フジモリをやめさせた1本のビデオテープ

 

2000年11月25日

 

強権的な手法をめぐり,とかくの噂のあったフジモリ大統領が,ついに辞任しました.政権の手法と同じく辞任の仕方も強引かつ唐突で,「やめりゃ,いいんだろう」というようなふてくされぶりは,普通の日本人の発想とはずいぶん異なるようです.

このような無責任なやめ方が国民に納得されるわけがありません.ペルー国会はフジモリの辞任を認めず,改めて大統領解任を決議しました.栄枯盛衰の倣いのごとく,10年間にわたり政権をになった与党「ペルー2000」は,あっという間に雲散霧消してしまいました.

それにしても,たった1本でフジモリ政権を崩壊させたビデオテープとはどんなものだったのでしょう? アメリカの草の根組織が発行している「アメリカ週報」(9月18日号)にビデオの内容が詳しく報道されているので,ご紹介したいと思います.

 

9月14日,衝撃的な映像がテレビを通じて流されました.フジモリの懐刀といわれたモンテシノス国家情報局(以下SIN)長官が,野党のルイス・アルベルト・コウリ議員を買収する場面を記録したビデオです.コウリはトレード派の「可能なペルー同盟」から出馬し当選したあと,不可解な理由でフジモリ派の「ペルー2000連合」に鞍替えしました.

全部で56分からなるこのビデオは,5月5日に撮影されたものです.撮影された場所は,リマ市チョリージョ区ラス・パルマスのSIN本部にあるモンテシノスのオフィスでした.

 

テープの中味

まず現金の授受の場面は次のように進行します.

コウリは書類にサインし拇印を押したあとモンテシノスと握手を交わした.モンテシノスはズボンのポケットから現金入りの封筒を出した.コウリが何事かしゃべると,モンテシノスは,もうひとつのポケットから別の現金を取り出した.彼は伝票にサインし,それを封筒に詰めたあと,コウリに渡した.コウリはその封筒を上着のポケットに収めた.

ビデオの音声は時に不明瞭となるが,最初,モンテシノスが「いくら欲しいか?」と尋ねる.そして「ここに10ある.これでいいかな?」 コウリは「10でなく20」と求める.結局「15」で合意する.それからモンテシノスははっきりした声で紙幣を数え始める.「10に5枚,15だ」

 このあとさらにコウリは「選挙の費用をまかなうのに必要だ」といってさらに現金を求める.モンテシノスは資金の積み立てに同意し,引き続き援助を与えると約束する.

 

つづいて与党への鞍替えの発表をいつ行うかが議論になります.

モンテシノスは遅くとも8月中に発表するよう要請する.これに対し,コウリは8月以降適当な時期を選んで行いたいと主張.結局モンテシノスは,契約書の日付を空白のままにすることで合意.

 

この一連の会話の中で,モンテシノスは買収のねらいを次のように語っています.

イメージが決定的なのだ.我々はこの国に対する国際的なイメージのことを考えている.君たちの力でそれを実現できる.強力な議会,確固とした多数,重みのある多数でもってだ.我々はすでに多数を獲得した.しかし私が望むのはただの多数ではない.欲しいのは70,75%の絶対多数なのだ.

「アメリカ週報」の記事によれば,モンテシノスは「あたかも自分こそが政府を代表する人物であるかのように」語ったといいます.

このあと半ば雑談のようなかたちで会話が進行します.最初に口火を切ったのはコウリでした.彼は「一杯の牛乳」と貧困者地区における無料給食プログラムの話題を持ち出します.そして尋ねます.「資金はここ(SIN)から出ているんだろう?」

「あたりまえだ」とモンテシノスが応えます.「共同炊事場での働き,そして一杯の牛乳,これが5年間にわたって百万人の支持を獲得してきた最大の保証なんだ」

モンテシノスはこのプログラムの巨大な価値について語り,何年間ものあいだ,いかに貧困者の票を「収穫」してきたかを語ります.そしてモンテシノスはこう結論します.「これはどでかい奴隷市場なんだ.分かるかい?」

私には,現金の授受そのものより,この発言のほうがはるかに重大だと思われます.フジモリの代々の支持基盤である都市貧困層を一発で吹き飛ばす,それは爆弾のようなものでした.

 

放映のいきさつ

このテープを放映したのは,リマの有線テレビ「カナル・エネ」でした.このような重大なテープが,ローカル局でしか流せなかったことも,ペルーの政治状況を反映しています.

テープを持ち込んだのは「独立道徳戦線」(FIM)という小政党の活動家でした.放映終了後直ちに同党のフェルナンド・オリベーラ議員とルイス・イベリコが記者会見をおこないました.オリベーラたちの話はテープの内容に勝るとも劣らないほど衝撃的なものでした.

モンテシノスのオフィスには,少なくとも4台の隠しカメラと無数の録音機器があり,そこでの会見を記録していた.それは将来脅迫のネタとして,とっておかれたものだった.イベリコによればモンテシノスはこのようなテープを少なくとも2,500本は所有しているという.今回発表されたビデオは,その一部であり,FIMは他にもテープを所有している.そこに写っているのは,ジャーナリスト,政治家,軍将校らである.

オリベーラたちはテープを入手した経過については語りませんでした.また彼らは放映に先立って,「おまえと家族の身の安全は保証できない」という「死の脅迫」の電話を受けたことを明らかにしました.

 

放映直後の動き

テープが放映されると同時に国中が騒然となります.それはこれまで溜まった不満が一気に爆発したようでした.

FIMをふくむ野党の議員団は,直ちに抗議声明を発表しました.そしてまず攻撃の的をコウリに定めます.なかなか巧みな戦術です.前もって準備していたのでしょう.要求の中身は単純です.コウリの議員としての不逮捕特権を剥奪し,収賄容疑で捜査を開始するよう国会議長に求めたのです.

与党選出の議長はきわめて党派的に対応しました.彼女はこの問題の審議を拒否し,議会を一時閉会としたのです.その間に,与党関係者が大量の文書を議会外に持ち出しました.

 

事件の背景

今年4月行われた大統領選挙と国会議員選挙は,フジモリ大統領にとって厳しいものでした.ペルー憲法は同一大統領の三選を禁じています.すでに二期の大統領職を果たしたフジモリには,ほんらい出馬資格はありませんでした.

それを,いろいろな口実を設けて強引に出馬したことが第一の問題です.

選挙では野党「可能なペルー同盟」のトレード候補が優勢でした.しかし蓋を開けてみるとフジモリがかろうじて勝利を手に入れました.海外の代表を含む選挙監視団は,大規模な不正な開票操作が行われたと非難しました.米州機構(OAS)はフジモリの正統性に公然と疑義を唱えました.

議会でも,フジモリ与党は過半数を獲得することができず,苦境に陥りました.与党は必死の切り崩し,多数派工作を行いました.その結果12人の野党議員が与党に鞍替えし,与党が過半数を獲得することになります.問題のテープも,その一場面です.

ここまでは,よくある話です.正直言って,大統領が辞めるほどの問題ではありません.問題はモンテシノスという人物であり国家情報部(SIN)という組織なのです.

89年にフジモリが大統領になったとき,ペルーという国は崩壊の危機にありました.フジモリは大統領の座にありながらクーデターを敢行.軍をバックにして議会や司法を押さえ込んだのです.そして力を背景にセンデロなどのゲリラを押さえ込む一方,天井知らずのインフレを収束させ,経済成長をプラスに向けたのです.

その後,制憲議会を創設し,大統領選挙を実施し,合法的に大統領に就任しましたが,クーデターを実行したときの権力構造は無傷のまま残されました.その象徴がモンテシノスであり,SINだったわけです.

モンテシノスはフジモリ政権の影の部分を支えてきましたが,ここ数年は影にとどまることなく,軍や政府を意のままに操るようになりました.拷問,盗聴に腐敗,そして麻薬カルテルとの関係などがつとに噂されていました.

今年6月にはOASがハイレベルの代表団を送り,フジモリにモンテシノス解任を迫ったほどです.しかしフジモリはこれを拒否しました.すでにフジモリはモンテシノスなしではやっていけない状況に陥っていたものと思われます.

 

* ここまで読んだ方は,ついでに97年版「これが世界だ」も見てやってください.

 

 

与党の対応

 

16日,コウリが大手のテレビ局「カナル・シンコ」とインタビューを行いました.主な内容は以下の通りです.

手渡された金額は15千ドルではなく22.5千ドルだった.それは選挙費用を清算し,自分の社会プロジェクトを推進するために,モンテシノスから貸与されたものである.自分は月2千ドルの割でそれを償還している.自分は2年前からモンテシノスとは友人であり,金を借りたことは何回もある.またあの時の会見は,たんに「ペルー2000」への加入のお誘いだけだった.

翌17日,フジモリが国民向けテレビ演説を行いました.この中で「まず国家情報部の活動を停止する.そして総選挙をできるだけ早く行う」と発表しました.そして,来るべき選挙には出馬しないことも明らかにする.しかし肝腎のモンテシノスの進退には触れないままでした.

野党は早速この声明に反発します.反対派の指導者ヘンリ・ピースは,モンテシノスについてフジモリが触れなかったことを批判.SINを解散するという声明の信頼性に疑問を呈します.そして政府を立ち去るべき人物の一人にフジモリ自身も含まれると語りました.いわば本丸への攻撃開始の宣言です.

 

漏洩の犯人は誰か?

マスコミの習性といいましょうか,報道の重点は,リークされた中味より,リークした人間の特定に移っていきます.野党系日刊紙「レプブリカ」は,ビジャヌエバ陸軍総司令官に近い筋からリークされたものだと書きました.モンテシノスはビジャヌエバの失脚を図っており,12月には彼に代えてフアン・ジャンキ・セルバンテス将軍を総司令官に発令しようとしていたというのです.そのためビジャヌエバの家屋敷にまつわるスキャンダルを暴きたてようと準備していたとフォローします.

いっぽうライバル紙の「エスプレソ」は海軍主犯説を書きたてます.

SINは同本部に配備された6人の海軍軍人を,陸軍本部と同一施設内にあるSIN本部で尋問中である.この6人はテープが収録されていた間,モンテシノスのオフィスを護衛しており,事件への関与が疑われているという.

この記事を補強するため,「エスプレソ」は軍関係筋の情報として,海軍幹部がモンテシノスに怒っていると伝えています.理由は,海軍の武器がコロンビアの左翼ゲリラに横流しされている事実を,モンテシノスが暴露しようとしたからだというのです.

どちらも「見てきたような嘘を言い」のたぐいでしょうが,軍隊が総がかりで腐敗していること,それらがお互いにいがみ合っていること,それにもかかわらず「モンテシノス憎し」では一致していることはうかがえます.

 

追記

その後の経過について,簡単に述べておきます.

国内外の世論に押され,フジモリはモンテシノスを解任しました.モンテシノスは政治亡命を求めパナマに渡ります.しかしパナマへの亡命を拒否されたモンテシノスは,ふたたびペルーに舞い戻り某所に潜入します.

この間にマスコミなどはモンテシノスの悪行を書きたてました.フジモリはモンテシノスの身柄保護=逮捕を命じます.しかしモンテシノスはつかまりませんでした.これに怒った軍の一部には,若手将校の反乱も飛び出しました.

フジモリはモンテシノス抜きで軍を掌握しようと試みますが,無駄な努力でした.要は「モンテシノスの首を持って来い.話はそれからだ」ということです.周辺諸国や国際社会も,独裁色の強いフジモリに対し信頼も好感も持っていません.

フジモリはモンテシノスと串刺しにされたことになります.おそらくはフジモリ自身も,スキャンダルまがいの弱みをモンテシノスに握られているのでしょう.だから任務の全面放棄という異常な形でその政治的キャリアを閉じなければならなくなったのだと思います.

もう少し長いスパンで振り返ると,ペルーは「ゲリラとフジモリの国」でした.失政が天文学的なインフレと失業者を生み,それが狂信的ゲリラを生み,それがフジモリを生み出したのでした.いまだ膨大な失業者,貧困という構造的な問題は解決されていないものの,一定の政治的・経済的安定が生まれました.フジモリ流の政治はその使命を終えたのだとも考えられます.

民主主義の旗をかざしてフジモリを追い落とした新政権は,実体はリマの旦那衆の集団です.それは国連の元事務総長で,前回選挙でのフジモリの対抗馬デクエヤルが首相に任命されたことを見ても分かります.また親米・反民衆の「口先」政権が復活するのでしょう.ただコロンビアと違って,民衆を内戦に駆り立てるようなまねをしないことが,救いと言えば言えるのですが.

ペルー人民は,また一から戦線を再構築していくしかありません.かつて83年から85年にかけて,ペルーの愛国同盟は大きな影響力を発揮しました.それがアプラのガルシア,カンビオのフジモリなどに色目を使い,自力で勝利するという原則を貫徹しなかったことは大いに自己批判しなければなりません.ソ連・東欧の崩壊という出来事も民主勢力の体調に拍車をかけたかもしれませんが,それはモスクワへの盲従という,これまでの路線問題にもかかわってくるでしょう.

しかしペルーには共産党の創立者マリアテギを始め,多くの革命的伝統があります.いっぽうで国の民主的・人民的改革を待ち望む多くの都市貧困層,先住民集団がいます.自覚的民主運動の一刻も早い再建を望みたいと思います.

 

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