「軍人」はどう考えるか

ガイドラインに関連して

1998.11.16

今,日米安保の21世紀に向けた展開として,ガイドラインの立法化が進行しつつあります.

ガイドライン立法の危険な内容についてはすでに議論されていますが,私はシビリアン・コントロールの放棄という点が見逃せない問題と思っています.「軍人の恐ろしさについてあまりにも考えが甘いのではないか」という感じがしてなりません.

(1)文民は「戦争は政治の延長である」というクラウゼビッツの言葉を素直に受け止めますが, 軍人は「政治は戦争の延長である」と信じています.最後にけりをつけるのは,殴り合いだと信じています.

(2)軍人は殴り合いを恐れません.常に本気です.一触即発の事態になった場合,ほおって置けば必ず,先に手を出します.それでこそ軍隊なのです.

(3)彼らは当面の戦いに勝つことだけを目標としています.引き分けとか,「三方一両損」とか,「負けるが勝ち」などというような発想はありません.それは後から歴史が都合よく解釈してくれるだけの話です. このような「必勝」論理の上に彼らの政策は組みたてられていきます,

(4)彼らは人的損害を恐れません.戦争は殺し合いを伴なうゲームであり,人間はその駒に過ぎません. 問題は闘いの目標との関係において,犠牲者の数が適切であるか否かです.このようなゲームの論理がすべての政治判断において貫徹しています.

(5)軍人の行動には目標だけがあり,目的はありません.人道的,文化的,倫理的問題は,作戦成功をめざす範囲内においてのみ意味を持ちますが,それ自体には目的とするような価値はありません. だから軍人は,みずからの行動がもたらすさまざまな影響については責任を持ちません.

(6)民主主義はまずもって手続きであり,規則であり,前例です.それは,面倒くさいけれども,人類の知恵と自発性を引き出し,謙虚さを引き出すための手続きなのです.軍人は民主主義を否定します.軍人のモットーは積極果敢であることです.民主主義を尊重しない積極果敢さは,傲慢と同じです.

 

軍人が(1)から(6)まで上げた様な論理で動くとどうなるか,とても大変なことです.

軍人の掲げる主張は,文民に比べてより好戦的で,反民主的で,非人道的なものになります.その例をいくつか挙げておきましょう,

(1)ミサイル危機に際し,米軍幹部は,たとえ米国内の都市が被害を受けたとしても,キューバを解放しなければ共産主義の脅威を克服することはできない,と主張しました.核攻撃による予想犠牲者が数百万人と見積もられても,なお,そう主張したのです.

(2)チリのピノチェト将軍は,「チリを共産主義の手から守るためにこの程度の犠牲者ですんだのは適切だった」と発言しました.その数は数万名にのぼります.ピノチェトのスポンサーが米軍だったことは紛れも無い事実です.

(3)インドネシアのスハルト前大統領は,65年のクーデターの後,軍事独裁体制を敷きました.そして「国家を共産主義の手から守るため」百万人の「共産主義者」を抹殺しました.「東チモールをインドネシア国家の手に取り戻すため」,数十万人を犠牲にしました.アメリカ政府はスハルト政権を人権抑圧として非難しましたが,スハルトの弾圧部隊を育成したのは沖縄に駐留する米軍でした.スハルト体制崩壊のとき真っ先に駆けつけ,インドネシアの軍事体制維持のために働いたのも沖縄の海兵隊です.いいとか悪いとか言うより,それが軍隊というものの特徴なのではないのでしょうか.