「1997年論」を考える

 

T 「1997年論」への視点

1997年論というのは相当の難物である。

共産党の論調では、消費税の3から5%への引き上げと、社会保障の改悪、特別減税の停止をふくめた9兆円負担増が日本の景気を悪くした元凶だとしている。

いろいろ調べてみると、そんなに単純なものではなさそうだ。日本の経済構造が大きく変わった変曲点であることは間違いない。そこにはもっと中長期的な大きな力が働いているはずだ。曲がり角としての90年代論を語ることなしに、そのエッジとしての97年を語ることは出来ない。それが何だったのかをコンセンサス議論としていく必要があるだろう。

それには世情論とかトリビアルな指標で議論するのはやめて、がちがちのマクロ指標で正面から取り組んでいくしかない。

もう一つは、日本経済が変わったという受身議論だけではなく、政策・戦略として97年「改革」を推進した勢力がなんだったのかというダイナミックスも明らかにしなければならない。これは日本の政治を根本から変えていく上で避けて通れない課題である。

昨日のNHKの原発事故の民間事故調査委員会の報告に関連した番組はすごかった。「そこまで言っていいんかい」の連続で、息継ぐ暇も与えないほどの迫力だった。大地震のときに隠れていた地層が断層を起こし鮮やかに層状構造を見せてくれるが、日本の権力構造の政・財・官という積み上げかたも、一瞬、その秘部をさらしたようだ。

この報告についての分析はこれからいろいろ出てくるだろうから、引き続き注目していきたい。97年「改革」についても、一つの政策的激変であったから当然露頭が顔を出しているはずだ。大蔵省の財務畑が主導し橋本内閣を動かしたという構図だが、銀行畑はどう動いたのだろう。橋本内閣が大蔵省主流の方向で動いていたのに対し、与党内での対抗する動きはなかったのか、通産省や経企庁はどう動いたのか。財界はどう反応したのか。アメリカはどこをどう動かしたのか。

いずれにせよ、今度の一体改革が「97年の二の舞」になるのではないかという不安は、国民のあいだに根強くある。だから政府・財務省はそうならない根拠を示さなければならないのである。少なくとも97年「改革」を総括し、その失敗の原因を明らかにし、97年との違いを明らかにしなければならないのではないか。

ところがどうも、その作業は棚にあげて、「97年は特殊な年だったから、消費税引き上げによる景気悪化とはいえない」といって、頬被りしようとしているようにも見える。これでは原発再開の議論と変わるところはない。 

 

U 1997年論 まずは年表から

1997年4月

1 財政構造改革を旗印に、消費税が税率3%から5%など負担増9兆円、公共投資など歳出削減4兆円
8 東京外国為替市場で4年7か月ぶりの円ドル126円台に。
25 大蔵省,日産生命に業務停止命令

1997年5月
 16日 改正外為法(外為取引の自由化)、改正商法(ストックオプションの解禁)が成立

1997年6月
13 金融制度調査会,証券取引審議会,保険審議会が日本版ビッグバンの実現を目指す報告
16 患者負担増(本人2割負担)を柱とする医療保険制度改正関連法案が可決成立。9/1より施行
30 第一勧銀・野村證券に業務の一部停止の行政処分を通告。年末まで。
6月 株式は年間最高値をつける

1997年7月
3 アジア通貨危機がはじまる。タイが通貨バーツが変動相場制に移行。実質的な切り下げ。東南アジア各国では,外貨流出や通貨下落が相次ぐ。

1997年8月
15 ニューヨーク株式市場、ダウ工業株平均で247ドル安。史上2番目の下げ幅。株安が世界に波及。

1997年9月
11日 第2四半期、第1次石油ショック以来のマイナス成長(前期比年率−10.6%)を記録

1997年10月
27日 NY株、ブラックマンデー上回る急落。初の全面取引停止.

1997年11月
3 三洋証券が会社更生法適用を東京地裁に申請。負債総額3736億。
17 北海道拓殖銀行が経営破綻。都銀初の破綻。道内営業権を北洋銀行へ移転へ。
21 韓国,IMFに約200億ドルの支援要請
24 山一証券、廃業の申請を決定。簿外債務2648億円。
11月 財政構造改革法が成立。6年間で赤字国債の発行をゼロにする計画。その後財政による景気対策を制約することとなる.

1997年12月
5 NY外国為替市場、1ドル130円に。1992年以来の安値。日銀30億ドルの円買いドル売り介入
17 橋本首相,2兆円特別減税表明

1998年1月
補正予算。公共事業の追加1兆円と,次年度公共事業先取りが1兆5千億円

2月 金融機能安定化緊急措置法,30兆円の公的資金投入。21銀行が公的資金申請

3月 ヤクルト,デリバティブで1057億円損失
3月 失業率過去最悪3.6%.有効求人倍率は0.61.完全失業者246万人.就業者数は6411万人

4月 緊急経済対策(16兆円、真水で10兆円)財政構造改革法を緩和、特別減税を拡大。


97年4月から98年4月までの経過である。経過表を眺めるだけでいくつかのことが分かってくる。

@景気の落ち込みが問題になるのは第4四半期に入ってからである。第2四半期の落ち込みは第1四半期の駆け込み需要の反動である。第3四半期はチョボチョボの線に回復している。しかし需要はまったく喚起されず、作っても売れない状況に入っていた。

A98年4月からの金融ビッグバンを前に、不良資産にあえぐ金融機関に自己資本強化が求められた。資金難の民間に貸し渋りは往復ビンタとなった。

B7月からアジア通貨危機が始まり、10月には拓銀、山一の破綻となった。株価は乱高下し信用不安が進んだ。

Cここでは明らかになったのはヤクルトだけだが、オリンパスもこのとき巨額の損失を出していた。企業は減収増益を目指し守りの体制に入った。新規採用はとまり、人々はますます財布の紐を引き締めた。

この経過で97年危機が訪れた要因は、9+4兆円のほかにアジア金融危機という外因、そしてバブルの最終処理の強制という三つに絞られるが、それぞれがどの程度の重みを持っていたかを吟味しなければならない。

 

V 今の時期、財政優先主義は本当に危険だ

10年前に低金利路線から量的緩和路線に踏み切って以来、世の中には金が溢れかえっている。普通なら天文学的インフレになるはずが、ひたすら金欠状態にあえいでいるのが現状だ。
つまり回る金の量は変わらずに、闇の世界に沈殿していく金の量だけがひたすら増えていることになる。この金がふたたび流通するようになることが、経済再生の根本である。

大企業やその内部留保をただ目の敵にしているわけではない。内部留保もふくめた闇の金が再循環に入っていくメカニズムを作ることが、あらゆる政策の根本に座らなければならないということである。

内需主導というが、別に内需でも外需でもどちらでも良い。とにかく回る金を作ることであり、増やすことである。

その方法としては二つのルートがある。ひとつは政府の税を通じた所得再配分であり、もうひとつは金融機関を通じた市場の活性化である。いま消費税を上げるべきではないとする根拠は、金融機関の貸し出し能力に強い不安があるからだ。

97年の「官製不況」を勉強すると、消費税の値上げもさることながら、「金融ビッグバン」の影響が極めて強かったことが分かる。

どこかに眠っている金でなく、循環している金から9兆円引き抜いてしまえば、たちまち金欠になる。しかしそのときに眠っている金が動員できれば、それはかなり緩和される。リスクは金利でヘッジされる。

しかし、そのとき同時に金融ビッグバンが進行していたから、銀行は貸し出しを強化するどころか、さらに市場から金を引き上げた。バブル以来の不良資産を一気に処分し、自己資本比率の達成に狂奔した。

燃え上がる列車から逃れた乗客は、隣の線路を走ってきたビッグバン列車にひき殺されたのである。

ウィキペディアに拠れば、かつて97年の政策不況のとき、当時大蔵省で財務官の立場にあり、事態を離れたところから見ていた榊原英資は「日本には、経済全体、日本全体を見て政策決定をするメカニズムが決定的に欠けている」と評したそうだ。
いままたこの言葉がよみがえりつつある。

 

W 「消費税が可哀そうだ」という駄文

1997年不況については、ネットで探した範囲では、山家悠紀夫『景気とは何だろうか』がもっとも理論の筋が通っていて、説得力がある。このページはそもそも岩波新書, 2 0 0 5年の抜き書きのようだ。

もう一つ、消費税を擁護する立場の文章もある。これはヨタ文章なのだが、書いた人間が慶應義塾大学 商学部教授 権丈善一 という偉そうな人なので、まずはその文章を鏡としながら論点の所在を探っておきたい。

勿凝学問174 「1997年不況の原因は、本当に消費税率引き上げなのか?」という表題で、「当時の公共事業費削減やアジア経済危機も思い出してあげないと、消費税が可哀想だ」というリードがついている。

これだけ読む限り、いわば経済専門家による消費税犯人論の真っ向からの否定だ。書き出しはのっけからけんか腰である。

1997年4月に消費税率は2ポイントあがった。そしてその年は深刻な不況に見舞われた。だから、深刻な不況は消費税のせいであるというので あれば、あの年8月のダイアナ妃の事故死も消費税のせいなのかと言いたくもなる。そして消費税率引き上げ前1月の松田聖子・神田正輝の離婚は、あれは駆け 込み離婚なのか?

ついで97年不況の見解をめぐる対立が“財政構造改革派と景気対策優先派”の対立 にあるとの説を唱える。

これは権丈教授の独特の見解であり、そもそもそのような対立があるのかさえ判然としない。

財政構造改革も景気対策もどちらも大事なこ とである。そのことに異論を唱える人はいない。同時に、財政構造改革が究極的に景気に左右されることも当然であり、景気対策が優先されるのも当たり前の話 である。少なくとも財政構造改革に執着するあまり、97年不況のような事態を再現することは断じて許されない。これはすべての人に共通する認識ではないだ ろうか。

権丈教授はこのような共通認識を踏まえているのだろうかという疑問を抱かざるを得ない。

もうひとつ、“見解が分岐するトピックとして、橋本内閣における財政再建努力をどのように評価するかという問題がある ”とも書いている。

これもおかしな話で、どのように評価するかと問われれば、すべての人が「失敗だった」と評価するだろう。問題は「なぜ、どこが、どのようにして失敗したのか」という分析であり、二度とこのような失敗を繰り返さないための教訓を汲み取ることである。

ここでも、権丈教授はこの共通認識を踏まえているのだろうかという疑問がわいてくる。

(ウィキペディアにもこう書かれている。
消費税引き上げ論者、ないし財政再建論者からも以下の意見が出されている。
@時期として適当でなかった。96年、景気はバブル崩壊から立ち直りつつあったが、力強さは見られなかった。A額が適当でなかった。B対処が遅れた。)

教授は97年不況が“社会実験の意味を持っている”と書いているがまさしくその通りだ。だから我々は貴重なこの経験から多くのことを学び取る必要があるのだ。その後の「経済白書」も、その内容は別として、私と同じ観点からこの問題にアプローチしている。

文章の性格からしてやむをえないとは同情するが、教授は97年不況の原因を以下のように簡略化している。

@1993年末から景気が回復してきた日本では、1996 年に実質年率3.5%の経済成長を達成した。

A1997 年5 月からの景気後退は、1997 年4 月の消費税率引上げ前後の駆け込み消費と買い控え現象だ。

Bこれに1997 年7 月以降のアジア経済危機を契機とした大幅な株価の下落などが、橋本財政構造改革の時期と重なってしまっただけだ。

上記の説を裏付ける根拠として、教授は一つのグラフ(転載せず)を持ち出し、以下のように説明する。

 1996 年の前半にピークを迎えた家計消費支出、政府消費、公的資本形成は1996 年中に低下傾向をみせはじめる。公的資本形成の減少とほぼパラレルに動いている

 1997年4月の消費税率2ポイント・アップは、景気の低下傾向そのものを加速するような影響を与えてはいない

と、驚くべきことに消費税主犯説の否定ではなく、消費税無罪論まで飛躍して行くのである。

そのために教授は、四半期集計のグラフの“消費税率の引上げ前後の消費の増減をならしてみる”という驚くべき手法を用いる。そして“公的資本形成の減少とほぼパラレル”であることを“発見する”のである。

公的資本は過少消費に対する対応策として出てくるのであり、基本的には民間消費とは逆相関の関係にある。民間の資本形成とあわせて見て行かなければならないし、本来パラレルになるはずのないものだ。

また4兆円の公共投資減少が100%効いて、9兆円の国民負担増が0%だという話も無茶苦茶だ。


たしかに97年不況は「二番底不況」と呼ばれ、バブルのツケの清算としての性格も持っているのだが、ここまで事態を一面化するのは異様としか言いようがない。

例えばここでは民間資本形成が意図的に除外されているのであるが、まさに政府消費による下支えで民間資本形成が持ち直し、3.2%の成長を実現したからこそ、政府は公共投資の抑制に着手したのだ。

もう一つ、政府投資の減少を主犯とし、よって以って消費税を免罪するのは、論点のすり替えである。問題は97年不況が「政策不況」であったか否かである。

政府投資の減少も、消費税や社会保障改悪と同じく、財政再建至上主義にもとづく政策だったのであり、その立脚点に立てば、それらは個別の手法の違いに過ぎないからである。


たしかに、経企庁は当初国民負担増の問題を取り上げなかった。そして現下の不況を「二番底不況」として描き出そうとした。しかし後には消費税などによる消費減退を指摘するようになっている。

現在の深刻な不況の主因は、官民が金融機関の不良債権処理を先延ばしし、バブル崩壊の後遺症を悪化させたことだ。政府が、不況の主因にメスを 入れないまま、公共事業を柱とする従来型の景気刺激策を繰り返し、効果が出なかっただけでなく、財政赤字の増大も招いた

経済企画庁の1998年版「日本経済の回顧と課題」

 

X 97年不況 まとまらない「まとめ」

とりあえずまとめ的感想を述べておく。

97年不況は二つのフェイズに分けられるし、分けて考えなければならない。第一のフェイズは4月の9兆円負担増と公共投資の削減に端を発しており、需要の冷え込みと相対的過剰生産を特徴とする不況だった。

第二のフェイズへの移行ははっきりしないが、市場不安に対する金融出動の遅れによりもたらされており、11月の山一、拓銀倒産を契機に不良資産問題が景気回復の足かせとなる構造不況へ移行していく。

ボクシングにたとえると、それまで優勢に進めていた選手が左フックをテンプルに食らい、ファースト・ダウンを喫したのが97年4月。そのあと弱点のボディーに次々と有効打を打ち込まれ、グロッキーになって行くのが第二ラウンドだ。

バブル崩壊を機に始まった「平成大不況」に対する数十兆円規模の財政出動と多額の公共投資は、この時点で無駄になってしまった。

企業はみな内向き思想に変貌し、自らの保身に汲々とするようになり。国内投資はハイリスクとして敬遠されるようになった。97年の橋本改革はたんに深刻な不況をもたらしただけでなく、政府の財政政策への不信を募らせ、日本経済のあり方に深い傷跡を残したといえる。


A) 97年不況はたんなる景気後退局面だったのか

山家さんは権丈教授とは逆に、95年から96年の経済動向は、97年がさらに成長を遂げる筈の年だった事を示している。バブル崩壊後の「平成大不 況」は93年末には下げ止まり, 95年からは「回復過程」に入っていた。96年度の名目成長率は3.4%を達成し、『経済白書』は、「日本経済は自律回復過程への移行を完了しつつある」 と述べた(古川)。

市場要因を見ると、人手不足や設備不足からくる物価上昇などまったく発生しておらず, 過剰在庫の発生も見られなかった.市場には後退局面に入る兆候はなかった。金融政策は、この期間においては不変(ゼロ金利)のままであり、景気に影響を及ぼしていない。

海外要因を見ると、 9 6年までの円高が、 9 7年は一転して円安に振れた。それまでの輸出抑制と輸入の増加による経済成長への圧力は一気に取り除かれた。アジアの経済危機の影響が日本の輸出の落ち込みをもたらすのは 9 8年のこととなる.

こうして見ていくと、逆に、山部さんの結論は財政再建を行うチャンスではあったということになり、問題はその規模・方法ということになる。

ただ、ここまで手放しに賞賛してよいかという点では有力な異論もある。愛知淑徳大学の竹村先生は、「バブル崩壊不況」に対する公的資金34兆円、円高対策21兆円(95年)の投入と公定歩合引き下げで持ち直した、いわば「カンフル景気」にすぎなかったと評価している。

B) 何が景気低下に寄与したか

上記を考えれば、GDPを比較するのではなく、GDP成長率の変化を見なければならないということになる。GDP成長率は96年が3.4%で97年 が1.8%であり、1.6%低下したことになる。この成長率低下に何が寄与したかを見なければならない。なお97年第T四半期が駆け込み需要で、第U四半 期がその反動の低下として相殺されたと考えれば、年度で単純比較するのは妥当であると考えられる。

部門別で見ると、家計部門(消費と住宅投資)がマイナス1.8%で最大である。政府部門(公共事業)は1.6%の減少である。企業部門の需要はむしろ伸びを高めている。

権丈教授の主張する政府部門支出は一位ではないし、民間企業部門の増加とトレードオフされている。それがそもそも公共事業の呼び水としての役割であ る。パラレルだからと言って因果関係を意味するものでないことは、教授自ら強調されている通りである。(もちろん、この不況には「二番底不況」という側面 もあり、そう単純に言い切れるものではないこともたしかではあるが…)

北村洋基氏は、このあたりの経過をもう少しダイナミックに描写している。

消費の減退が生産とのバランスを一挙に崩して過剰生産に陥った。設備の過剰と雇用の過剰, 債務の過剰が顕在化した。いったん減少に向かった不良債権が一挙に増加した。

 

C) 何が不況を深刻化させ長期化させたか

もっとも影響が大きかったのは政府の見通しの甘さと対応の遅れである。竹村教授によれば、

政府・日銀は、「資産価格の鎮静化は、景気に対して影響がないわけではないが、過度に恐れる必要はない」との見解を示し、「バブル経済」崩壊の影響を軽く見ていた。加えて当時の橋本内閣は、平成9年度に入っても、「景気の上昇局面が継続している」と誤った判断をしていた。

という。

かくして始まった政策不況が長期化し、「二番底不況」として深刻化するについては、他の要因も少なからず関連している。その中で特に大きいのは金融の機能不全である.山家さんはそのメカニズムを以下のように説明している。

 

この改革と景気とのかかわりが生じた順序はこうである.

@ 1 9 9 7年5月を山に景気は後退期に入った.

A そこにアジアの金融危機が重なった.

B その下で, 株価が低下の度を強めた.

C そうした一連のことの結果, 金融機関の抱える不良債権問題が再燃し.

D 経営の危機に遭遇した大手の金融機関を救済せずに放置した.

E そのことが, 一部の金融機関の経営の危機を,金融機関全般の経営危機へと深刻化させた.

F 金融危機は数多くの企業の資金調達を困難化し,景気後退を深刻化させた.

 

なお古川氏はこれに加えて、「金融システム改革」(金融ビッグバン)の影響を強調している。

 1998年4 月実施予定のビッグバンめざして不良債権の早期是正処置がもとめられ、それが出来なければ格付け会社から投資不適格の烙印を押された。

9兆円も持っていかれて世間が金詰りになっているのに、銀行が貸し出しできなくなったわけだ。とくに中小企業に対する貸し渋り(クレジット・クランチ)は、不況の深刻さを一段と深めた。

マイナス成長に陥った1998年については下記のごとく記述されている。とりあえず紹介だけしておく。

@ 家計部門の需要の落ち込みが1 9 9 7年を上回る。所得が減少し将来不安が高まる。

A企業部門の需要も大幅な前年比減少

B輸出もまた減少。円安だが、アジア向け輸出の落ち込みが影響