最近、エクアドル経済が注目されている。
一つはネガティブな立場からのものであり、これはとくに日本外務省の論調に一貫して示されている。その典型が、最近引用した木下直俊氏(在エクアドル日本大使館専門調査員)の「混迷を深めるエクアドル」という報告である
木下氏は「個人的な論文」と断っているが、その基本的視点は外務省のラテンアメリカ部局に共通している。その証拠として、寺澤辰麿 前コロンビア大使が「世界経済の新たな動きに関する研究会」で発言している内容を下記に示す。
多くの国は、債務危機を受け、市場メカニズムと新自由主義の導入を迫られた。具体的には、財政規律の確立、金融・為替の自由化、貿易の自由化等である。新自由主義政策を導入した結果、メキシコ、コロンビア、ペルー、ブラジル、チリでは企業部門の高度化やイノベーションが進んだ。しかしベネズエラ、 ボリビア、エクアドルでは大きな成果は見られなかった。この結果、二極化が生じている。前者の国々は親米傾向であるのに対し、後者の国々は反米政権の傾向がある。
これは相当えげつない、政治的色分けである。日本の外務省がラテンアメリカをこういう風に色分けしていると知れば、かなり不快感を表明する国もあると思う。しかも恣意的である。
たとえばアルゼンチンがここには含まれていない。アルゼンチンこそ新自由主義の導入でひどい目にあい、その後はっきりと反ネオリベを打ち出した国だ。ネオリベに対する警戒心は、ネオリベ政策を採用している国もふくめラテンアメリカ諸国に共通の認識だ。
エクアドルが反米だというのも不思議な話で、エクアドルはドル本位制なのだ。コレア政権でもドル本位制は維持されているし、変更する予定もない。こ れほどの親米国があるだろうか。債務の解決に当たってコレアが採った政策も、アルゼンチンのキルチネルに比べればはるかに穏和だ。
コレア大統領は「払わない」とは言っていない。ただ「道楽息子を博打狂いにして巻き上げた金の後始末まで、親に見させるんですか。しかも田畑まで売 り払って未来永劫払わせ続けるんですか」と言っているだけだ。そして「払えるだけは必ず払いますから勘弁して下さい」と言っているだけだ。
実はこの考え方は、コレアの独創によるものではない。国連が政務に関する原則として打ち出したものだ。
国連の国際法委員会の債務に関する宣言: 国家が、国内あるいは海外の債権者への債務返済資金を捻出するために、学校・大学・裁判所を閉鎖し、公共サービスを廃止し、コミュニティを混乱と無秩序に陥れることなど論外である。国家に対して合理的に期待できる範囲には、個人に対するのと同様限りがある。
それが反米的で反自由主義的だとすれば、親米的で自由主義的であるということは何を意味するのか? 道楽息子に博打を続けさせることなのか? アルゼンチンのように、国が崩れ去るまで債権国への奉仕を続けよということか。
ここがまず第一のポイントである。これは議論以前の、人間としての情に関わる問題である。
もう一つはエクアドルの政策をポジティブに見る立場からのものであり、その代表が、2011年11月に放映された「BS世界のドキュメンタリー 世 界を翻弄するカネ」である。この番組は主にギリシャの債務危機をめぐる話題をテーマにしていたが、債務とどのように対決するかをめぐり、エクアドルの経験 を紹介していた。
要旨以下のように紹介されている。
南米エクアドルでは、国家予算のほぼ半分(30〜40億ドル)が債務返済に当てられていた。輸出の約半分を占める石油収入は債務返済に消え、医療には4億ドル、教育は8億ドルしか回せなかった。
新政府は、返済は20%にとどめ、教育や医療、雇用創出に80%を当てるべきと主張した。そして「国民生活の向上という正当な理由がなく、特定の企業や政治家の利益に資しただけの融資」について、返済停止を宣言した。
私からもう少し補足しておきたい。
06年、コレアの大統領就任の時点で、エクアドルの対外債務は170億ドルだった。うち100億ドルあまりがグローバル・ボンドと呼ばれる公的債務だった。
1970年には2億ドルに過ぎなかった。
06年の債務返済額は国家予算の38%にあたる28億ドルあまり。これに対し保健医療と教育は15%だった。
1980年には債務返済は予算の15%、予算の40%が保健医療と教育予算だった。
エクアドルはそれまでの14年間で、債務の支払いにより135億ドルを失った。しかし債務は100億ドル増えている。まさに蟻地獄である。
問題は、それでその後どうなったかである。事態はそう単純ではない。
ただ外務省との見解との関連でいうと、大事なことは、エクアドルにそれ以外の選択があっただろうか、という点である。コロンビアやペルーやチリのようにネオリベ政策をあくまでも追求するという道があっただろうか? 私は歴史を振り返って、そういう道はなかったと思う。
歴史はそんじょそこいらの気の利いた方程式よりはるかに重いのである。
コレアがアメリカに嫌われる4つの理由
@コレア大統領は2007年に就任。左派の経済学者で、就任後は油田に対する政府の出資比率引き上げや、一部対外債務の利払い停止など民族主義的な政策を進めている。
左派といっても社会主義者ではない。あえてレッテルを貼るとすればネオケインズ主義である。行動形態が過激であるにしてもリベラル左派であり、チャベスよりは元アルゼンチン大統領の故キルチネルに近い。
2008年、コレアは32億ドルの負債返還を拒否した。その債務は不当であり、国際正義に照らして違法だと宣言した。そして累積債務の35%のみを支払うと宣言した。これは債権者と国際的金融機関を激怒させた。
A石油開発についても環境を破壊するような乱開発には反対していた。地球環境保護のため東部熱帯雨林での石油開発を中止すると表明したばかりだった。これは石油メジャーの反感を招いていた。
Bベネズエラのチャベス大統領がブッシュを悪魔と呼んだとき、コレアはチャベスを批判した。「悪魔に失礼だ。悪魔には少なくとも知性はある」という のが理由である。これは米政府を怒らせた。少なくともブッシュにつながるタカ派にとっては、クーデターをやるだけの十分な理由となる。
ただしこれは06年大統領選挙終盤での発言であり、この時点ではまだ大統領ではない。アメリカの大統領選挙なら、この位はまだ穏やかなほうであろう。
C平和主義者のコレアは、10年9月の訪日において広島を訪れ、被爆被害者の証言に耳を傾けた。「核兵器廃絶に向け私たちは行動を起こしている。広 島・長崎の悲劇を二度と経験しないよう努力する」と述べた。それはマンタの米軍基地を撤去させる決意と結びついていた。それは米軍および米軍と結びついた 軍内特権層の怒りを招いた。
これはある文献の要約であるが、債務モラトリアム、マンタ軍事基地の撤去、石油産業への干渉、それに一連の反米発言の4点セットがアメリカを怒らせ、気配を察した日本外務省が、その尻馬に乗っているという構図であろう。
コレアは急進派ではあるが元々の左翼ではない
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広島で献花するコレア大統領(エクアドル大使館HPより) |
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コレアの生い立ちは複雑である。彼はインタビューで、「父は失業者で麻薬運搬人(mula)だった、少量の麻薬を米国に持っていき、米国の刑務所で4年間過ごした。エクアドルへと強制送還されたあと自殺した」と告白している。
彼は苦学した後、名門イリノイ大学で博士号を取得している。同じシカゴでもシカゴ学派ではなくオーソドックスな経済学である。
コレアは左派ではあるがマルクス主義者ではない。最初に当選したときの選挙では、「民主左翼」は他の候補を推していた。
コレアは当選前にキューバを訪問し、カストロと会談している。そのあとカストロは「面白い議論だった」と述べているから、相当の激論になったようだ。
さて本題だ。エクアドルの経済と財政のパフォーマンスは一体どうなっているだろう。
これについて木下氏は、きわめて興味ある評価を下している。
以下要旨を辿る。
2008年秋の金融危機以降、国内経済のファンダメンタルズが急速に悪化 したことを受けて、政権は急進化 の傾向を強めた。
コレア政権は市場原理を重視した新自由主義路線から、国家の役割を重視する社会主義路線へ と経済政策を転換した。
経済の底上げを目指して、公共事業や社会政策への政府支出を大幅に増やしている。
コレア大統領は政権発足からこれまでの4年間、経済政策を疎かにし た。
国内の経済社会情勢は厳しさを増し、コレア政権に対する国民の不満が高まっている。
完全失業率は6.1%・不完全失業率は47.1%(2010年)と労働生産人口の半数以上が依然不安定な雇用環境に置かれている。また、貧困率は 33%(地方部では52.9%)で、国民の3人に1人は基礎的食糧品を購入するだけの所得(約2ドル/日)を得られない状況に置かれたままである。
国民はコレア政権の発足に希望の光を見出し、貧困削減・格差是正・治安改善などといった経済社会面での向上を期待したが、国民が期待したほどの成果はなく、国民の生活は以前と何ら変わらないどころか、むしろ悪化 しており、閉塞感だけが漂い 始めている。
問題はそれだけに留まらない。コレア政権は財政規律を無視 し、大規模な財政支出や公的投資を繰り返しているため、政府の財政状況は厳しい局面を迎えている。
2010年は約41億ドル(GDP比7.2%相当)、2011年は約53億ドル(GDP 比8.5%相当)の財政赤字 が発生すると見られている。政府はこの膨らむ財政赤字を補填するため、中国からの債務 を増やすなどして凌ぐ現状である。(石油を担保に、4回に分け総計50億ドルの融資を受けている)
このように、コレア政権の前には険路が続き、国内の政治経済は混迷の度合いを深めている。
イタリック体は私がつけたものだが、学術論文らしからぬ独断的・感情的表現が書き連ねられている。
いくつかの疑問がただちに浮かんでくる。
@国内経済のファンダメンタルが急速に悪化しているのか。
A政権の経済政策は09年以降急進化したのか。
B国家の役割を重視したら社会主義路線になるのか。
C公共事業や社会政策への政府支出は大幅に増えているのか。
Dコレア政権は経済政策をおろそかにしているのか。
Eコレア政権に対する国民の不満は高まっているのか。閉塞感が漂っているのか。
F失業率や貧困率は高まっているのか。あるいは改善は見られないのか。
G国民の生活は悪化しているのか。
Hコレア政権は財政規律を無視しているのか。
I財政支出や公的投資は過大なのか。
J莫大な財政赤字が発生しているのか。
K中国からの新たな借款は不適格なのか。
以下、順を追って考えて行こう。
@国内経済のファンダメンタルが急速に悪化しているのか。
経済マクロはGDP、物価上昇率、失業率、貿易収支あたりを押さえればよかろう。
前提となるものが二つある。一つはリーマン・ショックはラテンアメリカ諸国を例外なく襲っている。したがって経済の急速な悪化は「市場重視」の国で も共通している。エクアドルが特にひどいかどうかを見なければならない。もう一つは、これはベネズエラ経済の分析の際にも触れたことだが、エクアドルは輸 出の半分を石油に頼る石油産出国であり、原油価格の変動は経済に著しい影響を及ぼすことである。この間の原油価格の乱高下との関連を見ておかなければなら ない。
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エクアドルの名目GDP(USドル)の推移 |
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実質経済成長率の推移(エクアドル、コロンビア) |
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インフレ率の推移(エクアドル、コロンビア) |
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国際収支の推移(エクアドル、コロンビア) |
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@エクアドルのGDPは堅調に推移していることが分かる。少なくとも深刻な状況が到来しているとはいえない。
A経済成長率はおおむね3〜4%を維持している。自由主義経済の隣国コロンビアとほぼ同様の成長を達成している。乱高下はリーマン・ショックだけではなく原油価格の動揺も関連していると思われる。
B失業率が高止まりしているというのは、ほとんどデマに近い。高止まりしているのは木下氏の愛する新自由主義の国コロンビアのほうである。
Cインフレ率は低く安定している。2000年の狂乱物価は新自由主義とドル化の導入に伴うものである。
D国際収支はリーマン・ショック後急速に悪化している。しかし新自由主義のコロンビアにおける国際収支の悪化ははるかに深刻である。
以上のグラフは「世界経済のネタ帳」から引用させていただきました。
この5つのグラフで、
@国内経済のファンダメンタルが急速に悪化しているのか。
F失業率や貧困率は高まっているのか。あるいは改善は見られないのか。
については否定された。
次いで財政問題に移ろう。A,C、H,I、Jが財政にかかわる批判である。
財政については、なんと当の日本大使館がしっかり統計を流してくれている。
これで見ると、財政赤字の原因が乱脈な歳出にあるのではなく、石油収入の半減にあることが明らかである。これはベネズエラでも同じだ。10年に原油価格が高騰した際には収入は回復し、これに伴い赤字も半分以下に減少している。これについては「ベネズエラ経済を、ふと考える」、「ベネズエラ経済: 立ち止まって考えた」、「ベネズエラ もう少し考えた」をご参照いただきたい。
ただベネズエラは思い切り歳出カットしたが、エクアドルはそうしていない。10年には逆に支出を8億ドルほど増やしている。中身は120%人件費である。リーマンショック後の雇用確保に当てられたと見られる。
それにしても赤字幅は歳入160億ドルに対する11億ドルであり、その半分以上が資本支出の増によるものである。リーマンショック後の景気・雇用対策とすれば過大とはいえない。
12項目にはふくまれていないが、対外債務の経過を図示する。
絶対額そのものは算出法の違いがあるようだが対GDP比は10年前の54%から14.3%にまで低下しており、11年には若干上昇したがそれでも14.9%である。
別な記事では政府債務残高は32億ドル対GDP比5.9%とされている。いま話題のギリシャは4500億ドル、スペインは9千億ドルに達する。悪いのと比べてみてもしょうがないが、二桁違うのである。
同じく日本大使館資料から最低賃金 / 平均収入 / 最低・基本生活費 (出所:国家統計調査局INEC)
この図で注目すべきは、平均収入が徐々に上昇し、08年を機に最低生活費を越えたことである。
G国民の生活は悪化しているのか。という問いに対する答えはノーである。
なおラテンアメリカ諸国のジニ係数は以下の通りである。
ブラジル:59.3エクアドルはラテンアメリカで最も格差の少ない国といえる。(この表にはないが、ニカラグアはもう少し低い)
そろそろまとめに入る。
論者が指摘した12のポイントのうち、@、F、G、H、I、Jは否定された。Aについては積極化はあったと見てよいが、何を以って“急進化”と呼ぶのか分からない。Bはそもそも間違いである。Cは部分的に正しいが、常軌を逸した大幅増というなら間違いである。
Dについては「そうですか」というほかない。ただコレアは就任に当たり、「まず政治システムの改革が先で、経済はその後だ」と宣言している。彼は無 能ではなく、エコノミストとしての高いキャリアを持っている。その能力を背景にして、そのように言っているのだから、それは一つの選択だろう。
Eについても「そうですか」というほかない。著者がお付き合いしている人たちが不満を強め、閉塞感を漂わせているとしても、それはコレアの責任ではない。
Kについては調べなかったが、中国から借りるのが危険だといわんばかりの論調には違和感を覚える。
統計資料から読み解くエクアドル経済は、著者の指摘とは逆の傾向を示しているように思える。ただ、11年から始めた“急進的”な経済5カ年計画が今後どのように展開していくかは注目すべきであろう。