ビエケス島における軍による汚染と人々の闘い

(ロバート・ラビン氏の講演)

 

2000年12月4日

 

はじめに

 ビエケス島は,プエルト・リコの本島から南東6マイルのところに浮かぶ離島です.過去60年間にわたって合衆国海軍に占領されてきました.わたしは,ビエケスの人々の闘いについて,みなさんにお伝えしたいと思います.

 わたしは今,この場所で,「ビエケスの救援と発展のための委員会」(CRDV)を代表して発言しています.この「委員会」はビエケス住民の地域団体です.それは,この小さなカリブ海に浮かぶ島の人々の,四つの「D」で表される基本的な要求を守るために発足しました.四つの「D」とは,「非軍事化」demilitarization,「汚染除去」decontamination,「土地の返還」devolution,そして,「発展」developmentの四つです.

 わたしは,ビエケスにおける合衆国軍隊の駐留と,それによってもたらされた環境上,健康上,社会経済上の影響について,お話ししたいと思います.そして世界史上最強のこの海軍に対する,小さな島の人々の,歴史に記さるべき,英雄的な戦いについてお話いたしましょう.

 

デビッド・セインズの死

 1999年4月19日,ビエケス島の爆撃演習場では実弾演習が行なわれていました.東部標準時7時ごろ,演習を行っていた一人の合衆国海軍のパイロットが,FA-18ジェット戦闘機から2発の500ポンド実弾を発射しました.その爆弾は目標をそれて,海軍の監視小屋を破壊しました.そこに居合わせた民間人の警備員,デビッド・サエンスさんが死亡,ほかにも何人かが怪我をしました.

 わたしたちには,デビッド・サエンスの死は確実に予測されていました.海軍が目標をはずしたのはこれがはじめてではありません.1993年10月,FA-18ジェット戦闘機が目標をはずし,5発の500ポンド弾をビエケスの市街地から1マイルのところに投下しました.さいわいこの時は死者は出ませんでした.

 1994年11月の演習では,ビエケス島に合計2万ポンドの実弾が投下されました.その中にはナパーム弾も含まれています.1998年の合衆国海軍とプエルト・リコ国防部隊との合同演習のときは,ビエケス市役所の駐車場に停めてあった公立学校のスクールバスの窓が弾丸によって割れました.市役所の職員たちは射撃が終わるまで避難しなければなりませんでした.

 何十年ものあいだ,ビエケス人は爆撃や射撃演習,そして軍隊の駐留そのものに悩まされて来ました.そして演習を止めてくれるよう叫んできました.海岸近くの海に放置してある大量の不発弾,サンゴ礁などの海洋環境に爆撃が及ぼす破壊についてビエケスの漁師たちは誰でも不満を漏らします.

 

ガンの発生率が高い

 ビエケス島の人口はおよそ9千人,その72パーセントが貧困レベル以下で生活しています.市役所の調べでは50パーセント以上が失業しています.

 それだけではありません.プエルト・リコ大学公衆衛生学部の調査によると,ビエケスではプエルト・リコの他の地域に比べて27パーセントも,ガンの発症率が高いとのことです.そしてガンによる死亡率は,プエルト・リコ全体に比べて34パーセントも高いのです.

 この調査結果が発表された後,プエルト・リコの州議会は,さらに詳しい疫学的な調査を行うことを命じました.この異常に高いガンの発症率の原因を究明するためです.ビエケス現地の人々だけでなく,プエルト・リコの環境や医療関係の専門家も一様に,ガンの高い発症率の原因は米軍演習場にあると見ています.合衆国海軍とNATO軍の演習がもたらした環境破壊と,何らかの関連があると理解しています. (米海軍は,自分が演習に使うばかりでなく,NATOなどの諸国に対して,ビエケス島を「貸し出して」いるのです)

 

爆撃演習による環境破壊

 合衆国海軍は,1940年代以来50年以上にわたり,ビエケスの土地を演習場として利用しています.軍は3万3千エーカーのビエケスの土地のうち,4分の3を占有しています.島の西側半分は弾薬庫として使われています.東側の3分の1は爆撃や射撃の演習場として使われています.

 軍による土地の接収は,社会経済的な歪みをビエケスにもたらしています.たとえば,海軍はビエケス島とプエルト・リコ本島とを結ぶ最短の海上ルート(約6カイリ)を占有しています.そのため,一般の人がビエケスに行くためには,18カイリも遠回りしなければなりません.ほかにも,海軍は島で一番高い場所,最良の水脈,最も肥沃な土地,長大な白い砂浜,そして何百もの考古学的に価値のある遺跡を占有しています.

 半世紀以上も続いた爆撃演習と,新型爆弾の実験によって,大規模な生態系の破壊が生じています.プエルト・リコ大学のバルボーサ教授は,「ビエケス,囚われの島のエコロジー」と題する論文を発表しました.この論文は,次のように指摘しています.

 「島の東の地域には,1キロメートルあたりにして月よりもたくさんのクレーターがある.…ビエケスにおける自然資源と人的資源の破壊は,国際法及び人権の基本的な規範を逸脱している.なかでも海岸地域,水質,騒音,海中資源,考古学的文化財及び土地利用に関しては,州及び連邦の法に対する明らかな侵犯が行われている」

 化学者のラファエル・クルスは,プエルト・リコ技術者・測量士協会誌「ディメンシオ」の1988年1月号に,「プエルト・リコ,ビエケスにおける爆発物及び爆発物残留物による汚染」という論文を発表しています.この文章の中で,クルスは次のように述べています.

 「爆弾が破裂すると,TNT,NO3,NO2,RDX,テトリルといった化学物質が発生する.これらはさまざまな伝播経路を介して民間人居住区域に運ばれる.・・・ビエケスの民間人居住区域における粉塵の実効濃度は,1立方メートル当たり197マイクログラムを超えている.これは“清浄な空気に関する連邦基準”を上回っている」

 ネフタル・ガルシア博士とホルヘ・フェルナンデス氏は,プエルト・リコの代表的な環境問題の権威です.彼らの研究によれば,「軍事行動に起因する,土壌及び水中における重金属等の有害物質は,異常な高濃度で蓄積している」とのことです.

 合衆国環境庁とプエルト・リコ環境審査会は,これまで,海中への有害物質の投棄につながる爆撃演習を許可しない方針をとってきました.しかし,今回の大統領命令によって,海軍の破壊的な行動の継続が許可を与えられました.これらの省庁も態度を変え,ビエケスの環境や住民に対する責任を放棄してしまったのです.

 

劣化ウラン弾まで使われていた

 「軍事有害物質プロジェクト」は,「情報公開法に基づく請求」によって軍の元機密文書を入手しました.この情報によると,1999年の5月に海軍は次のように陳述しています.

 「ユーゴスラビアにおける戦争に備え,ビエケスで実弾演習が実施された.このとき,ハリア・ジェットから263発の劣化ウラン弾が,“誤って”発射された」

 私たちは,この事件は氷山の一角に過ぎないと思っています.海軍はおそらくはもう何十年にもわたって,ビエケス島を劣化ウランの演習及び実験場として使用してきたのだと,わたしたちは考えています.

 「原子力規制委員会」の文書によると,現在までに56発の劣化ウラン弾が回収されたに過ぎません.演習場内部の通常兵器の不発弾の危険性が大きすぎるためです.劣化ウラン弾(DU)の回収作業は1999年8月まで延期されました.

 海軍は現在に至るまで,彼らの言う「浄化作業」の現況について明らかにしていません.ビエケスの住民は,すでに異常に高い発ガン率を示しています.劣化ウランは,さらに深刻な健康障害を加えるおそれがあります.

 

重金属による土壌汚染と生物への蓄積

 過去2年間にわたる調査により,重金属の高濃度の蓄積が確認されました.砒素,バリウム,カドミウム,亜鉛,コバルト,銅,錫,水銀,銀,鉛などです.重金属の他にも,アルミニウム,クロム,鉄,マンガン,ニッケル,バナジウムの蓄積が見られる場所もあります.ニトロ化合物,亜硝酸化合物,アンモニア,ディーゼル油によく見られる炭化水素類,リン酸化合物などの物質も確認されました.これらは,爆薬の爆発によって形成されたり,軍事物資の中に見られることの多い物質です.

 高濃度の蓄積が見られるこれらの金属類は,爆弾,爆薬,塗料,通常弾,劣化ウラン弾,ナパーム弾,廃棄物,照明弾などの成分です.それらは海軍がビエケスで使用する装備の中から検出されました.

 ビエケスの植物,バイオリニスト・クラブ(カニの一種),魚,ムラサキイガイ,タラシアなどの動植物,海藻,そして人体からもサンプルが取られ分析されました.いずれからも,これらの化学物質が検出されています.すなわち,生体内への蓄積が生じていることを示しています.爆撃演習場で働く民間人労働者の頭髪のサンプルが,化学分析に回されました.その結果,水銀や鉛の高濃度蓄積が検出されました.彼らはレイテオンやジェネラル・エレクトリックなどの米国企業に雇用されています.

 アルミ,アンチモン,砒素,ビスマス,鉛は,基地労働者以外の人の頭髪からも高濃度で検出されています.この他,ホウ素,カドミウム,錫,マンガン,水銀,銀,バナジウムなどが,通常より高い濃度で検出されています.ウランも,民間人の便のサンプルから通常より高い濃度で検出されています.

 

漁業への被害

 漁師たちは,「爆撃をやめ島から撤収せよ」と,何十年にもわたって要求してきました.爆撃や演習のたびに島の周辺の最良の漁場への立ち入りがきびしく制限されてきました.巨大な軍艦が侵入するに際して,しばしば仕掛け網を壊しました.軍艦の砲撃で,漁船が被害を受けたことも数限りなくありました.漁の最中に間近で爆弾が爆発し,漁師が大怪我をしたこともあります.

 

以下省略

全文を見たい方はhttp://www.cosmos.ne.jp/~miyagawa/nagocnet/data/viequesn.html#article08を参照のこと

宮川さんには了解済みです.