ウォータゲート事件関連年表

 

1968年

11 ニクソン,大統領に当選.

1969年

4 ニクソン政府の法律顧問ジョン・アーリックマン,ニューヨーク市警出身のコールフィールドとユラーセイウィッツを私設情報サービスに採用.

5.9 ニューヨーク・タイムス,米軍のホーチミン・ルートに対する越境爆撃を暴露.ニクソンは漏洩の被疑者でNSC事務局員のモートン・ハルペリンに対する盗聴を指示.その後さらにマスキー上院議員,ウィリアム・サファイアなどの自宅にも盗聴機がつけられる.

1970年

7.14 ニクソン,ヒューストン補佐官の起案になる「ヒューストン計画」を承認.「国内の治安に大きな脅威となっている人物や団体に対する電話の盗聴,連邦機関による郵便物の密かな開封に関する制限の強化,情報を得るための団体への不法な侵入,より多数の密告者の募集,従来の情報機関の枠を越えたあらたな情報機関の創出」を求める.ニクソンはまもなく,フーバーFBI長官とミッチェル司法長官の反対に会い計画を撤回.

7 アーリックマン,内政問題担当補佐官に昇格,ハルデマン首席補佐官に次ぐナンバー3となる.新設のホワイトハウス内政問題会議議長に指名.後任の法律顧問にはジョン・ディーンが就任,コールフィールドとユラーセウィッツの監督にあたる.

1971年

3 ワシントン・ポスト紙のアンダーソン記者,カンボジアの秘密爆撃を指示した国防総省の秘密文書を暴露.国防総省はドナルド・スチュアート首席捜査官を中心に漏洩元の調査に乗り出す.

6.13 ニューヨーク・タイムズ,ランドコーポレーションの職員でキッシンジャーの元同僚ダニエル・エルズバーグの漏洩した,国防総省の秘密調査の内容を暴露した「ペンタゴン・ペーパーズ」の掲載を開始.

7 アーリックマン首席補佐官,エルズバーグに関する特別調査班を編成.責任者としてヤング補佐官とエージル・クローグ補佐官を任命.ヤングとクローグは行政府ビル地下に本部を設営.オフィスのドアに「鉛管工」の看板を掲げる.元CIA諜報員でチャック・コルソン補佐官の部下ハワード・ハントと元FBI捜査官のゴードン・リディーがスタッフとして参加.

7 ニューヨーク・タイムス紙,SALT交渉に関する米国側の譲歩の内容を暴露.情報源はデジタル情報中継センターに勤務する陸軍下士官スティーブン・リンガー.

9 鉛管工グループのハントとリディー,エルズバーグのかかりつけの精神科医ルイス・フィールディングのオフィスに侵入.実行犯はピッグス湾参加者のフェリペ・デ・ディエゴ,CIAの航海士として350回以上もキューバに侵入したエウヘニオ・マルティネス,元CIA職員のバーナード・バーカーの三人組で,いずれもハントのマイアミにおける手下.

9 ペンタゴンとホワイトハウス間の通信連絡将校をつとめたロバート(ボブ)・ウッドワード,ワシントンポスト紙に就職.

12.14 アンダーソン,政府の印=パ紛争に介入する意図を表わした秘密文書を暴露.アーリックマンはヤングに機密漏洩の調査を命じる.チャールズ・コルソン,ジャック・アンダーソン暗殺をハントに指示.武器にはカストロ暗殺計画用に作られた毒薬が用いられる計画だった.

12.22 アンダーソンへの機密漏洩の被疑者としてチャールズ・ラドフォード海軍下士官を取り調べ.ラドフォードはNSCの統合参謀本部との連絡事務所長ロビンソン海軍少将の副官.取り調べの中でラドフォードがムーア統合参謀本部議長のスパイとしてNSCの秘密情報の採集にあたっていたことが明らかになる.

1972年

2月 鉛管工グループの一人リディー,ニクソン再選委員会に移り,マグルーダー事務局長の支配下に入る.ウォータゲートの民主党本部への侵入をふくむジェムストーン作戦を立案.

3月 ミッチェル,司法長官を辞任,ニクソン再選委員会議長に就任.ディック・クラインディーンストが後任の司法長官に就任.ミッチェルはジェムストーン作戦を承認.リディー,ハントと再選委員会の警備主任で元CIA職員のジェームス・マッコードが計画の具体化にあたる.

5月

2 「鉛管工」グループ,ワシントンの集会に参加したエルズバーグを襲撃する計画.バーカーら三人組に実行を指示.三人組はさらにフランク・スタージス,レイナルド・ピコ,ビルヒリオ・ゴンサレスらキューバ人亡命者数名を集め実行計画を立案.翌日そのうちの二人が逮捕されたことから計画は中止.

28 鉛管工グループ,ワシントン市内のウォーターゲートビルにある民主党全国委員会事務所に第1回目の侵入.盗聴機を仕掛ける.

5月 ニクソンの共和党における有力な対抗馬で,前アラバマ州知事ウォーラス候補,演説中を狙撃され重傷を負う.下半身マヒとなり立候補を断念.

6月

17 8人からなる鉛管工グループ,ウォーターゲート・ビルに再度忍び込んだところを逮捕される.逮捕者はマッコード警備主任,バーカー,ロランド・エウヘニオ・マルティネス,ビルヒリオ・ゴンサレス,フランク・スタージス.「マクガバン候補がカストロやホーチミンから資金をもらっている証拠を握るため」侵入したと「自白」.別室で指揮をとっていたリディーとハントは逃亡に成功.

18 AP通信,マッコードがニクソン再選委員会の警備主任であったと報じ,ミッチェルもこれを認める.ミッチェル,事件のもみ消しをはかり,クラインディーンストにマッコードの釈放を依頼.

19 ワシントン・ポスト紙,マッコードの政治的背景,再選委員会との深い関係を一面トップに掲げる.

19 マッコードの手帳から,ハントの関与が浮び上がる.さらにFBIは「ニクソン再選委員会」の資金11万ドルがメキシコの銀行に振込まれた事実を突き止める.

20 ボブ・ウッドワード,ワシントン・ポスト紙の一面トップに,事件の主犯がハントであり,彼がコルソン補佐官の部下であったことを暴露.民主党はプライバシーの侵害と公民権法違反で再選委員会を告訴.

22 ニクソン,「ホワイトハウスは今回の事件にはまったく関わりない」と記者会見.

23 ニクソン,ヘルムズCIA長官を官邸に呼び,FBIの捜査をCIAに邪魔させるよう指示.ヘルムズ長官の指示を受けバーノン・ウォルターズ副長官がグレイFBI長官と会見,グレイは捜査中止を指示.のちにこのテープが公開され,ニクソン辞任の直接のきっかけとなる.

7月

5 FBI,CIAにたいし捜査中止要請の文書による確認を求める.CIAはこれを拒否.

8.26 マイアミで共和党全国大会.ニクソンを大統領候補に指名.

9.15 ハント,リディ,マッコード,マルティネス,スタージス,バーカー,ゴンサレスの7人,連邦地裁に起訴される.司法省は「他に告発すべき人はいない」とし捜査の打ち切りを声明.

9.17 ワシントンポスト紙,ニクソン再選委員会の資金がウォーターゲート侵入作戦に使われたことを暴露.

11.7 大統領選.ニクソンが一般投票の6割以上を獲得しマクガバン候補を破り当選.

1973年

1月

8 ウォーターゲート裁判開始.被告は全員有罪を認め,単独犯行を主張.

15 ニクソン,2期目の閣僚を発表.ヘルムズCIA長官は更迭され,後任にジェームス・シュレジンジャー.

30 裁判所,被告全員に有罪の判決.

2月

7 ヘルムズ前CIA長官,上院外交委で証言.チリ政府転覆工作にCIAは関与していないと偽証.

9 民主党のサム・アービンを委員長とする上院ウォーターゲート特別調査委員会設置.

2月 タイム誌,「6,7人の新聞記者と数不明のホワイトハウス職員たち」が,69年から71年にかけ電話を盗聴されていたとすっぱ抜く.ホワイトハウスとグレイFBI長官代理はただちにこれを否定する声明.

3.7 グレイFBI長官,司法委員会に出席.ウォーターゲート事件の発覚直後に政府法律顧問のジョン・ディーンと33回にわたり接触,調査ファイルを渡したと証言.

4月

15 ディーン,ハントがロスの精神科医師フィールディングのクリニックに侵入したこと,NYタイムスに「ペンタゴン・ペーパー」をリークしたエルズバーグのカルテ入手のためであったことを認める.

18 ニクソン,診療所侵入事件の調査は「国家の安全」を脅かすことになるとし,司法省に対し中止を要請.

30 エルズバーグ事件,69年の一連の盗聴,ラドフォード事件の全容があきらかとなる.ニクソンは全米テレビ放送でホールドマン,アーリックマン,クラインディーンスト,グレイの辞任を受理しディーンを解任.ヘイグを首席補佐官に,リチャードソンを司法長官に,シュレジンジャーCIA長官を国防長官に.ラッケルスハウスがFBI長官代理指名.バズハート国防総省法律顧問がホワイトハウス法律顧問補佐を兼任.

5月

14 FBI,政府内外の17人が,69年から22ヶ月にわたり電話を盗聴されていたと発表.

17 特別調査委員会の公聴会が始る.

22 ニクソン,盗聴工作,鉛管工グループ,ヒューストン計画をすべて認めたうえで,国家安全保障のため必要な措置だったとする声明を発表.

6.25 上院特別委員会,ディーン前法律顧問への質問を開始.ディーンは,事件にニクソン,ミッチェル,ホールドマン,アーリックマンが全面的に関与と証言.さらに「大統領執務室に録音装置があるのではないか」と証言し新たな展開が始まる.

7月

13 前大統領補佐官で国内治安対策担当のバターフィールド,ニクソンの指示で大統領執務室での会話をすべて録音していたことを認める.

18 司法省の特別検察官アーチボルト・コックス,録音テープの引き渡しを要求.政府は三権分立と行政特権を盾に提出を拒否.

7月 ニクソン,クラインディーンスト司法長官を解任.関連人事でシュレジンジャーは国防長官に転じる.後任にはウィリアム・コルビー工作本部担当副長官.

8.15 ニクソン大統領,コックスによるテープの提出要求を拒否.

10月

10 アグニュー副大統領,脱税,収賄,強要の罪に問われ副大統領を辞任.

11 コックス特別検察官,エルズバーグ事件に関わる偽証罪でエージル・クローグを起訴.

12 アグニューの後任に共和党の下院院内総務ジェラルド・フォード.

12 連邦高裁,ニクソンの訴えを退け,テープを提出するように命令.

18 政府,リチャードソン司法長官,ラッケルスハウス副長官,コックス特別検察官を解任.ボークを新司法長官に指名.特別連邦検察局を廃止.特別検察官,司法長官,司法副長官の執務室がFBIに封鎖される.「土曜日の夜の虐殺」とよばれる.

19 ニクソン,テープを提出する代りにその速記録を提出すると声明.

23 議会は一挙に態度を硬化,20件もの弾劾決議案が上程される.ニクソンは,録音テープの提出に追込まれる.

26 政府,特別連邦検察局の廃止を撤回.ジャウォスキーを特別検察官に指名.

12月 ハント夫人の乗ったユナイテッド航空旅客機がシカゴ近郊で墜落.全員が死亡.現場にはFBI係官50人がかけつける.

1974年

1月

11 スクリップス・ハワード紙のダン・トマソンとシカゴ・トリビューン紙のジム・スクワイアーズ,「国防総省高官がキッシンジャーの執務室を目標にスパイ活動をしていた」と発表.共同取材によりラドフォード事件を暴露.

21 ムーア,ラドフォード事件への関与を否定.国防総省はラドフォードの単独犯行として内部捜査を終了.キッシンジャーは「この事件は,部下が仕事に熱中しすぎた結果起こったものであり,この文書が彼になんら新情報を与えるものではなかった」と声明.

2月

6 下院,司法委員会にニクソン調査の権限を与える動議を410対4で可決. 

20 ジョン・ステニスを委員長とする上院軍事委員会,ラドフォード事件に関する公聴会を開催.ラドフォードは,ロビンソンとウィランダーが文書抜き取りを指示,ムーアのもとに送っていたことを認める.

3.1 連邦大陪審,ミッチェル,ホールドマン,アーリックマン,コルソンら7人をウォーターゲート事件もみ消し工作で起訴.

4.11 司法委員会,42本の録音テープ提出をもとめる提案を,33対3で採択.連邦地裁のシリカ判事もジャウォスキーの要請を受け,64本のテープを提出するよう命令.

4.29 ニクソン,テレビ会見.テープの代わりに書写した文書を提出すると声明.司法委員会は文書の受け取りを拒否し「貴職はテープの提出命令に応じなかった」と通告.

4.30 ニクソン,秘密録音テープの速記録を下院に提出.

5.31 ニクソン,地裁の提出命令を拒否し控訴裁に上告.ジャウォスキーは控訴裁をとび越え最高裁に申立て.

6.12 ニクソン,中東歴訪とソ連訪問に出発.

6 ヘイグ補佐官,陸軍犯罪調査局のヘンリー・タフト大佐にニクソンと犯罪組織とのつながりを極秘に調査するよう指令.

7.24 最高裁,ジャウォスキーの申立てに対し8対0で支持.録音テープの提出をあらためて命じる.

7.27 下院司法委員会,テープ提出命令に対する拒否を司法妨害とする弾劾決議案を27対11で可決.下院本会議での表決は8月19日とされる.

8.8 ニクソン辞任.フォードが大統領に昇格.

9.8 フォード大統領,ニクソンに「全面,自由,絶対的な恩赦」を与える決定を発表.

12 コルビー長官,ジェームス・アングルトン対情報工作部長を解任.

 

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