エクアドル クーデター未遂事件

報道と真実

 

9月30日、エクアドルで事件が発生しました。警察官が賃金カットに抗議しストライキを決行。警察本部を占拠し立て こもりました。説得に赴いたコレア大統領を警官隊が取り囲み、その中の不心得者が催涙弾を投げつけました。コレア大統領は負傷し病院に連れて行かれましたが、警官隊はその病院を包囲し大統領を軟禁状態に置きました。政府は非常事態を発令し軍の特殊部隊が病院に突入。無事大統領の救出に成功しました。めでたしめでたし…というのが報道の大筋です。

これだけなら、クーデター未遂事件というほどのものではありません。ストに参加した警官が血気にはやって、少々やりすぎた、という程度のものです。たしかに大統領が軟禁されたのですから非常事態には違いありませんが、「まぁラテンアメリカですからこのくらいのことはあるかなぁ」、と聞き流してしまうニュースです。

コレア大統領自らが「クーデターの陰謀だ」といきり立っても、それほどの切迫感はありません。ところが、現地入りして実情把握を行ったインスルサ米州機構事務総長が、「明らかに権力奪取の狙いを持った行動だった」と断定するに及んで、「待てよ、これは2002年のカラカスの再現かも知れないぞ」と疑うようになりました。

その後多忙が続いたため、そのままにしていましたが、今回「2010年ラテンアメリカの情勢」の講演準備をしているうちに、「これはこのままでは済まされないぞ」と感じるようになりました。

とりあえず、日本のニュースで流された文章をもういちどレビューしてみて、報道の全体像を描き出してみたいと思います。そして現地の情報をこれと照合しながら、「真実は何か」を探ってみたいと思います。なお日本での報道は日本時間が多いのですが、マイナス14時間で現地時間に合わせます。

ps 一応、日本語のページを一通り見回した後、英文文献を探しました。Wikipediaの2010 Ecuador crisis というページが、中立的な立場から包括的にレビューしてて参考になります。ご存知エヴァ・ゴリンジャーのレビューもあります。警察の交信記録を入手して、警察トップの動きをすっぱ抜いています。ほかにもいくつか参考にしました。

pps ラテンアメリカからみるとでホルナーダの特集を載せてくれました。そこからの情報を補充します。

ppps ラテンアメリカ・カリブ研究 第18号 で日本大使館の木下さんが「現地報告」を載せてくれました。補充させてもらいます。引用部は(k)を入れておきます。

 

 

A 9月30日以前の経過 

1)コレアがアメリカに嫌われる4つの理由
 

@コレア大統領は2007年に就任。左派の経済学者で、就任後は油田に対する政府の出資比率引き上げや、一部対外債務の利払い停止など民族主義的な政策を進めている。

左派といっても社会主義者ではない。あえてレッテルを貼るとすればネオケインズ主義である。行動形態が過激であるにしてもリベラル左派であり、チャベスよりはキルチネルに近い。

2008年、コレアは32億ドルの負債返還を拒否した。その債務は不当であり、国際正義に照らして違法だと宣言した。そして累積債務の35%のみを支払うと宣言した。これは債権者と国際的金融機関を激怒させた。

A石油開発についても環境を破壊するような乱開発には反対していた。地球環境保護のため東部熱帯雨林での石油開発を中止すると表明したばかりだった。これは石油メジャーの反感を招いていた。

エネルギー省の最新の月報によれば、エクアドルは米国の石油輸入先のうち2.1%を占めている。

ブルームバーグ社の記事には、こう書かれている。

「コレアは議会での審議を経ずに、政令により石油法の改正を図った。また大学や地方財政の統制強化を図った。これらは議会を怒らせた。

第二四半期の経済成長率は前年比1.9%にとどまった。これは景気後退に悩むベネズエラと並んで、南米諸国中では低い数字となっている」

Bベネズエラのチャベス大統領がブッシュを悪魔と呼んだとき、コレアはチャベスを批判した。「悪魔に失礼だ。悪魔には少なくとも知性はある」というのが理由である。これは米政府を怒らせた。少なくともブッシュにつながるタカ派にとっては、クーデターをやるだけの十分な理由となる。

C平和主義者のコレアは、22年9月の訪日において広島を訪れ、被爆被害者の証言に耳を傾けた。「核兵器廃絶に向け私たちは行動を起こしている。広島・長崎の悲劇を二度と経験しないよう努力する」と述べた。それはマンタの米軍基地を撤去させる決意と結びついていた。それは米軍および米軍と結びついた軍内特権層の怒りを招いた。

にもかかわらず、コレアは国民の間に圧倒的人気を誇っていた。2007年以来、コレアと与党「PAIS」同盟は5回の選挙に連続して勝利した。2回の大統領選挙、憲法に関連する二つの国民投票などである。

直近の世論調査(9月15日)でも、コレアはグアヤキルで59%、キートで67%の支持率を確保している。大統領就任から4年を経てこれだけの支持を集めるのはなかなかのものである。

 

2)警官のボーナス削減

コレア政権は09年7月に公務員法(la ley de servicio público)の改正を提案した。@昇進などのたびに支払われていたボーナスのカット、A昇進に必要な勤続年数を5年から7年に延長を柱とする。

「ボーナス・勤続表彰金・記念周年祝金・勲章・褒章・クリスマス支給物資・昇給祝金に関する法律・規則を廃止する」という条項が問題となった。(K)

改正の背景には石油収入の減少から来る財政の逼迫があったとされる。「エクアドルは輸出総額の約6割を原油と石油製品に頼っていますが、産出量の減少などで財政が悪化しています」(TV朝日)

この法案については英語版Wikipediaが詳説している。提案の内容は軍隊と警察機関にあらかじめ通告され了解を得ていた。それは賞与をたんにカットするのではなく、他の手段によって与えられることになっていた。

この法案は難産だった。15ヵ月の議論の後、9月30日現在も、議会は法案をまだ完成していなかった。新しい立法に対する与党内での意見の相違があり、コレアはそのことを懸念していた。コレアは議会を解散して、新しい選挙を行うことも考慮していた。

警察官による抗議デモはすでに30日以前から繰り返されていた。警察官は新しい処置について良く知らされていなかった(Wikipedia)。政府はデモ隊に対して、これまでに警察官の給与は大幅に改善されていると訴えていた。

Nil Nikandrovによれば、「実際には法律は手取り額を縮減することにはなっていなかった。しかし首謀者たちは一般警官に信じ込ませることに成功した」とある。

なお「法案の成立に先立ち、コレア大統領は法案に反対した警察幹部を昨日罷免しました」との情報があるが、真偽は不明。

コレア政権は確かに警察官に対する待遇を改善しており、月額報酬は、巡査クラスでは354ドルから819ドルに、警部補クラスでは618ドルから1523ドルに、警視クラスでは997ドルから2290ドルに、警視監クラスでは2259ドルから4705ドルにそれぞれ引き上げられた。http://www.intcul.tohoku.ac.jp/~syoshida/LACS/Vol18/18kinoshita.pdf (K)

警官の抗議運動とは別に、野党の反政府活動も活発化していた。8月には大統領の罷免を求め署名活動を本格化させている。

 

B そして9月30日

ネットの情報をいろいろ継ぎ合わせても、時間的な前後関係が分からず、いらいらしていましたが、やっと Cronología de sublevación de policías en Ecuadorというページを見つけました。これで時間を合わせていきます。

1)空港制圧と道路封鎖

朝7時半頃から抗議ストが開始された。ストが行われたのはキトのほかグアヤキル、クエンカ、ロハ、イバラ、リオバンバ、マンタ、エスメラルダの7都市。

首都キト以北の治安警備を管轄する国家警察キト第一管区本部でも、800名の警察官が正門前でタイヤを燃やして抗議活動を始めた。

別の情報によれば、すでに7時15分、テレビ局「コンタクト」の中継で、反政府側のリーダー、ガロ・ララは謎めいたコメントをしていた。「ラファエル・コレア大統領は、警官の子供からオモチャを奪った。したがって、大統領はリンチを受ける恐れがあり、国を出るために荷物を作っているところだ」

午前8時頃、大統領府に現状を知らせる一報が届いた。通報を受けたコレア大統領は、ハルク内務大臣、ビニシオ・アルバラード大統領府官房長官、フェルナンド・アルバラード大統領府報道長官、モラ大統領私設秘書等と緊急に会合。事態を収拾するために自ら現場に赴くことを決定した。

この日、モレノ副大統領はアメリカ、コルデロ国会議長はスペインに出張中であり、大統領の継承権者がともに不在だった。 (K)

キト第一管区本部前には報道陣が集まった。建物内に強引に進入しようとした報道関係者と警察デモ隊の衝突が始まった。

現場にはマルティネス国家警察長官(警視監)がおり、警察デモ隊に説得を続けていたが、沈静化には至らなかった。 (K)

8時15分にはその第一報がテレビで流された。

8時50分、全国7つの都市で、いっせいに警官による反乱が開始された。

 

午前9時頃、国軍関係者100名程が国防省前の主要道路を封鎖して抗議活動を実施した。

軍関係者が行動を開始した時刻は諸説あるが、木下氏の説では午前9時頃となっており、すでに警察関係者が行動開始して2時間近くたっている。

また200名程の空軍関係者がマリスカル・スクレ・キト国際空港の滑走路を占拠したため、民間航空機が発着できず、事実上の空港封鎖となった。

AFPは「約150人の空軍兵士がキト国際空港の滑走路を一時占拠」としている。ブルームバーグ社の記事では、「300人からなる空軍部隊は9時間にわたり滑走路を占拠し、空港設備を統制下においた」とある。

空軍内の反コレア派は憂慮すべき規模だったようだ。少なくとも中隊規模の動員であり、中佐クラスの指揮がなければ動かせない。一部に警官隊が封鎖したとの報道もあるが、初期の未確認情報であろう。
Nil Nikandrovによれば、「米国帰りの士官多数をふくむ空軍のかなりの部分が反乱側に立った。軍事協力計画に基づいてベネズエラから派遣されたパイロットらは、軍内で孤立した」とある。
空軍の戦略空港タクンガも機能を停止した。キトとサンゴルキを結ぶ道路が閉鎖されている。機械化部隊分遣隊の中心であるサンゴルキとの交通が遮断されたことで、戦車の派遣も不可能になった。
別の一隊は議会を占領し、議員のアクセスを阻止した。(詳細は不明だが、複数の報道で確認される)

 

2)抗議デモと衝突の開始

NHKニュースでは、「警官や兵士が国内の主要都市で一斉に抗議のデモを始めました」と報道された。兵士がデモに加わっていること、全国一斉であることが注目される。後日記事では、全国で反乱に加わった警察は全部で24連隊だった。

この騒乱で学校は休校となり、児童・生徒は30日正午ごろに帰宅した。新たな命令が発令されない限り、10月1日も休校になる。

おそらく9時過ぎころにキト市内で衝突が始まった。抗議デモをしていた警官と大統領支持派が衝突した。この警官隊は国家警察の第一連隊の一部と見られる。一部といっても約1千人とされるから、少なくとも1個連隊の半分近くが参加しているであろう。

「大統領支持派が、抗議行動をしている警官らに投石したのに対し、警官らは催涙ガス弾で応戦した」(某紙のサンパウロ特派員発)

この報道だと警官らがやむを得ず正当防衛しているような表現だが、画像に映し出されたのは、警察の制服を着用した白バイ部隊による催涙ガス、投石、殴打などの暴行であった。

きわめて想像力の乏しい記者だと思うが、状況は極めて異例なのであって、武装した警官が市内を制圧しようと展開し、これを一般市民が阻止しようとしているというのが現場の大状況なのである。

赤十字によると、この衝突で少なくとも51人が負傷した。当局者は、死者が1人出たという情報を確認していると述べた。その内訳がわかれば、事情はさらに明らかになるだろう。

ベネズエラのクーデターのときも、大統領支持派の発砲場面だけが報道されたが、後に犠牲者のほとんどは大統領支持派であったことが明らかになった。ラテンアメリカに派遣された特派員であるなら、最低そのくらいの感覚は持ち合わせてほしい。

 

3)反乱部隊による制圧計画の展開

1時間以内にキト市内のほぼすべての地区に警官官反乱部隊が出動し、要所を制圧した。

警官らのうち数百人が警察本部ビルに立てこもった。ビル敷地を包囲する大統領支持派と対峙する。

騒乱の動きは全国に波及した。リオバンバ、ラタクンガ、グアランダ、アンバト、クエンカ、ロハ、サントドミンゴ、イバルラ、マチャラ、マンタなどの諸都市で警官隊を中心とする反乱が発生した。特にエクアドル最大の都市グアヤキルでは規模が大きかったようである。

在グアヤキルの「勇敢な日本人」によると、「グアヤキルは都市機能が麻痺寸前。外部につながる幹線道路各所で閉鎖中。各所で強盗、強奪が発生中。銀行、ショッピングセンターは全て閉鎖。もはや軍隊が出動しないと収まらない状況」とある。警官たちは、この国最大の海軍基地であるグアヤキル南海軍基地へのアクセスを封鎖した。空港は「閉鎖された」とあるが、封鎖されたのか、占拠されたのか、こちらでも空軍が動いたのかなど、はっきりしない。

さらにグアヤキル報告では、「警官(交通警察、市民警察、入国管理局、税関)の業務が全て止まっています。軍は海軍は静観状態、空軍は一部が連動、陸軍は情報がありません」と述べられている。

このレポートを見ると、もともと反コレア派が市政を掌握しているグアヤキルの動きは、キトよりはるかに大規模であり、クーデターそのものであったことがわかる。

後日記ではグアヤキル周辺の全ての空港、港湾施設が封鎖された。グアヤキル港の封鎖は海兵隊のピケによるものだった。

ホルナーダの後日報によれば、先住民組織CONAIEの幹部は9時半に「すばらしい。すばらしいと千回言う」と反乱を賞賛した。組織そのものは午後4時まで意志表示をせず、幹部の発言を否定しなかった。

 

次に反乱部隊が向かったのは国会議事堂だった。当初情報が錯綜していたが、ホルナーダの後日報が事態を正確に伝えていると思われる。

午前10時20分、議会の衛兵隊が警察やペトロエクアドルの労働者に守られて反乱を起こした。彼らは武器や棒を振り上げ、コレアの同調者を「共産主義者」と罵りながら議会に乱入した。彼らは監視カメラを切り、内部にガスを振りまいた。

AFPは、12時30分に警官の別働隊が議会(la sede del Congreso)を占拠したと報道しているが、このAFP報道は続報がない。その頃まで、議事堂についての情報は通信社には把握されていなかった可能性がある。

木村氏は以下のように書いている。

午前10時頃、国会では60名程の警察デモ隊が議事堂を占拠した。正門・裏門は堅く閉ざされた。ギルマル・グティエレス(グティエレス元大統領の実弟)ら反コレア派議員のみ進入を認めたため、国会が停会する事態に陥った。

正午頃には、警察デモ隊が放った催涙弾が、抗議する与党のペニャフィエル議員を直撃して負傷させている。

 

2)コレアの受傷と警察病院への避難

 

 

 

以下の段落は木下氏によるものです。これまでの記述に比べ前後関係が極めてすっきりしており、これが正しいと思われます。この流れを基本に再整理します。

なお、コレアの行動は軽率ではなかったのかという批判がある。事件直後、10月8日の世論調査によれば国民の76%が警察官による抗議活動は適切ではなかったと否定的な回答をしている一方で、大統領の行為は見通しのあまい軽率な行動であったという批判的な回答も70%にのぼる。 (K)

しかしホルナーダ紙の解説では、コレアの一連の行動をこう見ている。「大統領公邸に残っていたら、コレアは閉じこめられていただろう。45分で敗退し、それで終わりだった。公邸を出てマリアナ通りに向かったとき、コレアは無意識のうちに死のワナから抜け出ようとしたのだろう」

つまり、結果的にはコレアの予想外の行動が、クーデター計画を狂わせてしまった可能性があるということである。


午前9時45分、コレア大統領とハルク内務大臣らが国家警察本部の中央庁舎の正面前庭に到着した。そこで立てこもった警官たちに説得を試み、対話が始まった。

しかし「嘘つきコレア。出て行けコレア」と叫ぶ警官らの野次に憤慨し、小競り合いへと発展した。これが衝突の第一場。

その場を一旦離れて冷静さを取り戻した大統領は、中央庁舎に入り服装を整え、改めて喧騒の中に進入する。(この記述は良く分からないが、時間から見てふたたび平場に出たということではないようだ)

午前9時54分、広場を見下ろす本部2階の窓越しから大統領は、穏やかな口調で、現政権がこれまで行って来た警察官に対する手厚い施策について説明した。

しかし警察デモ隊は「そのようなことはルシオがしてくれた」と応じて野次を繰り返した。

そして、演説を始めてから7分後、上気した大統領はネクタイを緩め、シャツの襟をはだかせて「大統領を殺したいのなら、ここにいる。殺してみろ」(Señores si quieren matar al presidente, aquí está, mátenlo si les da la gana, mátenlo si tienen poder)と叫んだ。

ここだけがテレビで繰り返し流された。映像に表示された時刻は10時ちょうどである。木下氏はその前後の状況を丁寧に説明してくれたので大いに助かった。

このあとコレアは、「祖国を壊したいのなら、壊せば良い。だが、私は一歩足りとも引下がらない」と怒鳴り、演説を放棄してしまう。これが第二場。男一匹、コレアの最大の見せどころである。

こうして緊張は極度に達した。演説を終えたコレアは警察本部を後にしようとするが、警察デモ隊はそのコレア大統領を取り囲んだ。これが第三場。上の写真はそのときのもので、映像も見ることができる。こうしてもみ合いになった時に、催涙弾が至近距離でさく裂した。

後日報によると、「コレア大統領に向かって、ゴム弾、催涙ガスが発射され、コレア大統領からガスマスクを取り去り、息をすることがことが困難となった」とされる。最近手術したばかりの膝にキックが入れられた。別の報道では「囲まれ、パンチを食らい、熱湯を浴びせられ、催涙ガスでほとんど盲目状態となる」と語られている。

Nil Nikandrovによれば、「実際コレアはすんでのところで難を免れた。彼のガードたちには発射音が聞き取れた。彼は催涙ガスを吹きかけられた。そして、さらに数発の手榴弾が近くで爆発した。彼らは警察病院に避難したが、まもなく警官らによって包囲された。包囲者の中には明らかに動員された“反対派”の武装市民が多数混在していた」とされるが、いささか大仰な描写に感じられる。

数日前に右膝の手術を終えたばかりの大統領は歩くこともままならず、大統領警護官に付き添われて本部裏手へと避難する。大統領一行はヘリコプターでの脱出を試みるものの、救出ヘリは警察デモ隊に阻止されて発着出来ず、脱出計画は失敗に終わった。

午前10時50分、コレアは警察病院に運ばれ手当てを受けた。この病院(エウヘニオ・エスペホ特別病院)は、警察本部の同一敷地内で本部ビルから300メートル程離れた所にある。このときセサル・カリオン警察病院長は病院裏門の南京錠を解錠しなかったとされ、のちに殺人未遂共謀の容疑がかけられている。

病院の救急室で、酸素吸入・点滴・右膝手術創に対する応急処置が約45分にわたって施された後、大統領は325号室に緊急入院することになった。

警官らは病院を囲み、コレアを軟禁状態においた。病院周辺で支持者と警官隊がにらみ合い、緊張が高まる。政府はヘリコプターを派遣し、彼を避難させようとしたが、着陸することができなかった。

後日報によると、警察官らは病院内に入り、公職組織法にたいして拒否権を行使するよう迫ったとされる。いっぽう、ホルナーダ紙によれば10時にフェルナンド・ガルソン率いる「人民防衛隊」が警察病院の裏口に到達している。

警察幹部は警察ラジオで「大統領を殺害せよ」、「コレアを殺せ」、「今日彼は生きて帰ることはない」、「そいつらを逃すな、皆殺しにせよ、銃を発射せよ、撃て」と言った。 (Golinger, Eva "Ecuador: what really happened"

後日報によれば、夜以降の病院周囲のパトカーに向けた警察ラジオの録音から、プランAが失敗したあと、プランBを発動させ、コレアを殺す段取りであったことが明らかになっている。(後の捜査の結果、警察作戦支援部隊のルイス・マルティネス巡査長が声の主として特定されている)

 

3)コレア軟禁後の動き

ドリス・ソリス政治担当調整相はCNNスペイン語放送に対し「クーデターではない」との認識を示した。コレア大統領は病院で警察側の代表者と話し合っており、数時間後には大統領府に戻って閣議を開く予定だという。

ソリスによれば、エルネスト・ゴンザレス軍最高司令官はこう語ったという。

「わが軍は今もコレアに忠実である。われわれは法治国家にあり、国家の最高権威者である大統領に対して最大限の忠誠を誓う」

しかしこれは、「軍トップはまだクーデターの側では動いていないぞ」という発言以上のものではない。

この後の30分ほどの間に、政府当局は事態の深刻さを急速に認識し、クーデターだと判断したものと思われる。このころ、ミゲル・カルバハル安全保障担当大臣がTVに登場し、軍の連動を抑えようと演説したようだ。

ポンセ国防大臣は国軍幹部と会合して、公務員組織法による恩恵を訴えながら粘り強く説得した。このことが功を奏し、やがて彼らの抗議活動は収束へ向かった。 (K)

 

ホルナーダ後日報では、この時大統領府での動きを、「カルバハルとアウグスト・バレラ市長が反乱側と交渉中で、軍は反乱に反対の声明を出す予定」との関係者の証言を報じている。

11時40分、最高司令官のエルネスト・ゴンサレス将軍は記者会見を開催、「我々はコレア大統領の指揮下にある」と言明した。それ以上のものではなかった。軍は、政府側の希望的観測にもかかわらず、行動や方針を具体的に表明しない状況を続けることになる。

 

4)コレアの第一回放送

12時35分、携帯電話を通じて病院内の大統領と連絡がついた。当初の報道では「数時間後に」となっているが、ここではCronologíaの記載に従う。

コレア大統領は国営エクアドルTVの電話取材に対し次のように語った。

 

「大統領は病院からわが国を統治している。彼らは大統領に向かって催涙弾を発射した。これは国家に対する反逆、大統領に対する反逆だ」と非難。

「警官らが自分の部屋に押し入ろうとしているが、たぶん私を攻撃するためだろう。しかし私はひるまない。もし私の身に何かあった場合、私のわが国に対する深い愛情を思い起こし、家族にはどんなことがあっても愛していると伝えてほしい」

別報では「私は拉致されている。暴徒とのいかなる交渉も拒否する。交渉するするくらいならここで死ぬ。ここから大統領としての威厳をもって出るか、死体となって出るか、そのいずれかだ」と語ったとする。

AFPによると、コレアは今回の反乱はグティエレス前大統領とその一派による陰謀だと述べたという。おそらく暴徒の中にグティエレス元大統領につながる人物を認めたのであろう。

木村氏の記録はもう少し散文的だ。「警察が行った行為は暗殺の企てであり、誘拐である。これはクーデタの企てである。警察病院の周囲には反抗勢力がおり脱出することが出来ず、軟禁状態にある」となっているが、もう少し何か話しただろう。

この電話取材の内容は、通信各社で混乱している。おそらく直接聞いた記者はほとんどいなくて、又聞き報道だったのだろう。

 

5)非常事態宣言の公布

政府は午後に入り、警察部隊にコレアの解放を要求したが聞き入れられなかった。外務大臣リカード・パティーニョが、「コレアは暗殺の危機にある。結集して防衛せよ」と市民に動員を呼びかけた。

正午過ぎから、事件を知ったコレア支持者、約5000人が病院前に集結し始めた。もうひとつの巨大な市民の群れは大統領宮殿前へと向かった。

空港を占拠した空軍部隊は街頭に進出し、病院へと向かう市民の隊列を阻止しようと図った。病院行きを阻止された市民はキト市内のあらゆる警察署に押しかけた。彼らの叫びは「ここはホンジュラスではない」というものだった。

午後1時、警察官らは病院内に侵入し、コレアのいる病室に押し入ろうとしたが、コレアに忠誠を誓う警官に阻止されて果たせなかった(Wikipedia)。その後、大統領の病室を302号室へ移す措置がとられた。

午後1時21分、コレア大統領は病室で大統領令第488号に電子署名し、非常事態宣言を発した。

午後1時45分、コレアの署名を受けたメラ大統領府法務長官は記者会見を開き、1週間の非常事態(el estado de excepción)を発表した。声明では今回の事態は「反政府勢力や警官らによるクーデター」だとされる。

非常時放送システムの発動により、報道規制が敷かれ、全TV局が同一番組を流し始めた。規制は7時間に及ぶ。

フレディ・マルティネス警察長官は責任をとって辞任した。

 

6)グティエレス派の政権獲得への動き

元大統領ルシオ・グティエレスは、午後ブラジリアの滞在先で、記者の質問に応じた。彼は事件に関与していないと弁明した上で、危機の打開策として、 議会をただちに解散し、早期に大統領選挙を実施するよう主張した。

木下氏は、事件後の10月6日にグティエレス元大統領が「警察による抗議活動には一切関与していない」と発言したことをもってグティエレスの事件への関与を否定している。しかし一部始終をネットでリアルタイムで見ていた八木さんは、グティエレスが“ぬけぬけと提案した”と怒りをあらわにしている。

この間、一部始終をUstreamで流していたTVエクアドルに、ルシオ・グティエレス前大統領の顧問弁護士パブロ・ゲレーロが40人ほどで押しかけ、放送を妨害しようとした。

放送局は乱入者を映し出し、「警察が今、窓ガラスを壊して、電力供給を遮断しようとしています」と叫んだ。

彼らは制止を押し切りスタジオまで侵入した。社会キリスト教のアレハンドラ・セバジョス議員がコレアの辞任を要求する演説を行った。

後日報によると。放送局に現れたのは、民間人ではなく私服の「反乱部隊」だったようだ。彼らは国営テレビのみならず、ラディオ・プブリカ、エクアビサ、テレアマソナスなどを襲撃した。金持ち御用達のエル・コメルシオですら例外ではなかった。

ルシオの弟で野党指導者のヒルメル・グティエレスは、「この行動は独裁者に対する国民の声を伝えるものであり、何らの報復も受けない」と市民の蜂起を呼びかけた。

コレアはラジオ演説で、今回の暴動が怒りによる偶発的なものではなく、計画的な反乱であったと主張している。そしてキト空港の封鎖、国が管理する通信アンテナの掌握、エクアドルTV施設への反乱部隊の襲撃などを、その証拠としてあげている。

エクアドル国民の40%は先住民だといわれている。先住民を代表する組織である「パチャクティク」はクーデターには加わらないとの声明を発表した。しかしコレアを「独裁的態度」をとっていると非難し、辞任を求めた。また警察官の「闘争」そのものについては支持するとし、コレア退陣をめざす統一全国戦線の組織を呼びかけた。

パチャクティクの評価については長くなるので、ネット上のエヴァ・ゴリンジャーのレビューを参照していただきたい。なお環境主義者は今なおパチャクティクを支持し、コレアの「右傾化」を批判しているようだ。 

 

7)コレア支持派の反撃

午後1時30分、イリナ・カベサ議会第一副議長が臨時代理議長に就任した。カベサら与党議員20人は記者会見を開き、コレア政権への支持を表明した。 (K)

午後2時にはパティーニョ 外務大臣が、大統領大統領府バルコニーから中央広場に集まっていた約1千名の支持者に向けて、「警察病院へ大統領を救出しに行こう」と呼びかける。

午後3時15分、パティーニョ外務大臣、セサル・ロドリゲス、ガブリエル・リベラ議員らが警察病院に到着し、大統領の解放をもとめるが警察デモ隊は拒否。にらみ合いとなる。 (K)

 

 

午後2時、アルゼンチンが最速でコレア現大統領支持を打ち出したのを皮切りに、ベネズエラ、ボリビア、コロンビアの各国大統領もコレア支持を表明する。

その後、コレアとベネズエラのチャベス大統領が電話でつながった。コレアはチャベスに「死んでも辞任しない」と告げた。(チャベス関連情報は八木さんのブログによる)

チャベスはブエノスアイレス出発直前にテレスールにこう語った。

「コレアの生命は危機にさらされている。この反乱が賞与カットだけの動機で決行されたと見るのはきわめて単純である。これはクーデターである。われわれはファシストの野獣どもから新たな攻撃を受けている」

チャベスはエクアドル軍最高司令官エルネスト・ゴンサレスに「軍の良識に期待する」と、態度を決めることを求めた。

ワシントンのインスルサOAS事務総長も、コレア大統領と直接電話でつながった。そして「疑いの余地なく本件がクーデタの企てであったことを認める。現政権を支持する」と語った。

インスルサ報告を受けた米州機構は、午後2時半に緊急会議を開き、「民主主義を揺るがす如何なる企ても非難する。法治国家及び民主主義の秩序を護るべく、民主政権であるコレア大統領を強く支持する」という民主主義擁護の決議を採択した。 (K)

UNASURの議長国アルゼンチンは緊急首脳会議を招集。同時にペルーとコロンビアは、コレア大統領支持のため、エクアドルとの国境を封鎖した。

午後4時頃には、潘基文・国連事務総長も、「エクアドルでの現状を深く懸念している。エクアドルにおける民主主義とそれに基づく正当な政府を支持する。コレア大統領自身の身体的状況を懸念している。すべての当事者が法の支配に基づき平和的解決のため努力するよう求める」との声明を発表した

ホワイトハウスもコレア大統領支持の姿勢を明確にし、騒ぎの早期収拾を求めている。

事件発生直後に、バレンズエラ米国務次官補がパティーニョ外務大臣に直接電話し、米国政府はエクアドルの民主政権を支持すると確約した。

夕方には、クリントン米国務長官が「米国政府は事態を注視している。暴力及び不法性を憂慮し、コレア大統領及びエクアドルの民主制度を支持する。早期の平和的解決を強く求める」と表明した。

国内でも、最高裁判所、国民議会がコレア支持を明確にした。グアヤキル市長でコレアのもっとも有力なライバルであるハイメ・ネボ(Jaime Nebot)も反乱を非難し抗議した。


なお木村氏の「現地報告」で気になる箇所がある。

午後3時15分、アルバラード官房長官は国営エクアドル・テレビのインタビューに登場し、クーデタの可能性を否定した。

また同じ頃に、カルバハル治安調整大臣は「大統領は誘拐されていない。大統領は警護官が見守る中、病院で治療を受けている。大統領や医師が退院すると決定したならば、いつでも退院することが出来る」と語っている。

午後5時11分には、ソリス政策調整大臣が「今般の事件はクーデタの企てではなく、警察官の経済的・行政的問題に起因する政府への抗議活動でしかない」との見解を示していた。

警察病院のカリオン院長は10月20日のインタビューで、「警察病院での大統領は誘拐された状態になかった」と語っている。

木村氏は、このことをもってクーデターを否定し、事件は一部警官の跳ね上がり行動に過ぎなかったと主張する論拠としている。

しかし事態の流れははるかに深刻で、午後3時の状況判断についても、その深刻さは米国政府もふくめ一致した認識となっている。午後5時にはキト市内に戦車が配備され、ほとんど戒厳状態になっている。

百歩譲って、これに類する発言があったとしても、それは国民のパニックを防ぐ目的だったと考えるほうが素直ではないか。

事実、ベネズエラのクーデターの時は、チャベスは最初オリノコのジャングルに、次いでカリブの孤島に幽閉されていた。殺害の可能性は十分すぎるほどあった。

カリオン院長の話にいたっては全くのネタバレのお笑い種で、カリオンが後に幽閉に加担した容疑で逮捕されたことは、木村氏自らが明らかにしている。

さらに木村氏は、「コレアが携帯電話やインターネットなどの通信手段を利用できたことは明らかであり、したがってコレアは制限つきとはいえ自由に行動できる状況下にあり、したがって軟禁状態にあったという大統領自身の主張は疑わしいと言わざるを得ない」という論理を展開している。

「軟禁」というのは、普通日本語ではそういう状態を言うのではないか。携帯まで取り上げられたらそれは「拘禁」ではないだろうか。馘首になった沖縄の自衛隊施設局長ではないが、「ハンカチ敷いたら強姦ではない」というレベルの議論になる。

コレアは残された携帯電話という武器を最大限に駆使した。携帯電話で国営テレビとつながり、米州機構の事務局長とつながり、チャベス大統領とつながった。それが民衆を動かし、南米諸国を動かし、国連を動かし、アメリカ国務省までを動かした。まさに電話回線一筋だけを頼りとした闘いだったということになる。

もし木村氏が「日本人はあまり知らないだろう」と思って書いているなら、それは間違いだ。案外知っているヤツもいるのである。

 

8)軍司令官の忠誠宣言

注目された軍の忠誠宣言は3時30分に行われた。ルイス・エルネスト・ゴンサレス国軍統合参謀本部長(陸軍中将)は公式会見を開き、「コレア大統領を支持する。法治国家としての原則を国軍は尊重しなければならない。大統領は陸海空軍の統帥権を有しており、大統領の命令に国軍は従い動かなければならない」と述べた。 (K)

民衆とともに国会議事堂に向かったグルタボ・ジャールク(Jahlk)内相は反乱警察官に建物の明け渡しを命じた。午後6時頃には空港封鎖も解かれている。

この前後から各地に軍が配備され始めた。警察機能を代行し、全土の警戒に当ることとなった。主要都市では、突撃銃を構えた陸軍兵士や装甲車などが出動し、市街地は物々しい雰囲気となった。 (K)

反乱に加担した野党議員は店仕舞いを始めた。午後4時半、エンリケ・エレリア議員を始めとする反コレア派の野党議員が、「暴動に関与する警察官に恩赦を与えるべきである」と表明した。 (K)

午後6時10分、初めてコレアの声明がテレビで放映される。12時半のラジオ放送を最後に消息を絶ってから、5時間半を経過していた。コレアは声明の中で、引き続き政府の責任者であること、反乱警官との話し合いの余地はないことを明らかにする。

軍司令官は現地時間の午後6時半、国営テレビに出演し、「軍と警察は反乱を支持しない。秩序と治安は徐々に回復している。エクアドル国家は正常に復するだろう」と述べると同時に、「公務員組織法の再修正もしくは不成立を強く望む」とコメントする。

国営石油会社ペトロ・エクアドルも、「正常に操業しており、油田と精錬所は軍により防衛されている」と発表した。

病院前には同日夕、ガスマスクを着けた国軍兵士が集結。しかし救出作戦はこの段階では発動されなかった。

午後7時頃、報道規制に抵抗する市民数名が国営エクアドル・テレビを襲撃した。これに対応し、政府系ガマテレビにキー・ステーションが切り替えられる。 (K)

 

4)軍の突入と救出

チャベスがコレアとの会話を公表する。コレア大統領の「生命が危機にある」と述べ、エクアドル国民に大統領支持を呼びかけた。そして「エクアドル軍の良識に期待する」と呼びかける。

午後8時15分までには、国軍レッドベレー特殊部隊・警察特殊展開部隊・警察特殊介入部隊の総勢700名が警察病院を取り囲み、大統領救出作戦に向けた準備を整えた。 (K)

午後9時、救出作戦が開始された。作戦に携わったのは特別警察の三つのチーム、軍の三つのチーム(GIR、GOE、陸軍空てい部隊)など5百人だった。

病院周囲にたむろする警官に砲火が浴びせられた後、部隊が病院に突入した。救出作戦の生々しい実況中継の動画が、八木啓代のひとりごと にアップされています。

午後9時30分、コレア大統領は鉄兜にガスマスク姿で、クルマ椅子に乗ったまま救出された。この作戦で死者2人、負傷者74人を出した。一説では銃撃戦の間にひそかに病室を抜け出し、4WD車で疾走したといわれる。その車には5発の弾丸が打ち込まれていた。

これには異説がある。実際に登場したのは「日産パトロール」でありこの車体には傷がなく、撃たれたのは併走した黒のフォード製装甲車だったとのことである。

議会と空港については、軍ではなく警察が制圧した模様。

大統領は大統領府(Palacio de Carondelet)に戻り、祖国同盟(AP)関係者からの歓呼を受けた。直ちに記者会見し、健康状態は良好だと述べ、同大統領支持を表明した各国首脳らに謝意を表明した。

午後9時50分、コレアが官邸のバルコニーに立ち、数千名の民衆に手を振った。コレア大統領は、朝と同じスーツ、ネクタイをしていた。民衆が国歌を合唱しながら待っていた。

「今日はとても悲しい日であった。犠牲者に対し一分間の黙祷を捧げたい。いくつものことがあった。

いったい国を無秩序に陥れ、エクアドル人の血を無意味に流させた彼らが警察だろうか。彼らは罰せられるべきだ。

法律は撤回されることはない。制服組の待遇は改善されているが、かれらはそれを忘れている。改正法を読んでもいない。彼らの要求はたんなる「要求」ではなく、それ以上のものが背後にある。

わたしは彼らを見た。警察部隊とのもみ合いのときに、グティエレス派の人物が紛れ込んでいた。すべての罪は陰謀家たちにある。かれらは選挙では勝てなかったからクーデターを起そうとしたのだ」

コレアは民衆の誠実な支持に感謝した後、最後にこう語った。

「これは反革命派への見事な見せしめとなるだろう。これが投票によってではなく、銃弾で革命を止めようとする連中への答えだ」

午後11時 コレアが国営エクアドル・テレビのインタビューに出演。「クーデタの企ては失敗に終わった。暴力行為を正当化することは出来ない。今日の事件を絶対に忘れない。許しもしない」と語り、騒擾事件に関与した関係者には恩赦を与えず、厳罰に処すとの見解を示した。

午後11時25分、赤十字が発表を行った。救出作戦で警官2人が死亡し37人が負傷したとされる。

その後、反乱全体の犠牲者数が厚生大臣から発表されている。死者は8人、負傷者は274人であった。犠牲者の一人は警察と対峙した大学生であった。

その後の調査で、死者は最終的に10名とされた。死者のうち5名が救出作戦時の死亡。他の5名はグアヤキルでの死亡であった。 (K)

なお、事件終了後の午後11時に、日本政府の外務報道官談話が発表されている。「エクアドルで警察関係者による全国規模のストライキが発生し、同国政府が非常事態宣言を発出したことに懸念をもって注視」するとされている。かなりの情報ギャップがある。 (K)

 

B そして10月01日から

1日、特別法により、5日間の間、軍隊が警察機能を担うこととなった。国防長官ミゲル・カルバハルは、「警官が消滅してしまうような混乱を繰り返してはならない。状況が完全に落ち着くまで、軍隊が警察と一緒になって活動に当たる」と述べた。

特別法は大統領令第493 号によりさらに3日間延長され、その後は対象地域をキト市に限定し2ヶ月延長されたあと解除された。

キルチネル事務総長が召集した南米諸国連合の緊急首脳会議は、前日夜10時からブエノスアイレスで開催された。出席した各国首脳は一致してコレア政権への支持を表明した。

1日昼には、アルゼンチン、チリ、コロンビア、ボリビア、ペルー、ウルグアイ、ベネズエラ大統領がエクアドルに到着した。ブラジルのルーラ大統領もコレアへの支持を表明した。

同日、インスルサ米州機構事務総長がエクアドルを緊急訪問し、コレア大統領と会談した。また南米諸国連合加盟国の各国外相もエクアドルを緊急訪問し、相次いで緊急外相会合を行い、コレア政権への支持を表明した。 (K)

クリントン米国務長官は「エクアドルの正しい政府と体制強化に協力する」と表明した。

マルティネス国家警察長官と5名の警察幹部は、事件の責任をとり、ハルク内務大臣に辞意を表明した。

コレア大統領はフランコ国家警察学校校長(警視監)を新長官に任命し、警察幹部を大幅に刷新した。その後、騒擾事件に関与した警察官120名を懲戒免職処分、600名を懲戒戒告処分とした。またキト空港占拠に関与した国軍関係者30名にも戒告処分が与えられた。 (K)

国家検察庁は事件に関与したと疑われる警察官316名を事情聴取し、うち33名を内乱罪や殺人未遂などの容疑でキト市内の第四刑務所に逮捕拘禁した。 (K)

主だったところでは、ルイス・バハモンデ巡査が、大統領に催涙弾を放ったとして殺人未遂の容疑、ハイメ・パスカル巡査が、大統領が装着していた防毒マスクを引き剥がしたとして殺人未遂の容疑、警察作戦支援部隊のルイス・マルティネス巡査長が警察無線で大統領の暗殺を呼びかけたとして殺人未遂の容疑で逮捕された。 (K)

木下氏は事情聴取120名、逮捕者は33名としているが、750名の被処分者は事情聴取も受けていないのだろうか。

ネットのニュースでは下記の数字が挙げられている。

クーデター参加者253人が逮捕されている。首都区警察長官、地区警察司令官、警察本部長らエクアドル国家警察の幹部55人が、コレアを倒すために米国と共謀したとして追及されている。

翌年の2月22日、当局はフィデル・アラウホ元陸軍少佐を内乱教唆の容疑で起訴した。また2月25日にはセサル・カリオン前警察病院長が逮捕された。大統領が警察病院に避難する際、病院裏門の南京錠を解錠しなかったとされ、殺人未遂共謀の容疑がかけられている。 (K)

またグティエレス本人と彼の政党ソシエダ・パトリオティカにも追及の手が伸びている。政府は同党の指導者でグティエレスの弟ヒルマール議員を告発した。

10月30日、コレア大統領は国家警察・国軍に従事する者に対して、公務員組織法第115条に基づく補償金を7070万ドル拠出した。この拠出額は、旧法に基づいて賞与・栄典用に支払われていた総額よりも1600万ドルほど多い。 (K)

昨年、ホンジュラスでクーデターが成功したとき、コレアは次は私の番だと予言していた。エクアドルが失敗した現在、次の標的はボリビアのモラレスか、パラグアイのルーゴとなるだろう。