イラク情勢を分析する

2007年度の北海道AALA総会で報告した国際情勢の一部です。全体として5部からなっていますが、まだ米国内における反戦の動き、ヨーロッパなどの動き、米議会の動向、イラク開戦をめぐる新事実などについてはまとめられていません(ほぼ絶望的です)。

全体として5部に分かれています。テキストファイルで約100キロバイトです。ソースはとくに断りがない限り、ほとんど「赤旗」からのものです。

その1 ブッシュの「新政策」路線

その2 「戦線なき内戦」、泥沼化する現地状況

その3 米国は占領継続が不可能になりつつある

その イラク内外での平和への動き

その5 日本はますます危険に踏み込みつつある

 

 

その1 ブッシュの「新政策」路線

(T) ブッシュ新政策の展開

現在のイラク情勢は、ブッシュが1月に発表した「イラク新政策」を中心に動いています。まずはこの新政策がどんなものなのかを知ることからはじめましょう。

今年、1月10日、ブッシュ大統領はテレビ演説を行い、米軍を約2.2万人増派することを発表しました。この増派部隊は主としてバグダッドなどの治安強化にあたることになります。また中東地域への空母打撃群の追加配備など、イラクだけでなく、イランも含む中東全域で軍事的対応を強化する方針も示しました。

増援を得た米軍は新作戦に打って出ました。この作戦には二つの特徴があります。ひとつは作戦の主な対象地が首都バグダッドそのものだということです。いわば全土のファルージャ化です。

ブッシュは増派の理由として、以下のように述べています。

これまでイラクでの治安確保のため努力してきたが、それらは兵力不足のために失敗した。米・イラク軍は多くの地域でテロリストや武装集団を一掃してきたが、その後、別の標的を追って移動している間に、殺人者が元の地域に戻ってきてしまった。我々は武装集団を一掃した地域を確保するのに必要な軍勢を増強する必要がある。

これは、問わず語りに、戦況がもぐらたたき状況に陥っていることを告白しています。一般的に対ゲリラ戦争の戦況は、もぐらたたき状態に陥ればほぼ負けです。もぐらたたき状況が維持されていることは、ゲリラ側に、敵の動きを読み取りながらそれに対応していける確固とした拠点が形成されていることを意味します。また、敵陣営に内部深く浸透した情報網が確立されていることを意味しています。

もうひとつの特徴は敵がシーア派民兵であることです。

1月29日、シーア派の宗教行事「アシュラ」を前後して、米・イラク軍とムクタダ・サドル師に従う武装勢力「マハディ軍」との間で激しい戦闘が起きました。イラク治安軍を従えた米軍は戦車、装甲車に加え、戦闘機や攻撃ヘリを投入。シーア派聖都のカルバラやナジャフで、シーア派武装集団250人以上を殺害したとされます。

当然イラク治安部隊も米軍と運命を共にするわけですから、いわばシーア派同士が身内の戦いを強いられることになります。米軍は最初はシーア派とスンニ派を戦わせ、今度はシーア派内で親米派と親イラン派を戦わせるという具合に、イラク国民を目茶目茶にしていきます。

 

(2) ゲーツ新国防長官の「やめればもっと悪くなる」論

ブッシュ新政策を支える理論としては二つあります。ひとつはラムズフェルドに代わり新国防長官に任命されたロバート・ゲーツの説く、「やめればもっと悪くなる」論です。

ゲーツはもともとISG(後で述べます)のメンバーで、イラク政策見直し派です。突撃ラッパを吹けるような立場ではないものの、何とか政権の延命を図ろうとします。そこで彼の持ち出した新たな理屈は、こういうものです。

「イラクを無秩序にしたまま米軍が去れば、さまざまな近隣諸国がイラクに介入し、地域紛争となる。したがってイラクからの早期撤退は不可能である」(上院軍事委員会での証言)

どうやらこれで国内世論を交わせそうだと踏んだゲーツは、国防長官就任演説ではさらに脅しの味をたっぷりと利かせました。いわく「イラク戦争で失敗すれば、それはわが国を悩ませる災難となり、われわれの信頼を傷付け、将来にわたり米国人を危険にさらすことになる」そうです。

この理屈で言えば、同じ日に国防総省が発表した「この間の駐留軍への攻撃レベルは史上最高を記録した」という4半期報告も、逆に追風となります。

このゲーツ理論に誰よりも励まされたのは、ほかならぬブッシュ本人でした。12月20日に記者会見した彼は、ISGの提言を受け入れることを以下の理由で拒否しました。

@米国は勝利していないが、負けてもいない。勝利は達成可能だが、われわれが望むほど早くには起こっていない。(10月には「絶対的に勝利している」と発言)。A2006年はわが軍とイラクの人々にとって困難な年だった。来年も難しい選択と、新たな犠牲が必要となる。Bイラク政策の転換では、増派も含めすべての選択肢を検討している。C「対テロ戦争」の長期化に備え、陸軍と海兵隊を増強するつもりだ。

そして12月末、フセインを処刑に追い込むことで、自らの退路も立ちました。またイランをフセインに代わる新たな悪者に仕立て上げることにより、軍事力突破の方針を貫く態度を誇示しました。

 

(3)ネオコンの「やればもっと良くなる」論

赤旗の坂口明記者は新作戦の背景にネオコンの巻き返しがあると解説しています。12月中旬、ネオコンの拠点となっているシンクタンク「エンタープライズ研究所」代表がブッシュ大統領と会談し、「勝利の選択―イラクでの成功のための計画」と題された提言をおこないました。

その骨子は以下のようなもので、これまでブッシュの吹いていた突撃ラッパと論調は同じです。

@イラク戦争・占領作戦の失敗は、米国の信頼性を全地球規模で損ね、米軍のモラルを傷つける。Aイラク戦争の勝利は可能だ。イラクの120倍の経済力と140万人の軍隊をもつ米国がイラクで勝てないはずはない。B治安確保は政治解決の前提条件だ。駐留軍増派で治安を安定させれば、イランなどの敵対的政権との受け入れがたい交渉も不要だ。D現在十四万人のイラク駐留米軍を最大で二年間にわたり五万人増員して、首都バグダッドや西部アンバル州などで「治安回復」作戦にあてる。よう勧告しています。

 増派論に対しては、軍関係者などから「情勢をいっそう悪化させるだけだ」との批判が出ています。それに対して「勝利の選択」は、増派して治安回復作戦をすれば、反対派も反撃して「犠牲は増える」と認め、「短期的な犠牲の増大は失敗の印ではない」と開き直っています。米軍は今後イラク兵の訓練に重点を移すべきだとのISGなどの主張に対しても、「現在の暴力の水準はイラク軍の能力を超える」ものであり、「訓練は時間がかかりすぎる」と否定しています。

 「勝利の選択」はまた、イラク増派計画と一体のものとして地上部隊と海兵隊の「恒久的」増強を主張。これにより「イラクを越えた多くのシナリオでの戦略的選択肢」を獲得できるとしています。

さすがにブッシュもここまで威勢良くは行かないようで、基本的にはゲーツ国防長官のラインで新政策を策定しています。しかし四面楚歌に陥ったブッシュにとって、昔の戦友たちの励ましには大いに勇気を与えられたことでしょう。

 

(4) 新政策に基づく新たな戦闘の展開

2月14日、マリキ首相はバグダッドで武装勢力掃討のための「法と秩序作戦」を開始したと宣言しました。この作戦には米軍とイラク部隊あわせて9万人が動員されています。軍は道路に検問所を設置し、武装集団の一員とみなされる人々を片っ端から捜査しています。

さらに米国はイランやシリアへの圧力を強めます。米軍はマハディ軍がイラン国境に逃れたと発表しました。そして武装集団や武器の侵入経路となっているとされる対シリア・イラン国境の検問所を三日間閉鎖しました。

ブッシュ米大統領は、米軍がイラク国内のイラン工作員を殺害することを許可したと認めました。ブッシュ政権はイランに対する軍事的圧力を強めており、それへの懸念が米内外で強まっています。

4月にはいると、シーア派が住むバグダッド東部のアザミヤ地区で、住民を隔てる分離壁の建築が開始されました。この壁はシーア派コミュニティーと隣接する三つのスンニ派コミュニティーを分けるもので、高さ3.5メートル、全長5キロに及ぶとされます。

この壁は、パレスチナにイスラエルが建設した分離壁やメキシコ国境の壁とは異なり、壁のいずれの側にも自由はありません。分離壁はそれぞれのコミュニティーを包囲するように建設されています。それはむしろナチがワルシャワに作ったゲットーを思い起こさせるものです。

マリキ首相は「イラク国民を保護する方法はほかにもある」と述べ、分離壁の建設を中止するよう命じました。国民議会の各会派も分離壁建設への反対を表明しました。しかし米軍はこれらの声を無視し、グリーンゾーン、ラシド地区、アミリヤ地区などでも推進するとの方針を明らかにしました。

現地の米軍高官は「宗派間の暴力の連鎖を断ち切るためであり、シーア派とスンニ派を分裂させることが目的ではない」と語っていますが、白々しい限りです。

米・イラク合同軍は、バグダッド市内に三十カ所以上の陣地をつくりました。そして細分した作戦区域をしらみつぶしに急襲しています。それは映画「アルジェの闘い」におけるカスバ襲撃の場面を思い起こさせます。

しかし、一掃するはずの武装勢力は他の地域に移動しており、モグラたたきのような状況です。被害を受けるのはもっぱら住民です。完全武装の兵隊が家々の扉を押し破り、銃を突きつけて家宅捜索するなど、人権も無視しています。

 

(5) 早くも袋小路に迷い込んだ新政策

この新政策は、当初よりその成功が危ぶまれていました。

新政策を実施すべき現地では、軍の最高責任者のアビザイド米中央軍司令官が、「今すぐ米軍を増派することが問題の解決になるとは思わない。兵力レベルは今のままであるべきだ」と述べ、増派に否定的な考えを表明しました。

しかしこの考えは押しのけられ、アビザイドは更迭されてしまいます。1月末、アビザイドに代わり米中央軍司令官に指名されたファロン太平洋軍司令官も、増派によりイラク情勢を好転させる保証はないと悲観的な観測を述べています。

米国防総省のバーベロ地域作戦部長は3月の記者会見で、「法と秩序作戦」の結果、爆弾テロが3割増加したと認めました。イラク政府も4月1日に3月期のイラク人犠牲者が2078人に達したと報告しています。これは作戦が本格化する前の2月より15%も多い数です。

イギリスのBBC放送は、イラク国民の78%が米軍・多国籍軍の駐留に反対、さらに過半数が、抵抗勢力の米英軍への攻撃を支持していると伝えました。それが治安を悪化させる原因にもなり、テロ勢力につけいるすきを与えています。米軍が駐留し続ける限り、暴力もテロもなくならないのはあきらかです。

最近のニュースでは、5月8日に米国防総省が3万5千人の米兵にイラクへの派兵命令を出したと報道されました。報道官は、「今回の派兵は単なる配備の交代であり、バグダッド周辺への増派とは無関係」だと強調しましたが、増派の継続の可能性についても否定はしませんでした。

 

(6) ブッシュ新政策の行方

イラクはいまどうなっているか?、その答えを一言で言うならば、全世界がブッシュ新政策の行方を固唾を呑んで見守っているということになります。

ブッシュ新政策というのはまことに奇妙な政策です。この武断路線が成功すると思っている人は誰もいません。政権内部、軍のトップにも作戦の成功を確信している人はいません。ひょっとすると、当のブッシュさえ失敗を予測しているかもしれません。

イラクのジャーナリストで政治評論家のワリド・ゾバイディは語ります。

イラク侵攻前、ブッシュは、「世界の治安と安定はイラク占領によって実現できる」と豪語した。4年後の新イラク政策は、バグダッドの「治安と安定」を語るのみである。対象が「世界」から「バグダッド」に縮小したことは、ブッシュ政権の失敗と敗北を間接的に表明したことになる。

新イラク政策は、イランとその影響下にあるシーア派武装集団との対決姿勢を強調している。しかし現イラク政権はシーア派主導政権であり、イランの強い支持を受けている。新政策は現政権との厳しい矛盾を引き起こすだろう。

「厳しい矛盾」どころか、現政権の崩壊を引き起こすことも予想されます。おそらくそれはブッシュ政権の最後のあがきとなるでしょう。作戦失敗と同時にブッシュ政権の命運も尽きるでしょう。

問題は、いつまでそれが続くか、その敗北はどういう形をとって現れるのか、その敗北は何をもたらすのか、その敗北を機に世界はどのように変わっていくのか… これらの問題が、すなわちポスト・ブッシュ、ポスト・イラクの課題が、すでに俎上に上っています。

そのひとつの典型が、「フォーリン・アフェアーズ」の10月号に掲載されたリチャード・ハースの巻頭論文です。題名も「中東での“米国の時代”が終わった」という衝撃的なもの。

「フォーリン・アフェアーズ」誌は、アメリカの外交政策に関し最も権威のある雑誌であり、リチャード・ハースはこの雑誌を発行するシンクタンク、外交問題評議会(CFR)の会長です。ブッシュ父政権の中東問題での特別補佐官を務め、ブッシュ現政権でも開戦直後まで国務省政策企画局長でした。

ハース論文の要旨: @ソ連崩壊後に続いた「中東での米国の時代」は終わってしまった。米国が考えた「民主的な、欧州のような」中東を建設する展望は実現しないだろう。

Aイラク侵攻・占領がそれをもたらした。反米主義が強まり、中東全域でスンニ派とシーア派の緊張が表面化し、テロリストがイラクに拠点を得た。

B「米国の時代」の次に来る「新しい中東」では、大きな混乱が予想され、中東自身が米国と世界に大きな損害を与えるだろう。

C新たな時代への米国の対応は、軍事力への過剰な依存という誤りを繰り返さず、民主化を急ぐ過ちも避けるべき。近隣諸国の地域関係を重視し、「非軍事的手段」で中東に関与すべきである。

 

数年前、「9.11」の少し前は、2000年を迎えて「21世紀論」が盛んに議論されました。それは社会主義体制の崩壊から10年を経て、世界の新たな枠組みがどのように形成されていくかをめぐる議論でした。

しかし、それは一面において、「米国の一極支配体制とどう向き合うか」という対抗戦略をめぐる議論でもありました。

アメリカは、経済的には一方的なグローバリゼーションを押し付け、政治的にはきわめてイデオロギー的な「人権と民主主義」を押し付け、軍事的には「反テロリスト」を口実に先制攻撃戦略で脅迫することにより、「アメリカ帝国主義による世界支配」を目指してきました。

いま語られなければならないのは、アメリカに対抗するための多極化論や多国間主義ではなく、ポスト一極支配体制論であり、アメリカをもふくんだ「真のグローバリズム」です。そのためにも、国連を中心とする国際協調体制の再構築、民族や宗教の問題を包み込んだ、「文明間の対話」が不可欠の課題となるでしょう。

 

その3 米国は占領継続が不可能になりつつある

 

泥沼化に陥っているのはブッシュ政権も同じです。泥沼化どころか、死に体に近づきつつあります。米国はもはやイラク占領政策を支え続けることが出来なくなりつつあります。

にもかかわらずブッシュはイラク占領を止めようとしません。止められなくなってしまったというほうが正確かもしれません。議会・民主党もふくめて権力の世界のほとんどの人が、猫の首に鈴を付けようとはせず、責任を逃れようとしています。ブッシュ政権の政策は世界の人々の闘いなしには変更できないことが、ますます明らかになっています。

ここでは、ロジスティクスと呼ばれる軍の補給・維持体制の破綻、さらにその基盤となる米国財政の危機を中心に見ていきます。

 

(T) ベトナム戦争を超えたイラク・アフガン戦費

2月はじめ、ブッシュ米大統領が総額2兆9千億ドルの予算教書を議会に提出しました。このうち国防総省予算は4800億ドル(50兆円)、これは前年度比11%増で、全ての費目の中でも突出しています。総予算に占める割合は20%に達しました。日本の国家予算総額が80兆円ですから、いかにすごい額かがわかります。

9.11以来の「対テロ戦争」の経費に、この予算教書の軍事費を加えると、総計7370億ドルとなります。これはベトナム戦争の戦費を大幅に上回り、第二次大戦後最大となります。一方、社会保障年金、連邦政府の事業、医療保険などの他の分野では歳出が大幅に削減されました。

戦費の高騰について、ウォールストリート・ジャーナルは、イラク開戦時の見通しの甘さがあったのではないかと指摘しています。準備の不足が戦後管理の不十分さをもたらし占領の長期化を招いたというわけです。同紙は、「部隊とその装備が不足している。兵士一人にかかる経費は3倍に高騰している。地上部隊はほぼ限界まで酷使されている」などと報道しています。(結果論的には、たしかにそうなるのでしょうね)

 

(2) 兵士の質の低下

7月に「ネオナチが軍隊に潜入」と報道されました。イラク戦争の長期化で米軍の新兵不足が恒常化する中、ネオナチなどの極右組織の構成員が「戦闘のやり方」を体得するために入隊、なかにはイラクに派兵されている者もいるという衝撃的な内容です。

極右組織がグリーンベレーなど特殊部隊に加われば、「市街地戦闘や広範囲の偵察活動、爆破などの特殊部隊の技術を税金を使って身につけさせる」ことになります。95年に、オクラホマシティーの連邦ビルが爆破される事件がありましたが、これは陸軍入隊中に極右思想に感化された元兵士が起こしたものでした。

このほかにも、無理な兵士募集によるさまざまな問題が発生しています。軍は入隊希望者に対して行う「適性試験」の基準を引き下げ、とくに英語能力の基準を緩和しています。この結果、新入隊者の13%を中南米系が占めるにいたっています。

また米紙サンフランシスコ・クロニクルによれば、軽犯罪の経歴や薬物・アルコール依存症などの問題があった人が15.5%にのぼっています。同紙は、「市民社会では問題とみなされる資質の多くが軍隊では歓迎される。たとえば、非常に攻撃的な若者というのは、まさに海兵隊が探しているものだ」との専門家の指摘を紹介しています。

 

(3) 国民生活への財政支出は大幅に削減されている

民主党のジョン・マーサ下院議員が自身のホームページで、イラク戦費を生活予算と比較しています。これによると、イラク戦費は月80億ドル(約9200億円)。これは一日あたり2億6千700万ドル(300億円)になります。

老齢者医療保険(メディケア)は07年予算で50億ドル削減されました。これは、戦費2.5週間分です。医療保険に加入していない子どもは全米で900万人いますが、戦費五日分あれば全員加入できます。教育予算の削減額もわずか十三日分です。環境保護庁(EPA)の予算は、戦費のわずか一日と三時間分を充てれば復活できます。

マーサ議員は「イラク戦争が米国の国内政策にどういう結果を生じるかを示し、これだけの金があれば何が達成できるか考えてもらいたかった」とその意図を述べています。ちなみにマーサ議員は元海兵隊員で「保守派」と言われながら、イラクからの米軍撤退を求めて一躍注目を浴びた人物です。

 

(4) 占領の口実に、さらに破綻が広がっている

A. 大量破壊兵器は「世紀のデマ」であった

イラク侵攻の最大の口実が、大量破壊兵器の存在であったことは周知の事実です。しかしそれが「世紀のデマ」であったことは、必ずも世の中の常識とはなっていません。

04年10月、CIA特別顧問を責任者とするイラク調査グループ(ISG)が、「イラクに大量破壊兵器はなく、開発計画さえなかった」とする最終報告書を発表しました。ISGはブッシュ政権が任命し発足させた機関であり、これはアメリカ政府の公式見解です。

これを受けたブッシュ大統領は、05年12月の演説で、大量破壊兵器保有の情報が「誤り」だったことを初めて認めました。パウエル国務長官(当時)は、「米国を代表して世界にそれを提示したのは私であり、そのことは常に私の経歴に残る。痛ましい汚点だ」と述べました。

イギリスのブレア首相は、「サダムが生物・化学兵器を保有しているとの証拠は間違っていたことが分かった。私はこれを認め受け入れる」とし、謝罪の意思を表明しました。

B. フセイン政権とアルカイダとは協力関係になかった

さらに06年に入ってからも暴露は続きます。

9月、米上院の情報特別委員会は、「フセイン政権とアルカイダとは協力関係になかった」と報告しました。米政府がこの報告に対して異論を唱えていないことから、米国としての公式の見解と見てよいでしょう。

報告の結論: @フセインはアルカイダに不信を抱き、政権に対する脅威とみなしていた。Aアルカイダが活動上の支援を要求したが、すべて拒否していた。Bフセイン元大統領は、「イラクの聖戦アルカイダ組織」指導者のザルカウィ容疑者の居場所をつきとめ、拘束しようとして失敗した。

フセイン政権とアルカイダとの関係は、イラク開戦の「根拠」の一つともされてきましたが、今回の報告書公表で、大量破壊兵器保有のうそとともに、完全に破たんしたと言えます。

C. イラク戦争で「世界がより安全になった」とはいえない

同じ9月、政府の16の情報機関が関わった「国家情報評定」(NIE)の秘密報告が暴露されました。この報告では「イラク戦争がテロ増加の主因」と指摘しています。

報告のさわり: @イスラム過激派の動きは拡大している。この傾向が続けば、米国の権益に対する脅威はより多様化し、増加するだろう。Aイラクでのジハード(聖戦)によってテロ組織の指導者、活動家の新世代が生まれ、イスラム世界への米国の関与に対する怒りが広がっている。B聖戦主義者の拡散に対抗するためには、テロ指導者を捕え殺害する作戦をはるかに超えて、調整された多国間の努力が必要だ。

ブッシュ政権は、イラク戦争で「世界がより安全になった」と主張してきましたが、今回明らかになった報告は、この主張を真っ向から否定するものとなっています。

こうした中、10月3日、阿部首相は参院本会議で、イラク戦争を「正しい決定だった」と弁護。開戦当時は「イラクに大量破壊兵器が存在すると信じるに足る理由があった」と述べました。この発言は世界的にみて恥ずかしいほど異様です。

D. これらの「誤認」は、政権トップのでっち上げによるものだった

これまでの「誤認」については、「間違ってごめん」という話でしたが、今度はそれではすみません。

今年2月、国防総省のギンブル監査総監代理が上院軍事委員会の公聴会で衝撃の証言を行いました。証言の内容は、02年9月、国防総省が「イラクのフセイン政権が国際テロ組織アルカイダを支援している」との情報を提出した経緯についてのものでした。

証言の要旨: ファイス米国防次官のグループは、イラクとアルカイダとの関係について、情報機関の統一見解とは相いれない結論も盛り込んだ、別の情報評価をでっち上げ、「主要な決定権者」に示し、広めた。

この活動はラムズフェルド国防長官とウルフォウィッツ副長官に許可されたものだった。こうした活動は違法でも、無許可でもなかったが、不適切だった。

ファイス氏はイラク戦争を推進したネオコン・グループの一員です。

CIAなどの米諜報機関はサダムとアルカイダの関係については当初から否定的でした。この問題は、公式な諜報機関の否定にもかかわらず、一部の好戦派が誤った情報をブッシュ政権中枢に提出していたことを示しています。

早くも敗北に向けて責任のなすりあいが始まった感じです。

 

 

その イラク内外での平和への動き

 

泥沼化したイラクの状況を打開するためには、米軍の期限を切った撤退がどうしても必要です。しかしそれだけですべてがうまくいくというほど情勢は甘くありません。事態ははるかに深刻な方向に動いています。

米軍なしでどのようにイラクの内戦状態を終わらせ、実効性のある統治形態を作り上げていくかが問われています。



(T) 現政権がそのまま統治を続けるのは不可能である

A. イラク政府への権限委譲(イラキフィケーション)路線の破綻

昨年10月、ラムズフェルド国防長官(当時)は、「イラク当局に治安維持権限の移譲を進めてきたが、うまくいっていないところもある」とし、事実上「イラク化」路線の失敗を認めました。そして「いったん委譲した権限を取り戻す」と述べました。

これはどういうことかというと、イラク人にイラク人と戦わせる路線が、結局武力対決を激化させ、内戦状態をもたらしてしまったことを意味しています。

米軍は、イラク国内の治安活動を強化するためにシーア派を訓練してきました。ここにシーア派民兵がなだれ込んだのです。05年秋ころ、11万人の警察をもつ内務省をシーア派が支配するようになりました。内務省の建物内でのスンニ派に対する拷問も伝えられました。

さらに05年11月には第二次ファルージャ制圧作戦が行われ、米軍はシーア派やクルド人の民兵組織を参加させました。これらが、スンニ派勢力のシーア派政治勢力への憎しみを生み出したとされます。

  B. 新政権の二面性

06年6月に成立した新政権は、最初は何とか国民を代表する政権としての体面を保とうと努力していました。マリキ首相は「国民和解計画」を提案。米軍撤退の日程表の策定をもとめました。またイラク政府は、米軍によって引き起こされた性的暴行・殺人事件の問題に関連し、「罰を受けないから、彼らは罪を犯すのだ」と批判。イラク占領軍に免責特権を認めた国連決議の廃棄を国連に要請すると述べました。

イラク新政権が打ち出した、「米軍撤退期限の明示」という方針は多くのイラク国民の共感を呼びました。国内では、「米軍撤退なしに平和は実現できない」という考えがいまやコンセンサスとなりました。

8月末に京都でWCRP(世界宗教者平和会議)が開かれました。この大会に出席したイラクのアルハイタリ宗教大臣、シーア派、スンニ派、クルド人、キリスト教の聖職者、国会議員ら十四人が占領状態の終結を訴える共同声明を発表しています。

この共同声明は、「シーア、スンニ両派もクルド人もキリスト教もテロを認めていない。同時に、米国による占領も受け入れることはできない」と述べています。

武装勢力からも賛同の声が上がります。スンニ派反政府組織11派は、米軍を含む多国籍軍が2年以内に完全撤退すると約束するならば、全てのテロ攻撃を暫定的に停止するとの意向を示しました。

ただし撤退要求を示したのは北部サラフディンやディアラなどに拠点を置く一派で、「イラク・イスラム軍」や、「イラク・アルカイダ」などを傘下に置く「ムジャヒディン・シューラ」などの主要テロ組織は含まれていません。

しかしマリキ提案は、訪米を前に国内向けに用意したリップサービスだったようで、ブッシュと会見した際は、「イラク政府がイラク国民を守れるようになるまで、米軍に撤退してほしくない」と言明したといわれます。ブッシュはこれに答え「私はイラク国民を見捨てないと念押しした」と胸をはりました。

このような二面性が、新政府に対する国民の信頼感を失わせ、武装闘争の激化をもたらしています。

  C. 宗派間の抗争の背景に連邦制導入の問題

 すでに激化していた宗派間抗争を決定的にしたのは連邦制の導入です。

10月初め、イラク議会は連邦制の導入に関する法案を賛成多数で可決しました。これによって、地方政府は立法、行政、司法の三権を与えられるなど強い自治権を得ることになりました。

スンニ派は連邦制によって石油資源のない地域を割り当てられることになることに反発、採決をボイコットしました。

この連邦制度導入がチェイニー副大統領ら石油マフィアの圧力であることは周知の事実です。彼らはイラクの国土を分割し石油の利権を一手に収めようとしてきました。米国の狙い通りに事態が進めば、シーア派にとってもクルド人にとっても良いことはありません。

マリキ首相提案連邦制をめぐる議会内の抗争に巻き込まれ、合意に至らず立ち消えになりました。シーア派やスンニ派などの各宗派や政党は独自の武装組織を持ち、組織間の凄惨な暴力抗争に突入しています。

12月末、ボラニ内相は、フセイン政権崩壊以来、武装勢力の攻撃や犯罪などで死亡した警官が約一万二千人に上ると述べました。この数字も間違いないのでしょうが、警官たちがその数倍のスンニ派住民を殺害していることも間違いないでしょう。

共産党の志位委員長は、米国は「宗派間対立をテコにして占領統治をすすめるという一番悪いやり方をやってしまった。これがイラクを『内戦状態』といわれるところまで引き込みました」と語っていますが、まったく同感です。



  D. 国民会議の呼びかけとサダムの処刑

12月、中央政府は一定の路線転換を打ち出しました。バグダッドで国民和解会議が開かれ、マリキ首相が旧フセイン政権支持者に対し、和平プロセスへの参加を呼びかけました。

呼びかけの内容は次の二点です。まず第一に、「イラク軍は、国家に奉仕することを望む旧軍隊の将校、兵士に門戸を開いている」とし、旧軍将兵が軍に加わり武装勢力とたたかうよう呼びかけました。

第二には、旧フセイン政府与党であるバース党の幹部に対し過去を問わないとの提案です。新憲法には「脱バース党委員会」の創設が定められ、関係者の公職追放を進めることが義務付けられています。マリキは、この憲法条項の見直しを国民議会に呼びかけました

この第二次提案の狙いをマリキ首相の上級顧問のアリ・アラウィ元財務相は次のように語っています。

「米国による侵略・占領がイラクに惨状を招き、中東全域の政情を不安定化させつつある。シーア派とクルド人の既得権は認めるが、それがスンニ派旧支配層への差別とならないよう是正する仕組みが必要だ」

また外国勢力の介入を排除するために、「周辺諸国が地域紛争や宗派対立を防止する安全保障協議のシステムを構築」するべきだとしています。

2ヶ月前に「フセイン時代だけでなく、米軍など占領軍やバース党残党、宗派主義者による人権侵害も処罰の対象にする」と述べていたことに比べると、思い切った柔軟路線です。しかし旧フセイン政権支持者など反政府勢力からの参加はほとんどありませんでした。

一方で旧フセイン派への和解提案を行いながら、12月末、当のフセインの処刑が執行されました。これもまた、中央政府への不信感を煽り立てる結果となりました。

フセインの処刑については、不明の部分も多いのですが、米議会の中間選挙との関連でブッシュが点数稼ぎのために急がせたというのがもっぱらの評価です。いずれにせよ、この二度目の失敗によって、シーア派内の非主流派(ダワ党)に属するマリキの政治的影響力はほぼ消滅してしまいました。



E. イラク中央政府は無力化し、米軍の支持だけが頼りとなっている

ますます悪化する事態は、中央政府に米軍頼みの傾向をもたらしました。これにシーア派内の反米派や親イラン勢力が反発。サドル派は国会議員全員を辞任させ、当局と対立する姿勢を明確にしました。

最大与党のシスタニ師派は、これを機にイランとの関係を絶ち、米国よりの姿勢を明らかにしました。このようにして政府の中立性は損なわれ、国民からの信頼は失われ、無力化しつつあります。

肝心のシーア派主流派最高権威であるシスタニ師にも、事態を打開する能力はありません。たとえば2月のサマラでのシーア派聖廟爆弾テロの一周年にあたっては、シスタニ師はスンニ派への報復攻撃を慎むよう呼び掛けました。しかしその願いにそむくように、この日の連続爆弾テロで少なくとも79人が死亡しています。

一方で、国会内でシーア派に対抗するスンニ派会派は、当初より武装勢力の支持を受けていません。武装勢力が明確に現政権打倒に照準を合わせると、スンニ派の国民の中にも、議会と政府に見切りをつけ、武装闘争を支持する動きが強まりました。

このようにして中央政権の支持基盤はますます薄くなり、その結果米軍への依存はますます強まるという悪循環に陥っています。



(2) 新たな枠組み作りは難航している

ここまでひどくなった国内状況を、はたしてどう解決したらよいのか、なかなか展望は出せません。とくに旧フセイン派の扱いは難問です。また、アルカイダ系武装勢力も無視できないイラク人勢力を抱えるまでに成長しています。その思想・心情から見て彼らに市民権を与えることは到底できませんが、その参加のイラク人青年たちには一定の手立てが必要になるかもしれません。

これまでの関係国を含めた交渉の中で以下の点が明らかになりつつあります。

A. アメリカは交渉を拒否している

交渉の国際的枠組みを創ることが、そもそも厳しい課題です。とくに宗派間闘争が激化して以来は、シーア派の拠点イランとスンニ派の拠点シリアが交渉に加わらない限りは交渉が成り立ちません。

ところが米国は、この二つの国を敵視し、一時はイラン・シリアへの侵攻さえ考えていました。現在もいまだにこの政策を基本的には変えていません。あくまでもイラク国内の武力平定に固執しています。

その背景は経済的な事情です。もし国際交渉によって和解が実現し、米軍が撤退すれば、そこに残されるのは米国への反感だけです。石油利権は失われ、膨大な戦費はまったくの無駄となります。これはとくにイラク利権を当て込んでいたチェイニー副大統領とネオコン派にとっては致命的です。



B. 周辺国は動き始めている

事態の打開に向け、もっとも活発な動きを見せているのがイランです。06年7月、イランの首都テヘランで、イラク周辺国会議が開かれました。参加国はサウジアラビア、イラン、シリア、ヨルダン、トルコ、クウェート、バーレーン、エジプト。ほかにアラブ連盟やイスラム諸国会議機構(OIC)の代表が出席しました。

議題はそのものずばり、イラクの治安問題を改善する対策です。アハマディネジャド大統領は、「テロリストが国境を越えて治安の悪化や宗派間の憎悪、不和を生じさせ、イラクに外国軍の駐留を容易にしている」と断言し、参加者を驚かせました。ただこれがアルカイーダとスンニ派武装集団のみをさしているのか、シーアは民兵をも含んでいるのかは定かではありません。

アハマディネジャドはこれに続き、「我々はこうした状況を阻止する必要がある。すべての周辺国がイラクの安定、治安回復、発展に寄与することが求められている」と語りました。

シリアは米国から、「武装グループの越境対策が不十分だ」と批判されています。これに対してワリード・ムーアレム外相は、「われわれは最善の努力をしている」と反論しました。

イラクのゼバリ外相は、国外からの武装勢力の流入阻止を訴え、「国民和解計画にイラクの全勢力が参加するよう、周辺国が影響力を行使すること」をもとめました。

1月、ブッシュの新政策が発表されると、関係国は憂慮を深めます。中東諸国の要の位置にあるイラクが火薬庫と化せば、周辺国がlこれに巻き込まれることは間違いありません。

中東諸国を訪問したライス国務長官に対し、ヨルダンのアブドラ国王は、「イラクの全会派の参加を保障しないどのような政治プロセスも失敗に帰し、さらなる暴力へと導く」と述べ、スンニ派勢力の政治参加を主張しました。これは12月のマリキ提案とほぼ同じラインです。

2月にはパキスタンの首都イスラマバードで、イスラム七カ国による外相会議が開催されました。会議は、米国がペルシャ湾に空母を増派するなど、イランへの軍事的圧力を強める中での開催となりました。

会議に参加したパキスタン、サウジアラビア、ヨルダン、エジプト、マレーシア、インドネシア、トルコの7カ国は共同声明を発表。「対決ではなく、それを縮小させることこそが必要である。すべての問題は外交を通して解決されなければならない」と強調しました。

この会議は、孤立し脅迫されているイランやシリアにとって、交渉参加への受け皿となる枠組みとして位置づけられます。7カ国会議の声明を受けたイランのアハマディネジャド大統領は、3月3日、サウジアラビアの首都リヤドを電撃訪問しました。1週間後にバグダッドで始まる「イラク安定化のための関係国会議」に向けて両国間の連携を図る狙いがあったものと推測されます。

アハマディネジャドはアブドラ国王(ややこしいことにヨルダン国王もアブドラです)と会談し、スンニ派とシーア派の宗派間抗争の拡大を阻止するために努力することで合意しました。

この合意には重要な内容がふくまれています。まず、イラクで国家統合を維持するという合意です。これは連邦制を国家の解体という方向には進めないということで、アメリカの占領政策ともシーア派内親米派とも一線を画すものです。もうひとつは国民の平等を確保する必要性での合意です。これは具体的にはバース党の旧幹部への配慮ということであり、マリキ提案の線に沿ったものです。

この合意を受けたアブドラ国王は、アラブ連盟会議の席上で、多国籍軍のイラク駐留を「不法占領」だと批判しました。駐留軍に後方基地を提供するなど親米をもって知られる国王としては異例のことです。この発言がブッシュ政権に与えた衝撃は少なくありません。



C. 国連の役割発揮が求められるようになっている

周辺諸国の合意が形成されるようになり、国連での討議の可能性が生まれました。

3月10日には「イラク安定化のための関係国会議」がバグダッドで開かれる。会議には、国連安保理常任理事国と、サウジアラビア、エジプトを含む周辺諸国やアラブ連盟なども参加しました。

イラン代表のアラグチ外務次官は外国軍撤退のタイムテーブルが必要と主張。米国との対決姿勢を見せましたが、同時に会議を「喜ばしい最初の一歩」と評価しました。

同じ3月にサウジアラビアで開かれたアラブ連盟の総会で、ムーサ事務局長はこの間の動きを以下のように総括しています。

まず必要なのは多国籍軍がイラクから撤退する日程の作成を含む国連安保理の決議だ。またイラク国内においては、富の公平な配分、すべての武装集団の解体なども必要となる。これらの重要な課題が拘束力のある国連安保理決議に取り入れられれば、イラクで現在役割を持っているすべての当事者が尊重し従うことになるだろう。

その後、5月はじめにはエジプトで、日本もふくむ主要国23カ国と国際機関が参加して「イラク安定化のための国際会議」が開かれました。内容的に新味はありませんが、国際社会を巻き込んだ規模の大きさにおいては重要な意義を持ちます。この道筋の先には、イラクの安定化の主導権をアメリカから国際社会(国連)に移すという目標があるからです。



 

その5  日本はますます危険に踏み込みつつある

 

(T) バグダッド行き定期便

06年6月に日米軍事首脳会談がおこなわれました。この会議でラムズフェルド米国防長官は、イラクからの陸自撤退を認めました。しかしその見返りとして空自の活動拡大を要求してきました。

「掃討作戦」を展開する米軍を支援するため、活動範囲をバグダッド空港などに拡大することです。額賀防衛庁長官は「ニーズに応じて考えていきたい」と表明しました。空自の「イラク復興支援派遣輸送航空隊」(IRSAW)は04年3月から活動開始。これまでは活動区域をイラク南部のタリルなどの「非戦闘地域」に限定してきました。

「ニーズ」とはいったい何なのかわかりませんが、バグダッドは現に戦闘が続いており、「イラク復興支援」のための特措法の許容範囲を大きく逸脱しています。「危険を回避する」という政府説明に反し、限りなく集団的自衛権の発動に近いものです。政府はこれを閣議了承のみで済ませてしまいました。これについて一般メディアはほぼ黙殺しました。

8月1日、航空自衛隊部隊のC130輸送機がバグダッド空港に初めて乗り入れました。「国連支援は建前。実際は多国籍軍の中核である米軍の支援にほかならない」と空自幹部みずからが述べています ( 沖縄タイムス )。額賀防衛庁長官自身も、「多国籍軍の要請」による空輸だったと認めています。またフライトにあたって、米軍からの部品や燃料の提供を受けていることも認めました。

バグダッド空港は世界一危険な空港です。〇四年六月にはオーストラリア軍のC130輸送機が離陸直後に銃撃を受け一人が死亡。〇五年一月には同空港から飛び立った英国軍のC130輸送機が撃墜され十人が死亡しています。守屋防衛事務次官も、「現在のバグダッド空港周辺は、予断を許さない状況にある。地対空ミサイルなどによる航空機に対する攻撃が発生する可能性も排除されない」と答弁しています。

政府は、C130輸送機がバグダッド飛行場に着陸するとき、「フレア」を使用していることを認めています。「フレア」とは、ミサイルを避けるために放出されるおとりの熱源体です。地対空ミサイルは熱のある方向をめがけて飛んできますから、おとりの熱源体があるとそちらに飛んでいってくれるというわけです。しかし本当に飛んで行ってくれるかどうかは、保証の限りではありません。

いずれにしてもC130の飛行がそれほど危険だということを、政府自身が裏付けていることになります。

12月の赤旗報道では、空自の武器・兵員輸送活動はすっかり定着したようです。クウェートのアリ・アルサレム空軍基地を拠点にC130輸送機三機で米兵をピストン輸送しています。バグダッドでは「米軍の定期便」、米兵からは「タクシー」と呼ばれているそうです。ちなみにインド洋で米艦船などへの給油活動を行っている海上自衛隊は、「海上の無料ガソリンスタンド」だそうです。(東京新聞)

1月11日、「自衛隊イラク派兵差止訴訟」全国弁護団が空自の「週間空輸実績報告」を発表。昨年の7月から11月までのバグダッドへの空輸の実績が明らかにされました。これによると、「50回あまりの飛行のほとんどが黒く塗りつぶされ、米兵とその関連物資であることは疑いない」とされています。防衛省側(山崎運用企画局長)も赤嶺政賢議員の質問に対しこれを認めました。

 

(2)  義を見てせざるは勇なきなり

阿部首相は8月、イラク問題のセミナーで講演し、次のように発言しました。

「一緒に活動している外国の軍隊が攻撃されたときに、われわれが黙ってその状況を見ていなければいけないのか。今後こうした活動を続けていく上で真剣に考えていかなければならない問題である」

「義を見てせざるは勇なきなり」というわけですが、義も勇もまったく履き違えています。これではヤクザの仁義と同じです。イラク占領は不正義そのものであり、これに加担するのではなく止めさせることが真の勇気です。「同盟」というほど仲が良いのなら、なおさらのことです。

ところで、これは状況によっては自衛隊が直接戦闘に参加する可能性を示唆する重大な発言です。しかしどういうわけか、一般マスコミはこの発言をあまり取り上げようとはしませんでした。これは赤旗の報道によるものです。

 

(3)  政府内のほころびが露呈される

昨年末、久間防衛長官は共産党の緒方靖夫議員の質問に対し、「(イラク戦争について)政府として支持を公式にいったわけではなく、コメントとして総理がマスコミに対していった」と答弁しました。久間防衛長官はその翌日、「小泉首相の談話は閣議決定されており、公式ではなかったというのは認識不足だった」とし、発言を撤回します。

赤旗はこの顛末を受けて、「首相談話が閣議決定かどうかも確認しない、お粗末で無責任な答弁」と批判しますが、必ずしもそうとばかりはいえないようです。久間長官はこの撤回発言に続けて、「(米国は戦争を)早まったんじゃないかという思いが(開戦)当時もしていた。今でもそう思っている」と述べているからです。

久間氏は、さらに1月には「イラク開戦の判断が間違っていた」と発言しています。このときも、あとで「政府としては米国などによる対イラク武力行使を支持しており、防衛相としてこの立場を踏襲している」とし、発言を撤回しています。どうも確信犯的な匂いもしないではありません。

2月にはいると、今度は麻生外相が講演で、「ラムズフェルドがぱっとやったけど、占領した後のオペレーションとしては全く非常に幼稚であって、これがなかなかうまくいかなかったから、今もめている」とのべました。

塩崎恭久官房長官は、発言の影響を打ち消すのに懸命になりました。ブッシュの新政策発表に当たっては、「イラクの安定化に向けた大統領の強い決意表明を評価したい」ともちあげ、いっぽうで「イラク研究グループ」(ISG)報告は「アメリカ政府の決定でも何でもない」と切り捨てます。さらに麻生発言に関して「武力行使が誤りだったとは言っていない」と弁明します。

米国務省は「われわれは日本を対テロ戦における強力かつ密接なパートナーと考えている」とし、一連の発言について、表向き非難したり問題視したりすることはないとの姿勢を示しました。しかし、裏ではそれなりの償いをもとめてくるのではないかと、観測されています。

 

(4) 東京新聞社説

東京新聞が憲法記念日にあたって掲げた社説は、平易で的を得たものと思います。ここに引用させていただきます。
 

【社説】

憲法60年に考える(上) イラク戦争が語るもの

2007年5月1日

 憲法施行から六十年。人間なら還暦です。改憲の動きが加速する一方、イラク戦争を機に九条が再評価されています。まだまだ元気でいてもらわねばと願います。

 憲法解釈上禁じられている集団的自衛権行使の事例研究を進める有識者懇談会の設置が決まりました。

 歴代内閣が踏襲してきた憲法解釈を見直すお墨付きを得る。日米同盟強化に向け、集団的自衛権行使の道を開くことに狙いがあるのは、メンバーの顔ぶれからも明らかです。

 憲法には手を触れず、日米軍事一体化への障害を解釈で切り抜ける。安倍晋三首相からブッシュ政権への格好の訪米土産になったようです。

キーワードは国際貢献

 言うまでもなく九条の背骨は「戦争の放棄、戦力の不保持」です。その解釈の変遷史でも最大の転機は一九九一年の湾岸戦争でした。キーワードは国際貢献です。

 戦費など百三十億ドルを拠出しながら小切手外交と揶揄(やゆ)され、国際社会への人的貢献を迫られたのです。一国平和主義、一国繁栄主義への批判がわき起こったのでした。

 自衛隊は“禁”を破り、海外出動の道を踏み出しました。

 ペルシャ湾への機雷除去を目的とする掃海艇の派遣。続いて翌九二年には、国連平和維持活動(PKO)協力法に基づきカンボジアへ。「外国領土」での活動に初めて道を開いたのです。「武力行使と一体とならないものは憲法上許される」という政府見解が根拠になりました。

 自衛隊海外派遣への転機のもう一つの重要な背景は、ソ連・東欧の崩壊による冷戦の終結です。覇権国家となった米国は、アジア・太平洋地域の秩序維持について、経済的にも軍事的にもより積極的な分担を日本に要求したのです。

 この米国の姿勢は、現在も基本的には変わっていません。在日米軍再編もその一環です。呼応して安倍首相は、憲法改定を夏の参院選の争点にすると明言しています。

 実は、それまでの歴代内閣は憲法問題を避けてきました。安保闘争で総辞職した岸内閣のあとを受けて登場した池田勇人首相は「自分の在任中は憲法改正はしない」と声明を出しました。

 以後、小泉純一郎首相に至るまで十八人に及ぶ歴代首相は、全員例外なく、就任時に「在任中は憲法改正はしない」ということを約束するのが慣例になったのです。

 湾岸戦争が安全保障上の転換点だとすると、二〇〇三年のイラク戦争はまた別の転機となったようです。

間違いだらけの戦争

 この戦争は間違いだらけです。ブッシュ政権が依拠したのは先制攻撃論です。国家であれテロ集団であれ大量破壊兵器を保持する場合、それが使用されると自国の被害は甚大だから、その前に先制攻撃する。中枢同時テロの教訓から生まれた予防攻撃論ですが、国際法上かなり無理のある理屈です。

 圧倒的な武力を過信した米国は、国連の同意なしに攻撃し、フセイン政権を倒しました。でも結局、大量破壊兵器は見つかりませんでした。

 イラクの国情にも通じず、フセイン政権打倒後の見通しも甘いものでした。イラク国軍の四十万人を武器を持たせたまま解散させたのが一例です。宗派抗争は泥沼化し、自爆テロの相次ぐ内戦状態に陥らせてしまったのです。まるで処刑されたサダム・フセインの呪(のろ)いのようです。

 国連イラク支援団の法律顧問によると、負傷後の死者を含めると一日に百人が死亡しています。国内外の避難民は三百七十万人に上るそうです。米兵死者も三千数百人を数えます。米国内では早期撤退が議決されるなど、誤った戦争とみる人が多数派です。

 日本でも大義なき戦争へ厳しい目が注がれています。政府はイラク戦争を支持し、イラク復興支援特別措置法に基づいて自衛隊を派遣しました。幸いサマワの陸上自衛隊は無事帰還しました。九条のおかげで「非戦闘地域」に派遣されたからとも言えます。

 航空自衛隊は今も空輸活動に従事していますが、武器弾薬は扱っていません。これも九条の制約です。

 もし、九条がなければ、米軍への全面協力を余儀なくされ、戦争に巻き込まれていたかもしれません。九条こそ、日本が柔軟に対応できる唯一の担保となっているのです。

国民のバランス感覚

 九条の「戦力の不保持」と自衛隊の存在との整合性の問題がよく言われます。自衛隊の存在を認め、かつ九条の有意性も認める、国民の優れたバランス感覚が九条を生きながらえさせたのではないでしょうか。

 イラクの悲惨さ、武力の不毛さから、九条の重さを痛感した人もいたでしょう。全国世論調査では、九条の改定「不要」が44%と、「必要」の26%を大きく上回りました。

 かつて戦場となったアジア諸国が日本を不戦国と見てくれるのも、武力行使の歯止めができるのも九条があってこそです。九条が再び見直される時代になったのです。