2006年4月

ケララ州における民主勢力の勝利

 ケララの名を有名にしているのが、「社会開発の奇跡」とも呼ばれる、生活指標の高さである。

 90年代初頭の一人あたりGDPなどの経済指標を見れば、ケララはインドのなかでも低開発といってよい部類に入っていた。しかし、乳児死亡率 、平均余命、出生率などは先進国並みの数値を記録している。開発研究者の間では「社会開発の奇跡」と呼ばれている。現在はケララを含む南イン ド4州はIT技術を中心とした経済成長のまっただ中にあり、ケララもインド平均よりも高いGDP を記録している。

 実際、すこし町を歩いただけでも、インドの他の都市と違って物乞いをする人が殆ど見られず、人々の生活レベルも高い。

 この背景にはいくつかの事情があると考えられているが、もっとも重要なものはインドの平均値の倍以上である90パーセントを超える高い識字 率である。

 ケララは西ベンガルと並んで、CPIM(インド共産党マルクス主義派)の牙城の一つとして知られており、1950年代にはインドで初めて普通選挙に よって共産党による州政権が誕生した地でもある。西ベンガルの共産党と違うのは、個人の強いリーダーシップを回避する傾向にある。

 ここ20年ほどは、国民会議派を中心としたUDF(連合民主戦線)と、CPIMを中心としたLDF(左派民主戦線)が勢力を拮抗させている。4月に5年 ぶりの州議会選挙が行われ、前回大敗したCPIMが今度は圧倒的大佐で政権に復帰した。

 ケララのCPIMは、「民主集中」(Democratic Centralization)とは反対の、Democratic Decentralization(民主分散)政策を掲げている。(この表現は著者の誤解に基づいていると思われる)

 経済的にはオルタナティヴ開発路線の政策を推し進めてきた。一方、国民会議派政権は経済成長政策が進められた。

 CPIMは、州予算の40パーセントを、パンチャヤットと呼ばれる村落議会にゆだねる、という分権システムを作り出した。 この結果、学校や病院 といった社会インフラが極めて発達しており、高い識字率と就学率を記録するという現在のケララ社会ができあがった。

 現場レベルで高い識字率を支えてきたのが、1962年に設立されたケララ科学・文学協会(KSSP)である。

 左派の科学者や科学ジャーナリストを中心に設立されたこの団体の主要な役割は、科学の普及であり、現在では4万人の会員と200の支部を 持ち、3種類の雑誌と800を超える書籍を出版している、ケララ最大の民衆運動の一つとなっている。

 基本的にはナンブーディリパッドやパラメシュワランなどの「前衛知識人」に主導された運動であったが、70年代にタミル州との境にあるSilence Valley(静寂の谷)での巨大ダム計画への反対運動に関わったことから、運動の中心をオルタナティヴ開発に移していく。

 インドで唯一、全州が熱帯性気候に区分されるケララ州は、椰子の生い茂る水辺の楽園のイメージとは逆に、生活環境としてはなかなか厳しい 。

 人口密度が高いことに加えて、岩盤が固いため耕作可能面積は多くなく、農業の多くをココナッツやコーヒーといったプランテーション作物に依 存しており、国際的な農産物価格の下落は長くケララを苦しめるものとなっている。

 また、主要産業と呼べるものがなく、外貨収入は湾岸諸国への出稼ぎに依存している。

 他の南インド諸州同様、IT産業の振興は著しいが、これは一方で貧富の格差の拡大につながっており、特に食料の多くを州外からの「輸入」に 頼っているケララとしては、平均的な生活レベルの維持という点では大きな脅威になっている。

 隣国タミル・ナードゥ州からの経済難民の流入も、ケララの識字率と平等性にとっては大きな問題となっている。