世界の若者たちはいま
はじめに
札幌の若手歌人で山田航さんという人がいる。「さよなら バグ・チルドレン」という歌集を出している。
世界の若者たちはいま
はじめに
札幌の若手歌人で山田航さんという人がいる。「さよなら バグ・チルドレン」という歌集を出している。
その中から幾つか紹介しよう。
いつだって こころと言葉を結ぶのが 下手だね どうしても固結び
世界ばかりが輝いてゐて この傷が痛いのかどうかすら わからない たぶん 親の収入超せない僕たちが ペットボトルを補充していく 鳥を放つ。 ぼくらは星を知らざりし犬として 見るだろう 夜空を 打ち切りの漫画のやうに 前向きな言葉を交はし 終電に乗る 地下鉄に轟いたのち すぐ消えた叫びが ずっと気になってゐた いつも遺書みたいな喋り方をする友人が 遺書を残さず死んだ 雑居ビル同士のすきま 身を潜め 影が溶け合う時刻を待った |
若者の情念を見事に切り取っているようにも見える。
しかしそう感じてはならないのだ。理由は二つある。
世界は決して貧しくはなっていない。貧富の差が広がっているだけなのだ。若者が苦しむのは理不尽なことなのだ。
わかものは「星を知らざりし犬」のままではいけない。「暁星を知れる人」として東の空を見つめなければならないのだ。
もう一つ、若者は決して黙ってはいない。世界で若者たちが行動を起こし始めている。そして理不尽な世界を切り裂き始めている。
世界は若者の力で大きく変わりつつあるのだ。
1.世界はますます豊かになっている
山田さんは「たぶん 親の収入超せない僕たち」とあきらめているようだが、そんなことはない。世界のGDPはすごい勢いで伸びているのである。下の図で見ると、この20年で実に3倍化しているのだ。つまり、世界は豊かになり、日本も、少なくとも貧しくはなっていないということだ。
なのに庶民の暮らしは貧しくなっている。誰かが富を独り占めし、あまつさえ庶民の取り分すら奪っているということだ。他に考えようがない。
2.庶民の暮らしはますます苦しくなっている
所得が減ったのは給料が減ったからだ。
詳細は省くが、非正規の多くは女性のパート労働であり、正規の減少による世帯所得の目減りを主婦のパートで補っている(補いきれていないが…)のが実態だ。
要するに、庶民の暮らしが悪くなったのは甲斐性が悪いからではないのである。
3.若者がしわ寄せを受けている
A. 学生の生活費
下宿学生の仕送りが1日あたり937円しかないという記事が最近評判になった。これは東京を中心とする5県の大学の話。下宿学生の仕送りが平均で8万9千円。これから家賃を除いて30で割った数ということだ。固定経費は引いてない。
ネットで調べると、次のような記事が見つかった。
東京都の場合、敷金2ヶ月、礼金2ヶ月、手数料1ヶ月、先払い家賃1ヶ月で、通常6ヶ月分かかります。月々の費用については
電気・水道・ガス・携帯・ネット・NHK・奨学金返済・国民年金・国民健康保険で以上固定費が4万円ぐらいです。とある。これで8万円はかるがる突破だ。
学生さんなら払わなくていい金がだいぶありそうだが、937円は決して毎日の小遣いではないということだ。しかも学生の半分はこれより低いのだ。
B. 子供の夢は正社員
子供に「大きくなったら何になりたい?」と聞くと、「正社員」と答えるそうだ。
理由はこれだろう。
このグラフを生涯賃金のモデルと仮定すれば、正規雇用の生涯賃金が2億2千万円、非正規では1億2千万円となる。しかも現役時代の賃金は年金給付額に反映されるため、格差はさらに拡大する。
それでその差額1億円あまりは企業の懐に入るという仕掛けになっている。
政府は「就職の選択の幅が広がる」というが、これは選択以前の問題だ。
なぜ、「たぶん 親の収入超せない僕たち」なのかというと、企業の横暴に「ノー」を突きつけずに、最初からあきらめているからだ。「雑居ビル同士のすきま 身を潜め」ているからだ。
4.世界の若者はもっと厳しい
日本の若者は、いまのところ将来への不安におののいている段階だが、世界はもっと厳しい。
国際労働機構(ILO)の13年の調査では、世界の若年失業者数は7340万人、失業率は12.6%に上昇している。
とくに先進国・欧州連合における若年失業率は、過去20年間で最も高い18.1%となっている。若年就業者のうち、パートタイム雇用が25.0%、臨時雇用が40.5%を占めている。
ここでは中でも最悪の国ギリシャの例を上げておこう。
ギリシャは08年のリーマン・ショックと、それに続くユーロ危機のなかで6年以上も続く景気後退の中にある。実質GDPは24%減少した。不良債権は融資全体の38%に達している。標準家庭(夫婦に子供二人)の平均年棒は約200万円、若者の初任給は6万円にとどまる。公務員の給料は過去2年でおよそ30パーセント削減された。
ちなみに、アテネのいわゆるワンルーム・アパートは最低でも3万円と言われる。
わずか350万人の就業者が、失業者など470万人を支えなくてはならない。ギリシャ280万世帯のうち 230万世帯が税金を滞納している。今年初めのデータで、失業率は26.7%、若年層の失業率は60.4%に達している。大学卒業生の3人に1人はギリシャで失業中である。卒業生の9パーセントと、PhD保有者の51パーセントが国を去った。
なぜこのような暮らしをしなければならないのか。銀行を救うためである。(この点に関しては別書を当たられたい)
この話はギリシャだけではなくユーロ圏諸国に共通のものである。
去年の5月のデータで、若干古いが、今も基本は変わっていない。非正規もへったくれもなく、とにかく仕事が無いのである。失業者の実数は1938万人、労働人口の1/8だ。そしてそのしわ寄せは若者に集中しているのだ。
いつ暴動が起きてもおかしくない状況であり、いったんことが起これば、これらの国はモラトリアムを発動し、ドイツの債券は回収不能となり、ユーロ圏発の大恐慌が予想される。文字通り薄氷を踏む状態にある。中欧が風邪をひくと南欧は肺炎になる、こういう関係が経済的な支配構造の中で形づくられた。そうすると地中海を渡ったマグレブ(北アフリカ)諸国は危篤状態に陥る。
これがリーマン・ショック後の流れであり、11年のアラブの春へとつながっていくことになる。
5.2011年、世界は爆発した
2011年、世界中で抗議運動が広がった。それはすごい年だったのだ。
日本では東北大震災と福島原発事故で、それどころではなかったから、世界の動きを見過ごしていたのかもしれない。
今さらながら、2011年を振り返ってみよう。
A.アラブの春
2010年12月にチュニジアで失業青年が焼身自殺した。背景に就職難と高物価があった。これを機に激しい大衆デモが爆発。政府を追い詰める。大統領は国外亡命、「ジャスミン革命」が成功した。
1月25日にはエジプトの若者の行動が始まった。そして30年も続いたムバラク政権が倒された。
2月にはいると、チュニジアに続き中東諸国では一斉に政府を揺るがすような大抗議行動が起こった。
モロッコでは数千人がデモ。国王の権限縮小をもとめる運動が高揚した。リビアではカダフィが徹底弾圧の姿勢を示したため内戦に突入した。
レバノンでも政権批判デモ。平等な社会実現などを要求する。ヨルダンでは6千人が参加する最大規模のデモが行われ、内閣は総辞職した。
タハリール広場の大集会
ペルシャ湾沿いの産油国でも民主化をもとめる抗議行動が続発した。これらの国では政府側が武力行使をためらわなかった。オマーンでは、デモ隊が主要港への道路を封鎖。警官隊との衝突で死者6人を出した。バーレーンでは真珠広場の集会が警察と衝突。死者2人を出している。
これだけの運動が11年2月のわずか1ヶ月の間に起こった。政府のいくつかは打倒され、いくつは首班の交代にいたり、多くの政府が屋台骨を揺さぶられた。まさに激動の時代である。
闘いはそれでは終わらなかった。8月にはリビアの反体制派が首都を完全制圧した。さらにイエメンのサレハ大統領も辞職に追い込まれた。モロッコは立憲君主制に移行し、サウジでは女性参政権が認められた。クエートでも首相の辞職があった。シリアでは今もなお闘いが続いている。
アラブと対立するイスラエルでも、空前の抗議行動が盛り上がった。9月には40万人のデモが行われた。
B. アラブ以外の地域での闘い
同じ2月、若者の抗議の嵐は地中海を渡った。ギリシャで全国規模の24時間ストライキが決行された。政権退陣を求める青年たちが国会に押し寄せ、機動隊と衝突。パパンドレウ政権は退陣を余儀なくされた。
イタリアではベルルスコーニ首相の買春疑惑に抗議。辞任求め百万人デモが展開される。その後ベルルスコーニは退陣に追い込まれた。
ベルギーでも「政府不在」の状態に5千人の抗議デモが行われた。クロアチアでも反政府デモが行われ、1千人が警官隊と衝突した。
これらの動きは環地中海地域にはとどまらなかった。
2月、インドでは食料高騰と汚職に抗議する数万人のデモが行われた。バングラデシュでもデモ隊と警官隊が衝突している。旧ソ連のアルメニアでも首都で1万人超がデモを行っている。アルメニアの総人口は300万人だ。
アメリカではウィスコンシン州で予算削減策に反対する労組デモが行われた。これは全米に広がりすべての州で抗議行動が行われた。とくにオハイオ州では予算削減に反対する10万人集会が開かれ、その力で住民投票の実現とその勝利へ導いた。これはオキュパイ運動の一つの伏線となっていく。
ブラジルでも物価上昇に抗議し最低賃金の引き上げをもとめる運動が発展していく。これは翌12年6月の大抗議運動へと発展していく。
C. オキュパイ(乗っ取り)闘争の始まり
5月15日にはスペインのマドリードの広場でオキュパイ闘争が始まった。この運動はエジプトのタハリール広場の占拠闘争に学び、非暴力ではあるが非合法な手段をふくめ、ぎりぎりの方法で不服従の意思を示すものであった。
ストライキも企業活動に対する妨害行為であり、もともと「非合法」な闘争手段であったことに、我々は留意する必要がある。
もとよりストライキや占拠闘争を自己目的化することは誤りである。それは「肉を切らせて骨を切る」闘いであり、獲得目標との関係によって限定された行動である。それはまた、国民の圧倒的多数の支持を得られる限りにおいて正当化されるべきものである。
そしてそのことを前提としつつ、我々の持つ伝家の宝刀として留保すべき闘争手段である。
8月にはチリで、学生運動に端を発したゼネストが決行された。この闘いも学園占拠を重要な闘争手段の一つとしていた。この闘いのもうひとつの特徴は、学生の闘いが労働者によって全面的に支持されたことであった。学生の要求は至極当然のものであり、その要求は学生の親たちでもある労働者の要求でもあった。そして親たちである労働者は、学生の決起を待ち望んでいたのである。
D. ウォール街乗っ取り行動
これらの波が集まってビッグ・ウェーブととなって押し寄せたのがウォール街乗っ取り運動である。
THE
がつくんですね
世界の資本主義の牙城であるウォール街にとっては小さなさざなみのようにしか見えないかもしれない。しかし世界全体から見ればそれは資本主義の牙城を脅かす津波であった。
9月中旬、それは一握りの若者たちのちっぽけな運動として始まった。彼らはウォール街のど真ん中の小さな公園に野宿し、大企業への抗議行動を始めた。やがてそれらが警官隊によって蹴散らされ、雲散霧消しようとした時、労働者の隊群が現れそれを背後から支えたのである。
アメリカの労働者は、ウィスコンシン州での闘争以来、ティーパーティーと呼ばれる共和党の極右派の“公務員攻撃”に苦しめられていた。
アメリカの組織労働者の主体は、もはや大企業の労組ではない。産業の空洞化によりそれは幻と化している。いま労働者といえば学校の教師であり、看護婦であり、消防夫であり、長距離トラックの運転手であり、清掃労働者なのだ。
その外側には、マクドナルドやウォールマートで、時給10ドル未満で働く膨大な未組織労働者がいる。これが「99%」だ。
だから、若者の“面白がり”で始まったオキュパイ運動が、俄然真剣さを帯びることになったのである。
10月6日にはオバマ大統領が「金融業界は依然として無責任な行為がはびこっている」と述べ、間接的ながらオキュパイ運動への共感を示した。いっぽうでカンター共和党院内総務は「デモ参加者は暴徒だ」と発言、オキュパイ運動への敵意をあからさまにした。
占拠運動はたちまちの内に全米に拡大。その後の1週間で全米118の地域でオキュパイ運動が展開された。ロスアンゼルスでは市議会が全会一致で選挙運動を支持する決議をあげた。このオキュパイ運動は1か月後のオークランドの大闘争を最後に終焉に向かうが、カジノ資本主義を正面から悪と断じる世界の流れを形成した。
6.2011年世界闘争の意味するもの
あと付け的だが、なぜ2011年にビッグイシューが続発したのか。
1.リーマン・ショック後の生活困難が極致に達したから
2.貧富の格差が許せないほどに広がったから
3.人々の要求が反映されない政治システムに怒りが爆発したから
みたいなことが考えられる。
そこで攻撃されたのは、世界を股にかけた投機資本主義であり、それと結びついたネオリベラリスト政権であり、それを庶民に押し付ける偽りの“民主的”政治システムである。
それとともに、民衆が学んだことは、これらを変えていくのもまた政治システムであるということである。
問題は政治システムの問題が一向に解決されていないことだ。したがって、もう一度その大波はやってくる。今度は、たんなる暴発に終わらないかもしれない。
現にいくつかの事件が続いている。
11年の12月には、選挙の不正に関する抗議に端を発して、ロシア全土に反政府デモが拡大した。
13年の6月にはブラジルでワールドカップ・インフレに抗議する大規模な抗議運動が発生した。
同じ6月にはトルコのイスタンブールでエルドアン政権に対する抗議運動が拡大した。
11月にはチリの総選挙で、学生運動の指導者が一挙に4人も当選した。チリ全学連のジャンヌ・ダークとうたわれたカミラ・バジェホ前委員長(共産党)も当選した。
Camilla Vallejo
この間、日本では東北大震災とそれに引き続く福島原発の事故で国内に眼が集中している。だから世界のこうした動きが眼に入らないでいる。だから世界が激動し、投機資本による世界支配がやがて終焉を迎えるかもしれないという事態が眼に入っていない。
青年よ、夜明けは思ったより近いのだ。「世界ばかりが輝いている」のではなく、君らも輝き始めているのだ。