占領軍による戦後改革(1945〜1947年) 

昭和20年(1945)

昭和20年8月

8.14 日本、ポツダム宣言を受諾。

8.14 マッカーサー元帥、「連合国軍最高司令官(SCAP)」に就任。

マッカーサーが強烈な反共主義者であったことはよく知られている。また彼が指揮するGHQが共産主義者を真の友と考えたことは占領期間中に一度もなかった。(明神)

8.16 トルーマン、「日本の敗北後における本土占領軍の国家的構成」を承認。「日本は分割統治せず」との声明。

8.21 三省調整委員会、アメリカ単独で極東諮問委員会を設置すると決定。

この委員会(Far Eastern Advisory Commission)は本部をワシントンに置き、「軍事作戦や領土問題を除く、ポツダム宣言の履行に関する政策に関して勧告を行う」諮問機関とされる。10月23日の発足を目指すが、ソ連は不参加を表明。

8.26 大東亜省・軍需省・農商務省廃止.

8.28 連合軍総司令部(以下GHQ),横浜に設置。横浜税関を接収し本部とする。

8.30 マッカーサー厚木に到着し横浜に向かう。マッカーサーのそれまでの肩書は太平洋陸軍総司令官だった。横浜の本部は米太平洋陸軍総司令部でもあり、連合軍総司令部でもあっった。

昭和20年9月

9.02 戦艦ミズーリで降伏文書調印。GHQはこれに合わせ指令第1号・一般命令第1号を発する。敵対行為の禁止・日本軍の武装解除・軍需生産の停止などを柱とする。

降伏文書は「日本占領管理の憲法」と言われる。指令(Directive)、一般命令(General Order)については特別の定めはなく、覚書(Memorandum)を合わせてSCAP指令と総称される。一般命令は1号のみ、指令も9月に出された2号、3号まで。その後はすべて覚書の形式をとっている。それ以外にマッカーサー書簡という形をとることもある。

9.06 トルーマン米大統領、「降伏後における米国の初期対日方針」を承認し、マッカーサーに指令。直接軍政を敷かず、日本政府を通じて占領政策を実施することとする。

9.08 米兵約8000名、東京にジープで進駐を開始。都内の建物600箇所以上を接収。

9.10 マッカーサー,「日本管理方針」を声明.「間接統治方針」を明らかにする。

9.10 GHQ、「言論および新聞の自由に関する覚書」を発表。報道可能な範囲を規定しGHQに関する事項の報道制限を実施する。

この後、連合軍による検閲が開始される。19日にはプレス・コード(新聞準束に関する覚書)、22日にはラジオ・コードが出される。翌年1月には映画の検閲も開始する。

9.11 GHQ、戦犯39人について逮捕の方針を発表。東條元首相自殺未遂。翌日には杉山元帥自殺

9.17 GHQ、横浜から日比谷の第一生命ビルに移転。

9.20 「ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件」と題する勅令が公布される。いわゆる「ポツダム勅令」の法的根拠となる。

たへん分かりにくい概念だが、連合軍は間接統治を行ったため、直接法令を発することはできなかった。このため、議会を飛び越して「勅令」(天皇の命令)という形で改革を押し付けた。なぜ勅令かというと、ポツダム宣言を受諾したのが天皇だからである。

9.20 文部省、中等学校以下の教科書から戦時教材を削除を指示。教科書の墨塗り作業が始まる。(おそらく庶民にとって最初の戦後変化。ただしこれはGHQの直接指示ではない)

9.22 GHQ、「降伏後における米国の初期対日方針」を法的根拠とする指令第3号を公布。生活必需品の生産促進・輸出入活動の禁止を指示する。(これが民政に関わる最初の基本的指令となる)

9.22 GHQ、公衆衛生対策に関する指令。これを受け厚生省内に社会局(保護課・福利課・住宅課)、健民局に母子課が設置される。

9.24 トルーマン米大統領、マッカーサー司令官の権限に関して指令。(詳細不明)

9.24 「報道の政府からの分離に関する覚書」公布。日本政府の統制支配が廃止され、GHQの統制に移行する。

9.25 GHQ、「製造工業の運営に関する覚書」発令。日本に存続を許す工業の規模を規定。

9.26 哲学者三木清が獄死。GHQにショックを与える。この件を契機として治安維持法の急遽撤廃が決められたとされる。

9.27 マッカーサー、連合軍総司令部で、出頭した天皇を「謁見」する。この時の写真を各紙が報道しようとしたところ、内務省情報局が不敬として発禁処分とする。

9.29 GHQ、「プレス(報道)および言論の自由への追加措置に関する覚書」を9月27日付で公布。これを受け訪問写真が新聞に掲載される。

9.29 GHQ、戦時諸法令の廃止を指令。これを受け「大日本産業報国会」などが解散。満鉄・戦時金融公庫など29の特定金融機関が即時営業停止となる。

昭和20年10月

10.02 GHQ内に民政局(Government Section:GS)発足。局長はホイットニー准将.局長代理にケーディス大佐。

10.03 山崎巌内相、「治安維持法にもとづく共産主義者の検挙を継続する」と発言。

10.04 GHQ、「政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の除去に関する覚書」、「政治警察廃止に関する覚書」を発令。「公民権指令」と言われる.

@天皇に関する議論をふくむ思想、言論の自由を抑圧する一切の法令の廃止。A治安維持法関連の一切の法令の廃止。B政治犯の即時釈放。C治安維持法にもとづく特高など弾圧機構の解体、D弾圧を担ってきた内務大臣、警保局長、警視総監のほかすべての特高警察官の罷免。

10.04 「公民権指令」は、国務省の派遣したGHQ政治顧問アチソンらが、マッカーサーの同意を受け作成した。「直接の動機は三木獄死にある」とされる。

10.06 全国の特別高等検察(特高)を廃止する。

10.08 朝日新聞、毎日新聞、讀賣報知、日本産業経済、東京新聞の在京五紙に対する事前検閲が始まる。

10.08 GHQが五大改革を指令。東久邇内閣は実施不可能として総辞職。

五大改革: 1.女性の解放と参政権の授与、 2.労働組合組織化の奨励と児童労働の廃止、 3.学校教育の自由化、 4.秘密警察制度と思想統制の廃止、 5.経済の集中排除と経済制度の民主化

10.09 東久邇内閣に代わり幣原内閣が成立。

10.10 政治犯約2500人釈放.

10.11 政府、占領軍命令を受け閣議で治安維持法の廃止を決定。

10.12 マッカーサーが幣原首相と会見。憲法改正を示唆するとともに「五大改革」を口頭で指令。

10.13 幣原首相、マッカーサーとの会見を受け憲法改正のための研究開始を閣議決定。松本国務省が担当者となる。

10.15 治安維持法を廃止.11月には治安警察法も廃止。

10.15 国内の日本軍、武装解除を完了。参謀本部・軍令部が廃止される.

10.17 米国務省、GHQ政治顧問アチソンに訓令。憲法改正の基本的事項のアウトラインを示す。

10.22 GHQ、日本教育制度に対する覚書(日本の教育制度の管理についての指令)を公布。終戦連絡中央事務局を経由して日本帝国政府に送付する。(内容については別掲)

10.22 GHQ、「主要金融機関又は企業の解体に関する覚書」を発表。事業内容、資本構成等の報告の提出をもとめる。

10.24 GHQ、「信教の自由に関する覚書」公布。

10.30 GHQ、「教職員の調査、精選、資格決定に関する覚書」 を公布。半年間にわたり調査を行う。(21年5月に教職追放令)

昭和20年11月

11.04 GHQ、「持株会社の解体に関する覚書」を発布。持株会社整理委員会を設立し財閥の解体に乗り出す。15財閥の資産凍結・解体を指令.これを受け四大財閥の自発的解体計画が提出される。

11.08 米国賠償委員会、日本国内資産の調査を開始する。

11.08 米政府、マッカーサーに「日本占領および管理のための連合国最高司令官に対する初期の基本的指令」を通知。

11.10 GHQ渉外局、「日本の労働統制法規の撤廃」を発表。国民動員令、工場法戦時特令、労務調整令など8法令を廃止する。

11.10 GHQ、文部省に対して全教科書の英訳版提出を命令。

11.17 閣議、生鮮食品の配給統制撤廃を決定。36年ぶりの凶作で供給米価が6割高になる。

11.17 連合国最高司令官、「帝国政府二返還セラレタル物品」を生活困窮者および引揚者の応急救助に用いるよう指示。

11.19 GHQ、陸海軍病院に関する指令。陸海軍病院・療養所を厚生省に移管し一般国民に開放する。

11.18 GHQ,皇室財産凍結の覚書.

11.20 天皇が政治的動きを開始。伊勢神宮と靖国神社に相次いで参拝。近衛文麿の「帝国憲法改正要綱」、佐々木惣一内大臣府御用掛の『憲法改正案』上奏を受ける。

11.25 GHQ、「国家財政の再編成に関する覚書」を公布。戦時利得を没収し国家財政にあてるよう指示。

11.27 閣議、石炭・鉄鋼・非鉄金属など重要基礎物資の価格調整を撤廃。石炭は約4倍の価格になる。

11.30 GHQ、「教職員の調査、精選および資格決定に関する覚書」を公布。 軍国主義的教員の追放を指令。

昭和20年12月

12.01 陸軍省・海軍省を廃止。復員省を設置し残務に当たらせる。

12.03 大学での男女共学制度が実施される。

12.06 GHQ、近衛文麿や木戸幸一など民間人9人の逮捕を命令。

12.08 GHQ、救済ならびに福祉計画に関する覚書を発表。

12.09 GHQ、NHKに戦時日本軍部・政府の内幕暴露のドキュメント『真相はかうだ』の放送を指示。

12.09 GHQ,農地改革に関する覚書.これを受け「農地調整法」の改正法が公布される。

12.12 GHQが芝居の仇討ちものや心中ものの上演を禁止する。

12.13 GHQ、失業者援護計画の立案を指令。

12.15 GHQ,「国家神道に対する政府の保証・支援・保全・監督および弘布の廃止に関する覚書」(神道指令)を発する。国家と神道の分離.

12.16 モスクワで米英ソ三国外相会議。極東委員会(FEC)、対日理事会(ACJ)の設置を決定。

12.17 衆議院議員選拳法改正公布。婦人参政権が認められる.

12.17 B、C級戦犯裁判,横浜で開廷.(捕虜・住民の虐待容疑)

12.22 労働組合法公布。団結権と団体交渉権が保障される。(21.3.1施行).

12.26 鈴木安蔵らの民間組織「憲法研究会」による「憲法草案要綱」が発表され、GSは肯定的評価を下したという。

12.28 宗教団体法を廃止する。

12.31 GHQ,特定授業の停止を指示。修身・日本歴史・地理の授業停止と教科書の回収を指令. 

 

昭和21年

昭和21年1月

1.01 天皇,人間宣言.みずから神格を否定。

1.03 米陸軍省、日本の食糧が3000万トン不足していると報告。

1.03 マッカーサーの日本管理に関する報告が発表される。(日本の民主化と日本人再教育を主題とする)

1.04 GHQ、「好ましくない人物の公職よりの除去に関する覚書」(公職追放令)。軍人・戦犯・軍国主義者の公職追放・超国家主義団体27の解散を命令.

1.18 警視庁、初めて婦人警官を採用する。

1.21 GHQ,公娼制度廃止を命令.これを受け娼妓取締規則が廃止、1万400人の娼婦が解放される。

昭和21年2月

2.01 第一次農地改革実施.小作人に低価で譲与される。

2.03 マッカーサー、ホイットニー民政局長に自作の憲法案のメモを渡し、憲法モデルを作成するよう命じる。

民政局内に立法・行政・人権等の分野ごとに条文を起草する8つの委員会と、全体の監督・調整を受け持つ運営委員会が組織された。1.天皇を元首とする、2.戦争を放棄する、3.封建制度の廃止のGHQ三原則を骨子とする。

2.08 政府の憲法調査委員会、憲法改正(松本私案)をGHQに提出。

2.13 マッカーサー、幣原内閣の提出した「松本私案」を拒否,ホイットニー局長が新憲法モデル文章を吉田茂らに提示する.

2.17 金融緊急措置令を発令.新円への切り替えのため預金が封鎖される。

2.18 GHQ、文部省の教科書認定権を廃止すると発表。

2.19 天皇の全国巡幸が始まる。(天皇は必死だったろう)

2.26 連合国各国代表による極東委員会が発足する。ワシントンで第1回会議を開催。ソ・豪・英、天皇制廃止を主張。(極東委員会(FEC)は11ヵ国で構成され、形式上は対日政策の決定機関とされる)

2.25 新旧円の交換を開始する。3.03までの1周間で交換を完了し、旧円の流通が禁止される。

2.27 GHQ、社会救済に関する覚書(Public Assistance なので「公的扶助」に近い)。無差別平等・公私分離・国家責任・最低生活保障を指示する。

2.28 公職追放令公布実施.

昭和21年3月

3.02 GHQ三原則に基づいた「憲法改正草案要綱」が発表される。

3月5日 第一次教育使節団が調査を開始。大和魂八紘一宇などの教化のための日本史、修身、地理などの教科を廃止し、教育委員会やPTAなど民主制教育を提案。

3.09 都会地転入抑制緊急措置令公布.11ヵ国で構成される対日政策の決定機関

3.20 極東委員会(FEC)、「日本憲法に関する政策」を採択。憲法制定に関して世論尊重を厳命する。

昭和21年4月

4.05 連合国対日理事会(AJC)の第1回会合。最高司令官の諮問機関と位置づけられるが、マッカーサーはみずからが連合国の最高責任者であることを強調、対日理事会の権限が「助言」に限定されるべきと主張し関与を拒否。

4.10 新選挙法による総選挙.人心一新の新国会が成立。

4.17 政府,新憲法草案発表.

昭和21年5月

5.03 A級戦犯28人に対する極東国際軍事裁判が開廷.48年11月12日結審。

5.07 「教職員の除去、就職禁止及復職等の件」 がポツダム勅令として公布され、軍国主義教師が排除される。

5.11 GHQ、保健及び厚生行政機構改正に関する指令。各都道府県に民生部・衛生部が設置される。

5.12 皇居に米よこせデモが押し寄せる.マッカーサーは「暴民デモ」と非難.

昭和21年8月

8.01 闇市の全国一斉取り締まり.

8.12 経済安定本部・物価庁発足.傾斜生産方式を導入。

8.30 GHQ、ララ救済物資の受領ならびに配分に関する覚書を発表。ララ物資による救援を開始。

8月 持株会社整理委員会が活動を開始。83社の持株会社を指定し、株式・社債を処分するよう指令。

昭和21年10月

10.01 生活保護法、民生委員令が成立。

10.08 文部省,教育勅語の奉読を廃止するよう指示.

10.21 農地調整法改正。自作農創設特別措置法公布。第二次農地改革が実施される。

昭和21年11月

11.03 日本国憲法発布。(22.5.3施行)

11.06 GHQ、「隣組による神道の保証、支援に関する覚書」公布。「隣組」を利用した神社の寄付金集めを厳禁した。

11.16 「ポーレー最終報告」が発表される。日本国民の生活水準を、日本の侵略を受けたアジア諸国以下に留め、それを上回る設備・資産を賠償に振り向けるというもの。

11.26 会社証券保有制限令が発令。持株処分、企業間の役員兼任が禁止される。三井・岩崎など10大財閥の全資産を持株会社整理委員会に移管。10財閥の家族の資産が凍結される。

11.30 ミルク・衣類など「ララ物資」第1便450トンが横浜港に到着。

昭和21年12月

12.17 生活権確保・吉田内閣打倒国民大会開催.50万人が参加。

12.18 ワシントンの極東委員会、日本の労働運動16原則を決定(占領目的を阻害する労働運動の禁止)

 

昭和22年

昭和22年1月

1.04 公職追放令改正(第二次公職追放).さらに追放対象が拡大され、町村長レベルに至る21万人が排除される。

1.15 婦女に売淫をさせた者等の処罰に関する勅令が公布される。

1.20 学校給食実施.

1.31 GHQ、2.1ゼネスト中止を指令。伊井弥四郎がNHKでスト中止を発表する。

昭和22年3月

3.17 GHQ 結核対策強化に関する覚書を発表。また国庫補助率の引き上げ、届出義務化など伝染病対策を強化する。

3.31 教育基本法・学校教育法(男女共学、義務教育6・3制)公布.4月から新制度に移行。

3月 米国が第一次講和条約草案を作成。日本軍国主義復活を阻止するために、日本は無期限に連合国の統制のもとにとどまるべきとする。

3月 財閥家族56名を指定し、所有有価証券の持株会社整理委員会への譲渡を命じる。

昭和22年3月

4.01 町内会・部落会・隣組廃止.

4.07 8時間労働・男女同一労働・同一賃金をうたう労働基準法が公布される(9.1施行).

4.07 GHQ 保健所拡充強化に関する指令

4.09 労災補償保険法が公布される。

4.14 独占禁止法公布(7.20施行).財閥解体後の日本経済の民主化を恒久的なものとするためとされる。

4月 地方自治法を公布

4月 日本証券取引所の解散を命じる。

5月 GHQ、日本政府に対し「帝国」の語の使用を禁じる。

5月 トルーマン、官吏忠誠令を発し、破壊分子、政府内共産主義者の追放計画を打ち出す。

6.10 GHQ,8月15日から制限付き民間貿易再開を許可.

昭和22年6月

7.01 公正取引委員会発足.

7.11 アメリカ政府、マッカーサーの進言を受け、連合国に対し対日講和会議の開催を提案する。ソ連はこの提案に反対。

7.03 GHQ,三井物産・三菱商事の解体を指令.

8.04 最高裁判所発足.

8.14 GHQ、輸出入回転基金として5億ドルの対日借款を許可。

昭和21年10月

10.13 秩父・高松・三笠の3直宮家を除く11宮家51人の皇籍離脱を決定.

10.05 トルーマン米大統領、対日援助のためパン1切れ等食糧節約をテレビを通じて全米に訴える。これを契機にガリオア物資の救援始まる。

10.26 改正刑法公布(不敬罪、姦通罪の廃止).

昭和22年12月

2.01 失業保険法が公布される。

12.12 児童福祉法公布.母子手帳の配布が開始される。

12.22 改正民法が公布(家・戸主制度廃止、結婚・離婚の自由、財産の均分相続など).封建的家族制度の一掃、民主主義と自由平等主義が実現する。

12.27 GHQ、新年の国旗掲揚を許可。

12.31 内務省解体.

12月 アメリカ社会保障制度調査団が現地調査。GHQに報告書を提出。

 

昭和23年

1月 ロイヤル陸軍長官が日本を全体主義(共産主義)の防壁にすると発表。

3月9日 マッカーサー、大統領選に出馬する意思を表明。

4月 文部省の著作になる社会化教科書が発刊される。資本主義に代わる選択肢に修正資本主義、社会主義、共産主義を併記し、「諸君が日本の再建と世界と人類の福祉と平和のためにもっともよいと信ずるところに従って、自分で選ぶほかない」と記述。

5月 米陸軍省、ドレーパー報告書を発表。対日賠償の暖和。対日経済援助の勧告を行う。

6月 GHQ民政局のホイットニー、公職追放は永久的なものであり、講和後も持続すると声明。

7月 GHQ 社会保障制度の勧告(ワンデル勧告書)を日本政府に手交。

10月 アメリカの国家安全保障会議、「対日占領政策に関する勧告」を作成。対日政策がトップレベルで転換される。

11月22日 東京裁判がA級戦犯25人に有罪判決。うち板垣征四郎、木村兵太郎、土肥原賢二、東條英機、広田弘毅、武藤章、松井石根に死刑判決。

11月30日 政令201を受け国家公務員法改正。国家公務員の団体交渉・ストライキを禁止。

12月8日 民政局次長チャールズ・ケーディス大佐が帰国。昭電事件の余波から逃れる為とも、対日政策転換を阻止するためとも言われるが、その後日本には戻らず。民政局支配の終焉。

12月18日 アメリカが日本経済の自立復興に関する九原則を発表。その後1ドル360円の単一為替レートへ移行。

12月 岸信介らA級戦犯16人を釈放。

48年 6大都市の保育所300カ所にてララ物資給食開始・CARE物資による救援始まる。