1900
1月 アギナルドの抵抗に手を焼く米政府,あらたに8万人の援軍をフィリピンへ派遣.
2.05 中米運河の権益を巡る第1次ヘイ=ポンスフォート条約が調印される.
4.30 ハワイ共和国がアメリカの準州になる.
6月 北京で義和団事件が発生.米国は2,500人を派兵し鎮圧にあたる.
7.24 ニューオーリーンズで人種暴動.黒人街が焼き打ちにあう.
9.17 炭鉱労働者11万2000人がストライキに入る.無煙炭の価格が6.5倍になる.
11.06 大統領選挙。再選を目指す共和党のマッキンリーが民主党のブライアンを破って当選.
00 インディアン人口,この年23万人と最少を記録.(植民開始前の最大時は一千万人)
00年 ヨーロッパからの移民が急増.第一次世界大戦までの15年間に13百万人が流入.この中にはユダヤ系、イタリア系を中心に多くの共産主義者が混じる。
1901年
3.02 議会がキューバ干渉の権利を規定したプラット修正案を可決.
5.12 炭鉱労働組合,ストライキを開始.ルーズベルトは調停団を派遣.
5.27 最高裁判所が,プエルトリコ人は事実上アメリカ市民ではないとの判決.
6.12 議会が,キューバへの内政干渉を規定したプラット修正条項を採択.
7 アメリカ社会党創立.労働者,小農場主などを結集.プルマン・ストの指導者ユージン・デブスが委員長に就任.
9.02 ルーズベルト副大統領が,「棍棒外交」の演説を行う.
9.06 マッキンレー大統領バッファローの博覧会場で無政府主義者チョルゴッシュに狙撃される.
9.14 マッキンレー大統領死亡.副大統領のセオドアが大統領に昇格.
11.18 第2次ヘイ・ポンスフォート条約に調印.アメリカがパナマ運河の建設・管理権を独占的に掌握.
1902年
4.29 中国人移民の全面禁止法が成立する。日本人移民への反感も強まる。
5.12 ペンシルヴァニア州の炭鉱労働者が,賃上げと労働組合の承認を求めてストライキに突入.
6.28 議会が中米地峡運河法を可決する.パナマ,ニカラグアでの運河敷設に関する交渉権,建設実行権を大統領に付与.
7.01 フィリピン統治法が成立。民政に移管する。
7.28 米政府,フランスのパナマ運河会社の権利を買収.
11月 狩に出かけたルーズベルト、捕らえた熊を逃してやる。このエピソードがメディアで報道されたことから、これにあやかってテディベアが発売される。テディベアは熊のぬいぐるみで、テディはルーズベルトの愛称。
02年 英・独海軍,債務返還を求めベネズエラを封鎖.港に砲撃を加える.米国は戦艦を送り,ヨーロッパ勢力を威嚇.債務交渉をまとめ上げる.
1903年
1.22 パナマ運河建設を取り決めたヘイ・エラン条約を締結.その後コロンビア議会は批准を拒否.
4.27 連邦最高裁判所,黒人の投票権を認めないアラバマ州法を支持する判決.
11.03 パナマ,コロンビアより分離,米国の隷属下に.
11.18 ヘイーブナウバリリャ条約締結。新生「パナマ共和国」は詐欺的手法によりアメリカの隷属下に入る。
12.17 ライト兄弟の初飛行.
03年 W.E.B.デュボイス,「黒人の魂」を発表.人種差別の撤廃を訴える.デュボイスは黒人として初めてハーバード大学の学位を受けた.
1904年
7.01 ケンタッキー州で,白人・黒人双方の就学を認める教育機関に罰金1000ドルを科す法案が可決.
7.06 セントルイスで黒人自由党の結成大会が開かれ,黒人大統領候補としてジョージ・テーラーを指名.
11.09 セオドア・ルーズベルトが大統領に当選.
12.06 ルーズベルト大統領,年次教書で「モンロー主義の系譜」(コロラリー)を発表.「西半球の諸国の凶悪かつ長期にわたる失政に対しては,たとえ内政といえども,国際警察力として干渉せざるをえない」と宣言,カリブ海諸国への干渉を主張する.ルーズベルト・コロラリーとよばれる.
1905年
3.31 ドミニカに対し,仏・伊両国が債務を口実に干渉.セオドア・ルーズベルト大統領が,ドミニカとの暫定協定によりアメリカ人関税管理者を任命.
6.21 シカゴで世界産業労働者団(IWW)結成.西部鉱山労働者連合のウィリアム・ヘイウッド,社会党委員長ユージン・デブス,アメリカ鉱山労働者連合の老活動家メアリー・ジョーンズなどが指導.熟練労働者に限定したAFLと異なり,職業・人種・性の区別なしに未組織労働者を組織し,鉄道ストなどを展開.
IWW結成宣言: 労働者階級と雇用者階級はなんら共通するものをもたない.数百万の労働者に飢えと貧困がある限り平和はありえない.すべての労働者が産業分野はもちろんのこと政治分野においても結集し,彼らの労働の産物を取得し確保するまでは,これら二階級の闘争は絶対に終わらない。
7.13 デュボイス,トロッターら黒人運動指導者が,ナイアガラにあつまり宣言を発表.「われわれは,ニグロ・アメリカ人は自己の劣等性を認め,抑圧にしたがい,侮辱に対しても低姿勢であるという印象を放置しておくことを拒否する」とし,ナイアガラ運動を開始.
8.09 セオドア・ルーズベルトの調停により,日露両国がポーツマス会談.
9.05 ポーツマス条約が調印される。ロシアは遼東半島の支配権を日本に譲渡.サハリン南部を割譲,満州に対する日本の保護権を承認し,朝鮮を日本の保護下に置くことを承認.
1906年
9.24 アトランタで反黒人暴動が起こり戒厳令がしかれる.黒人18人を含む21人が死亡.
11.06 セオドア・ルーズベルト,アルトン・パーカーを破って再選される.
11.09 セオドア・ルーズベルト大統領がパナマ視察に出発.
12.10 日露戦争終結に尽力したルーズベルト,ノーベル平和賞を受賞.
06 社会主義をめざす文化運動,大きな高揚.アプトン・シンクレア,小説「ジャングル」を発表.精肉工場の実体暴露する一方,社会主義の理想を語りベストセラーとなる.セオドア・ドライザー,ジャック・ロンドンも相次いで社会主義に共感を寄せる小説を発表.
1907年
2.08 ドミニカの関税管理権を50年間にわたり獲得する協定.
7.31 米国,ドミニカ共和国のサントドミンゴから撤兵するとともに税関管理権を還付.
10.22 金融恐慌が始まる.
1908年
6.23 アメリカがベネズエラと国交断絶.
7.04 労働党大会,大統領候補としてマーティン・プレストンを選出.プレストンが殺人罪でネバダ州刑務所に服役中であり,憲法上の年齢に達していないことから,ニューヨーク州のオーガスト・ギルハウスが選ばれる.
8.15 イリノイ州スプリングフィールドで,白人女性が黒人に暴行されたと主張.黒人街が攻撃され,白人と黒人が衝突.
08年 ルート・高平協定.相互の国際的影響力を承認し,太平洋上の島々における勢力範囲を確定.日本からの移民を自粛する紳士協定も結ばれる。
08年 フォード自動車会社、T型フォードの発売を開始。
1909年
1月 ウィリアム・ハワード・タフト(R)が第27代合衆国大統領に就任.「ドル外交」を展開.米国人実業家の海外投資を促進.
2.12 リンカーン生誕百年を記念し、「市民的・政治的自由のための戦いを更新する」ための全国会議が開かれる。「借金のために奴隷のように働かされ、精神的に無視され、政治的な権利を剥奪され、社会的に侮辱される状態から解放されたい」と訴える。
6.01 ニューヨークで全国黒人委員会(National Negro Committee)が結成される.翌年、組織を拡大し全国有色人種地位向上協会(National Association for the Advancement of Colored People: NAACP)と改称。
11月 バリンジャー=ピンショー論争が始まる。ルーズベルト派のピンショー森林局長が環境保全を訴え、タフトの変節を非難。共和党内の分裂が表面化。ルーズベルト前大統領を旗頭とする改革派が台頭する.
11.18 アメリカがニカラグアに軍隊を派遣.
09年 ニューヨークで征服工場の女子従業員によるゼネスト.2万人が参加し部分的勝利を勝ち取る.
1910年
5.01 ニューヨークの全国黒人委員会(NNC)が,全米有色人種地位向上協会(National Association for the Advancement of Colored People:NAACP)に発展改組.白人自由主義者が中心,デュボイスも唯一の黒人幹部として参加.
5.20 米海兵隊,ニカラグアに軍事介入する.
8.31 タフトとの主導権争いに敗れたルーズベルト,共和党を離れる.ルーズベルトはタフトに対抗し、「ニュー・ナショナリズム」を提唱。
10年 NAACPの機関誌としてThe Crisisが発刊される。デュボイスは、「有色人種への偏見をはらむ現実や論点を明らかにする」と目的を示す。
10年 日本が韓国を併合.日米間の亀裂が深まる。
1911年
1.21 ワシントンで,ラフォレット上院議員を指導者とする全米革新共和党連盟が結成.
3.07 ポルフィリオ・ディアス大統領支援とアメリカ資本保護のため,メキシコ国境に2万人の合衆国軍隊を派遣.
4.15 アメリカ軍が越境し,メキシコ反乱軍と戦闘.
5.15 最高裁が反トラスト法(シャーマン法)によりスタンダード石油会社に分割命令.
6.06 アメリカがニカラグアの関税管理権を得る.
11月 メキシコ革命が開始される.
11年 フレデリック・W・テイラー,「科学的経営法」を発表.テイラー・システムが急速に普及.
11年 清帝国が崩壊し,中華民国が成立.
1912年
3.02 タフト大統領、国民に対しメキシコ内乱への参加を禁止する声明.
6.05 権益保護を理由に,キューバに海兵隊を派遣.
6.22 セオドア・ルーズベルト,大統領選への再出馬の意思を表明するが、現大統領タフトとの指名争いに敗れる.
8.04 セオドア・ルーズベルトら反タフト派,社会正義のために連邦政府が積極的に干渉,恵まれない人々の経済の福祉を進めると公約.革新党(ブル・ムース)を結成し大統領選に臨む.
9.24 秩序回復を名目にサント・ドミンゴに干渉.
10.14 セオドア・ルーズベルト前大統領が,遊説中のミルウォーキーでテロリストに撃たれる.右胸を撃たれるが,致命傷とはならず.病院に運ばれる前に立ったまま80分演説を続けたという.
11.05 民主党のウィルソン,「新自由主義」を掲げ大統領に当選.独占企業の支配を打破し,関税引き下げや金融改革により中小資本家に対し経営チャンスを与えると公約.社会党のデブスは90万票(6%)を獲得.党員は十万人まで成長.右翼化したデブスは,ヘイウッドを暴力主義者として執行委員会から追放.
12年 マサチューセッツ州ローレンス市で,全人口8万6千の内5万人の参加するストライキ.IWWのヘイウッドが直接指導し全国的支援の中で大勝利に終わる.
1913年
5.19 カリフォルニア州が日本人移民の農地・財産所有権を拒否した排日土地法を制定。
12.23 連邦準備法が成立。ワシントンの連邦準備制度理事会と12地区に分割された連邦準備銀行により構成される連邦準備制度が成立。
1914年
4.20 コロラド州ラドローでIWWの指導する炭鉱労働者のスト.州軍は機銃掃射により女性と子供13人を虐殺.その後,国際的な抗議のなかでウィルソンは連邦軍を出動させ鎮圧.闘争は66人の死者を残し敗北.
4.21 メキシコに海兵隊を派遣しヴェラクルスを占領。
8.04 第1次世界大戦勃発.ウィルソン大統領が,第1次世界大戦に中立を宣言.アメリカ社会党は「戦争反対」の立場を打出す.
14年 パナマ運河開通.
1915年
5月 米客船ルシタニア号,ドイツの潜水艦により撃沈される.乗客千名以上が死亡.
7.03 アメリカ海兵隊がハイチに上陸,革命運動を鎮圧.
7.28 アメリカ海兵隊,ハイチに再上陸する.戒厳令をしき,革命運動を鎮圧.
9.16 アメリカ,海兵隊を駐留させハイチを保護領とする.
10.19 メキシコのカランサ政権を承認.
11.19 IWWオーガナイザーのジョー・ヒル,食料品店主を殺害したとしてユタ州で銃殺刑.
11.25 ジョージア州で,クー・クラックス・クラン(KKK)が再組織される.ジョージア州当局はクー・クラックス・クランを団体認可.
クー・クラックス・クラン: もともと南北戦争後に北部白人・黒人から、旧南部白人の権利を守るために生まれた秘密結社で一時消失していたのが再組織された。人種主義にとどまらず、禁酒法、移民制限法、進化論教育禁止法、女性の純潔の防衛を訴え、南部州だけでなくテキサス、カリフォルニアなどにまで勢力を広げた。最盛時には400万の団員数を誇ったが、20年代後半には姿を消す。
1916年
3.15 パンチョ・ビリャ,ニューメキシコ,アリゾナへ侵入.米軍はビリャ逮捕のためパーシングの軍をメキシコ領内に派遣.
8.04 米政府,デンマークよりバージン諸島を25百万ドルで購入.
11.07 ウィルソン、大統領に再選される。
16年 サンフランシスコ市電スト.指導者トム・ムーニーが,殺人罪のでっちあげで逮捕.
Thomas Mooney: アメリカの労働運動指導者で,カリフォルニア州労働総同盟 Californian Federation of Laborの反戦左派指導者。国防強化を訴える行進に爆弾が仕掛けられ10人が死亡した事件の犯人として逮捕された。ウィルソン大統領まで巻き込んだ抗議運動が展開された。
1917年:労働運動の第二次高揚
1.22 ドイツ,英国付近の海域に現われた船舶は,無差別に無警告で潜水艦攻撃の対象とすると声明.アメリカはこれに抗議しドイツと断交。ウィルソンが「勝利なき平和」を訴える演説をおこなう。
2.03 ウィルソン、対独宣戦布告を促す戦争教書を議会に提出。
3.02 プエルトリコを準州とするジョーンズ法が米議会で可決される
3 チンメルマン電報事件.ドイツ外相チンメルマンがメキシコ大使を通じてカランサに対アメリカ共同闘争のよびかけ.この文書が英海軍情報部により押収・解読され,新聞に暴露される.国内は急速に開戦論にかたむく.
3月 ビリャ捕獲隊,目的を達成することなくメキシコ領内から撤退.
4.06 アメリカ,対独参戦.国内では社会党を中心とする反戦運動が高揚.地方選ではシカゴで35%,ニューヨークで22%を獲得.
6.15 反戦活動の取り締まりを目的とするスパイ防止法成立.徴兵拒否や戦争行為の妨害などに対する刑罰が定められる.
8.23 ヒューストンで黒人歩兵隊の兵士たちが地元の白人と衝突し,19人が死亡.
8月 メキシコで憲法が制定され,カランサ体制が確立.米国はメキシコ新政府を承認.
9 全国のIWW事務所に一斉手入れ.リーダー165人が共同謀議の廉で逮捕. その後,ユージン・デブスら社会党左派やヘイウッドら労働運動家,反戦活動家がつぎつぎに逮捕.社会党主流派は実践的には戦争支持の立場に移行.
11 ロシア革命成立.
17年 ジャマイカで万国黒人改善協会(UNIA)を設立したマーカス・ガーベイ,ニューヨークに支部を設立.機関誌「ニグロ・ワールド」により黒人意識の鼓吹をはかる.
1918年
1.08 ウィルソン大統領が議会演説。「世界平和のための14カ条」を発表する.
3.03 ソ連,ドイツとブレスト・リトフスク(Brest-Litorvsk)条約を結び,単独講和.レーニン,「アメリカ労働者への手紙」を発表.
5.16 治安法が制定される.防諜法が拡大強化されたもの.
6.30 社会党の指導者ユージン・デブス,スパイ防止法違反で逮捕.禁固十年の刑が確定.
8月 米国、日本と組んでシベリアに出兵。
11.11 コンピエーニュの森で,ドイツ政府が連合国との休戦条約に調印し,第1次世界大戦が終結する.
1919年:共産党創立
1.16 憲法修正18条および禁酒法(ボルステッド法)が公布.
1.18 パリ講和会議が開始される。
6.28 ベルサイユ条約が調印される。
6 社会党は第1次大戦を期に祖国擁護派と国際派に分裂.幹部の大量逮捕の中で,右派の支配する執行部が左派を大量除名.左派はニューヨークで全米左翼会議を召集.3月に結成されたコミンテルンへの加盟の方針を決議.
6月 パーマー司法長官の自宅前で爆弾が爆発。政府高官に宛てられた36の郵送爆弾が発見される。パーマーは司法省内に「急進主義対策部」を設置し、J・エドガー・フーヴァーを部長に任命。後のFBIの母体となる。
8 シカゴで13日間にわたる黒人暴動.白人15人,黒人23人が死亡.5百人以上が負傷.
8.31 ボストンで,警官1544人中1117人が待遇改善を求めてストライキを起こす.警官のストで町が無法状態になる.
9.01 チャールズ・ルーセンバーグとルイス・フレイナに指導されたアメリカ社会党左派,シカゴで共産党(CPA)の創設大会.ジェームズ・キャノンが議長、ルーセンバーグが書記長に就任。
共産主義労働者党: アルフレド・ワーゲンネクトとジョン・リードらはこれとは別に共産主義労働者党(CLP)を結成.「前者の党員数は1万〜3万くらいで,後者は2万7千〜から5万8千くらいだった.おそらく実際には両者合わせて4万人くらいで,その4分の3を東ヨーロッパ系の言語連盟で占め,わずか10分の1が英語を話す人々だったものと思われる」
9.22 ピッツバーグのUSスティールで,AFL左派のフォスターに率いられた鉄鋼スト開始.36万人が数万の軍隊や警察を相手に3ヵ月以上のストを打抜き,12時間労働の撤廃をかちとる.
11 シカゴなど北部の諸都市で人種暴動が発生。
11月 司法省、レッド・スケア(赤の恐怖)を大宣伝し赤狩りを開始する
12.21 ソヴィエト干渉に抗議する外国籍の活動家249人が、移民法によって強制送還される.
19年末 シカゴ労働連合が中心となり、労働党を結成。その後農民労働党と改称。
19年 ニューヨーク・ヤンキース、ボストン・レッドソックスの花形投手ベーブ・ルースを10万ドルで引き抜く。
1920年
1.02 ミッチェル・パーマー司法長官による一斉「赤狩り」(レッド・スケア).共産党員と世界産業労働者連盟(IWW)活動家を中心に約1万人が逮捕,7人が拷問により獄死.移民を中心に数千人が国外追放になる.ソヴェトの合衆国駐在代表ルドウィッヒ・マーテンスも逮捕.共産党は地下に潜り活動を続ける.
3.05 マサチューセッツ州サウスブレーントリーで武装強盗殺人事件が起こる.製靴工場の会計係と守衛が殺害される.5月にボストンのイタリア系移民でアナーキスト系の活動家,サッコとバンゼッティが殺人の罪を負わされ逮捕. 冤罪事件の始まりとなる.
3月 米上院,ベルサイユ平和条約の批准を再度拒否(一回目は19年11月).共和党指導者ヘンリー・カボート・ロッジ(上院外交委員委員長)は,国際連盟への加盟にも反対を貫く.
4.02 シカゴで鉄道労働者のストライキが起こり,全米に拡大.
5.08 社会党大会開催.下獄中のユージン・デブスを大統領候補に選出.
8.01 ニューヨークで,ガーヴィーの指導する万国黒人改善協会の第1回国際大会.「世界黒人権利宣言」を採択.
8 憲法修正第19条により婦人参政権実現.
11.02 大統領選挙で,共和党のウォーレン・ハーディングが当選する.社会党のユージン・デブスは囚人番号9653として92万票を獲得.
20年 フォスターら,AFL左派の根城として労働組合教育同盟(TUEL)を結成.
20年 ニューヨークでUNIA国際大会.ガーベイは「黒人政府のもとにおける自由アフリカ」の建設を訴える.この頃UNIAは200万の会員を数える.
20年 ウォール街のモーガン銀行で爆弾テロ。38人が死亡。無政府主義者の犯行が疑われるが、犯人は逮捕されないままに終わる。
1921年
5 社会党,IWW,ほぼ崩壊状態となる.コミンテルンの指導の下に統一共産党結成.共産党,共産主義労働者党の他,IWWのヘイウッド,ウィリアム・J・フォスターらAFL左派労組の活動家らも合流.
12.24 ハーディング,服役中のユージン・デブスを無条件赦免.
12 統一共産党,合法組織としてアメリカ労働者党を結成.西海岸では片山潜らが労働者党強化に活躍. (この労働者党と農民・労働党の異同については不明)
21 COPA第3回大会,アメリカ海兵隊のサントドミンゴからの即時撤退要求を決議.
21年 ワシントンで国際軍縮交渉.海軍軍事力の削減で合意.
1922年
7.01 炭鉱ストに続いて,ふたたび鉄道ストが始まる.
10.24 アメリカ公演中の舞踊家イサドラ・ダンカンが,共産主義を支持する発言.ボストン市長は公演禁止命令.
12月 ソビエト社会主義共和国連邦 (USSR) が成立.
1923年
4 共産党,コミンテルンの指導により地下指導部を解散し,アメリカ労働者党に一体化.
5.04 ニューヨーク州が禁酒法を撤廃.
7月 農民・労働党大会。共産党が主導権を握り、連合農民・労働党(FFLP)と改称。シカゴ労働連合と他の労働者団体は党を脱退する。
8.02 ハーディング大統領が急死。カルヴィン・クーリッジ副大統領が大統領に就任。
9.03 アメリカがメキシコのカジェス革命政府を承認.
9.15 南部各州でクー・クラックス・クランの活動が激化.450万人を組織.南部黒人に対するテロは最高潮に達する.オクラホマ州では戒厳令が敷かれる.
1924年
2.28 アメリカ軍がホンジュラスに上陸.
3月 エドガー・フーバーがFBI長官に就任。この時点で全国に20万のヤミ酒場が誕生。ルチアーノ、コステロ、カポネなどのギャングが台頭。
7.04 改革政治行動会議が革新党を結成,ラフォレットを大統領指名候補とする.連合農民−労働党(FFLP)はラフォレット支持をめぐり分裂。大半はコミンテルンの指示に従わずラフォレット運動に合流。
11月 大統領選挙。ウィスコンシン州選出の上院議員ロバート・マリオン・ラフォレット・シニア(共和党)が進歩党の大統領候補として出馬。一般投票では全体の17%を獲得。
24 排日移民法制定.いっさいの日本移民を認めず.
1925年
3.14 ミシシッピ州で,牧師とビジネスマンらが暴徒を率いて黒人2人にリンチ.
3.25 テネシー州知事,進化論が天地創造を否定し、ヒトの道徳的、精神的な絶対的優位を揺るがしているとする「反進化論法」に基づき、教育機関で進化論を教材に使うことを禁ずる.
スコープス裁判: 「反進化論法」に反対するテネシー州デイトン高校の生物教師ジョン・スコープスが法律をあえて犯し、裁判に持ち込む。陪審員が全員ファンダメンタリストであったこともあり、裁判としては原告側の勝利に終わる。
8.03 海兵隊がニカラグアから撤退.
26.07.28 アメリカとパナマの間にパナマ条約が調印.
1927年
3.07 最高裁,黒人の民主党予備選挙投票を禁止したテキサス州法に違憲の判決.
5.21 リンドバーグがスピリッツ・オブ・セントルイス号でニューヨーク−パリ間の33時間無着陸横断飛行に成功。
8.23 サッコとバンゼッティが処刑される.国際的抗議たかまる.
27年 アメリカ労働者党大会。ジェイ・ラブストーンが新しい書記長に任命される。議長制度は廃止される。
27年 南部13州で「反進化論法」が制定される。
1928年
7.25 中米関税条約が調印される.
8 コミンテルン第6回大会,スターリンの独裁体制確立.トロツキーを追放.南部黒人闘争を民族解放闘争と規定,南部「ブラックベルトに自決権を」のスローガンを掲げる.
10 アメリカ労働者党大会,ブハーリン派のジェイ・ラブストーン書記長を修正主義者として解任・除名.ウィリアム・J・フォスターが書記長に就任。ラブストーンは第二次大戦後、ジョージ・ミーニーAFL・CIO会長の冷戦問題国際関係顧問となる。
28年末 労働者党、社会ファシズム論に基づき既存の労働運動を否定し、新たに労働組合統一同盟(Trade Union Unity League:TUUL)を結成。実体としては産業労働者ではなく失業者やルンプロ、南部黒人労働者を中核とする運動となる。
1929年
2.14 シカゴでギャング7人が惨殺される(聖バレンタインの虐殺事件).
9.03 ダウ平均株価、5年間で5倍に高騰し381ドルの高値に達する。
10.24 「暗黒の木曜日」 ウォール・ストリートで株価の大暴落(Great Crash)が始まる。モルガン銀行、チェイス国定銀行、国定ニューヨーク・シティバンク社が協調して買い支えに動く。
10.28 「暗黒の月曜日」 ダウ工業株平均は13%下落し株価は崩壊する。
10.29 「悲劇の火曜日」(Tragedy Tuesday) 約1,600万株が取引され価総額140億ドルが消し飛ぶ。株価は9月の約半分に暴落。1週間の損失は300億ドル(米国の年間予算の10倍)に達する。 投資家の資金回収により金融機関や企業が倒産し、その数は4500社に及ぶ。
大恐慌をめぐる数字は、資料によって異なっています。問題は何時までを大恐慌ととるかであり、株価暴落の直接的影響なの か、その後の欧州諸国の動揺、それに対する米国の対応によりもたらされたものまで含めるか、すなわち33年3月のルーズベルトの大統領就任直前までの3年4ヶ月を含めるかで、相当中身は変わってきます。
29年 ルーズベルト,ニューヨーク州知事選に勝利.
29年 ギャングのボスが、アトランティック・シティーで首脳会談。全米を7つの勢力圏に分割。ニューヨークのチャールズ・ルチアーノの指導権が確立。
1930年
3.06 共産党と労働組合統一同盟(TUUL)の指導で労働者・失業者の全国統一行動.125万人が参加し空前のもりあがり.
5 ケインズ、「The Industrial Crisis 」を発表。
大恐慌を 1.一次産品の国際価格の急速かつ大幅な下落,2.不動産や株式などの実物資産の価格暴落、3.資本主義経済の支柱である金融銀行信用システムの機能不全という複合的危機と指摘。その原因を「世界的な投資不足により資本財の生産が減少したこと」と分析。各国が一致して公共投資を行い、長期債券市場の信頼を回復させることを訴える。
あらゆる点で最も効果的な救済策は, 三大債権国の中央銀行が国際的な長期債券市場への信頼を回復させるために,一致して大胆な計画に参加することであろう。これは世界各国における起業や事業活動を復活させ,物価と利潤を回復させるのに役立つであろう
6月 スムート・ホーリー関税法(Smoot-Hawley Tariff Act)が成立。国内産業の保護のため高関税政策をとる。他の国も報復関税で対抗した結果、アメリカの輸出入は半分以下に落ち込む。
フーバー大統領は均衡財政主義にしばられ、結果的に増税や金融引き締めに動いた。この結果、銀行経営が危機に陥り市中への資金供給が枯渇した。
7 TUULのよびかけでシカゴで全国失業者協議会結成.その後短期間に,「仕事か賃金を」のスローガンをかかげ大躍進.
30年 エンパイア・ステートビルが完成。映画「キング・コング」の封切りは32年。
1931年
4.09 スコッツボロー事件発生。アラバマ州スコッツボローで黒人青年9人が白人女性を強姦したとされ逮捕。死刑を宣告される。共産党を中心に釈放運動が広がる。
5月 ケインズがアメリカを訪問し講演。三つの不況対策を挙げる。
@資金の貸手と借手の双方の確信の回復を図ること、A政府の直接的な支援により投資を促進すること、B長期利子率の引下げと買いオペを実施すること。
景気の回復とともに物価も必然的に正常水準に戻ってくる。それが貯蓄と投資の均衡の実現である。下落した物価水準のもとで均衡を回復しようとするデフレ容認派は間違っている。
511 オーストリア最大の銀行クレディット・アンシュタルトの破綻。ドイツとオーストリアでは、アメリカ資本による復興を目指していたため、大不況によって資本が引き上げられると、資金不足により企業や銀行が次々に倒産
6月 米国の銀行危機が農村部の中小銀行から都市部に拡大。シカゴ、ロサンゼルス、ニューヨークで銀行閉鎖が相次ぐ。銀行貸付が停止状態となり, 銀行組織による民間経済への融資機能が麻痺。
6月 深刻なヨーロッパの状況を認識したアメリカは、フーヴァー=モラトリアムを行う。ドイツ経済を立て直すため、一年間戦債や賠償の支払いを猶予.議会の承認は12月にずれ込む。7.13 ドイツのダナート銀行が閉鎖。大統領令ですべての銀行が閉鎖される。
米国には金が流入していたが、FRBは国内のマネーサプライを増やそうとしなかった。このためマネーサプライが減少し続けた。ヨーロッパ諸国は金の流出を抑えるために金利を引き上げ、これが不況に拍車をかけた。
7月 南部の綿作小作農(シェアクロッパー)が農園からの追いだしに抗議して激しい闘争を組織。黒人指導者ラルフ・グレイが虐殺される。
7 失業者,ワシントンで飢餓行進. フーヴァー大統領は代表者との会見を拒否する.このとき失業者が800万人を超す.
9.11 英国は金本位制を離脱して変動相場制に移行,チープマネー政策を採用。同時に英連邦を高関税で囲い込む。ポンドの対ドル為替レートは3か月で3割低下する。
英国のドイツへの短期貸付が焦げ付いたため、ポンドへの信認が大きく低下。フランスなどへの短期資金(とくに金)の流出が加速する。
9 通貨激変に直面した各国は金買いに走り、これに対抗するため連邦準備銀行は公定歩合を大幅引き上げ。
10月 不況下の金利引き上げにより銀行恐慌が発生し,全国に拡大.この年だけで2千以上の銀行が倒産.
10.11 シカゴ連邦裁判所,アル・カポネに対し,所得税脱税で懲役11年,罰金5万ドルの判決.
11月 トロツキスト系のアメリカ共産主義者同盟が第2回大会。
1932年
3.07 ミシガン州のフォード自動車工場で,職を求めるデモ隊3000人に対して警官が発砲し,4人が死亡.
5.29 復員兵による「恩給行進」が始まる。「17年(第一次大戦)には英雄、32年には浮浪者」と抗議する。
7.02 ニューヨーク州の改革派知事として実績を上げたルーズベルトが、民主党の大統領候補に指名される。「三つのR - 救済、回復および改革」と「ニューディール」(新規まき直し)を掲げる。
7.08 ダウ工業株平均が底値をつける。最高値の1割まで下落する。その後22年間、大暴落前の株価に回復せず。
7月 退役軍人のボーナス行進がワシトンに到着.2万5千人が籠城作戦を展開。D.マッカーサーの指揮する軍がこれを実力排除。籠城参加者に2人の死者を出す(ワシントンの戦闘)。
11.07 最高裁,スコッツボロ事件で死刑・終身刑の判決を受けた9人に対し,再審命令.
11.08 大統領選。再選を狙うフーバーを打ち破り、フランクリン・ルーズベルトが圧勝.フーバーと共和党への嫌悪感が主要な勝因であった。
FDRの公約そのものは財政健全化、均衡予算、健全通貨など一般的な公約に停まる。一方で、「忘れられた人々」について言及し、漠然と「ニューディール」を提唱した。
11月 共産党は全国で10万票余りを獲得。移民者を中心に党員数も1万8千に達する。学生運動や労働運動を中心に影響力を拡大。リチャード・ホフスタッターやダニエル・ベルらユダヤ系学生が共産青年同盟に結集。
12.19 シカゴ警察の特別部隊がカポネの本部を急襲.この後シカゴ・ギャングの影響力は減退.移民出身の民主党員による市政の支配が続く.
12月 全国農民救済協議会が設立される。恐慌発生以来、農民の所得は半減し、全国で100万の農民が借金の返済不能となり担保権強制執行を強いられる。
32年 南部の経済は崩壊。シェアクロッパー(黒人小作農)が自動車工場への就職を期待して北部に向かう。
32年 アール・ブラウダーが共産党書記長に就任.米国共産党(CPUSA)と改称.「社会ファシスト」路線を採択し,フォスターらのAFL潜入路線を否定.キャノンらをトロツキストとして除名.キャノンは共産党を離れ,トロツキスト運動を開始.
以下に大恐慌の影響を著す数字を列挙する。文献により数字の異同はある。
@基幹産業の生産は半分以下、農産物価格も半分以下に落ち込む。6千近い銀行が破産。平均賃金は50%低下、失業者は1700万人、非正規労働者が数百万人に達する。
AGDPは1919年から45%減少し、株価は80%以上下落し、工業生産は平均で1/3以上低落、1200万人に達する失業者を生み出し、失業率は25%に達した1933年
1.05 アメリカ合衆国憲法修正第22条が成立。アルコールの製造と販売を禁止した修正第18条を撤回する。
1 ナチス,政権をとる.直後に国会焼き討ち事件をでっち上げ、共産党を弾圧。
2.14 ミシガン州で全銀行が営業停止.
2.15 マイアミで,大統領就任式直前のルーズベルトが狙撃される(無事).同席していたシカゴ市長アントン・サーマックは死亡.
3.04 ルーズベルト,第32代大統領に就任.デモやストが先鋭化、国内は激動、資本家・政治家はパニックに陥る。
3月 共産党は「国内においては残忍な抑圧の政策であり,国外においては帝国主義者の政策」をとっているとルーズベルトを非難.
3.06 ルーズベルト、連邦議会特別会期が招集されるまでの4日間はアメリカの全ての銀行を閉鎖すると発表。
この措置は恐慌を起こすことなく実施された。なぜなら@多くの州は既に銀行を閉鎖させていた。A「バンク・ホリデー」と表現することで衝撃が緩和された。B連邦政府が銀行破綻を食い止める姿勢を示したからである。
3.09 「百日議会」が開始。ルーズベルト大統領は議会に緊急銀行救済法を提案。大銀行の連鎖破産を防止することを目的とする。数時間の審議で可決成立する。
政府が一定額までの預金の払い戻しを保証すると同時に、@財務省が全ての銀行を監査、A不安定な大銀行を連邦政府が支援、B危機の銀行を再編の柱からなる。
3.09 FDRは緊急銀行救済法に引き続き、膨大な数の法案を提出。ニューディール政策がスタート.
ニューディールは、全体として二つの大目的を持っていた。ひとつは迫りくる革命の危機を切り抜けること、もう一つはそのために連邦政府に権限を集中させることである。
後者の手法が新しいものであり、修正資本主義政策とも言われる。伝統的な自由・放任ではなく、ケインズ学説に依拠して政府が介入・統制し、資本主義システムを正そうとした。
政策は8つの柱に整理される。@銀行制度の再建、A企業の救済、B民間資本の投資促進、Cレフレによる物価回復、D農業の過剰生産を抑制、E抵当権執行の抑制、F公共事業による雇用の確保、G失業者の救済(ただし最低限)
3.10 ルーズベルトは10億ドルの赤字に直面しているとして、議会に経済法を提案。連邦政府公務員の給与をカットし、退役兵恩給を最大15%減額する。これにより連邦予算の均衡を図る。財界向けのアピールと言われる。
3月末 銀行の4分の3が営業再開。10億ドルの通貨がふたたび市場に流通し始める。
4.19 金没収法が制定される。金本位制を破棄し、金とドルとの交換を停止する.
5月 農業調整法(AAA=Agricultural Adiustment Act)が成立。農務長官ヘンリー・A・ウォレスの願望を反映したものとされる。
農業生産の調整を図るために、農地の作付面積を制限したり、過剰農作物を政府が買い取る計画。助成金と生産量統制によって農業従事者の所得の安定化が図られ、購買力が回復した。農家の総収入はニューディールの3年間で5割増しとなる。
5月 証券取引委員会(SEC)が創設される。株式市場を監視し、預金保険制度を含む銀行制度の改革に乗り出す。
初代SEC委員長はJFKの父ジョセフ・P・ケネディ。FDRは稀代の悪玉を登用した理由を「オオカミを捕らえるためにオオカミを使う。彼なら取引のからくりを何でも知っている」と述べた。
5月 民間資源保存局 (CCC)、公共事業監督局 (CWA)、連邦緊急救済局 (FERA)が創設される。失業者を救済する一連の手段として機能する。テネシー川流域開発公社 (TVA)もこの施策の一部。
6月 銀行法(Banking Act of 1933)が成立。第2グラス・スティーガル法と呼ばれる。銀行は投資銀行と貯蓄貸付銀行に分離され、頭金無しで株式を購入することが禁止される。
6.13 ニューディールの中核となる全国産業復興法(NIRA=National Industrial Recovery Act) が議会を通過する。初めて労働者の団結権が法的に承認されたことから、「アメリカ史上最も重要な法律の一つ」とされる。
法案成立の経過(かなり長い):
1.表向きの趣旨は過当競争を避けるために連邦政府が関連団体に協定を結ばせることである。いわばニューカマーの排除をもたらす官製トラストであり、連邦大陪審の判断のごとく、違憲の疑いもある。
2.法律の目的は「工業と農業に“公正な競争”を作り出すために、種々の産業で価格・労働規約を取り決める」ことにある。結果として過剰生産に陥っていた各企業の利潤が確保される。
3.元は資本家たちの提起したものであり、ムソリーニの「組合国家」を下敷きにしたものとされる。
4.もう一つの狙いは、企業の安定により労働者の賃金の適正化と生活安定を果たし、国民の購買力を回復させることである。さらにそれを通じて社会の安定、ストライキや大衆闘争の抑制を図ることである。
5.官製トラストは資本家の狙いであり、そのためのお題目として「労働者の生活安定」をうたうことには異存はなかった。これをルーズベルト政権は(結果的に)巧妙に利用したといえる。
6.政権は「労働者の生活安定」のための手段として、労働者の団結権、団体交渉権を持ち込んだ。それはどさくさ紛れに法律の柱の一つとなった。6月 全国復興局(NRA)が創設される。その統制のもとに団結権(組合結成権)と団交権が承認される。その後実際の運動は「妥協点」を大幅に乗り越えていく。
8.07 ハイチに対して1934年10月までの米軍の撤退を約束.
10.10 アメリカが,ラテン・アメリカ6ヵ国と不可侵条約を締結.
10.13 労働総同盟(AFL)が,ナチスの労働対策に抗議してドイツ製品をボイコット.
10.17 アインシュタインがナチスの迫害でアメリカに移住.
11.17 アメリカがソ連を承認.
12.26 モンテビデオで第7回汎米会議.ハル米国務長官が内政干渉権否認を表明.
12月 NIRA成立後、組合数は飛躍的に増加。これに伴い労働争議参加者も90万人に達する(前年比3倍)。
33年 グレートプレーンで3年にわたる大旱魃が始まる。畑、家畜を失った農民は、西海岸へと「大脱出」(エクソダス)を行い、低賃金農業労働者になった。それまで働いていたメキシコ人は強制送還された。
1934
1.24 ルーズベルト大統領が,ラテン・アメリカへの善隣外交声明.ラテンアメリカへの武力干渉を停止するとともに,プラット修正条項の廃棄,パナマ,ドミニカへの干渉権の放棄,ハイチからの撤退,メキシコ駐兵権の放棄を決定.
1.31 米政府,平価切り下げの方針を発表.
7月 サンフランシスコで船員・港湾労働者13万人が立ち上がる。サンフランシスコ全市を4日間のゼネストに追い込む。闘いを通じて共産党の影響力が拡大。
8.06 海兵隊がハイチから撤退.
8.15 ニューディール政策に反対するモルガン,デュポンらウォール街の巨頭がアメリカ自由連盟を結成.USスティール、GM、ATTなどアメリカの巨大資本を網羅。ルーズベルトのニューディールを激しく攻撃。
8.25 キューバと互恵通商協定を調印.
8月 ルーズベルトの肝煎でアメリカ青年会議が結成される。左翼組織からYMCA、ユダヤ人青年同盟まで幅広い組織が結集。当初ヒトラー・ユーゲントの手法が持ち込まれようとしたが、これらの傾向は排除される。
9 TUUL,AFLとの組織合体の方針を提起.40万人の組合員がAFLへ一斉加入.AFLは職能別組合に加入できない労働者を,産業別に組織する方針を打出す.
10.01 シカゴで反戦,反ファシズムの全米大会.
10 サウスカロライナを中心とした南部海岸部で,11州32万人の参加する織物工場労働者のゼネスト.死者13人を出して終結.
11.06 議会の中間選挙。メディア・自由連盟の反ルーズベルトキャンペーンの中、民主党が共和党に圧勝。
11.23 ナチスの排外的・好戦的政策に警戒が強まる。ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンに2万人が集まって大反戦集会.
34年 この年、ストライキ参加者は150万人に達し史上最大規模となる。
34年 ミネアポリス・チームスター(トラック運転手の組合)のストライキが勝利する。一時は州知事が戒厳令を宣言するが、最終的には労働者の権利を認める法律が成立。
ファレル・ドブスが指導。闘いの中でアメリカ労働者党(AWP)に参加.AWPは最盛期には党員千名を擁するに至る.アメリカ社会党の大会では左派が勝利し、急進的綱領を掲げる.
34年 この年、歳出予算はGDP比10%を超えた。これはフーバー政権時の3倍にあたる。
1935年
1.04 ルーズベルト大統領が年頭教書で第2次ニューディールを提起.
1月 連邦大陪審が、全国産業復興法・農業調整法などに対し「公正競争を阻害しカルテルを容認している」として違憲の判決。
2.07 ルーズベルトは「コート・パッキング」計画を発表。保守派の牛耳る連邦大陪審に対抗して、判事構成の変更に着手する。
ルーズベルト発言: 米国の司法制度は幾多の病弊を暴露して居る。もし大々的な司法改革が行われないならば、司法部の権限から憲法までの根本的改正を考慮しなければならない。 3.19 ニューヨークで,万引きで捕まった黒人に警官が乱暴したことから人種暴動が勃発し,3人が死亡.
4月 第2次ニューディールの目玉として公共事業促進局(WPA)が設立される。これにより失業者対策事業が前進する。
5月 「第二の百日間」議会がスタート。全国労働関係法(ワグナー法)が提出される。違憲とされた全国産業復興法より、さらに明確に団結権が保障される。
7.05 全国産業復興法に替わるものとしてワグナー法が成立.労働者の権利保護がさらに強化される。
8月 社会保障法を制定。老齢年金、失業保険などが設けられる。
7 コミンテルン第7回大会,人民戦線路線を決定.以後共産党は急速に社会ファシズム路線を修正.
8.31 米議会,中立法を採択.
9.08 ヒューイ・ロング上院議員,ルイジアナ州バートン・ルージュの州議事堂で射殺される.
ヒューイ・ロングは民主党の急進派であった。28年から4年間ルイジアナ州知事、その後上院議員となる。1932年の大統領選挙ではFDRを支持。その後「富の分配」を提唱し、FDRと決裂。来るべき大統領選ではルーズベルトの最大の対抗馬といわれた。
11.9 ジョン・ルイスら,アメリカ労働総同盟(AFL)内に8つの組合により産別労働組合会議(CIO)を結成.熟練工中心の従来型AFLに対し、未熟練労働者、黒人労働者などを組織。
産業別委員会はAFL左派を形成。組織員数は100万人に達する。末端には共産党の影響を受けた活動家が結集,CIOの5分の1が共産党の影響下にはいる.
1936年
2月 全米黒人会議(National Nigro Conference)が設立される。585組織120万人を結集。黒人諸組織はリンカーン以来の共和党支持を断ち、民主党支持に回る。
3.02 パナマとの間にあらたなパナマ運河条約が締結.
5 社会党大会,右派は分裂して新党を結成.キャノンらトロツキスト・グループは社会党への加入戦術を取る.
6.19 ニューディール批判派のユニオン党が結党される.
6月 ラフォレット委員会が発足。資本家の組合攻撃の実態を明らかにする。
8.07 スペイン人民戦争開始.米政府はスペイン戦争に干渉しないとの声明.
8 右傾化したAFL指導部,ジョン・ルイスら産業別労働組合会議の幹部を除名.
10.30 海運労働者3万9000人が,西海岸の全ての港湾でゼネスト.カリフォルニア各地で,メキシコ人を主体とする農業労働者のストあいつぐ.
11.03 大統領選挙。ルーズベルトは「ウォール街の経済的王党派を打破する」とのスローガンを掲げ、歴代最多得票率で再選を果たす。マスコミの8割は共和党を支持。
12.01 ルーズベルトが,ブエノスアイレス米州特別会議で,西半球の共同防衛を提案.反ファシズムに一歩踏み込む。
12月 共産党のブラウダー書記長は「共産主義は20世紀のアメリカニズムである」とし,ジェファーソン流の「民主主義」と迎合.
36年 米国の債務残高はGDP比40%に達する。これにビビったルーズベルトは、財政支出の削減に動く。FRBはインフレを警戒し、預金準備率を2倍に引き上げ、金融引き締めを図る。
1937年
1.06 アメリカがスペインへの武器の輸出を禁止.
1月 スペイン人民戦争に参加するため、アメリカ人義勇兵3千名が組織される。リンカーン大隊、その後ワシントン大隊が編成される。その半数が戦死した。
1 ゼネラル・モータースで全米自動車労働組合に結集する5万人の労働者がスト入り.バリケードを作り工場に立てこもる。44日間の工場占拠闘争のすえ勝利.CIOによる産別労働運動は一気に拡大.引き続きクライスラーの工場占拠ストも勝利。
3.01 USスチールがCIO傘下の鉄鋼労働者組織委員会との間に団体交渉権と週40時間労働を認める労働協約を締結。
4.22 ニューヨークの第4回平和デモに過去最高の人数の市民が参加.
5月 もう一つの自動車メーカー、フォードのリバールージュ工場でも籠城スト。会社の組織した暴力団が自動車労働者組合のオーガナイザー数人を叩き出す。(41年には山猫ストで勝利し、組合を承認させる)
7月 第二次上海事変。日中戦争が始まる。
10月 FDRが、隔離演説(Quarantine Speech)を行う。
世界に無秩序という疫病が広がっている。警告もなく、正当な理由もなく婦女子をふくむ一般市民が殺戮されている。疫病の流行から共同体を守るために、平和を愛好する諸国民の共同行動が必要だ。それによって病人を隔離するべきだ。
12月 再び不況が襲う。「ルーズベルト不況」と呼ばれる。予算均衡の立場から財政支出を大幅削減。この結果、軍備拡大策をとるまで1年余りにわたり続く。
ルーズベルト不況: 連邦予算を均衡させようとしたルーズベルトの拙速策の結果とされる。実質GDPは11%下がり失業率は4%上昇。失業者数は1千万を越えたままで推移。保守派は大規模ストライキによる労働組合の攻撃によって生じたと攻撃。
37年 南部黒人青年会議(SNYC),リッチモンドで結成大会.自由と平等,正義と人権をかかげ活動を開始.
1938年
4月 ルーズベルト、「国民の購買力を上げること」で「経済を上向かせること」が政府の責任であると主張。ふたたび拡大財政に転じる。
5.26 下院,非米活動調査委員会(ダイス委員会)を設置.親ファシストに対する統制を名目としたニューディール派への攻撃を開始する。これまでに共産党員は7万人に増加.
10月 連邦議会の中間選挙。共和党の勝利に終わる。民主党内保守派とつるんで、ニューディール政策の骨抜きにかかる。
11.18 産業別組合会議がアメリカ労働同盟から独立しCIOを結成。ニューディールと集団保障政策を支持すると宣言。
38 メキシコ亡命中のトロツキー,第4インターを創立.ニューヨークに支部を置く.
1939年
1.04 ルーズベルト大統領が中立法を廃止し,軍備拡大,反全体主義国家,ニューディール政策緩和を打出す.
2.22 マディソンスクエア・ガーデンでドイツ系アマリカ人団体「ブント」の会員の2万人集会.
4.01 米政府,フランコ政権を承認.
4.15 ルーズベルト大統領がヒトラーとムッソリーニに親書を送って戦争拡大防止を要請する.しかし提案は拒否される.
4.30 ニューヨークで開かれた万国博覧会の開会式がテレビで実況中継される。
8.02 アインシュタイン,ルーズベルト大統領に,ナチス・ドイツに先駆けて原爆を開発するよう進言する書簡.
8 スターリン,ヒトラーと不可侵条約を締結.共産党に対する不信広がる.ユダヤ系を中心に1万人以上の活動家が党を去る.
9.01 ドイツ軍,ポーランド侵攻開始.第二次世界大戦勃発.共産党は第二次大戦を「世界制覇を目指す帝国主義国家間の戦争」と規定,米国の中立を訴える.
11.04 米議会、交戦国への武器禁輸など中立法の主要条項を撤廃する。
1940年
4.22 連合軍がトロンヘイム北方でドイツ軍と交戦.
5.16 ルーズベルト大統領,年間5万機の飛行機生産と9億ドルの非常支出を求める.
6.14 ナチス,パリを占領.
6.27 ルーズベルト大統領,パリ陥落にともない国家緊急事態を宣言.
7.30 米州会議が,ハバナ決議を採択.
9.03 米英防衛協定が調印.
9.05 シカゴで孤立主義者が大集会を開き,中立を主張してルーズベルト大統領の対英援助を批判.
9.16 選抜徴兵制が公布される.
10.14 ルーズベルト,レインボー計画(陸海軍統合戦争計画)を承認.
11.06 ルーズベルト,第3期目の大統領に就任.
12.29 ルーズベルト,「民主主義の兵器廠」となると演説
12月 この年末の時点でCIOは組合員数400万にまで発展。
40年 アメリカ共産党,ブラウダーが指導し解党主義に転換.反ファシズムを訴えるコミンテルンから脱退.人民戦線路線は放棄され,軍需工場でのストライキを扇動,アメリカ市民権を持たない党員を除籍する.
1941年
1.07 ルーズベルトが3期目の大統領就任に当たり、「4つの自由」演説。言論および表現の自由、信教の自由、欠乏からの自由、恐怖からの自由を挙げ、反ファシズムの立場を明確にする。
3.05 アメリカ・パナマ防衛協定が調印される.
3月 武器貸与法が成立。イギリス、ソ連などへの武器援助が本格化する。武器生産の活発化により工業生産が回復。
5.27 無制限の国家非常事態宣言.「アメリカ政府を暴力によって破壊転覆することの教唆と宣伝」を犯罪とするスミス法を制定.ブラウダーは旅券法違反で起訴され禁固4年の刑に.
6 ナチス,「不可侵条約」を破りソ連侵攻(バルバロサ作戦)を開始.共産党は一夜にして方針を180度転換.「国家的団結」の名の下に軍需生産に協力し,CIO,AFLの支持したストライキさえボイコット.政府はブラウダーを釈放し共産党へのさまざまな規制を停止.
6月 在米ドイツ・イタリア資産を凍結。石油の対日輸出を全面禁止。
7 ドノバン長官のもとに情報調整官事務局(OCI)を設置,まもなく戦略情報事務局(OSS)に改組.
8.1 石油の対日輸出を全面禁止.
8.01 ソ連への援助を規定した米ソ協定調印. 計107億ドルの武器・経済援助が行われることとなる.
8.12 ルーズベルト大統領とチャーチル首相が大西洋憲章に合意.
12.08 真珠湾攻撃.
12.11 ドイツ・イタリアがアメリカに宣戦布告.
1942年
1.12 アメリカ合衆国とメキシコの共同防衛委員会が設置.
3.17 労働総同盟と産業別組合会議が,戦争中のストライキ不実施を表明する.
4.02 アメリカ西海岸在住の日系人11万人が,行政命令9066号によりアリゾナの砂漠地帯に強制収容.
5.29 モロトフ外相が,ワシントンを訪問してルーズベルト大統領と会談.米ソ相互援助条約に調印.
6.17 ルーズベルト大統領が,原子爆弾製造計画を促進する許可.
7.12 最高裁判所が共産党を合法組織と認める.
11 スターリングラードの決戦.ドイツ軍は大敗北.
1943年
1.14 チャーチルとルーズベルトがカサブランカで会談し,日独伊の無条件降伏を討議.
5.01 戦時下,炭坑労働者のストが発生.ルーズベルトは炭坑の接収を命令.
5.13 北アフリカ戦線のドイツ,イタリア軍兵士25万人が連合国軍に降伏.
6.14 最高裁が,学童に国旗への敬礼を義務づけたウェスト・ヴァージニア州法を無効とする判決.
6.20 デトロイトで人種紛争が起こり,34人が死亡.
6.22 ムッソリーニ,首相を辞任.後継者にピエトロ・バドグリオ元帥.
6.26 スミス・コナサー反ストライキ法が制定される.
9.03 連合軍,シシリアからイタリア本土に上陸.イタリア政府は連合軍の側に立つと声明.
11.22 カイロでルーズベルト・チャーチル・蒋介石会談.ひきつづきテヘランでアメリカ・イギリス・ソ連首脳会談.
43年 コミンテルンが解散される。共産党のブラウダー書記長は,もはや党は必要ないとして、「アメリカ共産主義者協会」に改組する方針を提起。
1944年
1.10 ブラウダー書記長,マジソンスクエアガーデンで回答の方針を明らかにする演説.
ブラウダー演説の骨子: 合衆国の国民は社会主義的変革に対しほとんど準備ができておらず,革命の課題の提起は国民の分裂に資することとなり、国民の分裂はもっとも反動的な勢力にのみ利益をもたらすであろう。
マルクス主義者の任務は、戦後も我が国経済の目覚ましい発展が鈍化しないよう,自由企業にもとづく資本主義の有効性に寄与することにある。共産主義者の独自の党の存在は,もはや実践的な目的に寄与しないばかりか,より広範な統一の障害物にさえ転化しよう。共産党を解散させ、「制度化された意志疎通の二大パイプ」である二大政党制のなかで「進歩的なもの」を前進させるため活動しよう。3.04 米政府,アルゼンチンとの断交を発表.
5.20 党大会,解散を決議し,共産主義政治協会(CPA)に改組.フォスターを中心とする左派は,ブラウダー路線に批判を強める.この頃産業労働者を中心に党員の拡大が進み,登録数は8万に達する.
8.21 ワシントン州のダンバートン・オークス農園で五か国会談.戦争終結後に安全保障のための国際機関を創設することで合意.
11.07 ルーズベルト,共和党のトマス・デューイを破って4期目の大統領に当選.
11.10 米英ソがアルバニアのホッジャ共産党政権を承認.
44年 都市居住のインディアン組織として全米インディアン会議(NCAI)発足.当初はアンクル・トマホークとよばれる政府協力者が中心.
1945年
1.20 ルーズベルト,4期目の大統領に就任.
2.04 アメリカ・イギリス・ソ連首脳によるヤルタ会談.戦争終結後の世界分割について合意.
2.13 ドレスデンに無差別爆撃.
4.12 ルーズベルト大統領,ジョージ州アウォーム・スプリングで脳溢血により死亡.63歳.後継大統領にトルーマン副大統領が就任.
4.25 アメリカ・ソ連両軍がエルベ川で合流する(エルベの誓い)
4.30 ヒトラー,口にピストルを発射し自殺.
4 フランス共産党書記長ジャック・デュクロ,スターリンとの会見直後「カイエ・デュ・コミュニスム」にブラウダー批判論文を発表.
6.26 サンフランシスコ会議で国際連合憲章が調印され,国連が誕生.
7.17 イギリス・アメリカ・ソ連のポツダム会議が開催.
7.27 アメリカ共産党臨時再建大会.ブラウダーを除名し共産主義政治協会を解散,全国議長にフォスター,書記長にユージン・デニスが就任.党勢はいったん2万5千まで激減する.
9.02 マッカーサーが,米ソ両軍による朝鮮分割占領政策を発表.
11.21 自動車労組がゼネラル・モータース社に対して戦後初のスト.
12.27 米英ソ外相会議がモスクワ宣言を発表.極東委員会・対日理事会の設置で合意.
12.27 ブレトゥン・ウッズ協定が発効.国際通貨基金(IMF)と国際復興開発銀行(世界銀行,IBRD)の設置が決定される.
1946年
1 情報組織を創設する大統領令.三軍長官に大統領を加えた国家情報機構,中央情報グループ(CIG)を創設.旧OSSの主力部隊を引き継ぐとともに「冷たい戦争」の全面的展開に備えさらに充実.
3.15 チャーチル,ミズーリ州フルトンで「鉄のカーテン」演説.
7.26 CIAの創設を含む国家保安法が制定される.
9.20 トルーマン,対ソ協調派のヘンリー・ウォレス商務長官を解任.
10 ニュルンベルク裁判が結審.12人が死刑,3人が終身刑に処せられる.
11.18 CIO,共産主義者排除を決議.この時点で共産党は7万3千にまで拡大.
11.21 全米の炭鉱でストライキに突入.
1947年:冷戦開始とレッドパージ
3.12 トルーマン,上下両院合同会議で冷戦状態宣言(トルーマン・ドクトリン)を発表.「米国は,全世界を脅かすようなどんな衝突の発生に対しても,これらに積極的に干渉し,適時に圧力を加える義務がある」と声明. ギリシア,トルコの共産化を防ぐための経済・軍事支援を提案.
3.17 最高裁が,共産党とその同調者を解雇する政府の権利を確認.トルーマンはこれに基づき,2000人の公務員に大統領への忠誠を試すテスト.
4.16 バーナード・バルークが,サウスカロライナ州議会の演説で「冷たい戦争」の言葉を初めて使用.
4月 ジャッキー・ロビンソン、ブルックリン・ドジャースに加入しメジャーリーグでのプレーを開始。
5 非米活動委員会,活動を開始.第一次「赤狩り」旋風が吹き荒れる.660万人が取り調べを受け,5百人が「忠誠に疑念あり」との理由で解雇.
6.05 マーシャル国務長官,ヨーロッパ経済援助計画(マーシャル・プラン)を発表.財政援助をテコに西欧諸国への内政干渉権を認めさせる.
6.23 タフト・ハートレー法成立.労組幹部に共産党員ではない旨の宣誓書に署名することを義務づける.CIO傘下の組合は次々に共産党と絶縁.
7.26 国家安全保障法成立.三軍を統轄する国防総省を設置.中央情報班を母体として中央情報局(CIA)発足.
6.28 スターリン,ベルリンを封鎖.米国は15カ月におよぶ「大空輸作戦」で対抗.総計200万トン以上の物資をベルリンに送り込む.
7.31 ジョージ・ケナン,「フォーリン・アフェアーズ」に対ソ「封じ込め政策」を発表.
9.2 リオ条約(米州共同防衛条約)締結,「如何なる国に対する武力攻撃も,米州のいっさいの国に対する攻撃とみなす」(第3条)など,のちの安保などのひな型となる.
10.20 非米活動委員会で,ハリウッドの赤狩り始まる. 多くの俳優や制作者が証言.
12.29 ウォーレスが第3党から大統領選挙に出馬することを表明.
1948年
3.15 マーシャル国務長官が,イタリアで共産党が勝利した場合は援助を中止すると警告.
3 ボゴタで第9回米州会議開催.トルーマン・ドクトリンにもとづくボゴタ憲章採択.常設機構として米州機構(OAS)設立,アメリカを盟主とする反共軍事同盟となる.ブラジル共産党など相次いで非合法化.
5.10 トルーマン大統領,全米鉄道ストを弾圧するため,全鉄道の陸軍移管を決定.この結果ストは中止となる
7 フォスター,デニスら12人の全国委員,「合衆国政府を暴力によって破壊」しようとしたとして逮捕.控訴審ではほとんどが無罪となる.
7.23 第一期ルーズベルト政権で副大統領を務めたヘンリー・ウォーレス,進歩党を結成.大統領候補に指名される.
8.02 共産党大会開催.冷戦反対勢力を結集させるためウォーレスを支持し選挙に全力を注ぐことを決議.
8.03 アルジャー・ヒス事件発生. 国務省の元官僚ヒスにソ連スパイの容疑がかかる.
8.28 下院非米活動委員会が,共産党員の登録,共産党員の公職追放など9項目を勧告.
10.01 チャップリンが反米活動の疑惑を受ける.
10 大統領選挙.ウォーレスは115万票を獲得.CIOは進歩党を支持せずトルーマン支持に回る.
11 CIO大会,共産党の影響下にある11単産を除名.左派は指導部から駆逐される.
1949年
4.04 ヨーロッパ11ヵ国とアメリカが,北大西洋条約に調印.
6 トルーマン,行過ぎた赤狩りを非難.
7.19 トルーマン,フリーメーソン集会で,反共十字軍の結成を呼びかける.
7.22 上院司法委員会,共産主義の禁止をうたうマッカラン法(共産主義者取り締まり法)を承認.共産党と関係ある団体の加盟員の登録を義務づける.
8.24 北大西洋条約にもとづき北大西洋条約機構(NATO)が発足.
9.23 トルーマン,ソ連の原爆保有を発表.
10.21 「デニス事件」がでっち上げられる。「実力あるいは暴力による政府の転覆」を扇動したとして、ユージン・デニス書記長ほか共産党幹部11名が,スミス法違反で捕らえられ、連邦最高裁において有罪の判決を受ける.
11.25 アメリカがパナマと断交.
11.28 ロンドンで,国際自由労連が結成.
1950年
1.25 国務省職員アルジャー・ヒス.偽証罪で5年の禁固刑を宣告される.ヒスは下院非米活動委員会でソ連のスパイとの疑いを受け,喚問を受けていた.
1.31 トルーマン,原子力委員会に水爆の製造を命令.
2.09 共和党のマッカーシー上院議員,共産主義のスパイが政府機関に潜入し枢要なポストを占めていると告発.マッカーシー旋風の始まり.
2.20 ジョゼフ・マッカーシー上院議員,国務省内に57人の共産主義者がいると演説.
5.8 最高裁,非共産主義者宣誓条項を合憲と判決.
6.23 カリフォルニア大学が,非共産党員確認書の署名拒否で,157人の教職員を追放.
6.25 北朝鮮軍,国境を越え進撃開始.
6.27 北朝鮮軍がソウルを占領する.トルーマン,マッカーサーに対し,海・空軍力により韓国を支援するよう指令.支援部隊が釜山に上陸,第7艦隊が台湾に派遣される.
7.17 ジュリアス・ローゼンバーグとその妻エセルが原子力スパイ容疑でFBIに逮捕される.
7 上院委員会,マッカーシーの告発には根拠がないと結論.
9.13 国連軍,仁川に奇襲上陸.
9.23 共産主義者の活動を規制するマッカラン自治法が成立.
9.26 国連軍がソウルを奪回.
10.20 国連軍が進撃を続け,北朝鮮の首都平壤を占領.
10.30 トルーマン大統領が,朝鮮戦争で原爆の使用も辞せずと発言.
11.01 プエルトリコの民族主義者オスカル・コラソとグリセリオ・トレソラの二人が,トルーマン暗殺を図り,ブレアハウスの公邸を襲撃する.警備とのあいだで銃撃戦となり,襲撃犯一人と警官一人が死亡.
12.02 平壤を占領していた国連軍が韓国側へ撤退.
12.04 イギリスのアトリー首相がトルーマン大統領と会談し,原爆使用に反対を表明.
12 共産党第15回全国大会.ガス・ホール全国書記が「平和と民主主義のためのアメリカ人民の闘い」と題して基調報告.
1951
1.01 共産軍が38度線を突破して国連軍を追撃.4日にはソウルを占領.
1.16 アメリカ,朝鮮半島の事態に関して国家非常事態宣言.
3.14 国連軍が反撃を開始.ソウルを奪還する.マッカーサーは「中国本土攻撃も辞せず」と発言,中国本土爆撃許可をトルーマン大統領に要請.
4 マッカーサー元帥,トルーマンにより罷免され帰国.反共集団が熱狂的に歓迎.上下両院議員の前で「老兵は死なず,ただ消え去るのみ」と演説.
6.06 リッジウエイ司令官の率いる国連軍が北上.共産軍の「鉄の三角地帯」とよばれた金化・鉄原地区を制圧.
6 反共の嵐のなかで平和十字軍が「人民大会及び平和博覧会」を開催.7千名が開催地シカゴに結集.ポール・ロブソンが朝鮮戦争を非難する演説.
9.23 国内治安法(マッカラン法)が,トルーマン大統領の拒否を越えて成立し発効.
10 保釈後メキシコに潜伏中のガス・ホール全国書記,逮捕され国外追放となる.テキサスに移送された後逮捕.
51 AFLの指導で全アメリカ大陸地域労働者機構(ORIT)結成.CTALを分裂させるため,独裁制憲と組んで反共攻撃を展開.
1952年
3.03 プエルトリコが,アメリカ自由連合州となる.
3.07 キューバとの間に相互軍事協定が調印.
4.28 サンフランシスコ平和条約が締結.
6.23 米軍機500機が,水豊発電所などに大規模な爆撃.
11.01 エニウェトク環礁で世界初の水爆実験を行う.3メガトン.
11.04 アイゼンハワーが大統領に当選.
1953
1.21 共産党幹部13名,ニューヨーク市連邦地裁で,暴力により政府を転覆しようとした陰謀の罪で有罪判決.スミス法に基づく第4回目の共産党指導者の合同裁判となる.
3.05 スターリン死去.
3 ブラウダー,ソ連型共産主義を非難する声明をマスコミに発表.「ジェファーソン的政治」と社会主義経済を結合した「民主的左翼」の創設を計画していることを明らかにする.
4.27 アイク,忠誠審査の対象を全官庁に拡大.
6.19 ジュリアスとエセルのローゼンバーグ夫妻,原爆スパイ容疑でシンシン刑務所で電気椅子.マッカーシー旋風ピークに達する
7.10 ソ連共産党,ベリア内相を「党および国家の指導権を奪取する計画を立てた」疑いにより粛清.
7.27 板門店で休戦協定.米国兵5万5千が死亡し,10万人が負傷.和平協定は締結されないまま.
9.14 マッカーシー委員会,国連内の赤色分子狩りで公聴会を開催.
9 アンドリュー・スチーブンス,共産党全国大会で演説.民主党への合流路線を否定し,闘争を平和闘争に集中させる一方,黒人の公民権運動に流し込む.アレクシス・パーカー組織担当書記は民主党や労組,黒人運動への潜り込み路線を提唱
53 全米黒人向上協会(NAACP)第44回大会,十年間で人種差別を撤廃する「自由のための十年」闘争を計画.「63年までに解放を!」をスローガンにかかげ運動開始.
1954
2.18 マッカーシー議員,陸軍幹部を非米活動委員会の査問委員会に召喚し軍務不適格を宣言.
3.01 プエルトリコ国民党の活動家4名(ロリータ・レブロン,ラファエル・キャンセル・ミランダ、アービン・フロレス、アンドレス・フィゲロア)が,国旗と銃をかざし「独立」を叫びながら米議会に乱入.傍聴席から銃を乱射し、下院議員5名を負傷させる.4人はその場で捕らえられる.
3.03 ニューヨークで港湾労働者のスト.
4.07 アイク,「インドシナが共産主義化されれば,南アジア全体が共産化される」と,ドミノ理論に基づく演説.
4.12 アメリカ原子力委員会,オッペンハイマーの忠誠を調査する特別調査委員会を発足.水爆製造に反対したオッペンハイマーを危険人物と認定し,公職から追放(6月).
5.17 最高裁,オリヴァー・ブラウンらがカンザス州トピカ教育委員会を訴えた裁判で、「公教育の場における人種差別は違憲」とし、公立学校における人種隔離を禁じる歴史的判決.この裁判は多人種共学をもとめるNAACPの集団訴訟のひとつ。
6.26 グアテマラのアルベンス大統領,CIAの指導するクーデターにより失脚.
8.24 共産党統制法成立.共産党を非合法化.
9.24 全米製鉄労組が,共産主義者,ファシスト,KKK団員の除名を決定.
12.02 上院,「合衆国上院議員にあるまじき行為をおこなった」として,マッカーシーに対する遣責決議を67対22で採択.マッカーシーは事実上失脚.
1955
5.31 連邦最高裁、「合理的な期間内に」公立学校での人種隔離を終わらせるよう命令。
7.09 バートランド・ラッセル,アインシュタインら世界の科学者や知識人が核戦争の危険を訴える宣言を発表.
8 ジュネーブ会議開催.雪解けの始まりとなる.ソ連はマレンコフに次いでモロトフ外相も解任.フルシチョフが全権を獲得.
12.01 アラバマ州モントゴメリーで白人に席を譲ることを拒否した黒人女性ローザ・パークスが逮捕される.
ローザ・パークス: デパートでお針子をしていた。仕事の帰り、バスに乗っていて、運転手に白人乗客のために席を譲るよう要求された。彼女ははっきり「ノー」と拒絶した。これは「バスの中で白人が立っているのに黒人が座ってはいけない」とするモントゴメリー市の条例に違反している行為であった。
運転手は「あんたを逮捕させるぞ」と脅すが、パークスは "You may do that"と応じ、運転手が電話で呼んだ警官達に逮捕された。
R&Bの政治学によれば、ローザ・パークスはただのお針子ではない。事件がおきる以前に、E・D・ニクソンの運営するハイランダー・フォーク・スクールで階級的トレーニングを受けていた。ニクソンはモントゴメリーのNAACP会長で、寝台車ポーター労働組合モントゴメリー支部の会長を勤めていた。12.02 NAACPのアラバマ州責任者E・Dニクソンら黒人社会の長老、聖職者、NAACP役員などの指導者層が、パークスとともに連邦最高裁判所に提訴。黒人社会に対しバス・ボイコット運動を提起する。Dexter Avenue Baptist Churchの青年牧師キングが前面に座る.
キング牧師は当時27歳、アトランタ出身で、モンゴメリーに着任したばかりで友人や知人が少なく、要するにしがらみが無いのがいいというのが理由だったそうです。 http://www2.netdoor.com/~takano/civil_rights/civil_01.html からいただきました)
12.05 モントゴメリーでRosa Parksの裁判に合わせてバス・ボイコット闘争が開始される。約二週間の闘いは黒人側の勝利に終わる。モンゴメリーの人口は約13万人、内黒人人口は約5万人余り、バス利用者の60%を黒人が占めていた。
12.05 AFLとCIOが合併し,反共を至上課題とするアメリカ労働総同盟・産業別労働組合会議(AFL・CIO)を結成.ジョージ・ミーニーが会長に就任.
1956年
1.16 ダレス国務長官が,戦争瀬戸際政策を発表.
2.06 アラバマ州立大学当局,同校初の黒人学生のオーザリン・ルーシーに停学を命じる.
2 ソ連共産党第20回大会.フルシチョフが4時間にわたりスターリンを非難する秘密報告.
3.12 南部選出議員101人,公立学校での人種隔離を違憲とする最高裁判決に対して,南部白人の抵抗を要請.
3.27 アメリカ共産党の機関紙「デイリー・ワーカー」紙が所得税滞納で差し押さえられる.
5.20 ビキニで初の水爆投下実験.
7.31 ナセルの民族主義に対し,米国はアスワン・ハイダム建設援助の撤回で応える.ナセル大統領はズエズ運河の国有化を宣言.
8.02 イギリス,フランス,アメリカの3国,スエズ運河国有化反対宣言を発表.アメリカはエジプトの在米資産を凍結.
11.13 最高裁判所,公共交通機関で人種差別をしているアラバマ州モントゴメリー市条例は違憲であるとの判決。パークスは「公民権運動の母」と呼ばれるようになる。
11.18 共産党全国委員会、ハンガリー事件をめぐり混乱。「支持もしないが非難もしない」との声明を発表。
56年 アーカンソー州知事選。オーヴァル・フォーバスが、「どの学区にも人種統合を強制しない」という公約を掲げ当選。
1957
1.10 バス・ボイコット運動の勝利を踏まえ、キング牧師は黒人牧師を集め、南部キリスト教指導者会議(Southern Christian Leadership Conference, SCLC)を結成。NAACP急進派のエラ・ベイカーが実務部門の最高幹部に就任する。
キング牧師の動向: キングは59年にはモントゴメリーの教会からアトランタのエベニーザー・バプティスト教会に移り、同名の父と共同牧師となっている。さらに66年にはシカゴに移動している。したがってシット・インやフリーダム・ライダーのときはすでにモンゴメリーにはいない。
2.06 共産党第16回大会が新綱領を採択.ユージン・デニス書記長が「ニュールック」戦略を提起。その後ハンガリー事件や12カ国共産党宣言の評価をめぐり、党内分裂が進行。
8月 アーカンソー州リトルロックで黒人高校生9人が中央高校への編入を認められる。白人市民は抗議のデモ。州議会も「父兄は人種統合を拒否する権利がある」と決議。オバル・フォーブス州知事は、州兵により高校を包囲させる.
エリザベス・エックフォードは少しでも可愛く見えるようにと、この日のために手製のスカートを作り、アイロンも念入りにかけていました。群衆はゾロゾロと彼女について歩き、口汚く罵りました。
9.04 黒人生徒が集団登校。白人市民は「人種統合化は共産主義だ!」などのプラカードを掲げ、黒人生徒の登校を実力阻止。アイゼンハワー大統領は急遽アーカンソー州兵を連邦軍指揮下におく。
9.20 リトルロックで黒人生徒が登校しようとしたところ,州兵により阻止される.連邦最高裁はフォーブス知事に州兵を除去するよう命令。
9.23 連邦政府の圧力により,黒人生徒は復学するが,高校付近で黒人男女市民四人が暴行を受け、45人が検挙される。州は「白人の襲撃から守る能力がない」としてふたたび生徒を追い返す.
9.24 黒人生徒の入学に抗議する白人群集が,高校の周りで騒ぎを続ける.1000人が暴徒化し騒乱状態となる.アイクは連邦軍を派遣することを決定.
9.25 1,200人の空挺部隊が中央高校を制圧。黒人生徒は連邦軍兵士に守られて教室に入る.この高校は,翌年閉鎖される.
トイレのいじめ: 警護がないのは教室内と女子トイレの中だけだった。女子生徒は「トイレに行くのが嫌だった。そこが白人女生徒による嫌がらせの場だったからだ」と語る。11月に空挺部隊が去って州兵が引き継いでから嫌がらせは果てしなく続いた。
10.04 スプートニク1号打ち上げに成功.
11.07 政府、公民権委員会を創設。
12 共産党の機関紙「デーリー・ワーカー」、労働者を中心とするフォスター派のボイコットにより閉刊に追い込まれる。編集長のジョン・ゲーツを初めとする若手活動家は一斉離党し,党員数は7千名にまで減少.
12 港湾労働者組合,AFL・CIOから脱退.左派労働運動の拠点となる.
57年 ハリー・ヘイウッドが “For a Revolutionary Position on the Negro Question” を発表。黒人問題への階級的視点を定める。
1958
5 ニクソン副大統領,2週にわたりラテンアメリカ8ヵ国を訪問,いたるところで反米デモの洗礼を受ける.
8月 共産党 “Marxist-Leninist Caucus”派が、“Provisional Organizing Committee for a Communist Party”(POC)を創設。ハリー・ヘイウッドを議長に選出。
9 金門島事件発生.米政府は台湾防衛のためにアメリカ軍出動の可能性があると通告.
9.30 アーカンソー州知事が,リトルロック高校をはじめとする公立高校をすべて閉鎖する.黒人生徒は他校に移る。市の教育委員会は黒人寄りの考えや統合化賛成を表明した教師44人を解雇。その後連邦地方裁の「学校閉鎖は違憲」との判決を受け再開。
1959
1 カストロ,ハバナに凱旋,キューバ革命成立.米国は7日に新政府を承認.
5.24 療養中のダレス国務長官,死亡.アイクは「瀬戸際外交」と大量報復戦略をあらため,ソ連との「雪解け」に乗り出す.
6.08 最高裁が,連邦議会と州の共産主義調査権に支持判決.
7.15 3ヶ月にわたる戦後最大規模の鉄鋼ストが始まる.政府はタフト・ハートレー法を発動し弾圧.
9.25 フルシチョフ訪米.アイゼンハワーとキャンプ・デービッド会談.キャンプデービッド精神が謳われる.
12.10 共産党第17回大会。脳卒中となったユージン・デニスに代わり、ガスホールが書記長に就任。党員数は前大会時2万人から5千人に減少。そのうち1千5百人はFBIのスパイだったといわれる.