太平洋間のルート調査にあたる.

82 ミスキート族,ヤリンセ殺害に抗議し対英反乱.

82 マティアス・ガルベス司令官,ロアタン,リオティントの英入植者を駆逐.

83 英西戦争終結,ベルサイユ条約締結.スペイン側旧権利の回復とイギリス人の退去で合意.

85 本国の制度改革にともない,レオンにインテンデンシア設置.

87 ロンドン協定によりミスキート海岸のすべてのイギリス植民地が撤退.ミスキート支配を強めようとするスペインに対しミスキート族の抵抗起こる.

98 ニカラグア,ヌエバグラナダ副王領への帰属が決まるが実行されず.

 

独立と分裂の時代

1800

04 レオンに国立自治大学設立される.

1811年

11.29 メキシコにおけるイダルゴのたたかいに刺激され,リバスの住民が蜂起.これに続きグラナダのミゲル・ラカヨ大佐が反乱.グアテマラのホセ・ブスタマンテ・イ・ゲラ総督は,コスタリカ在留の守備隊を投入し,鎮圧.その後7年にわたり,「ブスタマンテのテロ」と呼ばれる恐怖政治を敷く.この間レオンは王室への忠誠を続ける.

11年 マサヤでドン・ホセ・ガブリエル・オオランにひきいられたインディオの反乱.ついでスブティアバでもインディオ7,8千人がインディオ貢納の廃棄と奴隷制廃止を求め蜂起.

1812年

1.10 インディオ反乱軍,一時地方長官を追い出し奴隷制廃止を宣言.

4 グアテマラ総督,王党派支援のため三個師団を派遣.反乱軍の敗北により革命は挫折.

13.5 クリオージョの独立派,サンカルロスの砦を占拠.反乱はただちに各地に広がり,独立運動へと発展.ニカラグア大僧正を独立派総督に押し立てる.勢力を回復して優勢に立った総督軍は,蜂起に参加した人々を罰しない条件の下に投降を勧めるが,投降者は裏切られ厳しい追及を受ける.

16 英国,ふたたびカリブ海岸に進出.ニカラグアにモスキート王国を建てる.

1820年

21.9.15 グアテマラ総督領,中米諸州連合として独立宣言.単独独立を支持するレオンの議会派と,メキシコへの結集を主張するグラナダ派との間で激しい内紛.

22.1 メキシコのイトゥルビデ,中米諸州連合のメキシコ併合を提案.併合を支持するレオン派とグアテマラ連合案のグラナダとが対立する.その後,メスティソ,インディオの反乱を恐れ,両者がメキシコ帝国への併合を支持する方向で合意.

23.7.1 メキシコ帝国崩壊にともない,グアテマラ市に6州の代表が集まり,「中央アメリカ連合州」として独立することを決定.各州は強い自治権を持ち州統領制を敷く.チアパス州は,メキシコ残留を表明.

23 ニカラグア州統領にリバスの地主で,スペイン革命にも参加したデ・ラ・セルダが就任.反対者を抑圧し,みづから独裁者となる.レオン政府からの分離を主張するグラナダは戦闘を開始.19年にわたり,国内は内乱状態になり,18回の政権交代.少なくとも17回の本格的戦闘,千名以上の死者を出す.このときニカラグアの総人口は19万人.

24 ベリーズ在住のイギリス人,木材を求めて南方に進出,ニカラグアに到達.モスキティア,ふたたびイギリスの保護領となる(〜60).

24 ニカラグア南部のグアナカステ地方,州政府の反対を押切り住民投票によりコスタリカに帰属.

1825年 中米連合州,憲法制定,五つの州からなる「中央アメリカ連邦」に改組.政治的には合衆国を模範とする自由主義を目ざす.レオン・グラナダも休戦協定を結ぶ.

6.16 中米連邦,ニカラグア運河を想定した運河建設法を公布.クレイ国務長官はアントニオ・ホセ・カナス駐米大使に運河建設の意志を伝える.

26.6 中米連邦議会,アーロン・パーマーらの「中米,アメリカ合衆国両洋連絡運河会社」と建設条約を結ぶ.エリー運河の建設技師で,当時ニューヨーク州知事のヴィット・クリントンを設計にあてるが,当初予定した5百万ドルの資金獲得に失敗.財政的困難により挫折.

28 デ・ラ・セルダ,反対派により狙撃され死亡.

1830年

30 モラサン,中米連邦大統領に就任.教会特権に対する介入など,共和的政策を進めたため,保守層の強い反発を受ける.

30 オランダ,中米連邦政府からニカラグア・ルートの運河建設の権利を獲得.ニカラグア運河会社を創立し運河建設を試みるが,ベルギー独立をめぐる内紛のため断念.

34.3.10 分離派のホセ・ヌニェスが,ニカラグア初代監督(Director)に就任.

35.4.23 ホセ・ヌニェス,辞任を迫られる.連邦派のホセ・セペダが監督となる.

36 ニカラグア軍,グアナカステに侵入をこころみるが,住民の抵抗にあい撤退.

37.1.25 ホセ・セペダ監督,死亡.これに代わりホセ・ヌニェスがふたたび監督に就任.

37 中米連邦各地で大規模な農民反乱起こる.首都グアテマラではカレーラの指導する保守党が権力奪取,政府はエルサルバドルに亡命.

1838年

4 連邦政府,財政難を克服するため,各州に関税をかけることを決議.ニカラグアはこれに反対し連邦から分離.グアテマラではカレラ軍が,ガルベス政権を打倒,実権を掌握.

38 エルサルバドルの中米連邦軍,グアテマラに派遣されるが,ロスアルトス地方でのたたかいでカレラ軍に敗れる.

39 中米連邦,5カ国に分裂し連邦政府は崩壊.ホセ・ヌニェスは大統領辞任.その後1年間で5人の監督が交代.

 

ニカラグア水路への国際的注目

1841年

4.03 パブロ・ブイトラーゴが監督に就任.

8 イギリス,サンフアン河口の港サン・ファン・デル・ノルテを一時占領.コスタリカ国境までいたる東海岸全域をミスキート保護国に含め,支配に乗り出す.

42 エルサルバドルを中心に,中米連邦再建の動き.ニカラグア,エルサルバドル,ホンデュラス3国,チナンデガ協定を結び連邦制度を復活.ニカラグアとホンデュラスの紛争により短期で崩壊.

42.9.15 モラサン,コスタリカ大統領となり,強権政治をしく.グアテマラ反攻を企てるが失敗,捕えられサンホセで銃殺.

43.5.31 マヌエル・ペレスが監督に就任.

44 ニカラグアとホンデュラス,エルサルバドルとのあいだに戦争状態に入る.「三年戦争」開始.国内は無政府状態となり,ベルナベ・ソモサなどの無法者が跋扈.ソモサはSiete Panuelosと呼ばれる.アナスタシオ・ソモサのおじに当たる.

44 フランス,ニカラグアと運河協定を結ぼうと試みるが失敗.

45.4.04 レオンのカウディージョ、ホセ・トリニダド・ムニョス、自由派から保守派に寝返り、ホセ・レオン・サンドバルを統領にすえる.

46 レオン,グラナダの政争の妥協として,両市の中間のビラ・レアル(マナグア)に新首都を建設することで合意.以後制憲議会が不定期に開催.

46 米国,コロンビアとのあいだにビドラック・マヤリノ条約締結.パナマ地峡の横断交通権(鉄道の建設権)を獲得.

47.4.06 ホセ・マリア・ゲレーロが監督に就任.

47 三年戦争終結.ナカオメ会議においてふたたび三国の統合を立案.

47.10 イギリス艦隊,サンフアン・デル・ノルテをミスキート王の手に明渡すよう要求.最高執政官ホセ・ゲレーロは米国に対し援助を求めるが,米国はこれを黙殺.

 

米英両国の進出

1848年

1.1 イギリス軍,サンフアン・デル・ノルテに上陸.現地のニカラグア政府守備隊を追放しふたたび占領.当時のジャマイカ総督グレイの名をとりグレイタウンと改称.ミスキート王の領地とし自治権を認めさせる.

1 カリフォルニア州サッター・クリークに金鉱発見される.東部への運送ルートとして,ニカラグア地峡の重要性が増す.

4 ニカラグア政府は英国に対抗するため米国と手を結ぶ.ニカラグアを他国の干渉から保護することを条件として,両洋間の排他的交通権を米国に与える.

5.2 グアテマラ駐在の米領事ヘンリー・サベイジ,「ニカラグアはイギリスの膨張政策に対し保護を求めている」と報告.

6.22 米=ニカラグア間の条約に基づき,初代の米国政府代表エフライン・ジョージ・スクウィア(エリジャ・ハイス?)が現地に赴任.イギリスの動きを牽制.保守,自由両党ともに米国の進出を歓迎.以後,大西洋ー太平洋間の,横断路利権をめぐり紛争発生.

48年 130名からなる義勇軍,サンフアンを襲うが,英兵300人の前に撃退される.ベルナベ・ソモサは政府転覆を図るが失敗に終わる.

49 中米再統合をめざすチナンデガ会議,最終的に流産.

1849年

4.01 ノルベルト・ラミレスが監督に就任.

8.26 米国の百万長者,コルネリウス・バンデルビルトの経営する「アメリカン・アトランティック・パシフィック・キャナル・カンパニー」設立.米政府の後援を受けバンダービルトとニカラグア政府のあいだに運河建設協定調印.アクセサリ・トランジット社が12年以内に運河を完成させること,それまでのあいだニカラグア湖を利用した通航路を運営することで合意.

9 ニカラグア議会,米政府およびバンダービルトとの協定を批准.サンフアン・デル・ノルテ…ニカラグア湖…マナグア湖…レオン…レアレホ(現コリントの北方6キロ)を経由するルートがニカラグア政府より認可される.

10 米国とホンジュラス間で運河ルート西端の太平洋岸出口にあたるフォンセカ湾のティグレ島の租借を交渉.海軍基地として確保する条約締結.イギリス軍のバンダービルト社運行妨害事件が発生.イギリスの駐グアテマラ総領事チャトフィールドは英海軍に指示して,米国の機先を制し,債務不払いを理由にティグレ島を占拠.米英間の緊張高まる.

12 英国,ヘンリー・バルワーを米国に派遣.クレイトン国務長官とニカラグア紛争について協議.

1850年

4.19 米英間に,クレイトン=バルワー条約.ニカラグア地峡を両国の共同管理下におくこと,両国のいずれも地峡運河については独占的な支配権をもたないこと,中米のいかなる部分をもこれ以上占領しないことで合意.この過程にニカラグア政府は一切タッチせず.度重なる返還要求もまったく無視される.

50 パナマ横断鉄道,建設開始.

50 ドイツ系プロテスタントのモラビア教会,ミスキート海岸を中心に布教開始.

1851年:グラナダ=レオン内戦の開始

4.01 ノルベルト・ラミレス,監督を辞任.以後半年間に5人の監督が交代.

6 バンデルビルトの運河会社,正式運行を開始.ニカラグア湖畔のラ・ビルゲンからサンフアン・デル・スルへショートカットするルートを開拓.パナマ経由の「アメリカ郵船」との競争に打ち勝ち,5年間で十万人の乗客を運ぶ.グレイタウンの対岸に建設された大西洋岸の基地プンタアレナスは,グレイタウンをおしのけて発展,イギリス側の反感をよぶ.

8 レオン派の将校,運河会社と結びついて勢力を伸ばしてきたグラナダ派の議員を逮捕.バンデルビルト,グラナダの保護と引き換えに,排他的特権をもつ「アクセサリー・トランジット運河会社」の設立を認めさせる.

9 運河条約改訂に対する国民の不満の高まり,内戦へと発展.ホセ・トリニダー・ムニョス将軍はチャモロら保守派との連盟を絶ち、戦闘を開始する。

当初,ムニョスの率いる自由党軍が優勢.まもなくホンジュラス政府軍の支援を得た保守党軍が盛り返す.劣勢のレオン派は,レアレホ在住のジョン・マクラレンら25人の米国人を雇い兵とするが,3ヵ月後に敗北.ムニョスはエルサルに亡命。

11.11 自由党の敗退に基づき,保守党のラウレアノ・ピネーダが監督に就任.首都をマナグアに移転.

1852年

4 米英間にウェブスター=クランプトン協定.国土の3分の1におよぶ地域を「モスキティア王国」の領土とし,実効支配を認める.サンフアン・デルノルテ(グレータウン)はイギリスの保護下に自由港とし,ニカラグアが賠償金を払い買戻すことで合意.ニカラグア政府はこの協定受入れを拒否.

52 スクワイア領事,「ニカラグア:無限のとき」を出版.両洋間の運河建設を説く.

1853年

2 イギリス,ホンジュラスのロアタン島を占領.英外相ラッセル,モスキティア王国の大西洋岸一帯に対する主権を承認.サンフアン・デル・ノルテの「王国」行政府,対岸のプンタ・アレナスに施設を置く運河会社に対し,港湾利用に関する税務の履行を要求する.運河会社はこれを拒否.

3 ダニエル・ウェブスター米国務長官はイギリスの対応をクレイトン・バルワー条約ばかりでなくモンロー・ドクトリンに違反すると非難.立ち退きを要求した「王国」行政府に対し,米国は戦艦シャイアンを派遣,海兵隊をプンタアレナスに上陸させ威嚇.

4.01 保守党のドン・フルート・チャモロ,最高執政官に就任.立憲議会を召集し38年憲法の改正,大統領制の実現を打ちだす.自由党は権限の集中に強力に反対.チャモロは,蜂起した自由党指導者のフランシスコ・カステジョン,マキシモ・ヘレス,ゲレーロらを国外追放し,憲法改正を押し通す.

11 サンフランシスコの弁護士ウィリアム・ウォーカー,鉱夫くずれのならずものなど45名をかき集め,「第1独立軍団」を結成,自ら大佐を名乗る.バハ・カリフォルニアのラパスに侵入,「下カリフォルニア共和国」を宣言,自ら大統領を名乗る.

12 米国,ウォーカーの挑発を利用し,メキシコにソノラ州北部の有償割譲を認めさせる.

53年 バンデルビルト,通行料支払をサボタージュ.チャモロ大統領は米国政府に直訴するも無視される.イギリスはプンタアレナスの使用料を要求するが,米国は条約違反として拒否.

1854年

1 ウォーカー,さらにソノラ州まで支配を広げ,「ソノラ共和国」を宣言.米国は,利用済みのウォーカーのこれ以上の挑発を許さず,国内での兵たん活動を禁止する.

4.30 フルート・チャモロ,大統領選挙により初の共和国大統領に就任.38年の自由主義憲法を廃し、保守派の憲法を制定。

5 ラパスのウォーカー軍,内部の腐敗により崩壊.蜂起した住民に追われ米国に逃げ帰る.

5.05 フルート・チャモロの強権的な姿勢に反発が強まり,ふたたび保守党(当時立憲党を自称)と自由党(当時民主党を自称)との間に内戦開始.ホンジュラスの自由党政権の支援を受けた自由党軍,ニカラグアにはいる.チャモロはとらえた反乱者はすべて処刑すると宣言.自由党指導者のマキシモ・ヒメネス将軍は現政府を支持するものはすべて祖国に対する裏切り者とみなすと言明.

7 米軍艦「シャイアン」,ふたたびグレータウンに上陸.英軍基地を破壊.クリミア戦争にてこずるイギリスは,有効な反撃が出来ないまま屈服.

10 当初自由党側の有利に進んだが,グアテマラの保守党政権がホンジュラスに攻め込むにおよび,ホンジュラスが自由党軍支援を打ち切ったため形勢は逆転.レオン自由党の首領カスティジョン,レオン在住の米国人エージェント,バイロン・コールに3百人の傭兵募集を依頼.

12 ピスピスで金鉱発見.米国人の大量不法侵入.元テキサス・レンジャーの大佐ヘンリー・キニー,「中米土地鉱山会社」を設立.武力によりニカラグア東部一帯ののっとりを図る.愛国的外交官マルコレータの尽力により,策謀は挫折.

 

ウォーカー戦争

1855年:ウォーカー上陸

3月

3.12 チャモロ,病気により急死.ホセ・マリア・エストラーダが暫定大統領となる.これを機にレオンの自由党軍が権力獲得を目指し反乱.ホンジュラスの自由党政権がこれを支援.保守党はグアテマラのカブレラに支援をもとめる.

4月 キニーの策動に不安を感じたバンデルビルト,連邦裁を動かし「軍事侵略を企てた」としてキニーらを逮捕.ただちに保釈される.

5月

4 グアテマラ軍がホンジュラス攻撃を開始したため,ホンジュラス政府の自由党支援は中断.自由党軍は劣勢に追い込まれる.あくまでも保守党政府の転覆を狙うレオンのカスティジョンは,バイロン(ブライアン)・コールの仲介でバハ・カリフォルニアの尖兵,ウオーカーの部隊「不死身の56人」を雇う.フルート・チャモロ大統領の死後,臨時大統領に就任したエストラーダ,米政府に対し内政不干渉を要請.

6月

6 キニー大佐,軍団をサンフアン・デル・ノルテに上陸.「王国」行政府の掌握に成功.「知事」を名乗り現地で策動を続けるが,56年破産,帰国する.

16 46人からなるウォーカー隊,レアレホに上陸.カスティジョン,「米国の同志たち」と名づけ,ウォーカーに市民権をあたえ大佐に任命.アクセサリー・トランジット社の重役モルガン(社長)と,ガリソン(西部地区支配人,サンフランシスコ市長)はバンデルビルトからの利権横領を狙い資金援助.

28 ウォーカー,リバス攻略をめざすが,待伏せ攻撃に会い大敗北.死傷者22名を出し,レオンに逃げ帰る.ウォーカーの放逐を主張した自由党軍のムニョス司令官,戦場において変死をとげる.これに代わりマシモ・ヘレスが自由党軍政令官となる.

9月 ウォーカー軍,プロシア人雇い兵を補充しふたたびリバスに進出.保守党軍とのたたかいに勝利.カスティジョン,ウォーカーを将軍に任命.

10月 ウオーカー,保守党の本拠グラナダを制圧.

10.30 自由党のパトリシオ・リバスが大統領に就任.

12月 エルサルバドル亡命中のカバーニャス前ホンデュラス大統領(自由党),ウォーカーに支援を要請しようとグラナダをおとずれるが失望.エルサルバドルにもどったカバーニャスは,逆に党派を越え反ウォーカーの立場で中米諸国が統一するよう提唱.

55年 米国資本の手でパナマ横断鉄道完成.このあとニカラグア航路は衰退をたどる.

 

1856年:ウォーカーの権力掌握

1 バンデルビルト,会社の乗っ取りをはかったモルガンとガリソンを解任.モルガンとガリソン,ウォーカーに接近.バンデルビルトとの契約破棄をせまる.

2 ウォーカー,全土を制圧.カスティジョンを罷免しパトリシオ・リバスを大統領に指名.みずからはニカラグア軍最高司令官に就任.腹心のパーカー・フィンチを大蔵大臣とし,身内の千二百名に250エーカーの土地を分配.ウォーカーに反対するマヨルガ外相,コラール最高司令官を処刑,米国政府は自由党政府をただちに承認.エストラーダ前大統領はマサヤで全国民に抵抗をよびかける.いったん亡命した後ホンデュラス政府の支援を受けニカラグアに進出,オコタルに臨時政府を樹立.マサヤ守備隊長のトマス・マルティネスが最高司令官に就任.

2 ウォーカー,モルガンらに運河使用権売却.トランジット社のニカラグア営業所を差し押さえる一方,リバスを特使にしたてワシントンに送り込み,会社の没収をもくろむ.米政府は事態を憂慮し,米国市民のウォーカー軍参加を禁止.バンデルビルトは反対勢力とつながり資金援助開始.

3月

1 コスタリカのラファエル・モーラ大統領,ウォーカーに対し宣戦布告.シュレジンジャー大佐の率いるウォーカー軍350名,コスタリカに侵入.ニカラグアを除く中米4カ国は,党派を越えウオーカーを撃ち破るための連合軍を結成,「国民戦争」を宣言する.米国の進出を憂慮するイギリスはこれに軍事援助を行う.

20 ウォーカー軍,サンタ・ロサの戦闘でコスタリカ軍に敗れる.コスタリカ軍の前衛は,ニカラグア保守党のアルゲージョが指揮.自由党員も参加.

4月 コスタリカ軍,ウォーカー軍を追撃し,トランジット社の中継地ラ・ビルゲンを占領.米国人多数を殺害.米国は補償を要求するが,コスタリカは拒否.

11 リバスを占領したコスタリカ軍に対し,ウォーカーの反撃.市内に入ったウォーカー軍は,待伏せたコスタリカ軍により包囲され,大敗を喫す.コスタリカも英雄フアン・サンタマリーアを始め多くの犠牲を出す.直後にリバスにコレラ発生.戦闘能力を失ったコスタリカ軍は,いったん国内へ撤退.帰還兵から広がったコレラ,コスタリカ人口の1割を奪う.このため1年にわたり,あらたな戦いが不可能となる.

4月 グアテマラ,オコタル臨時政府のもとめに応じ派兵.リバス大統領,ウォーカーの排斥を決意.グアテマラとエルサルバドルに支援を要請.バンダービルトはウォーカー排斥の動きを支持.米政府も国内の南北紛争を激化する恐れから,ニカラグア統合には消極的立場をとる.

6.29 ウォーカー,「選挙」により大統領に選出.南進を狙う米南部諸州は,ウォーカーを強力に支援.パトリシオ・リバスはチナンデガに逃れ,ウォーカーを非難.エストラーダとともに,中米各国に支援を要請.

7 エルサルバドル,リバスを大統領として承認.グアテマラ,ホンデュラスも,エストラーダに統一を求める.統一に反対したエストラーダ,自由党員を名乗るウォーカーの刺客により暗殺.

9月

5 ウォーカー,英語の公用語化を宣言.土地登記法を制定し,多くの土地を私物化.

12 保守,自由両党,ウォーカーに対して共同で闘う協定に調印.オコタルの臨時政府は政府を解消し,ウォーカー戦争終了までリバスを暫定大統領として認める決定.連合政権発足.

14 ドロレス・エストラーダ大佐に率いられたオコタル軍,マタガルパを出発し,ティピタパ近郊のサン・ハシントの丘に進出.バイロン・コール中佐の指揮するウォーカー軍と遭遇.石で敵を殺し有名となったアンドレス・カストロ軍曹などの活躍で,撃破する.バイロン・コールは農民にとらえられ絞首刑となる.

22 ウォーカー,奴隷制廃止をうたった中米連合法の無効を宣言.奴隷制の復活に道を開く.@キューバを征服するよりは中米五カ国を軍事統合することが先決である,Aキューバは米国にではなくこの中米連合に併合されることになる,B行く行くは南部諸州と関連を保ちながら,米国人を指導者とする奴隷制帝国を作る,という構想を提示.南部諸州の賞賛を浴びる.

24 マキシモ・ヘレス指揮下のレオン軍(自由党),ベローソ司令官の指揮するエルサルバドル軍を主体に編成される.マナグア攻撃に入る.エストラーダの指揮する北部軍(立憲派)も合流し,マナグアを無血解放.

10月

1 ウォーカー,マサヤの守備隊をいったん撤退.連合軍,マサヤを占領.

11 ウォーカー軍8百名,マサヤに反攻.2日間の激戦の上奪取.エストラーダ軍はマサヤを迂回してグラナダを攻撃.ウォーカー,グラナダ防衛のためマサヤを放棄.以後,両軍間のにらみあいが続く.この間,ウォーカー軍の25%が,コレラのため戦闘不能となる.

11月 コレラから立直ったコスタリカ軍,ふたたび進撃を開始.サンフアン川流域に展開し,米国からの物資輸送を妨害.

11月 ウォーカー軍,再度マサヤ奪回を試みるが,多大の損害を出し敗退.

19 ウォーカー,逃亡ルート確保のため,主力をリバスに移動.

22 ウォーカー軍守備隊の焼打ちにより,グラナダの町は廃虚となる.

24 連合軍,グラナダ攻撃を開始.守備隊とのあいだで3週間にわたる戦闘.戦後処置をめぐり,ベローソ司令官(エルサルバドルの自由党)にたいし,グアテマラ,ホンデュラスの保守党軍が反発.連合軍内部に混乱.これに代わりモーラが連合軍最高司令官となる.

12.24 バンデルビルト,コスタリカに対し支援開始.トマス・デラ・グアルディア指揮下のコスタリカ軍,サンフアン川流域のヒップス・ポイントを確保.その後,カスティジョ・ビエホ,サン・カルロスをつぎつぎに占領し,ウォーカー支援部隊の合流阻止に成功.補給路を断たれたウォーカー軍は窮地に陥る.

 

1857年

1.28 連合軍,リバス東方の町サンホルヘを占領.翌日,ウォーカー軍は反撃にでるが敗退.

2.5 リバス南方に退路を切開こうとしたウォーカーの部隊,コスタリカ軍により壊滅.リバス市内への篭城を余儀なくされる.

3.27 リバスへの総攻撃開始.最後の決戦となる.戦闘そのものはウォーカー軍の勝利に終わるが,隊内の士気は落ち,敗北は時間の問題となる.コスタリカ軍はバンダービルトの示唆を受け,傭兵部隊の退却路を確保,退却のチャンスを与える.

5.1 米国の権益保護のため太平洋岸に停泊中の米戦艦セント・メリー,サンフアン・デル・スルに入港.艦長チャールズ・H.デービス少佐が停戦を提案.米人保護を口実にウォーカーらの引渡しを求める.ニカラグアとホンデュラスは反対するが,米国の直接介入を恐れるコスタリカなどにより引渡しが決定.ウォーカーら463名は,海兵隊に保護されながらリバスを離れ海岸まで行進.米艦に「保護」される.

5 ウォーカー,ニューオリンズに戻る.市民は「英雄」としてウォーカーを歓迎.

5 パトリシオ・リバスが三度目の大統領に就任.残務整理と政権交代準備のための名目的なもの.保守・自由両党で政権の形態をめぐる交渉開始.

6.24 保守,自由両党に妥協成立.トマス・マルティネス(保守)と,マキシモ・ヘレス・ヒメネス(自由)の両司令官が,ともに臨時大統領となる.

6.12 ブキャナン大統領,ウォーカーと会見.ウォーカーは「大統領がふたたびニカラグアへ戻り戦うよう激励した」と発言.

7 ミュージカル「ニカラグア,ウォーカー将軍の勝利」,ブロードウエイで公演開始.各地でウォーカーに対する熱狂的支持.

11.15 制憲議会で大統領選挙.保守党のマルティネスを大統領に指名.以後マルティネスが,67年までの10年間大統領を務める.

11 中米諸国の合衆国エージェント,イリサリ,カス国務長官とのあいだに「友好通商条約」締結.運河地帯の権益や米国人資産の保護など,屈辱的な内容.

11 ウォーカーと150人の兵,米艦サラトガの支援を受けプンタ・アレナスに上陸,2回目の侵攻を試みる.ニカラグア政府は,リバス在住の外国人全てに,軍司令官への出頭を指示,サンカルロス停泊中の米国籍船を凍結.アスピンウォル(現コロン)駐留中のポールディング准将,海兵隊3百人を派遣しプンタアレナスに上陸.ウォーカー一味を逮捕,本国に送還.

1858年

1 ブキャナン大統領,議会で演説.「ポールディングの行為は,他国領への海兵隊の上陸の指示であり,中立法に違反する」と非難.主権侵害の罪で現役を解除.一方ニカラグア議会はポールディングの勇気に感謝し,宝剣を贈る.

1 マルティネスが大統領に就任.30年にわたる保守党支配の時代が始まる.マルティネスは67年まで二期10年にわたり大統領を務める.マナグアを正式に首都とする.マナグア近郊にコーヒー農園を広げ,首都の財政基盤とする.さらにグラナダ市再建,グラナダ・レオン間の道路整備,コリント港の建設などをおこなう.

5 マルティネスとモーラ両大統領,「リバス宣言」を発表.侵略者の背後にいる米国政府を激しく非難,ヨーロッパ列強に保護を求める.ナポレオン三世の依託を受けたフェリクス・ベリーとのあいだに運河建設と99年間にわたる経営権を与える契約.ベリーの死により計画は中断.米国は「モンロー宣言に反する行為がおこなわれれば,武力ででも阻止する」と恐喝.

11 英仏はニカラグアの要請に応え,カリブ海に軍艦を派遣.侵入者の取り締まりにあたる.米国の抗議は受入れられず.

58年 キニー大佐,ニカラグアに再入国.「サンフアン知事」となるが,イギリスにより逮捕.米国の介入により釈放.

59 コスタリカのモーラ大統領,政変により国を追われ米国亡命.ブキャナン米大統領は,米国のバックの下でモーラが中米統合を行うよう提案するが,モーラは拒否し帰国.

1860年

8 ウオーカー,ホンジュラス領トルヒージョに上陸,3回目の侵攻を試みる.イギリス軍艦「イカルス」号のサルモン艦長はウォーカーをとらえホンデュラス軍に引き渡す.

9.12 ホンデュラス軍,ウォーカーを銃殺刑に処す.

11 リンカーン,大統領に当選.米国内の矛盾激化のため,中米進出はいったん中断.

 

保守派政治の時代

60 イギリスとのあいだにマナグア条約.イギリスは,米国の圧力の下に,ミスキティア王国に対する宗主権を放棄,ニカラグア領内の自治領であることを認める(ミスキート保留地).実際は,条文の拡大解釈によりニカラグアの実効統治を妨害.

63 サンハシントの英雄ドロレス・エストラーダ将軍,保守党反マルティネス派を糾合して蜂起するが失敗,コスタリカに亡命.

67.3.01 フェルナンド・グスマン,マルティネスに代わり,大統領に就任.以後20年以上にわたり,4年交替で保守党政権が継続.

68.4 パナマ鉄道開通により旅客輸送路としての,ニカラグア・ルートは急速に衰退.経営不振に陥ったニカラグア航路が閉鎖される.

69 最初の大陸横断鉄道完成.グラント大統領,改めて運河建設への意欲を表明.

69 スエズ運河開通

1870年

70 米国,パナマ運河建設をめざすが,コロンビアとの交渉不調に終る.

71.3.01 大地主層の代表ホセ・ビセンテ・クアドラが大統領に就任。「保守党の35年」が始まる。内戦で破壊された経済の建て直しに当たる。

72 グラント大統領の下に地峡運河委員会設置.以後,テウアンテペクとニカラグア・ルートが対象にのぼる.

75.3.01 ペドロ・ホアキン・チャモロが大統領に就任.

76.2.7 米国政府の大陸間運河調査会,ニカラグア・ルートが最適と諮問.これにもとづきニカラグア政府との交渉開始.運河の排他的使用と,米軍による保護を求めたため,交渉は決裂.

77 ペドロ・ホアキン・チャモロ大統領,農地法を制定.原住民共有地(エヒード)や教会領の収奪などを実施する一方,浮浪者法を制定し,失業者を強制的に農業労働に従事させるなど一連の経済「改革」.これにによりコーヒー輸出が振興するが,イギリスからの借款も増加する.

79.3.01 ホアキン・サバラが大統領に就任.

1880年

80.1 レセップス,パナマ運河開削工事を開始.

81.3.30 マタガルパでエヒード没収に抗議する原住民蜂起.7千名が参加し9ヶ月にわたりつづく.政府は参加者の虐殺でこれに応える.

81 オーストリア皇帝,ニカラグアとミスキティア王国の紛争に対し,ミスキティアに有利な仲裁裁定.

82 ミスキート族,イギリスに対し反乱.

83.3.01 アダン・カルデナスが大統領に就任.

84.12.1 ニカラグア,米国の強い圧力により,結局運河条約を受諾.(フレリンギセン=サバラ条約)米国の単独工事,周囲2.5マイルは,両国の共同統治とし,米国に排他的権利をあたえる.クレイトン=バルワー条約への抵触を恐れる米議会は,本条約を批准せず.

85.3 クリーブランド大統領,米政府による運河権益独占を断念,民間会社の進出に委ねる.マリタイム海運・運河会社が権利を獲得.

87.3.01 エバリスト・カラソが大統領に就任.

88 ブルーフィールズ在住の米国人アレン,ラマに停泊中の帆船メリーダ号が,ニカラグア官憲により強奪されたと提訴.調査の結果,船はカジノと酒の密売を経営していた事が判明.

88 ニカラグア出身の詩人ルベン・ダリオ,チリにわたりバルマセダ大統領の知遇を得る.詩集「青」を発表.モデルニスモのこう矢となる.その後アルゼンチンに移る.本名はフェリクス・ルベン・ガルシア・サルミエント.

1889年

2 米国,「米国市民保護の要請に基づいて」ブルーフィールズおよびサンフアン・デル・ノルテに砲艦を派遣し,ニカラグアを威嚇.

8.01 カラソ大統領,執務中急死.臨時大統領にレオン出身の保守党議員,ロベルト・サカサ副大統領が就任.

10 運河会社,ニカラグア運河建設工事を開始.サンフアン・デル・ノルテからサンフアン川に沿ってジャングルを伐採し,鉄道を敷き,幅85メートル深さ5メートルで掘削開始.

1890年

90 北部セラヤ州ピスピスに金鉱発見.米国の会社により経営.1940年代には,輸出総額の4割を占めるにいたる.

90 ニカラグアの人口,42万に達する.コーヒー,ニカラグア輸出品目の首位となる.マナグアとコリントのあいだに鉄道が敷かれ,道路網も整備される.これにともない伝統的な牧畜業者と新興のコーヒー農園主のあいだに対立が生じる.この中で,コーヒー農園主に支えられて自由党が復活する.

 

 

 

 

セラヤ自由党政府の時代

1800

1891年

1.01 サカサ,臨時大統領としての任期を終え,改めて大統領選に立起.

3.01 新たに大統領に当選.サカサは保守党ではあったがレオン出身であったため,グラナダの保守党幹部とのあいだに確執を生じる.

91 ペジャス,ニカラグア砂糖会社を設立.その後,ニカラグア第一の財閥に成長.保守党の大立者となる.

1893年

3 サカサ,さらに大統領にとどまろうとして工作.保守党内の矛盾激化.

4 保守党グラナダ派,武装蜂起.米国大使ベイカーの仲裁によりサカサを放逐,政権をにぎる.マナグアのコーヒー農園主で自由党のホセ・サントス・セラヤ将軍,反サカサの保守党員を糾合し勢力を伸張.政府要職に就く.

6月 保守党政権,さらに内紛を繰り返す.セラヤ,閣僚を辞任した後みずから反政府闘争を開始.

7.11 政府転覆に成功した後制憲議会を召集(7月革命).議会は教会権力の制限,外国人の外交特権の制限,死刑の廃止などを決議.セラヤを大統領に選出.セラヤは外国投資の奨励,コーヒー生産の振興,バナナ輸出の振興などを推進.インフラの近代化にも力を注ぐ.米国企業の進出が進み,20世紀初頭にはコーヒー,バナナ,金,木材生産のほとんどが米資本に握られることとなる.

93 米国を襲った経済恐慌に連鎖して運河会社も倒産.この時点で掘削距離は8百メートルに留まる.

 

1894年

1 ホンデュラスのバスケス大統領,ニカラグアが国内反政府派の自由党を支援したとし,大西洋岸のグラシアス・ディオスに侵入.カベサス将軍指揮下のニカラグア軍,反攻のため,ブルーフィールズ(ミスキート保留地の首都)に進出.軍事行動を妨害したクラレンス政権を解散させ,戒厳令を公布.シート領事代理,ホンデュラスによる侵略の危険を訴え,本国に対し戦艦の派遣を要請.

3 ラマ警察官のアルゲージョ,逮捕に抵抗した米国人酔漢を射殺.アルゲージョは逮捕後,仲間の手引により逃亡.米政府は,在留民保護のため砲艦サンフランシスコを派遣.

6 米国に先んじて上陸した英海兵隊,ニカラグア主権に対する侵害とする米政府の抗議に会い撤退.シート領事代理を先頭とする現地の米国人は,ニカラグア軍を撤退させクラレンス政権を再建せよと主張,米国は無方針状態におちいる.

7 ブルーフィールズでクラレンス派の蜂起.待機中の米艦マーブルヘッドのオニール中佐,ただちに上陸.停戦とニカラグア軍撤退を指示.さらにエスコンディド川をさかのぼり,ニカラグア人を駆逐.在留民はクラレンスをかいらいに押し立て,プリンサポルカではオニールみずから知事を名乗り,米国国旗を掲げる.

8 ニカラグア,増援部隊5百名をブルーフィールズに派遣.クラレンス派と米国在留民に反感をもつ海兵隊は,結局ニカラグア軍の上陸を黙認.クラレンス政権は崩壊を遂げる.米国務省はイギリスへの警戒感から,現地米国人の意向を押しきり,セラヤ州のニカラグアへの帰属を黙認.イギリスは報復としてコリント港を海上封鎖.米国の仲介で補償金の支払で決着.

11 ブルーフィールズでミスキート居留地の原住民グループ会議開催.租税と兵役免除を条件に,ニカラグアへの帰属を決定.イギリスとのあいだに領土協定調印.ニカラグアはカリブ海岸の主権回復に成功.ミスキート居留地をセラヤ県と改称.事実上は,米国人特権に対するニカラグア政府の大幅な妥協.以後,ブルーフィールズが反政府策動の温床となる.

95 セラヤ,アマパラ計画発表,中米共和国の成立をめざす.中米諸国,大中米共和国建設について検討開始.ニカラグアとホンデュラスは中米合衆国の創設に同意.

95 サンディーノ誕生.ニキノホモ(Niquinohomo)に生まれる.

96 英艦隊,コリント港を封鎖.米国の調停で和解.

97 メキシコのレフォルマに触発された憲法(ラ・リベリーマ)制定.教会の特権など植民地時代の遺制を廃し,死刑や拷問の廃止を含むブルジョア的市民権を確立.公教育実施,労働憲章制定など一定の進歩的政策と,国軍創設など権力強化を急速におしすすめる.

1898年

98 大共和国の憲法,起草を終える.その後エルサルバドルの撤退により大共和国構想は流産.

98 ニカラグアの運河工事再開を勧める議員立法,超党派の支持で米上院を通過.

98 海兵隊,サンフアン・デル・スールとブルーフィールズに上陸.

1899年

2 セラヤ県知事のフアン・レイエス将軍,チョンタレスの保守党軍と呼応し反セラヤ蜂起.背後にミスキート地域の権益を守ろうとするウィリアム・ハンケら現地米国人の支援.ニカラグア軍の反撃により1月後に鎮圧.レイエス軍に加わった32名の米国人「義勇騎兵団」,待機中の米艦に「降伏」.

99 フランス運河会社の代理人クロムウエル弁護士,活発なロビー活動によりニカラグア運河法案を棚上げすることに成功.議会はふたたび各ルートの比較調査をおこなう委員会を設置.

99 マイナー・キースのトロピカル貿易輸送会社,ボストオン・フルーツ社と合併しユナイテッド・フルーツ社を設立.

99 ボストンでユナイテッド・フルーツ社設立.コスタリカで鉄道工事を請負っていたマイナー・キースが経営.中米5ヵ国の他キューバ,ジャマイカ,コロンビアに土地を所有.カブレラと結託し,グアテマラのバナナ独占に成功.

 

1900

1900年

12 駐米大使コレアとヘイ国務長官のあいだに運河建設について合意.米国の特権条項をすべて承認.

00 共和党のウィリアム・ヘップバーン下院議員が提出したニカラグア運河法案(ヘップバーン法),米下院通過.ニカラグア運河地帯の確保のための行動の権限を大統領にあたえる.

1901年

11.18 ヘイ=パウンスフォート条約.英国はクレイトン=バルワー条約の破棄に同意,ニカラグア運河に対する権利を放棄.

12 米国,コレア=ヘイ条約の批准をためらうニカラグアに対し,ブルーフィールズに軍艦を停泊させ威嚇.サンチェス外相,支払い条件を一部修正した「サンチェス=メリー」運河条約に調印.

1902年

6.19 ニカラグアとの交渉の前にコロンビアとパナマ案について交渉せよというスプーナー上院議員の修正案が議会で可決.米国は火山の危険を理由にニカラグアルートからパナマルートにかたむく.パナマ運河会社,建設権を米国に売却.セラヤはその後,援助を求め欧州歴訪.イギリス・フランスと援助協定を結び,ドイツと横断鉄道の建設で合意.日本と運河建設の交渉にはいるなど,米国支配からの離脱をはかる.

02 マルチニク島のペレー火山爆発.3万人が死亡.パナマ運河会社の技師長ブナオ・バリーヤは噴火の危険性を米議会に大宣伝.

02 セラヤの提唱で,コリントにおいて中米平和会議開催.紛争調停委員会の設置などを決めたコリント和平・仲裁条約を締結.

02 反セラヤ派の将校,マナグアの兵営を爆破.首謀者2人が処刑.

1903年

03 エミリアノ・チャモロ・バルガス率いる保守党の反乱.中米各国の保守党支援の動きに対し,セラヤは米国に調停を求める.

03 コロンビア,米国による運河建設を拒否.米国はパナマを「独立」させ,運河条約を結ぶ.

03 ホンデュラス大統領選.保守党のマヌエル・ボニーヤが当選するが,これを嫌う米国は海兵隊を送り就任を妨げる.

04.12 ルーズベルト大統領,議会に教書発表.自らの安全のため,米国はLA諸国の政治に対し国際警察官として干渉する権限があるとする.ルーズベルト・コロラリー(棍棒外交)とよばれる.

06 ボニーヤ,大統領就任をねらう.海兵隊,大統領選にふたたび干渉.ボニーヤ,憲法を改正し再選なしの6年間の執政となる.

06 セラヤ再選.ホンデュラスとのあいだに国境紛争.スペイン国王はセゴビア川=グラシアス・ア・ディオス岬を結ぶ線を国境とする仲裁案を提示.セラヤがこれを拒否したため交渉は不調に終わる.

06 英国,モスキート海岸におけるすべての権益を最終的に放棄.

1907年:セラヤの中米侵攻

1 ホンデュラス,反政府派追討の口実でニカラグア領内に侵入.追討軍の主体は,エミリアノ・チャモロを最高司令官とするニカラグア保守党員.ニカラグアの要請で紛争調停委員会開催されるが,不調に終わる.

1 ニカラグア政府,G・D・エメリ会社に対しマホガニーの乱伐を禁止.密輸販売を厳しく規制.エメリ社は国務省に提訴.

2 ホンデュラス軍,セラヤ政権打倒をとなえ,本格侵入開始.エルサルバドルもホンデュラス支援に回る.

3 セラヤ,ホンデュラスの反政府派と組んで反撃開始.ナマシゲの戦いで,ホンデュラス・エルサルバドル・ニカラグア保守党連合軍を決定的に打破る.

4 ホンデュラスの2大都市テグシカルパとチョルテカ,ニカラグア軍により陥落.最後の拠点チグレ島のアマパラに追い詰められる.フォンセカ湾に停泊中の米艦シカゴ,海兵隊を上陸させ,ボニーヤ大統領とエルサルバドル軍の撤退を保障.合衆国の権益保護のためホンジュラスの六都市に米軍を派遣.

6 セラヤ,軍をエルサルバドルに派遣.アカフトラ,ラ・リベルタードに上陸したニカラグア軍は,ただちにエルサルバドル軍により打破られる.

7 グアテマラ,エルサルバドルとともにホンデュラス反攻の構え.セラヤ,米国とメキシコに調停を求める.

11 エリヒュー・ルート米国務長官の仲介により,ワシントンにおいて中米5カ国会議,ホンデュラスを永世中立とする中米平和友好一般条約を締結.同時に隣国に基地をおく革命勢力の禁止,中米司法裁判所の設置を決める.ニカラグアは領内に米国の海軍基地建設を認めるアマパラ協定を強制される.

1908年

5 総合平和友好条約にもとづき,コスタリカ第2の都市カルタゴに中米司法裁判所を設置.

11 共和党のタフト,大統領に当選.これを祝う保守党は,グラナダで米国国旗をかかげデモ.警察がデモに介入,国旗を掲げた参加者を逮捕.これをセラヤの反米思想の表われとみた米国は,態度を硬化.

 

1909年

米国のセラヤ政府転覆

09年 英国の金融シンジケートとのあいだにエテルブルガ協定締結.大西洋岸の鉄道建設などに多額の融資.米政府は警戒を強める.

4 フィランダー・ノックス国務長官就任.ノックスは就任前に米国・ニカラグア会社の大株主,フレッチャー家の顧問弁護士をつとめる.この会社は,反セラヤ派の拠点ラ・ルス&ロサンジェルス鉱山会社(ロサリオ・アンド・ライト?)の親会社である.ノックスはセラヤに書簡を送り,海軍基地建設を実行しなければセラヤ政権を正当な政府とは認めないと脅迫.またノックスはセラヤが中米紛争の原因であると非難,マスコミもこれに同調するキャンペーン開始.

10.11 ブルーフィールズ駐在のセラヤ県令フアン・ホセ・エストラーダ,反乱を起こし現地に臨時政府樹立.保守党のエミリアーノ・チャモロもこれに同調.米国本国は当初中立の立場を取る.ニカラグア内戦開始.

反乱軍の実体: 計画は米国領事モファットの立案によるもの.財政面および行政面は,L・L鉱山会社の会計士でニカラグア砂糖園会社のエージェントでもあるアドルフォ・ディアスが担当.エメリ社や,ユナイテッド・フルーツ社などから1億ドルの援助.グアテマラの独裁者エストラーダ・カブレラは,反乱軍に9万ドルを貸与.軍事指導に多くの米国人があたる.

10月 グアテマラへ武器の補給に出た反乱軍部隊,ホンデュラスにより武装解除.米国は圧力によりただちに返還させる.

10.31 反乱軍に加担する米国人リー・ロイ・キャノンとレナード・グロース,サンフアン川で政府の兵員輸送船ディアマンテ号を機雷で爆破しようとし失敗,逮捕される.

11.16 セラヤ,キャノンとグロースを処刑.他に反乱兵500人を処刑したとの報告を受け,米政府はニカラグアと断交.

11.18 米政府,米国人保護のため海兵隊400名をブルーフィールズに上陸させ,コリントを海上封鎖する.セラヤは処刑執行者の逮捕と被処刑者に対する補償を約束する.

11月 メキシコのポルフィリオ・ディアス大統領,グアテマラのカブレーラ牽制のためセラヤ支持を表明.セラヤは,もしメキシコがグアテマラに進攻するなら1万の兵を提供すると提案.

12.01 ノックス国務長官,セラヤに対しノックス覚書を送付.セラヤ政権下のニカラグアには共和主義体制は存在しないこと,セラヤは国内法を破る不名誉極まる行政者で,中米全体を混乱させている元凶であり,大統領とは認めがたいと表明.セラヤ政権と断交.反乱軍に対する支持を表明.

12.13 ポルフィリオ・ディアス直系のクリール,ワシントンを訪問.セラヤの辞任と自由党内でセラヤと対抗関係にあるホセ・マドリ前外相,中米司法裁ニカラグア代表の大統領就任を含む10項目提案を提示.米国は全面拒否.

12.17 セラヤ,メキシコの意を受け辞任,3日後にメキシコ大使に付き添われ国外亡命.

12.21 ホセ・マドリ(Madriz)が議会で大統領に指名される.マドリはレオン出身の自由党員で,セラヤの下で外相を務めた.ホンデュラス,コスタリカは新政府をただちに承認.米国はこれを信任せず.エストラーダ,ラーマに進攻.

 

海兵隊支配の時代

1910年:最初の海兵隊侵攻

4.27 中米裁判所のマヌエル・モラレス議長、調停に乗り出すが、両者の拒否にあい失敗。

5 政府軍,メキシコの援助を受け反撃に成功.サンフアン・デルノルテ,エル・ブルフをつぎつぎに奪還,ブルーフィールズ港を封鎖.

5.20 米国は港湾封鎖を解き,ブルーフィールズを中立地帯とすると宣言.スメドレー・バトラー少佐指揮下の海兵隊250名がブルーフィールズに上陸.

6.23 中米裁判所のマヌエル・モラレス議長、ふたたび調停に乗り出す。マドリスは応じる構えを見せるが、エストラーダは停戦を拒否。

8.18 エストラーダ軍,マナグア近郊のティピタパで最終的勝利.マドリは,保守党と米国の圧力に耐えられず辞任,国外亡命.

8.20 エストラーダ軍,マナグア入城.米国の支持の下に制憲議会を召集.

8.30 エストラーダ,議会で大統領に選出される.

9.04 米海兵隊、ブルーフィールズから撤退。

10.19 米国,パナマ大使トーマス・ドウソンを特使として派遣.エストラーダ,ディアス,チャモロ,メナの4者間に制憲議会選挙に対して合意成立.エストラーダが大統領に,ディアスが副大統領に,ルイス・メナが軍事相に就任.

10.27 4者が「ドウソン合意」文書に署名。ノックスはドル債務のおしつけにより,銀行・税関を支配.ニカラグアを従属国の立場におとしいれる.この手法は「ドル外交」とよばれ,以後のLAにたいする基本政策となる.

11.27 制憲議会選挙。チャモロ派が多数を占める.

12.31 制憲議会,エストラーダの大統領就任を承認.副大統領は保守党からアドルフォ・ディアスを選出.

1910年 コーヒー産業への進出がおくれたニカラグアでも,輸出総額の61%をコーヒーが占める.

 

1911年

1.01 エストラーダをトップとする自由=保守の連立政権が成立.米国はただちに新政権を承認.制憲議会の下に憲法策定作業開始.

4.04 議会,保守党色の強い新憲法を可決.エストラーダはこれを拒否.チャモロら保守党員を追放し新議会を召集.

5.09 新議会では自由党内のメナ軍事相派が多数を占める.エストラーダはメナの逮捕を命ずるが,メナは軍を動かし首都包囲.米国もドウソン合意をたてにエストラーダ支援を拒否したため辞任.保守党のアドルフォ・ディアスが新大統領に就任.

5.31 自由党軍の反乱。マナグア近郊のフォート・ロマを攻撃。双方あわせ60人が死亡。

6.06 駐米大使カストリージョとノックスとのあいだに関税協定調印.米国は1千5百万ドルの融資と引き換えに,関税の管理権を獲得.ノックスは米軍による支援を条件に,管理をブラウン・ブラザース社とセリグマン社に依頼.両者は国立銀行と太平洋鉄道会社の支配権を掌握,通貨発行を管理することとなる.通貨単位,ペソからコルドバへ.

7 米上院,ニカラグア関税協定の批准を拒否.タフト大統領は行政協定の範囲内で,条約の内容を実施に移す.

10 メナ,議会に圧力をかけ,ディアスの後任大統領として自らを指名させる.メナの反米的姿勢に警戒した米国は承認を拒否する.

11.10 新憲法が公布される。

1912年

3 ノックス,ニカラグア訪問.厳しい事前規制にもかかわらず,反米デモの洗礼を受ける.

3 米国,第2次融資と引き換えに,鉄道,船舶会社の管理権を獲得.ディアスとメナは,議会での承認を得るため,自由党議員を策略により排除.

4 ニカラグア,6%の利息支払を開始.

6 ディアス,メナの勢力伸張を恐れチャモロの帰国を許可.チャモロ=ディアス連合が議会の多数派獲得に成功.メナとの対決となる.

7.29 ディアス,チャモロを国軍最高司令官に任命.軍内メナ派はマナグアで反乱開始.米国大使ワイゼルは,ディエゴ・マヌエル・チャモロ外相(エミリアノの叔父)に支援要請を提出させ,警察軍の組織を陣頭指揮.

8.04 ハワード・タフト大統領、米国のニカラグア介入を決定。ウィリアム・サザーランド少将の指揮する米艦アナポリス号がコリント港に入港。バトラー少佐の率いる米国海兵隊2千5百名が上陸.

8.06 コリント港停泊中のアナポリス号,ジョセフ・ペンドルトン大佐の率いる95名の部隊をマナグアに派遣.市内の反乱軍をただちに鎮圧,マナグアを中立地帯とすると宣言.

8.11 反乱軍、マナグアに砲撃を加える。4日間で132人が死亡。

8 メナの蜂起,いったん失敗に終るが,撤退したマサヤに国民会議を召集,臨時政府を樹立.グラナダを根拠として攻撃続行.鉄道,船舶会社の管理権を復活.これに呼応して,エステリ出身の弁護士でセラヤ政府時代の陸軍大臣ベンハミン・セレドン将軍決起する.一時,首都マナグアを包囲する.

8.14 戦艦8隻がニカラグアを包囲.「外国人通行者の安全を守ため」鉄道,船舶を接収.ディアス軍の北西部奪回を「支援」.反乱に加わった旧エストラーダ派の議員ホセ・マリア・モンカダ将軍はレオン守備の任務を放棄し逃亡,ルシラ・マタモロス大佐(エルサルバドル人女性)がレオン近郊で抵抗を続ける.中米諸国は,米国の干渉に激しく抗議.Lucila Matamorosについてはほとんど情報がありません。AMNLAEのレオン支部の建物には彼女の名が冠せられています。

9.19 自由党軍と米海兵隊がマサヤ近郊で衝突。自由党軍は惨敗、68人が死亡する。

9.25 メナ将軍は,サザーランド提督の最後通告を受入れ降伏.マサヤを守るセレドン指揮下の自由党軍は降伏を拒否.

10.04 セレドンの守るコヨテペ要塞,海兵隊自らの攻撃により奪取.4人の米国兵と60の反乱軍兵士が死亡。セレドンはマサヤで捕らえられ市中引回しの後虐殺.

10.06 自由党軍の最後の拠点レオンも陥落。この戦闘で海兵隊3人が死亡。

10.09 反乱が最終的に終わる。死者は2千名に達する。

11.02 ワイゼルの仲介により、ふたたびアドルフォ・ディアスが大統領に選出される。自由党は選挙への参加を拒否.

12 貨幣制を改革.1ドル=1コルドバの固定制となり,金融的にも米国の属国となる.

1913年

1.01 ディアスが大統領に就任.エミリアーノ・チャモロは,次期大統領の約束の下に駐米大使に赴任.

1.09 海兵隊がニカラグアから撤退。米国は引き続きエドワード・グリーン陸軍大尉の指揮する海兵隊百名を、マナグア公使館を守ることを名目に駐留させ,事実上の軍事占領下に置く.

1月 ワイゼルとチャモロとのあいだに運河協定締結.上院の反対で流産.このほか,米国の権益保護のためニカラグアへ干渉する権利を認めるカスティジョ・ノックス秘密協定.議会での批准は行われず.

14.8.5 チャモロ駐米大使とウィリアム・ブライアン国務長官との間にチャモロ・ブライアン条約締結.ワイゼル案を上院の意向に合わせ改定したもの.米国は,10日後のパナマ運河完成に向け,建設の意思のないまま3百万ドル(債務と引き換えのため事実上タダ)で運河の建設権を手にいれる(要するに他国に建設させない権利).他にコーン諸島の99年間にわたる租借権,フォンセカ湾の海軍基地建設と99年間の租借権を獲得.

1916年

2.06 ダリーオ(Dario,Ruben)没.49歳.

10月 エミリアーノ・チャモロ,ディアスの後任大統領に選出される.立起を表明した保守党のカルロス・カドラ前蔵相,自由党のイリアスはジェファーソン大使の脅迫により断念.自由党は選挙をボイコット.

16 米議会,チャモロ・ブライアン協定を批准.

17.1.01 エミリアーノ・チャモロ・バルガスが大統領に就任.米国とのあいだに協定成立.公使館防衛の名目で海兵隊百名を残留させ,チャモロ政権のうしろだてとする.チャモロ政権下,債務委員会が事実上の政府となり,鉄道と銀行の管理権回復.

1920年

10.04 エミリアーノの甥ディエゴ・マヌエル・チャモロ・ボラニョス,大統領に選出される.自由党も選挙に参加するが敗北.

12 海兵隊による暴行あいつぐ.警官7名が海兵隊により射殺される.

20 セラヤでバナナ栽培開始,多数の黒人がジャマイカより移住.その後病害により衰退.

20 エルサルバドルを中心に中米連邦再建の動き.米国の意を受けたニカラグアが強硬に反対したため挫折.

1921年

1.01 エミリアーノ,任期を終了.これに代わりディエゴ・マヌエル・チャモロが大統領に就任.エミリアーノはふたたび駐米大使となるが,実権は依然掌握.

12月 マナグアで米国駐留部隊と政府警察が衝突。米国兵1人、警察官5人が死亡。

21 労働運動さかんとなる.クジャメル・フルーツ社,ククラ木材会社であいつぎ大規模なスト.自由党と保守党の緊張もふたたび高まる.

21 サンディーノ,私闘のすえ国を逃れ,ホンジュラスで砂糖農園の労働者となる.

1922年

1.25 米政府、マナグアの公使館守備隊を150名に増強。

2 米政府は,太平洋鉄道の建設資金貸し付けを凍結.チャモロ,米国務省と交渉するが不調に終わる.

4月 政府警察、反政府陰謀をたくらんだとして40人を逮捕。

12 米国,メキシコ新政府への対応をめぐり中米各国代表を召集.ワシントンで第2回中米会議開催.中米平和友好条約を米国もふくめ締結.司法裁判所の再建を決定.軍部の内政干渉を阻止するため,軍備縮小が議題となる. 

22 米国務省,海兵隊撤退の条件として・24年の大統領選を選挙監視のもとで実施し政府の正当性を高めること,・旧軍隊を廃止して非政治的な「国家警備隊」を新設することの二条件を提示.ディエゴ大統領はこれを承認.

22 サンディーノ,グアテマラに移った後さらにメキシコに移動.タンピコの油田に勤める.

1923年

2.07 中米五か国代表によるワシントン会議,一連の条約を結ぶ.軍備の制限,中米仲裁裁判所の設置で合意.条約第II条では,クーデターあるいは革命など非合法的手段で獲得された政権は承認しないことを確認.中米国家連合はグアテマラの脱退により無力化.

4 米高等弁務官ロスコー・ヒル,ニカラグア内紛に介入.ニカラグア議会にのりこみ反政府演説.

10.12 ディエゴ・マヌエル・チャモロ大統領,執務中に急死.これにともない,バルトロメ・マルティネス副大統領が後任となる.ヒノテガのコーヒー園経営者であるマルティネスは,グラナダの主流派と一線を画し,共和派を名乗る.自らの政治基盤安定のため,自由党に接近.急遽帰国したエミリアノ・チャモロ,米系企業に支えられ保守党主流派をひきいふたたび出馬.

11 米政府,民族主義の高揚を恐れニカラグアに対し海兵隊撤退の意志を通告.

1924年

5 ヒューズ国務長官,マルティネスの立起は再選禁止をうたったニカラグア憲法に違反しており,再選を強行すればワシントン会議の合意にも違反すると警告,選挙監視を申し入れるが拒否される.

7 マルティネス,自由党の主流を占める民族派と「挙国一致連合」を結成.自派のカルロス・ホセ・ソロルサノを大統領候補に据える.副大統領にはレオン出身の医師ファン・バウティスタ・サカサ(自由党)が指名される.海兵隊撤退を狙う米国は,国民の支持を得られるとみて,この連合を黙認.

9 マルティネス,大統領令で選挙法を自派に有利となるよう改正.選挙当日には戒厳令を公布,エミリアノを幽閉し,選挙責任者を暗殺するなどの不正.

10.05 ソロルサノが大統領に当選.これにあわせ,米国は翌年1月までに海兵隊を撤退させると発表.

10 メキシコは,民族主義の立場からソロルサノ政権を積極的に支持.CROM幹部を送り込み,政府を支持するニカラグア労働連合(CTN)の結成を援助.

12 ソロルサノ政権を認めないエミリアノは,反乱の準備を開始.ソロルサノは政情不安定を理由に,1月に予定された海兵隊撤退を延期するよう要請.米国は国家警備隊の創設と交換にこれを受諾.

24年 マサヤ火山のサンチアゴ噴火口より大爆発.有毒ガスによりコーヒー園に壊滅的打撃.

1925年

1.01 ソロルサノ,大統領に就任.就任にあたり,アメリカ合衆国がニカラグアからその軍隊の撤退を延ばすよう要請.

6 ソロルサノ,米駐留軍のカルビン・B.カーター退役少佐と契約を結び,国警隊の創設をゆだねる.軍の政治的中立性を実現するため,陸軍とは別に国家警備隊(GN)創設さる.以後,海兵隊の役割を肩代りしていく.

6 ソロルサノは自由党員を閣僚から追放し,保守党一党支配に移行.

8.01 米海兵隊,撤退を完了.

9 ソロルサノの義弟アルフレド・リバス将軍,マナグア近郊の要衝ラ・ロマ基地を占領.内閣を包囲,自由党排撃を迫る.政府はこれを受入れ反乱を収拾するが,以後自由党,保守党の離反により無政府状態となる.チャールズ・エバハルト米大使は,大衆の支持を失ったソロルサノを見限る.

10.25 エミリアーノ・チャモロ派と政府警察がマナグア市内で衝突。警察官2人、チャモロ派15人が死亡。

10.26 エミリアーノ・チャモロ,マナグア近郊のラ・ロマ要塞を電撃的に占領。軍の指揮権を掌握するが,中米合意違反を恐れ,ソロルサノを名目上の大統領として残す.

10.26 ソロルサノ、チャモロの指示を受け閣内の自由党員を排除。

11 ソロルサノ政権,まったく機能を失う.自由党員狩りが横行するなかサカサは米国に亡命し,ワシントンにエミリアノの非を訴える.

12.05 アナスタシオ・ソモサ・デバイレ(Anastasio Somoza Debayle),ソモサ・ガルシアの次男として生まれる.

12 ソロルサノ,辞意を表明.サカサは副大統領としての後継権を主張.米国はクーデターを支持できずジレンマに陥る.しかしサカサを支持せず,チャモロに対し「同情的不承認」の立場を表明.ケロッグ国務長官,米国は,合憲的手段を踏んでいれば,後継者がだれであっても関与しないと表明. 

 

護憲戦争の時代

1926年

26年1月

1.03 エミリアノ,上院議員に”選出”される.ペドロ・ホアキン・チャモロ(父),「ラ・プレンサ」紙を創刊.

1.03 ケロッグ,エバハルト大使に「いかなる形態であれ,エミリアノを首班とする政府はみとめがたい」と訓令.

1.12 サカサ副大統領、国会で弾劾される。

1.17 国民議会,チャモロを大統領代行および次期大統領に任命.米国は承認を拒否.チャモロ一族のロセンド・チャモロの駐米大使就任も拒否.コスタリカ、エルサルバドル、グアテマラ、ホンジュラスも新政権の承認を拒否する。

3.14 ソロルサノ,正式に辞任.ただちに国外亡命.米政府は,エミリアノの大統領就任に反対の立場を明らかにする.エバハルト大使はエミリアノ退陣に向けクアドラ上院議長を柱に積極的な工作.

4 サカサ,ワシントンでのロビー活動を断念しメキシコに移る.カリェスと会見し,メキシコ支援下での中米連邦再建を前提に支援の約束をとりつける.米国務省はこれを”メキシコの共産主義者”の膨張政策とみて自由党への警戒感を高める.

26年5月

5.02 モンカダ,チャモロ独裁に対する不満から護憲派に合流.ブルー・フィールズで蜂起を開始.サカサは指導者となることを承諾するが,現地には赴かず.

5.04 スティムソンの仲介により自由派と保守派が妥協。国会は戦争状態を宣言し護憲派の制圧に乗り出す。

5.10 ニカラグアのメキシコ化を恐れる米国は,チャールズ・フィンチ大尉の率いる海兵隊を直ちにブルーフィールズ上陸させ,市内のモンカダ軍を武装解除のうえ,同地を中立地帯とする.

5 モンカダ軍,政府軍とのラマ決戦に敗れ,蜂起失敗.

5 サカサ,革命勝利後は中米各国と連合し,メキシコの指導下に入ることを条件に,メキシコ大統領カリェスから軍事援助を取りつける.

5 タンピコ油田で働いていたアウグスト・セサル・サンディーノ,犯した罪が時効となる.サンディーノはタンピコ時代に雑多な急進主義諸潮流の影響を受けていた.父の要請でニカラグアに戻るが,旧敵の妨害にあい事業を起こせず.

26年6月

6.05 ブルーフィールズの海兵隊,内乱終結と見ていったん撤退.

6.15 ローレンス・デニス代理公使,エミリアノに退陣を迫るとともに,保守党有力者百人を招きエミリアノ退陣をすすめるよう工作.

6.30 エミリアノ,28年選挙への立候補資格と国防相のポスト維持を条件に大統領辞任を受入れると表明.

7 サンディーノ,国内流浪の末,ヌエバセゴビア北部の米国人経営の金山サン・アルビノで事務員となる.戦闘的サンジカリズムの影響を受けた彼は,鉱山労働者に社会変革の必要性を説き,破壊工作の準備活動を開始.

26年8月

8 国務省,内政干渉を理由にデニスを更迭し,後任にダナ・マンローをあてる.

8.01 自由党,2回目の蜂起.モンカダ指揮下の護憲軍団は,プエルト・カベサスに上陸.メキシコの全面的な支援を受けリオ・グランデ河口までの地域を占拠,まもなく西部にも上陸し第二戦線を開く.

8.17 チャモロ政権、メキシコの干渉と反乱軍への軍事援助を非難し国際連盟に提訴.メキシコはこの提訴を拒否。

8.24 米国務長官,海軍長官に要請.特殊任務の艦隊を,米国人の生命と資産の保護のために,できるだけ早くコリントとブルーフィールズに進出させるよう求める.海軍省は艦隊司令官ラティマー提督にブルーフィールズ進出を指示.ニカラグア沿岸地域に14台の軍艦、465人の海軍兵員が配備される。

8.30 ローガン・フィーランド将軍によって指揮される約5,365の米海兵隊、米人企業保護のため,ふたたびブルーフィールズに上陸.周囲一帯を中立宣言.

26年9月

9.09 海兵隊,コリントに上陸.中立地帯を宣言.

9.12 米国政府は更迭したローレンス・デニスを特使として再派遣し,両派の交渉を強要.エミリアノは無条件の辞任を承諾.

9.15 米国,ニカラグアへの武器禁輸を決定.武器を米国に頼るエミリアノにとり手痛い打撃となる.

9.23 自由党軍とエミリアーノ軍の両派,休戦に合意.

26年10月

10.15 政府軍と自由党軍がソナータの近くで衝突。反乱軍に17人の死者を出す。

10.16 政府軍と自由党軍、コリント港に停泊中の米艦デンバーを会場として,デニス特使の立会いの下にコリントで和平会談を開始。

10.26 ラティマー提督の立会いの下,両派の停戦会議.停戦は当初15日間,その後さらに15日間延長された.会議にあわせ,米国はニカラグアへの武器輸出を禁止,他国へも同調を呼びかける.サカサ,停戦会議に参加することを求められるが拒否.グアテマラ市内にとどまる.

10.30 エミリアノ,辞任.後任に彼の忠実な部下であるセバスチアン・ウリサ上院議長を指名.ケロッグ国務長官はウリサをクーデターの片割れとみなし承認を拒否.

10 サンディーノ,ホンジュラスから武器を購入し,29人からなる独自の武装小部隊を編制.自由党軍に加わり闘うこととなる.

26年11月

11.05 停戦交渉,護憲派の強硬な姿勢の前に,まったく一致点を見出せないまま決裂.自由党は停戦会談を拒否して退席.この結果,米国の姿勢はチャモロなき保守党政権の路線に大きく傾き,ディアス擁立に動く.

11.11 エミリアノ、正式に大統領を辞任.ディアス元大統領が議会で選出され臨時大統領となる.

11.14 議会はソロルサノの辞任,サカサの国内不在という事態を受け,ディアス元大統領を臨時大統領に指名.自由党は抗議の退場.ディアスはエミリアノを国防相に指名.

11.17 米国政府,ディアス新政府を承認.ディアスは就任の後,直ちに米国に支持を要請.サカサをメキシコ政府が支援しており,単独では米国人の資産と生命を保護することが出来ないと訴える.

11.20 サカサ,グアテマラを立ちメキシコに向かう.

11月 サンディーノ部隊,エル・ヒカーロの政府軍駐屯地を襲撃するも失敗.その後,カヌーでリオココ川を下り,プエルト・カベサスに到着.モンカダに武器調達を要請する.モンカダは,指揮下に入らない限り武器はわたせないと拒否.

26年12月

1日 サカサ,メキシコの支援を取り付けたあと,メキシコから4隻の船に7百トンにのぼる軍事物資を満載し,プエルト・カベサスに上陸.

2日 サカサ,ソロルサノ政権の副大統領として大統領となる権利を主張し,プエルト・カベサス臨時政府樹立を宣言,「立憲大統領」を名乗る.モンカダを陸相に使命,国民に反ディアス総蜂起をよびかける.

8日 メキシコ,サカサの臨時政府を承認.中米諸国は米国の圧力の下,これを拒否.

8日 サカサ政府の駐メキシコ大使としてペドロ・ホセ・セペダが指名される.セペダはメキシコ在住のニカラグア人で外科医を開業.のちにサンディーノのメキシコにおけるエージェントとなる.

8日 護憲軍団がペルラス湖の戦いで政府軍を撃破.

8日 ケロッグはチャモロの国防相残留を拒否.チャモロ,国庫から2万ドルを引出し欧州大使に転出.

12日 ディアス,米国の援助が得られなければ辞任すると声明.米国,中立政策のみせかけを放棄.「メキシコのボルシェビキによるニカラグア侵略を防ぐ」ため,ディアスに対する軍事援助を開始.ラティマー提督,「米国市民の安全を守るため」大西洋岸の中立地帯をプエルト・カベサス,リオ・グランデにまで拡大.エルブルフを占領.

18日 米海兵隊,プエルト・カベサスとRio Grande Barを占領しモンカダ軍の武器を押収.中立地帯を宣言し,サカサを追放,カリブ海岸一帯を事実上占領し,護憲派の輸送ルートを遮断.

19日 グアテマラが交渉を調停すると申し出るが、ディアス政府はこの提案を拒絶。

23日 サンディーノ派,押収された武器のうち,ライフル30挺と弾薬6千発を秘密裏に回収.プエルト・カベサスの売春婦が手引き,協力したといわれる.

 

1927年

27年1月

1.06 クーリッジ,ニカラグアへの派兵を決定.海兵隊5千名,コリント港に上陸.うち160名が「公使館警備隊」の名目でただちにマナグア防衛体制に入る.同時にニカラグア政府への軍事援助を再開。

1.09 海兵隊がブルーフィールズに上陸.ニカラグア両岸は米国の艦隊が制圧.メキシコは米国の強硬な姿勢の前にサカサ援助を断念.

1.10 クーリッジ大統領,議会で演説.海兵隊派遣はメキシコの侵略からニカラグアを守るためと釈明.「米国の投資ゆえに,またパナマ運河の存在とニカラグア運河の可能性ゆえに,米国はニカラグアに対する特別の責任を負う」と述べる.事実上のニカラグア干渉宣言.

1.22 コスタリカとグアテマラが調停を申し出るが、ニカラグア政府はこれを拒否。

1.27 ケロッグ国務長官,革命により政権を奪取しようとするものは,サカサであろうとだれであろうと承認しないと声明.

1月 セゴビア山中を横断し,北西部に至ったパラホン指揮下の自由党軍,チナンデガを占領するが,米国人パイロットによる無差別爆撃にあい敗退.空爆により町は廃墟と化す.

27年2月

2月 アメリカ軍、チナンデガとレオンを結ぶ鉄道を支配下に置く。チナンデガの自由派将軍フランシスコ・セケイラ(カブヤ)が沿線各地でゲリラ戦を展開。

2 米国内でニカラグア侵攻にたいする反対論が広がる。第一次大戦後の厭戦気分も加わり,マスコミや労組,教会勢力などが一斉に反発.

*ウィーラー議員ら,ニューヨークにおいて「干渉反対市民委員会」を開き,「米国人の安全を保障する」という口実がいかに破廉恥であるかを暴露.海兵隊の撤退をよびかける.
*上院外交委員会のボラー委員長,「外交はマホガニー会社や石油会社のためにあるのではない」として,海兵隊派遣を断罪.

2 セゴビア山地に戻ったサンディーノ,農夫を集め自軍を組織.エステリに本拠を置くロペス・イリアス軍の下に入り、移動と戦闘を続けながら200名の戦略部隊に成長する。エステリ、ヌエバセゴビア、ヒノテガ県の山岳地帯を実質的支配する。

27年3月

3月初め サンディーノ軍,サンラファエル・デル・ノルテでの初戦に勝利。ヒノテガ県の平野部に進出。ユカプカ周囲で三つの戦闘に勝利。ヒノテガの町を包囲する。

3.07 米政府、海兵隊約1,600人をコリントに追加配備。政府軍の後方支援に当たらせる。この部隊は山間部に進出し、マタガルパの町を「中立地帯」と宣言する。

3.14 政府軍と自由党軍がサン・ヘロニモ近郊で衝突。双方あわせ130人の死者を出す。

3.28 サンディーノの部隊、激烈な陣地戦のあとヒノテガ奪取に成功。県全体を支配下におく.このときまでに兵員は8百名に増強.エステリは逆に保守党により包囲される.

3月 大西洋岸のペルラ湖から進出したモンカダ軍、ムイムイとボアコの間で保守派軍の反撃を受け敗北。チョンタレス県ラス・メルセデスまで後退する。

3.31 カルバン・クーリッジ大統領、ヘンリー・L・スティムソンをニカラグア全権特使に任命。

27年4月

4月 エステリのロペス・イリアス軍、保守党軍の攻撃を受け壊滅。自由党軍はこのあとゲリラ戦への転換を余儀なくされる。

4月末 モンカダ軍,チョンタレス県エル・ベフーコで敵に包囲される.サンディーノ軍はモンカダの要請を受け出動.政府軍司令官をとらえるなど決定的打撃をあたえ,モンカダを救出.

4月末 政府軍はボアコに撤退.サンディーノ軍は一連の戦闘で数千のライフルと数百万の弾薬を獲得する。部隊は10名の将軍の指揮下に1千名以上を擁するようになる。

4.17 スティムソン特使がマナグアに到着.ディアスに固執するこれまでの姿勢を改め,自由党との交渉に踏み切る.

27年5月 サンディーノの時代 

5.01 自由党軍、ラパス近郊で米軍部隊を攻撃。米兵2人が死亡。

5.02 サンディーノ軍,護憲派の先峰としてボアコに突入,これを奪取.

5.04 モンカダ将軍,マナグア近郊のティピタパでスティムソンと秘密会談,1年後の自由選挙を条件に,ディアス大統領を認める.米国の管理下に,政党の付属物でない独立した軍隊=国警隊を強化することでも合意.選挙終了まで引き続き米軍が駐留することとなる.モンカダ軍は武装解除.サカサは協定への調印を拒否し国を離れ,コスタリカに亡命.

エスピノ・ネグロ協定: スティムソンとモンカダの合意は、黒いサンザシの木の下で会談がおこなわれたことからエスピノ・ネグロ協定とよばれる。裏協定で、「自由選挙」ではモンカダが選ばれることに内定。

5.08 モンカダ,護憲派の全将校をボアコに召集.武装解除についての同意を求める.サンディーノはこれに従わず,全将兵をヒノテガに集結。

5.12 サンディーノ,モンカダを裏切り者と非難.全国に向けエスピノ・ネグロ協定の拒否を宣言.海兵隊は,ハットフィールド大尉を派遣し,オコタル,ヒノテガ,サンラファエルの守備にあたらせる.同時にサン・ラファエルに司令部を移動.

5.16 自由党軍部隊が、ラパスで米国部隊を攻撃。米兵2人、自由党軍14人が死亡。

5.18 サンディーノ,サンラファエル・デル・ノルテで電信通信手の女性アラウスと結婚.この頃部隊からの脱走者が相次ぎ,サンディーノは山間部への撤退を余儀なくされる.

5,24 サンディーノ,米軍司令官に降伏を打診.米軍が執政官を任命し自由選挙を管理することを条件とする.米軍はこの提案を無視.

27年6月

6.10 ディアス、大統領選挙の監督を米政府に要請。クーリッジはこれを受け入れる。

6 サンディーノ,名誉ある自由党政権の確立というあらたな和平条件を提示.これも無視される.サンディーノはヌエバ・セゴビア県を「名誉ある自由党政権の誕生するまで」領有すると宣言.閣僚を任命し,エル・ヒカーロを首都と定め,自らの名をとりサンディーノ市と名付ける.

6 サンディーノ,サンアルビノ金山を襲撃.金とダイナマイトを持去る.ラティマー提督,ハットフィールドに鎮圧を司令.

27年7月

7.16 サンディーノ,米国との武装闘争を宣言.先住民との結びつきを強調し,正義のためには流血もいとわないとする.海兵隊4百人とカイライ兵2百人が守備するオコタルの駐屯地を襲撃.一時占領に成功,海兵隊員46名を包囲するが,飛行機による無差別爆撃にあい死者3百人(住民の犠牲者も含めた海兵隊側の報告)を出し敗北.

7 汎米労働者連合,ワシントンで大会開催.議長をつとめるAFL会長グリーンは,ニカラグアへの海兵隊進駐を続ける国務省に抗議する声明を発表.

7.25 サンディーノ軍,サンフェルナンドで海兵隊の急襲を受け壊滅的敗北.サンディーノ自身は危うく難を逃れる.ラスフローレス(サンタクララ?)の部隊も,通常戦を挑み惨敗.その後,正面戦を放棄しゲリラ戦に転ずる.

27年8月

8.01 エバハルト大使,サンディーノ軍はすでに解体し,残党はココ川を下り,カリブ海方面に逃亡と報告.

8.04 サンディーノの部隊,海兵隊の裏をかき,テルパネカの町を夜襲.兵が守備隊をくぎづけにする間に,物資徴発を完了.

8.27 米軍部隊主力が撤退。 L. M. Gulick大佐によって指揮される1,200人の守備隊が残留。

8月末 サンディーノ軍を対米軍ゲリラ戦に向け再編成。14のゲリラ部隊に分散する。エル・チポテの山中に総司令部を置く。政治部隊としてはヌエバセゴビア県のヒカロに「民族主権擁護総司令部」を置き、フランシスコ・エストラーダを責任者に任命。

9.02 サンディーノ,全将兵をエル・チポテ山に召集.民族主権防衛軍(EDSN:ガブリエラ・ミストラルは賞賛の意を込め「気違い小部隊」と名付ける)の創設を宣言.自らのミドル・ネームをセサール(シーザー)とあらためる.民衆より「将軍」の尊称を受ける.

サンディーノは当初より対外宣伝活動を重視した。ホンジュラスの詩人フロイラン・トゥルシオスは,機関誌「アリエール」を発刊し,サンディーノ公認の対外スポークスマンとなる.エルサルバドルではホセ・デ・ヘスス・サモラ(ニカラグア人外科医)が,メキシコではサカサ派のセペダ(同じく外科医)が連絡員となる.

9.19 反乱軍部隊がテルパネカ近郊で米軍部隊を攻撃。米兵2人と反乱軍兵士25人が死亡。

11 サンディーノ,「自らに立ち向かうものは敵の味方であり,敵に味方するものは自らの敵」と述べた「祖国の裏切り者へ」宣言を発表.

11 海兵隊の偵察機,エルチポテを発見.

12.30 海兵隊,マタガルパからキラリに向け掃討作戦中、サンディーノの待伏せ攻撃にあう。指揮官をふくむ5人の米兵、2人の政府軍兵士が死亡.

 

1928年

1.03 米国は海兵隊の撤退を中止,あらたに5,800人を送りこむ.コリントの労働者は,荷役を拒否しストライキ.GNの兵士も,米人指揮官の下を脱走し,サンディーノ軍に参加.

1.26 エルチポテ,海兵隊により陥落するが,すでに全員が脱走.サンディーノは米軍の撤退とディアスの退陣,ラテンアメリカ諸国の管理する選挙の実施を要求.

3.17 ニカラグア最高裁、全国選挙委員会の委員長に米国のフランク・マッコイ将軍を指名。マッコイは352人の米国人の地方選挙委員長と、2500の米兵からなる選挙監視団を派遣。

3 海兵隊,サンディーノを「山賊」と呼ぶのをやめ,「ゲリラ」に変える.

4 全米反帝同盟を中心に「海兵隊はニカラグアから手を引け」の運動.ビールス記者のサンディーノとのインタビュー,サンディーノの弟ソクラテスの訪米キャンペーンなどにより拡大.

4.29 サンディーノ,ボナンザの金山ラ・ルス・イ・ロスアンヘレス(米国資本)を襲撃.

5.13 自由党軍ゲリラ、海兵隊を攻撃。米兵2人を殺害。

6 ファラブンド・マルチ,ホンジュラスからニカラグアに潜入し,サンディーノ軍に参加.サンディーノの信頼をかちとり,側近の一人となる.

8 ホンデュラス政府,国内で発行されていたサンディーノの宣伝誌「アリエール」を発刊禁止.トゥルシオスはメキシコに亡命.

8月 ニカラグア政府、自由党の反乱者に対し恩赦を与える。これに応じ12月末までに1000名以上が投降。サンディーノは,「アメリカ大陸の統治者たちへの手紙」を発表.「ニカラグア解放闘争を孤立させるな」と呼びかける.

9 エミリアーノ・チャモロ,復権を狙い保守党の多数派を結集.米国はこれを拒否し,「砂糖王」ベルナルドを保守党候補者に決定.これを機に保守党は二派に分裂.

10 サンディーノ,モンカダ勝利後の政権参加を期待しフンタを結成.亡命中の政治家ペドロ・セペダら三つの小さな政治勢力(自由共和党、労働党、連帯グループ)と手を結ぶ.メキシコでの折衝には,ホンジュラス出身の詩人でサンディーノの忠実な友人フロイライン・トゥルシオスがあたる.共同宣言でサンディーノは自らを大将(Generalissimo)に指名.

11.04 米軍の監視下に大統領選挙実施.モンカダ,大統領に”当選”,バウティスタ・サカサは駐米大使に就任.影響力確保を狙うサンディーノは選挙妨害活動を展開するが,圧倒的な海兵隊の前に押えこまれる.サンディーノ,合衆国内の反帝闘争に絶望.すべての米国人は敵とみなすと宣言.

12 フロイラン・トゥルシオス駐在員,モンカダの和解案受け容れを提案.サンディーノの目指した「フンタ作りの工作は仲間の分裂を招くだけであり中止すべき」と進言.

1929年

29年1月

1.06 モンカダ,大統領に就任.6千の海兵隊は第一線から手を引き,国警隊とサンディーノとの争いとなる.

1月 サンディーノ,モンカダ政権は合憲にあらずと宣言.彼の農民軍こそが国家の合法性を持つ唯一の組織だと強調.米軍撤退,ブライアン・チャモロ協定の撤廃,彼の部隊によるあらたな地域の占有と,完全な自治を認めるよう要求.

1.07 サンディーノ,トゥルシオスの辞任を承諾.さらに彼を闘争資金を持ち逃げしたと非難.トゥルシオスはホンジュラス政府からパリ領事の職を提示され運動を離れる.

1.18 サンディーノ,セレドンの抵抗を称え,彼の死亡した1912年10月4日を元日とするニカラグアの暦を発表.

1 サンディーノ,メキシコのポルテス・ヒル大統領に支援要請のための入国申請.ポルテス・ヒルは米国大使ドワイト・モローに許可を求める.米国はこれを許可し,ニカラグア出国の安全を保障.メキシコでは亡命ニカラグア人医師ペドロ・ホセ・セペダが,トゥルシオスに代わるサンディーノの代理人として国際関係を掌握.

1 サカサの義理の甥アナスタシア・ソモサ・ガルシア,米軍人の推薦で外務省に就職.米国とのパイプ役として重用される.

1.19 サンディーノ軍,モンカダ政府と米軍に対する攻撃を再開.

1月 サンディーノ、「1929年1月のニカラグアの諸問題について」を発表。勝利後も「アメリカの片務的借款は一切受け付けない」と宣言。モンカダに対し,中米共和国連合を宣言し「インド=ラテンアメリカ大陸およびアンティリャス諸島連合」憲法を制定する会議を召集するよう求める.

29年2月

2 サンディーノ,彼の対米闘争を支援しないヨーロッパの諸勢力を非難.ヨーロッパ人に対する攻撃と焦土作戦を示唆.その後サンディーノは国際支援のチャンネルを求め,メキシコのコミンテルン支部に接近.

3 サンディーノ,LA諸国大統領に手紙を送り,「ボリーバルの夢を実現する計画」を発表.「自らの流す血はラテンアメリカのためのものである.中米が米国に辱められ続けるのをやめよう.我々にはそれができる.ニカラグアはアルキメデスのテコの役割を果たしつつある.中米諸国がその支点となるよう」訴える.

3 モンカダはGNの米国人指揮官フェランド将軍の承認の下に,「志願兵軍」とよばれる私兵集団の組織を開始.司令官にメキシコ人傭兵エスカミージャ将軍を迎え,農民弾圧の実行部隊となる.北部4県に戒厳令を敷き,みずからも戦闘を指導.

4 米国,メキシコに対しモンカダ承認を要請.メキシコは海兵隊の撤退と引き換えに,モンカダ承認とサンディーノの武装解除を提案.

5 海兵隊,3千百名まで削減.

29年6月

6 支配区の木材業者などからの徴発と,外国民間組織の自発的支援に頼るサンディーノ軍,有効な反撃の出来ないまま数百名規模にまで減少.

6 ブエノスアイレスでラテンアメリカ共産党会議開催.サンディーノの闘いを反帝闘争として評価.

6.28 サンディーノ,メキシコとの再接触を図るため出国.ファラブンド・マルティら25名を伴いメキシコに入る.

29年7月

7 サンディーノ,市民の大歓迎にもかかわらず,ユカタン半島のメリダで事実上の幽閉状態におかれる.ポルテス・ヒルは,サンディーノはマラリアに侵され,事実上亡命を希望していたと表明.

10 サンディーノ陣営は,長いメリダ逗留のあいだに,三つの派に分かれ混乱.セペダらの中間派はメキシコ型の幅広い統一戦線を結成して戦うよう主張.サンディーノはニカラグアへ「勝利の日は近い」との手紙を送りつづけるが,事実上戦意を失い,宗教結社に熱中.

11 大恐慌勃発.コーヒー・砂糖の輸出は途絶し,鉱山,木材の操業停止のなかで,多数の農民・労働者が飢餓状態となる.モンカダ,学校を閉鎖,公務員の賃金も手形で決済.

12.26 サンディーノが,米国から金を受け取ったとの情報が,共産党筋から流れる.サンディーノはこれを否定するとともに,メキシコの共産党系支援団体「ニカラグアから手を引け」が,集めたカンパ゚を渡していないと発言.

 

1930年

1 サンディーノとメキシコ共産党幹部との会談.共産党からはエルナン・ラボルデ書記長らが出席.

会談の内容: サンディーノは「米国から裏金を受け取った」との中傷を否定.またマチャドらの「ニカラグアから手を引け」委員会が募金活動を行ったにもかかわらず,まだ250ドルしか受け取っていないと不満を漏らす.共産党は欧州歴訪キャンペーンを提案し,旅行資金の提供を申し出る.サンディーノもこれを受諾.

2 ポルテス・ヒル,サンディーノのメキシコ・シティー入りを許可.サンディーノはメキシコ政府からの援助に期待を寄せる.政府との接近を機に,コミンテルンとメキシコ共産党は態度を硬化.ポルテス・ヒルとつながるなら,絶縁すると意思表明.

3 サンディーノ,メキシコ共産党と断絶.ファラブンド・マルティを追放.サンディーノは「この共産党の宣伝マンは,わたしを計画に引き込めないことがわかると引き揚げていった」と語る.

慢罵のオンパレード: メキシコ共産党は,「サンディーノは戦闘中止と引き換えに米国から6万ドルを受け取り,ユカタンに住居を構えることを約束した」とし,サンディーノを「裏切者」と断罪するキャンペーン。コミンテルンは,サンディーノを「プチブル的首領であり,カウディージョの典型であり,小型の独裁的リーダー」であると悪罵.「必然的に反帝運動を裏切るにちがいないであろう」と予言.

5 サンディーノ,メキシコとの交渉不調のままメリダの幽閉先を脱出し帰国.

6 海兵隊,千2百名に削減.これに代り米国は出来たばかりの国警隊を対サンディーノ戦に投入.GNは2千名以上に増強.急速に力を強める国警隊の中でソモサの影響力が拡大.

9 ヒノテガを中心に,サンディーノ軍から農民を「隔離」する大規模な侵攻作戦,農民と一体となったサンディーノ軍の抵抗にあい敗退.この戦いでサンディーノは力を回復,解放闘争の軍事的転機となる.

11.02 米軍の監視の下に国会議員選挙が行なわれ、自由党が過半数を獲得。

12.31 サンディーノ軍,ヌエバセゴビアのオコタルで海兵隊パトロールに待伏せ攻撃.隊員十名中8名を射殺.これを機にふたたび,米国内に派兵中止を求める声が巻き起こる.

30年 バナナ農園,病害により壊滅.このため移入民制限法成立,カリブ海岸への黒人流入終る.

 

1931年

2 スティムソン国務長官,翌年の大統領選ののち,海兵隊を全面撤退すると発表.

3 マナグア市を中心に大地震.死者千5百名.町の30区画が破壊される.

3 サンディーノ軍,「総攻撃の年」を宣言.プエルト・カベサスに猛攻撃

6 ホンデュラスのバナナ農園で大規模な暴動,参加者の多くが政府の弾圧を逃れサンディーノ軍に参加.

7 マナグア=ラマ間の国道建設中止.馘首された労働者は,サンディーノ軍とともに蜂起しラマのGN基地を襲撃.

9 サンディーノ軍,全土で軍事攻勢開始.チチガルパ市を一時占領するなど6つの戦線を展開.パラグイーナ,ヤリ,ウィウィリなどであいついで農民蜂起.米国はふたたび海兵隊を増強.

31 海兵隊,ディアスの要請に応えさらにラマ,ペルラス湖を「中立化」.海兵隊の行動に対し,米国国内での批判高まる.クーリッジ大統領,記者会見で中立政策は守られていると釈明.

1932年

2 マナグア市内でマルクス主義グループ摘発を受ける.

10.1 マナグア湖北岸(首都マナグアの対岸)サンディーノ軍の手に落ちる.サンディーノ,国際主義と民主主義をうたいあげた「同志幹部への回状」を送る.「まもなく“祖国”と呼べる一つの地域,例えばニカラグアと呼ばれる地域が姿を現す.そこでは統治者は公僕であり,君主ではない」

10 米国,サンディーノとの和解に方針転換.大統領選後,いづれの候補が勝っても,サンディーノと交渉を開始することで合意.一方,次期大統領の可能性の強かった反米保守派で亡命中のトリビオ・ティヘリーノについては帰国を拒否.

11 米国大使ハナ,自由党に対しソモサを大統領候補に推薦するが,自由党はサカサに決定.サンディーノとの交渉に反対するモンカダ右派は,ソモサを中心に秘密結社「愛国者団」を結成しこれに対抗.

11.06 大統領選挙実施.自由党はサカサを候補に指名.保守党はディアスを候補者とする.ティピタパ協定を受け入れたサカサがディアスを破り当選.副大統領にはロドルフォ・エスピノサが当選。

11.19 米軍のカルビン・マシューズ将軍,ハナの強力な要請により,米国人フェランドに代る国家警備軍の指揮権をソモサ将軍に委譲.

12月 サンディーノ軍が大規模な作戦を展開するが、政府軍により押さえ込まれる。 

サンディーノの死

1933年

1.01 サカサ,大統領に就任す.「愛国グループ」の指導者でサンディーノの信頼するソフォニアス・サルバティエラを農相に任命.サンディーノに停戦をよびかける.モンカダの圧力の下ソモサを国警隊長官に指名.ソモサはモンカダの友人でサカサの甥にあたり,26年以来の自由党員.フィラデルフィアの学校を卒業し,27年の和平協定作成にも協力したことから米国の支持も獲得.

1.02 最後の海兵隊部隊,コリント港より出港.米海兵隊の撤退完了.

2.02 サカサ政府とサンディーノ軍との間に休戦成立.メキシコ政府,サカサ政権を承認.この時点でサンディーノは国土の半分を支配.

2.16 サンディーノ,マナグアに到着.サカサとの交渉に入る.

2.19 休戦協定成立.サンディーノ,GNを憲法下の唯一の軍事組織として承認するなど権力構造に手を触れぬまま武装解除.ウィウィリに農場建設し引退.その後GNは協定を次々にやぶり,サンディーノへの圧力を強める.

12 ハナにかわり,アーサー・ブリス・レイン大使赴任.サンディーノ暗殺のシナリオをつくる.

33年 コーヒー大暴落(四年前の1/4に).中小自営農没落し,土地の集中すすむ.

 

1934年

2 サンディーノ,サカサとの会談に応じマナグア入り.サンディーノは米国のカイライである国警隊の解散を要求.サカサ,サンディーノの同調者オラリオ・ポルトカレーロを国家警備軍司令官に任命.ソモサ,米大使レインの内諾をえて,サンディーノ暗殺を決断.

2.21 サカサとの夕食会を終えて官邸を出たサンディーノと二人の将軍,国警隊に拉致される.空港に連れて行かれそこで射殺.近くに埋められる.

2.22 国警隊は全国でサンディーノ支持者狩りを開始.2日後のウィウィリ攻撃により3百名が虐殺.サカサはソモサを強く非難するが,それ以上の対処は出来ず.

2.25 ソモサ,オラリオに代わり国家警備軍司令官に任命される.

 

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