宮本信生氏「カストロ」を読んで

1997年10月

時宜を得た出版

最近中央公論社から「カストロ」という本が出版されました.新書版で値段も手頃,最近はほとんどキューバ関連の本がないだけにうれしい限りです.内容もそれなりに公平にかかれており,米国の経済封鎖に対しても厳しい批判を浴びせています.「それなりに」と敢えて加えたのは,この本が現職の外務省高級官僚の手によるものであり,「あくまでも個人的な見解である」と断っているにせよ,基本的にはそのスタンスからの発言であるからです.


かつて59年のキューバ革命に続いて,ピッグス湾事件,ミサイル危機とキューバは脚光を浴び,ゲバラのボリビアでの戦死をピークとして,ずいぶんキューバ関係の本が出版されました.その後はぴたっと発刊が止まりました.図書館でもキューバ関係の書籍はほとんどありません.私の文献探しはもっぱら古本屋さんばかりです.


キューバ苦境の原因

ソ連・東欧崩壊後のキューバの苦境は,断片的にマスコミに流されるばかりで,その情報も米国からのニュース・ソースが圧倒的です.経済困難にせよ,難民流出にせよ,ニュースの扱いは冷笑的なニュアンスを感じます.ブッシュのあの有名な言葉「私はキューバのうめきを聞いて喜んでいる」が,文章の裏からささやいているような気がしてなりません.


キューバが経済困難に苦しむ最大の原因となっている米国の不法な経済封鎖については,経済危機と結びつけて報道されることは少ないのです.まして世界中から糾弾される,経済封鎖の不法性についてはほとんど触れられません.キューバが経済困難に陥ったのは,ソ連べったりの経済政策を続けたからだという観測がもっぱらです.


さらに米国がピッグス湾事件以来,単に経済封鎖だけでなく,系統的に武力攻撃を続けていることについては,まったくと言っていいほど知られていません.この武力攻撃に対してキューバが国土を防衛するために,どのくらいの資源をつぎ込まなければならなかったか,それがキューバの経済をどれほど苦しめたかは触れられません.
私はかねてから,キューバの現状を理解するためには以上のような事実をどうしても明らかにしなければダメだと思っていました.その観点から見て今度の本はどうだったでしょうか.


二つの視点

著者の基本的視点は,二面性を持っています.まず民族主権を基礎とした市民生活重視の経済システムについては,これを支持する立場に立っています.IMF・世銀のすすめる輸出志向型の自由経済を必ずしも支持していません.これは現職の外務官僚としてはかなり異色の発言です.そのうえで,キューバがソ連・東欧諸国の経済援助に頼る放漫経営を続けていたと厳しく指摘します.こうして全文を読み通してみると,やはりスターリン型の計画経済システムがキューバ経済危機の原因だったのかということになります.かなり鋭い変化球というか高等な論理展開といえます.


こういう構成だからこそ,当局の許可も得て発行の運びになったのでしょう.
この本以外にも,結局キューバが経済困難に陥ったのは,キューバがソ連従属型の経済システムをとっていたからだという論調が多いのは確かなことです.たしかに時間的経過を単純に追えばそうなるでしょう.


しかしLAの人たちは必ずしもそうは考えていません.第一そんなことをいえる状況ではありません.キューバが未だ元気だった80年代半ば,すでにLAは総額百億ドルという債務を抱え,地獄の底で呻吟していたからです.評論家が持ち上げる自由経済体制の下でです.そのことを考えれば,むしろカストロはよくやってきたというべきでしょう.


現在の危機についても,他の国との比較で考えれば必ずしもキューバだけが特別深刻だというわけではありません.たとえばフジモリによる経済改革が話題になっているペルーですが,失業率は相変わらず70%です.このようなパースペクティブを持ちながら見ていかないと,事態は理解できないでしょう.
私もキューバの経済管理が万全であったとは思えません.結構荒っぽいところもあったし,労働者の労働意欲にも問題を感じないではありません.しかし振り返って日本官僚の優秀さをうたった神話がもろくも崩れ去ったいま,その違いがどれほどのものだったのか,キューバの役人をバカにするほどの権利もないと思います.


お勧めします

なまじっか,キューバに入り込んでいる人ほどそういう弱点が目に付いてしまい,それがキューバ経済崩壊の原因だといわれると,何となく納得してしまうのかも知れません.しかしマクロに見れば,原因はまさに歴史的なものです.
そのあたりを注意して読んでもらえば,旅行前の予備知識としてこの本は役に立つと思います.