紹介2 ムンバイ,民衆運動の伝統
ムンバイという町には対照的な二つの要素が含まれています.ムンバイを一言で語ることはできないのです.そこにはインドが持つ固有の多様性と矛盾が集中的に表現されています.そこは摩天楼とスラムが海に向かって競り合う町であります.巨大な富と果てしない貧困が並んで存在する町であります.
富めるものと貧しいものとの関係は厳しいものがあります.そこは労働運動のメッカであり,多くの進歩的な社会的運動家の出身地であります.それと同時に,シブ・セナのような極右政党の中心的な拠点でもあります.
国際貿易都市ムンバイは,その初めの日からインドの世界への出入口でした.元々ムンバイは,バスコ・ダ・ガマ以来ポルトガル人が所有している植民地でした.そこは七つの小さい島からなる港でした.ポルトガルからムンバイを譲り受けたイギリスは,この港をボン・ベイ(良い港)と名づけインド進出の拠点としました.
20世紀までに,ムンバイは富と生産と労働を集中しつづけました.ごたまぜの都市ムンバイは,インド亜大陸の内陸部からの移住者の目指すところでした.そこはインド産業と労働者階級の首都となり,反植民地の,反資本主義の闘いのセンターになりました.
独立後も闘いの町としての伝統は受け継がれました.そこは精力的な労働組合,被抑圧カーストの運動,反戦運動・環境運動のゆりかごであり,「社会運動の宇宙」でした.そのことが革新的な芸術,映画・演劇産業の開花を促しました.
ネオリベラリズムに基づく「構造調整プログラム」が始まった90年代に,ムンバイは大きく変わりました.この十年間,ムンバイは脱産業化と情報化の過程を通過しつつあります.そしてアジアの他の大都市との激しい競争を経験しつつあります.
主要産業である繊維産業は競争に敗れ,去っていきました.これに代わって金融・商社が集中するようになりました.かつて右翼にも左翼にも多くの戦闘的な活動家を提供してきた,膨大な労働者階級は,減少の一歩をたどっています.
この間ムンバイは,ヒンドゥー原理主義を唱える宗教セクトの攻撃に直面しましたが,人々はこれと激しく戦い,信仰の自由と文化の共存を守り抜きました.帝国主義とグローバリゼーション,そして宗教的セクラリズムに対する抵抗は,ここムンバイでもますます発展しつつあります.
ムンバイは世界の大きな港湾都市に共通する,特有の暖かさを持つ魅力的な町です.そこは「もうひとつの世界」への出入り口になる可能性を秘めています.