第六章 ソモサの息子たち

 

第一節 ルイス・ソモサ大統領

しかしソモサが倒れてもソモサ王朝は揺るぎませんでした.党と議会にはルイス,軍にはアナスタシアというように,二人の息子をしっかりと配置してあったからです.ルイスが,上院議長という合法的な継承権を行使して暫定大統領に就任しました.間もなく行われた選挙でも勝利して,正式に大統領に就任します.弟のアナスタシアは国警隊長官の地位を確保します.

ソモサ死亡に接し,さまざまな政治勢力が蜂起しました.亡きエミリアーノにかわり保守党の明日をになうチャモロは,コスタリカで兵を挙げ,ソモサ体制打倒を狙います.サンディーノ軍の生き残りラウダレスはホンデュラスからニカラグアに侵入しゲリラ戦を開始します.

マタガルパの高校生フォンセカは社会党の細胞を結成,国立自治大学に入ったあとは学生運動家として華々しく活動し始めます.58年9月,学生の大規模な抗議行動が警察と衝突,騒ぎを煽ったとしてフォンセカはお尋ねの身になります.ホンデュラスに逃げたフォンセカはラウダレスの闘いに参加します.

この闘いは軍の掃討作戦によりあっけなく潰されてしまいます.しかしこの闘いで祖国の英雄サンディーノを知ったフォンセカは,ゲリラ戦こそソモサ体制を打ち破る唯一の戦略と考えるようになりました.

 

第二節 サンディニスタ民族解放戦線(FSLN) の結成

キューバにわたったフォンセカは,折から成功したばかりのキューバ革命に触れ熱狂します.彼は大学時代の仲間,マタガルパ時代の仲間を語らい,サンディニスタ民族解放戦線(FSLN) を結成します.1960年のことです.

最初のサンディニスタの作戦はホンジュラスから侵入し,両国国境となっているココ河流域に根拠地を作ることでした.しかし作戦の結果は明白でした.サンディニスタはサンディーノではありません.都会出身の学生です.もうひとつ,サンディーノは熱帯のジャングルにではなく,人民の大海のなかに身を隠したのです.この点で彼らは考え違いをしていました.

ここから20年にわたるFSLNの長く苦しい闘いが始まります.それがいかに厳しいものであったかは,創設メンバー10人のうちフォンセカをふくむ9人までもが,革命成功までに犠牲となっていることを見ても分かります.

 

第三節 ルイス・ソモサの政治

ルイス・ソモサはただ一期だけを大統領として務めたあと,身内の政治家レネ・シックにその席を譲りました.なかなか見上げたものだといいたいところですが,うらにはケネディ大統領の強力な圧力がありました.

彼は一方において「進歩のための同盟」という中南米援助プランを打ち出し,これにしたがうものにだけ援助するというやり方で,独裁国家の「民主化」を迫りました.他方では,米国の指示に従わないものにはクーデターをかけるという脅迫をおこないました.

当時の米国はキューバ政策のあいつぐ失敗にいらだっていました.「進歩のための同盟」も表向きは民主化支援ということになっていますが,実際は遠回しのキューバ封鎖作戦に他なりません.気に入らなければ実際にクーデターをやりかねません.親米政策を採っているからといって油断は出来ません.現にグアテマラのイディゴラス親米政権も63年にクーデターにより倒されたばかりです.

ルイスにとって議会や政府は,長年扱い馴れてきた道具です.いまだ与党党首の彼には,政府を思うままに操れるという自信がありました.それに「進歩のための同盟」を通じて流れ込むはずの資金は,強欲なソモサ一族にとって喉から手が出るほどのものです.

 

第四節 アナスタシア・ソモサの大統領就任

このような微温的な統治方法はアナスタシアにとっては我慢ならないものでした.もっときつくやらなければ,共産主義者がのさばることになるというのが彼の考えでした.

ケネディが倒れ,ジョンソンはベトナム戦争を本格化し,ドミニカに軍を派遣しました.CIAも息を吹き返しました.

66年,軍に対する不正追及の声が高まったのを期に彼は反撃に出ました.彼はレネ・シック大統領に辞任を迫り,みずから大統領選に出馬しました.大統領選では野党統一候補が勝利したと思われましたが,ソモサは強引に開票を操作し,自らの当選を決めます.

67年2月,首都マナグアの中心部,不正選挙に抗議する群衆が街を埋めました.軍隊はその群衆に向け銃弾を撃ち込んだのです.多くの死者が出て,抗議の声は押しつぶされました.ソモサ二世大統領の経歴は,その最初から血塗られたのです.

経過の一部始終を見届けた兄ルイス・ソモサは,その数ケ月後病死します.一説にアナスタシアが毒殺したといわれますが,いかにもありそうなことです.以後このアナスタシアをソモサと呼ぶことにします.

なおちなみに初代のソモサもファーストネームをアナスタシアといいます.違うのは三番目につく母方の名前で,初代はガルシア,二代目はデバイレ,そしてその息子アナスタシアはポルトカレーロです.

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