Colombia Journal on line

August 2001

By Ana Carrigan

カスターノ兄弟行状記

大地主、麻薬カルテル、軍隊、そしてCIAとのコネクション

 

必ずしも整理された文章ではありませんが、コロンビア政治の裏の流れについて豊富な情報を提供しており、一読の価値はあります。

 

 

カルロス・カスターノの犯罪の経歴は、ほぼ20年にわたる。

それはコロンビア国軍の重要な部分が関わる「汚い戦争」のなかに包み込まれている。

「汚い戦争」は、1982年、ベタンクール大統領のゲリラに対する平和の呼びかけから始まった。そしてベタンクール以後4代にわたるゲリラとの和平交渉を、ことごとく失敗に終わらせてきた。

 

カスターノの物語は、コロンビアでもっとも豊かな地域、そして戦略的に最も重要な地域、マグダレーナ・メディオで始まる。

そのときカルロスは16才であった。彼の兄フィデル・カスターノが、当地の「自衛」グループに加わった。カルロスもそれに従った。そのグループは「MAS」と呼ばれ、軍がスポンサーとなっていた。1982年のことである。

「MAS」は、"Muerte a Secuestradores"の頭文字をとったもの、「誘拐犯に死を!」という意味である。なぜ、このような組織に加わったか? カスターノ兄弟の父親がFARCに誘拐され殺害されたからである。

FARCに復讐するために、カスターノ兄弟は軍事訓練を積んだ。彼らが所属したのは、マグダレーナ・メディオのプエルト・ベリオに基地をおくコロンビア軍第14旅団ボンボーナ大隊という部隊だった。

訓練を終えた後、「MAS」のメンバーは、ただちに軍の作戦に組み込まれた。カルロスは第14旅団の民間人「軍ガイド」として、また情報提供者として採用された。

軍と「MAS」はマグダレーナ・メディオ地域の「洗浄」を開始した。軍や極右主義者を少しでも非難すれば、「不穏分子」とレッテルを貼り、ベタンクール大統領によるゲリラとの和平の動きを支援しようとする人々を敵視した。

ところで「MAS」というのは、必ずしもオリジナルな名称ではない。マグダレーナ・メディオで「MAS」が創設される1年前、メデジンの麻薬王パブロ・エスコバルは、自らの一族をゲリラから守るために、同じ名前の「MAS 誘拐者に死を!」という死の部隊を作り上げた。マグダレーナ・メディオの「MAS」は、そのメデジン暗殺団から名前と発想をとったのである。しかしメデジン暗殺団は、目的を達成できるだけの「自衛」能力を持ち合わせていなかった。

 

80年代を通じて、パブロ・エスコバルとその仲間は、マグダレーナ・メディオで広大な土地を買いあさった。彼らの作り出したドラッグ・マネーが 「MAS」に流れるというパターンは、エスコバルがいなくなった後も変化はなかった。

 「MAS」は、カスターノ兄弟の力により勢力を拡大した。そして全国の「自衛グループ」の模範となった。80年代から90年代にかけて、コロンビア国内のいたるところで「自衛グループ」が作られ、勢力を拡大していった。

「死の部隊」は花盛りだった。1986年までに、マグダレーナ・メディオの農民およそ千人が殺された。数万の農民が強制的に移転させられた。麻薬業者の土地をきれいにするためである。

市民運動や共同体運動の指導者、労動組合活動家、先住民指導者、野党の政治家、教会関係者、人権活動家、ジャーナリスト…すべてが不規則な地域戦争のために犠牲となった。

 

1987年、軍の将校の支持の下に、麻薬業者はイスラエルと英国から雇い兵を導入した。そして、コロンビアの暗殺団にイスラエルの特殊部隊と英国のS.A.S.の技術を伝えるため、「マグダレーナ・メディオ暗殺団学校」の運営に乗り出した。

当時の「教官」の一人、イスラエル陸軍退役大佐ジャイル・クライン(Yair Klein)は、最近のニュースを賑わせている。2000年6月、彼はシエラレオネの刑務所から脱走に成功したようだ。

雇い兵たちは、 農民あがりの「MAS」の民兵たちをプロの殺人機械に一変した。評判では、カルロス・カスターノは、クラインの生徒の中でスターの存在であったという。

 

そのころまでに、フィデルとカルロスのカスターノ兄弟は、みずからパラミリタリーの指導者にのし上がって行った。彼らは150人の手勢を従え、準軍事組織「ロス・タンゲーロス」(Los Tangueros)を立ち上げた。そしてコロンビア北部のコルドバ州を「領地」とし、ドラッグの商いに乗り出した。

彼らはまた、ウラバ州の海岸沿いのバナナ畑で、ゲリラの小さな一派EPL(毛沢東派)と戦争を行った。

彼らはボディーガード業、スパイ業、暗殺請負業を、ビジネス界から委託されたサービス事業の一端として、技法的に磨き上げた。

 

彼らは、最初はパブロ・エスコバルと、後になってカリ・カルテルと同盟関係を結んだ。調査当局によれば、カスターノ兄弟は、彼らの指紋を至るところに残している。流血の政治紛争、麻薬がらみの武力衝突など、およそそのころの暴力事件で彼らが関わらなかったことはない。

エスコバルとの同盟時代の多くの犯罪の中でも、もっとも悪名高いのが「アビアンカ航空機爆破事件」である。コロンビア上空で飛行機に仕掛けられた爆弾が爆発、11人が死亡した事件である。カルロスはこの事件への加担の容疑で告発されている。

カスターノ兄弟はまた、左翼の愛国同盟の幹部暗殺のほとんどにも関与している。愛国同盟は1984年、ベタンクール大統領とFARCとの和平会談を期に結成された。カスターノ兄弟は、愛国同盟を排除するために、暗殺者に銃器を供与し作戦を授けた。

彼らは、1990年の大統領選挙で左翼の大統領候補二人が暗殺された事件でも嫌疑を受けている。

 

フィデル・カスターノは、麻薬関係者・右翼政治勢力・コロンビア軍を結ぶ裏のネットワークを作り上げた。これを土台に、彼は国中でもっとも裕福で力を持つ人物の一人となった。そのネットワークは、フィデルなき現在も、弟カルロスを支える基礎として生き残っている。

1993年、落ち目となったエスコバルと争った後に、カスターノ兄弟は、忠誠をささげる相手を代えた。メデジン・カルテルのライバルであるカリ・カルテルである。カリ・カルテルからの資金提供を受けて、彼らは50人の部隊からなる「ロス・ペペス」を結成した。PEPESは「パブロ・エスコバルによってしいたげられる人々」(People Persecuted by Pablo Escobar)の頭文字をとったものである(?)。

やがてCIAは、ロス・ペペスを欠くことのできない盟友とみなすようになった。内部情報を得たCIAのデルタ捜査部隊は、コロンビアの麻薬警察やDEAと協力して、逃亡中のエスコバルを追い詰め、殺害した。

 

90年代半ば、フィデルの不可思議な失踪の後、カルロス・カスターノは北部海岸の拠点に復帰し、新たな準軍事組織を立ち上げた。それが「コルドバ・ウラバ州自衛グループ」(ACCU)である。部隊を財政的に支援したのは地方の裕福な土地所有者であり、軍事的に支えたのは、この地方を統括する第17旅団である。

ACCUはFARCとのあいだに非道の「汚い戦争」を続け、ウラバからFARCを駆逐。カスターノによる支配を固めた。さらにACCUはコルドバ州とアンティオキア州北部に勢力を拡大していった。

 

1997年、カスターノはみずからの軍事的・政治的リーダーシップの下で、全国の「自衛グループ」10団体あまりを結集しAUCを結成した。カルロスは全国的勢力の代表の一人となった。カルロスのバックには、マグダレーナ・メディオの富裕層…政治・ビジネス指導者と牧場主が控えていた。彼らは自らの生命と資産をゲリラから守るために、「自衛グループ」を支援したのである。

翌年8月にアイティオキアで開かれた全国総会には、民間人や軍顧問も参加した。総会では、新しい国家社会主義のための政治・軍事運動の形成に向けて青写真が提示された。

総会は、あらゆる可能な手段を通じて、AUCの政治的な承認をもとめていく方針を決議した。