米国奴隷制度年表

 1619-1789

1619 ジェームズタウンにアフリカ人奴隷20人が到着.オランダ人の奴隷商人が持ちこみ,食糧と交換.同時に英国人女性90人が輸入され,一人あたりタバコ120ポンドと交換される.当時のジェームズタウンは、年間10トンのタバコをヨーロッパに輸出する新興都市であった.

一説によれば,アフリカ人は、当初は多くの貧しいイギリス人と同様に年季奉公人(Work Servant)だった.数年の年期奉公と引き換えに米国への居住権を得た.人種的な奴隷の概念は1680年代まで発展しなかった.
しかしそれは黒人の奴隷(Slave)としての地位を定義している法規が1660年代まで存在しなかったというだけのことであり,黒人がプアホワイト並みの地位だったという証拠もない.

1638 ジェームスタウンの広場で,最初の奴隷オークション.黒人23人が競売に欠けられる.

1662 バージニア総会,黒人奴隷を母として生まれた子どもは,父親の如何にかかわらず奴隷であると決議.

1667 バージニア総会,黒人への年期奉公制度を否定.黒人は生涯召使であることが強制される,この年バージニアの黒人は2000人に達する.