「私はエボ・モラレスの"やましさ"の証人だ」
フェリペ・キスペとのインタビュー
Herve do Alto
Online magazine : IV373 - December 2005
インタビュアー(Herve do Alto)の一言
フェリペ・キスペは、Pachakuti Indigenous Movement(MIP)の代表として、二度にわたり大統領候補となった。しかし、2002年の大統領選挙では、彼は微妙な立場におかれた。彼のカリスマ性と平易な語り口にもかかわらず、彼の得た票はわずかだった。そして、もはやエボ・モラレスとボリビア先住民代表の正統な代表の座を争うことは困難となった。それにもかかわらず、彼はボリビアの政治シーンの中に一つの中心的人物としてとどまっている。
質問: 2005年総選挙で、あなたの得票は前回(2002年)より6%以上も下回った。そのことを念頭に置きながら、この選挙に対するあなたの希望をお聞かせください。
フェリペ・キスペ: まず事実として、MIP(彼の政党)は経済的資源を持っていない。それは先住民みずからの、土着の組織であり、たった一つの資本はその活動家動員力にある。
だから我々は、ほかの政党のように地域におけるキャンペーン事務所を持っていない。
そういう条件の下でMASやPODEMOS、MNRなどと全国レベルで闘うのは厳しい。ほとんど不可能な闘いだ。
フェリペ・キスペ
それらの政党が多国籍企業や帝国主義の利益に沿って動くのなら、戦いはいっそう厳しいものとなるだろう。我々は、最も抑圧されたものの唯一つの代表としての栄誉を担うほかない。
しかしそれは、我々が敗者として出発することを意味するものではない。我々はいまも選良の座を獲得する希望を持っている。
質問: CSUTCBの分裂はあなたの運動に影響を及ぼしたか?
フェリペ・キスペ: まず第一に、あなたが覚えていなければならないことがある。それは、CSUTCBを割ったのはMASであったということだ。彼らは自らの運動組織を持っていた。それは「ボリビア土地なし農民運動」(MST-B)だ。それはMoises Torresによって導かれている。それから彼らには彼らのCSUTCBがあった。それはRoman Loayzaによって導かれていた。
エボ・モラレスは、私に戦いをしかけている。なぜなら私はエボ・モラレスのやましさの証人であるからだ。彼が農民防衛の戦列からそれてから、私は彼に許しを与えていない。
彼はMIPの活動家を物理的に除去したがっている。例えばこの大統領選挙で、私はチャパレに行くことが出来ない。入るのを拒否されている。ほかのどこにも行くことが出来るのに…
我々は、そんなことをしない。MASの活動家はアルティプラノへ入ることを拒否されなかった。私の本拠アチャカチにさえだ。
質問: アルバロ・ガルシア・リネラは、トゥパク・カタリ・ゲリラ軍(EGTK)以来のあなたの"同志"だ。彼は何度もあなたに訴えている。この選挙でMASのプロジェクトに参加するようにと。そうではないか?
フェリペ・キスペ: アルバロ・ガルシアは、本当に我々の"同志"であった。彼は、EGTKの司令官でさえあった。
ところであなたは、みずからの軍隊を裏切った司令官を見たことがあるか?
選挙キャンペーンの前に、ある集会で、私は彼に尋ねた。彼がMIPの副大統領候補者でありたいかどうか、あるいは国会議員でありたいかどうか…。そして、彼は拒絶した。
彼は、その時言った。「私は先住民の統一した指名によって、憲法制定議会に当選したい」と。我々はそれを拒絶した。
私がそれを知ったのは、ベネズエラにいたときだ。彼はMASの候補となっていた。そう、彼は裏切り者である。彼の片足は我が陣営の中にあった。そしてもう一方の足はMASの中にあったのである。そして、彼は行った。最も彼にとって好都合だった所へと。
彼はブランコ(白人)である。過去に全てのブランコがそうだったように、彼は、我が人民を裏切った。
質問: あなたは、選挙のためにMASと同盟することを拒否した。しかし、あなたは2005年3月に、ときのカルロス・メサ大統領に対して革命同盟協定を結んだのではなかったか?
フェリペ・キスペ: それは事実である。しかし、この種類の一時的な合意は、相互に憎しみ合う組織のあいだでさえ結ばれることがある。それは我々にとって異常なことではない。
私が1997年に刑務所から出てきたとき、実際、彼らは私をもとめてやってきた。その翌年、私はCSUTCBの委員長に選出された。そのときコンフェデラシオン(連合)は、エボ・モラレス派とAlejo Veliz派に分裂していた。私は一種のレフェリーであった。そして委員長に就任するにあたっては、二つの派と秘密協定を結ばなければならなくなった。
実際にこの協定に署名したのは3月のことだった。それは反リベラリズム、反帝国主義の協定であり、炭化水素の国有化に賛成する協定だった。しかし結局、それを破ったのはMASの方だった。
我々は彼らに対してセクト主義をとったことは決してない。我々は2002年には国会でエボを支持した。そして彼が大統領になるように願った。
質問: その問題に関してだが、あなたは記者会見では「議会ではモラレスが大統領になることを支持しない」と語った(ボリビアでは、絶対多数をとる候補がいなかった場合、決選投票は議会によって行われる)。その結果、彼は大統領になるチャンスを逃した。この立場を説明してもらいたい。
フェリペ・キスペ: 一つのポイントを明らかにしなければならない。このときの選挙キャンペーンは、我々にとってひとつの戦争だった。我々は、MASを含めすべての候補と闘っている。誰でも、彼ら自身の支持者を維持し拡大するために闘っている。例えばPODEMOSは自党のためにANDを支持した。
MASと我々の支持者は重なり合っている。したがって、この選挙キャンペーンでは互いに闘った。私が言ったことは、「12月18日の投票日の後、我々がどのような立場をとるべきだろうか」という仮定の話だ。
我々はMIPとして共同で決定する。我々はエボが大統領になるのを支持すべきかどうか、議会で選ばれた我が党の議員がどう行動するべきか。
質問: もう一つ、あなたは、間接的にだが、エボ・モラレスを攻撃することをためらわなかった。あなたは、「ジュンガスのコカだけが守るべきものだ」と述べた。そしてチャパレのコカが麻薬取引に原料を供給しているとの疑惑を公然と明らかにした。
その談話は何か新たな意味をふくんでいるのか?
フェリペ・キスペ: チャパレのコカは価値がない、原住民の人はそれを噛まない。チャパレのコカ栽培者は、自分ではジュンガスのコカを噛んでいる。それは千倍も味が良い。
だから、私は私自身に尋ねているだけである。「チャパレのコカが伝統的な使い方に不適当であるならば、その本当の使用目的はなんだろうか、麻薬取引以外だとしたら…。いずれにせよ、私にとって大切なことは、ジュンガスのコカを守ることだけである。それは、神聖な葉である。
しかし、ジュンガスはMASの歴史的要塞である。間違いない。全てのリーダーはMASに属している。しかし過去には、我々はそこにしっかりした基盤を持っていた。その後、ジュンガスの組織はMASによる中傷攻撃キャンペーンの犠牲になった。彼らは我々が腐敗しているといううわさを撒き散らした。
我々はそれにもかかわらず、この地域で独自活動を続けている。若いリーダーが育ち、長期の展望を持って地下で活動を展開している。
質問: あなたが大統領選に立候補したとき、大方の予想に反してハイメ・ソラレスを副大統領候補にしなかった。その理由は何か?
フェリペ・キスペ: 我々の政治的立場はソラレスと近い。そのことについては間違いない。しかし指導者としてのソラレスには批判が集中しており、これからもずっとそうだろう。そして出身母体のCOBからも強い批判を浴びている。
実際、彼には後援者がいなかった。COBはベニとパンド県でキャンペーンを組織する責任があった。しかし県レベルのCOBは何もしようとしなかった。彼らが活動家を動員するつもりがないのなら、我々はあえてCOBと連携するよりは独自性を保つ方が良い。
私はそれを明言した上で、ソラレスとの関係をいつまでも引き伸ばすのは賢明ではないと判断した。
質問: あなたは情勢をもう一度引き戻したいと望んでいるか? MAS政権の施策に対して反対する社会的動員を指導することによって?
フェリペ・キスペ: 私はこのような状況を見たことがない。私はMASが我々をニュートラライズしたいのではないか、あるいは我々を殺したいのではないかとさえ考えている。
アルバロ・ガルシアは、よく我々を知っている。そして、彼は我々を傷つける手段を持っている。我々は、間違いなく、地下に行かなければならない。そうしないとシステムを相手に戦い続けることが出来なくなっている。
アルバロ・ガルシアはMASの一味だ。ガルシアとMAS政権は疑いもなく我々の敵だ。
質問: 説明してほしい。アルバロ・ガルシアはずっと長いこと、戦いのなかであなたの同志だった。その彼がいまやMASの計画を推し進めている。それが目指しているのは「アンデス資本主義」である。一方であなた自身はますます「反資本主義」の立場を鮮明にしている。これはどういうことなのか?
フェリペ・キスペ: もう一度言おう。アルバロ・ガルシアは白人だ。彼は先住民ではない。彼の提案は、我々の運動とは全く合わない。先住民は、資本主義者ではない。それどころか、彼らは何世紀もの間資本主義の犠牲者であった。
我々は、共同体主義者(communitarists)である。「アンデス資本主義」はたとえどんな実際的な実施方法をとったとしても、失敗を運命づけられている。
訳者の感想 皆さんは「殺意」をどう感じるでしょうか。一般的には優越感の狂気への延長としての殺人があります。ドストエフスキーの「罪と罰」で描かれたラスコリニコフ型の殺意です。その裏には劣等感があり、社会からの疎外があります。たいていの世の中の殺人事件、とくに凶悪な連続殺人事件などは、これで一応は説明がつきます。
ただ殺意には「追い詰められ」型のものがあって、実は殺人事件の深層には「追い詰められ」心理がかなりあるのではないかと思われます。一見ラスコリニコフ型であっても、人間それだけでは殺人までには至らないのではないか、極めて独りよがりではあっても、そこには、のっぴきならないまでに追い込まれた状況の下での「正当防衛」的な心理機転が働いているのではないか? そういう思いがあります。いわばオテロ的殺意です。
造語するとすれば、ラスコリニフは「亡我的殺意」であり、オテロは「執我的殺意」です。同じ「殺意」でも、ラスコリニコフは「動物的殺意」であり、したがって繰り返しが効きます。それに比べるとオテロの方がはるかに高級で、「人間的」です。だからといって褒められたものではありませんが。
キスペというモラレスのライバルが、結局敗れてしまうのですが、彼はほとんど被害妄想の域に達しています。「こちらはフェアーに闘った。しかし相手は卑劣な手立てを用いて我々を敗北へと追いやった。かれらはそれでも足りず我々を存亡の危機に陥れようとしている。それどころか我々を物理的に抹殺しようとさえしている。いま反撃しなければこちらがやられる」という論法です。とにかく「鬼気迫る」というか、「めっちゃやべえ迫力」があります。