国民の団結こそ真の治安の源、外国軍によって治安はもたらされない

2005年12月初め時点でのイラクをめぐる情勢

 

ますます増える米兵死者

10月25日、イラク戦争開始以来の米兵の死者が2000人に達した。その後3週間の時点でさらに死者は100人増えた。

米軍の撤退と兵士の帰還を求めるシンディ・シーハンさんらは、テキサス州クロフォードでふたたびキャンプ入りした。現地には米兵死者を示す2100の記念碑が立てられた。

今もなお、イラクには米兵14万人が駐留している。 

数え切れないイラク人犠牲者

イラク人犠牲者の数はもはや、数え切れないものとなっている。

米軍の攻撃

昨年の今頃、米軍はファルージャに総攻撃をかけ住民1万人を虐殺した。その後も西部のスンニ派地域で多くの都市を丸ごと破壊し、殺しつくしている。今月初めには西部のカイム村が破壊された。

やり方はファルージャと同じで、まず町に通じる道路を封鎖し、橋を破壊したあと、町を無差別爆撃するというもの。多数の住民が犠牲となったが、いっさいの救援・医療活動は禁止された。

20日には、同じく西部のハディサで米軍が民家を爆撃し、住民31人を殺害した。この攻撃で10数人が負傷したが、米軍は救出を妨害した。

これらの攻撃にはもうひとつの目的がある。それはスンニ派住民の国民投票への参加を妨害することだ。住民たちは「米軍の真の目的は憲法草案に反対するスンニ派住民を投票から排除することにある」と抗議している。

ファルージャ1周年を記念してイタリアの国営テレビ局「RAI-24」が「ファルージャ・隠された虐殺」という番組を製作・放映し、アメリカでも放映されたそうです。この中で国際条約で禁止された残虐兵器である「白燐弾」を米軍が使用した証拠を示しているそうです。

「フットボールは未来の兵器である」 というページ(http://www.doblog.com/weblog/myblog/7844/2037678#2037678)にこの番組の日本語版が掲載されています。

爆弾テロと謀略作戦

怒りは憎しみの連鎖となって広がる。11月18日から22日までの5日間だけでも、約180人が死亡。そのほとんどが自動車爆弾などの無差別テロによるものだった。このテロの中には、スンニ派とシーア派の対立をあおろうとする他国人の謀略テロもふくまれている。

その典型が、9月にバスラで起きた英特殊部隊隊員の奪還作戦である。英軍は、捕虜となったわずか2名の英国兵を取り返すのに、戦車を出動して拘置所の建物をぶち壊して奪還するという荒っぽい方法を用いた。この事件は日本のマスコミでも大きく報道された。それだけでも世間の非難を浴びるべき行動である。しかし、なぜ特殊部隊の隊員が拘束されたかについては、報道はほとんど触れていない。

この2名の英軍特殊部隊隊員は、実はイラクのシーア派をターゲットにした爆弾テロを仕掛けようとしていたのである。それがイラク警察の検問に引っかかって逮捕されてしまった。なぜ逮捕されたかというと、彼らは英軍の軍服ではなくイラク人の服装で、民間のトラックに爆弾を満載していたからである。
 

この件に関しては「シリーズ<マスコミが伝えないイラク戦争・占領の現実>その16」http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Iraq/actual_state05-16.htmを参照されたい。

イラク軍治安部隊による弾圧

あまり報道されていないが、イラク政府そのものによる市民弾圧も深刻である。以下の事実が最近の報道によって明らかになった。@バグダッドの遺体収容所には、イラク軍の手錠をかけられた数重の遺体が毎週運ばれ、「イラク国軍の中で活動するシーア派民兵が残虐行為を働いている」疑いが強まっている。A「イラク治安部隊を名乗る人物が、逮捕状も見せずに親族を連行した。拉致された人は、後に遺体で見つかった」と市民が証言。B人権団体によれば、バグダッドで8月にスンニ派住民36人が誘拐され、殺害された。11月15日にも内務省が拘束した170人が虐待を受けていたことが明らかになった。

前首相のアラウィは、「イラクの人権状況はフセイン政権の時代よりも悪化している」と懸念を表明した。アラウィによれば、内務省の秘密警察が「多くの人を捕らえ、地下の拷問室で殺害している」とされる。

彼らの背後にはシーア派のイスラム革命最高評議会のハキム師がいるといわれる。ハキム師は、米軍に「客人」としてとどまることを求めつつ、対テロ作戦の「イラク化」を主張している。

 

イラク新憲法と連邦制をめぐる対立

11月15日、国民投票の結果、イラク新憲法が成立した。

国民投票ではスンニ派地域以外の住民は連邦制度をふくむ新憲法に圧倒的支持を与えている。これに対しスンニ派地域住民のほとんどは反対票を投じた。

この極端な地域差は危険な要素をはらんでいる。アラブ連盟のムーサ事務局長は「情勢は緊迫し、内戦の脅威がいつ現実化してもおかしくない」と語っている。

イラク新憲法の諸条項は、イスラム原理主義を排し、民主主義の原理を打ちたてるなど積極的な内容をふくんでいる。しかし連邦制の導入をめぐっては大きく意見が分かれている。宗派により行政区を分割するという考え方には、スンニ派ばかりではなく行政・法律専門家からも異論があるようだ。

クルド系の人々にとっては民族の自治と連邦制導入は悲願であり理解できる。しかしシーア派地域が連邦化することは、国の存立基盤を揺るがし、国家の分裂をもたらしかねない問題となる。

シーア派とスンニ派は同じアラブ人であるが、人口から見て多数派のシーア派がスンニ派に支配されてきた歴史がある。南部地域は建国当初からフセイン政権にいたるまで経済発展が遅れ、バグダッドなど中央地域との格差を負わされてきた。また国の重要な資源である石油がシーア派地域に集中しているという事情もある。

二つの勢力の対立の背景には国際的影響があるかもしれない。アメリカの石油企業は分離を求める一部指導者をあおっているという指摘もある。国連の対応も正確とは言えない可能性がある。ニューズウィーク誌は、「国連が秘密報告で、イラクの憲法草案を国家の領土分割のモデルだと評価している」と報じている。

この地域の平和を守るためには、両派指導者のいっそうの良識と節度を保った交渉が求められるだろう。またイラク国民の統一と平和を促す方向で、関係諸国が協力を強めることも必要である。

 

国連安保理、多国籍軍の駐留延長を決定

もうひとつ厄介な問題が多国籍軍の撤退問題である。

昨年6月の安保理で、多国籍軍の駐留期限が明記された。それは多国籍軍を実態として容認することとのバーゲンという性格を持っていた。決議での期限は、来月の総選挙ということであったが、それが今回1年間先延ばしされたことで実質的に無期限化する恐れも出てきた。

問題を複雑にしているのは、期限延長がイラク側の要請にもとづく決定であるということである。

ジャファリ首相は10月、国連安保理あてに書簡を送り、「イラク治安部隊が治安責任を引き受けるための訓練や装備を整える」ため、駐留の延長を求めた。国連安保理がこれを受けて全会一致で延長を決めるという形になっている。

米国のボルトン国連大使は決議が全会一致で採択されたことを、「国際社会の関与を確認する決議」と大喜びしている。しかしこれが、本当にイラク国民の願いに沿う決定なのだろうか。

 

イラク政府とアラブ諸国との関係

国連がさしたる積極的動きを見せない中、アラブ連盟はイラク混乱の終結、宗派と民族間の対立の解消を目指して動き始めた。当面はスンニ・シーア・クルドといった色分けにこだわらず各派、各集団から意見を聴取するという。

現地の治安状況が極端に悪いため、作業そのものが難航する見込み。また、クルドはアラブではなく、南部のシーア派はアラブではあるが、アラブよりも同じシーア派であるイランと接近する傾向があり、調整は難しい。

ただしシーア派指導者もアラブ連盟への結集を原則として支持しており、憲法の最終草案には「イラクはイスラム世界の部分である。そしてイラクはアラブ連盟の創設メンバーであり、中心メンバーとしてその憲章を守る」と書き込まれています。

この点で、しっかり押さえておかなければならないのは、親米シーア派指導者が実権を握る現在の政府と、シーア派民衆の意見は異なっていることである。

これまでシャファリ首相らは、「外国軍が早期に撤退すれば、悲劇的な結果をもたらす」とし、多国籍軍の駐留延長を求めている。しかし英国国防省が行なった世論調査では、多国籍軍駐留に強く反対する国民が82%にのぼっている。これは地域・宗派を越えたイラク国民の共通の意志と見るべきであろう。

 

和解への一歩: 国民和解会議準備会

こうした中、21日にカイロで開かれた「イラク国民和解会議準備会合」は、きわめて重要な意義を有している。

この会議にはタラバニ大統領(クルド族)、ヤワル副大統領(スンニ派)、ジャファリ首相(シーア派)が勢ぞろいした。同時にスンニ派指導者を始め各派・各民族の代表100人が出席した。アラブ連盟のムーサ事務局長が全力を注いだ大変重みのある会議である。

開会にあたりムーサ事務局長やムバラク大統領は口を揃え、「国民の団結こそ真の治安の源であり、外国軍の存在によって治安はもたらされない」と強調した。タラバニ大統領はこれに応え、「私はイラク大統領であり、すべてのイラク人に対して責任を負っている。抵抗勢力を自認する人々が私と接触したいのなら歓迎する」と述べた。

会議での合意は最終声明に示されている。

外国軍の日程を定めた撤退。イラク治安部隊の確立とテロの根絶。無差別テロ・暴力・誘拐を非難すると同時に、「(占領軍に対する)抵抗は合法的な権利である」と明記。国民和解会議への「抵抗諸組織」の参加の事実上の承認。

などがうたわれる。

これまで政府側は、「外国軍が早期に撤退すれば、悲劇的な結果をもたらす」とし、武装抵抗勢力の参加問題についても消極的だったことから、かなりの妥協を受け入れたことになる。その背景には、外国軍の撤退とイラクの平和的統一(いかなる形態にせよ)を求める国民の圧力があったと思われる。

ムーサ事務局長は、「参加者の意見の溝は7割まで埋められた」と評価するが、同時に先行きについて楽観を戒める。

タラバニ大統領は、その足でテヘランを訪れアハマディネジャド大統領と会談。会談後、「イランはテロ根絶であらゆる支援をしてくれると確信している」と意味深長な発言をしている。

 

深まるブッシュ政権の孤立

11月、米上院は米軍の段階的撤退に向けて、その条件を明らかにするよう求める決議を採択した。また捕虜虐待の禁止をもとめる法律も成立した。

とくに捕虜虐待の禁止をもとめる法律は、ブッシュ政権が拒否権発動も辞さないと強硬に反対したにもかかわらず、賛成90、反対9の圧倒的多数で可決された。米軍は戦時捕虜に関するジュネーヴ協定を無視しているが、これに代わる基準はなんら示さず現場にゆだねている。その意味ではアブグレイブの拷問・虐待は米軍そのものの犯罪といえる。

各種世論調査の動向を受けて、民主党はブッシュ批判を強めている。ブッシュは、民主党も開戦に賛成したと応酬し、泥仕合に持ち込もうとする。民主党が段階的撤退案を提出すれば、共和党は「即時撤退案」を提出して否決させるというトリッキーな戦術に出るという具合である。

しかし対イラク戦争開始の経緯、捕虜の取り扱いをめぐってさまざまな問題が浮かび上がっており、ブッシュ政権は四面楚歌の状況に追い詰められつつあるといえるだろう。

うそかまことか定かではないが、パレスチナ自治政府の首脳がブッシュの言として、次の内容を明らかにした。「神が“ジョージ、アフガンに行きテロリストとたたかえ”と命じたので実行した。すると今度は、“ジョージ、イラクの圧制を止めてこい”といったので、これを実行した。いまは“パレスチナに国家を、イスラエルに安全を与え、中東和平を実現せよ”という神の声を感じている」(BBC放送)

CIA工作員の実名漏洩事件

チェイニー副大統領の首席補佐官であるリビーが、CIA工作員の名前を新聞記者に漏洩したとされるこの事件は、ウォーターゲート事件、イラン・コントラゲート事件に続き、政府の屋台骨を揺るがしかねない大事件に発展しつつある。

チェイニーは民主党の陰謀だと反撃しているが、世論調査では7割の国民が、国家の安全保障に関する深刻な問題だと答えている。

リビーはすでに起訴され補佐官を辞したが、漏洩元はリビーにとどまらない。ブッシュの次席補佐官であるカール・ローブも関与していたことが明らかになった。今のところブッシュはこの問題について沈黙を守っている。

CIAの秘密収容所

西欧諸国ではCIAの秘密収容所をめぐる疑惑が大問題になっている。ドイツ政府は、折から訪問したライス国務長官との会談にこの議題を乗せた。

11月初めのワシントンポスト紙の報道に端を発している。これによれば、CIAはアルカイダの構成員を東欧(ポーランドとルーマニア)にある旧ソ連時代の収容施設後に送り込んでいるという。ソ連の強制収容所のいやなイメージと、CIAがあまりにもぴったりとはまった形である。

これまで100人以上が送り込まれたというが、当初、米政府首脳は諜報活動の範囲内であり答えられないとする。しかし国際的圧力の下でこの事実を認めた。

EUは「疑惑が本当なら重大な結果にならざるを得ない」とし、米国に説明を要求する一方、収容所を設置していた加盟国を人権違反で制裁する方針を固めた。

 

アメリカはイラクを手放さない

ブッシュ政権は駐留米軍を整理するといっているが、それは撤退の方向ではなく再編・統合・強化の方向での整理である。

現在イラク国内には106の米軍基地がある。このうち前方展開基地はイラク軍を増強し、これにゆだねることとなる。そしてハグダッドのキャンプ・ビクトリと4つの空軍基地を中核とする基地網を残すこことなる。

アメリカはここまで苦労して手に入れたイラクをやすやすと手放すことはしないだろう。最悪の場合でも国土を三分割した上でクルド人地区と北部油田地帯だけは確保しようとするだろう。バスラを支配するイギリスも同様である。

 

世界は平和の方向に動いている

イラクを除けば世界は全体として平和の方向に動いている。アジアではアセアンの努力で平和地帯が東南アジアから東アジア全域に広がろうとしている。中国とインド、インドとパキスタンの関係も改善されつつある。アフリカでもアフリカ連合を中心とする平和の関係が築かれつつある。ラテンアメリカでは、政治変革の新しいうねりが「面」をなす動きとして起こっている。

国連において60周年を記念する「成果文書」が採択されたが、アメリカの主張する「先行的自衛」の考えは拒否された。

アメリカは国の内外を問わず深刻な危機にさらされている。時期がどうなるにせよ、かならずブッシュ政権は敗北を強いられることになるだろう。それは軍事力による一国支配の野望が絶たれるときとなるだろう。

 

見逃せないいくつかの動き

イラクをめぐる世界の動きの中で、いくつかの見逃せないニュースも伝わっている。

反テロリスト法の危険な本質が明らかになる

3年間にわたって米軍施設に拘束されていた米国市民ホセ・パディラさん、身柄を国防総省から司法省に移される。

パディラさんは02年5月、「汚い爆弾」によるテロ攻撃を計画した容疑で逮捕された。その後アルカイダと同様の「敵の戦闘員」として、司法当局ではなく軍当局に拘束されていた。

03年末、ニューヨーク連邦高裁はパディラさんらの訴えを認め、政府には米国市民を「敵の戦闘員」として拘束する権限はないと決定したが、国防総省はこれを無視した。

今回の措置にあたり司法長官が記者会見。パディラさんは「もはや敵の戦闘員として国防総省に拘束されない」とする一方、別件の「殺人・誘拐・傷害」などの罪で改めて拘留すると述べた。

また「汚い爆弾」については計画の存在については「言えない」とし、事実上否定する。

* 「汚い爆弾」とは、爆弾に放射性物質を混入し、爆発時に核爆弾と同様の放射能汚染をもたらそうとする兵器。

湾岸戦争症候群が裁判所により認定される

10月末、英国の年金控訴裁判所は、湾岸戦争症候群の犠牲者であるダニエル・マーティン氏を湾岸戦争症候群と認定した。

判決では、湾岸戦争症候群の用語を「適切な医学名」であり「有益な包括的用語」と判断。国防省が同症候群を認めてこなかったことを「非常に遺憾」と非難した。

国防省は「湾岸戦争症候群をひとつの疾患単位と認める医学的基礎はない」としつつ、「元兵士があらゆる障害補償を受けるのを妨げるわけではない」と釈明した。

これまでの経過

マーティン氏は1991年の湾岸戦争に従軍した。そして帰還後、記憶障害や喘息、精神的不安を訴えるようになった。彼は従軍時の何らかの被曝が症状の原因となっているとし、障害年金の支給を求めた。

英国の湾岸戦争退役軍人の団体によると、障害年金を申請した7500人のうち、1500人が湾岸戦争症候群を訴えているという。

いっぽう国防省はこれまで、医学的根拠がないとして同症候群の存在を否定してきた。

しかし今年初め、独立調査委員会が湾岸戦争症候群の存在を認め、最大6千人の元兵士に対して補償交渉をすすめるよう国防省に促した。今回の判決はさらに、事実を否定しようとする国防省を追い込んだものといえる。

今回、裁判所が公式に認めたことで、今後さらに多くの認定の可能性が出てきた。