米国年表 その3

 2002年5月30日 分離

 

1960年

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60年2月 シット・イン闘争

2.01 ノースカロライナ州グリーンボローで,ノース・カロライナ州立農工大学の4人の黒人学生がウルワースで買い物したあと,スナックの白人専用席に座りコーヒーを注文.注文は拒否されるが,そのまま座り込む(Sit-in).翌日には21名、3日には65名がこの行動に参加する。

2.04 シットインに参加した人数は300名。地元の白人学生も加勢に入る。大学当局は学生の行動を支持する決議を行い、スナックでの人種隔離が撤廃されるまでは休校にする。ウールワースはスナックを閉鎖する。

2.05 シットイン運動には州内名門校のデューク大学の白人学生も参加。シットイン運動が南部一帯に拡大.

2.13 ナッシュビルのフィスク大学のグループが組織的なシット・イン運動を開始。

2.22 アイゼンハワーがラテンアメリカ歴訪.

60年3月

3.09 アトランタの黒人学生が地元新聞に「人間としての権利を求める訴え」と題する全面広告を掲載.「われわれは法的にも道徳的にも,人権が分け与えられるのをおとなしく待つつもりはない.アトランタに住む黒人は,現在受けているような差別的状況を我慢することはできない.完全な市民権を手にするため,あらゆる法的・非暴力的手段を用いる覚悟であることを,ここに宣言する」

3.14 アトランタの黒人学生数百人が,レストランなどに座り込みの抗議.77人が逮捕される.

シットイン運動の規模: その後2ヶ月で南部11州50の都市に拡大。白人も加わるようになり、逮捕者は1000人にも及んだ。参加者はマヨネーズやケチャップを頭からかけられたり、タバコを押し付けられるなどの嫌がらせを受けた。各州政府は催涙ガス、消防ホース、警察犬などで弾圧した。

3.21 シャープビル事件.南アフリカのヨハネスバーグ郊外シャープビルで,黒人差別に抗議するデモに警官隊が発砲.56人が死亡し,162名が負傷(内16人がその後死亡).米国内でもアパルトヘイトへの怒りが高まる.

60年4月 学生非暴力調整委員会(SNCC)の発足

4.01 国連安保理事会,南アフリカに対する人種差別廃止要求決議案を採択.

4.01 ナッシュヴィル・グループを中心に、19州からから82名の活動家を集め、SNCC結成に向けた予備集会が開催される。白人の参加者も82名中35名に達する。

4.16 ノースカロライナで全米学生非暴力調整委員会(SNCC)発足。南部12州から、56の大学・高校の代表120人が結集。南部自由闘争の先頭に立つ。

結成の経過: エラ・ベイカーの母校で黒人大学、ノース・カロライナ州ラリーにあるショウ大学に、300名の学生を集めシット・イン参加者の大会が開催される。10月にSNCC結成大会を開催することを決定。
集会宣言では「黒人と白人とが人種統合されたかたちで一致協力し、非暴力に徹することで、全能なる神と人類とを結びつけ、人間同士を結びつける」と訴える。

4.21 連邦議会、「60年公民権法」を採択。

60年5月 U2機撃墜事件

5.01 CIAのスパイ飛行機U2,ウラルのスベルドロフスクでソ連ミサイルにより撃墜.米政府,U2機がスパイ飛行を行っていたことを認める.フランシス・ガリー・パワーズ飛行士は,ソ連に「亡命」したオズワルドがレーダーの極秘情報を流したためと言及.パワーズは10年の「自由剥奪」刑に処されるが,1962年にソビエトのスパイ,ルドルフ・アベルとの交換で解放される.

5.16 パリで開催予定の米ソ首脳会談.U2機事件をめぐり決裂.

60年7月 インディアン青年協議会(NIYC)の結成

7.06 アメリカ,キューバからの砂糖の輸入割当を削減.

7.14 国連安保理が,ベルギー軍のコンゴ撤退と国連軍の派遣要求を決議.

7 全米インディアン会議,革新的な宣言を採択.中心メンバーは,さらに全米インディアン青年協議会(NIYC)結成.座り込み,デモなどを通じて,インディアン固有の権利を主張.

60年8月

8.07 キューバ,アメリカ資産の接収を宣言.銀行の支店の接収を開始する.

60年9月 カストロの国連総会出席騒動

9.19 第15回国連総会開始.総会出席のため訪米したフルシチョフは,全面軍縮,植民地独立を訴えるとともに米ソ関係改善を強調.

9.26 最初のテレビ放送された大統領候補の討論.準備不足のニクソンは,ケネディの華麗なレトリックに圧倒される.

9月 カストロらキューバ代表団がニューヨークの国連総会に出席(詳しくはキューバ年表を参照)。これを機にFair Play for Cuba Committee (FPCC)が結成される。最盛期には7千の会員を擁し、25の支部と40の学生班が結成される。

60年10月

10.14 SNCC、アトランタで第二回大会(結成大会との表現もある)。カーマイケル委員長「ブラックパワー」を提唱.

10 キング牧師,アトランタで座り込み運動中を逮捕され,以前の交通違反を理由に4ヶ月の重労働の判決.州立刑務所の独房に収監される.ケネディはキング支持を打出し,黒人層の支持を獲得.

11.08 大統領選挙で,民主党のジョン・F・ケネディが当選.得票率はケネディの49.7パーセントに対し,ニクソンが49.6パーセントという僅差.

11.14 ニュー・オーリンズの白人小学校へ初の黒人ルビィ・ブリッジスらが入学。

 

1961年

61年1月 ケネディ大統領の就任

1.03 アメリカがキューバと国交を断絶.

1.17 アイク,離任演説のなかで「軍産複合体」が民主政治に与える危険性を訴える.

1.20 ケネディ,米第35代大統領に就任. 「世界の長い歴史で,わずか2,3の世代が,最大の危険のその時間に自由を守る役割を与えられている.私はこの責任からしりごみしない−私は,それを歓迎する」と演説.

2.01 人種平等会議(Congress of Racial Equality, CORE)が「フリーダム・ライド」計画を発表。黒人と白人がバスに並んで座り、南部を目指すもの。

計画の概要: 7人の黒人と6人の白人あわせて13人が、長距離バスのグレイハウンドと、コンチネンタル・トレイウェイズの2社のバスに分乗。長距離バスターミナルでの人種分離に関する実地調査を行いながらワシントンからニューオーリンズまで旅行することとなる。

61年3月

3.14 ケネディ大統領が,中南米開発援助10ヵ年計画「進歩のための同盟」を提唱.

61年4月 ピッグス湾事件

4.12 ソ連,初の有人人工衛星打ち上げに成功.ガガーリンが最初の宇宙飛行士となる.

4.17 ピッグズ湾事件.ニカラグアより出発したキューバ反革命軍,ヒロン湾上陸作戦に失敗.

61年5月 フリーダム・ライダーズ

5.11 米政府,ベトナムに400人のグリーンベレー(特殊部隊)を派遣.南ベトナム軍の特別顧問として、対ゲリラ戦組織のために活動する。

5.04 最初の“freedom riders”(自由の乗客)が、バス2台でワシントンを出発(以下R&Bの政治学より)。フリーダム・ライドの旅程

5.14 “freedom riders”、ジョージア州を越えアラバマ州に入る。最初の町アニストン近郊で暴徒に襲われる。タイヤがナイフでパンク、1台のバスに火炎瓶が投げ込まれる。辛うじて脱出したライダーに暴行が加えられる。(それまでもサウスカロライナ州ロックヒルのグレイハウンドバスターミナルで暴漢に襲われ、ウィンズボローでは二人のフリーダム・ライダーが逮捕されている)

5.14 ライダーが避難した病院を暴徒が包囲。バーミングハムの牧師で、SCLCの幹部であり、同地の黒人指導者でもあったフレッド・シャトルスワース牧師が武装救援隊を組織し、救出に成功。

5.15 もう1台のバスがバーミンガムに到着。バス・ステーションに集合した暴徒が、ライダーたちに暴行。警察はライダーたちを「治安紊乱」の容疑で逮捕する。

5.20 “freedom riders”行動が運転手の拒否により行動不能となった後、ナッシュビルとアトランタのSNCC活動家21人がバーミンガムに到着し行動を引き継ぐ。モンゴメリーに進んだSNCC活動家は、さらにバス・ターミナルにおいて集団暴行を受ける。

5.20 暴動化をおそれたケネディ司法長官は,ミシシッピ州ジャクソンで参加者を逮捕するよう指令.

5.21 モンゴメリーの第2バプティスト教会に避難したSNCC活動家を白人暴徒が包囲する。「第一バプティスト教会」には黒人千名が集まる。

5.21 federal marshals and national guardsmen450名が黒人保護のため出動。ケネディ政権は抗議者に対し自制を求める。

この部隊は、出動が連邦政府の意向によるものであることを隠すため、ハイウェイパトロールや国立公園の警察官たちを動員したとのことです(R&Bブルーズによる)。

5.30 ドミニカを31年にわたって支配した独裁者トルヒーヨが暗殺される.

61年6月

6月 “freedom riders”を組織したCOREとSNCC, SCLCがフリーダム・ライダーズ調整委員会を結成。数百人が南部に送り込まれ、当局に逮捕される。

6月 ケネディとフルシチョフがウィーンで会談。ベルリン問題のほか、ベトナム・ラオスなど東南アジア情勢も議題にのぼる。

8.13 ソ連軍,ベルリン境界線に鉄条網を敷設.やがて鉄条網はコンクリートの壁と取り替えられ「ベルリンの壁」となる.

9.01 ニューメキシコ州ギャラップで、全国青年インディアン会議が設立される。

10 アトランタ市内のデパートとレストラン,人種隔離を廃止することで合意.

10月 南ベトナム解放戦線の攻勢が強まる。マクナマラは6個師団20万人の派遣を進言する。暗殺までにケネディが派遣した兵員は1万6千人に達した。

10.05 バンディ大統領特別補佐官,秘密文書「キューバ緊急対策」を提示.「キューバ政界からカストロを取り除く可能性に関連した」計画を立案.

10.05 CIAの分析局「国家評価局」も独自の報告「キューバの現状と展望」を提出.「カストロがいま暗殺か自然死で倒れれば,混乱した影響が出るに違いないが,現政権にとって致命的な打撃にならないことはほぼ確実である.生き残った指導部は共通の危機に直面しておそらく一致団結するだろう」とする.

11 ケネディ,A.ダレスCIA長官を解任.後任にマッコーン.

 

1962年

1.12 国務省が,共産党員へのパスポート発給を停止すると発表.

2.03 キューバに対し輸出入を全面禁止.

2.04 黒人青年ジェイムス・メレディス、生まれ故郷のミシシッピー州オックスフォードにある州立大学に入学を申請する。大学側は申請を拒否。

2.07 SNCCの支援を受けたメレディスは、連邦司法省へ事態への介入を求める書状を提出する。訴訟は最高裁判所までもつれ込む。

2.08 南ベトナムに軍事援助司令部を設置.

2 A.ダレスについでビッセル辞任.後任にヘルムズ作戦部長.

62年3月 「進歩のための同盟」発足

3 フランス政府とアルジェリア民族解放戦線が停戦に合意.8年にわたる流血が終了.

3 「進歩のための同盟」発足.向こう10年間で2百億ドルの公的援助を約束.

62年4月 鉄鋼戦争

4.10 鉄鋼業界,ケネディとの紳士協定を破り全製品の大幅値上げを発表.ケネディは「米国史上重大な時において,一握りの鉄鋼会社重役が社会的責任を逸脱してまで個人的権力と利益を追求し,米国民の利益を侮辱するのは,受入れがたい」と最大級の非難.反トラスト法に即して調査するよう司法省,連邦取引委員会に指示.

4.15 USスチール,値上げを撤回.ケネディの全面勝利に終わる.

5.17 海兵隊が共産主義からの防衛を理由にタイに上陸.

62年7月 第一次ハーレム暴動

7.18 ハーレムで5日間にわたる黒人暴動.「熱い夏」のさきがけとなる.

7.26 カストロ,サンチャゴ市で演説.「アメリカの再度の軍事侵攻に備え,まもなくソ連船がロケット兵器を運び込むだろう」と述べる.

8月 ケネディ、「共産主義の脅威にさらされている国」に対し軍事援助を行う法案に署名。

62年9月 メレディス事件

9.10 連邦最高裁はミシシッピ大学に対し、メレディスの入学を即刻受け入れよと命令。ケネディー兄弟もロス・バーネット州知事に対して入学許可を要請.しかし州政府,大学ともに要請を無視.

9.13 バーネットが地元テレビ局に出演。「自らが逮捕されることになっても、黒人の入学は断固阻止する」と宣言。

9.26 メレディス、連邦保安官に護衛され大学に向かう。副知事ポール・ジョンソンが学門前で入校を阻止。メレデイスは学生や白人住民の妨害にあって学内に入れず.最高裁は連邦政府に対して強制執行の手続きを指示する。

9.26 第5巡回控訴裁判所は州知事に出廷を命じる。連邦最高裁は判決を無視するバーネット州知事に法廷侮辱罪の適用を勧告。バーネット知事は法廷侮辱罪で有罪判決をうける。

9.26 大統領は暴動阻止を名目にミシシピー州兵を連邦軍に編入,連邦軍を出動させる行政命令を布告.バーネット州知事はこれを受け、メレディスの入学を認める。

バーネットの降伏条件: http://www.maedafamily.com/kanren/meredhis.htmによれば、バーネットは「自分を大学の玄関前に立たしてほしい。その時連邦保安官が私にむかって銃を構えてほしい、その時私はひきさがる」「メレディスを誰にも解らないようにこっそりと大学に引き入れてほしい、自分は知らなかった事にするので」と持ち出した。また州警察官を配備することを条件に、連邦軍出動の回避を要請。ケネディはこの提案に同意したといわれる。

9.30 ミシシッピー全州、南部一帯から人種差別主義者が大学周辺に結集。州都ジャクスンのラジオ局は中継の合間に南軍の軍歌を流し、暴徒を鼓舞する。

9.30 午後7時頃 バーネット知事との黙約に基づき,メレディスは550人の連邦保安官(一説に連邦執行官127)に護衛されて、ひそかに大学構内に入る。構内には200人の州警察官が配備され、不測の事態に当たる。

9.30 午後9時頃 大統領の全米放送の直前、バーネット知事は「メレディスは、私の知らぬ間にすでに大学構内に入った」と声明を発表。同じ頃に州警察官は大学構内から姿を消す。大学を取り囲む白人群集2500名と連邦保安官との緊張が高まる。

9.30 午後10時 ケネディの全国テレビ演説。「我が国は法律遵守によって自由が永遠に守られるという原則のもとに立っている。アメリカ国民は、法律と違った意見を持つのは自由であるが、法律に背く事はできない。私の義務は、必要な手段により、なるべく混乱を起こさないで法廷の命令を実行に移すことである」とし、「平穏にメレディスを受け入れてほしい」と要望。

9.30 午後11時頃 群集の投石や火炎瓶による襲撃が開始される。構内に火が投げ入れられ、ブルトーザーが大学の建物に突っ込む。連邦保安官は催涙ガスのみで防戦。要請を受けたケネディは連邦軍の出動を命令。

ミシシッピーは降伏しない: バーネット知事は州警察を復帰させないまま、メレディスの退去を求める。これが拒否されると「ミシシッピーは降伏しない」との声明を発表。火に油を注ぐ。ただしこの発言は大統領演説直前のものだったという説もある。

62年10月

10.01 午前0時 暴動が最高潮に達する。暴徒の銃撃により、フランス人新聞記者1人と市民2人が殺される.ほかに重軽傷者227名を出す大惨事に発展.“Ole Miss”の反乱と呼ばれる。

“Ole Miss”はミシシッピ州立大学の愛称です。「Ole Miss James Meredith」とグーグルすると、4万件近くがヒットします。とりあえずはintegrating ole miss  あたりがお勧めです。

10.01 午前4時 連邦軍が現地に到着。暴徒は鎮圧され、400名が逮捕される。バーネット知事は「暴力に反対する」との声明を発表。

10月1日朝 メレディスは、保安官の一隊に護衛されて正式に入学の手続きをすませる。

10.22 ケネディ大統領,全国テレビ放送でキューバにソ連ミサイル基地建設中と発表.キューバ海上封鎖を宣言.28日にソ連はキューバに無断でミサイル撤去を通告.(ミサイル危機関連記事はキューバ年表を参照)

62年11月

11.07 ニクソン,カリフォルニア州知事選に出馬し敗北.政治生命をほぼ絶たれる.

62年 オハイオ中央州立大学の黒人学生を中核として「革命行動運動」(RAM)が結成される。“歴史上最初の黒人による毛沢東主義運動 ”と自己規定し、SNCCの革命化に力を注ぐ。マルコム・エックスともつながり。

 

1963年

2.28 公民権に関する大統領特別教書を発表.

63年4月 バーミンガム暴動

4.02 キング牧師ら,アラバマ州バーミンガムで人種差別(segregation)反対のデモや座り込みを開始.警察は警察犬をけしかけたり消防ホースで水を浴びせるなど暴力的に対処.当局に拘留されたキング牧師は「バーミンガム監獄からの手紙」を発表。

63年5月

5.02 バーミンガムのキング牧師の弟の家に爆弾が投げ込まれる.これを機に白人対黒人の衝突激化.

5.03 子供と若者たちが抗議行進。警察は500人を拘束、警察犬と放水車を用いてデモ隊を蹴散らす。

5.13 バーミンガムの暴動に連邦軍が出動.ジョージ・ウォーラス州知事は連邦政府の干渉を排し,黒人差別政策を強化.

63年6月 公民権法案の提出

6.11 アラバマ州立大に二人の黒人が入学.この大学は黒人入学を認めない最後の州立大学であった.

6.11 ケネディは全国向けテレビで黒人問題に関する倫理的立場を強調,黒人差別撤廃に関する法案(黒人公民権法案)を提出すると発表.

ケネディの公民権演説: 我々は国家として道徳的危機に直面している.リンカーンが奴隷を解放してから100年の時が経過している,しかしその子孫はいまだに完全に自由ではない.かれらは不正義のかせから自由にはなっていない.社会的・経済的圧迫から解放されていない.アメリカは何を誇示しようが,国民全部が自由になるまで完全に自由な国家とは言えないのだ。

6.12 ケネディ演説放送の数時間後,ミシシッピ州ジャクソンで、NAACPの現地指導者Medger Eversが自宅前で待ち伏せされ、射殺される.葬儀には25,000名の人々が参加したという。

6.17 連邦最高裁,公立学校でのキリスト教関連行事は違憲との判断を下す.

6.19 ケネディ,これまでで最も徹底した公民権法案を議会に提出.

6.22 キング牧師がホワイトハウスを訪問。ケネディ兄弟らは、公民権運動支持と引き換えに、Stanley Levinson と Jack O’Dell の排除を迫る。二人は隠れ共産党員とみなされていた。

6月 4月以来全国186の街で758回のデモが行われ、14,733人が逮捕される。

6月 サイゴン市内で僧侶が宗教弾圧に抗議して焼身自殺。米国人カメラマンによる写真が世界に衝撃を与える。

7.25 アメリカ,イギリス,ソ連がモスクワ会談.地下を除く核実験を禁止する部分的核実験停止条約に調印.

63年8月 「私には夢がある」

8 サイラス・バンス陸軍長官,ピッグス湾事件に参加した亡命キューバ人の陸軍への取り込みにあたる.担当官にアレクサンダー・ヘイグが就任.

8.28 ワシントンのリンカーン記念堂前で奴隷解放宣言百年を記念する公民権運動大集会.ケネディの支持のもとに30万人が参加.キング牧師「私には夢がある」と多民族の共同社会建設を訴える演説.一方で、SNCC代表ジョン・ルイスの演説は屈辱的な修正を迫られる。このあとSNCCなど急進派は,公民権運動指導部の妥協的な姿勢に反発を強める.

8.30 ホワイトハウスとクレムリンをつなぐホットラインが運用開始.

63年9月

9.02 ケネディ、「ベトナムから手を引くべきだという意見には同意できない。遠い国の出来事のように見えるが、これは重要な戦いだ」と語る。(翌日付の記載と正反対だが、どちらが正しいのか?)

9.03 ケネディ,「90マイルしか離れていないキューバに対する軍事行動をも正当化できないわれわれが,9千マイルも離れた東南アジアでの戦争を果たして正当化できるのだろうか?」と演説.軍事顧問団1万5千人の引き揚げ計画を発表する.

9.09 ケネディ、「南ベトナムが共産勢力の手に落ちれば東南アジア全体が危うくなる」と述べ、南ベトナムへの援助を続ける意思を示す。

9.15 アラバマ州バーミンガムの16番街バプティスト教会で爆弾テロ.ダイナマイト19本が仕掛けられ、日曜ミサに参加していた4人の黒人の女子生徒が犠牲となる.この教会は公民権運動の拠点となっていた。同じ日、黒人青年2人が市内の別の場所で殺害される。

9月 「民主社会を目指す学生同盟」(Students for a Democratic Society:SDS)、インディアナ州ブルーミントンで全国評議会を開催。トム・ヘイデン(Hayden)は、「人種の壁を越えた貧者の運動」を提唱。“Economic Research and Action Project”の実践が決議され、活動家が全米各地にオルグに入る。SDSは白人学生を主体とする公民権活動家グループ。

10.2 政府,国家安全保障行動メモ(NSAM)263号を公開.「65年までにすべての米国人をベトナムから退去させる」としベトナム撤兵の方向をうちだす.

10.05  ケネディ、マクナマラ国防長官とテイラー統合参謀本部議長による撤退計画を承認。年末までに米国の軍事要員1000人をベトナムから撤収させる計画。ケネディは当面計画を発表しないよう指示する。

63年11月 ケネディ暗殺

11.01 南ベトナムで軍事クーデター.軍部が政権を握り、独裁者ゴ・ジンジェムとその一族を殺害。

11.07 アメリカが南ベトナムの軍部新政権を承認.

11.22 ケネディ暗殺(別年表)

11.24 ジャック・ルービー,ダラス警察署内で移送中のオズワルドを射殺.

 

1964年

1.17 パナマで暴動,米軍の弾圧により犠牲者を出す.パナマ,アメリカと断交.

1月 ジョンソン大統領、「偉大な社会」を目指し、「貧困との戦争」を宣言。

2.25 マイアミでヘビー級タイトルマッチ.圧倒的不利の予想を覆し,カシアス・クレイがリストンを下し,新チャンピオンに.試合後クレイは自らが「ブラック・イスラム」の会員であると発表.

64年3月

 3.03 公教育の貧困に抗議して全国で学生の授業ボイコット闘争。プエルトリコ系学生を含め4 6万人が行動に参加。

 3.08 マルコムX,ブラック・ムスリムから分かれイスラム・モスク社を創設。その後メッカ巡礼に 旅立つ。

 3.17 ジョンソン,NSAM288号に署名.263号の計画を全面否定しベトナム戦争エスカレー ションへ乗り出す.

 64年4月

 4月 ビートルズがアメリカで公演。ヒットチャートの1位から5位までビートルズの曲が独占。

 4月 ラオスで右翼のクーデター。アメリカはパテトラオ支配区への爆撃を開始。

 64年5月

 5.01 「第1回黒人ナショナリズムに関するアフロアメリカ学生会議」が開かれる。RAM傘下の「アフロアメリカ学生運動」が主催。

5.02 ニューヨークで最初の大規模なベトナム反戦デモ。約千人が国連までを行進。

64年6月 ミシシッピ・バーニング

6月 「フリーダム・サマー」が始まる。黒人の投票権登録数がアメリカで最も少ないミシシッピ州をターゲットに、学生ボランティア800人と地元活動家が登録運動を行う。キャンペーン中に4人が殺され、4人が重傷を負い、80人が殴打を受ける。1,000人以上が逮捕され、場所を提供した60の教会・家・オフィスなどが爆弾や放火の被害に遭う。

6.16 KKK、ミシシッピ州フィラデルフィアで黒人の教会に火を放ち、全焼させる。CORE活動家三人をおびき寄せるためとされる。

6.21 「64年公民権法」が議会を通過.南部出身議員は激しい抵抗.

6.22 人種平等会議(Congress of Racial Equality:CORE)の活動家3人が、「フリーダム・サマー」の一環として、フィラデルフィアに赴き、行方不明となる.

ミシシッピ・バーニング: アンドリュー・グッドマンはニューヨークの学生、マイケル・シュワーナー(白人)とジェームス・チェイニー(黒人)は地元の活動家。教会焼打ち事件の調査を開始。地元の保安官補はスピード違反を口実に3人を逮捕、KKKに引き渡す。KKKRock Cut Roadという山道で3人を射殺し、建設中の土手に死体を埋める。 この事件は、のちに映画「ミシシッピ・バーニング」でとりあげられる。

6.22 最高裁,マッカラン法の共産主義者旅券交付禁止条項に違憲の判決.

6.28 メッカ巡礼から戻ったマルコム・エックス、アフロアメリカン統一機構を結成.武装闘争を説く.

64年7月 公民権法の成立

7.02 ジョンソン大統領,人種差別を禁止した新公民権法に署名.ジョンソンは「貧困との戦い」を宣言.「大砲もバターも」と主張.

7.13 サンフランシスコで共和党大会。カリフォルニア大学の学生を中心に抗議行動を展開。

7.18 ハーレムで昨年に続き二回目の黒人暴動。二人が死亡。64年だけで24回の暴動が発生。

7.21 米州機構外相会議,対キューバ経済制裁を決定.

7月 SNCC、公民権法の成立にともない、黒人の選挙登録運動を推進。ロバート・モーセスを先頭に数百名の白人学生がミシシッピ各地に入る。

64年8月 トンキン湾事件

8.02 国防総省,米駆逐艦「マドックス」がトンキン湾公海上で北ベトナム魚雷艇の攻撃を受けて交戦と発表.

8.02 ニュージャージー州ジャージー・シティーで黒人暴動が発生。

8.04 空母「タイコンデロガ」艦載機が北ベトナム沿岸の魚雷艇基地など4カ所を報復爆撃.

8.04 行方不明となっていた三人の公民権活動家が死体で発見される。遺体は鎖で打ち砕かれた後,銃弾多数を打ち込まれていた。

8.05 トンキン湾事件で,国連安保理が開催される.

8.07 上下両院,「トンキン湾決議」を採択.ベトナム戦争に関して大統領に戦時権限を付与.

8.15 ベトナム北爆が始まる。

8.16 シカゴで黒人暴動が発生。

8月末 アトランティック・シティーで民主党全国大会.ミシシッピ州ワシントンの黒人運動代表者は、人種差別主義者からなる公式代表団とは別に大会への参加を要請。ハンフリーら指導部により却下される.

64年9月 フリー・スピーチ運動

9.11 SNCC代表団がハリー・ベラフォンテのアレンジによりアフリカ諸国を視察。旅行中にOAAUのマルコムXと会談し、連携強化で合意。

9月 UCバークレー校でFree Speech Movementがはじまる。

64年10月 キングのノーベル賞受賞

10.14 マーティン・ルーサー・キング牧師に,ノーベル平和賞.

10.14 ソ連政変。フルシチョフが追われ、ブレジネフが権力を握る。翌日には中国が核実験に成功。

10月 RAMとそのフロント組織「合衆国黒人解放戦線」が、デトロイトで「草の根会議」を開催。マルコム・エックスが基調報告。

64年11月

11.03 米大統領選挙。ジョンソンが61%を獲得し圧勝。議会選挙でも民主党が下院435議席中295議席を獲得。

11.05 SNCC、ミシシッピ州ウェイブランドから撤退。このあとSNCCは戦闘的公民権組織から急進的思想団体へと転換。

12.02 UCバークレーのスプロール・ホールに座り込んだ学生を官憲が一斉検挙。抗議ストとデモに1万人以上が参加。

 

1965年

1月 ジョンソンが大統領に就任。

65年2月 フリーダム・ウォーク

2.01 キング牧師らを先頭とするフリーダム・ウォークが始まる。南部で事実上、剥奪状態にある黒人投票権を要求して非暴力デモ行進を開始.途中,およそ200人のアラバマ州騎馬警官が催涙ガス,鞭,棍棒などで攻撃を加える.当局はキング牧師ら参加者770人を一斉逮捕。

2.07 米軍,北ベトナムのドンホイを爆撃する.北爆の開始.

2.18 アラバマ州マリオンで州警官が黒人の集会を襲撃。黒人青年ジミィ・リー・ジャクスンが射殺される。

2.21 マルコム・リトル(マルコムX),ニューヨーク市内で演説中にブラックムスリム黒人に射殺される.死後発表された「自伝」が多くの青年に影響を与える.ニューヨークとサンフランシスコのブラックムスリム本部は抗議する群集により焼き討ち.

65年3月

3.07 フリーダム・ウォーク、アラバマ州セルマに入る。市内のエドモンド・ペッタス(Edmund Pettus)橋で州兵と白人暴徒の襲撃を受ける.白人牧師ジェームス・リーブが棍棒で殴られ重体,負傷者数65名を出す.「血の日曜日」と呼ばれる。その模様は全米にTVニュースとして流され、非難の声が巻き起こる。

3.08 ジョンソン大統領、「全ての国民は平等」という約束はまだ果たされていない。今こそ正義が行われるべき時であると述べる。またアラバマ州兵を連邦政府の指揮下に入れ、行進の警護に当たらせることとする。

3.08 アメリカ海兵隊がベトナムのダナンに上陸.

3.11 ジェームス・リーブが死亡。

3.17 ジョンソン大統領、黒人差別を禁じた「65年投票権法案」を議会に提出。選挙登録と投票における差別の終わりを呼びかける。

3.19 南アのアパルトヘイトに反対するデモ。ウォール街のチェース・マンハッタン銀行前で座り込みに入る。

3.21 キング牧師ら,アラバマ州セルマから行進を再開。国道80号線に沿って州都モンゴメリーを目指す。行進団は4,000人の連邦軍によって守られる。

3.24 ミシガン大学で最初のベトナム反戦ティーチイン。たちまち全国に拡大。

3.25 フリーダム・ウォークが終了。出発時3,200人のデモ隊が,モンゴメリー到着時には25,000人に膨れ上がる.打ち上げ集会では、ハリィ・ベラフォンテ、ジョーン・バエズ、ピーター・ポール&マリー、レナード・バーンスタイン、トニィ・ベネット、サミィ・デイヴィスJr.らが参加。

3.31 ニューヨーク・タイムスに著名人3百名によりベトナム介入即時中止を訴える大統領あて公開状.

65年4月 ワシントンで最初のベトナム反戦デモ

4.01 国家安全保障会議,空軍による爆撃強化と地上軍の戦略変更で合意.軍に積極的戦闘参加をうながす.

4.17 ワシントンで最初の全国動員によるベトナム反戦デモ.1万5千人の参加。

4.15 反戦青年がホワイトハウスの外でピケを張り,ヴェトナムから米国部隊の撤退を要求する.

4.21 プエルトリコの民族主義者ペドロ・アルビス・カンポスが24年の獄中生活を終え死亡。島での葬儀には10万人が参加。

4.28 米軍,ドミニカの立憲主義者の反乱に軍事介入.次いで米州機構外相会議が,平和維持軍のドミニカ派兵を決定.

65年5月 ベトナム反戦ティーチイン

5.02 ジョンソン大統領が,ドミニカの共産化阻止のため派遣部隊を増強すると発表.

5.21 UCバークレーで、最大規模のベトナム反戦ティーチインが開催される。3万5千人が参加。

7.09 米議会、選挙権妨害防止法を承認。黒人の投票参加を保護する。

7.25 ニューポート・フォーク・フェスティバル。ピート・シーガーの後継者と目されたボブ・ディランが、ロック・スタイルで “Like a Rolling Stone” を歌い顰蹙を買う。無党派の若者からは圧倒的な支持。

65年8月

8.06 ワシントンで原爆被爆20周年にあわせてベトナム反戦平和集会.

8.06 ジョンソン、黒人差別を禁じた投票権法に署名。 “we shall overcome”と叫んだという。

8.11 ロス南東部の黒人ゲットー,ワッツ(Watts)で,5日間にわたる暴動発生.白人警官が酔っ払った黒人に暴力を加えたのがきっかけ.州兵を動員しての弾圧で34人が殺害,1千人が負傷、4千人が逮捕される.被害総額は二億ドルに達する.各地の暴動のさきがけとなる.

65年10月

10.15 ベトナム戦争に抗議する最初の国際統一行動日。全米の諸都市でデモ行進。

11 連邦最高裁,マッカラン法による共産党員の登録義務を違憲と判断.これを機に共産党は新綱領制定に向け討議を開始.

11.27 ワシントンで数万人のベトナム平和行進.

 

1966年

66年1月

1.06 SNCC、ベトナム戦争に反対する声明。この中で徴兵拒否を支持する意向を表明。

1.10 ジョージア州議会、ジュリアン・ボンド議員の登庁を拒否。ボンドはSNCCの戦争反対の立場を支持すると表明していた。

1.17 水爆を搭載したB-52戦略爆撃機,スペインのアルメイラで空中給油中,輸送機と接触し墜落.水爆は機体を外れ,地中海に水没.海底の水爆は発見されるが,引き揚げ困難のため放置される.

2.03 ソ連の宇宙船ルナ9号,月への軟着陸に成功.

3 ドゴール大統領,NATO軍からの事実上の撤退を発表.NATO本部はパリからブリュッセルに移転.

4月 ランパート誌、ミシガン州立大学がベトナムにおいてCIAの活動に協力していると暴露。

66年5月

5.11 シカゴ大学の学生が、徴兵委員会の入居する大学本部ビルを占拠。

5月 ラウンデス郡でSNCC大会。900人の黒人学生代表が集まり、行動隊「ブラック・パンサー」を結成。ジョン・ルイスに代わりストークリー・カーマイケルが議長に選出される。(オークランドのブラック・パンサーとは無関係と思われる)

5 ビアフラ内戦が始まる.ナイジェリアの封鎖作戦のため,百万人以上が餓死.

66年6月

6.06 ミシシッピを横断する黒人行進に加わっていたジェームス・メレディスが撃たれる。

6.29 アメリカ,ハノイ・ハイフォンの石油基地爆撃を開始.

6.30 北への直接侵攻を主張したジョン・マッコーンCIA長官,解任.後任にリチャード・ヘルムズ.

6.30 「女性の地位に関する委員会」の第三回全国会議.全米女性機構(National Organization of Women のちに The National Organization for Women)の結成を決議.フェミニズム運動が始まる.

6月 フォート・フッドの3人、ベトナムでの兵役を拒否。二年の実刑を科せられる。

66年7月

7 学生非暴力調整委員会(SNCC)のストークリ・カーマイケル,「ブラックパワー」を提唱.

7.12 シカゴ,ブルックリン,クリーブランドなど38の都市で、黒人暴動があいつぐ.

7月 キング牧師、住宅政策における人種差別の禁止を求めてシカゴ・キャンペーンを開始。北部での人種主義を明るみに出そうとする。キャンペーンは獲得目標が不明確なまま流産に終わる。

66年8月 SDSの急進化

8.06 ワシントン,ニューヨークなどで大規模なベトナム反戦デモ.

8.16 下院非米活動委員会がベトナム反戦運動聴聞会を実施.混乱の中に打ち切りとなる.

8.29 アイオワ州クリア・レイクでSDS総会。「平原派」が指導権を獲得し、第一世代と交代。「from protest to resistance」を合言葉に、サークル的組織から大規模な組織機構への転換をはかる。

66年9月

9.06 ジョージア州アトランタで人種暴動.

9月 Bayard Rustin、ブラックパワーの思想を批判。このあとSDSとSNCCのあいだで議論が開始される。

10月 ヒューイ・ニュートンとボビー・シール、オークランド・メリット・カレッジで最初のブラックパンサー党支部を創設。

ブラックパンサー結成の経緯については異説が多い。日本語版wikipediaによれば、オークランドのRAM活動家ヒューイ・P・ニュートンとボビー・シールにより、都市部の貧しい黒人が居住するゲットーを警官から自衛するために結成された。貧困層の児童に対する無料の食事配給や、治療費が無料の「人民病院」の建設を行った。マルコムXの思想を受継ぎ、武装自衛を主張。急速に影響力を拡大.

11.08 カリフォルニア州知事選挙。反黒人・反学生を掲げた反動の代表ロナルド・レーガンが民主党の現職パット・ブラウンに圧勝。

66年12月 SNCCの黒人セクト化と急進化

12月 SNCC総会、全ての白人を組織から駆逐することを僅少差で決議。SNCCの中核をなすRAMは、ブラック・インタナショナルの創設と「世界黒人革命を通じて黒人下層階級による世界の独裁」実現を主張。

12月 「ベトナム戦争終結のための学生動員委員会」(SMC)がシカゴ大学で結成される。

 

1967年

67年1月 

1.06 アメリカ軍がベトナム戦でメコンデルタに侵攻.この時点で在留米軍は47万3000人.

1.10 ジョンソン大統領が,予算教書でベトナム戦争の継続と増税を提案.

3.21 徴兵局のハーシー将軍がハワード大学で講演。学生は「黒人の戦場はアメリカだ!」と叫び抗議。黒人運動とベトナム反戦運動の結合,急進化がすすむ.

67年4月 50万人の反戦デモ

4.04 キング牧師,沈黙を破り、良心的兵役拒否をよびかける.いっぽうで「黒いだけで十分な迫害を受けているのに,さらに赤くなることはとてもできない」と左翼勢力との共闘を拒否.

4.07 FBI、ブラックパンサーに対する組織的弾圧を開始。オークランドの活動家が街頭で射殺される。

4.15 ニューヨークとサンフランシスコで50万人のベトナム反戦デモ.キングとカーマイケルが、国連前集会で並んで演説。集会後6人のベトナム退役軍人が、「戦争に反対するベトナム退役軍人の会」の結成を宣言。

4.22 カシアス・クレイ,ハワード大学で4500人を前にベトナム戦争を批判。

4.28 カシアス・クレイ,「ベトコンの連中とけんかするつもりはない」と、徴兵宣誓を拒否する.WBAはタイトルを剥奪.

5.02 カリフォルニア州議会でブラックパンサーの取り締まり法案を検討。これに抗議する活動家30人が、銃を持参したままサクラメントの議事堂に押し入る。

5月 SNCC、ラップ・ブラウンを議長に選出。"Violence is as American as apple pie"であるがゆえに、自らを人権組織と規定。世界の「植民地主義、人種主義と経済搾取に対する解放闘争を支持する」と宣言。

6.05 イスラエルと中東諸国の間に6日間戦争.イスラエルはヨルダン川西岸,ゴラン高地,ガザ地区,シナイ半島,エルサレムを確保.

67年7月 デトロイト戦争

7.12 ニューアークで5日間にわたる黒人暴動発生.26人が死亡。 この月だけで、スパニッシュ・ハーレム、ロチェスター、バーミンガム(アラバマ)、ニューブリテンでも暴動。

7.23 ニューアークに引き続きデトロイトで空前の大暴動.抗議行動に対し連邦軍3千4百名が投入され,一週間にわたる市街戦を展開.38人が死亡する.SNCCのラップ・ブラウン委員長逮捕.このほかミルウォーキー,ワシントンなど全米各地でブラックパワ−高揚する(熱い夏).

7.31 ストークリー・カーマイケル,ハバナのLA人民連帯会議(OLAS)に名誉会員として出席.米国における武装革命を呼びかける演説。

67年8月 

8.03 ジョンソン大統領,増税10%とベトナム増派4万5000人を提案.

8.15 マーティン・ルーサー・キング、アフロアメリカ人が連邦政府に対する「集団的不服従」運動に立ち上がるよう呼びかける。

8.25 フーバーFBI長官、黒人解放組織に対して情報活動を開始するよう指示。後にチャーチ委員会により明らかにされる。

8.29 フィラデルフィアで第三回ブラックパワー会議。全国から3千人が結集。

67年10月 オークランドのゲリラ戦

10.16 ベトナム反戦週間開始.全米30都市でも集会が持たれるなど全国に運動波及.ボストンで徴兵制反対集会.5千人が参加.67人が徴兵カードを焼き,214人がカードを返却.

10.17 オークランドで徴兵阻止週間が始まる。ブラックパンサーを主体に街頭行動。警察による厳しいデモ弾圧から「血の火曜日」と呼ばれる。

10.18 ウィスコンシン大学(マディソン)の学生が、枯葉剤を製造するダウ化学会社に抗議。警察は鎮圧のため大学に侵入し催涙ガスを使用。

10.20 「オークランドの7人」が大規模なデモを指導。機動作戦を用いて警察をかく乱。

10.21 ワシントンで反戦週間を締めくくる大規模な反戦集会.警察は武力挑発を繰り返す。ノーマン・メイラーなどが逮捕される。メイラーはこの体験を元に「夜の軍隊」(The Armies of the Night)を著す。

10.28 オークランドでブラックパンサーと警察の銃撃戦。警官一人が射殺され、ヒューイ・ニュートンが負傷。ニュートンは殺人容疑で逮捕される。

10月 ユージン・マッカーサー、民主党予備選への立起を表明。 "Clean for Gene" キャンペーンを開始(ジーンはユージンの愛称)。

67年11月 

11.27 マクナマラ国防長官が辞任.

12月 ヴェトナムでのアメリカ軍隊は535,000に達する。さらに近海に海軍艦隊とタイ、フィリピン、その他の駐留部隊が展開。

 

1968年

68年1月 テト攻勢

1.23 プエブロ号事件発生。(朝鮮年表を参照)

1.31 南ベトナム解放民族戦線,36の郡都をふくむ120の町で「テト攻勢」を開始.都市ゲリラによりサイゴンのアメリカ大使館が破壊される.ケサンの海兵隊基地を2ヶ月にわたり包囲,攻撃.戦闘後,解放戦線はサイゴン,フエなどの大都市における拠点を失うが,国際世論を一気にひきつける.ウェストモーランド司令官,52万の現兵力に加え,さらに20万の増派を要請.

68年2月 

2.01 ジョンソン大統領,「テト攻勢は完全に失敗に終わった」と勝利宣言.この日解放戦線兵士の路上処刑がテレビ放映され,世界に衝撃を与える.

2.08 オレンジバーグ(サウスカロライナ)で、ボウリング場の差別に抗議する黒人学生に、警察が発砲。3人が死亡し30人以上が負傷。

2.16 熟練労働者,大学院学生の徴兵猶予が廃止となる.

2.17 オークランドで、ヒューイ釈放を求める集会。エルドリッジ・クリーヴァーは、パンサーとSNCCの合併を発表。SNCCメンバーのほとんどは事前の知識なし。結局、7月には合併話は破棄される。

2.27 サイゴンを取材訪問したCBSのクロンカイト、「アメリカは手詰まりに陥っており、手を引くための交渉を開始しなければならなくなる」と報道。

68年3月 ロバート・ケネディの出馬表明とジョンソンの不出馬表明

3.02 カーナー委員会(市民の不平等に関する国家諮問委員会)の報告が発表される。「白と黒という二つの社会が、隔てられて差別されて存在する」とし、人種主義を克服するための大規模な計画を提案。この提案は費用の面から採用されずに終わる。

3.03 ロスアンゼルスのリンカーン高校のメキシコ系アメリカ人生徒1,0000人が、人種差別に抗議してデモ行進。この他に5つの学校の生徒9千人がストライキに参加。

3.12 ユージン・マッカーシー、ニューハンプシャー民主党予備選でリンドン・ジョンソンに230票差で惜敗。

3.15 平和・自由党が創立大会。SNCCを主体とする黒人活動家による。大会はエルドリッジ・クリーバーを大統領候補に擁立。クリーバーは19州で立候補資格を獲得し、20万票を獲得。

3.16 ロバート・ケネディ上院議員が、ベトナム戦争に反対する立場を明確にし、大統領予備選挙への出馬を表明.

3.18 メンフィスの清掃局員が労働組合の承認を要求してストライキ。「貧民計画」を訴えるキング牧師がメンフィスを訪れ、15,000人を前に連帯挨拶。

3.19 ハワード大学で学生が100時間以上の座り込み。要求のほとんどを実現する。

3.31 ジョンソン,ウィスコンシン予備選挙での敗北が明らかとなる。「賢人会議」のベトナム撤退勧告を受け、北爆の部分的停止と次期大統領選不出馬を声明.ベトナムは交渉を受諾。

68年4月 SDSのコロンビア大学占拠

4.04 メンフィス清掃労働者支援に赴いたキング牧師、モーテルの二階バルコニーに出たところを狙撃され死亡.犯人はイリノイ生まれの白人ジェームズ・アール・レイ.

4.04 シカゴ・ボルチモア・ワシントンDCなど100以上のコミュニティで抗議行動が暴動化.政府は州兵5万5千人を動員し治安回復に当たらせる。このうちシカゴとワシントンDCには、それぞれ1万2千が重点配備される。この衝突で46人が死亡し、2500人が負傷。首都ワシントンでは、「野営運動」に対して非常事態宣言がしかれ。、連邦軍など7万人が動員される.

4.05 米軍,ケサン基地の包囲網を突破.

4.06 オークランド警察がパンサーを襲撃。ボビー・ハットンが殺害され、エルドリッジ・クリーヴァが負傷・逮捕される。

4.11 住宅入居における差別を禁止する「68年公民権法」が議会で成立。

4.23 SDSの指導するコロンビア大学占拠事件。千人の学生が五つの建物を占拠。31日に警察が導入され、学生らを排除。その後も1ヶ月間にわたるストライキ。

4.26 全国で100万人の学生・高校生がベトナム反戦ストライキに参加。

68年5月 

5.03 ソルボンヌ大学に警察が導入される。パリ全市で大規模な抗議行動。世論調査ではパリ市民の8割が学生を支持。

5.13 黒人の「貧者の行進」がワシントンに到着。ラファイエット広場で野営を開始。ジェシー・ジャクソンが「市長」を勤める。

5 2年前におこなわれたミライ村虐殺事件,フランスのジャーナリズムにより暴露.南ベトナムの農村ミライで米兵(アメリカル師団第11旅団所属のチャーリー中隊)による大虐殺.子供を含む非戦闘員567人が殺害される.

5月 自動車労連(UAW)、「社会的視点の欠除」を理由にAFL-CIOを脱退。チームスターなどと新労働センター作りを目指す。(81年にAFL-CIOに復帰)

68年6月 ロバート・ケネディ暗殺

6.05 ロバート・ケネディ,遊説先のロサンゼルスのアンバサダー・ホテルで銃撃される.翌日死亡.犯人はパレスチナ系米国人ビシャラ・サーハン.

6.09 民主社会を目指す学生同盟(Students for a Democratic Society:SDS)がミシガン州イースト・ランシングで大会。進歩労働党(PLP)とその傘下の労働者学生同盟(WSP)がイニシアチブをとり、差し迫る「革命」への対応が議論の焦点となる。毛沢東思想を掲げるWUO派は、あらたに「革命を目指す青年運動」を結成し勢力を拡大。

6.24 ラファイエット広場の「貧者村」が撤去される。ワシントン市内に非常事態宣言が発せられる.

6.27 米軍,ケサン基地から撤退することを発表.

6月 SNCC大会が開かれる。組織の名称をStudent National Coordinating Committeeとし、Nonviolentを削る。ジェームズ・フォーマン議長は辞任。カーマイケルもSNCCから除名される。SNCCは徐々に分裂し退潮傾向に入る。

68年7月

7.04 共産党がニューヨークで特別大会を開き、25年ぶりに大統領候補の擁立を決定。指導部はガスホールを候補に推すつもりだったが、大会ではシャーリン・ミッチェルが指名される。アメリカ史上最初の黒人女性大統領候補となる。

7.23 オハイオ州クリーブランドで警官隊と黒人が衝突。10人が死亡。

68年8月 シカゴ民主党大会の暴動

8.20 チェコ事件が発生。アメリカ共産党はいち早くソ連支持を表明。

8.27 シカゴで民主党の大統領候補指名集会.およそ3,000人の反戦デモ参加者は,警察部隊と衝突.5ブロック範囲は戦場になる.警察はクラブや催涙ガスで襲い掛かる.デモ隊は投石やビンで応酬.

68年9月 SDS内毛沢東派の拡大

9.07 ミス・アメリカのコンテストをNew York Radical Womenなる団体が襲撃。この団体はその後も向こう受けを狙った実力行動を繰り返す。

9.18 コロンビア大学で「革命的学生運動国際会議」が開かれる。SDSの呼びかけで、英仏独加墨などの新左翼代表が参加するが、具体的な合意には至らず。

9.28 フーバーFBI長官、「ブラックパンサーはこの国の治安におけるもっとも重大な脅威である」と述べる。この時点での党員数は2千ないし5千と推定される。

9月 民主党大会以後、SDSが急拡大。大会をはさんで、支部数は250から350に増加。組織内で毛沢東主義者が勢力を拡大。

68年10月 メキシコ・オリンピックでブラック・パワー

10.02 メキシコでオリンピックを前にトラテロルコ大虐殺事件が発生。

10.05 北アイルランドのロンドンデリーで,400人のカトリックのデモ参加者に機動隊が襲撃.このあと北アイルランド紛争は過激化.

10.12 サンフランシスコでベトナム反戦デモ。現役兵士数百人を含む1万人が参加。

10.19 メキシコ・オリンピックで表彰台に上ったトミー・スミスとジョン・カルロス、こぶしを突き上げるブラックパワーのポーズを示す。

68年11月 ニクソンの勝利

11.01 「全国G.I週間」が始まる。SDSの支援を受け、兵士への働きかけを強める。 

11.05 ニクソン,僅差でハンフリーを破り大統領に当選. 極右のウォーレス候補も9,906,000の一般投票を獲得。議会下院では民主党が過半数を維持。

11.09 「マンスリー・レビュー」の編集者レオ・ヒューバーマンが死亡。残されたポール・スウィージーにくわえ、新たにハリー・マグドフが共同編集者となる。

68年12月

12.26 アンアーバーでSDS全国評議会。これまで最高の1200人が出席。会議はPL派と反PL派(毛沢東派)の全面対決となる。

12月 SNCC幹部会が開かれる。66年以前からの公民権活動家は、ほぼすべて組織を離れる。

 

1969年:米国を揺るがす反戦運動

69年1月

1.20 ニクソン,第37代大統領に就任.

1 ニューヨークのシティー・カレッジとブルックリン・カレッジ、マサチューセッツ大学,ハワード大学,ライス大学,ペンシルバニア大学,シカゴ大学、ノースカロライナ大学、ウィスコンシン大学などで,ベトナム反戦と結んで大学紛争発生.大学の建物が相次いで占拠され、機動隊が出動して排除。

2.20 AFL−CIOが,国際自由労連から脱退.

3.16 全米各地でベトナム反戦の「反徴兵週間」行動が始まる.この時点で駐留米軍は54万4500人.

69年4月 ブラックパンサーへの第一次弾圧

4.02 ブラックパンサーのニューヨーク活動家21人が一斉逮捕される。デパートの爆破、放火、殺人未遂などが罪名としてでっちあげられる。(彼らはいずれもクリーバー派と目される。この派はのちに「黒人解放軍」を結成する)

4.05 全米50の都市で、大規模な戦争反対のデモ行進。ニューヨークでは10万人が参加する。

4.19 ハーバード大学,コーネル大学などのアイビーリーグ(エスタブリッシュ名門校)でも紛争発生.コーネル大学では黒人学生が学生センターを占拠.

4月 CBSテレビ、反戦的、反差別的言動が多すぎるとして、テレビ番組「Smothers Brothers Comedy Hour」の放映を中止。

69年5月

5.01 サンフランシスコのMission Districtで警官が若者に殺される。「ラサの7人」と呼ばれるチンピラが捕らえられるが、冤罪を主張する大衆の抗議が盛り上がる。後に7人は無罪となる。

5.09 ニューヨーク・タイムス,米軍のホーチミン・ルートに対する越境爆撃を暴露.ニクソンは漏洩の被疑者でNSC事務局員のモートン・ハルペリンに対する盗聴を指示.その後さらにマスキー上院議員,ウィリアム・サファイアなどの自宅にも盗聴機がつけられる.

5.15 バークレー構内の「人民公園」を大学側が撤去。これに抗議する学生に銃撃。数十人が撃たれ、一人が死亡。このあと軍が出動し、二週間にわたり大学を占拠。

5月 「マンスリー・レビュー」の論説、旧左翼は改良主義者であり、新左翼こそ革命的と評価。毛沢東思想への親近感を表現。

69年6月 SDSの主導権争い

6.06 南ベトナムの解放区内で暫定革命政府が樹立される。

6.21 SDSのシカゴ大会。革命青年運動(RYM)を中核とするWUO派がPL残党を組織から放逐。RYM内でもウェザーマン派(RYMT)とRYMUの抗争が表面化。RYMU派は新共産主義運動の結成へ動く。(ブント、中核、革マル三派というところか)

ウェザーマン(気象予報士)の由来: RYMTはSDSの機関紙「新左翼ノート」にボブ・ディランの歌の一説を引用した。 "You don't need a weatherman to know which way the wind blows" 彼らは「東風が西風を圧倒する」という毛沢東のスローガンを、この歌詞に重ね合わせていた。

6.27 ストーンウォールの反乱。ゲイの解放運動の始まりとされる。

69年7月 ニクソン・ドクトリン

7.04 クリーブランドで、派閥間の対立を乗り越えて、「ベトナム戦争終結のための動員委員会」が再建される。

7.18 パンサー党が招請し、オークランドで反ファシズム統一戦線会議が開かれる。会場の外ではSDSのPL派と反PL派が乱闘。

7.20 月着陸船アポロ11号が,月面に至る.

7.22 ニューヨークの三つのプエルトリコ人グループが合流し、Young Lords Partyを結成。パンサー党にならい組織を拡充。

7月 SDS代表団(すべてWUO派)がキューバを訪問。ベトナム代表部と会談。(メンバーはBernardine Dohrn, Eleanor Raskin, Dianne Donghi, Peter Clapp, David Millstone、Diana Oughton)

7月 ニクソン大統領、グアム島に各国カイライ政権を召集し、「ニクソン・ドクトリン」を発表。ベトナム戦争の「ベトナム化」を促す。

69年8月 ウッドストック音楽祭

8.15 ニューヨーク州北部の農園でWoodstock Music and Arts Fairが開催され、少なくとも40万人を動員。警察の発表では100万人がウッドストックを目指して道路上にいたとされる。

8.19 ニューヘブンのパンサー党員8名が、FBIスパイを殺害したとして逮捕される。さらに殺害を指示したとしてボビー・シールも拘留される。

69年9月 アンジェラ・デイビスの解雇

9.03 ホーチミンが死去。国際共産主義運動・労働者運動の統一を訴える遺書。

9.04 ピッツバーグの26人事件。SDS(WUO)の女性活動家26人が、ピッツバーグ南丘高校で反戦を叫びながらビラをばら撒く。

9.19 カリフォルニア大学評議会、共産党員であることを唯一の理由に、教員アンジェラ・デイビス(UCLA)の解雇を決定。連邦裁は解雇を違憲と認めるが、評議会は新たな理由をつけ解雇を押し通す。

69年10月 全米200万の反戦デモ

10.06 ウェザーメン、1886のヘイマーケット暴動における警察側「犠牲者」に捧げられた碑を爆破。"Days of Rage"作戦の開始を宣言。

10.08 RYMによるシカゴの反戦デモ。全国から駆り集められたウェザーマン派の287人が、車やショーウィンドウを壊し、4日間にわたり警官隊との衝突を繰り返す.6人が撃たれ、70人が逮捕される。 「虹の連合」などの諸組織はRYMの挑発行動を批判。(虹の連合は、パンサー党、青年愛国者、ヤングローズなどの統一組織)

10.12 5千人がニュージャージー州のフォート・ディクス基地にデモ。兵士の権利擁護、ベトナム戦争反対を掲げる。

10.15 反戦勢力,一時休戦日(Vietnam Moratorium Day)を宣言.全米で反ベトナム戦争の大デモ展開,2百万人が参加.参加者は黒い腕章を付けろうそくを手に持ち,一夜を明かす.

10.18 ニューヨークでプエルトリコ学生自治委員会が発足。ヤング・ローズやPSPとの連携を強化。

10.27 GE労働組合がストライキに入る。3ヶ月にわたるストの間、さまざまな組織が闘争に参加する。

10.30 連邦最高裁、公立学校における人種別学校システムを即時終わらせるよう命じる判決。ジョージア、ミシシッピ、アラバマ、フロリダ、ルイジアナ、テキサス州を名指しで非難。

69年11月

11.03 ニクソンが「声なき多数派」演説。戦争のベトナム化を約束し、「内部の敵」を攻撃することで保守派の支持を訴える。

11.04 「都市ゲリラ教程」の著者カルロス・マリゲイラ(ブラジル)、官憲の待伏せ攻撃により殺害される。

11.12 ウェザーマンのSam Melville, David Hughey and Jane AlpertがFBIに逮捕される。軍事施設や戦争に関係する建物を連続爆破しようとしたとされる。

11.13 シーモア・ハーシュ、ミライの虐殺事件(68年3月)をレポート。24日にはニューヨーク・タイムスが大きく報道する。

11.15 10.15に続いて,第二回目のベトナム反戦行動日.ワシントンの反戦集会には、史上最大の50ないし80万人(一説に25万人)が参加.西海岸でもサンフランシスコに10ないし25万人を動員。ニクソン演説への抗議の意思を表す。

11.20 アメリカ・インディアン運動(AIM),サンフランシスコ湾のアルカトラス島にある旧刑務所を占拠.インディアン対策の改善などを要求.78人が1年半にわたり施設にとどまる。

11月 216名からなる第一ベンセレーモス旅団がキューバへ出発。サトウキビ1千万トン収穫運動に参加。

69年12月 ブラックパンサーの第二次弾圧

12.04 シカゴのブラックパンサー事務所に警察隊の襲撃.機銃掃射によりフレッド・ハンプトンとマーク・クラークを射殺.この年だけで27人のパンサー党員が警察に殺され、749人が拘束・投獄される。

12.06 ウェザーメン、パンサー党指導者殺害に抗議し駐車中のパトカー数台を爆破。

12.26 ミシガン州フリントでウェザーマンの「軍事評議会」が開かれる。全組織の地下潜行を決議。

12.27 PL労働者・学生同盟、唯一の正統SDSを主張。エール大学で幹部会を開催し700名を結集。

12月 チャールズ・マンソンら、シャロン・テート殺害事件(69年7月)で逮捕される。

 

1970年:反戦運動への攻撃強化

70年1月

1.01 "The New Year's Gang"、ウィスコンシン州マディソンで飛行機を盗み、バラブー軍弾薬庫に3発の爆弾を落とす。爆弾は不発に終わる。

1.21 パン・アメリカン航空のボーイング747ジャンボジェットが,太西洋横断航路に就航.

70年2月

2.14 クリ−ブランドのケース・ウェスタン・リザーブ大学で学生動員委員会(MOBE)の大会。3400人の代表が結集。4月15日の全国学園ストライキを呼びかける。

2.24 UCサンタクルス近くのイスラ・ビスタで学生と警察が衝突。Bank of Americaが焼き討ちされる。学生一人が警察により射殺される。

2月 共産党、青年労働者解放同盟を結成。創立大会に参加した400人のうち4割が有色人種。ブルーカラーが半分以上。学生・高校生は25%の構成。

2月 WUO、シカゴのSDS全国事務局を閉鎖。学園闘争の中断を宣言。WUOメンバーのほとんどが地下に潜行。

2月 New York Panther 21事件を担当する判事の家が爆弾テロにあう。

70年3月

3.06 ウェザーメンのニューヨーク班が、グリニッジビレッジのアジトで、爆弾製造中に暴発事故。3人が死亡。Ayersのグループはデトロイトで警察襲撃を試みる。シカゴ班の爆弾製造アジトも3月末に摘発される。

3.18 ロンノルによるカンボジア・クーデター.旧シアヌーク派に対する虐殺をおこなう. ソ連はロンノル政権を承認。

70年4月

4.01 マサチューセッツ州議会が,同州出身の軍人はベトナム戦争に参加しなくてもよいとする法案を可決.

4.02 ニューヨークで21人のブラックパンサー党員が、警官殺害とビル爆破の陰謀を企てたとして逮捕された。

4.12 ウェザーマンの支持者がガーディアン誌編集部を襲撃。ガーディアンはテロ・グループへの批判を強めていた。

4.30 政府,カンボジアへの軍事介入を決定.南ベトナム軍9千人とともにカンボジア侵攻開始.ニクソンは,ベトコンと北ベトナム人の「聖域」を破壊するための行動と述べる.これに抗議して国中の大学で反戦デモ.

4月 学生の世論調査。自らを「急進的あるいは左翼的」と考える学生が11%に達する。同じ調査で1年前は8%、2年前は4%であった。またベトナム戦争を「まったくの帝国主義」と考えるものは41%(1年前は16%)。黒人学生を対象とした別の調査では、90%がベトナム戦争に反対。

4月 プエルトリコ系の「医療革命運動」とヤングローズの活動家がニューヨークのリンカーン病院を占拠。薬物中毒患者の劣悪な取り扱いに抗議。

70年5月 大学ゼネストとケント州立大学の虐殺

5.03 パンサー党弾圧に抗議する“Free Bobby Seale”の集会とデモ、2万人を結集。エール大学総長は「黒人革命運動家が米国のどこででも公平な裁判を受けられるかどうかは疑問だ」と述べる。

5.04 オハイオ州ケントの州立大学でのカンボジア派兵反対の反戦集会に州兵が出動.千人の集会に対して乱入し発砲.学生4人が死亡.全米4百の大学がゼネストで抗議.

5.07 自動車労連(UAW)、ニクソンに戦争反対の態度を伝える。AFSCMEは即時撤退をもとめる声明を発表。服飾関連合同労組の大会では議長が戦争を非難する演説。

5.08 ニクソン、1ヶ月以内にカンボジア領内から米兵を撤退させると明らかにする。

5.09 ワシントンで13万人の反戦デモ。このあとも連日数万単位のデモが展開される。

5.10 全国ストライキ情報センター、448の大学がストライキか休校になっていると発表。学生400万人と教官ら35万人が、「5月ゼネスト」に参加したといわれる。州軍部隊が16州21のキャンパスに導入される。

5.10 ウェザーメン、ケントとジャクソン州立大学の弾圧に抗議し、ワシントンD.C.の州軍協会ビルディングを爆破。アメリカ政府との「戦争状態」を宣言。

5.11 ジョージア州オーガスタで黒人囚人が殴打され死亡。これに抗議するデモに警官が発砲。6人が死亡する。

5.14 ミシシッピ州のジャクソン州立大学で,警察と学生の衝突.州騎馬警官が寄宿舎に向けて銃撃,学生二人が死亡、9人が負傷する.この後全国75の大学が一時閉鎖される.

5.18 サンフランシスコの新聞に労働組合指導者451人が連名で、戦争反対の意見広告。

5.22 ブラック・パンサーのエリカ・ハギンズら8人がコネティカット州ニューヘイブンで起きた殺人事件の容疑者として逮捕された。

5月 米国人ノーベル賞受賞者の3/4にあたる43人が、戦争の即時終結を訴える手紙をニクソンに送る。国務省職員250人が政府の施策に反対する声明に署名。

70年6月 MOBE左派の分離

6.09 ウェザーマン、ニューヨーク市警に爆弾を仕掛けるも不発に終わる。

6.13 ニクソン,学園紛争の原因調査を指示.9人のメンバーからなる調査委員会に諮問.半年後の調査委員会報告によれば,ケント大学の学生の一部は確かに「危険で無謀で無責任だったが,州兵による発砲はそれによって正当化することはできない.ジャクソン州立大学での警察の発砲は,無分別な正当化されない過剰反応であった」と結論.

6.19 新Mobeのクリーブランド大会。5月闘争の総括と今後の闘争方針をめぐり対立。多数派の"single-issue/single-tactic"路線に対し、平和行動連合(SWP派)は人種差別撤廃、人権擁護も視野に置いた"multi-issue/multi-tactic"路線を提示。

6.24 上院本会議が,トンキン湾決議廃棄を決定.さらに議会の承認なしにロンノルへの支援をおこなうことを禁止する付帯条項を決議。この条項は上下両院合同会議で否決される。

6.26 新MOBE内の"multi-issue/multi-tactic"を掲げる少数派が、ミルウォーキーで「戦略行動会議」を開催。急進的な反戦主義者、NWRO系、共産党系が結集。「戦争・人種差別・人権抑圧に反対する全国連合」を結成。

6.28 組合活動家850人と共産党支持者が「労動組合活動と民主主義のための全国共同委員会」を結成。シカゴで「国民共同行動会議」を開催。

70年7月

7.14 ニクソン,ヒューストン補佐官の起案になる「ヒューストン計画」を承認.「国内の治安に大きな脅威となっている人物や団体に対する電話の盗聴,連邦機関による郵便物の密かな開封に関する制限の強化,情報を得るための団体への不法な侵入,より多数の密告者の募集,従来の情報機関の枠を越えたあらたな情報機関の創出」を求める.ニクソンはまもなく,フーバーFBI長官とミッチェル司法長官の反対に会い計画を撤回.

7.26 テキサス州ヒューストンの路上で、警察がパンサー党系活動家を待伏せ攻撃。ヒューストン人民党のフレッド・ハンプトン議長(21歳)が殺され、ジョン・ブラウン革命同盟のバーティー・ヘイル議長(白人)をふくむ7人が負傷。 

7.31 カリフォルニアの農業労働者組合、26のブドウ栽培業者と妥結。5年間にわたるストライキに終止符を打つ。

70年8月 ヒスパニック系の活動興隆

8.07 マリン郡裁判所で、ジョナサン・ジャクソンが人質を盾に立てこもる。アンジェラ・デービスが銃を与えたとして全国指名手配される。

8.24 ウエザーマンが,米国政府に対し「宣戦布告」。ウィスコンシン大学の米軍計算センターを爆破.居合わせた学生一人が死亡。事件後FBIは、ウェザーマン活動家を“Ten-Most-Wanted”として指名手配。

8.26 婦人参政権実現50周年記念日。5万人がニューヨークでデモ。

8.29 メキシコ系アメリカ人2万人が、ベトナム戦争に反対してロスアンゼルスで集会。L.A.郡保安官がデモンストレーションを襲撃し、3人を殺害。

8月 BPP分派の黒人解放軍の青年3名が、ニューヨークでパトロール中の警官2名を狙撃する。銃撃戦の末黒人1名が死亡。

8月 プエルトリコ系のエル・コミテ、ニューヨークのアッパー・ウエスト地区を中心に、不法入居者の保護と都市再開発計画に対する抵抗運動を組織。全国10都市で2週間にわたり警察との市街戦。4人が死亡、数百人が負傷。

9.04 チリ大統領選挙で人民連合のアジェンデが勝利。

70年9月

9.06 アトランタでアフリカ民族会議が創設される。3500人の代表が結集。ワシントンではブラックパンサーが革命的人民制憲会議を開催。6千人を結集。

9.26 GM労働者が2ヶ月にわたるストライキを開始。

70年10月 学生運動の退潮

10.01 4つのニューヨーク市刑務所で黒人とプエルトリコ人政治犯の解放をもとめ暴動が発生。

10.24 ケベック解放戦線、一連の誘拐事件を実行。カナダ政府は戦時法を発動。軍を送りケベック州の急進派を逮捕。

10.30 プエルトリコ国民党の米議会襲撃20周年を記念してヤングローズなどの呼びかけで記念集会。アメリカ在住のプエルトリコ人1万人が参加。

10月 デトロイトでブラックパンサー党員が警官と銃撃戦を展開。

10月 ハリス世論調査、学生の左翼化傾向が低下していると発表。「自らを急進派あるいは左翼であると考える学生」は、半年前の11%から7%に減少。ニューヨークタイムズの調査では、学生の4割が「アメリカには革命が必要である」と考える。

70年12月

12.06 ウェザーマン、「新しい朝」と題するコミュニケを発表。非合法の武装闘争を唯一の革命の手段とするのは誤りとし、これまでの行動を自己批判。「ウェザー・アンダグラウンド機構」と改称。しかし組織としての主要な運動形態の変換はなされず。

 

1971年

71年1月

1月 全国学生協会代表がハノイを訪問。南北ベトナム学生代表とのあいだに「人民平和協定」を締結。

2.08 南ベトナム軍が、ホーチミン・ルートの切断を目指しラオス領内に越境攻撃。支援の米ヘリが次々と撃ち落される中、惨めな失敗に終わる。米国内では新たな作戦に抗議し5万人の抗議行動。

2.28 ウェザーメン、ワシントンの議事堂に爆弾。

2月 Mobe左派、「戦争・人種差別・人権抑圧に反対する全国連合」、平和と正義人民連合と改称し再発足。Mobeのsingle issue派はその後、学生運動の鎮静化に伴い活動を停止。

71年3月 ペンタゴン・ペーパーズ

3.08 カトリック左派活動家がペンシルバニア州メディアのFBI庁舎に潜入。左翼運動に対する秘密調査計画の文書を盗み出し、報道各社にリーク。FBIは対破壊者情報活動を公式に中止。

3.29 ウィリアム・カレイ大尉、ミライでベトナム民間人22人を虐殺した罪で終身刑を宣告される。実際には程なく保釈され、その後は減刑に告ぐ減刑で、4年後に自由の身となる。

3 ワシントン・ポスト紙のアンダーソン記者,カンボジアの秘密爆撃を指示した国防総省の秘密文書を暴露.国防総省はドナルド・スチュアート首席捜査官を中心に漏洩元の調査に乗り出す.

3月 パンサー党、エルドリッジ・クリーバー派(ニューヨーク)とヒューイ・ニュートン派(オークランド)に分裂。アルジェリア在留のクリーバーはニュートン派を改良主義と非難、内ゲバを仕掛ける。ニュートンは全国闘争から撤退し、オークランドでの地域活動に引きこもる。

3月 エル・コミテ、五人のプエルトリコ国民党囚人の釈放を求める。

71年4月 ケリー大尉の証言

4.20 最高裁,公立学校の共通通学バス使用を義務付ける判決を満場一致で採択.南部の人種統合を進めるための措置.

4.23 ワシントンのベトナム反戦集会に50万人(一説に20万)が参加.ジョン・ケリー大尉が下院で証言。退役軍人千人がメダルを議事堂の階段に投げ捨てる。この頃「ヴェトナム反戦退役兵士の会」は1万を越え、26の地域支部を持つ。

71年5月

5.01 "Mayday Tribe"が呼びかけた「政府閉鎖」行動。ワシントンで不服従・非暴力の交通妨害闘争が行われ、1万4千人が逮捕される.

5.11 ハワイのオアフ島で先住民がカラマ渓谷を占拠。自治を要求。

5.12 公務員委員会,公職における一切の男女差別を禁止する勧告.

71年6月

6.09 ニクソン,中国革命成立以来続いてきた,対中国禁輸政策を解除すると発表.

6.13 ニューヨーク・タイムズ,国防総省の秘密調査の内容を暴露した「ペンタゴン・ペーパーズ」の掲載を開始.文書を漏洩したダニエル・エルズバーグは,ランドコーポレーションの職員でキッシンジャーの元同僚.

6.17 ニクソン,麻薬とのたたかいはまさに「国家の非常事態」であると議会演説.

6.30 最高裁、「ペンタゴン・ペーパー」に対するミッチェル司法長官の出版停止要請を却下。

71年7月 ニクソンの訪中発表

7.09 キッシンジャーがひそかにパキスタンから北京まで飛ぶ。周恩来と20時間の会談。その1週間後に、ニクソンが中国訪問を発表。

7 ニューヨーク・タイムス紙,SALT交渉に関する米国側の譲歩の内容を暴露.情報源はデジタル情報中継センターに勤務する陸軍下士官スティーブン・リンガー.政府の抗議に対し,最高裁は6対3で,「ジャーナリズムが事実を公表する権利を持っている」との判断を示す.

71年8月 金ドル交換の停止

8.15 ニクソン,国家非常事態宣言.金ドル交換を停止.賃金,物価の3ヵ月間凍結,10%輸入課徴金制度を含む保護貿易制度に根ざしたドル防衛策をうち出す.

8月 ハリス世論調査。大多数のアメリカ人は戦争が「不道徳である」と感じる。ギャラップ社の調査では、61%が全面撤退を支持。

71年9月 アッティカ刑務所の暴動

9.09 ニューヨーク州アッティカ刑務所で,囚人たち1,200人以上によって,待遇改善を要求する反乱.

9.13 ニューヨーク州知事ネルソン・ロックフェラー,州兵に武力鎮圧を指示.州兵1,500人の突撃により9人の看守をふくむ40人が射殺され,反乱は終了.

11.19 プエルトリコ独立運動が母体となり、プエルトリコ社会党が結成される。

11月 10ヵ国蔵相会議、1ドル=308円の固定相場とするスミソニアン合意を締結。

71年12月

12.10 ニクソン,パキスタン支援のため,NSCの議を経ないまま空母エンタープライズなど9隻の艦船と海兵隊2千からなる特別機動班74をベンガル湾に派遣.

12.26 米軍機約200機が大規模な北ベトナム爆撃.

71 ブラック・パンサー,FBIの弾圧下に分裂,壊滅状態となる.デトロイトで生まれた革命的黒人労働者連盟もほぼ消失.

71 ジョンソン元大統領,レオ・ジャニスと会見.大統領になって初めて「われわれはカリブ海でとんでもない”殺人株式会社”を経営していた」ことに気づいたと発言.

 

1972年

72年1月

1.30 北アイルランドのロンドンデリーで,戒厳令を犯してカトリック系市民のデモ.英駐留軍の弾圧で13人が殺される.第二の「血の日曜日」と呼ばれる.

72年2月 ニクソン・毛沢東会談

2.21 ニクソン大統領が中国を訪問.上海で毛沢東と会談.米中共同声明を発表.台湾の中国帰属を認める。

2月 ネブラスカ州ゴードンのパイン・リッジ居留地で先住民が暴行され死亡。住民はAIMの援助を求め抗議行動に立ち上がる。

72年3月

3.10 ゲイリーで全国黒人政治大会が開かれる。8千人の参加者により全国黒人会議を結成。アミリ・バラカを幹事長に選出。各級議会における議席獲得を目指す。下院の黒人議員コーカスは、黒人会議の急進性を批判。より穏健な「黒人のための権利章典」を発表。

3月 ベトナム留学生がニューヨークの南ベトナム領事館を占拠。ベトナム戦争に反対し、南ベトナム政府に抗議の意思を示す。

3月 ベトナム反戦の立場を明確にしたジョージ・マクガバンが民主党大統領候補に指名される。

4.22 全米学生協会の呼びかけで学園ストライキが決行される。ニューヨーク、ロサンゼルスとサンフランシスコで合計120,000人の反戦デモ。

72年5月 最後の大規模反戦デモ

5.08 ニクソン米大統領、解放戦線の攻勢に対処するため、北ベトナムの全港湾機雷封鎖、南北ベトナムでの爆撃強化を発表.

5.15 前アラバマ州知事で,独立系のジョージ・ウォレス大統領候補,暴漢に撃たれて負傷.下半身麻痺を残す.

5.26 戦略核弾頭の限度を設定するSALTTが成立する。

5月 反戦デモや行動が展開されるが、動員力に明らかなかげり。

5月 全米最大の男性ズボン会社「ファラー」でストライキ。テキサスとニューメキシコで、メキシコ系女性労働者を中心に4千人がスト入り。

72年6月 ウォータゲート事件の発覚

6.04 黒人運動家アンジェラ・デービスに無罪判決.アンジェラは70年に囚人の逃亡援助を図ったジョナサン・ジャクソンを支援したとして殺人教唆罪に問われていた。これにともない共産党は「アンジェラ解放委員会」を「差別と政治弾圧に反対する全国同盟」に改組。

6.17 民主党全国委員会に盗聴器を仕掛けようとした5人が逮捕される.ウォーターゲート事件は別年表

6.17 ワシントン・ポスト紙が,米国防総省の対北ベトナム交渉秘密文書を暴露.

6.22 セントルイスで労働者平和大会開催。1199人の組合指導者が結集。

6.29 最高裁大法廷,5対4で、「死刑は残酷かつ異常な罰であって,憲法に反する」との判決.

6.30 ヤングローズ党、マルクス・レーニン主義と毛沢東思想を採用。プエルトリコ革命労働者組織(PRRWO)と改称する。

72年7月

7月 ジェーン・フォンダがベトナムを訪問。ヘルメットをかぶって対空砲陣地を視察中の写真が全米に報道され、多くの国民の敵意を呼ぶ。

7月 AP通信、1932年に公衆衛生局が実施した「タスキーギ研究」の事実を暴露。この実験では、黒人に梅毒スピロヘータが接種され、治療が拒否された。その結果少なくとも28人が死亡した。

72年8月 地上軍のベトナム撤退

8.11 米地上軍のベトナム撤退が終了.

8.15 キッシンジャー大統領補佐官が,パリで北ベトナム側と秘密会談.

8.18 アトランタのMead Packaging Corpで、黒人労働者が山猫ストを展開。黒人社会の圧倒的な支持を受け部分的勝利を勝ち取る。

72年9月 ミュンヘン・オリンピック襲撃事件

9.05 パレスチナ・ゲリラ[黒い9月],ミュンヘン・オリンピックに参加したイスラエルの選手を人質にとり立てこもる.ミュンヘン空港の滑走路で西ドイツ特殊部隊と銃撃戦となり,ゲリラ5人,人質9人が犠牲となる.

9.16 トム・ヘイドンとジェーン・フォンダらがインドシナ平和キャンペーンを開始。「戦争反対のメッセージをメインストリームにする」ための全米25都市における巡回活動を展開。

72年10月

10月 ガーディアン誌、創刊25周年を記念する論説で、「現在の我々の主要な任務は新たな革命政党を作り出すことである。それは労働者階級に依拠し、マルクス・レーニン主義で武装されたものでなければならない」と述べる。共産党はアメリカの左翼内に反修正主義・マルクス・レーニン主義の潮流が現れつつあると評価。

11.07 大統領選.ニクソンが一般投票の6割以上を獲得しマクガバン候補を破り当選.共産党はガス・ホール書記長を大統領候補に,青年労働者解放同盟議長のジャービス・タイナーを副大統領候補とし選挙を闘うが,13州で2万5千票にとどまる.

72年12月

12.18 米軍、2週間にわたるクリスマス爆撃。病院・学校・住宅をふくむ無差別攻撃となる。作戦中に34機のB52をふくむ81機が撃墜される。

12月 社会党大会。右派が執行部を握り、党名を社会民主党と改称。ハリントンを中心とする左派は別党コースを歩む。

 

1973年

73年1月 ベトナム和平協定

1.08 ウォーターゲート裁判開始.被告は全員有罪を認め,単独犯行を主張.

1.20 ニクソンが二期目の大統領に就任。全国で数万の人々が抗議行動。

1.27 パリでベトナム和平協定が調印される.米国は60日以内に23,700の米兵を帰還させること,北ベトナムは米兵捕虜500人を送還することで合意.

1月 最高裁、女性の中絶を選択する権利は保護されるべきであると判決。

1月 マンスリー・レビュー誌、「60年代後半にあのように急成長した新左翼は、この2年のあいだにしぼんでしまい、事実上消えてしまった。大衆影響力を獲得しようとすることもなく、後に続く人々を置き去りにした」と書く。

73年2月 ウーンデッド・ニーの篭城

2.07 ヘルムズ前CIA長官,上院外交委で証言.チリ政府転覆工作にCIAは関与していないと偽証.

2.27 AIMに支援されたOglala Sioux族が,サウスダコダのウーンデッド・ニーで住民を人質にたてこもる.国土の20分の1の返還,インディアン行政局の廃止などを要求.占拠の際にFBI捜査官二人が殺され,12人が負傷.AIMは前年にもワシントンのBIA(Bureau of Indian Affairs、インディアン保護局)ビルを占拠し、ピルグリムファーザーズの感謝祭にはユナイテッド・アメリカ・インディアン・オブ・ニューイングランド(UAINE)をなのるグループがメイフラワー2世号(Mayflower II)のイギリスの国旗をインディアン部族の旗にすり替える事件が発生。

デモンストレーション一般であれば大いに結構です。法廷闘争を展開するうえで、法廷外での多様な闘争形態と結合させることは勝利のための鉄則です。また訴訟の意味を自らが問い直し続けていくためにも、裁判を核とする市民的連帯と共同精神を涵養していくことは不可欠の課題です。
個人的には、このような行動がアクチュアルな意味を持っているとは思えません。もっと地道で大事な活動があると思うし、そのような活動にとって、これらの行動が積極的な意義を持つとも思えません。大方、耳目衝動主義者による外部からの扇動でしょう。あくまで現場感覚ですが…

2月 米政府、新たなドル防衛措置を発動。スミソニアン合意は崩壊。この後各国は変動相場制へと移行。

73年3月

3.23 ニューヨークで、ガーディアン誌による連続セミナー開催。議題は@新共産党建設への道のり、A反戦運動における反帝勢力の役割、B国際問題における人民中国の役割、C女性と階級闘争、D黒人国家の問題、E労働運動建設への道 など。実際は統一への道を探るどころか、各派の考えの違いが浮き彫りになるだけに終わる。

3.29 米軍,南ベトナムからの撤退を完了.

3月 マーロン・ブランド、ゴッドファーザーでアカデミー賞を受賞。先住民に連帯し、ハリウッドの自己批判を要求。授賞式を欠席。

73年4月

4月 ボビー・シールがオークランド市長選に出馬。36%を獲得。

4月 労働者委員会全国会議、「モップアップ」作戦を開始。共産党員やその他の活動家への肉体的攻撃を開始。公然たる右翼組織に様変わりする。

5.08 ウーンデッド・ニーの反乱,終結.1,200人が逮捕される.

9.23 ウェザーメン、チリ・クーデターに抗議してITT本社ビルに爆弾。

10.23 石油輸出国機構が,アメリカとオランダへの石油輸出禁止と石油生産削減を決定する.第1次オイルショック.

 

1974年

2.6 下院,司法委員会にニクソン調査の権限を与える動議を410対4で可決.

4.27 ニクソン弾劾を要求するワシントンのデモ、左翼系を中心に1万人を動員。

5.08 ハワード大学でシンポジウム「黒人解放運動の道筋」が開催される。アミリ・バラカがマルクス主義の立場を明らかにするなど、全体としてマルクス主義派が、カーマイケルらの民族派をしのぐ。

5.17 シンビオニーズ解放軍、パティー・ハーストを誘拐。警察はロスアンゼルスのアジトを襲いメンバー6人を殺害。

8.08 ニクソン辞任.フォードが大統領に昇格.

8月 警察、ヒューイ・ニュートンを売春婦殺しで指名手配。ニュートンはキューバへ逃げ、エレイン・ブラウンがパンサー党議長に就任。

9.07 ワシントン・ポスト紙が,チリのクーデターにおけるCIAの工作を報道.

9.08 フォード大統領,ニクソンに「全面,自由,絶対的な恩赦」を与える決定を発表.

10.27 プエルトリコ社会党を中心に諸団体の共催によるプエルトリコ連帯の日。東海岸在住者の組織「エル・コミテ=プエルトリコ民族左翼運動」(El Comite-M.I.N.P)がこれと連帯し、マディソン・スクエアに2万人を結集。米国内のマオイストは、プエルトリコ独立の要求を「修正主義」と非難。

11.13 カレン・シルクウッド、不可解な自動車事故で死亡。彼女はニューヨーク・タイムズ記者とのインタビューに向かう途中だった。カレンはオクラホマ・シティー近郊のKerr-McGee nuclear plant近くに住み、地域の放射能汚染を告発していた。

11.21 議会,フォード大統領の拒否権を乗り越えて情報公開法を成立させる.

 

1975年

75年1月 プエルトリコ人ゲリラの爆弾テロ

1.04 フォード大統領が,CIAの非合法活動の調査委員会を設置.

1.24 ウォール街の高級レストラン“Fraunces Tavern”で,プエルトリコ民族解放武装勢力(Fuerzas Armadas de Liberacion Nacional:FALN)による爆弾テロ.4人が死亡し53人が負傷.プエルトリコ左翼はこのテロを厳しく批判。

1月 El Comite-M.I.N.Pの続開大会。マルクス・レーニン主義を標榜。プエルトリコ本島の人民社会主義運動(Movimiento Socialista Popular:MSP)との連携を強化。

2月 ミシガン大学の学生が管理棟ビルを占拠。大学は交渉に応じるが、学生の要求は拒否。

75年3月 チャーチ委員会の発足

3.01 上院と下院に情報活動調査特別委員会発足(上院はチャーチ委員長,下院はパイク)発足.CBSテレビ,「フォード大統領がCIAにたいする情報活動調査の行過ぎに警告した」と報道.

3.01 プエルトリコの連帯委員会(PRSC)の創立大会。昨年10月の連帯デーを共催した諸団体・個人が結集。

3.29 フォード大統領が,南ベトナム難民救出に艦隊動員を命令.

75年4月 サイゴン陥落

4.12 Vietnam Veterans Against the War/Winter Soldier Organization (VVAW/WSO)で内紛。RU派が全国委員会を掌握し、無党派層は「反帝会議」に結集。「燎原の炎」派と接近。RU派はまもなく事実上消滅。

4.23 フォード大統領が,インドシナ戦争の終結を宣言.

4.29 フォード大統領が,サイゴンからのアメリカ兵の総引き上げを命令.夕方,米大使館屋上から最後の救出ヘリが飛び立つ.

4.30 北ベトナム軍の戦車がサイゴン市内に入る.大統領宮殿の上に北ベトナムの旗が翻る.ベトナム,カンボジア,ラオス,相次いで解放される.戦争の最終的な犠牲者数は,およそ130万人のベトナム人,そして56,000人以上のアメリカ人である.東南アジアで共産主義を止めるためのアメリカの1410億ドルの努力は,破産に終わる.

75年7月

7.11 ウェザーメンの合法組織PFOCが最初の大会を開く。

7.17 アメリカのアポロ宇宙船とソ連のソユーズ19号が,大西洋上でドッキング.

7.30 元チームスター労組委員長ジミー・ホッファ,失踪.最後に目撃されたのは,デトロイトの近くのブルームフィールド.レストランの外に立っていたという.恐らく,秘密の発覚を恐れるギャングによって消されたものと思われる.

75年9月

9.05 フォード大統領,サクラメントのカリフォルニア州議事堂に入ろうとしたところで銃を向けられる.犯人はマンソンの信奉者の女性.

9.05 ハバナでプエルトリコ独立連帯会議が開かれる。78カ国から290人の代表が出席。本島のPSPとMSPのほか、米国からも広範囲の代表団。米国内の毛沢東派は「修正主義者の分離策動」と非難。

9.17 フォード大統領,サクラメントで車で移動中に狙撃される.

75年11月

11.01 ニクソン政権の最高幹部ハルドマン主席補佐官,エーリックマン,ミッチェル司法長官らに2年から8年の有罪判決.罪状はウォーターゲート事件のもみ消し工作.

11.03 フォード大統領が,国防長官,CIA長官の解任など政府の大幅改造を発表する.

11月 エルドリッジ・クリーヴァー、裁判を受けるためアメリカに戻る。保釈のあと右翼キリスト教徒として「再生」する。

 

1976年

76年1月

1.08 周恩来首相,ガンのため死亡(78歳).

1.23 ポール・ロブソンが死亡。

1.30 シカゴで“Hard Times Conference”が開かれる。2200人が集まるが、同窓会の域を出ず。時期を同じくして、北カリフォルニアでも「大衆を介する社会主義組織」の枠で革命的分子を結集しようとの試みが失敗に終わる。

1 フォード大統領,CIA再建のためブッシュを長官に指名.

76年4月

4.05 反4人組のデモが天安門で行われるがまもなく鎮圧される。周恩来により復活したケ小平が、事件の黒幕としてふたたび追放される。

4月 米上院チャーチ委員会、FBIによる対破壊者情報活動プログラム(COINTELPRO)の詳細を明らかにする。

5月 ガーディアン誌、アンゴラ問題で中国を公然と批判。ウィリアム・ヒントンは中国が、二つの超大国のうち米国と手を握ることを選んだと指摘。ウィルフレッド・バーチェットは「中国がアンゴラと南アで悲しむべき過ちを犯した」と述べる。(南アではANCと対立するアザニアを支援し、分裂を助長した)

76年6月

6.08 トム・ヘイデン、カリフォルニア議会予備選挙に出馬。現職のジョン・タニーに敗れる。タニーは本選挙で共和党のハヤカワに敗れる。「ヘイデンを上院に」委員会は「経済民主主義のためのキャンペーン」へと再編成され、後に「キャンペーン・カリフォルニア」に改組される。

6.16 ヨハネスバーグ近郊のソウェトで,アフリカーンス語強制に反対する黒人暴動.

6月 ニューハンプシャーのシーブロック原発建設が決定。住民はクラムシェル同盟(クラムシェルはあわびを意味する)を結成して反対運動に立ち上がる。

76年7月

7.02 最高裁,死刑は残酷ではなく憲法の下で許容しうるとして、7対2で72年の違憲判決を逆転させる.

7.04 パレスチナのテロリストが,テル・アビブからエール・フランス機を乗っ取る.モサドの特殊部隊,ウガンダのエンテベ空港に待機中の乗っ取り機に突入.ハイジャック犯七人とウガンダ兵士20人を殺害し,脱出に成功.人質の犠牲者はわずか1人.コマンド部隊の司令官はネタニヤフ前首相の兄,ヨナタン・ネタニヤフ.

76年8月

8月 共和、民主両党の大統領候補指名大会。民主党では無名のアウトサイダーといわれたジョージア州知事ジミー・カーターが勝利。共和党はフォード現大統領が指名されるが、右翼の対抗馬レーガンが大躍進。

8月 クラムシェル同盟が、非暴力直接行動(non-violent direct action)を展開。177人が逮捕される。この闘争形態は、アバロンやリバモアなど、その後のさまざまな抵抗運動のモデルとなる。

76年9月 毛沢東の死亡

9.09 毛沢東,パーキンソン病で死亡(82歳).

9.21 チリ元外相レテリエルとモフィットが自動車爆弾により殺害される。

10.06 キューバ民間機がバルバドス上空で爆破される。生存者は皆無。

76年11月

11.2 ジェームズ・アール「ジミー」カーター,フォードを破り大統領に当選. カーターはジョージア州の前知事で,ピーナッツ農場を営む信心深い南のバプティスト.

11.13 サンディエゴのペンドルトン基地で、黒人海兵隊員がKKK団員に暴行。

11月 アルバニア共産党大会、中国の「三つの世界」論を公然と批判。

 

1977年

1 テレビで,作者アレックス・ヘイリーがアフリカの先祖を求めて捜すドラマ[ルーツ]が大ヒット.米国民の半分が視聴したという.

4月 残された最後のSDS=PL組織であるベイエリア支部が解散。 

5.11 西側毛沢東思想の擁護者、フランスのベトレームが文革後の中国を批判。この中で「三つの世界」論についても否定的見解。

5月 クラムシェル同盟、シーブルック原発建設を阻止するためふたたび直接行動。1414人が逮捕される。

6.03 アメリカとキューバが双方の首都に代表部を置くことで合意.

6.04 共産党(ML)が結成される。「10月リーグ」を母体とする中国派の小セクト。

7.07 アルバニア共産党、中国の「3つの世界」論を明確に批判する長大論文を発表。ガーディアンがこれを転載。中国は「三つの世界論こそ毛沢東の最大の理論的功績」とする反論発表。

9.07 ワシントンで新パナマ運河条約が調印される.2000年1月1日に運河地帯の主権がパナマに返還されることになる.

9.12 南アフリカの「黒い意識」運動の指導者スチーブ・ビコ,警察で19日にわたる拷問を受け虐殺される.

12.06 石炭労働者が史上最長となるストに突入。会社側が医療保険サービスを打ち切ると通告したことに抗議するもの。

77 カーター大統領,OAS会議で「人権外交」を発表.

1978年

2.06 ビエケスで漁船の一群がNATO艦船の艦砲射撃を中断させる。このあと5年にわたり地元住民の抵抗運動が続く。米国内にビエケス支援ネットワークが結成される。

4 新パナマ運河条約,米上院を通過.

5.23 ニューヨークで初の国連軍縮特別総会が開催される.

9.17 ベギンとサダトによるキャンプデービッド合意成立.ベギンとサダトはノーベル平和賞を獲得.

10.17 ポーランド人神父Wojtyla Karolがローマ法王に就任.ヨハネ・パウロ二世を名乗る.

11.18 ガイアナのジャングルに入植していた「人民寺院」の信者912人が,教租ジム・ウォーレン・ジョーンズの指示により集団服毒自殺.

11.25 南部でふたたびKKKの活動が活発化。ミシシッピ統一同盟がこれに抗議する3000人のデモ。

12月 アルバニア党、エンベル・ホッジャ(Enver Hoxha)の「帝国主義と革命」を発表。「三つの世界論」批判からさらに踏み込み、毛沢東思想を反マルクス主義と断じ、中国共産党を修正主義と非難。

78年 BIAによるインディアンの土地の開発に抗議して、サンフランシスコからワシントンに向けて200人以上のインディアンによる4828キロ(3,000マイル)の行進。ロンゲスト・ウォークと呼ばれる。

 

1979年

1.01 米中が国交関係を樹立。ケ小平が訪米。タイム誌とのインタビューで、「中国と米国は疑いなく覇権主義に対する統一戦線の一部を形成している」と語る。そして米国がイランでのトラブル解決や、キューバに対する制裁を進めることに賛成する。

1.19 ガーディアン編集部、これまでの党建設路線を変更し、幅広い左翼の統一への方向を目指す。Irwin Silber前編集長らの反編集部勢力はガーディアン・クラブを結成。

1 イラン,パーレビ王朝崩壊.これを機に第二次オイルショック開始.アメリカの超高金利政策も重なり,対外債務危機が一挙に表面化.

3.28 ペンシルバニア州スリーマイル島の原子力発電所で,炉心の溶解により大量の放射能漏れ事故が発生.半径8キロ以内の妊婦と乳幼児に避難勧告。

7.19 ニカラグア革命成功,ソモサはマイアミへ亡命.

8月 モンデール副大統領が中国訪問。新疆地区にソ連電波の傍受施設を建設することで合意(秘密)。

8月 KKKがセルマからモンゴメリーまで行進。「時計の針を戻せ!」(Turn the Clock Back)と叫ぶ。これに対し、SCLCの呼びかけで、反KKKの全国ネットワークが結成される。

11.03 グリーンズボロ大虐殺が発生。極左派の活動家4人がKKK団員とナチ党員により虐殺される。背後で警察が支援していたとされる。

11.04 ホメイニ支持の学生グループがアメリカ大使館を占拠.大使館員約60人を人質とし,パーレビ前国王の引き渡しを要求.Barzagan政府は辞任し、アヤトラ・ホメイニと革命評議会が直接支配に乗り出す。

12.26 ソ連軍,アフガンに侵攻.米国は報復措置を発表.国連緊急特別総会は,全外国軍にアフガニスタンからの即時無条件撤退を求める決議.

1980年

4.25 アメリカ,駐イラン大使館人質救出作戦に失敗.

5.06 キューバからの難民が殺到するフロリダ州に非常事態.

5.17 フロリダ州で,黒人を殺害した白人の元警官4人に対する裁判.全員白人で構成された陪審員が無罪の評決を下す.黒人4000人が抗議集会を開き,暴動となる.

6.03 アメリカ戦略空軍司令部のコンピュータ,ソ連がアメリカに核兵器を発射したと誤報.3分間にわたり,対ソ核戦争の非常警戒態勢がとられる.

6.26 ニューヨークで地元黒人活動家を中心に全国黒人統一戦線(NBUF)が結成される。創立大会に千人を結集。

9.19 イラン・イラク戦争が始まる。

10月 エルサルバドル人民連帯委員会(CISPES)が結成される。最盛期には全米各地で300の支部を抱えるにまで発展。専従者も100人に達する。

11.04 レーガン,大統領選に圧勝.

12.04 エルサルバドルで修道女4人が強姦されたあと虐殺される。

12.08 ジョンレノンが殺される。

80 アメリカ,サンタフェ委員会,「80年代の新しい中南米政策」作成.

80年後半 地下潜行中のウェザーメンが次々に投降。

 

1981年

2月 レーガン,対エルサルバドル軍事援助を再開・強化

4月 パレスチナ解放人民戦線(PFLP)、第4回大会を開催。マルクス・レーニン主義を行動の基準とすることを決議。中国共産党を修正主義と批判。これまでの中国に対する積極的な観点を自己批判する。またユーロコミュニズムに対しても鋭く批判。

5.03 ワシントンでレーガン政権のエルサルバドル政策に抗議するデモ。70年代前半以来の10万人を結集する。しかし主催者である世界労働者党(WWP)の引き回し的運営には強い批判。

10月 NATOが西ヨーロッパ諸国へのミサイル配備を決定。これに対する抗議が各国で盛り上がる。

12月 ポーランドで連帯労組に対する弾圧。これを契機にイタリア共産党とソ連共産党の公開論争が始まる。

 

1982年

2月 アメリカ共産党のガス・ホール書記長、日本共産党を「反ソビエト、反労働者階級、反マルクス主義」と攻撃する論文を発表。日本共産党は「対ソ追従者の自己暴露―ガス・ホールの中傷に答える」という反論を発表。

3.20 DSOC(約5千人)とNAM(約1500人)が合併しアメリカ民主社会党(Democratic Socialists of America :DSA)を結成。以前の革命的なスタンスからDSOC-スタイルへの変更を嫌う人々は別組織を結成する。

4 アルゼンチン軍,マルビナス諸島を占領,マルビナス(フォークランド)戦争はじまる.アメリカはイギリスを支持.6月には戦闘終結.以後,軍政は急速に自己崩壊.

6.07 ニューヨークで国連軍縮特別総会が開会.セントラルパークに向けて100万人の反核デモ.

10 グレナダで政変,ビショップ首相ら射殺.アメリカは在留米人保護を口実に侵攻,6日間で占領.

 

1983年

2.22 シカゴ市長選に向けてのの民主党予備選挙。黒人草の根組織の動員に成功したハロルド・ワシントンが、故デイリー市長派の候補に劇的な勝利。

3.23 レーガン、全米向けテレビ放送で、弾道ミサイル防衛のための「戦略防衛構想」(SDI)の必要性を訴える演説。

4.12 ハロルド・ワシントン、共和党との本選挙にも勝利し、市長に就任。ボストンでも「虹の連合」のメル・キングが善戦。このあと黒人運動は地方首長・議会選への進出を中心に展開。

4.18 ベイルートのアメリカ大使館で爆弾テロ.死亡・不明が約90人となる.

7.25 アリゾナのPhelps-Dodge銅山会社でストライキ。労働者の大部分はメキシコ系。3年間の闘争後敗北。

8.27 「良心連合」の呼びかけで、ルーサー・キング牧師の演説20周年を記念して,ワシントンで35万人(一説に25万)が大集会."Run, Jesse, Run!"(連続テレビ番組「名犬ラッシー」のせりふ)の呼び声を受けた「虹の連合」のジェシー・ジャクソン候補が、"Jobs, Peace and Freedom"を訴える。サンフランシスコとシアトルでも4万人のデモ。

10.22 西ヨーロッパ諸国で、パーシング・ミサイルのNATO配備に反対して、200万人以上(一説に500万人)がデモ行進。

10.23 ベイルートの海兵隊指令部に車爆弾が突入.兵士など241名が死亡.

10.25 米軍がグレナダに侵攻.9日後に作戦完了.

11.02 マルチン・ルーサー・キング牧師の業績を記念し,1月の第3金曜日が国民の祝日となる.

1984年

4.13 民主党のニューヨーク州予備選挙。ジェシー・ジャクソンは26%、ニューヨーク市内では34%を獲得。

5.07 ベトナム復員米兵1万8000人による枯葉剤集団訴訟.化学会社7社が1億8000万ドルを支払うことで和解.

 

1985年

2.01 ニュージーランドが核積載の米駆逐艦ブキャナンの寄港を拒否.

2月 AFL-CIO執行委員会、2.5年の研究を踏まえた「労働者と労動組合を取り巻く状況の変化」と題するレポートを発表。組織率が低下傾向を示していること、指導部の傾向が若干左翼化したことをあげる。

3.11 ゴルバチョフがソ連共産党書記長に就任.

3月 チェルネンコの葬儀に出席した李鵬副首相、「ソ連はいまや社会主義国である、いまや我々はそう言うことができる(以前は言えなかったが)」と述べる。

4.20 中米干渉反対と南アへの制裁を要求するデモ。ワシントンで5万人、サンフランシスコで2万人が結集。

4.24 全国の学園で、アパルトヘイト抗議デー。100以上の大学で行動がもたれる。

5.13 フィラデルフィア警察、MOVE Compoundを包囲し、爆弾を落とす。建物に篭っていたもののうち少なくとも11人が死亡。61の家と街区ひとつのほとんどを焼き尽くす。(詳細不明)

5.25 エルサルバドル人民連帯委員会(CISPES)が最初の全国大会。500人以上が出席。統一した全国組織としてグループを統合することを決定。

6.12 アメリカ下院がニカラグア反政府ゲリラへの援助を決定.

8.04 全米各地から,平和と反核アピールのため約4万人がワシントンに集結.欧米各地で,広島原爆40周年反核平和集会.

9.09 アメリカが,南アフリカのアパルトヘイトに対し,経済制裁を行うと発表.

12.06 ガーディアン誌の主催、ネーション誌、プログレッシブ誌とWBAIラジオの協賛により、「社会主義と活動」に関する会議が開かれる。ガーディアン誌には"Where Have All the Party Builders Gone?"と題する評論が掲載される。

 

1986年

2 ハイチで,デュバリエ独裁打倒の蜂起開始.アメリカは,これに介入,デュバリエなき親米政権発足による延命を計る.(フィリピンのマルコスに対する態度と同じ)

3.20 アメリカ下院がレーガン大統領が提案したコントラ援助を否決.

4.17 虹の連合の「結成」大会。43の州から850人の代表が結集。大部分は黒人。

4.26 チェルノブイリの原発が事故。

4月 米第6艦隊,国際テロを口実に,リビアの首都トリポリを爆撃.レーガンは西側諸国に向け、対リビア制裁に加わるよう呼びかける。

5.02 民主党内のリベラル派・進歩派が新方向を目指すカンファランスを開催。党指導部の右傾化に歯止めをかけようと試みる。

7.03 米国共産党、これまでの週刊紙“Daily World”に加え、日刊紙“People's Daily World”の発効を開始。西海岸ではこれとは別に“People's World”が発行されていた。

8.13 アメリカ上院が,ニカラグアの反政府ゲリラのコントラへの援助を決定.

11.02 レバノンの雑誌アル-Shiraa、アメリカがイランに秘密の武器販売を行っていると報道。

11.13 レーガン,イランとの秘密交渉および武器供与の事実を認める.

11.25 ミース司法長官,イランへの武器売却の利益が,一部コントラへ流れていたと認める.ポインデクスター大統領補佐官が,責任を取って辞任.レーガンは情報が十分知らされていなかったとして,責任者のオリバー・ノース海兵隊中佐を解任.

 

1987年

2.26 米大統領特別調査委員会,イランコントラゲートに於ける大統領の責任を指摘.

4.25 対中米・南ア政策の変更をもとめる集会とデモ。「新たな外交政策のための連合」と「全国労働者委員会」が共催。10万人を結集。うち3万5千人が労働組合員。サンフランシスコでも3万人が結集。AFL-CIO指導部は労組の参加を妨害するが果たせず。

9月 虹の連合が第1回目の「定期」大会。前回を上回る参加が実現。白人層の参加増が目立つ。

10.11 レスビアンとゲイの権利のためのワシントン行進、50万人を結集。

10.19 「暗黒の月曜日」発生。ダウ平均株価が22%も下落.1929年の大暴落の二倍の下げ幅となる.

11.20 核凍結をもとめる“SANE/Freeze”の創設大会。アメリカ最大の平和組織となる。(“Committee for a SANE Nuclear Policy”と“Nuclear Weapons Campaign Freeze Campaign”の合併したもの)

12.09 ガザでインティファーダが始まる。

12.13 CPUSAのヘンリー・ウィンストン議長(75才)が死亡。

 

1988年

1月 Z Magazineの第1号が発刊される。

2.04 マイアミ連邦大陪審,ノリエガ将軍(50)を麻薬取引容疑で起訴.

3.08 スーパー・チューズデー。ジャクソンは5つの州で勝利、他の11州でも2位につける。得票率では27%でデュカキスを僅差で抑える。

5.09 第三回国連軍縮特別総会。ニューヨークで軍縮をもとめる10万人のデモ。

6月 大統領選の予備選。デュカキスが最終的に勝利。ジェシー・ジャクソンは全米で700万票を獲得。AFL-CIOは特定の民主党候補を支持せず。「ジャクソンのための労動者運動」が多くの組合を結集。

7.03 イラン航空の旅客機がペルシャ湾で作戦中の米艦船により撃墜される.この事故で乗客290人が死亡.

12.22 スコットランドでパンナム機が墜落し,259人が死亡.後に爆弾によるものと判明.

 

1989年

3.03 全国虹の連合の執行委員会、組織規約を改正。中央に権限を集中し、より包括的なものとする。このことにより、小グループの不当な影響力行使を制限しようとする。多くの草の根活動家から批判が集中。

3.25 アラスカで史上最悪の原油流出事故。1200万ガロンの原油がPrince William Soundに流れ出す。

4.04 シカゴ市長選。故デイリーの息子が、ハロルド・ワシントンの後継候補を破り、市政を奪還。

4.24 最高裁の妊娠中絶に関する判決を前に、女性の平等と生活擁護のための大集会が開かれる。ワシントンに50万人を結集。

7.05 ワシントン連邦地裁,ノースに対し罰金15万ドル,禁固3年,執行猶予2年の判決.

8.28 ブラックパンサー党の創設者ヒューイ・ニュートン、オークランドで殺される。

9.12 黒人活動家デビッド・ディンキンス、ニューヨーク市長選に出馬。民主党予備選で現職のゴッチを破るが、本選で共和党のルドルフ・ジュリアーニに敗れる。

9.17 バージニア州カルボ鉱山で、ピットソン石炭会社の労働者がストライキ。三日間にわたり生産プラントを占拠。

10.08 ホームレスに住宅を保障するよう要求する"Housing Now"集会。ワシントンに10万人を結集。

10月 学生環境活動連合(SEAC)が第1回全国カンファランスを開催。1700人が参加。翌年の第二回カンファランスには7600人が参加する。

11.09 ベルリンの壁が崩壊。

12.02 ブッシュ米大統領とゴルバチョフ・ソ連書記長がマルタ島で会談.冷戦の終結を宣言.

12.20 アメリカ軍がパナマに侵攻.

1990年

1月 Levi Strauss & Co、サンアントニオ工場を閉鎖。労働者の92%がラテンアメリカ系、女性が86%。労働者はFuerza Unida(連合した力)を結成し、レイオフとの闘いを始める。

2月 ニカラグアの大統領選挙で、サンディニスタ政権が敗れる。

3月 イタリア共産党(140万人)が民主左翼党(70万人)と共産主義再建党(15万人)に分裂。残りはどちらにも登録せず。

7月 サンパウロ・フォ-ラム開催。ラテンアメリカの社会主義政党が結集し、東欧崩壊後の社会主義の新たな展開を模索。

8.02 イラク軍がクエートに侵攻。

10月 マンスリー・レビュー誌が「社会主義の将来」を特集。ニューヨークやシカゴ、ベイエリアで社会主義体制の激変に関するフォーラムやカンファランスが相次ぐ。

11月 バーニー・サンダーズ、最初の独立した社会主義者として、バーモント州の下院選挙に勝つ。

 

1991年

1.16 ブッシュ、バグダッドに対する空爆を命令。湾岸戦争が始まる。

1.17 アメリカ軍を主力とする多国籍軍が「砂漠の嵐作戦」を開始。

1.19 湾岸戦争反対のデモがサンフランシスコ、ワシントン、ロスアンゼルスで行われる。合計で15万人以上の人々が参加。

1.26 湾岸戦争反対のデモ。ワシントンでの20万人をふくめ、全国で30万人が戦争反対のデモ。

2.15 湾岸戦争,イラクが多国籍軍撤退とイスラエルの占領地からの撤退を条件に,国連安保理決議660の受諾を表明する.アメリカはこの声明を拒否.

2.27 イラク,無条件降伏.ブッシュ大統領が,湾岸戦争の勝利と戦争停止の宣言.

4.29 ロドニー・キング事件で4人の警官に無罪判決。黒人とラテンアメリカ系大衆が、ロスで抗議の暴動。55人が死亡し1万8千人が逮捕される。損害総額は7億7000万ドルに達する。

6.03 リオで地球サミット。平行して開かれたNGO集会は世界から2万人を結集する。生物多様性条約への署名を拒否した米国は、世界から孤立。

6.05 ロシア大統領選挙でエリツィンが勝利。

7月 シルビアとクロアチアのあいだでユーゴ内戦が始まる。

8.20 ソ連でクーデター.国家非常事態委員会が新政府成立を宣言.アメリカは新政権を認めないと声明.

12.05 米国共産党第25回大会。以下の点に議論が集中。@ペレストロイカの評価とゴルバチョフの役割。A共産党内の民主主義。Bジャクソンと虹の連合に対する評価。C黒人解放闘争の評価。ガス・ホール執行部から排除されたグループは連絡(コレスポンデンス)委員会を結成すると発表。

12.13 改革派のロン・ケアリーがチームスター労組の議長に就任。16人の全国指導部全員がケアリー派によって占められる。

12.31 ゴルバチョフ、ソ連大統領を辞任。これによりソビエト連邦が消失。ロシア共和国を中心に独立国家共同体が形成される。

12月 「学園組織センター」が結成される。教育の自由擁護とブッシュ政策反対を掲げキャンペーンを開始。

 

1992年

1.03 キューバ市民34人が,ヘリコプターでアメリカに亡命.

2.13 ブッシュ大統領がチリと自由貿易協定の交渉開始の意向を表明.

4.29 黒人青年ロドニー・キングに暴行した白人警官4人にロサンゼルス郡地裁陪審が無罪評決を下す.これに抗議する黒人らが放火・掠奪を行い暴動化.暴動はサンフランシスコ,アトランタなどに拡大.警察の弾圧により55人が死亡、2万人近くが逮捕される。韓国人商店を中心に、被害総額は7億7千万ドルに達する。

7.17 共産党反主流派の「連絡委員会」が、バークレーで 「民主主義のための展望と90年代の社会主義」を考える全国カンファランス。過去10年で最大の1300人が参加する。フィリピン共産党のシソン派は、マルクス・レーニン主義と毛沢東思想を掲げる会議を開くが、ほとんど出席者なし。

8.21 ロン・ダニエルズ、92年大統領選に向け“Campaign for a New Tomorrow”を結成。進歩勢力の結集を図り、National Progressive People's Conventioを開催。この会議は後に“Independent Progressive Politics Network/IPPN”に発展。これとは別に、NOWを中心に新党「21世紀党」結成の動き。トニー・マソッチら労働運動家は労働党結成に向け準備を開始。ノーベル賞受賞者ジョージ・ウォールドらはボストン・イニシアティブを開催。第三勢力の結集を試みる。

11.03 クリントンが共和党のブッシュ現役大統領と無所属のペローを破り当選.

12.03 ソマリアへ多国籍軍を派遣する国連安保理決議が採択される.アメリカ海兵隊1800人がソマリアの首都モガディシオに上陸.アイディード将軍派の武器倉庫から1000トン近い武器を押収.

92年 貧困線以下の人口は73年の11%から15%に達する。児童ではこの割合はさらに高まり22%に達する。黒人では33%、ラテンアメリカ系では29%が貧困線以下となる。貧困家庭の半数以上が母子家庭である。下位五分の一の家庭の収入は、73年には4.2%だったが92年には3.8%に落ちた。一方高位五分の一の家庭の収入は45%に達する。

 

1993年

2.26 マンハッタンにある110階建ての世界貿易センタービルの地下で大規模な爆発が起こり,7人が死亡,600人が負傷.容疑者としてイスラム原理主義者マムード・アブハリマがカイロで逮捕される.

7.14 ソマリア国連部隊が攻撃され,多くの死者が出る.イタリア軍はアメリカの方針に反発.

9.13 ワシントンで,PLOのアラファト議長,イスラエルのラビン首相が出席して,パレスチナ暫定自治協定の調印式.

10.04 ソマリアの首都モガディシオで,米軍ヘリコプター2機が撃墜される.米兵5人が死亡,数人が行方不明となる.

12.22 カストロの実の娘アリナ・フェルナンデス(37)がアメリカに亡命.

1994年

1.01 アメリカ,カナダ,メキシコの3ヵ国間の貿易自由化を目指す北米自由貿易協定(NAFTA)が発効.

2.26 北朝鮮がIAEAによる核査察を受入れ.

4.27 明石国連事務総長特別代表,ボスニア問題でアメリカを批判.オルブライト米国連大使は「国際公務員としてあるまじき発言」と抗議,明石特別代表をセルビア人寄りと批判.

6.16 カーター元大統領,平壤で金日成主席と核問題について会談.米国が軽水炉転換を支援すること,北朝鮮は当面核開発を凍結し核査察を受入れることで合意.米政府は国連での制裁の動きを一時停止することとなる.

7.29 ルワンダ内戦.ザイール東部国境ゴマに120万人の難民があふれ,キャンプ内の2万人がコレラで死亡する.

94年8月 キューバ・ハイチ難民問題

8.19 クリントン大統領,公海上で救出したキューバ難民の入国を認めない政策に転換すると表明.

8.20 クリントン大統領,キューバ系米国人の親戚への送金を禁止するなど,対キューバ圧力強化策を発表.

8.24 カストロ,クリントン大統領の対応を非難し,難民の国外流出を事実上容認.

9.09 アメリカとキューバ,難民流出問題で合意.

9.15 クリントン大統領がハイチ問題についてテレビ演説.軍事政権が退陣しなければ軍事介入も辞さないと表明.カーター元大統領を特使として派遣することを明らかにする.

9.18 セドラ将軍ら軍最高指導部とカーター元大統領の折衝.セドゥラらが国外に退去することで合意.

9.19 米軍,民主政治の復活支援のためハイチへの進駐を開始.

9.24 ハイチ第2の都市カプハイチアンで,ハイチ人がアメリカ軍に銃を向けたことからアメリカ軍が発砲.市民10人が死亡.

10.10 ラウル・セドラ指令官が,首都ポルトープランスで辞任と国外への退去を表明.

1995年

4.19 オクラホマシティーの米連邦政府ビルで,車爆弾によるとみられる大規模な爆発.9階建てビルの3分の1が吹き飛ぶ.当日夜までで30人以上の死亡,200人以上の負傷,300人以上の行方不明が確認.

4.21 オクラホマの爆弾テロ事件で,ミシガン州の白人右翼武装組織「ミシガン・ミリシャ」のティモシー・マクベイが逮捕される.

1996年

2.24 「難民の兄弟」のセスナ機がキューバ領空に侵害し,キューバ空軍機に撃墜される.米政府はF16戦闘機による厳戒体制.

2.27 国連の安保理がセスナ撃墜に対し「強く遺憾の意を示す」議長声明.

3.01 米政府,コロンビアを麻薬対策に非協力的な国と断定する.サンペル大統領に対する事実上の辞任勧告.

5.16 米連邦航空局,「難民の兄弟」のホセ・ハルスト代表に対し飛行免許を剥奪.

7.07 キューバ空軍のホセ・フェルナンデス中佐,キューバ国営航空機をハイジャック.グアンタナモ米空軍基地に強制着陸させる.

7.11 米政府,麻薬カルテルとの関係が疑われるコロンビアのサンペル大統領の入国ビザを無効とする.

7.16 クリントン大統領ヘ・バ法第3項を8月1日に発効させると発表.同時に実施を6ヵ月停止する.

8.19 キューバ政府,米利益代表部の人権問題担当官に対して国外退去をもとめる.米政府は対抗措置として国連本部駐在のキューバ人外交官1人を国外退去させる.

11.05 クリントン大統領,共和党のドール前上院院内総務(73)に大差をつけて再選.

96年 クリーブランドでアメリカ労働党の創設大会。左派の全国労組6組織が中心となる。最小限綱領と規約を採択。

1997年

3.16 ワシントン・ポストとニューヨーク・タイムズ,KGBはローゼンバーグから原爆に関する情報は得ていなかったと報道.

4.11 ヘ・バ法をめぐる米欧の対立.米国が同法を一部修正し,EUがWTOへの提訴を停止することで基本合意.

5.05 クリントン,中米首脳会談に出席.NAFTA加盟国拡大を目指す方針を明らかにする.

5.12 フロリダ海峡単独遠泳に挑んでいたオーストラリア人女性のスージー・マロニー(22)が,ハバナを出発して24時間半,180キロ離れたキーウェストに到着.

6.15 クリントン大統領,黒人差別や過去の奴隷制度について公式謝罪することを検討と発言.

7.02 ネバダ州のネバダ核実験場で第1回の臨界前核実験を実施.

8.16 ニューヨーク市警の警官2人がハイチ移民を拷問,重症を負わせていたことが判明.ハイチ系住民4000人が警察署に抗議のデモ行進.

10.16 南アのマンデラ大統領がリビア訪問計画.米政府は「国連制裁決議違反」として強い反発を示す.

10.25 フィラデルフィアで,黒人女性による「百万人女性行進」が行われる.主催者発表で210万人,警察調べでも30万〜100万人が集結.史上最大の集会となる.

1998年

2.02 世界の文民指導者が核廃絶を求める共同声明.カーター元大統領など47人の元・現大統領や首相経験者を含む46ヵ国117人が署名.

3.20 米国,対キューバ制裁の一部緩和.

6.28 ホルブルック特使,コソボ解放軍(KLA)を正式の交渉相手として認め,休戦にむけた交渉を開始.

8.07 タンザニアの首都ダルエスサラームのアメリカ大使館前で車爆弾が爆発.大使館員など10人以上が死傷.数時間後,ケニアの首都ナイロビのアメリカ大使館の近くで爆発.大使館は大破し,218人が死亡し1000人が負傷.

8.17 クリントン大統領が連邦大陪審で証言.その後テレビ演説で「不適切な関係」があったが法に触れるような行為はなかったと釈明.

8.20 クリントンは,米大使館同時爆破事件をウサマ・ビン・ラーディンの組織によるものと断定.報復としてアフガニスタンとスーダンの「テロ関連施設」を巡航ミサイル75〜100発で攻撃.ウサマはサウジアラビア出身の富豪で過激派指導者.

8.21 スーダンの「テロ関連施設」とされた製薬工場は,テロ活動とは無関係であることが判明.スーダン国連代表部は安保理召集と現地調査団派遣を要請.

9.11 米国務省当局者,北朝鮮は人工衛星を軌道に乗せようとしたが失敗したと発言.

10.12 コーエン米国務長官,セルビアが2週間以内に即時停戦などの国連安保理決議に応じなければ,NATOが空爆を始めると警告.

10.05 下院司法委員会,クリントン大統領の弾劾調査を開始する決議.

10.08 IMF・世界銀行の総会,中南米危機を抑えるためブラジルへの融資を発表.

11.13 アメリカ労働党、ピッツバーグで第1回基本組織大会を開催。6つの全国労組、200以上のローカルユニオン、労働党の39の支部のそれぞれの代表1400人が参加。

12.10 世界人権宣言の制定50周年を記念する国連総会,カーター元大統領ら5人に国連人権賞.

12.13 プエルトリコで州昇格の是非を問う住民投票.自治領にとどまることに賛成する票が過半数を占める.

12.16 弾劾訴追の審議と裁決のための本会議を翌日に控え,米英両軍がイラクの軍事施設を中心に巡航ミサイルなどで攻撃する(砂漠の狐作戦).下院は審議を延期すると決定.

12.18 エリツィン大統領,米英によるイラク攻撃を厳しく非難.両国駐在の大使を召還.

12.18 下院本会議,司法委員会が提出した4項目にわたる弾劾訴追状の審議に入る.

12.19 下院本会議,連邦大陪審に対する偽証などについての弾劾を,共和党の賛成多数で議決.

1999年

1.04 国務省,キューバ制裁の緩和策を発表.

1.16 アナン国連事務総長,コソボで起きたアルバニア系住民の虐殺事件について徹底的な調査を命じる.クリントン大統領も虐殺を非難.

1.20 コーエン国防長官,NATOにはユーゴ空爆の用意があると警告.

2.12 上院の弾劾裁判で,偽証と司法妨害の2条項について評決.どちらも有罪に必要な3分の2に達せず,無罪が確定.

2003年

8月 アメリカ共産党の副議長が原水爆禁止世界大会に参加。日本共産党との関係回復を申し入れ。議長と国際局長の連名で、「日本共産党の階級的立場と自発性に対する攻撃について謝罪」する書簡。

2005年

7.01 シカゴでアメリカ共産党第28回大会。サム・ウェッブ全国議長が9.11後の流れを総括。青年共産同盟の強化、機関紙ピープルズ・ウィークリーの拡大を決議。

11.03 テッド・ケネディ上院議員、「移民たちはこの国の建設を手伝った。彼らは労働を提供し、軍務を引き受けた。それらは我々の経済の基礎をなしている。「彼らを罪人に」という人たちに対して、我々は応える。「彼らをアメリカ人に、そしてアメリカをより強くてよりよい国に」と。

12月 ジェイムズ・センセンブレナー(Sensenbrenner)下院議員が移民法改正案を提案。公式の許可なしに米国に入国し、労働し、生活することを「重罪」とし、これに違反したものは懲役刑もしくは国外追放となり、再入国を禁止される。また入国を援助した個人・組織も、5年間の懲役刑とする。06年3月初め、下院で成立。

2006年

3.07 ピュー・ヒスパニック・センター、外国生まれの移民が全米で約3700万人居ると報告。このうち約1200万人が、不法入国した移民とされる。彼らは労働者階級の一部門を形成しているにもかかわらず法的地位がないために社会から孤立し漂流している。

報告の要旨: 2005年度に不法入国した移民のおよそ56%がメキシコの出身。22%が他のラテンアメリカの国の出身。ほかアジアから13%、ヨーロッパとカナダから6%となっている。とりわけメキシコの生まれの在米住民は、過去の10年のあいだ毎年50万人づつ増大している。その80 to 85%が不法入国者である。
不法入国者のうちおよそ720万人が何らかの職業についている。それは一般労働力のおよそ4.9%を占めている。農業労働者の24%、清掃労働者の17%、建設労働者の14%、飲食関係労働者の12%を占めている。

3.16 フェニックス、デンバー、アトランタ、ニューヨーク市、シャーロット、カンザスシティー、ミルウォーキーなどで一斉罷業や街頭デモなどが繰り広げれられる。

3.10 シカゴでヒスパニック系労働者が一斉罷業行動。メキシコ人を中心に数十万人が参加し、100以上の工場と多数のレストランを休業に追い込む。センセンブレナー法など米政府の不法移民への犯罪者扱いに抗議し、移住者の権利を要求するもの。

3.23 ニューヨークタイムズの特集記事、「農業労働者120万人のおよそ70パーセントは不法移民である。雇用者は表向きとは異なり、決して罰せられることはない。合法的に季節労働者を雇うのはなかなか複雑な手続きが必要だが、偽書類を持った不法移民を雇うのははるかにリスクが少ない」と書く。

3.25 ロサンゼルスで約100万人の労働者が街路を埋める。米国史上最大の集会のひとつとなる。

3.27 デトロイト、ボストン、ワシントンの街頭で数十万人の移住者がデモ。「黒人や白人は彼らの革命を成し遂げた...今度は我々の番だ」と叫ぶ。

3.27 上院司法委員会、移民法改正法案を、賛成12,反対6で可決。国境管理の強化、短期労働ビザの創設、数百万人の不法入国者の合法化、入国を助けた行為を罪としないなどを内容とする。

4.09 2日間にわたる全国一斉抗議行動。全国150の都市で200万人のヒスパニック労働者が参加する。このうちダラスには50万人が結集。

4.18 ロサンゼルスのヒスパニック系新聞編集者ファン・サントス、テッド・ケネディの主張は大企業のひそかな欲望を代弁するものでしかないと批判。「私にはアメリカン・ドリームなど分からないが、アメリカン・ナイトメアーなら良く分かる。私もマルコムX同様、アメリカニズムの犠牲者となるつもりはない」と宣言。

2007年

5.17 メキシコ系米国人のアントニオ・ビリャライゴサ、ロスアンゼルス市長選で当選。ヒスパニック票を土台に黒人票、ユダヤ票、リベラル白人票などを結集し59%の得票率を獲得。現職市長であるジム・ハーン候補を破る。