中国の農村医療問題ノート

2004年12月

はじめに

去る9月,北京で世界反核医師の会総会があり,出席しました.朝から晩まで英語のレクチャーと討論が続き,頭はとうふ状態.そこに近郊農村の診療所見学ツァーがオプションで入ったので,観光気分で出かけました.

行先は,北京から北へ20キロほど,空港を越えてまた同じくらい行った所です.さすがの大平原もようやく山すそに近づき,蒙古へと連なる褐色の稜線がはるかに見えてきたあたりです.

診療所は,昔の結核療養所を思わせる古風な作りの2階建て.中国側が見学先に選んだだけあって,外観はそれなりに立派でしたが,一枚の掲示を見たとたんびっくりしました.会計窓口の脇に張ってある検査の定価表です.レントゲンならいくら,血液検査ならいくらという具合に,数十項目くらいの検査価格が表示されていました.

親切といえば親切ですが,日本ではあまり見かけません.これを見て,私は「あぁ,ついに中国の市場経済もここまできたか」と衝撃を受けました.

ところが,よくよく話を聞くと,話はそんなに甘いものではありません.そこに書かれた価格は患者一部負担を表しているのではなく,検査そのものの正味の価格なのです.つまり,中国の農村には医療保険というものが存在しないのです.

世の中では,日中国交回復30年とか言っていますが,私たち民主勢力にとっては,関係正常化からまだ数年です.私たちの中国に対する知識は1965年を最後に止まったままでした.恥ずかしながら,中国の,とくに農村の医療・社会保障問題は,知れば知るほど驚くことだらけです.

以下に,その勉強の一端を公開いたします.

1.中国農村の実態

A SARSの衝撃

昨年、SARSが世界各地で猛威を振るいました。その流行の本家となったのが中国です.香港や広東省に端を発したSARSは,5327人の患者を出し、そのうち349人が死亡しました.中国政府はSARS対策で「重大な勝利を収めた」と宣言したものの、深刻な教訓を残しました. SARSは中国語で「非典」と呼ばれます.非典型的という意味でしょうか?

SARS流行は,中国の伝染病管理体制の遅れだけではなく,衛生相が事実を偽って報告して被害を拡大したことなど,民主主義の根本に関わる情報公開の遅れを暴露しました.もうひとつ重大なことは,日本ではあまり報道されなかったのですが,SARS流行そのものが中国農村の深刻な立ち遅れを浮き彫りにしたことです.

朝日新聞(2003年5月31日付)の記事を紹介します.

以下は,その続報です.

これだけマスコミで宣伝されると,衛生省も黙っているわけには行きません.「農村地区の医療衛生への財政投入を強化する.今年の医療衛生費から30億元強を農村の公共衛生や医療に充てる」と発表しました.このうち20億元が、脆弱な農村医療設備緊急補充にあてられ、農民や出稼ぎなどの無料治療を行うこととなりました.

しかし,新聞記事を読むと,たんにSARSへの不適切な対処というだけではすまない,恐ろしいほどの事実が浮かび上がってきます.

列挙すると,@農民の医療費は全額自己負担! ASARS疑いで強制収容されても,医療費は自己負担! B医療費が最高800万円かかっても自己負担! C農村で,祈とうや魔よけを置く迷信が農村で流行! D3000万の農民が年収7000円以下の貧困層(しかもこれは過小評価との批判)! E「共産党にとって、人民の中に農民は含まれていない」との評価! 

はたしてこれらの指摘は事実なのでしょうか? 批判の中味があまりにも深刻です.

 

B 「三農問題」へのあいつぐ告発

実はこの批判,根も葉もない話ではないのです.SARSが問題になる前から,中国における農民の悲惨な状況については,いくつかの具体的な批判がありました.

ただ事実と違うのは,それが朱鎔基前首相の「三農問題を解決しよう」という呼びかけから始まったことです.三農問題というのは農業の問題,農民の問題,農村の問題という三つの問題です.ひと括りにすれば「農村問題」ですが,経済・技術的な側面,農民の貧困という社会的側面,農村をどう管理していくかという政治システムの側面から,総合的にとらえれなければならないというのが朱鎔基の主張でした.

この提起に応える形で,一通の手紙が公開され,多くの中国国民に農村の深刻な実情が明らかにされました.その手紙は湖北省監利県の李昌平郷書記が国務院の国家指導者にあてたものでした.手紙の中で李昌平は,「農民は本当に貧しい、農村は本当に苦しい、農業は本当に危ない」と訴えています.

そのあとに『中国農民調査』という本が発行されました.陳桂棣、春桃夫妻が,安徽省での2年間の調査取材をもとに,農民たちの真実の生活を描いたこのルポルタージュは,「多くの人々が涙を誘われずにはいられなかった」といわれます.

中国農村の問題は多くの関心を呼び,さまざまな文章が発表されたようです.ここではその中から,甘粛省平涼地方委員会組織部の張黎明という人の「農民は公民であるか」という文章の要旨を紹介します.中評網(http://www.china-review.com/)というサイトから拾ったものです.

この文章ではいくつかの驚愕すべき事実が指摘されています.@都市と農村の間には(経済格差だけでなく)身分,権利などの格差がある.A「農業戸籍」という制度があって,農民は農村に縛りつけられている.B国家の政策のもと,格差はいっそう拡大している.C農民には過重な負担が課せられている.などの項目です.

「三農問題」は,医療問題の背景部分を成す事項なので,次の章で触れることにし,以下はしばらく医療問題に的を絞って紹介します.

 

C 中国農村医療の実態

一口に医療問題といっても,医療費,医療供給,公衆衛生などがふくまれます.

現在、中国の保健医療が当面する大きな問題の一つは,都市と農村との著しい格差です。都市の保健医療サービスは殆ど先進国のレベルに達したのに、農村にはいまだに「貧困が病人を生み、病気がいっそう貧困を助長する」という現実があるといわれます.平均寿命にも全国平均と5年近い差があります.

@医療保障制度の欠如

今年11月,中国衛生部が農村医療白書を発表しました.その内容を新華社通信が伝えています.

日本でいえば厚生労働省にあたる衛生部が,みずから発表した「白書」でこう語っているのですから間違いないでしょう.このような農民たちは貧困そのものに他なりませんが,その数はどう計算しても億を超える数となります.

とくに病気と貧困の悪循環の問題は深刻です.病気や怪我に見舞われても治すに治せず,仕事ができずに貧困に陥ったり、貧困脱出家庭がまた貧乏に戻ってしまうことを,「因病致貧、因病返貧」と呼んでいます.「無銭看病、因病致貧」(病気になっても医者に行く金がない、病気によって仕事ができず貧しくなる)とも言うようです.

A医療供給制度の欠如

今年春の新型肺炎SARSの流行では農村医療衛生体制の不備が露呈されました.しかし問題ははるかに深刻です.

WHOの調査によれば,農村地域の医療環境は劣悪で、中国全土で約20%の農村で最低医療レベルにも達していません.医療費もヘッタクレもなく,そもそも医療が受けられないところも少なからずあります.

ある報道によれば,医療受けられない農村は6割に達するとされます.雲南省のある民族自治県では,157ある村のうち70%以上に医療用建物が無く、いんちき医者や無許可の "流しの医者"が横行しているそうです.

これはもともと医療施設がなかったのではなく,「従来の経済基盤にのっとった衛生医療サ−ビスシステムが,改革・開放の過程の中で崩壊」したためとされます.70年代末期から90年代後半に至る「改革・開放」の時代が,いかに地方に犠牲をもたらしたかが,あらためて痛感されます.

B公衆衛生制度の欠如

2000年に世界保健機関(WHO)が初めて世界191カ国の加盟国の衛生体制を比較調査しました.その中で中国は144位でした.GDPにくらべての劣悪さで,中国は群を抜いています.キューバがあの苦境と貧困の中で,世界に誇る公衆衛生水準を達成したのに比べれば,社会主義の看板が泣こうというものです.

中国では清浄水を飲めない人が約1億人、水道水を利用できない農民が4億人強とされます。さらに、農村地域での糞尿処理率はわずか28.5%と極めて低い水準です.

中国の衛生環境の劣悪さはただの劣悪さではありません.恐るべき地域の格差,貧富の差による格差をともなう劣悪さです.農村医業従事者は慢性的に欠如しています. 3000万を超える貧困者は、救急時に医療サービスを受けられない状況にあるとされます.

医療の貧困は、出産や新生児のケアーに集中的に示されています.そしてここでも地域格差が典型的に示されています. たとえば西南と西北地域の9省における妊婦の死亡率は17.7%、全国平均の5.6%の約2.8倍となっています.(パーミリの誤りであろう 筆者)

またそれは出産時の事故や遺伝病による障害児の出産率の異常な高さとなっても表れています。衛生部のデ−タによれば、中国は世界でも有数の障害児 高率出産国で、山西省ではその率が190/万に達しています。

 

C都市より深刻な高齢化問題

ないない尽くしのなかで,都市より先行しているのが高齢化問題です.のちに述べる戸籍問題はあるものの,都会で職を探せる若者は都会に出ていきます.現在、地方政府は仕事がある人だけ都市へ行くことを許可しています.「呼び寄せ」や挙家離村は禁じられているのです.

それは「一人っ子政策」による少子高齢化に拍車をかけて行くことになります.農村に残った高齢者を誰が扶養するのか?

 

 

2.都市・農村問題の背景と歴史的経過

経済・社会の二重構造化は,急速に発展する時代にあっては避けられないところがあります.中国の農村は,中国経済発展の影の部分です.

中国国民の健康状態が全体として改善していることは,各種の国際統計から見ても間違いありません.急性伝染病発病率は,1949年の革命前が10万人につき2万人だったのが,現在では10万人につき203.4人に下がっています.平均寿命は革命前の35歳から現在では70.8歳となっています.

ただ50年も前の状況と比べても,多くの人にはピンと来ないでしょう.あまりにもひどかったから革命が起きたのです.むしろ革命後の動きの中で,事態がどのように改善されてきたのか,そのなかでなぜ農村が取り残されていったのかを知ることが必要です.

 

A 中国農村における医療の歴史

新生中国における農村医療の歴史は、建国前の解放区における農民の互助共済制度に始まります.その後、56年に農業生産合作社が全国に設置されることになりました.これが人民公社の前身となるものです.

人民公社は,規定により各公社内に保健・医療所を設けることになりました.59年には,人民公社による医療供給を財政的に支えるために,「農村医療合作社」と呼ばれる農民の互助共済の集団医療制度が確立されました。合作というのは日本語で言うと「協同」という意味だそうです.

制度の骨子としては、人民公社の社員が年間1人1元程度を拠出し、治療費の全額または一部を保障してもらう仕組みです。また地方には「裸足の医者」と称される半農半医の保健要員が養成され、農村での軽度の疾病治療に従事するようになりました.そして中度の病気は公社病院で、重度の病気は、県や市の病院で診てもらう形態が作られていきました.

合作医療制度は、ピーク時の1970年代に、全国の農民の約9割が参加するまでに普及しました.その制度は人民公社などの集団経済組織が運営主体となっていました.

しかし,文革が終わり改革・開放の時代になると,人民公社が解体されてしまいました.

人民公社は文化大革命と毛沢東思想のシンボル的存在でしたから,つぶれるのは当然だったかもしれません.59年には農業生産が極度に低下、餓死者が続出しました。2年間で約1300万人といいます.たしかに世界的な天候不順もありましたが,人民公社制度がそれに拍車をかけたことも間違いありません.

岩手医科大学に留学していた姚鳳桐さんは,人民公社の害悪について次のように書いています.

しかしそれと同時に,人民公社のいわば目玉商品だった合作医療制度も崩壊してしまいました.そしてその後にはなにも残されませんでした.農民にとっては踏んだり蹴ったりです.

農村医療合作社の加入率は89年に全国平均4.8%にまで落ち込みました.生産請負制が実施され,財政的ストックが消滅し,運営資金の供給が途絶してしまいました.

現在はやや持ちなおしたものの,加入率は依然10〜15%という低い水準にとどまっています.中国農村の医療システムは最初からなかったのではなく,崩壊させられたのです.それでも昔のように物価が安いときにはよかったかもしれませんが,改革・開放以来、インフレのせいで医療費が高騰したため深刻な問題となっています.

現在農村において 医療保障を受けられる人は8人に1人にとどまり,多くの農民がすべて自己負担で診察を受けています.新たに組織されつつある「農村合作医療制度」も,いまのところ人口の9.5%しかカバーしていません.これが「人民中国」の現状なのです.

 

B 農村と農民の貧困化

@農村の貧困化は政府の責任

呉忠民によると,新中国成立以後,政府は農業部門から価格格差を通じて6千億元を収奪.徴収された1千億元の税金を加えると、34年間で、農業部門から国家が7千億元の資金を吸い上げたとされます.

農村医療は新中国実現以来ずっと収奪され続けただけでなく,50年代の大躍進運動と70年代の文化大革命により大きく傷つけられました.そして80年代の改革・開放時代には見捨てられてきました.それが98年ころからようやく反省の声が出てきて,いまやっと本格的に着手したという経過だろうと思います.

それは,医療のみならず農民の生活全般についても同様です.ここで最初に取り上げた張黎明の「三農問題」に関する主張に戻りましょう.@都市と農村の間には(経済格差だけでなく)身分,権利などの格差がある.A「農業戸籍」という制度があって,農民は農村に縛りつけられている.B国家の政策のもと,格差はいっそう拡大している.C農民には過重な負担が課せられている.などの項目です.

 

A農村の窮乏の実態

農村の窮乏をどう見るかは,政府・共産党と現場でかなりニュアンスが異なります.03年10月の中国共産党第16期中央委員会第3回全体会議では次のように述べられています.

ここまで問題意識ゼロの自画自賛をされると,どうも眉につばをつけたくなります.SARS疑い患者の逃亡事件,あいつぐ地方からの告発は,いづれもこの報告の後に起きたできごとです.

政府の宣伝とは逆の事実を描き出した報告も少なくありません.ある報告では,「市場経済化の進展とともに、地方財政が悪化しつつある.これにともない,農民の生活水準とくに教育・医療などの公共サービス面の水準が絶対的に低下しつつある」と述べています.

その内容は衝撃的です.「一部の地方では、村の財政が困難になったために学校が閉鎖された.先生は給料をもらえず,都会へ出稼ぎに行かざるを得ない.その結果,事実上の休校に陥ったところもある.義務教育さえ受けられない子供が増え、若い年代とくに女性の文盲率が上昇している」というのです.

姚鳳桐さんは,西部少数民族地域を例に挙げ,次のように報告しています.

B都市と農村との格差

都市住民と農民の収入の格差は、文革末期の1978年には2.3対1でした.この格差は1984年はいったん1.7対1に縮小しましたが,1999年になるとまたも2.65対1に拡大されました。

格差は収入だけでは測れないものがあります.都市住民には住宅、医療、社会保障など目に見えない利便があるのに、農民にはそれがほとんどないからです.したがって実際の格差はもっと大きいものになります。

都市と農村住民の医療費支出を見ると,愕然とするものがあります.都市住民が年間300元あまりを医療費として支出しているのに対し,農民はわずか87元です.農民が無保険で全額自費診療であることを考えると,その差はあまりにも歴然としています.しかも医療費の高騰は所得のわずかな増加をはるかに超える勢いです.

農民の収入も増えてはいます.たとえば2000年上半期の農民の現金収入は1.8%増加したとされます.しかし農産物価格の低迷から,その伸びはスローダウンし,都市と農村の生活水準の開きが大きくなっています.今年3月の全人代報告によれば,都市部住民の一人あたりの可処分所得が10%近い伸びなのに対し、農民の一人あたりの伸びは実質4.3%にとどまっています.

特に中・西部の農村は都市部と比べて十数年ないし数十年立ち遅れているといわれます。

 

C 農民貧困化の原因

@農村における相対的過剰人口

 

78年以来、中国における就労者数は3億人増えました.その増加のその過半数は,依然として農村就労者の増加によるものです.

同時に就職構造に大きな変化が生じました。以前と比べて、第一次産業の就業比重が下がり、第三次産業の増加が顕著です.これは農村における非農業就労者が増加したことを意味しています.その主な就労先は都市への出稼ぎと,郷鎮企業と呼ばれる地場産業です.

2000年末現在、郷鎮企業の従業員者数は1億2819万5000人に達しました.90年代以来、8000余万人が農村から都市に出て就職しました.

しかしなおかつ,中国の農村労働力は4億8200万人で、全国労働力総数の約70%を占めています.人口構成から言えば極端な農業国であり,発展途上国そのものです.

確かに農民の収入もわずかながら増大していますが,それは農業生産を通じてではなく,郷鎮企業の発展や出稼ぎの増加などによるものです.

農業生産の拡大とそれに伴う農産物の価格の下落がつづいています.農産物は潜在的に供給過剰の状態にあります.生産の増大が収入の増大に結びつかず、労働力の移転も困難なため、農民達の収入は伸び悩む結果となっています.

A農村に対する収奪強化

産業の近代化と経済の発展のためには,資本の蓄積が必要です.途上国にとってそのための財源は農村にもとめるほかありません.

これまで穀物や綿花の価格は政策的にコントロールされてきました。80年代半ばから都市部の開発が進むなかで、農産物に対する需要が高まりましたが、その価格は抑えられたままでした.いわばこの価格差が,農村部から都市部への所得移転として資本に転化していったのです.

急成長期に入ると資本はますます窮迫します.とくに海外に対する資金・技術面での依存強化は資金の自立的運用を困難にします.90年代に経済成長にもかかわらず農村社会の荒廃がすすんだのはこのためです.

97年から98年にかけて,アジア通貨危機を契機に中国経済は調整期に入ります.都市部にいても国営企業を中心にリストラの嵐が吹き荒れました.行き場を失った労働力が農業へ回流していきました.農村は景気調整の安全弁として利用されたのです.

その農村でも,郷鎮企業の倒産があいつぎ,地方当局は高額の負債を抱えることとなりました.実際,農村にとって改革・開放の20年は「やらずぶったくり」の20年でした.

B 戸籍制度と就業制度  

 

 

 

これまで見たように,農村における相対的過剰人口は都市部・工業地帯の人口吸収力が過少なことによるものですが,人口の移動は人為的にも抑えられてきました.その主要な法的手段が 戸籍制度と就業制度です.

新中国建国後の51年に作られた「都市戸籍管理暫定条例」と58年の「戸籍管理条例」 は,「転出の場合は、都市労働部門の採用証明書、都市への転入許可証を持って転出手続きを行うこと」と定めています.この条例は,労働力を農業に引き止めて食糧生産を確保し、物資が欠乏している都市への人口の集中を避ける狙いがありました.

この制度によって国民は農業戸籍と非農業戸籍に峻別されました.農村戸籍の人たちは都会に移住しても都市戸籍は取れません.農村戸籍の女性が都市戸籍の男性と結婚した場合,本人はもとより生まれた子どもも農村戸籍となります.つまり都市戸籍を持つ人間は少数のエリートにとどめ,その数を厳しく制限する方針だったのです.

文化大革命の時,「走資派」と名指しされた知識人やその子女が大々的に「下放」されましたが,それは都市戸籍の剥奪を意味していました.

それでも文化大革命までは農村の自力更正が目指されてきましたが,改革・開放以後は農村は収奪され放置されてきたわけですから,これらの制度は事実上アパルトヘイトと同じ意味になってしまいます.

それは実際,80年代に起きたできごとでも明らかになっています.84年に改革・開放の一環として農民の出稼ぎが許されるようになりました.農民が自ら出稼ぎに行くための資金を工面し、滞在中に必要な食糧を確保するという条件付です.このような厳しい条件をつけてさえ,「農民就労ブーム」が巻き起こりました.

この「早過ぎる流動化」にあわてた政府は,農村労働力の都市流入と出稼ぎを制限するさまざまな規定と政策を実行しました.その際,「戸籍のある土地以外では就業できない」とする時代遅れの制度がフルに活用されたのです.

それにもかかわらず都市部で雇用機会が増加すると、多くの農民が都市に出稼ぎに来るようになりました.中国の都市人口は5億人、農村人口は8億人と言われていますが,これは戸籍制度上の話です.推定1億人にのぼる農村出身の都市居住者に残ったのは不合理な差別だけです.

医療制度及び年金制度は「都市部限定」であり,農村戸籍者は就職、住宅、子どもの教育などあらゆる面で差別されています.義務付けられた暫住証を所持していないだけで浮浪者扱いされ、殴打死する例すらあるといわれます.

途上国には珍しく,上海、北京などの大都会にスラムは存在しませんが,それは「職なき農民は居住すべからず」という戸籍法の規定によるものです.決して誉められたことばかりではないのです.

 

4.農村医療改革への動き

 

もちろんこのような状況に対して政府が手をこまねいているわけではありません.農村合作医療制度の再確立を中心にさまざまな改善策が模索されています.「三農問題」解決にかける指導部の熱意は疑うべくもありません.

しかしなかには,読んでいて白々とした気持ちを抱かせるような文章も少なくありません.

 

A 農村合作医療制度

政府が農村医療問題を解決する決め手として期待しているのが「農村合作医療制度」です.これは農民の医療費、入院費などにに対して補助を行う医療保険制度で,2003年5月の「非典危機」をきっかけに実施されました。

農民が1人当たり年間10元を納め、地方政府も20元の補助金を拠出し、合作医療基金として運用するものです.当面はモデル事業として展開,05年より本格的に拡大を図り,10年までに全国すべての農村に普及させたいとしています(その後04年9月には1億人近くまで拡大).

これも農村地域ごとの財力により差があり,地域経済が発展している農村工業化地域においては,行政側も合作医療制度の導入に積極的です.例えばモデル県となった紹興県(紹興酒の産地)では掛け金25元とされていますが,農民の9割以上が加入.今年上半期は一人平均4回病院に行ったとされています.

ただ富裕農民は給付水準の低さに不満を持っているといわれます.また医療スタッフ側,特に郷村医生は、みずからの生活が脅かされる可能性から,合作医療制度を必ずしも全面的に支持していないといわれます.

これに対し農村貧困地域においては,財政面の理由から,行政側は合作医療制度の導入にあまり積極的でなく,上級機関からの指導に応えいやいや対応している感じです.いっぽう農民は,合作医療制度の導入に強い期待をいだいています.

総括的に言えば,導入にあたって最大の困難を抱えるのは地方政府であり,ここへの財政的・行政的支援が求められています.いっぽうで地方政府の制度に対する理解不足、公正性の欠如などについては厳しい批判が必要でしょう.いずれにせよ行政側の対応を最終的に決めるのは中央政府であり,中央政府の決意が大前提です.

 

B 農村の貧困をめぐる論争

03年3月,国家統計局副局長の邱暁華という人が農村からの告発に対し反論したことから,農村の貧困問題をどう見るかは政治的論争にまで発展しました.

邱暁華は、「総体的に見ると、現在の中国の貧富格差は合理的である」と言い切りました.なぜなら「中国は、農村部の人口が総人口の大多数を占める典型的な二元経済構造の国であり、ジニ係数という一般的な標準は当てはまらない」からだというのです.(日本のジニ係数はもっと高い)

この「貧富格差の現状合理説」はまったく不可思議な議論です.冒頭,「SARS問題で浮き彫りになった驚くべき事実」の一つとして挙げた「共産党にとって、人民の中に農民は含まれていない」との評価! というのは,まさにこのことです.

そもそも「経済構造の二元性」の程度を示すのがジニ係数です.こんな人物が国家統計局の副局長を務めているとは驚きです.

邱暁華の議論には,たちまちのうちに反論が集中したようですが,ここでは呉忠民の反論を紹介します.呉忠民は@中国における二元経済構造は、人為的に作られたものであり、不公正で非合理的な現象であること,A現在の多くの社会経済政策は、二元経済構造を維持、あるいは強化するためのものであることを,いくつかの数字を挙げて主張します.

ついでジニ係数そのものについて論じます.@中国現在のジニ係数は0.46以上である.Aこれには再生産費用も含まれており,それを除けば,都市部と農村部との格差は5対1以上に拡大している.これは世界トップである.B国民を五つの所得階層に分類すると,上位20%の所得は全体の51%以上を占めている.これに対し下位20%の収入は全体の4%に過ぎない.

そして「現在の中国社会における貧富の格差は間違いなく、正常と言える限度を超えている」と結論します.堂々たる反論ですがちょっとおとなしすぎる印象です.

 

C 絶対的貧困の根本的解決のために  農村政策の抜本的な見直し

 

北京大学中国経済研究センター所長の林毅夫が書いた「三農問題への処方箋」という文章は,なかなか説得的です.以下に要旨を紹介します.

中国経済の二重構造は,民間経済と国有経済、都市経済と農村経済という二重の二元経済という特殊なものである.90年代後半のデフレは、これらの矛盾の極限状況で起こったものと考えるべきである.

解決の方向は二つある.ひとつはますます先進産業を中心に輸出にドライブをかける方向である.しかし集中豪雨型輸出は国際関係を悪化させる可能性があるし,国内矛盾をさらに激化する.

もうひとつは内需拡大である.内需拡大にはふたつの方法がある.規制撤廃と民間産業育成の道,ひとつは農村経済の活性化の道である.規制撤廃と民営化推進は即効性があるが,投機的乱開発や金融バブルを誘発し,雇用の増大に結びつかず,貧富の差をますます拡大し社会矛盾をさらに激化する.

農村活性化にはふたつの形態がある,大規模開発を中心としたインフラへの投資,もうひとつは土地改良や生活環境整備などミニ開発への援助である.大規模開発は雇用を増やし地方政府を潤すが,多くはゼネコンのものとなり都市に回帰する.そして新たな失業者の群れを生み出す.なによりも膨大な資金が要求され,その回収には長期間を要する.

したがって,地元密着型,自立志向型のミニ開発を数多く取り組むことが望ましい.しかしその概念はいまだ漠然としている.目的による規定よりは資金形態による規定のほうが整理しやすいかもしれない.

ミニ開発においてはふたつの資金形態が考えられる.ひとつは行政の直接投資であり,もう一つは地元中小金融機関を通じての,市場原理に沿った間接投資である.地方政府を通じての資金提供は機動的ではなく,透明性が低い.その行政能力と清潔さには大きな疑問がある.

したがって地元金融機関への融資を通じた間接投資が望ましい.しかし中国の金融体系では、中小銀行が融資を行う基盤が整っておらず、これが最大のボトルネックとなっている。

中国の地方中小銀行は、90年代以降に各地の都市信用社を再編し発展させたものである。その規模は依然小さく,運営操作には規範が欠けており、未熟である.多くの場合,経営者そのものが地方政治における有力者であり,地方政府の行政コントロールを受けやすい環境におかれている.

地方の中小銀行が地方政府の「第二の財政」になってはならない.また現地の実際の状況を無視した無謀な融資を行うことも避けるべきである。

 

D 農民のために何をすべきか

北京師範大学経済学院教授の鐘偉はこういう題で文章を書いています.林毅夫がテクノクラートの立場から処方箋を提示するのに対し,鐘偉は若手の学者らしく,物事の本質にズバッと切りこんでいます.いささか性急ではあるが,その歯切れのよさには共感を覚えます.

以下に内容を紹介します.

鐘偉の考えを一言で言えば,中国が市場経済に移行するのなら農村も古臭い「社会主義」をすてて自由化すべきだということでしょう.ただ,結果として弱者である農民を裸で狼の群れの中に追いやることにならないか,その保障について聞きたいところです.

 

いずれにしても,政策議論をする上では問題の相対化が必要です.しかし思想としては「三農問題」を相対化することは許されません.問題を具体的に解決しようとする人間にとって,この視点は徹底的に貫かれなくてはならないでしょう.

もうひとつ,事態を前進的に解決するためには住民みずからの主体的努力が不可欠です.そのためには施策が住民の内発的要求に合致したものでなくてはなりません.住民の生活を注意深く観察し,住民の意見に充分に耳を傾け,住民に深く共感していくことが求められるでしょう.

岩手医大の中国人留学生は沢内村の経験に感動したと述べています.私たちも「三農問題」解決のための取り組みに学び,医療の原点に立つ姿勢を貫いて行くべきと実感しました.

 

参考としたサイト

 湖北省監利県の李昌平郷書記

この記事が掲載された要紘一郎さんのサイト,「現代中国で何が起こっているか」は一読の価値があります.

「中国農民調査」については,@に紹介が行なわれています.Aでは部分訳が読めます.

@http://www.eva.hi-ho.ne.jp/y-kanatani/minerva/Review/r20040703.htm

Ahttp://blog.melma.com/00090790/20040312201311

農村合作医療制度についての解説はとりあえず下記が簡便です.

http://www.utobrain.co.jp/china/2003/021800/

呉忠民 「貧富格差の現状合理説」を正す

張黎明 甘粛省平涼地方委員会組織部 「農民は公民であるか」

林毅夫(はやしたけおさんではない) 「三農問題への処方箋」

鐘偉 「農民のために何をなすべきか」

中国国務院 白書「中国の労働と社会保障の状況」については,全労連のサイトにある「世界の労働者のたたかい-中国」より紹介させていただきました.

李栄霞 中国経済の重点の中の重点である農民問題 

胡錦濤体制の三農問題対策については,これから勉強というところです.とりあえず日中関係研究所所長の凌星光氏による「胡温体制の特徴と中国の対外関係」と題する講演は大変よくまとまったものであり,ご参照いただきたいと思います.

また清水美和さんの「胡錦濤「親民路線」の目指すもの−農村の貧困に挑戦する中国−」という文章も分りやすく解説されており,参考になります.