中国の失業問題

 

A 経済発展と社会矛盾の増大,先鋭化

 

中国の経済は急速な発展をとげました.GDPはすでに10兆元(約150兆円)を超えました.貿易総額も世界第4位の8500億ドルに達しています.中国は今後もGDP成長率を7%台に維持し,2020年までに4倍化するとの目標を掲げています.

その一方で中国は少なくない困難を抱えています.一昨年の共産党第16回大会報告は,「農民と都市部の一部住民の収入増加が鈍化し、失業者が増大」し、「収入・分配関係はいまだ整えられるに至っていない」と指摘しています.少し古い資料ですが,世界銀行の98年のデータでは,中国の貧困人口の比率は18.5%に達しています.

経済成長は産業の近代化と合理化をともないます.従って経済成長がそのまま雇用の増大に結びつくわけではなく,ときには大量の失業者を生み出すことすらあります.

農村における潜在失業・不完全就業者は1億強とされます.これは農村部労働人口の1/5にあたります.また都市の失業者も一千万人を超え,失業率は3.6%と推定されます.01年に中国国務院が発表した白書「中国の労働と社会保障の状況」では,国営企業などから一時解雇されたもの2500万人,うち再就職できたのは3分の2といわれます.

この傾向はさらに悪化し,今後4年間に失業者は2,000万人を上回るものと予測しています.都市部および農村部の余剰労働力の総計は、2020年前後に約3億人になるという予測もあります.

 

B 政府の失業者対策の経過

@文革時代までの労働政策

新生中国の誕生以来,公式には中国に失業者はいませんでした.低賃金制度を前提として都市部の 「完全雇用」 を実現し,仕事を分かち合い貧乏を分かち合ってきました.

したがって失業保険制度に対する社会的なニーズはなかったのです.

A国営企業の合理化

それまで公式には失業者のいなかった中国で,改革・開放以後急激に大量の失業者が発生しました.農村部の潜在的失業者を除けば,その多くが国営企業の一時帰休・合理化に伴って発生したものです.「一時帰休」は本当のレイオフではありません.「下崗職工」 と呼ばれる一時帰休者は,ほとんど企業に復帰することはできず、再就職先を探さなければなりません.事実上は解雇と同義語です.

これに対応するため,86年に「国有企業職員の待業保険暫定規定」が公布されました.これが中国における失業保険制度の始まりとされます.

88年には,「国有企業における経営責任に関する暫定条例」が公布されました.これにより,国有企業は独立採算制をとり、自主経営と雇用自主権を持つことになりました.94年には労働法が公布され,これにもとづく国有企業余剰人員配置規定が施行されます.これらの措置により失業率が3%を突破します.

90年代の後半にデフレ傾向が強まると,都市部の貧困人口が爆発的に増大しました.失業者と下崗職工を中心とする新しい都市貧困層が形成されるようになりました。その数は3千万人にものぼり、都市人口の6%,都市戸籍人口の10%を占めます.ただし,都市に限定すればこの失業率は世界標準並みともいえます.

一時帰休者(下崗職工)については,張紀潯氏の論文「中国都市部の貧困問題と最低生活保障制度」に詳しく述べられています.

 

B朱鎔基改革

98年3月の全国人民代表大会で国有企業・金融・行政の三大改革方針が採択されました.この時首相に選ばれた朱鎔基は、「三年前後で改革をやりきる」と公約しました.なかでも国有企業の難局脱出が緊急かつ再優先の課題です.

リストラの徹底が再建成功の鍵を握ると見た朱鎔基は,従来の微温政策を放棄し「三条保障線」政策を打ち出します.

「下崗労働者(一時帰休者)が再就職した後は、元の企業との労働関係を解除する.三年経っても再就職していない一時帰休者も、元の企業との労働関係を解除する.そして社会保険機構に移され失業保険金を受け取る。二年間の失業保険受給後もなお就職していない場合、民生部門に移され都市部住民の最低生活費を受け取る.」 こととなりました.

これを機に終身雇用制度が最終的に崩壊しました.完全失業者が急増しました.この年の失業者数は約2千万人に達しました.

国有企業改革を成功させるためには,失業問題について解決策を打ち出すことが決定的な鍵となりました.それが新しい失業保険制度です.

この朱熔基改革の経過を分析することは,社会保障制度と失業・貧困問題を理解する上で不可欠なものと思われますが,まだ勉強不足です.とりあえずジェトロ「中国経済」1999年5月号をご覧下さい.

 

C失業保険条例の制定

99年,国務院により「失業保険条例」が公布されます.もはや「待業」などというあいまいな名称ではありません.これには農村部の郷鎮集団企業、外資企業、私営企業の労働者もふくまれる包括的なものです.

各地方政府が失業者に対して社会的な救済を行うこととなりました.失業保険の対象者は、国有企業の従業員だけでなく都市部の全労働者に拡大されました.

失業保険は「広く浅く」を原則とし,「現地最低賃金以下、最低生活水準以上」の間を維持することを目標としています.給付水準はきわめて低いが,基金の残高が少なく、失業人数が大変多い状況ではやむをえないところがあります.

 

C 社会保険制度の概要

中国の社会保険制度は、日本などと比べると特殊です.それは社会保障制度の一種であり、社会保険以外に貧弱者・障害者・被災者の社会救済、社会福祉なども含まれます.

失業保険

2003年末現在,失業保険の加入者は全国で一億人あまり.これに対し受給者の総数は742万人程度.失業保険基金の支出額も200億元を超すに至っています.受給資格は、1)失業保険費を1年以上納付していること、2)本人の意思によらない退職であること、3)失業登録手続きを行い再就職の意思があることの3つです.

掛け金として,企業が賃金総額の2%、本人も賃金の1%を負担することとなっています.

年金制度

中国の年金制度は養老保険と呼ばれます.これもまた改革・開放以前には全額企業から給付されていました.しかし、国有企業の閉鎖、休止、合併、民営化が進められた結果支給が困難になったのです.

加入者が1億人を超え、定年退職者が3346万人ということで,現在は比較的順調に運営されているようですが,年齢構成の変化から見て,比較的早期に厳しい時代を迎えることが予想されています.

このほか労災保険,出産保険などもあるが省略.高齢者・児童福祉・障害者福祉も省略.

都市貧困者に対する対策

98年に都市貧困者数は3100万人に達しました.この数字は,下崗職工が約900万人、都市登記失業者が約600万人、年金未受給または額減者が60万人とされ,一人当たりの扶養者数を二人として推計したものです.

これに対し,社会救済金を受給する「民政対象者」はわずか19万人(0.06%)にすぎません.「民政対象者」の適用は,労働能力の欠如,過去における勤務先の欠如,扶養義務者の欠如という「三無政策」で厳しく制限されています.このため,多くの都市貧困者は,政府も企業も家族も責任を持たない「三不管」という困境に追いやられています.

この厳しい基準をパスした「民政対象者」についても,給付水準は都市住民平均の25%で,最低生活を送ることすら不可能な劣悪なものです.これは根本的には,社会救済経費が国家予算の0.03%に過ぎず,圧倒的に低いことによります.

中国と支部貧困者への対策には「民政制度」とは別に「都市最低生活保障制度」というものがあります.ただこの違いは張紀潯氏の論文を読んでもよく分りません.

90年代初めからスタートしたようですが,本格的に稼動し始めたのは98年あたりからのようです.この年「都市最低生活保障制度」関連の予算は前年度から一気に4倍化しました.02年には96年と比べ実に33倍の予算が振り向けられています.

これにともない「都市最低生活保障制度」の受給者も約二千万人となり,96年の23倍に増えています.都市貧困者数が推定三千万人とすれば,その2/3をカバーしたことになります.

ただし,この話にはからくりがあるようで,市場経済移行期の措置である再就職サービスセンター制度が廃止され,都市最低生活保障制度に一本化されたというのが事の真相のようです.これまで一時帰休者は再就職サービスセンターで管理されてきましたが,再就職するあてもない人たちをいつまでもごまかしていくわけにも行かなくなり,ただの失業者・貧困者と同一カテゴリーに編入したという経過のようです.

 

さいごに

不十分で中途半端な解説になってしまいましたが,全体のあらまし,これまでの流れというものはお分かりいただけると思います.

総じて,新中国が成立して以後の社会主義的諸制度は,文化大革命の中で崩壊し,改革・開放の中で放棄され,90年代の後半に入ってはじめて,本格的な構築が始まったという風に考えられます.大事なことは,中国指導部の社会保障制度確立にかける決意が並々ならぬものであるということです.

私たちの多くは,文化大革命の所で時計が止まってしまっていて,情報がほとんど途絶えていました.今後,中国の発展のなかで社会保障制度が社会主義の名にふさわしく発展していけるのか,注目したいと思います.

 

張紀潯氏の論文「中国都市部の貧困問題と最低生活保障制度」を参考にさせていただきました.

朱鎔基改革については,ジェトロ「中国経済」1999年5月号を参考にさせていただきました.