プエルトリコ・サルサ・フェスティバル:97年8月19―23日
“シルビオ・シー!セリア・ノー!”会場にキューバへの共感が広がる

 

グランマ・インタナショナルより

 8月19日から23日まで、第1回の「世界サルサフェスティバル」がプエルトリコのサンフアンで開催された。このフェスティバルは今後毎年、ラテンアメリカ諸国で開かれることになっており、今回はその第1回目となる。

 「サルサ」とはスペイン語でソースのことであり、アフリカ、原住民、スペインの文化が融合した音楽のことを指す。マンボやチャチャチャに代表される美しいアフロキューバンのパーカッション・サウンドは、西半球の様々な国の音楽に影響を与え、米国でも熱狂的な支持を得てきた。

 サンフアンでのフェスティバルには多くの著名な演奏者が出演した。その一人がキューバのシンガー・ソングライターであるシルビオ・ロドリゲスである。彼はキューバ革命の熱心な支持者であり、国内で人気を博している。

 シルビオのたぐいのない才能は世界中の音楽愛好家を惹きつけており、彼はプエルトリコでも熱狂的歓迎を受けた。

 

亡命キューバ人右翼、シルビオを妨げようとする

 この音楽祭の準備期間中、右翼のキューバ人亡命者がシルビオの参加を阻止しようと悪質な妨害を行った。サルサ・ミュージシャンのアンディ・モンタエスは,シルビオ招待の提案を歓迎すると発言した後、死の脅迫を受けた。

  またモンタエスは今年マイアミで開催予定の「カジェ・オーチョ(8月通り)」サルサ音楽祭の出演名簿からはずされた。この音楽祭の主なスポンサーは裕福なキューバ人亡命者たちであった。

 1959年、キューバの民衆がバチスタ独裁を打倒して以来、キューバ人亡命者は革命に対して忠実な芸術家に敵意を抱いてきた。
何年もの間、キューバ生まれの歌手セリア・クルースは、この島に昔風の資本主義的抑圧体制を再建しようとする人々のメガホンとなってきた。彼女の最近の発言は,シルビオのプエルトリコ訪問に反対するコメントであった。

 しかしプエルトリコ人たちは、彼ら自身の経験から、キューバ人右翼がキューバに何を作ろうとしているかを知っている。だから多くのプエルトリコ人は、クルースの意見には耳を傾けなかった。ラジオの DJ たちは、もしクルースがサンフアンで演奏するなら、コンサートをボイコットしようと呼びかけた。そのは多くのミュージシャンやフアンの支持を受けた。

 マイアミの金持ちキューバ人、特に音楽産業やマスメディアを牛耳る人々は、プエルトリコ人がクルースと亡命キューバ人を「いじめている」ように状況を描き出した。しかし事態の本質は逆である。音楽祭の主催者は、キューバの音楽家の公式な代表を呼びたかったのである。セリア・クルースは自分こそがキューバ芸術の代表者だと主張しているが、それは誤りである。

 クルースがキューバに対する犯罪的な経済封鎖を支持する限り、彼女は帝国主義的文化の代表でしかない。この立場からすれば、彼女は単にキューバの敵であるだけでなく、すべての被抑圧人民の敵である。

 どんなに彼女が才能豊かであろうと、彼女の歌が50年にもわたって評価を受けてきたとしても、それはクルース個人の財産ではないし、彼女個人の豊かさでもない。キューバの芸術は,独裁者との生き残りをかけた歴史的戦いの中から、その表現として生まれてきたものなのだ。セリア・クルースはもはやこの基準を満たしていない。

 キューバとプエルトリコの関係を表す昔からの表現で,「同じ鳥の二つの翼」という言葉がある。この言葉は今も生きている。何世紀にもわたる連帯のもっとも新たな現れの結果、セリア・クルースはフェスティバルへの参加を断念することとなった。

 彼女の政治的同盟者たちは、プエルトリコ人のキューバ革命に対する敬意と賞賛を過小評価した。グローバルな抑圧者と被抑圧者の戦いは、文化の分野でさえ例外としない。

 多くの人たちはクルースが歌に専念すべきであり、帝国主義者の反キューバ宣伝に荷担するのをやめるべきだと考えている。プエルトリコ人の聴衆を失いたくなければなおさらである。

 セリア・クルースの「世界サルサ音楽祭」からの撤退と、シルビオ・ロドリゲスの音楽祭における成功は、「二つの翼」の成し遂げた二つの成功である。この成果は、人民が連帯を通じて力を発揮すれば,どんな前進が実現するかを証明している。