ペルー第三報:そしておそらくは当面最終報
1997年5月
ゲリラに対する思い
4月23日朝,無惨としかいいようのない映像が飛び込んできた.爆弾の炸裂する音,豆のはじけるような小銃の連続音,たちのぼる白煙と炎.テレビを見た人たちは思わず息を呑んだに違いない.
私はその映像を見て,人質をふくむ百人の犠牲者を出したコロンビアの裁判所占拠事件を連想した.これで恐らくほとんどすべての人質は絶望だろうと思えた.しかしその映像にかぶせるように「人質全員無事」との音声が流された.
結局ペルー最高裁の判事一人は犠牲となったが,他の人質の命は救われた.この作戦中に警察部隊の二人が犠牲となり,犯人は全員射殺された.過去の経験から考えれば,そのほとんどは戦闘中に死んだのではなく,作戦終了後に虐殺されたのであろう.かといって警察の残虐ぶりを非難する気にもなれない.
とにかく終わったのだ.
思わず「バカ野郎」と叫びたくなる,そういう空しさとやりきれなさだけが胸に残る.とにかく,ゲリラのバカさ加減に腹が立つ.しかしこれでゲリラの時代は終わったのかも知れない.彼らの墓碑銘としてはこれがふさわしいのかも知れない.結局今回の行動は,最初から漫画だったのだ.ゲリラが一国の軍隊や警察を相手に抵抗を続けることができるのは,民衆の支持と,なによりも気高い道義心があるからだ.そのいづれをも失い,非道な資金に頼り,テロルのためのテロルに走った以上,いつかはこうなる運命だったのだろう.
一連の事態への疑問
彼らの行動全体に対する評価は別として,武力解放に至る一連の行動への疑問は残る.第一に,ゲリラは最後まで政治犯の釈放という要求にこだわったようだ.これが平和解決の道を閉ざした最大の原因となった.もちろん「死人に口なし」で,もはやセルパ某に真相を問いただすことはできない.しかしそれはペルー政府側のデマ情報とばかりはいえないようだ.交渉役にあたったシプリアーニ大司教の言葉の端々からも,交渉が決裂した原因がもっぱらゲリラ側の強硬姿勢,というよりも強硬姿勢への変化にあることは間違いなさそうだからだ.
第二に,それではセルパ某は一方的に自らの意見を流すだけで,外部からの助言を得ることができなかったのだろうか? あるいは政治犯釈放の要求を取り下げるなという指示あるいはサジェスチョンを外部から得ていたのだろうか?
経過から見るとどうも後者のような気がしてならない.彼らは3月末までは「諸条件を認めさせた上での亡命」という路線に傾いていたように見える.それから4月にかけて明らかにそれまでのから,にわかに強硬化したようだ.それはおそらくフジモリのキューバ訪問,カストロと会見しての亡命受け入れでの合意と符丁を合わせている.読者の皆さんも是非もう一度,経過表を取り出して眺めて欲しい.ここまでは実際「うまく」行っていたのだ.
推理の第一の前提,セルパはこの時点で方針を変更した.第二の前提,セルパには彼に影響を持つ外部の人物がいた.この二つを前提とすれば,その人物Xは,事態が「うまく」行くことを快く思わない人物だろう.
漏れ伝わる情報から判断して,「キューバ亡命」路線の筋書きはかなり霞ヶ関が関与していたようだ.その内容はおそらく前回の分析で述べたものに近いと思われる.カストロの亡命受け入れ表明は,過去にキューバがMRTAを支援してきたという経過に関する複雑な思いを乗り越えて,基本的に中南米諸国からも歓迎された.そこに至るまではおそらく相当周到な根回しがあったのだろう.
この路線は一方においては,人質の安全に何よりも重点を置く「平和解決」路線でもあった.とすればこの路線が「うまく」行くことによって誰よりも大きな不利益を蒙るのは誰か,それは他ならぬ米国政府だろう.
武力解放と米国
憶えておられる方もいると思うが,事件発生当時,米国は強行突破路線を声高に主張した.そのための特殊部隊を送り込むことも提起した.しかしその提案は足下に拒否された.米軍が入ってくればその国の主権がどうなるかは火を見るより明らかだからである.それは理屈ではなく,過去十年間コカイン・ルート絶滅を口実に米国が内政干渉をくり返してきた経過が事実として突きつけているのである.現に最近もメキシコ政府に対し,米国の麻薬取締官が自由な捜査権とそのための銃器所持の自由を要求し,きびしく拒絶されたばかりだ.
武力解決路線が拒否されたことにより,米国政府はバツイチとなった.そこまでは未だ良い.しかし平和解決路線が犯人のキューバ亡命と結びつき,しかもそれが中南米諸国の支持を得そうな雲行きになると,もはや黙ってはいられないだろう.日本のイニシアチブで問題が解決してしまう,カストロの評価がぐっと上がる,西半球の盟主を持って自認する米国はなんの手出しもできずに終わる,とあっては,クリントンならずとも認めがたい構図である.
「またもやお馴染みのCIA謀略説か」と思われると,いささか心外ではあるが,推理小説の鉄則である「誰が最大の利益を受けるか」という設問を立てるなら,武力解決路線への変更について米国の関与を否定することはできないだろう.
MRTA自身が,キューバとの過去の行きがかりを根に持ってキューバ亡命を拒否した,とは考えにくい.それではやはり前後の経過があまりにも不自然だ.少なくともフジモリがキューバ訪問するにあたっては,ゲリラ側がそれを認めたに違いないからである.さらに一般的状況としてみるならば,筆者の知る限りではあるが,いまのところMRTAをふくめ中南米各地のゲリラの側からキューバを非難・攻撃するような動きはない.
ゲリラ連絡ルートへの侵入成功?
であるとすると,一番考えやすいのは外部からセルパにつながる指揮系統に外部からの介入があったという可能性である.今回のような決死の行動をとるにあたって,ナンバーワンあるいはナンバーツーが外部に残るのは当然である.作戦の初動段階ではセルパが自ら判断を下さなければならない状況が圧倒的に多かったにしても,このような持久戦となった場合,外部にサジェスチョンを求めようとするのは当然である.もし4月はじめにゲリラ側の方針が変わったとすれば,その判断は外部からもたらされたと考えるべきであろう.その外部の情報源はコカインなどで汚染されている危険性が高い.とすればこの3カ月のあいだにCIAがこのラインに侵入することは十分に可能である.
全くの孤立した状況の下で長期の忍耐を迫られるとき,たとえ相当の豪の者でもその心理的ストレスは並大抵のものではない.被暗示性は高まり,信頼できそうな情報には飛びついてしまう,信じてしまいたくなるマインド状況が形成される.外部との交信ルートに介入できさえすれば,簡単に彼らを思うがままの方向に修正することができる.
交渉の土壇場の局面で国際赤十字の副代表が強制出国となったが,一体何だったのだろうか? 全くの想像に過ぎないが,もし彼が何らかの情報を流したとすれば,セルパと外部をつなぐルートが汚染されている事実だったのではなかろうか.もちろん彼は武力突入などについて知りうる立場にはなかったろうし,知ったとしてもその情報をゲリラに流すとは考えにくい.彼がゲリラのシンパだったはずはないし,交渉の成立だけを願う立場にあっただろうからである.交渉の難航ぶりに手を焼いていた仲介者たちに,ゲリラのシンパから情報が提供され,それを彼らが取り上げたとすれば,その内容はゲリラの情報ルートが汚染されていること,したがって4月以降の新たな情報にしたがってはならないこと,これだったのではないか.
もしこれらの点が事実だとすると,シプリアーニ大司教の尋常ならぬ憔悴ぶりも良く理解できる.ゲリラの態度が強硬になればなるほど,エックスデーの到来が間近いことを感づきながら,必死にゲリラ説得をくり返さなければならなかったのである.
武力解放路線とフジモリ
ではフジモリ大統領はいつからこの計画を知ったのだろうか.おそらくドミニカやキューバを歴訪していた頃は知らなかっただろう.もちろん事態解決のオプションとして武力解放の道は捨ててはいなかったし,そのためのトンネル建設も承知はしていた.しかし彼の主要な方向は平和解決にあったと見て間違いなかろう.それは彼の最大のパトロン,日本政府の強い要請でもあった.
彼が平和解決の道を自ら閉ざす武力解決の計画を知らされたのは,計画がすでに相当進行してからのことに違いない.おそらくはせいぜいエックスデーの2週間ほど前のことであろう.彼の最側近と目される人々すら,計画をまったく知らされていなかったということは,この計画が彼の周辺とは無関係のところで進行していたことを示している.
のちの情報では計画推進母体は海軍のようだ.一般に権力機構は三軍と内務省から構成される.内務省は警察を管轄するのだが,大抵は一般警察の他に人民や政敵弾圧用の政治警察があり,これが大統領の私的権力=親衛隊的存在となることが多い.しかし今回はこの部隊はまったく関与しなかったどころか,そのトップでフジモリのふところ刀といわれた人物が責任を問われ政権から排除されるという経過をとっている.軍の情報部にいたっては,最高責任者がまさに人質となっているというお笑い草だ.
これに対し海軍は米軍直属の下に近代的な装備を誇っている.突入にあたった特殊部隊も人民弾圧をこととする荒っぽい連中ではなく,高度な技術を持つスマートな部隊のようである.こうなると突入計画に関しては当初から米国の一貫したイニシアチブでことが進んでいたと予想される.つまり米国は武力解放路線で影の主役の位置を占めただけではなく,平和解放路線をぶちこわした張本人であると考えられるのである.
計画を知らされたとたん,彼はもはや平和解決の道が絶望であることを悟った.もはや交渉は茶番であり,突入までのカモフラージュに過ぎない.であれば彼のとるべき道はただ一つ,米国の作戦に乗るしかない.そして作戦の成功を祈る他ないのである.フジモリにしてみればこれ以上の災難はあるまい.
しかし彼はタフな男である.しっかりと自らの役目を演じきり,見事なパーフォーマンスを見せてくれた.一番の問題だった日本との関係は,日本の政治音痴ぶりにも助けられなんとか切り抜けて見せた.ただ今後の問題はずいぶんと残っている.新たな彼の権力構造をどう構築するか,三選を目指す彼としては頭の痛い問題に違いない.
青木大使バッシングのミステリー
占拠開始以来4カ月の長きにわたり,ともかくも人質をまとめあげ,全員無事解放の功あつい青木大使に対し,国内での処遇はきわめて異様である.大使バッシングとも見られるあからさまで強力なキャンペーンが,どこからか系統的に流されている.外務大臣の対応もきわめて冷淡なものである.いったいなんなのだろうか? おそらくそれは青木大使の影響力を最大限抑えるとともに,「余分な口をきくな」という大使に対する一種のサインなのだろう.
たぶん青木大使は何かを知っており,それは口に出してはならないことなのである.それは平和解決から武力解放への方針転換時の経過に絡んでおり,日本政府にとっても米国政府にとっても,フジモリにとっても知られてはならないことなのだろう.直情径行な青木大使は,マスコミの集中的な取材を受けるなら,話のなかでそのことを語らないとも限らないのである.
ふつうこの手の事件であれば国内マスコミは大騒ぎするものである.そして一つの美談にまとめあげ,一種のナショナリズムを鼓舞するのが普通のマスコミ感覚ではあるまいか.大使の解放されて最初の記者会見における発言も,まさに大向こう受けのする内容であった.少なくとも解放後何日かは,マスコミもそのようなニュアンスでくり返し報道していたように思う.多少青木大使の言動に問題があり,一般商社員などがそれに不満を持ったとしても,そのような不協和音はネグレクトしてしまうはずである.保守的,右翼的マスコミであってもそれは変わりない.むしろますます賛美の傾向を強めこそすれ,大使バッシングに向かうのは不自然である.
とすれば,このキャンペーンは政界・マスコミをふくむ右翼的・支配的潮流すべてに対して出された「指令」に基づく共同行動なのではないか.その指令は誰がいつどこから出したのだろうか.それは果たして日本国内から発せられたものなのか.深い疑問となって残る.
いづれにしても,いかに多くの人質が取られようと,政治囚の釈放という要求には応じることはできない.60年代末からの幾多のハイジャック事件,それに対する対応の積み重ねのなかで,このことはほぼ国際常識となっている.平和解決路線を1年でも2年かかっても,ねばり強く追究するのは当然であるが,一国の政府としてはこの点では譲れない.犯人の要求に屈してテロリストを超法規的に釈放したクアラルンプールの再現は,二度とないのである.