キューバ・ミサイル危機年表
これまでキューバ・ミサイル危機に関する事項は、主にキューバ年表に突っ込んでいたのですが、米政府内部の動きが記載の中心になっており、どうもすっきりしない感じがありました。さりとて、米国年表はかなり左翼、黒人、労働運動などに的を絞ることにしているため、これもゴテゴテします。
今回、事項別年表というスタイルを考えつき、そこに新たにひとつの年表を起こすことにしました。キューバ年表にも必要な事項は残すつもりです。カストロ暗殺計画も、主体はどちらかといえば米国側にあるわけですから、いずれ分離したいと思います。アンゴラ戦争関連もいずれ整理したいと思います。そうするとキューバ年表もかなりすっきりするので、今のような過剰な分冊化は改めて行きたいと思います。
真実は、ミサイル危機はマングース計画の延長線上に起きた事件だということです。この二つは分かちがたく結びついているにもかかわらず、この闇の部分がいまだに隠されたままで、語られようとしません。ただこれをふくめて記載すると経過がが複雑で分かりにくくなることもたしかです。
そこで、あえてマングース計画に関わる経過はこの年表からは省略しました。この年表を読んで興味のある方はぜひキューバ年表、あるいはキューバ革命史の対応部分をお読みください。
2006年11月
7.02 ラウル国防相を団長とする軍事使節団,16日までの2週間ソ連を訪問.空港にはミコヤン,マリノフスキーが出迎える.
7.03 ラウルとフルシチョフの会談.その後の2週間,使節団は休みなしにビリューゾフらソ連軍当局関係者と会談.フルシチョフも二度にわたり会談に顔を出す.
会談の合意事項: キューバは核弾頭つき中距離ミサイル,核搭載可能な爆撃機配備を含む軍備増強を要請.ソ連は広島型の数十倍強力な核弾頭を持つR12,R14準中距離弾道ミサイル(一説にSS4型)の配備を了承.このミサイルは射程距離が数百キロに及び,その到達範囲内にワシントン,セントルイス,ダラスをふくむもの.あわせて射程距離90キロの戦術核ミサイル「ルナ」の42基配備も了承.
7.03 ケネディ,マシューズ記者を招き長時間にわたり会見.キューバ問題解決のための「もう一つのオプション」を探る.
7.15 武器を積んだソ連の輸送船第一陣が黒海を出発.この行動は極秘のうちに行われ,ソ連軍はアナディール作戦と名づける.
後の巡航ミサイル「ソプカ」師団のミハイル・クジバノフ元司令官の回想では、6月18日に黒海の港を出港したとされる。
7.17 ラウルの使節団とソ連,秘密協定に調印.使節団は何らの声明も出さないままソ連を離れる.米国情報筋はソ連との交渉が決裂したと見る.
秘密協定の内容: 2カ月半でミサイル配備を完了させ,その上でフルシチョフがキューバを訪問し軍事協定に正式調印する趣旨.作戦の全体はアナディール計画と名付けられる。アナディールは北極海に面したシベリアの町で、作戦が北極海で行われるよう偽装するための名称。
7.18 ラウル、ハバナ帰国に際し,「もはや米国が侵攻してこようと恐れる必要はなくなった」と述べる.
7.26 カストロ,モンカダ9周年記念集会で演説.ソ連からのロケット導入を明らかにする。
演説の内容: 国内の雇い兵たちは,すでに影響力を失った.われわれはいまや米軍の直接侵攻に備えなければならない.ケネディはキューバ侵攻の決意をすでに固めたが,我々は彼らをたたき返すあらたな武器を獲得した.間もなくマリエル港に,ロケット兵器を積んだソ連船を迎えるだろう
7月 ケネディ,ベトナムからの段階的撤退を決意.マクナマラに65年末までに顧問団の撤退を完了するよう計画立案を指示.
8.08 SGA,マングース作戦の実行状況について報告.「キューバの侵攻への反応は,キューバ軍の戦意と新たな兵器への習熟ぶりによって規定される.ソ連が援助を続けるならば,日を追って彼らの戦闘能力は向上するだろう」と述べる.
8.10 2千人からなるソ連軍事専門家,マリエル,およびマタンサス港に上陸.7〜8月だけで百隻にのぼるソ連船がキューバに入港.ソ連軍創設以来最大の輸送作戦となる.
その後の情報: キューバに派遣されたソ連軍は総勢4万3千人。核弾頭を装備した準中距離ミサイル(R−12=SS−4)36基、中距離ミサイル(R−14, SS=5)24基、短距離ミサイル(LUNA=FROG)9基が配備された。さらに水中ミサイルR−13を装備する潜水艦7隻、対空砲火師団(SA−75=SAM−2装備)2個師団などが配備される。しかしCIAは1万人と見積もっていた。
ソ連駐留軍はソ連統合軍に編入され、ソ連政府とソ連国防相の直接の指揮下に置かれた。8.10 CIA,偵察機による撮影写真の解析から、キューバに向かうソ連船が,MRBMを積載している可能性が強いとする。
8.13 アレクセーエフ大使,正式に着任.カストロに核ミサイル配備を含む相互防衛協定の主文を手交する.
8.17 マコーンCIA長官,あらたな追加情報を加え,キューバに攻撃型ミサイルの基地が建設されている可能性があると報告.ラスク国務長官とマクナマラ国防長官は,防衛的な武器に限られているとし,CIAの意見を否定.
8.20 NSC会議が開かれる。マコーンCIA長官は,攻撃型ミサイルの可能性を警告.ケネディは攻撃型ミサイル配備の可能性も念頭において作戦を進めるよう指示.
CIA報告(一説に24日): キューバに入港するソ連船が8月に入って異常に増加している。その数は55隻、前年の5倍以上に達している。
甲鈑に搭載された巨大な梱包物を偵察機が撮影し,写真分析センターが写真を分析した。これによればミサイルもしくは大型爆撃機、いわゆる攻撃型兵器の可能性が高い。8.26 チェ・ゲバラとエミリオ・アラゴネス・ナバーロを代表とするキューバ経済使節団,モスクワに到着.アラゴネスはカストロの首席秘書.
8.29 キューバ上空を偵察中のU2機,建設中のSAMミサイル基地8カ所を探知.さらに巡航ミサイル艦基地の存在も確認.この時点でサンクリストバルのミサイル基地はまだ発見されず.
8.29 ケネディは記者会見でソ連を非難.同時に直接侵攻を否定.
発言の要旨: モンロー・ドクトリンは西半球に対する対外干渉を拒否する宣言である。今日とりわけキューバについて当てはまる。
現時点でキューバ侵攻の意思はない.そのような行動はきわめて深刻な事態を引き起こし,多くの人々に危害をもたらすだろう。8.30 ソ連訪問中のゲバラら,クリミアの別荘でフルシチョフと会談.ミサイル協定に関するカストロの意見書を手渡す.ゲバラは攻撃型ミサイルの配備を公にするよう主張するが,フルシチョフはこれを拒否.
8.31 ソ連最新鋭の砕氷船インディギルカ号、密命を帯びムルマンスクを出港。途中で核弾頭を積み、キューバに向かう。
8.31 ケネディ,SAMミサイル基地の存在が確認されたとの報告を受ける.
8.31 中間選挙を前にして共和党が,キューバ問題を中間選挙の最大の争点とすると発表.米国内にキューバ侵攻論台頭.
ケネス・キーティング上院議員(R-New York) ,議会で「ソ連のロケット基地がキューバ国内に建設中である」と演説.OAS調査団を派遣するなど何らかの行動をとるよう求める.
ゴールドウォーター,ケープハート議員などは,ミサイルの脅威について,民主党の弱腰を非難する発言を繰り返す.8.31 ニューヨーク・タイムスは「カストロ打倒のため三軍が大攻撃をおこなう」ことを示唆する報道.
9.02 ゲバラを代表とするキューバ経済使節団,核ミサイル秘密協定を含む武器援助協定を締結.その後、ソ連・キューバ共同声明を発表。
ソ連=キューバ共同声明
侵略的帝国主義者の脅威にさらされたキューバ政府は,武器供給および訓練のための技術専門家を主体とする軍事顧問団の派遣を求めた,ソ連政府はこの要請を注意深く検討した結果,キューバの安全と独立を守るあらゆる必要な措置をとることに同意した.兵器がキューバに対して供給され,専門技術者がキューバの将兵を訓練するため派遣されるだろう.
共同声明では,ミサイルや核の問題は触れられず.
秘密合意では,核兵器のキューバ配置が完了してから,適切な時期に合意内容を発表することとなった.
フルシチョフは,米国の中間選挙後,62年末にキューバを訪問し,そのときにミサイルの存在を公表したいとの意向を示す.9.03 ロストウ,ケネディの求めに応じソ連軍の評価報告を提出.「SAMミサイルが米国の国防に与える影響は無視できる.しかし核兵器に関しては厳密な一線を画す必要がある」とする.
9.04 ケネディ兄弟,ラスク,マクナマラの4者会談.SAMミサイル等の配備を確認.善後策につき検討.
9.04 ロバートがアナトーリ・ドブルイニン駐米大使を呼んで会談.ミサイル配備について問いただす.ドブルイニンは「キューバにおけるすべての軍事活動は防衛目的からのものであり,地対地ミサイルなど攻撃用兵器は含まれていない」と述べる.後に明らかにされたところでは,ドブルイニン自身このミサイル配備計画を知らなかった.
9.04 会談後ロバートは大統領と会談。「米国は攻撃型兵器のキューバ配備を容赦しない」との声明を出すよう提案.
9.05 ケネディ,ピエール・サリンジャー報道官を通じて,ソ連=キューバ武器援助協定に対し懸念を表明する声明を発表.議会での主戦論の拡大に対応したもの.
9月5日 キューバ政策に関する大統領声明
この4日間で新たな状況の展開があった.キューバにSAM地対空ミサイルが配置された.以前よりはるかに多くのソ連軍将兵が配備された.しかしいまのところ,攻撃部隊は存在しない.ソ連の軍事基地も確認されていない.地対地攻撃型ミサイルも存在しない.もしこれらが確認されるならば,きわめて深刻な事態が発生するだろう.我々は西半球への共産主義の進出をあらゆる手段で阻止する.9.05 ソ連の大型貨物船オムスク号,キューバ到着.引続き8日にはポルタヴァ号も入港.ミサイルを搬入.この他,技術者を装ったソ連軍の精鋭部隊が続々と上陸.
大きく分けて2種類のミサイルがあった(SAMを別にして)
1.中距離核ミサイルR12、R14: 射程距離2100キロでアメリカ東部の中心都市すべてがその射程内に収まる。
2.戦術核ミサイル”ルナ”: 対峙する敵軍の艦船や前線基地を攻撃するものであり、射程距離は90キロ。
核弾頭が到着するのは10月になってから9.07 ドブルイニン大使,国連大使スチーブンソンと会見.「キューバに防衛兵器が配備されつつある」ことを明らかにする。しかし攻撃兵器はないことを改めて確認.
9.07 ケネディ,米国はキューバに地対地ミサイルが設置されるのを断じて許さないと声明.最大限十五万人の予備役将兵召集権限を与えるよう,議会に要請.
9.11 ミサイル発射台,キューバに到着.
9.11 フルシチョフ,「ソ連のキューバ援助は平和的なものであり,キューバに対するいかなる軍事行動も,ソ連船へのいかなる攻撃も,戦争開始と受け取る」と対米声明.
9.11 カストロ,対米防衛非常措置を声明.
9.12 タス通信,ソ連政府の公式声明を発表.米国の海外侵略を非難する一方,アメリカで沸き上がるミサイル配備疑惑を打ち消す。
ソ連政府声明の内容: ソ連のミサイルは極めて強力であり,いかなる国にも報復的な防衛兵器を配備する必要がない。例えばキューバにおいても同様である。
キューバに送った兵器と軍事資材はまったく防禦的なもので,米国に危害を与えることはない。9.13 ケネディ,キューバ懲罰の声が高まるのに対し記者会見.対キューバ攻撃の条件を明示するとともに,議会に予備役15万の召集権を要請.
9月13日の記者会見
権力亡者のカストロは今にも米国の侵攻があるかのように触れ回っている.このような宣伝は,独裁体制を強化しようとする,キチガイじみた努力に過ぎず、アメリカにとっての脅威とはならない.
キューバの武力強化は全てアメリカの監視下にありこの後も偵察監視活動は継続される。
今のところキューバ国内には戦略的(攻撃的)兵器は存在しないが,もし事態が進行すれば我が国は成すべき全てのことをする.
キューバがソ連にとって相当な能力を持つ攻撃的軍事基地になり,その軍備増強が,どのようなかたちにせよ米国の安全を脅かすことになるなら,米国はあらゆる必要な手段をとる.
議会には戦争決議採択への動きがあるようだが,一方的な軍事行動は必要ない.無責任な発言は慎んでもらいたい.9.14 U-2型偵察機,キューバ西部に建設中のミサイル基地を確認.
9.15 ソ連の輸送船「ポルタバ」号,中距離核ミサイル(MRBM)を積んでマリエル港にはいる.サンクリストバルに向け少なくとも8基のミサイルが輸送される.
9.18 キューバ軍,米軍の度重なる領空侵犯に抗議する声明.
9.19 米国情報委員会,ソ連の核ミサイル基地がキューバに建設されたとの情報を確認.
情報委員会の報告: (1)航行中のソ連の木材船ポルタバ号とオムスク号は喫水が高く,何らかの武器を輸送していると思われる.(2)積み荷の中にミサイルの一部と思われるものが観察された.(3)カストロのお抱えパイロットがハバナで酔っぱらって騒いだ.そして「我々は勝てる.なぜなら原爆も何でもあるからだ」
9.21 国連総会でグロムイコ外相が演説。軍事資源の平和利用宣言案を提出.
グロムイコ演説: 13日のケネディ発言は予防戦争を正当化する理論である。米国は戦争ヒステリーをあおり,キューバを侵攻しようとしている。キューバに対する米国の攻撃は,戦争を意味することになるだろう。
9.21 タイム誌が武力干渉をふくむ強硬姿勢を要求.「ケネディの対キューバ政策は生ぬるい.国民はモンロー主義に基づく外交を求めている」と述べる。
9.21 共和党のブッシュ上院議員(後の父ブッシュ大統領)、「米国はキューバの共産主義支配を終わらせる権利と義務を持っている.断固たる行動のみが,モンロー主義が滅びていないことをソ連に思い知らせることが出来る」と主張.
9.21 U2機,4日前に異常を認めなかったピナル・デル・リオ州サンクリストバル付近に不審な動きがあることをキャッチ.キューバ国内のCIAエージェントからは、SAMの2倍,18メートルの大きさのミサイルが搬入されたと報告.
キューバに設置されたのは「R12」で、長さ22メートル、総重量42トン。牽引車の長さは約12メートルで、これにさらに5メートルの牽引システムがつくという巨大なもの。 9.22 核弾頭を乗せたインディギルカ号がイギリスの西を通り大西洋へ出る.
9.25 カストロ,キューバにソ連「漁業基地」を建設する計画を発表.
9.26 議会タカ派のイニシアチブで上下両院合同決議,「もし米国に脅威が与えられるなら」キューバに軍事干渉する権限を大統領に付与.
9.26 マクナマラ国防長官、合同決議にもとづき空爆・侵攻態勢の早期完成を指示,大西洋艦隊がキューバに向け行動を開始.
9.27 空挺部隊,上陸舟艇に対する支援を盛り込んだ戦略空軍の共同プランが,カーチス・ルメイ空軍参謀総長に提出される.参謀本部はこの計画を受理し,10月20日をエックスデーとすることが定められる.
9.28 海軍の偵察機が,キューバに向かうソ連船カシモフ号のデッキの積み荷を撮影.分析の結果イリューシン28爆撃機と判明.
イリューシン28: 12年以上も前に開発された軽爆撃機。すでにソ連においては現役を退いていた.核弾頭を積むことも技術的に不可能ではないが,これまでそのような使われ方をしたことはない.
10月1日
10.01 フルシチョフ,カストロあてに親書.「世界の社会主義の名において,ソ連はキューバをみずからの領土であるように考え,防衛する.ソ連の態度についてはすこしも疑念を持つ必要はない」と述べる.
10.01 国防省と統合参謀本部が合同会議.キューバ情勢および,攪乱作戦の強化について議論.20日に「最大限の準備態勢」が完了することを確認.マクナマラは統合参謀本部あてにメモを提出.6項目の戦闘開始の要件をさだめる。
戦闘開始の6要件:
1,ソ連が西ベルリンで西側に対して行動を開始した場合
2,キューバに攻撃兵器が配備されたことがはっきりした場合
3,グアンタナモ基地が攻撃された場合,もしくはキューバ領空,領海外でアメリカの船舶・航空機が攻撃された場合
4,キューバで相当規模の大衆蜂起が起こり,その指導者が援助を要請してきた時
5,中南米で反政府軍事行動が発生し,キューバが軍事援助をした場合
6,キューバでの何らかの出来事が起こり,放置すればアメリカの安全を脅かすと大統領が判断した場合
マクナマラは「状況の進展によって,いろいろな作戦が考えられるが,いずれにしても最終目標はカストロからの権力奪取にある」と強調.10.01 統合参謀本部,大西洋軍総司令官ロバート・デニソン提督に封鎖作戦の準備に取りかかるよう指示.大西洋軍配下の海・空軍司令官には,空襲に向けた装備を開始するよう指示.大西洋軍本部,キューバ空襲作戦(Oプラン312)の準備を急ぐよう関係各部隊に指示.
10.01 DIA,ピナル州にMRBMが設置されたとの情報を提示.
10月2日
10.2 米政府,対キューバ禁輸強化策を発表.ラテンアメリカ諸国およびNATO諸国に対し,強化の内容を説明.
禁輸強化策: 米国籍船のキューバ寄港をいっさい禁止.キューバに軍事援助する国の船の米国寄港をいっさい禁止.キューバ貿易を継続する国への経済援助停止.社会主義国に寄港した船は,ブラック・リストにあげられ米国寄港を禁止.またキューバと交易のある会社の船舶は,米国商品の扱いを禁止される.
10.2 米国の要請によりワシントンでOAS非公式外相会議.米州に対する攻撃的武器がキューバに集まらないよう,個別的集団的監視を強化するとの共同声明を発表.米当局者は「ソ連や中国の干渉とたたかう」立場を強調.
10月4日
10.04 核弾頭を積んだインディギルカ号,1ヶ月あまりの航海を終えマリエル港に入る.アナトーリ・ブルロフ大佐も同席.ブルロフはMRBM連隊のチーフ・エンジニアで、核弾頭の管理責任者。
この時までにキューバに持ち込まれた核弾頭は、広島型の原爆に換算して162発分に相当する。マクナマラは92年までこの事を知らなかったと言われる。
10月5日
10.05 カリブ海全域を対象とした,極めて大規模な軍事演習「ファイブリグレクスー62」の実施を決定.15日から演習が開始され、20日にはキューバ侵攻作戦に移行することが想定されていた。仮想敵のコードネームはORTSAC(カストロの逆)
10月8日
10.08 キューバのドルティコス大統領,国連総会で演説.と非難.演説は反カストロ派の妨害で4回も中断される.
ドルティコス演説: 禁輸を強化するという10月2日の米政府決定は,国連憲章を侵犯する「戦争行為」だ。
もし攻撃されれば,我々は防衛に立ち上がる.そのための武器は十分にある.しかしそれらの武器は欲しくもなかったし,使いたいとも思わない。10.9 ケネディ,ミサイル基地の確認のため,U2によるキューバ全土上空の偵察飛行を命じる.任務はCIA管轄から第一戦略空軍(SAC)に移管.この命令の実行は悪天候などの理由で5日間遅れる.
10.13 国務省全権大使(Ambassador-at-Large)チェスター・ボウルズ,ドブルイニン大使と会見.キューバ国内に核ミサイル基地が存在するとの情報を伝える.ドブルイニンは,クレムリンからそのような情報は受けていないとし,核ミサイルを重ねて否定.
10.14 バンディ安全保障担当大統領補佐官がABC放送に出演。「キューバにソ連の攻撃的兵器の存在を証明する証拠はない」と述べる。
10.14 アンダーソン少佐(一説にリチャード・ヘイザー大尉)の操縦する第一戦略空軍所属のU2機,キューバ西部を探索.その後,U2機は全土をくまなく撮影.8000枚,フィルム総延長3000メートルに及ぶフィルムを持ち帰る.
10月15日
10.15 早朝 国立写真解析センター,U2機の撮影した写真を解析.ハバナ西方90キロ,サンクリストバルの山中にMRBMミサイル基地を確認.ただちにCIAのレイ・クライン情報担当副長官に連絡.クラインは全面的精査を指示する。
国立写真解析センターの報告
「2つの基地を発見した.一つの基地にはトレーラが6台,カンバス布で覆われ,SS3,SS4(R12,R13のこと)を載せている.もう一つの基地ではミサイル発射台とおぼしきものが4台ある.これらは中距離核ミサイル基地化の初期段階と見られる」10.15午前 その後の調査で全土に6ヶ所のMRBMミサイル基地,さらに建設中のIRBM基地,サン・フリオスの飛行場にイリューシン28爆撃機を発見.
10.15 午後 クラインはマクジョージ・バンディ国家安全保障担当補佐官に連絡.バンディは、中間選挙の遊説で疲労しているケネディに配慮し、連絡を翌日早朝にずらすとともに,情報の確認を急ぐ.他に3ヶ所も確認される.
10月16日(危機1日目)
8:45am バンディ,ケネディの起床を待って接見.CIAの報告をもとにMRBM配備の動かぬ証拠が入手されたと報告.
報告を受けたケネディは緊急会議(Executive Committee)を招集.のちに「エクス・コム」と呼ばれる.
ケネディは自ら14人のメンバーを指名した。
主要メンバーはジョンソン副大統領、閣僚メンバーとしてロバート司法長官、マクナマラ国防長官、ラスク国務長官、ディロン財務長官、マコーンCIA長官、軍からテイラー統合参謀本部議長、大統領府からオドネル、バンディ特別補佐官とソレンセン特別顧問。ほかに国務省から4人、国防総省から1人が選ばれた。11:45AM エクスコム第一回会議が始まる.CIAのシドニー・グレイビールが状況を報告.当面の対応策が検討される.
ラスク: いまできることは二つ。一つは即座に攻撃を仕掛ける事、今一つは我が同盟国とフルシチョフに通告することだ。
マクナマラ: ミサイルが発射可能な状態になる前に攻撃する。飛行場、核貯蔵基地なども含めなければならない。23日までに、500ヶ所全ての軍事目標への空爆に必要な飛行機、人員、弾薬が準備できるだろう。
テイラー: 空襲は数日間続ける。空襲の次の段階として、空と陸からの侵攻を行う。海上封鎖を行う必要もある。
カーチス・ルメイ空軍参謀総長: 軍事攻撃以外に道はない。ロシア首脳はキューバ攻撃に際して合理的に判断し、核兵器の使用をもって反応しないだろう(ルメイがなぜエクスコムに参加したかは不明)
ラスク: ミサイルが発射される前に、すべて破壊できるとは考えられない。残りのミサイルが発射されれば全面核戦争だ。
バンディ: 西欧諸国は対キューバ作戦がベルリンを危機に陥れることを恐れている。正午 ケネディは第一回会議の結論として、「第一段階として,ミサイルを取り除かなければならない.第二段階として全面空爆をやるか,さらに第三段階として侵攻するかが選択肢」とする。そして参加者全員に危機管理計画の策定を指示.
会議終了時、ロバートはケネディに、「真珠湾奇襲を決断した時の、東条首相の気持ちがよく分かる」と書かれたメモを手渡した。午後のSGAでの発言と照らし合わせれば、「空爆をするなら奇襲しかない」という意味であろう。
午後 マクナマラ,ロスウェル・ジルパトリック次官を含む統合参謀本部メンバーの昼食会.封鎖作戦では撤去は困難とし、本格的戦闘に向けた準備を開始することで意思統一.
午後 国務省ではラスク長官とジョージ・ボール次官,スチーブンソン国連大使,エドウィン・マーチン米州問題担当補佐官,アレクシス・ジョンソン国務次官補,ソ連スペシャリストのリュエリン・トンプソンが善後策を検討.
午後 その日のうちに、さらに6波のU2偵察隊が飛行.当初、配備されたミサイルはSSー3と考えられたが,後により射程距離の長いSSー4と訂正される.
午後 ホワイトハウス内でロバートを座長とするSGA会合.マングース作戦の進め方について協議。方針の出ないまま散会.
録音テープによれば、ロバートは,マングース作戦が進捗しないことについて不満を表明.「我々はなにか干渉するための方法を考えなければならない.たとえばグアンタナモ基地で何かをやらかすとか,あるいは船がある.そう,メイン号をもう一度沈めるなんていうのもある」と提案。他に国内反カストロ派によるミサイル基地破壊も提案された。
6:30PM 第二回エクスコム会議が開かれる.最初に「ミサイルは2週間以内に発射可能な状態に達する」との見通しが報告される.報告を受けてマクナマラが「三つの選択肢」を提示.一つはカストロやフルシチョフとの対話を通じた政治的解決.一つは半政治的・半軍事的解決法.海上封鎖と公然偵察行動を含む.もう一つはキューバ侵攻とミサイル基地破壊を含む軍事的解決.これらのオプションを巡り議論が続くが,結論は出ず.
ボブ・ケネディの回想: 彼は軍事攻撃に反対して封鎖作戦を支持したという。「軍による直接攻撃より柔軟性がある選択であること。米軍がキューバを奇襲して、爆弾を雨あられのように降らし、無数の一般市民を殺すという路線は、道義的にも支持できない」と主張する。後にマクナマラも、「統合参謀本部案には反対で、直接攻撃よりは封鎖作戦を支持する」と主張したと述べている。(マユツバですね)
10.16 フルシチョフ,フォイ・コーラー米大使を招き,3時間にわたり会談.ソ連はキューバの要請を受け漁港整備を援助しているが,純粋に非軍事的なものであると述べる.
10月17日(危機2日目)
10.17早朝 スチーブンソン国連大使,ケネディに書簡を送り、交渉による解決を主張。
国際世論はトルコのジュピター基地とキューバのミサイル基地を同等のものと考えている。アメリカもトルコに基地を持っているのだから、ソ連がキューバに基地を建設しても当然の権利と考えるだろう。
どのミサイル基地であれ、交渉の対象となると認識すべきである。フルシチョフとカストロ宛に密使を送り交渉すべきだ。空爆には反対だ。銃を手にして交渉しようとしてもだめだ。10.17朝 ケネディーは中間選挙の遊説の為コネチカット州に向かう。
10.17午前 国務省でエクスコム第三回会議が開かれる.最初にテイラー統合参謀本部議長が報告.「決定的な打撃を与えるような空爆は軍事的に不可能である.移動式発射台の90%は破壊できるが,残りの10%がミサイルを発射する可能性は否定できない」との判断をしめす.
これを受けたマクナマラ国防長官は「空爆の後には事態収拾のための侵攻が必要.侵攻作戦を避けるには海上封鎖が最善」と主張.一方アチソンら国務省組は,封鎖作戦がソ連との全面対決へと進み,ベルリン封鎖へとつながることに懸念を表明.
10.17 ソ連大使館のゲオルギ・ボルシャコフ書記官,フルシチョフからケネディ宛ての親書を手交(一説にロバート宛とされる).
親書の内容: キューバ向けの武器は防衛目的に限定されている。トルコに配備されたアメリカのミサイルがある限り、ソ連がキューバにミサイルを配置することは当然の権利である。武力均衡を図ることで外交交渉の余地がある。
10.17 SS−5がU2により発見されたとの報告.SS-5はIRBMに分類され,SSー4(MRBM)の2倍の射程距離.(実際にはSS−5のキューバ国内搬入の事実はなかった)
10月18日(危機3日目)
18日6:00AM エクスコムメンバーに合同情報委員会(SNIE)の日報「合同評価」が配布される.合同原子力情報委員会,誘導ミサイル・宇宙ロケット情報委員会は,18時間以内にキューバのロケットが発射可能になると通知.
10.18 11:00AM ラスク国務長官の執務室でエクスコム会議続開(ケネディは遊説に出る).統合参謀本部はミサイル基地といくつかの軍事施設への限定爆撃を主張.(ロバートは限定爆撃を「逆パールハーバー」と呼び,奇襲攻撃の道徳的妥当性に疑問を呈したというが、これも疑問).
3:30PM ケネディ,ラスクとマクナマラを呼んで会談.さらにアチソンからも意見を聴取.アチソンはロバートの発言を馬鹿げたものとし,空爆実施を強く進言.(国務省のアチソンではないタカ派のアチソンがいたようだ)
5:00PM ケネディ,国連総会出席中のグロムイコ外相をホワイトハウスに招き,2時間にわたり会談.
ケネディは証拠を明らかにしないまま、ソ連政府の対応を迫る。グロムイコは防衛的兵器以外の軍事援助は行っていないとし、ミサイルは防御用のものであると述べる。キューバのような小国をいじめる米国の態度を非難.
8:00PM ケネディ,元外交官ロバート・ロヴェットと会見.ロヴェットは「空爆は第一段階としてはやり過ぎ」と警告.食料と医薬品以外の全てをチェックする海上封鎖作戦を勧める.
9:00PM ホワイトハウス内でエクスコム会議.討議が始まった時点では大多数が封鎖作戦を支持するが,議論の中で強硬(空爆)派が拮抗するようになる.ケネディは引き続き検討するよう指示.
空爆派が作成した大統領の空爆開始宣言予定稿: 国民の皆さん、私はキューバから核基地を除去するため軍事行動をとるように命じました。空軍は実行に移りました。自由を愛する我がアメリカは、自国の安全が脅かされる事を決して認めません。皆さんに、冷静を保ち、自信を持ち、毎日の仕事に変わらず精を出す事を求めます。
夜 グロムイコは本国に「アメリカにはキューバ侵攻の意図無し。強硬姿勢は縮小しつつある」と打電。
10月19日(危機4日目)
19日6:00AM 共同情報委員会(SNIE),「米国の対キューバ行動に対するソ連の反応」と題するレポートを提出.
レポートの骨子: フルシチョフやカストロとの直接対話によって,ミサイルのキューバ配置を阻止することは困難であり,封鎖作戦の実行によってソ連に直接圧力をかける以外に道はない
もしキューバに対して何らかの直接行動を起こせば,ソ連の軍事的報復が十分予想される.それはソ連との全面戦争へと発展する可能性を含んでいる。朝 ケネディとロバートが会談。遊説のため欠席するケネディに代わり、ロバートが全権を委託される。
10.19 11:00AM 国務省内でエクスコム全体会議開催.
19日エクスコム会議の概要: ニコラス・カッツェンバックらが,海上封鎖に伴う法的措置の概要につき説明.空爆の可能性を含むか否かで議論は紛糾.軍部は「キューバに対して行動を起こさなければ、ソ連はベルリンへの侵攻も強行するだろう」 とし、空爆か直接侵攻を主張する。
ケネディの代理として出席したロバートは「空爆命令をそう簡単に出すことはできない。アメリカには奇襲の伝統はない,まず警告が必要だ。深入りしすぎているソ連に、キューバから手を引く時間をあたえてやってもいいだろう」とのべる。
会議は海上封鎖と侵攻準備の二つの柱に沿って引き続き作成作業を続けることとなる.19日 昼 エクスコム会議続開.封鎖作戦のみに絞ることで合意.ソレンセンが翌日3:00AMに発表原稿を完成させる.
19日 8:40PM アレクシス・ジョンソンとポール・ニッツが空爆,封鎖の計画に伴う外交的・軍事的措置について検討開始.
19日夕方 国防省,記者の質問にたいし,キューバにミサイル配備との情報は受けておらず,いかなる緊急軍事行動も予定されていないと回答.
10月20日(危機5日目)
20日6:00AM 共同情報委員会,メモ(SNIE11)を配布.
SNIE 11: MRBM(SS-4)16基が,命令後8時間以内に発射可能な状態.その他,(1)イリューシン爆撃機22機,(2)ミグ21戦闘機39機,(3)より旧式のミグ戦闘機62機,(4)SAMミサイル24基,(5)海岸防衛のための巡航ミサイル基地3カ所,(6)コマール級巡航ミサイル搭載巡視艇3隻がすでに配備を完了
9:00AM 国務省でエクスコム全体会議再開.海軍による封鎖作戦の最終計画が完成.前日のロバート提案に対し,国務省,司法省,国防総省から支持の表明.ソレンセンによるケネディの声明原稿が修正可決される.
ロバートの回想録によれば、統合参謀本部のあるものは「核兵器の使用も可能である」と主張した。ロバートとマクナマラは孤立し、遊説のためシカゴ滞在中のケネディにワシントンへの帰任を促した、とされる。(かなり眉唾)
10am エクスコムで統合参謀本部議長が発言。「海上封鎖を行えばソ連が核を使う可能性があり,我が国も反撃の準備をすべきである」と主張.会議後,マクナマラは個人の判断で,空襲の可能性に備えるよう,戦略空軍部隊に指示したという.
2:30PM ケネディー、風邪を理由に遊説の予定をキャンセルしシカゴから戻る。ジョンソン副大統領をまじえ、大統領官邸で正規の国家安全保障会議(NSC)が開かれる。
スチーブンソン国連大使がNSCの議論に参加。検問と同時にトルコのミサイル基地撤去,グアンタナモ基地の撤退を打ち出すよう提案する。
5:10PM NSC,国務省、国防総省、司法省の長官が封鎖作戦を支持する発言。ケネディの発言をもっていったん休会.
ケネディの意見: 封鎖作戦に外交努力を重ね合わせ,ミサイル撤去に持ち込むことを基本とする。
統合参謀本部から提出された空爆計画は,たんなる外科的対応にとどまらず,双方に重大な人的被害をもたらす可能性を持った,ひとつの戦争行為である。慎重であるべきだ。しかし明日空軍首脳と話し合うまでは捨てないでおく。
外交努力だが、将来の問題としてトルコとイタリアのミサイル基地について譲歩することはあり得ても,今回の問題とはリンクさせるべきではない。20日午後 米偵察機,MRBM基地の一つに核弾頭貯蔵庫を発見.
夜 NYタイムスのレストン記者,バンディ補佐官に「騒ぎ」の理由を問いただす.バンディは「キューバがらみの問題だが,国家安全保障に関わるため,報道を控えるよう」要請.
深夜 バンディ補佐官、主要報道機関の代表を呼び事件の概要を説明.22日の大統領演説まで公にしないよう協力を要請.
10月21日(危機6日目)
21日 10:00AM ケネディ,ラスクおよびマクナマラと会談.ケネディは封鎖・検問計画を最終的に承認.バンディは報道担当秘書官ピエール・サリンジャーに危機の概要を説明.
11:30AM オーバル・ルームでケネディと戦略空軍司令官ウォルター・スィーニー(Walter C. Sweeney, Jr.)将軍ら軍幹部が会見.空爆案の検討を行う.
スィーニーの発言要旨: 攻撃ミサイル基地のみをたたくことは不可能である。SAMミサイル基地やミグ戦闘機の基地も同時に破壊しなければならない.そのためには数百回の出撃が必要となるだろう.これらの任務を完了したあともミサイルの1割は残存するものと見なければならない。
正午 スィーニーのブリーフィングを受けたケネディは、この時点で空爆案をほぼ断念するが,「22日のテレビ演説のあと,いつでも空爆ができるよう準備するよう」指令.
2:30PM 国家安全保障会議開催.ケネディが議長を務める。ジョージ・アンダーソン提督が封鎖・検問作戦の概要を説明.ケネディは「米国はここ数日内に未曾有の危機に見舞われるだろう.しかし最大の危険はなにもしないでいることだ」と会議を結ぶ.
会議後、海上封鎖を発表する為の原稿が作られた。「臨検」との表現を用いることが決まる。
21日 ケネディ,NYタイムスとワシントンポスト,NYヘラルド・トリビューン紙に連絡.事情を説明した上で,情報秘匿への協力を得る.
10月22日(危機7日目)
22日 10:55AM 国務省,在外公館に情報を提供.各国首脳への概要説明を指示.
11:00AM アチソン,ドゴールと会見しキューバ問題の事情説明.ケネディの親書を手渡す.ドゴールは「それこそ私のやってきたことだ.フランスはケネディを支持する」と発言.
11:00AM エクスコム会議.国務省法律顧問アブラム・チェイスは,封鎖の国際法上の根拠を,国連憲章ではなくOAS憲章におくよう提案.レオナード・ミーカーは「封鎖」(blockade)より強い意味の「検問」(quarantine)の用語を用いるよう提案.いずれも認められる.
12:00AM 戦略空軍司令部(SAC),B52核攻撃部隊にデフコン3(最大厳戒態勢)にはいるよう指示.グアンタナモ基地の将兵家族,非戦闘要員は一斉引き揚げ.
デフコン3: DEFCON(Defense Condition)とは防衛態勢のランクで,5つの段階に分けられ.デフコン1が戦闘状態である.デフコン2は準戦闘状態,デフコン3は最大警戒態勢を指す.
航空隊は休暇なしで1/8が常に空中待機の態勢にはいる.他に183機のB47核攻撃機が33の軍用・民間飛行場に分散配備される.本土防空軍(ADC)は所属161機全機を核武装し,16の飛行場に分散配備する.2:14PM 統合参謀本部,全世界に配備された米軍兵力が午後7時をもって「デフコン3」に入ると通告.
2:14PM 統合参謀本部,ヨーロッパ統合軍最高司令官ロリス・ノースタッドにたいし,NATOへの協力呼びかけを指示.ケネディはノースタッドと直接連絡を取り,軽挙を戒める.
3:00PM 国家安全保障会議開催.ケネディは自ら経過を説明したあと,エクスコムの存在を明らかにし,メンバーの了承を求める.
5:00PM ケネディ,上下両院議員17人をホワイトハウスに招き事情説明.多くの議員が「検問」に賛意を表するが,ラッセル上院議員とフルブライト上院議員は「検問では不十分で,ミサイル撤去には空爆あるいは上陸作戦が必要」と主張.
5:40PM カストロ,戦闘警報(combat alert)より一段高い戦闘警戒態勢(combat alarm)を発令.軍を最高警戒態勢に置く.全土が戦時体制入りし,ハバナ周辺の海岸に対空砲部隊,砲兵部隊を集中させる.兵力は最大動員により27万人に達する.戒厳令ならびに総動員令を発令.
キューバのミサイルの準備状態: この時点でキューバには42基のミサイルが配備済み,30基が発射可能な状態となっていた.20発の核弾頭が配備され,さらに20発がキューバに向け輸送中であった.4万3千名のソ連兵が発射に関わる任務に配備済み.ただしミサイルへの核弾頭の装着はまだ行われていなかった.
6:00PM ラスク国務長官,ドブルイニン大使を呼び会談.「ミサイル配備は大きな誤りである」と述べ,海上封鎖を含むアメリカの強硬姿勢を通告する.モスクワでは駐在米大使フォイ・コーラーが,ソ連政府にケネディの親書と放送予定原稿を手渡す.
ラスクの回想: ドブルイニンはミサイル配備の事実を知らされておらず,衝撃のため目の前で10歳年取った
22日 6:26PM 英国のマクミラン首相,ケネディに親書.フルシチョフがカリブ海に船を進め,「第一撃」ジレンマに米国を追い込む可能性があると指摘.ベルリンなどへの報復攻撃に備える必要性を強調.
7:00PM 欧州を除く世界中の米兵力,デフコン3にはいる.ICBMミサイル部隊は発射準備態勢に入り,ポラリス型原潜は基地を離れ,待機地点へ向かう.ケネディの演説中,22の迎撃機がキューバの早期・過剰反応に備える.
7:00PM ケネディ大統領,全国テレビ・ラジオ放送で17分間にわたる演説.
ケネディ演説の要旨
ケネディはまず,サンクリストバルのミサイル基地の写真を示した.
…ソ連の核ミサイルがキューバに存在するという動かしがたい証拠が見つかった。いまや世界は核戦争の瀬戸際にある。この攻撃的な軍備強化を中止させ,これ以上ミサイルが搬入されるのを阻止しなければならない.
このあと具体的な対処について説明.
…キューバ周辺の海上を封鎖する.そして,キューバに向けて送られているすべての攻撃用の軍事装備に,厳重な封鎖・隔離措置を始める.封鎖ラインを超える船舶については停船,臨検を命じる.このため直ちに第一段階の措置をとるよう命じた。
さらにフルシチョフに対し,キューバにあるすべてのミサイル基地の即時解体・撤去を要求.
…米国は,キューバから核ミサイルが発射されれば,これをソ連による核攻撃と見なす.そして全力を挙げてソ連への報復を開始する.どのような事態に伸展するのか,どれだけの経費がかかるのか,どれだけの戦死者を出すのか,その予測は難しい.平和の代償は常に高くつく.しかしアメリカはいつでも借りを作らなかった.
演説の中で,ケネディはキューバの「囚われの民」にみずからの政府を打ち倒すよう呼びかける.7:30PM 国防総省,放送終了と同時に,侵攻のための動員令を発す。
動員命令の内容: 空挺,歩兵,戦車5個師団に動員令,海軍は空母8隻を含む183隻の艦艇を動員,4万5千名の海兵隊員が上陸侵攻の待機姿勢にはいる.グアンタナモ米海軍基地に米海兵隊三大隊七千名が増強される。
空軍ではB47爆撃機800機,B52爆撃機550機,B58爆撃機70機,水爆を搭載したB52爆撃機90機がスクランブル体制に入る.
さらに大陸間弾道弾アトラス100基,タイタン50基,ミニットマン12基がソ連領の目標に照準を合わせ、600基の中距離弾道弾(IRBM)と250基の準中距離弾道弾(MRBM)が、その他の目標に向けられる。7:30PM エドウィン・マーチン国務次官,国務省にラテンアメリカ各国大使を招き事情説明.
8:00PM ラスク,ラテンアメリカ諸国を除く全てのワシントン駐在大使を招き事情説明.「現在は,人類未曾有の危機にあるといわなければならない」と述べる.
21:00(モスクワ時間23日未明) 放送終了後,フルシチョフは海上封鎖をきびしく非難する書簡を,駐ソアメリカ大使コーラーに手渡し,ソ連全軍に第二戦備態勢(全面戦争一歩前)の態勢を指令.大陸間弾道弾に核弾頭を装着.
メドヴェジェフの回想: ケネディの演説を聞いたフルシチョフは,ソ連船に封鎖ライン突破を命じた.そしてミコヤンが,それを逆の指令のように下部に伝えたという.
息子セルゲイ・フルシチョフの回想: フルシチョフはミサイルを撤去することなく、逆に基地を完成させ、ミサイルを発射可能な状態にすることで、自分達の覚悟を示そうとしていた。10.22 トルコのジュピター・ミサイル基地,管理・運用をトルコ軍の手にゆだねられる.ホワイトハウスのトップはこの事実を知らなかった.
22日 オレグ・ペンコフスキー大佐がモスクワで逮捕される.ペンコフスキーは,61年4月以来,英国情報部MI6の,のちにはCIAのスパイとして軍事情報を漏らしていた.
10月23日(危機8日目)
8:00AM タス通信,ソ連政府の声明を放送.「アメリカの解除封鎖は海賊行為、国際法違反、核戦争に導く挑発行為である」と非難。「キューバからのミサイル撤去も,キューバに向かって航行中の船舶25隻の引き揚げも認めない」と声明.
10:00AM エクスコム会議続開.ケネディはエクスコムの席上で正式に海上封鎖宣言書に署名.
23日エクスコムの議論: 最初は攻撃開始の基準について議論が集中した.U2機が威嚇的偵察飛行を続ければ,SAMミサイルによる反撃が予想されるとし,撃墜された際の対応につき白熱する.
議論の結果、「キューバの敵意ある行動」が証明された場合,大統領の承認の上で関連基地を破壊すること,さらなる偵察活動への妨害が続けられた場合,すべての地対空ミサイル基地に攻撃を加えることで意見が一致した.
さらに会議は三つの作業グループを編成することで合意.(1)危機における情報管理,(2)情況展開にあわせた計画作成,(3)ベルリン問題への影響検討.午前 フルシチョフ、ソ連政府声明とほぼ同時に、カストロ宛てのメッセージを発する。
メッセージの内容: 米国のキューバ干渉はソ連への干渉と同じである.キューバは自決権を持っており,武力による支配を許さない.すでにキューバ駐留軍に戦闘体制に入るよう指示が出されている
午前 マリノフスキー国防相,戦略ロケット軍,防空部隊,潜水艦隊の休暇取り消しを指示.グレチコWTO軍最高司令官は加盟各国に警戒体制を指令.
午前 フルシチョフ,コーラー大使を呼び,声明のコピーおよびケネディへの親書を手渡す.
第一回親書の内容: 貴下の声明は諸国家の平和と安全にとって重大な脅威である.キューバに運び込まれた兵器は,それがどんな範疇に分類されるものであろうと(regardless of the classification to which they may belong),キューバ共和国を侵略者から守るための純粋に防衛的なものである.私は米政府が賢明さを発揮し,これらの行動を中止するよう望む。
午後 キューバ上空,威嚇的偵察飛行が始まる.海軍と空軍のF-8UとRF-101機が,地対空ミサイルの射程内に入る低空で侵入.11月15日まで続く.
4:00PM 国連安保理が特別会議を開催.スチーブンソン大使は「キューバは,世界制覇を狙う共産主義の共犯者である」と非難.キューバ代表マリオ・ガルシアは,検問を戦争行為であると非難.ソ連は米国の海上封鎖を国連憲章違反とし,キューバ近海での米海軍の行動を停止するよう求める決議案を安保理に提出.ソ連代表バレリアン・ゾーリンは米国のミサイル非難を「全くの偽り」と呼ぶ.
6:00PM エクスコム,短時間の打ち合わせ会議.フルシチョフへのあらたな親書について議論.ロバートは「空母をはじめとする艦船の防衛のため,対潜水艦活動に最大の努力を払うよう」求めるケネディのメッセージを伝える.
6:51PM ケネディの新しい親書が,モスクワ大使館を通じソ連政府に伝達される.「両者がさらに慎重さを発揮し,事態のこれ以上の悪化を防ぐよう」要請.
7:06PM ケネディ,ホワイトハウスで「海上検問」を実施する宣言書3504号に署名.翌日10:00AMを期して検問が実施されることとなる.
8:35PM カストロ,90分にわたりテレビ演説.米の海上封鎖政策を主権の侵害と非難.
カストロ演説: 米国がキューバに対し敵視と攻撃の政策をとり続ける限り,キューバは決して武装を解除しない.キューバには攻撃用兵器はないが,もし我々が望むときにはそれを手に入れる.いかなる種類の点検も認めない.帝国主義者がどんな態度をとろうと関係ないことだ。
夕方 ワシントンのソ連大使館でレセプション.出席したウラディミル・デュボヴィク中将は「キューバに向かっている船舶に封鎖を突破せよとの命令が出されている」と示唆する.ドブルイニンはこの発言を否定に回る.
23日 国務省内でブリーフィング会議.エドウィン・マーチンは「危機の間,亡命者グループがキューバでことを起こさないよう抑えることが重要」と強調.CIAおよびエクスコムが至急この問題を検討するようアレクシス・ジョンソンに提案.
この問題は,エクスコムでは主要な議題とはならず,30日まで作戦が続行された.CIAから現地に作戦中止指令が発せられたのは11月8日のことであった.
9:30PM ロバート,ケネディの指示を受けソ連大使館を訪問.ドブルイニン大使と会見.ミサイル配備を "hypocritical,misleading and false" な仕業と呼ぶ.ドブルイニンは「私の知る限り,キューバにミサイルは存在しない」と返答.
ロバートのドブルイニン大使との会話は繰り返し登場するが、ドブルイニンは下っ端に過ぎず、実際の効果は殆どない。ロバートがこの間中軸に座っていたという宣伝にすぎないのではないか。
10:15PM ソ連大使館から戻ったロバートとケネディの打ち合わせ.ケネディは「まず,フルシチョフが米国の決意を受けとめなければ,話し合いは無意味だ」と語る.
10.23 米国務省,アルジェリアへの経済援助を全面停止するよう,国際開発局(AID)に指示.
10.23 ギャラップ世論調査.海上検問に賛成が84%,反対は4%にとどまる.米国民の5人に一人は海上検問が第三次世界大戦へとつながると信じていた.上院の共和党指導者も全面的な大統領支持を呼びかける.
10.23 OAS緊急理事会,ボリビアを除いた全会一致で,米提案の武力による海上封鎖決議を承認.ミサイル撤去の要求が認められなければ,米国のキューバ侵攻を支持することで合意.
10.23 ライシャワー駐日大使は池田首相の私邸を訪ね,キューバ問題についての米国の立場を説明,日本の支持を要請したケネディ親書を手渡す.
10月24日 (危機9日目)
6:00AM CIA,恒例の状況報告メモを提出.
24日付メモ: @ソ連は海上検問を最終ラインではないが,重大なものと受け取っている.A国際的な反響は概して好意的であり,特にラテンアメリカ諸国では好感を持って受けとめられている.Bキューバではミサイル基地の建設が急ピッチで進められている.新たな基地は発見されていないが,核貯蔵施設の建設は急速である
早朝 フルシチョフ,ソ連訪問中の実業家ウィリアム・ノックスを招き会談.もしソ連艦船が停船命令を受ければ,米艦船を沈めるよう指令すると述べる.
9:35AM ケネディ,ロバートと打ち合わせ.ロバートの回想録によれば,ケネディは「もしソ連が封鎖突破をはかったときは,どうしたらよいのかな.もう選択の余地はないだろうな.もしなにもしなければ,世の中の非難の的になるだろうな」と語ったという.(個人的には、ロバートのこの手の話は信じないほうが良いと思う)
10:00AM 海上検問,公式に効力を発する.対キューバ攻撃用兵器搬入阻止宣言を発表.
10:00AM 統合参謀本部は戦略空軍に対してDEFCONー2態勢への移行を発令.トーマス・パワーズ総司令官は,ソ連側に周知させるため,自らの判断で「準備が順調に進行している」旨,平文で打電する.
デフコン2: 全戦闘要員は24時間非常待機態勢に入り,B52の8分の1とB47爆撃機,あわせて672機と空中給油機381機が空中周回待機もしくは24時間出撃態勢に入った.搭載された核兵器は合計1627基に上った.
10:00AM 「もっとも辛く,もっとも困難で,もっとも緊張した」(ロバート)エクスコム会議が始まる.
10am エクスコム開始と同時にマクナマラ国防長官が緊急報告。
二隻のソ連船が止まる様子も見せず封鎖線に近づいてきている.ガガーリン号とコミレス号はもう封鎖線まで2マイルのところまできている.両船の間には原潜が潜っている.停船命令を発するため空母エセックスが向かっている.この部隊には原潜の封鎖突破を阻止する命令があたえられており,そのために小型爆弾の使用が許可されている。
さらに対潜水艦ソナー装置を積載したヘリを飛ばせている。このソナーで潜水艦に信号を送り、身元を明らかにすることをもとめている。10:25AM マコーンCIA長官,「ソ連船が航行を止め停船している」との未確認情報を伝える.ケネディは少なくとももう一時間,はっきりした情報が入るまで,停船命令を保留するよう指示.
10:32 海軍情報部、「6隻のロシア船が検問線を前に止まった、全面的な報告は目下作成中である」と報告。
10:40am 海軍情報部の確定報告。「20 隻のロシアの船が検問線を前に止まった。それらは海上で停止するか、向きを変えた」
11:24AM 国務省,「米国はトルコとキューバとのミサイルの取引に応じる用意がある.ジュピター・ミサイルを撤去した際の影響につき,早急に調査・報告せよ」との電文を,トルコ大使レイモンド・ヘアーとNATO派遣大使トーマス・フィンレターに送る.
昼 ソ連の軍事物資輸送船ガガーリン号、コミーレス号が速度を緩め,あるいは向きを変え,反転していることが報告される.しかし油送船ブカレスト号のみは,封鎖線に向かって進む.
14:00 米国海軍,キューバ海上封鎖の開始を指示.駆逐艦16隻,巡洋艦3隻,対潜空母1隻などを封鎖線に配置.
大西洋第二艦隊: この艦隊はもともとキューバ侵攻作戦(0プラン)の実行部隊として編成されたもので,空母エンタープライズ,インデペンデンスを中心とした128隻の大艦隊.アルフレッド・ウォード中将が艦隊の司令官を務める.
2:00PM ウ・タント国連事務総長代行,非同盟40か国の要請を受け,ケネディとフルシチョフに同一書面の私信を送付.
ウ・タント書簡: @戦争につながる行為を直ちに中止すること。Aソ連の武器輸送と米国の検問を向こう2〜3週間停止すること。B三国がただちに交渉を開始すること。C米政府は海上封鎖を解除し,ソ連は対キューバ武器輸送を中止すること、を要請.
5:15PM 国防省スポークスマン,何隻かのソ連船が進路を変えたと発表.
夕方 タス通信,フルシチョフと英国哲学者ラッセルとの交換電文を公開.
ラッセルは英国の哲学者で、アインシュタインと共同平和アピールを出すなどリベラルな立場をとっていた。ラッセルをダシにして、間接的に米国の出方を伺ったものとみられる。
このなかでフルシチョフは「もし米国が“海賊行為”を実行すれば,ソ連は防衛力を行使せざるを得なくなるだろう」と述べる.また「紛争を終結させ熱核戦争の脅威を取り除くため」,ケネディとの首脳会談を提案した.9:24PM 国務省にフルシチョフからケネディ宛の親書が入電.
親書の内容: 激情にとらわれず,冷静に状況判断するならば,ソ連が米国の要求を拒否せざるを得ないことは分かるだろう.ソ連は検問を侵略行為の一環と見ており,キューバ向けの船に検問に屈するよう指示することはできない
10:52PM ケネディ,フルシチョフの親書を読む.ただちにフルシチョフ宛ての返書を作成。
24日 国防総省,ケネディの求めに応じ,キューバとの戦争開始時の民間防衛体制に関する二つの独立した計画を起草.キューバと近接した地域では通常兵器に対する防衛計画,MRBMの射程範囲では核攻撃に対する防衛計画.
10月25日 (危機10日目)
1:45AM ケネディからフルシチョフ宛ての返書がモスクワ大使館に打電される.
返書の内容: あなたが依然として事態の深刻さに気づいていないことは非常に残念だ.キューバにミサイルは存在しないというあなたの「厳かな保証」は今や偽りであることがはっきりした.この上は貴政府が私の声明に応え,速やかにキューバの現状復帰を行うしかない。
7:15 空母エセックス,駆逐艦ギアリングがソ連油送船ブカレスト号に停船を命じる.ブカレスト号に軍事物資が積まれていないことが明らかなため,米海軍はキューバへの航行を許可.他の24隻のソ連船は封鎖線外で洋上待機体制にはいる.
早朝 有名なコラムニスト,ウォルター・リップマンの記事が配信される.リップマンは記事の中で「両者の顔が立つ協定」としてキューバとトルコのミサイル基地の相互撤去を提案.ソ連はこの提案を米政府があげた観測気球と受け取る.
10.25朝 ケネディ、キューバに侵入・占領する場合に備え、暫定政府のプログラムを準備するよう国務省に指令。マクナマラ国防長官は、「侵入作戦を実施すれば非常に多数の死傷者を覚悟するべきである」とする報告を提出。マコーンCIA長官は、「彼らは大変な軍備を保有しており、侵入作戦は以前に認識したよりはるかに重大な意味を持っている」と述べる。
10:00AM エクスコム会議続開.ケネディは多段階ミサイルへの核兵器搭載を承認し,NATO軍の全航空戦力に核弾頭の搭載を許可.欧州最高統合司令官に使用権限をゆだねる.(国家安全保障メモ199号)
午前 ワルシャワ条約軍、緊急展開態勢にはいる。ソ連のすべての核ミサイルが発射態勢を完了.危機はカリブ海から全世界に広がる.
午前 ケネディはキューバへの宣伝ビラ撒布作戦を承認.「ラッパ吹き」作戦と呼ばれたこの作戦は結局実施されず.
2:19PM ケネディが記者会見。ウ・タント(第一次)提案を拒否。「ウタント提案は,ソ連軍事関係者が引き続きミサイル基地を建設するのを防ぐことはできない」とし、ミサイル基地撤去が実現されない限り交渉を拒否し,封鎖を続行すると声明.
2:26PM ウタント,両国首脳に第二書簡.ソ連が封鎖線に近づかないこと,米国がソ連船を攻撃しないことを要請.
フルシチョフの反応: フルシチョフはウ・タント提案を全面受諾すると声明.キューバ行き船舶に現場待機を指示.原潜に守られスペイン沖航行中の中距離弾道弾搭載の船舶が,海上封鎖開始の報を受け引き返す.さらに「キューバ情勢は緊迫しており,国連が直ちに介入する必要がある」と付け加える.
(この声明がどの時点で発表されたかは未詳)16:00 23日に引き続き国連緊急安保理が開催される。アメリカはキューバの基地を撮影した写真を示し核ミサイルの存在を認めるよう迫る。
16:00 OAS緊急理事会が開催.ミサイル問題に関する決議を全会一致で採択.キューバ除名を再確認.LAの多数は米国を支持.メキシコ議会はキューバ支持を再確認.
OAS決議: (1)キューバからミサイルを撤去せよ,(2)リオ条約にしたがって武力行使をふくむあらゆる個別的集団的措置を加盟国がとるよう勧告する。
5:00PM エクスコム会議。マコーンCIA長官がキューバの状況について説明。「すでにいくつかのミサイルが発射可能な状態になった」と報告.
5:43PM キプロス船籍(一説にレバノン籍)のソ連貨物船マルキュラ号が封鎖設定ラインを突破.
6:41PM 国務省にNATO大使トーマス・フィンレターから入電.トルコ政府のジュピター・ミサイル撤去反対の立場を伝える。
トルコ政府は,ジュピター・ミサイルを同盟国の誠意の証であると考えている.それはソ連の攻撃にたいし身を守るための不可欠の装備である.これに代わるいかなる代替物もあり得ないと主張している(非公式なトルコ側感触)
夜 ケネディはマルキュラ号に対し停船・検疫開始を実施するよう命令.ウォード提督,第二艦隊所属の駆逐艦ピアスにたいし,マルクラ号への接近を命令.ビアスはマルクラ号に対し,明朝を期して検問のため乗艦すると通告.
25日 CIA作戦チームが、マタハンブレ銅山の施設を破壊するためキューバ潜入を図る。情報をキャッチしたキューバ当局の手により行動は阻止された.(キューバ側情報)
10.25 ソ連国防省より現地軍ガルブス司令官に指示.
指令の内容: キューバ人民軍と協力して,上陸軍に打撃をあたえるため全力をあげて準備すること。核ミサイルの発射権限は戦術核をふくめ本国にある。指令を待て。
これに対しガルブスは、現地司令部の判断で戦術核の使用を認めるようもとめたが、マリノフスキー国防相は「核を許可なく使用することを絶対的に禁止する」と返電した。
10月26日(危機11日目)
深夜 キューバ駐在ソ連軍司令部,「敵偵察機に対し通常兵器によるあらゆる軍事行動をとること」を決定.ガルブス司令官はモスクワの判断を待たず撃墜を指令することを決意したと言われる。
グリブコフ将軍の証言: 独自判断による核兵器使用は禁止されるが、上陸してきた米軍に対する9機の戦術核の使用については,現地軍に使用権限が委ねられていた。
6:00AM CIAメモ,「キューバにおけるIRBMとMRBMの基地建設は遅滞なく進んでいる」と報告.
07:00 駆逐艦ビアス,マルキュラ号に乗船し検疫を実施.禁止対象物資は発見されず.その後マルキュラ号はUターンし封鎖海域外に出る.フルシチョフ首相,ソ連船に封鎖水域に入らないように命令.
09:00am ソ連政府、フルシチョフのケネディ宛ての「公式書簡」をモスクワ駐在米国大使館に送付する。(内容は21:00の項に記載)
09:00 マリノフスキー国防相,キューバ防衛のため大陸間ミサイルがいつでも発動の準備があると声明.
朝 ケネディ大統領,封鎖作戦では状況を打開できないと判断。国務省に「クラッシュ計画」の準備を進めるよう指示.これはキューバ侵攻と占領後に民間人政府を樹立することを目標とする計画.
ケネディ大統領のエクスコムでの発言: 隔離自体はソ連政府がミサイルを撤去する力とはならないだろう.キューバ侵攻,あるいは他の何らかの取引が必要だろう
10:00AM エクスコム再開。マクナマラは,「軍の見通しとしては,侵攻作戦を実施すれば重大な犠牲者が出るだろう」と発言.CINCLANTの評価では,最初の10日間で最大18,484人の米国人犠牲者を予想.
この後、空襲オプションが再び取り上げられた。当面,キューバへの威嚇的偵察飛行を強化することで合意.これまで一日二回の低空飛行を,二時間おきに実施することとする.
1:00PM 国務省詰めのABC記者ジョン・スカリ,アレクサンドル・フォーミンの依頼を受けワシントン市内で昼食をともにする.フォーミン(本名フェクリソフ)はソ連大使館の広報担当参事官でKGBの代表として知られていた.
フォーミン提案: フォーミンは「戦争の勃発が迫っている」とし,概略以下を提案.国務省内の「高級な友人たち」と接触するよう求めた.
(1) ソ連のミサイル基地を国連の監視の下に公開する. (2) 米国が侵攻しないと確約すれば,カストロも攻撃用兵器の導入をしない.これを条件に米国はキューバ侵攻を中止する,という提案.
昼食後,スカリは直ちに国務省に赴き、ロジャー・ヒルズマンに会見内容を報告.--1:18PM トルコ駐在米大使ヘア,「トルコの軍関係者はトルコとキューバのミサイル取引に怒っている.ジュピター問題はキューバと切り離すべきだが,もしそれが不可能なら,撤退は段階的に行うべきである」と打電.
--2:00PM ブラジル政府,米国とキューバとの仲介を非公式に提案.「米国が侵攻しないという確約の下に,キューバのミサイル撤去をもとめる」というもの.
26日夕方 カストロ,ソ連大使アレクセーエフを介しフルシチョフ宛てに電文書簡.書簡の内容は1990年にグランマ紙上に発表される.92年1月の回顧シンポジウムでは,カストロは,直接侵攻が始まればソ連防衛のために核の使用は不可避的であると強調した.
カストロのフルシチョフ宛て書簡の要旨: 「我が国が知り得る限りの情報を総合すると,アメリカ帝国主義の攻撃は24時間から72時間のうちに起りうる.
攻撃には二つの可能性がある.第一に特定の目標を破壊するための限定的な攻撃,今一つは直接侵攻である.後者は米軍にとって多大な戦力を必要とし,我々にとっても最も忌まわしい形態だ.
しかし我々はいかなる形の侵略にも決然として戦う.キューバ国民の志気はますます高まっており,侵略者に対して英雄的に戦うであろう」
「今日の情勢の下では,キューバへのいかなる攻撃も,ソビエト軍への攻撃を意味する.したがって熱核戦争への道を意味する.
もし米国が侵略を開始すれば,そのときソ連は,米国が世界で最初に核兵器を使う国となることを,決して許さないだろう」--6:00pm モスクワの米国大使館、フルシチョフ親書の打電を開始。これは大使館が文書を受け取ってから12時間後であり、全文の送信完了は午後9時までずれ込む.
書簡は全文11ページ、異例の長文であった。文章のどこにも推敲された形跡が無く、フルシチョフ自身が書いた事が明らかな文章であった。
--6:45PM スカリ記者がラスク長官と会見し,フォーミンとの会談について説明.フルシチョフ提案に近いことから,クレムリンの直接指示によるものと判断.のちのソ連公開文書では,フォーミン提案はクレムリンの承認を受けていなかったことが判明.
--7:35PM スカリ,フォーミンと再び会談し,ラスクからの伝言を伝える.フォーミンは直ちにこのメッセージをソ連の最高首脳に伝えると約束.
21:00 フルシチョフの電報がホワイトハウスに入電.ボブによれば内容は支離滅裂で、彼の精神状態が不安定で感情的であったことを示す。
フルシチョフ提案の内容: 核戦争が全人類にもたらす死と破壊と無政府状態が回避されなければならないと繰り返し強調。「結ばれた紐の両端を引けば引くほど,結び目は硬くなり,ほどけなくなる」と表現し,「おおいなる決断を双方が分かち合う」よう訴える。
封鎖網を突破する考えはないとし、アメリカがキューバを侵略せず,いかなる勢力に対しても支援しないことを宣言するよう提案.「そうすればソ連の軍事関係者がキューバ国内に存在する必要性はなくなる」と述べる.
具体的には(1)まずソ連側がキューバ向け船舶にいかなる武器も積まないと宣言する.(2)国連監視の下でソ連ミサイルの撤去に応ずる。Bキューバの安全保障と引き換えに,キューバへの武器輸出は停止し、現有兵器も撤退するか破壊する。C米国はこれと引き換えに封鎖を撤回し、ロシア船に対する海賊行為をやめ、キューバに侵入しないと約束すべきだ。--10:00pm エクスコム再開.フルシチョフの親書の評価を巡り議論となる.フォーミンのメッセージを含め,ソ連側の真意を探るため二人の専門家がさらに分析を進めることとなる.
--night エクスコムのメンバーには知らせず,ロバートがソ連大使館を訪ねドブルイニンと二度目の会見.ドブルイニンはトルコのジュピター基地に言及することにより,事実上ソ連のミサイル配備を認める.ロバートはトルコの基地問題については前向きに考えることを示唆.
26日10pm 統合参謀本部,戦略空軍に加え全軍をデフコン3から2にランクアップ。準戦時体制が敷かれ、ソ連との全面戦争に備える。
国内のアトラスやタイタン、ソー、ジュピターといった核弾頭搭載の弾道ミサイルを発射準備態勢に置き、日本やトルコ、イギリスなどに駐留する基地も臨戦態勢に置く。核爆弾を搭載したB-52戦略爆撃機やポラリス戦略ミサイル原子力潜水艦がソ連国境近くまで進出し戦争に備える。
26日 統合参謀本部、低空飛行による新発見にもとづき,空爆計画を修正.キューバ側の制空能力が完全に消失するまで,毎日三波の大規模空爆を続けることとなる.空爆開始初日には1200回の出撃が予定される.
26日 ソ連、国内のR-7やキューバのR-12に発射準備に入るよう指令。
26日 カストロ,アレクセーエフの反対意見を押し切り,領空内に侵入する米国機には発砲するよう指示.このころ連日数十機の米偵察機がキューバ上空を飛行するが,1万メートル以上の高空ではキューバ軍に対応能力なし.
26日 ソ連政府,ウタント国連事務総長あてに書簡.キューバに向け航行中のソ連船に対し,米海軍の封鎖海域に入らないよう指令したことを明らかにする.
10月27日 (暗黒の土曜日)
6:00am CIA情報メモ.サンクリストバルの4基中三基,サグア・ラ・グランデの2基のMRBMが発射準備を完了と報告.
午前6時 ルドルフ・アンダーソン少佐のU2偵察機が、キューバ上空に向け飛び立つ。連日数十機の偵察機がキューバの2万メートル上空を飛行。
朝 フーバーFBI長官、「ニューヨーク駐在のソ連要員が文書類を処分している。これは戦争の準備を意味するかも知れない」との情報を寄せる。
--9:00AM モスクワ放送,フルシチョフのケネディあての英文メッセージを放送開始.トルコとキューバのミサイル基地の相互撤去を要求.その後,国連安保理から信頼すべき視察官を送り,ミサイルの撤去を確認するよう提案.
あなたは、自国の安全保障を確かな物にしたいだろう。それは大統領としての当然の義務である。
しかし、私も全く同じ悩みを抱えている事を忘れないで欲しい。キューバはアメリカから90マイルしか離れていない。しかしアメリカは破壊的なミサイルをトルコに設置しているが、トルコはソ連からまさに90マイルの位置にある。
私は、以下のような提案を行う。我々は攻撃的兵器すべてをキューバから撤去する。アメリカもトルコから同様の武器を撤去して頂きたい。--10:00AM エクスコム,ホワイトハウス内の戦況報告室で開催.まずマコーンCIA長官が状況報告を行ったあと,マクナマラがソ連船の位置と状況を報告.また、キューバのソ連軍が全てのミサイルサイトで昼夜兼行の活動を展開していると報告。
10:30am 途中,フルシチョフの新提案が入電し始めたことから,書簡の評価をめぐり長い議論が始まる.テイラー統合参謀本部議長は空爆・侵攻案の実行を迫る。「ソ連に米国の決意を理解させるためにも、29日からの空襲に続き、間をおかずに侵入作戦を開始することが必要」と主張。
会議の雰囲気は一変.ケネディもふくめ空襲案が多数を占めるようになる.
--Around 10:15 to 11:00A.M. アラスカの基地を飛び立ったU-2機が,偵察飛行中にソ連領空内のチュコツキ半島に迷い込む.U-2機のパイロットは救援を要請,アラスカのF-102戦闘機が直ちに飛び立ち,ベーリング海峡に向かう.記録によれば核兵器を搭載していた可能性がある.同時にソ連のMiG戦闘機もランゲル島基地から離陸.まもなくU-2機が領空内から脱出に成功したため事なきを得る.
10.21am オリエンテ北部バネス上空を偵察中のU2機がソ連軍の地対空ミサイルSA-2により撃墜される.機長のルドルフ・アンダーソン少佐が死亡.
米国防総省が連絡途絶を確認したのは3時30分。
実行部隊はゲルチェノフ少佐の防衛部隊。10時55分にマリノフスキーから直接電話があり、「われわれは急ぎ過ぎた。今後はもうU-2機は撃墜してはならない」と語った。--Around 12:00 noon ソ連軍現地部隊の指揮官シュテパン・グレチコ准将およびレオニード・ガルブス少将,防空部隊に対し領空を侵犯する飛行機への攻撃を許可(一説に司令官はボロンコフ中将).これを知ったフルシチョフは現地の越権行為をきびしく非難したという.
キューバ駐留ソ連軍の指揮系統についての著述はきわめて錯綜している。位から言えば中将であるボロンコフが最終判断したものと思われる。グレチコは准将であり、ブリーエフの代理に過ぎなかった。ガルブスについては詳細不明。
またすでに10時過ぎにU2が撃墜されているとすれば、この判断はそれより前ということになる。正午頃 アメリカ軍が海上封鎖線上で、ソ連の潜水艦B-59に対し爆雷を投下。潜水艦は核魚雷の発射準備に入る。ヴァシーリ・アルヒポフ(Vasili Arkhipov)が強く反対し、発射を制止。
艦長は航空母艦に向けて核魚雷の発射を決定。3人の部下全員の同意をもとめた。アルヒポフは反対し、体を張ってそれをとめた。(英ガーディアンの報道) --3:41PM F8U-1P低空偵察機4機が午後の偵察のため領空内に侵入.サンクリストバルとサグアのミサイル基地周辺で防空軍の対空砲火をあび,1機が被弾するがかろうじて帰還に成功.
午後4時 会議中のエクスコムにU2撃墜の報がとどく。テイラーはSAMミサイルにより撃墜された可能性があると報告.エクスコムは撃墜をソ連側の指示によるものと判断.メンバーの大多数が限定空爆の線で合意する。
--4:15PM ラスクのもとめに応じ,スカリ記者とフォーミン参事官が会見.フォーミンは,第一書簡と第二書簡の違いを「情報の錯綜によるもの」と釈明.スカリは会見の内容を直ちにエクスコムに送付.
(ここから午後7時頃までの間の前後関係は、文献ごとの異同が激しく、判然としない。一応、すべて夕方ということで併記しておく)
夕方 エクスコム、28日早朝を期して、キューバのSAM基地に対する限定報復爆撃を実施するよう大統領に勧告。
夕方 エクスコムを受けて米政府スタッフと統合参謀本部の合同会議.統合参謀本部は、28日早朝を期してキューバミサイル基地への爆撃開始,その後直接侵攻に移る計画を提出.
会議は偵察への戦闘機の護衛と「必要な場合の反撃」を許可.空軍輸送部隊の予備役24個大隊に現役復帰を命令。侵入作戦の発動に備える。
これを受けたB52戦略爆撃機は,命令があってから15分以内にソ連国内の基地を爆撃できる位置にまで進出.夕方 ケネディ側近が打ち合わせ.最終的にフルシチョフの26日書簡の線でまとめることを決断.トルコ問題を無視し,キューバからのミサイル撤去のみを条件とする提案でまとまる。
打ち合わせの内容: ロバートとソレンセンが文章を起草.エクスコム終了後,さらにドブルイニンと再度会見し,書簡の内容をさらに明確に伝えること、ウタントにメッセージを送り,ソ連政府が交渉のあいだ基地建設を中止する意思があるかどうか確認する。
(打ち合わせというよりはケネディがロバートをふくむスタッフに指示を出した可能性が高い。いずれにせよ政権トップが分裂しつつあったことは間違いない)
夕方 米ソ両国のすべての兵力が戦闘態勢に入り、危機は絶頂に達する.
午後6時 ケネディ、再開エクスコムの冒頭で発言。限定空爆の「勧告」を拒否する.
ケネディの発言: 心配なのは第一段階ではない.双方が第四段階,第五段階へとエスカレートしていくのが心配なのだ。
私は、交渉を受け入れることなくソ連と戦争に入ることは“容認できない立場”に立つ。会議はこれを受け、U2機撃墜への報復は見合わせるが,もしまた偵察機が撃墜されれば,SAMミサイル基地を攻撃すると決定.最終の詰めを両首脳の直接対話に委ねる.会議はいったん休会となる。
午後7時 ケネディからフルシチョフ宛の書簡を発送。「ソ連がミサイルを撤去すれば封鎖を解除」と公式回答.ミサイルが撤去された場合の見返りとしては,隔離政策の解除とキューバ侵攻をしないことの保証しかないことを明確にする.
(一説によれば、「個人的な親書」ではさらに「問題解決後にトルコのミサイル基地を撤去する」と述べたという。「個人的な親書」の存在は未確認)
--7:45pm ロバート・ケネディがドブルイニン大使を司法省に呼び、長官室で会見.エクスコム会議の結果を具体的に話し,あらためて停戦の提案を行い、24時間以内の回答を要求する.
国連の査察によりミサイル撤去が確認されれば,海上封鎖とキューバ侵攻計画を中止すると提案.またトルコのミサイル撤去については,キューバ問題が片付いてから着手すると示唆した.
回想録によれば、ロバートは「明日,再び声明が発表される.それは最後通告ではないが,もしミサイルが取り除かなければ我々がそれを取り去る,という決意をあらわしたものになるだろう」と述べた。--8:05PM ケネディからフルシチョフ宛の書簡,クレムリンに到着.
--8:50PM ウタント,停戦交渉継続中はミサイル基地の作動を停止するよう,カストロに要請.カストロは米国の封鎖解除までは,そのような約束はできないと拒否.同時にウタントのキューバ訪問を提案.ウタントは直ちにこの提案を受諾.
9:00pm ドブルイニン、クレムリンに会談の内容を送信。
--9:00PM ウタント,ソ連のゾーリン国連代表と会見.米国の隔離実行線についての情報を伝達しようとするが,ゾーリンは受け取りを拒否.
--9:00PM エクスコムが再開される.明日の予定について再調整.ミサイル基地への空爆,輸送船を含む隔離範囲拡大の手順について確認.
深夜 一説によれば、ロバート・ケネディは駐米ソ連大使館を訪問し、顧問ゲオルギー・ボルシャコフと会談したと言われる。
--night: カストロ,ソ連大使館を訪ねアレクセーエフと長時間の会談.アレクセーエフから米ソ首脳の往復書簡についてのブリーフィングを受ける.
カストロとアレクセイエフは、ソーセージをつまみながらビールを飲んで翌朝6時まで語り明かした。カストロはフルシチョフへの手紙を書きながら、「そろそろ防空壕に入らねばいけない」と語ったという。 10.27 カストロは国民に”祖国と共に死のう!”と訴え,正規軍と民兵隊のすべてに24時間警戒態勢を命じる.
10.27 カストロ,ウタント国連事務総長宛書簡で「米国が脅威除けば基地建設中止」と言明.平和解決のための5原則を提唱.
平和解決のための5原則: (1)経済封鎖の解除,(2)グアンタナモ返還,(3)キューバ領内に侵入しての空中・海上査察の中止,(4)亡命者による海賊行為の停止,(5)国内での破壊活動の中止。
10月28日(黄金の日曜日)
--6:00AM CIA日報,キューバの24のMRBM基地が完全稼動状態に入ったと報告.
午前9時(モスクワ時間午後5時) モスクワ放送,フルシチョフのケネディ宛ての手紙を発表.
ソ連側情報によれば、この手紙は、「ケネディ大統領が教会に礼拝に訪れたあと、再度TV演説を行う」という情報を受け、急遽発信された。演説で戦争開始声明が読み上げられると同時に、キューバへの空爆が実行されるという判断にもとづいている。(この情報は誤認であった)
このため外交ルートを通さずに、モスクワ放送を通じて読み上げるという形で実施された。--9:00AM エクスコムの開会と同時に,フルシチョフからの新しいメッセージが,モスクワ放送から流される.エクスコムのメンバーの大半は,この提案を歓迎するが,ルメイ将軍は「フルシチョフがどういおうと月曜の攻撃予定は決行すべき」と主張.
手紙の骨子: 平和を脅かす戦いを,できる限り迅速になくすため,平和を望む人々に確信を与えるため,またソ連国民と同様に平和を望んでいるはずのアメリカ国民を安心させるため,ソ連政府はキューバにおける軍事基地建設工事の中止命令をすでに発した.さらに,貴下が攻撃的だと考える武器を撤去しソ連に持ち帰るようにとの新たな命令を発した。
午前 フルシチョフ声明についてキューバには事前の相談なし.モスクワ放送によってはじめて事実を知ったキューバ国民はショック状態に陥る.このあと直ちにサンアントニオ空軍基地へ向かったカストロは,低空で侵入する米偵察機を撃墜するよう命令.しかしこの日,サンアントニオへは米軍機の侵入はなかった.
カストロの悪態: 一説によれば,フルシチョフの変身を知ったカストロは、"son of a bitch, bastard, asshole" と罵ったという.また数日後,ハバナ大学での演説では「玉無し野郎」と表現したという.
--11:00AM ロバート・ケネディ,ドブルイニンと司法長官室で会談.ドブルイニンはフルシチョフがミサイルを十分な監視の下に解体し、撤収することに同意したと告げる。また「フルシチョフはケネディ兄弟に最良の願い(his best wishes)を送ることを望んでいる」と述べる。
11:00AM エクスコム,フルシチョフの書簡全文を入手.フルシチョフのミサイル撤去の意思が明らかとなる.ケネディ,低空偵察飛行の中止を命じる.ソ連・東欧諸国の船は隔離線の外で終日動かず.
昼 ケネディ大統領は声明を発表し「この決定は.平和に対する重要かつ建設的な貢献である」と評価.このあとモスクワ放送は,フルシチョフとケネディとのあいだに合意が成立したと発表.
--around noon カストロ,ウタントに文書回答.「侵攻せず」の約束だけでは受け入れられないとし,五項目の要求を提示.
カストロの5項目要求: 1.経済封鎖の終了,2.攪乱活動、傭兵による侵攻の組織、スパイ及び破壊活動分子の侵入を終わらせること、3.米本土からの海賊的攻撃を終わらせる、4.アメリカの偵察機及び戦艦による領空・領海の侵犯を終わらせること。5.グアンタナモ海軍基地からの撤退と返還。
--1:00PM キューバ駐留ソ連軍,ミサイル撤去の指令を発する.
--1:04PM ラスク国務長官が記者会見.査察問題,イリューシンの扱いが残されており,問題はまだ残っているとする.同時に,ソ連の判断にクレームをつけるのは,ソ連指導部内の反対派を元気づけるだけであり,慎重に発言するよう要請.
Afternoon 統合参謀本部,「ソ連の提案は時間稼ぎの手段の可能性あり」とし,引き続き警戒を強めるよう指令.
--4:07PM 統合参謀本部,CINCLANTに対し「Oplan 316」(キューバ侵攻プラン)の見直しを指示.とくに地上軍が侵攻した際の,キューバ側の核反撃能力の評価をもとめる.事実上の作戦中止指令.
5:00PM ソ連軍のミサイル撤去作業が開始される.
夕方 ハバナのソ連大使館,クレムリンからの長文の電文を受け取る.ミサイル撤去の理由を縷縷説明した後,「ソ連はいかなるときもキューバを守る国際的責務を守り抜く」と結ばれる.アレクセーエフは電文をドルティコス大統領に手交.
10月29日
--morning ソ連のバシリ・クズネツォフ第一副首相,モスクワからニューヨークに飛び,ウタントと会談.ソ連のミサイルがすでに解体作業に入っており,解体完了と同時に国連監視団の現地確認を要請することになろう,と語る.
--10:00AM エクスコム会議.ケネディ大統領は引き続き隔離作戦を続行するよう指示.偵察飛行は一時停止となる.
10月29日 エクスコム会議,国務省のレイモンド・ガーソフ審議官は「MRBMとIRBMに加え,イリューシン28も撤退を求める兵器のリストに挙げるべきである.しかしミグ戦闘機,SAM-ミサイルやほかの地上兵器の撤退まで主張するのは妥当ではない」と提案.
--3:30PM ウタント,ハバナ出発を前にスチーブンソン国連大使と会見。
*ウ・タントは昨日のクズネツォフとの会談の内容について説明した。
*ウ・タントは隔離作戦を即時中止するよう要請した.
*スティーブンソンは撤退の完了と隔離作戦の終了をリンクさせると主張した.
*スティーブンソンは、ウタントのキューバ訪問中は,空爆・侵攻作戦実施を見合わせると約束した.--10:48PM CINCLANT,統合参謀本部に侵攻計画の見直しプラン報告を提出.先制使用を行わないことを条件とし、核武装下でのキューバ侵攻案を提示する。
見直しプラン: キューバ軍は核搭載の可能なFROG 短距離ミサイルを保持している可能性があり,米軍侵攻時は戦略的核兵器で武装した陸・空戦力の投入がもとめられる。
統合参謀本部、CINCLANTの新プランを受け、侵攻部隊が核搭載の可能な兵器により武装することを承認.ただし核弾頭の装着に関しては改めて承認を求めることとする.
10月29日 ソ連,ミサイル危機の決着のため公式協定による確認を求める.ドブルイニンがロバートケネディにフルシチョフの無署名書簡を手渡す.この書簡ではトルコのジュピター基地の撤去期限を明示することが求められる.
10.29 米政府,キューバの要求を全面的に拒絶.ミサイルの除去が確認されることが,どんな交渉にでも先行しなければならないと強調.さらにIL-28爆撃機のキューバからの撤去を求める.
10月30日
早朝 ウタント事務総長,カストロとの話合いのため,ハバナに向かう.米軍の海上・空中監視は,ウタントとキューバ政府との会談の間2日間停止される.
午後 ウタント,ハバナ入り.ただちにカストロと交渉開始.ほかにキューバ側参加者としてドルティコス,ラウルロア.
ウタント=カストロ会談 ウタントはいくつかの認証方法について提案.具体的には以下の査察形態を示す.
1)国連監視団による基地の地上査察・検証 2)国連の航空機による空中からの査察 3)国際赤十字委員会(ICRC)による査察
カストロはいずれの形態による査察も,「国家に対する侮辱行為」として拒否.「何故,ミサイル撤去の公約だけでは不十分なのか? キューバに侵攻しないという米国の公約を評価するのなら,侵攻を防ぐための兵器を撤去するという公約を,なぜ米国と同じように評価できないのか」と主張する.10.30 フルシチョフ,16ページからなる書簡をケネディ大統領に送る.核実験禁止条約とベルリン問題にまでおよぶ広範なもの.
キューバ問題: 米国が隔離作戦を直ちに中止し,キューバへの経済封鎖を解除し,グアンタナモ基地から引き揚げること。
核兵器問題: 「熱核兵器の実験停止条約を成立させるための条件が熟しつつある」とし、歩み寄りをもとめる。
ドイツ問題: ベルリンに関する新協定を締結するための交渉を示唆.10.30 グロムイコ外相,モスクワ駐在コーラー米大使と会見.ケネディ=フルシチョフ交換書簡に基づき,両国が何らかの協定を取り結ぶよう要請.
10月30日 ロバート,ドブルイニンと再び会見.明文化した協定調印を拒否するケネディの意向を伝える.
10月31日
--10:00A.M. エクスコム,会議を続開.ウタント=カストロ会談についての評価.ケネディ大統領は交渉が難航すれば,偵察任務を再開するよう指示.
午前 ウタント,第二回目の会談を開始.キューバ側出席者は一回目と同じくカストロ,ドルティコス,ラウル・ロア.キューバはソ連ミサイルの撤退確証手段について何らの是認も与えず.
第2回会談の内容: カストロは撃墜したU-2機のパイロット,ルドルフ・アンダーソンの遺体を米国に返還することで合意.カストロは「U-2機を撃墜したのはキューバ人からなる防空部隊だ」と,偽りの主張.「キューバ人民はもはや連日の威嚇飛行に我慢できない.キューバ領空を侵犯する飛行機はいつでもどこでも撃ち落してやる」といきまく.
--6:00P.M. ウタント=カストロ会談の報告を受けたケネディ,低空偵察飛行と海上隔離作戦の再開を指示.ただしU-2機の飛行は引き続き休止.
31日 カストロはフルシチョフに「怒りの電報」を送る。(ウ・タントから得た情報に基づく判断がふくまれていると思われる)
親愛なる同志フルシチョフ殿
貴殿は、戦略ミサイルを撤去するという決定がなされた以前に、我々が相談を受けたと考えているようだ。しかし、我々にはそのような憶えはない。
我々は事件に 直面して、戦う覚悟を決めていた。帝国主義者たちの攻撃が切迫してきたと感じた時、貴殿にもその事は伝えた。
我々には抵抗して戦う用意はあっても防ぎきれない攻撃を受ける可能性が有る事をソ連政府に分かって欲しかったのだ。なぜなら、キューバを侵略から守る為に、我々と共に戦う覚悟をしていたソ連軍がこの キューバにいたからである。
我が国民がこの危機においていかに立派にふるまってきたか、また決断の時、二つの国の国民の間にどんなに深い友情が生まれたか、我々と共にいたソ連軍兵士 がそれを一番良く知っている。
至上の尊厳をもって死ぬ心構えさえできていた多くのキューバ人そしてソ連人が、突然、かつ予期せぬ、無条件の軍の撤退という 決定を聞いて、涙を流しさえもしたのだ。
キューバ国民がどんなに国と人類に対するおのれの責務を果たそうとしていたか、貴殿にはおそらくわからないだろう。貴殿は我々がただ自分達のことだけをを 考えて行動していたと思っているのではないか。
そうではない。ある一国の国民がこれほどまでの危機にさらされたことはいまだかつてなかったのだから。一国の国民が自分の義務についてこれほど世界的な認識を持って、戦い、死ぬ覚悟さえできていたことは、世界史上皆無であろう。
もし核戦争が起きるとしたら、貴殿も言っているように、我々は皆死んでしまうだろう。そういうことは我々も分かっている。しかしその故にこそ、ミサイルを撤去しないよう、帝国主義者に対し譲歩しないよう、お願いしたのだ。
貴殿は我々が戦争を欲していたとお思いか。しかし実際に侵略が起りそうな時に、それをどう防げばよいのか。まさにそのような事態が起きたのである。
問題の本質は、帝国主義者が問題を起こし、解決をことごとく妨害したことである。そして彼らの要請が、ソ連にもキューバにも受け入れがたいものであったということなのだ。11月01日
1:00AM ウタントがスチーブンソンにハバナ出発前の予告.ミサイル撤去をめぐり,ソ連とキューバの関係が険悪化しているとする.ソ連軍はイリューシン28も含め,米国の要求する兵器の撤去に,完全に従うつもりでいる,
10:00AM ケネディ,イリューシンとミサイルの基地に対する低空偵察を許可.ただし偵察機が撃墜された場合も,即座の報復攻撃は避けるよう指示.
2:59PM ケネディ,ミコヤン訪米に備え,イリューシンの撤去について明確な言質を取るよう,交渉担当者(ジョン・マクロとスチーブンソン)に指示.
7:30PM ミコヤン,ニューヨーク入りし,直ちにスティーブンソンとの交渉開始.米国は「攻撃型」兵器とみなしたもののリストをミコヤンに手交.
攻撃型兵器のリスト: 中距離・準中距離ミサイル、その弾頭、爆撃機IL−28、短距離ミサイル、魚雷艇KOMARなど。戦術ミサイル・ルナは、射程距離が短いため除外される。
8:30PM カストロ,ウタントとの交渉を終えたあと放送演説.ウタント国連事務総長のミサイル基地国際視察の受入れ提案を拒否したと発表.「我々はかつてなくソ連の指導性に確信を持っている.我々はソ連の高潔な友情を忘れてはならない」と述べつつも,今回のソ連の判断には同意できないとし,食い違いを明らかにする.そして査察の拒否と五項目要求とをあわせ,「20世紀におけるバラグア宣言」と表現する.
1日 偵察機による写真で,すべてのMRBMおよび発射施設が取り壊され,撤去されていることが確認される.IRBM基地は建設が中止され,一部では撤去作業が開始されている.一方,イリューシンの基地は建設作業が続いているが,爆撃機そのものが増えているのか減っているのかは確認できない.
11.1 米国は海上封鎖を再開,再び緊張が高まる.
11月2日
10:00AM エクスコム会議.ケネディはイリューシン撤去のため引き続き圧力をかける方針を確認.海上隔離を続けるが,ソ連船への強制臨検は禁止する.
午前 スチーブンソン,米国の考える「攻撃型兵器」のリストをミコヤンに手渡す. 1.米国を直接のターゲットとする地対地ミサイル,このための推進燃料,化学物質. 2.攻撃機に積載する空対地ミサイル,爆弾,誘導ミサイル. 3.これらの兵器に装着可能なすべての弾頭. 4.イリューシン爆撃機. 5.上記の兵器を操作するための通信・補給・発射用資材.これにはコマール級魚雷艇も含まれる.
5:30PM ケネディ,短時間のテレビ演説.「昨日の航空写真により,ソ連のミサイル基地が撤去されつつあることが確認された.キューバの国際査察は赤十字国際委員会があたるのが適当であろう.しかし我々は,攻撃的な武器が全面撤去されたとしても,キューバ封じ込めの政治・経済政策を撤廃するつもりはない」
午後 ミコヤン,ニューヨークからハバナに到着.カストロの五項目要求を支持すると発言.米軍侵攻を信じるカストロは,ソ連の頭越しの妥協に怒り,ミコヤンとの会見を拒否したが,アレクセーエフの説得により承諾したという.ミコヤンとの会談の結果,ソ連軍の実戦部隊一個師団を残すことを条件に,ミサイル撤去に同意.ミコヤンの滞在は24日間にわたる.
11.02 カストロ,「米国はキューバに恥をかかせるためにミサイルの点検を要求している.我々はこの要求を受け入れない.兵器を引き揚げるというソ連の決意は十分に信じられる.米国が点検を求めるそれ以上の権利はどこにあるのか? そもそも米国にはキューバに侵略する権利などない.米国の要求は,いわば泥棒をしないという誓約と引き換えに,我々が査察を受け入れろということだ」
11月03日
9:00AM ミコヤン,ハバナ市内のカストロ私邸で初の公式会談.アレクセエフのみ同席.カストロは単独で会談に臨む.カストロは「ソ連は自分の武器をキューバから持ち帰る権利をもっている.賛成はできないがその権利は尊重する」と発言.会議開始直後にミコヤン夫人急死の訃報が入る.ミコヤンは同行した息子セルゴをモスクワに戻らせ,自らはキューバに残留する決断.
4:30PM エクスコム,第19回目の会議開催.議論は査察問題とイリューシン問題に集中.ケネディはイリューシン問題では一切妥協しないとの姿勢を明らかにする.
8:44PM ケネディ,ニューヨークでの交渉担当者に新たな公式指示を発令.「ミサイル基地の撤去は確認されたが,イリューシン基地の建設は続いている.また潜水艦基地の建設を思わせる兆候もある.SAM基地の将来は不確実である.これらすべてが撤去され,ソ連軍基地がなくなることが合意の内容である」
3日 クズネッツォフソ連外務次官が、スチーブンソン米国連大使及びマコーンCIA長官と会談。キューバのMRBMが42基であることを明らかにする。米統合参謀本部は48基が存在するとし、船舶による確認を拒否し、現地確認をもとめる。
3日 ケネディ,フルシチョフの30日付書簡に対する返書.隔離作戦解除のためには,ミサイル撤去の査察と検証が必要と主張.カストロが現地視察を承認しなければ重大な事態になるとし,「ミコヤンの交渉を成功させるためにも隔離の継続が援助となるだろう」と述べる.
11月04日
昼 ジョン・マクロイ,ソ連代表クズネツォフを私邸に招き,昼食をともにする.クズネツォフは,2日の時点でキューバ国内のミサイル基地の撤去は完了したと報告.米軍艦船によるソ連船舶の海上査察を提案する.その見返りとして隔離作戦の終了と,キューバを侵攻しないこと,カストロ暗殺作戦を中止することの確約をもとめる.
3:15PM ケネディ,マクナマラ宛にメモ.「ロシア人はもう一度海上で戦いを挑んでくるかもしれない.アンダーソン提督は,海上決戦のために,連中がひそかに海軍基地を建設するかもしれないといっている.これを防ぐためには潜水艦も攻撃兵器のリストに指定する必要がある」
11.4 ミコヤンとキューバ首脳との会談.キューバ側の出席者はフィデルのほかドルティコス大統領,ラウル・カストロ国防相,ゲバラ,エミリオ・アラゴネス,C.R.ロドリゲス.
11月4日会談の概要
ミコヤンがソ連の態度を全面的に表明.今回の解決は,核戦争に突入せずにキューバ侵攻を防止できたという点で,ソ連=キューバ側の勝利だとする.同時に「外交の分野ではまだすべきことが残っている」と述べる.
一連の事態に対するキューバ側の誤解を解くため,無期限にキューバに滞在すると表明.
ドルティコスは「我々はまだ米国の侵攻中止の約束を手にしていない」と質問.ロドリゲスは「何をもって勝利というのか」と質問.
ミコヤンは「さまざまな軍事的悪条件を考えるなら,米国の侵攻を中止させ海上封鎖を解除させたことが最大の勝利」と答える.
「キューバにソ連の基地を作ることは本来の目的ではなく,キューバを侵攻から守るためのものである.撤去は本質的な敗北ではない.むしろあらゆる外国基地を撤去させることが目標だ.カストロへの事前通告を行わなかったことについては,ケネディが24時間以内にキューバ攻撃を開始するとの最後通告を送ってきたためだ.計画を翻訳して暗号化する作業,これを解読する作業を往復するだけで24時間は過ぎ去ってしまう.いったん戦争がはじまれば,もはやケネディに止める力はなくなだろう.侵攻作戦の発動を阻止するには今しかない,そして侵攻阻止という目標においてキューバの同士も意見が一致するだろうという前提で決断した.トルコの基地云々は米国内で行われている議論であり,いまの我々にとってはどうでもよい」
手紙のつじつまが合わないとするフィデルの質問に対し「フルシチョフの手紙には26日付と27日付の二つがあり,26日のものは公表されていない.当然ケネディの密書も公開されていない.トルコ問題は後から付け加えられたものだ」とあきらかにする.
「トルコ基地の代わりにグアンタナモ返還を要求しないのか」との質問に対して「いまの軍事バランスを考えれば,グアンタナモの返還と引き換えにソ連の完全撤退を行うのは自殺行為だ.さらにこの要求に固執すれば米軍内部タカ派の強い反発を呼び,ケネディの立場をさらに微妙にするだろう」
この後検証問題をめぐる長い討論が続く.11月05日
フルシチョフ,ケネディ宛てに3ページにわたる親書.米国がイリューシンとコマール級魚雷艇を「攻撃型兵器」と指定したことに憂慮の念を表明.米国の追加要求は,両国の関係を数日前の状態に戻すことになりかねないと警告.
ソ連艦船,MRBMおよび発射用機材の送還を開始.送還作業は11月9日まで続く.
ケネディからマクナマラ宛てのメモ.キューバ侵攻計画は見込みうすになったと述べる.マクナマラは7日にCINCLANTと統合参謀本部の合同会議を開き,侵攻計画の見直しを要請.
ロバートはドブルイニンと会見し,イリューシン撤去を迫る.米国の要請を受けたウタントは,クズネツォフと会談しイリュ−シン撤去を求める.クズネツォフは「イリューシン撤去は新たな問題であり,直ちに対応はできない」と返答を保留.
米国の偵察機とキューバのミグ戦闘機が初の接触.両者が発砲しなかったためそのまま別れる.マクナマラと統合参謀本部は,この問題を公にはせず,外交ルートを通じてソ連に抗議.偵察飛行はさらに続行することとする.
11.05 ハバナ会談,三日目を迎える.
会談の経過: まずミコヤンがフルシチョフとケネディのやり取りを詳細に報告.カストロはミコヤンの努力に応じ,「ソ連との間の揺るぎのない完全な信頼」に「謝意」を表す.その後,ミコヤンはウタント提案を受け入れる立場から,戦略ミサイル基地の査察か,ミサイル搬出作業の監視しか検証の方法はないとし,キューバの港湾に停泊中のソ連船に対する臨検を認めるよう提案.会議は一気に紛糾.カストロは「一方的な査察受け入れは人民のモラルにかかわる」と反対.ソ連の助けなしでも国を守り抜くと主張し,港湾もふくめ一切の国内査察を拒否.
11.05夜 第四回目の会議.出席者はドルティコス,ゲバラ,C.R.ロドリゲス.カストロは体調を崩したとの理由で欠席.
会談の経過: ドルティコスはキューバ領内でのいかなる査察も拒否すると返答.公海上での臨検を主張.ゲバラは「ラテンアメリカの革命家たちはソ連の態度に極めて困惑している」とソ連を厳しく批判.ミコヤンはブレスト・リトフスク条約にかかわるレーニンとブハーリンの論争を引き合いにしながら,ゲバラを説得.レーニンを引き合いに出したことについてはC.R.ロドリゲスが批判.
11.05 米ソ両国,キューバ領海を離れた船舶を,赤十字国際委が公海上で査察することで同意.
ケネディ大統領の軍縮問題顧問ジョン・マックロイが海上確認方式を提案。「撤去については空から航空機によって、搬出については接近したアメリカ船によって行われることとなる。
11月06日
ケネディ,フルシチョフ宛てに書簡.イリューシン爆撃機は米本土を核攻撃する能力があり,米国にとって軽視できない問題とする.また補強された4個連隊がキューバに残留していること,潜水艦基地の建設の可能性があることも指摘し,イリューシン問題での妥協を求める.
11月07日
4:02PM モスクワ駐在大使コーラーが本国に打電.「この10日間の出来事は,疑いもなくソ連の指導者を震撼させた.ある指導者は私の妻に“神を信じたい気分だ”と語った.しかしこの問題で指導部内に分裂が生じたとはいえない」
5:00PM ケネディ,エクスコムで「イリューシン撤去が確認されれば,侵攻中止を正式発表する」と述べる.会議は撤去の方向が明らかになるまで,結論を保留.
9:32PM ラスク,スチーブンソンに訓電.イリューシン撤去に最大の努力を傾けるよう指示.事実上,コマール級魚雷艇を「攻撃型兵器」のリストから取り下げる.
11.07 ソ連,ミサイル撤去船が米海軍の洋上点検を受けることに同意.フルシチョフは十月革命記念レセプションで,キューバ危機は去ったとし,危機回避を「理性の勝利」と述べる.中国の陳毅外相,キューバを支持.屈辱的譲歩を許さずと演説.
11月8日
4:30PM エクスコム会議.イリューシン撤去のためどのように圧力をかけるかについて討議.ケネディらは,同盟国に対しキューバ経済封鎖を強化するよう要請することで局面打開を検討.強硬派は空爆や対カストロ秘密作戦の強化を含めたオプションを提起.
8日 キューバ国内に潜入したCIA破壊チームのひとつが,予定された工場に爆弾テロを実行.この事実はエクスコムの大半のメンバーには知らされなかった.
8日 キューバ国防省,「知りうる限り,キューバ国内のすべてのミサイル基地が撤去された.ほぼすべてのミサイルがすでに船出したか,港で船出を待っている」と発表.
8日 ウタント,現地確認のための新提案.アジア・アフリカ・ヨーロッパ・ラテンアメリカ5ヶ国の在ハバナ大使が,ミサイル撤去を現認するというもの.キューバは,ほかのもろもろの提案と合わせ,11日に一括拒否の回答.
11.8 米国,ソ連船に搭載されたミサイルを空中査察することでキューバのミサイル基地撤去を確認.ケネディは「すべての攻撃用兵器が撤去されたとしても,対キューバ敵視政策と経済封鎖をやめるつもりはない」と声明.
11月9日
ミサイルを搭載した最後のソ連船が,キューバを離れる.5日以降,マリエルから6隻,カシルダから2隻が出航し,うち5隻が米航空機による海上臨検を受ける.
11月11日
米国防総省、ソ連船9隻の海上査察を終了し、キューバから42基のミサイルが撤去されたことを確認。
11月12日
11:00AM エクスコム会議でスチーブンソンが交渉経過を報告.「イリューシン問題はデッドロックに乗り上げた」とする.さらに明確な「侵攻中止」の表明,隔離の終了などを取引材料とする議論がなされたが,明確な結論は出ないまま.ケネディは,「ソ連側に誤ったシグナルを送らないため」,戦略空軍の警戒レベルを現在のまま,引き続き維持するよう指示.
12日 フルシチョフからケネディ宛てに,ミサイル撤去の完了を知らせる親書.フルシチョフは,ケネディのライバルであるニクソンが,カリフォルニア州知事選に落選したことを取り上げるなど,親密さを示す.
12日 夜 ケネディ,ロバートと会談.ドブルイニンと会見し,「フルシチョフのイリューシン撤去の約束に満足していること,撤去の期限については急がないこと」を伝えるよう指示.ロバートは「無効1ヶ月ほどの間にイリューシン撤去を完了する」よう要請.
11月13日
午前 エクスコム会議,引き続きイリューシン問題について議論.アレクシス・ジョンソンが提案をまとめる.提案の中身は交渉が不調のまま推移すれば,隔離の強化,カストロへの外交的圧力の強化,低空偵察飛行の強化を実施するというもの.また,最後の手段として直接空爆によるイリューシン破壊も提示する.
11月14日 フルシチョフ,さらに親書を送付.「この2,3ヶ月のうちにイリューシンが撤去されるだろう」と述べる一方,「米国は低空飛行も,隔離政策も中止せず,“不侵攻”の誓約を明確にすることも怠っている」と非難.
11月15日
7:00PM カストロ,ウタント宛てに5ページからなる返書.5項目の要求を再確認.偵察飛行に警告。
返書の内容: ミサイル撤去は確認済みのことであり,一方的な査察提案に対しては,どの国であろうと,たとえ国際機関であろうと断固拒否する。
わが国の領空を侵す偵察機は,自らの安全を脅かしていると知るべきだ.17日以降,我々は主権を守るためのあらゆる手段をとる.たとえわが国が破壊されようとだ。15日 米情報筋,「ソ連軍のキューバ防空に関する権限は,すでに大幅に制限されており,キューバの戦闘機がハバナ上空で低空飛行の訓練を積み上げている」と報告.
15日 ケネディ,フルシチョフ宛てに親書.
親書の内容: あなたの側で行動を起こすべき三つのイシューがある.ひとつはイリューシンの撤去,確認のための取り決め,そしてふたたび導入しないという保証である。国際的査察が実施されなければ、キューバ不侵攻は約束できない
11月16日
7:00AM 第二次大戦後最大の,陸海共同の上陸作戦が始まる.ノースカロライナのオンスロー海岸で,キューバ侵攻のリハーサルとして実施.2日間の演習には,海兵隊6個大隊からなる上陸チームが参加.4個大隊は上陸用舟艇により,2個大隊はヘリによる上陸を想定.
4:05PM 統合参謀本部のテイラー議長,ケネディと会見し上陸作戦の準備状況を報告.まず隔離を強化し,これでもイリューシン撤去が実現しなければ,空襲に踏み切るべきと進言。
統合参謀本部の報告: 陸軍部隊10万,海兵隊4万,空挺部隊1万5千が戦闘準備を完了したとする.さらに侵攻を支援するため,550の航空機,180の艦船が出動態勢に入った。
この状態は最長30日間維持することが可能である.16日 ケネディ,キューバ上空での低空偵察飛行を中止する指令.いっぽうでキューバ防空勢力の能力外を飛ぶU2機については飛行を継続する.
16日 カルロス・レチュガ新国連大使(10月31日発令)が国連総会で演説。ブラジルが米国の示唆を受けて提案した「ラテンアメリカ非核地帯構想」を批判。
演説の内容: まず核大国がラテンアメリカにおける核の不使用を宣言すべきである.そして外国基地の閉鎖を実行すべきである.キューバが友好国に基地を提供するのが許されない一方,敵対国に基地を提供しなければならないのは論理的に矛盾している。(グアンタナモの米軍基地のことを指す)
11月18日
18日 ニューヨークでマラソン会談.米国側は国務省のジョン・マックロイとスチーブンソン.ソ連側はクズネツォフとゾーリン国連大使.米国側は「20日午後6時からケネディの記者会見が予定されており,それまでにイリューシン撤去の確約をほしい」と要請.さらにミサイル撤去の現地確認がなされていないこと,ソ連軍の増援部隊が依然キューバに残留していることも挙げながら,妥協を迫る.クズネツォフは確約を与えず.
11月19日
10:00AM エクスコム会議.ケネディは航空偵察飛行に承認を与えるが,低空飛行については引き続き停止を指示.
午後 ロバートはボルシャコフと会見し,明日のケネディ記者会見までにイリューシン問題について確約がない限り,低空偵察飛行を再開すると通告.
8:25PM ケネディからドゴール,アデナウアー, そしてマクミラン宛に親書.
書簡の内容: 状況は10月のときほど危険ではない。しかしフルシチョフを追い込むことになれば,状況は10月より悪くなる。
もしイリューシン撤去が実現しなければ,隔離・偵察飛行を強化する。偵察機に攻撃があればキュ−バ空爆の可能性もある。19日 カストロ,ウタントに通告.IL−28の撤去に不同意ではあるが、それを妨害しないと述べる。
カストロ書簡: ソ連がイリューシンを撤去するというのなら,我々はそれに反対しない.なぜならそれはソ連の所有物だからだ。
しかし一方的査察は許さない。キューバに侵犯する航空機は撃墜される覚悟を持つべきだ11月20日
午前 ケネディ,ソ連大使を通じフルシチョフに口頭のメッセージ.記者会見で米軍の警戒水準を緩和すると発表するむね通告.
午前 フルシチョフ,14ページにわたるケネディ宛書簡でイリューシン撤去の方針を公式に明らかにする.
フルシチョフの書簡: リューシンは開発から12年を経た旧型機であり,攻撃型兵器に分類されるような代物ではない。アメリカの要求は11月になって突然持ち出されたものであり,当初は一言も言及されていなかった。
記者会見ではキューバ国民の感情を傷つけないように表現するよう要請する.3:30PM エクスコム会議.フルシチョフ書簡をめぐり議論.隔離作戦の停止,SACの警戒態勢の解除,低空飛行の禁止で合意.U−2機の偵察飛行はイリューシン撤去が確認されるまで続けることとなる.
6:00PM ケネディ記者会見.フルシチョフ書簡を受け、隔離作戦の停止を発表する。
ケネディ声明の要旨: 本日フルシチョフ議長から,1ヶ月以内にキューバ国内のすべてのイリューシンを撤去するとの確約を得た.これを受けて国防省に隔離作戦の停止を指令した.現地確認ができない状況のもとで“不侵攻”を宣言することはできないが,キューバが共産主義の輸出のために,それらを使わない限り,カリブ海の平和は保たれるだろう
6:45PM ケネディ,海上封鎖の解除を指示.政治・経済封鎖は引き続き継続.ケネディはミグ戦闘機とソ連軍事顧問のキューバ残留を黙認.
11月21日
21日 キューバから最後のミサイル撤去.ケネディはフルシチョフに書簡を送り,イリューシン撤去の決断を歓迎.「現経過がこのまま続くのなら,キューバ侵攻を恐れる必要はまったくない」と保証.
21日午前 米海軍,キューバ隔離作戦を全面解除.
PM マクナマラは,空軍1万4千,海軍,海兵隊の予備役召集を解除.統合参謀本部,戦略空軍に対しDEFCON2を解除し,通常の警戒態勢に復帰するよう指令.ソ連とワルシャワ条約機構軍も,23日以来の緊急動員を解除.4万2千人のキューバ駐留ソ連機甲化師団は「教育旅団」として残留.
9:49PM ラスク国務長官,スチ−ブンソンとマックロイ宛ての訓電で,現状を総括.
ラスク訓電の内容: ソ連側には現地確認の問題,再導入しないとの確約,一方米国側にはキューバ不侵攻の公式保証の問題が未確定部分として残されている.
米国は,「キューバ不侵攻の保証はキューバ側の態度にかかっている」と表現すべきだ.これらの点を明らかにするため,国連安保理までに両国が個別に声明を発表するのが望ましい。11.21 撃墜されたU2機パイロットの遺体が米国に送還される.
11月22日 フルシチョフからケネディ宛ての5ページの親書.「キューバの指導者たちは若くて気さくな連中,一言で言えば典型的なスペイン人だ.決して蔑視してはならない。カストロの独立にかける情熱を評価したうえで政策を選択すべきだ」と要請.
11.22 キューバ軍も動員を解除する。
11.25 ケネディ,キューバ基地の国際査察を要求.
11.26 ミコヤン,キューバからの帰途ケネディと会談.フルシチョフの交渉重視の姿勢を伝える.
11.27 キューバ政府,ケネディの演説に応じ,「米国内の亡命者訓練基地を公開するなら,査察に応じる」と反論.
11月 ジェームス・ドノバン弁護士を窓口とする,侵攻部隊の解放交渉再開.同額の医薬品との交換で,釈放することで合意成立.
11月29日
10:00AM エクスコム会議.イリューシン撤去後の対キューバ政策について検討.ケネディは「カストロに対し長期にプレッシャーをかけ続ける」よう指示.事実上,マングース作戦の凍結を示唆.
4:30PM ケネディとミコヤンが会談.ミコヤンは繰り返し,キューバ不侵攻の確約をもとめる.ケネディはキューバ侵攻の意思はないことを確認するが,ミサイル撤去の現地確認ができなかったことを理由に,公式文書とすることは拒否.
12.2 カストロ,国民への放送.「ソ連とのあいだに意見の違いを生じたが,この溝を広げることは米国を利するだけだ」と自重を呼びかける.
12月03日 マックロイとクズネツォフが,ニューヨークのウォルドーフ・ホテル,ついでコネチカットのマックロイ邸で会談.
12月04日 エクスコム会議.将来の対キューバ政策について検討.マコーンCIA長官はU−2の偵察飛行の続行を主張.第二の撃墜事件が起きれば,SAM基地を爆撃することを主張.
12.04 エスカンブライ第二戦線を名乗る高速艇二隻が,ビリャ・クララ州カイバリエンの港を攻撃.他にも高速艇による海岸部の奇襲攻撃が続く.
12月5日 スチーブンソンとマックロイ,現地査察の実現にこだわるケネディとラスクに対し「すでに撤去完了しており意味がない」と異議申し立て.これ以上条件にこだわれば,かえって世論の支持を失うと警告.
12.07 ソ連,米に攻撃兵器の撤去が完了したことを通告.
12月10日 フルシチョフからケネディ宛ての書簡.いまこそキューバ問題に決着をつけるべき時だと述べる.ソ連がミサイル撤去の約束を遵守したように,米国もキューバ不侵攻の約束を守るように要請.
12月12日 フルシチョフ,ソビエト最高議会で2時間半にわたり演説.米国がキューバ不侵攻を確約したと強調.「しかしもし米国がキューバに侵攻すれば,キューバは無防備のままでいることはありえないだろう」と述べる.
12日 ケネディ,記者会見.キューバのすべての戦略ミサイルとイリューシン爆撃機の撤去が確認されたと発表.さらにホワイトハウスとクレムリンを結ぶホットラインの設置を提案.
12月14日 ケネディ,11日のフルシチョフ書簡に対する返書.フルシチョフの柔軟性に対し感謝を述べるとともに,「キューバ問題の最終決着が早期につくことを望む」と述べる.
12月17日 ケネディ,放送記者会見に臨む.「ソ連がキューバにミサイル基地を建設しようとしたのは,戦力バランスを変えようという野望の現れだった.それは一歩間違えればすべてが吹き飛びかねない危険なときだった」
12月19日 フルシチョフからケネディへの親書.「核実験を全面禁止するときがきた.キューバ危機を回避したことで,我々は,核兵器の使用というあからさまな脅迫から人類を守った」
12月 フルシチョフ,ケネディ宛書簡で核国際査察についての譲歩案を提示.部分確定条約への意欲を表明.
63年1月
1.2 カストロ,革命4周年集会で演説.「われわれに欠けている最大のものは,敵に対する社会主義陣営の総力の結集である.いまこの問題が由々しいものであることを率直に認めなければならない」
1. 04 トルコ政府,国内に配置された15基のジュピター型IRBMを段階的に廃棄すると発表.これに続きイタリアも国内の30基のジュピター・ミサイルを破棄する意向を発表.
1月4日 NSC内の政策立案グループ,エクスコムに代わりキューバ政策を討議.バンディ補佐官がカストロ政権と段階的に関係を修復する構想を提案.この他に軍部の強硬案,経済封鎖強化案などが入り乱れ混乱.
1月7日 米ソ両国,ミサイル危機の終焉を宣言する国連共同声明に調印.ウタント,スチーブンソン,クズネツォフが署名.「すべての問題が解決したわけではないが,ケネディ- フルシチョフ 了解をもとに満足すべき進展があった」と述べる.キューバのレチュガ国連大使はウタントに抗議文を送り,五項目要求が満たされない限り,米ソ両国の合意に賛同することはできないとする.
1月11日 ラスク , 上院外交委員会の秘密聴聞会で証言.米国が非公式にキューバ不侵攻の保証を与えたことを明らかにする.また,ケネディ- フルシチョフ 了解の最大のポイントは現地査察と戦略兵器の再持込みをしない保証であるが,これらはいずれも相手政府の公式見解ではないことも明らかにする.そして「もしカストロが何かしでかすなら,米国は不侵攻の保証にとらわれることはない」ことを強調.
1月15日 クズネツォフ,米国を去るにあたりケネディと会談.不侵略の明言を迫るが,ケネディはこれに応ぜず.
1.25 1ヶ月ぶりにエクスコム会議.カストロに圧力をかけるための長期戦略を検討.最終目標を「米国の目標に完全に適応できる政府にとって変える」ことに置く.カストロの失脚を狙いつつも,それが不可能な場合はソ連との関係を断つように仕向けるよう求めることとなる
1月下旬 SGAの段階的廃止が始まる.これに代わり国務省を中心とする特別グループが編成される.バンディを議長とする.マングース作戦は廃棄される.
4月 トルコのNATO軍基地からジュピター・ミサイルが撤去される。