米国年表 その1

 

1400

95 ペロ・デ・バルセロスとジョアン・フェルナンデス・ラブラドル,グリーンランドを発見.

97.6 ブリストル(イギリス)のマタイ号,当地在住のベネチア人ジョン・カボットを船長としてアメリカ北東部に上陸.ニューファウンドランド沖にタラの大漁場を発見.

 

1500

(スペインによるフロリダと南西部への侵入についてはメキシコ年表に一括)

00 ポルトガルのガスパル・コルテ・レアル,ニューファウンドランドに至る.

01 コルテ・レアル兄弟,ふたたびラブラドル地方に上陸.インディアン57人を本国に連れ帰る.

06 オンフレールのジャン・ドゥニら,セントローレンス湾を探検.

09 カボット,英国王の命を受け北米探検.ハドソン湾に至る.

23 ジョバンニ・デ・ヴェラザノ,フランス王フランソワ一世の命を受け,カロライナからノヴァ・スコティアに至る沿岸を探索.

24 アジアに向かう北西ルートの探索が始まる.イタリアのヴェラツァノはニューファンドランドまで到達.

34 ジャック・カルティエ,フランソワ一世の命を受け,7年にわたりセントローレンス河流域を探索.北米大陸の北半分をフランス領と宣言.

35.9.7 カルティエ,二度目の北米探検.セントロレンス川を遡りケベックにいたる.数名はさらにモントリオールにまで進出.

42 ジョアン・ロドリゲス・カブリリョ,アメリカ西海岸を北上,サンフランシスコ湾に達する.

62 フランスで第1次ユグノー戦争勃発.ジャン・リボーのひきいる船団,ユグノーの後援を受けフランス人30名をフロリダに上陸させる.

83 リチャード・グリーンビル,ヴァージニア附近に上陸.ロアノーク川を探索.

83 ハンフリー・ギルバート,ニューファウンドランドを探検.イギリス領を宣言.入植が試みられるが失敗.

84.7.14 ウォルター・ローリーの派遣したイギリスの探検隊,現北カロライナ州ロアノーク島を探検.ヴァージニアと命名.

85.7.27 ローリーの命を受けたリチャード・グレンビル,ヴァージニア植民を試みるが,インディアンとスペイン人に阻まれ失敗.

87 ロアノークに第二回目の殖民.

90年ころ 先住民五カ国がイロコイ連盟を結成.モホーク族,オナイダ,オノンダガ,カユーガ族,セネカ族が参加する.支配地域はニューヨーク,ペンシルバニア,オハイオ,ニュージャージー,カナダにまたがる.中で優位を占めるモホークがヨーロッパとの毛皮取引の窓口となる.

91 ロアノーク植民地は廃墟と化し,住民は消滅.

1600

00年ころ 馬の使用は,メキシコから南西部,さらにグレートプレーンズに広がる.羊と毛織織機が導入される.

07.5.24 ロンドンとプリマスの王立植民会社の船隊,バージニアのチェサピーク湾に上陸.ジェームスタウンに植民地を建設. まもなくインディアンの襲撃を受けるが撃退.

07.12 ヴァージニアの指導者ジョン・スミス,パマンキー族インディアンに捕らえられ死刑を宣告されるが,ポウハタン族長の娘ポカホンタスに助けられる.

08.7.3 サミュエル・ド・シャンプレーン,ケベックを建設.五大湖地方を版図にいれ,ニュー・フランスを創設.総督に任命される.

09.7 シャンプレーン,アルゴンキン族,ヒューロン族と手を結びイロコイ族を攻撃.ニューヨーク州まで進出.

09年 英国人ハドソン、オランダの東インド会社に雇われマンハッタン島とノース・リバーを探検。先住民との交易を行う。

1610年

13 ヴァージニアのアーゴル提督,ジェイムスタウンを出港.北米北東岸のフランス植民地を攻撃.

14 バージニアで先住民ポーハタン族の援助を受けタバコ栽培開始.ヨーロッパでの消費拡大を受け大成功.インディアンと本国から徴収された年季奉公人を使役するが,脱走者の続出により労働力不足に悩む.

14 新ネーデルランド会社,ハドソン河口に植民地建設.

15 シャンプレーン,ブリュレとともに五大湖地方を探検.

16 ウィリアム・バフィンがランカスター海峡まで到達.太平洋への連絡路は発見できず.

16 ニューイングランド一帯でペストの大流行.原住民人口は激減.

18年 新ネーデルランド会社が破産。オランダ・西インド会社が資産を引き継ぐ。

1619年

5.11 白人女性囚140人が,ジェームズタウンの奴隷市場で競売される.数週後にはさらに別の百人あまりがセリにかけられる.

7.30 ジェームスタウンで初のバージニア植民地議会開催.

8.9 オランダの私掠船,ジェームズタウンで黒人奴隷を販売.バージニアにおける奴隷売買の開始.

1620年

20.11.19 メイフラワ−号に乗り込んだ清教徒の一派ピルグリム・ファーザーズの一行102名,プリマス北方のコッド岬に到着.伝染病の流行により半年間に半数が死亡.

22.3.22 ポーハタン族のオペチャモカフ,インディアン連合の指導者としてバージニアの植民地と紛争.イギリス人移住者数千人のうち347人が殺害される.

22 アレグザンダーら,ノヴァスコシア植民を開始.

23 シャンプレーン,インディアンとの毛皮取り引きの中継地としてケベック市を建設.

1624年

5.06 コルネリウス・ヤコブセン・メイのひきいるプロテスタント植民団,30家族がニューヨーク湾に到着,ニューネザランドを建設.農業を営みながら、カワウソとビーバー毛皮の交易を行う。

5.24 バージニア,直轄の王領植民地となる.

24 パウハタン族同盟がヴァージニア植民地を攻撃.

26 ニューネザーランドのオランダの植民地への本格的殖民が開始される.初代総督 ピーター・ミニット,マンハッタンをアルゴンキン族より26ドルで購入,ニュー・アムステルダム要塞を建設。

29 オランダ人、ハドソン谷に植民地を拡大。さらにニュージャージー北東部,ロングアイランド,コネティカットの領有を主張.

1630年

6.12 ウィンスロープら900人のピューリタンが,マサチューセッツ湾のセーラムに入り,植民地建設を始める.

9.07 ウィンスローブら,あらたな植民地をボストンと命名.その後ピューリタンが大挙してマサチューセッツに移民.

10.29 最初のマサチューセッツ総会議開催.選挙法(ケンブリッジ合意)を制定.

30年 モホーク族を中核とするイロコイ連合、フランス人が支配する五大湖周辺の毛皮の交易を自らの統制下に置くことを狙う。オランダ人やイギリス人から武器を調達し、ヒューロン族やオタワのアルゴンキン族を攻撃。15年にわたるイロコイ戦争が始まる。

32 アレグザンダーら,フランス人勢力とのたたかいに敗れ,ノバスコシアを放棄.

33 オランダ船,コネティカット沿岸を探検し,現ハートフォード付近にニュージャージー植民地建設.

34 ボルティモア伯の出資によりセント・メアリ植民地(メリーランド)植民地建設.

35 スエーデン人トーマス・ヨン,デラウェア湾を探検.

36 マサチューセッツ州ケンブリッジにハーバード大学創立.

36 マサチューセッツで,ピコート(Pequot)族を中心とする原住民のワムパグワック連合とのあいだにピコート戦争勃発.

37 エンディコットを指揮官とするマサチューセッツ軍,ピコート族を壊滅に追い込む.

37 マサチューセッツで黒人奴隷の輸入開始.

37 ロジャー・ウィリアムスら,マサチューセッツを離れロードアイランドにプロビデンス植民地を建設.

38 スエーデンの南方会社、デラウェア川の岸沿いにニュースウェーデン植民地を建設(現代のウィルミントン周辺)

38年 ニューアムステルダムに最初の学校が設立される。

38 ダベンポートら,ニューヘブン植民地を開く.

39.01.24 コネティカット植民地ハートフォードで,近代民主主義思想をもつ「コネティカット基本法」(Fundamental Orders of Connecticut)が制定.

40年 ニューアムステルダムで最初の先住民反乱。

1641年

10.14 メゾンネーブとシャンプレーン,モントリオールを建設.

12.10 マサチューセッツ植民地議会,ナサニエル・ウォード起草の自由法典を採択.戦争により獲得したもの以外の奴隷所有を禁止.

43.5.19 マサチューセッツ,プリマス,コネティカット,ニューへブンの4植民地,インディアンとオランダの脅威に対抗するためニューイングランド連合を結成.

44 バージニアのインディアン首長オペチャカモフ,ふたたび反乱を試みるが失敗.とらえられ処刑.

46年 ニューアムステルダムに蘭領ブラジルから最初の奴隷船が到着。

49年 ニューアムステルダムで植民者の反乱。首謀者 Adriaen Van der Donck が逮捕される。

51年 イギリス議会、イギリスに輸入される商品はイギリス籍船舶に限るとする Navigation法を可決。オランダ船への攻撃を承認する。

52 第一次英蘭戦争開始,54年まで続く.オランダ,イギリスに攻撃され弱体化.英国,航海条令を制定しオランダ船舶への攻撃を合法化.

53年 ニューアムステルダムに限定付きの自治が認められる。

55.9.26 オランダ植民地総督ペトルス・ストイフェサント(Stuyvesant),デラウェア植民地をスエーデン人より奪取.

56 ニューネーデルランド植民地総督と評議会、改革派教会以外の宗教的会合を禁止。ルーテル教、クエーカー教、ユダヤ教に対する弾圧。

56 ロードアイランド植民地,奴隷制反対法を可決

57年 イロコイのオネイダ族、3人のフランス人を殺害。ニューフランス総督は領内に居住するイロコイ12人全員を逮捕。これに抗議するイロコイの戦いをきっかけに10年にわたる第4次イロコイ戦争が始まる。

1660年

60 オランダ人,ベルゲン(現ジャージーシティ)に植民.ニュージャージーで最初の永久的ヨーロッパ植民地となる.

61 バージニア議会で奴隷制度法制化.黒人奴隷を終身制とし,白人奉公人と差別する.

61 ニューアムステルダムのブルックリンに最初の公立学校が開設される。

62 クエーカー教徒(Quakers)の入植開始.

63 ケベック州,フランスの王領植民地となる.

63 Half-Way Covenant契約(?)

1664年 第二次英蘭戦戦争

3月 第二次英蘭戦争開始.67年まで続く.チャールズ二世は,弟のヨーク公にオランダ植民地の征服を命じ、ニューネザーランドをふくむコネティカットからデラウエアまでの海岸地帯を与える。

8.26 4隻のイギリス艦隊が,スタテン島沖に到着。

9.04 イギリス艦隊、マンハッタン島のニューアムステルダム要塞を包囲.

9.06 ニューアムステルダム,英軍に降服.

10.4 ニューアムステルダム,ニューヨークと改称.この時点で戸数350、人口1500人とされる。

10.10 英軍,デラウェアをオランダより奪取.メノナイト派教会のプロックホイ植民地,ロバート・カーの率いるマサチューセッツ民兵団に襲われる.女性は陵辱され,入植者全員がバージニアや西インド諸島に売り飛ばされる.

64年 フランスとモホーク族,セネカ族などイロコイ連合とのあいだに戦争勃発.

65年 ルイ14世は大砲を装備した千人の部隊を送り込む。部隊はイロコイ領地で焦土作戦を展開。

67年 イロコイ族連合がフランスに降伏。ケベックで和平条約を結ぶ。

67年2.19 ブレダ和平協定が締結される。ニューヨークの英国帰属が決定。総督領として英国に直属。

1675年 フィリップ王戦争

6 フィリップ王(メタカム酋長)のひきいるワンパノアグ族,ほかの3部族(ニアンテック族、ペンナクック族、 ノーセット族)と連合して植民者への反乱開始.ニューイングランドを舞台に2年にわたり抵抗を続ける.

11.2 ジョシア・ウィンスロー,ナラガンセット族の婦女子を大虐殺.

1676年

8.12 フィリップ王戦争終結.メタカム酋長の首は刎ねられ,プリマスの町で20年間さらしものにされる.その妻子を含めた500人が西インド諸島に売り飛ばされる.

76 バージニア植民地で,ベイコンにひきいられた白人奉公人が「インディアン討伐軍」を組織して反乱.以後,白人奉公人に代り黒人奴隷が主役となる.

76 クエーカー教徒の指導者ジョージ・フォックス,「キリストは,あなた方のためばかりではなく,黒人のためにも血を流した」と奴隷制に反対する説教.クエーカー教徒の中に奴隷制廃止の動きが始まる.

79 ベーコンの反乱.

82.4 フランスの毛皮商人兼探検家シュール・ド・ラサール,五大湖からミシシッピに出る.

82年 ペン,ペンシルバニア植民地を建設.

86年4.27 Dongan知事、ニューヨークの自治を承認。ジェームズ2世はこの措置を認めず、ニューイングランド自治領に編入。

88年 ニューヨーク総督が廃止され、ニューイングランドに編入される。

88 ペンシルバニアのジャーマンタウンでクエーカー教徒の集会.奴隷所有が窃盗に等しい忌まわしい行為であると非難する決議.

89.5.12 ウィリアム王戦争勃発.ハドソン湾をめぐる英仏戦争.

90 ラサール,ミシシッピ河口に到達.フランス領を宣言しルイジアナと命名.

91年 ニューヨークで自治派の反乱。Leisler, Milborne ら首謀者6人が逮捕・処刑される。

96年 William Kid 船長、勅許を得てニューヨークを出航、各地で海賊行為を働く。1701年にロンドンで絞首刑となる。

97.9.30 ウィリアム王戦争終結.英・西・独三国とフランスとのあいだにリュウイック(ライスウィック)条約締結.

 

1700

01.6.24 フランス人キャディラック,デトロイトを建設.ルイジアナへのフランス人の定着すすむ.

02年 ニューヨークで黄熱病が流行。人口の1割を超える570人が死亡。この頃のニューヨーク地方の人口は18,067人。市内に住むのは4,937人。

04.2.28 アン女王戦争開始.英仏間でふたたびアメリカ植民地をめぐる戦争.アベナキス族とフランス人が組んでマサチューセッツのディアフィールドを襲撃.

04 セイラムで魔女裁判.

08.12.21 フランス・インディアン連合軍が,イギリス領植民地セント・ジョンを攻略.

08年 サウスカロライナ植民地では成年白人2400人に対し,先住民奴隷1100人,黒人奴隷2900人.20年後には黒人が白人の2倍に達する.

1710年

11.09.22 ノースカロライナでタスカローラ・インディアン戦争開始. 一年半にわたり続く.

12.4.06 ニューヨークで黒人暴動発生.6人が「自殺」,21人が処刑される.

1713年

3.26 英国会社に北米,スペイン植民地への大量奴隷導入が許可される.

4.11 ユトレヒト条約締結.アン女王戦争終結.イギリスはニューファウンドランド,ノバスコシア,ハドソン湾を獲得.

15.04.15 カロライナ辺境でヤマシー・インディアン戦争始まる.

18.11 ル・モアンヌとビアンビル,ニューオリンズを建設.ミシシッピ川流域へフランス人の定着すすむ.ニューフランスの人口は5万人を越える.(フロリダからカリフォルニアにいたる地方の年表はメキシコ年表に一括)

20 フランス人,ナイアガラに砦を建設.五大湖周辺の守りを固める.

21.05.21 サウスカロライナがイギリス王領となる.

25 ブラッドフォード、ニューヨークで最初の新聞「ニューヨーク・ガゼット」を発行。

32 最初の駅馬車が運行される.

32 Great Awakening(?)

33 Hat Act (?),糖蜜法が施行される.

33 英領植民地13番目の州としてジョージア州建設.オーグルソープ(Oglethorpe)が初代知事となる.

39.9.9 黒人奴隷ケイトーの暴動.サウスカロライナで起こる.

39.10.19 ジェンキンスの耳戦争発生.

1740年

41.2.28 ニューヨークで黒人と貧民の暴動.黒人13人が焚刑、18人が絞首刑に処せられる。ほかに70人の黒人が奴隷として売り飛ばされる。スペインを支持するカトリック教会の神父が「黒人の陰謀」を組織したとされ,白人4人も処刑される.

42 ジェンキンスの耳戦争の山場となったブラディ・スワンプのたたかいでスペイン軍は大敗.

43 ジョージ王戦争.英仏間でみたびアメリカ植民地をめぐるたたかい.6年にわたりつづく.

49.11.26 プランテーション,南部に拡大.ジョージアで奴隷禁止令を撤廃.

1750年

50 このころマサチューセッツには63のラム製造会社.西インド産のサトウキビからラム酒を作りアフリカに販売.その金で奴隷を買うという三角貿易につく.

50 ジョン・ウールマン,南部諸州を回り,クエーカー教徒に奴隷の解放を説く.

1754年

6.19 ニューイングランド,ニューヨーク,ペンシルバニア,メリーランドなど七つの植民地の代表がオルバニーで会談。ペンシルバニアのベンジャミン・フランクリン議員起草になる13州の連合案を採択.

7.03 ジョージ・ワシントン中佐,民兵150人を率いオハイオ州に進出するが,フランス軍の攻撃の前にフォート・ネセシティーを放棄.フランス人,オハイオ全域を掌握.

1755年 フレンチ・インディアン戦争

7.09 フレンチ・インディアン戦争開始.ブラドック将軍の率いるイギリス軍がフランス領ルイジアナ植民地に侵入.フランスはインディアンと共同しこれを迎え撃つ.ウィルダネスの戦闘で英軍は壊滅的敗北を喫する.

8 ワシントン大佐,英軍指揮下のバージニア民兵軍司令官となる.

56.8.14 7年戦争が始まる。フランス軍はニューヨーク州北部のオスウェゴ砦を破壊.

57.8 フランス軍がウイリアム・ヘンリー砦を奪取。

1758年 フランス軍が敗勢に

7.26 イギリスは大西洋における制海権を確保。アマースト将軍の率いるイギリス軍が。ルイスバーグの攻略に成功。

12.25 フォーブズ准将の率いるイギリス軍が、デュケーヌ砦を占領。

58 フィラデルフィアでクエーカー教徒の国際会議.在英教徒の主張を受け,奴隷貿易および奴隷所有制度を糾弾する決議.これ以後,奴隷制度を支持するクエーカー教徒は,会の運営や財政管理につけなくなる.

1759年

7月 アマースト将軍の英国軍がタイコンデロガとクラウンポイントを攻略。別働隊がナイアガラ砦を攻略。

9月 フランス軍の本拠ケベック、ウルフ将軍の率いる英国軍の前に陥落.

1760年

60.9 フランス軍最後の拠点デトロイト、モントリオールが降服.フレンチインディアン戦争終結.ニュー・フランスは解体される.

61 アメリカのクエーカー教徒,「友愛協会」から奴隷貿易商を排除.

62年 フランクリンがニュージャージー総督に任命される。

1763年

2.10 パリ条約で,イギリスがアメリカにおけるフランス領の大部分を獲得.フランスと連合していた先住民部隊はこれに不満を抱く。

5.07 ポンティアック戦争が始まる。デトロイトのオッタワ族の酋長ポンティアックに指導されたアルゴンクイン族の反乱,4年間にわたりつづく.イギリスは国王宣言線を設定し,アパラチア山脈以西への入植を禁止.土地を求める植民地人の激しい反発を呼ぶ.

1764年

2.15 フランス人が,セント・ルイスを建設.

4.5 砂糖法制定.外国産品に対する高関税により植民地の経済発展を抑制.ニューヨークなど各地で英国製品の不買運動起こる.本国との対立は急速に進展. ボストンのサミュエル・アダムズら,独立運動を組織.

1765年

3.22 イギリス,植民地住民に対する印紙税法,軍隊宿営提供法を制定.

5.29 バージニアとマサチューセッツの議会,同法反対を決議.英製品不買運動拡大.秘密結社「自由の息子たち」が,実力行動を展開.

8.25 ボストンで,イギリスが制定した印紙税法に反対する暴動.各地で印紙条例に反対する反乱が発生.中でも最大のニューヨークの農民反乱は,10カ月にわたり続く.

10.07 ニューヨークで,印紙税法に反対する9植民地の代表が印紙税法会議を開催.「権利と苦情の宣言」が採択される.

11.01 印紙条例が発効する.ニューヨーク農民の大反乱が始まる.

1766年

2月 フランクリン,イギリス議会で植民地課税に反対する証言。

3月 英国政府,印紙条例を撤回.米植民地に対する課税権は保持。

07.24 ポンティアックのたたかい,敗北に終わる.オタワ族とイギリスがオスウィーゴ条約を結ぶ.インディアンはアパラチア山脈の東をすべて失う(この後のインディアン関係についてはインディアン抵抗史年表へ)

67.10 英政府、タウンゼンド法を制定し、植民地への課税をふたたび強化。米植民地は英国製品の不買運動を開始.

1768年

2月 各植民地に共闘を呼びかけるマサチューセッツ回章が起草される。

6月 ボストンの商船リバティー号、英政府当局により拿捕される。本国は植民地各州の議会を停止・解散に追い込む。

10月 ボストンの抗議運動を押さえ込むため、ハリファックス駐屯のイギリス正規軍がボストンに進駐。

1770年

03.05 ボストン虐殺事件が起る.反英感情が一気に高まる.

3月 本国政府、タウンゼンド関税を撤廃。ただし茶への関税は維持される。

71.05.16 総督ウィリアム・トライオン,ノース・カロライナの農民によるレギュレータ(世直し)運動を鎮圧.

1772年

6.09 ガスピー号焼き討ち事件;ロードアイランドで密輸船を追跡中のイギリス船が座礁した際,住民に焼き討ちされた。

6 バージニアに急進愛国党の連絡機関,「通信委員会」(Committees of Correspondence)設置.

11月 ボストンで通信委員会発足。

1773年

5.10 イギリス議会,東インド会社の経営難を救済するため、植民地での茶の独占販売権を認める茶法(茶条例)を可決.

6月 マサチューセッツのハッチンソン総督・オリヴァー副総督の本国あて私信が暴露される。植民地人の自由を制限することを主張していた。

12.16 ボストン茶会事件.モホーク族に変装した一隊が,停泊中のイギリス茶船を襲い茶を海中に投棄.イギリスは抑圧諸法を制定。ボストン港を閉鎖処分し統制を強化する.

73年 サミュエル・ホプキンスとエズラ・スタイルズ,解放黒人を西アフリカに帰すよう呼びかける.

1774年

9.05 第1回大陸会議,フィラデルフィアで12植民地代表を集めて開催.抑圧諸法を非難する「宣言と決議」を採択,大陸不買同盟を結成.また奴隷輸入の全面的停止で合意.

10 サミュエル・アダムズら,ボストン西北の町コンコードでマサチューセッツ協議会を結成. 民兵の訓練を開始.以後植民地全州に拡大.

74 ジェファーソン,「英領アメリカの諸権利についての意見の要約」を発表.ジェファーソンはバージニアの大地主で啓蒙思想家.奴隷制支持者でも会った.

1775年 独立戦争開始

2月 ピット前首相、フランクリンとの会見の後、和解提案を行うが、英政府はこの提案を却下。サミュエル・ジョンソンは「課税は専制にあらず」とする反論を発表。

3月 ニューイングランド通商制限法、南部植民地通商制限法が議会で成立。フランクリンは失意のうちに帰国。

3.23 パトリック・ヘンリー、ヴァージニア議会で「自由を,しからずんば死を」と演説。

4.19 ゲイジ司令官の率いるイギリスとマサチューセッツ軍700名,コンコードに隠匿された軍需品を押収するため出動.パーカー大尉の率いる独立派部隊とコンコード,レキシントンで本格的衝突.

4月 アメリカ最初の奴隷制反対協会.フィラデルフィアのクエーカー教徒が中心となり,フランクリンの指導の下に「不法に奴隷身分にされている自由黒人を救済するための協会」を設立.奴隷制廃止を目標に掲げる.この時点で13植民地全体の黒人奴隷は50万人.

5.10 独立軍遠征隊,カナダへの重要地点であるタイコンデローガ砦を占領.

5.12 フィラデルフィアで13州からなる第2回大陸会議,大陸軍創設で合意.マサチューセッツのアダムスら北部代表の推薦により,英仏戦争のベテランであるワシントンを最高司令官とする.

6.17 ボストン北方チャールズタウン半島のバンカーヒルにおいて独立戦争で最初の大規模な衝突.イギリス軍は勝利を収めるが,重大な損害を受ける.

7.06 大陸会議,ディキンソンの「オリーブの枝請願」、およびジェファーソン起草の「武器をとる理由と必要の宣言」を採択して閉会.

8 英国王は「オリーブの枝請願」の受け取りを拒否。「アメリカ植民地全体は反乱状態にある」と布告。ニューイングランド沿岸を砲撃.本格的な戦闘状態に入る.

10 イギリス議会,アメリカのすべての港を封鎖するノース案を可決.

11.13 アメリカ軍,モントリオールに無血入城。

11 バージニア総督ダンモア卿,「反乱に加わった主人を捨て,イギリス軍に味方して,革命軍とたたかう奴隷には,自由をあたえる」と布告.黒人奴隷800人が徴募に応じプランテーションから脱出.

12.31 アーノルド,モンゴメリーのアメリカ軍,ケベック急襲するも失敗。

1776年

1月 トマス・ペインの「コモンセンス」刊行.イギリスからの独立と共和制を「常識」として押しだす.

3.17 英軍,ボストン攻撃に失敗,包囲を解き撤退する.

4月 大陸会議,イギリス以外の商船に港を開くことを宣言。

5月 ヴァージニア植民地が独立を決議。憲法を制定し、初代知事にパトリック・ヘンリーを任命。大陸会議はこれを受けて,各植民地に独立政府組織を結成するよう呼びかける。

6.28 ヘンリー・クリントン将軍,軍艦13隻に陸兵3000を載せ,サウス・カロライナのチャールストン占領を狙う.大陸軍はこれを撃退.

7.02 W.ハウ将軍の率いるイギリス艦隊,ニューヨークを攻撃。スタテン島を制圧。

7.04 大陸会議,ヴァージニア代表ジェファーソンの提案を受け独立を決議.「独立宣言」を発布.各植民地に対し,革命政府の樹立を促す.

8.27 ロングアイランドの戦闘。ワシントンの率いる大陸軍は敗れ、マンハッタンに向け撤退.

9.15 英軍,マンハッタンに上陸.ワシントンはニューヨーク市街を放棄し,ハーレム高地へ撤退。

10.18 イギリス軍,ブロンクス方面に上陸。

10.28 ホワイトプレーンズの戦い。ワシントンの大陸軍はニュージャージーへと敗退。

10月 ニュオリンズ北方のシャンプレーン湖で海戦。

11.16 イギリス軍,ハーレム高地を攻略し,マンハッタン島制圧。

12.24 イギリス軍,ペンシルヴァニアに侵入.大陸会議はフィラデルフィアを放棄しボルティモアに撤退.

12.26 ワシントンの大陸軍,トレントンに進出したイギリス軍を破る.

76年 デラウエア植民地,奴隷の輸入を禁止.

76 女性囚の輸入が3万人を越える.そのほとんどは奴隷として売られる.

76 英下院ではじめて奴隷制廃止案が取り上げられる.デビッド・ハートレーは奴隷制を「神の法と人類の正義に反するもの」と非難.

1777年

1.3 ワシントン,ニュージャージー州プリンストンで,チャールズ・コーンウォリスのイギリス軍とのたたかいに勝利.

3.13 第4回大陸会議,欧州諸国に対して独立支援の軍を派遣するよう要請.

7.07 バーゴインの率いるイギリス軍が、カナダから南下しタイコンデローガ要塞を占領.

8.16 ベニントンの戦い。H.ゲイツ将軍率いる大陸軍がバーゴイン軍を撃退。

8.25 ハウ将軍、ニューヨークの守備をクリントン将軍に委ね、デラウエアに向かう。英艦隊はチェサピーク湾の最奥部に上陸。

9.11 ワシントン,ブランディワイン・クリークでハウ軍を迎え撃つが敗北.

9.19 大陸軍、フリーマン農場の戦いでバーゴイン軍に打撃。バーゴイン軍は北方に撤退。

9.27 W.ハウ将軍指揮下の英国軍,フィラデルフィアを陥落.

10.04 ワシントン、ジャーマンタウンで英国軍を奇襲するも敗退。このあと、ゲリラ戦に切り替える。

10.07 ビーミス高地の戦い。バーゴインの敗色が決定的になる。ハウ将軍は、「バーゴインがきわめて危険な状況にある」と本国に報告。ニューヨークのクリントン将軍は,バーゴイン支援のためにハドソン川を北上。クリントン砦,モンゴメリー砦を攻略。

10.17 バーゴインの率いる英軍,サラトガ村の戦いで敗れた後、大陸軍に降服.

10 ラファイエット侯爵の義勇軍,アメリカに到着.

11月 大陸会議,連合規約を採択.規約第一条に,「連合の名称をアメリカ合衆国とする」ことを定める.各州は税制や司法などを独自の憲法で決定できることとなる.

12.17 フランス,米国の独立を承認.パリ駐在のフランクリン大陸会議代表が友好通商条約の起草にあたる。

12.17 ワシントン軍,ペンシルバニア州バレーフォージ渓谷まで撤退.ここで越冬.プロイセンのシュトイベンがフォージ渓谷のワシントンの陣営に参加。

77年 マサチューセッツの黒人奴隷プリンス,「自由なキリスト教国家内で奴隷身分にとどめられている多数の黒人」のために奴隷解放を求める請願書を州議会宛てに提出.

 

1778年

2.06 大陸会議,フランスとの和親・通商条約を批准,同盟関係を結ぶ.

3月 英議会、ノース和解案を可決。カーライルを代表とする和平使節団が派遣される。

6.06 カーライル和平使節団,フィラデルフィアに到着。ハウと協議の結果、フィラデルフィアを大陸会議に明け渡すこととなる。ハウは帰国し,クリントンがアメリカ駐留軍総司令官に就任。

6.28 大陸軍がモンマス・コートハウスの戦いでイギリス軍を破る.独立軍は,フランスの軍事・財政援助により,戦況を持ち直す.

7.10 フランス,イギリスに対し宣戦布告.ハイチの黒人兵がフランス軍の前面に立ち活躍.帰国後,独立運動の主力部隊となる.

8月 米仏共同でニューポート奪還作戦を行うが失敗に終わる。

9月 フランス海軍がドミニカ奪取。イギリス海軍はこれに対抗してフランス領のセントルシアを奪取。

12.24 大陸軍,クリスマスイブの奇襲.デラウェア川を渡河し,英軍キャンプを攻撃.

12.29 英軍,ジョージアのサバンナを占領,南部各地を攻撃.

78年 バージニア議会,ジェファーソンの主張を容れ,奴隷輸入禁止令を可決.

1779年

6.21 スペイン,米西同盟にもとづきイギリスに対し宣戦布告.オランダもこれに続く.

7月 フランス海軍がセントヴィンセントとグレナダを奪取。

9月 英軍が南部のサヴァンナを奪取。大陸軍はフランス艦隊との共同で奪還を目指すが失敗。

1780年

3.01 アメリカ北部諸州,あいついで奴隷制「廃止」を宣言.

マサチューセッツ憲法,「すべての人間は生まれながらに自由で平等である」と宣言.10年後には奴隷の存在しない唯一の州となる.
ペンシルヴァニア議会が,奴隷の漸次的解放を採択.「ペンシルバニアで生まれた子供は奴隷となることを許されない」とする.

3 コーンウォリス将軍指揮下の英国軍,カロライナに進出.大陸軍を相次ぎ撃破し,バージニアに達する.

5.04 独立軍の劣勢を見たフランス,ロシャンボー将軍指揮下の正規軍を送る.ロシャンボーが搭乗するテルネー艦隊が、北米へ向かって出港。副官は「ベルサイユのバラ」で名高いスエーデン貴族フェルゼン。

5.12 クリントン自ら率いる英艦隊が,海上からの砲撃によりチャールストンを攻略.独立軍,独立戦争を通じて最大の敗北を喫し,劣勢においこまれる.

7 ロシャンボー軍,ニューポートに上陸.

8.16 サウスカロライナのキャムデンのたたかい.ゲーツの独立軍敗退.

10.07 サウスカロライナのキングス・マウンテンの戦いで,イギリス軍が大陸軍に敗れる.

80 大陸会議,ジョン・アダムスをオランダ公使,フランクリンを駐仏特命全権公使に任命.

1781年

1.16 サウスカロライナのカウペンズの戦いで,イギリス本国軍が大敗.

3.12 ド・グラースの率いる増援部隊がフランスを出港。

3.15 ノースカロライナのギルフォード・コートハウスの戦い.イギリス軍が植民地軍を破る.

4.25 グリーン将軍の率いる大陸軍が南部奪還を目指すが、ホブカークス・ヒルの戦いでロードン卿の率いる英軍部隊に撃退される。

5.20 コーンウォリス,ピーターズバーグに上陸しヴァージニア方面に進出。ラファイエット軍の追撃へ向かう。

7 デ・グラセ提督指揮下のフランス艦隊,コーンウォリス軍攻撃のためチェサピーク湾に向かう.ワシントン,ロシャンボーとともに南下を開始。

8月初め コーンウォリス軍,ヨークタウンに達する。

8.30 ヨークタウンの決戦.バージニアに進出した大陸軍9500名,ロシャンボー軍7800名と,コーンウォリス軍9700名が,ヨークタウンで激突.戦闘は50日にわたる.

9.05 ド・グラースの仏艦隊が,ヨークタウン沖でイギリス軍を破る.艦隊がチェサピーク湾を封鎖し,英軍の退路を断つ.

9.08 ノースカロライナのユートー・スプリングスの戦い.グリーンの率いるイギリス軍は植民地軍を破るが、チャールストンに戦術的撤退をおこなう.

9.28 独立軍,ヨークタウンの英国軍に対し包囲戦に入る.

10.19 コーンウォリス将軍の降服.独立戦争は事実上終結.

81年 独立戦争を担った運動家がフェデラリスト党を結成.強力な中央政府の実現を目指す.主なメンバーはアレキサンダー・ハミルトン,ジョン・ジェイ,ジェームス・マディソン,ジョージ・ワシントンなど.

1782年

1月 北アメリカ銀行が営業を開始。

2.27 英議会で停戦決議が可決される。

4.12 セイント諸島の海戦。ロドニー提督の率いる英艦隊がフランス艦隊を破る。

11.30 パリで暫定平和条約締結. イギリスはアメリカ植民地の独立を認める.

1783年 アメリカ合衆国成立

1.20 パリ条約締結.英国はアメリカの独立を認めたほか,スペインに東西フロリダを返還.条約の内容をめぐり独立軍将校内に不満が起こり、ワシントンが沈静化。

ベルサイユではなくパリ条約だとのご指摘をいただきました.訂正いたします.20Feb.2002

2.17 英下院、いったん講和条約を否決。

4.15 連合会議、講和予備条約を批准。敵対行為の中止を宣言。

4 アメリカの王党派がニューヨークからイギリスに脱出.

9.03 講和条約が調印される。アメリカ13州,イギリスより独立.スペインはフロリダを奪取,英領ホンデュラスやバハマ諸島を占拠.

11.25 ニューヨークに残っていた最後のイギリス軍が帰国。ワシントンがニューヨークに入る。

12.23 ワシントン,大陸軍総司令官の権限を返上.マウント・バーノンの農園に戻る.

83年 女性囚の入国が禁止され,英国に戻されることとなる.以後,米国に代わりオーストラリアが女性囚の受け入れ先となる.

84年5.12 ニューヨーク州で5月12日法が制定される。ニューヨーク市および州の住民の3分の2以上が王党派とされ、選挙権を剥奪される。

84 大陸会議議長にジェファーソンが選ばれる.

85.6.01 アダムズ,初代イギリス公使に就任.国王ジョージ三世に拝謁。ジェファーソンは駐仏公使となり,そのままパリに残留.

85年 フィラデルフィアで自由黒人協会が設立される.メソジスト教会のリチャード・アレン,アブサロム・ジョーンズが指導.

1786年

9 シェイの反乱.負債に苦しむマサチューセッツの農民が,重い土地税に抗議して反乱.指導者は独立軍元大尉のダニエル・シェイ.

1787年

5 フィラデルフィアで憲法制定会議.ワシントンが議長に選出される.マディソン,ハミルトンらはヴァージニア案を提出.

6 憲法制定会議,北西条例を制定.領土内の人口が6万を超えた場合,合衆国内でひとつの州となることができるというもの.これを強力に推進したジェファーソンは,条例制定を「自由の帝国」の始まりと評する.

9 中央政府の樹立と憲法制定を目指す秘密会議が招集される.合衆国憲法の制定で合意.

88.6.01 アメリカ合衆国憲法発効。独立宣言の理想からはいちじるしく後退.黒人を5分の3人にしかかぞえないなど人種差別を持込む.フランス革命に対しては中立の立場を守り,後年のモンロー宣言の基調となる.

88年 マサチューセッツ州,奴隷貿易への参加を違法とする.

1789年

4.30 ワシントン,合衆国初代大統領に就任.副大統領にジョン・アダムス.国務長官に前駐仏公使ジェファーソン,財務長官にはアレキサンダー・ハミルトン.首都はニューヨークとなる(翌年フィラデルフィアに).

89年 ハミルトン,北部勢力を中心にフェデラリスト党を結成.

1790年

90年 米国で最初の国勢調査.350万の市民に対し,50万人の奴隷が登録される.

91.12.15 言論.出版・集会の自由など民権を推進する10項目の憲法修正条項(権利の章典),大衆の圧力により実現.

91 ケンタッキー州,奴隷州として連邦加入を認められる.奴隷解放運動は下火となる.

91 第一合衆国銀行の創設をめぐり,ハミルトンとジェファーソン,ジェームス・マディソンが対立.ジェファーソンは国務長官を辞任.フェデラリスツに対抗する南部農民層を結集し,リパブリカンズを形成.民主党の前身となる.州独自の権利を重視し,またフランス革命を支持する立場を明らかにする.

92 ワシントン,大統領に再選される.

1793年

2.12 アメリカ連邦議会,逃亡奴隷取締法を制定 .他州へ逃亡した奴隷の逮捕を容認.

4.22 イギリスがフランス革命に干渉.ナポレオン政府は英国に宣戦布告し,米国に対して同盟関係を盾に参戦を迫る.ワシントン大統領は中立の立場をとることを宣言.

93年 発明家イーライ・ホイットニーが綿花から種を除去する綿繰り機を発明。深南部各地で綿花栽培が飛躍的に拡大し、アラバマ、ミシシッピ、ルイジアナ、テキサスへと西方に広がる。

1794年

1 奴隷制反対協会全国大会,フィラデルフィアで開催.進歩的白人だけでなく自由黒人も多数参加.

3.22 連邦政府,外国との奴隷貿易を禁止.

3.24 米議会,米国市民の奴隷貿易への関与を禁止.

6.05 連邦議会,中立法を制定.ヨーロッパでの戦争に加わらないことを決める.

8.20 北西領土と呼ばれていたオハイオ地域で,「フォールン・ティンバーズの戦い」(Battle of Timbers).ウィリアム・ヘンリー・ハリソン少尉(当時21歳)の率いるワシントン砦守備隊が,オハイオ川流域の先住民からなるマイアミ連合軍(フロリダ州マイアミとは無関係)を破る.ハリソンはのちに大統領となる.

11.19 英国とのあいだにジェイ通商条約締結.83年の独立以降も残されていた,北西部の英軍基地が返還される.またミシシッピ=オハイオ地帯の領有権を獲得.米国は自国輸送の保護と引き換えに英国の海軍支配権を承認.フランス革命に対して中立を保つことを認める.

94 議会の多数を占めるフェデラリスツ,州の公債引き受け問題をめぐり対立.マディソン派とハミルトン派に分裂.

1795年

10.27 スペインとのあいだにサン・ロレンソ条約(ピンクニー条約)締結.南部とフロリダとの境界線,西部とルイジアナとの境界線を確定.ミシシッピ川の航行権と河口のニューオリンズ港の使用権を獲得.

95年 第二代大統領の座をジョン・アダムスとジェファーソンが争う.

1996年

9 ワシントン,三選出馬を拒否.これ以降大統領任期を二期までとする慣行が成立.任期終了を前に「告別演説」.ヨーロッパ列強のいずれとも恒久的同盟を結ばないよう説く.また欧州の干渉を防ぐため,国民に政党間抗争をやめるよう訴える.

12.07 副大統領のジョン・アダムスがトーマス・ジェファーソンを僅差で破り,第2代大統領に.

97.04 大統領選挙.フェデラリスツ主流派のアダムズが,リパブリカンズのジェファーソンを三票差で破る.慣例に従い,ジェファーソンが副大統領に就任.フェデラリスト内ハミルトン派は,アダムズの政策を批判.

97 議会内フェデラリスツ,外人法・治安法を制定し,反対派の押さえ込みを図る.治安法によりリパブリカンズ10名が有罪判決を受ける

98 ジョン・アダムス,英国に従いフランスに対し「宣戦布告なき戦争」を展開.フランスはアメリカに対し干渉開始.2年間にわたり事実上の戦闘状態となる.

99.12.14 ワシントン,マウントバーノンの自宅で,急性喉頭蓋炎により急死.2.4リットルもの瀉血が死を早めたとされる.

 

1800

1800年 綿作栽培と奴隷制の復活・強化

8月 フィラデルフィアに代わり現ワシントンD.Cが首都となる.

8 バージニア州リッチモンドで,ガブリエル・プロッサーの率いる黒人奴隷の反乱の企て.計画によれば,州都リッチモンドを攻略した後,反乱を南部全体に拡大することになっていた.首謀者30人以上が絞首刑となる.他にも暴動や蜂起頻発.

9.30 パリでモルトフォンテーヌ条約.米仏間の戦闘が停止.

10.01 サン・イルデフォンソ条約締結.スペインはナポレオンに強制され,ルイジアナをフランスに譲渡.

1801年

03.04 共和民主党のジェファーソンが,決選投票でアダムスを破り第三代大統領に就任.国務長官にはマディソンが就任.「われわれはすべてリパブリカンズであり,フェデラリスツである」と述べ,両派の融和を強調する演説.この後,バージニアの奴隷制大農園主が三代,24年続けて大統領に就任したことから,これを「バージニア王朝」と呼ぶ.

01年 ジェファーソンは「1800年革命」を首唱し,連邦政府を徹底的に縮小.北部諸州は連邦分離を検討.

02 オハイオ州,奴隷制禁止の州として連邦へ加入.

02.07.04 ニューヨーク州ウエストポイントに陸軍士官学校創設.

1803年

4 スペイン,サンロレンソ条約を破棄しニューオリンズ港への米国船舶の寄港を禁止.

5 メリウェザー・ルイス大尉,ジェファーソン大統領の命を受け,太平洋岸への北方ルート探索に出発.ピッツバーグからテネシー川を下り,ミシシッピ川に出る.

10 ルイス大尉,ウィリアム・クラーク大尉と合流.ダニエル・ブーンをガイドにミズーリ川をさかのぼり,ノース・ダコタに達する.

12 欧州戦争での戦費捻出に苦しむナポレオン,134万平方キロにおよぶルイジアナ植民地を1,500万ドルで米国に売却.スペインはこの取引を関知せず.

03年 サウス・カロライナ,綿作経営の発展にともない奴隷輸入を再開.この年綿花はタバコに代わり輸出作物の首位を占める.

04年 南部黒人奴隷の逃亡を助ける地下鉄道の組織形成.

04年 次期大統領の有力候補アレグザンダー・ハミルトン,強いられた決闘により死亡.

1805年

4 米国,ルイジアナを買収.国土は2倍に拡大.

11.7 ルイスとクラーク,クリアウォーターからスネーク川を下りコロンビアの太平洋岸に到達.

05年 トラファルガー海戦,およびアウステルリッツの会戦.海上における英国の支配,および欧州大陸におけるナポレオンの優位が確立.

1806.11 ナポレオンによる大陸封鎖.英国との通商を全面禁止.

06年 米陸軍第6師団のゼブルン・パイク中尉が率いる西部探検隊.アーカンソー,レッドリバー地方を探索.スペイン領コロラド地方に迷い込む.

07年 パイク隊,スペイン軍により捕らえられ,メキシコに送られた後解放される.

1807年

1月 英国は大陸封鎖に対抗して,フランス側および中立国のすべての公益を停止.英仏間の対立に対し中立を守っていた米国も,攻撃の対象となる.

6.22 米艦チェサピーク号が,米国領海内でイギリス海軍の砲撃を受け,鹵獲される.乗組員4人が処刑される.

12月 ジェファーソン,「出港禁止法」を公布.欧州戦争の間,米国船がヨーロッパと交易することを禁止.特に英国との交易を念頭においたもの.諸階層から総攻撃を受け2年後に撤回.

07.3.02 連邦議会,国際奴隷貿易への米国人の参加を禁止する法律を制定.翌年1月より発効.

08.1.01 アメリカ,奴隷貿易を禁止.黒人人口のこれ以上の増加を抑えるのが狙い.その後も南部を中心に 密貿易が続く.

08.10 大統領選挙.マディソンがフェデラリスツのピンクニーを破り当選

1809年 共和民主党のジェームス・マディソンが第4代大統領に就任.米国,通商禁止法を制定.英仏両国との交易を禁止.

1810年

10.27 米軍,バトンルージュのスペイン要塞を占拠.西フロリダにおける覇権を確立.ジェームス・マディソン大統領,西フロリダの領有宣言.

1810年 マディソン,フランスに対する禁輸措置を解除.英国との対決姿勢を明らかにする.英国の米船略奪・徴用行為に抗議したもの.

1811年

5.16 ジョン・ロジャーズの率いるアメリカ軍が,ヴァージニアでイギリス軍船団を攻撃.

1812年 第二次英米戦争

2 W.P.ハント,大陸を横断しオレゴンに到達.アストリアの町を建設.

6.19 マディソン政権,海上封鎖を続けるイギリスに抗議し宣戦布告.第二次英米戦争(マディソン戦争)開始.英軍,デトロイトを占領.五大湖周辺を支配.

7 アメリカ軍,カナダに侵入.デトロイトを奪回.

12 テネシーの農園主アンドルー・ジャクソン将軍,海賊ジーン・ラフィットと共同し,ニューオリンズの闘いで英軍を撃破.

12年 アメリカ人「愛国者」,フロリダ北東部フェルナンディナで共和国を宣言.

1813年

1.22 イギリス軍とカナダ人民兵,インディアンの勢力がデトロイト城塞の戦いでアメリカ軍を破る.

2.24 ガイアナ沖で,イギリス船ピーコックがアメリカ船に撃沈される.

4.27 アメリカ軍,トロントを奪取.

4 議会の承認を得て,ウィルキンソン将軍が600人の兵により西フロリダのモビレ湾を占領.スペイン軍守備隊は無抵抗のまま撤退.

9.10 エリー湖の戦い.オリヴァー・ハザード・ペリー提督がイギリス艦隊に勝利.5大湖のイギリス海軍力と補給路を壊滅させる.その後デトロイト・モントリオール間からカナダに侵攻するが,失敗.

10.05 テームス川(ヒューロンとエリー湖を結ぶ河)の闘い.ハリソンの率いるアメリカ軍が,先住民とイギリスの連合軍を破る.

11.09 バトンルージュ戦争。ジャクソン将軍の率いる植民者軍がアラバマのクリーク族500人を襲撃し殺害。ジャクソンはアラバマからジョージア・テネシーに進出。

13年 ジャクソン将軍,スペイン領フロリダのペンサコラのイギリス軍を駆逐.メキシコ湾での作戦遂行のための基地とする.

13年 アスター太平洋毛皮会社,コロンビア河口にフォート・アストリアを建設.

1814年

4.14 イギリスとの通商禁止令が発効.

7.25  カナダのランディーズレーンの戦い.アメリカ軍とイギリス軍が激突.

7月 英軍,メーン州北東部を占領.首都ワシントンを襲撃.ホワイトハウスは灰塵に帰す.アメリカの貿易は海上封鎖により壊滅状態におちいる.

8.24 ワシントンD.C,イギリス軍により占拠される.マディソン大統領夫妻の夕食の席に200人のイギリス兵がなだれこむ.

9.13 ボルティモアで,アメリカ軍がイギリス軍を破る.

9月 シャンプレーン湖でアメリカ海軍が勝利.

11 駐仏,駐英公使を歴任したモンローが国務長官に就任.

12.24 第二次英米戦争終結.アメリカの完敗におわる.ベルギーのガン(Ghent)で平和条約を締結.ヨーロッパでのナポレオン戦争で疲弊したイギリスも戦争継続を望まず,最終的に両国は戦前の状態にもどることで合意.

1815年

1.08 ジャクソン軍,英米戦争最後の戦いとなったニューオーリンズのたたかいでイギリス軍に大勝.ジャクソンの名が一躍全米に知れ渡る.

15.6 ウィーン会議開催.墺,普,露,英の四カ国同盟.フランス革命前の状況への復帰で合意.墺,普,露三国はさらに神聖同盟を結び,旧体制の維持に共同することとなる.

15年 米国,フロリダをスペインから購入する思惑のため,LA諸国の独立戦争に対し中立を宣言.

15年 クリーク族,スペインの庇護の下,アパラチコーラ河流域にあった英国の要塞を占拠するなど攻勢を強める.

1816年

7.27 セミノール族が逃亡奴隷や密輸商人の聖域を提供しているとし,ジャクソンとゲインズ将軍の率いる米軍部隊がスペイン領フロリダへ侵攻.侵攻作戦に伴い,スペイン軍駐屯所も攻撃され,イギリス人は捕らえられ処刑される.

16 アメリカ植民協会設立.自由黒人のアフリカへの再殖民,自発的な奴隷解放を奨励.リベリアに植民地を確保.

16年 スコットランド出身の雇い兵グレゴール・マクレガー,フェルナンディナを占領し,サン・アウグスチンに迫る.メキシコから派遣されたスペイン軍をアメリア島で迎え撃つ.

17年 メキシコ人兵士ルイス・アウリー,マクレガーを追放.アメリア諸島のメキシコ併合を宣言.米軍は12月にアウリーら,密輸業者、冒険家、海賊などを追放.フロリダ北東部の支配を確立.

17年 共和民主党のジェームス・モンローが,フェデラリスツのR.キングに圧勝.その後フェデラリスツは消滅.二代目大統領の息子で外交官のJ.Q.アダムズを国務長官に指名.

17年 リッチモンドの自由黒人,再殖民計画を拒否.「我々は,よその国に追放されるよりも,我々の生まれたこの国のさいはての地に追放されるよう望む」と宣言.

17年 ロシア人,サンフランシスコ北方のボデガ湾にフォート・ロスを建設.

1818年

1.05 ニューヨークとリヴァプールを結ぶ最初の大西洋横断の定期航路.

10.20 五大湖からミシシッピ川にいたるアメリカとカナダとの国境確定.

18年 第一次セミノール戦争終結.ジャクソン軍がスペイン総督を追放。

18年 英国と米国,ロシアに対抗し,共同でオレゴン地方を占拠.

18年 カメハメハ大王,英国人顧問の力を借りハワイ統一に成功.

19.2.24 オニス・アダムス条約締結.スペイン,東フロリダをアメリカに割譲.米国はスペインに対する債権を放棄.テキサス地方のスペインへの帰属を承認.

19 ミズーリ地方,奴隷労働による綿花栽培で発展.人口が5千人に達したため,準州として連邦に加盟を申請.北部は奴隷制は共和制の基礎を揺るがすものと抗議,新領土への奴隷制の拡大を禁止する法案を提出.

19年 米軍,黄熱病流行のためフロリダ北東部から撤退.

1820年

2.06 ワシントン入植協会,黒人のための「祖国再建運動」としてリベリア建国運動を開始.解放奴隷86人を乗せた「自由のメイフラワー号」がニューヨーク港を出港し,西アフリカのシエラレオネに向かう.

3.03 連邦議会でミズーリ協定(Missouri Compromise)が成立する.ミズーリ州を奴隷州として編入を認めると同時に,北緯36度30分以北での奴隷州新設を禁止.北緯36度以北を自由州地域とする.メイン州を創設して奴隷州と自由州の均衡を図るというもの.

5 奴隷貿易禁止法制定.奴隷貿易を海賊行為の一つとみなし,違反した米市民は死刑と定められる.

20年 クインシー・アダムス国務長官とスペイン大使ルイス・デ・オニスのあいだで,フロリダ割譲に関する会談が始まる.

1821年

21年初 スペイン,フロリダ割譲に合意.米国は正式にフロリダを領有宣言.アメリカはテキサスにおける権利を放棄,さらに410万ドルを支払うこととなる.スペインはオレゴン準州の所有権を放棄.

7.17 アンドリュー・ジャクソン,ペンサコラでスペイン当局からフロリダ管理権を引き継ぐ.

10月 アンドリュー・ジャクソン,東西フロリダの執政官兼知事の職を辞し,テネシーに戻る.

21 ロシア皇帝アレクサンドル1世,北緯51度線以北の北米大陸への外国人立ち入りを禁止.アダムス国務長官,「非植民地主義」の原則を盛り込んだ抗議文を発表.

21 サウスカロライナ州チャールストンで自由黒人デンマーク・ビージーの率いる黒人反乱の陰謀が摘発される.

1822年

3.30 フロリダ州政府が成立.知事の下に13人からなる州議会が設置される.

6.16 サウスカロライナでヴァセーの率いる奴隷反乱.30人以上が処刑される.南部諸州で黒人への抑圧が強化される.

12.12 アメリカ,他国にさきがけメキシコとグラン・コロンビアを承認.モンロー大統領は,米州の欧州からの自立を強調.

22 海兵隊,二度にわたりキューバに上陸.24年には国旗を侮辱したとの理由でプエルトリコに上陸.

22 ワシントン入植協会を中心とするアメリカ植民協会,リベリアを「建国」.解放奴隷と奪還奴隷をモンロビアに入植させる.

23.12.2 モンロー米大統領,年次教書のなかで外交政策の基本を発表.「モンロー宣言」と呼ばれる.実体として米国にはスペインの再進出を阻止できるだけの力はなく,英国がスペインを抑制するだろうという見通しに基づいていたという.

モンロー宣言の骨子:
@非植民地化 「米大陸は今後欧州列強によって将来の植民地とみなされてはならない」
A相互不干渉 「米国は現存する欧州諸国の植民地についてはこれに干渉しないが,もし欧州諸国が独立を達成した米州諸国を抑圧し,その運命を支配しようとするなら,これを非友好的行為とみなすだろう」
B共和制の宣言 「欧州の神聖同盟諸国の政治制度は米州諸国とは基本的に異なっている.米国は欧州諸国が米州のいかなる地域にもその政治制度を移植しようとするなら,これは米国の平和と安全を脅かすものと考える」

1824年

12 大統領選挙.テネシー選出のアンドリュー・ジャクソンが首位を占めるが,過半数に届かず.二位に北部の代表ジョン・クインシー・アダムズ(マサチューセッツ).フェデラリスツはすでに消滅し,候補はいずれもリパブリカンズ

1825年

1 モンロー大統領,辞任にさきだちミシシッピ以西へのインディアン強制移住政策を発表.

2.09 大統領選,下院での決選投票.ジョン・クインシー・アダムズが,第4位のクレイ(ケンタッキー)の支持を得て逆転.大統領に当選.選挙に際し,共和民主党はアダムス派と反アダムス派に分裂.

4.27 ロバート・オーエン,インディアナ州ウォバシュに理想主義的なコミニュティ,ニューハモニー村を建設.

25年 クインシー・アダムス大統領に就任.ヘンリー・クレイとともに国民共和党(別名Whig党)を結成.ジェファソン以来のリパブリカン政権は終わりを告げる.

27.3.16 ニューヨーク州で奴隷制度が廃止される。同じ年、ニューヨークでアメリカ初の黒人新聞フリーダムズ・ジャーナルが創刊.

28 アダムズ,北部産業資本の保護のため高率保護関税案を制定.南部プランター勢力は,アンドリュー・ジャクソンを中心に民主共和派(デモクラティック・レプブリカンズ)を結成し対抗.後に民主党と呼ばれるようになる.

1829年

9.15 メキシコ,奴隷制廃止を宣言.

12.02 ビセンテ・ゲレーロ大統領,テハス地方での奴隷使用を禁止.米国人のこれ以上の入植も禁止する.

29年 ジャクソン将軍,アダムズを大差で破り,第7代大統領に就任.2期8年にわたり,州権の拡大と自由放任主義を柱とするジャクソニアン・デモクラシー政策を展開.「アンドルー王」とよばれ威勢を振るう.奴隷労働を基礎とする南部の綿花地帯が一気に発展.先住民抑圧政策を条件としてアメリカの膨張がすすむ.

29 サウスカロライナ州知事ステファン・ミラー,議会で「奴隷制は国家犯罪ではなく,国家利益である」と発言.

29 ノースカロライナ州出身の元奴隷デヴィド・ウォーカー,ボストンで「訴え」と題する告発書を発行.再殖民は白人優越主義者の陰謀であるとし,武力による抵抗を呼びかける.

言い切っても良い,一人の立派な黒人は,6人の白人を殺すことができる.取りかかるのだったら,見くびるな.やつらも諸君を見くびりはしない.

29 ロバート・オーウェンの指導下に,ニューヨークに労働者党結成.

1830年

5.28 インディアンをミシシッピ川以西に追放する強制移住法(Indian Removal Act)成立.

4.6 メキシコ政府,米国人のテキサス入植を禁止.

30 バージニアからニューオリンズに向け航行中の奴隷運搬船コメット号が,バハマ沖で難破.これを救助した英国当局は黒人奴隷を解放.米国政府はこれに抗議.

30年 フィラデルフィアで自由黒人協会結成.奴隷制廃止運動の進展に大きな役割.

1831年 奴隷解放運動の高揚

1 ウィリアム・ロイド・ガリソン,ボストンで「解放者」誌を発刊. 奴隷解放の旗手となる.この時点で黒人奴隷は米国人口のほぼ1/3に達する.

6.11 フィラデルフィアで,解放奴隷による有色人種大会.

8.13 バージニア州サザンプトンで,説教師ナット・ターナーの指導による黒人奴隷の蜂起.2日間で子供を含む白人57人を殺害し奴隷を解放.ターナーは子供を殺したことについて「皆殺しだ.阿呆はのみを飼うのだ(Nits breed lice)」と述べる.(一説に22日)

8月 地元民兵が反乱奴隷を鎮圧。黒人指導者48人が裁判にかけられ、18名が処刑される。白人は無差別の報復を行い、200人が殺害される。

10.30 潜伏していたターナーが捕らえられる。ターナーは、絞首刑に処され、その遺体は皮をはがれ、首を切られ、四つ裂きにされた。

1832年

32 各州政府に対する連邦政府の干渉が強まる.ジョン・カルフーンの率いるサウスカロライナの保守層は,「ナリフィケーションの危機」を叫び,関税政策反対と奴隷制擁護のため立ち上がる.州政府の連邦離脱宣言に対し,連邦政府は軍隊を送りこれを鎮圧.ナリフィケーションとは,州の主権に基づき,連邦法の州内適用を無効化すること.

32 ギャリソン,ニューイングランド奴隷制反対協会を結成.

32 ケンタッキー州ルイビルの市民劇場でミュージカル「ジムクロー」が初演される.20回もアンコールがかかったという.

1833年

6 英国議会,西インド諸島の全奴隷を解放する法律を制定.

12.04 ギャリソン,ジェームス・モットら奴隷制廃止論者62人が,フィラデルフィアで「アメリカ奴隷制反対協会」を設立.「黒人に対し,人間としての,アメリカ人としてのすべての権利と恩恵を保証しなければならない」と宣言.

33 ヘンリー・クレイによる妥協関税成立.西部農民と組んだ南部プランターが北部のフェデラリストを抑え優位に立つ.南部=西部連合を背景に民主党のジャクソンが二期目の大統領に当選.自由貿易推進の立場をとる.

1835年

3 セミノール族は、3年以内にフロリダから退去するよう命令される。これを拒んだオセオラは一族を率いて立ち上がる。

6.30 テキサスのアメリカ人,反乱開始.

35年 ジャクソン,失業者ペンキ職人の暗殺の的となるが,弾が不発だったため難を逃れる.

35 奴隷制廃止論者エイモス・フェルプス,「人間泥棒の罪の同調者,および教唆者として平穏無事に無為に日を送るよりも,黒人の盟友として死ぬほうがよい」と訴える.

1836年 テキサス独立戦争

2.23 エル・アラモ砦に立てこもるトラビス中佐指揮下の米兵2百名,サンタアナの率いる3千の兵に包囲される.

3.2 テキサス,独立を宣言.軍司令官にヒューストン任命.

3.6 アラモ砦,2週間の攻防の末陥落.187人の守備隊は全員玉砕.

4.21 サン・ハシント(現ヒューストン近郊)のたたかいで,ヒューストン将軍指揮下のテキサス軍によりメキシコ軍は殲滅,サンタアナは捕虜となる.サンタアナは釈放と引き換えにテキサスの分離独立を認めるベラスコ条約に調印.

10.22 ヒューストン,テキサス共和国大統領となる.

36年 リンカーン,イリノイ州から下院議員に当選.革命党(後の共和党)を組織し党首となる.

1837年

3月 ジャクソン大統領の副大統領マーチン・ヴァン・ビューレン,ホイッグ党のハリソンを破り大統領に就任.ジャクソンと合わせて12年間の統治は「ジャクソニアン・デモクラシー」と呼ばれる

3 米国発の本格的恐慌が始まる.ニューオリンズの綿価暴落.南部,西部に深刻な影響.ニューヨークでも銀行の金支払い停止.失業者のデモが頻発.

12.07 エライジャ・パリス・ラブジョイ,イリノイ州で奴隷制廃止を唱え,「アルトン・オブザーバー」を編集.奴隷制論者のリンチにあい殺される.

37年 カロリーヌ事件発生.英国軍が国境を越え,カナダの反乱軍と戦闘.

1838年

5.17 フィラデルフィアでアイルランド移民らが暴動.ペンシルバニア・ホールを焼き討ち.地下鉄道を経由して逃走した黒人奴隷が,自分たちの職場を奪うと扇動されたことから発生.

5.07 イギリスとニューヨークを結ぶ初の定期航路が開設される。

1839年 アミスタッド号の反乱

7 ハバナを出港したスペインの奴隷船Laアミスタッド号で,奴隷の反乱.通称シンケ(本名Sengbe Pieh)を首謀者とする53人の黒人奴隷は,船長らを殺害.乗組員に指示しアフリカに向かわせる.

9 アミスタッド号,およそ50日後にロングアイランド沖に達し,米国の軍艦に捕らえられる.コニティカット州ニューロンドンの裁判所で審理開始.Cinqueらは海賊行為,殺人の嫌疑をうける.

11.13 最初の奴隷制度反対の党,リベラル・パーティ(自由党)が結成.

39 ニューヨーク州オールバニーで小作農の武装反乱.

1840年

3.04 大統領選挙.ホイッグ党のハリソンが勝利し,大統領に就任.恐慌で不評を買ったヴァン・ビューレンは,テキサス併合に反対したことから,南部の支持を失い敗れる.

4月 ハリソン,大統領就任の4日後に風邪をこじらせ肺炎となり,1ヵ月後に死亡.ハリソンに代わりジョン・タイラー副大統領が昇格.タイラーはハリソンとは逆に,強硬な南部州権主義者で,のちに南部連合が成立したときにはその議会議員となっている

11 奴隷制反対世界会議がロンドンで開かれる.William Garrisonは女性が排除されていることに抗議し欠席.米国ではギャリソンの態度をめぐり奴隷制反対協会が二つに分裂.ガリソンの道徳主義的運動に飽きたらないジェームス・バーニーら,自由党を結成.ダグラスら黒人運動指導者は集団入党.奴隷制反対協会の会員は10万人を越える.

1841年

3.09 連邦最高裁,アミスタッド号事件の判決.奴隷売買が違法であるとの判断から,黒人を解放.シエラレオネに送還せよとの判決.バン・ビューレン大統領は,元の所有者への返還を主張するが敗訴.元大統領ジョン・クインシー・アダムズはアボリショニストの立場から黒人を弁護.

41年 脱走黒人奴隷のフレデリック・ダグラス、マサチューセッツ州でギャリソンが開催した奴隷制反対の集会で演説。聴衆に感銘を与える。このあと有力な活動家として頭角を現す。

1842年

8.14 第二次セミノール戦争,最終的に終了.米国も2千万ドルの軍費を支出するなど大きな負担を負う.

8月 ウェブスター‐アッシュバートン条約締結.メイン州の国境が北に移動.

42年 ロードアイランド州で弁護士トマス・ドアの指導する人民議会成立.ドアを「知事」に選ぶ.武装反乱に失敗し壊滅.

42年 タイラー大統領,ハワイ併合に関し英・仏両国に警告.

43.8.23 メキシコ大統領サンタアナ,テキサス併合の動きに対し警告.

1844年

4 タイラー大統領と「テキサス共和国」,併合条約を締結.

6 米上院,メキシコの抗議に応じ,テキサスの併合に反対する決議.

44 大統領選挙.民主党,テキサス併合反対のヴァン・ビューレンを下ろし,ジャクソンの子飼いで膨張論者のテネシー州知事ジェームズ・K・ポークを擁立.ホイッグ党指導部はタイラーを放逐し,クレーを大統領候補に指名するが敗れる.

1845年 

3月 ジェームス・ポーク大統領,民主党から第11代大統領に就任.オレゴン地方の領有問題をめぐり,イギリスとの対決をうちだす.

3.03 上下両院,テキサス併合と准州昇格を認める合同決議案を採択.

3.28 メキシコ,米国との国交を断絶.

4 議会両院,オレゴンの単独領有決議を採択.英国はこれを無視.

4月 フロリダ,奴隷州として州に昇格.

7月 ジョン・オサリバン,「民主評論」誌にマニフェスト・デステニー(天命)論を発表.「プロビデンス島からはじまり,西海岸まで拡大を続け,さらに大洋を超えて拡大し,将来,米州全体に広がる大国となっていく流れは神の定めた必然である」.以後,アメリカの膨張主義を合理化する「理論」としてひろまる.

12 上下両院の合同決議.米国がテキサスを正式に併合.

12月 ポーク大統領,マニフィスト・デスティニーの名においてオレゴン全土への主権を主張.

45 アイルランドでジャガイモの胴枯れ病発生.その後15年間に人口の半分にあたる150万人がアメリカ移住.

45 ニューヨーク州の小作農運動,州議会に14名の議員をおくりこみ,翌年には地代反対派の知事を当選させる.

45 民主党内にリベラルな「バーンバーナーズ」と保守派の「ハンカーズ」の対立.

45 フリーモント,カリフォルニアで独立工作を開始.

45年 最初の野球チーム、Knickerbockersが創設される。Abner Doubleday - Alexander J. Cartwrightがルールを整備。

1846年 米墨戦争

1 ポーク大統領,ザカリー・テイラー将軍の率いる軍をテキサス州に派遣.ヌエセス河(メキシコが主張する境界)とリオグランデ河(米国の主張する教会)の間の係争地を確保.

4.24 リオ・グランデの近くで境界衝突.この後メキシコの将軍アリスタは戦争状態を宣言.

4.26 海兵隊は電撃作戦によりタンピコ,アルバラドの港を確保,ベラクルス港を封鎖.

1846年5月

5.08 メキシコ軍,リオグランデ河畔のテキサス州パルアルトに進駐した米軍を「越境」攻撃.米兵16人を殺傷.

5.11 ポーク大統領,5月8日の事件を取り入れた戦争教書を議会に提出.ポークは「メキシコがアメリカの国土の上にアメリカ人の血を注いだ」と煽る.ポークは当初,スライデルとの交渉を拒絶したことだけを理由に,敵意を正当化する教書を提出するつもりだったといわれる.

5.13 米国,メキシコに宣戦布告,米国=メキシコ戦争始まる.リンカーンらのホイッグ党は「弱国に対する強盗戦争」とポーク大統領を強く非難.ニューイングランド勤労者協会は「メキシコ戦争は軍人や奴隷主やヤマ師どもがメキシコの領土を食いもにしようとするための戦争に過ぎない」と批判.

5 テイラーの第一軍は,国境を越えないまま待機.カンザス州フォート・レヴェンワースで米西部軍が創設される.司令官はスティーブン・ワッツ・カーニー大佐.

6 スティーブン・カーニー大佐の第二軍は,ニューメキシコとカリフォルニアの占領に向かう.

6.14 ジョンC.フリーモント大尉に率いられる米国移民,カーニー軍侵攻に呼応し,カリフォルニア州ソノマで「カリフォルニア共和国」(Bear Flag Republic)独立を宣言.

6 オレゴンをめぐるアメリカ・カナダ間の国境確定.北緯49度の緯線を国境とする.オレゴン(現在のオレゴン,ワシントン州),アメリカに併合.アメリカは太平洋岸への出口を確保.

7 海軍准将ジョンD.スロートの率いる米国軍,カリフォルニアの首都モンテレーを占拠.米国旗を掲げ,アメリカ領カリフォルニアを宣言.

8.08 ペンシルバニアのデイビッド・ウィルモット下院議員,「メキシコから獲得されるどんな領土でも奴隷制度を禁止する」という条約の修正条項(ウィルモットProviso)を法案提出.議会で激論となるが,否決される.

8.17 ストックトン提督,カリフォルニア併合を宣言.

8.18 カーニーの軍,ラスべガス,Tecolote,サンミゲルを通り抜けサンタフェに入る.メキシコ側の抵抗はまったくなし.

9.25 カリフォルニアについで,テキサスからザカリー・テイラー将軍の軍が侵入,モンテレーを占領.メキシコシティーを目指す.カーニー軍は,ザカリー軍支援のためトメまで南下.その後カリフォルニアに向かう.

11 ポーク大統領,メキシコ遠征軍司令官にW.スコット少将を任命.テイラーはこの人事を承認せず,大統領命令を無視して進撃を続ける.

12.25 ブラジートのたたかい.メキシコ軍は敗走.ニューメキシコ全土が米軍により制圧される.

12 メキシコで自由主義派によるクーデター.サンタアナをハバナから呼び戻しメキシコ軍の指揮にあたらせる.サンタアナは激戦の末,いったんテイラー軍の撃退に成功.(一説では米国軍の前に敵前逃亡しながら,メキシコ市に「凱旋将軍」として帰還) 

46 英国で穀物法廃止.西部農業地帯からの対英輸出が急増.

1847年

1 スティーブンW.カーニー将軍の軍がカリフォルニアに入る.この時点ですでに,フリーモント,ロバート・ストックトン海軍准将(スロートの後任)らの下で,カリフォルニアは米国の支配下に.

2 ストックトン,カーニーの統制に従わず.フリーモントもストックトンを支持.米国政府はカーニーを支持.フリーモントは不服従のために軍法会議にかけられる.

2.22 サンタアナ軍,北部から侵入したテイラー軍とブエナビスタで決戦,大敗を喫す.その後テイラー軍は本国からの補給を得られず,戦線はこう着状態となる.

3.22 戦線膠着にいらだつポーク大統領,ウィンフィールド・スコット将軍の第三軍を投入.スコット軍は,軍艦および輸送艦150隻に一万三千名の兵士をのせ,ベラクルスに上陸.Veracruzを陥落.

3.29 スコット将軍,3週の包囲の後にベラクルスを陥落させ,メキシコシティーに向け進軍を開始.

4.17 スコット将軍とサンタアナ軍対戦.サンタアナ軍は壊滅し敗走.

5.15 プエブラ陥落.メキシコ市は孤立状態となる.

6 アルタ・カリフォルニア(現カリフォルニア州),テキサスに続き独立宣言.翌月には米国軍の進駐.

9.13 メキシコ市,スコット軍により占領.米軍はモンテレイ,マタモロスで抵抗するゲリラを見せしめ処刑.チャプルテペク防衛にあたった士官学校学生(ニーニョス・エロエス)は全員玉砕.メキシコ政府はケレタロに移転.米政府は国務省事務官長(chief clerk)ニコラス・トリストをメキシコに派遣,条約交渉に当たらせる.

47 自由黒人フレデリック・ダグラス,黒人むけ新聞「北極星」を発行開始.「権利に性別はない。真実に肌の色はない。神はわたしたち全員の父であり、わたしたちはみな兄弟である」をモットーとし、奴隷制廃止運動を政治行動と結びつける.

47 リベリア独立共和国が成立.米国に範をとった憲法を制定.米国から移住する元奴隷の数は2万人に達する.混血入植者の共和党と,黒人入植者の真正ホイッグ党が支配する体制.

1848年 ゴールドラッシュ

1.24 ジェームス・マーシャル,カリフォルニア州サクラメントの近郊サッター・クリークの製材所附近で金を発見,ゴールドラッシュを迎える.49年組(フォーティナイナイナーズ)とよばれるヤマ師が大挙しておしよせる.

2.2 米墨戦争終結.メキシコは敗れ国土の北半を割譲.リンカーンらのホイッグ党左派は「弱国に対する強盗戦争」とポーク大統領を強く非難.

2.21 JQアダムズ下院議員(元大統領),米墨戦争に抗議する演説の途中倒れ,2日後に死亡.

8.9 ホイッグ党左派,民主党ニューヨーク支部の奴隷制反対派(バーンバーナー派),地方の奴隷制反対の民主党員(自由土地民主党)が自由土地党を結成.西部への奴隷州の拡大に反対,「自由な土地,自由な言論,自由な労働,自由な人間!」をスローガンとする.バン・ビューレン元大統領を大統領候補に指名.

48 テイラー,ホイッグ党の指名を受け大統領選挙に出馬.民主党のクラスを破り当選.

48 ウィスコンシン州が自由州として昇格.イリノイ州では奴隷制度を禁止.この結果自由州の比重が高まる.

48 ニューヨーク州セネカで第一回女性権利会議が開催される.アリザベス・ケイディ・スタントンとルクレシア・コフィン・モットが指導.

48 ヨーロッパ諸国における2月ー3月革命,敗北に終わる.多くのドイツ人活動家がアメリカ移民.

49 ハリエット・タブマン,北に逃走.まもなく地下鉄道の指揮者となる.

49年 インディアン局が内務省の直轄下になる。

49 ハワイと通商条約締結.

1850年

4.19 クレイトン=バルワー条約締結.地峡運河をめぐる英米両国の利害調整.

6 南部奴隷州代表,テネシー州ナッシュビルに会し,ミズーリ妥協線の太平洋への延長を要求する決議.

7.09 テイラー大統領,任期半ばで病死.副大統領フィルモアが大統領となる.

9.09 ホイッグ党院内総務ヘンリー・クレイをフィクサーとして,奴隷制をめぐる「50年妥協」成立.メキシコからあらたに獲得した地域での奴隷制の是非について確定される.カリフォルニアは自由州として加入.ニューメキシコ,ユタ州は,奴隷所有者,奴隷制反対移民のどちらでも,早い者勝ちで権利を獲得できることとなる.

50年 妥協法案の成立に伴なう見返りとして,自由州へ逃亡する奴隷を取り締まる逃亡奴隷取締法が成立.テイラーはこの妥協に反対していた.

50年 ケンタッキー州,奴隷輸入禁止法案を撤回.

1851年

6月 フィルモア大統領,米国東インド艦隊の日本派遣計画を了承.

51年 合衆国とスー、シャイアン、アラパホなどの有力部族とが「ララミー条約」を結ぶ。西部に向う入植者を襲うインディアンに手をやいた政府は、多額の金を渡すことで輸送路の安全を約束させた。

1852年

6 マルクスの盟友ワイデマイヤーとゾルゲ,ニューヨークでプロレタリア同盟を結成.翌年にはアメリカ労働同盟を結成.実践的にはドイツ人移民のあいだにとどまる.全米印刷工組合結成.

12 大統領選挙.民主党のピアースがホイッグ党のスコット将軍を破り当選.

52 ストウ夫人の「アンクル・トムの小屋」出版.1年間で30万部を越える.

52 海兵隊,ブエノスアイレス暴動に際し,アメリカ市民保護のため上陸.

1853年

7.8 ペリー提督のひきいる東インド艦隊,浦賀に来航.通商条約を要求.さらに給炭基地と米船遭難時の救援活動の保障を求める.

12.30 ガズデン購入が議会で批准される.アリゾナとニューメキシコ州全土が米国領となる.

1854年 奴隷制論議の激化

2.28 ウィスコンシン州リポンで,二年後の大統領選を前に,共和党が結成される.旧ウィッグ党を母体に民主党の分派などが結集したもの.

3月 ペリーと日本とのあいだに神奈川条約締結.二つの港の開港を認めさせる.アメリカ帝国主義のアジア進出の足がかりとなる.

5.26 ボストン連邦裁,逃亡奴隷法に基づき逃亡奴隷アンソニー・バーンズを南部に送還する判決.バーンズを救おうと,群衆がボストン連邦裁を襲撃.連邦軍が出動し,港までバーンズを護送.

5月 カンサス・ネブラスカ法成立.ミズーリ州とアイオワ州の西側に広がる地域が準州として昇格.北緯40度を境として,カンザス州とネブラスカ州に分割される.両州の昇格に際し,合衆国の準州となる際は,住民の自由意志によって奴隷制の可否を決定できることになる.

7.06 ミシガン州ジャクソンで共和党結党大会.「自由な土地,自由な労働,自由な人間」をスローガンに掲げる.自由土地党,自由貿易反対の国粋党など多様な勢力が結集.奴隷制に対し,あいまいな態度を続ける執行部に不満を持つ北部の民主党員も参加.

7月 共和党,プランター勢力反対,奴隷制の西部への拡大阻止,保護貿易主義で一致,「1フィートの新しい土地も奴隷制にあけわたすな,国外での海賊的政策をやめよ!」と決議.ジョン・フレモントやアービン・ボビー,リンカーンが指導者となる.

7.19 ウィスコンシン最高裁判所が,逃亡奴隷法に違憲判決.

54年 カンザス州がミズーリ妥協で定められた北緯36度より北の部分を含みながら,奴隷州として認められたため,奴隷制廃止論者の反発を呼ぶ.カンサス戦争に発展.

1856年

5 「自由な土地」運動の指導者,カンザス準州議会によって反逆罪で起訴される。「自由な土地」運動と奴隷制擁護論者の対立が激化.

5.20 マサチューセッツ選出の上院議員チャールズ・サムナー,1854年カンザス‐ネブラスカ法を「詐欺行為」と非難.

5.21 カンザス州内で奴隷制支持派と廃止派が激突.連邦執行官に率いられた奴隷制勢力,廃止派の拠点ローレンスを攻撃し焼き討ち.

5.22 サウスカロライナ選出下院議員プレストン・スミス・ブルックス,サムナー上院議員をステッキで襲う.サムナーは瀕死の重傷を負う.

5.24 ジョン・ブラウンと6人の仲間、カンザス州ポタワトミー・クリークで奴隷制支持派住民5人を虐殺.ローレンス事件の報復と主張.この後両派の激突で200名が死亡.「流血のカンザス」と呼ばれる.

6 共和党,フィラデルフィアで初の全国大会.フリーモントを大統領候補に選出.リンカーンは副大統領候補に立候補するが敗北.民主党は奴隷問題での中立的立場をとる前駐英公使ジェームズ・ブキャナンを擁立.

7月 ウィリアム・ウォーカー,ニカラグアの大統領に就任.アメリカ政府,ニカラグアのウィリアム・ウォーカー政府を認める。ウォーカーは、奴隷制度と地峡運河に基づく軍事帝国の計画を推進.(ニカラグア年表参照)

11.04 大統領選ではブキャナンが選出されるが,共和党のフレモントも3割以上の得票を獲得.選挙総括をめぐるあらそいで,ホイッグ党は瓦解.

56年 サウスカロライナの知事ジェームズH.アダムズ,奴隷取引を禁止した1807の法律の廃止を強行.

56年 イリノイ州議会議員リンカーン,奴隷制は極悪非道な不正であり,「どんな偉大な人物をも堕落させる」ものだと演説.

1857年 

3.06 連邦最高裁,ドレッド・スコット事件への判決.奴隷制支持の立場から,ミズーリ協定を違憲と判断.奴隷制の全土への拡大を可能にする.北部を中心に反奴隷制勢力から強い反発をよぶ.

8.24 米国で金融恐慌が発生.

57年 刑法改正.女性囚の国外追放処分を廃止する.

58年 逃亡奴隷,オハイオでオーバーリン・カレッジの学生・教授によって救われる。逃亡者はカナダまで安全に送られる。

1859年 ジョン・ブラウンの蜂起

3.07 連邦最高裁判所は、エーブルマン対ブース裁判で1850年の逃亡奴隷法を合憲と判断,1854年のウィスコンシン判決を覆す.

10.16 ジョン・ブラウン,バージニア州北西部(現ウェストバージニア)のハーパース・フェリー連邦軍兵器庫を22人のゲリラ(黒人6人をふくむ)により襲撃.奴隷解放をめざす戦いを始める.

10.18 ジョン・ブラウンの戦い,全国の支援を受けることなく2日後に敗北.ロバート・リー大佐指揮下の海兵隊により逮捕.

12.02 ジョン・ブラウン,絞首刑となる.

59年 カンザス,奴隷州としての認定を申請.連邦議会は住民投票に不正があったとして,承認を見送る.

59年 ジョージア州、奴隷主が自由意志で奴隷を解放する事を禁止.また自由黒人であっても放浪者とみなされれば,ふたたび奴隷とする事を許可.

59 エドワード・ドレーク,ペンシルバニア州西北のタイクスビルで石油の採掘に成功.石油産業の開始.

1860年

2.22 マサチューセッツ州リンで靴職人の賃上げ要求スト開始.ニューイングランド地方全体に拡大,2万人が参加する大ストとなる.

5.16 シカゴで共党和党大会が開かれる.三回にわたる投票の末,リンカーンが大統領候補に選出される.受諾演説でリンカーンは,「ジョン・ブラウンは共和党を代表する人物ではない.南部は自分の奴隷のことについて口出しされるのを心配する必要はないと述べる.

6.18 ボルチモアで民主党大会.党が東西に分裂.北部の民主党員はスティーブン・ダグラスを大統領候補に押す.南部のプランター勢力はブレッキンリッジを独自候補として擁立.西部は南北いずれにも属さず.旧ホイッグ党勢力と合同し立憲連邦党を結成.ジョン・ベルを候補に推戴.

11.06 大統領選挙.民主党分裂により漁夫の利を得た共和党のリンカーンが40%を獲得し,第16代大統領に当選.ダグラスが30%,ブレッキンリッジの得票は20%未満にとどまり,南部の奴隷制維持勢力の影響力減退を裏付ける結果となる.リンカーンの当選に南部は一斉に反発.

12.20 サウスカロライナ州議会,全会一致で連邦脱退を決議.

60年 エリザベス・ケディ・スタントン,ニューヨーク州議会で演説.女性の参政権を主張する.

1861年 南北戦争

1.09 ミシシッピ州など低南部の五州があいつぎ連邦を脱退,サウスカロライナと行動をともにする.

2.01 6州に続き,テキサス州も連邦脱退を宣言.

2.04 南部7州,アラバマ州モントゴメリーに集まり「アメリカ連合」臨時政府を結成.奴隷制を公然と認める憲法を採択する(奴隷の輸入は禁止).

2.18 ミシシッピ州選出のジェファソン・デービス,南部連合の臨時大統領に就任.

4.04 リンカーン,合衆国大統領に就任.就任演説では「南部の奴隷制に手をつける意思も権限もない」と強調,南部連合に対し連邦復帰をうながす.

4.12 南軍,チャールストン市郊外のサムター(Sumpter)要塞攻撃.翌日これを陥落.アメリカ,南北戦争にはいる.南部連合にさらにバージニアなど高南部4州が加わる.

4.18 ウエストポイントの前校長リー大佐,南軍に参加.

4.19 リンカーン大統領,南部連合に対する海上封鎖を命じる.

4.29 南部諸州の分離宣言.11州よりなる.

5.21 南部連合,バージニア州リッチモンドを首都と決定.

7.21 南軍,ヴァージニア州のブル・ラン川の戦いに勝利.

11.1 ジョージ・マクレラン,北軍総司令官に就任.

11月 トレント事件.米軍が英国船を拿捕し英,仏外交官を拘留.英米間は戦争一歩手前まで関係悪化.

12.20 共和党急進派,戦争遂行合同委員会を設立.

12 南部出身の両院議員が相次いで離脱.テネシー出身のアンドリュー・ジョンソンが,唯一の南部議員として残留.

 

1862年

2 グラント准将の率いる北軍,テネシー州のドネルソン要塞を攻略.和平交渉を求める南軍に「無条件・即時降伏のみ」と迫る.

3.28 グロリエタの戦いで,北軍が南軍をアパッチ峠で破り,進撃を食い止める.

4.16 南部連合に徴兵令が施行される.

4.16 コロンビア特別区で奴隷制度が廃止される。

4.26 北軍がニューオーリーンズを占領.

5 リー将軍,南軍総司令官に就任.

7 議会,ユニオン・パシフィック鉄道とセントラル・パシフィック鉄道に対し大陸横断鉄道の建設認可.

8 北軍,解放黒人の軍への加入を許可.黒人20万人が北軍兵士として参加.

9.17 メリーランド州アンティータムで両軍の激突.首都ワシントンに迫ったリー将軍の部隊,数に勝るマクレラン麾下の北軍に破れ撤退.戦死者あわせて2万2千名.

9.23 リンカーン,奴隷解放予備宣言を発表.「アメリカ合衆国に対して反抗する地域の奴隷」は,1863年1月1日以後自由であることが宣告される.

奴隷解放宣言の裏側:  奴隷制廃止を唱えるイギリスの介入を防ぎ,苦戦を打開するための戦術的措置といわれる.南部の黒人奴隷は解放されるが,「合衆国の支配地域の奴隷」は自由とはならない. 南部も軍事上の必要から奴隷解放を宣言.

11.17 マクレラン将軍,リンカーンとの意見の違いから解任される.

12.23 フレデリックスバーグの戦い.北軍が辛勝.南軍に補給困難の徴候が現れる.

62年 自営農地法(ホームステッド・アクト)制定.5ヶ年間定住し開拓に従事した青年男子に対して160エーカーの公有地を無償で払い下げることを定める.西部の開拓が一気に進展.西部農民はこの後,北軍支持に回る.

1863年

1.01 リンカーン,奴隷解放を宣言.4百万の黒人奴隷が自由の身となる.ただし対象は南軍支配下の奴隷のみ.リンカーン自身は,一度も奴隷制廃止論者であったことはなかった.

1.20 奴隷解放宣言の20日後,「アボリショニスムの黄金のトランペット」といわれたウェンデル・フィリップス,「この戦いは長期戦になるだろう.それは自由と民主主義が,カースト制度=特権と階級の制度を相手にした,世界中で続けられている戦いの一部である」と演説.

1 共和党急進派が北部の主導権をにぎる.自営農の創出をめざすホームステッド法も成立.

3.03 北部で徴兵制.各地で抵抗強まる.

3月 リンカーン、黒人兵の採用を承認する。ダグラスは黒人から成るマサチューセッツ第54、55 連隊を編成する兵士募集の任に当たる。

5.1 チャンセラーズウィルで5日間にわたる激戦.雌雄を決せず.

6 ユリシーズ・グラント将軍指揮下の第21イリノイ義勇連隊がヴィックスバーグ要塞を落とし,ミシシッピ流域を確保.さらにチャタヌーガの戦いでも南軍を撃破.

7.01 再び北進を開始したリー将軍の軍をミード将軍の指揮する北軍が迎え撃つ.三日間にわたるゲティスバーグの決戦.戦死者4万3千名.南軍は兵力をほぼ使い果たし撤退.

7.13 北部諸州の中で奴隷制に対し中立的立場をとるニューヨークで,徴兵に反対する市民の暴動,4日間にわたる.死者千2百人以上.暴動の中で,暴徒による黒人の大量虐殺.

7月 フランス軍,メキシコ市を占領.マキシミリアンがメキシコ皇帝に即位.

11.19 激戦地ゲッティスバーグで国立戦没者墓地奉献の式典.リンカーンの追悼演説「人民の,人民による,人民のための政府」を誓う.

 

1864年 南部の徹底破壊

3.10 第21イリノイ義勇連隊で戦功をあげたユリシーズ・グラント中将,北軍最高司令官に就任. ウィリアム・シャーマン将軍に南部の重要拠点アトランタの攻略を命じる.

6.28 逃亡奴隷取締法が廃止される.

7.7 シャーマン軍,ジョージアに侵入.途中,南部の継戦能力を完全に奪うため焦土作戦を展開.農業地帯,工業地帯,交通網を徹底的に破壊.南部人に深い恨みを残す.

8.19 シャーマン軍,アトランタへの砲撃を開始.

8.23 廃墟となったアトランタ,北軍の手により陥落.

11.8 リンカーン大統領再選.マクレラン前総司令官が民主党から立候補するが落選.

11.15 シャーマン軍,アトランタから東に向け,大西洋岸のサヴァナ港をゴールとして進軍開始.

11.18 リンカーン,大統領に再選される.

11.29 シビントン指揮の騎兵隊800人が,コロラド州サンドクリークのシャイアン族野営地を襲い虐殺。

12.22 シャーマン軍,大西洋岸のサヴァナ港へ到着.

 

1865年 南北戦争終結とリンカーン暗殺

1.16 シャーマン軍,カロライナに侵入.

3.02 リンカーン大統領が,南軍のリー将軍からの和平交渉の請願を拒否する.

3.04 リンカーン,第二期目の大統領に就任.「誰にも悪意をもたず,すべての人に思いやりを」と演説.

3.21 シャーマン軍,南部全州をほぼ制圧.

4.02 リー将軍,リッチモンドを放棄. リッチモンドは翌日陥落.

4.04 リンカーン大統領,リッチモンドに入る.

4.09 リー将軍,バージニア州アポマトックスにおいてグラント将軍に降服.南北戦争終結.北軍死者36万人,南軍は26万人.死者の1/3が戦闘死,他は病死. 南軍の一部は各地で抵抗を継続.

4.14 リンカーン,ワシントン・フォード劇場で芝居観劇中に,背後から俳優ジョン・ブースの銃撃を受ける.デリンジャー銃の銃弾は左耳の後ろから頭蓋骨を貫通したという.ブースはそのまま逃亡.

4.15 午前7時22分,リンカーン死亡.後任にアンドルー・ジョンソン副大統領が就任.ジョンソンは唯一合衆国に忠誠を誓った南部選出上院議員,というだけの保守的な人物.

4.26 潜伏中のブース,捜査隊により射殺される.

5.10 ジェファーソン・デイヴィス南部連合大統領,北軍騎兵隊によって逮捕される

5.23 ワシントンで戦勝記念パレード.

5.26 テキサスで抵抗を続けていた南軍が北軍に降伏,全ての戦闘が終結.

5.29 大赦宣言とノースカロライナ宣言が出される.ジョンソン大統領の再建案が発表される.

12.24 テネシー州のプラスキーでKKK(クー・クラックス・クラン)創立.旧南軍士官を中心に黒人圧迫を目的とする.

12月 奴隷制度を禁じた憲法13条修正,公民権を規定した憲法14条修正が議会を通過.奴隷制度が公式に廃止される.

1866年

4.9 議会,ジョンソン大統領の反対を押切って黒人に市民として白人と同等の権利を与える公民権法を成立させる.解放黒人局設置.憲法修正第14条(奴隷制廃止)発効で黒人の法律的平等が明確に.さらに南部の旧支配層の公職追放などを決議.

8.20 ウィリアム・シルヴィスらボルティモアで全米労働者会議を開催.全国労働組合連盟を結成.8時間労働,男女平等賃金を掲げ,最盛時には30万人を組織.

1867年

3月 米国,700万ドルでロシアからアラスカを購入.下院はこの買収案をいったん否決.

7月 カナダ,英国領内で自治権を獲得.

8月 米国,ミッドウェイ諸島を購入.

10月 キューバで第一次独立戦争が始まる.

10.18 ウィリアム・シウォード国務長官の強力なキャンペーンの結果,下院はアラスカ購入を承認.

12.04 ケリーが農民組織のグレンジを結成.

67年 元南部連合大統領ジェファーソン・デイビス,釈放される.

67 南部再建諸法制定.「再建」軍政開始.南部人は秘密結社によるテロで抵抗.

1868年

1 ジョンソン大統領,スタントン陸軍長官を解任.これに激怒した議会はジョンソン弾劾を打ち出す.

2.24 革新政策に対し骨抜き策動を続けたジョンソン大統領,下院により告訴される.弾劾裁判が開始される.

5.16 弾劾の可否を問う投票.1票差で2/3に届かず.ジョンソン大統領は弾劾を免れるが,その後はレームダックとなる.

12 大統領選挙.大統領選挙.南北戦争の英雄グラントが300万票を獲得し当選.民主党の対立候補も270万票を獲得.

1869年

3.04 グラント将軍,大統領に就任.2期8年にわたり在職.汚職事件が続発し「歴代最低の大統領」と言われる.シャーマンは陸軍総司令官となる.

5.10 最初の大陸横断鉄道開通.東のユニオン・パシフィック鉄道と,西のセントラル・パシフィック鉄道がユタ州のプロモントリーでドッキング.ニューヨーク・カリフォルニア間の直通列車の運行は翌年から開始。

9.24 ウォール街で,金融恐慌が発生.

69 全国労働者連盟大会.女性と黒人の加盟を認める決議を採択.黒人はアイザック・マイヤースを中心に全国有色人労働同盟を結成.全米婦人参政権協会結成.第1インタナショナルの第1支部としてニューヨーク社会党結成.

1870年

1.10 ジョン・ロックフェラーが,オハイオ・スタンダード石油会社を設立.

3.30 憲法修正第15条(黒人の選挙権)発効.

6月 ドミニカ共和国の購入案,議会で否決される.

71.4 ニューメキシコでアパッチ族の反乱開始.

71 ユライア・スティフンス,フィラデルフィアにおいて秘密結社として労働騎士団を結成.労働者を貧者も富者も圧制もない健全な社会の英雄たらしめることを目的とする.全国労働組合連盟にかわり勢力を伸張.

1872年

2.22 全米労働者改革党大会が開かれる.

72 グラント,第二期目の大統領に就任.任期中クレディ・モビリエ事件が発生.コーファクス副大統領ら数名が逮捕される.

72 ニューヨークで8時間労働を要求し,10万人が参加するストライキ,3ヶ月後に労働者の勝利に終わる.

72 グラント大統領,旧南部の支配階級を全面大赦.解放黒人管理局も活動停止.

73 米国の工業生産,英国に次いで世界第2位に.

1874年

2.13 ハワイの国王継承問題を口実に,海兵隊がホノルルに上陸.

12.07 ミシシッピ州で人種暴動が起こり,75人以上の黒人が殺害される.

1875年

75年 米=ハワイ相互親善条約締結.

1876年

6.26 リトル・ビッグホーンの戦い、インディアン連合軍の勝利に終わる。カスターをふくむ264名の第7騎兵隊主力が全滅.

7.15 フィラデルフィアで,第1インターのアメリカ支部を母体に労働者党結成.翌年アメリカ社会主義労働党と改称.亡命者を中心とした小政党.

76 共和党と民主党,大統領選をめぐり妥協.共和党ヘイズの当選と引き換えに南部における軍政が廃止される.

1877年 北軍撤退とジムクロウ

4 南部に駐留していた最後の連邦軍が撤退.再建法に基づく軍政が終了.南部で保守派の復活と人種差別の復活強まる.「ジムクロウ」とよばれる黒人差別がふたたび定着.黒人の獲得した市民権がつぎつぎと奪われる.

7.17 戦後不況,ピークを迎える.ボルティモア・オハイオ鉄道の労働者が賃金カットに抗議してストに突入.鉄道員の全国的ストライキに発展.政府は連邦軍を出動させ鎮圧.

9 ヘイズ大統領,遊説先のアトランタで,「黒人の権利や利益は,連邦政府よりは南部白人の手に委ねられているほうが,はるかに安全である」と述べる.

12.26 鉄道員の闘争に指導的役割を果たした活動家が社会主義労働党を結成.最盛期には,党員1万まで拡大.

1878年

78年 サモアに米海軍の補給基地が建設される.

1881年

7.02 ジェームズ・ガーフィールド大統領(共和党),背後から撃たれる.ガーフィールドは運河の労務者から身を起こした立志伝中の人物.

9.19 療養中のガーフィールド大統領,死亡.チェスター・アーサーが大統領に就任.

11.17 職人労働者組合総連合,ピッツバーグで設立.

11.22 国務長官ジェームス・ブレーン,ラテンアメリカ諸国を汎米会議に招請.

1882年

1.02 ロックフェラー,スタンダード石油トラストを組織.40の石油精製業者とパイプライン会社とトラスト契約を結び精油の9割を支配.この後多くのトラストが設立.中西部諸州は州法でトラストを禁止して防衛.

82年 西海岸で中国人排斥運動が起こる.米政府は中国人の入国を制限.

84年 ニカラグアとのあいだに運河建設条約締結.

86年 自由の女神像が完成する。

1886年 ヘイマーケット事件

5.01 8時間労働制を要求する全国スト.労働者30万人が参加.

5.02 争議の中心地シカゴで,マコーミック・ハーベスター社の工場を占拠していた労働者が,警察に発砲される.

5.04 シカゴのヘイ・マーケット事件,労働条件改善を求め,マコーミック社の発砲事件に対する抗議集会がヘー・マーケット広場で開かれる.集会鎮圧に向かった警官隊に爆弾テロ.警官7人が死亡,70人が負傷.その後,スト中の2万人の労働者に警官隊が攻撃.労働者80人以上が死亡.オーガスト・スパイズらアナーキスト7人の指導者が,警官殺しのでっちあげで捕らえられ,うち4人が処刑される.メーデーの発端となる.

10.26 独立100周年を記念する「自由の女神」像の除幕式.

12.08 労働騎士団に反発する熟練労働者が離脱.あらたに米国労働総同盟(AFL)を結成.サミュエル・ゴンパースが指導.

12 ヒューストンで全国黒人農民同盟創立大会.最盛期には125万人が参加.

87.1 アメリカ,真珠湾の租借権を獲得.

87年 ドーズ(Dawes)法成立.先住民居留地での共有地制度を否定.すべてを個人所有に帰す.多くが新規入植者に分配され,これを機に先住民からの土地収奪が進む.

89 パナマ運河会社破産,建設権をアメリカに譲渡.

89年 サモア諸島,米・英・独三国の共同管理となる.

89.10 ジェームス・ブレイン国務長官のよびかけで,初の米州会議開催.最初ワシントンで,その後インディアナ州サウスベンドに移り,半年にわたるマラソン会議となる,18ヵ国が参加.本部をワシントンに置く米州諸国国際本部結成.米国務長官が理事長に就任,事務総長ポストもアメリカ人が独占.以後5年に1回の開催.後に汎米会議と改称.

1890年

7.02 各州のトラスト禁止法を雛型にシャーマン法成立.正式名称は「非合法な制限および独占に対して営業および通商を保護する法律」

12.19 サウス・ダコダのインディアン居留地ウンデッド・ニーに集結したスー族を米軍が襲撃.146人を虐殺.内半数は女性と子供.

90 黒人からの選挙権剥奪,ミシシッピを皮切りに南部にひろがる.

90 国勢調査局は国内のフロンティア消滅を宣言.

90年 米国の海軍将校で歴史家のマハン,「歴史における海軍力の影響」を発表.英国の歴史的成功は,その海軍力のためであるとし,海外基地建設を中心とする包括的な海軍建設戦略を展開する.

91.05.05 鉄鋼王アンドリュー・カーネギー,音楽用ホールを建設.カーネギーホールのオープニング・セレモニーがチャイコフスキーを招いて行われる

91 南部農民同盟,北部農民同盟,労働騎士団,統一炭坑夫労働組合などを結集して,カンザス州トピーカにおいて人民党創立大会開催.主体は小作農で,過去を美化し「古き良きアメリカ」の復活をもとめる.

1892年

2.22 人民党がセントルイスで正式に結成.

7.2 人民党全国大会,オマハで開催.綱領を採択し,ジェームス・ウィーバーを大統領候補に指名.ウィーバー,百万以上の票を獲得.ポピュリズム運動,ピークに達する.

7.6 カーネギー製鋼会社のホームステッド工場で,5ヵ月にわたる大規模なストライキ.流血事件に発展する.

92 中国系移民排斥法成立

1893年

1.17 ハワイ女王リリウオカラニ,民族的な新憲法制定をねらうが,アメリカ人により脅迫され退位.

2.14 アメリカ・ハワイの併合条約が調印される.

6.27 恐慌発生.4年間にわたる.労働者の2割近くが失業.ストライキ頻発.

93 ユージン・デブス,アメリカ鉄道組合を結成.鉄道従業員の大同団結をめざす.

93年 米国の歴史家ターナー,「米国史におけるフロンティアの重要性」を発表.米国の民主主義は西欧文明ではなく,西部のフロンティアのゆえに形成されてきたとし,「フロンティア・スピリット」を称揚.「明白な運命」をさらに追求するためには,海の向こうにまでフロンティアを広げなければならないと主張.

1894年 労働運動の第一次高揚

3 人民党のジェイコブ・コクシー,ワシントンへ向けて失業者行進を組織. オハイオを出発.延べ参加者は10万人に達する.

5.01 失業者行進の先陣400人,ワシントンに入ったところで弾圧.

6.21 プルマン・スト開始.プルマン(鉄道の寝台車)会社の労働者が決起.ユージン・デブスが指導.全米鉄道労組も参加し,シカゴを中心に24州にまたがる大闘争となる.

7.2 連邦裁,シャーマン反トラスト法違反を理由にプルマンのストに禁止命令.

7.3 クリーブランド大統領,スト鎮圧のため連邦軍など1万4千名を出動させ弾圧.死者13名に達する.

7.04 ハワイは共和国となる.サンフォード・ドール判事(50)が大統領に選出される.

8.07 アメリカが,ハワイ共和国を承認.

12.14 ユージン・デブス,陰謀と法廷侮辱により禁固刑の判決.

95年 全米工業家協会結成.恐慌からの脱却策として海外進出の強化を要求.

95年 日清戦争,日本の勝利に終わる.中国は朝鮮半島に対する支配権を失う.

95年 第二次キューバ独立戦争開始.

95年 米国,ベネズエラと英領ギアナの国境紛争に干渉.

96.5.18 最高裁,「分離すれども平等」(Separate but equal)の理由で南部諸州の人種差別法を合憲と判断.人種によって車両などを区別するジェム・クロー車両法を是認.このあと教育、職業などあらゆる分野で、人種隔離が合法とされる。

96 大統領選.共和党のマッキンレーが勝利.人民党は民主党のウィリアム・J・ブライアンを支持してたたかう.ブライアンは「みんなが王だが,誰も王冠はいだかない」と人民主義を訴える.ブライアンの敗北以後,人民党は民主党に吸収され活力を失う.

97 ペンシルバニア,オハイオ,西バージニアで炭鉱スト開始.2ヶ月にわたり持ちこたえる.

97年 セオドア・ルーズベルト,海軍次官に就任.海軍力の増強・近代化を図るいっぽう,キューバ独立に向け積極的に介入

1898年 米西戦争

2.15 ハバナ港でメイン号が謎の爆発により沈没。大衆紙は「メイン号を忘れるな」と戦争を煽るキャンペーンを開始。

4.25 米西戦争開始.セオドア・ルーズベルトは海軍次官を辞し,義勇軍を率いキューバ独立戦争に参加.(詳細はキューバ年表へ)

6.15 ハワイ共和国,アメリカに併合される.議会は7月7日に併合を承認。

8.12 キューバ・プエルトリコのスペイン軍が無条件降伏。翌日にはマニラが陥落。ジョン・ヘイ国務長官は「すばらしき小戦争」(splendid little war)と評する.

11月 米国の海外侵略に反対する反帝同盟が結成される.主なメンバーは鉄鋼王アンドリュー・カーネギー,労働運動指導者サミュエル・ゴンパーズ,作家マーク・トウェインなど.

12.13 パリ条約締結.勝利したアメリカは,2千万ドルと引き換えにキューバ,プエルトリコ,フィリピン,マリアナを取る.ただしキューバについては,議会が戦争宣言時に決議した「キューバの独立を認め,併合しない」とするテラー付帯決議のため,併合は見送られる.

12.21 マッキンレー大統領,フィリピン全土に軍政を布告.「友愛的同化」宣言を発する.

98年 ニューヨークの人口が340万に達し、ロンドンに次ぐ世界第二位の大都市となる。

1899年 アギナルドの反乱

1.17 エミリオ・アギナルド,アメリカに対し反乱開始.初代フィリピン総督のアーサー・マッカーサー(ダグラスの父),米兵7万を投入し民族解放勢力に対する大虐殺を指揮.3年間でルソン島住民の6分の1が殺害される.米兵も7千人が戦病死.米国史の中で最も汚い戦争と呼ばれる.

9.06 ジョン・ヘイ国務長官,英・独・露三国に「門戸開放通牒」を送る.外部の虐待から中国を「保護する」ことを目的とする.米国は中国における各国の勢力範囲は認めるが,貿易の機会は均等にすべしと主張.

10月 ベネズエラと英領ギアナとの国境線が,米国の調停案により確定.内容はほぼ英国側の主張どおり.