ソモサ独裁の確立 反ソモサ運動の高揚 国内再編の時代 ルイスの時代 「進歩のための同盟」の時代 タチート時代の開始 マナグア大地震と震災汚職 テロと恐怖政治 チャモロの死と抗議の高まり 国会宮殿占拠と一斉蜂起 三派の統一 最終攻勢
ソモサ独裁の確立 1934年
8 ソモサ,議会に圧力をかけ,サンディーノ殺害犯の恩赦を認めさせる.モンカダ,エミリアーノらは,反サカサの立場からソモサに迎合.ファシスト団体「青シャツ団」,ソモサのサンディーノ暗殺を賛美しながら,各地で示威行動.ソモサはこれを利用し戒厳令を公布.サンディーノの残党を,妻子に至るまでつぎつぎと虐殺.これを批判するジャーナリストも誘拐,暗殺.
34 国会選挙.不正が横行したことからサカサへの支持は消滅.
1935年
9.14 ソモサ,来年秋の大統領選に出馬すると宣言.
11 バトラー海兵隊少将,「コモンセンス」誌に回想録を発表.「わたしは33年間,大企業・ウォール街・銀行家のための高級用心棒として過ごした.わたしは資本主義お抱えのならず者であった.わたしは1903年,ホンデュラスを米国の果実会社のためにあつらえ向きにすることに努力した。1914年に米国の石油業者のためにメキシコ,とくにタンピコの保全のために協力した.わたしは,ハイチとキューバを,ナショナル・シティー銀行が収益を上げやすい場所にすることに協力した.わたしは1909~1912年,ブラウン・ブラザースのためにニカラグアの粛清に協力し,1916年には,米国の砂糖業者のためにドミニカ共和国を鎮圧した」
1936年
1 ソモサ,「青シャツ団」の会合に出席,強い支持をとりつける.
5 米国,クーデターあるいは革命によって樹立される政府を承認しないと取り決めた23年の中米平和友好条約の原則を破棄すると宣言.新任のボアズ・ロング大使はソモサ支持を表明.
5.29 サカサ,反ソモサで自由・保守両党の合意をとりつけるため保守党指導者を官邸に招く.
6.01 自由党と保守党,ソモサに対し共同で対立候補レオナルド・アルゲージョを擁立.ソモサはレオン,グラナダで反サカサの暴動を組織する.
6.09 サカサ,孤立無縁のなかで大統領辞任.ソモサによる実質的なクーデター.議会はカルロス・アルベルト・ブレネス・ハルキンを暫定大統領に選出.選挙を12月まで延期.ソモサはモンカダ,チャモロの支持もとりつけながら実権を掌握.
6.16 レオンの自由党大会,大統領選へのソモサ出馬を要請.大会に出席したソモサは平和と民主主義,社会正義,民族主義,教育と労働の重視などを約束し要請を受諾.
10 ソモサ,国警隊長官を辞任.大統領選に備える.ソモサの支持母体として新たに国家自由党(PLN)を創設.
11.8 大統領選,ソモサの圧勝に終わる.投票結果は10万対108票というひどいもの.保守党,立憲自由党など伝統的な政党制擁護勢力はボイコットを呼びかける.
36年 保守党の盟主チャモロ家を社主としてラプレンサ紙創刊,当初より政府批判の論調を展開.
36 カルロス・フォンセカ,マタガルパの資産家ファウスト・アマドールの私生児として生まれる.ファウストはソモサの企業の管理者をしていた人物.トマス・ボルヘはそれより6年前,1930年に同じく私生児としてマタガルパに生を受ける.
1937年
1.01 ソモサ,大統領に就任.ニカラグア史上最強最悪の政権が誕生.サカサ,エミリアーノ,ディアスは連名で,国務省あてにソモサの横暴を抑えるよう要請する.米国はこれを無視しソモサの大統領就任式に参列する.ソモサのお抱え暴力集団は,大統領就任式にあたり大統領宮殿に向け武装デモ行進.
1 ソモサ,保守党に対抗し自由党を改組.民族自由党(PLN)をでっちあげる.
11 サンディーノ軍の残党を率い抵抗を続けていたペドロ・アルタミラーノ将軍,チョンタレスにおいて逮捕殺害される.これにより組織的な抵抗は消滅.
37年 保守党に対する大弾圧,56名が投獄.「共産主義者」もコーン諸島の監獄に流刑となる.その後,保守党の主流は体制内野党に変身し「民族保守党」を結成.
38 ソモサ,国家警備隊の給料を兵士5割,将校3割引き上げ.
1939年
3.23 ソモサ,再選禁止を明記した憲法の改正を議会に要求.任期の4年から6年への延長とソモサ自身についての再選,47年までの政権維持を認めさせる.「青シャツ団」は反対派へのテロによりこれを支援.
5 ソモサ,「よき隣人」として米国を訪問.ルーズベルトと会見,「民主主義の擁護者」として,反ファシスト戦線への参加を表明.米国からの認知を受けることにより,国内の政治基盤は安定.ルーズベルトはソモサを「売女の子だが,われわれ売女の子だ」と表現.
9 コスタリカにおいてニカラグア共産党結成
40 ハバナで米州会議開催.米国の提案した集団安全保障決議,全会一致で可決.
41.12.9 米国,真珠湾攻撃を機に第二次世界大戦に参戦.ソモサはこれに続き,ただちに枢軸国に対し宣戦布告.米国,マナグアとプエルト・カベサスに飛行場建設.コリント港を海軍基地として整備.ニカラグアに100万ドル相当の軍事援助を与える.ニカラグアは特需景気に沸く一方,米国への経済的従属を深める.政府はドイツ人資産を没収し,ソモサ一族に「売却」する.ソモサ自身がニカラグア第一のコーヒー生産者となる(終戦までに51の牧場と46のコーヒー園など1億2千万ドルの資産を獲得).
43 ソモサ47年の再再選をめざし再度憲法改正案を提出するが,議会の強い抵抗に会いいったん断念.カルロス・パソス,エノック・アグアドら民族自由党の反ソモサ派は独立自由党の結成へ.
反ソモサ運動の高揚 1944年
2 ピカード・ミチャルスキー,コスタリカ大統領に選出.カルデロン前大統領を介し共産党とも連係を続ける.
4 エルサルバドルでマルチネス独裁に対する自然発生的ゼネスト.経済マヒのなかでマルチネスは10月には退陣.
7.1 グアテマラの独裁者ウビコ,辞任しニューオーリンズに亡命.軍部による三頭政治に移行.11月の総選挙を公約,政党,労組を合法化.
7 戦争によるインフレ,ソモサ一族を除く国民生活に深刻な打撃.ペドロ・ホアキン・チャモロ,自治大学の学生を組織.4千人がソモサ再選反対をさけびデモ.ソモサはこれに対し徹底的弾圧で応える.大学は閉鎖され,多くの学生がコーン・アイランドの監獄へ送られる.文相が抗議の辞任.
7 PLN内反ソモサ派,独立自由党(PLI)を結成.党首はエンリケ・ラカヨ,ケインズ経済学,社会主義的改良,ジェファーソンの民主政治を理論的支柱とする議会政党であるが,反ソモサの小ブル,知識人の支持を受け急進化する.
7 ソモサ,保守党や独立自由党に対抗するため共産党のとりこみをはかる.共産党は公然活動を認められ,反ファシズムの名のもとにソモサを支持する.合法組織としてニカラグア社会党(PLN)結成.機関紙「オイ」を発行,各地に支部をつくるなど国内活動を開始.また労働総同盟(CGT)を結成,労働運動を中心に急速に影響力拡大するが,反ソモサ闘争には関与せず.
45 ソモサ,労働者の支持獲得を図り「労働憲章」など一連の進歩的法律を制定.ソモサの「保護」の下,社会党(PSN)は勢力を伸張.
46.1 マナグアで10万人が参加するソモサ再選反対のデモ.米国もロックフェラー国務次官を通じ,再選反対の意向を表明する.保守党と独立自由党,連合しアグアドを大統領選に立てる.米国の強力な反対を受けたソモサは立候補を断念し,レオナルド・アルゲージョ(36年の対立候補でその後屈服)を身代りに立てる.
46 マタガルパ高校のトマス・ボルヘ,ホセ・ラモン・グティエレスら,独立自由党の青年組織「民主青年戦線(FJD)」で活躍,リゴベルト・ロペスも参加,PLIの綱領を乗り越え革命的潮流となる.社会党系はこの闘争に参加せず.
1947年
2.02 大統領選挙実施.国民の支持は圧倒的にアグアドに集まるが,ソモサはGNを使った開票操作により,大差でアルゲージョを「当選」させる.
5.01 アルグエージョ,大統領に就任.ソモサは国警隊長官として権力にとどまる.
5.02 アルグエージョ,ソモサの任命した閣僚や軍首脳を罷免し,反対派を採用するなどソモサ排除の動き.
5.25 ソモサ,クーデターによりアルゲージョを打倒.「前大統領は発狂した」ためベンハミン・ラカヨ・サカサを臨時大統領にすえると宣言.
5.27 サカサが臨時大統領に就任.その後の弾圧でフリオ・アギラール,リト・ヒメネスなどFJDの活動家が犠牲となる.トルーマン政府は新政権の承認を保留することでクーデターを拒否.
6.03 エルサルバドル、グアテマラ、パナマがニカラグアとの国交を断絶。
6.10 ソモサは議会を解散し立憲会議を召集.反共色の強い新憲法を公布することで米国の承認を獲得しようとする.しかし米国のクーデター拒否の態度は変わらず.
8.15 議会はソモサの叔父ビクトル・ロマン・レイエスを大統領に指名.前年ウエストポイント士官学校を卒業したソモサの次男アナスタシア・ソモサ・デバイレ(通称「タチート」)が国家警備隊長官に就任.
9月 新政権,新労働憲章を破棄,ストライキを全面禁止するなど,右転換.
9 冷戦始まる.米国の反共姿勢強まる.リオ条約(アメリカ大陸相互防衛条約)発効.
11 エミリアーノ・チャモロによるクーデター計画発覚.エミリアーノは国外亡命.
12 グアテマラのアレバロ大統領と,コスタリカのフィゲレス,ニカラグアのアルグエージョとのあいだで「カリブ協定」を結ぶ.ソモサやトルヒーヨなど,中米・カリブ地域から独裁政権をなくすため,共同した武装闘争をおこなう密約.
1948年
1.23 国会、新憲法を承認。共産党は非合法化される。
3 ボゴタで第9回米州会議開催.トルーマン・ドクトリンにもとづくボゴタ憲章採択.常設機構として米州機構(OAS)設立,米国を盟主とする反共軍事同盟となる.各国の共産党が相次いで非合法化.
4 コスタリカ内戦.ソモサの支援した政府軍敗北.ピカド・ミチャルスキー前大統領はソモサの下に亡命.この内戦で2千人が死亡.
6 「憲法」公布.反共姿勢を前面に.ニカラグア社会党は非合法化されメンバーはすべて逮捕される.CGTはソモサの御用組合と化す.保守党活動家も「共産主義者」のレッテルを貼られ弾圧.
6 「ラテンアメリカ諸国の強い要請」を受け,米国はニカラグア政権を承認.
9.29 元サンディーノ軍のフアン・グレゴリオ・コリンドレス将軍,ホンデュラスより武力侵入を行なうも敗れ,ラス・セゴビアスで戦死.
48 キリスト教社会主義運動の影響を受けた保守党若手活動家を中心に,民族運動全国同盟(UNAP)を結成.テフェル,ペドロ・ホアキン・チャモロらもくわわる.自治大学を中心に大規模な学生運動起こるが,直ちに弾圧.
国内再編の時代 1949年
12.04 78才のエミリアーノ,帰国を許される.保守党は体制内野党となり,エミリアーノが大統領候補者となる.
49 ニカラグア北西部チナンデガを中心に,綿花の大規模栽培が開始.生産量は,以後六年間で12倍に,栽培面積は1万4千から17万5千ヘクタールに拡大.大規模機械化により,大量の農民が土地と職を失う.
1950年
3.25 ラモン・イ・レイエス大統領が死亡。GN長官ソモサは保守党との妥協に乗り出す。
5.07 農産物輸出に関する共同利害をもとに,エミリアーノ・チャモロとのあいだに「将軍の契約」協定.保守党は議席の1/3を確保(50年体制).
5.21 ソモサ・ガルシアが,国会の選出を経て二度目の大統領に就任.
12 ペドロ・ホアキン・チャモロとビオレータ・バリオス・サカサが結婚.ビオレータはリバスの大地主の娘.米国の高校に留学していた.
50 国際司法裁,ホンデュラスとの領土紛争について裁定.ニカラグアに不利な形で決着.
50 ホセ・ラモン,グアテマラにわたり労働党に参加.
1951年
5 ソモサ,さらに6年間の任期を保障される.
10 中米五ヵ国外相会議,「サン・サルバドル憲章」を採択し,中央アメリカ機構(ODECA)結成.
1952年
52 UNAP,行動組織として「青年保守運動」結成.ホアキン・チャモロ,テフェルらが指導,54,59年の反乱に参加.UNAPの主流を占めるようになる.チャモロ,父の後を継いで「ラ・プレンサ」紙の編集長となる.
52 グラナダを中心とする南部商工業者,アメリカ銀行グループ(BANAMERICA)を結成.砂糖業,牧畜を中心とし,保守党の基盤となる.
53 綿花生産者とマナグアの財界グループを中心に,ニカラグア銀行グループ(BANIC)形成.モルガン財閥の傘下にはいる.
53 ホセ・ラモン,グアテマラより帰国.マタガルパ高校を中心にマルクス主義を広める.サンディーノの思想に共感し,サンディーノの社会主義的解釈を深める.
1954年
4.03 オプタシアノ・モラサン,エミリアーノ・チャモロらによる大統領暗殺計画発覚(4月の陰謀).元サンディーノ軍人モラサンは捕えられ殺害.ソモサは国防次官をふくむコスタリカ政府高官が事件に関与と抗議.
4.23 米国、ニカラグアへの軍事援助の再開に同意。
54 ペドロ・ホアキン・チャモロら,フィゲーレス大統領の支援を受け,コスタリカから武装侵入するが敗北.
54 フォンセカ,シルビオ・マヨルガら,ホセ・ラモンの影響下に,マタガルパの国立高校で社会党支部を組織.チコ・ブイタルゴとともに校内紙「セゴビア」を創刊.また6歳上のボルヘとも親交を交わす.
Carlos Fonseca Amador (June 23, 1936) マタガルパのコーヒー名家アマドール家の私生児として生まれる。母親は田舎出の洗濯女。マタガルパの中学で保守党系のUNAPに加わるが、高校に入ってからはマルクス主義に接近、社会党に加入する。 1955年
1.11 ニカラグア亡命中のピカド・ミチャルスキー元コスタリカ大統領の息子ピカド,ソモサの支援を受けコスタリカに侵入.サンホセなどいくつかの都市を爆撃.コスタリカ市民警察はただちに予備役を召集し戦争状態に入る.ピカド軍は1ヵ月に及ぶ戦闘ののち敗れ,OASの調停を受入れる.米国は戦闘機4機をコスタリカに無償供与.
12 ソモサ,翌年の大統領選に出馬を表明.婦人に参政権をあたえると発言.議会,ソモサ再選を可能とする憲法改正を承認.
55 綿花,コーヒーに代りニカラグア第一の輸出品目となる.
1956年
9 フォンセカ,マナグアの国立自治大学に入学,機関誌「エル・ウニベルシタリオ」を発行.フォンセカ,学生中央連合の書記長に選出.
9 民族運動全国同盟,二つに分裂.武装闘争をも容認する主流(テフェル,チャモロを含む)はキリスト教人民民主主義運動(MPDC)を結成し,保守党へ集団入党.平和路線に固執する部分はキリスト教社会党を結成.
9.11 サンサル亡命中の27才の詩人リゴベルト・ロペス,ソモサ暗殺を企て,レオンに潜入.出発直前の,母あての遺書で「同志は反対するが,私は独裁の終わりを始める人物でありたいと思う」と述べる.
9.21 リゴベルト,ソモサを暗殺.レオンの「労働者の家」で開かれたPLNの選挙キャンペーン集会で,ダンス中のソモサに4発の銃弾を撃ちこむ.リゴベルトはその場で蜂の巣にされる.ソモサは米軍のヘリで,パナマ運河地帯のゴーガス病院に運ばれる.
9.29 ソモサ,アイゼンハワー差し回しの医師団により治療を受けるも死亡.
10.01 長男のルイス・ソモサ国会議長が,臨時大統領となる.ただちに非常事態を宣言。次男のアナスタシアが率いる国警隊は,反対派3千人を拘留.
逮捕者の顔ぶれ: 保守党の長老エミリアーノ・チャモロも捕らえられる。「ラ・プレンサ」の編集長として反ソモサの論陣を張っていたチャモロも拷問を受ける.PLIのアグアド,ラカヨも捕らえられる。
10月 自治大学への弾圧。PSN活動家ボルヘは,暗殺への関与を疑われ逮捕.59年にコスタリカに追放される.フォンセカも逮捕されるが,不起訴のまま2ヶ月後に釈放.
ルイスの時代 1957年
2.03 ルイス,国家保守党(PCN)をでっち上げ。選挙を経て大統領に就任.保守党は選挙参加を拒否する.
2月 ルイス、アメリカの圧力を受け「自由化」を宣言.憲法の再選禁止条項を復活.逮捕されていた政治家の何人かを釈放。「ラプレンサ」紙への検閲を緩める.
7 社会党,フォンセカをウィーンで開かれた第5回国際青年学生フェスティバル,ライプツィヒの平和友好学生会議に派遣。
57 ニカラグアとホンデュラスの間に石油資源をめぐり国境紛争.ソモサは国警隊を出動させる.
57 ウリョア中尉らによるクーデターの動き発覚.
57 マリアーノ・フィアリョス,国立大学学長に就任.民族的視点から各種の大学改革運動を組織.セルヒオ・ラミレスら革新的な学生が「ベンタナ」誌を発刊し,サンディーノを「再発見」するなど活躍.
1958年
4.11 ルイス・ソモサ,イスラエルから購入した英国製装甲車30輛をバチスタに贈ると声明.
9.21 旧サンディーノ軍の生き残りラモン・ラウダーレス(当時68才),エリベルト・レイエス、カルロス・アスラームら,28人からなるゲリラ隊を組織.ホンデュラス国境から侵入してハラッパ地方で1ヶ月にわたるゲリラ戦を展開する.
10.17 反乱軍、政府軍に包囲されラウダーレスも重傷を負うなどし敗北,ホンデュラスに撤退.
58 PSN,フォンセカの「モスクワのニカラグア人」を発行.
58 フォンセカ,ふたたび逮捕されたあと国外追放処分を受けグアテマラへ.
58 社会民主党,フロント組織としてサンディーノ革命戦線(FRS)を結成.?
58 関税同盟をめざす「中米の自由貿易および経済統合に関する多国間条約」調印.コスタリカ,ニカラグアは国内批准に失敗.
1959年
1 ルイス・ソモサ大統領,病気治療のため訪米を申請.国務省は「ひきつづき現政府と友好関係を維持していく」立場からこれを受け入れ.
2月 フォンセカと仲間たちがグアテマラからキューバに入り、革命の実情を視察。
フォンセカは①武装革命は可能であり、そのためには新しい組織が必要だ。②それはPSN(共産党)やその他の政党組織の外側に作られなければならない。と、結論づけた。
5月 「リゴベルト・ロペス9月21日運動」に54名のゲリラを組織.ラウダーレスのゲリラ闘争の再建をめざす。これにキューバの支援を受けたフォンセカらも加わる。
5.31 MPDCのホアキン・チャモロ,エルネスト・カルデナルら,独立自由党のエンリケ・ラカヨらと連合し反乱部隊を組織。コスタリカのプンタ・ジョローナから国境を越え、110名の部隊がオラマとモジェホネスに侵入.
ヘルマン・ポマレス: 医師で革命家。保守党部隊の戦闘員であったが、のちにMPDCをはなれFSLN創設に参加.
6.01 MPDC=PLI連合部隊の蜂起に対し、戒厳令が発せられる。
6.24 「9月21日運動」、ホンデュラス領内のエル・チャパラルでホンジュラス軍の待ちぶせ攻撃を受け壊滅する.フォンセカも負傷し,ホンデュラス軍に逮捕される.
エル・チャパラルの影響: ニカラグア社会党はエル・チャパラルの敗北をもってニカラグアでの武装闘争の可能性を否定したとされる。PSNはフォンセカらエル・チャパラル参加者を「ゲリラ主義者」として除名した。
7.23 レオンの自治大学で,大規模なデモを組織し国家警備隊と衝突,学生4人が射殺される.米国大使ウィーラン,学生を「アカ」と非難.
8 ニカラグア各地で反政府ゲリラによる戦闘発生.政府は非常事態宣言を発する.58~60年にかけニカラグア国内で60回以上の武装行動あり.チャモロら,革命直後のキューバを訪問.
8 フォンセカ,釈放される.ホンデュラスからグアテマラへ,その後ハバナからサンホセにわたりボルヘ,マヨルガと合流.メキシコ,コスタリカなどで同志を募り始める.
フォンセカは釈放されたのではなく、ホンジュラスの軍病院から脱走に成功したとされる。脱走にあたってはフォンセカ家が手を回したとも言われる。(Wikipedia)
59年 PSNが中心となり,「ニカラグア愛国青年運動」(JPN)結成.「青年保守運動」の一部も参加.キューバ革命の影響を受け、サンディーノ精神の復活をよびかける.学生運動の主導権をにぎる.
1960年
1 土地占拠闘争に参加した農民逮捕.レオン市を中心に大規模な抗議行動により釈放をかちとる.
2.29 反乱部隊がホンジュラス国境より侵入。政府軍の掃討作戦により7人が殺害される。
2 グアテマラ,エルサルバドル,ホンデュラス3国による経済連合条約発足.MCCAの母体となる.ニカラグアとホンジュラス,国境を確定し和平協定に調印.
2 フォンセカ,シルビオ・マジョルガ,トマス・ボルヘら,ハバナで「ニカラグア革命青年運動(JRN)」を結成.
6 ニカラグア,キューバと断交.フォンセカ,JPNの左翼化をめざしマナグアに戻るが1ヶ月後には逮捕,グアテマラに追放される.
7 グアテマラに追放されたフォンセカ,青年将校トゥルシオス・リマと知り合う.
10 フォンセカ,ふたたびハバナ入り.武装闘争以外に解放の道はありえないと宣言.JPNの左翼化をめざす.
11.11 「キューバの支援を受けたゲリラ軍」,コスタリカより進入.4日後には敗退.JPNはこれに呼応してヒノテペ,ディリアンバで兵営襲撃事件.戒厳令公布.JPNに加入し襲撃に参加したダニエル・オルテガ,逮捕.
11.17 アイク,グアテマラ,ニカラグアでの共産主義侵略防止を支持し,両国の要請で海空軍をカリブへ派遣すると声明.空母を含む軍艦5隻が中米海域に到着.3週間にわたり示威行動。
12月 ルイス・ソモサ、保守党の早期選挙の要求を拒否。
60年 キリスト教人民民主主義運動(MPDC),保守党の主導権を握る.フェルナンド・アグエロ,青年層の支持を受けて保守党首に就任,社会改革を打ち出す.
60年 ニカラグア=ホンジュラス間の3年にわたる国境紛争,国際司法際の調停により和解.
「進歩のための同盟」の時代 1961年
3 ケネディ,キューバ,ドミニカを除く各国大使を招き,「進歩のための同盟」を提唱.
4.17 プエルト・カベサスより出発したキューバ反革命軍,ヒロン湾上陸作戦に失敗.
7.26 カストロらのモンカダ兵営襲撃8周年を期して,テグシカルパで民族解放戦線(FLN)結成を宣言.JRNを母体とし自治大学細胞の学生が中心となる.「ヌエバ・ニカラグア」を創刊.FSLNの母体となる.のちに新ニカラグア運動(MNN)と改称.翌年サンディニスタ協会も加わり,サンディニスタ民族解放戦線と改称.
創設時の幹部: 指導部にフォンセカ,マジョルガ,トマス・ボルヘの3人.ほかにサントス・ロペス,ホルヘ・ナバロ,ヘルマン・ポマレス,ファウスティノ・ルイス,リゴベルト・クルス,フランシスコ・ブイトラーゴ,ベニト・エスコバルの十名.マルコス・アルタミラーノも参加,サンディーノ軍の生き残り,サントス・ロペス大尉が軍事訓練を担当.
8.17 進歩のための同盟,発効.①十年間に2百億ドルの援助.②土地改革と税制改革など経済改革,③十年間にひとりあたり所得を2.5%引き上げ,などを骨子とする.経済的には,LA諸国をたんなる原料供給国や販売市場ではなく,米多国籍企業の下請生産工場として垂直分業の中に位置づけ,そのための投資環境の整備をねらったもの.
8 コスタリカ,北部3国の共同市場に対抗するため,パナマ,ニカラグアとのあいだに「特恵貿易条約」を締結.
10 中米共同市場(MCCA,英CACM)発足する.この後中米諸国は,「進歩のための同盟」路線に支えられ,5~6%の高度経済成長を78年まで維持.コーヒーやバナナに加え綿花,砂糖,食肉なども加わり農業の多様化が進む一方,輸入代替工業化も進展.その後域内の「南北問題」が表面化し71年以降は無力化.
61年 チャモロ,サンカルロスの監獄を脱走,コスタリカへ亡命する.
61年 マナグアにイエズス会経営の,中央アメリカ大学設立.
61年 PSN,非公然の武装隊を組織.アドルフォ・ホセ・エベルツが指揮をとる.D.オルテガも部隊に参加,米大使館を襲い逮捕される.
1962年
3 ケネディの側近バール,ニカラグアを訪問.ルイスと会見し,ソモサ兄弟の叔父にあたるデバイレを首班とする「中道左派」政府をつくるよう提案.
6 サントス・ロペス大尉にひきいられたFSLNゲリラ,国境地帯のホンデュラス領内で訓練開始.フォンセカはマナグアに潜入,地下組織の結成に動く.フォンセカに同行したホルヘ・ナバロら,銀行襲撃で3万5千コルドバを獲得.マナグアのムンディアル放送局占拠を決行しフォンセカの起草したFSLN創立宣言を発表させる.FSLN,機関紙「赤と黒」,「斬壕」を発行
7 コスタリカ,米国の調停を受け中米共同市場に加盟の方針に変更.
8 南方軍司令官の直接指揮下に「中南米消防隊」創設.空挺部隊,上陸作戦部隊などで構成,暴動鎮圧を主要任務とする.中米機構内に中米防衛局を設置.ペンタゴンの指揮下に各国参謀長を結集.
10.22 ケネディ大統領,ソ連ミサイル配備を理由にキューバ海上封鎖を宣言.28日にソ連はキューバに無断でミサイル撤去を通告.
62年 国際キリスト教労働運動の支援により,労働者組織「独立組合運動(MOSAN)」が結成(一説に60年).
62年 U・オルテガ,JPNを母体に「サンディニスタ旅団」を結成,武装行動を展開.
1963年
1 中米5ヵ国外相会議.キューバ制裁を協議.
2.03 ルイスの盟友で,ターチョ・ソモサの秘書を長年つとめたレネ・シック・グティエレス,ルイスの代理として大統領選に出馬.保守党のディエゴ・チャモロを破り当選.
3.18 ケネディと中米6ヵ国の首脳によるサンホセ会議開催.「キューバ包囲網の構築」を内容とするサンホセ宣言を採択.
5.01 レネ・シックが大統領に就任.「進歩のための同盟」にあわせ,一定の「自由化」政策をとる.ルイスはPLN党首として影響力を保持.アナスタシオは引き続き国警隊長官の地位にとどまる.保守党は選挙をボイコット.その後アグエロは,党内旧主流派に寝返る.MDPCの主力は,これに抗議しキリスト教社会党(PSC)に合流.チャモロは残留.
63年7月 サンディニスタ,ゲリラ作戦開始
7 サントス・ロペスの率いるFSLNゲリラ,大西洋岸よりヒノテガ県内に進出.パトゥーカ,ライティで攻撃開始.政府は機動部隊を派遣.ボカイにおいて第1回目の戦闘となる.たたかいは敗北に終わり、ホルヘ・ナバロは捕らえられ虐殺.
8 FSLN,ヌエバセゴビアで国警隊襲撃.5名を殺害.国警隊兵営襲撃を企てたD.オルテガら逮捕.
8 ニカラグアの基地から出撃した爆撃機,カマグエイの精糖工場およびカシルダ港の石油基地を爆破.マナグアでソモサのキューバ侵略加担に反対するデモ.
8 米国と中米5ヵ国の内相会議,マナグアで開催.人民弾圧機構の一本化を検討.
9 ホンデュラスとニカラグアの両軍,国境地帯のゲリラ殲滅のため共同作戦.ホネトペ地区に戦力と爆撃を集中.
9 「進歩のための同盟」通商委員会設置.ロックフェラーなど多国籍企業の代表から構成され,援助を利用した収奪をより強めるために機能.「米国は投資にとって有利な環境を作りだす措置をこうずる国にのみ,援助計画を実施しなければならない」と主張.
11 FSLN,リオココの戦いでも敗北,当面直接の戦闘を断念,都市での地下活動に重点を移す.この年フランシスコ・ブイトラーゴ,ファウスティーノ・ルイス、ボアネグレス・サンタマリア、イバン・サンチェス、モデスト・ドゥアルテ、マウリシオ・コルドバが戦死.
12 米国の後援によりグアテマラ,ニカラグア,ホンデュラスの三ヵ国が中米防衛共同体(CONDECA)結成.米国の指導の下に,ゲリラ活動に対する共同防衛を目的とし,武器や訓練の共通化,ゲリラ情報の交換をおこなう.本部はパナマの南方軍司令部内に.若手将校はパナマの米国軍事学校に送られ,古典的戦略から,対ゲリラ戦略への変更と,徹底した反共教育を受ける.65年にエルサルバドルが,66年にコスタリカ,74年にはパナマも加盟.
63年 米国国際開発局(AID)の指導によりニカラグア開発協会(INDE)設立.指導者にフェリペ・マンティカ,エンリケ・ドレイファス,アルフォンソ・ロベロ,ウィリアム・バエズら.INDEを窓口に,食品加工,漁業,タバコ,紡績,製材,精油,製陶などの米国資本が流入.
63年 CGTよりPSN系の活動家が分裂.CGTI(独立CGT)を結成.都市に人民委員会を組織,水道税新設反対の住民運動などを展開.共和主義動員党も共闘に加わる.FSLNはこの闘争のなかで地下組織を再建.レニン・セルナが旧JPN活動家を組織.D.オルテガ,エドムンド・アビレス,フランシスコ・モレーノらがFSLNに加入.
63年 PSCの青年組織「キリスト教民主青年運動(JDC)」,国立大学自治会中央委員会(CUUN)とニカラグア学生連合(UNEN)を掌握,学生運動の主流となる.FSLNは革命学生戦線(FER)を組織.
1964年
2 ニカラグアで日本商業見本市開催.
3 PSNからモスクワのルムンバ大学に派遣されたオスカル・アリエル・トゥルシオス,毛沢東主義的傾向を非難され放逐.ニカラグアに戻る.翌年,ブイトラーゴやD.オルテガのすすめによりFSLNに加入.
5 モンキー・ポイントを基地とするキューバ反革命ゲリラ,船でオリエンテ州ピロン港の精糖工場を襲い,砲撃を加える.
7.9 マナグア潜伏中のフォンセカ,メキシコ人ゲリラのチラード,逮捕される.フォンセカは法廷でFSLNの存在と主要幹部の名を証言.
7 キューバ支援の学生デモ,国警隊との衝突で多数の逮捕者を出し鎮圧.
64年 カルロス・タネルマン,自治大学総長に就任,以後10年間総長を勤める.のちに12人委員会には,タネルマンのほか,セルヒオ・ラミレス,エルネスト・カスティージョの3教授が参加.中米大学学生でJPN指導者のフリオ・セサル・ブイトラーゴ,FSLNに加入.学生内にFERの影響力を拡大.
64年 D.オルテガ,グアテマラに逃亡中を逮捕.GNに引き渡され拷問を受ける.
1965年
1 CIAとソモサ兄弟,「コスタリカ・リブレ」なる陰謀組織を結成,武器援助.コスタリカ議会,調査を要求.
1 フォンセカ,グアテマラに追放.
2 FSLNの軍事指導者サントス・ロペス大佐,ハバナで病没.
5 政府,ドミニカを占領した米軍援助のため,1個師団を派遣.マナグアでドミニカ侵攻に抗議する2万5千名のデモ.
12 フォンセカ,ニカラグアに潜入.
65年 FSLN,PSNとの共同で合法政党として「共和主義運動」を提唱.ボルヘを合法面の責任者として新聞の発行を企画するが,短命に終る.
65年 H.オルテガ,FSLNに加入を申し入れる.FSLNは「極左的偏向」を理由に8ヶ月にわたり承認を保留.
65年 トラピスト派のエルネスト・カルデナル神父,ソレンチナメ島に,ホセ・デ・ラ・ハラ神父,マナグアのバリオにそれぞれキリスト教基礎共同体(CEB)を建設.とくにカルデナルの実践は「ソレンチナメの福音」として国際的評価を受ける.
1966年
1 第1回3大陸人民連帯会議,ハバナで開催.LA連帯機構のハバナ常設と来年の大会開催を決定.
6 レネシック,進歩的みせかけをとるため,「扇動家」3名を殺したGN士官を逮捕し軍法会議にかける.GNを中心とする強硬派は,この処置に猛反発.ルイスと弟のアナスタシアGN長官のあいだに緊張.
6 ニカラグア教育労働者が遅配賃金の支払を要求してゼネスト.
7 トゥルシオス,ゲリラの一隊をひきいてグアテマラにおもむき,トゥルシオス・リマ(別人)のFARに参加.
8.03 レネ・シック大統領,心臓マヒで死亡.ロレンソ・ゲレーロ・グティエレスが臨時大統領に昇格.アナスタシア・ソモサ(タチート)を先頭とする極右派,PLNの主導権をにぎり,タチートを次期大統領候補に指名.
9月 ボイコットの立場をとっていた野党,OASの説得により参加に回る.保守党,キリスト教社会党,独立自由党よりなる反対派国民連合(UNO)結成.アグエロが代表として大統領選に立起.ソモサのテロに対し,アグエロは訪米し国務省に保護とOAS人権委員会の派遣を要請するが認められず.
10 タチート,ゲレーロに強要し,殺人士官を無罪釈放させる.軍事組織「ソモサ主義退役将校,労働者,農民軍事機構(AMOROCS)」を結成,反対派をつぎつぎに暗殺.
12 FSLN,マタガルパ東方ダリエン山脈の山村パンカサンにゲリラ基地建設開始.住民の支持をはじめて獲得.都市部では地下組織「内部戦線」を結成.D.オルテガが司令官に就任.
タチート時代の開始 1967年
1 病弱のルイスに代わりアナスタシオが大統領選に立起.保守党とPLI,キリスト教社会党(PSC)は全国反対同盟(UNO)を結成,フェルナンド・アグエロを候補者に指名.
1.22 アナスタシオ,国警隊長官在職のまま大統領に当選.UNO,ソモサ就任に反対しGNからのソモサ派放逐を要求する6万人(一説に4千名)のデモを組織.国会宮殿に向かうデモ隊に対し,国警隊の発砲.40人(一説に3百名)が死亡,百人以上が負傷.アグエロは自宅軟禁状態におかれる.
1.23 モンセニョール・ダンテ・ポルタルピが教皇使節として仲介に乗り出す。
1.25 繁華街をデモする民衆に対し,軍が銃を乱射.通行人を含め多数が死傷.
5.01 アナスタシオ,大統領に就任.
4.13 ルイス・ソモサ,心臓発作により死亡.タチートによる毒殺のうわさあり.
67年4月 パンカサンの闘い
4 FSLN,1年間の組織工作の上,ソモサ打倒を訴えパンカサンで戦闘開始.35名のゲリラがフォンセカ,ボルヘ,マヨルガの3隊にわかれ国警隊を迎えうつ.マタガルパでFSLNの待ち伏せ攻撃.国警隊28人が死亡.
8 ハバナでOLAS大会開催.ニカラグア代表としてブイトラーゴが参加.
8 FSLN,重火器とヘリコプターにより武装した国警隊4百名の前に惨敗.創設者のマヨルガ,ボカイ以来の戦士パブロ・ウベダ(本名リゴベルト・クルス)が死んだ他,ダニロ・ロザレス(医師)ら半数以上が戦死.フォンセカ,ボルヘはキューバへ逃れる.その後,ニカラグア農業労働者連合(CGTAN)に対する弾圧強化.FSLNは体制建て直しのため,農村より都市ゲリラ(銀行襲撃など)に重点を移す.FER,パンカサン蜂起のあと学生のあいだに影響力を獲得.UNANマナグアでは主導権を確保.
10 D.オルテガとグアテマラがえりのトゥルシオスをふくむ内部戦線のコマンド部隊,GN保安部の拷問専門家ゴンサロ・ラカヨ軍曹を暗殺.他にいくつかの銀行襲撃作戦.
10 ソモサ,米国に対しニカラグア軍のベトナム派兵を提案.
11 内部戦線指導者のD.オルテガ,銀行強盗と暗殺の罪で逮捕.
67年 ソモサ腹心のオスカル・モラレス大佐,破壊活動を試みたとして先任将校を射殺,サンチアゴ火山に投込む.国警隊の内紛に発展する.
67年 PSNより派遣されモスクワのルムンバ大学留学中のヘンリ・ルイス,平和共存路線に反発.ルムンバ大学を中退するとともにPSNを脱退しFSLNにくわわる.
1968年
3 コスタリカでフォンセカ,ボルヘ,ブイトラーゴらが集まり,パンカサン後の方針について会談.長期人民戦争路線を確認する.ブイトラーゴ,いったんコスタリカ警察に逮捕されるが1週後に釈放.
9 ブイトラーゴ,マナグアの地下組織再建に成功.最初の行動として銀行襲撃を敢行.
68年 AFL=CIOの指導下に,労働組合統一会議(CUS)設立.
68年 体制派のゴンザレスにかわり,教会内進歩派のミゲル・オバンドがニカラグア大司教となる.教会はこの後急速に左展開,オバンドは民衆から「ミゲル司令官」と呼ばれる.
1969年
1 ボルヘ,コスタリカで国内潜入の準備中逮捕.その後ハバナへ脱出.
7 フリオ・ブイトラーゴ,マナグア市内ラスデリシシアス・デルボルガのアジトに潜伏中を襲われる.激しい銃撃戦の末殺害,このときティヘリーノも逮捕.ブイトラーゴの後継者としてレオネル・ルガマが国内指導にあたる.
8.31 フォンセカ,「長期人民戦争」をうたったFSLN綱領をあらわす.サンホセでエルビハオ・シニカのゲリラ作戦開始のため銀行襲撃を敢行.コスタリカ警察により逮捕.
11.4 ペドロ・アラウスら,ニカラグア機のハイジャックに成功,キューバにわたる.
12.31 ルーフォ・マリンを指揮官とするFSLNコマンド,アラフエラ監獄を襲撃.いったんフォンセカの救出に成功するが再逮捕,この作戦でウンベルト・オルテガ重傷をおい逮捕.
69年 イエズス会,福音農業振興委員会(CEPA)を設立.のちにATCの母体となる.
69年 学生革命戦線(FER)にキリスト教民主戦線(PDC)左派も合流.学生運動の主流を掌握する.指導部にソクラテス・フローレス,ミケル・ナヒリス,バヤルド・アルセら.三派分裂後はGPPの学生組織となる.
1970年
1 レオネル・ルガマ,マナグアのアジトを襲われ殺害.トゥルシオスがこれにかわり国内潜入.「長期人民戦争」路線を戦略的に確立し,ニカラグアのボー・グアン・ザップと称される.
4 レオンの公安調査局長銃撃のあと潜伏中のルイス・アマンダ・エスピノサ,エンリケ・ロレンテ殺害される.地方に続き,都市でも組織維持が困難となり,国内での活動はほぼ消滅.
10.21 カルロス・アグエロ(保守党首アグエロの甥)の指揮するFSLNコマンド,コスタリカ機をハイジャック,身代金と,フォンセカ,H.オルテガ,ルーフォ・マリンをはじめとする政治犯釈放を実現する.
11 FSLN,オスカル・トゥルシオスの指導で,ニカラグア北部のエルビハオ=シニカでゲリラ戦展開するも駆逐される.しかし初めて敵の包囲網を突破し主力の温存に成功.また農民の支援とゲリラへの参加をかちとる.GNは作戦地域に対し無差別弾圧を施行.このころからFSLNは固定した根拠地作りをめざすゲバラ路線を離れ,毛沢東やベトナム戦争の戦略に学び,長期持続闘争の路線を確立.
12 社会党の一部,ニカラグア共産党(PCN)を結成,FSLNを冒険主義,左翼小児病と批判.
70年 ニクソンの有力な後援者であるハワード・ヒューズ,シェルトン大使の勧めで2年間にわたりマナグアに滞在.ソモサとの財閥との癒着深まる.
70年 FSLN,メキシコ政府の黙認の下に連帯委員会を設置.ホンデュラスからの武器輸送ルートの開拓にあたる.責任者にエドゥアルト・コントレーラス(マルコス).
70年 フアン・ホセ・ケサダ,PFLPのハイジャック作戦に参加し戦死.
70年 ブライアン・チャモロ条約失効.
70年 中米大学の教官,ウィーロック,GN士官殺害の疑いを受けチリに脱出.サンチアゴで従属論学派の影響を受ける.
1971年
5 中米大学(イエズス会経営)の学生100人が,マナグア大寺院のほかいくつかの教会を占拠,ハンストに入る.エルネストの弟で中米大学教授のフェルナンド・カルディナルが指導.ポマレス,ティヘリーノらの釈放を勝ち取る.ニカラグア問題が国際的に注目を浴びるようになる.
8.31 アナスタシオ,任期満了を前に任期の1年延長を提案.自党内からも反対の声が起こる.ソモサは国会を解散し、憲法を廃止する。
71年 ウリエル・モリーナ神父,マナグアのバリオで「キリスト教革命運動(MCR)」を始める.BANIC会長でニカラグア一番の富豪カリオンの息子ルイス・カリオンも当初より参加.
1972年
1月 ソモサ,再選禁止条項の抜け道を探すため保守党との間で取引.議会を解散し大統領制を廃止.アグエロを含む3人からなる「政府評議会」が74年までの3年間統治を行うというもの(クピア・クミ協定).この協定を巡り保守党が分裂,ラプレンサ紙はこの妥協に対し反対の論陣を張る.カトリック教会もソモサの政治を批判する司牧教書を発表.
2.06 制憲議会選挙が施行される。ソモサ与党の国家自由党が100議席中60を獲得。
5.01 ソモサ大統領が辞任。三人からなる政府評議会体制に移行。ロバート・マルティネス・ラカヨ将軍、アルフォンソ・ロボ・コルデーロ、フェルナンド・アグエロ・ローチャがメンバーとなる。ペドロ・ホアキン・チャモロは保守派国民行動(ANC)を組織,残りもアグエロの真正保守党と民主保守党に分裂.
4 オルテガ兄弟の末弟カミロ,ゲリラ戦に参加.ハバナにわたり訓練を開始.
4 エルサルバドルで大統領選をめぐりクーデター.民主運動弾圧に,ニカラグアとグアテマラの合同軍派遣.
5.01 ソモサ,任期を満了.政府評議会へと移行.メンバーはロベルト・マルティネス・ラカヨ,フェルナンド・ベルナベ・アグエロ・ロチャ,アルフォンソ・ロボ・コルデーロの三人.アグエロ以外はソモサのカイライ.
8 マルクス・レーニン主義人民行動運動(MAP・ML)結成
9 ニカラグア労働者連合(CTN),MOSANの後身として発足.
1972年
12.23 マナグア市中心部を震源とするマグニチュード6.3の大地震,死者2万名,家屋倒壊30万戸.ソモサはGN長官として全権を掌握.評議会を廃し,戒厳令を公布.国家危機対策委員会を設置し議長に就任,1千万ドルにのぼる海外援助の窓口とする.復興資金で私腹を肥す.GNは震災後の街で掠奪行動に狂奔.米国はソモサ体制擁護のため海兵隊を上陸させる.アグエロはこれに抗議して辞任.キューバは50名の医療チームを派遣.バリオで毎日千人以上の住民を診察.
72年 フォンセカ,「プロレタリア戦士サンディーノ」を発表.サンディーノをレーニン,毛沢東,ホーチミンらとならぶ民族的マルクス主義者と位置づける.
72年 イギリス系の名家出身でUNAN政治学教師のハイメ・ウィーロック・ロマン,GN将校暗殺の疑いで追われチリに逃亡.従属派の影響を受け「帝国主義と独裁」を発表.CACM結成後の近代化を重視し,労働者に基礎をおいた強固な前衛党の結成と,社会主義的目標の重視を主張.チャモロら反ソモサ・ブルジョアジーとの連係には反対.
1973年
1 フェルナンド・カルデナル,中米大学学生を中心にキリスト教青年運動を組織,マナグア市民の救援と組織化に乗り出す.キリスト教改革推進委員会(CEPAD),プロテスタント系教会の行動組織として発足.これらの組織の宗派を越えた調整体として革命的キリスト者運動(MCR)結成.
2 ラプレンサ紙,復興資金の横流しと着服を暴露.ソモサは「政府関係者を中傷する新聞記者は,罰金刑に処す」と布告.
3.01 第二次評議会発足.アグエロは評議会から排除され,代わりにエドムンド・パグアガ・イリアスが就任.
9 国内地下組織の指導者トゥルシオス,ナンダイメ潜伏中を襲われ殺害.これにかわりペドロ・アラウスが指導.
73年 震災後のインフレ農村を直撃,争議頻発しCEPAは急速にFSLNに接近.
73年 震災後の復興のため労働強化を強制する週60時間労働法に抗議し,賃上げを要求するゼネスト起こる.政治改革を要求する大衆デモ発生.政治囚の家族はハンスト決行.共産党,行動と団結のための労働者センター(CAUS)結成.MAP・ML,労働組織「労働者の力(FO)」を結成.
1974年
74年 カリオン,ホアキン・クアドラやアルバロ・バルトダーノなどを糾合しMCR内にFSLN組織を拡大.
74年 ミスキート族とスモ族を代表する先住民組織,ミスキート・スム進歩同盟(ALPROMISU),モラビア教会のネットワークを基礎にソモサのきもいりで設立.先住民世界評議会に加入.
3 議会,ソモサの提案した憲法改正を承認.これによりソモサの再選が可能となる.
7 ソモサ,クピア・クミ協定を破棄しふたたび大統領選に立起.チャモロ,ソモサ再選に反対し保守党と自由党系諸派,社会党(PSN)等を糾合して自由民主連合(UDEL)を結成.元教育相のラミロ・サカサ,ソモサ再選に反対し立憲自由党(PLC)を結成,UDELに参加する.労組としてはCGTI,CTNが参加.政府はスト禁止法で対抗,多くの労組活動家が投獄.
9.01 大統領選挙および国会議員選挙。ソモサが当選。
12.01 ソモサ,再び大統領となる.背景にヒューズ財閥の大番頭であるシェルトン米大使の強力な援助.
12.19 アグエロの部隊,ヒノテガの銀行を襲撃.クリスマス作戦の資金調達にあたる.この頃FSLNの兵力は百名以上に増加.
12.27 コントレーラスが指揮官(コマンダンテ・セロ)をつとめポマレス以下13名のFSLNコマンド(ファン・ホセ・ケサダ部隊),ソモサの腹心で富裕な綿花貿易商,ホセ・マリア・カスティージョ前農相の主催する米大使歓迎のクリスマス・パーティーを襲撃,駐米大使,外相,ソモサの義弟,甥などソモサ側近17人を監禁.
12.30 オバンド大司教の仲介で,政府とゲリラとの交渉成立.ゲリラは100万ドルの身代金と,ダニエル・オルテガらゲリラ犯14(19?)人の解放,マスコミを使っての声明の発表などに成功.キューバに亡命.ソモサはただちに非常事態宣言.3年間にわたる野蛮な弾圧始まる.
1975年
8 米国,チャモロを始めとする合法的反政府指導者たちと接触開始.
8 チラード,ルイス,カルロス・アグエロ,ペドロ・アラウスら,リオブランコ・ワスララでゲリラ戦を展開.フォンセカ,ニカラグアに潜入するが,1ヶ月後にハバナに脱出.
10 FSLN,ウィーロック,カリオンらを除名.除名された一派はプロレタリア派をなのる.学生層を中心とした都市ゲリラの中から生まれ,マナグア市内におけるFSLNの主流となる.ハイメ・ウィーロックはニカラグアに戻りプロレタリア派の指導者となる.ほかにルイス・カリオン,カルロス・ロベルト・ウェンベス,ヌニェス兄弟らが指導.挑発行動を排し,学生,貧民,労働者の宣伝・組織に重点をおく.労働組織として革命的労働者委員会(COR),住民組織として住民革命部隊(CRP),青年組織ニカラグア革命青年戦線(JRN),学生内にFER=ML,貧民組織としてマナグア市内バリオ青年運動連合(FMJBM)を組織,思想的にはもっとも「伝統的マルクス主義」に近いといわれる.
75年 ニカラグア保健労働者組合(FETSALUD)結成.もっとも戦闘的な労働組合となり,FSLNに接近.
1976年
2 ソモサ戒厳令を公布,政治弾圧,空前の厳しさに.ボルヘ,フォンセカとの会談直後に逮捕.
9 キリスト教社会党より,キリスト教人民社会党分裂.その後FSLN第三者派と政治的に合流.
8 FSLNの方針をめぐり混乱.フォンセカはプロレタリア派およびオルテガ,チラード派を厳しく批判.
11.7 コントレーラス,マナグア郊外のアジトを急襲され射殺される.
11.8 FSLNの分裂を回避しようとするフォンセカ,シニカでGNの手により暗殺.
11 ウェンベス,待ち伏せにあい死す.プロレタリア派は,ウィーロック,カリオン,ヌニェスが一斉に国内に潜入.ヌニェスはFER内での影響力を拡大,キリスト教革命運動(MCR)にたいしても指導権を確立する.FSLNはウィーロックを暗殺対象にリストアップし命を狙うにいたる.
11.07 FSLN幹部会,プロレタリア派敵視の方針を貫徹せず,奇襲作戦や都市での武装行動をもっぱらとする第3者派を「除名」.以後も山間部中心の農民ゲリラのスタイルを守る.ヘンリ・ルイス(モデスト),バジャルド・アルセ,プルタルコ・エルナンデス(コスタリカ人)らが指導,長期人民戦争派(FSLN=GPP)とよばれる.FER主流派はGPPにとどまる.第3者派は蜂起派あるいはキリスト教派とも呼ばれる.オルテガ兄弟,ビクトル・チラード(メキシコ人)らが指導.組織原則からマルクス主義的主張を除き,戦線内部の政治的複数主義を主張.過激な実力行動を通じて中間階層の支持を急速に獲得.学生組織としてサンディニスタ革命青年をもつ.
1977年
1 ニカラグア司教会議,司牧教書を発表.ソモサによる虐殺や暴行などを激しく非難.
1 カーター大統領就任.ソモサに「人権外交」の圧力かかる.
2 CONDECA,シニカを中心に共同演習「アギラ6」.米南方軍の将校14人が指揮.
4 カルロス・アグエロ戦死.妻はのちにH.オルテガと再婚.
5 テロ活動防止特殊工作部隊(BECATs)創設.指揮官にソモサの息子ソモサ・ポルトカレーロ(チグイン).ソモサの弾圧はますます野蛮となる.
6 グレナダで第7回OAS総会開催.バンス国務長官,人権が守られない国へは援助を凍結すると演説.グアテマラ,エルサルバドルはこれに反発し,自ら援助を拒否.
7 ソモサ,心臓発作で倒れる.一時,再起不能説流れる.米国は軍用機を派遣,療養のためマイアミに移送.
7 COSEP(民間企業最高会議)左派のホアキン・カドラ,エミリオ・バルトダーノ,アルトゥーロ・クルス,フェリペ・マンティカ,FSLN第三者派と接触.ホアキン・クァドラの息子はクリスマスパーティー襲撃事件にも参加した筋金入りのゲリラで、その説得を受けたといわれる。
8 オバンド大司教,ソモサの退陣を公然と要求.
8 国際アムネスティ,非常事態下のニカラグアにおける人権侵害を告発,米国内での反ソモサ機運高まる.議会は「人権尊重の意志がみられるまで」軍事援助を一時凍結.
9.19 ソモサ,カーターの人権外交の圧力を受け非常事態を解除.検閲制度も廃止する.米国はただちに250万ドルの軍事援助を再開.
9.20 ソモサ,マイアミより帰国.チャモロ,米国の支持を受けて反ソモサ・キャンペーン開始.
9.29 中産階級の女性の組織化を目標に,レア・ギドとグロリア・カリオンの指導で「国民的課題のための婦人協会(AMPRONAC)」設立.
77年10月 最初の一斉蜂起
10.12 第三者派,「大衆の武装蜂起は,ソモサ独裁打倒・民主主義実現の手段であり,民主主義は民族解放と社会主義をめざす条件である」と声明.ソレンチナメの農民ゲリラを主力にサンカルロスの兵営を襲撃.他にオコタル,リバスでも行動.FSLN=GPPは,マナグア,マサヤ,北部で行動,サン・フェルナンドでは兵営を一時占拠.軍事的には成果は少なく犠牲者は多かったが,FSLNの顕在ぶりを示すことに成功.
10.18 コスタリカに亡命した「12人委員会」(El Grupo de los Doce)が声明を発表.ソモサ政権の打倒と,FSLNを含む再建政府の樹立をよびかける.以後世論は急速にFSLN受容に動く.
Sergio Ramírez Mercado: 作家、FSLN党員
Arturo Cruz Porras: IADB役員
Carlos Tūnnerman Bernheim: 国立自治大学学長。
Miguel D'Escoto Brockmann: メリノール会神父、世界教会評議会委員、FSLN党員
Joaquín Cuadra Chamorro: 企業会計士
Felipe Mántica Abaunza: スーパーマーケットチェーン社主(まもなく離脱)
Ricardo Coronel Kautz: 農園主
Fernando Cardenal Martínez: イエズス会神父。FSLN党員
他にEmilio Baltodano Pallais(経営者)、Carlos Gutiérrez Sotelo(歯科医)、Casimiro Sotelo Rodríguez(建築家)10 ソモサ,イスラエルなどから武器1千万ドルを購入,軍を7千名に増強,ゲリラ追撃のためコスタリカ,ホンデュラスに越境攻撃.両国との関係悪化.ペドロ・アラウス,マナグア=マサヤ間の国道で逮捕・殺害される.
10 第三者派,農業労働者委員会を結成.カラソ,リバス,ヌエバ・セゴビアを中心に活動開始.
77年11月
11 INDE,新事業税に対し不払い運動を行なう.
11 オバンド大司教,「国民的対話のための調停委(フォーラム)」を呼びかける.ただし「国民的団結」の名のもとに,PLNやGNを温存しFSLNは除外.ソモサは81年の任期中の退陣を拒否.社会党はフォーラムへの参加をめぐり2派に分裂.左派は79年FSLNに合流.
11 国警隊,FSLNのアジトを襲撃,知識人,聖職者,実業家よりなる「革命政府閣僚」名簿を押収.
77年12月
12 マウリシオ・サローン米大使着任.81年までのソモサ続投を前提としつつ,後継問題についてソモサ派と野党との調整を翌年2月に開始すると表明.
12 ヒュック国会議長やチグインなどが経営するプラズマフェレーシス社,国民から採血した血液を密かに米国の血液会社に売却,不当な利益を上げる.チャモロ,ラプレンサ紙でこれを暴露.ソモサを窮地に追いこむ.
1978年
78年1月
1.10 チャモロ,チグインの部下シルビオ・ペーニャにより待伏せ,暗殺される.数時間後に抗議の群衆は数万にふくれ上がり,プラズマフェレーシス社やソモサ系企業を焼打ちにする.ラプレンサ紙は30年代の「前衛派」世代を代表する詩人パブロ・アントニオ・クアドラを編集長に据え,さらに激しいソモサ批判を展開.
1.23 UDEL,民主的諸権利の実現,チャモロ暗殺者の懲罰,ソモサ退陣を要求し市民ストをよびかけ.ニカラグア教会はソモサ退陣を求める司牧教書を発表.
1.24 財界指導下の「ゼネスト」2週間にわたり続く.経済活動の8割が麻痺状態となる.
1.25 保守党アグエロ派,ソモサ退陣を要求しPLNとの協定破棄を通告.
1.30 米国,78年度対ニカラグア軍事援助を凍結.
78年2月 モニンボの蜂起
2.02 カミロの創設した南部戦線,グラナダのポルボラ兵営を襲撃,リバス攻撃もおこなうが敗退.コスタリカ領内のゲリラは国境地帯の駐屯地を越境攻撃。
2.05 地方自治体選挙,保守党はソモサ辞任を要求しボイコットをよびかける.投票率は20%にとどまる.
2.05 コスタリカ大統領選で、カラソが当選。反ソモサの立場を明確にする。
2.06 UDEL,ふたたびスト決行.
2.10 GPPの影響下にあるモニンボ地区の住民2千人,チャモロ追悼ミサ.広場をチャモロ広場と改称し妨害に入ったGNを実力排除.バリケードを築いて対決の構えをとる.第三者派は都市占拠は時期尚早としてこれを批判.
2.11 ソモサ大統領,1981年まで引き続き政権を担当すると言明.
2.12 第3者派,全兵力を都市部に集中.モニンボに呼応しマサヤ,レオンで蜂起,グラナダ,リバス,エル・ロサリオでも兵営を攻撃.各地に市民防衛委員会を組織.
2.14 エルサルの都市ゲリラERP、サンサルバドルのニカラグア大使館に爆弾テロ。
2.20 国警隊,モニンボの反政府デモを襲撃,多数の犠牲者を出す.
2.21 マナグアとマタガルパで反ソモサのデモ。
2.25 モニンボの住民,地域を占拠.バリケードを築き全面対決の体制に入る.第三者派は独自の指揮権を留保しつつこの戦闘へ参加することを決定,カミロ・オルテガらを送る.
2.26 モニンボ地区に対するGNの総攻撃開始.重火器による砲撃と無差別空爆のあと市内へ突入.2百名を越える住民がカミロとともに虐殺される.
2.26 ディリアンバでも暴動起こる.2月1日以来の死者は45人となる.
78年3月
3.01 UDEL,ストをよびかけるが企業ブルジョアジーの支持をえられず失敗.
3.02 マナグアで反ソモサのデモ.軍が直接弾圧.
3.03 レオン市内の原住民地区スブティアバで暴動.
3.09 国家警備隊のナンバー2,レイナルド・ペレス・ベガ将軍が、FSLNの手で「処刑」される。ソモサの腹心として人民弾圧にあたり、モニンボの虐殺を指揮した。ノラ・アストルガがペレス・ベガをおびき出し仲間に引き渡したという。
3 ソモサ,「国民的対話」をよびかけ,最低賃金の引き上げ,農村部での社会保障,1ヶ月のボーナス支給(アギナルド)などを約束.ブルジョア反対派との間に交渉開始.
3 農業労働者連合(ATC)設立.前年の小作争議に勝利したサンアントニオ農場の労働者が主体となる.CEPAの活動家を吸収しFSLNの強固な基盤となる.(一説に7月25日)
3 第三者派と長期人民戦争派の大衆組織として統一人民運動(MPU)結成,ヘンリ・ルイスが指導,FAO内左派として活動を始める.議長にはUNAN教授でパレスチナ系のモイセウ・アッサンが就任.反帝反封建の課題を保留し,反独裁・民主主義実現で大衆の結集をはかる.メキシコはサンディニスタへの援助を開始,メキシコへの代表部設置を許可.
3 48の教会が学生により占拠.50の高校が全国高校生協会の指導によりストライキ,占拠.
3 COSEP主流派のアルフォンソ・ロベロ・カジェハス,ニカラグア民主運動(MDN)を結成.
78年4月
4 サンディニスタの母親たち,ハンガーストライキ突入。
4.13 FSLN指導者の一人プルタルコ・エルナンデス・サンチェス、コスタリカ国内で逮捕される。
4.17 GN,ハンスト中の農民に発砲.15名が負傷
4 運輸,建設,医療労働者1千名が,48時間スト.
78年5月
5.01 UDELのラファエル・コルドバ議長,メーデー行進中を逮捕.ラ・プレンサ紙,独立系放送局,襲撃を受ける.
5.16 米政府、ニカラグアへの経済援助1200万ドルを再開。
5 UDEL,12人委員会,MDNが結集し反対派拡大戦線(FAO)を結成.FSLNは12人委員会を通じてFAOとコンタクト.
5 新聞記者のスト.
6.21 ストライキをほぼ押さえ込んだソモサ、訪米し米国内の支持派と会談。
78年7月
7.17 FAOの指示による24時間ゼネストが決行される。このほかにも都市においてストライキ頻発す.医療労働者は1ヵ月にわたるスト.MPUにはFSLNの他CGTIなど労働運動指導者,学生組織代表,共産党,社会党が結集.保守党(アグエロ派),キリスト教社会党もFAOに参加.ソモサの大衆基盤,ほぼ消失す.
7.20 サンディニスタ,マナグアの国警隊本部(バンカー)をロケット砲攻撃.
7 ソモサ,12人委員会の帰国を許可.
7.26 MPU,国家再建計画を発表.政治信条の如何を問わずすべての反ソモサ勢力の結集を訴える.FSLNを民族統一戦線として規定,政治的複数主義と混合経済体制を採用.ラジオ・サンディーノ,コスタリカにおいて放送開始.第三者派,3派の統一をよびかける.
78年8月
8.03 オバンド大司教,ソモサ退陣を勧告す.しかしその前提としてソモサと国民との和解を提案するなど偽マン的.教会は反対派のセンターとして活用されるようになる.
8 ラプレンサ紙,発刊停止処分
8.21 FAO,広範な社会改革を含む16項目からなる政治綱領を発表.
8.22 第三者派,国警隊のクーデターを未然に防ぐため,25名よりなる「リゴベルト・ロペス攻撃隊」を組織.EEBIに偽装し国会宮殿を占拠(豚小屋作戦).指揮者は,パストラのほかウーゴ・トレス,ドラマリア・テレスがあたる.国警隊参謀長を殺害,国会議員と議会職員など二千名を人質とする.
8.24 オバンド,およびコスタリカ,パナマ大使の調停により事件は解決.2日半にわたる交渉のすえ,ボルヘ,ティヘリーノ司令官を含む59人のFSLNメンバーの釈放,FSLN声明のラジオ放送.50万ドルの身代金を獲得.部隊はキューバへ亡命.
8.25 FAO,FSLN第三者派との協定にもとづき,ゼネストを呼びかける.CUS,CTN,CGTIが参加,医療,建設,航空労働者は無期限ストに突入.CUSはまもなく脱落.1カ月後,敗北に終る.
8.27 COSEP,ゼネスト支持をうちだす.同時にソモサとサンディニスタの排除を前提とした政権構想を提示.
8.28 ラリオス大佐を首謀者とする国警隊内のクーデター計画が発覚。85名が逮捕される。CIA指導の下にソモサ無きソモサ体制の維持を図ったもの。
8.31 マタガルパ,ヒノテペなどで,自然発生的な人民蜂起.マタガルパでは50人が死亡(ムチャチョスの反乱).
78年9月
9 人民運動連合結成.FSLN,社会党,共産党が参加.最終攻勢に向け,武装蜂起の支援部隊となる市民防衛委員会の組織をよびかける.第3者派,FAOにたいし臨時政府構想を提案.ラミレス(12人委員会),ロベロ(ニカラグア民主運動),コルドバ(自由民主連合)の3人を首班とする.FAOも一旦これを了承.
9.09 FSLN,ポマレスを指揮官とし3派の共同で各地の兵営を攻撃,第3者派はレオン,マサヤ,GPPはエステリ,チナンデガで蜂起.レオンを一時支配下に置き、マサヤでGN司令部を3日間占拠するなど,約2週間にわたり持ちこたえる.
9.10 コスタリカ国内のFSLN部隊、国境を越えペーニャス・ブランカスを攻撃。
9.11 ソモサ,全土に期間30日の戒厳令布告.空軍機は国境を越えコスタリカ領内のFSLN基地を爆撃。
9.12 カラソ・コスタリカ大統領,ニカラグア空軍機がコスタリカに越境爆撃と非難.
9.12 ソモサ大統領,政府軍が大攻勢を仕掛けマサヤを奪回したと発表.
9.13 ニューヨークのキューバ国連代表部,ソモサが国民を大量虐殺していると非難する緊急声明.
9.14 ソモサ,30日間の国家非常事態を宣言。国家警備隊の予備役を召集,首都マナグアに外出禁止令.議会,国内戦遂行のため,企業税増額を決定.INDE,全国商業会議は不払をよびかけ.
9.15 レオン,GNの手に陥落.この攻防で百名が死亡.その後マサヤでも三百名虐殺.
9.15 あいつぐ国境侵犯に対し,コスタリカはベネズエラ,パナマと相互防衛協定を結び,ソモサと対決姿勢を強める.
9.20 エステリに空爆開始.FSLNは市民の犠牲を避けるため山間部に撤退,市内は廃墟となる.市民を中心に五百名死亡.FSLNの蜂起は結局敗退するが,兵力は一気に十倍化.
9.21 国警隊の「清掃作戦」,市民に対する無差別襲撃となる.殺人,強盗,強姦,幼児虐殺,赤十字に対する攻撃などで1万人以上が犠牲となる.カーターはこの人権侵害にまったく言及せず.
9.25 ジョーダン米大統領特使,マナグアでソモサと会談.ソモサはカーターの提案を受け入れ。反政府勢力と直接交渉の用意があるとの共同声明.
9.28 コロンビア,ベネズエラの大統領,連名で国連にアピール.市民へのテロの停止と解放闘争支援をよびかける.
9.29 ソモサ,米国の要請によりFAOとの交渉開始を受諾.
FAOからFSLNへ
78年10月
10 伝染性胃腸炎,全国にまんえん.幼児を中心に1万4千人が死亡.
10.03 第三者派のD.オルテガ,チラード,パストラの3人,コスタリカで記者会見.近く軍事作戦を再開すると宣言.
10.05 ソモサ,FAOの辞任要求を拒否.チグインを指揮官として,コスタリカ国境ぞいにGN2千名を配置.
10.06 米国のボウドラー特使,OAS代表をともないマナグア入り.ソモサ退陣とフリオ・キンタナ外相を首班とする臨時政府の方向で画策.同時に,FSLNを支持するベネズエラ,パナマ,コスタリカに対し圧力.
10.13 米議員86名,ソモサの弾圧と暴力に抗議し,2千万ドルの対ニカラグア援助を中止するよう要求.
10.15 FSLN,マサヤでゲリラ戦展開.
10.17 交渉打開のため米,グアテマラ,ドミニカのOAS3国代表がマナグア入り.国際監視下の国民投票を柱とする調停案(ワシントン・プラン)を提示.FAO主流派の抱込みに成功.FSLNは米国の干渉そのものに抗議.ソモサは「辞任を要求されればふたたび力に訴える」と発言.
10 第3者派,方針転換.FAOとの決別,これに代わる大衆運動の動員,ゲリラ闘争と大衆蜂起との結合を内容とする方針を決定.これにより,3派統一への機運が一挙に高まる.
10 リバスの聖心派司祭からFSLNに身を投じたガスパル・ガルシア・ラビアナ司令官,戦死.
10.26 12人委員会,社会党,CTNはFAOの国民投票受入れに抗議し交渉から脱退.FAO幹部の多くも脱落しゲリラ闘争を支持するようになる.
78年11月
11.07 FSLN,マナグア市内で銃撃戦.
11.09 カーター、ソモサ退陣もやむなしとの意向を示唆。
11.17 FSLN,コスタリカ国境ぞいのメディオ・ケサとサバロのGN駐屯地を襲撃.「21日までにソモサが辞任しなければ武力に訴えることも辞さない」と通告.
11.27 米州機構人権委員会、 ニカラグア政府が「重大な、持続的な、無差別の方法で人権を犯している」と非難する報告を発表。
11.21 夜間外出禁止令と検閲が廃止される.
11.21 GN,コスタリカに越境攻撃.コスタリカはニカラグアと断交,FSLNの全面支持に方針転換.ベネズエラもこれに同調し他国の賛同を組織し始める.
11.21 FAO,政府との交渉をいったん断念,その後も米国から交渉再開を求める執幼な策動.
11.22 ソモサ, FAOの辞任要求を最終的に拒否.
11.23 FSLN,総攻撃開始を宣言.
11.26 OAS調停委員会,ソモサの強硬姿勢の前に最終的に調停を断念.OAS人権委員会,国警隊による多くの人権侵害を報告.国連はニカラグア政府を非難する決議.
11.30 ソモサ,留任の是非を問う国民投票の実施に同意すると発表.
11 MPU,FSLNの統一戦線組織として位置づけられる.議長にモイセス・アッサン.
78年12月
12.08 ソモサ,カーターの圧力により戒厳令解除,全政治犯の特赦を発表.右翼化したFAOとの会談再開に応じる.北部山岳地帯ではフォンセカ軍団が9月以来最大の作戦展開.
12.10 FAO,ソモサとの交渉再開に応じる,米国従属の日和見主義に国民の信頼は消失.
12.15 国連総会、ニカラグア政府の人権侵害を非難する決議を採択。
12 中央銀行,1回目の債務不履行.膨大な軍備増強をまかなえず.
12.30 キューバの仲介でFSLN三派が統一に合意.「ニカラグア人民と全世界人民へ」と題する3派合同声明を発表,統一を宣言.反帝反ソモサの「サンディーノ主義」を基本にすえる事で合意.この時点で2千5百名の軍事組織に成長.
1979年
79年1月
1.01 米国,FAOに強制してソモサとの直接交渉を行なわせる.OAS調停委員会は三ヵ国新提案を提示.
1.03 FSLN、北部で大規模な攻撃作戦。55人の政府兵士を殺害する。
1.03 FSLN,マナグア中心部の「ラジオX」局(ソモサ所有)を襲撃.
1.19 ソモサ,留任の是非を問う国民投票を実施するという3ヵ国調停委新提案を最終的に拒否.81年の大統領任期満了まで権力の座に居座ると宣言.以後FAOは影響力を失う.国警隊はさらに増強,1万4千名にふくれ上がる.闘いは激烈になり,ニカラグア経済は麻痺状態に陥る.
79年2月
2.01 FSLNのイニシアチブで民族愛国戦線(FPN)結成.MPUのほか,12人委員会,独立自由党(PLI),キリスト教人民社会党(PPSC),CTNも参加.FAOの一部からも支持を受ける.議長にはMPUのアッサンが就任.
2.01 FSLN,統一を完了.三派から三人づつを全国指導部に選出する.議長にボルヘ.
2.08 カーター,軍事援助を含む対ニカラグア援助の全面停止を発表.駐在武官,平和部隊を引上げる.
79年3月
3.07 三派の統一宣言発表,ゼネスト,蜂起,軍事攻勢の結合戦略を採択。各派3人づつ計9名からなる全国指導部を結成。
3 ポマレスのひきいる「オスカル・トゥルシオス部隊」,北部のエル・ヒカーロを襲撃.
3 ニカラグア,武器大量購入をふくむ軍事費の膨大化により事実上の破産.ニカラグア中央銀行,債務返済不能を宣言.
3 プロレタリア派,統一指導部の指示にもとづきチョンタレスにロベルト・ウェンベス東部戦線を創設.カリオンが司令官となる.
3 アルゼンチンのゲリラ組織モントネーロス,ナンバー2のフェルナンド・バカ・ナルバハ,ニカラグア国内で記者会見.マサヤの部隊に医療班を派遣している他,財政的援助も与えていると発表.
3 4派に分かれた保守党の再合同実現.
79年4月
4.07 ソモサ,平価切下げ断行.同時にドル為替の43%切下げ,ドルとの交換停止を実施.1ドル7コルドバから12コルドバヘ.国内の支持を最終的にうしなう.
4.08 FSLN,「復活祭作戦」開始.ポマレスの指揮下5百名の部隊によるエステリ市占拠.
4.12 政府軍,エステリ全面攻撃開始.ゲリラ側は約1週間にわたり確保するが結局敗退.ポマレス,退却時の負傷により戦死,死者1千人.
4 FSLN,国家再建綱領を発表.
4 12人委員会メンバー,ワシントンを訪れる.エドワード・ケネディ上院議員と会見したのみで,政府との接触は拒否される.セルヒオ・ラミレスはピッツバーグのLA研究総会で12人委員会を代表して報告.「ソモサは国の全可耕地の23%の持ち主であり,彼の諸企業はニカラグアの財貨およびサービス総額の35%を生産している」
79年5月
5.01 FSLN,FAOとの間に共同行動の合意成立.メーデーに2万5千人が参加.発砲により3人が死亡.
5.08 国警隊による男子生徒射殺.これに抗議し小学生6万人が無期限ストに突入.
5.11 上院外交委員会,ニカラグア軍事援助凍結を決議.カーターは千2百万ドルの経済援助凍結解除でこれに対抗.
5.14 ソモサ政府,武器購入のため財政破綻.IMFに支援要請.カーターは政権崩壊を防ぐ立場からこの要請を支持することを決定.IMF,米国の支持の下に6千6百万ドルの借款を承認.
5・20 メキシコのポルティーヨ大統領,ニカラグアとの断交を宣言.
79年5月
21 FSLN,北部(フォンセカ),南部(セレドン)戦線に加えあらたに4つの戦線を組織.中部(カミロ・オルテガ),東部(ウェンベス),北東部(エルナンデス),西部(ロペス)戦線.各地で一斉攻勢開始.国警隊は当初北部戦線に主力を集中.
28 アンデス条約機構諸国,ソモサを非難する決議でFSLN支持を表明.ベネズエラのペレス大統領が決議採択のため精力的な動き.
29 南部戦線,コスタリカ側からの一斉攻撃を開始.
30 ラジオ・サンディーノ,「最終攻勢」を宣言.FAO,MPU,FPNは,共同でゼネストを呼びかける.
79年6月
4 都市における一斉蜂起開始.マナグアではゼネスト開始.約8割の職場がこれに参加.マナグア市内に「内部戦線」を創設.ヌニェス,アッサン,ホアキン・クアドラが指揮にあたる.
5 FSLN,レオンのスブティアバ地区を確保.
6 ソモサ,ゲリラの決起とゼネストに対処して戒厳令を公布.レオン,マサヤへの無差別爆撃を開始.
8 中部戦線,マサヤを制圧.北部3戦線,国土の1/3を解放.マタガルパ,エステリ,ヒノテガ,チナンデガの各市,FSLNの制圧下に.
8 マナグアでも武装蜂起始まる.バリオ(東部のスラム地帯)確保.
11 ソモサ,首都マナグアへの爆撃を命令.無差別爆撃で,1週間に9千人が死亡.ラ・プレンサ紙の印刷工場も爆撃を受ける.
12 米大使館,館員の撤収を開始.
14 FSLN,マナグアの過半を制圧.大統領官邸の包囲にはいる.
15 政府軍,兵力を首都に集中させ反撃に成功,包囲を撃ち破る.以後北部,北西部の支配を断念しコスタリカ=マナグア・ルートの分断に主力を移動.
16 コスタリカで国家再建政府委員会(JGRN)を樹立,セルヒオ・ラミレスが代表となる.アンデス5ヶ国はニカラグアを国際法にもとづく「交戦国」と認定.
18 フンタ,「政府宣言」を発表.混合経済,政治的多数主義,非同盟政策を三通の柱とするプンタアレナス協定が成立.パナマ政府,ニカラグア政府と断交し臨時政府を承認.
19 ドラマリア・テジェスらが指揮する北西部の「リゴベルト・ロペス」軍団,レオン市内に侵入,以後2週間にわたる市街戦展開.
20 リバス市内で蜂起,市の南部を解放.コスタリカから入った「ベンハミン・セレドン」軍団(パストラ指揮下のFSLNと,コロンビア社会労働党の「ボリバール旅団」,パナマの国際旅団より編制),一旦オスタリオとエルナランホの防衛線を突破.
20 政府軍,マナグア市内でABC放送のウィリアム・スチュアート記者を,カメラマンの目前で射殺,合衆国内に憤激を呼ぶ.
21 米州機構(OAS)緊急外相会議ひらかる.バンス国務長官,ソモサ即時退陣と「平和維持軍」の派遣を提案,FSLNは直ちに拒否.
23 OAS外相会議,ソモサ政権の「即時かつ完全な」退陣を要求,「いかなる外部の干渉も禁止」すると決議.米国提案を拒否.
23 南方軍,コスタリカ国境附近まで後退.国境の町,ペニャス・ブランカスで激戦となる.GNは空爆を集中.
24 カミロ・オルテガ軍,一旦奪われたマサヤを再度奪還す.以後,マサヤ攻防が戦闘の焦点に.
24 ソモサ,OASによる辞任要求を拒否すると宣言.
25 ボウドラー特使とペズーロ新大使,「全ての民主的党派」による和解政府を提案.これには国警隊とPLNがふくまれ,FSLNは除外.
27 FSLN,民族再建政府綱領を発表.革命の性格を「サンディーノの範例と思想に導かれ,固有かつ独特の諸特徴をおびている民族主義的人民革命」と規定.国家機構を三権分立制とし,行政権を国家再建政府委員会に,立法権は国家評議会と政府委員会の分有とする.非同盟,混合経済政策を打ち出す.
27 パナマで民族再建政府評議会.現憲法の廃止,三権分立による民主体制の確立,経済再建などの基本政策を発表.
28 マナグア市内東部の戦線,無差別爆撃の中で維持困難となる.FSLN部隊,3千市民とともに,マサヤまで30キロを徒歩で撤退する.
29 ベズーロ大使,ソモサと直接会見し,退陣を勧告,ソモサは拒否.
30 米国,ソモサ退陣後PLN代表が臨時大統領となり,GN,PLN,FAO,COSEP,カトリック教会の5者からなる臨時政府をつくる案を提示.ソモサ,国警隊とPLNの存続を条件に退陣に応ずると声明.
30 再建政府,国家評議会(30名よりなる立法機関)の設置を決定.
79年7月
1 南方軍,ペニャス・ブランカスで反撃に成功.
3 レオン,最終的にFSLNが確保.
4 マサヤに地方革命政府誕生.再建評議会(フンタ)を代表してモイセス・アッサンが出席.
4 南方軍,激戦の末リバスを確保.コスタリカからの補給路開通する.
5 FSLN,国土の8割を支配.
6 ソモサ,自らの去就を米国に預けると発表.米国は再建評議会の主導的役割を承認するが,PLNとGNの存続を主張.評議会メンバーに保守派2名を加え,FSLNにたいし優位が保てるよう,FSLN支持諸国に圧力.
6 FSLN,マサヤ近郊のヒノテペ市を制圧.政府軍はマサヤに爆撃を集中.
7 ソモサ軍,逃亡により1万名以下に減少.
07 ソモサ,国民自由党幹部に退陣の意思を表明.
8 マサヤ市内で最大の決戦となる.FSLNの勝利に終り,政府軍は戦闘力を失う.
9 レオン,マサヤ両市より,マナグアへの進軍開始.
10 再建政府,米国と直接交渉を開始する.
11 サンホセの再建政府,GN解体,国連人権宣言擁護を内容とする当面の改革方針を発表.ソモサ退陣のための譲歩案を提示.
13 マナグア全面包囲完了.最終攻撃の準備にはいる.
15 米国,PLNとGN抜きの停戦を決断.ソモサ退陣を迫る.
16 レオンに臨時政府設置,「一時休戦」を宣言.臨時政府閣僚を発表.FSLNよりボルヘ内務相,ラリオス国防相兼人民軍総司令官(元政府軍中佐,その後放逐),12人グループよりデスコト外務相,アルトゥーロ・クルス中央銀行総裁,拡大戦線(FAO)よりゴドイ労働相,ホアキン・クアドラ・チャモロ蔵相,キリスト教社会党よりリバス商工相,民間企業最高会議(COSEP)よりマヨルガ(ロベルト・コルテス?)経済企画相.
16 ソモサ,辞意を表明.
17 ソモサ,議会に辞表提出,直ちにマイアミに出国,ウルクーヨ下院議長が臨時大統領となる.ウルクーヨ,81年までの大統領居座りの意向を表明.GNに戦闘続行を指令.OASによる停戦仲介は挫折し,最後の決戦開始.
18 臨時政府メンバー,レオンに到着.国家再建政府樹立.メキシコ,コスタリカが新政権を承認.
18 GN崩壊.ウルクーヨは米国の工作で抵抗を放棄.さしまわしの飛行機でグアテマラへ脱出.マナグア市民の一部は掠奪行為を展開.
19 GN無条件降服.FSLN軍,マナグア凱旋.
20 再建評議会メンバー,マナグア入り.臨時政府樹立宣言.ここまでの1年半にわたる内戦で,推計4~5万人が死亡,負傷者10万人,国内外の難民20万人.失業者が75万人,約60万人が家を失い,飢えに苦しむ人が60万人,4億7千万ドル相当の資産が破壊される(ニカラグア赤十字発表).国庫は破産状態で16億ドルの対外債務が残される.