サンディニスタ革命が帰ってきた!
2011年総選挙を分析する
2012年9月 このたび、ニカラグアの学習会をやることになった。とりあえず資料が必要だということだが、実はあまり勉強していない。すこし古いが、10ヶ月前にブログに載せた記事を修文した上で転用することにする。
1. 選挙はフェアーに行われた
2011年11月、ニカラグアの大統領選挙が行われました。この選挙では、二期目を目指すサンディニスタ党の現職大統領ダニエル・オルテガが出馬し、独立自由党、立憲自由党との三つ巴の闘いとなりました。そしてオルテガ候補の圧勝に終わりました。
選挙管理委員会の集計では、オルテガ候補が62.65%を獲得。独立自由党のガデア候補が30.96%、立憲自由党は 6.02%ということになりました。地すべり的勝利といってよいでしょう。
同時に行われた国会議員選挙でもサンディニスタは60議席を確保、最重要法案の成立に必要な2/3を確保するに至りました。
独立自由党のガデア候補は、「選挙管理委員会は人民の意志を反映していない。選挙結果を受け入れることは出来ない。自由に政府を選ぶというニカラグア人の権利は侵害された。私たちはこの巨大な不正を認めない」と抗議しました。立憲自由党のアレマン候補も、「ニカラグアに独裁政権が打ち立てられようとしている。私たちはそれを許すことは出来ない」と語る。反政府派の市民団体(その多くは米国の資金提供を受けている)も、それぞれ選挙を非難する声明を発表しました。
これに対し、南北アメリカ諸国を代表する米州機構は、「自由な選挙に成功したニカラグア人を祝福する」との声明を発表しました。この声明の中ではとくに次の一節が感動的です。
「緊張と暴力行為についての一定の憂慮が存在したにもかかわらず、ニカラグア国民は政治的に成熟し、平和に対する才能を発揮した。そのことは、総選挙に平和的性格を与えることに成功した。ニカラグアでは、民主主義と平和が一歩進んだ」
米州機構の選挙監視団の一員だったアルベルト・ラミレス(パラグアイ選管議長)は、実際の進行についてこう語っています。
「選挙プロセスは明らかにポジティブに進んだ。選挙委員会は投票プロセスにおいて機敏さを発揮した。平穏で平和な投票を実現する上での力が有効に発揮された。反対派が不正を主張しているが、自分たちのメンバーはそのような証拠を見 いださなかった」
2.選挙が示したニカラグアの地殻変動
この選挙結果は反サンディニスタにとって驚きだったばかりではありません。長年サンディ二スタを支援した来た人々にとっても、「にわかには信じられない」結果です。
しかし世論調査会社の会長ラウル・オブレゴンは、「この結果は不思議ではない。私はオルテガの高い支持率に驚かない」と語っています。しばらくその言葉を聞きましょう。
「サンディニスタに対する支持は一日や二日のあいだに来たものではない。最初、オルテガが当選したとき、支持率は52%にまで上昇した。オルテガの当選は人々のあいだに、“希望”という言葉で表されるような感情をもたらしたからだ。しかしそのような情緒的な支持は長続きはしない。支持率はその後8ヶ月のあいだ下がり続けた。そして30%そこそこの“妥当な水準”まで低下した」
いわゆる“ご祝儀相場”ですね。このおっさん、なかなかシビアなアナリストです。
「しかし2009年9月になると、支持率の数字がすこしづつ動き始めた。人々の態度が徐々に変わり始めた。我々は変化を感じるようになった。我々はサンディ ニスタ政府と党員が、どんな非常事態でも、それと正面から向き合っていることに気づいた。たとえば最近の水害でもそうだ。彼らはゴム長をはき黄色のレインコートを被り、人々が救いを求めている所ならどこへでも出かけた。そうやって、野党が知らん振りしているあいだに、人々はサンディニスタのほうへ向きなおったのだ」
オブレゴンは政府の政策についても評価しています。
「多くの有権者にとって、サンディニスタ政府を支持する決定的な要因となったのは社会経済プログラムだった。とくに“屋根計画”は、10人中4人が支持するヒット・プランとなった。その次に人気があったのが“ゼロ高利貸し計画”だ。なぜこれらの計画が受けたかというと、有権者は資産とか家のようなものを持ちたいと考えており、そういう有権者の“やる気”に政策がマッチしたからだ」
そして最後に、オブレゴンはこう語りました。
「この国の有権者たちは、“1980年代の悪夢”、 戦争、徴兵、配給、欠乏その他もろもろの“幽霊”たちと決別した。有権者は“悪夢”の後遺症から完全に立ち直った。“幽霊”は脳裏から消失した」
中立派の評論家アルトゥーロ・クルスは、最近のギャラップ調査の結果に注目しています。
「この国は正しい道を歩いているか」という質問に対して回答者の63%がイエスと答えているのだ。この数字は今度の選挙の結果とぴったり一致している。つまり、国民のサンディニスタへの支持は一時のものではなく、その路線への確信にもとづいたものだということだ」
クルスはさらに議論を進めます。
「オルテガが大統領をつとめた5年間にニカラグアで生じたことは、一種の統治システムの再編成である」
これが彼の結論です。
(クルスはサンディニスタを支持する経済人の一人だったが、84年に国連大使を辞し、反サンディニスタの大統領候補として動いた経歴を持つ。いまはどこかの大学教授を勤めているようだ)
この国のあり方が根底から変わったことを示す象徴的な出来事がありました。
選挙の直前、カトリック教会で驚くべき発言がありました。
この国の最高位にあるミゲル・オバンド枢機卿がミサの際に「キリストは、完全に報いる」と述べたのです。オバンドは、貧 しい者の立場に立ったオルテガ大統領とサンディニスタ政府の過去5年の間の仕事を賞賛しました。
国民の9割を組織するカトリック教会のトップが、サンディニスタ全面支持の立場を表明したことになります。この発言はまったくの驚きでした。中南米500年の歴史の中でも前代未聞のことではないでしょうか。
しかもこのオバンドという人物、元からのサンディニスタ支持ではありません。それどころか80年代にはアメリカの意を受けて反サンディニスタの先頭に立ち、その論功行賞でバチカンから枢機卿の位を授かったほどの反共派だったのです。そればかりではありません。96年の大統領選挙前のミサでは、“自分を救ってくれた男を殺した蛇”の寓話を説いたのです。それは明らかに大統領返り咲きを狙うオルテガを、邪悪な蛇に例えたものでした。
それがどうして、サンディニスタの熱烈な支持者に変身したか。それはオルテガの大統領就任後の5年間の活動に基づいています。とくに「平和と和解委員会」の活動が大きく影響しています。
オルテガは5年前の大統領就任と同時に「平和と和解委員会」の設立を提案しました。これは80年代の内戦の恩讐を超えて、サンディニスタ、コントラの元兵士をふくめて祖国の再建に取り組もうというものです。それはとくにサンディニスタにとってはかなりの精神的苦痛を伴う作業だったと思います。しかしサンディニスタはそれを誠実に実践しました。
教会もこの活動に積極的に加わりました。オバンドは委員会の旗振り役となりました。そして政府と密接な関係をとりながら土地分与、住宅建設を推進し、分け隔てなく資材の供給に携わりました。こういう実践活動の中で築き上げられた相互信頼の関係が先ほどの発言に結びついて行ったのです。
3.永遠の青春を祝おう、我々は生まれ変わったのだ
オルテガ大統領は、選挙の勝利を「全てのニカラグアの家族とともに祝おう」と呼びかけました。その呼びかけを待つまでもなく、投票箱が閉まった日曜日の夜から、何千ものサンディニスタ支持者はもうお祭りを開始した。そして、祭りはその夜遅くに第1回目の開票速報が発表されるまで続きました。
政府広報長官でファーストレディーでもあるロサリオ・ムリージョはこう語りました。
「ニカラグアは、愛と平和と生命を祝賀する。永遠の青春を祝おう。我々は生まれ変わったのだ。このニカラグアは、今日、すでに“もうひとつのニカ ラグア”である。巨大な精神、寛容と良識の発展が平和的な革命を達成した。ここニカラグアで、私たちはすべて参加者である。私たちみんなが響きあって、私たちの生活を改善するために働こうではないか」