北海道反核医師の会総会のための資料(2010年6月)
2010年 NPT再検討会議
これまでの経過と簡単な解説
はじめに
先月、ニューヨークの国連本部で、5年に一度開かれる核不拡散条約の再検討会議が開催されました.日本からも被爆者を先頭に多くの方が参加されました.
会議の成果は画期的なものでした.なぜ画期的なのかは少し経過を追ってみないとわからないかもしれません.ここで少し解説してみたいと思います.
T NPTとはなにか
NPTはNuclear Non-Proliferation Treatyの頭文字をとったものです.以前は核拡散防止条約と訳していましたが、最近では核不拡散条約と呼ばれることが多いようです。その訳語通り、NPTの性格も変わってきています.
@当初のNPT
1970年、米ソを中心にNPTが調印され、批准国の増加を待って発効されました。最初は文字通り核を持つ大国が、他の国に核を持たせないようにするだけのあからさまで不平等な条約でした.条約の柱は三つあります.第一の柱は核兵器の不拡散です.条約の調印された67年を基準とし、それ以前に核兵器その他の核爆発装置を製造しかつ爆発させた国、すねわち米、露、英、仏、中の5か国は「核兵器国」、それ以外の国は「非核兵器国」と定められました。
第二の柱は、核兵器国に誠実に核軍縮交渉を行う義務が与えられたことです.読みようによっては交渉に誠実であれば軍縮そのものには不誠実であっても良いと取れます.かなり不誠実な条約です.
第三の柱は、すべての国に原子力の平和的利用を認めると同時に、その軍事技術への転用を防止するため、国際原子力機関 (IAEA)の保障措置を課したことです.
A25年間の変化
この条約は25年間の時限付きの条約でした.その間に世界は大きく変わりました.ソ連・東欧の崩壊により、NPTの土台となっていた米・ソによる世界支配の構造が消失しました.核兵器を独占し続けるための大義名分がなくなってしまったのです.
これまで核保有国の核の傘に入るしか選択肢のなかった非核保有国の中から、非核地帯を宣言する動きも出てきました.はじめは中南米、ついで東南アジアと非核地帯の動きが強まっています。
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ウィキペディア 「非核地帯」より |
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91年にはそれまでNPT未加入だった南アフリカが、保有していた核兵器を放棄して「非核兵器国」として加入しました。翌92年にはフランスと中国がNPTを批准しました。94年 旧ソ連のベラルーシ、ウクライナ、カザフスタンが、核兵器をロシアに移転して「非核兵器国」として加入しました。
つまり最初は米・ソが核兵器を拡散させないための仕掛けとして作られた「核拡散防止条約」が、これ以上核を造らせないという世界の願いを込めた「核不拡散条約」に変わっていくのです.
U NPT再検討会議
@95年会議
1995年 NPTが15年間の有効期限を迎えたことから、NPTの再検討と延長を検討する会議が開催されました。
この会議は、核をめぐる情勢の変化を反映して、核の全廃を願う世界の人々にとって画期的なものとなりました.
95年会議では次の三つの柱が決定されました。
まず第一に、NPT条約を無期限に延長し、これ以上核保有国を増やさないこと.第二に、条約を実施するプロセスを強化し、そのために「運用検討会議」を今後5年毎に開催すること。B核の不拡散と核軍縮を同時に進めること.この三つの柱です。
とくに第三の柱についてはさらに詳しく討論され、三つの努力目標が設定されました.ひとつは96年までのCTBT交渉完了です。そして調印までは核保有国のやり放題というのでなく、核実験を最大限に抑制することが求められました.
もうひとつは核軍縮条約の成立に向けた交渉を直ちに開始し、早期の妥結を目指すことです.そしてもう一つは、核兵器国が究極的廃絶を目標とした核軍縮努力を開始することです。
*CTBT: 包括的核実験禁止条約(Comprehensive Nuclear Test Ban Treaty)の略.宇宙空間、大気圏内、水中、地下を含むあらゆる空間での核兵器の実験を禁止する条約。
A2000年会議
このように、すでに95年会議から、控えめながらも核廃絶へと向かう基本路線が打ち出されてはいたのですが、NPT会議が全世界の注目を集めるようになったのは、この2回目の会議からでした.
この会議では、「最終文書」が全会一致で採択され、各国政府への要望という形で核兵器削減への志向が鮮明に打ち出されました。赤旗では「核保有国による核廃絶への明確な約束」と評価しています・
さらに「現実的措置」として13項目が挙げられました。以下の5点がその柱となっています.
@各国がCTBTを批准することにより、早期の発効を目指すこと.またそれまでの間にも核実験のモラトリアムを継続すること。
Aカットオフ条約(核兵器削減条約)の実現を目指してただちに交渉を開始すること。
B主として米露間を中心に行われてるSTARTの交渉と段階的実施を継続すること。
C核兵器国が備蓄の実態を公開し透明性を強化すること。
D余剰核分裂性物質について実態を明らかにし、IAEAなどによる国際的な管理を強化すること.
ここでは未だ核廃絶そのものに向けた具体的な道筋は明らかにされてはいませんが、NPTが核廃絶への重要な足がかりの一つとなったことは明らかです.
B2000年会議以降の経過
しかし、2000年会議のあと、NPTは困難な時期を迎えました.9.11事件のあとアフガニスタン、イラク侵略が続き、ブッシュ政権は核の先制使用も辞さないと公言しました.これまで築きあげてきた国際法の体系は踏みにじられ、NPTも有名無実の状態に追い込まれました.
2005年の再検討会議は最終文書の採択もできないままに終わりました.
しかし国際世論の圧倒的な批判を前に、ブッシュ流のやり方は挫折し、これに代わって国際協調を訴えるオバマ政権が登場しました.オバマが世界をあっと言わせたのは、09年4月、プラハでの核廃絶に向けた演説でした.
「米国は、核兵器国として、そして核兵器を使ったことがある唯一の核兵器国として、行動する道義的責任がある。私は核兵器のない世界の平和と安全保障を追求する」
そして9月の国連安保理では、核軍縮・不拡散をテーマとした初の首脳級特別会合が開催されました。会議の議長はオバマが自ら務め、会議の成功に向け強力にプッシュしました。2000年のNPT再検討会議の「成果を想起」し、核軍縮を目指す決議が採択され、不拡散の具体的な項目が確定しました.さらに今年に入ってからは、米ソが核弾頭数を30%づつ削減することで合意しました.
4月には米政府が、「核兵器の役割の低減」を基本戦略に盛り込んだ「核体制の見直し」(NPR)報告を発表しました。さらに会期中の5月27日には「国家安全保障戦略」を発表し、このなかで「多国間主義」の重要性を強調しました。ただこれらは、オバマ自身が「より長い旅路のほんの一歩にすぎない」と述べたように、核廃絶そのものに向けた動きとは言えないことも確かです.
C高まる2010年NPT再検討会議への期待
こうした流れの中で、核兵器廃絶への動きを確固たるものにしたいという世界の願いは、2010年再検討会議へと集中していきました.
その最大のイベントが4月30日にニューヨークで開かれたNGO国際平和会議でした。原水協や米国の反核団体が中心となり開かれたこの会議では国連の潘基文事務総長が講演しました。広島の秋葉市長も演壇に立ち、「被爆者が生きている間に核廃絶を」と呼び掛けました。
潘基文事務総長の講演は力のこもったものでした.「核兵器の廃絶は最優先の課題。NPT会議の失敗は許されない。各国のリーダーは『核なき世界』という目標を達成すべきだ。特に核保有国は交渉の約束を履行すべきだ」と訴えました。
赤旗によれば、「私は、核兵器禁止条約を核保有国に迫ります。政府を動かすのは、みなさんの力が必要です。各国政府に迫りましょう」と訴えたそうです。また被団協に対して「核兵器の恐ろしさを知っている皆さんの力が必要です」と語りかけました。
V 2010年NPT再検討会議の経過
会議は、5月3日に始まり、28日の最終文書採択までほぼ1ヶ月間というマラソン会議でした.経過が長いので流れを追いながら説明します.
@カバクトゥラン議長の提起
まず会議の冒頭、今回の会議の議長を務めるフィリピンのカバクトゥラン国連大使が、「いまもとめられているのは核廃絶にいたる行程表だ。そのための国際会議が必要だ」と訴えます.そして「2014年までに行程表の策定に向けた国際会議を開く」と踏み込んだ提案を行いました。
以後、会議の基調は核廃絶に向けた国際会議を開くことで合意が実現するか否かに掛かってきます.
これについては、共産党の志位委員長も同意見でした。赤旗によれば、志位委員長はカバクチュラン議長と会談。「核軍縮の部分的措置を前進させるうえでも、核兵器廃絶のための国際交渉を開始する合意をつくることが大事だ」と訴えました.カバクチュラン議長は深くうなずいたといいます。
なお、共産党の本来の主張はもっと明確です。共産党大会の決議は以下のように主張しています。
部分的措置の積み重ねだけでは、「核兵器のない世界」に到達できないことは、戦後の核問題をめぐる外交の全歴史が証明している。核軍縮の部分的措置と一体に、核兵器廃絶の国際交渉を開始してこそ、「核兵器のない世界」への道は開かれる。核兵器廃絶の国際交渉に踏み出すことは、個々の部分的措置をすすめるうえでも最良の力となるものである。
核保有国も、もはや核廃絶を願う国際世論を無視することはできませんでした。5日には米国、中国、ロシア、英国、フランスの核保有五大国は、「核廃絶に向け、核軍縮への持続的な関与と責任」を約束する共同声明を発表します。アメリカは初めて保有核弾頭数を公表し、核政策転換の決意をアピールしました。
7日にはNGO代表によ る連続スピーチが行われました。秋葉市長は、被爆者の高齢化が進行しているとした上で、2020年までの核廃絶を強く求めました。田上市長は「核兵器をめぐる議論は、往々にして国益の視点から語られがちだが、一人一人の人間の視点を忘れてはならない」と訴えました。
11日には日本、ドイツ、ロシアなど42カ国が、核軍縮教育の重要性を訴え、「被爆体験の継承」に留意することなどを盛り込んだ共同声明を発表しました。
A浮かび上がった対立点
順調に進むかに見えた会議でしたが、主要3委員会(核軍縮、核不拡散、原子力の平和利用)が最終文書素案を提出した後、一気に対立点が露呈し始めます。
各国代表のスピーチが一回りし、7日に非政府組織(たあと、主要3委員会が作成の審議に入りました。素案の最大の眼目は、昨年9月の安保理決議を受けて、核廃絶へ向けた26項目の「行動計画」を具体化することでした。
14日には主要3委員会の最終文書素案が出揃いました.焦点となったのは第1委員会の報告草案です。そこには、「核保有国は、核軍備削減・廃絶における具体的な進展を促進するために、2011年までに協議を開始するものとする」とされました。
そしてさらに、「具体的な時間枠内での核兵器の完全廃絶のためのロードマップについて合意する方法と手段を検討するため、2014年に国際会議を招集する」と書き込まれました。
率直に言えば、これは値切られることを前提にかなり振っかけた提起です.日時や期限についての議論に持って行って、あわよくば「核廃絶のための国際会議開催そのものを会議の共通認識としてしまえ!」という魂胆が透けて見えます.
このいわば「作られた争点」が第一の対立点となりました.
しかし耳目を集めたのは呼ばれざるゲストであるイランのアフマディネジャド大統領の言動です.彼は会議の直前に突如参加を通告し、会議初日の3日に、アメリカの干渉を非難し自らの正当性を主張する演説を行ないます.そのなかで「核兵器の所有は、誇りにすべきようなことではない。むしろ最低かつ恥ずべき行為だ」と述べますが、60%の濃縮ウランを作り出すこととの矛盾は説明できません。
中東諸国の願いはイランの核装備とは関係ありません。それは可能性の問題です.現実の問題はイスラエルの核装備です.彼らが「中東非核化構想」を主張するとき、それはイスラエルの核をどうするかということです.それはNPTの実効性を語る上で避けることのできない問題であり、どこか他所で議論してくれとは言えない課題です.これが第二の対立点です.
三つめが、総ての非核保有国にとって切実な問題、「消極的安全保障」の承認をめぐる議論です.「消極的安全保障」とは核兵器非保有国に対して保有国が核兵器を使用しないとの保証を与えることです.
これは核抑止論の根幹に関わる問題であり、NPTの理念の根本を問う課題です。非保有国からいえば当然の課題ですが、保有国がこの原則を全面的に認めると、その瞬間に核兵器はその存在意義を失ってしまうからです。
Bカバクトゥランの最終判断
21日、予定された主要3委員会の素案に対する討議が期限を迎えました.しかし対立点は解けず、最終合意には至りません.カバクトゥラン議長は各小委員会の議論を3日間延長し、合意をはかりました.
しかし24日に至ってもいずれも確たる合意は打ち出せません。ここでどうするかはカバクトゥラン議長らの腕の見せ所です.05年の再検討会議を流してしまった各国政府も、今度ばかりはどうしても最終合意文書を作らなければならないという思いは同じです.とにかくコンセンサス方式ですから、一国でも強硬に反対すれば文書は採択されません.その際、その国が国際的に指弾されることも間違いありません.もちろんイランも例外ではありません.
閉会を明日に控えた27日、カバクトゥラン議長は最終合意文書の最終修正案を提示しました。64項目の核廃絶に向けた行動計画はそのまま盛り込まれました.そして核兵器保有国に、2014年のNPT運用検討会議準備委員会までに、核廃絶に向けた核軍縮の進展について、報告書を提出するよう義務付けています。
その他の係争点は、すべてペンディングされました.非核化への具体的な期限設定や、「消極的安全保障」(非保有国に核攻撃を行わないことの保証)の制度化などの提案は姿を消し、「具体的な期限を区切っての取り組み」が重要であるとの共通認識を示すにとどまりました。
また中東非核化構想については、12年に構想の実現に向けた関係国会議を開催するようもとめていますが、中東諸国が求めていた「イスラエルの名指」は実現しませんでした.
C2010年再検討会議をどうみるか
今回の再検討会議は、真剣な検討としては10年ぶりのことです.だから最終文書だけを見て良し悪しを判断することはできません.そこで何が話し合われたか、そこで何が今後の検討課題として全体認識になったのかが、最終文書と同じくらい重要です.
外務省(MOFA)は会議の成果として以下の事項を挙げています(ホームページより).@「核兵器のない世界」の達成に向けた直接的な言及 A核軍縮に関する(2000年再検討会議の)「明確な約束」を再確認 B具体的な核軍縮措置につき核兵器国が2014年のNPT運用検討会議準備委員会に進捗を報告するよう核兵器国に要請. C中東決議の実施に関する現実的な措置。この「直接的な言及」というのが重要です。「核兵器廃絶のためのロードマップ(行程表)」は実現しませんでした.「赤旗」は、「核兵器廃絶の国際交渉の開始については合意されなかったが、否定はされなかった」と述べています.そして以下のように主張しています.
核兵器廃絶の期限を明記した案がいろいろ出されているが、私たちは期限をいつにするという考え方には立ってこなかった。それは、国際交渉の開始の合意をつ くることが何よりも大事であって、期限についてはそのプロセスの中で決まってくるものであると考えているからだ。もうひとつの教訓として、潘基文事務総長も述べたように国際世論の力、とりわけ市民運動の盛り上がりが津波のように世界を動かし、再検討会議を成功させる推進力となったことです.
28日の採択を受けたエジプトのアブデルアジズ国連大使は、非同盟諸国を代表し、「市民社会から核兵器の完全廃絶と核兵器のない世界の実現への希望が示され、それが総会の決意と政治的な意思にもつながった」と語っています。
<参考サイト>
核兵器不拡散条約(NPT)の概要(外務省) http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kaku/npt/gaiyo.html
核情報 NPT特集http://kakujoho.net/
赤旗http://www.jcp.or.jp/akahata