未来破壊兵器=劣化ウラン弾

その歴史を探る

 9.11学習会資料

2003.9.11 北光教会

はじめに

 

第一期 湾岸戦争まで  武器の開発と環境汚染

50年代後半 ボストン近郊のコンコードで,劣化ウランの利用を研究する核金属社が操業開始.69年代後半にはバーモント州のイーサン・アレン射爆場で20,000発の対戦車砲弾(劣化ウラン4,500kg)による発射演習.

74年 軍による劣化ウランの医学・環境評価報告,「戦闘状況下で劣化ウラン弾を広範に使用した場合,その周辺では劣化ウラン混合物の体内への侵入の可能性がある」と記載.

1980年代初頭 ニューヨーク州衛生局,160,000の宝石類のうち,170個が放射能汚染されていたと報告.同じ時期,放射能汚染された指輪をしていた人々14名が,指に癌をわずらったり,指や手の一部を切断したという. ウラン再処理で分離された貴金属が再利用された可能性.劣化ウランによる(?)人体被害の最初の報告.

時代はずっと下がるが,98年1月に放射能汚染された鋼鉄スクラップ5.5百万ポンドが中国と台湾に輸出されていたことが発覚した.中国に輸出された放射能汚染金属の中には,自然界放射線の400倍に達するものもあった.汚染金属を利用して建設されたアパートは1573に上る.

1985年8月 日航ジャンボ・ボーイング747が墜落.この際に,墜落現場にバランサーとして使用された劣化ウランが散乱.公式には,ジャンボ機には282kgの劣化ウランが搭載されている.ただし1.65トンにたっするという指摘もある.このあと飛行機の墜落のたびに,劣化ウラン汚染が問題となる.

1988 陸軍,M1A1戦車の配備にともない,劣化ウラン弾を採用することを公式に認める.兵器としての劣化ウラン弾の最終的完成.同じ時期,アメリカ軍の内部資料では,「劣化ウラン弾の着弾の衝撃で飛散する粒子を吸入した場合には,放射能によるガンの発生の危険があり,使用を禁止される恐れがある」と指摘.

 

第二期 湾岸戦争と湾岸戦争症候群の発生

戦争中の劣化ウランの使用総量は800トンに上る.これは広島に落とされた原爆の1万4千倍から3万6千倍の放射能にあたる.

米陸軍環境政策局によれば,7,000発をサウジアラビアで訓練発射,実戦で4,000発を発射.さらに3,000発を火災や事故で消失した.したがって総計で1万4,000発の戦車砲弾(劣化ウラン500トン相当)が使われた.英国チャレンジャー戦車も,少なくとも100発の劣化ウラン砲弾を発射した.

空軍は,陸軍以上に劣化ウラン砲弾を使用した.戦争中にA-10対地攻撃機「戦車キラー」が広範囲にわたって用いられ,94万発の30ミリ劣化ウラン砲弾が発射された.30ミリ砲弾1発に含まれる劣化ウランは約300g.したがって総計約280トンになる.

91年2月26日,歴史に残る「ターキー・ショット」作戦が実施された.ターキーショットとは「囲いの中の七面鳥を射つ遊び」と辞書には書いてあるが,どんな「遊び」かは分からない.しかしあまり見たくなる「遊び」ではなさそうだ.

クエート国境から撤退するイラク軍戦車部隊の列は7マイルにおよんでいた.この隊列に米空軍が連続爆撃を加えた.A10攻撃機が撃ちだす劣化ウラン弾の前に,イラク軍戦車はひとたまりもなかった.クウェートからの多数の避難民も含め数千人が殺戮された.

93年頃からイラクで小児白血病が急増.マンスール病院などバグダッドの2つの小児病院に白血病専門病棟が設置される.湾岸戦争に従軍した兵士の間に奇病が多発,「湾岸症候群」と呼ばれるようになる.ロペスらは劣化ウランとの関連を示唆.

93年末 アメリカの復員軍人局,ミシシッピ州在住の湾岸帰還兵251家族を州全域にわたり調査.戦争後に妊娠・出生した2百数十人の子供のうち67%が失明,無眼球,無耳,指が融合している状態だった.結果は公表されず,のちに民間団体が手に入れて公表.

94年には,米国議会の指示を受けた陸軍環境政策研究所が,劣化ウランの健康および環境に対する影響を調査した.調査報告は「劣化ウラン兵器の使用が潜在的に人体に危害を及ぼしうる」ことを確認.同時に劣化ウラン兵器問題に特効薬がないことを明確にする.これは秘密報告であったが,「軍事毒物プロジェクト」という団体が,密かに報告書を入手,発表したことから明らかになる.

1995年,国連癌統計が発表される.これによれば,イラク南部における癌発生率は89年から94年にかけて7倍に増加.アメリカ国防省は「イランとの戦争でイラクが使ったマスタードガスのせいではないか」と反論.この頃から,劣化ウランの危険性を全面否定する態度に変わる.

 

第三期 開き直りに転じた米軍

95年8月,ボスニア=ヘルツェゴビナの戦争が激化し,米軍を主力とするNATO軍がセルビア人勢力に対する空爆を開始した.米軍A-10 攻撃機は4,000回をこえて出撃,約1万発(約3トン)の劣化ウラン砲弾を発射.

同じ年の12月,沖縄県のアメリカ軍鳥島射爆場で,海兵隊AV-8Bハリヤージェット機が,訓練中に劣化ウラン弾を「誤射」.7日と1月24日にも「誤射」が続き,1,520発の25mm 劣化ウラン弾(222kg)が発射される.このうち29kg(16%)の劣化ウランのみが回収された.この事実は2年間にわたり伏せられる.

98年には,国防総省がランド社と連携し,劣化ウランの影響を否定する研究結果を相次いで発表.劣化ウランの影響を真っ向から否定する態度を明らかにした.このときの見解は現在もアメリカ政府を規定する見解となっている.

ちなみにランド社は,1948年に設立された米国内保守派を代表するシンクタンク.国家安全保障戦略,重要科学技術政策の形成等に重要な役割を果たしてきた.

99年3月,コソボで紛争が始まった.NATO軍はその最初から介入した.2ヵ月半にわたりユーゴスラビアへの空爆が行われた.米軍は約31千発の30ミリ砲弾を発射した.これは劣化ウラン約8トンに相当する.

米軍は湾岸戦争に続き二つのユーゴ戦争でも圧勝した.戦闘を決したのは戦車をいとも簡単に粉砕する劣化ウラン弾の威力だった.湾岸戦争における「死のハイウエイ」のターキーショットは,たんなる幸運ではなく劣化ウランがもたらした勝利だった.少なくとも米軍最高首脳はそう確信したに違いない.

戦争さなかの5月には,プエルトリコのビエケス島射爆場で,海兵隊のハリアー機が267発の劣化ウラン砲弾を「誤爆」するという事件が起こった.鳥島に続く「誤爆」事件である.

 

第四期 劣化ウラン反対の世論とバルカン症候群

劣化ウラン弾の魔力に見せられたアメリカ軍は,「魔弾の射手」さながらに,世界の世論と真っ向から対決してでも劣化ウラン弾を擁護する立場に立った.

まず米軍帰還兵が糾弾ののろしを上げた.95年3月に湾岸症候群の犠牲者救済をもとめる「全米湾岸戦争リソース・センター」が設立された.最初に彼等の声に耳を傾けたのは,意外にも国内保守派だった.連邦議会の下院議員が「祖国の英雄」たちの尊厳を守る立場から「安全保障・退役軍人問題・国際関係小委員会」を組織した.1年後にはイギリスにも「湾岸戦争退役軍人・家族協会」が設立される.

96年には,直接劣化ウラン弾を糾弾してはいないが,国政平和の前進に大事な足がかりとなる二つの出来事があった。

ひとつは国連人権委員会内の小委員会で「無差別大量破壊兵器,とりわけ核兵器・化学兵器・気化爆弾・ナパーム弾・クラスター爆弾・生物兵器および劣化ウラン兵器の製造と拡散を抑制する」決議が採択されたことである.決議に反対したのはアメリカのみであった.

決議の骨子
@兵器の使用により周辺地域,非参戦国まで危害が及ぶこと,A戦争終結後まで長期にわたり危害が及ぶこと,B民間人,特に次世代の人にまで危害が及ぶこと,C大地や大気,水など環境・生態系にまで危害が及ぶこと,をもって劣化ウラン兵器の非人道性を主張. 

もうひとつはハーグの国際司法裁判所( ICJ)が,「核兵器は国際法に反している」とする意見書を採択したことである.さらに97年末には対人地雷全面禁止条約が締結された.

一貫した反サダム・フセイン攻撃にもかかわらず,NGOなどを通じて,イラク国内の悲惨な状況が次第に明らかになってきた.湾岸戦争症候群とイラク現地における被害は,一体のものとして理解されるようになった.ユニセフは,「湾岸戦争」とその後の経済制裁で,すでに100万人以上のイラク人が死亡したと発表した.

イラク政府は,劣化ウランの被害に関する覚書を発表した.破壊された車両においてウラン238の高濃度の汚染が判明.さらに血液,肺,消化器系,皮膚ガンの発生率の異常な増加,先天性疾患や胎児奇形の発生率の異常な増加が確認された.

ミシシッピ州復員軍人局の調査報告,陸軍環境政策研究所の秘密報告が相次いで暴露された.国防総省=ランド社報告に対する批判も公然と語られるようになった.

2000年に入ると,ユーゴ内戦に参加したNATO軍兵士の間にバルカン症候群が発生し始めた.NATOは,国連アナン事務総長の質問にこたえ,コソボ紛争中に劣化ウラン砲弾を用いたことを認めた.国連調査チームがコソボの現地調査をおこない.48個所の汚染地点を発見した.

その直後,今度は沖縄で米軍払い下げ品取り扱い業者の物資置き場から,米軍の25mm劣化ウラン砲弾の薬きょうが473発発見された.在沖縄米空軍司令官は嘉手納弾薬庫に劣化ウラン弾を保管していると発表した.しかし問題は薬きょうが発見されたということ,すなわち使用されたということである.

国防総省が劣化ウランの健康被害を真っ向から否定したことから,劣化ウラン弾反対運動は医学論争の側面も持つようになった.

99年に開かれた「低レベル放射線傷害と医療対処」に関する国際会議においては,純学問的なレベルで,劣化ウランの危険を明らかにするいくつかの研究が発表された.ラットに対する劣化ウラン投与実験では,大半の劣化ウランが排出されるが,腎臓と骨を中心に一部残存することが明らかにされた.また劣化ウランが母体の胎盤を通じて胎児の体に蓄積するとの報告もおこなわれた.劣化ウランの金属毒としての影響は,体重減少や知覚神経障害,発ガン作用などが報告された.

00年年9月,パリで開かれたヨーロッパ核医学研究会の総会で,元合衆国軍医のアサフ・デュラコビッチ博士が,湾岸症候群について発表.「多くの患者はウラニウム吸引の臨床的結果である腎臓疾患および機能不全を生じている」ことを明らかにした.国防総省の疑惑隠しは,これで退路を断たれた形になった.

 

第五期 劣化ウラン反対をめぐる西欧諸国と米国の対立

2000年末から翌年初めにかけて,ヨーロッパではバルカン症候群の問題が一気に深刻化した.イタリアでボスニアPKOに参加した兵士の中から白血病被害が発生.死亡者が6人に達したことが明らかになる.さらに追跡調査でNATO諸国軍の帰還兵17人が,白血病で死亡したと報道された.

フランス国防相はアメリカに対し,バルカン半島での劣化ウラン弾使用について説明するよう求めた.イタリア,ベルギー,ポルトガルもNATOに対し説明を求めた.最もきっぱりした態度をとったのはドイツだった.シャーピング国防相は,「いかなる国も劣化ウラン弾を保有・使用すべきではない」と強調.劣化ウラン弾を完全禁止することを呼びかけると同時に,「ドイツ軍は例え武器が不足しても劣化ウラン弾は使わない」と宣言した.

2001年1月,国連環境計画(UNEP)は,地表に放置されていた劣化ウラン弾の貫通体からプルトニウム239が検出されたと発表した.UNEPは「再処理された劣化ウランであることを証明している」と指摘. 「現在の状況から判断して,劣化ウラン弾の影響はないという説は明らかに間違ったものである」と述べ,児童,動物,地下水に悪影響を及ぼす可能性があることを明らかにした.

ウラン236は自然には存在せず,使用済み核燃料の再処理過程で発生する.したがってそこには確実にプルトニウムが含まれている.濃縮ウラン30トンを使用すると,300キロのプルトニウムが生成される.これを再処理しても,ウランだけ純粋に取り出すのは不可能で,必ずプルトニウムが混入する.

NATOは「今日のデータに基づくと,劣化ウランとがんとの関連は立証されていない.劣化ウラン弾は精製ウランよりも放射能が低く,健康にまったく影響のない安全で合法的な武器である」と反論.各国政府の懸念を「科学的根拠のない」ものと決め付けた.

プルトニウム239が検出されたことについても,「劣化ウラン弾の一部には,確かに放射性物質であるウラン236とプルトニウムが含まれていた」と事実を認めながらも,「これは以前から知られている公認の事実で,このように微量な放射性物質が健康に与える影響は取るにたりない」と開き直った.

バルカン症候群をめぐる西欧諸国での議論はその後沙汰やみとなったが,このときの米国との対立・不信が,イラクの大量破壊兵器に関する米国情報への不信となっていったとも云える.

 

第六期 イラク戦争と劣化ウラン弾

2003年3月21日,米英軍はついにイラクへの攻撃を開始した.始まる1週間前,米中央軍のジム・ノートン大佐は,「劣化ウラン弾はタングステンよりも有効なので戦争が始まれば使用する」とヌケヌケと言い放った.しかしこの間の経過からすれば,そうは簡単に使えないだろうと思っていたが,実に簡単に使ってしまった.

開戦後5日目の26日,米中央軍は「劣化ウラン弾を“非常にわずかな量”ながら使用している」ことを認めた.「人体への影響は,近くで大量に粉塵を吸入した場合に限られる」と釈明.ところが, 「非常にわずかな量」というのは大嘘で,バグダッドの市街地にもバンバン使ったことを兵士が証言している.

戦争がほぼ終結した4月末,英国国防省は,英軍が劣化ウラン弾を使用したことを認め,その使用場所と使用量の詳細を公表した.さらに,「米政府にも劣化ウラン弾の使用場所,使用量を明らかにするよう希望する」と発言した.これにより米軍も劣化ウランの大量使用を明らかにせざるを得なくなった,

米中央軍空軍は,30ミリ弾311,597発を使用したと発表した.5発中4発は劣化ウラン弾であり,使用総量は劣化ウラン75トンに相当する.どこが “非常にわずかな量”だろうか.

 

劣化ウラン弾反対運動の流れ

劣化ウラン弾は開発の段階からその危険性を指摘されていた.劣化ウラン弾が製造されていたボストン近郊のコンコード,ニューヨーク州オルバニーでは,いまでも環境汚染が深刻な問題となっている.

ケンタッキー州パドゥカの合衆国エネルギー省の研究施設(ウラン235の製造工場)では,製造にかかわる従業員のあいだに白血病,ホジキン病,前立腺ガン,腎臓ガン,肝臓ガン,唾腺ガン,肺ガンの罹患率が有意に高いことが明らかになった.テネシー州の劣化ウラン弾生産工場エアロジェット社では,労動者の抗議行動が起きたが,保守的な風土と地域経済の深刻な状況から,地域の抗議運動としては盛り上がれないでいる.

95年に「全米湾岸戦争リソース・センター」が設立されたことは,一つの結節点となった.湾岸戦争症候群の当事者=「祖国の英雄」たちが自ら立ち上がったことで,超党派の運動が開始された.湾岸戦争症候群を通じて劣化ウランの危険性が認識され,イラクの子供たちの被害が劣化ウランと結びつけてとらえられるようになった.翌年には英国にも「湾岸戦争退役軍人・家族協会」が設立され,2千名以上を組織した.

国連人権委員会は,劣化ウラン弾を核兵器・化学兵器・気化爆弾・ナパーム弾・クラスター爆弾・生物兵器などとならぶ非人道兵器としてとらえ,その廃止を迫る動きを開始した.

沖縄とビエケスで相次いで劣化ウラン弾が「誤射」されたことは,基地反対闘争に劣化ウラン弾を認識させるきっかけとなった.ビエケスでは島ぐるみの反基地闘争が展開されるきっかけとなった.

米軍当局が,劣化ウラン弾問題を劣化ウランの人体への影響という「医学論争」に逸らそうとしたことから,運動の前進のために科学者や核問題専門家の共同が要請されるようになった.

99年には英国マンチェスターの反核活動家を主体に「劣化ウラン弾反対キャンペーン」(CADU)が創立された.日本でも民間組織「劣化ウラン研究会」が設立され,劣化ウラン兵器の危険性についての啓蒙,政府・軍のデマ宣伝との対決を続けている.彼等の努力のもとに,湾岸戦争症候群とイラクの人々の健康破壊が,ともに劣化ウラン弾による障害であることが確認された.軍を追われたデュラコビッチ博士はカナダでNGO「ウラニウム・メディカル・リサーチ・センター」を立ち上げ運動を続けている.

イラクの現場で医療に当たっている医師たちの証言は,事実の持つ迫力により人々を納得させる.2001年末,バスラを訪れた森住氏に,イブン・ガズワン病院長のジャワド・アル・アリ教授は,バスラ市内のガン死亡者数推移をしめした.

 

1988年

1996年

1997年

1998年

1999年

2000年

2001年

死亡者数 

34人

219人

303人

428人

450人

586人

603人

ガン発生率(10万人当たり)

11人

 

 

75人

 

 

116人

いくつかのせせらぎに源を発した流れが大河となり,国際政治を動かしはじめた.2000年にはカリフォルニア州デービス市の議会が,劣化ウラン弾使用禁止を求める決議を採択,全米の都市に賛同を求めた.フィンランドの環境相は,EU諸国の環境相あてに手紙を送り,「劣化ウラン弾の使用禁止」を呼びかけた.

その延長線上にフランスやドイツ政府の米軍批判があることは先に述べた.

8月6日広島平和式典で,秋葉市長は劣化ウラン弾も織り込んだ次のような「平和宣言」を読み上げた.

被爆者が訴え続けて来た核兵器や戦争のない世界は遠ざかり、至る所に暗雲が垂れこめています。今にもそれがきのこ雲に変わり、黒い雨が降り出しそうな気配さえあります。国連憲章や日本国憲法さえ存在しないかのような言動が世を覆っています.

また、米英軍主導のイラク戦争が明らかにしたように、「戦争が平和」だとの主張があたかも真理であるかのように喧伝されています。しかし、この戦争は、国連査察の継続による平和的解決を望んだ、世界の声をよそに始められ、罪のない多くの女性や子ども、老人を殺し、自然を破壊し、何十億年も拭えぬ放射能汚染をもたらしました。

いっぽうで,我が川口外務大臣は,「劣化ウラン弾の人体及び環境に対する影響はほとんどない」と国会答弁しているのである(03年6月).

 

おわりに

劣化ウラン弾を核兵器のひとつとして規定することはできないが,その放射能汚染と人体への破壊的影響は深刻である.劣化ウラン弾による汚染地域は半永久的に環境を破壊され,そこに住む人は半永久的に生命を脅かされる.劣化ウラン弾の使用は,戦争犯罪であるだけでなく,未来に対する犯罪である.

地球と人類の未来を破壊する兵器として,劣化ウラン弾を許すことはできない.戦争反対の世論と結合し,「劣化ウラン弾許すまじ」の声を上げていくことがもとめられている.