12 Apr. 2009

7年ぶり、クーデター事件に法的決着

駐米ベネズエラ大使館のホームページから

 

2009年4月11日は、クーデターが2002年にウーゴ・チャベス大統領に対して企てられてから7年目となる。

48時間の間、ベネズエラの民主的なシステムは、メディアのオーナー、一部の経済団体、そして国軍とカラカス首都警察の一部の非愛国的セクターにより冒涜された。残念なことに、ベネズエラの民主主義に対するこのクーデターには、外国からの支援も加わっていた。

2002年4月11日と12日、ベネズエラの人々は経験した。これらの非愛国的なセクターはどれくらい本気だったのかを。

首都警察はクーデターの組織者の司令の下で動いた。カラカスの街路で近距離から発砲した。そして19人の市民を死に至らしめ、数十人を負傷させた。

それ以上に重要なのは、多くのベネズエラのメディアの無責任を憶えておくことである。メディアはチャベス大統領の復帰をもとめてデモ行進している人々について、いっさい報道しないことに決めた。これらのメディアは、一握りの人々が権力を不法に乗っ取る場面を放送し続けた。彼らは憲法を無視して自らを国の新しい政府と宣言した。

4月13日のできごとのあいだ、人々は憲法をふたたび生き直らせようとして行動した。その果たした役割について光をあてることが、もっともだいじである。憲法を遵守しようとする決意は、ベネズエラ国民の大多数を動かした。それはチャベス大統領の即時復帰をもとめる声となった。

立憲政治がよみがえった後、一連のイベントについての捜査が開始された。4月3日の金曜日、これらの犯罪の一部は、ベネズエラの司法システムによって最終的に処罰された。

首都警察の警部だったラサロ・フォレーロ、ヘンリ・ビバス、イバン・シモノビスの三人は、2002年4月11日のクーデターにおける第一級殺人の共謀、殺人未遂、傷害の罪で懲役30年を宣告された。

 

2009年4月8日

ベネズエラ・ボリーバル共和国大使館報道局

 

 

カラカス首都警察の元幹部に有罪判決

 

4月3日、カラカス首都警察の警部だったラサロ・フォレーロ、ヘンリ・ビバス、イバン・シモノビスの三人は、2002年4月11日のクーデターにおける第一級殺人の共謀、殺人未遂、傷害の罪で懲役30年を宣告された。

判決の内容はアントニオ・モリナ弁護士により発表された。モリナはアラグアン州マラカイの裁判所で、事件の犠牲者の側の弁護士として活動してきた。

この事件で起訴された他の下級の警官に関してもモリナは言及した。ルイス・モリナ・セラーダ、エラスモ・ボリバー、フリオ・ロドリゲスの3人も、第一級殺人の共謀、殺人未遂、傷害の罪で懲役30年を宣告された。

元警察本部長アルベル・サラザールは、第一級謀殺の罪で17年10ヵ月の刑に処された。もう一人の元本部長マルコス・ウルダドは、第一級殺人の共謀、殺人未遂、傷害の共謀罪で16年の刑を受けた。

法廷はラファエル・ルイス・アルフレード・ロペスに関して無罪であると判断。全員一致で彼に責任がないと決定した。

ラモン・ウンベルト・サパタ巡査は事件隠蔽の罪で懲役3年を宣告された。彼は2002年4月11日に彼の同僚が犯罪を犯したとき、その場に居合わせた。彼はいかなる射撃も行わなかったが、しかし、捜査と裁判のあいだ沈黙を守り、その場で起きた出来事について決して明かそうとはしなかった。

モリナはロペスとサパタが解放されることを確認した。サパタは司法手続の間、現職に止まることになるだろう。

アラグア州の第4回巡回裁判所は、マリオリ・カルデロン判事が指揮した。木曜日からは評決に入った。今回の犯罪で起訴されたフォレロ、ビバス、シモノビスそのほかの巡査の評決が、この判決により確定する。

裁判は4月2日の午後5時45分に終わった。

法廷を構成するカルデロン判事と3人の他の裁判官は、2006年3月20日以来、公判を開催してきた。13人の犠牲者と11人の被告が裁判官の前で証言した。

裁判の最終段階となる9回目の公判が2日に行われた。被害者であるジェセニア・フエンテス、エドガル・マルケス、ドリス・インファンテス、ビクトル・ダビラ、アンドレス・トルヒージョ、アセリア・ドゥケ、ホバニ・サンチェス、ミルビア・カンポス、フアン・アコスタ、ルイス・ベルトラン、ホルヘ・レシオが証言した。彼らはスペインから電話によって証言した。

そのあと被告に、最終的な弁論の機会が与えられた。

被告は検察長官と被害者により、第一級殺人の共謀、殺人未遂、傷害、重砲の不正使用の罪で訴えられた。

首都警察の警官は、2002年4月11日にカラカスのバラルト通りのジャグノ橋の近くで、ルディ・ウルバノ、ホセフィナ・レンギフォ、エラスモ・サンチェスを暗殺した罪に問われた。そして同じようにして29人の人々に傷を負わせたことで訴えられた。

裁判は、2006年3月20日に開始され、230回の公判、265回の審理が行われた。5,700枚の写真と20本のビデオが証拠として吟味された。さらに198人の証人と48人の専門家が証言した。

 

Agencia Bolivariana De Noticias

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