イラン・コントラゲート事件関連年表

 

1981年

1.20 レーガンが大統領に就任.副大統領ジョージ・ブッシュは政府の麻薬対策キャンペーンのヘッドに就任.

1.28 レーガン,ブッシュの「南フロリダ・タスクフォース」構想を承認.フロリダに麻薬が流入するのを阻止するため,各連邦機関が協調するという構想.

3.25 NSC内にブッシュ副大統領を議長とする「危機管理スタッフ会議」が選出される.

3.20 レーガン,暗殺犯に撃たれるが,軽症で終わる.

3月 ケーシーCIA長官,中米タスク・フォースを確立する.

8月 ニカラグア北部および南部国境地帯で反政府勢力が再編成される.

12月 大統領,CIAによるニカラグア反革命の政治・軍事行動を承認.下院はコントラへの軍事援助千9百万ドルを承認.

 

1982年

2.16 ブッシュ,マイアミで演説.麻薬業者の密輸飛行を阻止するため,高性能の軍用機を使用すると述べる.この後,海軍にE2C偵察機の投入を指示.

3.25 サンディニスタ政府,北部での戦闘に対処するため,30日間の非常事態宣言を発する.また国連に対し,米国の武力干渉を非難するよう求める.政府の発表によれば,反政府ゲリラが北西部で2つの重要な橋をダイナマイトで爆破.

5.14 NSCメンバーに向け,秘密メモ「国家安全保障決定指令3」が出される.NSC内に「特殊状況グループ」(Special Situation Group:SSG)が作られ,ブッシュ副大統領が議長をつとめることとなる.さらにその中に「危機想定計画作成グループ」(Standing Crisis Pre-Planning Group)を設立.NSCスタッフ,CIA,軍,国務省の代表が,ホワイトハウス戦況指令室で定期に協議することとなる.これにより,ブッシュはすべての隠密活動と情報活動のチーフとなる.

5.20 危機想定計画作成グループ,初の会合.NSCスタッフのオリバー・ノース中佐が事務局を勤めることとなる.

8月 ブッシュ,自らの安全保障首席補佐官に,CIA長官時代の幹部ドナルド・P・グレッグを指名.グレッグはブッシュのオフィスに,CIAの暗殺専門家フェリックス・ロドリゲスを引き込む.ロドリゲスはベトナム時代にグレッグの部下を務めた.

9月 コントラが本格攻勢を開始.

10月 会計検査院,「南フロリダのタスクフォースが麻薬対策に有効かどうかは疑わしい」との報告を発表.

12.21 「ボーランド修正」が可決.83年度の国防予算から発効する.CIA,国防総省がサンディニスタ政権打倒のために国費を用いることを禁止したもの.

 

1983年

 2月 オリバー・ノースが中心となり,「危機想定計画」に基づき「危機管理センター」(Crisis Management Center)を立ち上げ.

 3.03 NSC内に「大衆対策局」を設置.コントラ支援のための謀略宣伝を担当することとなる.責任者にはウォルター・レイモンド前CIA宣伝部長が就任.

3.08 レーガン,ソ連共産主義を「世界の悪の中心」と宣告する.

3.17 グレッグとフェリックス・ロドリゲスが,ホワイトハウス内で秘密会談.会談後,グレッグはロバート・マクファーレン国家安全担当補佐官と会い,エルサルバドルの平定計画を提示.これにはニカラグアを含む中米各国への軍事攻撃が含まれていたという.

3.23 ブッシュ,「麻薬密輸禁止全国システム」(National Narcotics Border Interdiction System)の責任者となる.麻薬の密輸を防ぐため国境警備を強める構想.

3.25 レーガン,ホワイトハウスからテレビ演説.「希望に満ちた未来像」として,スターウォーズ・ミサイル防衛システム構想を発表.

4.14 レーガン,コントラへの秘密援助は合法的なものと述べる.発言の中でレーガンはコントラを自由の戦士と讃える.

5.25 シュルツ国務長官,レーガンにメモを提出.ブッシュが中米で進めようとしている作戦を中止するよう求める.さらに命令系統がNSCをバイパスしていることについて警告.

6.07 コントラが,CIA作成の「工場機械破壊マニュアル」を使用していたことが明らかになる.サンディニスタ政府は,CIAマナグア支局長を含む米国人3人を国外追放.米国は国内6ヶ所の領事館の閉鎖,外交官21人の5日以内の退去を求める.

7月 ボランド=ザブロツキ法,コントラへの援助を禁止.ただし武器の販売は許される.下院はサンディニスタ政府への援助を全面凍結する決議を可決.

7.28 メキシコ,ベネズエラ,コロンビア,パナマの大統領,中央アメリカ情勢の「急速な悪化に対する深遠な懸念」を表明.

8月 マニュエル・ノリエガ,パナマ軍最高司令官に就任.背景に米国の圧力.ノリエガは独自のルートを使い,コスタリカのARDEへの供給網を形成する.

9月 レーガン,CIAによるコントラ支援,補給,訓練活動を承認.

10.20 ブッシュが議長を務めるNSC秘密会議,グレナダ侵攻作戦を承認.

10.31 米軍,「民主主義を復活するため」グレナダに侵攻.

12月 2400万ドルのコントラ援助を含む防衛予算が成立.

12.31 夜,CIAの「母船」を出発した武装した高速モーターボート,武装ヘリコプターが,ニカラグア太平洋岸のプエルト・サンディーノを襲撃.

83年 オットー・ライヒ,国務省の公共宣伝局(OPD:Office of Pulic Diplomacy)主任となり,コントラのイメージアップに尽力.

1984年

1.07 高速モーターボートが,ふたたびプエルト・サンディーノを攻撃.港内の石油基地を破壊.その後の三ヶ月に,コリント港,エルブルフ港などに30回以上の襲撃.これらの襲撃に参加したのは米国人パイロット,また夜間攻撃はCIAの偵察機が誘導した.

1月 シュルツ国務長官,イランを国際テロリストのスポンサーと非難.イランに対する軍事援助を禁止するよう各国に求める.

2.06 DEA,「サンノゼ・マーキュリー・ニュース・シリーズでの中心的な人物=ノルウィン・メネセス・カンテレロは,DEAがすでに76年から監視している.彼はマナグアにおけるコカイン流通の主要な供給源である」と発表.メネセスはかつてソモサ政権の幹部であり,革命後はカリフォルニアに移り,大物コカイン密売人となっていた.

2月 ニカラグア港湾への機雷封鎖が始まる.

3.09 レーガン,米国はエルサルバドル選挙の前に作戦を強化すると発表.

3.24 ペンタゴン,アメリカ落下傘部隊が3日間の軍事演習のため,ホンジュラスに上陸したと発表.

3月 ベイルートで,アラブ・ゲリラによる一連の米国人誘拐作戦が展開される.

4.03 レーガン,国家安全保障決定指令138に署名.「特別状況グループ」の管轄下に「テロ事件専門調査委員会」(Terrorist Incident Working Group)が設立される.イスラエルの諜報機関に学び,反テロ作戦を展開する目的.

4.08 レーガン,ニカラグア政府の国際司法裁提訴を前に,司法裁の権威を否定する声明.

4.09 ニカラグア,国際世界に米国のゲリラ支援が違法であると宣言するようもとめ提訴.

4.13 レーガン,議会の承認を得ないまま,エルサルバドルに緊急軍事援助を実施.

5.10 ハーグの国際司法裁,米国がニカラグアの港湾封鎖を停止するよう評決.

5.31 コスタリカ国内のラ・ペンカで記者会見中に爆弾が破裂.予定では,パストラは,CIAがARDEをFDNと合同させようとしていることを非難することになっていた.

6.25 レーガン,ブッシュを含む国家安全保障企画グループ(National Security Planning Group),ホワイトハウス戦況指令室で秘密会談.ボランド法を避けるため,コントラへの迂回援助の道を検討.

会議の要点
最初にブッシュが第三国を経由しての援助を提案.シュルツはその違法性を指摘.ベーカー財務長官が「第三国から我々が資金提供を受ければ,それは弾劾の対象となる」といった言葉を引用.これに対しケーシーCIA長官は,「ベイカーがその後考えを変え,迂回援助支持に回った」と指摘.マクファーレンNSC担当補佐官は,具体的な候補が現われるまで,この話は極秘のまま保留するよう提案.レーガンもこれに同意.

6月 DEAのバリー・シール,コロンビアで「パブロ・エスコバルとサンディニスタ将校が共同して麻薬を飛行機に積み込むシーン」を撮影.のちにオリバー・ノースが反ニカラグアのキャンペーンに利用。

バリー・シール: 山師の米国人パイロット。80年代初めからオチョアに雇われ、中米・カリブ・メキシコ方面へのコカイン密輸を担当。DEAに逮捕された後、そのスパイとなる。シールは86年にカルテルにより暗殺されるが、その愛機「ファットレディー」はCIAに売却され、エルサルとコントラ部隊を結ぶ補給路に用いられた。

6 NSCとサウジアラビアとのあいだで,武器輸出と交換に8百万ドルのニカラグア秘密援助を取り付ける.以後NSCがCIAに代り秘密工作の主役となる.

9月 コントラ関連予算を削除された国防総省およびCIA予算が成立.コントラ支援計画は終わりを告げる.

10.03 下院,ボーランドU修正を可決.これまでの中米での秘密戦争を非合法とするもの.いかなる形でも,いかなる組織を使っても中米への武力干渉は許されないこととなる.

10.19 CIAの偵察機がエルサルバドル領内で墜落.4人のCIAエージェントが殺される.

11.01 フェリックス・ロドリゲスの部下ジェラード・ラチニアン(Latchinian),連邦捜査局によって逮捕される.ラチニアンはコカイン1千万ドル相当を密輸したとして懲役30年の有罪判決.この金はホンジュラス大統領スアソ・コルドバの暗殺と政権転覆のために用いられる予定だった.

11.05 ダニエル・オルテガ,ニカラグア大統領に当選.

12.21 フェリックス・ロドリゲス,ブッシュのオフィスでドナルド・グレッグ,オリバー・ノースと会談.

84年末 国家安全保障会議(NSC),コントラ向け現金,物資の調達工作を開始.86年5月まで続く.

84年 ベイルートで、親イラン派武装組織による米国人拉致事件が相次ぐ。イスラエル当局は、米国人人質の解放と引き換えに兵器をイランに供与する極秘作戦を提案。

 

1985年

1.21 レーガン,二期目の大統領に就任.

1月末 ブッシュ,フェリックス・ロドリゲスがエルサルバドルから中米での作戦を指揮することを,「個人的裁量」で承認.ブッシュのオフィスからエルサルバドル駐在のトーマス・ピカリング大使,南方軍司令官のポールF.ゴーマン将軍に要請電.「ロドリゲスは,ホワイトハウス(DOS [国務省],DOD [防衛省])に高いレベルの人脈がある.彼らは,エルサルバドルでの彼の使用を強力に支持している」

2.07 「特別状況グループ」(SSG)管轄下の「危機計画グループ」(CPPG),ボーランド改正を回避する手段を議論.スアソ大統領あてのレーガン親書送付について同意.コントラへの支持と引き換えに,軍備への援助,債務超過のため保留になっている経済援助の再開などいくつかの見返りを提示.

2.12 ノース裁判における政府提出文書によれば,ノースは,CPPGへの提案内容をマクファーレンに説明.「大統領親書」はやめ,特使が口頭で要請するよう提案.この結果,ブッシュが自らホンジュラスに赴くことになる.

3.15 ロドリゲス,ホンジュラス領内のコントラ基地に赴き,軍需物資供給を監督.

3.16 ブッシュ,テグシガルパでスアソ大統領と会見.ホンジュラス政府からコントラへの資金提供を組織.ホンジュラス政府には,米国による補償(経済・軍事援助など約1億ドル)を「個人的」に約束.

4.01 ロバート・オウェンからノース宛にメモ.コントラ南部戦線について報告.エデン・パストラの元部下アドルフォ・カレロが南部戦線司令官となったと述べる.「幹部には麻薬との関連が疑われる人物が含まれる.たとえばホセ・ロベロである.セバスティアン・ゴンサレスは,今もパナマで麻薬密輸に関係している」

5.01 レーガン大統領,ニカラグアとの全ての貿易の禁止を宣言.

6月 パストラ,コントラから追放される.ARDEを含むニカラグア反対連合(UNO)が結成される.

6.14 シーア派テロリスト,Athens-to-Rome大型旅客機を乗っ取る.米国人乗客1人が殺され,39人が拘留される.

6.30 旅客機乗っ取りの人質が解放される.

7.12 ノース,退役空軍将軍リチャード・シコードと電話連絡.コントラが武器を購入する予定の,ホンジュラス国内の武器倉庫について意見交換.「購買資金14M,麻薬から来る」(ノース・メモ)

7月 「反テロリズム特別委員会」(Task Force on Combatting Terrorism)が設置される.イラン・コントラゲートの実行部隊となる.ブッシュが責任者となる.

8.01 対ニカラグア人道援助法の成立に伴ない,国務省内に援助事務所(NHAO)が設立される.

8.08 ブッシュ,ホワイトハウスで国家安全保障計画グループを召集.この日,ドイツのアメリカ空軍基地で自動車爆弾が爆発,米国人22人が犠牲となる.

8.09 ノース,コントラ内における彼の連絡役であるロバート・オウェンと会談.ニューオリンズからコントラへの空輸作戦を,アドルフォ・カレロFDN代表の弟マリオに担当させることとする.ノース自筆メモ.

9.10 グレッグとノース,ジェームズ・スティール大佐と会談.スティール大佐は,エルサルバドル駐在軍事顧問団長としてコントラへの物資空輸作戦を統括していた.ノースのメモによれば,会談ではコントラへの武器供給元である武器ディーラー,マリオ・デル・アミコに関する情報,空輸作戦の状況,コントラ司令官ベルムーデスに関する情報などを交換.

11月 強力なコカイン製剤「クラック」がニューヨークの市場に登場.

12.05 コントラ人道援助がふたたび議会で承認される.ニカラグア人道援助事務所(NHAO)が設立される.オリバー・ノース,米州担当補佐官エリオット・エイブラムズ,CIA将校アラン・ファイアーズらによって運営される.

12月 情報認可法が成立.CIAにコントラへの通信装置および情報の提供の許可を与える.

12月 ブッシュ,反テロ対策の任務を終了.ポインデクスター,ノースにアミラム・ニルとの交渉に専念するよう指示.

12月 ノースとアミラム・ニル,ワシントンで会談.アミラム・ニルは,武器が引き渡されれば米人人質全員を解放すると約束.

12.27 イスラム原理派,ローマ,ウィーン空港を爆破.5人のアメリカ人を含む20人の人々を殺害.イランとの秘密交渉に関連した動きと受け取られる.レーガンはイランへの武器引渡しを承認.いっぽうCPPGは,ブッシュにリビアを非難し,空撃計画を開始するよう勧告.後に,この襲撃はモサドの雇い兵「アブ・ニダル」の犯行だったことが判明.

 

1986年

1.02 イスラエルの対テロ対策部長アミラム・ニル,ワシントンを訪問.ノースとポインデクスターに会見.イスラエル占領下のレバノンにおける政治囚3千人,米国製TOWミサイル3千発と引き換えに,イランに捕らえられている米国人の解放を求める案を提示.さらに武器売却代金をコントラ支援に横流しすることも提案.

1.20 作戦担当小委員会(Operations Sub-Group)が設置される.ブッシュの裏の行動を支えるべく,次々に作られたこれらの小委員会の機能は,未だ不明の点が多い.このほかにもまだ多くの小委員会が存在した可能性がある.

1月 大統領指令.コントラに対する軍事援助を停止.(あくまでも公式の話)

1月 レーガンは、対イラン武器禁輸を極秘裏に解除。対戦車ミサイルTOW2000基、ホーク地対空ミサイル235基などが数次に分けてイスラエル経由でイランに空輸される。

2.10 オウェンからノースへの手紙.「コントラへの人道援助のための飛行機は,以前麻薬密輸に用いられていたものである.持ち主はマイアミのボーテックス社で,社主は全米最大のマリフアナ業者マイケル・パーマーである」と報告.この飛行機はバー・シールの所有していたファットレディー号で、CIAエージェントであるパーマーに売却されていた。

2月 国務省,ニカラグア人道援助局(NHAO)の物資輸送をパーマーに委託契約.パーマーは総額30万ドルを受け取ったといわれる.シーコードと組んだノースは、サンサルバドルのイロパンゴ空軍基地とコントラ支配区を結ぶ「エンタープライズ作戦」を開始。

2月 バリー・シール、DEAのスパイだったことが米議会や報道によって明るみに出る。シールはルイジアナ州バトンルージュで、カルテルの送り込んだシカリオにより暗殺される。

3.26 オリバー・ノースはロバート・マクファーレンあてにメモを送る.メモの中で彼はコントラのためのミサイル獲得の方法,米国内法,関税,警察の追及を逃れる方法について述べる.

4月 「テロリズム,麻薬,国際作戦に関する上院小委員会」(ケリー委員会),コントラと関連した不法な銃の流れと麻薬密輸について調査を開始.

4月 リビアに対する爆撃実行.CPPGが計画を立案したもの.

5.01 ブッシュ副大統領とスタッフ,ホワイトハウスで秘密会談.他の出席者は,フェリックス・ロドリゲス,オリバー・ノース,財務省のニコラス・ブレーディー,新任の駐エルサルバドル大使エドウィン・コー.

5.16 レーガンも出席した国家安全保障企画グループの全員会議,コントラ戦争を続けさせるための緊急財政課題について議論.中米戦争と直接関係しない第三国を経由したコントラ援助の可能性が検討される.この後,ジョージ・ブッシュの元ビジネス・パートナーであるブルネイのサルタンが,1000万ドルをコントラに寄付.この金はスイスの銀行の秘密口座から紛失.

5.29 レーガン大統領,ジョージ・ブッシュ,ドナルド・リーガン,ジョン・ポインデクスターが会談.マクファーレンとノースが,テヘランで開かれたイラン高官とアミラム・ニルの武器対人質交換交渉に関して説明.ホメイニとのあいだに秘密の通信回路が形成されたと報告.

6月 ニューヨークタイムズ,コロンビアの麻薬カルテルとパナマのノリエガの,長年にわたる協力関係を詳述した,シーモア・ハーシュの論説 "Panama Strong Man Said to Trade in Drugs, Arms and Illicit Money"を発表.「ノリエガは広い範囲で不法な資金洗浄,麻薬活動に関連している.パナマでの麻薬業者の活動は,ノリエガの手に一手に握られている」

6月 マイアミ・ヘラルド紙,NSCがボーランド規制に違反する行為を続けていると報道.

7.29 ブッシュ,エルサレムを訪問.アミラム・ニルと秘密に会談を持つ.会談はレーガンにも伏せられる.会談後,ブッシュはクレイグ・フラー首席補佐官にメモを手渡し,オリバー・ノースだけに送るように指示.

7.30 イスラエルから帰国したブッシュ,オリバー・ノースと密談.この会談についてブッシュは否定し続けたが,90年5月にノースの日記が公開されたとき,会談の事実を認めた.

86年8月 ノリエガからの密使

8月 ノリエガ,特使をワシントンに派遣.麻薬疑惑を打ち消すためにレーガン政権の援助を求める.「ノリエガは,評判の建て直しへの協力,軍事援助の再開と引き換えに,サンディニスタ指導部を米国に有利なように誘導する.具体的には,パナマの隠密部隊がニカラグア国内の産業設備への破壊作戦を実施する,と条件提示した」(ノースのポインデクスター宛メモ)

8.23 ノース,ノリエガの特使との会見後,ポインデクスター宛にメモ.「ノリエガは我々とかなり良い関係を保ってきた」と強調,ノリエガがサンディニスタ攻撃を成功させるよう,「民主主義プロジェクト」の資金からノリエガに100万ドルを支払うことを示唆.(民主主義プロジェクトは,イランへの武器売却代金を基に作られた財団)

8.23 ポインデクスター,ノースあての返事の中で,ノースがノリエガと秘密に会見することを承認.

8.24 ノース,CIA幹部のデューイ・クラリッジと打ち合わせ.ヨーロッパあるいはイスラエルでノリエガと会う手はずを決める.このあと相談を受けたCIAのファイアーズは,ノリエガによる破壊作戦に反対したという.

8月 米当局,メキシコに対し,国境防衛を強化する「連合作戦」を提示.ブッシュを委員長とし,20の連邦機関,500人の連邦職員を動員.2億6600万ドルの予算を計上.

86年9月 ノース=ノリエガ会談

9.20 ノース,ポインデクスター宛にメール.「ノリエガはロンドンでの会見を望んでいる.エイブラムスとジョージ・シュルツは私の提案を支持した」と報告.ポインデクスターはノース=ノリエガ会談を最終的に認可.

9.22 ロンドン市内のホテルでノリエガとノースの会談.パナマでコントラとアフガン・ゲリラのためのコマンド訓練計画を実施すること,指導にはイスラエル軍人があたることで合意.また,ニカラグア国内での破壊施設目標についても議論.マナグア地域で,空港・精油所・電気・電話システムを含む目標を設定.これらの計画は11月のイラン・コントラゲート事件発覚後,ご破算となる.

9月 FBI,4千万ドル相当のコカインをフロリダに密輸しようとした船を捕獲.ホンジュラスのホセ・ブエソ・ロサ将軍は,この麻薬密輸に関係したとして,裁判に直面する.ロサ将軍は,84年のスアソ・コルドバ大統領暗殺計画の首謀者,CIAのコントラ作戦にも濃密に関与していた.ノースは貴重な現地アセットであるブエソの救援に動く.

86年10月 ハーゼンファス事件

10月 米議会,87年度予算でコントラへの非軍事援助1億ドルを承認.ただし麻薬関連疑惑のグループへの援助は禁止される.

10.05 9:30AM ユージン・ハーゼンファスの操縦するC123輸送機,AKライフルと弾薬,手榴弾,ジャングル・ブーツなど1万ポンド相当を積み,サンサルのイロパンゴ基地を出発.飛行プランでは,飛行機は太平洋岸を南に向け飛行.コスタリカに入ってから東進,北進し,ニカラグア領内に侵入する予定だった.

10:30AM ハーゼンファスの輸送機,"誤って"ニカラグア南部領空内に侵入.サンディニスタ民兵が,地対空ミサイルを用いハーゼンファス操縦の輸送機を攻撃.輸送機は右エンジンと翼に被弾炎上し,撃墜される.この事件で乗組員二人が死亡,パラシュート脱出に成功した機長のユージン・ハーゼンファスが,捕らえられる.この飛行機はテキサスの南部航空会社所有.

10.07 ヘンリーB.ゴンザレス下院議員(D-Tx),ニカラグアの飛行機事故が,サンディニスタ政権打倒のためのCIAの秘密作戦だった可能性があるとし,調査のために委員会を召集.

10.09 ニカラグア政府,コントラへの物資支援のC-130貨物輸送機を撃ち落としたと発表.ハーゼンファスは記者会見で,マックス・ゴメス(フェリックス・ロドリゲス)の指示によりエルサルバドルから飛び立ったことを認める.当時,米国の法律は,このような行為を戦闘行為として禁止していた.

 10.11 ワシントン・ポスト紙,「捕らえられたアメリカの飛行士,ニカラグアで裁判」と,「ブッシュ,コントラ支援網のトップと関係」の二つの記事を一面に並べる.世界のマスコミはいっせいにハーゼンファス・ストーリーと,ブッシュの部下ロドリゲスとポサダ・カリレスの記事を流す.

10.11 ブッシュ,遊説先のチャールストンで,自らがコントラへの不法な武器援助を指揮していたことについて否定.ロドリゲスを「愛国者」と賞賛.「私は,彼がエルサルバドルで何をしていたかを知っているし,それを強く支持している」と述べる.

10.12 ユージン・ハーゼンファス,宣誓供述書に署名.この中でハーゼンファスは「マックス・ゴメスはキューバ人の指導者であり,CIAのエージェントであり,ブッシュのきわめて親密な友人である」と証言.

10.13 エルサルバドル軍参謀長アドルフォ・ブランドン将軍,「フェリックス・ロドリゲスがエルサルバドル軍のために働いていた」というブッシュの主張を否定.「もしエルサルバドル軍のために働くのなら,彼は参謀部および政府の認可を受けなければならないだろう.しかし我々は彼にそのような認可を与えたことはない」と述べる.

10.19 ユージン・ハーゼンファス,ニカラグアでCBSテレビ番組「60分」に出演.マイク・ウォーレスと会見.「ブッシュは,秘密武器供給作戦を熟知していた」と述べる.

86年11月 アルシラア紙の暴露

11.03 ベイルートのシリア系新聞「アルシラア」,イラン高官筋情報として、米国がひそかに武器をイランに販売したと報道.

11.06 レーガン大統領,武器がイランに販売されたことを否定.

11.13 レーガン大統領,一転して,武器がイランに販売されたと認める.しかしアメリカの人質解放のための取引だったことは否定.

11.19 レーガン,記者会見を開き釈明.86年1月に武器が出荷されたことを認めるが,それ以前にはなかったと述べる.

11.22 レーガン,ブッシュを通じてシュルツ国務長官に,「私を支持するか,さもなければ私のチームから離れなさい」と伝える.

11.25 ホワイトハウス,イラン武器販売代金少なくとも1千万ドルが、スイスの銀行口座を通じてコントラ支援に回されたことをあきらかにする.またサウジからの秘密資金がスイス口座を通じてコントラに流れていたことも明らかになる。

86年12月

12.01 レーガン,イラン・コントラゲート事件解明のため,三人の議員からなる大統領特別検討委員会(President's Special Review Board.通称タワー委員会)を指名.テキサス州出身の上院議員ジョン・タワーを委員長に指名.他にブレント・スコウクロフトとロバート・マスキー.

12.04 ミースは,イラン/コントラ事件に関する独立検察官の指名を要請.レーガンは特別検察官の任務を,ウオーターゲイト型の隠ぺい工作のみに絞るよう要求.

12.06 米司法省,条約に基づき,スイスに企業財務記録の公開をもとめる.

12.18 CIA長官ウィリアム・ケーシー,脳腫瘍の手術.術後,会話能力を失う.

12.19 ブッシュ筋の情報によれば,ブッシュは大統領首席補佐官ドナルド・リ−ガンの辞任を要求.リーガンは辞任の意思はないと強調.

12.19 最高裁,ローレンス・ウォルシュ判事を,イラン・コントラゲート事件調査のための独立捜査官に指名する.

12月 ニカラグア、ハーゼンファスに禁固30年の判決。まもなく恩赦を与える。

 

1987年

1.06 上院,イラン・コントラゲート委員会を設立.翌日下院も委員会を立ち上げ.

1.29 上院の情報特別委員会,イラン・コントラゲートについてのレポートを発表.

87年2月

2.02 ケーシー,CIA長官を辞任.まもなくガンのため死亡.イラン・コントラゲートについては一言も話さず.

2.07 スイス警察当局,米司法相による記録開示の要求を承認.

2.09 前国家安全保障担当補佐官ロバート・マクファーレン,服薬自殺を試みるも失敗.

2.26 タワー委員会は,イラン・コントラゲート事件に関する報告を発表.混乱を招いた主犯として,大統領主席補佐官ドナルド・リーガンをきびしく非難.いっぽうで,ブッシュを,あらゆる形のテロともっとも活発に取り組んだとして賞賛.後にブッシュはタワーに感謝するため,彼の政権の国防長官に指名(議会での信任を得られず).委員の一人ブレント・スコウクロフトは国家安全保障担当補佐官に指名される.

2.26 ブッシュ,リ−ガンと会い辞任を求める.リーガンはこれを受諾.席上リーガンは,レーガン大統領が彼から意見を聞かなかったと怒り,ブッシュはこれに同情したという.

2.27 CNN,ドナルド・リーガンがすでに更迭されたと報道.リーガンは辞任後の記者会見で「私に恥をかかせるため,慎重に準備された情報がリークされた」と怒る.

2月 カリフォルニア州バークレーに住むコントラ支持者のデニス・エーンズワース,「FDN幹部が麻薬取引に関与している.彼らはサンディニスタと戦うよりも麻薬商売のほうに血眼になっている」と,FBIに通告.

87年3月

3.05 ウォルシュ,司法省からも独立検察官の地位を与えられる.

3.18 ウォルシュ,上下院イラン・コントラゲート委員会との協定.ノースとポインデクスターに免責特権を与えた上で証言させることを確認.

4.28 ウォルシュ独立検察官,第一中間報告を議会に提出.証人への免責付与にかかわる潜在的問題点を指摘する.

4月 CIA監察官報告,「CIAコスタリカ支局長フェルナンデスは,タワー委員会で偽証した.かれはコスタリカを中継する麻薬コネクションに明らかに関係している」

5月 ニカラグアの抵抗(RN)が結成される.コントラの各グループを寄せ集めたもの.

5.05 イラン・コントラゲート事件に関する両院合同聴聞会が始まる.

5.06 リチャードR.ミラーが証言.武器代金の横流し陰謀に参加したことを認める.

87年夏 パナマで政治動乱,米大使館への襲撃事件発生.米国は,パナマへの経済・軍事援助を凍結

7.07 ノース,免責特権を得て議会で証言.

7.15 ポインデクスター,免責特権を得て議会で証言.

87年11月

11月 サンディニスタ政府,コントラとの間接対話の準備があると声明.

11月 イラン・コントラゲート事件に関する両院調査委員会の報告が発表される.

11.10 独立検察官,スイスの企業金融記録を入手.

11.13 下院イラン・コントラゲート調査委員会(イランとの秘密武器取引調査特別委員会),共同報告を発表.下院特別委員会の共和党代表リチャード・チェイニー,調査の妨害と無力化に全力.この結果ブッシュの責任についてはほとんど言及されず.後にチェイニーは,タワーが議会で不信任された後の国防長官に指名される.

11.18 議会,イラン・コントラゲート最終報告を発表.

12月 パナマ政府,経済・軍事援助停止に対抗し,米国の国際開発局事務所を閉鎖.

87年 会計検査院,ライヒの事務所が「禁止された秘密プロパガンダ活動に従事していた」とする報告.その後ODPは閉鎖される.

 

1988年

1月 オルテガ大統領,コントラとの直接対話に乗り出す意向を表明.

1.22 コロンビア特別区連邦高裁,独立検察官法を違憲と判断.

2.05 マイアミの米大陪審,ノリエガを麻薬取引および資金洗浄の疑いで起訴.

2月 下院,政府から提出されたコントラへの資金援助要請を拒否.

2月 パナマ侵攻作戦の立案が始まる.古いパナマ運河地帯の防衛,非戦闘員の避難,パナマ国防軍(PDF)と市民防衛部隊(CMO)の中立化などに関する一連の指示を定める.

3.11 マクファーレン,議会へ情報を流さなかったことで罪を認める.

3.16 ノース,ポインデクスター,シコード,ハキームの4名,米国資産を詐取した罪などで起訴される.

4月 レーガン大統領は国際経済非常事態法を発動.米銀行のパナマ政府資産を凍結.政府機関・会社・個人に,ノリエガ政府への支払いを禁止する.

6.08 イラン・コントラゲート事件を担当するゲセル判事,議会での免責特権を回避するため,4人の被告の分離裁判を命じる.

6.20 フェルナンデス,陰謀およびCIA監察官,タワー委員会への偽証の容疑で,コロンビア特別区に起訴される.

6.29 連邦最高裁,独立検察官法律の合憲性を支持.

7.28 2人のDEA職員,ケリー委員会で証言.メデジン・カルテルに対して実行されたおとり捜査に関して陳述する.これによると,ノースはカルテルに対し150万ドルの賄賂を要求.この金はおとり捜査官の手により運ばれ,コントラに手渡された.

12月 「テロリズム,麻薬,国際作戦に関する上院小委員会」(ケリー委員会),報告書を発表.「米国の政策立案幹部は,麻薬資金がコントラ援助のための完全な答えだ,とする考えに,無関心ではいられなかった」と断罪.

 

1989年

1.13 機密情報問題にかかわるとして,ノースに対する中心陰謀,窃盗告訴は退けられる.

1.20 ブッシュ,合衆国大統領に就任.

1.31 ノースに対する裁判が始まる.

2月 ニカラグア選挙監視とコントラの武装解除に向けたテソロ・ビーチ協定が締結される.

4.07 シコード,捜査妨害・虚偽の陳述・偽証など9つの容疑で起訴される.

4.21 フェルナンデス,虚偽の陳述と捜査妨害により,ヴァージニア東部地区連邦裁で告発される.

5月 パナマ大統領選挙.反ノリエガ派の得票はノリエガ派の3倍に達する.国際監視団も反ノリエガ派の勝利を支持するが,ノリエガは選挙の無効を宣言.ノリエガ支持者は反ノリエガ派候補を取り囲み暴行.国家会議は非常事態を宣言,ノリエガを国家元首に指名.ブッシュは米兵2千名をパナマに増派.非公式ながら,パナマ軍にノリエガ打倒を呼びかける.

7.24 司法長官,機密情報手順法(CIPA)を発動.フェルナンデス裁判を停止させる.

8月 テラ合意.コントラ武装解除と総選挙の日取りがセットされる.

8.23 第4回巡回控訴審,CIPA発動下における司法長官の権利について,フェルナンデス側の行動弁論を聴取する.

9.19 ウォルシュ特別検察官,下院情報問題特別委員会の立法問題小委員会で,CIPAの適応範囲について証言.報告書を上下両院の情報委員会に提出.

9.29 第4回巡回控訴審,独立検察官によって遂行されるケースにおいては,CIPAの発動下といえども,司法長官は裁判所の判断にアピールする立場にないとの判断を下す.フェルナンデス側の訴えを棄却して,地方裁判所に事例を差し戻す.

10月 パナマ国防軍将校の一部,CIAとともにノリエガ打倒のクーデター計画立案に入る.このクーデターは,米国の支持が得られないまま失敗に終わる.ブッシュはクーデターを企てた組織とのいかなる関係も否定.

11.08 シコード,議会で虚偽の陳述をしたことを認める.

11.21 ハキム,武器代金の一部を着服したことを認める.レイク資源会社は, コントラへの支援のために,イラン武器販売収益を流用したことを認める.

11.24 フェルナンデス,司法長官が特定の機密情報の発表を認めることを拒否したため,公訴を棄却される.

89年12月 パナマ侵攻事件

12.15 パナマ国民議会,米国との戦争状態が存在していると宣言.外国の干渉との対決のために必要な手段を行使すると述べる.

12.15 戦争状態宣言の直後,海兵隊大尉が警察に射殺される.

12.16 海兵隊のグループが,軍により銃撃される.この事件で海兵隊の情報将校一人が射殺される.

事件の背景
この事件は,パナマ侵攻の直接のきっかけとなった.いわばパナマの「盧溝橋事件」である.
このグループは国防軍本部前の道路障害を突破しようとして,守備兵に銃撃された.ペンタゴンは海兵隊員が非武装であったと主張しているが,事件の目撃者によれば,彼らは武装しており,守備隊と銃撃を交わし,兵士一人と市民二人に傷を負わせたという.
また別の情報によれば,このグループは「ハード・チャージャー」と呼ばれ,以前から徒党を組んで,パナマ軍に対し挑発を繰り返していたという.
ペンタゴンはこれについて沈黙を守り,マスコミは事件を大々的に報道して,パナマ戦争へと世論を誘導する.

12.17 国家司令部(NCA),統合参謀本部(JCS)に「プラン90−2」の執行を指示.

12.18 JCS,18日をD−デイとし,現地時間20日0100時をH−アワーとする戦闘命令を,JTFSOに下す.

「プラン90−2」の目標
作戦は下記の目標に限定された軍事行動であると規定される.(A) アメリカ人の生命,重要な地域,施設の保護. (B) ノリエガを捕らえ,しかるべき当局に提出する. C. PDFの戦闘力を無力化する. D. PDF司令部の統括能力を無力化する. E. 米政府の支持する新政府の設立を保護する. F. PDFの機構を改造する.

12.20 米軍,パナマ侵攻開始.「正当な主張」作戦(Operation Just Cause)と名づける.

「正当な主張」作戦の裏側
作戦の間の米軍の非道ぶりは,アメリカ政府によって徹底的に隠蔽された.たとえばパナマ人犠牲者はおよそ220と発表されているが,実際の数は4000人に達している.その90%は一般市民だった.アカデミー賞受賞作品「パナマ・デセプション」を参照のこと.

12.29 国連は,パナマでのアメリカ軍の行動を「国際法の凶悪な違反」であり,遺憾に思うとする決議を圧倒的多数で可決.

 

1990年

1.03 バチカン大使館内に避難したノリエガ,米当局者の手に引き渡される.彼はアメリカ麻薬取締局によって逮捕され,麻薬取引容疑で裁判を受けるため米国に送られる.

2.06 ノース裁判,控訴裁での口頭弁論.

2.16 レーガン前大統領,ポインデクスターとの会話を録画したテープを提出.

2.22 トマス・クラインズ,脱税容疑で起訴される.

2.22 ウォルシュ,CIPAに関して上院情報委員会の非公開セッションで証言.

2月 ニカラグア大統領選挙.サンディニスタが敗れる.

3.05 ポインデクスター裁判が始まる.

4.06 ファビオ・エルネスト・カラスコ,議会でコントラ・コカイン疑惑について証言.カラスコはコロンビアの麻薬業者ジョージ・モラレスのシンジケートで,輸送機のパイロットを務めた.彼は,84年と85年の2回,コスタリカのコントラ部隊のために武器を輸送したこと,そこから麻薬の入った袋を積み米国へ向かったことを認める.またモラレスの指示で数百万ドルの現金をパストラ部隊の幹部オクタビアノ・セサルとアドルフォ・チャモロに手渡したとも証言.

4.07 ポインデクスター,5つの容疑について有罪判決.

4月 ビオレッタ・チャモロがニカラグア大統領に就任.コントラの武装解除始まる.

7.20 コロンビア特別区巡回控訴審,ノースの有罪判決を取り消し,予審法廷において免責範囲についてさらに審理を進めるよう命令.

9.06 第4巡回控訴審,フェルナンデスのケースに関して予審法廷の判決を支持.

9.18 クラインズ裁判,4つの重罪容疑について有罪の判決.

10.12 フェルナンデス裁判,司法長官がCIPAに基づき,機密情報の使用を拒否すると最後通告したため棄却される.

10.24 ウォルシュ,下院情報・司法委員会でフェルナンデス裁判の最終結果を報告.

 

1991年

4.05 タワー元国防長官,飛行機事故で死亡.彼は死の直前から,イラン・コントラゲート事件に関する疑惑を本に書きはじめていたという.

5.29 連邦最高裁,ノースに関する裁判の再調査を拒否.

9.16 ノースに対する訴訟,予審法廷による審理の後,棄却される.

10.07 エリオット・エイブラムズ,情報秘匿の罪を認める.

 11.15 コロンビア特別区巡回連邦控訴審,ポインデクスターの有罪判決を翻す.

 

1992年

4.09 マイアミの連邦高裁でノリエガ裁判が始まる.ノリエガは10件の麻薬取引容疑のうち3件について起訴される.

6.10 パナマ市北方50キロのチリブレで米兵に対する狙撃事件.米兵一人が死亡,一人が負傷.パナマ市内ではブッシュ訪問に抗議するデモに,警官隊が催涙ガス弾で対応.

6.16 ワインバーガー前国防長官,独立検察官調査に対する妨害,偽証,虚偽の陳述の5つの重罪容疑で起訴.

6.24 ウォルシュは,第三次中間報告を議会に提出.捜査は最終段階に入り,86年11月以降,政府高官が武器販売事件の捜査を妨害したかどうかの判定が焦点になっているとする.

7.10 マイアミ連邦高裁,ノリエガに懲役40年の判決.

12.11 ホワイトハウス,独立検察官にブッシュがイラン・コントラゲート事件に関する日記を持っていることを知らせる.

12.24 ブッシュ大統領,ワインバーガー,クラリッジ,,マクファーレン,ファイアーズ,,エイブラムズ,ジョージに恩赦を与える.独立検察官は恩赦を非難する声明.

1993年

 2.08 独立検察官,第四次中間報告を発表.ワインバーガー事件,大統領の恩赦に関して見解を述べる.

 3月 マニュエル・ノリエガの弁護士,連邦裁判所に提訴.原告側証人が彼に不利な証言を行ない125万ドルを受けたとする.この申請は却下される.

1996年

 10.31 ワシントン・ポスト,84年のサンノゼ・マーキュリー・ニュース・シリーズ,90年のカラスコ証言のフォローアップ記事を連載.当時のARDE幹部だったチャモロが,カラスコ証言を裏書し,CIAの関与を肯定する発言.