O U R   A M E R I C A

Havana.  May 15, 2008

BOLIVIA
Drawing the wrong conclusion

BY NIDIA DIAZ —Special for Granma International

ニディア・ディアスといえば、あのニディアだろうか? 84年の政府との和平交渉にファラブンド・マルチ民族解放戦線(FMLN=FDR)の代表の一人として参加し、その後捕らえられ激しい拷問を受けたが、国際世論の圧力の中で解放されたゲリラ戦士。その後自伝 I was never alone: A prison diary from El Salvador が国際的ベストセラーになった。そんなところで活動していたのか? 73年頃から学生運動に参加した経歴の持ち主だから、もうとうに50歳を越えているはずだが…

 

サンタクルス「住民投票」の真実

5月4日の論評で我々は述べた。サンタクルス県での分離主義者が企画した「住民投票」の策動は、詐欺と暴力によってしか勝つことが出来ないだろうと。

我々は誤っていなかった。不正な腐敗した選挙が県当局と「市民委員会」によって行われた。投票日前の雰囲気は恐怖に包まれていた。「キリスト教青年」(Juventud Crucena)を名乗るネオファシスト・ギャングが暴力行為を繰り返した。

しかしそれは賛成票の動員を保障するわけにはいかなかった。たとえ分離主義者が、問題の真実を無視して彼らの「勝利」を祝ったとしても。

人々は嘘をつかない。サンタクルスを支配しているのは農作物を輸出するオリガルキー(大地主)たちである。その農作物輸出業者に近いテレビ局さえ、棄権率が40-45%に達することを認めた。とくにMonteroやSaipina行政区では、棄権率はそれぞれ62%、60%という高率であった。さらにSan Julian and Cuatro Canadas地区では、住民の誰も投票に現れなかった。

プレス筋は無効票と白票があわせて11%に達したことを明らかにしている。

ルベン・コスタ知事と「市民委員会」の仲間Branco Marinlovicたちは、ずうずうしくも86%の賛成票で「勝利」したと確定した。それは数字的にはまったく信用できないもので、これら棄権票、無効票、白票を無視している。

オブザーバーとアナリストは、10人のサンタクルス居住者のうち4ないし5人が、分離主義者のおろかな行動につき合わなかったと発表したが、ルベン・コスタらはこれに対しなんらコメントしていない。

その唯一の目的は、一握りのオリガルキー家族の特権を永久に維持することである。そしてこの国を「銀の大皿」に乗せて多国籍企業に差し出すことである。

5月4日の夕方、大衆向けの演説で、エボ・モラレス大統領は断言した。

「ボリビアの人々は、もうだまされない。投票の80%以上をもつ勝利者がいると言われようと信じることは出来ない。何故なら、事実として、棄権と「反対票」と無効票、白票は50%を上回るのだから」

サンタクルス住民の行動は、不法な国民投票に対する彼らの不承認を明白に示した。そして、ボリビアの権威あるメディアの前に投票結果を明示する余地を与えなかった。彼らは賛成票の一枚詰まった投票箱を新聞社に見せたかったが、そういうたくらみは現実のものとはならなかった。

社会運動団体、そして住民団体は監視団としての役割を果たした。極右派はワシントンが用意した「台本」を実現するためなら何でもする用意が出来ていた。監視活動の最大の有用性は、世界に向けて、サンタクルスの極右勢力の不正で腐敗した本質を示すことにあった。

特筆すべきもう一つの側面がある。それは住民投票が、いまや恒例となった国際監視団なしで開催されたという事実である。国際監視団を入れようという動きもあったが、監視団側は、投票そのものが憲法違反の行動であると考えた。そして最高裁判所は国際監視団の導入を拒否した。

その代わりに、何十万人ものボリビア人が、サンタクルス、コチャバンバ、オルロ、ラパス、エルアルトの広場や道路で、エボ・モラレス大統領の政府を支持して、国を分割する試みに反対して、民衆の敵による策動に抗議して、集会やデモをおこなった。

同様に注目すべき点は、ボリビアの右翼人種差別主義者は、天然資源の統制権を回復したいという要求があるということである。彼らはどんな手段をとってでも、それを取り返したいのだ。

社会主義運動(MAS)政府は多くの法律を作り、天然資源を本当の所有者の手に戻した。そして、利益はもはや彼らのポケットには入っては来ない。それは社会的プロジェクトのコストを負担するためにしか用いられてはいない。そして、ボリビアだけでなく全ての地域を傷つけた不平等と不公正の支配形態に終わりを告げるためにしか用いられてはいない。

それは偶然ではない。「自治」という名の違法な住民投票が政府の手から取り上げようとする44の分野には、自然資源の管理・運営、通信、課税、土地保有権、流通、道路・河川・航空管理その他がふくまれる。

そして国家の権限を制限して、最終的にはエボ・モラレス大統領の排除で終わるだけである。それはラテンアメリカの解放の動きに一泡吹かせようという試みである。

サンタクルスの人種差別オリガルキーによる5月4日の乏しい「成果」は、実際の動きとしてはどんな有効性もない。これは腕相撲ゲームだ。彼らにいささかでも常識が残っていれば、彼らは負けを認めなければならない。

ボリビアの極右とそのワシントン・スポンサーは、うたがいなく、ボリビア人民と、その政府と、先住民大統領エボ・モラレスに対する新たな行動に着手するだろう。

しかし彼ら自身に都合よく書かれた筋書きとは逆に、結局、彼らは民衆の前に敗れてしまうだろう。今回のように。 

 

ちょっと短いので、おまけにサンタクルス滞在記。

ラパスから着いたのが夜の11時。とにかく空気が濃くてうまい。気温もだいぶ暖かいが、暑いというほどではない。アマゾンのジャングルの中の町で相当暑いだろうと予想していたが、少なくとも東京の夏よりははるかに涼しい。朝夕は上着が必要だ。スールという南風が吹くと寒さに震え上がるという。

空港はJICAが建設したそうだ。そのせいか、日本の地方空港を見慣れている我々にはほとんど違和感がない。ホテルの近くは旧市街で古い商店街が軒を連ねている。かなり危険な地区なのか、深夜までディスコの喧騒に混じって若者の叫び声。

部屋の窓を開けたら通りの向こうのアパートに明かりがともり、娘がベッドの上でこちらに大股広げて雑誌を読んでいる。入れ替わり団員がやってきては「なんだろう」と首をひねる。なんでもないかもしれない…。

朝起きて散歩してみた。チンケなアボガド(弁護士)事務所と薬屋が多い。医者の看板も目立つが、泌尿器科、皮膚科、婦人科、精神科と微妙な傾向がある。にわかクリスチャンになって、朝のミサに参加した。結構な入りだったが年寄りが目立つ。

帰り道、歩道の隅に大きな血だまり。まだ新鮮な紅色。タイヤの後などはない。どこかにつながって行く血痕もない。嫌なものを見てしまった。

昼飯にはステーキもオプションでついていた。厚さ3センチ、弁当箱の大きさの肉を目の前で焼く。血が滴る。誰も食べる人はいなかった。

サンタクルスはボリビア第二の都市。じきにラパスを追い越すかもしれないという。かといってボナンザではない。好景気に沸く町を想像すると大間違い。基本は農業の町だから、それほど人口吸収力があるわけではない。うわさを聞いて山のほうから人々が集まってくるだけ。

町の中心は確かにこぎれいで、裕福な感じはあるが、その周囲には膨大なスラムが広がっている。ガイドさんが親切にもスラムの中をバスで案内してくれた。絶対バスから降りない、窓は開けない、カメラは向けない…。正直、血を見てしまった後では、かなり怖かった。

一握りの大地主と有産者の層と、あまりにも多くの未組織貧民層。組織労働者を中心とする改革勢力が主導権を握るのはかなり先のことと思えた。それまでは厳しい戦いが続くと覚悟しなければならないだろう。