国民政党に向け前進するFMLN
最近のエルサルバドル情勢

95年10月執筆

 

[はじめに]


 80年代を通じて中米には戦闘の絶えることがなかった.グアテマラでは未だに戦火が続いている.ニカラグア,グアテマラ,エルサルバドルの三国だけで30万人が犠牲となったといわれる.この闘いのなかで各国の経済は疲弊し,もともとが貧しい国だったところに10%以上のマイナス成長となっている.とくに米国と正面から対決しなければならなかったニカラグアに至っては,アフリカ並みの最貧国に転落したといわれる.


 この三国のなかではエルサルバドルが比較的復興が早いといわれ,外国からの投資も復活しつつある.そして革新政党としてのFMLNが広範な国民の支持を得て国政変革のため活躍している.今回は和平後の情勢にも触れながら,FMLN党の活動を紹介する.


[FMLNとはなにか]


 今を去ること20年前,エルサルバドルは政治的激動のさなかにあった.一方で軍事独裁に反対する学生・市民の抵抗運動,他方で14家族と呼ばれる大地主たちの土地取り上げに反対する農民の闘争,これらが一体となって大運動に発展していったのである.独裁政権の弾圧は苛烈であった.毎日夜が明けると道路や海岸や空き地に首なし死体が転がっているという具合である.


   *このような状況については本道出身の写真家,長倉洋海氏のルポルタージュが詳しい.


 首都サンサルバドルでは十万人を越えるデモが行われた.この国は四国と同じ面積の「超小国」である.そこで十万人といえばすさまじい数である.そのデモに軍隊が発砲し多大な犠牲者を出した.それ以後反対勢力は大衆行動を断念し武装闘争に移っていく.こうして五つの武装勢力が連合しFMLNを結成するのである.


   *FMLNはファラブンド・マルティ民族解放戦線の頭文字をとったもの.ファラブンド・マルティは1930年代のはじめに農民蜂起を指導した民族の英雄である.


 FMLNは81年1月武装闘争を開始した.オリバー・ストーン監督の映画「サルバドル」でお馴染みの場面である.それから12年闘いが続いた.この闘いについては書きたいことが山ほどあるが,別の機会に譲るほかない.一時は勝利目前までいったが,レーガン=ブッシュの激しい干渉の前に,ニカラグアともども矛を収めるほかなくなったのである.


[和平協定調印とその後の動き]


 92年1月16日,メキシコで和平協定が調印された.その年の12月,FMLNの武器引き渡しが完了し内戦状態は正式に終結した.ここまで12年の内戦で8万人が死亡した.その数倍の人々が海外に亡命した.この小国にとっていやすことができない痛手である.


 和平にあたってFMLNが要求したことは大きくいって三つである.ひとつは粛軍要求である.それは軍・警察・准軍事組織などが二度と虐殺などを起こさないようにする最大の保証である.もうひとつはこれと不可分の関係にあるが,人権侵害をめぐる真相を徹底して明らかにすることである.三つ目はそもそも闘争の最大の目標であった土地改革である.とくに闘争に参加した兵士たちが,戦後軍務を離れても食べていけるようにそれなりの保障をすることは国内の政治的安定のためにも不可欠の条件である.


 しかしこれら三つの要求はことごとくが反故にされた.そうなればこの要求は国内の政治的力関係を変えるなかで獲得するしかない.FMLNはそのときから政党としての活動を開始したのである.


[FMLN,野党第一党に]


 こうして94年3月,FMLNも参加する初の国政選挙が行われた.「死の部隊」のテロが再び激しさを増した.2月だけで32人が暗殺されたという.暗殺の標的にはクリスティアーニもふくまれていた.しかしもはやこのテロには米国の支持も国内寡占層の支持もなかった.この選挙を境にしてテロはほぼ消失した.


 FMLNは民主連合と組んでルベン・サモラを候補におしたてた.国連監視の下に行われた選挙は低調なものだった.右翼の報復を恐れる人々が棄権したことによる.


 選挙の結果かつての極右派アレーナが第1党となったが,FMLNも21議席を獲得し野党第一党の位置を占めることとなった.これは右翼の恐怖支配の下で行われた選挙としては驚異的なものである.


[FMLNの分裂]


 このあとFMLNに試練の時がやってきた.五つの武装組織の連合体に過ぎないFMLNが単一の政党として脱皮していくための試練である.以下はグランマ紙に掲載されたサンチェス・セレンの発言要旨である.


 93年に最初の党大会が開かれた.大会は単一な政党を目指すということで合意した.サンチェス・セレンが委員長に選出された.
 しかしすでにゲリラ戦のさなかに矛盾は発生していた.かつてFMLNと同盟関係を結んでいた民主革命戦線(FDR)のウンゴやサモーラらは,戦列を離れ極右と妥協する道を選んだ.


   *FDRはもともとブルジョア階級を代表する議会内反対勢力である.創設時の代表アルバレスは14家族の出身だった.国内に復帰後は民主評議会(CD)を名乗っている.


 内戦が終わってこの問題はさらに深刻となった.ちょうどそのときにソ連,東欧の社会主義崩壊という事態を含む世界的情勢の激変があったからである.戦線内部にもこれまで掲げてきた綱領に対する疑問が広がった.その結果何人かの指導的幹部が戦列を去ることとなった.それは具体的には国民抵抗軍(FARN)のフェルマン・シエンフエゴスと人民革命軍(ERP)のホアキン・ビリャロボスである.


   *ERPは70年代はじめキリスト教民主党青年部の左派が作った分派である.ERPが分裂してFARNが結成される.彼らは毛沢東主義を唱えたりしたが,社会革命のプログラムを持ったことはない.


 彼らは民主評議会とともに「民主党」を創設した.今や反動的政府が打ち出した人民切り捨ての経済政策を支持する唯一の野党にまでなっている.しかし,これらの組織に属する活動家たちは必ずしも指導者に従ったわけではなく,多くがFMLNにとどまっている.


[単一政党の結成へ]


 FMLNの旗を守ったのは,組織としてはサルバドル共産党,人民解放軍(FPL),中米労働者革命党(PRTC)の三つである.


 これらの組織は大会の決定をあらためて確認し,単一の政党として統合することで合意した.三つの政治組織を統一する暫定的過程が定められ,独自の執行機関は解体され,FMLN党の中央委員会に結集することとなった.これと並行してFMLN綱領を和平後の新たな状況に即応して改訂する作業が開始された.これらの作業は94年末までにほぼ完成した.


   *サンチェス・セレン委員長が属していた人民解放軍は共産党の武闘派が作った組織である.政策面では共産党との違いはない.中米労働者革命党は,もともとマルクス主義的傾向を持つ学生・青年グループで,闘いのなかで科学的社会主義に接近した.

[FMLNがめざすもの]


 和平協定によって闘争の形態は変わったが,FMLNのめざすものは基本的には変わっていない.それは最初にも触れたように和平協定の完全実施である.


 それとともに当面する緊急課題として社会や経済の変革がある.いまもなお多くの人々が貧困の内に放置され,富は少数者の手に握られたままである.


 政府は経済復興を宣伝している.たしかにマクロ的指標で見れば,和平後の経済成長率は高く,経済状況は好転しているように見えるかもしれない.しかし内実は決してそうではない.政府のすすめているのは極端な自由開放政策だ.すでに輸入関税はほぼ完全に撤廃された.この政策の下で地域経済はつぎつぎと崩壊し,農業を中心とする地場産業は破産寸前の状況である.


 著しい貿易収支の不均衡は,またも対外債務を増加させ,国内産業の不振は多くの失業者を生み出している.エルサルバドル社会はふたたび両極端へ分解しつつある.これらはすべて極端な新自由主義で貫かれた政府の経済政策に原因がある.現在の政策はもはや限界に達していると誰もが感じている.国際信用機関ですらこのやり方には異論を唱えるほどだ.


 FMLNはこの経済政策を厳しく批判している.なによりもそれが和平の精神や目的に敵対するものとなっているからだ.現在FMLNは議会内反対勢力として政府の経済計画に立ち向かっている.この点ではキリスト教民主党や民主的変革運動など他の野党とも協力している.その先頭に立っているのが経済・社会問題を担当するシャフィク・ハンダル議員(元共産党書記長)だ.

 

*エルサルバドルの闘争に関しては,私の作成した,かなり膨大な歴史年表があります.興味のある方はそちらをご参照ください.