成長するコロンビアのゲリラ

ジェームス・ペトラス

「盛り返す左翼ゲリラ」(1997年)より抄訳

この文章はFARC関連のサイトから拾ってきたものです.お気に入りに登録しないで,ファイル保存だけしたため,今となってはどこにあったかわかりません.何とか,コピー元が自動的に記録できるようになりませんかね? (ありました! http://www.colombia.rojo.net/index.htm です)

この文章でわかることは,FARCが勢いを増したのは95年末からで,比較的最近のことだということ,政権の分裂と弱体化,軍の腐敗と戦闘意欲の減退,コカイン・カルテル崩壊後の利権集団相互の争いなどが追い風になっていることです.

また主体的には,コカイン栽培農家を味方につけ,彼らの間に影響力を広げていることなどです.

これらの条件は,何れも棚ボタ式の好機にしか過ぎず,長期的にはむしろアダとなる可能性もあります.しかし,50年もの戦いの経験には重いものがあります.どちらに転んでいくのか,いずれにしても目が離せないものとなるでしょう.

なお,固有名詞を含むゲリラ闘争の歴史については,私の編集した年表をご参照ください.

2001年11月 

 

 

FARC(コロンビア武装革命軍)とはどんな組織か

 

コロンビアには,ラテンアメリカのみならず,おそらく世界で最も発達したゲリラ運動がある.

ほかのラテンアメリカ諸国では,ゲリラ運動は敗れて消滅するか,さもなければ市民社会に復帰し,選挙政治に同化していった.しかし,ここコロンビアでは,ゲリラ運動はますます闘いを強め,新しい地域にも影響を拡大しつつある.彼らはゲリラ部隊の戦力を増強する一方で,同時に農民の間に強力な支持を得てきた.

彼らの闘いは,国際的には無視され関心を持たれていないようである.それにもかかわらず,すでにゲリラは州,県のレベルで高度な自治能力を獲得している.ゲリラの支配区,特にFARCの支配区では,ゲリラは軍や地主の略奪から農民を保護し,食料栽培や社会事業をコントロールしている.

FARCは歴史的にソビエト型のマルクス主義によって影響されてきた.ソ連なき今日においてもなお,彼らは農地改革と民主主義的変革の変換を主要な課題として闘いつづけている.

FARC指導部はマルクス主義思想の強い影響のもとにある.組織の頂点に立つのは,今や伝説的指導者となったマヌエル・マルランダである.

FARCは,およそ13,000の武装ゲリラを数える.さらに数十万の一般人活動家がいる.その圧倒的多数は農民である.

このほか,コロンビアにはELN(民族解放軍)など三つのゲリラ・グループがあるが,それらをあわせても約4千に過ぎず,FARCよりはるかに小さい.

FARCとELNは,「シモン・ボリーバル名称ゲリラ共同運動」として連合している.これらのゲリラは,32の県のうち15県で,軍隊との毎日の戦いを続けている.

FARCは,正確な戦略計画を粘り強く実践することにより,今日の強大な支持母体を築きあげてきた.ゲリラは,全国1,000の地方自治体(郡レベル)のうちの500自治体において活動していると見られる.とくにコーヒー,バナナの栽培地帯,石油地域など国の主要生産地域で,強力なゲリラ組織が確立されている.

 

合法活動の衰退と武装闘争の発展

FARCゲリラは,1950年代後半から,早くも闘いを始めている.そして今日まで闘いを前進させ続けてきた.

農民を基盤する多くの運動と同様,コロンビアのゲリラも,大学生や知識人からの支持はほとんどないといっていい.学生たちは,かつては都市型ゲリラ組織「MR19」に参加した.MR19がゲリラ闘争をやめた今は,彼らとともに議会選挙を通じた闘争を展開している.

90年代初頭,MR19は合法活動に挑んだ.そして,最初に参加した選挙で2割近くの得票を獲得した.しかしMR-19が新自由主義を唱えるガビリア政権に参加したあと,その支持はほとんど失われてしまった.

MR19は現在,政治的勢力としては微々たるものである.彼らの大統領候補者だったアントニオ・ナバロ・ウルフは,今はエクアドル国境近くの小さい都市の市長でしかない.

 

あいつぐ軍事的前進

今年の9月に,ゲリラはコロンビアの軍に対し,30年の闘いの中で最も大きい敗北を与えた.アマゾン密林地帯にあるプタマヨ州のラス・デリシアス基地が,FARCにより制圧されたのである.この闘いで27人の兵士が死んだ.19人が負傷し,67人が捕虜となった.

自動小銃,手榴弾ランチャー及びロケット砲で武装したゲリラは,連日のように軍の駐屯地や空軍基地を攻撃している.政府は,これまで政府軍のうち約500人の兵士が死傷したことを認めている.

先ごろFARCは,グアバイレ,メタ,カケタ,プタマヨ,アマゾナスの各州に,最初の解放区が形成されたとする報道メモを公表した.ますます,ひとつの二重権力状況が出現しつつある.

過去6年にわたって,FARCの戦線は10部隊から105部隊にまで増やしてきた.

農地改革と社会変革に関するFARCの計画は,マルクス主義の影響を受けている.

ゲリラの闘いは田園地方から都市へと広がっている.それは最近起きたボゴタ市内の軍中枢である軍学校(Escuela de Artilleria Francisco Aguilar)への攻撃を見ても明らかである.

 

軍治的指導者,モノ・ホホイ

今もマヌエル・マルランダ(別名Tirofijo:名射撃手)は間違いなく指導者である.しかし,最近の攻勢を実際に指揮しているのはホルヘ・ブリセである.彼は別名をモノ・ホホイという.ティロフィホの有力な後継者と目されている.

彼はゲリラの息子として生まれた.そしてゲリラとともに育った.

彼は東部山脈一帯を支配する最も強力なゲリラ部隊(Bloque Oriental)を指揮している.スマルパスにあるブリセの部隊本部は,実質的にボゴタへの戸口といってもよい.

 

農村部における力関係

伝統的な作物は,アメリカからの輸入品があまりにも安いため,壊滅的な打撃をこうむった.農民たちはやむを得ず,農民のための唯一の換金作物,コカを栽培している.いまやそれも米政府の圧力の下,厳しい根絶作戦にさらされている.

こうした中で,何千もの農民がFARCに加わっている.

農民の組織化を阻止しようとして,百以上の準軍事組織(paramilitary)が結成された.そのメンバーは2千を数える.パラミリタリーを組織し,彼らに資金を提供しているのは,政府軍と大土地所有者たちである.彼らは武装農民の影響下の地域で作戦を展開し,これまで何百人もの活動家を殺害した.

準軍事的組織,そして軍隊の主要な標的は北部のカリブ海沿い,ウラバ州である.

昨年(96年)だけで,5百人以上の労働者が,白色テロの犠牲となった.そこにはウラバの地方労働組合連合の執行委員全員が含まれている.

政府と土地所有者がグルになって,労働争議を弾丸でもって解決しようとする姿勢を続ける以上,ウラバがゲリラの兵士募集センターになったことも,驚くにはあたらない.

 

FARCの勢力拡大の要因

ボリーバル広場(ボゴタ市の中心)に凱旋するというブリセスの目標は,決して独りよがりの誇大妄想とは言えない.ひょっとして近い将来実現するかもしれない.

1995年末から1996年にかけて,FARCにはかなりの支持が集まりはじめた.彼らは,主要都市への攻勢を一段と強化するようになった.そのような力関係の変化は,いくつかの要因の結果と考えられる.

第一は,支配的層の中の深刻な分裂である.

この間にサンペル大統領とアメリカ政府との関係は決定的に悪化した.ワシントンは,サンペルに辞任を迫る大規模な外交的・政治的キャンペーンに着手した.そしてサンペルとコカイン・カルテルとの汚い関係を徹底的に暴いた.

米政府によるこうした行動は,国会,与党の自由党,そして行政当局を分裂に追い込んだ.それはサンペル政権を政治的に追い込んだ.

こうした状況の下で,危機感を強めたサンペルは,コカ栽培を行う何十万の農民に対決し,コカ根絶キャンペーンを開始することで,政治的な失地回復を果たそうとしたのである.

それは,農民を急進化させ,FARCと農民との関係を強化するという皮肉な結果となった.そしてFARCに対する政治的・軍事的支援者の数を増やす結果となった.

第二の要因は,石油会社が政府軍部隊を金を払ってレンタルするようになったことである.

彼らは政府軍部隊の指揮官に料金を払い,パイプラインをゲリラ攻撃から保護してもらうことにした.その結果,軍隊の腐敗がさらに進んだ.エリート部隊の中ですら,ゲリラとまじめに対決する将兵はますます少なくなった.

最後にもうひとつ,メデジン・カルテルやカリ・カルテルなどかつての大手業者が解体されたあと,新規の麻薬業者,軍幹部,高級官僚の間で,分け前をめぐる熾烈な競争が始まったことである.

これらの経過は,ゲリラの新たな成長にとって最適の条件を提供した.

FARCは,これらの条件に適応することに成功した.彼らはボゴタへ食物などを供給するハイウェイをおさえた.いまや,首都からわずか30マイルの地点をも支配している.これは過去30年の戦争のなかで,首都から最も近い地点へのゲリラの侵入である.それは農民ゲリラの政治的,社会的影響力がますます発展していることの反映である.

 

今後のひとつの可能な予測

もし政権トップの分裂と分解がこのまま続くならば,そして反農民的なコカ根絶計画がこのまま続行されるならば,現在のネオ・リベラリズム体制は,遠からず厳しい試練を受けることになるだろう.

そして,コロンビアは,ベトナム戦争以来の農民革命の成功を体験することになるかもしれない.