21世紀に向けての連帯運動

その理論的課題

 

鈴木 頌   

1997年10月  

編集部から大変難しい注文をいただきました.質問の内容が難解でよく分からないところもありますが,一応国際政治に対する見方,運動論的課題ということで整理させてもらった上で,私の考えを述べさせていただきます.


といっても,答えがあるわけではなく,むしろ,「こんな所に私のいまの問題意識があります」という形にならざるを得ないのですが,これを機会に自分でも整理してみたいと思います.

 

国際政治観にかかわる理論的課題


A アメリカ帝国主義論


ソ連・東欧の崩壊後,いまや一人勝ちの観のある米国.この政府の戦略と政策を,戦後冷戦戦略の流れの上に位置づける必要があります.クリントン戦略ともいうべき最近の軍事・外交・経済政策をどう評価するか,この点での評価の一致が求められています.

(1)軍事・経済戦略の分析

いうまでもなく米国の力の源泉は,圧倒的な軍事力と自国のドルを基軸通貨としているところにあります.この二つを巧妙に駆使しながら,米国はこの十年のあいだに世界覇権を確立したのです.しかしドル支配体制は国際金融システムが作り上げた一種のフィクションであり,実体経済を反映したものではありません.このフィクションを支えるのは,詰まるところ軍事力なのです.このあたりの迫力ある分析が望まれる所です.とりあえず,月刊「前衛」の97年4〜6月号に掲載された上田耕一郎氏の「クリントンの世界戦略と軍事同盟の変貌」を一読されるようお勧めします.


(2)「大国」の軍事同盟を通じた対米従属関係(安保とNATO,OASの比較分析)


安保再定義やガイドライン見直しがいまの大問題です.この議論は根本的には,・日本以外の大国もすべて米国の軍事力のカサの下に入ってしまうのか,・米軍が事実上世界唯一の軍隊として君臨することになるのか,・もしそうなってしまった場合,そこからの離脱は可能なのかという問題を含んでいます.


これについてはNATOやOAS(リオ条約機構)の動きを見ていくのが大変参考になります.とくにフランス・ドイツを中心とする欧州軍構想と,米軍の統轄下にあるNATO軍との駆け引きは,米国を中心とする軍事同盟ネットワークがどうなっていくのかを占う上で大変興味あることです.


(3)「世界帝国主義」の可能性

世界がこのまま米帝国主義の支配下に入ってしまうのか,それともふたたび大戦前のように列強間の抗争が噴出するのか,それとも第三の道があるのか,それは私たちの生きている時代に実現するのか,大変難しい問題だと思います.


帝国主義論のベースでいえば,資本主義の不均等発展の法則がいまも妥当性を持つのか,例えばアジアはどうなのか,専門家の意見をうかがいたいところです.

B 現代帝国主義の経済的基礎の分析

国内では山一,拓銀の倒産など深刻な経済問題があいついでいます.はっきりしているのは,これらが国民不在のまま「解決」されようとしていること,そのツケが結局国民に押しつけられることです.


その際,彼らの錦の御旗になっているのが「グローバル化」です.それは国内市場の国際投機資本への全面開放ということです.このグローバル化は本当に防ぎようのないものなのでしょうか.


(1)実体経済と金融との関係,投機的資本の破壊的役割

グローバル化の前に,国際投機資本の実体をもっと学ぶ必要があります.基本的な視点については月刊「経済」5月号に載った今宮謙二氏の「国際金融の新しい現象と国家権力」が説得的です.少し古くなりますが,中村孝俊氏の「金融革命とはなにか」(大月書店)は,私たちのような素人には恰好の入門書です.

(2)第三世界支配の道具としてのIMF

IMFこそは第三世界へのマネタリズム経済の押しつけ役であり,多国籍企業の支配への露払い役です.厳しい貸し付け条件,内政干渉そのものである政策誘導は,借り手国にとって屈辱以外の何者でもありません.

建前上は世界諸国の経済危機に対する救済機関としての役割を持っているはずなのに,実体としては米国の意向そのままに,ひたすら開放経済を押しつけるという構造,そして何よりもその密室性は打破できないものでしょうか.

(3)国際経済秩序としてのWTO

ブレトン・ウッズ体制と言い,あるいはガット・IMF体制と言われ,両者は一体のものとして考えられてきました.ガットがウルグアイ・ラウンドを経てWTOとして発足したいま,必ずしも両者を同一視することは出来なくなっています.
例えば日本製フィルムをめぐる問題,キューバ経済制裁への同調を強要する米国に対する各国の反発など,WTOが新たな経済外交の舞台としての意味を持ってきている側面も無視できません.
「経済」の7月号ではWTOについて特集を行っており,これからも学習を深めるべき点と思います.

C 第三世界の運命

(1)第三世界はネオリベラリズムを克服できるのか

アジアを除く第三世界は,例外なくIMFの厳しいコンディショニングを受け入れ緊縮経済と規制撤廃に乗り出しています.一部経済回復が伝えられる国々でも,経済成長のおこぼれに預かっているのは一部の資産階級のみであり,とくに中産階級の消滅と膨大な失業者群が社会不安を増幅させています.


なかには米国にあからさまなこびを売るアルゼンチンのメネム大統領のような恥知らずもいますが,多くの国の指導者はそれを苦々しい思いで見ながらも,これといった出口を見いだせないでいます.

農産物など一次産品の世界的な供給過剰と,市場価格の低迷は今後も続く可能性があります.「一次産品の輸出振興をバネに,輸入品を国内産業育成で代替していく」という,かつてのプレビッシュ=ロストウ路線は,もはや有効性を失ってしまったようです.が,それに代わる成長戦略は未だ見つけられないでいます.

(2)米国をふくまない地域共同市場と,新国際経済秩序の可能性

第三世界各国が模索しているのはEU型の地域共同市場です.アジアのASEAN,南米のメルコスールなどがその例です.一方で米国が主導権を握る同盟の動きも活発です.東アジアに強引に割り込んだ形のAPEC,メキシコ,カナダとのNAFTAなどがそうです.その行く先は不透明ですが決して明るいものとは言えません.


これらの共同市場には当然決済機関が必要になります.しかし金融システムが未確立で,結局のところ米ドルにハードカレンシーを求めるほかないのが現状です.独自の市場を形成したつもりが,米国資本の露払いをしただけという結果になることも,十分考えられます.かつての中米共同市場がまさにそうでした.


このあたりについても専門家の意見を聞きたいものです.

(3)不均等発展の法則はなお有効性を持つのか(第三世界のキャッチアップの可能性)

記憶は定かでないが,かつて上田耕一郎氏が,次のように述べられていた気がします.「不均等発展の法則は資本主義が続く限り貫徹する.しかし両体制間の対決が主要な側面となっている現代社会ではそれは制限を受ける」と.


いわゆる「社会主義体制」が消失したいま,それではどうなのでしょうか.「帝国主義論」の文脈では,「不均等発展の必然性」は,市場の再分割へ結びつくものとして展開されています.それは,ひいては領土の再分割=帝国主義戦争という流れのなかで把握されています.

市場の開拓は,軍事力を背景にした市場の物理的囲い込みと同義であり,その中での排他的権益を獲得することが経済成長の不可欠の要素となっていました.

しかし現代ではドルが基軸通貨として受け入れられ,その上に精緻な国際金融システムが打ち立てられ,列強といえどもその土俵の上で勝負する時代になっています.世の中がひっくり返って,例えばドイツや日本が世界の盟主となるというような事態はかなり想像しにくいようです.その前に世界が民主化される可能性の方がはるかに考えやすいのです.(田中角栄首相の頃,日本の「ファッショ的自立」の可能性が論じられたことはありますが)


ちょっと異なる次元の問題として,第三世界諸国のどこかが経済大国の仲間入りをするという可能性の問題があります.これについては別の機会に考えてみたいと思います.


D その他の重要な諸問題

以下の問題も連帯運動を考える上で不可避的です.やり出せば一つ一つが相当難しい問題なので,ここでは列挙するにとどめます.

(1)民族(ナショナリティー)概念の再検討.エスニシティー問題,宗教・習俗をふくむ民族文化との関連

(2)環境問題への階級的視点

札幌学院大学の高田純先生が「環境思想の研究」(創風社) という本の中で説得的な議論を展開されています.

(3)国際法に関する視点

 

 

連帯運動にかかわる理論的諸問題

A 世界変革の闘いの中心課題とスローガン

(1)核廃絶を平和運動の中軸に据えること

反戦平和の闘いは古今東西を通じて,人民のもっとも痛切な課題です.地雷廃止条約の評価,通常兵器の削減などももちろん重要です.しかしその破壊力のけた外れの大きさ,取り返しのつかない核汚染問題など,核兵器の全面禁止に匹敵するほどの緊急かつ重大な課題はないでしょう.


しかも核兵器と核抑止理論にしがみつく人たちは世界でもホンの一握りに過ぎません.私たちが生きているあいだにもし何か一つ解決できるとしたら,核廃絶以外にはないのでしょうか.

(2)非同盟の課題のあらたな重要性

B 世界を変革する「人民」の構成

(1)人民の規定

私たちがさまざまな条件を付けながらも,一つの規範としてきたのが1960年の「モスクワ声明」です.このなかで世界を民主主義の方向へ変えていく四つの勢力として労働者階級,民族解放勢力,「社会主義」諸国,平和愛好勢力があげられていました.いまこの四大勢力の規定はどう書き換えられるのでしょうか?


労働者階級と平和愛好勢力は問題なくいまも通用します.社会主義諸国はもはや基本的に消失したのですから,これも問題ありません.民族解放勢力が分からないのです.かつてベトナム解放戦線やPLO,AFCにフレリーモやポリサリオ,サンディニスタにファラブンド・マルティとならべば民族解放勢力がなんたるかは一目瞭然でした.


「民族」の規定は昔から悩ましいものでした.しかし,例えばこのたび総選挙で大躍進したエルサルバドルの民族解放戦線(FMLN)をみると,それが労働者階級と農民を中軸に平和愛好勢力と進歩的人士を結集したものであることがはっきりします.「民族」の範囲をどこまで広げるかという問題は依然として残りますが,少なくともはっきりしていることは,その国に団結した労働者の集団が存在していることなしに,民族運動の発展はあり得ないということです.

従ってスローガンはもっとシンプルに「万国の労働者,団結せよ」で良いのではないかとも思います.

(2)国際連帯のありかた

もう一つは運動の結節点たる国際組織の問題です.歴史的に見れば労働者階級における世界労連,平和愛好勢力の世界平和評議会,人民連帯運動のAAPSO,そして反核平和のための原水禁大会などが,それぞれのセンターとして大きな役割を果たしてきました.

これらのなかには,モスクワによる覇権主義的干渉の武器としての役割を果たしてきたものもあります.それぞれの運動プロパーが自主的に判断して,民主的変革を進めるのか,新たな組織作りを進めるのか決めて行くべきでしょう.

肝腎なのは,国際的なセンターの基本的なあり方をめぐる国際的な議論と意思統一です.率直に言えば,このことがもっとも深刻に問われるのが連帯運動でしょう.現地に行って「連帯」といえば文句なしに物的支援のことでした.


われわれが連帯委員会のメンバーだと知ると,相手はとたんに目の色を変え「このように苦境に立たされている.なんとか援助して欲しい」と当然のことのように話を持ちかけてくるのです.これが彼らにとっての連帯でした.

逆にキューバで連帯委員会の幹部と話したときは,「われわれはこれまで第三世界に連帯してきたが,今度はわれわれが連帯を求めるときだ」というような論理で迫ってくるのです.受ける側にとって「連帯」とは物的援助を求めることであり,与える側にとって「連帯」とはものも出す代わりに口も手も出す.一種の覇権主義的考えがなかったとは言えません.

(3)国際連帯組織

私は個人的にはAAPSOやOSPAAALといった組織にいつまでも固執すべきではないと考えます.

そして新たな「連帯」の概念をきっぱりと押し出して各国人民の共感を得る必要があると考えます.それは政府機関や特定の国とは関係なく,あくまでも各国人民の対等平等の関係に基づく真の連帯です.その関係に基づいて時には物的支援もふくめて連帯するというのは大いにあり得ることですが,しょせん貧乏人同志ですから,その額たるやたかがしれたものです.その代わりそこには援助を通じての支配・服従の関係など生じようもありません.

一言でいえば,政治権力からの独立.そして相互に学びあい尊敬しあう友情と親愛の関係.これが「連帯」運動の基本になるのではないでしょうか.ただ一言いっておきたいのは,何もあえてAAPSOやOSPAAALを離脱する必要はないということです.むしろそういう機会を利用して大いに日本の連帯運動の思想を広めていくことが大事だと思います.

 

C 非同盟諸国と非同盟運動

(1)ASEAN,とくにマハティールの評価
(2)日本と非同盟運動
(3)その他の重要な諸問題
宗派主義,武装闘争組織への対応

D 国連の評価

(1)ガリ構想の批判的総括
(2)総会は今後も軍縮運動の最大の舞台に

CとDについては別の機会に譲りたいと思います.それにしてもこんな課題をいとも簡単に押しつけてくる編集部の皆さんには,感謝の申しようもありません.