2002年 ベネズエラ ゼネストの経過

A ゼネストの開始

12月2日、ついに無期限ストが始まりました。先駆けとなったのは労働者ではなく反政府派のスーパー、チェーンストアなどでした。チリのストライキと同じです。実質的には経団連が被害を補償するロックアウトです。参加する店舗は富裕層の住む地域が中心でした。カラカス東部では商店がほぼすべて閉店しましたが、政府諸機関の存在する西部ではほとんどの店が営業を続けました。

翌日、いよいよ石油公社がスト入りしました。正組合員の9割がストに参加しました。ただしこれはエリート社員で、現場労働者の参加率は15%程度だったとされます。

この程度の参加にもかかわらず、石油生産は完全にストップしました。これは職員がコンピューターのパスワードを持ち出し、隠匿するという違法行為によるものです。各地の油田や精油施設は中央のコンピュータにより一元管理されていましたから、たちまちダウンです。

ただ油田や精油工場はコンピューターが動かしているわけではなく、統制しているだけですから、なんとなれば手作業で動かすことは出来るわけです。ただそれには相当の時間を食うことは間違いありません。

クーデターのときも、「乱射事件」のフレームアップによって事態を大きく揺るがし、そのデマが有効なあいだにやっつけてしまうという、いわば時間との勝負でした。結局麻酔の効いている時間が想定以上に短かったためにクーデターは挫折してしまうわけですが、このたびもコンピュータの切断を行ってから、手作業による復旧作業が新興するまでのあいだに政権を転覆させなければならないというきわどい計画でした。

ただ今度は最終目標はリコール投票にあるわけで、ストライキはあくまでもボディーブローですから、精密な時刻表が要らない分だけ気は楽です。それに基本はネトライキですから、金さえ出せば済む話です。血を流す必要もないし、首をかける必要もありません。

5日、ベネズエラ最大の製油所、パラグアナ製油が生産を停止しました。管理職が集会を開き、リコール選挙が決まるまでストライキを続けることを決定しました。これにより国内精製能力の7割以上が停止することになります.

さらに国有タンカー会社(PDV海運)の保有する13隻のタンカーのうち12隻がストライキに入ると宣言しました.そのうちの一隻ピリンレオン号は、積み出し航路の真ん中に居座り、航行の妨害を狙います.

ベネズエラ最大の石油生産地帯は西部海岸のマラカイボ湖周辺です。地図を見ると分かるようにこの湖は巾着型をしていて、狭い首のところを通じてカリブ海とつながっています。広瀬中佐の旅順港封鎖と同じで、ここに船を沈めれば石油地帯の封鎖は簡単です。

 

Wikipediaより

 

要するに中央コンピューターをつぶし、製油工場をつぶし、輸送手段をつぶすという三段階にわたる入念なサボタージュ作戦です。これが現場の「創意」で実施されたものとは到底考えられません。当然、破壊活動の専門家(CIAと読め)の手による計画と見るべきでしょう。

 

 

 

 

 

 

B アルタミラ広場事件

スト参加勢力の意気上がるなか、またしても不思議な事件が起きました。これは後の調査によりかなり詳細が明らかになっています。

6日の早朝、まず前哨戦が起こりました。カラカス東部、すなわち反チャベス派の拠点で、走行中の車から銃が発射されました。ここはアルタミラ広場というところで、チャベスの辞任をもとめる高級軍人がハンストを続けるなど、反政府勢力にとって一種のショーウィンドウとなっていました。

ただちに犯人の二人組は警察に取り押さえられました。警察の発表によると、逮捕された二人の酔っ払いは、軍情報部に属していました.

この警察というのが肝心なところで、この場合は首都警察に属するチャカオ市警察です。あの4月クーデターにおける「狙撃事件」の実行役とされる警察です。

警察発表が大々的に報道された後の午後7時過ぎ、今度はアルタミラ広場で、「近所の住人」が拳銃を周囲の人々にむかって乱射しました.銃弾による死亡者は3人、負傷が28人と発表されています.この犯人は周りの人々により取り押さえられました.

いかにもあやしげな報道で、一丁の拳銃で28人を負傷させることが出来るのか、弾丸を撃ちつくした後、逃げようともせず、周りの市民にやすやすと捕らえられたのか、いささか疑問ですが。もし反チャベス派の陰謀だとしたら、チャベスをやっつけるためには熱心な支持者であっても容赦なく陰謀の標的にするという恐ろしい集団です。

事件の直後から、メディアは生中継で、「アルタミラの虐殺」の「恐怖と大混乱」のシーンを流し続けました。

やがてテレビには「犯人」が出演しました。チャベス政権への通告や承認はまったくありません。「犯人」フアン・デ・ゴウベイアは、司会者の質問に答え「チャベス派から依頼を受けて実行した」と告白します。また「グロボビシオン」の一人物を狙うつもりだったと供述しました。言うまでもなくこのテレビ局はシスネロスの持ち物です。抜け目なく自己宣伝もしようというのがちょっと可愛いですね。

逮捕された時、ゴウベイアは、ジャーナリストの名を記したリストと、チャベス政府支持のパンフレットを持っていたといいます.ほとんどオズワルドそっくりで、いかにもCIA好みです。

あの日を思わせる悪夢のような期間が始まりました。労働組合評議会のオルテガ議長は、わざわざ現地に赴き記者会見。チャベスを人殺しとののしり、「OASのベネズエラ介入」を求めました。反チャベスの急先鋒エンリケ・メディナ・ゴメス将軍は、大統領を倒すために軍が決起するよう呼びかけました。

政府はこうした事態を想定していたようです。初動は水際立っていました。まず「政府高官談話」で犯人と政府との関係を否定し、犠牲者に対し遺憾の意を表し、徹底した捜査を約束します。ついで9日には選挙の前倒し実施を提案。譲歩の姿勢を示します。そしてなんと、あのおしゃべりチャベスが沈黙を守ります。きっと側近がいきり立つチャベスを「殿中でござる」とばかり羽交い絞めにして猿ぐつわをかませたのでしょう。

翌日に入ると、反政府派の意気はさらに上がります。

まず、期待していたアメリカからの一報が入りました。コリン・パウエル国務長官が声明を発表、暴力行為を厳しく批判します。「陰謀」を事実として承認したのです。

これを受けたオルテガ議長は、「運動は第二段階に入った.今後はたたかいを積極化する」と述べます.しかし積極化とは何を意味するかは説明されませんでした.しかしはっきりしたのは、チャベス退陣まで無期限にストライキを継続する構えです。反政府勢力はいっせいに無期限ストを宣言します。

 

C 無期限ゼネストの目標が「チャベス退陣」となる。

9日、ストライキはさらに深化しました。オルテガ議長は記者会見を開き、「ゼネストの狙いはチャベスを大統領職から追い落とすこと」と強調.その目的は近いうちに達成できると語ります.もはやチャベス政権にとって退陣以外の選択肢はないということになります。

ころあいをみて、ついに財界の大御所が動き始めました。9日、ベネズエラ銀行協会は、チャベス大統領の退陣を要求する無期限ゼネストに参加すると発表します。金融業の8割を占める民間銀行は,職員のスト参加を理由に国際取引を除く銀行業務の大半を停止しました。カラカスの証券取引所も取引を中止します.この日アエロポスタル航空もゼネストへの参加を決定しました.

元チャベス派は、それまで反チャベス派とはつかず離れずの関係を保ちながら、対話と国民投票をもとめる運動を主導していました。しかしもはやチャベスの目はないと踏んだのでしょう、一致して大統領の即時辞任を要求しはじめます.日本の政党分布でいえば、自民・民主・公明その他もろもろ連合対共産党みたいな構図になってしまったわけです。

こうなれば妥協の余地はありません。もう力づくです。政府は選挙の前倒し実施を提案し、譲歩の姿勢を示しますが、反政府勢力はこれを無視してストライキを強化します。

クーデターが関が原型の戦いとすれば、ゼネストは大阪城夏の陣みたいなもので、圧倒的に資源を握る敵に対してジッと忍耐をせまられる戦いとなりました。戦いは全国的規模であり、戦線は生産・流通・生活の全分野に及びました。カラカスの谷間には「チャベスは退陣せよ」と迫るカラ鍋叩きの音が終夜響き続けました。石油公社は「全面ストライキ」に入りました。とはいうものの、この時点でも職務を放棄した公社従業員は40%です。

労働運動は主流を反チャベス派に握られているとはいえ、ストに批判的な潮流も強力でした。カラカス市地下鉄労組はゼネストへの不参加を決定。「地下鉄労組は、政治紛争に関係なく、市民への奉仕者である」と宣言します。電力公社の労働者は資本家による妨害工作を排除し、電力の供給を維持します。ただしこれについては、反政府側がテレビ放送を流すため、電力供給を維持したという見方もあるようです。

 

D ゼネストの影響

すでに市民生活には多大な影響が現れていました。1 1月時点で310万バレルあった産油量は80万バレルに減少しました.マラカイボ湖の封鎖により輸出はストップし、国庫収入は激減し、海外資本は逃避し、通貨は坂を転げ落ちるように下落を続けました。

元気なときに起きたのなら、それなりの対処の仕方もあろうものですが、昨年末からの混乱に継ぐ混乱でベネズエラ経済はすでに深刻な危機にありました。スト直前の段階でGNPは前年同期比6.4%のマイナス、通貨は対ドル比で800ボリバルから1300ボリバルまで下落していました。

ゼネストはまず市民生活を直撃しました。食品会社の生産停止、輸送手段の欠乏と商店ストにより、牛乳・米・小麦粉・砂糖・油などの必需品が日増しに入手困難になりました。バリオでは住宅直通のガス管が通じておらず、LPGのガスボンベの配達がなければ、人々は調理ができす、子供にミルクも飲ませられません。多くの市民はマキや木炭で食事の支度をする羽目となりました。

カラカス市内では軍隊が出動して精油所を接収,燃料配給を再開します.しかし油田からの輸送という大本が途絶えているので、それもやがて底をつきます。企業のエゴいところは、ガス管を通じての都市ガス供給は維持したことです。中・高級住宅地は都市ガスが完備されていますので痛くも痒くもありません。

一昔前なら、ここで市民の暴動が起こったことでしょう。カラカソという市民暴動はわずか10年余り前のことです。一部の市民が略奪に走り、市内は大混乱に陥りました。そして軍隊が出動し数千の市民が殺害されたのです。それを奇貨として、強圧体制の下に市民に犠牲を強いるIMF路線が全面的に実行され、市民生活は奈落の底に陥っていったのです。

しかし今回、市民は歯を食いしばって辛苦に耐えました。マスメディアの洪水のような反チャベス宣伝にもかかわらず、民衆は自分たちを苦しめているのが誰なのか理解していました。クーデター以来、市民組織の戦闘性と規律は飛躍的に高まっていたのです。

 

 

E 本格的対決の開始

ストライキが始まって12日目の13日、アメリカ政府が声明を発表します。声明は「ベネズエラが現在の危機的状況から脱却するために、平和的な、かつ政治的に実行可能な方法は、選挙の早期実施しかないと米国は確信する」と述べています。反政府派の論調に完全に沿ったものです。これは実質的にゼネストへの支持の表明であり、クーデター失敗後に発した「内政への干渉を自粛する」という声明を事実上撤回したもの、と受け取られました.

このアメリカ政府の声明を待っていたかのようにチャベスが口を開きます。CNNとのインタビューで、アメリカ政府の声明への対応を問われたチャベスは、「大統領選挙の前倒し実施の可能性はない」と断言しました.そしてゼネストの不法性を非難し、その背後にアメリカ政府がいることを示唆します。

反政府派の幹部ヘンリ・ラモスは「チャベスがあらゆる出口の可能性を否定」したと非難しますが、後で考えるとまさにその通りでした.ただし最初に可能性を全面否定したのはオルテガ議長であり、ついで反政府各派であり、そしてアメリカ政府でした。チャベス政権は最後に全面対決の決断を迫られたのです。

チャベス談話はそれまでの妥協路線から全面対決路線への転換とされていますが、最初から織り込み済みの作戦だったと取れなくもありません。国内野党との対立だけなら妥協の余地もあろうが、アメリカとの対決ということになれば、選択肢は相互の打倒以外にはないからです。

翌14日、カラカスでは反政府派の総力をあげた大規模なデモが実施されました.中・高級住宅街では,連夜鍋たたきと反政府集会が開かれます.

この頃、インターネットで日本商社の駐留員夫人が連日のブログで、ゼネストの模様を書いていました。支配階層の末端部分がどのように考え行動していたか、それを「名誉白人」がどう見ていたかが良く分かり大変参考になりました。

 

F 政府と軍の実力行使

チャベスはひそかにマラカイボの海上封鎖を強制解除するよう指示を与えました。15日、陸軍の特殊部隊は航行を妨害していた油送船ピリンレオン号に躍り込み、乗組員を拘束しました。そして船を移動させることに成功したのです。もはや限りなく戦闘状態です。

これはストライキを続けていた反政府側に大きな衝撃となりました。チャベスの決意もさることながら、警察ではなく、まさに軍の、それも特殊部隊がそこまで動くとは想定しなかったでしょう。

翌日には足止めを食らっていたタンカーの第一号船が、35万バレルの石油を積んで出航していきます。これに次いでタンカー3隻が石油を積み込んだ状態で待機しています。さらに40隻が出航の準備に入りました.

チャベス政府は、封鎖解除を機にゼネストを実力で押さえ込む決意を表明します。まずゼネストを支持した石油公社幹部4人を解雇.ストに参加しなかった労働者によって石油の生産・運送を再開するよう指示します.そして軍隊や石油会社の退職者など1000人を生産再開に向けて動員します.

ついで軍に対し,燃料および食料品運搬の目的で民間の船舶,トラック,航空機を運行する権限を与えると発表します.交通スト参加者の資産を実力接収するということです。

 

G 軍がチャベス支持の態度を明らかにする

ゼネスト前半戦の最大のヤマ場が首都警察の軍による制圧でした。詳しい経過は省略しますが、カラカス首都区のペーニャ知事は元チャベス派でしたが、1年前に寝返って、反政府派の最有力者の一人となっていました。知事の指令の下にある首都警察は、クーデターのときも反チャベス派の最大の部隊として行動しました。

ゼネスト開始時も公共の治安に務めるどころか、ストをあおり、チャベス派の政府・自治体職員を弾圧するなど、事実上反乱部隊として機能していました。アメリカはひそかに首都警察の装備を強化し、市街戦を戦うに十分なほどの武器を隠匿していました。

11月には、司法大臣の命令で国家警備隊と陸軍が出動し、首都警察の本庁・機械化隊・警察署など主要施設を制圧.大型武器 (散弾銃・短機関銃・ライフル銃) を押収しました。一連の行動の中で、市民も巻き込んだ衝突があり、死者まで出しています。このときは米州機構のガビリア事務総長が介入し、「地方自治体への不当介入だ」としたため、いったん武器を返還しています。これがゼネストを引き起こすための口実ともなっていました。

軍は武器は返還したものの、武器庫を監視下に置き、使用を禁止しました。16日、武器庫の解放を求めるデモ隊が押し寄せました。先頭に立つのはペーニャ知事その人、数千人のデモ隊の中からゲバ部隊が飛び出して強行突破を試みますが、軍の封鎖線に阻まれます。

この後、反チャベス派はカラカス市内各所にバリケードを築き,立てこもりました.大統領宮殿付近では大統領派との衝突を防ぐため、装甲車や国家警備隊が出動して警備にあたります.まさに一触即発の雰囲気です。民間テレビ網は絶え間なく,政府と軍による暴力行為を放映し続けます.

しかしこれらの一揆的行動は不発に終わります。軍が明確に反ゼネスト・チャベス政権支持の立場に立ったことが、この事件を通じて確認されました。

17日、ベネズエラ軍のフリオ・ガルシア・モントヤ総司令官は,明確な意思表示を行います。彼は「ゼネストがクリスマスを誘拐しようとしている」と述べ富裕層への嫌悪感をあらわにします。そして「石油ゼネストはベネズエラの国富の源への破壊活動だ」と非難します。そして政府のスト対策への全面的支援の意思を表明します.

人民連合時代のチリでも、商店ストに対し軍が出動して治安を回復しましたが、それはあくまで立憲的秩序の維持にとどまっていました。いわばけんかの仲裁です。しかし今度は明確にゼネストを「許せない破壊活動」と捉えています。この軍の毅然とした態度がチリとの大きな違いです。

 

H 反チャベス側の弱点が露呈

国家の破綻は財政の破綻です。ゼネストの狙いが国家の打倒にあるとすれば、その手段は国家財政の崩壊を促すことにあるでしょう。事実、ベネズエラ政府の財政は崩壊寸前の状態にありました。

ところが石油生産がストップするとなると、今度は原油の国際価格がそれに敏感に反応し始めます。かつて、ベネズエラ石油は国際石油価格の安全弁でした。中東戦争に関連して原油生産諸国がカルテルを結んで石油価格を吊り上げようとしたとき、ベネズエラはOPECを脱退してひたすら増産に励み、価格破壊者の役割を務めてきました。

折からブッシュがイラク戦争を吹っかけて中東情勢が混乱する中で、ベネズエラの石油生産がストップすれば、アメリカには交渉の切り札はなくなります。これを見た投機筋は一斉に買いに走りました。

16日のニューヨーク市場(WTI、NYMEX)では1バレルの価格が一気に2倍近く、30ドルに急騰します。国際支配層にとってはベネズエラなどという国がどうなろうと、どうでもいいのです。アメリカが本気で中東とベネズエラの二正面作戦をやるつもりなのか、その際石油供給の手当てに自信があるのか、ここに関心が集中します。

アメリカはいまでも輸入原油の1/8をベネズエラに依存しています.マラカイボ湖の封鎖解除をした後、最初に出航したチュイコフ号が向かった先はまさにアメリカでした。これがなければ目前に迫ったイラク戦争も闘えません。まさに石油は戦略物資であり「血の一滴」なのです。

チリの場合は銅でした。アメリカ政府はアジェンデ政権を倒すために銅の備蓄を一斉放出し、銅の国際価格を一気に低下させ、アジェンデの息の根を止めました。しかし石油はそうは行きません。とくにイラク干渉を目前にしたこの時期、備蓄放出などとんでもない話です。

17日、記者会見に臨んだフライシャー報道担当補佐官は、ベネズエラからの石油供給に障害が出る可能性に対し,「これは懸念材料だ」と述べるにとどまりました.打つ手がないことを告白したようなものです。ゼネストは多分この一言で終わったのだろうと思います。

 18日、最高裁判所が石油業務の再開を命令する判決を出すにおよんでゼネストの先行きは見えてきました.しかし反政府勢力はこの命令を無視し,ゼネストを続けると宣言します.そして最大限規模の反政府集会を打ちます。

デモ隊はカラカスの官庁街、大統領宮殿から数キロのベネズエラ広場など5ヶ所を占拠し、「カラカス市はわれわれの手におちた」と宣言します.見た目は華やかですが、それ以上のものではありません。妥協の余地を一切切り捨て、スト開始から2週間を過ぎましたが、情勢は一向に展開せず、打つ手を打ちつくした反政府派にスト疲れが見え始めます。

 

I 石油生産の再開に向けて

これから2月初めまでの後半戦は、落ち込んだ石油生産をどう再起させるか、市民の生活をどう再建するか、破綻した国家財政をどう持ちこたえるかの戦いとなります。反政府派はこの頃は何をしようというのでもなく、ただの妨害者に成り下がっていました。

生産と流通の再開のためには新しい生産の秩序が必要です。反政府派が喉元を握る今までの指揮系統に頼ることは出来ません。本社のスーパーコンピュータが使えないことは間違いありません。コンピューターに頼らない情報伝達系を形成しなくてはなりません。

しかしそれは意外に容易な仕事でした。なにせ現場に人間はいるのですから。それが電話やファックスでつながって、各持ち場が経験を踏まえて、創意を発揮すれば、機械はマニュアル操作でも動くのです。

少し時系列を追っていきましょう。18日に石油生産業務の再開を命令する最高裁の判決が出されます。この判決を伝家の宝刀として、政府は反政府派の妨害を実力で排除し始めます。21日にはカラカスの外港にタンカーが接岸し給油を始めました。それまで港は反政府派の船により接岸を阻止されていましたが、これを軍と国家警察が立ち退かせたのです。

これによりカラカス市内の石油不足はひとまず解消されました。チャベスは政府テレビ網を通じて「封鎖は終った。石油生産は回復に向かっている.米国やキューバ向けの石油輸出を再開させつつある」と発表します.とはいうものの、この時点ではまだ生産は再開されていません。備蓄分が流通ルートに載ったというだけの話です。12月中旬の生産量は通常の6.5%に相当する日量20万バレル以下にまで減少しました。

同じ日、政府は石油生産の再開に向けた、基本方針を決定します。まずチャベスの提唱で、石油危機に対応するため「統一司令部」を設置することが決まりました.この司令部は動力鉱業相,インフラ機構相,石油公社社長,陸軍司令官,海軍司令官により構成されることとなります.つまり政府・公社・軍が三位一体となって難局を打開しようというのです。

この後チャベスはストに参加している職員に対し、「職場復帰しない者は解雇する」とと警告しました。そして検察当局が刑事訴追の準備を進めていることを明らかにしました.プリエト国防相は、軍内にスト終結を任務とする特別部隊を編成したと発表しました。そして政府の命令に反抗する者は罰せられると警告します.

これはたんなる警告ではありませんでした。22日にはマラカイボに軍隊が出動し,催涙ガスなどを使用して,マラカイボ湖にかかる橋を突破しました.この橋はゼネスト開始以来反政府派が封鎖していたものです.これに続いて多くの妨害が排除され、生産再開を拒むものはなくなりました。

チャベスは反政府派に向けて「クリスマス休戦」を呼びかけますが、労働評議会(CTV)のオルテガ議長は,「チャベスが辞任するまで生産停止を継続する」と宣言し、チャベスの提案を拒否します.PDVSAの従業員グループも,「チャベス大統領を辞任に追い込むまで」ストを続行することをあらためて決議しました.

新陣容で固めた石油公社は、退職者,軍の専門家を動員し,さらに外国技術者を招聘して生産復旧に努力します。とりわけ旧幹部の影響の少ない新規開発油田のフル操業に力を集中しました。生産量は驚くばかりの復旧を遂げました。

1月6日、ラミレス鉱業動力相は「石油生産は再開され日産60万バーレルに達した.1ヶ月以内に正常に戻る」と発表しました.その話の通り、1月末の生産量は一日あたり産143万バレル(政府発表)まで回復したのです.反チャベス派も生産回復の事実を認めざるを得ませんでした.

1月10日、久し振りにチャベス節が炸裂します。大衆集会でチャベスは「いまや労働者・農民の政府はPDVSAを支配下におさめた。スト続行中の管理職や技術者1000人は解雇された。PDVSAはベネズエラ人民のものとなった」とぶちあげました。

しかしこの解雇者数は手始めの数字でした。報道によりまちまちですが、最大の数字で言うと「スト直前に4万133人であったPDVSA従業員数は、2万7,740人にまで減少」というのがあります。内輪の数字では、「PDVSAの一部は解雇された5,111人の再雇用を要求しストを継続」という記事があります。ほかに1月末の記事で「ここまでにPDVSA職員1万3千人が解雇される」というのがあってそんなところかと思われます。ある意味ではそれだけの人間が、「高級幹部」として石油公社に「寄生」していたということにもなります。

石油公社の生産再開の取り組みは、まさに生産手段の社会化にほかならず、「適法的・非暴力的手段」による「革命」そのものでした。

 

J 国民生活の確保にむけて

12月15日、ゼネストとの対決姿勢を鮮明にしたチャベスは、国民生活確保のための緊急政策を発表しました。そして国内市場で不足したガソリンや食糧の緊急輸入に踏み切ります.ガソリンはカリブ海のバージン諸島から輸入。コロンビアから牛乳を軍用機で空輸、ドミニカ共和国とはコメ200トンの購入契約を結ぶなど、なりふりかまわぬ背水の陣です.

大手の食品卸会社は物資を隠匿し、市場に放出しません。東部の富裕地域を除けば商店はほぼ通常の営業を続けていましたが、物が入ってきません。そこで軍は貯蔵物資の放出に乗り出し、政府に協力する店舗に供与しました。

住民の中には「人民の店」を立ち上げ、軍と協力して販売活動を開始する動きも広がりました。流通過程の防衛は、まったく新しい流通機構の創設をともなっていました。それは後に拡大して、流通革命を引き起こすことになります。紙数の関係で、この過程については別論文をご参照ください。

 

K 救世主ブラジルの登場

チャベス政権の勝利は、ブラジルの協力なくしては語れません。

12月23日、ブラジルのカルドーゾ大統領は、「燃料危機に対し,援助を求められれば協力を惜しまない」と延べました。そしてガソリンをベネズエラへ送付する方法を,ブラジル石油公社と協議していると発表しました.

結論はきわめて明快ですが、援助にいたる論理は相当難解です。カルドーゾはまず、この援助決定が次期大統領であるルーラの依頼によるものであると説明します。これは、判断主体をあいまいにすることによってアメリカからの非難が一点に集中しないようにとの配慮でしょう。つぎに、ベネズエラ情勢を評価して、チャベスの妥協を許さない強硬な態度にも混乱の原因があるとし、チャベスに対して和解を勧めます。これは米州機構の主要な論調となっており、この国際世論に配慮したコメントでしょう。

そのうえで「ブラジルは合法性を尊重する国である」と述べ、多少の問題はあっても合法的な政権に対しては、政府間支援は当然であるとの論理を持ち出します。決断に至るまでは相当熟慮を重ねたと思われます。そして援助する側にとってもされる側にとっても、時期としては今しかないと決断したのだろうと思います。

早くも25日には、ペトロブラスのガソリン52万バーレルを積み込んだアマゾン・エスプロラー号がカラカスへ向け出港しました.ベネズエラの民衆にとって最大のクリスマス・プレゼントです。

明けて2003年1月2日、ブラジリアでルーラ大統領の就任式が行われました。ルーラは「ベネズエラに対して選挙の早期実施のみを主張するアメリカの態度は納得できない.政治合意を欠いたたんなる選挙のみではベネズエラの危機は解決しない.重要なのは危機を脱する交渉である」とのべます。この政治的スタンスは米州機構のガビリア事務総長とほぼ同じですが、現政権の合法性を支持し、双方の関係をイーブンとはしない点で一線を画しています。

もうひとつ大事なのは、ベネズエラ危機脱出のため「ベネズエラ友の会」の結成を提唱したことです。もともと「友の会」はチャベスが提案し要請したものでしたが、ブラジルはフランス,スペイン,ポルトガルに加入を呼びかけることによって、「友の会」の性格を一変させました。中でもスペイン政府はクーデターに加担したことが判明しており、少なくともチャベスの友ではありません。

またメキシコのフォックス政権は、チャベスのタンカー貸与の要請を拒否しました。そしてベネズエラからの石油輸出が減少した分、石油増産と対米輸出の拡大に血道をあげていました。のちにチャベスから「イヌ」呼ばわりされたのもむべなるかなです。

ブラジルの狙いはチャベスとの関係は別にして、ベネズエラに利害関係を持つ諸国家に当面現政権を支持させ、混乱の収拾に動くことにありました。ようするに、「ミイラ取りがミイラ」にならないような配慮であり、アメリカに振り上げた拳の落としどころを作ってやるための配慮です。(当時のブラジル経済の状況については、ブラジル年表をご参照ください)

この「友の会」が事態の収拾にどの程度役立ったかどうかは分かりませんが、少なくともブラジルまでもが紛争に巻き込まれ、アメリカと対決する羽目にならなかったことはたしかです。「なまずるい」と感じるかもしれませんが、イラク開戦を目前にして最高に鼻息の荒かったブッシュ政権を相手にするには、当時としては精一杯の努力だったのかもしれません。

結局「ベネズエラ友好国グループ」はブラジル,米国,スペイン,ポルトガル,メキシコ,チリの6カ国となりました。ほとんど「非友好国グループ」といってよい構成です。スペインはチャベスの排除要請により加えられなかったかもしれません。

 

L チャベスの決断へのいきさつ

チャベスは、ルーラ大統領就任式に出席のためブラジリアを訪れます。すでに国内の力関係はチャベス優位に傾きつつありましたが、この勝負にどう決着をつけるかはまだ決していませんでした。

国内的には決着をつけられても、決着の仕方によっては国際関係が悪化し孤立させられる恐れもあります。ブラジル新政権がどの程度まで行動を共にするのか、それが最大の眼目でした。

チャベスはルーラ大統領との第一回会談で、ブラジルのガソリン送付について感謝の意を示し,ペトロブラスから技術要員派遣などの援助を依頼しました.それとともにブラジル、キューバ、ベネズエラの左派政権協調による「善の枢軸」構築を提案しました.しかしこれは対外債務でがんじがらめにされているブラジルには到底呑めない提案です。ブラジルにとって今回の行動は、少なくとも建前としては、「一方に荷担するものではなく,紛争の深刻化を防ぐための行動」なのです。

もちろんルーラも社会主義者ですから、本音ではいろいろあっただろうと思います。少し後、フランスでジョスパン元首相から、「何故,ベネズエラ危機解決に力をいれるか」ときかれこう答えています。「今日チャベス大統領が倒されれば,明日は私の番であり,続いてアルゼンチン,チリに及ぶだろう」

会談の内輪話という報道がありました。その真偽のほどはたしかではありませんが、いかにもという感じがします。

報道によれば、チャベスは「経済・社会の変革を目指し革命を開始したが,平和主義を貫くか実力を行使するかの岐路に立って悩んでいる」と語る.なお,チャベスは当日の早暁4時までカストロと話し込み,起床できなかったため,朝食会の予定が55分遅れたという話です。ルーラがどう答えたかは書かれていません。

前後の関係からすると、このカストロとの対話というのが実に意味深長です。1月2日のこの時点ではまだ「悩んでいた」チャベスが、先ほど紹介した1月10日の大衆集会での演説では、意気高らかに攻撃命令を発しているのです。この1週間のあいだにチャベスは決意を固め、攻勢計画を準備したのでしょう。

 

M チャベス、強硬手段に打って出る

もういちど10日のコヘデス州サンカルロスでの演説を紹介します。

チャベスはまず、「国民の苦しみに不感症の企業家が、小麦粉の生産を停止し,米,とうもろこしを倉庫に退蔵している.このため食料品輸入に数十億ドルを費やさねばならないと述べ、流通業界の首脳部を非難します。そして「私は憲法、国家元首の権限および大統領の責任において、人民が飢餓に陥ったり、子どもが薬や牛乳がないため死んだりするのを許すわけにはいかない」との決意を表明した後、「食料品の工場と倉庫を軍事的に占拠し,食糧供給を保障する計画を準備中である」ことを明らかにします

軍は接収行動の前に、妨害が予想される首都警察の手入れに乗り出しました。首都警察に乗り込んだ軍と国家警備隊は、首都警察の本部と警察署から散弾銃2600丁、短機関銃1700丁などの大型武器を押収しフエルテ・ティウナ基地に持ち去りました.令状もなしの有無を言わせぬ行動でしたが、もはや反政府派に大規模な抗議行動を起こす力は残っていませんでした。

政府と軍の強硬な態度を前に産業界は恐慌をきたしました。食品製造商工会議所のアルフォンソ会長は,「食糧不足は燃料不足が原因であり、もの隠しなどしていない」と懸命に疑惑を否定します.

 

N 不発に終わった金融攻撃

窮地に陥ったアメリカは、最後の手段として金融・為替を用いた売り浴びせ攻撃をかけてきました。1月21日、突如通貨ボリバルの対ドルレートが30%の暴落を示します。それまでの低下とあわせ、ボリーバルの価値は半減しました。これと結託した格付け会社はカントリーリスクを1.5倍に跳ね上げました。

もちろん石油輸出の停止による外貨流入減少と、政治・経済不安による外貨流出の加速があれば、いずれ通貨の下落は必至です。しかし売り浴びせの狙いは外貨準備の払底による国庫の破綻でしょうが、それにしては効果が間接的です。その前に反政府の牙城である経済界が崩壊してしまうでしょう。

おそらくチャベスも強硬手段に出ることを決意するまでは、この経済攻撃がいちばん怖かっただろうし、逆にそれにもかかわらず強硬手段に打って出た背景には、予想される経済攻撃に対する備えがあったからでしょう。

翌22日、ベネズエラ中銀,5日間為替市場を閉鎖,外国為替取引を停止すると発表します.これはたんに一時的なものではありませんでした。ノブレガ蔵相は「為替市場への制限を含む新措置」を示唆します。いわゆるマレーシア方式です。

この効果は絶大でした。まさに「アメリカさん、ありがとう」と感謝したいくらいのものです。ドルが国家管理となり、資本取引が停止され、ドル決済が不可能となれば、もっとも困るのは外資のほとんどを占める石油系資本です。シスネロスを先頭とする外国資本と結びついた勢力も為替統制の影響をもろにかぶることになります。

そもそもこの金融攻撃は、実体経済をおよそ無視したものでした。かつてキューバを経済的に締め上げるもっとも有力な手段は、“砂糖を買わない”ことでした。これとあいまって、“モノを売らない”経済封鎖が効果を発揮したのです。しかしベネズエラの石油はアメリカにとって生命線であり、イラク戦争を目前にして“買わない”という選択肢はなかったのです。

26日、ブラジルの「第3回世界社会フォーラム」で演説したチャベスの鼻息は、荒馬のごときでした。まず国際投機資本との闘いを宣言したうえで、通貨安定のため管理対策を設けることを明らかにします。そして「ドルとボリバルは国民のものだ.反逆者へは1ドルも渡さぬ」と吠えます。

2月1日には管理対策の具体的内容が明らかにされました。@月決め固定為替制度,A為替取引は生活必需品輸入を最優先,B公式相場で政府へドルを売却するよう輸出業者に義務づけ,の三本柱です。いわばドルを逆手にとって利用し、石油関連企業や輸入関連産業を統制下に置こうとするものです。普通なら国家の横暴と非難されるところですが、皮肉にも外圧が改革を後押しする結果となりました。

 

O ゼネスト派の地すべり的崩壊

27日、カラカスの証券取引所が57日ぶりに開催されました.株価指数は10.41%高で締めたそうですが、理由は良く分かりません.同じ日、中小流通業を中心とした経済団体が営業再開の意向を表明しました.これらの商店はすでに破綻の危機に瀕していました。

2月2日、反政府勢力の一方の柱で、元チャベス派を主体とする「民主調整」(CD)が、「危機終焉を目的とする“友の会”の要請に基き,協力を態度で示すため」、ストへの参加を中止すると発表します.

翌日、本家の労働評議会(CTV)と経団連(フェデカマラス)は自主的な罷免国民投票「フィルマソ」を行なうと発表したあと,ゼネスト終了を指示しました.ここに2ヶ月にわたったゼネストは終焉を迎えました。銀行,私立学校,工場,商店,ショッピング,レストランが平常通り営業を再開しました.PDVSAの一部は解雇に反対しストを続けます.

チャベスは、「ゼネスト終了は反逆者・ファッシストに対する民衆の勝利であり,反対派の決定的な敗北である」と強調しました。さらに「今年は革命的攻勢の年である.政府と人民は攻撃に転じる」と宣言しました。

それにしても凄まじい総力戦でした。被害総額は2億5千万ドルと推計されています.GDPは25%低落しました.通貨ボリバルは2ヶ月間に40%下落しました.外貨準備は10億ドル減少しました。石油生産のほか、鉄鉱山などの鉱業、製鉄産業も一時的に閉鎖され、数千の会社が倒産しました。失業率は15%から20%に増大しました。貧困者率は44%から54%に急上昇しました。物価上昇率は月30%に達しました。

メディアでの懸命の宣伝にもかかわらず、世論はゼネスト指導部への反感を強めました。もちろんチャベスの支持率も下落を免れませんでしたが、その代わり如何なる情勢の下でも固く団結して戦う不屈のコアー部分が形成されました。

それが関が原、大阪城夏の陣に続いて、いわば冬の陣となる国民投票での圧勝へと結びついていくことになります。これについてはまた別の機会に…

 

 

 

 

 

 

A 4月クーデター計画の主犯は誰だったのか?

B クーデター後何が変わったのか?

C チャベス包囲網の形成

1 米政府と反政府中枢の戦術転換

2 労組が前面に

3 脱走派の策動

D 軍の掌握に成功したチャベス

1 クーデター派の処分と忠清派の抜擢

 

E 首都警察の押さえ込み