ボリーバル運動: チャベスの挑戦

 

ボリーバル革命とは何か?

いま、ベネズエラは、民主的に選ばれた大統領、ウーゴ・チャベスの下で、ボリーバル革命の精神が染みわたりつつあります。

なぜボリーバル革命と呼ばれるのか? それは運動の趣旨がシモン・ボリーバルの展望に基づいているからです。ボリーバルはおよそ200年前にカラカスで生まれ、ラテンアメリカの独立のために先頭に立って戦いました。そして10年以上にわたる苦闘を経てスペイン人を破り、南アメリカの半分を解放しました。

そのボリーバルの教えにのっとり、ボリーバル革命はベネズエラの抱えるもろもろの問題を克服しようとしています。

90年代の末、政治の舞台に登場したチャベスと第五共和国運動(MVR)は、大規模な社会的・政治的革命のはじまりを告げました。それは参加民主主義と社会正義に基づいています。

ベネズエラは、西半球最大の炭化水素(石油とガス)資源を持つ国です。石油の確認埋蔵量は772億バレルといわれます。またオリノコ川北岸には超重質油(オリノコタール)が存在し、その埋蔵量はサウジアラビアを凌駕するとも言われています。

しかし、どんな統計をとっても、どんな計算をしても、この国では、人口の80%が貧困な生活にあえいでいます。わずかな上流・中産階級と企業の利益の外側にいる圧倒的な大衆にとって、チャベスは人民的英雄なのです。

それではどこが以前の政府と違うのでしょう。その最大の違いは、石油を輸出してあげた利益=オイル・ダラーを米国に還流させるのではなく、ベネズエラの経済を拡大して、社会プログラムに資金を供給するために用いることにあります。

米国は、これまでベネズエラの石油を安く買った儲け、石油を売ったお金を自分の懐に入れて、さらに儲けていました。これに対してチャベスは、石油を正当な価格で売り、その儲けをアメリカの銀行のためではなくベネズエラの貧しい人々のために使うようにしたのです。

 

ボリーバル憲法の制定

チャベスが初めて大統領に選ばれたのは、1998年12月のことです。そのときチャベスは全投票数の56%を獲得し、圧勝しました。次の年2月に彼の職務が開始されました。

選挙で圧勝したとはいえ、この国の支配構造を根本から転換し、米国と結託した金持ち連中と渡り合うのには力不足です。チャベスは力関係を変えていくために、新憲法を制定することから着手しました。それは選挙にあたって彼が掲げた公約でもありました。

まずチャベスは、国民投票を実施することから展望を切り開いていきました。この国民投票は、チャベスの政治思想=ボリーバル主義を反映した新しい憲法を起草するために、制憲議会を召集するべきかどうかを、人々に問うものでした。

この国民投票は圧倒的な支持で迎えられました。そして、その3ヵ月後に制憲議会の選挙が行なわれました。選挙の結果はまたもやチャベスの圧勝でした。数か月後、制憲議会は新しい1999年憲法を起草しました。

新しい憲法は、1999年12月の国民投票で圧倒的に認められました。それは国の公式の名前をベネズエラからベネズエラ・ボリーバル共和国に変え、国を新たな、革命的なコースに導きました。

 

憲法を掲げる民衆

 

新しい憲法のキーポイントとなる第83〜85条は、保健・医療の保障を「根源的社会権であり、…生活水準と福祉の向上を保障することは国家の責任である」とうたっています。そこでは国家による公衆衛生システムの確立・運営が提案され、民営化は禁止されています。

憲法はまた、一切の差別を禁止して、全てのベネズエラ人の言論の自由と参加民主主義の原則を確立しました。そして先住民の権利を保障し、教育の質の向上、住宅・社会保障・年金制度の改善を政府に義務づけています。

2000年7月、新憲法にもとづき総選挙が行なわれました。大統領選挙ではチャベスが投票の60%を獲得し、新たな6年の任期を持つ大統領に再任されました。一院制の国会議員選挙でもチャベス連合は議席の3分の2を獲得し、圧勝しました。

ここまでチャベスは二度の国民投票をふくめ、五度も国民に信を問い、そのたびに圧勝したことになります。怪しげな選挙でかろうじて大統領に滑り込んだブッシュに比べれば、その民主性は際立っています。

このあとチャベスと彼の政府は、ベネズエラを変革するための計画を、いよいよ本格的に前進させはじめることになります。

 

ボリーバル・サークル 参加型民主主義の心臓部

民主主義政治とは人民(Demos)による人民のための統治を意味しています。日本の民主運動が掲げる「国民が主人公の政治」というスローガンとあい通じるものがあります。

民主主義政治は、人民が政治のプロセスにさまざまな形で「参加」することにあります。選挙は最も重要な「参加」の形態ですが、「参加」は決して投票だけにとどまるものではありません。行政のレベルでのより直接的な参加も重要です。参加が選挙のみにとどまっていれば、やがて選挙そのものも形骸化していかざるを得ません。

新しい憲法では、「参加型民主主義」の重要性が徹底して強調されています。憲法の166条と192条は、市民組織の活動を、「人々が自らの権利のために闘うための権利」として確立しています。憲法はまた、市民に行政への参加権を与えています。

チャベスはこの「参加の権利」をベネズエラ国民の血肉とするために、市民が自発的団体を組織するよう呼びかけました。そして、政府の掲げたボリーバル計画のさまざまな「ミッション」(使命)を先頭に立って実践するようもとめました。これがボリーバル・サークルです。

 

若き日のチャベス

 

いまベネズエラでは、ボリーバル・サークルこそが憲法の精神を反映し、民主主義のプロセスへの直接の参加をうながす最大の推進役となっています。やや古い数字ですが、2003年、このサークルは200万人以上のメンバーを擁するにいたりました。

ボリーバル・サークルの主な目的は、草の根レベルでボリーバル憲法とボリーバル革命を守ることにあります。それは自主的に運営され、政党から独立しています。チャベスの呼びかけに応えたこの組織は、当然、政府の支持を受けてはいますが、直接の財政支援は受けていません。

また、ボリーバル・サークルは政府の提唱するボリ−バル計画のさまざまな「ミッション」を担っています。しかしそれは、たんなる行政の末端ではありません。コミュニティや地域で「ミッション」を実践する際には、独自の考えを持ち、独自の役割を果たしています。

彼らは協同組合、教会、委員会、町内会グループなど地域におけるさまざまな組織を通じて、人々と結びつきを強めています。また一方、革新派の議員とつながり、地域の行政過程にも参加しています。そして生活や福祉に関わる政策の形成を支援しているのです。

ボリーバル・サークルには地域団体や労働組合のリーダーもふくまれています。彼らは一般大衆と協力しながら、地域の保健活動、教育や飢餓対策、零細経営への支援などさまざまな課題に取り組んでいます。

ボリーバル計画を進める上で(とくに運動の初期において)、ボリ−バル・サークルと並んでもうひとつの柱となったのは軍隊でした。

チャベス大統領は、大統領に許されているベネズエラ国軍の動員権限を最大限に活用しました。軍の能力を国内の貧困地域に振り向け、保健・医療、食料、建設機器、教育資材その他に利用しました。これによって、軍隊にも革命への参加を呼びかけたのです。(ただしこの方式に対しては、最近は慎重になっているようです)

チャベス政権は、民間企業においても「参加」の考えを重視しています。従業員の声が企業活動にダイレクトに反映され、労働者が経営にたいして関与できるようキャンペーンを進めています。これに応じた企業には、運転資金の援助が上乗せされることになっています。これまで約200の会社が、財政的な援助と引き換えに、この労働者経営参加計画を自発的に受け入れています。

この計画に同意した会社では、理事会に労働者代表を入れ、利益を従業員協同組合と共有する方式をとっています。いまのところ、そのほとんどは小規模な経営にとどまっていますが、政府はこれに参加する企業がさらに増えるものと期待しています。

 

チャベス政権の社会発展計画

はじめに2005年9月、チャベスが国連で行なった演説の一部をご紹介します(日刊ベリタより)。以下の記述はチャベス演説の内容を説明するものとなります。

ボリバル革命からわずか7年で、ベネズエラ国民はようやく重要な社会経済的成果を誇ることができるようになりました。 
 140万6000人のベネズエラ人が1年半で文字を読み、書くことを学びました。わが国の人口は2500万人です。ほんの数週間後には、ほんの数日後には、わが国は非識字からの解放を宣言できるでしょう。かつて貧困のために社会から除外されていた300万人の国民が初等、中等、大学教育に組み込まれたのです。
 1700万人のベネズエラ人が、すなわち国民のほぼ70%が、歴史上初めて医薬品も含め無償の医療を受けています。数年後にはすべてのベネズエラ人が素晴らしい医療を無償で受けることができるでしょう。
 今、170万トン以上の食糧が1200万人、すなわち全人口のほぼ半数の人々に安い価格で提供されています。そのうち、100万人は一時的措置として無償で受け取っています。これらの政策はもっとも困っている人々にとって高度な食糧安全保障となっています。
 70万以上の雇用が生み出され、失業は7%減少しました。いずれも、米国政府のシナリオにもとづく軍事クーデターや、同じく米国政府のシナリオによる石油ストなど、内外の侵略のなかで、メディアの陰謀や中傷、帝国やその同盟者の、時には暗殺にまでいたる絶えざる脅迫を乗り越えながら、実現したものです。

ボリーバル計画は、ベネズエラの貧しい人たちの生活を改善しました。このことは疑いようもありません。これらの人々は人口の大多数を占めており、チャベスの主要な支持基盤です。2004年、石油輸出の利益は250億ドルに達しました。国際原油価格はその後も高騰を続けています。チャベス政権はその利益を、社会発展計画に資金を供給するために充当しました。2005年度の繰り入れ額は48億ドル(5千億円)にも達しています。

ボリーバル計画は、一連の革新的な社会プログラムからなっています。それらは「ミシオン」(使命)と呼ばれています。ミシオンには医療、教育、食料、住宅、農地改革、職業訓練、小口金融などがふくまれています。

そのうちいくつかの重要な「ミシオン」について紹介しましょう。

@バリオ・アデントロ(居住区へ入れ)

これは数あるボリーバル計画の中でも、世界中をあっと言わせたミシオンです。

カラカスはアンデス山脈の支脈にはさまれた盆地にあります。街の中心部は近代的なビルが立ち並んでいますが、その周りの高台は地方から出てきた人たちが違法に住み着いたスラムになっています。ここがバリオ、あるいはランチョと呼ばれている地域です。その住環境は劣悪で、医療にも恵まれていません。

 

チャベスとキューバ人医師たち

 

このような大都市周辺のスラム・コミュニティに、良質な医療を提供しようというのがそもそもの計画です。これまでに733の診療所が建設、さらに2400の診療所が建設中です。 ここまではよくある話です。しかし「バリオ・アデントロ」は、これらを運営するのに、キューバ人医師を使ってやり遂げようとしたのです。

「バリオ・アデントロ」は、2003年春、カラカスのバリオで始まりました。ベネズエラ政府とキューバとの協定にもとづき、キューバ人医師1000人がやってきました。4ヶ月後、その数は二倍以上に増えました。最初はカラカスで診療活動を始めましたが、やがてそれは地方の工業都市プエルト・カベリョや山岳地帯にある農村にまで広がっていきました。

現在までにキューバ人医師の総数は2万人に達し、1億5000万回の診察を行ないました。いまはさらに、「居住区に入ろう」計画のパート2が進行中です。さらに計画のオプションとして「奇跡計画」も同時進行中です。これは白内障の患者などをキューバに送り治療する計画で、すでに11万5000人が手術を受けたそうです。もちろんその他の患者もどんどん、キューバに送り込まれています。

ただ、このような大量の外国人医師の投入は、当然摩擦も生むわけで、日本に当てはめると中国人医師が10万人入ってきてガンガン診療をやっている格好になります。

予想通り、資産家で反チャベス派のベネズエラ人医師たちが猛反発を開始しました。営業妨害だと訴訟に訴える、さらに医療過誤をでっち上げる、キューバ人医師の紹介を受け付けないなどの嫌がらせが相次いでいます。

しかし営業防害などと非難するのは、まことにお門違いです。これまでベネズエラ人医師が見向きもしなかった人々を診療しているだけに過ぎません。 バリオアデントロ発足の数ヶ月前にはベネズエラ人医師のボランティアを募集しましたが、ほとんど応募はなかったのです。

ベネズエラは必ずしも絶対的な医師不足ではありません。住民500人に1人の医師が存在しています。にもかかわらず、都市の労働者街や地方の農村では、ほとんど医療を受けることができませんでした。一回の診療に掛かる費用は、貧困層の一ヶ月の収入の4分の1にもなるので、貧しい民衆は事実上医療から排除されてきたのです。

A02年ゼネストとミシオン・メルカル(食糧の使命)

ミシオン・メルカルは二つの側面を持っています。一つは民衆の抵抗の形態としての「人民の店」運動であり、もうひとつは食糧生産・分配、消費者運動支援、ベネズエラの食糧安保などを含む政府のイニシアチブです。

ベネズエラのメルカルは、一言で言えば小規模スーパーマーケットの組織網だといえます。このミシオンは政府主導で出来たというより、資本家ストライキの攻撃に対する民衆の抵抗のなかから生まれた点が特徴です。

2002年12月9日、それまでのスーパーマーケットやマクドナルドのようなチェーン店のストに加え、国営石油会社(PdVSA)の事務職員らがストライキに入りました。PdVSA従業員の40%が職務を放棄しました。

 

 

 

石油タンカーの船長は船を動かすのを拒みました。これによって石油の輸出契約の義務が果たせなくなりました。生産管理担当の職員は、パスワードの提出を拒否しました。これにより、PdVSAのコンピューターシステムは止まり、主要な精油所が閉鎖されるまでに到りました。

この年の末までに、石油の生産は310万バーレルから、わずか2万5千バーレルにまで減少しました。それは極度の国内不安をもたらしただけでなく、日常生活のうえでも深刻な燃料不足を引き起こしました。

牛乳、米、小麦粉、砂糖、油などの必需品は日増しに入手困難になりました。ベネズエラでは、一部の富裕家庭以外の大多数は直通のガス管がありません。プロパンガス缶が配達されなければ、人々は煮炊きができません。

2月初旬まで続いた資本家ストで、100億ドルの損害がもたらされました。鉄や石炭、ボーキサイトなどの鉱山と鋼鉄産業は一時閉鎖を余儀なくされました。失業率は22%増大し、貧困人口率は44%から54%に急上昇し、数千の会社が倒産しました。

このような苦闘の中で、人民のための食品流通・分配網を作り上げること、食料輸入国というベネズエラの重大な欠陥を克服することが必要不可欠となったのです。

週に一度のテレビ番組「こんにちは大統領」で、チャベスはこう語っています。「私たちはほとんど食料を蓄えていなかった。そもそもベネズエラには、自然・政治・社会的な災害に備えた、食料の貯蔵という考えがなかった。私たちを負かそうとした者たちがそれを教えてくれた。私たちは蓄えることの大切さを、飢えることによって学んだ」

メルカルは、食料の完全な国家主権を確立し、栄養失調症の減少を目指す計画です。メルカルの組織網は、無名ブランドでも品質の良い基本食品を最大50%割引で提供しています。その主な対象となるのは、貧困層の人々が住む町と貧窮にあえぐ地方の地域です。

それはまず、軍の兵舎から、兵士の心から生まれました。ベネズエラ軍は、駐屯地を「人民の店」として開放しました。そして人民向けの食料倉庫として開放しました。チャベスは語っています。「ベネズエラ軍は街に繰り出した。奉仕の精神で、科学技術の能力、人的資源、交通の手段と食料貯蔵の設備を惜しみなく駆使し、メルカルの事業をささえてくれた」

Bミシオン・メルカルの内容

現在メルカルは国営企業PdVSAに次ぐ、2番目に大きい政府企業であり、国で最大の食品供給組織網となっています。

2004年12月の発表では、13,392のメルカルと102の貯蔵庫を持ち、食料売り上げは一日4,160トンになっています。これにより、すでに1480万人が恩恵に浴しています。最近はそれに加えて、31のスーパーメルカル(大きいメルカル)と12,500のメルカリトス(小さいメルカル)、そしてメルカルと共同して運営する数百の協同組合店、その他の事業体が創設されています。

このプログラムは、手頃な価格で高品質の日常用品を提供しようとするものです。メルカルが提供する製品には牛乳、トマトソース、パン、魚、果物、肉、小麦粉、海産食品、チーズ、穀物、卵、パスタ、コーヒー、マーガリン、砂糖、オートミール、レーズン、調理用油、鶏肉、塩と米などがあります。

価格は昔からのスーパーマーケットより全て25から50%低くなっています。価格に加えて、メルカルはその品質の良いことでも知られています。

民間スーパーとメルカルの価格の比率

製品

価格の比率

 

コーヒー

砂糖

小麦粉

パスタ

オートミール

レーズン

平均:

68%

54%

72%

59%

63%

48%

41%

78%

81%

62.7%

 

ミシオン・メルカルは物価安定の観点からは大成功だったと言えます。2004年1月から4月の物価上昇率は4.7パーセントでした。企業ストが終わった直後の前年同時期、7.8パーセントでしたから、3.1パーセント下がったことになります。

また2003年4月から2004年4月の1年間の物価上昇率は23.1パーセントでしたが、04年4月から05年4月には15.8パーセントで顕著な低下を示しています。2005年はさらに15%以下に下がるだろうと予測されています。

2005年4月、政府は最低賃金を27%引き上げました。一ヶ月あたり160ドルから202ドルに増加することになります。市場調査会社は、メルカルと最低賃金の増加とによって、ベネズエラ人の84%において購買力が53%拡大したと報告しています。

Cミシオン・メルカルの今後

この運動を支援する中で、政府の施策としてのメルカル計画が生み出されていきました。

食糧を生産し、蓄積し、貯蔵し、輸送し、商品化し、店に出す能力は「民族の主権」の核心のひとつとなっています。メルカル計画はベネズエラ民衆の食の主権を回復するための発射台である」とチャベスは表現しています。

2005年4月、メルカルを政府丸抱えの援助から外し、かつ、その物価調整機能を保とうという計画が始まりました。これは特定の貧困層などを対象とした施策にとどまらず、政府が流通全般に介入することで、流通段階での中間搾取をなくして価格を下げようとするものです。

ホルヘ・ジョルダーニ企画開発大臣は、高い食料価格や物価の暴騰、投機の根本原因に手をつけると宣言しました。

もうひとつは外国への食料依存をあらため、ベネズエラの食糧主権を増大させようとする試みです。消費者が、地元や国内で栽培された新鮮で安全な食物を入手しやすくすると同時に、それによって農村地域に職を生み出すため「内発的発展」計画です。

国内食糧の増産計画はサモーラ計画とも呼ばれます。

 

 サモラ計画のホームページより

 

計画実現のためには流通機構の変革が避けて通れない課題です。メルカルは地域と地元の生産者からの購入を増やすつもりです。すでに全体の購入の40%にまで増大しました。今後、農業・食品産業からの直接購入を推進するためには、大きな貯蔵空間と配給・輸送組織網の拡充・整備が決定的なポイントとなります。農業供給・サービス公社は、国内三ヶ所に大規模な冷凍倉庫(総額2,600万ドル)を建設することを決定しています。

食品輸入についても、自主性を高める努力がなされています。ベネズエラはキューバ、アルゼンチン、ブラジル、コロンビアなどとの間で、石油を肉、家畜、豆や穀物などと交換するバーター取引の合意を結んできました。これらは「食料のための石油」同意と呼ばれています。これらの食料は政府間取引の一環として、卸売り価格で購入され、ミシオン・メルカルに提供されています。

D貧困者の教育計画

貧困者に対する教育計画は三つの柱からなり、文盲をなくして初等教育をすべての国民に与えようとするロビンソン計画、中等教育を与えるリバス計画、高等教育を保障するスクレ計画と呼ばれます。

A..ミシオン・ロビンソン(識字教育の使命)

このミシオンは、ボランティアを使って貧しい者に読み書きすることを教えるための計画です。2003年7月にスタートし、150万人の文盲を一掃しようというものでした(ベネズエラの人口は2400万人)。そしてその目標はほぼ達成されました。

 

 

ミシオン・ロビンソンは、キューバで開発された教育システムを活用し約140万人の人々を教育しました。そのうち130万人がプログラムを完了したといわれています。2004年、読み書きの能力率は人口の99%まで引き上げられました。

ただしキューバでも同じですが、一度のキャンペーンだけではすぐに文盲が増えてきます。真の識字教育はむしろここがスタート地点であり、そのあとの継続的な教育が必要です。

現在はロビンソン(T)に続いてミシオン・ロビンソン(II)が進行中です。これは、いったん成し遂げられた読み書きの能力を落とすことなく、さらに強化しようとするものです。そして文字の読める人々もふくめ初等教育終了のレベルに引き上げようというものです。

120万人が登録され、その大多数が小学校教育を修了しました。それを待って、2005年10月、政府は全国レベルで文盲問題が克服されたと宣言しました。

これらの数字は米国と比較したとき、ひときわ印象的です。米国教育省の推計では米国人の20%以上が実質的に読み書きできないとされています。南北アメリカ大陸で、文盲のいない国はベネズエラとキューバだけです。

B ミシオン・リバス(中等教育の使命)

このプログラムは、中等教育を途中で受けられなくなった人のための教育計画です。国中のほぼ2万9000の教育センターで、あらゆる年齢層の人々に中等教育を提供し、2年間で高校卒と同等の資格を与えることを目的としています。

ミシオン・ロビンソンが進めば当然、登録は増えてきます。中等教育を受ける生徒の数はほぼ150万に到達しました。これはチャベスが大統領に就任した1999年当時に比べ55%の増加となっています。

C ミシオン・スクレ(高等教育の使命)

この使命は、高校卒または同等の資格を持ち、かつ経済的理由で大学へ行けない人たちのために、高等教育の機会を提供することにあります。ほぼ275,000人の人々が登録しています。

1999年以降、スクレ計画のために、各地域に5つの新しい大学が設立されるなど、いろいろなプログラムが用意されています。また現在は、チャベス以前の時代とは異なり、大学レベルの教育は完全に無料になっています。

E新たに提起されたミシオン

これらのミシオンは、これまで述べてきたものに比べると新しいものです。下から作り上げるキャンペーンというよりは、政策的色彩が強く、同時にいくらかコントロバーシャルな側面をふくんでいます。

A ミシオン・アビタート(住居の使命)

 

新たな住宅建設   

 

50年も前から、カラカスの市外に接して、地方から出てきた人々が住み着くようになりました。なかには、そこに家を建て居住しているものも含まれています。それは持ち主のある土地の不法占拠であり、いつでも追い出される可能性を持つ生活でした。

新しい憲法は、長年にわたって住みついた人に土地の所有権を与えると述べています(第82条)。これにもとづいて作られた土地法は、不法占拠された土地であっても、政府に土地の所有権を主張しうると規定し、バリオに住む貧しい者に土地の所有の法的権利を与えました。

2005年初め、政府はこの法律の具体的適用を開始しました。政府の許可を得て「都市の土地委員会」が作られました。2005年を通して、84,000の土地権利書が12万家族(多くは貧しい住民)に渡されました。

チャベス政権は、このプログラムによって借りを返しているのだと考えています。貧しいバリオ住民たちは過去50年、政府の力を借りずに、自力で占拠した土地の上に自力で家を建ててきました。いま彼らに土地の権利を与えることは、その努力を合法化し、ベネズエラの社会に対する貢献を承認することにつながるのだと考えています。

およそ63万人がこれによって恩恵をこうむりました。しかし、これはバリオの人口のおよそ6%にしか過ぎません。この運動はまだ緒についたばかりです。貧困者の厳しい住宅状況を救うためには、家を持っている者に居住権を与えるだけでなく、家のない者に公共住宅を与えるという、もうひとつのイニシアティブも求められています。

B ミシオン・グアイカイプロ(先住民への使命)

 

上:アンデス先住民 下:アマゾン先住民

 

ミシオン・グアイカイプロの目的は、先住民の土地所有権を擁護することにあります。そして大企業による投機から彼らの人権を守ることにあります。

ミシオン・グアイカイプロは、環境・自然資源省が実施主体となり、この国で最大の組織化された社会運動になっています。このミシオンは農地改革と結びつき、全国で5,000以上の土地委員会が設立されました。これらの土地委員会には、人口の20%にあたる500万人のベネズエラ人が結集しています。

C ミシオン・ブエルバン・カラス(方向転換の使命)

職業訓練プログラムのようですが、詳細は分かりません。国民の努力をもっと社会ニーズに適合させ、人々の労働が全体として国の発展と生活の向上に役立つような方向で流動化するよう促すこと、そしてこの国の社会的・経済的構造を変革していくのが狙いだとのことです。

このほか農業協同組合の組織化を促す「見つめ直そう」計画 というのもあるそうです。詳細は不明ですが、すでに6809協同組合、26万人を組織したとのことです。

 

チャベス政権の下でのベネズエラ経済

@チャベス政権の経済的成功

最新の世論調査(2005年末)で、チャベスの支持率は77%に達しています。政府の社会プログラムが可能となっているのは、経済が非常によく機能しているためです。それぞれのミシオンに対する資金供給能力は、石油価格の急激な上昇によってきわめて潤沢になっています。

チャベスが選ばれる前、ベネズエラの国民一人当たり収入は28年で35%低下しました。これはラテンアメリカ地域で最悪です。

1999年にチャベス政府が発足して以来、収入の低下傾向はおさまりました。02年後半から03年前半にかけての危機のあいだを除けば、一人当たり収入は足踏みが続きました。。

GDPは2003年の末あたりから明らかに上向きになりました。その後国民一人当たりの収入も上昇基調に入っています。国立統計研究所(INE)は、2004年の経済成長率を17%と報告しました。2005年の成長率見通しは、9.0%とされています。これはラテンアメリカ地域で最高です。

2005年上半期の粗鋼生産量は前年同期比10.0%増、自動車販売は前年同期比85.0%増となり、6月の月間販売は4年半ぶりに2万台を超えました。

2004年9月に14.5%だった失業率は1年後には11.1%となりました。失業者の4人に一人が就職できた計算です。先ほど述べたとおり、貧困率も低下しました。注意していただきたいのは、この「貧困率」には、チャベスの社会政策によって貧困者が受けた莫大な恩恵は含まれていないということです。

A石油価格の高騰だけが成功の理由ではない

以上のようなチャベス政権の経済的成功については、どんな立場に立とうと認めざるを得ません。しかし多くのエコノミストは、ベネズエラの経済的成功は「石油価格の高騰という神風のため」という見方をとっています。その裏には、「あれだけひどい政治をしているのにもかかわらず…」という陰口がついて回ります。

もちろん原油価格の高騰という条件は無視できませんが、それだけでは、なぜ過去において重債務国に転落してしまったのかという理由は説明できません。同じように石油はあったのですから。

これまでも大量の石油輸出を続けてきたのに、なぜ大量の対外債務を抱えることになってしまったのか、それは歴代の政府の失政と腐敗に原因があるのですが、より直接にはドルが逃避する二つの構造的原因がありました。

ひとつは、石油輸出による利益のほとんどを、PDVSAに寄生する石油メジャーが吸い取ってしまったからです。1975年に石油資源の国有化を宣言して以来、石油はベネズエラ自身のものだったはずなのです。しかしそれを統括するはずのPDVSAが、国家から離れて事実上、石油メジャーの支配の下に置かれてしまいました。

2002年4月のクーデターは、石油資源に対する国家の支配権を取り戻そうとするチャベス政権に対する抵抗だったのです。

もうひとつは、新自由主義の名の下に強制された資本の自由化です。これによりドルの往来は事実上無制限となりましたから、石油で利益を上げたメジャーも、石油に寄生する国内の資本家も、利益を国内に還元することなく海外投資や預金に回して行ったのです。

02年末に始まった企業ストの際、ドルの流出は反チャベス派により組織的に行なわれました。これにより政府を破産させようという意図からです。これに対し、政府は為替取引の停止措置で応えました。これにより反チャベス派企業と国際投機資本の息の根は完全に止められました。

こうした闘いの結果、国家の公的および対外的債務は軽減されてきています。そして今では300億ドル以上の準備金が蓄えられており、さらに増加の勢いを示しています。それは原油価格が低下したときの緩衝の役割を果たすことになります。

 

ALBA  FTAAに対するチャベスの挑戦

@ネオリベラリズムにどう立ち向かうか

ネオリベラリズムに対するチャベスの見方はきわめて明快です。彼は「自由市場・自由貿易」構想を北半球の支配的な先進国、とくに米国、欧州連合、日本の三大国による世界支配構想だと見ています。またネオリベラリズムは巨大企業の利益のための経済政策であると見ています。そしてネオリベラリズムを、特に発展途上国の一般庶民の犠牲の上に成り立つものでしかないと見ています。

これまでネオリベラリズムの理念にもとづいて、多くの貿易協定が先進国のイニシアチブで採択されてきました。たとえばNAFTA(北米自由貿易協定)や、現在提起されているFTAA(米州自由貿易協定)がそうです。それらの目標は、チャベスの理想とするものとは正反対です。それらは北半球の巨大企業の利益に仕えるものです。

NAFTAの12年は、メキシコに累々たる虐殺死体を残しました。WTOは、今もなおそのやり方を強制しています。とくに農業およびサービス部門で徹底しています。IMFと世界銀行が強制する「構造調整」は、発展途上国のいたるところで搾取を強め、貧困と悲惨な人々を生み出しています。

この極端な不公平を除去するか、少なくとも減らしたい。そしてラテンアメリカの庶民の生活を改良したい。そのために、チャベスはALBAを提案したのです。

彼はネオリベラリズムを挑戦すべき対象として見ています。そしてネオリベラリズムに対する徹底的な批判の中から対案を作り上げ、提起しています。その狙いは大胆で、新鮮で、革新的です。それは直截に「自由市場・自由貿易」構想の矛盾を厳しく突いています。

AALBAのめざすもの

彼の提案は「米州のためのボリーバル対案」、その頭文字をとってALBAと呼ばれています。

ALBAの目標は、二重の意味で普遍的なものです。ひとつはラテンアメリカ諸国の間で広範囲の統合をもたらそうとしているからです。そしてもうひとつは、特権的なエリートでなく普通の人々のためになるような「社会国家」を発展させようとしているからです。

ALBAの核心となる諸原則とは、@競争でなく相補性、A支配でなく連帯、B搾取でなく協力、C国家主権の相互尊重だとされます。またそれは、他のある国や大企業の支配を排除するとされます。一言で言って反米ナショナリズムの色彩が強いことが特徴です。

これらの原則で一致したALBA加盟諸国は、国民にもっとも必要な物資とサービスを供給し、草の根レベルの経済成長を実現することで一般庶民の生活を改善し、願わくは貧困を根絶することを目指します。このような階級的な視点もALBAの特徴です。

このような社会・経済計画を進める上で、商品やサービスの交換、すなわち市場経済を、国際的な金融業務や会社取引システムの枠を外れたところで行なおうとするところにもうひとつの特徴があります。それは「国内の市場経済は、先進国・国際金融主導の世界経済と直接連動していなくても成り立ち得るのだ」という考えです。

そのひとつの例がキューバとの連帯でした。キューバはベネズエラ政府と契約を結び、20,000人の医者を送りこみました。彼らはバリオの診療所や病院で働きました。またキューバは、ベネズエラ人に読み書きを教える計画のために、大量の教育スタッフを派遣しました。

ベネズエラは石油と建設資材をキューバに送りました。それはキューバの成した善意に対する見返りでした。

ベネズエラは、アルゼンチンともALBA方式の協定について交渉しています。今度の場合はアルゼンチンの牛肉、酪農製品と石油を交換するのが狙いです。いずれにおいても、一種のバーター取引(物々交換)であり、現金や通貨は用いられていません。

ベネズエラは、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイからなるメルコスール貿易同盟に正式に加わりました。これは直接的な経済的メリットを目指すというよりは、今後たとえばボリビアのような国が参加する上での励ましとなることを狙ったものと考えられます。

チャベスは、ALBAを具体化するために農業、保健・医療、教育、エネルギー問題における革新的なプログラムを検討しています。最近の米州サミットで、チャベスは「飢えと貧困根絶同盟」計画を提唱しました。そして計画遂行のため、この10年間で100億ドルを拠出すると申し出ました。

この計画では、30年にわたる構造調整政策によるゆがみと腐敗、さらに何世紀にもわたる植民地主義の作り出した経済構造上の諸問題を、いかに克服していくかが検討されています。

また、南側銀行の設立についても議論が始まっています。南の国々の真の発展のために、金利の恣意的変動や投機的資本の介入などのリスクなしで融資するのがこの銀行の趣旨となっています。

ALBAは今のところFTAAに対するひとつの代案の域を出ていません。それが成功するためには、多くの試練をくぐらなければならないでしょう。何にもまして克服すべき重大な障害があります。それはアメリカによるあからさまな、時には陰険な攻撃です。

ALBAが反米ナショナリズムに立脚していることは明らかです。ブッシュ政権は、先進国とりわけ米国の企業の利益に障害を与えるような構造転換の動きを座視はしないでしょう。ALBAの未来は、内部的にも外部的にも、これからが本番だと言えるでしょう。

 

これまでとは違うラテンアメリカ: 米国は孤立しつつある

@ネオリベラリズムの終焉

米政府と大企業の同盟にとって、ウーゴ・チャベスは、彼らの富に対する重要な脅威を引き起こしています。彼のボリーバル精神は、ますます広がっています。放置すれば北の巨人と張り合うまでに大きくなるかも知れません。

彼らは、必要とあらば間違いなく、どんな手段を使ってもチャベスを倒そうと試みるでしょう。気に入らない指導者や政府を不安定化し転覆させることは、米国にとって別に目新しいことではありません。彼らはこれまでもそうやって来たし、そうやって成功してきました。しかしチャベスに対しては、過去三回のもくろみはいずれも失敗に終わっています。これは偶然でしょうか?

一方にはチャベス政権圧殺という明らかな米国の意図があります。他方において、米国とベネズエラのあいだには歴然とした力の差があります。にもかかわらず、今のところチャベスの死亡記事は書かれていません。これは偶然でしょうか?

12月、NYタイムスは「これまでとは違うラテンアメリカ」と題する社説を掲げました。その中では以下のように述べられています

「南アメリカの3億6千万人のうち、ほぼ3億人は左翼政権の下で暮らしている。ラテンアメリカの政治的バランスは明らかに左翼に移っている。その理由は、ほぼ20年に及ぶ米国推奨の経済・貿易政策が、都市と農村に住む何百万もの貧困者にとってなんら役に立っていないからだ」

「ネーション」誌の2004年2月号で、エール大学の上級研究員イマニュエル・ウォラーステインは、米国推奨の経済・貿易政策すなわちネオリベラリズムについてこう述べています。

「ネオリベラリズムによるグローバリゼーションは全盛期を過ぎた。北半球による“all take and no give”の古いシステムは、いま死を迎えつつある。…それは実質上は、カンクンで2003年9月に埋葬された」

 

Aエボ・モラレスと米国

ボリビアの大統領選挙は、変わり行くラテンアメリカを象徴する出来事でした。まずその84.5%という高い投票率が注目されます。それは貧困者・先住民を含め国民の関心が極めて高かったことを意味しています。政府の悪政に対する怒りのみでは、この高投票率は説明できません。モラレスが勝利する可能性が高まったこと、そしてエボ・モラレスが大統領になれば何かが変わるかもしれない。ベネズエラのように…。

その意味で今度の選挙は、ボリビアの選挙でありながら、チャベスの展開する新しい政治のあり方に対するラテンアメリカ人民の反応を占う選挙でもあったということが出来るでしょう。

そしてその大統領選挙でモラレスは54%の得票を得るという劇的な勝利を挙げ、ボリビア最初の先住民出身大統領となったのです。その得票数は、右派の対立候補の実に2倍です。

実際には、モラレスは54%よりはるかに多い支持を受けた可能性があります。ラテンアメリカにおける、替え玉投票や開票操作など不正選挙の長い歴史からみれば、それは大いにありそうなことです。このたびの事実は、民衆の支持がたとえ不正操作をしても勝てないほどに圧倒的であることを示しているといえるでしょう。

彼はボリビアの持つ巨大なガス資源を国営化しようとしています。それは国家の歳入を増やし、経済を発展させ、民衆のためにより多くのサービスを提供するという目的のためです。

モラレスの当選後最初の外交活動は、フィデル・カストロを訪問することでした。ついでベネズエラを訪れてチャベスと会談することでした。実に鮮明です。

もちろん、彼に対する不吉なサインも早くも現れています。ウォール・ストリート・ジャーナル社説はこう主張しています。

「モラレスの当選は、ラテンアメリカの自由にとってより悪い知らせである。コカレーロ(コカ栽培農民)は急進的な政治勢力であり、アメリカのおこなうすべての物事に反対している…。モラレスの経済政策はボリビア国民に未来を約束するのではなく、ただ復讐のみを目的にしている」

ブッシュ政権はカストロやチャベスとの会見を、いつかはモラレスに敵対するレトリックに活用するでしょう。もし彼がベネズエラに倣って計画を立てるなら、そしてそれに成功するのなら、疑いもなく彼は米国にとって、もうひとりの除去すべき標的となるでしょう。

Bボリビアではことはすまない

ボリビアの大統領選挙と前後して、チリでも大統領選挙が行なわれ、中道左派の候補が勝利しています。今年はかなり決定的な年になりそうです。というのもペル−に続いてメキシコとあいついで大統領選挙が戦われるからです。しかもどちらの国でも、今のところ左派系の候補が優勢にあります。

このまま行くとこの数年で、ラテンアメリカで米国に忠実な国はコロンビアと、“我らがコスタリカ”くらいしかなくなってしまいそうです。

 

ブッシュの致命的弱点

ブッシュ政権は、今後もチャベスとベネズエラ政府に対する攻撃を続けるでしょう。しかしブッシュはさまざまの問題を抱え、弱体化しており、反チャベスの動きを制約されるだろうと思われます。

米国はすでにイラクで、終りがない泥沼に落ち込んでいます。戦費は膨れ上がり、財政赤字と貿易赤字は予算の維持を困難にしています。このうえ新たな冒険的政策を遂行しようとしても、議会と一般大衆の支持獲得は困難でしょう。

ブッシュ自身の支持率も急落しています。彼の与党と支持基盤からさえも支持を失いつつあります。軍の最高司令部は、明らかにイラクから手を引きたがっています。

議会の内外からは「イラクから手を引け」の声が日ごとに強まっています。とくに拷問センターを結んで世界中を飛び回る飛行機の存在は、世界中を怒りとともにゆるがせています。

政府関係者は「戦争に関わる問題は、行政府が独占的に扱い、議会や裁判所の関与は最小限にすべきだ」と主張。ボストン・グローブ紙によれば、「大統領には米国民を守る責務があり、そのために法律に従う義務を回避することもありうる」と開き直っています。少なくともこういうのは民主主義とは呼ばないのが普通です。

弱り目に祟り目と言うのでしょうか、共和党のロビイスト、ジャック・アブラモフにかかわる財政的、政治的スキャンダルは、ワシントンにおける過去最大のスキャンダルとなる可能性をはらんでいます。

アブラモフは共謀・詐欺・脱税について有罪を認めています。そして司法取引に応じ、捜査への協力に同意しました。すでに前の共和党下院院内総務トム・ディレー(テキサス州)が検察の取調べを受けています。他にも下院管理委員会のロバート・ナイ委員長など多くの議会関係者の名前があがっています。

そして、国会議員の何人かは大統領弾劾について言及し始めました。もはやブッシュ政権にとってベネズエラどころではないというのが現状でしょう。

 

この文章は、今年1月に掲載されたStephen Lendman氏の論文を下敷きに、ネット上のいくつかの論文を参考にさせていただきました。

Emerging Revolution in the South というページではZNetに掲載されている、ベネズエラに関する英文記事翻訳が数多く載せられています。

阪南中央病院労働組合という団体のホームページ(解同系のようです)に「ベネズエラ革命:索引」というファイルがあり、そこに豊富なベネズエラ関連文書があります。

各々のミシオネスに関しては Mission Miranda という英語のページが分かりやすく説明してくれます。