2010年11月

2010年 ラテンアメリカの情勢

北海道AALA総会に向けて

 

ラテンアメリカはこの1年晴れたり曇ったりのお天気でした。大統領選挙はホンジュラス、コスタリカ、コロ ンビア、ボリビア、ブラジル、ウルグアイ、チリで行われ、3勝4敗でした。ベネズエラでは大統領選はありませんでしたが、国会議員選挙が行われ、チャベス 与党が辛勝しました。選挙ではリーマン・ショック後の内政課題が議論となり、チリでは保守派がピノチェト以来の政権復帰を果たしました。ホンジュラスの クーはあいまいなまま終わりそうです。債務危機、資源ナショナリズムを背景にした左派の躍進は踊り場に入ったようです。

もうひとつは、オバマの大統領当選で頂点に達した米国への期待が、ホンジュラス政変をめぐり、失望へと変わったことです。オバマはセラヤ大統領を捨て、次期大統領選の勝者を承認する方向に舵を切り換えました。国内右派への屈服です。

カストロは、オバマを批判するのは「残念だ」と述べた上で、「彼は他国に圧力をかけ、脅し、さらには誤魔化すようなやり方に抵抗できない人だ」と断じました。

アメリカの直接・間接の干渉が再び強まっていくでしょう。エクアドルのクー未遂事件はその象徴ですが、この動きが一段と高まることは間違いなさそうです。

しかしこの十年の基調は変わりません。むしろ着実に強化されているといえるでしょう。それは自主・民主・平和・発展の四つの言葉に括られるでしょう。発展という言葉にはマクロの数字だけではなく、生活の底上げ、エスニシティ・環境を含めた多様性の発展がふくまれています。

これに外交の側面から付け加えるなら多国間主義(マルチ・ ラテラリズム)という言葉を上げなければなりません。

 

T 地域機構

イベロアメリカ首脳会議

中南米19カ国とスペイン、ポルトガル、アンドラからなる首脳会議。10年12月に開かれた会議では「憲法体制や法治国家の破壊」を起こした国は、会議に参加する権利を失うと規定した。また中南米で4千万人といわれる非識字者を15年を目標に一掃する計画に合意。

南米諸国連合(UNASUR)

08年5月、南米諸国共同体(04年12月結成)12カ国の首脳が集まり、南米諸国連合(UNASUR)設立条約に調印した。米国の推進する米州自由貿易連合(FTAA)に対置された地域共同体構想と位置づけられる。

社会的、経済的な不平等の根絶を掲げ、貧困や社会的排除とたたかう決意を強調。主権尊重、領土保全、民族自決権、連帯、協力などを統合の原則として掲げる。

ブラジル、ウルグアイ、パラグアイ及びコロンビアの批准が遅れており、発効には至っていない。

今年11月に開かれた首脳会議は、エクアドルで発生したクーデター未遂事件を踏まえ、クーデター発生国に対しては、貿易の制限、国境封鎖、エネルギー供給の停止などの制裁措置を実施することで合意。即応性と制裁内容の厳しさにおいて前例のないものとなる。

サンパウロ・フォーラム

中南米各国の左派政党や進歩勢力が参加する会議。ソ連・東欧諸国の崩壊のなかで、「新しい時代のラテンアメリカ・カリブの左翼」のあり方と、新たな社会主義の道を探求するために結成された。

ヨーロッパの社会民主主義とは一線を画している。新自由主義に反対する共同のたたかいを重視し、転換に向けた具体的な代案や、地域統合のあり方などが議論されてきた。

8月に行われた第16回会議は、「戦争への道」を拒否し、「米帝国主義の役割と存在」を地域の安全にとっての「不安定要因」と非難し、外国軍事基地反対の立場を明確にするとともに、中南米を「平和地帯」 とする構想を提起した。緊張が続くコロンビアにかんしては、交渉による政治的解決を求める立場を強調した。

http://ameblo.jp/guevaristajapones によれば、これとは別に、今年11月にカラカスで、ベネズエラの与党、ベネズエラ統一社会主義者党(PSUV)の呼びかけで、第1回国際左翼政党会談(EIPI)が開催された。これには世界45カ国(ラテンアメリカ・カリブ26カ国、ヨーロッパ7カ国、アフリカ6カ国、アジア・オセアニア6カ国)の60以上の組織、150人以上の左翼政党・運動組織の代表が参加した。

チャベス大統領が、「いまや第5インターナショナルを呼び掛ける時が来た」と演説したようだが、「ボリビア、コロンビア、ニカラグア、ホンジュラスなどの党が賛成を表明」とあり、多数派を占めるには至らなかったようだ。

 

ALBA(米州ボリーバル代替構想)

米国による経済支配から脱して、自立した中南米の経済、社会を作るための地域経済協力機構。10年前にチャベス大統領が提唱した。

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赤旗2009年9月

 

当初はベネズエラとキューバの二カ国で発足。その後ボリビア、ニカラグア、エクアドルなどが加わり、現在は8カ国に達している。

米州自由貿易圏(FTAA)構想に対抗し相互支援と協力、連帯の精神での共同を進める。チャベス大統領は排除と貧困に対するたたかいと団結を呼びかけ、「社会主義によってのみ平等な社会を構築できる」と述べている。

保守派と目されたホンジュラスのセラヤ大統領がALBA加盟を表明したことは世界を驚かせた。これがクーデターの真の理由である。

08年1月の首脳会議でALBA銀行設立に合意。09年10月のALBA首脳会議では加盟国間の決済用通貨「スクレ」を導入することを正式決定した。また石油の試掘、採掘や精製、共同備蓄などを行う「エネルギー大公社」を設立することも確認されている。

米州機構(OAS)

かつては米国による中南米支配の道具となっていたが、最近では中南米諸国の声を反映する方向で強化されている。その象徴がインスルサ事務総長(チリ)の就任である。05年にはアメリカとメキシコが連携して推した候補との決選投票で僅差で勝利したが、10年3月には無投票で再選を果たした。

ワシントン・ポストはインスルサが左派政権に「迎合」し、「代議制民主主義の強化と促進」において失敗を続けていると指摘。チリのピニェラ次期大統領が支持を明らかにしていないとデマまで飛ばした(その後ピニェラはインスルサ支持を確認)。しかし米国は対立候補を擁立することすらできなかった。

ついで6月に行われた総会では、ホンジュラス問題が最大のテーマとなった。クリントン国務長官は、「いまやホンジュラスを米州機構に迎えるときである」と主張、インスルサ事務総長も復帰を支持した。

これに対しブラジルは、セラヤ前大統領が帰国し、国内で政治活動をおこなうことができるという民主化の保証が必要であるとした。

リオグループ

最初は80年代初め、ニカラグア問題の中南米自身による解決を目指して結成されたコンタドーラ・グループだった。中南米の軍事政権が崩壊した結果参加国が増え、リオグループと名を変えた。

大国の経済的横暴に反対し、「もっとも弱い部門に利益をもたらす発展と社会的政策を進めると同時に、雇用と国内生産力を守る必要」があると強調した。09年にはキューバを正式加盟国として承認している。

中南米・カリブ統一首脳会議

2010年3月、最初の会議がメキシコで開催された。中南米・カリブ海地域の33カ国中、ホンジュラスを除く32カ国が参加した。

会議は主権の尊重と紛争の平和解決などを原則に、各地域で進んできた地域統合を全域に広げた「新たな共同体」の結成で合意。独立と平等、内政不干渉、紛争の平和解決、国連憲章の尊重、民主主義の擁護、公正な国際秩序の建設などを原則とする。

主催国メキシコのカルデロン大統領は、解放者ボリバルが中南米全体を一つの共和国のように統一する構想をもっていたことに言及。「団結したアメリカというボリバルの理想は生き続けている」と強調した。

具体的な機構形成については今後の課題とされる。南米に比べれば、中米・カリブ諸国はいまだに米国の影響力が強いため、激しいせめぎあいの場となっている。

 

 

U 各国の動き

メキシコ

カルデロン大統領は、「アメリカは麻薬の最大消費国であり、国境を越えて入ってくる武器の規制も行っていない」として、メキシコ内の麻薬戦争に責任があると言明した。メキシコ麻薬戦争の経過については別項を参照のこと。

 メキシコでは94年のNAFTA(北米自由貿易協定)発効以降、農民の4割に当たる250万人が離農し、アメリカへの移民は年間20万から60万人へと急増した。94年からの通算で約1千万人が出国したことになる。

  メキシコ政府は@国民の主食であるトウモロコシも自由貿易の対象とした。A打撃が予想される農業への支援・投資をまったく行わなかった。B輸入割り当てには上限が定められたが、これを一度も適用しなかった。いっぽう米国は、研究補助などの名目で巧妙にカモフラージュされたダンピング輸出攻勢をかけた。

 その結果、国内消費への輸入割合いがトウモロコシで33%、大豆では90%に達した。国内消費全体における米国からの輸入依存率は5%から40%に高まった。この傾向が続けば、20年後には依存率は80%に達すると推計されている。

 国内トウモロコシ価格はいったん低下したが、国内生産の崩壊により国際価格の変動をまともに受けることになり、石油価格の高騰、穀物騰貴、気候変動などで乱高下を繰り返しながら、全体として上昇している。

 

グアテマラ

08年、中道左派として50年ぶりに政権を握ったアルバロ・コロン大統領は、弁護士殺害事件に関連してマスコミから攻撃された。これは麻薬がらみの事件を扱っていた弁護士が殺害され、その弁護士が生前に「もし私が殺されたら犯人はコロン大統領だ」とのメッセージを残していたものである。

コロンは疑惑を全面否定したが、メディアは連日ビデオを流し、中間層、上流層を中心とする数百人規模の抗議行動が続けられたが、コロンへの支持を突き崩すことはできなかった。

アルバロ・コロン大統領は、グアテマラの先住民地域のひとつで、キューバ方式によって文盲をなくしたと声明した。グアテマラでは、1,430万人の国民のうち20パーセント以上が文盲である。全体の42パーセントを占める先住民ではその割合がいっそう高い。

「グアテマラの免責に対する国際委員会」、グアテマラでの組織暴力は改善が見られないと非難。この委員会は、武装解除などを支援するために、国連とグアテマラ政府の間の合意により、2008年に設立された。

グアテマラは、中米の中で女性が最も多く殺害される国である(毎日2人強の割合)。ロス・セタスが行動する地域で、性的暴力を伴う殺人が増えている。女性は争いの戦利品になっている。犯人のほとんどは逮捕されず、罰せられもしない。

 

エルサルバドル

旧共産党を中核とする進歩政党のFMLN党が政権を握った。しかしマウリシオ・フネス大統領は親米・自由主義経済を踏襲しながら、慎重に改革を進めている。キューバとの国交樹立こそ就任時に行ったものの、ハバナ訪問は1年以上も先のこととなった。

フネスはCNNレポーターとして反政府の発言を行った。FMLNから「勝てる候補」として擁立された人物で、元々の政治路線は中道派である。しかしそれだけではない。通貨はドル化され、人口の4分の1が米国に移住し、彼らが毎年送る数十億ドルがGDPの20%に達する。こういう状況の中で、とりあえずやれることは限られる。

犯罪組織の国際化と凶暴化が進んでいる。「バンディージャ」による殺人は、1日平均12人に達している。バス経営協会は、今年の運転手や車掌の死亡は、1日当たり2.5人だと発表している。政府は約2,500人の軍人を6ヶ月期限の治安対策要員として派遣し、警察を支援している。

フネス大統領は、メキシコのロス・セタスが暴力組織との結びつきを強めていると警告。新犯罪法を制定した。9月には政府の犯罪新法に反対して、バンディージャが3日間にわたり交通をストップ。国内は麻痺した。

 

ホンジュラス

09年9月、クーデターによって「大統領」となったミチェレッティがブラジル誌とのインタビューで本音を漏らした。「軍がホンジュラスからセラヤを追い出してしまった。私はそのような決定には責任がない」と述べた。

これはその数日前に最高司令官ロメオ・バスケスが「セラヤ追放は軍が考えたものではない」と言明したことに反応したものと見られる。

同時にセラヤへの逮捕命令は「合法」であり、最高裁が認めたものだったと弁明した。

米政権内での力関係が、セラヤ不在下での大統領選挙の承認へ結びついた。オバマの判断は米国内の保守派の賞賛を得た。 この政策転換のために60万ドルが費やされたと「ザ・ニューヨーカー」誌は報じている。

12月にはセラヤ派のデモに発砲、4人が死亡した。セラヤはホンジュラスの首都テグシガルパのブラジル大使館に立てこもっていたが、各界の説得を受けホンジュラスから退出。同時にミチェレッティも大統領職を離れた。

クリントン国務長官はポルフィリオ・ロボ政権を承認し、ホンジュラスを米州機構に復帰させるよう求める。エクアドルは、「人権侵害事件が続く限り、セラヤ前大統領が認められない限り」、新政権を承認しないと主張。

ジャーナリストが走行する車から撃たれて殺害された。ジャーナリストの暗殺は今年に入って9人目である。米州人権委員会は「ホンジュラスのジャーナリストの状況は警告に値する」と声明。

 

ニカラグア

07年1月、18年ぶりにオルテガが大統領に復帰した。オルテガは「IMFの命令を"熱心に"守った結 果、ニカラグアはラテンアメリカや世界で最も貧しい国になってしまった。多くの貧困者を残した野蛮な資本主義ではない、新たな道を取る」とし、ただちに保健と教育を無料化すると言明した。

最初の施策は高級公務員の給与引き下げだった。自らの給与を1/3に減額し、これにあわせ閣僚、議員、判事の給与も減額した。

08年地方選では142市のうち106を獲得するなどサンディニスタが圧勝した。大統領選での得票率が38%に過ぎなかったことを考えると、1年半の間にサンディニスタが急速に支持を拡大していることが証明された。

 

コスタリカ

大統領選挙の争点はなんともむなしい。ノーベル賞大統領アリアスの後継者チンチジャ(女性)は、「左右双 方の大衆迎合主義を排する」と主張。チャベスやオルテガへの敵意をむき出しにしている。野党はもっと右寄りで、経済のドル化、国家の介入の除去、自由貿易 の促進という時代遅れのネオリベラリズム政策を訴えている。

カストロをピノチェットと並ぶ独裁者と非難した御大アリアスも、いまや鉱山開発にまつわる疑惑で検察の事情聴取を受ける身となっている。

ちょっと余分だが、腹が立つので06年12月のアリアス発言を紹介しておく。「フィデル・カストロは処刑場で反対者を殺害することから始めた。ピノチェットと何らの違いがない。イデオロギーは異なるが、二人とも野蛮で、残忍で、血なまぐさい」

 

パナマ

世界的な経済停滞の影響を受けて船舶からの通行料が減少し、経済的打撃を与えた。トリホス大統領は失業問題の解消、地域の貧困層向け社会プログラムなどを推進してきたが、これらの政策の継続は困難となった。

09年5月、大統領選挙が行われ財界代表のリカルド・マルティネスが当選した。パナマはそれまでの中道左派政権から右に急展開した。09年9月には米国の海軍基地を設置することでアメリカと合意した。コロンビアの米軍基地への物資のほとんどがパナマを通過しているとされる。

 

 ジャマイカ

首都キングストンのチボリ・ガーデン地区でギャングと警官との衝突が24日に始まった。500名が逮捕され、60名の死者を出す。死者の大半は若者で、大半がコウクの組織のメンバーか支持者だと見られている。

クリストファー・ドゥダス・コウクは41才。麻薬や武器の取引で米国から引き渡しを要求されているが、ゴールディング首相はそれを引き延ばしてきた。

ジャマイカでは、毎年約1,700人が殺人事件に遭っている。

 

キューバ

 

Raul Castro

 

2008年2月24日、人民権力全国議会において、ラウル・カストロが国家評議会議長に選出された。

ラウル・カストロ国家評議会議長は、「肥大した」国家従業員を減少し、非生産的な労働者を他の雇用に向けるための緊急手段」をとると言明した。

さらに「社会主義国家は名誉ある生活のために必要な支援は提供するが、キューバが働かないで暮らせる世界で唯一の国だ、との概念は消さなければならない」と強調した。

8月にラウル・カストロ議長はミクロ企業、自立雇用の振興を目指す方針を発表した。これによって、国営企業から解雇される50万人の雇用を確保するのが狙い。

今回認められた活動の多くは、違法だが公然と行われていたものがほとんど。 これと同時に個人への所得税を導入し、税率を25パーセントとした。

また使われていない国家所有の土地を農民に引き渡した。

9月、ラウル・カストロ政権は、大量解雇を開始。半年で約50万人の国家労働者が解雇される予定。政府部門は石油、バイオ、医薬、観光など、戦略的、国際的な分野に限定される。

キューバ政府は労働者が効率と生産性を示すように要求し、解雇された人々に対しては、5ヶ月の間、賃金の最大60パーセントを補償すると発表。

10月には保健部門の「非合理的コスト」を取り除くためとし、「再組織化」、「コンパクト化」、「地域化」のプランを発表。

この措置は、キューバ当局が50万人の政府職員を解雇するのと平行して行われるもので、保健部門で働く人々は60万人いる。

フィデル・カストロも、キューバのモデルは「もはや機能しない」と述べた。

マリノ・ムリジョ経済相はプレスに対し、「これは改革ではない。経済モデルを現実に合わせるものであり、私たちは内容を検討中であり、進行はゆっくりしたペースになる」と説明。「計画化と集中化、国家所有は今後も継続させるが、一定の分野での自由化が行われる」とした。

 

ハイチ

11月18日の時点で、コレラの発病者は18,382人に達した。コレラによる死者数は1,110人に達した。10月末の発表では、発病者4千人、死者は300人だった。

パンアメリカン保健機構は、対策が遅れれば死者は1万人に達するかもしれないと警告した。なお、1月12日のハイチ地震の死者は23万人である。

 

コロンビア

昨年の今頃は、ウリベ三選間違いなしの雰囲気だった。8月、議会は三選のための憲法改正に関する国民投票案を可決した。

 

Álvaro Uribe Vélez

 

10月、コロンビアとアメリカは軍事協定に調印した。800人の米兵の駐留と7つの空海軍基地の使用を認めるもの。「民間契約者」は別枠となっている。これによって、米国はコロンビアの基地からの作戦展開が認められる。

この協定はベネズエラなど南米諸国の批判を呼んだ。

「コロンビアの基地を利用してヤンキー帝国がベネズエラを攻撃するとすれば、どこから攻撃してくるかを我々は知っている。そうなれば100年戦争になり、 戦線は南米大陸全体に広がるだろう」

ウーゴ・チャベス大統領はこのように述べ、国民に向かって「平和を望むなら、戦いに備えよ」と 呼びかけた。

09年11月のBBC報道によれば、FARCは8,500人、ELNは2,200人を擁している。FARCはアルフォンソ・カノの指揮の下に撤退の段階を終わり、武力作戦が可能になるまで回復している(マルランダの後継者モノ・ホホイは10年9月に軍の爆撃を受け死亡)。

12月には両者が共同声明を発表。抗争を中止し、ウリベの再々選とアメリカの基地利用を阻止するため、共同で戦うと述べた。

さらにもうひとつ、困った問題が発生している。2006年に武装解除された民兵組織に代わって、新たな「麻薬・民兵組織」が出現していることである。32の県のうち29で彼らの存在が報告されており、メンバーは1万人以上に及ぶ。

コロンビア政府にとっては、戦いをさらに深めるか、交渉の道を探るかの二つの道が、再び問われている。

これらの要因が重なり、70パーセント以上を維持してきウリベへの支持率は急落した。1月末の世論調査では、三選賛成41%に対し反対が47%と逆転した。この世論を背景に、2月、憲法裁判所は3選のための国民投票を却下した。

ウリベ派はこれを受けて、フアン・マヌエル・サントス元国防長官を候補に指名した。副大統領候補者には70年代に共産党書記長をつとめたアンヘリノ・ガルソンを指名した。

5月の第一回投票ではサントスが47%、対抗馬の緑の党モクス候補は22%にとどまった。

選挙戦の中でウリベの大規模な不正が明らかになった。自由貿易協定で影響を受ける農民に対する補償とし て、5,000億ペソの基金を設けたが、同協定は発足せず、基金だけがアミーゴの間で分配された(La Jornada)というものである。すでにウリベに対する捜査は開始されており、議会は168件にわたる告発を行っている。

8月、サントスが大統領に就任するとただちにチャベス大統領との会談が開かれ、外交関係を再開することで合意した。

新任のサントス大統領に最初の難題が持ちかけられた。憲法法廷が、軍事基地に関する協定は議会の承認を得ていないから憲法違反であるとの判断を下したのである。この協定はウリベ前政権が2009年10月にアメリカと締結したものである。

法廷は、1年以内に協定を修正し、議会に提出するよう求め、それが行われない場合には無効になるとしている。これを受けた新政府は、「南米諸国の安寧に何事も引き起こさないよう、協定の検討作業を進める」と述べた。

 

ベネズエラ

チャベス政権とメディアとの抗争はいまだに続いている。テレビ局グロボジションはクーデターを呼びかけたとして行政処分を受けた。政府はラジオ240局の免許の見直しを行い、09年8,9月に63の放送局を閉鎖した。

コロンビアがアメリカとの軍事協定を結んだ後、両国の関係は一段と悪化した。

チャベスはコロンビアとの衝突に備え、軍備を増強しつつある。ロシアから、スホイ型戦闘機24機、重武装ヘリコプター50機、戦車90両、10万挺のカラシニコスが購入された。(これでも軍事バランスでは圧倒的に劣勢)

09年、リーマンショックと原油価格の下落により、政府予算は7%の削減を余儀なくされた。10年に入って、さらに不安材料が蓄積しつつある。アンデスを襲った空前の旱魃により、水力発電が機能不全に陥り、度重なる停電が起きている。

1月には副大統領兼国防大臣のラモン・カリサレスが辞任、同時に妻の環境大臣も辞任した。理由は個人的なものとされている。後任には、アリアス・ハウア農業相が任命された。

2月には02年クーの際にチャベスを支えたバドウェル元国防相らの「護憲派」(Polo Constitucional)がチャベス辞任を求める声明を発表した。バドウェルは2007年に国防大臣を辞任後、反政府側の重要人物となり、軍時代の同僚などからは「裏切り者」と烙印されている。

3月には与党のベネズエラ統一社会党副総裁アルベルト・ムジェル・ロハス元将軍がチャベスを批判し辞任した。10年に入ってからの3ヶ月で統一社会党幹部11人が離党した。

こうした中、9月に国会選挙が行われた。165議席のうち、与党が90議席を獲得、過半数を制した。しかし都市部では野党が圧勝した。

 

エクアドル

 

Rafael Correa

 

09年9月、マンタ基地から最後の米軍機が飛び立った。コレアは米国の継続使用を拒否し、10年契約の終了を宣言した。

新憲法では、「エクアドルは平和の領土」とし、領土内での外国基地の設置や委譲は認めないとされる。

09年10月、先住民組織CONAIEの画策した政治的ストはコレアの断固とした姿勢を前に挫折した。CONAIEはかつて実力行動によりマウアド政権を打倒した実績を持つが、最近では米国の支援を受けた右翼集団とみなされる。

09年の雨季入りは大幅に遅れ、各地で旱魃の被害が深刻化した。与党は天候と環境破壊のせいといい、野党は政府の対応策が遅れたためと非難。

10年9月、コレア大統領は治安に関わる職員がこれまで受けてきた優遇措置の根拠となる「公共サービス法」を廃止すると言明。警察官はこれを拒否して、キトその他の警察本部を占拠した。

30日、コレア大統領は警察本部に向かい、制度廃止の説明を行ったが、大統領に向けて催涙弾が投げられ、大統領は病院に運ばれた。

病院の全ての出口が抗議の警官で囲まれた。コレアは、「私はこの病院から大統領としてか、死体として出るつもりだ」と宣言。両者はにらみ合いに入った。

政府は、クーデターの動きだと警官の行動を非難、軍は政権への支持を表明した。10月1日、特殊部隊が強制的に警察病院に突入しコレア大統領を救出した。

コレアは、今回の事件はルシオ・グティレス元大統領一派が,政権不安定化を狙って行ったものだと非難した。インスルサ米州機構事務総長は、警官の意図が騒乱によって政権の不安定化にまで持って行こうとするものだったと言明した。

例によって、その後真相が明らかになってきました。インスルサは控えめに言っていますが、これは明らかなクー未遂事件です。主犯はグティエレス前大統領で、黒幕はアメリカです。つくづく感じますが、マス・メディアはうそつきです。近日中にまとめてレポートします。

 

ペルー

ペルー国会は堕落の極に達している。4年間で120人の議員のうち82人が犯罪や重大な欠陥を非難され、27人が汚職や個人生活のスキャンダルにさらされ、5人は特権を奪われた。

85パーセントの国民が議員の実績を評価していない。

10年10月、首都リマの市長選挙で、中道左派の候補者が選出される。統一左翼のバランテス以来、約30年ぶりの左翼の勝利。スサナ・ビジャランは元閣僚、教育者で61才。貧困世帯の子供の栄養改善運動などを訴えた。

選挙母体となった「社会勢力」は、ビジャランの出身母体である社会民主党のほか、ペルー共産党・赤い祖国(PCP−PR)など左派勢力のほとんどが参加した。マスコミなどは終盤、センデロ・ルミノソに関係しているなどの反共キャンペーンをおこなったが、功を奏しな かった。

 

ボリビア

 

Evo Morales

 

09年12月、新憲法下初めての大統領選でモラレスが圧勝する。ラパスでは80パーセントという衝撃的な支持を獲得、これまで野党が圧倒的に強かったサンタ・クルス州でも「引き分け」であった。

モラレスは、就任時に打ち出した「民主的・文化的革命」を推進すると言明。

腐敗問題については、「汚職でボリビアは2から3億ドルを失っている」と言明。銀行会計の公開、政治家や経営者の資産調査権を発動し、厳罰に処すると述べた。

ボリビアはこの間、天然ガスとメタルに支えられ、経済成長を維持し、年間300億ドルを獲得してきた。政府はこの基金を元に教育、母性保護、人口の多い最貧層への給付を実現してきた。

新政府は、反政府派のオスバルド・モナステリオの2つの所有地を「不正に取得したもの」として接収する。モナステリオは畜産銀行の所有者で反政府テレビ局Unitelの大株主である、

続いて大統領選の対立候補レイエス・ビジャに、書類偽造の疑いで逮捕命令を発行。レイエス・ビジャはリマ経由でアメリカに逃亡。

さらに政府は軍事独裁時代の人権問題にも踏み込んだ。国防相は軍に対し行方不明事件の情報を検察に提出することを指示したが、軍司令官はこれを拒否している。

4月、注目の地方選挙が行われたが、パンド、ベニ、タリハ、サンタ・クルス州を野党の手から奪還することはできなかった。

5月、コラニ、グアラカチ、バジェ・エルモソの電力3社が政府により接収された。モラレスは「エネルギーの80%を管理下に置いた」と発表。

5月、鉱山労組を中核とするCOB(労働評議会)は給与引き上げを要求。下級警察官は25%アップを求める「緊急宣言」を発表。(警官のストは要注意)政府は5%引き上げを約束する。労組はこれを拒否しストライキを行うが、大衆の支持なく失敗。

モラレスは、「4年間で賃金は40パーセント増加した。大統領の収入は6割カットした。閣僚や議員もこれにならった」と反論。リネラ副大統領は「無期限ストライキは、反革命的な内容を有している。背後には米国大使館がいる」と攻撃した。

COBのペドロ・モンテス議長は「これまでモラレス政権と同盟したことはない。他の選択肢がなかったため、モラレスを支持しただけ」と言明。(これは正しい。ペドロ・モンテスの日和見主義はつとに有名)

6月、モラレス大統領は、サンタ・クルス州知事ルベン・コスタスと会見。長年の双方の相違と争いを乗り越え、連帯のメカニズムを構築することで合意した。 7月には、各州の自治権を大幅に拡大する自治法など5つの法律が一括して成立、新憲法が完全に施行されることとなる。

 

ブラジル

09年12月、任期終了を控えたルーラは軍事独裁時代の人権問題に着手した。1979年の恩赦法が依然として有効ななかで、「真実委員会」を設けようとしたが、軍が強く反発。

大統領選挙では当初、野党が優勢であったが、ジルマ・ロウセフがルーラ後継者としての知名度を高めるにつれて支持率を上げる。

4月、ブラジルと米国は軍事協力協定に調印した。ブラジル側は、この協定によって基地の使用を認めたり、米国人が自由に出入りすることを認めるものではなく、コロンビアの協定とは異なると説明した。

5月、ルーラ大統領が、今度は国連食糧計画(PMA)の「飢餓との戦いにおける世界チャンピオン」に選出 された。「93パーセントの児童と83パーセントの成人が3回の食事をとることが出来るようになった」ことが評価された。国内でのルーラに対する支持率は 78%に達している。

ルーラ大統領の8年の任期の間に、GDPは大幅に伸び、インフレの抑制も成功した。中産階級が育ち、これがブラジル成長の原動力となっている。

農業生産は10年間でほぼ2倍化した。国連によると、ブラジルは50百万ヘクタールの耕作地があるが、さらに300百万ヘクタールの耕作可能地を持っている。

2014年ワールド・カップ、2016年のリオ・オリンピックなどのプロジェクトを控え、15年以内にブラジルは、世界の5大経済国の一つになるだろうと見られている。(40年前にもそうもてはやされた)

しかしブラジルの金利は世界で最も高く、財政負担はGDPの36パーセントに達する。

 

パラグアイ

 

フェルナンド・ルゴ(元司教)

 

2008年8月の就任時にフェルナンド・ルゴの支持率は92パーセントであった。

その後隠し子事件が発覚し、55パーセントにまで低下した。主要な支持政党は伝統的な政党である自由党で、農業改革には消極的である。

両者の確執の典型が先住民への土地返還提案である。先住民の土地返還の主張は米州人権委員会法廷の支持を受けた。05年に人権委員会はパラグアイ当局に3年以内に返還するよう命じた。

政府はこれを受けて議会に土地返還法案を提出した。しかし09年10月の議会では、野党コロラド党のみならず、与党内からも多くの反対票が出て、法案は否決された。

しかしルゴの政府が無能であったわけではない。イタイプー・ダムに関しては重要な成果を挙げた。ブラジルが電力を従来の3倍の価格で購入することで合意したからである。また公立病院における無料診療などの保健システムの改革をなしとげた。

しかしルゴの最大の功績は、60年にわたる政治的独占のあと、血を流さずに政権の交代を果たしたことにある。クーデターの動きは再三あった。ルゴは在任15ヶ月のうちに軍トップを4回更迭している。それは少なくとも4回のクーデター計画があったことを意味している。

新たな最高司令官のオスカル・ベラスケスは、貧困なサン・ペドロ県の出身で、ルゴが僧職を10年間務めたところで軍のトップを勤めた。

09年9月、ルゴは重大な決断をした。2010年に予定している米兵500人の駐在を拒否したのである。これにはUNASUR諸国の支援があった。

10月、ルゴは軍事独裁時代の権力犯罪を調査するため、国防省の文書を初めて公開した。

09年10月北部の農村地帯でパラグアイ人民軍(EPP)と自称するゲリラ・グループが活動を始めた。 EPPは、「自由祖国」という共産主義思想を持った小政党の流れを持つ、武装グループである。当局のデータによると、EPPは数百名の構成員を擁し、10 人から12人のメンバーで構成する細胞が22ある。活動の中心は、パラグアイの貧困地帯であるサン・ペドロ県。このあたりはブラジルと隣接しており、武器 や麻薬の往来が増えている「全面的に自由な土地」だと言う。

彼らは牧畜業者のフィデル・サバラを誘拐し、身代金500万ドルを要求した。ルゴは遅滞なく治安を取り戻すと言明。コロンビア政府の支援を求め、イスラエル製の突撃銃450挺と弾薬20万発を購入した。

 10年8月、ルゴは悪性リンパ腫の診断を受け一時政務を離れた。治療中に血栓塞栓を併発し、政務復帰は困難と見られたが、現在は治療を続けながら復帰している。

 

ウルグアイ

拡大戦線政府は高い支持を受けている。GDPは35.4%増加、輸出は100%増加した。公的債務は著明に減少している。失業率は13%から7%に減少、賃金は30%増加した。

09年9月、議会は軍政時代における政治犯や行方不明者に対し、ウルグアイ政府が補償することを定めた法案を可決した。失効法は国民投票にかけられたが、マスコミの反対宣伝のために成立しなかった。

最高裁は、軍独裁政権の軍人や警官の人権侵害を赦免した「失効法」の適用は憲法違反であると判決した。 10年8月、軍内の大規模な腐敗が明らかになり、オスカル・デバリ軍最高司令官が更迭された。これにより軍事政権旧幹部への告発が一気に進行した。

10月にはグレゴリオ・アルバレス元軍司令官に対し、25年の刑を言い渡した。アルバレスは当時、アルゼンチンに逃れた亡命者37人を現地で誘拐。ウルグアイに移送し、拷問のうえ殺害した。10年2月にはボルダベリ元大統領にも30年 の刑が下された。1973年のクーデターが「憲法に対するテロ行為」だと判断された。

11月、総選挙が実施され、拡大戦線のムヒカが大統領に当選。議会選挙でも拡大戦線が上下両院で過半数を抑えた。拡大戦線は社会党と共産党の共闘を中軸とする伝統的な統一戦線であり、軍事独裁時代には弾圧で多くの活動家を失った。

ムヒカは、前政権の堅実なマクロ経済政策を引き継ぎながら、貧困対策や小規模自営業への支援などを強める考えを表明している。

 

アルゼンチン

2009年、人権侵害の責任者に対する裁判数は最高に達した。コンドル作戦が法廷で裁かれることになり、6人の元軍人と情報機関の元関係者が自由剥奪、拷問、65人の殺人容疑で裁かれた。

被告ロベルト・レイエスは、反体制活動家に対する「尋問技術」、すなわち拷問のやり方をアメリカの軍人に教えられたと証言した。証言によれば、20人の米国レンジャー隊員が迅速に情報を得るためのマニュアルを伝授した。彼らは、「拷問は相手が死を求めるほどに行うべきだ」と言ったとされる。

10年10月、キルチネル前大統領が心臓病で死亡した。キルチネルの仕事についてはいずれ文章をまとめるつもり。

 

チリ

10年1月の大統領選挙で右派のセバスティアン・ピニェラ・エチェニケが勝利した。ピニェラは、「チリのベルルスコーニ」として知られる。航空会社LAN、サッカーチーム「コロコロ」やテレビ会社「チレビジョン」の持ち主で、選挙キャンペーン中には、独裁者ピノ チェットの元協力者との協力を申し出た。

ピニェラの勝利は主として中道左翼勢力の分裂によるもので、キリ民党右派のフレイ統一候補に対する不人気が勝敗の行方を大きく左右した。バチェレ現大統領の支持率は、選挙時点でも8割に達していた。

ピニェラは「コロンビア、メキシコ、ペルーなどとは、イデオロギー上の明らかな一致がある。ベネズエラとは、民主主義の実践、考えに明らかな相違がある」と発言。

しかし当選後の10年7月には少し変わる。ピニェラは、カトリック教会などが提案した人権侵害事件責任者の赦免を拒否した。

9月には、ピノチェト時代の遺産である軍事裁判法と反テロ法を改正することを明らかにした。とくに反テロ法は先住民マプチェ族運動を弾圧する根拠として用いられてきた。

ピニェラは人民連合政権の時代をカトリック大学の学生として過ごし、88年の国民投票ではピノチェト独裁反対の立場をとった。過去の経歴はあまり当てにはならないが…。