1.トービン税について

@ トービン税は妖刀村正だ

(1)金融危機対策の費用を賄う(国際的な金融機関の破綻に備える)

(2)通貨に対する過剰な投機によって引き起こされる通貨危機を防ぐ

(3)発展途上国などの発展支援の財源を賄う

などの観点から導入が検討されている。

現在の感想としては、いろいろ手垢がついたが、原理としてはオリジナルのトービンの考えが一番すごいということだ。

来年のはじめから実施される11カ国の金融取引税も、迂余曲折の末ではあるが、当初のトービンの発想にかなり近いところがある。

一言でいえば、オリジナルのトービン税は「妖刀村正」だ。これがあるだけで投機資本家は夜も眠れないだろう。トービンは大変な時限爆弾を残していったと思う。ボンバーゲームの爆弾みたいに、時間とともにどんどん大きくなってくる。

A トービン税はキワモノではない

それだけに投機資本家からの攻撃も凄まじいものがある。一番多いのは、トービン税をキワモノ扱いして、そんなもの出来っこないよと批判するやり口 だ。ところが「出来っこない」と思っていたのが、金融グローバリズムが進行するに従って、妙に現実的可能性を帯びてきた。これが「妖刀村正」たる所以だ。

それに、そもそもトービン自身が決してキワモノではない。おなじノーベル賞受賞者でもスティグリッツなどは結構怪しいところがある。しかしジェーム ズ・トービンは一点の曇りもない正統派の経済学者だ。ハーバード大学を卒業した後、計量経済学者としてケインズの一般理論を数理的なモデルで構築した。ア メリカ経済学会会長も勤めている。「q 理論」は素人にも分かる古典的セオリーだ。ノーベル賞の対象となったのは、いまや投資家のイロハとなっている「ポートフォリオ理論」だ。

だから、誰もトービンをキワモノ扱いはできない。

B トービン税は「税」ではない

第二には、トービン税は税という形をとっているが、本質的には税ではなく投機資本の横暴を阻止するためのツールだということだ。だからトービン税を 批判するときには、租税体型の中の位置づけとか、実行可能性の問題で批判するだけでは済まないのだ。投機資本の横暴を阻止すべきなのか、放置すべきなの か、もっとやれとけしかけるのか、という信条告白をしないと議論に参加できない仕掛けになっている。でないと切ったつもりが切られているという仕儀に相成 る。

第三には、トービン税は世界通貨、ケインズのバンコールに直接つながっているということだ。トービンは究極的には世界通貨の実現=為替制度の廃止以 外の解決策がないということを明確にしつつ、そこに至る過程での過渡的制度としてトービン税を位置づけている。投機資本家にとって地獄への道は敷き詰めら れているのだ。(すみません。ここのところは勉強不足でうまく説明出来ません)

2.トービン税が発表されてからの経過

@ 英ブラウン首相の「金融取引税」提案

トービン税は長いことお蔵に積まれてきた。ふたたびオリジナルな意味で注目を浴びたのはリーマンショック以来のことだ。それまでは国連の開発機関と かATTACというNGOあたりが「利益の分前を」という形でトービン税の枠組みを利用してきた。しかしトービンにとっては税収をどう使うかなどはどうで も良い問題だった。そんな形で投機資本と共存しようなどとは考えていなかった。

もっとも目に付く形で、思想としてのトービン税をふたたび押し出したのは、皮肉なことに、ロンドン市場のお膝元で、今や反対の急先鋒となっているイギリスの首相ブラウン(当時)だった。

彼は、「好調時は少数の金融機関が利益を享受し、破綻時の損失は国民が負担するというのは許容できない」と、投機的金融機関を糾弾した。そして金融 機関のガバナビリティーを問い、その証として、国際金融機関が自己資本を許可するだけでなく、みずからの破綻を防ぐための準備をもとめた。

そしてそのため の積立財源として金融取引税の実施を提唱した。ブラウンの思想性は一連の各国首脳発言のなかで際立っている。もっと注目されるべきだろうと思う。

A トービン税を可能にした情報革命

もう一つの皮肉は、トービンの提唱から40年を経て飛躍的な発展を遂げた情報化社会が、逆にトービン税の実現可能性を高めたことである。

トービンの 提唱の1年後、国際銀行間金融通信協会(SWIFT)が設立されて、為替取引のすべてが捕捉可能となった。2002年には常時接続型決済銀行(CLSB) が設立され、オフショア取引やデリバティブも補足可能となった。

もはや投機資本は、ボストンの監視カメラの前に立つ爆弾犯人のように、その姿をコンピュー タの前に晒さずには活動できなくなっている。トービン税を実施するための技術的障壁は消失した。

B 11カ国で「革命」を始められるか

いま最後の難関が目前にある。はたして11カ国で「革命」を始められるかという問題だ。80年代にスエーデンは取引税を単独実施し、甚大な被害を被った。はたして11カ国はその轍を踏まないで済むのだろうか。

シュパーンは金融取引税の税制を二段階化することで、一部の国からでも実施可能だと論じている。欧州中央委員会は、拠点主義(取引が発生した所で徴税する)の採用と、すべての高速取引に包括的に網をかぶせることで、11カ国からのスタートは可能と判断している。

実施が予定される来年の1月1日を前に、全世界が固唾を飲んでいる。

 

トービン税・金融取引税に関する年表

トービン税の提唱

1972年 ニクソン・ショックが発生。ブレトンウッズ体制が崩壊し、変動相場制に移行。為替相場に投機資金が参入。各国の経済政策が大混乱に陥る。

1972年 エール大学のジェームズ・トービン、「投機目的の短期的な取引を抑制するために、国際通貨取引に低率の課税をする」ことを提案。「トービン税」と呼ばれるようになる。 

1973年 ブリュッセルで国際銀行間金融通信協会(SWIFT)が設立される。世界各国の金融機関などに通信メッセージ・サービスを提供。このシステムの導入により、為替取引の特定とその課税に必要なすべての要素が技術的に捕捉可能となる。

1978年 トービン、@国際金融システムの不安定化の原因は、為替制度自体ではなく民間金融資本の過剰な流動性にあると強調。A短期の投機的金融 取引は実体経済に苦痛を与えるものと非難。B解決策として世界共通通貨を提唱、それまでの次善の策としてトービン税を位置づける。

トービンは税収については特別の配慮はしなかった。税収は「副産物」であって、IMF や世界銀行と徴収した国とで分け合えばいいと考えていた。

(世界通貨=バンコールについては 2011.10.15 バンコールとITO 経済民主主義の復権に向けて を参照されたい)

1984年 スエーデン、株式・債券に課税。金融不安と株価暴落をもたらし、91年に課税を廃止する。課税対象が国内に限定されていたため、多くの金融機関が海外の仲介サービスを利用するなど、制度設計上の問題が指摘される。以後、トービン税は実行不可能として忘れ去られる。

国際連帯税としての復活

1992年 欧州通貨制度(EMS)への投機筋の攻撃。スペインは通貨投機に対抗しその固定為替レートを維持するため,中銀預託金規制を導入。外貨増加分相当額の自国通貨を1年間,中央銀行に無利子で預託させる.多くの迂回取引を生じたことから、効果は限定的だったとされる。

1994年 国連開発計画(UNDP)、人間開発のための財源として、国際為替取引税に注目。0.05%の課税で年間1500億ドルが調達できると主張。初めてトービン税を国際連帯税として位置づける。

1995年 フランクフルト大学のシュパーン(Spahn)、トービン税の問題点を 指摘。税率の低下とデリバディブなどへの包括課税を骨子とする修正案を提示。さらに投機的な取引への課徴金をふくめることを主張。これにより数カ国単位で も租税回避をもたらすことなく実施可能と主張する。

1996年 国連のガリ事務総長、国連の財政基盤確立のため国際金融取引やグローバルな通貨取引税を提唱。

1996年 シュパーン、二段階課税方式を提唱。平時には0.1%とし、税収を貧困撲滅のための資金とする.通貨危機時には税率を80%まで引き上げ、取引で利益を上げられないようにするというもの。

1997年 アジア通貨危機に始まる国際通貨不安。為替相場安定策の一つとして、トービン税にふたたび注目が集まる。

1998年 フランスでATTAC(Association for the Taxation of financial Transactions for the Aid of Citizens) が結成される。

1999年 カナダ議会、「国際社会と協力して金融取引に課税すべき」との提案を採択。

1999年 日本で有価証券取引税、取引所税(先物とオプション取引)が廃止される。90年代はじめには8千億の税収となっていた。

2000年

1月 イギリス下院が、政府に金融取引税の検討をうながす決議。

4月 ヨーロッパ議会が、金融取引税導入の「具体的条件」を検討するが、決議案は僅差で否決される。

2001年 フランス議会、「EU域内のすべての加盟国が賛同する」ことを条件に、トービン税の導入を決議。

2001年 イギリスのNGO「欠乏との戦争」(War on Want)、「ロビン・フッド税」を提唱。通貨取引に0.1%の課税をもとめる。

2002年 世界主要銀行のための単一の国際決済機構としてCLS(Continuous Linked Settlement Bank)が設立される。オフショア金融センターもタックスヘイブンも参加せざるをえなくなる。これによりオフショア取引やデリバティブも補足可能となり、金融取引税の技術的困難はほぼ消失。

2004年 ベルギーの国会がトービン税法案を可決。通常時の税は0.02%、異常時は80%とする二段階税率を採用。

2005年 シラク大統領、世界経済フォーラムで演説。国際金融取引をふくむ国際連帯税を提案する。

2008年

リーマン・ショックと投機資本への懐疑

10月 リーマン・ショックが発生。欧州各国銀行が破綻の危機。EU加盟国は金融機関救済のため4.6兆ユーロの支援。この結果政府の公的債務が対GDP比80%以上に達する。また通貨取引以外にもデリバティブなど危険な金融市場が数多く存在していることが明らかになる。

2008年 日本で、国際連帯税の創設を求める超党派の議員連盟が発足。

国際連帯税: 投機抑制を目的とせず、市場活動の障害とならないようきわめて低い税率で課税する方式。通貨取引開発税とも呼ばれる。

2009年 日本で税制改正大綱に「国際連帯税の検討」が盛り込まれる。

2009年

8月 英国金融サービス機構のターナー会長、バブル再燃の懸念があるとし、肥大化した金融セクターの縮小と金融取引税の導入を提唱する。政府は火消しに躍起となる

9月 リーマン・ショック後の経済危機の中、ピッツバーグ・サミットが開催される。「銀行システムの修復のために各国政府が負担を負った。これに対し金融セクターがどう貢献するか」を検討することで合意。

10月 ブラジル、金融取引税を導入。外国人のレアルでの株式・債券投資に2%の取引税を課す。過度の外貨流入を制限することにより、レアル値下がり効果を期待したもの。

11月 イギリスでG20会議が開かれる。「強固で持続可能かつ均衡 ある成長のための枠組み」を導入することで合意。ブラウン首相は、「好調時は少数の金融機関が利益を享受し、破綻時の損失は国民が負担するというのは許容 できない」と述べ、国際金融機関の破綻に備えるために金融取引課税を提唱。フランスが支持するが、アメリカ、カナダ、ロシア、IMFが反対し流産。

12月 EU首脳会議でもトービン税が話題となる。フランスは途上国の環境問題に当てられるべきとし、イギリスは金融危機に備える基金として積み立てるべきと主張。

2010年

4月 BISが外国為替の取引額を発表(3年に一度)。一日あたりの取引総額は約5兆ドル。ロンドン市場が4割のシェアを占める。トービン税が提唱された頃は年間4兆ドル。

5月 米株式市場でフラッシュ・クラッシュが発生。わずか数分の間にダウ平均が1000ドル近く下落する。高速取引が原因とされる。

高速取引については、12年5月31日「高速取引とは何か?」、「高速取引と株式市場の荒廃」と6月7日「株式市場はいまや賭場」を参照されたい。

6月 トロント・サミット。金融システム修復に関する政府負担を金融セクターが補償する原則で合意。金融取引税についてはIMFの強硬な反対で流産。

10月 欧州委員会、金融セクターへの課税構想を発表する。金融取引税ではなく、金融機関の利益に課税する方式が望ましいとの見解を示す。

@リスクの高い取引を続けた結果、破綻に追い込まれ、公的救済を受けた金融機関に対し、公正な税負担をもとめる。A実体経済に資することのない金融取引へのインセイティブを抑制する。ことを柱とする。

2011年 

金融取引税の現実化

6月 欧州委員会、金融取引税方式に復帰。金融機関による景気回復の費用負担、高リスクで非生産的な金融取引の抑制を目指す。

9月 欧州委員会は加盟27カ国に対し、共通基準での金融取引税導入に向けての準備を指示。14年1月からの実施を目指す。イギリスなどはこの方針に強硬に反対。

EU全体で570億ユーロの税収をめざす。税収の2/3がデリバティブ、そのうち8割が金利スワップなど金利関連デリバティブ取引から見込まれる。 同時に域外流出や課税回避によりデリバティブ取引が9割減少すると見込まれる。これによりEU域内GDPは0.5%減少すると試算。

11月 カンヌ・サミットが開催される。ビル・ゲーツ、金融取引税を提唱。株式へ0.1%、債券へ0.02%の課税を求める。英、米、カナダの反対で宣言には盛り込まれず。

2012年

1月 フランスのバロワン経済・財政・産業相が「金融取引税については、株式だけでなく、債券やデリバティブを含むあらゆる証券を対象としたい」との考えを示す。

3月 フランスで、金融取引税の導入をふくむ補正予算が成立。為替取引を対象から外し、株式の取得、国債CDS、高頻度取引に限定。

5月 欧州議会、欧州委員会の提案を採択。

7月 EU財務相会議。EU全27カ国の合意をとることに失敗。「強化された協力」(Enhanced Cooperation) グループ11カ国での見切り発車となる。(ベルギー、ドイツ、エストニア、ギリシャ、スペイン、フランス、イタリア、オーストリア、ポルトガル、スロベニア、スロバキア。 すべてユーロ圏)

8月 フランス、金融取引税制度による課税を開始。企業は株式の現物取引から手を引き、差額決済契約を利用する方法で課税逃れを狙う。

12月 グローバル金融危機以降、米国・日本・欧州連合(EU)の中央銀行が供給した通貨が5兆ドルに達する。

2013年

1.22 ヨーロッパ11か国の蔵相が金融取引税の導入で合意。すべての株、債権取引に0.1%、デリバティブ商品の契約に0.01%課税する。

域外逃避を防ぐために拠点主義をとり、11カ国金融機関と関係した域外国の金融機関も対象となる。(例えば、中国銀行のシンガポール支店が米国の機関にフランス国債を販売すれば、この銀行はフランスに税金を送金しなければならない)

1.30 韓国政府企画財政部の崔鍾球国際経済管理官、「短期海外投機資本を規制するために、できるだけ早く韓国型の金融取引税を導入しなければならない」と述べる。

2.14 欧州委員会、EU加盟国のうち11カ国による金融取引税の導入で合意。

9月末までに各国が法律を整備し、14年1月より実施することとなる。取引税の導入で傘下11カ国で年間300億ユーロ以上の税収を見込む。

2月 

トービン税をめぐる内外の動向 - 国立国会図書館デジタル化資料

を中心に各種資料を参考にして作成。