時系列で見た
東アジア共同体とASEAN
雑誌「前衛」2004年9月号 特集「アジアの安定と平和への前進」などより作成しました.
2004年10月
61年 マラヤ連邦のラーマン首相が提唱し,タイ、フィリピン、マラヤ連邦の3カ国をメンバーとして東南アジア連合(ASA)が結成される.その後,加盟国間の政治的問題等により機能が停止.66年 第1回南東アジア開発閣僚会議、アジア太平洋協議会等を通じて地域協力の動きが活発化.ASAにインドネシア、シンガポールを加えた新たな機構設立の気運が高まる.
67年8月 ASEANがバンコクで創設される.設立宣言では「東南アジア諸国が地域としての独自性を確固なものとし、地域の問題を自らの手で解決していくことが、地域の平和と安定に繋がる」と述べ,@域内における経済成長、社会・文化的発展の促進,A地域における政治・経済的安定の確保,B域内諸問題の解決,を柱に掲げる.加盟国はインドネシア、マレーシア、フィリッピン、シンガポール、タイの5国.当初はスハルトを事実上の盟主とし,東南アジアの反共親米諸国の同盟としての色彩が濃厚だった.当初は年1回の外相会議のみが定められ,常設事務局もないなど,組織としての実体はなかった.
71年11月 クアラルンプールでASEAN特別外相会議,「東南アジアを平和・自由・中立地帯(ZOPFAN)とするため,域外国からいかなる干渉もされない,地域としての強靱性(RESILIENCE)を構築ことを目指す」と宣言.
74年 ジャカルタにASEAN中央事務局が設置される.
75年4月 サイゴン陥落.これを機にドミノ理論と対米追随路線に対する深刻な反省が生まれる。
76年2月 インドシナ戦争終結を受け,バリ島で初のASEAN首脳会談.政治、安全保障、経済協力のための6つの原則を盛り込んだASEAN協和宣言を発表.域内諸国間の平和的関係を維持するための合意として,「東南アジア友好協力条約」が調印される.
東南アジア友好協力条約(Treaty of Amity and Cooperation in Southeast Asia: TAC)
国連憲章を土台に,@独立・主権・領土保全などの相互尊重,A外部からの干渉なしに自国を運営する権利,B相互の内部問題への不干渉,C紛争の平和的手段による解決,D武力行使と武力による威嚇の放棄,E諸国間の効果的協力,を国家間関係の規範として定める.
その後ASEAN以外の国の調印も得て,行動枠組みを規定した実質的な根拠法となっている.77年8月 日本とASEAN諸国の首脳会議.福田首相が日本の対ASEAN政策を説明.@軍事大国とならず,東南アジアと世界の平和と繁栄に貢献.A心の触れあう信頼関係の構築.BASEAN連帯強化に協力し,インドシナ諸国との相互理解を醸成.
81年 マハティール・ビン・モハマド,第4代マレーシア首相に就任.「ルック・イースト政策」を発表する.
85年 プラザ合意成立.急激な円高を背景に,日本の対ASEAN直接投資が拡大.各国は輸出指向の開放的経済政策を推進.
87年12月 マニラでASEAN首脳会議.東南アジア平和中立地帯構想(ZOPFAN)の早期達成、東南アジア非核兵器地帯(SEANWFZ)の早期創設で合意.東南アジア友好協力条約を修正し,域外諸国の加入も可能とする.
89年11月 オーストラリアのホーク首相がアジア太平洋経済協力閣僚会議(APEC)を提唱.べ−カー米国務長官が協賛する形で実質的な合意がなされた.第1回会合がオーストラリアで開催される.
90年末 マハティール首相,APEC に対抗し東アジア経済グループを提起.今日の東アジア共同体構想につながるもの.
91年 カンボジア和平協定が成立.
91年 マハティール首相,ヨーロッパ経済協議体(EEC)を念頭に置きながら,東アジア経済グループ構想をさらに具体化.当面協議体として出発することでASEAN各国(とくにインドネシア)の了解を取り付ける.
1992年
1月 シンガポールで第4回ASEAN首脳会議.AFTA(ASEAN自由貿易地域)の形成を目指す「シンガポール宣言」が採択される.@93年1月から15年以内にCEPT(共通効果特恵関税,Common Effective Preferential Trariff)制度を導入する,A2010年までにはASEAN原加盟6カ国(マレーシア,シンガポール,タイ,インドネシア,フィリピン,ブルネイ)の域内関税完全撤廃,B2018年までには他の4カ国の域内関税も完全に撤廃することで合意.
6月 マハティール,東アジア経済協議体(EAEC)を改めて提唱.米国はEAEC構想に対し,自らを排除する地域組織と敵視し妨害.この結果,ASEAN外相会議は,「ASEAN経済閣僚会議がEAECに支援と方向を与える」とのみ決議.
7月 第25回ASEAN外相会議,「南シナ海におけるASEAN宣言」を発表.南沙諸島紛争の平和的解決の諸原則を提示.ジャカルタにあるASEAN事務局を拡大・強化することで合意.
9月 インドネシアで第10回非同盟諸国会議.南北の経済格差問題がクローズアップされる.
9月 マハティール,国連で演説.「ヨーロッパはすでに保護主義的貿易ブロックを選択して いる。彼らは自分たちの高い生活レベルと生産コストを守 り通すために、東アジア諸国との競争を拒絶しようとして いる。欧米が自分たちだけ経 済のブロック化を推進しながらEAECを阻止しようとするの は、アジア人に対する人種差別である.(欧米は)あらゆる問題であら捜しをして、私たち に対する差別政策を正当化しようとするだろう。彼らはそ の口実として民主主義、人権、労働条件、環境破壊、知的 所有権などといった問題を持ち出している」
10月 マハティール,「EAECの形成を妨げているのは米国だ」と非難.「米国が反対しても,東アジアはEEC,NAFTAとならぶ三つの主要地域グループのひとつになるだろう」と述べる.
92年 ベトナム,ラオス(92年)が東南アジア友好協力条約へ加盟.ミャンマー、カンボディアは95年に加盟.
92年 国連総会,東南アジア友好協力条約を承認(ENDORSE).
1993年
1月 AFTAがスタート.域内貿易の関税を5%以下に下げることを目標とする.
1月 クリントンが大統領に就任.EAECの結成を妨げる立場から,アジア太平洋経済協力閣僚会議()の強化に乗り出す.
7月 クリントン大統領が訪日.早稲田大学で講演.ソ連崩壊後のアジアでの覇権確立を目指し,経済から軍事協力まで視野に入れた,「新太平洋共同体」構想を展開.APECの重要性を強調.
11月 シアトルでアジア・太平洋諸国の首脳を網羅して,APEC非公式首脳会議が開かれる.アメリカは前年の閣僚会議には一人の閣僚も送らなかった.マハティールは,「身内 の結婚式に参加するため」会議を欠席.
1994年
7月 東南アジア諸国連合地域フォーラム(ARF)の第1回閣僚会議が開かれる.「アジア太平洋地域の政治,安全保障協力強化の主要なフォーラム,平和と安定構築の主軸」となることを目指す.ASEAN+対話パートナー国に、ヴィエトナム、ラオス及びパプア・ニューギニアの5カ国も正式メンバーとして加わる.その後さらにカンボディア、ミャンマー、モンゴル、北朝鮮が加わる.
対話パートナー国: 米・日・韓国・露・中国・印・豪・カナダ・ニュージーランド・EUの10カ国.
11月 インドネシアのボゴールで,APEC(アジア太平洋経済協力会議)の首脳会議が開催される.「APEC加盟の18国・地域は2020年までに域内貿易の自由化目標を達成することで合意した」とするボゴール宣言を発表.@自由化のみが強調され,域内協力が進展しなかったこと,AAPEC構成国の中で,南北アメリカとアジアとの間に格差がつけられたことから,ASEAN諸国の失望を呼ぶ.
95年12月 バンコクで第五回ASEAN首脳会議.加盟10ヶ国が東南アジア非核兵器地帯条約(SEANWFZ)に署名.97年に発効.また日本が東アジア首脳会議への不参加を表明したもとで,中国と韓国のみで地域協力機構の設立に動く.
95年 オーストラリアで日豪財界人会議が開かれる.某外交官が「EAECは日本が参加しなければ成り立たない.日本は参加しないから,それは自然死する」と述べる.
95年 ベトナム,ASEANに正式加盟.ラオスとミャンマーは97年.
1996年
7月 ASEAN拡大外相会議.中国,インド,ロシアを対話パートナーとして承認.中国はこれに対応して銭基深外相を会議に派遣.
11月 ジャカルタで第1回ASEAN非公式首脳会議. カンボディア、ラオス、ミャンマーのASEAN同時加盟を決定。 東チモール問題に関しインドネシアへの支持を表明。
11月 バンコクで第 1 回ASEM 首脳会議を開催.欧亜間の経済、政治、文化面での対話と協力推進を目的とする.以後隔年ごとに開催.
96年 ASEANの主催でメコン開発閣僚会議.ASEAN首脳会議の議論を経て,日本を招請せずにおこなわれたことから,日本政府に衝撃を与える.
1997年
1月 橋本首相がASEAN諸国を歴訪.関係修復を図る.対話緊密化と多角的な文化協力を謳うが,東アジア共同体構想への言及なし.
7月 タイで金融危機が始まる.米国の投機資金がタイから急激に逃避したことから,短期的なバーツの流動性危機を引き起こす.域内諸国と国際機関は,タイに対し総額 172 億ドルの金融支援を決定.
8月 インドネシアでルピアの暴落が始まる.
8月末 日本が中心となりアジア通貨基金(AMF)構想.大蔵省の榊原英資財務官が各国を回り根回し.米財務省はIMFの権限を侵食するものとして猛反発(サマーズ副長官とのやり取りなど緊迫した雰囲気は榊原氏の回想録参照のこと).
榊原のAMF構想: 日本の円を中心にアジア版基金を作り、通貨危機に見舞われた国には優先的に通貨準備を融通することを提唱.中国・香港・日本・韓国・オーストラリア・インドネシア・タイ・シンガポール・マレーシア・フィリピンで1000億ドル規模の基金を作り、IMFを補完する役割を持たせることになっていた。
9月 香港でIMF・世銀の年次総会.マハティール首相は,実需を伴わない為替取引は「不必要、不道徳で非生産的だ」と強く非難.国際投資家のジョージ・ソロスは、為替取引きの制限は「破滅的な結果につながる」と反論.
9月 香港でIMF年次総会に引き続き先進七か国蔵相・中央銀行総裁会議(G7).三塚蔵相とルービン米財務省長官の個別会議.ルービンはAMF構想への強い反対を改めて表明する.説得を受けた中国が保留に回ったため流産.
10月 アジア為替・金融危機の第二波、台湾とシンガポールにも波及.台湾は経常収支黒字を継続してきたために為替相場が安定しており、シンガポールは東南アジアで最もファンダメンタルズが強固だったため,攻略は成功せず.第三波は香港へと向かう.
11月 韓国,香港株式市場暴落の影響を受けウォン相場が急落.短期融資の比率が高かった韓国は,債務借り換えに失敗し実質デフォ―ルト状態となる.IMFに緊急支援を要請.
11月 APEC非公式首脳会議.「市場参加者の役割についてIMFが行っている研究の結論を期待する」とし,通貨取引の在り方全般をIMFに丸投げ.
12月 アジア金融危機のただなか,クアラルンプールで,ASEAN30周年を記念する第二回非公式ASEAN首脳会談.「2020年ASEANビジョン」を発表.「2020年までにASEAN共同体となることを目指す」とする.社会的弱者を放置すれば,格差が広がり,社会が分裂して社会の強靭さが損なわれるとし,「思いやりある社会の共同体」の考えを打ち出す.
思いやりある社会の共同体: 当時の国際金融危機を背景に打ち出された.@思いやりある社会の建設,A経済統合の社会的影響の克服,B環境の持続性の促進,CASEANとしてのアイデンティティーの創出などが掲げられている.
12月 日・中・韓国の首脳が招待され,ASEAN首脳会談に引き続き東アジア首脳会議.ASEAN+3の始まりとなる.当初ASEANは,日本抜きで開催する方向を明らかにし,この動向を見て急遽日本政府も参加を決断.
12月16日 ASEAN9カ国首脳が中国の江沢民国家主席と会談.21世紀に向けた親善相互信頼パートナーシップを謳う「中国・ASEAN共同声明」を採択.中国はASEANの平和・自由・中立地帯構想を支持し東南アジア非核兵器地帯条約の発効を歓迎.ASEANは「一つの中国」政策を順守.南沙諸島問題では「武力に訴えることなく,平和的手段で意見の相違や紛争を解決する」ことを誓約.
12月 マハティール首相,国民経済行動評議会を組織.ダイム特別相、ノルディン・ソピー戦略国際問題研究所長らに通貨危機への総合的対応策の検討を命じる.
97年 インドネシアでスハルト独裁体制に対する政治危機が深刻化.米国は金融危機に対して一切の支援を拒否し,IMF基準の押し付けに終始した.米国とAPECへの失望が広がる.
1998年
5月 スハルト大統領が辞任.ハビビ副大統領が大統領に就任.
6月 米フィナンシャル・タイムズ紙,日本の金融市場が麻痺して円が対外責任能力を喪失した状況にあるとし,「日本株式会社は死にかかっている」と表現する.いっぽう元の防衛に成功した中国は,「世界の金融政策形成に対する影響力を持つものとして登場した」と述べる.
7月 中国,ASEAN拡大外相会議に参加.「東南アジア友好協力条約」への加入に前向きな姿勢を表明.
7月 マハティール,IMF路線で財政再建を図るアンワル副首相を更迭.短期資本を規制し,独自の為替管理で危機に対応.この年マレーシアの成長率はマイナス7%.
9月 マハティール,IMF派のアンワル副首相を解任.日本はマレーシア支持の姿勢を明確にする.
10月 宮沢蔵相,先進7カ国蔵相・中央銀行総裁会議(G7)で発展途上国などの通貨危機対策として、ヘッジファンドなどによる短期的な資本取引の規制案を提案.危機に陥ったアジア諸国を対象に 300 億ドルを資金供与する新宮澤構想を発表.東アジアにおける地域協力を先導する役割を果たしたと自称.
11月 米国防総省,東アジア戦略報告を発表.日米同盟を「21世紀においても米アジア安保政策のかなめ」と位置付ける.またARFの役割を積極的に評価.
12月15日 ハノイで第6回ASEAN首脳会議.経済回復を目指す特別対策「大胆な措置に関する声明」を発表.CEPT実施率の努力目標を1年間前倒しする.2020年ビジョンを実現する行動計画として,2004年を期限とする6ヵ年行動計画(ハノイ行動計画99〜04)を採択.マクロ経済と金融に関する協力の強化を主柱とし,経済統合の強化,ASEANの機構とメカニズムの改善などに取り組む.
12月16日 ASEAN首脳会議に引き続いて第二回ASEAN+3首脳会議.以後,ASEAN首脳会議とASEAN+3首脳会議はセットとなる.金大中の提唱で,協力のための検討機構として,東アジア・ビジョン・グループ(EAVG)を設置.中国の胡錦濤副主席は,金融危機打開のため東アジア蔵相会議の開催を提案.小渕首相は新宮沢構想を発表する一方.蔵相会議への米国の参加をもとめ,顰蹙を買ったといわれる(外務省のホームページには記載なし).同じ日,ASEANと日本・中国・韓国の首脳会議も別個に持たれる.
98年 この年のASEAN経済成長率はマイナス7%,インドネシアでは13%の落ち込み.対米不信はロシア危機の際に米財務省がヘッジファンドの救済に乗り出したことからさらに増幅される.
北沢洋子氏の報告は,金融危機の実相を良く伝えている.長くなるが引用する.
1) 失業の増大
金融危機の発生と、その後のIMFの引き締め政策押し付けによって、企業倒産と失業が急増した。ILOによると1,000万人が新たに失業した。インドネシアでは,靴などの非繊維製品部門の失業率は50%,建設部門では75%に上っている(アジア開銀)。
タイでは200万人が失業した。建設部門での失業は34%増となった。さらに半失業者の数が増加しており、740万人に達した。タイの繊維、エレクトロニクス産業の労働者の90%は女性であり、危機は女性により多くの打撃を与えた。
韓国では17,613社が破産した。失業者数は178万人に及んだ。労働者20人中1人が失業したことになる。失業は、女性に、若年層に、未熟練労働者に集中している。解雇されなかった労働者も収入が激減した。労働権は侵害され、労組の組織率は著しく低下した。
2) インフレ
インフレの昴進は貧困層の家計に打撃を与えた。インドネシアにおいては年率77.6%のインフレを記録した。インフレが貧困化の最大の要因であった。これはIMFのコンディショナリティによって、燃料、電気、大豆、砂糖、小麦粉などへの政府補助金が撤廃されたためである。食料品の価格が250%から500%も値上がりした。インドネシアの全所帯の4分の1が、肉、卵、魚といった重要な蛋白源の食料品への支出を減らしたというデータがある。
インドネシアにおいては、農村部の世帯の収入は5%上昇したという記録があるが、一方都市部の世帯は40%も激減している。労働者の賃金は30%減少し、世帯平均の支出は24%減となっている。
3) 貧 困
1998年、世銀はこの地域の絶対的貧困者の数は倍増し、9,000万人に達したと述べた。そのうちインドネシアでは 1,700万人に達した.インドネシアでは、学生の就学率は25%下落した。子供の予防ワクチンの接種も有料となり、貧困家庭には負担できなくなった。5歳以下の子供に対する検診回数は、50%も減ってしまった。幼児死亡率は、30%上昇すると見込まれている。医薬品の不足から、多くの診療所が閉鎖に追い込まれている。
タイでは、人口の15%〜20%に上る800万人が,1日2ドル以下の貧困状態にある。タイの失業者数の64%が、農村部に集中している。タイでは、農民が人口の60%を占めているのにもかかわらず、その収入はGNPの11%にすぎない。
農村では都市の労働者からの送金が途絶え、都市から失業者が帰村した。さらに肥料・農薬・農機具などの値上がりと高金利によって農民の貧困化が進んだ。負債を抱えている農民は、500万人に達すると見られる。
韓国の貧困層は550万人に上った。人々の収入は20%も減少した。一方、食料品の価格は20%、燃料は25%も上昇した。韓国の自殺者の数は月平均900人に上っている。離婚、家庭内暴力、犯罪の件数も増えている。1999年
8月 マハティール首相、中国を訪問.EAECを基礎に地域の安全保障問題などを協議する「東アジア共同体」を実現するよう呼び掛ける.
11月 マニラで第三回ASEAN+3首脳会議.初の共同声明となる「東アジアにおける協力に関する共同声明」を発表.ASEAN側は安保問題も議論するよう提起.日本は安保条約を理由に安保問題の討議を拒否.
99年 マレーシア,独自の経済再建に成功.成長率をプラス6%に戻す.
2000年
5月 ASEAN+3蔵相会議,「チェンマイ・イニシアティブ」で合意.通貨危機の再発に備え,ASEAN各国と日本、中国、韓国との間の二国間で総額 365 億ドルにのぼる通貨スワップ協定が調印される.
7月 北朝鮮がARF総会に初参加.
11月 シンガポールでASEAN首脳会議.ASEAN統合イニシアティブ(Initiative for ASEAN Integretion : IAI)開始について合意。 先発6カ国が後発4カ国の発展を支援することで,域内の経済格差を縮小し、地域全体としてのASEANの競争力を強化することを目的とする.
11月 ASEAN首脳会議に続きASEAN+3首脳会議.金大中の提唱にもとづき,東アジア共同体構想を具体化するため,東アジア研究グループ(EASG)を設置.朱鎔基首相はASEAN+3協力への中国の積極姿勢を表明し,中国のWTO加盟がASEANにとり脅威でないことを強調.
00年 中国とASEAN諸国,南沙諸島問題解決のための「南シナ海での関係諸国の行動に関する宣言」で合意.自由貿易地域(FTA)に関し意見交換するため中国・ASEAN合同協力委員会を立ち上げることで合意.
00年 ASEAN経済が復調.この年の成長率は5.9%に達する.その後今日まで一貫したプラス成長(平均4〜5%)を続ける.域内輸入が輸入全体の57.6%(EUは62.2%).域内の直接投資は700億ドル(85年の20倍).
2001年
2月 IAIについて検討するためのIAIタスクフォースが設置される.
7月 ハノイでASEAN外相会議.「より緊密なASEAN統合のための,発展格差縮小に関するハノイ宣言」を発表.後発諸国の引き上げに本腰を入れる姿勢を明らかにする.
11月 カタールのドーハでWTO閣僚会議が開催.新多角的通商交渉を開始することで合意.
11月 ブルネイでASEAN首脳会議.ASEAN+3協力をさらに促進するためASEAN+3事務局の設置を提案。 「テロリズムに対抗するための共同行動に関する2001ASEAN宣言」を採択.
11月 ASEAN+3首脳会議.金大統領が東アジア・ヴィジョン・グループ(EAVG)報告書を提出.首脳として最後の発言で,「東アジア・サミット」・「東アジア自由貿易地域」の検討を進めるよう訴える.
11月 ブルネイで中国とASEANとの首脳会談.中国からは朱鎔基首相が参加.向こう10年間にASEAN諸国との自由貿易協定(FTA)を締結することで合意.中国は、FTAを活用して自ら先に関税を引き下げ近隣諸国に市場機会を提供することで、その脅威感を軽減することができるとの判断.しかしASEAN諸国には根強い中国脅威論が残る.
12月 中国,世界貿易機関(WTO)に加盟.
01年 東アジアの貧困人口比率は84 年から2001年の間に38.9%から14.9%に低下し、絶対的な貧困人口も5億6,220万人から2億7,130万人に減少.
2002年
1月 日本とシンガポール,自由貿易協定(FTA)に調印.正式には「日本シンガポール包括的経済連携協定」と呼ばれる.これにあわせ,小泉首相はASEAN+3にオーストラリア、ニュージーランドを含めが「東アジア拡大コミュニティ」の構築を提起する.「包括的」とは、単に貿易、投資のみならず、科学技術、人材養成、観光なども含めた幅広い分野での経済連携の意である。
4月 マハティール首相、「ヨーロッパやアメリカには排他的組織が認められ、アジアに独自のグループが形成できないのはおかしい.東アジアの国々が、ASEANプラス3などという名称で実態を隠さなければならないのは、恥じるべき措置だ」と批判する.
11月 小泉首相の私的懇談会「対外関係タスクフォース」,「21世紀日本外交の基本戦略」と題した報告書を首相に提出.「米国追従一辺倒の路線の修正」を強調.
基本戦略の骨子: アメリカは「反対意見や異なる価値への寛容の精神と道義性が弱まっている」との懸念を示し、日米関係について「安全保障関係を中心に総合的に再検討すべき時期に来ている」と指摘.「日本は米国と同じ目的を持ちつつも、自らの座標軸を持って米国とは補完的な外交を行っていくべきだ」と主張.
02年 プノンペンでASEAN+3首脳会議.東アジア研究グループが報告書を提出.東アジア共同体具体化のため,26項目の課題を提案.朱鎔基首相は、日中韓3国がFTA締結に向けて協議を開始するよう提起.
26項目課題: 17項目が短期目標.@企業評議会の設置,A外資導入環境の整備,B投資情報ネットワークの設立,C技術移転と技術開発での協力,Dシンクタンクの連絡網の確率,E東アジアフォーラムの設置,F貧困解消計画の作成など.
9項目が中長期目標.@東アジア自由貿易地帯(EAFTA)の設置,A東アジア投資地域の設定,B地域融資機関の確立,C地域為替管理機構の設立,DASEAN+3首脳会議の東アジア首脳会議への発展など.2003年
1月 日本経団連,「活力と魅力溢れる日本をめざして」を発表.「東アジアの連携を強化」を提言.日本がリーダーシップを発揮し、2020 年までにアジア自由経済圏を完成させることを目指す.
3月 アメリカ,国連決議を無視してイラクに侵攻.アセアンでもタイ,フィリピン,シンガポールがイラク「復興支援」に派兵.マハティール首相は「国連は今すぐにアメリカに戦争をやめさせ、イラクからの撤退を求めるべきだ。アメリカの圧力に負け,言いなりになっているアナン国連事務総長は辞任すべきだ」と語る.
6月 ASEAN外相会議,米国のユニラテラリズムを批判.「国連憲章をふくむ国際法の諸原則を厳密に遵守することの重要性を再確認」する.
8月 クアラルンプールで第一回東アジア会議開催.マハティール首相はアジア通貨基金(AMF)について強調.「理念や哲学を語り合う時期は終わった.これからは、どうやって作り上げるかを検討しよう」と述べる.
9月 北京で東アジア・シンクタンク・ネットワーク(NEAT)が設立される.「東アジア共同体」の現実化に向けロードマップ作りを開始.東アジア会議と内容的には重複.
10月 バリ島で第9回ASEAN首脳会議.第二次ASEAN協和宣言(第二次バリ宣言)を発表.2020年を目標に,安保・経済・社会文化の三本柱からなるASEAN共同体を創設すると宣言.ASEANを「単一の市場,単一の生産拠点として確立」することを目指す.安保共同体行動計画の起草をインドネシアに,社会文化共同体計画をフィリピンに委託.
第二次バリ宣言: 第1回のASEAN首脳会議は76年に同じバリ島で開かれた.ここで協和宣言が発表され,東南アジア友好協力条約が締結された.第二次というのはこれを念頭に置いたもの.
10月 ASEAN首脳会議に引き続き,ASEAN+3首脳会議.中国とインドが東南アジア友好協力条約(TAC)に署名.ASEANと中国のあいだで「平和と繁栄のための戦略的パートナーシップに関する共同宣言」を採択.2010年までにASEANとの間でFTAを実施.年間貿易額を1,000億ドルに拡大することを確認.小泉首相は「TACの有無に関わらず,独自の立場でASEANとの協力関係を強める」としてTACへの加入を拒否.
王毅外務次官(中国): TACは内部問題への不干渉,紛争の平和的解決,主権や領土保全の相互尊重など,各国が従うべき原則そのものだ.
シクリ外務次官(インド): TACの原則は,平和共存の五原則と一致しており,地域の平和,安定,進歩の利益や誓約を反映している.12月 日本政府,東京でASEAN諸国との特別首脳会談を開催.「普遍的原則を尊重しつつ、アジアの伝統にもとづく共通の精神で,東アジア共同体の構築を目指す」とする「東京宣言」と 120 項目余りの「行動計画」が採択される.日本はこれまでの消極的態度を改め,東南アジア友好協力条約(TAC)への加入を決定.中国のTAC加入へのあせりの表現と見られる.
ストレーツ・タイムズ紙(マレーシア)の論評: 中国の魅力ある攻勢は明白で,中国は日本を完全に凌駕した.中国はまた,東南アジア非核兵器地帯条約への加入を積極的に検討している.日本の官僚主義は,その慎重さと伝統的な思考を捨てなければならない.なにより対米追随を脱却し,自分自身の独立を図る必要がある.
03年 APEC首脳会議.ブッシュ大統領は対テロ戦争路線への支持を取り付けようとするが,「政治課題はなじまない」と拒否される.APECの存在感は急速に薄れる.
03年 中国と香港、台湾を合わせた中国圏への輸出が約13兆7000億円に達し、アメリカ向け輸出(約13兆4000億円)を上回る.
2004年
5月 日本政府の肝いりで,東アジア共同体評議会が設立される.9つの政府関係省庁、11のシンクタンク、13の企業の代表者が参加,理事長には中曽根基首相が就任.「日米同盟との両立をどう考えてゆくべきか」など日本の対応策を検討.
6月 クアラルンプールで第二回東アジア会議.マレーシア戦略国際問題研究所(ISIS)が主催.アブドラ首相が基調演説.平和と友好こそ我々の指針とし,共同体のあり方として平和・経済・外交の三つの側面を提起.「今こそ東アジア共同体を新たな高みに導くべきだ」と強調.ソピー理事長は,「東アジア共同体は,構想の段階から具体化の段階に入りつつある」と述べる.
アブドラ首相,大東亜共栄圏を拒否 アブドラ首相は基調演説で次のように述べた.
はっきりさせておきたいのは,東アジアのいかなる国,いかなる国民も,いかなる装いの下であれ,「大東亜共栄圏」の再現を望んでいないということです.いかなる国家エゴイズムも,帝国的野望も,不平等国際条約も強制も,脅しも,威圧も,侮辱も,覇権もあってはなりません.6月29日 ジャカルタで第37回ASEAN外相会議.安保・経済・社会文化の三本柱について行動計画案を審議.ASEAN共同体の建設で合意.多国間協調主義を基調とするASEAN憲章の作成を決議.
7月01日 ジャカルタで,ASEAN外相会議に引き続きASEAN+3外相会議.EASG提案のうち17項目の短期目標の実現での前進を確認し,残る課題の実行で合意.これにより,EACは「予測可能な段階」から現実化・具体化の段階に入ったとされる.またASEAN+3の枠組みを発展させた「東アジア首脳会議」を開催することで合意.05年にクアラルンプールで開催されるASEAN首脳会議に合わせて開催される見通し。
前進した課題: @ASEAN10カ国による自由貿易協定(AFTA)の進行.AASEANと中国とのFTA協議の進展.Bアジア債権ファンド(ABF)の設立など
6月 日本外務省,ASEAN+3外相会議に対し,米国を東アジア共同体へ参加させるよう示唆.
7月14日 「東アジア共同体評議会」議長の中曽根元首相,東アジア共同体について「中国に先に出られている」と危機感を表明.
7月 米太平洋軍,マラッカ海峡軍事行動での共同作戦を提案.マレーシアとインドネシアは,マラッカ海峡の安全は両国が責任を持つとし,米軍の提案を拒否.
11月 ビエンチャンで第10回ASEAN首脳会議.2020年のASEAN共同体創設を目指し,地域統合の深化と,加盟諸国間の格差縮小をテーマとする.
11月 ASEANと温家宝首相の会談.@イラク情勢を憂慮し,国連が重要な役割を果たすべきとの認識で一致.A中国は東南アジア非核地帯条約の付属議定書へ署名の意向.B「全面的経済協力に関する枠組み」で合意.
ASEAN関連 略語一覧
あせあん
ASEAN
Assoclation of Southeast Asian Nations 東南アジア諸国連合
あせあんぷらすすりー
ASEAN+3
ASEANに日本・中国・韓国を加えたもの
えーあーるえふ
ARF
ASEAN Regional Forum 東南アジア諸国連合地域フォーラム:アジア太平洋地域における政治・安全保障分野を対象とする全域的な対話のフォーラム.ASEAN+3に米・EU・加・露・印・豪.ニュージーランド・パプアニューギニア・モンゴル・北朝鮮・パキスタンを加えたもの.
ひがしあじあきょうどうたい
EAC
東アジア全体をカバーする共同体構想.ASEAN+3を基軸とする.
あいえすあいえす
ISIS
マレーシア戦略国際問題研究所: 東アジア共同体構想を推進するシンクタンク.理事長はノルディン・ソピー.
ひがしあじあけいざいぐるーぷ
EAEG
East Asia Economic Group
90年末にマハティールが提起した構想.今日の東アジア共同体構想につながる.
ひがしあじあけいざいかいぎ
EAEC
East Asia Economic Caucus 東アジア経済会議: EAEG構想を協議体として妥協させたもの.EEC,NAFTAに相当する地域枠組み.
あじあたいへいようけいざいきょうりょくかくりょうかいぎ
APEC
Asia-Pacific Economic Cooperation アジア太平洋経済協力閣僚会議: 87年に発足するも開店休業状態.マハティール構想に対抗して米政権が再強化.
ひがしあじあびじょんぐるーぷ
EAVG
East Asia Vision Group
東アジア・ビジョン・グループ:98年のASEAN+3首脳会議で,東アジア協力を進めるための検討機構として設置された.
ひがしあじあけんきゅうぐるーぷ
EASG
East Asia StudyGroup
東アジア研究グループ:00年のASEAN+3首脳会議で,EAC構想を具体化するための検討機構として設置された.02年,EAC設立のための26の課題を提示.
じゆうぼうえききょうてい
FTA
自由貿易協定:
せかいぼうえききかん
WTO
世界貿易機関:
とうなんあじあゆうこうきょうりょくじょうやく
TAC
Treaty of Amity and Cooperation in Southeast Asia 東南アジア友好協力条約:76年,第1回首脳会議で採択.
ひがしあじあじゆうぼうえきちたい
EAFTA
東アジア自由貿易地帯:EASGにより提起された26課題の一つ.
あせあんじゆうぼうえききょうてい
AFTA
ASEAN Free Trade Area アセアン自由貿易地帯: 92年首脳会議で,08年までの創設に合意
へいわじゆうちゅうりつちたい
ZOPFAN
Zone of Peace, Freedom and Neutrality 平和・自由・中立地帯: 71年,ASEAN特別外相会議で宣言された.これをもとに東南アジア非核兵器地帯条約が締結.
とうなんあじあひかくへいきちたいじょうやく
SEANWFZ
Southeast Asia Nuclear Weapon Free Zone 東南アジア非核兵器地帯条約: 95年,ASEAN首脳会議で調印.97年に発効.
ひがしあじあしんくたんくねっとわーく
NEAT
東アジア・シンクタンク・ネットワーク: 03年9月北京の会議で設立が決まる.東アジア共同体へ向けたロードマップ作りを任務とする.
とうなんあじあれんごう
ASA
東南アジア連合: ASEANの前身.61年にマラヤ連邦が提唱し,タイ、フィリピン、マラヤ連邦の3カ国をメンバーとして発足. とっけいぼうえきとりきめ
PTA
ASEAN Preferential Trading Arrangements 特恵貿易取り極め: 77年に導入されたASEAN諸国間の関税引き下げ合意.対象品目の関税率は最恵国待遇レートの半分となる. きょうつうこうかとっけいかんぜせいど
CEPT
Common Effective Preferential Tariff
共通効果特恵関税制度: 92年首脳会議で合意.AFTAの創設に向けPTAを発展・包括化させたもの.最終目標は域内貿易の85%.
いっぱんてきふんそうしょりめかにずむ
DSM
一般的紛争処理メカニズム: 95年首脳会談で合意. あせあんとうごういにしあちぶ
IAI
Initiative for ASEAN Integretion
ASEAN統合イニシアティブ: 域内の経済格差の縮小、ASEANの競争力強化を目的とする.
あせあんかくだいがいしょうかいぎ
ASEAN・PMC
ASEAN拡大外相会議:年1回、ASEAN外相会議に引き続いて開催。逐次域外国・機関(ダイアログ・パートナー)数を追加している。