ニカラグア年表 その3

 

1979年   1980年   1981年   1982年

1983年1月   1983年7月   1984年1月   1984年7月   1985年1月   1985年7月

1986年   1987年   1988年   1989年

 

1979年

79年7月

22 D.オルテガ,再建政府評議会議長として初演説,「米国の反革命陰謀に対する警戒」を呼びかける.

22 ソモサ一族と協力者の資産没収を発令.暫定革命法廷を設置.

24 米国,外交関係継続を確認する覚書を交換.新政府を正式に承認.積極的に再建評議会を支援する中で,内部の力関係を変える方針に変更.

24 内戦後の秩序維持のため30日間の非常事態宣言を布告.ソモサ系企業80社の接収を発表.接収されたソモサ系企業の中には,三井物産の合弁会社ポリカサ社(塩ビ製造)もふくまれる.

25 米州機構常任理事会,米州緊急援助基金内に対ニカラグア援助特別勘定を開設することを決定.50万ドルの食糧・医療援助を決定.日本政府は総額2千万円の緊急援助を決定. 

25 民間6銀行をふくむ,全ての金融機関を国有化すると発表.イスラエル,アルゼンチンにたいし武器購入代金5百万ドルの支払拒否.

26 カストロ,モンカダ蜂起記念集会で演説.「ニカラグアは第二のキューバとならず,新生ニカラグアとなろう」と発言.翌日新政権と外交関係樹立.集会にはH.オルテガ,アルセ,ヌニェスの三派代表,フンタを代表してアッサン,ロベロが参加.ほかにサンディニスタ司令官26名が参加.

26 サンディニスタ労働者連合(CST)結成.保健労働者組合などが中心となり,労働者組織化に乗り出す.

28 軍司令官にH.オルテガ,ルイス・カリオン,トマス・ボルヘが就任.三派の武装組織を統一したサンディニスタ人民軍(EPS)の編成に乗り出す.

30 政府,ソモサとその協力者の土地・資産を農民に分配すると発表.

79年8月

8 綿花,コーヒー,砂糖を輸出する関連の企業を国有化

8 FSLNを一貫して支持したコスタリカのカラソ大統領,初の公賓としてニカラグア公式訪問.

10 エクアドル大統領就任式に出席した,チャモロを団長とする代表団,カーター大統領と会見し軍事・経済援助を要請.

13 トマス・ボルヘ,キューバを訪問.

17 新聞,報道の自由を法令化

21 「権利憲章」を発布.法の下の平等,死刑および30年を越える禁固刑の廃止など広範な政治的自由を保障する.この日国警隊員268人を恩赦とし釈放.

79年9月

1 天然資源の民族主権,天然資源・環境局設置,通貨(コルドバ)の対ドルレートを1:10に固定など7項目の経済布告.

3 D.オルテガ,ハバナで開かれた第6回非同盟諸国首脳会議に参加.経済再建のための「私心なき援助」を求める.これを期に非同盟運動に正式加盟.

9.13 ニカラグアの国家警備隊,警察,テレビ放送局がサンディニスタの管理下に入る.

24 再建政府評議会のオルテガ,ラミレス,ロベロ,国連総会のため訪米.カーター米大統領,デスコト外相とワシントンで会談,経済援助を約束.

28 オルテガ,国連総会で支払期限の迫った6億ドルについて「ソモサへの借款であり,返済できない」と言明.国連経済社会理事会(ECOSOC),ニカラグアを最貧国に指定

9月 マタガルパ,ヒノテガなど北部で,土地改革に反対し,一部自営農もふくめた武装組織MILPASを結成.指揮官には故ポマレスの腹心ペドロ・ホアキン・ゴンサレスが就任.

9月 太平洋岸に派遣されたサンディニスタ教師のスペイン語押しつけに反発するミスキート族のデモ.ALPLOMISUはソモサへの忠誠を宣言.政府は指導者のレスター・アサスを逮捕しALPROMISUを解散.

79年10月

10.16 保険会社を国有化.

10.18 ソ連とのあいだに正式な外交関係を樹立.

10月 GN南部軍総司令官として残虐のかぎりを尽くしたエミリオ・サラザール大佐(ブラボ司令官),ホンデュラスで暗殺される.保安部のレニン・セルナの指示によるとの情報が流れる.

79年11月

11・2 アサルコ,ロサリオ,ノランダの外資系鉱山3社を有償国有化すると発表.

11.6 サンディニスタ人民軍(EPS)創設,総司令官にH・オルテガ.

11.28 H・オルテガ,ホンデュラスからのソモサ残党の攻撃に関し,ホンデュラスに警告

11月 ビオレータ・チャモロ,フンタ代表として訪日.

11月 フンタ内のブルジョア代表の強い要請を受け,ソモサ系農場の接収を凍結.

79年12月 ミスラサータの結成

12.17 特別法廷,旧ソモサ派と国警隊7千名に対する裁判を開始.最高刑は懲役30年.

12月 ALPROMISU(ミスキートとスモスの同盟)を再編・拡大し,MISURASATA(原住民組織.ミスキート,スモス,ラマス族のサンディニスタという意味)結成.「文化的多元主義を認め育成」しつつ「サンディニスタ革命を防衛し強化していくための先住民組織」と規定.「共同体の土地をもちつづけ,外部のあらゆる利害からそれを防衛」すると宣言.代表のステッドマン・ファゴスを国家評議会に加える.

12月 革命中の市民防衛委員会(CDC)を母体に,サンディニスタ防衛委員会(CDS)設立.

12月 CST,第一回大会開催.

12月 米議会,対ニカラグア経済援助を承認.

12月 ソモサ一族の土地収用を完了.

 

1980年

1980年1月 混合経済体制の宣言

1.24 メキシコのポルティーヨ大統領,ニカラグア訪問.「革命政権の多階級的多元的協調制はLAの他の国々のモデルとなるだろう」と称賛.

1.26 マナグアで中米首脳会議開催.

1.29 米上院,ニカラグアへの7千5百万ドルの経済援助を可決.下院も小差で可決.

1月 混合経済体制を骨子とする「プラン80」発表.経済再建,公民権復活,民間セクター尊重をうたう.

1月 全国労組連絡会議(CNT)結成.CSTのほかCGTI,CAUSが参加.

1月 労働者戦線(FO),反ソモサ人民軍,「エルプエブロ」紙,ストライキ続行と,工場,農園の占拠を扇動.FSLNは反革命のかどでこれを弾圧.

1月 ミスキート族における共有地や焼き畑のための休閑地を遊休地とみなして強引に廃止.自然資源の国有化の原則のもとに,森林や家畜,漁船なども国有化.識字教育においても事実上スペイン後の公用語化を強制.保守派は,反サンディニスタ宣伝を強める.

1月 H.オルテガ,国防相に就任.

1980年2月

2.26 キューバとのあいだに5千万ドル相当の援助協定締結.

2.27 米議会,条件つきで7千5百万ドルの対ニカラグア援助を決定.同時にエルサルバドルにたいする軍事援助も可決.オスカル・ロメロ大司教はこの決定に激しく抗議する手紙を送る.

2 サンディニスタ民兵軍(MPS)創設.

2 特別法廷,4331名に有罪を宣告し解散.

2 マナグアの革命広場に全国から3万の農民が結集.占拠地の返還反対,労働条件の改善や生産サボタージュをおこなう悪質な地主の処罰を訴えデモ.

1980年3月 ソ連・東欧の軍事援助開始

3.17 ボルヘ内相,H・オルテガ国防相らよりなる代表団,ソ連・東欧を訪問.モスクワで経済技術協力協定締結.この後10センチ砲を登載するT55重戦車,武装ヘリをふくめ武器多数が引き渡される.またミグ・パイロットがブルガリアで養成されることとなる.

3.23 文盲一掃「十字軍」運動開始.委員長にフェルナンド・カルデナル神父(現教育相),90万人を対象に教師,学生延べ18万人が参加.5ヵ月で識字率は50%から88%に.

3 共和党のレーガン大統領候補,シカゴで演説.「エルサルバドルでは,ハバナとモスクワに支援された全体主義マルクス主義者の革命家たちが民主的政府の発展を妨げている.われわれは,グレナダやニカラグアやエルサルバドルが「あらたなキューバ」となり,ソ連の戦闘旅団の新しい足場となるのを許してよいのだろうか.北のグアテマラに向けて急進し,さらにそこからメキシコに,また南ではコスタリカやパナマに急進するのを座視すべきであろうか」

3 米陸軍戦略局長ロバート・シュワイツァー中将,ホンデュラス軍事評議会指導者パス・ガルシア将軍と会見.「ニカラグアでソモサが長年引き受けてきた役割,すなわち中米の反共の砦となること」を要請.

3 FSLN,農民の圧力に押され,占拠地の所有を合法とする決定.必要な場合はブルジョアジーとのあいだに対決も辞さない姿勢に転換.

1980年4月 チャモロとロベロの辞任

4 FSLN,国家評議会の議席配分の変更を提案.革命後,急速に成長した農村労働者連合,「7月19日サンディニスタ青年同盟」などの組織に議席を与える方針.レーガン登場に備えてヘゲモニー確立を急ぐFSLNの一方的方針に対しMDNは猛反対.

4 ブルーフィルズのモラビア教会牧師で,ミスラサータ指導者のステッドマン・ファゴス,スペイン語を押しつける文盲追放運動など,民族の自治を認めず,併合を進めようとする政策に抗議.反政府デモを組織,逮捕される.

4 ラプレンサの経営陣,COSEPの立場にたちフンタ攻撃の動き.これに反対する記者,労働者はスト決行.

4 ルイス・カリオン,H.オルテガにつぐ第一国防次官に就任.

4・19 ビオレッタ・バリオス・デ・チャモロ(チャモロ未亡人),再建政府評議会を辞任.その後長男のペドロ・ホアキンはラ・プレンサ社長として次女クリスティアーナとともに反革命の立場に立つ.一方長女クラウディアはコスタリカ大使,次男カルロスはバリカーダ紙編集長としてサンディニスタの立場に立つ.

4・22 アルフォンソ・ロベロ,82年選挙実施を主張するも受入れられず,再建政府評議会を辞任,その後反政府闘争にはいる.

1980年5月 サンディニスタ優位の国家評議会成立

5・4 国家評議会成立.バハルド・アルセ司令官が議長に就任.FSLN=6,その他の政党=6,防衛委員会=9,大衆組織代表=47より構成.反政府派は一斉に反発.

5・18 フンタ後任メンバーに,中央銀行総裁アルトゥーロ・クルス(12人委員会)と,最高裁判事ラファエル・コルドバ(UDEL,民主保守党)を任命.

5 ラプレンサ社スト,資本家側の勝利に終る.再刊にあたって米国の反共団体,米州新聞協会(SIP)の支援を仰ぐ.論説委員長にはオバンド枢機卿の顧問ウンベルト・ベジ(その後CIA外郭団体スタッフ),主要寄稿者にミスラ国際部長のアドリアナ・ギジェンが就任.ハビエル・チャモロ(ホアキンの弟)ら編集員の8割はラプレンサを離脱,25%の株式を取得してあらたに「ヌエボ・ディアリオ」紙を設立.フンタ支持の立場をとる.

5 COSEP右派を主体とする「民主行動戦線(FAD)」,サンディニスタの協同組合組織に反対し,実力闘争を開始.

6.13 ニカラグア政府,7月19日の革命1周年記念式典にカーターとカストロを招待したと発表.

6 国連,7千3百万ドルの対ニカラグア援助を決定

6 政府の外郭団体として「人権擁護推進全国委員会」創設.人権に対する政府の諮問機関となる.

1980年7月

7 サン・サルバドルとテグシカルパのニカラグア大使館に爆弾テロ.

7 FSLN,独立自由党,キリスト教人民社会党,ニカラグア社会党の4党により,革命愛国戦線(FPR)を結成.

7,18 政府の農地改革に不満を持つ元サンディニスタ兵士がMILPASを結成,革命1周年記念日をはさむ1週間,キラリを占領.

7.19 革命1周年記念集会開催.元首としてはカストロ,ビショップ,プライス(ベリーズ)のみが参加.D.オルテガは農地改革法制定の意向を明らかにする.

7 共和党,レーガンを大統領候補に指名.「マルクス主義サンディニスタ政権によるニカラグアの支配に反対し,自由を求める国民の努力を支持する」とする選挙綱領を発表.

1980年8月 COSEPの反政府活動が本格化

8 COSEP副総裁,農業生産者連合(UPANIC)創設者,綿花生産組合代表のホルヘ・サラザール(マタガルパのコーヒー農園主)とCOSEP総裁で国家評議会副議長のフランシスコ(チカーノ)カルデナル,訪米し反サンディニスタ闘争の資金を集める.

8.23 H・オルテガ,内戦による打撃から立直るために,自由選挙の実施を85年移行に延期すると表明.

8 メキシコ,ベネズエラの両国,サンホセで会談.中米・カリブ9ヵ国に対して石油の廉価な提供と供給確保を約す(サンホセ協定).

1980年9月

9.4 CAL(WACLLA支部)年次総会,アルゼンチン軍部の支援を受けブエノスアイレスで開催.OASと国連の人権委員会,アムネスティ・インタナショナルをマルクス主義的と非難.

9.12 米国,7千5百万ドルのニカラグア援助を開始.

9.15 グアテマラの死の部隊に雇われた旧国警隊残党,「ソモサのまさかり」と恐れられたリカルド・ラウ元国警隊情報部長,エンリケ・ベルムデス前ワシントン駐在武官の指導下に「9月15日部隊」を結成.アルゼンチン軍による軍事指導を受ける.

9.17 ソモサ,亡命先のパラグアイで,アルゼンチンの反政府ゲリラ,ウーゴ・サンチアゴに率いられた人民革命軍(ERP)コマンドにより暗殺される.

9 反FSLN派に扇動されたミスキート族のデモ,太平洋岸各地に拡大.

9 FSLN政治委員会発足.議長にアルセが就任.

9 ユネスコ,ニカラグアの文盲追放キャンペーンに対し全会一致でクルプスカヤ賞の授与を決定.

1980年10月

10 テグシカルパで反革命策動を続けていた元国警隊大尉パブロ・エミリオ・サラザール,暗殺される.

10 宗教政策「サンディニスタ革命の信者」発表.宗教は疎外の形態ではないとし,信者の入党を原則として承認.

10 米州会議内の人権委員会(IACHR),ニカラグアを訪問し人権状況を調査.

10 デスコト外相,国連総会で演説.「われわれは(米国と)友人でありたいと願っているが,決して節を曲げようとは思わない」

1980年11月 レーガンの大統領当選

11 議会内反対派ブロック,「民主共同」を組織.保守党のほかCTN,CUSなど.

11.12 キリスト教社会党,社会民主党,COSEP,国家評議会を脱退.

11 再建政府を支持する10万人集会ひらかれる.ラミレスがブルジョア勢力を非難する演説.

11 警察隊,FADを襲い指導者を逮捕.逮捕に抵抗したホルヘ・サラザール,警察により射殺.残党はホンヂュラスにのがれ,旧国警隊残党と合流.フランシスコ・カルデナルは亡命先のマイアミで反ソモサ反共産主義のUDNを組織.

11 レーガン,大統領に当選.アルゼンチン,50名を越える軍事顧問団をエルサルバドルへ派遣.

1980年12月 米国の支援凍結

12 カーター,エルサルバドルに対するニカラグアの関与の疑いが晴れるまで,援助を凍結すると発表.

12 政府発表.この年の経済成長率は10%に達する.

12 ミスラサータ,秘密会議においてプラン81を決定.大西洋地域の完全自治,自然資源に対する完全主権,政府への徹底的抵抗の方針を固める.

 

1981年

1981年1月 旧ソモサ派のゲリラ戦開始

1.01 政府,81年を「防衛と生産の年」と命名.第1次農地改革法案,再建評議会で可決.

1.10 エルサルバドルでFMLN武装蜂起.

1.16 カーター政権,最後の仕事としてニカラグア援助を凍結.エルサルバドルの一斉武装蜂起を理由とする.

1.20 レーガン大統領就任.ニカラグアのエルサルバドル革命勢力援助を非難.援助中止を示唆.

1.23 レーガン政権,ニカラグア向け援助をすべて停止.

1 ユナイテッド・ブランズ社との間に,バナナ・プランテーションの買い上げについて合意.

1 FADと合流したソモサ残党,ホンジュラス国境において,組織的な反革命を開始.

1 サンディニスタ軍によりミスキートの青年が殺害される.抗議行動に対し軍の弾圧により流血の事態を迎える.ミスキート族のサンディニスタ派であるミスラサータも,主流を反FSLN派が掌握.

1981年2月 エルサルバドル白書の発表

2.13 米国務省,イーグルバーガーをヨーロッパに,バーノン・ウォルタースをLA諸国に派遣し,キューバ,ソ連などがニカラグアを通じてFMLNに武器を供給している「証拠」を示す.

2.22 エドウィン・ミース補佐官,海上封鎖を含めて「いかなる対策も否定はしない」と発言.

2.23 米国,「エルサルバドルにおける共産主義者の浸透」と題する文書(いわゆるエルサルバドル白書)を発表.ニカラグアの革命輸出のデマをひろげる.

2 ミスラサータ,すべてのサンディニスタ,黒人,メスティソの大西洋地域からの撤退を要求しデモ.政府,ミスラサータ指導者のファゴスとブルックリン・リベラを逮捕.プリンサポルカで軍とミスキート族の武力衝突.双方に4名づつの死者を出す.

2 レーガン,経済絞めつけの第一段として信用供与7千5百万ドルのうち1千5百万ドルを供与停止.

1981年3月 フンタの縮小・再編

3.4 再建政府委員会メンバー,3名に縮小(オルテガ,ラミレス,コルドバ)クルースは駐米大使に,アッサンはマナグア市長に転出.政府,米国との交渉受入れを表明.

3 「革命のためのキリスト教徒」グループ,官僚主義,ミスキート政策などについて政府のあやまりを批判.FSLNはこれを受入れ自己批判する.

3 「9月15日部隊」,アルバレスFUSEP長官とアルゼンチンの軍事顧問の仲介の下に基地をグアテマラ・シティーからテグシカルパに移動.元国警隊将校70名を特殊戦訓練のためアルゼンチンに送りこむ.これにカルデナルの指揮するFADのほか,国家解放軍,ニカラグア革命軍などのGN残党も合流.

3 レーガン新政権,エルサルバドルに対し2千5百万ドルの軍事援助,56人の軍事顧問派遣,6千3百万ドルの経済援助を決定.

3 レーガン,コントラ支援への見返りとして,人権弾圧のため78年から禁じられていたアルゼンチンへの軍事物資の売却と軍事援助の再開を議会に要請.

1981年4月

4.1 レーガン,「ニカラグアはエルサルバドルへ革命を輸出しようとしている」とし,ニカラグアの小麦買い付けのための1千万ドルの供与契約を破棄.農村開発・教育医療普及計画のための1,140万ドル援助を停止.

4.25 リビア,1億ドルの援助協定.キューバ,6千4百万ドル相当の技術援助協定.

4 ホンデュラスのアルバレス,訪米しケーシーらCIA幹部と会見.旧ソモサ軍に介入の口実をつくらせ,ニカラグアが反撃すればこれに対し米国・ホンデュラス連合軍が全面介入するという計画を提案.CIAの共感を受ける.

1981年5月 農地改革法の公布

5.2 農地改革法公布.350ないし700ヘクタール以上の私有地が遊休化されている場合は収用されるとする.

5.8 メキシコ,新たに2百万ドルの援助を決定.

5 ファゴス,釈放された後ただちにホンデュラスに亡命.米国の援助下に「ミスラ」を結成.ラジオ放送を通じてミスキート族にたたかいに立ち上がるよう呼びかける.CIAはホンデュラス領内のミスキート居留地に軍事訓練基地を設け,ゲリラとしての訓練を開始.

5 ルイス・カリオン,バリカーダ紙で少数民族に特殊性を認めるべきだとして政策の転換を訴える.

6 IACHR,調査結果を発表.人権状況はソモサ時代に比しはるかに改善がみられるが,野党の政治活動の自由が十分保障されていないこと,選挙を85年まで延期したことは問題と指摘.

1981年7月 パストラの任務放棄

7.07 オバンド大司教,再度政府支持の立場を表明.サンディニスタ,オバンド大司教によるテレビミサの放映を禁止.

7.9 エデン・パストラ,国防次官の任を放棄しグアテマラへ出国.民族再建評議会とFSLN全国指導部は辞表を受理.後任にホアキン・カドラ.

7.19 オルテガ,革命2周年記念集会で農地改革法の具体的内容を発表.350ヘクタール以上の遊休農地を有償接収の対象とする.

7 経済再建に協力しない13の企業を国有化,

1981年8月 FDNの結成

8.11 UDN,CIAの強力なテコ入れにより組織統合に合意.「9月15日軍団」とニカラグア民主連合(UDN),アルゼンチン代表の立会いのもとグアテマラ市で統一.ニカラグア民主勢力(FDN)を結成.

8.12 政府,「大西洋岸の先住民族共同体に関するサンディニスタ民族革命の諸原則の宣言」を発表.土地の所有権および共同体所有を認めるが,スペイン後を唯一の公用語とすること,天然資源の利用権を国家のものとするなど不徹底さを残す.ミスラサータはこれを不満とし,反政府の立場を鮮明にする.政府,独立運動を図ったとしてミスラサータを強制解散.

8.12 トマス・エンダース米州担当国務次官補,ニカラグアを訪れ,エルサルバドルに対する援助を中止すれば,ニカラグア干渉を停止すると提案.ニカラグア政府はこの提案を拒否.

8 「オーシャン・ベンチャー81」演習実施.グレナダを想定して海兵隊と陸軍空挺部隊の混成部隊の強襲訓練.

8 民主保守党のアドルフォ・カレロ(コカコーラ・ボトラーズ社長.CIAのエージェントといわれるが反ソモサ闘争で投獄された経験も持つ),米州機構にFSLNの民主主義破壊に対する調査を依頼.

8 農地改革法実施.生産的に利用されている限り,大土地所有であっても排除しないとする穏健なもの.

1981年9月 経済非常事態を宣言

9.9 国家非常事態法,公安法を採択.また経済悪化を理由に非常事態宣言.1年間のスト禁止,関税引上げ,政府補助金の一割引下げなどを決定.共産党書記長エリ・アルタミラーノ,「革命の過程を資本主義の方向にそらし」ストを禁止したことを批判し,評議会政府を「労農」政府と交替するよう求める.

9 農業協同組合法制定.農地改革の受け皿として,農民の集団化をうながす.国有地と協同組合所有を組みあわせた,人民農場(APP)を各地に創設.

9 NATO共同演習「オーシャン・ベンチャー」作戦.兵員12万,240艦船,航空機1千機,NATOのほか,ベネズエラ,ウルグアイ,コロンビアが参加.

1981年10月

10.19 米国のジャーナリスト,キューバが5百からなる精鋭部隊をニカラグアに派遣,エルサルバドルをレンパ川で二つに分断しようとしていると報道.

10.20 COSEP,政府が国家をマルクス・レーニン主義的冒険によって経済的崩壊に導いていると告発する声明.

10.21 二人のキューバ人教師,農民とともにニカラグア北部地帯で活動中殺される.

10.21 政府,公安法と経済非常事態法に違反し,工場占拠を扇動したとして,エリ・アルタミラノ書記長,アラン・サンブラナ,ロベルト・モレノ,ヤミレ・ボニリャら4人の共産党,CAUS指導者に有罪を宣告.

10.21 政府,COSEP会長エンリケ・ドレイフスのほか,ベンハミン・ランサ,ヒルベルト・クアドラを「国家経済,治安の破壊策動」の疑いで逮捕.

10 農地改革法施行.農民の土地要求の充足,「よいブルジョアジー」との同盟,農業生産の確保という三つの目的の同時達成をめざすもの.

10 「ファルコン・ビュー」作戦.300人の米ーホンジュラスによる合同上陸作戦.ニカラグアからエルサルバドルへの武器流入を防ぐため,海上封鎖作戦の検討が目的.

10 マイアミの亡命者内に,CIAの指導でニカラグア武装革命勢力(FARN)結成.エドガル・チャモロがリーダーとなる.のちにファゴスの率いるMISURAも合流.

1981年11月 ネグロポンテのホンジュラス大使就任

11.12 ヘイグ国務長官,下院外交委員会でニカラグアの「全体主義体制」を非難.軍事介入の可能性を否定せず.

11.16 エンダース国務次官補を長とするコア・グループ,包括的な中米政策を米国国家安保会議(NSC)に提出.NSCは「キューバとサンディニスタが中米で保有する革命勢力への支援構造を破壊することを目的に,すでにホンデュラスにおいて旧ソモサ派亡命勢力の訓練に着手しているアルゼンチン軍事政権の努力を支援する」秘密作戦を採択.

11.20 メキシコのポルティーヨ大統領,ヘイグ米国務長官がキューバとニカラグアに対する米の軍事行動の可能性を示唆したことに対し,懸念を表明.

11.23 レーガン,ニカラグアの反政府勢力に1千9百万ドルの秘密援助を与える指令に署名.CIAは100人を越えるスタッフをホンデュラスに配置.

11 キッシンジャー腹心のネグロポンテ,ホンジュラス大使に就任.ニューズウィークは「ヘイグとエンダースに送りこまれた突撃隊長」と紹介.

11 国境地帯でホンデュラス軍とニカラグア軍とのあいだにコントラの扱いをめぐり小競り合いが頻発.ニカラグア,ソ連に軍事援助を求める.

11 元CIA副長官でグアテマラの石油探索をおこなう国際カルテルのコンサルタント,ヴァーノン・ウォルターズ,ケーシーCIA長官の指示を受け6回にわたりアルゼンチンを訪問,軍部とのあいだでコントラ訓練の調整役をつとめる.

11 ニカラグア労組協議会(CSN)結成.単一労組連合をめざす.CNT傘下のCST,CAUS,CGTIのほかATC,FETSALUD,FOが参加,記者組合(UPN),教員組合(ANDEN),公務員組合(UNE)も結集.

11 FSLN,政党法の1次案発表.野党への政権委譲の可能性については言及せず.

1981年12月 「赤いクリスマス」作戦

12.2 サンタルシアでヘイグとデスコト外相の会談.

12.11 レーガン,サンディニスタ政権転覆を目指す勢力に対し支持を表明.NSCの決定を受け国家安全保障計画グループ(NSPG)を召集.元GN若手将校を中心とする5百名の部隊を組織化するCIAの秘密計画を承認.CIAにたいし千9百万ドル支出することを承認.アルゼンチンに加えCIAが直接にかかわり,ホンジュラスに反政府部隊の基地を建設.元GN兵士を集め活動開始.

12 デスコト外相,OAS総会において,エルサルバドル内戦への関与を否定

12.22 トマス・ボルヘ内相,人権委員会の提案した5百名の恩赦を,情勢の激化を理由に拒否.

12.25 ファゴスの結成したミスラ,FDNと連係しニカラグア北部のミスキート居留地を襲撃する「赤いクリスマス」作戦を皮切りに武力攻撃を開始.FDNやCIAとの連係を批判するブルックリン・リベラらミスラサータ主流派は,ホンデュラスを離れる.

12 米国,農業協同組合育成のための世界銀行による50万ドル計画に対し拒否権発動.

12 フランスとのあいだで千6百万ドル相当の武器売却に合意.

 

1982年

1982年1月 中米民主共同体の設立

1.7 フランス外務省,ニカラグアへの武器輸出協定を調印したと発表.その後米国の圧力により売却中止.

1.11 UPI,カリフォルニア南部サン・ベルナルディーノの砂漠で亡命キューバ人とニカラグア人百名が軍事訓練と発表.FBIはアルファ66が訓練を指導していることを認める指導.

1.19 米国のイニシアチブにより中米民主共同体設立(エルサルバドル,ホンジュラス,コスタリカ,ベネズエラ,コロンビア).ニカラグアとエルサルバドルのゲリラ包囲を目的とし,共同行動をとることで合意.

1 ミスラの攻撃強まる.タスバ・プリ(ミスキート語で自由人の土地の意)計画開始.リオココ川周辺のミスキート住民51共同体1万人を,国境より80キロ南のタスバ・プリ(自由の土地)へ移動.うち8千5百名が移住を拒否したにもかかわらず強制移住,家屋,家畜などはミスラの攻撃のさいの根拠地になるとして破壊.タスバプリからの逃亡者もふくめ1万5千人がホンデュラス領内に避難しコントラに加わる.反FSLN・キャンペーンの標的となる.

1 オバンド大司教,米国の反共団体「宗教と民主主義研究所」より特別賞授賞

1 政府,82年を「帝国主義の侵略に対する統一の年」と命名.FSLN第2回全国大会開かれる.国防力強化を訴える.

1982年2月 メキシコが調停に乗り出す

2.16 フィリョス駐米大使がワシントン着任.フィリョスと会見したレーガンは,エルサルバドル左翼ゲリラに対するニカラグアの支援を非難.

2.14 レーガン,CIAの1千9百万ドルの対ニカラグア秘密作戦承認.

2.21 メキシコのポルティーヨ大統領,サンディーノ勲章授賞のためマナグア訪問.エルサルバドル内戦調停の意志を表明.さらに米国とクーバ,ニカラグアの関係改善にも乗り出すと声明.カストロ,ポルティヨの努力を支持する書簡を発表.

2.24 レーガン,OAS会議で中米に対する武力行使を示唆.「米国貿易のほぼ半分,輸入原油の2/3,そして輸入戦略物資の半分以上がパナマ運河およびメキシコ湾を通過している」と発言,中米権益死守の姿勢を強調する.「新モンロー主義宣言」と言われる.

2 米・カナダ海軍の13隻による,メキシコ湾合同演習.

2 ミスラサータのブルックリン・リベラ,コスタリカでパストラらと合流.

1982年3月 非常事態法の発動

3.12 米国務省,エルサルバドルで逮捕されたニカラグア人青年オルランド・ジョセ・タルデンシリャスを記者会見に連れ出す.国務省は彼がキューバで軍事訓練を受けたとの証言を期待するが,彼は「クーバに行ったこともないし,エルサルバドルには彼自身の意志で来ただけ」と証言.レーガンは一連の経過をたんなるでっちあげと弁解.

3.14 テグシカルパ近郊のホンデュラス軍特殊部隊の訓練基地で,CIAから爆破技術の訓練を受けたコントラ部隊,ニカラグア国内の二つの主要橋梁を爆破.事実上の戦闘開始.

3.15 政府,非常事態宣言を公布,憲法を30日間停止し,国土防衛キャンペーンを展開.出版の自由や集会の権利,労働者のスト権などの権利を停止.反政府の論陣を張る「ラ・プレンサ」紙に対し事前検閲を課す.

3.15 ヘイグ,ニカラグアとの関係正常化に向けて,ニカラグアの対FMLN軍事援助の中止,米国の対ニカラグア援助再開など5項目を提案.

3.18 オルテガ,ハバナにわたりカストロと緊急会談,共同戦略を協議.

3.20 米政府,「エルサルバドル白書」の全文を発表.マナグアにFMLNの総司令部があると非難.

3.25 ニカラグアの要請により国連安保理緊急理事会.D.オルテガは「いままさに米国の攻撃が開始されようとしているが,ニカラグアもキューバもFMLNも戦闘は望まず,話し合いを望んでいる」と発言.

3 NATO軍,カリブ海で「セーフ・パッセージ」作戦.28隻と80機が参加.

3 テグシカルパで,「9月15日部隊」を母体にFDN連合指令部結成.アルフォンソ・カジェハス(前副大統領),アドルフォ・カレーロが政治代表.当初5千名,84年には1万5千に増強.CIAから給与を受けるアルゼンチン人軍事顧問は60名を越える.

1982年4月 ARDE結成

4.5 キューバとのあいだに総額1億3千万ドルの経済・技術援助協定締結.

4.9 米国政府,ヘイグ発言を受けニカラグアとの関係改善のため8項目提案.ニカラグアの周辺国反乱勢力への援助停止,米国の対ニカラグア援助再開,相互不干渉の保障,地域軍備抑止等.

4.14 ニカラグア政府,米提案を交渉のベースとして受け入れ.

4.18 ニカラグア政府,即時交渉開始を要求するが,米国務省は公式会談の用意はないと返答.

4.20 米国,国連緊急安保理で,ニカラグアに対して武力不行使を求めた決議案に拒否権を行使.

4.29 米国防省,「オーシャン・ベンチャー82演習」を開始.キューバのグアンタナモ基地の米人家族救出のため敵前上陸するという想定のもとに,4万5千人の海兵隊,60隻の艦艇,350機の航空機が参加する海軍の「リーデックス作戦」など八つの作戦をふくむ.

4 コスタリカ国境沿いに,民主革命同盟(ARDE)結成.エデン・パストラ(元FSLN),ロベロ(MDN),フェルナンド・チャモロ(UDEL),リベラ(ミスラサータ)などの寄り合い所帯.パストラ,「FSLNはソ連,キューバにあやつられている」と非難.

4 米国家安全保障会議(NSC),エルサルバドルへの武器搬入阻止を短期の,キューバとソ連の影響排除を長期の目標とする十項目の作戦を提起.

4 ニカラグア政府,反革命勢力へのホンデュラス軍の関与を非難,駐ホンデュラス大使を召還.

1982年5月

5.10 オルテガ議長,ソ連訪問.5年間で1億6千万ドルの経済援助協定を締結.

7 米・ホ合同作戦.ニカラグア国境から40キロのドルスナに永久的軍事基地を建設.

1982年8月 ホンジュラスの戦闘体制発令

8.1 キューバ政府,8千万ドルの対ニカラグア援助を発表.

8 ホンデュラスのアルバレス総司令官,突如全軍に戦闘準備を命じ,ニカラグア国境地帯に6個大隊を集結させ「国境を侵犯するあらゆる敵を撃破」するよう命令.米国務省はアルバレスの独走を恐れ「ホンデュラスは地域紛争を誘発する立場にないし,米国も地域への軍事介入のための口実を求めていない」と声明,命令を撤回させる.

8 農地改革国民委員会発足する.ここまでで,2百万ヘクタールの土地が新たに農民に配分.

9 メキシコ,ベネズエラ両国,ホンデュラス・ニカラグア国境紛争に関し共同声明発表.CGのさきがけとなる.

10.19 ニカラグア,LA諸国の強い支持を受け国連安保理非常任理事国に選出される.

11.04 政府,ホンジュラスと国境を接する北部5州に軍政を布告.

11 レーガン,NSCの作戦を承認し千9百万ドルの予算を計上.

11.30 レーガン,ホンデュラス訪問.テグシカルパで中米3国首脳と会談.

1982年12月

12.22 米国上下両院,情報活動規制法を可決.@ニカラグア政府打倒をめざす活動を禁止,Aホンデュラス間の紛争誘発を目的とした軍事物資・軍事訓練の供与,およびその他の軍事活動の支援を禁止,Bニカラグア政府転覆を図る組織・個人に金銭・武器・訓練・支持を与えることを禁止,(ボーランド修正)

12 ホンジュラス国境地帯の旧GN勢力,CIAの指導の下にニカラグア民主戦線(FDN)として再編成.

12 リオ・ココ川流域で,ミスラ掃討作戦展開.政府とミスキート族との緊張高まる.政府,ミスキート政策のあやまりを自己批判,ミスキート指導者に対し恩赦法を適用.停戦をよびかける.

 

 

1983年

1983年1月 コンタドーラ会議

1.8 パナマのコンタドーラ島で,メキシコ,パナマ,ベネズエラ,コロンビアの4カ国外相会議.紛争の平和的解決に向けて調整開始.「域外国の干渉を廃止,中米紛争を東西対立の文脈においてとらえず,関係国の対話・交渉による問題解決の必要性を訴える共同声明」を発表.@中米地域への外国の干渉の停止,Aすべての軍事援助の停止,Bエルサルバドル内戦の停戦交渉開始,Cニカラグア政府とコントラとの対話を訴える.

1.12 ケーシーCIA長官,CIAが反FSLN勢力を支援していることを認める.

1 マナグアで非同盟諸国外相会議開催.中米への干渉排除を強調したマナグア宣言採択.

1 オルテガ議長,ミスキート政策のあやまりを自己批判.

1983年2月

2.1 米南方軍司令官ポール・ゴーマン将軍の立案になる米・ホンジュラス合同演習「アワスタラ(英ビッグ・パイン)1」開始.ホンジュラス軍が仮想敵を駆逐,パラシュート部隊の降下,米即応展開部隊1千6百,ホンジュラス兵4千5百人が参加.演習中に最大級の軍用輸送機の離着陸が可能な滑走路が,燃料タンクや弾薬庫などの付随施設と合わせてホンデュラス国内7ヶ所に一挙に建設・整備され.ホンデュラスは不沈空母と化す.指令部のおかれたパルメローラ基地には米軍千7百名が常駐し情報分析と作戦立案にあたる.

2.14 コスタリカ,ホンジュラス,エルサルバドルの中米3国外相,ニカラグア情勢に関して討議.

2 ニカラグア政府,キューバ人技術者の送還を発表.

2 「リバティー・スパーク」作戦.米兵3千,パナマ軍7千人による運河防衛行動.

1983年3月 コントラの侵攻開始

3.3 ローマ法王,中米・カリブ8ヶ国を歴訪.

3.13 「C計画」発動.反革命ゲリラ1千5百名がマナグア北方100キロの地帯に降下作戦.侵攻にあたってはホンジュラス軍が全面支援.米海軍は時を同じくしてカリブ海岸沿いで米兵3千人,艦艇77隻の参加する軍事演習「新リーデックス」作戦を展開.

3.22 政府,コントラがホンデュラス国境より侵攻,FSLNとのあいだで激戦を展開中と発表.

3.22 ニカラグア日産,FDNに拠点提供したとの理由で接収.

3.23 ニカラグアの要請を受け国連安保理開催.ニカラグア代表はコントラ2千名がホンデュラスより侵攻したと報告.

3.25 D.オルテガ,訪ソ.緊急軍事援助を求める.

3 新しい政党法と選挙法,国家評議会で承認.ソモサ派をのぞく全政治勢力に政党,集会,デモなどの活動の自由を認め,政党連合の結成もゆるされる.また選挙で野党が勝利すれば政権の委譲がおこなわれることも明記される.選挙制度については大統領の直接選挙制,一院制の導入などが盛りこまれる.選挙の時期は85年より84年11月に早められる.

1983年4月 ローマ法王のマナグア訪問

4.6 FMLN最高幹部アナヤ・モンテス(アナマリア司令官),マナグアで暗殺.

4.10 パストラ,ARDE司令官に就任.真正サンディニスタ革命をとなえ反革命攻撃を開始.サンフアン川運航中の船舶を攻撃.

4.19 カリブ海演習「堅固な盾83」開始.

4.20 中米5ヵ国にCGを加えた9ヵ国からなる第1回中米・CG合同外相会議.

4.22 レーガン,PLOはニカラグアに軍事物資などの支援をしていると発言.

4.27 レーガン,上下両院合同会議で演説.ニカラグアの「革命輸出」を非難するとともに,中米政策の基本方針4点を発表.

4 ローマ法王,ファン・パブロ(ヨハネ・パウロ)U世,ニカラグアを訪問.FSLNを激しく非難.「聖職者は革命に参加するな」と説教.戦死した兵のために祈りを捧げることを拒否.集会参加者は「われわれは平和を望む」と叫び説教を妨害.これを機に教会内部の矛盾が拡大.

4 AMNLAEの後援で第1回農業女性労働者集会開催.協同組合運営などへの女性の積極的参加をうながす.

1983年5月 デスコト外相暗殺未遂事件

5.10 米政府,ニカラグアからの砂糖輸入枠を10分の1に削減すると発表.

5.19 国連安保理,CGに対するニカラグア問題解決への仲介要請案を採択.

5.31 CIAに潜入した女性スパイ,「マレーネ」によりデスコト外相暗殺計画が暴露される.

5 コントラ,5千5百の兵を投入し,マナグア近くまで攻め入るが,政府軍の反撃の前に大敗北を喫し,ホンデュラス領内に逃げ込む.ホンデュラス国内にコントラとCIAへの批判広がる.

5 ポール・ゴーマン,南方軍司令官に就任.2年間の在任中,国際的右翼と接触をとりながら,反共政策を強引に推進する.

1983年6月

6.6 米国大使館のCIA職員,デスコト外相暗殺の陰謀に関し国外退去の命令を受ける.

6.7 米下院外交委員会,デスコト事件を非難しニカラグア右派への援助中止を可決.

6.10 ストーン特使,マナグアを訪問しD.オルテガと会見.

6 FSLN,ソ連共産党と協力協定.

6 「ユニティー」作戦.南アメリカ諸国とのカリブ海合同演習,空母レンジャーを旗艦とし1万四千人が参加.

6 米・ホンデュラス両国,エルサルバドル軍における即応展開大隊の短期育成を主目的とする地域軍事訓練センター(CREM)の創設に合意.翌月から訓練開始.ホンデュラス軍部はアルバレスによる頭越しの決定に反発.

6 米国務省,すべての対ニカラグア国際機関援助に反対する公式政策を発表.

1983年7月 徴兵法発効

7.7 ボルヘ内相,ニカラグア滞在中の150人の米国人と会見.キューバの技術援助への感謝の意を表明,米国はキューバ人がきらいならその代わりとなる医師や教師を派遣すべきだと批判.

7.14 パナマでCG外相会議開催.

7.16 メキシコでCG緊急首脳会議開催.「中米和平を目指すわれわれの努力にレーガンやカストロも加わるべき」とし,民族自決の原則を明確に掲げた10項目からなるカンクン声明を採択.他国の軍事施設の自国領土内設置禁止,国境における事件発生防止と発生後の解決のための安全保障混合委員会設置,他国への武器流出防止のためのメカニズム設置など.

7.18 レーガン,CG提案を無視し,キューバ,ソ連の干渉を非難.フォンセカ湾での軍事演習を発表.

7.19 ニカラグアを除く中米4ヶ国外相会議,グアテマラにおいて開催.外国軍事顧問の削減,または全面撤退など8項目の中米和平案を発表.

7.19 D.オルテガ,ニカラグア革命4周年式典で「愛国兵役法」公布.17〜26才の国民に2年間の兵役義務と2年間の予備役が義務づけられる.軍は5個師団に再編成され,ソ連製の武器で武装強化.数千の若者が兵役を嫌い国外脱出.教区庁はFSLN否定の立場から徴兵制に反対のキャンペーン.オルテガは同時に,外部からの全軍事援助停止など6項目からなる中米和平案を提示,ホンデュラスに不可侵条約を呼びかける.

7.21 中米歴訪中のストーン特使,ニカラグアの和平案を支持し,ニカラグアとの対話を無条件で受け入れるむね表明.

7.25 米国防相,半年間にわたるホンデュラスとの合同軍事練習「アワスタラII」を,8月から開始すると発表.戦艦ニュージャージーも,日本寄港を中止し中米演習に参加する.

7.28 カストロ,米国人記者を相手に会見.もし米国が中米干渉をやめるのならキューバも同様にするだろうと言明.現在ニカラグアに二百の軍事顧問,二千の教師,五百の医師,数百の建設技術者,農業技術者など合計4千名が派遣されていることをあきらかにする.

7.28 米下院,9月30日までコントラ援助を禁止する法案を可決.CIAの中米介入中止を決議,上院は同調せず.レーガンは「カストロが平和をもとめているなどということを信じる下院議員がいるとは信じられない」と発言.

7 米州開発銀行,50万ドルの対ニカラグア借款供与を決定.米国はこれをボイコット.

7 デスコト外相暗殺計画に荷担した,2人の米外交官を追放.

1983年8月

8.1 ストーン特使,D.オルテガおよびデスコト外相と会談.

8.3 上下両院議員代表,シュルツ国務長官と会見.カストロの和平への意志を注意深く見守るべきと進言.

8.6 ウェルナー米南方軍副司令官の乗艦する米軍艦,グアテマラ沖合に進出し極秘会談.グアテマラのメヒア・ビクトレス国防相,エルサルバドルのビデス・カサノバ国防相,ホンデュラスのアルバレスが参加.グアテマラのクーデターについて合意.中米反革命戦略の建てなおしをはかる.

8.23 ETAテロリストのヒメネス,コスタリカで逮捕される.米国務省報告によれば,彼はパストラの「家」をスケッチしているところを不審尋問されたという.当局はヒメネスがサンディニスタの依頼を受けコスタリカで破壊活動をしようとしていたと発表.コスタリカ,スペイン政府はニカラグアに対する態度を硬化.

8 シュロスバーグを総司令官に「アワスタラ2」作戦開始,半年にわたり「いかなる国へも即座に介入する能力をテスト」する.サン・ロレンソ(ホンジュラス)での爆撃・空中機動攻撃・空挺作戦演習,カリブ海岸への上陸演習,空母レンジャー,コーラル・シー,戦艦ニュージャージー,米兵5千5百,ホンジュラス兵6千人が参加.

8 メキシコ,原油輸出を含む対ニカラグア援助をストップ,4億8千万ドルの債務支払開始を督促.

8 ニカラグア,徴兵制度実施.全ての国民が2年間の兵役義務(男女問わず)

1983年9月 コントラの爆撃テロ

9.07 第4回中米・CG合同外相会談,パナマにおいて開催.地域軍縮や外国人軍事顧問の削減などを盛りこんだ「中米和平のための21の基本項目」に合意.

9.08 パストラ派の双発セスナ機,民間専用のサンディーノ国際空港を爆撃,対空砲により撃墜されるが,管制塔などが全壊.直後にニカラグアを訪問したコーエン,ハート両上院議員,飛行記録などから爆撃がCIAの指示によるものであることを確認.

9.09 コントラ,プエルト・サンディーノの油送管を破壊.

9.17 国務省報告,ニカラグアとキューバがETAを支援していると報道.本格的なデマ作戦に乗り出す.レーガンは,CIAに対しコントラとの関係強化を承認.

9.30 CONDECA再活性化をめざす中米地域軍部首脳会議,グアテマラにおいて開催.ホンデュラス,グアテマラ,エルサルバドルの国防相,ノリエガ将軍,オブザーバーとしてゴーマン米南方軍司令官が参加.

9 ニカラグアの大西洋・太平洋両岸で,米海軍演習.空母レンジャー,コーラル・シーが参加.

9 NSC,中米防衛共同体の再活性化をめざす軍部の方針を確認.ニカラグアを包囲する軍事同盟の強化.計画を推進する南方軍とCIAの強引な姿勢に対し国務省は不快感.

9 米下院,コントラ援助法案を小差で否決.一方上院情報委員会はCIAの秘密工作を承認.CIAはコスタリカに本拠をおき,サンホセの放送局を買収,FDNの機関紙「ニカラグア・ホイ」を発行.75万部を発行するコスタリカの有力紙「ラ・ナシオン」を影響下におくなど活発な世論工作を展開.

9 キッシンジャー委員会使節団,中米6ヶ国を歴訪.ホンデュラスのスアソ大統領,戦争にまきこまれた際の米国との相互安全保障条約の締結と百億ドルの援助を要請.

9 パストラ部隊,コスタリカ国境地帯のペニャス・ブランカでパンアメリカ・ハイウェーを爆破.「ラ・ナシオン」紙の反共デマに踊らされたモンヘ大統領は,これをニカラグアの仕業として激しく抗議.

9 オコタルにコントラ兵千名からなる攻撃,オコタルの町は一時包囲される.

9 国家評議会,政党法を可決.総選挙を84年11月におこなうことを決定.

1983年10月 コリント港襲撃

10.1 ゴーマン,中米3ヶ国軍部代表とノリエガを召集.「FSLNに対抗するには,各国の軍隊の強化と協力が不可欠である」ことを確認.「ニカラグアを平定する行動」に参加する際に各国で必要とされる「法的措置」を検討.

10.3 元ソモサ軍少佐ロベルト・アマドールの操縦するCIA機,マタガルパで撃墜される.

10.9 ウィリアム・クラークに代わりロバート・マクファーレンが国家安全保障問題担当補佐官に就任.

10.10 キッシンジャー使節団,マナグアを訪問.コントラとの和解,総選挙,社会主義国の影響排除,非常事態解除,エルサルバドル援助の中止などを要求.

10.11 CIA要員(UCLA),沖合からモーターボートでコリント港の石油貯蔵基地を破壊,ニカラグアの備蓄燃料の大部分が炎上する.

10.20 デスコト外相訪米.キッシンジャー提案に対応してあらたな中米和平案を提示.米国およびホンデュラスとの不可侵条約,エルサルバドルにおける武力紛争の平和的解決に資する.

10.21 CG4ヶ国外相会議,パナマで開催.中米情勢の現状分析,和平への枠組み作りを討議.中米5ヵ国との協議の上,「領土内における外国軍事基地の設置とあらゆる形態の外部からの軍事干渉の禁止,他国政府の転覆をねらう個人,組織,集団に向けた国際的武器移送の排除」など中米和平協定の骨子をまとめる.

10.25 米国軍,グレナダ侵攻開始.

10 政府,二人のスペイン人神父を,反政府活動により追放.

1983年11月 コスタリカの中立宣言

11.10 ストーン特使,第5回中米歴訪.D.オルテガ,デラマドリと個別に緊急会談.

11.17 コスタリカのモンヘ大統領,中米紛争に対し中立を宣言.国民投票を実施.83%が軍創設に反対,77%は武器購入にも反対.

11.18 アワスタラU開始.米兵5千名が参加する中米史上最大規模の演習.

11 コスタリカ中立宣言の直後,米国は「戦闘技術者」千名の国境地帯への派遣と,道路・橋梁の整備を提案.議会はこの提案を拒否.

1983年12月

12 ニカラグア,一連の和平措置を打ちだす.ミスキート政策の誤りを自己批判,ミスキート政治犯など反政府ゲリラへの恩赦,サンディニスタ革命防衛委員会(CDS)への組織化活動の停止などを実行.

12 米議会,最高2千4百万ドルの対コントラ援助を可決.

12 コントラによる「クリスマス攻勢」開始.

 

 

1984年

1984年1月

1.01 CIA,ニカラグア主要港湾への機雷敷設作戦を開始.

1.7 84新和平条約締結をめざす中米・CG合同外相会議開催.地域軍縮などを謳ったパナマ宣言を採択.

1.11 ニカラグア政府軍,国境地帯でホンデュラスとの合同演習中に参加していた米国軍ヘリを撃墜.米国軍人1人が死亡.

1.11 キッシンジャーを座長とする超党派の「中米問題特別委員会」,「中米は米国にとってゆゆしい事態となっている」と報告.中米経済危機の原因を@石油ショック後の中米産品に対する需要の低下(米国の高関税と買い叩き)A政治的不安定(米国の武力干渉)B経済政策の失敗(米国の開放経済政策おしつけ)C累積債務(米国の高金利政策)と把握.以上を放置すればソ連の餌食となると警告.西半球へのソ連進出阻止を最終目的とし,米軍の軍事的プレゼンスを背景とする政治的圧迫,予防クーデターの積極的承認をふくむ「民主主義と社会改革」の推進を提唱する.中米情勢安定のために@90年までに開発資金240億ドルの必要,A中米開発機構(CADO)の設立,B安全保障援助の増強等を骨子とする報告書をレーガン大統領に提出.

1.13 両国政府,大使を相互召還.

1.17 コスタリカの保守系紙La Republica, ETAメンバー6人がパナマに入国,その後消息を絶ったと報道.

1.31 シュルツ国務長官,エルサルバドル,ベネズエラなどを歴訪,同地域の民主化を訴える.

1 エルサルバドルにおける停戦と権力分有,ニカラグアにおけるFSLN政権の承認と封じ込め政策への転換を骨子とするエンダース提案,NSCにおいて否定.エンダースと国務省実務派は実権を失う.

1.31 政府,選挙実施のため国家評議会に選挙法案を提示.

1984年2月

2.04 オルテガ議長,ルシンチ・ベネズエラ大統領の就任式に出席.コロンビア・アルゼンチンなど7ヵ国首脳とともに,コンタドーラ・グループの和平工作を支持する共同声明に調印.

2.3 ホンジュラス空軍機によるマンサーニョ基地(チナンデガ)および農業開発省情報センター爆撃.5名が死亡.5日後にはアポセンチロ(チナンデガ)にミサイル攻撃.

2.17 ストーン特使辞任.後任にハリー・シュロードマン.

2.17 コスタリカの情報保安本部,ETAのグループがコスタリカ入りしたと発表.

2.21 オルテガ大統領,国会の選挙を11月に実施すると表明.

2 米政府,キッシンジャー報告を受け「中米の民主主義,平和および開発に関するプログラム(CAI)」を提案.60億ドルの資金援助と輸出入銀行の貿易信用,保険のための20億ドルを設定.当面エルサルバドル,コスタリカ,ホンデュラス,グアテマラの4ヶ国を対象とする.

1984年3月 外国商船の被雷

3 米・ホンジュラス合同演習.軍団の作戦遂行能力,医療能力,情報収集能力の確認.

3.12 ニカラグアの主要港湾,コリント,プエルト・サンディーノ,大西洋岸のエル・ブラフ,CIAにより機雷封鎖される.

3.12 米国務省,「ETAの目的はパストラ暗殺」というFMLN脱走者の発言をリーク.

3.13 GATT,米による砂糖輸入割り当て量の削減に関するニカラグア政府の提訴を支持.

3.20 オルテガ議長とデスコト外相,メキシコを訪問し,デラマドリ大統領と会談.

3.20 日本船輝潮丸など,外国船5隻があいついでコリント港で機雷にふれ損傷.ニカラグア海軍の警備艇,ホンジュラス軍機の爆撃により沈没.石油基地も爆破される.

3.31 ニカラグア対策でのアルバレスの暴走に危機感を持つ中堅・若手将校らによるクーデター.3百万ドルにのぼる汚職を理由にアルバレスの軍籍を剥奪したうえコスタリカに追放.

1984年4月 ARDEのサンフアン・デル・ノルテ占拠

4.1 「グラナデーロ1」合同作戦開始.「ミニットメン1」作戦,ホンデュラス=エルサルバドル国境で展開.Cー130輸送機の離着陸が可能となるよう,2飛行場を整備.米1800,ホンジュラス1800,エルサルバドル1300人が参加.

4.4 米国,ニカラグアへの機雷敷設を国際法違反であるとする国連安保理決議に拒否権行使.英・CGは米国に対し機雷撤去を要請し,仏はニカラグアに対し撤去のための技術協力を申し出る.

4.5 米上院,エルサルバドルおよびコントラへの緊急軍事援助8千3百万ドルの支出を承認.

4.11 ワシントン・ポスト紙,米政府当局者の発言とし「レーガン米大統領は機雷封鎖含むCIAのニカラグア作戦を承認していた」と報道.

4.12 8千人以上のFDN雇い兵,ニカラグア北部に一斉侵入.ARDE,コスタリカよりサンファン・デル・ノルテに侵入,「サンフアン・デル・ノルテ自由共和国」を宣言.「臨時政府の用意ある」と声明.オバンド大司教,コントラとの「対話」を呼びかける.ベガ神父,外国軍による反FSLN侵攻を認める発言.政府は緊急事態発令,徴兵制,配給制を強化する.

4.14 レーガン,ラジオ演説でニカラグアの脅威強調.

4.17 政府軍,3千の兵力を南部国境地帯に結集.サンフアンデルノルテを奪回しARDEゲリラを追い詰める.コスタリカ,国境侵犯とニカラグアを非難.

4.18 米政府,ニカラグアの新中米大使ノラ・アストルガ外務次官の就任を拒否.

4.20 米軍,グアンタナモの陸,海,空を使った演習をふくむオーシャン・ベンチャー作戦を開始.

4.25 ニカラグア,機雷敷設問題に関して米国を国際司法裁(ハーグ)に提訴.

4.26 ケーシーCIA長官,上院秘密委員会で機雷敷設作戦について公式に謝罪.

4.26 米・エルサルバドル・ホンデュラス海軍,合同軍事演習「キングズガード」を開始.

4 CIA,ARDEにFDNとの統合をおしつける.ドナルド・カスティーリョ,「CIAは侵略作戦を画策しているようだ.こうなった以上,われわれは彼らの意図を糾弾し,帝国主義反対の路線を再確認する」と声明.

4 米上院,機雷工作を非難する決議を採択.

 

1984年5月 パストラへの爆弾テロ

5.1 アルバレス追放後,南部戦線の強化をはかる米国,パストラに対しFDNと連合しないかぎりすべての援助を打ち切ると通告.

5.1 パナマで開催された9ヵ国外相会議,合意をえられぬまま流会.

5.09 レーガン,エルサルバドル政府軍やコントラへの援助増強を訴える演説.

5.10 ハーグ国際司法裁,米国に対し機雷封鎖の即時撤去等の仮保全措置命令を裁定.

5.15 サンホセでニカラグア・コスタリカの外相会議.国境地帯の監視と武力衝突防止を目的とする合同委員会設置を盛りこんだ6項目協定に調印.会場周囲では対ニカラグア戦争反対の5万人デモ.

5.30 パストラ,ニカラグア領内のラ・パネカで記者会見.旧ソモサ派が主体となっているFDNとの協力をあくまで拒否すると声明.会場でカメラ・ケースに仕込まれたC−4プラスティック爆弾が炸裂.パストラは重傷,米紙記者リンダ・フレイザーなど7人が死亡,他にコスタリカ人など27人が重軽傷.パストラはCIAとFDNによる仕業と非難.その後CIAの援助も打切られる.ホンデュラスではFDNに内紛.ベルムデスと対立したフランシスコ・カルデナルはホンデュラスを追放され旧GNの指導権が確立する.

5 米議会,CIAのコントラへの資金援助を凍結.これに代り,シングローブ世界反共連盟会長がフィクサーとなり民間ベースのコントラ支援が活発化.市民軍事援助機関(CMA)を結成,NSCが資金を提供.

5 「オーシャン・ベンチャー84」作戦.空母アメリカほか数十隻,350機の航空機,米兵3万人が参加.「グレナダ」型強襲上陸訓練が繰り返される.

5 ニカラグア,統制経済に移行.

5 オバンド,ニカラグアにロシアやキューバの進出を許すことは出来ないと,米国の干渉を容認.

5 アルセ全国指導部員,PSNとの単一政党結成を示唆.

1984年6月 ニカラグアがコンタドーラ和平案受け入れ

6.1 シュルツ国務長官,ドゥアルテ大統領の就任式に出席したあとニカラグア訪問.ソ連,キューバとの絶縁,エルサルバドル不干渉,軍備増強の中止,複数制統制の導入を要求する.

6.1 国務省のリークを受けたABC放送,サンディニスタが国際テロリストを雇ってパストラを暗殺しようとしたと放送.報道によれば,サンディニスタと連帯するETAのテロリスト6人が,パナマ=キューバ経由でマナグア入り,ジャーナリストを装ってカミノ・レアル・ホテルに駐在.パストラの記者会見にも出席しているとする.他社はこの報道に追随せず.

6.25 マンサニージョ市(メキシコ)での米国,ニカラグア間の定期協議始まる.ティノコ外務次官とシュロードマン特使が会談.年内に計9回の交渉がおこなわれる.

6 CG,「中米の平和と協力の議定書」を提示.ニカラグアは受入れの意志を表明.

6 デラマドリ大統領訪米.歓迎式典で「米州のすべての国が,平和回復と戦争回避のため,最大限の努力をなすべきである.それは国際法の諸原則を遵守し,それぞれの国の国家主権を尊重することによってのみ達成される」と発言.

6 「新ユニティー」作戦.米のほか,ベネズエラ,コロンビア,エクアドルが参加.

6 NSCとサウジアラビアとのあいだで,武器輸出と交換に8百万ドルのニカラグア秘密援助を取り付ける.以後NSCがCIAに代り秘密工作の主役となる.

6月 DEAのバリー・シール,コロンビアで「パブロ・エスコバルとサンディニスタ将校が共同して麻薬を飛行機に積み込むシーン」を撮影.のちにオリバー・ノースが反ニカラグアのキャンペーンに利用。

バリー・シール: 山師の米国人パイロット。80年代初めからオチョアに雇われ、中米・カリブ・メキシコ方面へのコカイン密輸を担当。DEAに逮捕された後、そのスパイとなる。シールは86年にカルテルにより暗殺されるが、その愛機「ファットレディー」はCIAに売却され、エルサルとコントラ部隊を結ぶ補給路に用いられた。

1984年7月 総選挙の公示

7 OASの人権委員会,政府のミスキート族への対処について報告.83年前半までは,不適当な対応があったが,その後改善されていること,近隣諸国における人権抑圧とならべて論ずるようなものではないと結論.

7.9 教区庁,みづから「キリスト教改革運動」を開始,反政府活動に乗り出す.ローマ法王庁,4人の聖職者の閣僚辞任を求める.政府,反革命策動を行ったペーニャら10人の外国人神父を国外追放.

7.17 FSLN代議員大会,大統領候補にオルテガ議長を選出.

7.25 FDNとARDE,パナマにおいて会談.FSLN打倒をめざす共闘協定に調印.

7.26 総選挙,大統領選挙の公示.選挙戦始まる.非常事態令,大幅に緩和.出版物の検閲も事実上廃止.独自選挙のため,FPRは解散.CDはクルースを大統領候補に,PSCのアダン・フレテスを副大統領候補に立てたが,結局ボイコット.独立自由党は現労働相のゴドイを,民主保守党はクレメンテ・ギドを候補に擁立.

7.31 ケーシーとノース,極秘裏にパナマを訪問しノリエガと会談.コントラ支援を訴える.ノース公判文書によれば,ノリエガは10万ドルのコントラ援助を約束.

7月 NSCのノース,バリー・シールの入手した写真をマスコミにリークする.

1984年8月

8.2 米下院本会議,対コントラ援助禁止法案を可決.

8.10 米上院,妥協案として対エルサルバドル緊急軍事援助追加資金7千万ドルを承認.

8.10 合同軍事演習「レンピーラ」開始.グリン・ベレー2千名を中心とする米特殊部隊らが反乱鎮圧演習開始.

8.14 ドアルテ・エルサルバドル大統領,国会で演説.ニカラグアのFMLNゲリラ支援を非難する文書を国際司法裁に送ったと発表.

8 ブラント元西独首相らの仲介で,リオデジャネイロでバヤルド・アルセとクルースが会談.いったん選挙協定成立するが,CDはこれを拒否.

8 政府,自治委員会を設置,ミスラサータにたいし停戦交渉をよびかけ.

8 米共和党,大統領選挙を前に選挙綱領を発表.FSLNによる国際的な麻薬密売,ニカラグアからのユダヤ人の強制退去などのデマを満載.

1984年9月

9.7 CG・中米合同外相会議,パナマで開催.第二次修正案を「中米における平和と協力のためのコンタドーラ決議」として提案.当初ニカラグアはコントラの攻撃中止がまず優先と難色を示す.米国の圧力を受けた中米3国も難色を示し流産.米国はテグシカルパ修正案を提案するが,ニカラグアはこれを拒否.軍縮計画を含む中米和平修正プランを作成.

9.20 ニカラグア政府,一転して決議受け入れを表明.デスコト外相はCGの中米和平案に無条件で署名すると声明.外国人顧問団の引揚げを発表.

9.26 アドルフォ・カレロ,ニカラグア国内のキューバ人への攻撃を強化すると声明.

9.28 CG・中米および西欧12ヶ国外相会議,サンホセで開催.CG支援とヨーロッパの中米援助増額を発表.

9 バチカン,解放の神学を非難する長大な文書を発表

9 CMAの雇い兵ジェームス・パウエルとダナ・パーカーの操縦するFDNの武装ヘリ,ヒューズ500がニカラグア領空で撃墜される.FBIはCMAを合衆国中立制定法違反の疑いで調査開始.

1984年10月

10.1 在パナマ米国軍事学校施設,パナマ側に引き渡される.

10.5 米国,CGの中米和平協定の一部修正を要請.

10.14 ブラント前西独首相,中米問題解決のためキューバを訪問.CG提案に沿ってキューバ人をニカラグアから引き揚げるよう提案.

10.15 CIAによるコントラ向け「ニカラグア転覆のための宣伝工作の手引(暗殺マニュアル)」の存在が発覚.ケーシー長官,カークパトリック国連大使が直接関与し,FSLN要人暗殺を計画したもの.

10.17 CG,米国の一部修正要請の検討を受け入れ.

10.19 米の主張で,ホンデュラス,エルサルバドル,コロンビア3国とCG協定案修正のため協議.

10.30 米国国家安全保障委員会(NSC),CGによる和平合意の動きを牽制するため,ニカラグア以外の中米4ヶ国にテコ入れする必要があると指摘.

10 「メジャー・フォーカス84」作戦.国境地帯で「ニカラグアとエルサルバドルの連絡を断つ」演習.グリンベレーとレンジャー部隊が中心.

10 ミスラサータ,ニカラグアに戻りFSLNとの共存を求める交渉派が多数となる.

10 米下院,85年会計年度予算からコントラ援助支出をすべて削除する「ボーランド修正」を可決.さらにCIAもしくは情報活動にかかわるすべての機関または実在物がコントラを支援するために金銭を支出することを禁ずる.ノースは,ホワイトハウスはボーランド修正の対象外と主張,NSCみずからが秘密作戦「プロジェクト・デモクラシー」の主体となるよう組織を再編成.

10 ベガ神父,「コントラの児童虐殺はFSLNによる児童の魂の圧殺よりましだ」と発言.

10 米国による工作の結果,独立自由党のゴドイ,ボイコットに転ずる.副大統領候補のペレイラ,および党員の大多数は,選挙に参加.

1984年11月 FSLNが選挙に勝利

11.04 総選挙82%の投票率で成立,FSLNは3分の2の得票で圧勝.議会の96の議席から61を獲得。

11.06 スピークス報道担当補佐官,ソ連の貨物船がMiG-21戦闘機を輸送しており,米政府は厳重監視中であると発言.もしニカラグアにMiG-21が陸揚げされれば「重大な状況をもたらすと考える」と警告.

11.06 レーガン,ミグ戦闘機がニカラグアに搬入されるとの報道をめぐって,ニカラグアを脅迫.42隻1万5千人が出動準備体制にはいる.

11.07 ニカラグアはMiG-21戦闘機搬入を否定,米軍機,米軍艦が領空領海を侵犯と非難,全土警戒体制に入る.フリゲート艦の領海侵犯,偵察機SR71が連日ニカラグア上空へ.

11.09 国連安保理事会,ミグ戦闘機搬入問題で緊急討議.米政府が搬入の事実を否定したことで危機は回避.実際に搬入されたのは最新型攻撃ヘリMi24.

11.08 国家防衛総合計画を発動,2万人の学生のコーヒー収穫動員を中止,首都防衛に回す.

11.10 レーガン,「暗殺マニュアル」に関してCIA中堅職員6名に対し処分を発表.

11.13 中央選管,オルテガの大統領当選を公式発表.

11 不破委員長を団長とする日本共産党代表団,ニカラグアを訪問.

1984年12月

12 「キングス・ガード」作戦.フォンセカ湾からニカラグアへ圧力をかける.

12.8 ボゴタでルイス・カリオンとミスラサータ代表とが停戦交渉開始.自治権保障の方向で合意.政府は少数民族の自治の問題を調査・検討し,自治法の草案を作成するための自治問題・国民委員会を設置.

12.10 イエズス会,法王庁の指示によりF・カルデナル教育相の神父資格を停止し「追放」.フェルナンド「わたしの辞任は貧困の原因に背を向けるだけでなく,祖国への背信ともなる.それは明らかに神の意志に反するものである」と声明.オルテガ,オバンドと会談,関係修復を計る.

12 ニカラグア国内の軍事施設破壊のため,コントラの精鋭からなるコマンド部隊「ペガサス」を,アラバマ州内で訓練していることが暴露される.

 

1985年

1985年1月

1.1 メキシコ政府,債務返済の遅れを理由に対ニカラグア石油供給を停止.

1.8 CG外相会議,パナマで開催.米国とニカラグアに対し対立解消と和平追求を要請する共同コミュニケを発表.

1.8 コントラの襲撃で農民14人が殺害される.

1.10 D.オルテガ,大統領に就任.就任式にはカストロが出席.レーガン,二期目の大統領に就任.

1.15 米政府,ニカラグアとの交渉を一時停止すると発表.

1.17 オバンド,E.カルデナル文化相の神父の資格停止処分.E.カルデナルは処分受け入れを拒否.

1.17 ロバート・マクファーレン国家安全保障担当補佐官,コントラ支援を停止する意向を示したホンデュラス政府への対応を中心に,中米5ヶ国を極秘訪問.CG提案への対応を協議しコントラ支援の意志を確認.ノース(事実上の主役),ポールゴーマン南方軍司令官も同行.

1.18 米国務省,コントラ支援の是非を問う国際司法裁判所の審理をボイコットすると発表.

1.22 ニカラグア米州機構大使パラレス,閣僚を辞任しなければ神父資格を停止するという同国カトリック教会の処分決定に対し,現職にとどまり僧職を辞任すると宣言.

1.26 デスコト外相,外相を辞任するか神父の地位を放棄せよとのローマ法王庁の通告受諾を拒否.

1.30 カークパトリック国連大使辞任.後任にヴァーノン・ウォルターズ元CIA副長官.

1.30 シュルツ国務長官,米州開発銀行に対しニカラグアの農牧向け5千8百万ドルの借款供与停止の圧力をかけ,ブロックに成功.

1 米国,ハーグ国際司法裁の審理を拒否,出廷を打ち切り.

1 阿部外相,コロンビア訪問.コンタドーラの活動を支持すると表明.

1 徴兵制年限を,最高30才に引き上げる.

1 ラ・プレンサ紙のペドロ・ホアキン・チャモロ(暗殺された故チャモロの息子),コスタリカに亡命.FDNの指導者となり,機関紙「ニカ・ホイ」の編集長に就任.

1 デング熱が流行し始める.米の生物爆弾による疑いが持たれる(恐らくはアンゴラ帰りのキューバ人が持ち込んだもの).

1985年2月 インフレが一気に加速

2.8 ニカラグア,一連の緊縮財政政策を発表.対ドル公定為替レート10コルドバから28コルドバに切下げ.これを引き金にインフレ爆発.年間334%の物価上昇となる.

2.11 「ユニバーサル・トレック85」作戦.35艦船の見守るなか,6千5百の米空挺部隊兵を含む1万1千の兵がホンデュラス北部のプエルト・カスティリアに上陸作戦.

2.11 合同軍事演習「アワスタラV」開始.ニカラグア国境から3キロの地帯で戦車隊ふくめ米軍のべ8千名が参加.航空機の増強,戦車用道路の建設などには1万五千人が参加.ニカラグアは政府軍2万をホンデュラス国境地帯に移動.

2.27 D.オルテガ大統領,@キューバ軍事顧問団撤退,A新兵器購入の無期限凍結を骨子とする「新和平提案」を緊急発表.CG提案を支持し,キューバ人軍事顧問百人が5月から帰国を開始すると発表.同時に中米地域の緊張緩和のためすべての外国人軍事顧問が中米から撤退するよう要求.米国はただちに拒否.

1985年3月

3.02 シュルツ米国務長官,大統領就任式に出席のため訪問したモンテビデオで,オルテガ大統領と会談.

3.6 マナグア市内の病院など5カ所で連続爆弾テロ.軍司令部ビルが大破.のちに,NSCみずからが傭兵を用いた作戦であったことがあきらかとなる.

3.15 ブラジル大統領就任式に出席のオルテガ大統領,ブッシュ副大統領と中米和平案について会談.

3 米国,マンサニージョにおける2国間協議を一方的打ち切り.

3 選挙をボイコットした国内の反政府勢力,コスタリカで会談.コントラとの対話開始,再選挙などを求める.

3 ニカラグア国会開かれる.7政党が1年後の憲法制定で合意.議長にはヌニェスが就任.

3.1 ウルグアイ,サンギネッティ大統領就任式.参席したオルテガ大統領は,10万人の熱烈な歓迎を受ける.

3.2 モンテビデオでオルテガ=シュルツ会談.シュルツはニカラグア国内に2千5百ないし3千5百の軍事顧問をふくむ8千のキューバ人がいるとし,オルテガ提案は問題にならないと言明.オルテガは国内には軍事顧問786人をふくめ千5百名以下のキューバ人しかいないと反論.

1985年4月 コントラ南部戦線の再建

4.1 オウェンのノース宛メモ:FDN議長アドルフォ・カレロ,元エデン・パストラ軍を中心に南部戦線を編成.新しい指揮官たち(ホセ・ロベロ,セバスチアン・ゴンサレス)はいずれも麻薬との関係が強く疑われる.

4.4 レーガン,テレビ演説でニカラグア政府およびコントラに対し和平提案.6月1日までの60日停戦,国際監視下での総選挙実施など.米議会には反政府勢力援助凍結解除を要請.ニカラグア政府はレーガン提案を拒否.

4.11 カラカスで中米和平をめざすCG・中米全権代表者会議開催.

4.18 ホンデュラス空軍機,ニカラグア領内でニカラグア船を撃沈.

4.24 下院,千4百万ドルのコントラ人道援助を僅差で否決

4.24 コスタリカ軍,ニカラグア国境附近にすむ米国人ジョン・ハルの農場を襲撃.米国人2人をふくむコントラの雇い兵16名を,中立制定法違反で逮捕.

4.29 オルテガ大統領,ソ連を再訪問しゴルバチョフと会談.ソ連は積極的支援を約束し,2億ドルの援助をふくむ両国間の経済貿易・科学技術委員会設立に関する協定に調印.これはサンディニスタに対して同情的だった米議会の雰囲気を大きく変える.このあとオルテガ大統領はユーゴ,ブルガリア,ルーマニア,ハンガリー,ポーランド,東ドイツを歴訪.

4.30 レーガン,サンディニスタが中米における米国権益の安全を脅かしていると非難.コントラ援助停止への対応として,通商禁止等をふくむ経済制裁を発表.ニカラグア,国際司法裁にこれを提訴する方針を表明.NSCはイラン・コントラゲートの計画に着手.

4 レーガン,宗教者会議で,バチカンがレーガンの対ニカラグア政策を支持と発表.バチカンはこれを否定.

4 メキシコ市でミスラサータとの停戦協定成立.ココ川南岸を支配するミスラの軍事指導者エドアルド・パンティンとのあいだにも停戦成立.パンティンは協定成立直後にファゴスの指示により暗殺される.

1985年5月 コスタリカとの緊張高まる

5.01 レーガン,友好条約を破棄し,ニカラグアへの経済封鎖を断行.

5.02 ニカラグア駐在キューバ軍事顧問100人が帰還.

5.07 米国,コスタリカ国家警備隊訓練のため,軍事顧問20人を派遣.

5.11 オルテガ大統領,東欧歴訪のあとスペイン,フランス,イタリアを訪問.ミッテラン大統領は通商拡大と政治的協力の推進を表明.

5.14 SELA,緊急特別会議で米国に対しニカラグアへの禁輸措置撤回を要求.

5.28 コスタリカ市民警察の兵二人が国境地帯で射殺される.コスタリカ政府は非常事態を布告.これをニカラグア軍の仕業と断定し激しく非難.両国関係,険悪に.米特殊部隊の訓練を受けた”閃光”軍団創設.市民警察から選抜された7百名が,ニカラグア国境附近エルムルシェラゴのキャンプで対ゲリラ戦の訓練をくりかえす.米国は,コスタリカ領内のARDE軍千5百の他,コンドル,コブラ軍団にも豊富な武器供与.

5.31 ニカラグアとECのあいだに経済援助協定締結.

5 オバンド,枢機卿に任じられる.オバンドは直後にマイアミを訪問しカレロ,クルース,パストラらと会談,反政府勢力の統一をよびかける.

5 ボルヘ内相,プエルトカベサスを訪問.タスバプリ計画の誤りを認め,ミスキート族のココ川領域への帰還を発表.

5 米上・下院,コントラに対する2700万ドルの「人道的」援助を可決.NSCの指導で「ニカラグア自由基金」設立.民間資金導入の窓口となる.

1985年6月 米議会がコントラ支援を決議

6.6 米上院,コントラに対する85年度非軍事援助1千4百万ドルの凍結解除.86年度分2千4百万ドルを承認する修正案を可決.

6.7 米上院,援助法案可決の見返りとしてニカラグアへの軍事介入禁止を求めた修正案を否決.

6.10 ニカラグア政府,ソ連・欧州歴訪により総額3億9千万ドルの援助をとりつけたむね発表.

6.12 米下院,コントラに対する非軍事援助2千7百万ドルの支出承認.これには地対空ミサイルを始めとする「防衛的兵器」も含まれる.

6.13 ニカラグア,これに抗議し武器購入モラトリアムの停止を発表.

6.16 ホンデュラス国境で激戦となる.

6.26 オルテガ大統領,モンヘ・コスタリカ大統領に書簡を送り,両国国境沿いに独自に非武装地帯設けると表明.

6.27 シュルツ,米軍のニカラグア派兵を検討中と発言.米軍,「2週間でニカラグア国民の60%を支配する」計画が,ニューヨーク・タイムスにより暴露される.7月4日侵攻説流れる.米下院,「大統領は議会の事前承認なしに,米軍をニカラグアに侵攻できない」と決議,ニカラグア国内での武力の使用を禁じる法を可決.ニカラグア政府は,一方的和平措置を撤回,「最大厳戒体制」を呼びかける.オルテガ大統領は「今や,ニカラグア国民皆殺し作戦が準備されている」と演説.

6 サンサルバドルでUNO(ニカラグア反対派同盟)結成.指導部にクルス,ロベロ,カレロの3名を選出.軍事組織としてはFDN,ARDE,ミスラが参加,ミスラサータは独自行動.

6 マイアミでNSCのオリバー・ノース中佐を中心とする秘密会談.コントラ援助について意志統一.出席者はCIAのトマス・クラインズ,右翼の大物リチャード・シーコード将軍,亡命キューバ人でCIAエージェントのラファエル・キンテロ,コントラ側からカレロとベルムデス.キューバから送られる支援物資をラマ川で沈め,航行不能に追込む作戦を討議.

6 国会に自治法案提出,カリブ海地域で住民との対話始まる.ミスラとの間に停戦協定締結.タスバプリの住民の出身地への帰還が認められる.国連難民高等弁務官の援助のもとに帰還開始.ミスラのよびかけで,ミスラとミスラサータの統一をめざした新組織ASLA(統一)が結成される.

6 「カバーニャス」作戦.上陸演習と道路建設,5000名参加.

6 カナダ,コントラ不支持と政府援助の継続発表.大ロンドン市,マナグア市と姉妹都市に.

6 ホンジュラス,コスタリカとの国境に非武装地帯の設定を提案.両国の拒否に会うが,一方的実施.

6 MINT高官のアルバロ・バルディゾン大佐,ホンデュラスから米国に「亡命」.米議会で反共デマ証言.米国は彼の情報を元に,「人権抑圧」のキャンペーン.

1985年7月 コンタドーラ支持グループの結成

7.8 レーガン,「キューバ,イラン,リビア,ニカラグア,北朝鮮の5ヶ国がテロリスト国家連合を形成し,米国を世界から追放しようと狙っている」と演説.

7.10 デスコト外相,断食にはいる.

7.12 ノース,退役空軍省軍リチャード・シーコードからホンジュラス軍の武器を購入するよう提案を受ける.資金は麻薬取り引きの利益とサウジ・アラビアへの秘密武器売却の代金をあてることとなる.

7.15 ペルーのガルシア大統領就任式に出席したブラジル,アルゼンチン,ウルグアイ,ペルーの外相が会談,コンタドーラ支持グループ(リマ・グループ)を結成.

7.19 革命6周年記念集会に50万人参加.オルテガ大統領,レーガンに対し,両国関係正常化のため直接対話を呼びかけると同時に,経済制裁には強く反発.

7.21 CG外相会議,パナマで開催.米国とニカラグアに対し対話の再開を求める宣言を採択.

7.26 米上下両院協議会,コントラへの援助について@非軍事援助に限定して2千7百万ドルを支出,A援助実施にCIA,国防長官の関与を禁止することで合意.

7.26 デスコト断食に呼応して全国断食デー

7.29 コントラ,「85年隔離計画」を開始.2千名でエステリを包囲,7百名でトリニダドを一時占拠,41人を殺害.2ヵ月で350回の戦闘,3百名の死者を出す.

7.31 米戦艦5隻があらたにニカラグア海域に配備

7 ルイス・タムズ,コスタリカ大使に就任.コントラ南部戦線の建てなおしのためコカイン・コネクションと接触をはかる.89年コスタリカ政府よりペルソナ・ノングラータの指定を受ける.

7 サンホセのニカラグア大使館,CIAの一味と思われるものにより襲撃.コスタリカを紛争に巻き込もうとする策謀の一環.

7 パナマ政府の公認の下,5人からなるコントラ指導部がパナマ市内で記者会見.

7 自治問題国民委員会結成.約90名の委員から構成され,総裁にトマス・ボルヘ,委員長にルイス・カリオン.「ニカラグア大西洋岸先住民族・共同体の自治権の行使に関する原則と政策」を発表.自治政府の治安維持権,徴税権を保障,天然資源に関しても「大西洋岸住民の経済的社会的発展に寄与すべきもの」として保障.また「地域自治の原則および目的」を発表.宗教,固有文化,部族言語を保持する権利を保障.将来の自治権を公約.

1985年8月 北部で最大の激戦開始

8.1 コントラ一斉侵攻開始.北部国境地帯で大激戦となる.

8.9 公開された彼自身のメモによれば,この日ノースは部下でコントラとの連絡役ロバート・オウェンと会談.マリオ・カレロ(アドルフォ・カレロの弟)の飛行機で「物資」をニューオリンズからホンジュラスに運ぶよう指示.ノースはこのDC6が麻薬密輸に使われていたことを承知していた.

8.23 コロンビアのカルタヘナでコンタドーラ+支持グループ外相会議,中米和平を協議.

8.30 コントラ援助を統括する特別事務所を国務省内に設置.

8 ARDEを離れたパストラ,戦闘継続を宣言するも部隊はほぼ壊滅.

1985年9月

9.1 ボルヘ,86年に少数民族に完全な自治権付与と表明.

9.10 セント・ルシアで米,英,東カリブによる9ヵ国合同軍事演習開始.

9.12 CG外相会議開催.修正案を提案し中米5ヶ国に対し11月20日までに新和平協定案に署名するようもとめる.ニカラグアは基本的に受け入れるがいくつかの点で逆提案,米国は無視.

9.13 コントラ,「レプンテ85」作戦開始.ロサリオ地区に空爆開始,18日にはチナンデガ県ソモチョ地区に侵攻,最強のサラザール軍団は,ニカラグア中央を突破して,中南部のチョンターレスにいたる.

9.14 オルテガ,スアソ・ホンジュラス大統領に流血拡大防止の首脳会談を呼掛ける.

9 ニカラグア・カトリック界ナンバー2のパブロ・ベガ,国民の75%がFSLNに反対と発言.

9 ASLA,指導権をめぐる思惑により分解.ミスラ主流派はファゴスを追放しKISANに改組.武力闘争の継続,UNOへの参加などCIAへの組込みがさらに明確となる.ファゴス派はなおミスラを名乗り存続.

1985年10月

10.7 パナマで9ヵ国の全権代表によるマラソン交渉.1ヵ月後に物別れに終わる.

10.15 マタガルパにおいて,大規模な反革命陰謀が摘発される.129名が逮捕.ニカラグア政府,向こう1年間非常事態令を延長,強化する大統領布告発表.

1985年11月

11.11 ニカラグア,域内での米国軍の活動を禁止していない協定案の受諾を最終的に拒否.

11.21 米議会,コントラ援助の一環として非武装の航空機,ヘリ,車両などの供与を認める法案を可決.

11 リースら,FSLNと休戦し「キサンー平和派」を結成.

1985年12月

12.2 キューバ人パイロットの操縦する政府軍のMI8ヘリコプター撃墜される.乗員全員が死亡.シュルツはキューバの干渉が証明されたとしてこれを歓迎.

12.4 オルテガ大統領,非常事態を延長・強化.

12.4 マクファーレン大統領補佐官辞任.後任にポインデクスター将軍が就任.

12.5 ニカラグア,台湾との国交を断絶し,ソ連の圧力のため遅れていた中国との国交を樹立.

12.6 中南米9ヵ国,米国の経済封鎖停止をOASに提案

12.7 ニカラグア,コンタドーラ+支持グループに対し新和平提案,中米首脳会議を提唱する.コンタドーラ協定をめぐる交渉,ニカラグアの要請により5ヵ月間中断となる.

12.10 各国の平和団体,宗教団体等のメンバー約300人よりなる「中米の平和のための行進」がパナマを出発.サンホセでは自由コスタリカ運動(MCRL)の襲撃を受け15名が負傷.警官は4時間にわたる暴行を見守る.MCRLは世界反共連盟に属し,数千名の兵士を持つと豪語.ニカラグア大使館前での挑発デモを繰り返す.

12.17 国連総会,「外部の干渉なしに自国の政治,経済,社会体制の選択」ができるニカラグアの主権を確認.米国の対ニカラグア経済封鎖の解除を勧告.またチリ,エルサルバドル,グアテマラにおける人権抑圧を非難する決議も採択.

12.25 ラジオ・カトリカ,大統領のクリスマス演説の放送を拒否.無期限放送禁止処分となる.

 

1986年

1986年1月 カラバジェーダ声明

1.02 コロンビア外相,M19の最高裁占拠事件にニカラグア軍部が関与していた証拠があるとし,ニカラグア政府に釈明を求める書簡を送付.ニカラグア政府は介入の事実を否定.

1.02 合同軍事演習「テレンシオ・シエラ86」開始.米国州兵5百人が参加し対市民工作に従事.

1.11 農地改革法改正.北部から避難した農民たちなど,農地配分の要求増大に応えるための受け皿をもとめ,国有農場を解体すると同時に,収用対象の上限を撤廃し未耕地の収用を進める.マサヤ県では全地域の2/3を農牧開発地域に指定.土地の接収のかわりに相応の代替地を与えることで地主とのあいだに合意.一方農民への統制も緩和され,穀物流通の自由化,政府買上げ価格の引き上げを決定.これにより食料生産は回復傾向をとりはじめる.

1.12 コンタドーラ+支持グループの外相会議,ベネズエラのカラバジェーダで開催.「中米の平和,安全,民主主義のためのカラバジェーダ・メッセージ」を発表.米国・ニカラグアの直接交渉,不正規軍への国外からの援助停止,外国軍隊および軍事顧問の撤退などを骨子とする最終議定書に合意.同時に紛争の自主解決をめざす中米諸国首脳会議を呼びかける.

1.14 8ヵ国外相と中米5ヵ国の外相,セレソ大統領の就任式を機にグアテマラ市で会談.セレソ新大統領,「カラバジェダ声明」支持の立場から中米諸国のミニサミットを提唱.会議はカラバジェーダ・メッセージに賛同する趣旨の「グアテマラ宣言」を採択.同時におこなわれたセレソ・オルテガ会談でM19への援助疑惑についても討議.

1.21 オバンド,ロックフェラー財団の招きで訪米.国連および米州機構でFSLNの全体主義的性格と,宗教的迫害について訴える.

1 ホンデュラスでアスコナ大統領就任を目前に軍内クーデター.ロペス司令官が失脚.レガラード将軍が新司令官に就任.コントラを対米取り引きのカードとして利用することを断念し国外追い出しをはかる.

1 米議会,コントラへの千3百万ドルの人道的援助を決定.

1月 85年度の国内総生産は30%以上の低下.コントラは生産施設への攻撃を集中.

1986年2月 アリアスの大統領当選

2.2 コスタリカ大統領選.厳正中立と善隣外交を唱えるオスカル・アリアスが当選.コントラの国外退去を求める.

2.10 オウェンのノース宛メモ:コントラへの「人道的支援」に用いられた飛行機は全米最大の麻薬業者マイケル・パーマーの所有するヴォーテックス社に所属し,それまで麻薬運搬にかかわっていたものである.パーマーはこの仕事の見返りに政府から30万ドルの報酬を受けていた.

2.13 モンヘ大統領,昨年5月の国境地帯での衝突以来凍結状態にあるニカラグアとの外交関係正常化を発表.

2.20 レーガン米大統領,グレナダ訪問,ニカラグアを共産主義から解放する闘いを支援すると強調.

2.27 CG・SG外相会議,プンタデルエステで開催.ニカラグア・コスタリカ国境に国際監視団を創設することを決議.

2 憲法第1次草案発表.

1986年3月 セマナサンタ作戦

3.02 オルテガ,レーガン政権の反政府ゲリラへの軍事援助を「国家テロ」と非難.

3.3 UNO代表の3人,レーガンと会見.レーガンはコントラを自由の戦士と賞賛.同日開かれた極右のヘリテージ財団主催のセミナーには,3人のほかニカラグアからフイガルパ在住で筆頭司教のパブロ・アントニオ・ベガ司教も参加.FSLNがこれまでに3人の神父を殺したとデマ宣伝.

3.3 合同軍事演習「カバニアス86」開始.米空挺部隊5千名が重火器をパラシュート降下.

3.7 レーガン大統領,フィリップ・ハビブを中米特使に任命.

3.11 ノラ・アストルガ,ニカラグア国連大使として着任.

3.13 合同軍事演習「アワスタラ86」開始.ニカラグア国境地帯で米国空挺部隊2千名が訓練.

3.15 ガルシア・ペルー大統領,アルフォンシン・アルゼンチン大統領と会談.ニカラグアを侵略する勢力とは外交関係を断絶すると言明.

3.20 米下院,レーガンのデマ宣伝を押し切り小差で7千5百万ドルの軍事援助をふくむ1億ドルのコントラ援助法案を否決.

3.20 政府軍,「聖週間作戦」.戦況を一気に有利に展開する.以後コントラの戦力は下降線をたどる.

3.24 ニカラグア兵1千5百名によるホンジュラス侵入のデマ流れる.米国側の一方的な発表で,ホンジュラス大統領は,当初つんぼさじき.

3.25 レーガン大統領,ホンデュラスに2千万ドルの緊急軍事援助を供与.

1986年4月

4.03 オルテガ,ふたたびホンジュラスとの和平を呼びかける.

4.16 米下院本会議,レーガン米大統領提案のニカラグア反政府ゲリラ緊急援助を全面否定.

4.29 オバンド側近で報道担当官ビスマルク・カルバージョ,文鮮明の経営するワシントン・タイムスとのインタビューで,ニカラグアのカトリック教会はレーガン政権に味方すると断言.ラプレンサ紙の共同経営者ハイメ・チャモロ,ワシントン・ポストのインタビューで米国のニカラグア攻撃政策に対する全面的支持を表明.対コントラ1億ドル援助法案の重要性を強調.

4 NSC,イランへの武器売渡代金千3百万ドルをコントラへ流用

4 パナマでコンタドーラ+支持グループと中米5ヵ国による13ヵ国拡大外相会議開催.6月6日をめどとして協定署名に実現に努力することで合意.ハビブ特使,中南米歴訪し首脳会議の破壊工作.ウオルターズ国連大使はブラジルへ説得工作.

1986年5月 第一回エスキプラス会議

5.8 アリアス,コスタリカ大統領に就任.コントラの領土利用を拒否するとともにコンタドーラ提案の遵守を宣言.列席したCG・SG首脳,中米和平の早期調印や紛争の域内自主解決等8項目からなる「サンホセ宣言」を発表.オルテガは警備に対する不安のため列席不可能となる.

5.24 セレソ大統領のイニシアチブによりエスキプラスで中米首脳会議開催.中米和平条約を提示.また将来の中米地域での政治・経済・社会問題について協議するための中米議会の創設を内容とする「エスキプラス宣言」を採択.ニカラグアは米国がコントラへの援助を集結しないかぎり調印しないとこれを拒否.米国の圧力による4国の反動化で成果無し.

5 アリアスは,コントラ・ゲリラの逮捕,国境地帯のコントラ飛行場や病院の閉鎖などを次々と実施.パストラ派最終的に解体,残存部隊はFDNに合流,パストラは戦線離脱.

5 国務省,ブルネイより1千万ドルのコントラ秘密援助を獲得

5 UNOの内部対立深刻化.マイアミで調整会議の結果,多数決制などカレラの影響力を弱める方針を決定.

5 政府公開文書を検討したトニー・アヴァガン記者,パストラ事件のETA犯人説は政府によるデッチ上げと告発.告発状によれば,政府はコントラ内の厄介ものパストラを抹殺し,その罪をサンディニスタにかぶせようとした.アヴァガンは当日の犠牲者の一人.

1986年6月 国際司法裁の判決

6 ビオレータ・チャモロ,訪米しCIA外郭団体のナショナル民主主義基金に対ニカラグア戦のエスカレーションのための宣伝活動を要請.

6.6 CG+支持グループ+中米5ヶ国よりなる13ヵ国外相会議,パナマで開催.CG,中米5カ国に対しあらためて和平協定案を提示するが.軍備削減などで対立.合意に至らないまま散会となり「中米和平条約」への調印は凍結.

6.18 レーガン,ニカラグア反政府ゲリラ指導者3人と会談し支援を再確認.

6.21 米議会(下院),3月にいったん否決したコントラに対する1億ドルの援助を221対209で可決.うち軍事援助は7千万ドル.

6.25 オルテガ,米議会のニカラグア反政府ゲリラ援助法案可決を非難.

6・26 ニカラグア,非常事態の内容を強化.「ラ・プレンサ」紙の発刊停止.

6.27 国際司法裁,判決.米国の主張を全面的に退け「機雷封鎖,コントラ支援を含む米のニカラグアへの攻撃は,国連憲章をふくむ国際法に違反」と裁定.

6.28 カルバジョ司教,欧米各国を歴訪し反革命デマ宣伝に狂奔.政府は彼の再入国を拒否.

6 NYタイムス,ノリエガがコロンビアの麻薬業者と癒着し,密輸やマネー・ロンダリングの中心となっていると報道.

1986年7月

7.2 ベガ司教,記者会見.コントラ援助法の下院通過に関連して「民衆が自分たちを防衛する権利を否定することはできない」と発言,コントラ支持をうちだす.政府は4日ベガを国外追放処分.

7.19 革命7周年記念集会.オルテガ大統領はラプレンサ社主ビオレタ・チャモロを「懲役30年の刑に値する」と非難.

7.27 オルテガ,国連出席のため訪米.ニューヨークの教会で演説,レーガン政権のコントラ支援を非難.

7.28 ニカラグア,コントラへの基地提供を理由に,国際司法裁にコスタリカとホンデュラスを提訴.両国におけるコントラの軍事活動の禁止を求める.

7.29 ニカラグアの要請にもとづき国連緊急安保理,国際司法裁判決の完全実施を求める決議が多数を占める.米国は拒否権を行使.

1986年8月 プエルトカベサスの激戦

8.02 ニューヨーク滞在中のオルテガ,8項目の中米和平案を提唱.

8.6 基礎食糧供給公社(ENABAS)で大規模な物資の横流しが摘発.基礎食糧の値上げ,年間百倍を越える.オルテガ大統領,大衆に投機との闘争を訴え.

8.13 米上院,コントラ援助案を可決.

8.20 コントラ,プエルト・カベサスに総攻撃をしかけるも敗退.

8.23 ノースのポインデクスター補佐官宛メモ:彼とノリエガは長年良好な関係を保っており,もしわれわれが彼のイメージアップを援助し,南方軍が武器売却を解禁してやれば,彼は反サンディニスタ活動を援助するだろう.この背景には,ノリエガがノースに提案したコントラ部隊の編成計画がある.CIAアラン・フィアースの92年証言によれば,これまでコントラの活動が空白となっていたニカラグア西部で,ノリエガの手兵を中心に新たな戦線を形成するというもの.ノースはこの計画に「民主主義プロジェクト」基金を通じて百万ドル支払うよう提案.この基金はイランへの武器売却代金を隠匿すべく設立されたもの.ポインデクスターはノースがノリエガと秘密会談を持つことを承認.シュルツとエリオット・アブラムズも計画に賛成.

1986年9月 ノース=ノリエガ秘密会談

9.14 オルテガ大統領,中国を公式訪問.2千万ドルの対ニカラグア緊急援助を内容とする両国協力協定に調印.

9.22 ノースとノリエガ,ロンドン市内のホテルで秘密会談.ニカラグアとアフガンのゲリラを育成する特殊訓練センターをパナマ国内に開設すること,武器の援助にはイスラエルがあたること,当面マナグア市内の空港,製油施設,電気電話施設の破壊を行うことで合意.この計画はイラン・コントラゲートが発覚したことで流産.

9 アリアス大統領,米国のコントラ援助を批判.「あなたがたがコントラ援助を強化すれば,その分オルテガはソビエトからせしめるでしょう」.

1986年10月 ハーゼンファス事件

10.5 FDNへの物資空輸のため,サンサルバドル近郊のイロパンゴ空軍基地を発進したC-123,ニカラグア領内で地対空ミサイルにより撃墜,3米人が死亡.

10.9 逮捕されたCIAチャーター機長ハ−ゼンファスは,補給作戦の指導者がフェリックス・ロドリゲスとルイス・ポサダ(キューバ航空機爆破事件の犯人で前年ベネズエラの刑務所を脱獄)である事を自白.またロドリゲスはブッシュから直接指示を受けていたと供述.米議会は彼の供述について調査を開始.この調査を通じてイランとの関係をふくむNSCの関与があきらかとなる.

10 下院での激論の末,1億ドルの対コントラ援助をふくむ87年度予算を承認.同時に、軍事援助を合法化するためのコントラ援助法発効.付帯条件として「国際的な人権規準への著しい違反,麻薬取引への関与が疑われる組織への支援を禁止する」条項が盛り込まれる.

10 CG+支持グループの外務次官会議開催.リオグループの結成で合意.

10 ノース海軍中佐,キューバおよびニカラグアの将校を捕獲したコントラ兵に対し5千ドルを,その部隊の司令官に20万ドルの賞金を出すと約束.

1986年11月 イラン・コントラゲート事件の発覚

11.3 レバノンの「アルシラー」誌,イランへの武器売却を暴露,イラン・コントラゲート発覚.

11.15 北部国境戦激化.米軍の介入強まる.

11.25 レーガン大統領,対イラン武器取り引き代金380万ドルがコントラへの援助に流れていたことが判明したことに対し,ポインデクスター国家安全保障問題担当補佐官の辞任を承認.オリバー・ノース副官を解任.この他にサウジアラビアと台湾から3千4百万ドルが,NSCを通じてコントラヘ.

11 米国司法長官エドウィン・ミース,コントラへの軍事援助が禁止された間,イランへの武器売却の利益がコントラに流用されたと報告.議会は一斉に反発,87年度の1億ドル支出以降,コントラへの軍事援助は凍結される.

11 国連総会でコントラ援助を中止するよう求める緊急決議.国連とOASの事務総長が共同声明.中米5ヶ国,CG,支持グループの調停努力を評価し,共同で助力することで一致.

1986年12月

12.03 オルテガ,コントラ掃討作戦中にホンジュラス政府軍との戦闘がおきる可能性あると警告.

12.14 ニカラグア当局,ホール米下院議員の兄をスパイ容疑で逮捕.

12.7 米軍機,ニカラグア領に越境爆撃.

12 麻薬ルートにキューバ,ニカラグア,パナマが関与しているとの大宣伝開始

12 ホ政府,米国に対しコントラ退去を要求,米国,4月までにニカラグア領内へ移動を約束するが,その直後ふたたびニカラグアのホンデュラス侵攻のデマ.

 

1987年

1987年1月 新憲法公布

1.9 ニカラグア新憲法発布.2年間に73の町で,延べ百万人が参加した大衆討議を経て最終承認.複数政党制,混合経済,非同盟政策を法制化.三権分立と任期6年の大統領制を敷く.

1.10 合同軍事演習「アワスタラ87」開始.フロリダの急速展開部隊4100名がニカラグア国境地帯で演習.ジャングルでの戦闘訓練に1万3千人が参加.

1.10 合同軍事演習「テレンシオ・シェラ87」開始.米国工兵4500人らが道路建設.

1.11 米NBC放送,サウジアラビアがレーガンの要請でコントラに3,100万ドルの援助と報道.

1.19 CG・SG8ヶ国外相とデクエヤル国連事務総長,ソアレス米州機構事務総長で構成する中米紛争調査団,12日にわたり中米諸国を訪問し各国大統領と会談するが具体的成果を得られず.オルテガはアメリカとの二国間協議再開を提案.

1月 CIA,予算成立に伴い,大量の武器をコントラに供給.軍事訓練も質的に強化される.コントラ兵力はピークに達し,1万人以上がニカラグア領内に侵入しゲリラ作戦に従事.

1 ニカラグア国防省,コントラ兵4千以上を殺害,勢力は6千名に減少と発表.

1987年2月 アリアス構想の発表

2.9 中米和平再検討のため,EC,CG,中米5ヶ国による外相会議,サンホセで開催.ヨーロッパ諸国はCGへの支援と地域紛争の政治的解決への支援を表明.

2.15 サンホセ会議に続きニカラグアを除く4ヶ国による中米首脳会談開催.コスタリカのアリアス大統領,「中米における確固たる持続的な平和を樹立するための手順」を発表.ニカラグア総選挙に対する監視をふくむ中米和平構想を提案.

2.16 ニュースウィーク誌,リーガン米大統領首席補佐官,「ケーシーCIA長官らがイラン・ニカラグア秘密工作事件に関与していることが,NSCの記録で明らかになった」と報道

2.20 LA政党常設会議第11回総会開催.「リマ宣言」を発表.米の対コントラ支援,中南米の軍事政権,米国の対キューバ経済封鎖などを非難.

2.26 米大統領特別委員会(タワー委員長),イラン・ニカラグア秘密工作事件の報告書を大統領に提出.大統領の監督責任とリーガン首席補佐官の責任を追及.

2 UNOの内紛表面化.米国の圧力によりカレロ退陣.ペドロ・ホアキン・チャモロが後任となる.

2 中米民主主義・平和・開発計画(CAI)の推進に必要な資金の供与計画,米議会に提出.

1987年3月

3.6 カレロ.連邦大陪審でノースから百万ドルを受取ったと証言. 

3.8 FSLN,国際婦人デーを期して婦人政策「サンディニスタと婦人」を発表.婦人解放をめざす闘争を広く支持する立場を明らかにするが,具体的な行動綱領なし.

3.9 クルース,「米国はコントラを征服者の軍隊にしようとしている」と抗議,UNO代表を辞任.

3.11 米下院,コントラ援助の一時凍結を採択.上院は18日4千万ドルの軍事援助案を可決.

3.14 レーガン米大統領,イラン・ニカラグア秘密工作事件についてラジオ放送.はじめて自らの誤りを認める.

3.16 タイム誌の世論調査でコントラ援助中止の意見が52%.レーガン,ニカラグアが米国の安保政策に合致する国内改革を行なえば,コントラへの援助を停止すると発表.

3.19 レーガン米大統領,4ヵ月ぶりに記者会見.イラン・ニカラグア事件についてふたたび同じ道を歩むことはしないと述べる.

1987年4月 米国人活動家リンダーの虐殺

4 政府と少数民族代表とのあいだで自治に関する基本事項について合意成立.プエルト・カベサスで多民族会議総会が開催され,合意事項を承認.

4 政府軍,「インターアルマス作戦」展開.米国の軍事援助により強化されたコントラを,激戦のうえ打破.

4 「特殊作戦」統合軍発足.低水準戦争(LIC)戦略の完成目指す.

4.28 米国人建設技師ベンジャミン・リンダー,北部山岳地帯で連帯活動中コントラにより虐殺.

1987年5月 ソ連のニカラグア援助削減

5.05 シコード退役空軍将校,米議会公聴会で「350万流用をレーガンは知っていた」と証言.

5.6 コントラの二組織FDNとBOS,統一を決定.カレロら7人の指導部からなる「ニカラグアの抵抗(RN)」結成.KISAN,国内野党勢力を加える.破産したUN0にかわるコントラの政治指導部となる。

5.13 中米史上最大といわれ米兵5万人が参加する友好国の救援演習,「エスクード・ソリド(西)=ソリッドシールド(英)=堅固な盾87」作戦開始.

5.13 マクファーレン元米大統領補佐官,議会で証言.NSCスタッフのコントラ支援活動を認め,活動について大統領に報告していたと述べる.

5.14 ミラー米大統領副補佐官,ニカラグア秘密工作事件に関連して辞任.

5 トマス・ボルヘ,「コントラとの交渉は絶対ありえない」と声明.

5 コントラによるホンデュラス軍駐屯地襲撃,農場襲撃事件あいつぐ.ホンデュラス国内で反発強める.

5 ソ連,ニカラグアへの石油供給を大幅削減

1987年6月

6 ラミレス副大統領訪ソ.石油の追加供給を要請するが,ソ連は拒否.

6.7 FDNのチャモロ,日本の右翼数名がKISANのキャンプで空手を指導と発言.

1987年7月

7.6 ノース中佐,イラン・ニカラグア秘密工作事件に関する両院調査特別委員会で証言開始.

7.08 ノース中佐,「レーガン大統領は武器売却代金をコントラに流用していたことを知らされていなかった」と証言.

7.15 ポンデクスター元大統領補佐官,レーガンはコントラへの資金流用を関知していなかったと証言.

7.18 レーガン米大統領,ラジオ演説.ニカラグア政府を非難し,あらためて反政府ゲリラへの支援訴える.

7 ニカラグア政府,アリアス提案の受入れを決断.

1987年8月 「エスキプラス2」合意の成立

8.5 レーガン,内戦の即時停戦など6項目和平案を発表.議会向けの偽マン的なもの.オルテガ大統領はただちに無条件で交渉に応じる声明を発表するが,レーガンは無視.コントラ兵2千,米国提案に呼応して北部地方に一斉侵攻

8.7 第2回中米首脳会談で「エスキプラス2合意」成立.レーガン提案を捨て,アリアス提案を骨子とする.@和解のための対話,恩赦,A戦闘の停止,B民主化手続き,C自由選挙,D反乱勢力への援助停止,E国際的監視と検証などをうたう.「中米における確固たる恒久的和平樹立のための手順」と呼ばれる.日本を含む西側諸国も「合意」を積極評価.

8.9 コンタドーラ+支持グループ,和平案の実施細則についてサンパウロで会談.

8.12 レーガン米大統領,テレビ演説でイラン・コントラゲート事件への責任を認めるが,直接関与を否定.

8.13 オルテガ,キューバを訪問.エスキプラス合意を評価するカストロとの共同声明発表.

8.19 中米5ヶ国外相会議,中米和平達成に向けた諸手続きに関する7項目の共同声明を発表.

8.21 コントラ,ドアルテ・エルサルバドル大統領と会談.会談の中でエスキプラスU合意を受け入れると発表.

8.22 カラカスで中米5ヵ国,コンタドーラおよび支援グループ各国の外相と,国連,OASの事務総長が会談し,国際停戦監視委員会を設置.

8.23 デスコト外相,コントラはエスキプラス合意に謳われている反政府ゲリラにはあたらないとして,コントラとの対話拒否.

8.24 レーガン,コントラの「ラジオ・リベラシオン」を通じて,FSLN政権が市民的自由を回復させるまでコントラ支援を続行するとニカラグア国民によびかけ.

8.27 レーガン,コントラ指導部とワシントンで会談,「この合意では,自国の安全が保障されない」と声明.引き続きコントラへの支援を約束.

8 国民和解委員会発足,委員長には教会を代表してオバンド枢機卿,政府代表としてラミレス副大統領,野党代表キリスト教人民社会党のマウリシオ・ディアス委員長,民間代表としてパラフォン福音教会神父(プロテスタント団体CEPAD代表)の4人からなる.(一説に委員長にラミレス副大統領,メンバーはレネ・ヌニェス(FSLN),オバンド枢機卿,ボスコ・ビバ(教会),ディアス(キリスト教人民社会党),エリック・ラミレス(民主調整委員会).政府はCOSEPなど14団体からなるコントラ系のニカラグア民主協議会(CDN)にたいしても対話のよびかけ.アントニオ・ベガ司教とビスマルク・カバーヨ牧師の帰国を許可,カトリック系放送「ラジオ・カトリカ」の放送再開を認可.ラプレンサの再刊を許可.ただし非常事態の解除,広範な恩赦については戦争が終結しない限り実施しないと声明.

8 アスコナ大統領,ホンデュラスにおける国民和解委員会設置を拒否,企業家連合,労働総同盟,教会などは一斉に反発.

1987年9月 ブライアン・ウィルソンの両足切断

9.5 サンフランシスコのコンコード海軍基地前で,7千名の参加で中米軍事介入反対デモ.オルテガ夫人も参加し挨拶.ベトナム帰還兵のブライアン・ウィルソン,中米向けの武器輸送列車を阻止しようとして両足櫟断.

9.07 ニカラグアとソ連とのあいだで石油供給増で合意.

9.15 ロバート・トリセリ下院議員,ニュージャージーのコントラ訓練基地に関し連邦当局が調査するよう要求.トリセリによれば,この基地は亡命キューバ人とニカラグア人により運営されており,アルファ66のウンベルト・アルバラドが作戦を指導.

9.22 政府,全土で一方的停戦を宣言,報道規制も全面撤廃すると発表.

9.23 コントラ,一時停戦の呼びかけを拒否.

9.25 米上院,コントラに対する3千5百万ドルの「人道的援助」を含む包括支出法案可決.下院はすでに可決.

9 ソ連,追加石油供給を決定.政府は原油消費の11%削減を柱とする新緊縮政策発表.

9 倉成外相,グアテマラを訪問.エスキプラス2合意を支持するとともに,中米和平実現の際には復興のための援助をおこなうと表明.

9 ニカラグア国民議会,大西洋地域への自治権を承認.

9 共和党タカ派のケンプを団長とする議会代表団,中米歴訪.

1987年10月 カリブを対象とする自治法成立

10.7 政府,1ヵ月間の一方的停戦を実施.コントラと米は無視.

10.7 国連総会本会議,エスキプラス合意を支持する決議を圧倒的多数で可決.米国のみが保留に回る.同時に総会は全会一致で中米諸国に対する技術・経済・金融援助を強化するとともに,国連事務総長が中米のための協力に関する特別計画を推進することを要請するとの決議を採択.レーガン,国連決議に対し停戦成立後もコントラ援助続けると宣言.

10.13 アリアス大統領,エスキプラスU合意達成への貢献によりノーベル平和賞授賞.

10 FDN元幹部エドガー・チャモロ,恩赦により帰国.

10 ミランダ国防次官,米国に逃亡.

10 国民的対話集会開催.キリスト教社会党など総選挙ボイコット派の6党も参加するが,民主調整委員会は不参加.反政府勢力は,大統領の一期制,軍の投票禁止,世襲制の禁止,良心的兵役拒否,大学と市町村の自治の確立,軍・党・国家の分離など十七項目の憲法修正案を提起.

10 少数民族を対象とする自治法,国会で承認.ニカラグアは複数エスニックの国であることが宣言され,大西洋側の先住民族と共同体の自治権,独自の文化,習慣,生産形態を発展させ,自然資源を利用する権利などが認められる.

10 YATAMA(自由のための統一),コントラから独立した原住民武装組織として結成.キサンのほかリベラのミスラサータ,ファゴスのミスラもこれに合流.これまで政府軍との戦闘を続けて来たミスキート武装組織「ブルンド・ガブリエル・ペラルタ地域軍」の4百名,停戦に応ずる.

1987年11月 米国内のニカラグア連帯運動高揚

11.05 ニカラグア政府,コントラとの直接交渉に原則同意.

11.09 レーガン大統領,ワシントンで開かれたOAS年次総会で演説.中米5ヵ国合意の枠組みのなかでニカラグアと交渉する用意があると述べる.

11.11 OAS総会出席のためワシントン訪問中のオルテガ,中米和平合意を完全に順守すると語る.

11.13 ニカラグア政府,コントラに12月5日から1ヵ月間の停戦を提案.

11.18 イラン・コントラゲートについて上下両院調査特別委員会,最終報告書を発表.レーガン大統領に関しては間接的関与を示唆するにとどまる.

11.22 ワシントンのOAS総会に出席したオルテガ大統領,11項目からなる停戦に関する提案を発表,オバンド委員長に提出.RNは2週後に15項目からなる反対提案を提出.

11 中米和平合意発効.政府はラ・プレンサ,ラジオ・カトリカの再開,一方的停戦,千名のコントラ捕虜釈放を実施し,コントラとの間接交渉に乗り出す.

11 CG+SG,アカプルコで首脳会議開催.8カ国外相,OAS,国連事務総長よりなる国際監視委員会「合意内容が各国で実施されている」と報告.合せて米国の干渉を批判.

11 米議会コントラへの「人道的援助」3千2百万ドルを承認.米兵1万5千名をホンデュラスに配備.

11 全米司教会議,軍事干渉の中止を求める声明.ニカラグア人民支援運動も全米で1億ドル達成.

1987年12月 コントラとの交渉開始

12.1 コントラの反対提案,ラプレンサ紙に公表.テレビ放映に関する統制の撤廃,農業協同組合の解体,双方の軍備削減と単一の国民軍の創設などをうたう.

12.3 ドミニカの首都サントドミンゴでニカラグア政府とコントラとの間接交渉,オバンドを仲介として始まる.政府,1ヵ月間の「クリスマス停戦」を提案.コントラはこれを無視して攻撃を繰り返す.

12.15 レーガン大統領,ソ連がニカラグアへの軍事援助を停止する方針を示したと語る.

12.16 オルテガ大統領,24,25日のクリスマス停戦を発表.コントラもこれを受諾.

12.19 レーガン,定例ラジオ演説でコントラ援助の継続を表明.米議会,コントラに対し1億7千万ドルの「人道的援助」追加を承認.

12.21 コントラとの第2回停戦交渉.停戦協議は直接交渉に固執するコントラの拒否により流産.

12.21 上下両院で,非軍事分野のみに限定した8百万ドルのコントラ資金援助を含む予算法案通過.

12.24 コントラ,北部3地域の集団農場に対し一斉攻撃を開始.クリスマス停戦の合意も無視.

12 米共和党のシンクタンク,ニカラグアの「チリ化」計画を作成

12 カラカスにおいて社会主義インタナショナル開催.中米合意を評価するとともに,エルサルバドルとホンヂュラスのサボタージュを批判.

12 国連,中米特別計画を受けサンフォード委員会を設置.中米諸国の自主性を尊重しつつ経済再建をはかるための国際協力のあり方を検討.

12 ゴルバチョフ,米国を訪問しレーガンと会談.バジャルド・アルセ,「われわれは,いづれの指導者に対しても,われわれにかわって問題を解決してほしいと頼んだことはない」と米ソ首脳会談を批判.

12 食糧非常事態宣言公布

 

1988年

1988年1月 マナグアの反政府集会に一万人

1.10 マナグアでチャモロ暗殺10周年を記念する反政府集会,1万人を動員.

1.11 イラン・コントラゲート事件を調査中のウォルシュ特別検察官,ブッシュ米副大統領から事情聴取.

1.15 コスタリカのアラフェラで中米首脳会議開催.ニカラグアの非常事態の解除,コントラとの直接対話,自由選挙の実施を訴える「アラフェラ宣言」を採択.

会議は検証委員会の報告を受け,エスキプラスUの合意事項が十分に実行されていないとして,各国政府に対し無条件かつ即座に,国民対話,停戦交渉,全面恩赦,民主化を履行するよう要請.

1.15 オルテガ大統領,ニューヨークタイムスに寄稿し,首脳会談を受け82年以来の非常事態の解除,コントラとの直接交渉,広範な恩赦をおこなうと発表.同時に米国の民主主義の遵守を訴える.

1.16 オルテガ大統領,反政府ゲリラとの直接交渉の開始など4項目の和平案を発表.

1.19 コントラ,政府側の呼びかけた直接停戦交渉を受諾.

1.19 レーガン,CIAによるコントラ支援のための軍事物資空輸再開を発表.

1.21 米主要都市の市長40人が,コントラ援助を批判し和平計画を支持する共同声明を発表.

1.25 オルテガ大統領がレーガンへの書簡.このなかで「選挙に負ければ政権降りる」意向を明らかにする.

1.26 レーガン大統領,コントラ援助として3600万ドルを議会に要請.

1.28 サンホセにおいて初のコントラとの直接交渉開始,政府は1ヵ月停戦を提案.

1988年2月 米議会がコントラ援助を否決

2.2 中米外務次官会議,コントラへの援助中止を求める共同コミュニケを発表.

2.3 米下院,第3回中米首脳会議後の情勢変化を受け,3千6百万ドルのコントラ新規軍事援助案を僅差で否決.同時に民主党提案の3千万ドルの非軍事援助案も否決.

2.14 政府,緊縮財政を中心とする新経済政策を公布.

2.15 政府,6万人を動員しデノミを断行.千コルドバが新1コルドバに.強制預金により通貨流量の減少をはかる.物価と賃金の適正化も実行し投機の横行を防ぐ.

2.18 グアテマラにおいて第2回直接交渉.オバンド提案を対象に停戦交渉.大枠では合意するが細目での詰めは成立せず.

2.19 停戦交渉の仲介をつとめるオバンド,兵役法の改定などを要求し,一致がえられないと中止を宣言.オルテガは交渉継続を強調.

1988年3月 サポアの直接交渉

3.03 政府代表にH・オルテガ.仲介なしの交渉をコントラに提案.

3.03 米下院本会議,民主党の対コントラ非軍事援助支出提案を否決.

3.6 OASのソアレス事務局長,停戦交渉に監視役として参加すると発表.

3.08 コントラはオバンドの同席を条件にサポアでの交渉を受入れる.

3.08 政府軍による「ダント作戦」,コントラが鉱山町ボナンザからボカイにいたる一帯で、大規模な供給活動をしていると判断。7千5百名を動員し地区で大攻勢開始.10日間でコントラ2千名を殲滅,ほぼ領内より駆逐.

3.11 米議会の援助法否決に打撃を受けたコントラは,21日からの直接交渉に応じる.コントラのセサル共同議長,サンホセで記者会見.21−23日サポアで停戦交渉を開催することで合意と発表.

3.12 政府,RNとの停戦交渉で合意と発表.

3.16 レーガン,みたびニカラグアの国境侵犯のデマ.FSLN2千名がホンデュラスに侵攻したと発表.アスコナ大統領,国境侵犯は未確認と言明.

3.16 オルテガ大統領,アスコナ大統領ら中米諸国首脳と電話会談し.緊急会議開催を提案.

3.17 オルテガ大統領,記者会見.「6日からホンジュラス国境線沿いでコントラと激戦,コントラをホンジュラス領内の拠点まで完全に撤退させた」と発表.

3.17 合同軍事演習「ファイサン・ドラード」(黄金の雉)開始.グレナダ侵攻の主役,第82空挺師団の2大隊3200名などのベ6600名がホンデュラスに緊急派遣される。

3.17 一触即発の危機を迎える.全米各地で激しい抗議行動.

3.18 米軍の支援を受けたホンデュラスのF5戦闘機,ニカラグアの政府軍基地を二度にわたり爆撃.

3.19 オルテガ,米軍のホンジュラス派遣問題で国連安保理開催を要請する,さらに国際司法裁判所に仮保全措置求めて提訴すると言明.

3.21 ニカラグア南部のサポアで第2回直接交渉開始.政府側は90年11月に予定された選挙を繰り上げて実施するよう提案.4月上旬にマナグアで正式会談を開催することで合意.

3.22 ホンデュラス与党議員,米軍の即時撤退を求める決議案を国会に提出.

3.23 4月1日からの60日間停戦などを内容とするサポア協定締結.政府はすべてのコントラ捕虜と旧国警隊兵士を釈放することとなる.

3.25 FSLN,米国との直接交渉を求める.

3.28 ホンジュラスに派遣された米軍が撤退を開始.

3.30 米下院,4790万ドルの対コントラ「非軍事」援助法案を可決.翌日上院でも可決.

3 イラン・コントラゲート事件で,ノース中佐,ポインデクスター補佐官ら4人,起訴.

1988年4月 コントラの内紛とベルムーデスの全権掌握

4.01 政府軍とコントラ,60日間の暫定停戦に入る.

4.01 レーガン,コントラへの人道援助法に署名.

4.01 3週間にわたり4万人が参加するカリブ海軍事演習「オーシャン・ベンチャー88」開始.

4.06 政府軍とコントラ,暫定停戦期間中のコントラ部隊集結地域7ヵ所で合意.

4.07 米上院外交委でCIAがコントラ支援に麻薬密輸組織を利用していたことが,密輸業者自身の証言で判明.

4.15 マナグアにおいてコントラとの正式停戦交渉開始.交渉内容をめぐり,コントラ代表団と米政府,ベルムーデスとのあいだの対立表面化.

4.18 マナグアの和平会談,流会に終わる.

4.22 オルテガ,米政府とのマンサニージョ交渉を5月15日から再開するよう提案

4.24 レーガン大統領,85年からの対ニカラグア経済制裁措置をさらに1年延長すると発表.

4.24 ホンデュラスでコントラ首脳会議開催.ベルムーデス元大佐,コントラからカレロ,モラレス・カラソら停戦派を駆逐.エルナンデス,カルデロン両司令官を中心に36人の士官,2千人の軍団がベルムーデスに反抗するが,ホンヂュラス軍に敗れる.

4.27 マイアミにて米国務省のアブラムス(LA担当次官)とコントラ新指導部との会談開催.国務省は停戦を破棄するよう迫る.

4.28 マナグアの直接交渉再開.30日に合意に達しないまま閉会.

4 モイセス・アッサン,FSLNを脱退.

1988年5月

5.12 国連総会,国連開発計画(UNDP)LA地域局長アウグスト・ラミレスの策定になる中米協力特別計画を採択.亡命者の帰国援助を中心とする緊急プログラム,対外債務の軽減と中米共同市場の活性化を中心とする優先プログラム,インフラ建設や観光開発などの経済回復・開発プログラムより構成される.必要総資金額は43億ドル強.

5.17 ベルムーデスを最高幹部とする協定成立.ペドロ・ホアキン・チャモロ,アスセナ・フェレイ,アリスティデス・サンチェスが新指導部に.

5.23 オルテガ大統領,5月末に期限が切れる60日間暫定停戦を,一方的に30日間延長すると発表.

5.26 第三次マナグア会談.来月からのトップ級会談の開始で合意.

5 コントラでは現地兵が政府軍から事情説明を求めるなど,内部混乱.同士討ちも始まる.チョンタレスのサラザール軍団隊長アルファ・リマ,5百名の部下とともに投降.

1988年6月 停戦交渉の決裂

6.07 第四次マナグア会談が始まる.

6.9 4回にわたる停戦交渉,コントラ代表ベルムーデスの交渉拒否により最終的に決裂.コントラの攻勢始まる

6.14 通貨改革にもかかわらず,インフレさらに進行.政府,国際金融団の要求に応じ,経済超緊縮と自由化措置で臨む.各種補助金は大幅カットされ,公共料金は十倍化.9千人にのぼる国家公務員が解雇,象徴予算は3分の1カット.オルテガ大統領,「社会主義実現のための戦略的後退であり,資本主義への回帰ではない」と声明.

6.15 ブライアン・ウィルソンらの「退役兵士の平和輸送隊」メキシコ国境で出国を拒否される.

6.25 コントラ,第五次会談の開催を拒否.

6.30 オルテガ大統領,一方的停戦をさらに7月末まで1ヵ月延長すると発表.

6 シュルツ,中米歴訪.中米合意の破棄を画策.CG+SGは対話再開を求める「緊急アピール」発表.中米5ヵ国外相会議,合意に達せず.

6 CG,パナマを除名し,7ヵ国からなるリオ・グループとして再出発.

1988年7月 国民のFSLN離れ

7.01 シュルツとグルポ14,コスタリカで会談.挑発行動の秘密計画を討議

7.04 メルトン駐マナグア大使も参加したCOSEP総会,グルポ14を中心とする救国政府の樹立を提起.

7.10 メルトン,「臨時政府樹立」をよびかけるデモを組織.ナンダイメ市に3千人を結集.警官隊への挑発により騒乱状態となる.

7.11 政府,メルトン大使ら米国外交官8人に対し,国内問題介入を理由に国外退去を通告.ラジオ・カトリカの閉鎖とラプレンサの15日間発行停止を命令,

7.12 米政府はトゥネルマン駐米大使ら大使館員7人を追放,議会もニカラグア非難決議.

7.19 フイガルパで革命9周年記念集会.オルテガはのべ犠牲者が5万2千名に達したと報告.一方的停戦期限を8月末までさらに1ヵ月延長,7月27−29日に停戦交渉の再開を呼びかける.

7.28 メデジン・カルテルに対する作戦に関し,下院麻薬犯罪小委員会で二人のDEA職員が証言.これによれば85年当時,ノースがDEAに対しカルテルの寄付金をコントラに渡すよう要請したが,DEAは断ったという.

7 コントラ,地雷攻撃を再開.

7.31 グアテマラにおいて,中米4ヵ国外相とシュルツとの会談.この結果,中米5ヵ国首脳会議は流産.

7 中立系のITZTANIによる世論調査発表.FSLNへの支持率は28%で,支持なし層が59%を占める.

7 FSLN,党派を越えた住民組織としてCDSのたてなおしを決定.オマル・カベサスが書記長に就任.

7 国連高等難民弁務官事務所(UNHCR),中米地域における難民数は50〜60万人にのぼると発表.

1988年8月

8.11 ニカラグアとエクアドル,バルコ政権の誕生にともない外交関係を回復.エクアドルはコンタドーラ支持グループにも加盟.

8.10 米上院,ナンダイメ事件を理由に2千7百万ドルのコントラ「人道的援助」追加と,千6百万ドルの軍事援助の凍結を解除.

8.22 フロリダ州エバグレードで,83年7月以来コントラ兵の訓練にあたっていたキューバ系米国人6人が,中立法違反の罪で告訴される.

8.29 コントラとの暫定停戦を9月30日まで再延長と発表.

8 コロナドに率いられるPLI「国民統合派(革命支持派)」,ゴドイ派と分かれ民族統一自由党を結成.9議席中4議席を獲得.中米労働党もUNOを脱退,国内反革命派に足並の乱れ続く.

1988年9月

9.09 オルテガ大統領,コントラに19,20両日グアテマラで直接停戦交渉再開を呼掛け.

9.16 コントラ,オルテガの会談呼びかけを受諾.

9.19 政府とコントラ,グアテマラで会談.直接和平交渉再開に向け予備交渉開始.

9.20 政府,ラプレンサ紙の復刊を認めるとともに反政府組織の集会不許可を発表.

9.22 オルテガ,訪米を予定するが,米国が夫人・情報相らにビザ発給しないため中止となる.

1988年10月

10.21 ハリケーン「ジョアン」により死者432名,家屋喪失したもの23万人,被害総額は10億ドルに達する.さらに旱魃により農業生産も落ち込む.日本政府,赤十字を通じ2千万円相当の救援物資供与.

1988年11月

11.08 オルテガ大統領,ブッシュ候補の勝利を受け,戦争の終結と両国関係正常化のため話合う用意があると言明

11.12 合同軍事演習「テレンシオ・シエラ88」開始.米国工兵5千人が道路建設.

11.19 OAS総会,中米5ヵ国に対し和平合意の遂行を強く勧告する決議採択

1988年12月 ソ連の武器供与停止

12.20 ニカラグア,コントラ策動を告発し国際司法裁に提訴.

12.22 国際司法裁,「ホンデュラスは自国領土をコントラの活動に提供し国際法を侵害している」とのニカラグアからの提訴の審理を決定.

11.26 オルテガ,デスコト外相らを伴いメキシコ訪問.

11.29 オルテガ大統領,コントラとの停戦を12月末まで延長すると発表.

12 ソ連,ニカラグアの反対を押切り武器供与を停止.

88年 この年度の物価上昇率は3万3600%に達する.

 

1989年

1989年1月 ブッシュの大統領就任

1.16 合同演習「テレンシオシエラ89」「アワスタラ89」始まる.米兵2千が参加,エルサルバドル国境のサンロレンソ空軍基地の拡張を始めとする各種作戦に参加.

1.19 ホンデュラスのアスコナ大統領,ワシントンにてブッシュ大統領と会談.領内のコントラの排除を要請.

1.23 オルテガ大統領,野党6党に書簡を送り,来年11月に正副大統領・国会議員選挙を実施する意向を明らかにする.

1.30 FSLN,ブッシュ就任にあわせ,国境でのたたかいの勝利,収穫確保などに5万人の動員,調整経済計画などからなる新戦略を打ちだす.

1989年2月 コントラとの交渉を停止

2.1 コスタリカのパナマ国境地帯に米兵740人が入り,道路整備などにあたる.

2.2 ノース裁判開始.弁護側はレーガン,ブッシュの出廷を要求

2.3 オルテガ,記者会見.コントラに対する全面恩赦を発表.いっぽう「すでに敗れさった勢力」であるコントラとの直接対話は終ったと声明

2.03 ニカラグア,国家予算を45%削減.これまでに犠牲者5万7千人,123億ドルの損失,輸出は5年間で半減.

2.13 エルサルバドルのコスタ・デル・ソルで第4回中米首脳会議.@来年2月のニカラグア総選挙,国際監視団の受入れ.A90日以内にコントラ解体計画で合意.B不正規軍への外部援助の停止,で合意.ニカラグアはすべての政党が無制限に参加できる選挙法,報道の自由法の改正を約束.同時にFMLNにたいし選挙への参加をよびかけ.

2.18 FSLN,中米首脳会議合意を完全実施すると確約する声明を発表.

2 国連サンフォード委員会,最終報告を発表.エスキプラス合意を土台に中米諸国がおこなう経済再建への自主的努力を尊重しつつ必要な援助をあたえることで合意.

1989年3月 ブッシュ,コントラ支援を再開

3.03 イラン・コントラ事件でワシントン連邦地方裁判所がロバート・マクファーレン元大統領補佐官に有罪判決.

3.03 ニカラグア政府、OASと国連に選挙監視団の派遣を要請。

3.16 ニカラグア国民議会の恩赦令によりソモサ軍の治安部隊兵士ら千9百人を釈放.革命犠牲者の母たちは抗議のデモ.

3.24 ブッシュ,コントラ援助の見直しを要求する上下両院幹部を招き,人道的支援に限定したコントラ援助計画を提示.援助継続で超党派合意が成立,4千万ドルの「人道的援助」法案を可決.共同記者会見では,ゴルバチョフのキューバ訪問が中米への干渉を停止する機会となるよう期待感を表明.中米地域への「新思考」適用を要求.

3.30 フィッツウォーター米大統領報道官,「ブッシュ大統領がゴルバチョフに,ニカラグア和平のため影響力を行使するよう要請した」と発表.オルテガはこの要求を「国家主権への干渉」と非難.

3.31 連邦地裁,イラン・コントラゲートでレーガンの証人喚問要求を却下.

1989年4月 ゴルバチョフが中米撤退を示唆

4.01 ブッシュ,ニカラグアへの外圧継続を強調.

4.02 コントラの軍事最高責任者ベルムーデス,「1990年2月25日予定の大統領選まで,政府軍に対する攻撃的な軍事作戦を全面的に停止する」と発表.政府も引き続き,一方的停戦の延長を発表.

4.04 ゴルバチョフ,キューバを訪問.人類共通の価値優先を強調.中米に関しては,各国の「相互の自制と信頼強化」が重要であると声明.

4.12 ウィーンで欧州通常戦力削減交渉.ベーカー,「新思考」の中米への適応とニカラグアへの援助停止をシェワルナゼにせまる.ソ連はすでに88年末からニカラグアへの軍事援助は停止していると表明.

4.13 ブッシュ大統領,中米政策に関する超党派合意に漕ぎ着ける.米議会,6千7百万ドルのコントラに対する人道的援助の継続を可決."armed but inactive"の状態に保つための「非致命的な」援助を許可。

4.18 国会で新選挙法,新政党法,情報法成立.政党の結成と完全な活動の自由を保障.国外での投票は認めず,軍人の兵営内での投票を認めるなど,野党側に不満を残す.

4 グアテマラ市でコントラと国内野党の野合集会.共産党書記長とベルムーデスの握手する写真が新聞のトップを飾る.その後セサルらコントラ幹部が続々と帰国.

1989年5月

5.03 メキシコのソラナ外相,CGはその使命を全うしたと声明.

5.04 連邦地裁,議会の調査妨害、証拠隠滅と収賄などでノースにたいし有罪判決.レーガン,ブッシュの関与については触れず.

5.16 ワシントン・ポスト紙,ゴルバチョフがニカラグア援助中止をブッシュに通告と報道.

5.19 ソ連,対ニカラグア武器援助を一時停止すると表明.

5.29 国連主催の中米地域難民救済会議開催.難民および流民を救済するため3年間で8千万ドルの救済計画を発表.

1989年6月 社会党と共産党がUNOに参加

6.1 ARENAのクリスティアーニ,ドアルテにかわり大統領就任.「ニカラグアがFMLNに武器援助継続」と非難,「コントラとFMLNの同時解体」を要求.コスタリカ,「ニカラグアは和平合意を遂行していない」と非難.オルテガ,「米国の圧力に屈しないよう」呼びかける.

6.6 反FSLNの14政党がUNOを結成.社会党,共産党もこれに参加.米国の国家民主主義振興会(National Endowment for Democracy)は900万ドルを提供。

6.11 クエール副大統領,中米4ヵ国を歴訪.20億ドルの援助をちらつかせ,首脳会議とコントラ解体計画の流産をめざし圧力.

6 最高選挙審議会のメンバー決定.FSLN系2人,PCD1人,PLI1人,無党派1人の構成.

1989年7月

7.17 マナグアで「民主主義と革命」をテーマとするシンポ開催.「社会主義諸国のさまざまな問題を引合に出しながら,民主主義を中心にすえたニカラグア革命を,世界の革命のあたらしい実験,先駆的な運動として評価」する声が多数を占める(増田紘一氏報告).

7.19 革命十周年記念式典に35万人が参加.オルテガ,10年間で5万5千の犠牲者と,150億ドルの経済的損失をこうむったと発表.

7.27 国連安全保障理事会、ニカラグアで選挙経過を監視するために国連監視団(ONUVEN)の設立を認可する。

1989年8月 テラの中米首脳会議

8.01 ブッシュ,首脳会議を前にベルムーデスらを招き会談.支援継続を声明.

8.03 ニカラグア政府,コントラの武装解除が完了しなくても,国際監視の下での選挙に同意すると声明.

8.04 テラ会議の直前,政府とUNO,FSLNのあいだに,9月以降の新規徴兵の中止,テレビの政党間の公平な利用など選挙をめぐる合意成立.元コントラ幹部も含むニカラグア国内21の全政党が,コントラ解体,恩赦の実施を求める文書に調印.

8.07 ホンデュラスのテラで第5回中米首脳会議開催.クリスティアーニはコントラとFMLNの同時解体を主張.結局国外に出撃拠点を有するコントラと,国内にその活動が限定されているFMLNを同一に論ずることはできないという点で合意。

テラ合意: @30日以内に国際支援検証委(CIAV)を作る.ACIAVの管理下に90日以内にコントラ解体を実施.Bコントラの基地使用をふせぐため,ホンデュラスは国連平和維持軍派遣を要請(西,西独,加の3国).CコントラとFMLNの問題は区別してあつかう

8.08 サンホセでコントラ事務所,印刷所,ラジオ局の撤去作業開始. 

8.08 ホワイトハウス,強制的なコントラ解体によりニカラグア選挙への圧力がなくなってしまうと,テラ合意への懸念を表明.

8.21 クエール,ニカラグア選挙は民主化の十分な保障とは考えられず,選挙後もコントラ援助を継続すると演説.

8.17 中米5ヵ国,デクエヤル国連事務総長に書簡を送り,コントラ解体を監視する国際委員会を設立するよう要請.

8.25 選挙立候補の受付開始.14党の結集するUNO(反対派連合)よりビオレータ・チャモロが大統領選に立起.FSLNを脱走したモイセス・アッサンも統一革命運動を組織し,大統領選に出馬.

8.25 国連とOASはコントラ解体,再定住を監視する「国際支援検証委員会(CIAV)」を共同設置すると発表.国連ニカラグア選挙監視団(ONUVEN),国連事務総長の権限により発足.選挙活動の民主制の検証にあたる.ONUVENは米国のオット・リチャードソンを委員長とし、237人の選挙オブザーバーと34人のスタッフ人員から構成される。

8 CIAと結びついたフリーダム・ハウスによる野党への秘密援助,暴露される.

1989年9月

9.02 UNO,ビオレータ・チャモロを大統領候補に,ビルヒリオ・ゴドイ・レイエスPLI党首(前労働相)を副大統領候補に決定.ブッシュ政権から900万ドルの選挙資金が流れる.

9.06 CIAV,活動を開始.

9.26 ベーカー米国務長官,ニューヨーク訪問中の中山外相と会談.自民党がニカラグア大統領選挙でチャモロ陣営に資金援助するよう要請.

1989年10月

10.03 ワイオミングでのベーカーとの会談を終えたシェワルナゼ外相,ニカラグア訪問.オルテガ大統領と会談.ニカラグア政府が他の中米諸国と軍事力のバランスをとる交渉を始めることで合意..

10.09 ニュースウィーク誌,CIAが野党勢力に5百万ドルの「生計費」を秘密援助と報道.この他民間団体「民主主義のための全国基金(FNPD)」が7百万ドルの他宣伝カー,事務所,備品などをUNOに寄贈.

10.18 米議会,9百万ドルの選挙資金援助を可決.うち5百万ドルは民主主義基金を通じて選挙への干渉に用いられ,残りも半分がUNOの選挙資金となる.ニカラグア国会,米議会の特定候補への資金援助決定は選挙干渉と非難決議.

10.27 米州サミット,コスタリカで開催.アリアス大統領は,非民主主義的であるとの理由によりキューバ,パナマ,チリ,ハイチの4ヵ国をパージ.オルテガに対してもあからさまな差別待遇.オルテガは抗議し中途でボイコット.

10.27 コントラ兵3千人,停戦を前にニカラグア領内に一斉潜入.オルテガ,コントラに対する一方的停戦を破棄すると発表.米国はコントラ軍事援助の再開も考慮すると脅迫.

10.28 オルテガ大統領,コントラによる選挙プロセス妨害を理由に停戦合意は11月以降更新しないと表明.

1989年11月 北部での激戦再開

11.01 政府軍,7月以来の一方的停戦を破棄,北部国境地帯での一斉反撃を開始.テラ合意は無力化.「停戦期間」にコントラ3千5百名が越境攻撃,736名が死亡,1153名が負傷,1481名が誘拐あるいは行方不明に.

11.01 コントラ,政府軍に対し一方的停戦を宣言.

11.02 コントラが一斉に越境攻撃開始.ブルーフィールズでは尼僧の運転する車がコントラによりロケット砲撃にあう.

11.02 米上下両院,コントラへの攻撃を再開したニカラグアを非難する決議を採択.

11.07 国連安保理,ニカラグア,エルサルバドルの国境を越えた非正規武装勢力の移動をチェックする中米平和維持部隊(ONUCA)の設置を満場一致できめる.ONUCAは、260人の軍事オブザーバーと800人の平和維持軍から構成され、12月に配備開始.

11.09 国連本部,OAS本部で2週間連続して直接交渉.ニカラグアは新たに侵入したコントラ兵の撤退のための妥協案を示すが,米国の指示を受けたコントラ側はいっさいの妥協を拒否.交渉は物別れに終わる.

11.11 エルサルバドルの首都サンサルバドルでFMLNが大攻勢.これを皮切りに戦闘全土に拡大.

11.15 社会民主党のアルフレド・セサル,米国よりの援助横領を疑われ,UNOより放逐(チャモロの個人秘書として残る).マナグア市長候補のハルキンも同時に追放.UNOの主導権をめぐるCOSEP(国内派)と米国かいらい派との内紛激化.

11.23 中米各国の司教50人,和平交渉再開を各国大統領によびかける.

11.25 ソ連製地対空ミサイルを積載した小型機がエルサルバドル東部で墜落.エルサルバドル政府はこれをFMLNにたいするニカラグアからの武器援助とみなし,翌日にニカラグアとの断交に踏み切る.

1989年12月 サンイシドロの妥協

12.10 ニカラグア,エルサルバドル間の断交のため,マナグアでの中米首脳会議は不可能となり,急遽,サンホセ近郊のサン・イシドロ・デ・コロナドに場所をかえ第6回中米首脳会談開催.ニカラグアはコントラ解体と引き換えにクリスティアーニを支持する立場を表明.両者の解体について合意.サン・イシドロ宣言に対し,ハバナ放送は「オルテガはFMLNの英雄的ゲリラを売り渡した.自分が生き残るだけを考えているのは残念なことである」と非難.FMLNも「怒りをもって宣言を拒否する」との声明を発表.

12.10 UNOの武装デモ2百名,マサテペでFSLN事務所や,診療所を襲撃.国連食糧農業機構の自動車を焼打ち.FSLN活動家など2人が死亡,28人が負傷.

12.11 米国,サンホセで開催中の5ヵ国首脳会議に,ニカラグア政府の「弾圧」を告発.UNOのマサテペ市長候補,暴行に抗議しUNOを離脱.OASも独自の調査により,事件がUNOの武力挑発によるものであると断定.

12.12 中米5ヵ国首脳会議,米によるコントラへの非軍事援助をコントラ解体のために充てるよう求めた13項目宣言を発表.

12.20 米軍2万5千名,ノリエガ逮捕を口実にパナマに侵攻.軍司令部を攻撃.パナマ運河閉鎖.中米各国は非難声明を発表.

12.21 ノリエガ司令官の行方を追う米軍は,同将軍がいるとみられるキューバ,ニカラグア両大使館を包囲.

12.29 米軍,駐パナマ・ニカラグア大使館に侵入.これに対しニカラグア,同国駐在米国外交官20人を国外追放.

12.30 ブッシュ米大統領,米軍による駐パナマ・ニカラグア大使公邸強制捜索に遺憾の意を表明.