キューバのサルサ

ラファエル・ラム
  グランマ・インタナショナル,1997年
 

 

 キューバのサルサがブームだ.ブームは今年になってピークに達した.ギネス・ブックものの「世界最長のソン」が,ハバナのダンスクラブ「ラ・トロピカル」で実演された.実に95のバンドが合計100時間10分にわたり一つのソンを演奏した.

 いまキューバでは,ミュージシャンやグループの名前など憶えきれるものではない.この島の音楽学校を卒業したミュージシャンは,これまで1万2千を越えるといわれる.その多くが200以上あるサルサ・バンドに加わり,いまも島中で演奏を行っている.なかには女性だけのバンドもある.断っておくが,このバンドの数には隣り近所で結成しているようなバンド(彼らはもっと伝統的な民衆音楽をやっているのだが)は含まれていないのである.

 この現象は決して驚くべきことではない.才能あるミュージシャンの供給地として,多彩なリズムの発生の地として,キューバはつねにその名を馳せてきた.その国で,スペイン+アフリカ音楽(いわゆるキューバ音楽)を基礎に,多くの国の現代ポップス音楽を採り入れ,合成し,掛け合わせることで,さらに多くのリズムが生まれてきたのである.それは言葉の正統な意味で一つの「革命」と呼ぶべきものだろう.

 「エネ・ヘー・ラバンダ」が爆発的に成功したあと,リード・ボーカルを前面に仕立てたサルサ・バンドの時代が始まった.たとえばイサーク・デルガド(元エネ・へー),パウロFG,マノーロ,「ムシコ・デ・サルサ」などである.メジャー系のレコード会社担当者が表現するところによれば,キューバン・サルサは「ビートルマニア」世代に旋風を巻き起こした,という.

 サルサ・ブームは以前から活躍しているバンドにも革新をもたらした.たとえばフアン・フォルメル率いる「ロス・バンバン」,チューチョ・バルデスの「イラケレ」,アダルベルト・アルバレスと彼のソン,先ほど亡くなったエリオ・レベ゙の「オルケスタ・レベ゙」,フアン・カルロス・アルフォンソの「ダンデン」などである.

 いまサルサという場合,もちろん,1920年代のソンを相手にしているのではない.われわれがいま対象としているのは,20世紀の音楽の締めくくりにふさわしく生まれた,世界のリズムとキューバのリズムとのヒュージョンである.彼らの音楽を「ティンバ」と表現する人もいる.しかしそのような想いから,私は「キューバン・ファンク」と呼びたい.

 サルサも他の音楽スタイルと同様,固有の「約束ごと」と「しばり」がある.ルールを要求し強制するのは聴衆である.さらにダンサーであり彼ら自身でもある.そういう一つの音楽的ジャンルとして,そういう一つのスタイルのなかで,人々の興味,予感,希望,夢,人生の純粋な喜びを反映しようとしている.自然でプリミティブな世界を感じ,人として生きるべき環境を創造し,ありのままの感情を「真実」として表現しようとしている点で,サルサは他のジェヌーンな民衆音楽すべてと共通している.
 ホセ・ルイス・コルテス(エネへーのリーダー)はいう.「現代民衆音楽として私たちの音楽を分類してもらいたい,というのが私の思いである.ラテンアメリカにはまったく無関係に,世界的にダンス・バンドがいまや大当たりだ.そしてサルサ・ミュージシャンはそのトップに立ち,サルサはまさに世界の音楽に大きなインパクトを与えているのだ」

 ダンス音楽はつねに,キューバという国を動かす力の源だった.この国では人々は踊っているように歩くし,音楽がなくても彼らは踊る.そんな国にふさわしい地位を,ダンス・バンドがふたたび占めようとしている.「踊りの文化」ともいうべきこの国の特殊性は,その源を植民地時代までさかのぼることができる.ヨーロッパからきた知識人,たとえばルイ・ボバジェはこう書いている.「ハバナ!毎日の太陽,絶え間のないコンサート!終わりを知らない祭り!なんという混乱!なんという喧噪!喜びあふれるこの町は,まるで世界中の人々の会議場になったようだ.そこでは五大陸のすべてがごった煮の鍋になっている」

 たとえばニコラス・タンコはこのように観察している.「ハバナは"喜びの町"と評判されている.人々はダンスに熱狂している.ハバナではみんながダンスする.年齢も階級も地位も関係ない.上は総督から下は卑しい召使いまでみんなだ.宮殿の踊りも奴隷の住む地域の踊りも,踊りにまったく変わりはない."いざり"さえも音楽を聞けば体を揺すりはじめる

 ラ・トロピカルに行ったことのある人なら(トロピカルでなくても,ハバナでもキューバのどこでも,ダンス会場ならどこでも良いのだが),いまでも彼らの感想が,そっくりそのまま同じだと実感するに違いない.
 キューバ音楽の持つ豊かな生命力は,うたがいなく,今日のサルサ・ブームの火に油を注ぎ続けるだろう.そしてブームは次の世紀に向け燃え続けるだろう.

 

私のサルサ論

ページに余白が出来たので,私のサルサ論を一くさり……

映画「きょうこ」は村上龍の想いの結晶である.とくにその音楽がそうである.わたしは村上のセンスにほとんど完全に同調してしまう.テーマ曲「エスペランサ」は鳴り始めたとたんに心を釘付けにされてしまう.「何故キューバか?」と問われると,「これを聴いてごらん」といいたくなるくらい,キューバのエスプリがそこには詰まっている.

などと他人ごと風にいうより,キューバへの我が想いの,その琴線を探り当てられたような,一種の気恥ずかしさをともなう感情の共鳴(ともなり)がある.「これだよなぁ!」という感慨である.

決して一人ひとりのキューバ人がこんなフィーリングなのではない.むしろ一人ひとりのキューバ人は,それなりに官僚的で,タフである.だからこの感情は,旅のあいだにあったさまざまな人たちの印象の総和ではないはずである.ならばその共鳴はどこからきたのか?

おそらくその共鳴は,彼らの持つ故郷,家族,価値観をふくめた,トータルとしてのキューバを好きになる瞬間に獲得されたものではないだろうか.そしてそれに我と我が価値観を重ねるとき生じたものではないだろうか?

キューバ音楽といっても,何でも良いというのではない.そもそも「良いものは良い」のである.そうでないものはそれなりに…である.情けないほど貧弱なバイオリンと,厚かましいフルートの伴奏で山ほど砂糖の入った歌を聴かされるのは閉口だ.だからといって耳をつんざくようなブラスの咆哮をセコハンのJBL越しに耳に突き刺されるのも願い下げである.

そんな人間,例えば私にとって,村上は最良の,というより本当の音を引き出したと言える.
ブラジル音楽を形容するのにサウダージ(悲しみ)という言葉がよく使われる.要するは,陽気な中の一抹の寂しさなのだろうか.これがタンゴの世界ではトリステーザとなる.走る痛みのような突き刺す悲しさである.

キューバではなんだろうか,サンドゥンガという人もいる(レベ).フィーリンの世界ではセンティミエントという.私は後者に軍配を揚げる.湿気を含んで,英語っぽくて,ハバナにぴったりである.サンタクララやシエンフエゴスからきた若者が,マレコン*の防波堤に打ち寄せる高波の飛沫を浴びながら「寒い寒い」とおおげさにシャツの襟を立て,あるときは鎧戸が一斉に汗を垂らして暑さに喘ぎ,そんなハバナが好きな人間はもう立派なアバネーラである.

*中指をつきたてて『マリコン』とやるのはお勧めしません.