ピノチェト裁判の行方

 

 ピノチェト事件は去年からの引き続きの話題ですが,人権と国際法,国家の独立との関係が極めて深刻に絡み合っており,間違いなく全世界的かつ歴史的な事件です.

 まず経過のあらましだけお話します.

 

 発端

 これまで長いあいだチリの独裁者だったピノチェトは,昨年三月陸軍総司令官の職も辞し,終身上院議員の肩書きのみとなりました.

 かねてから腎臓と腰椎を患っていたピノチェトは,療養のため英国に滞在することになりました.昨年9月のことです.

 いっぽう,スペインではエネルギッシュなガルソン判事がピノチェトを告訴すべく準備中でした.彼は軍政時代にチリに滞在していて殺害されたスペイン人の立場から,ピノチェトを裁こうとしていました.ガリソンがあげた容疑は「国家機構を使っての大量虐殺,拷問」など94件にのぼりました.

 ガルソンは,ピノチェトが英国に滞留しているのを千載一遇の好機と見て,国際刑事警察機構を通じてピノチェト逮捕を要請したのです.

 10月16日,要請を受けた英国司法当局は,入院療養中のピノチェトを逮捕・収監しました.これだけでもすごいことです.

 

 ピノチェトを裁けるか

 世論は一世に沸き立ちました.ひとつには,ピノチェトが一国の元大統領であり,今なおその実力を認められている人物だからです.もうひとつは,この告発が,70年代のラテンアメリカを血で染めた軍事独裁という「歴史」に対する告発だったからです.

 ピノチェトを非難する人も含め,二つの疑問が沸いてくるのは当然です.ひとつは「正義」は他の国の政治的事件,それにかかわった人間を裁けるのだろうか,という疑問です.もうひとつは,ちょっと哲学的になってしまいますが,人間は歴史を裁けるのだろうか,という疑問です.

 根本的にはこの問題をめぐって,反ピノチェト派とピノチェト派のやりとり,裁判でのやり取り,国際外交でのやり取りが重なり合いながら展開していきました.

 裁判では,最初に弁護人側がピノチェトの外交特権(不逮捕特権)を主張しました.「ピノチェトが逮捕されるなら、エリザベス女王も英国の国家元首として外遊中に逮捕されることになる」と.しかしこれは受け入れられませんでした(私が弁護人なら,かりそめにも英国女王を引き合いに出すようなことは絶対しませんが).弁護人側はつぎに,スペインにも英国にもピノチェトを裁く権利はないと主張しました.一国の統治のあり方そのものに対する告発であり,内政干渉であるというのが論拠です.

 法理的に言えば,外交特権よりもこちらのほうが簡単です.法の下では誰しもが平等なのだから,数万人の人を殺した犯人なら世界中どこでも刑罰の対象です.しかしこれに国家の問題が絡むと,法哲学上の「そもそも論」になり厄介でしょう.

 

 上院表決の驚き

 10月末,ロンドン高等法院は「外国元首の任期中の公的業務に関しての刑法上の責任は英国法では問えない」との判断を下しました.直ちに検察側は控訴しました.

 英国の裁判制度がはじめてわかったのですが,事実上の最高裁である控訴審は上院議員5名からなる審査委員会が担っています.この上院というのがまたおかしなところで,いまだに貴族院なのです.しかも世襲貴族たちはほとんど議会に出席したことがないという,いいかげんこの上ない機構のようです.

 とにかくそこに事件は持ち込まれ,11月25日に結論が出ることになりました.大方の予想では,まあ結局は国に帰すことになるのでは,と思われていました.ところが3対2でスペインへの引渡しを認める判決が出てしまいました.理由も真正面です.「他国の国家元首であっても、人道・人権問題に関する犯罪には免責は適用されない」というのです.

 実は私にもまったくの予想外でした.日本の司法なら,こんな面倒な問題は間違いなく玄関払いです.火中の栗を拾うようなまねは絶対にしません.

 これをどうとるかは難しいところです.少なくともヨーロッパのかなりの人々は,ピノチェトのやり方について怒り心頭に達しているということはわかります.ということは,チリ軍事独裁の極悪非道振りについて多くの人々が理解しているということでしょう.

 現に裁判の進行中,欧州議会はピノチェトの引渡しを求める決議をあげています.表決の中身がすごい,賛成184票、反対12票、棄権14票です.国連の拷問対策委員会の決議はさらにすごい.「もしピノチェト引渡しが出来ない場合は、英国はさまざまな国際条約を侵害することになる」とほとんど脅迫です.

 フランス,スイス,イタリア,ドイツなど多くの国で,検察当局がピノチェト引渡しを求める動きを見せました.ピノチェト逮捕からわずか1ヶ月のあいだに,英国を含む欧州の世論はピノチェト処罰の方向に大きく振れたといえます.

 

 事態は国際問題に

 いったんピノチェト引渡しが決まると,今度は英国だけではなく,チリやスペインを巻き込む国際的な議論に発展してきました.

 厄介なのはスペインとて同じです.一予審判事が引渡しを主張していた今までとは違い,スペインという国がチリという国家の元元首を裁判にかけるのですから,ことは面倒です.案の定,チリのフレイ大統領はスペインとの断交も辞さない構えを見せます.しかしスペインもここまできてしまった以上,いまさら逃げるわけには行きません.「司法の独立」を盾にとって,これを尊重するという建前から,ピノチェト受け容れを議決しました.

 チリも黙ってはいられません.チリからしてみれば,ピノチェトそのものの是非は別として,国家としての尊厳があからさまに踏みにじられたと感じても不思議ではないでしょう.フレイ大統領はこの事件をラテンアメリカ諸国に対するヨーロッパ諸国の思い上がりという構図で描き出そうとします.

 しかしこのような激しい反発は,ラテンアメリカ諸国内では共感を呼びませんでした.12月メルコスール(南米共同市場)総会で支持を訴えてまわったフレイに対し,同じ問題を抱えるアルゼンチンのメネムはただちに賛成しましたが,軍政時代亡命生活を送ったブラジルのカルドーゾ大統領は慎重な態度を崩しませんでした.

 チリが腰砕けになったのにはいくつか理由がありました.ひとつはウルグアイ、アルゼンチンおよびチリの国会議員121人が超党派で「ピノチェト逮捕支持」の宣言を発表したことです.フレイがいかに声高に民族自決権の侵害を叫んだとしても,民衆の声を反映したものではない政治的カラ文句に過ぎないことが明らかになりました.

 もうひとつは,裁判の真っ最中11月16日に,チリ最高裁がピノチェトに関連して提訴された11件を一括却下したことです.チリ政府は自浄能力の欠如を全世界に向けさらけ出したのです.隣のアルゼンチンも軍政時代の人権抑圧はすさまじいものでした.メネム現政権の日和見主義もフレイと似たり寄ったりです.しかしアルゼンチンでは軍政時代の指導者がことごとく逮捕され裁きを受けています.この違いは決して見逃すわけには行きません.

 

 再審と再表決

 かくするうちに英国上院で疑惑が持ち上がりました.採決に参加した審査委員の一人が,軍事独裁に反対したアムネスティ・インタナショナルのメンバーだったことが明らかになったのです.別にそれが悪いことだとも思えませんが,弁護側はこれを奇貨として裁判のやり直しを迫りました.

 再び委員が選定しなおされ(今度は7人),審議が再開されました.しかしその頃にはもう欧州の世論はピノチェト処罰の方向で固まっていました.3月の判決を前にしてチリの外相はこんな弱気な談話を発表しています.

 「どうせ決まるのなら4対三ではなく5対2で決まってほしい.そのほうがすっきりする.いまさらピノチェトがチリに帰ってもらっても問題が複雑になるだけだ」

 たしかに彼ら自身も軍事政権時代はピノチェトに迫害を受けた身です.それほどピノチェトに義理立てしなければならない立場ではありません.

 結果は外相が望んだ以上にすっきりしたものでした.3月24日,委員会は6対1でピノチェト引渡しを決議したのです.

 

 人権か民族自決か

 ピノチェトの身柄はすぐにスペインに引き渡されるわけではありません.具体的な形態をめぐっては,これから一審での裁判が始まることになります.一審で判決が出てそれが控訴されて…ということになれば,あと3年はかかるだろうといわれています.この裁判には象徴的な意味しかないのかもしれません.

 今回の一連の事態を通じて,国際法上のもっとも原理的な問題が問われ,ひとつの判例として残りました.すなわち人権に対する侵害は国家,国境を超えて弾劾され,罪に問われるということです.ぞれは東西対決の消滅という世界史的な流れの,国際法の上での確認という意味を持っています.

 今回の事態の主要な側面は,まちがいなく,人類的な価値の国際的承認という点にあります.それは大きな前進です.しかし局面としてみれば,政治的価値観における一極構造の構築への一階梯,と取れなくもありません.

 コソボ問題はそのあやうさを示しているように見えます.欧州の世論は民族浄化を唱えるユーゴに激しい怒りをおぼえ,NATO空爆にも多くの人が賛成しました.しかしその怒りは,人間としてまっとうなものであったにせよ,どこか傲慢なところはなかったでしょうか.コソボは自治州とはいえ,まごうことなきユーゴ固有の領土です.これまでのクロアチアやボスニアとは性格が違います.

 「一国の運命はその国の人民が決めるべきこと」という民族自決の原則との兼ね合い,それぞれの国が独自の発展の仕方をとることに対して「不寛容」にならないこと,大国や超大国に対してもちゅうちょなくこの原則を適応すること,こういったバランス感覚がますます求められるようになるでしょう. 

1999年5月3日