「世界政治ジャーナル」(第3巻第2号)  1986年春(317-345ページ)

http://www.worldpolicy.org/americas/nicaragua/wpj86spring2.html

 

VOICES FROM COSTA RICA

アンドリュー・レディングによるインタビュー

 

目 次

前書き

ホセ・フィゲーレス・フェレールとの対話

ダニエル・オドゥベル・キロスとの対話

ロドリーゴ・カラソ・オディオとの対話

ハビエル・ソリスとの対話

 

 

 

原著前書き

 

中央アメリカ,政治的暴力と貧困と弾圧の爪あとを深く残す地域で,コスタリカは例外に属する国である.

アンドリュー・レディングが以前の記事において示したように,コスタリカは複数政党制,経済の民主主義,反軍国主義及び司法制度が正常に機能する長い歴史を享受してきた.それらのシステムは,コスタリカをその隣国から分け隔て,中央アメリカにおける成功の象徴となっている.

しかしレディングも示すように,それらの長年の伝統はいま,レーガン政権による攻撃の下にある.

レーガンの方針は,コスタリカの経済のシステムが徐々にむしばまれるのを手伝っている.そしてニカラグアとコスタリカを対立に引き入れている.もしこの企てが成功したならば,それは修復できない位にコスタリカの社会の基礎に損害を与えることになるだろう.

1985年11月,レディングは三人の前コスタリカ大統領=ホセ・フィゲーレス・フェレール,ダニエル・オドゥベル・キロスそしてロドリーゴ・カラソ・オディオとそれぞれ会見し,これらの問題を検討した.さらにレディングは,議会における野党の代表的人物ハビエル・ソリスとも会見を行った.

以下に掲載されているのは,これらの対話からの抜粋である.

 

 

ホセ・フィゲーレス・フェレールとの会話

 

革命評議会(1948-1949)の議長

1953-1958,1970-1974の二度にわたりコスタリカ大統領

および国民解放党総裁

 

Reding:  他のラテンアメリカの国と違って,コスタリカは少なくとも1948年以降,民主主義と平和の長い,中断されない期間を享受した.

この事について,それを可能にしたコスタリカの歴史的特殊性を説明していただきたい.

 

Figueres:  コスタリカはある意味で異端者によって建設された国です.それはアメリカ合衆国と似たところがあります.

ちょうどあなた方に清教徒がいたように,我々はスペインから逃げてきたガリシア人のグループがありました.彼らは,できるだけグアテマラのスペイン総督から,彼ら自身を遠ざけておきたかったのです.

アメリカ合衆国の創設者は,宗教の迫害から逃げてきました.我々の創設者は,軍の支配する政府から逃げてきました.だから,我々の国の出生は,他の中央アメリカ諸国や多くのラテンアメリカとは全く異なったものです.

さらに,ここにはスペインからの移民のために搾取されるはずのアメリカ先住民がまったくいませんでした.移民たちは,彼ら自身の手で働かなければなりませんでした.これも,肉体労働が先住民により行われた他のラテンアメリカの国とは,まったく違った状況でした.

その結果,ヨーロッパ人だけの小さな国が,アメリカ大陸の真ん中に出来上がったのです.

第三の重要な違いは,コスタリカ人が始めから,軍隊などより公教育のほうを非常に大事にしたということでしょう.我々は一世紀を優に越えて公教育を続けてきました.

我々は常に不平を言っています.教育制度がもっとよくできたはずだと.とはいっても,比較すれば,コスタリカが教育的機会に関しては進んでいることは間違いありません.

我々は,たった二回だけ戦争を行いました.

第一回は1856年のことです.一団のアメリカ南部人が中米を併合しようと侵入してきました.彼らは南部の奴隷州に中央アメリカの票を回そうと考えたのです.そしてアメリカ上院でもう10票ほどを上乗せしたかったのです.

コスタリカは市民軍を組織し,最初はコスタリカ領内で,それからニカラグアで戦いました.最後に,この侵入者はホンジュラスでとらえられ,銃殺されました.

ウォーカー戦争のこと.ウォーカーというアメリカ人の戦争ヤクザがニカラグアの自由党に雇われ,保守党を破ったあと自らがニカラグア大統領に納まってしまった.彼は奴隷制を復活させ,ニカラグアをアメリカに併合しようとしたが,英国の支援を受けた中米諸国の連合軍の前に敗れた.
詳しくはニカラグア年表,ニカラグアの歴史,およびコスタリカ年表を参照のこと.

もう一度,1948年に,我々は内戦を戦いました.戦争の目的は,選挙制度の健全性を再建することでした.選挙制度はそれまで確立されていました.しかしそれは,1940年代に侵害されてしまいました.内戦の後,我々は第二共和制を設立して,そして,まったく新しい社会を構築しました.

その時まで,コスタリカは非常に保守的な,田舎風の遅れた国でした.しかし戦争の後,我々は20世紀の国際社会の変化に順応していきました.我々は,社会民主主義的な経済・政治制度を採用しました.女性に投票権を与えました.これらの変化の全ては,法にのっとった手段で達成されました.

それから我々は,巨大なプログラムをはじめました.その目標は,できるだけ完全な民主主義を確立することです.そのための経済的・社会的制度の体系を作成することです.

その体系は,それ以来ずっとこの国を特徴づけてきました.

コスタリカに先駆けて,同じような改革をおこなったラテンアメリカの国が,たった一つあります.それはウルグアイです.それは20世紀の初め,“ペペ・バッジェ”ことホセ・バッジェ・イ・オルドネスの下で実施されました.

 

Reding: あなたはサンディニスタ革命の前も,後もずっとニカラグアとかかわりを持っている.ニカラグアに関するあなたの経験をお聞きしたい.

 

Figueres:  サンディニスタ革命が起こる前,35年の間,私はニカラグアのソモサ独裁と戦いました.なぜならソモサが南へその支配を広げようとしていたからです.ソモサはコスタリカで,たくさんの畑や土地を買いました.我々はソモサの王朝によってのみこまれることに恐怖を抱きました.

我々は当時のニカラグアの革命家を助けました,しかし我々はソモサに対して勝つことができませんでした.しかしサンディニスタが登場して状況は変わりました.まさにそのとき,我々は北からの脅威を打ち砕くという,長年の目的を成し遂げたのです.それ以来ずっと私はサンディニスタに心からの親近感を持ち続けています.

この国の,そして,アメリカ政府の多くの人々がサンディニスタの方へ敵対的であるという事実にもかかわらず,私は彼らとの私の親しい関係を維持してきました.

現在,あなたはコスタリカの世論が分裂しているのを見ることができるでしょう.サンディニスタに反対する人々は,コスタリカの寡頭支配層のメンバーです.彼らはこう言います.「サンディニスタはあまりにも左である」と.「左」が意味するものは,人によりいろいろですが.寡頭政治は新聞及びラジオ局を所有しています.それによって,コスタリカの世論にかなりの影響をおよぼしています.

それから,繰り返しになりますが,アメリカ政府がサンディニスタをひどく嫌っているという事実は,この国での精神状態に大いに影響を与えています.なぜなら,ここはラテンアメリカの全ての国で最も親米主義の国だからです.

私はそのことに対して部分的に責任があると思います.私自身が強烈な親米主義者であるからです.しかし現在レーガン政府と私が,特定の問題について意見が合わないことも事実です.だから,いまの状況は矛盾に満ちているのです.

現在の時点で,私はサンディニスタ支持派です.しかし多くの国民は反サンディニスタです.そしてラテンアメリカ諸国の大部分,ヨーロッパ諸国のほとんどがサンディニスタ支持派であると,私は理解しています.

ニカラグアの政府を倒す企てに関係しているアメリカ合衆国という姿は,私がどうしても見たくないものでした.それは,非常に望ましくない姿です.それは,歴史に残る過ちです.

私は認めます. サンディニスタがアメリカ合衆国との彼らの関係において非常に賢明ではなかったし,非常に外交的でもなかったと.しかし,そのことは理解できないわけではありません.ソモサ王朝は,合衆国によって作りあげられ,合衆国によってその権力を保持してきたのです.なんとそれは,ほとんど半世紀の間にわたるのです.だから,アメリカ合衆国へのニカラグア人の憤りは,それなりに理解できるのです.

いま,アメリカ政府によれば,サンディニスタはアメリカ合衆国に対する危険となっているとされます.これは全く間違っています.彼らが,アメリカ合衆国にどんな危害を及ぼすことができるというのでしょうか.

 

Reding:  ワシントンは,ニカラグアがホンジュラス,グアテマラなど中米諸国を不安定にしようとしていると非難しているが.

 

Figueres:  私はそれが本当の問題であるとは思いません.サンディニスタは,彼ら自身の革命が生き残れば,それだけで十分幸せなのです.「不安定化」に対する懸念は,アメリカの保守主義を反映しているに過ぎません.

私は現時点ではたしかにサンディニスタ支持派です.しかし私はこれまで親共産主義または親マルクス主義者であったことはありません.私は共産主義者が好きなように考える権利を尊重します.しかしそれと同じように,コスタリカの共産主義者がとる政治路線を,私はナンセンスなものだと思っています.我々の制度は,コスタリカ人の考えの線に沿って作動しています.それはアメリカとフランスの革命に影響を受けたものです.

しかし,あと数週間後に迫った大統領選挙で,我々はかなりの混乱に陥るかもしれません.1940年代に共産主義政権を樹立した,そのときと同じ人々(カルデロニスタ)が,今ではどう見ても反共主義者です.そして1948年の内戦で共産主義者と戦った人々が,我々のことですが,一部の人によれば親共産主義者だというのです.実にナンセンスです.しかし歴史が作られる道すじというのは,そんなものなのでしょう.

父カルデロンは,1940年代に共産党を含む連立政権を組み,社会主義的な施策を推進した.フィゲーレスを指導者とするグループは,父カルデロンの「容共政権」を倒し,親米的な社会民主主義政権を樹立した.
86年の大統領選挙には息子のカルデロンが,フィゲーレスら国民解放党と対立するPUSCから立候補し,ニカラグアとの戦争をあおる政策を打ち出した.息子カルデロンは,86年の選挙ではアリアスに敗れるが,4年後に国民解放党候補を破り,大統領に就任した.

 

Reding:  あなたは11月のニカラグア大統領選挙で,オブザーバーの一人として参加した.ここ中央アメリカで,他国の選挙システムに接したあなたの経験をお聞きしたい.

 

Figueres:  私は,ニカラグアだけではなく,中米諸国の4つの選挙でオブザーバーをつとめました.エルサルバドルで2回,ニカラグアで1回,そしてこれからホンジュラスに行く予定です.これらの経験を踏まえて,お話したいと思います.

エルサルバドルでは米国の組織の下に選挙が行われました.ニカラグアの選挙とエルサルバドルの選挙とを比べると,同じように,完全なところと不完全なところがありました.

どこが不完全かというと,これらの国はそもそも選挙という伝統を持っていません.だから選挙に必要な設備・機械が,あるべき場所にないのです.これらの選挙は,選挙制度の始めがどんなものなのかを表わしているのでしょう.

ニカラグアの選挙は,サンディニスタがおよそ2対1の差をつけて勝利しました.その結果は,欠点を抱えていたけれども,街角で私が見聞きした傾向を,かなり正確に反映したものだったと思います.私の経験でも,サンディニスタが民衆のおよそ3分の2の支持を得ていると思います.

だから,選挙の不完全さをもって,それを無効と宣言することは不公平になるとおもいます.彼らは,アメリカが支援したエルサルバドルの選挙と同じくらい,よくやったと思います.

 

Reding:  今日はモンヘ大統領が永世非武装中立の宣言をしてから二周年の記念日にあたる.中立に関するあなたの意見をお聞かせ願いたい.

 

Figueres:  中立の宣言は,現在のモンヘ政府による行動です.それはなによりも,わが国を「軍隊を持たない国」としてあり続けさせようとする我々自身の,長年にわたる努力の一環です.

我々は1948の内戦のあと軍を廃止しました.モンヘ大統領は,そこからさらに前進しました.コスタリカの永世中立を宣言し,それを国の法的な構造に組み込んだのです.私はそれに同意し,受け入れます.

 

Reding:  いまエル・ムルシエラゴで,アメリカ軍のグリーン・ベレーによる軍事訓練が行われています.これについてあなたの見解を述べてください.

 

Figueres:  それは典型的なアメリカ人の思想です.「サンディニスタをやっつけろ」という類の,信じられないくらいナイーブな方針です.アメリカ合衆国はパナマに警察訓練学校を持ち,長年のあいだ,ラテンアメリカの警察官を訓練してきました.我々も多くの若者を派遣し,コスタリカ警察幹部を作ってきました.我々はアメリカ合衆国の援助に非常に感謝しています.しかし最近の訓練においては,どうも軍事的側面が強調されるようになったように見えます.

アメリカ政府の誰かがこのアイデアを考えついたようです.つまり,ニカラグアとの国境上で,サンディニスタに何かトラブルとなるようなことをしでかそうと思いついたのです.私は,これが平和のために中央アメリカであまり役に立つとは思いません.

事実問題として,私は,サンディニスタに対するこういうやり方は,全体として間違っていると思います.たとえ,彼らがゲリラとして訓練を受け,マルクス主義に傾倒しているとしてもです.

半世紀のあいだソモサ王朝の下で苦しんできた彼らがどうすべきだったのでしょうか.そしてそのソモサ王朝は,まさにアメリカによって押し付けられていたのです.

アメリカ合衆国は,歴史上築き上げられた最も素晴らしい社会のうちの1つです.しかし,そこに常に細い1本の線,「宗教裁判」的な線がつらぬかれていることも事実です.それはマッカーシー旋風であり,ジョン・バーチ協会であり,KKK団です.私はマッカーシー全盛の時代にワシントンに行きました.それは恐ろしい経験でした.

現在,アメリカ合衆国はあの時な時代に入っています.あのときほどひどいものではありませんが,それでも決して望ましいものではありません.サンディニスタへの迫害は,まさにそういう傾向の一要素なのです.

 

アメリカが狙っているもうひとつのことが,コスタリカのさまざまな公的制度をなくすことです.そして我々の持っている経済のずべてを実業家の手に渡してしまうことです.我々の社会保険,我々の国営化された銀行,我々の国営化された電力会社を廃止することです.

政府が保有する会社は決して多くはありません.しかしそれらは民間人が運営するにはあまりに大きすぎます.アメリカはこれらの会社を民間に売却するよう,我々に強制しようとしています.それは,会社をコスタリカ国内の金持ち連中,あるいはアメリカやヨーロッパ人の会社に譲渡することを意味しています.

我々は,全力を挙げて反撃しています.

レーガン政府の態度は,アメリカにおける極端な保守主義の周期的な再現といえます.この政府は,我々のやり方を否認しています.我々は,こんな合言葉で社会を建設してきました.「すべての生徒に机を,すべての病人にベットを」と.この種の社会は,合衆国の現在の大統領の好みの言葉を使えば,干渉主義の国家と呼ばれます.あるいは全体主義国家でさえあります.

 

Reding:  あなたがたの国内の事が,レーガン政府によって干渉されているというように取れる発言だが.

 

Figueres:  そうです.間違いなく善意であるけれども.

レーガン政府は,商人にすべての経済をゆだねるならば,我々がより裕福になると信じています.彼らは商人を民間企業と呼びます.そしてアメリカ人の耳にもっと心地よく聞かれるように,それを自由市場と呼びさえするのです.なぜなら自由とは何であってもすばらしいものだからです.

それは違います.小規模の民間企業と,特定のセクターにおける政府機関との結合こそが正しいと,我々は信じています.我々の社会の中で,全ての農業は農民によって所有されなければなりません.それは全ての中小企業,小規模産業が私的に所有されなければならないのと同じことです.

しかし電力にしても電話にしても,国内の実業家の手には余るものです.私は,コスタリカの保険システムが金持ち連中に手渡され,ビジネスに転換する姿など想像もできません.それは合衆国では問題ないかもしれません.しかし,我々の経済の大きさを考慮すると,電話会社のような大手企業は,国営として残らなければなません.

アメリカ実業家は,歴史上もっとも生産的な経済的システムを発展させました.それは賞賛に値することです.しかし彼らは哲学者ではありません.彼らに社会全体の制御をゆだねることはできないのです.

彼らが欲するものは結果です.彼らがもとめるものは速やかな利益のみです.我々は,民間ビジネス反対派ではありません.我々はアメリカのビジネス界を賞賛しています.しかし,我々はアメリカのビジネスが我々の政治を支配するのを望みません.

 

Reding:  国民解放党のアリアス大統領候補のキャンペーンの席上,あなたはコスタリカ経済にとって協同組合の重要性を強調している.これについてお聞かせ願いたい.なぜ,協同組合はコスタリカの発展にそれほど重要なのか?

 

Figueres:  私は,協同組合運動は資本主義とマルクス主義との間の統合であると信じています.そして偶然にも非常によくここコスタリカで機能しています.

私はこの結果について非常に満足しています.20年から25年前,協同組合をはじめたとき,じつは私は「協同で働く」ということへのコスタリカ人の能力について,全く懐疑的だったのです.しかし,その予想は裏切られました.協同組合は多くの人々(特に小農)に本当の商業ベースの企業管理に参加する機会を与えました.

以前は,一人の所有者に支配された封建的な制度が支配していました.今ではその分野で,農民の集団が一定の決定権を持つようになっています.彼らは,彼ら自身の社長を指名します.彼らは,どうしてものに勝手な値段がつけられるか,その理由を知っています.彼らは知っています.その利益がどこに行くのかを.

私は,協同組合システムを,国民のための教育の手段だと見ています.それは,コスタリカの制度的体系と呼ぶものの,ひとつの部分です.それは,利己的な利益追求システムに対する長期の闘いを通してつくられたものです.

 

Reding:  あなたは,中米地域の平和のための移動大使のような存在になっている.あなたが達成した実績はどんなものか.

 

Figueres:  2,3ヵ月前,危機の瞬間が訪れました.ラ・クルシタス事件です.

それは,コスタリカとニカラグアの国境近くの町で起きた国境紛争のひとつでした.ある人たちは,ニカラグアがこちらに侵入しようとしたと言いました.そして,コスタリカ人が境界を越えれば,殺されると言いました.

そこで,民主的労働運動のリーダーたちは,コスタリカ政府の要望を振り切って,境界を横切ることに決めました.横切ったときに何が起きるのか確かめるためです.そして,私も彼らに加わりました.

我々は国境の川,リオ・サンファンを渡りました.そのときサンディニスタは叫びました.“ビバ・コスタリカ!” 起こったのはそれだけでした.人々が言っていたようなことはまったく起こりませんでした.それどころか,我々は本当に歓迎されました.サン・カルロスへ着いた時,我々は友人のように迎えられました.

これまで多くの戦争が神話によって作られてきました.人々はその神話によって,あなたの敵に変えられるのです.

 

Reding:  コンタドーラ和平交渉で最近問題が起きている.あなたの見方では,何が問題の原因なのか.

 

Figueres:  コンタドーラは非常に価値のある活動だと思います.それは,中米地峡が抱える現在の問題を,平和的に解決するための助けになっています.

現在までのところ,それはあまり成功したとはいえないかもしれません.しかし,少なくとも,それは一種の平和を維持してきました.それは人々を対話させ,交渉させ続けてきました.

しかし,私は問題の根はもう少し深いと思います.平和の問題だけではなくて,経済や社会福祉の問題も,そこには含まれているのではないでしょうか.コンタドーラは,正しい方向への一歩です.それは尊敬と感謝に値するものです.

コンタドーラ・グループ
中米の和平と自主的解決を目指す,メキシコ,パナマ,ベネズエラ,コロンビアの4カ国グループのこと.83年パナマの保養地コンタドーラ島で最初の会議が行われたことから,この名がつけられた.
何度かにわたり和平案を提示したが,85年秋の提案では,アメリカに妥協する形で,ニカラグア政府にコントラとの直接対話を迫った.このためニカラグア政府の拒否に会い,活動が一時頓挫した.
まもなくニカラグアは,この提案を受け入れ,この線で中米首脳会談,そしてエスキプラス合意へと進展していくことになる.

 

Reding:  評論家の中には,ニカラグアはコンタドーラの新提案を拒否したことで間違いをしたと主張する人がいる.あなたはこの見方に同意するか.

 

Figueres:  いいえ.そうは思いません.

ニカラグア人は,非常に特別な状況に直面しています.彼らは,あらゆる方面から侵入されています.アメリカ政府は,その共謀者に対し明からさまに共謀者にお金を与えています.そして,中米諸国の大部分を,その傭兵に変えています.これは,とても道理に合わない.

私はこのことを取り上げるのが残念です.なぜなら私は,合衆国を批判する側に立つのを好まないからです.しかしニカラグアに対するアメリカの態度は,一言で言って大きな歴史的間違いです.

 

Reding:  いまアメリカとの間に軍事援助,要員・顧問に関する交渉が進んでいる.どんな合意でも,米国の行動を規制する方向で確認されなければならないと思っているか?

 

Figueres:  まさにその通りです.

今はみんな,熱くなっていますが,少し冷静になれば,おそらく,サンディニスタの貢献はもっと認められるようになるでしょう.私は生涯ずっとニカラグアとお付き合いしてきました.でも,今ほど国民のことを気にかけている政府を見るのは初めてです.

アメリカ共和党が,全体として,サンディニスタに対してこのように敵対的であることは,あまりにも不当です.

 

Reding:  あなたは,もちろん,民主党議員の大多数もサンディニスタに非常に敵対的であると理解していると思うが.

 

Figueres:  はい.しかしそれは無知からです.彼らはラテンアメリカで起きていることについて,ほとんど何も知らないのです.どのようにすれば,彼らがより多くを知ることができるでしょうか.まずこのことは心に留めておくべきでしょう.

数年前まで,アメリカ政府は,当たり前のようにラテンアメリカの独裁政権と軍隊を支えてきました.合衆国は,半世紀の間ソモサを維持しました.

なかでも最悪の大失敗のうちの1つは,中央情報局にグアテマラ政府の転覆作戦を許したことです.1954年,グアテマラのハコボ・アルベンス大統領はこうして倒されたのです.

1953年,時のグアテマラ大統領ハコボ・アルベンスはアメリカのバナナ会社ユナイテッド・フルーツ社が持つ広大な土地の一部を接収した.ユナイテッド・フルーツ社の抗議を受けたアメリカ政府は,CIAに命じ,武力によりグアテマラ政府を転覆した.グアテマラ年表を参照のこと.

 

Reding: 民主主義の勢力を中央アメリカで援助するために,アメリカ議会はどうすれば,より役に立つことができるだろうか?

 

Figueres:  とにかく,コントラにお金を与えるのをやめるべきです.

彼らはますます腐敗を強めています.そして,罪もない普通の市民を傭兵に変えています.そして,日々我々全員を,おたがいに独断的な考えに追い込んでいます.

コントラを支持することは,合衆国にとって破滅的な過ちです.なぜなら大部分のラテンアメリカのひとびと,おそらく人口の80ないし90パーセントのひとがサンディニスタ支持派だからです.

唯一の例外が,ここコスタリカです.ここは非常に親米的な国です.その責任の一部は私にあります.私は合衆国との友情を説いてきました.そして,今でもそうし続けています.残念ながら現在の共和党政府とは,この問題では一致できませんが.

緊迫したその場の空気,その時代の雰囲気が,ぴりぴりと伝わってくるような,中身の濃いインタビューです.フィゲーレスはさすがに大物たぬきです.一言一言が計算しつくされて,無駄がありません.親米反共を強調しながら,決め所はピシッと決めて来ます.

 

 

 

ダニエル・オドゥベル・キロスとの対話

コスタリカ大統領(1974-1978)

現在は国民解放党の幹部

 

 Reding:  国民解放党の起源は何か.その立場はどんなものか?

 

Oduber:  国民解放党は,1951年に建設されました.

その起源については,それまでのいろいろな政府との関連で理解されなければならないでしょう.

1869年から1940年まで,コスタリカは継続してリベラルな政権の下にありました.それらの政府は,重要な政治的前進を成し遂げてきました.しかし,彼らは社会的調整と経済的発展を疎かにしていました.

1942年,当時の政府は国民共和党(ラファエル・アンヘル・カルデロン・グアルディア党首)とキリスト教民主党の連立政権でした.この政権は,共産党を加え「勝利のためのブロック」を形成しました.そして重要な社会的立法を成立させていきました.しかし,それらの社会的立法は紙の上だけのものでした.なぜなら,それに対応する経済的再編成がまったくなされなかったからです.

「勝利のためのブロック」は,1942年,1944年,そして1946年の選挙で干渉を続けました.最後に,ブロックが1948年12月の大統領選挙で,彼らにとって好ましくない結果を無効と宣言したとき,革命は動きはじめたのです.

新しくつくられた大学の学生たちは,ホセ・フィゲーレスのもとに結集しました.彼らはゲリラ兵士となり,より純粋でより活発な政治的民主主義の建設のために戦いました.

革命家たちは革命後作られた暫定政府(1948-49)を利用しました.先ほど述べたように,経済を再編成して,前政権の作成した社会的立法に,経済的裏づけとより確かな現実性を与えるのが目的でした.

それから,1951年に,社会民主主義的な思想家,民主的労組の指導者,農民組織などが参加して国民解放党が結成されました.それは主にホセ・フィゲーレス,そして1940年代の学生たちの社会民主主義的な理想主義の影響をうけていました.

党は,自由主義についてこう考えました.それは1948年以前にもコスタリカの政治的分野で大きな仕事を成し遂げた.しかし,国にとって必要な経済的再編成を行ってこなかったと.

 

Reding:  「経済的再編成」とは何を意味するのか?

 

Oduber:  以前の伝統的な自由主義者は,少数者への富の集中という問題に立ち向かいませんでした.コーヒー大名,銀行家,そして電力,輸送,バナナ業界などを操る外国の会社がそれです.革命評議会は,そのようなものすべてを再編成することに決めました.そして,一連の重要な調整をおこないました.

評議会は銀行を国営化しました.ユナイテッド・フルーツ社に税金を払わせました.そして電力会社,電話会社,鉄道会社を国家の管理の下に置きました.

国家は強力なものとなり,それにつれてきわめて活発になりました.評議会は社会民主主義の理想に基づいて経済を組織し指導しました.しかし同時に,民間企業のための十分な場所も維持されていました.

我々は,メキシコとコロンビアの伝統から影響を受けました.アルゼンチンの実験にも影響されました.そしてルーズベルトのニューディール,ヨーロッパの社会主義者,特にフェビアン協会や英国労働党に学びました.さらにスペインでの第二共和制の社会的考えによって影響されました.

しかし,我々が主に影響を受けたのはペルーのアプラ党の指導者ビクトル・ラウル・アヤ・デラトーレです.「ラテンアメリカは独自の革命を実行しなければならない.共産主義のスローガンや輸入された理論をコピーしていては駄目だ」という彼の主張は,私たちの世代の確信となりました.

デラ・トーレは「ラテンアメリカの歴史は,資本主義の思想,そしてマルクス主義のイデオロギーをつくり出したヨーロッパの産業社会とは全く異なっている」と主張しました.

アヤ・デ・ラ・トーレ
ペルーの社会主義運動家.20年代初めに学生運動を展開しメキシコに亡命.知識人と農民の団結を中心にすえたアメリカ人民革命同盟(APRA)を結成.
30年にペルーに戻り,大統領選に惜敗したあと武装蜂起を指示.その後亡命,帰国を繰り返す中で徐々に穏健化.

我々は改めて仔細にコスタリカの歴史を見直しました.そして,コスタリカの歴史的経験を最も正確に反映した政府,社会,経済発展の形態とはどんなものなのかを考え,選択しました.そういう意味で,我々は他の党と比べてより国民的であると確信しています.我々の党が「国民」という冠詞をつけたのはそういう意味です.

 

Reding:  現在の経済危機は,コスタリカの民族自決の過程にどのような影響を及ぼしたか?

 

Oduber:  モンヘが1982年に大統領に就任したとき,私たちは国家がすでに破産しており,もはや借金もできなくなっていることを発見しました.

そこで,3年以上の間,政府はなんとかして資金を集め,国を立て直そうと努力してきました.

今日,これらの資金の大部分は直接アメリカ政府から来ています.アメリカ政府は援助資金に紐をつないでいました.その紐とは,アメリカ型の経済モデルがコスタリカに適用されることです.

たとえば,ワシントンは我々の経済における国家統制を破壊したいと望んでいます.だから国立銀行に安いローンを提供する代わりに,アメリカは個人銀行に低利の融資を行います.親愛なるコスタリカのお得意さまに,好条件で資金を貸し出すためです.

いっぽうコスタリカの銀行は,国家企業にはただの1セントも貸しません.なぜならもしそんなことをすると,アメリカ国際開発局(USAID)がコスタリカへの援助を止めてしまうからです.

この種の紐つき援助は,我々に重大な問題を引き起こしています.たとえば,かつて我々は「進歩のための同盟」を経験しました.それは農業改革を援助して,国力の充実を図るためのものでした.しかし,別のグループが政権に就いたとき,突然,我々のローンには条件がつけられました.その条件とは「進歩のための同盟」を通して達成したものを,まさに破壊することだったのです.

「進歩のための同盟」は,国立銀行を助成することで我々を大いに助けてくれました.しかし,今日の援助は,国立銀行の破壊を条件にしています.我々は,これに反対です.

コスタリカは自ら国を再建しようとしています.それを他の国が援助することは結構なことです.しかしその際,コスタリカ人が自ら判断を下すことが認められなければならなりません.外部からいろいろなモデルを導入するよりも,どんな種類の社会を持ちたいのかという国民の願いが優先されるべきです.

 

Reding:  ホセ・フィゲーレスは協同組合を,資本主義とマルクス主義を統合するものだと述べている.コスタリカにおける協同組合の役割について,あなたの見解をおきかせ願いたい.

 

Oduber:  コスタリカに協同組合の理想を持ち込むことによって,我々はスカンジナビアにおける社会民主主義の経験を模倣しようと考えました.

我々は混合経済に関してこう考えています.それは資本主義的な民間のイニシアティブと,社会的正義の「いいとこ取り」だと.我々は発見したのです.これらの2つの目的を実現しようとして社会を組織した場合,協同組合こそが最高の方法であるということを.

もちろんレーガン政府はこれに同意しません.我々が協同組合について話しているあいだ,レーガン政府は民間企業について話し続けます.そう,それが,レーガン政府に関して,今日の中米では一番の問題なのです.

彼らは民間企業について語るとき,アメリカ風資本主義のあり方を念頭においています.しかしそれはコスタリカにとって最高のあり方ではないと思います.

 

Reding:  コスタリカのメディアは,ニカラグアに対する恐怖を助長するような宣伝作戦を展開しているように見える.あなたは,どう思うか?

 

Oduber:  もちろんそう思います.

全てのメディアのオーナーは,保守派です.彼らは,アメリカの考えを感じとり,それに従っています.しかしいつも,現実のアメリカの路線よりさらに攻撃的であることが多いのですが.

彼らはある意味でウルトラです.なぜなら彼らは米政府当局の要望や勧告のラインを超えて突っ走っているからです.ニカラグア問題で,アメリカの歓心を買い,その支持を確実なものにしようと狙っているのです.そしていま,彼らはニカラグア問題をコスタリカ国内の政治的問題にとり込むことによって,私たちの党を破ろうとしているのです.

我々は,平和に生きたい.ニカラグア人がこれほど石頭でなかったなら,我々はこれまで通り,善隣的な関係を保っていたでしょう.

 

Reding:  あなたの国は,公式に出版の自由をうたっている.なぜお互いの考えが自由に交換できないのか?

 

Oduber:  それは,あなたが何を出版の自由と呼ぶか次第でしょう.

私は,こう考えます.コスタリカでは,ラテンアメリカのどの国よりも出版の自由が徹底しています.しかし,出版された内容は出版社の社主の思想や要求に沿ったものとなっています.そして,コスタリカの民衆の要求に沿ったものとはなっていません.

たとえば,私が平和を擁護するゆえに,新聞が私を攻撃したとします.その攻撃は第一面または社説ページに大きい見出しで登場するでしょう.そこで私が私自身を弁護しようとすれば,私の反論は新聞の奥深くに隠されます.そこには公平さがありません.市民は新聞,ラジオ,テレビで同等のアクセスも反論権も与えられていません.

 

Reding:  メディアが国民の主流から右の方に外れたのなら,どうして,除外された大多数の見方を表すような新しい新聞やテレビが作られないのか?

 

Oduber:  それは破産してしまうからです.

我々は,これまでしばしば試しました.問題は,メディアの所有者が,メディアに広告を出す側と同じ種類の人々だということです.彼らは広告の掲載を取りやめる.それだけです.広告なしで,新聞は生き残ることができないのです.

同じことは,今日,多くの民主主義国において起きています.最近ユネスコで起きた事件は彼らの態度を反映したものです.そのような態度が第三世界の国々を極端な政策的立場に導くのです.我々は,何かがこのことについて,なされなければならないと思います.

1985年,レーガン政府は国連の教育機関であるユネスコが,反米的であるからという理由で,脱退を通告しました.似たような理由で国連そのものへの拠出金も支払わなくなっています.このためユネスコは深刻な資金難に陥っています.

メディアの所有者は気づかなくてはなりません.彼らが今していることが,メディアへの攻撃を誘発していることを.

 

Reding:  あなたは懸念を共有している.マルクス・レーニン主義者の拡張主義が中央アメリカ,そして特にコスタリカを狙っていると.

 

Oduber:  それは我々を悩ませています.しかし,だからといって,我々の中米諸国のどこかに外国が干渉することを支持するものではありません.

私の考えはこうです.我々は,コスタリカ人自身の生活の中に,民主主義を守るための必要条件を作り上げなくてはならない.なぜならそれは我々が選択したからです.それは,国民に社会正義を付与することを通じてのみ可能です.

だから,コスタリカで社会正義のために戦うことによって,私は共産主義と戦っているのです.これが,共産主義との戦いについての我々の理解です.

 

Reding:  あなたの政府は,コスタリカで国立公園システムを確立した.特にあなたの国が熱帯分野では数少ない国であるため,あなたの天然資源を保存する姿勢は,世界的な注目を浴びた.

 

Oduber:  社会主義者(私は,社会民主主義者である)として,私は,美しい自然は少数者のためにではなく,誰にでも与えられるべきものだと思います.

私は,「保護」を強調しました.コスタリカの将来の世代と喜びを分かつためです.その自然は,私が子供のときや青春の時代に享受したものと同じでなくてはなりません.

そのために,私は働きました.国立公園だけでなく,国中の保安林や野生生物の生息地など,すべてのものをとっておくためにです.こうして保護されている地域は,現在国土の8パーセント以上に達しています.それは世界でも屈指の割合です.

私は,自然保護区を回る観光旅行を発展させなければならないと考えています.それはいわば科学ツァーとも言うべきものです.コスタリカに豊かな国から学生,教師,自然愛好者を引きよせたいと思います.単純な質素な住居ですが,全国どこでも,自然を楽しみにくる人々のために宿を提供することができます.

 

Reding:  植物相と動物相の素晴らしい多様性,そして熱帯多雨林.コスタリカは南北アメリカ大陸の架け橋の一部として重要な役割を演じている.そのような役割は,どのようにコスタリカの発展に関与したか.

 

Oduber:  我々は,米州の文化的な通路の中央にいます.文化は,ここを横切って北に,そして南へと交換されてきました.だからここは非常に人間の文化の産物に富んでいるのです.たとえば翡翠や金細工その他があります.

我々はまた幸運にも,地峡において最も高い山の連なりを持っています.したがって,ここにはありとあらゆる気候があります.そして,ありとあらゆる生物が生きています.

人類にとっての通路というだけではありません.何百万年にもわたって,さまざまな植物,動物がここを通過していきました.その結果,幅100マイル長さ400マイルの,この小さい国が,驚くほどの気候と生物の多様性を持つことになり,科学的な見地からも重要なところとなったのです.

これが,我々が領土をできるだけ,そのまま保存したい理由です.こうして国土は研究の対象となり,人々に楽しみを与えるのです.

 

Reding:  コスタリカの自然が世界的な財産だとする考えが広がりつつある.そして自然保護を確実なものとするためには,その国の政府にだけ任せておいてはならないといわれるようになっている.その国の非常に限られた財源では,完全な保護は困難だからだ.

 

Oduber:  我々には味方がいます.彼らは,非常に激しく国際戦線で戦っています.それは,まさにあなたが言っていることに気づかせるためのたたかいです.

我々が持っているこれら全ての財産を守ることができるなら,それは世界的な利益です.従って,私はまさにこの目的のために米国の公的機関,あるいは民間機関に援助を求めてきました.

もちろん,援助をひきつけるための最も重要な条件は,コスタリカが平和な国であるということです.それは人々を引きつけ,来てもらい,我々の自然の財産を楽しんでもらうためにも必要なことです.

それは,我々が中立でなければならない理由です.それは,我々が軍隊を持たない理由です.だから,私の考えは,世界におけるコスタリカの役割についてのグローバルな概念なのです.

我々は非常に小さい,しかし我々はひとつの実例でありえます.スイス,オーストリア,そしてスカンジナビアの国のような,平和,正義,そして,美しさのために戦う社会の実例となることができるはずです.

私が,もっと注目されてよい人物と述べた理由がお分かりでしょう.矛盾に満ちた1948年の「革命」の心情的背景が少し分かりかけてきたような気がします.うっかり口を滑らせているように,彼は社会民主主義者ではなく,どうみても社会主義者です.
たしかにフィゲーレスの子分ではありますが,国民解放党の一方の翼を担う人物でもあります.言葉を変えると,国民解放党という組織はそういう二重の性格を持っているということかもしれません.なお,オドゥベル政権の下で経済企画相をつとめたのがオスカル・アリアスです.

 

 

ロドリーゴ・カラソ・オディオとの対話

コスタリカ大統領(1978-1982)

民主改革党の指導者(民主改革党は今日のキリスト教社会統一党の前身)

平和大学の総長

 

Reding:  ラテンアメリカでのなかで,今日のコスタリカが持つ特殊性は,どんな歴史的要因が貢献しただろうか?

 

Carazo:  コスタリカは,幸運だったと思います.

ちょうどスペイン人が暴力的征服を擁護する論理に対し疑問を抱き始めたときに入植が行われたからです.コスタリカに入植した人々は,もはや征服者ではありませんでした.彼らは,穏健な感覚,そして社会的責任感を保ったまま入植しました.だからそのやり方はとても紳士的で人道的なものでした.これは,コスタリカ人が非暴力的態度を発展させる上での大きな要素になっています.

コスタリカには,きわめて少数の先住民しかいませんでした.自然資源と人的資源の不足は,大きな財産をかき集めることを妨げました.このことは,疑いなく,個人の価値を金銭的価値の上に置く社会的階層を生み出しました.それはまた,「コスタリカの農業民主主義」と呼ばれるものを生み出しました.

それぞれが自分の土地を所有している家族,そして,基礎的な必要を満たすために,自分たちの土地を耕している各々のコミュニティ.これが農業民主主義の基礎です.その上,コスタリカ人は大規模なプロジェクトを遂行するときも,自身の努力にのみ頼ってきました.

1601年に,彼らはパナマとの間にラバによる通商路を建設しました.これにより皮革を輸出して,国際市場でものを購入をすることができるようになりました.彼らは外部の援助なしでそれをなしとげたのです.

当時のコスタリカ人は,こうやって誇りと自立の精神を発展させました.何世紀にもわたるコスタリカの発展における,重要なもう一つの要因は家族でした,それは,社会のベースを作り,子供たちの教育において重要な役割を果たしました.

それは非常に独特な教育です.そこでは,家族とコミュニティに対する尊敬が強調されました.人の持っている力ではなく,人間としての資質に対する尊敬が強調されました.

結局そこには,金銭のパワーも武装したパワーもなかったからです.何とか自立するようになった瞬間から,コスタリカ人はみずからの学校の創設に懸命になりました.

この努力は,19世紀の間に勢いを増しました.こうしてコスタリカ人は,他人の権利を尊重し,知的・文化的発展により限られた条件を克服しようとしたのです.それで,コスタリカ人は,対立を対話によって解決する気風を養い,平和な環境を発展させたのです.

議論は,対立を解決するためにコスタリカ人によって使用される主要な方法であるといえます.支配や征服という概念は,そこにはありませんでした.昔からコスタリカ人がそれぞれのコミュニティの間の関係を発展させてきたこと,そして各々のコミュニティのメンバーがそれを承認してきたことで,他人の権利を尊重するという社会の核心となる基礎が形成されたのです.

このようにして,現代的な民主主義の大きい原理を受け入れるために理想的な風潮が出現したのです.コスタリカ人は文化による民主主義者といえます.彼または彼女が日々を生きていく知恵によって,そして外部からもたらされた,選挙やさまざまな思想・法体系によって,民主主義が保障されているからです.

これらの立場は,すでにコスタリカ人の発した最初の立憲文書にも反映されています.

 

Reding:  コスタリカの歴史は,軍隊に対するあなた方の態度に,どのように貢献したのか?

 

Carazo:  我々が高い優先度を教育に置くので,問題の解決を暴力にもとめる人々はバカにされます.武器の使用は,拒否されます.

他の社会では,軍服を着て武器を身に着けている人は誰でも,社会的立場を保障されます.コスタリカで,それはそうではありません.

我々は,軍隊にほんの数回だけ頼ったことがあります.最初のものは,1850年代に起きたウィリアム・ウォーカーによる中央アメリカへの侵入です.コスタリカ人は,これに介入する義務があると感じて,強力な軍を組織しました.

しかし,ウォーカーが拒絶され処刑されたあと,彼を破った軍人たちがあとに残りました.軍隊は,ファン・ラファエル・モーラ大統領を銃殺隊の前に立たせました.モーラその人こそは,ウォーカーと対決した人物だったのです.そして長年続いた軍による支配が長年続きました.19世紀の残りの大部分は,軍の独裁が押しつけられました.

1889年に,民間人支配の社会に復帰し,それ以降,軍の重要性は失われました.それでも,この軍国主義の感情の影響が残っていました.それが1917年からのフェデリコ・ティノコ将軍の2年の独裁となりました.

この感情は第二次世界大戦の間にふたたび増強されました.ラファエル・アンヘル・カルデロン・グアルディアの政府が「機動隊」(Unidad Movil)を組織したときのことです.この「機動隊」は戦時緊急援助の名目でアメリカから軍事援助を受け創設されたものです.

機動隊は,組織者であるカルデロン一派が政権を握り続けるための,軍事装置とみなされるようになりました.それは,1948年に選挙を無効にした政府自身にとって大きな励ましとなるものでした.

幸いにも,1948年の革命は,機動隊の強化を防ぐことになりました.もしそれが分解されなかったら,コスタリカの歴史は,異なっていたでしょう.そして,他の中米諸国のように,我々も軍国主義の国になっていたでしょう.つまり,1850年代から現在まで,コスタリカの市民的伝統と軍国主義的感情との間に緊張が続いているのです.そしてその緊張は軍の側の事情から生じています.

1949年に,我々は軍を廃止しました.これが敗軍でなく勝利者による選択であったことを思い起こすことが重要です.今日,私自身を含め,人々は完全に確信しています.軍を組織する国は,それ自身がその虜になることをです.だからコスタリカ人は再軍備に対して非常に慎重になるのです.

最近,軍事顧問が招かれ,市民警察のの若干の部分を軍隊化しようとしています.コスタリカ人は,ふたたび武器がコスタリカの権力を支配するようになる可能性に,心を奪われています.

 

Reding:  今日,これらの部隊は稲妻大隊と呼ばれ,グリーン・ベレーによって訓練されている.訓練地は,あなたがソモサから没収したエル・ムルシエラゴ(Murcielago)農場だ.

 

Carazo: はい.その通りです.

1948年の戦争のときの「機動隊」は,今日の稲妻大隊と非常によく似ています.両方とも,まったく普通のコスタリカの農民が,軍事訓練を受けてた結果,市民としての意識を捨て去ってしまいました.機動隊は,ニカラグアのソモサ,あるいはホンジュラスのカリアスが作った軍事組織と類似したものに変わっていきました.

稲妻大隊のような組織は,何か活躍するような時期が来る前に解散させなければなりません.軍国主義の精神は伝染病のように広がっていきます.それは健康な体にさえ影響を及ぼします.コスタリカは健康な体ですが.しかし,病気が外部からもたらされ,それによって人々が病気になるならば,武装することは戦うことではなく,他の中米諸国とは違うのだと,彼らが思い始めるならば,我々は,破滅的な軍国主義への道をたどることになるでしょう.

他の国は武器に依存するようになりました.それに対して,我々は非武装に生きることを学んできました.コスタリカと他のラテンアメリカの国との間の基本的違いは,そこにあります.コスタリカ人は,文化的な精神を養ってきました.それは軍国主義と暴力に著しい対照をなす精神です.

その精神は,さまざまな対立にたいして平和的な解決を見出すことができます.そして他者の権利を重んじることができます.この精神は,2つの理由のために生き残り,花を咲かせました.

ひとつは,教育がそのような態度を促進したことです.そして第二には,思想を強要するための武器がない場合,残される唯一の武器が良識だからです.

 

Reding:  アメリカの外交政策の権威は,コスタリカ自身の言うところにしたがってコスタリカを理解することがなかなかできなかった.アメリカ政策担当者は,東西対決という枠の範囲内でしかコスタリカを評価できないようだ.それとも,彼らがコスタリカの独自性を理解できるという証拠があるだろうか?

 

Carazo:  アメリカ政策担当者のコスタリカの見方と,私の見方との違いは,非常に簡単で,あなた自身の言ったとおりです.

彼らにとって,ここは「裏庭」です.私にとってここは“リビング・ルーム”です.私の心臓であり,私の生活の中心なのです.

いわゆる防衛,あるいは国家安全保障の理由で,ある種の人たちをこの地域から遠ざけたいとします.そのために「裏庭」を爆破することになれば,それは,私のリビング・ルームを爆破することになるのです.

アメリカの政策担当者は,重大な問題を抱えています.彼らはラテンアメリカを知りません.何人かはここに来て「エキスパート」になります.しかしちょっとだけです.大多数は,詳細な知識がないために,正しく我々の状況を評価することができないのです.そこで彼らは,非常に一般的な「背景」情報から都合のよいところを選んで,適当に並べて見せるのです.

アメリカの政策担当者は,ラテンアメリカを,まるでそれが単一の存在でもあるかのように扱います.しかし,各々の国は異なります.そして,これらの違いには歴史的な理由があります.

我々コスタリカ人は合衆国の親友です.なぜなら我々はこれまで侵入されことがなかったからです.しかし海兵隊員の介入と進駐を受けた国は,あなたの友人ではありません.

なぜ,コスタリカはラテンアメリカにおけるアメリカ合衆国の最高の友人なのでしょうか.それは,あなたがたがずっと我々を尊敬してくれてきたからです.しかし最近,私は感じるようになりました.あなたがたが我々を尊敬するのを控え始めたのではないかと.

いつから,あなたがたはそうし始めたのでしょうか.いつからあなた方は,私の国を買いとることができると考えるようになったのでしょうか.いつからあなたがたは,この国の防衛は我々の警官隊を軍隊のように訓練することでのみ維持できる,と考え始めたのでしょうか?

この国の価値は,そのようなちっぽけなものではありません.あなた方が我々の政府にくれる金よりはるかに価値があります.それは,稲妻大隊の防衛能力などよりはるかに有力です.

この国は,合衆国のより良い友人でありつづけるでしょう.私が個人としてそうであるようにです.ただしあなたがたが我々に手出しをしない限りにおいてです.なぜなら,私が自由で対等だと感じたときだけ,私はあなた方と親しくなることができるからです.

友情がお金を受けることによって成立するのなら,それは欲得しだいの友情か,たがいに気の抜けない友情となるでしょう.何人かは欲得づくの友人もいるでしょう.なぜなら,彼らはお金のためには付き合う価値があると考えているからです.他の人は , 私のように,疑り深い友人になるでしょう.なぜなら私はただでお金を受けるようなことはしたくないからです.

私は,私たちの国の産物の価値に見合った価格を欲します.お恵みはいりません.私は,価値がある友人でありたい.買われた友人になりたくはありません.現在のアメリカの政策は,この国との友情を失わせることになるかもしれません.

その上 ,兵士を訓練することによって,あなたがたは弾圧の基礎をこの国に置こうとしている.あなたがたが,このことに固執するならば,あなたがたは,その結果,つまり反動,暴力,反乱などについて不満を言う立場にはなくなるでしょう.

 

Reding:  あなたが示したように,民主主義をささえる社会経済的基盤がなければ,単に形式的面だけ整えても,民主主義は機能しない.このことを念頭において上で,コスタリカの現在の経済危機の出口はどこにあるか?

 

Carazo:  我々の側の世界にとって今必要なのは,自由に競争に参加できるような,ひとつの構造上の変化です.

国際市場で,生活必需品の欠乏がすでに現れています.たしかに,必需品には適正価格というものがあるでしょう.しかし,その価格が適正であったとしても,それを購入して,生き残っていくことは,もう我々にはできなくなっています.

他にも問題があります.各日,連中は新たな発見を述べ立てる.牛肉は,あなたの健康に良くない.バターには,コレステロールが多い.ミルクは,あなたを太らせる,そして,喫煙はあなたを殺害する.つまり,我々が生産しているすべてのものが毒である!コーヒーは毒である,砂糖は毒である,牛肉は毒である.

どのように,我々は生き残ったらよいのでしょうか?

我々は,構造改革を実施する必要があります.それなくして我々が国際競争に参加することはできません.たとえば,我々は緊急に我々自身のコンピュータ・ソフトウェアの作成に投資する必要があります.それによって,我々は経済的発展に,もっとうまく付いて行けるでしょう.

我々は緊急に,放送周波数のよりよい利用に着手する必要があります.国際周波数合意により我々に割り当てられた帯域を有効に利用し,利益を生み出さなければなりません.

 

Reding:  あなたはコスタリカ大統領としての立場から国際通貨基金(IMF)と世界銀行に接触した経験がある.その観点から,あなたのこれらの機構に対する評価を.

 

Carazo:  国際通貨基金は,その所有者である先進諸国の秩序に従います.それが現実です.

我々は,我々を傷つける人々と親しいはずがありません.私はIMFを信じません.それが主に金融問題にのみ関心を持ち,社会的問題には無関心だからです.

IMFの行動は,ラテンアメリカでの全ての革命を集めたよりもっと重大です.IMFは,ラテンアメリカであらゆる民主主義を危険にさらしているからです.IMFは,主要国の財政的な利益を弁護するためなら,ラテンアメリカの社会的安定性を完全に破壊することもできたでしょう.合衆国は,ラテンアメリカの対外債務返済計画がどうなろうと,それで死ぬこともないし,不可逆的な障害を残すこともないでしょう.

記憶に留めておくべき事件があります.コンチネンタル・イリノイ銀行の破綻事件です.それは全コスタリカ債務を上回る規模のものでした.しかしこの場合には,アメリカ政府は解決策を発見しました.しかしこの国にはそんな可能性はありません.IMFがわが国の債務を扱う限り,決してそんな解決策はありません.

次に世界銀行に関してです.1981年,私が大統領だったとき,世銀の代表が提案を持って私のところに来ました.コスタリカの外貨不足問題について,彼らはこう話しました.コスタリカ人は肉を食べるのをやめるべきだと.より多くの外貨を得るためには,生産した肉を全て輸出しなければならない,というのです.

もし私がまじめにこの提案を実行したら,おそらく反乱が起こったでしょう.私は,コスタリカ人にこう言います.“聞け,我々は肉をもはや食べることができないぞ.全ての肉屋は閉鎖だ.我々の肉は,すべてアメリカのセニョールが食べることになったんだ.

どうして,世界銀行が友好国に,そのようなことを提案してしまえるのでしょうか.その国は,世界のなかでもこんなに難しい場所にいて,しかも重大な問題を抱えているのにです.

しかしレーガン政府の政策担当者は,自分が何をしているのかさっぱり分かっていないのです.理由は簡単,我々のことを知らないからです.非常に重要な米政府当局者と,あるカクテル・パーティーで出会ったことがあります.彼はいいました.「いつかあなたの美しい島を訪れなければならないでしょうね」

私はしかたなしにこう言いました.「その分では,あなたはとても我々の国を訪問できないでしょう.コスタリカは島ではないのですから」

きっと彼は,途中で道に迷うでしょう.アメリカ政府の高級幹部ですよ,これが!

いっぽうには,「カリブ海構想」を推進することになった専門家がいます.

カリブ海構想(Carribean Basin Initiative)
85年にレーガン政府の提唱した,中米・カリブ諸国の経済発展計画.地域の政治的安定のため,一定の経済援助をふくむ開発プログラムを提案.しかしケネディのときの「進歩のための同盟」とは異なり,援助規模は小さく,援助の多くがひも付きで,各国に開放経済と民営化路線を迫るもの.

しかし,彼らは「構想」の管理運営を最悪の連中に譲り渡してしまいました.あらゆる特権階級とよしみを通じる人々,下層階級とのいかなる共有も断固拒否する人々,社会的進歩への扉を閉ざす反動右翼の連中です.

いったい米政府の幹部は,「カリブ海構想」がどう動くと思っていたのでしょう.その実施に責任を持つのが,自分たちの利益が欲しいだけの連中なのに.アメリカ政府は,キャンディを配布する作戦の担当者にキャンディ中毒者を置いたのです.もちろん,キャンディ中毒者はそれを全部食べてしまいます.

彼らが実行しているプログラムを見てください.そうすれば,あなたは発見するでしょう.すべては,輸出に絡む業者を喜ばせるために仕組まれています.

例えばシーフードです.利益は,生産者のところには行きません.それ以外の仲介者に集中していきます.彼らが,貧しい漁師にいくら支払っているか,見て下さい.もしアメリカの消費者が,「改善」されたシーフード輸出から利益を得ていないならば,残りの金はどこへ行ったのでしょうか.ものごとは,こんな風に続くことはできません.

我々がこの問題の真相を究明することは,差し迫って大事なことです.私は「カリブ海構想」には賛成です,しかし,適当な人が運営に当たっていないことに問題があります.社会問題を解決することに熱意を持つ人々の代わりに,個人的な利益をあげることに熱心な人々に,計画がゆだねられてしまったのです.

IMFに関して付け加えれば,金融上の利益だけではなく,より人間的な価値に関心を寄せることで,IMFの改善は可能だと,私は考えています.

 

Reding:  あなたは,1979年国連総会によって決議された平和大学の設立に尽力された.この大学の目標について伺いたい.

 

Carazo:  平和大学の目標は,私がこれまで言ってきたことと深く結びついています.

コスタリカは,教育を生活と平和の手段としてきた.何か問題がおきたり,争いになったときは,その解決の手段として対話を選んできました.こうした伝統を踏まえ,我々は国連に提案しました.こうした価値観をグローバルな規模で広げ始めようではないかと.提案は承認されました,そしてコスタリカに本部を置く自治機構として平和大学が創立されました.

平和大学は,我々の時代に引き起こされた対立すべてに関心があります.たとえば,自然環境の破壊に関心を集中しています.なぜなら,その破壊は結局,世界の各所で暴力の重大な発生源となっているからです.さらに,人間が生きていくための資源の不足は,それ自身が暴力の源となります.

そこで,大学に於ける研究分野のひとつは,天然資源の管理,そして「生活の質」になっています.

我々のプログラムのもうひとつが人権に関連したものです.我々は「平和とは他者の権利に対する尊敬である」というベニート・ファレスの公式を基礎に,基本的人権の考えを深めています.

ベニート・フアレス
19世紀メキシコの偉大な政治家.先住民出身で,独裁政権・保守反動政権・フランス帝国主義とあいついで戦ったあと政権を獲得.近代化と法治制度の確立を目指し,レフォルマ(改革)政治をおこなう.メキシコ年表を参照のこと.

我々は,国際司法制度の問題にも特別な注意を払わなければならないと考えています.大学は,このこの分野でも計画を持っています.それはとくに,国際組織の役割を強調するものとなっています.紛争解決こそは,我々の最も重要な関心のひとつです.

ここで再び,我々は国際組織の役割に焦点をあてます.そしてこれらの役割について,公教育で徹底的に教え込むことの重要性を強調したいとおもいます.

「巨視的にみて,暴力は暴力を生んだ文化がもたらしたものだ」と,平和大学は考えています.暴力を減らすためには,人々はその原因となっているもの全てを,減らしていかなければなりません.

これは法令,条約あるいは税制措置によっては達成することはできません.何世紀にもわたる過程を経て始めて達成できるのです.コスタリカなどの国は,その実例とならなければならないでしょう.

もちろん,我々は軍備縮小にも関心を持っています.しかし我々の観点からすれば,“軍備競争”は,我々の生活の中にある暴力の結果でしかありません.

教育の過程は,密接に通信メディアに結ばれます.これらは現在教育において基盤となる役割を担っています.テレビの情報は,一人一人に届けることができます.あつかいの容易さ,スピードは何よりの魅力です.「ランボー」を見れば,そこで説かれていることを,子供は急速に確信するようになります.それを日々の行動に取り入れるようになるかもしれません.

私には理解できません.合衆国の人々は,どうして驚かないのでしょうか.ものすごい麻薬の消費高です.あなたがたがテレビをつけるたびに,麻薬の取引や麻薬を使っている場面を含んだ番組が,目に飛び込んできます.しかも,それが日常生活の一部分のように描かれているのです.まさにそこに教育があります.この上なくはっきりと.

「人類の発展への貢献をすることができるのだ」と,通信メディアの人々に実感してもらうよう,どんな手助けができるか,そんなことを我々は考えています.それに向けての一歩として,我々自身のネットワーク化を考えています.可能なら少しでも多くの国や自治体に参加してもらいたいとおもいます.

私は幸運だと思います.多くの人たちと知り合えたからです.さまざまなコミュニティ,村,組織から来た多彩な人々が,しっかりとした実在感を示してくれます.それは世界の希望にとってすばらしいサインだと思います.それは,根底的な楽天主義のみなもとです.

そのような信念を保持する人々が,それほどまでに多く存在するのなら,我々は信じてよいでしょう.「この世界は,将来を楽しみにすることができる,その将来は望みに満ちており,誰かが考えるように悲劇的なものではない」と.

いささか話が冗長で,メリハリもなく,一言で言って国民解放党の二人に比べれば一段落ちるな,という印象です.オイルショックとその後の金融危機に手が打てず,傷を広げてしまったのも分かるような気がします.
しかしあれよあれよという間に,国連平和大学を作り上げてしまった行動力は,やはり只者ではありません.
カルデロンの「機動隊」については初耳です.ほかに資料もなく,今のところ論評のしようもありません.

 

 

ハビエル・ソリスとの会話

「人民統一」党の幹部

サンホセ選出の国会議員

 

Reding: 「人民統一」とはどんな組織か.どんなグループがこの同盟に参加しているのか.従来の伝統的左翼との違いは何か.

 

Solis:  人民統一は,従来の左翼とは異なる新しい組織です.

過去二回の選挙では,人民統一はマルクス・レーニン主義を唱える三つの政党の連合でした.

まず人民前衛党,これはコスタリカの伝統的な共産党です.つぎに社会党,これは1970年代に生まれた組織ですが,その由来は1960年代の学生運動,キューバ革命,そしてコスタリカ共産党の不満分子に根ざしています.そして第三は,いくぶん秘密の政党でした.自らは人民革命運動と称していました.彼らは,一定の可能性としてゲリラ闘争を選択肢に入れていました.

これら三つの党は,1978年と1982年の選挙に,古典的な左翼統一戦線を組んで参加しました.

今日これらの党は,根本的に変わりました.それぞれの党が,内部の再編を経験しました.そこから,いくつかの異なる傾向が分かれてきました.

人民前衛党は二つに割れました.党の大多数は,左翼の政治戦略は改定されなければならないと考えました.そして党の名前をコスタリカ人民党と変えました.それは,年老いたマヌエル・モーラ・バルベルデを引き続き議長にすえました.モーラは1931年にコスタリカ共産党を創立した人物です.

一部の人たちは党を去りました.我々は彼らを連合から排除しました.なぜなら,彼らはソ連の対外政策に追従し,古臭いマルクス・レーニン主義にしがみついているからです.それはもはや無効な選択肢でしかありません.

社会党も二つに割れました.急進派は自らを労働者の党と規定しました.しかしそれは事実ではありません.もうひとつの派は古いレーニン的戦略を放棄し,人民大衆との接近の可能性を探ることとしました.彼らが現在党の主流となっています.

最後に人民革命運動です.ここも二つに割れました.ひとつは地下でのゲリラ戦略を継続しようとする勢力です.もうひとつは,コスタリカの公式に認められた民主主義的諸制度を通じて,平和的な方法で運動を展開しようと考える勢力です.平和的方法というのは選挙であり,代議制度であり,政治活動の公開です.この最後のグループは,人民革命運動を離れ,「新共和国運動」として活動しています.

人民統一を作ったこれら三つのグループは,このように再編成されていきました.そして急進派の離脱を通じて整理されてきました.現在はさらに三つのグループがあらたに加わっています.

第一は,民主急進党です.この党は中道派政党で,ファン・ホセ・エチェベリア・ブレアリーによって創立されました.エチェベリアは,ロドリーゴ・カラソ政権で公安担当相をつとめた人物です.民主急進党は,政府への人々の草の根的参加を再建し,アメリカへの経済・政治・軍事的従属と対抗し,民族の自決を再建しようとすることを目的としています.

このほかに,党としては組織されていないが,重要な勢力を代表する二つのグループが,人民統一に参加しています.

ひとつは,国民解放党を脱退した一団の社会民主主義者です.彼らは,現在アラフエラ地方で主にコミュニティ・レベルで働いています.このグループのリーダーは,国会議員選挙でアラフエラの人民統一からの候補者リストで,そのトップに置かれました.

もうひとつのグループは,キリスト教者のグループです.彼らはこれまでも左翼の重要な盟友でした.しかしマルクス主義の党からは常に一歩距離をおいていました.このグループは,うまく定義できませんが,とても広範な考えを持っています.古典的なマルクス主義路線から,コスタリカ訛りを大事にし,「開発」を待ち望む大衆路線まで,そこには混在しています.

だから,この点で,人民統一はもはや左翼を表してはいないのです.現在それは,中道・左派連立の選択肢を表しています.活発なカトリック教徒からマルクス・レーニン主義者までのグループを結びつける組織なのです.

人民統一のプログラムは,現在の国際経済的秩序に対する慢性依存症を拒絶しています.そして国民主権の防衛,民主主義の達成,自由,中米地域の平和,そして経済発展の人道的モデルを提起しています.

詳細は不明だが,おそらく80年代初めに結成されたメキシコ社会主義統一党(PSUM)に範をおいているものと思われる.メキシコでは80年11月,メキシコ共産党を中心に大衆党,労働者党,行動・社会連合党,革命社会党が大同団結し,PSUMを結成した.さらにこの党は中道左派政党と合同を繰り返し,87年には社会主義党(PMS)となり,現在ではカルデナスを党首とする民主革命党(PRD)に合流している.

 

Reding:  多くの人にとって,コスタリカは,中流階級の国であり,めちゃめちゃにされた中央アメリカの中の幸福の島であると考えられている.このイメージはどのくらい正確なものだろうか.たとえば食物,健康,住宅など基本的生活必需品の観点から見た場合はどうか?

 

Solis:  コスタリカ人は中流意識,イデオロギー,文化を持っています.これは,非常に確かです.

幸福のその概念,そして消費のその重みに関して言えば,たしかに全ての人が中流です.しかし,生活が人間として必要な基礎レベルを満たしているかというと,話は変わって来ます.実際には人口の60パーセントが貧困線の下で生きているのです.

言うまでもなく,コスタリカの中流意識現象は,権力側が人々をイデオロギー的に支配する武器となってきました.それはあらゆる変化に反対し,大衆組織,変革の運動に反対するための武器でした.その結果,この国での草の根の組織は,中央アメリカのどこよりも小さくて,弱体で未発達なままにとどまっています.他方,コスタリカは,特定の民主主義の権利を確実にする点では長足の進歩を遂げました.それは特に他の中米国に関して著明です.

確かに以前と変わったところもありますが,コスタリカの民主主義のシステムは,もともと国の主要な富,すなわち土地の非常に公平な分配のうえに構築されたものです.このことは,教育や保健に関して,国民がより大きい社会的目標に到達するのを助けました.そしてそれは,今日,我々の民主主義社会の支柱となっています.

初等教育はすべての国民が受けることができます.そして,原則としては同じ権利が中等教育にも保障されています.しかし,現在は物質的条件が悪化しており,実際にはこの権利は実現できていません.

多くの若者は高校にいくことは決してありません.彼らは学生服を買うことができません.通学に履く靴がありません.彼らは働かなければならないのです.しかし公式には,すべての国民に教育の機会は与えられているのです.

臨床,保健・予防を含め,公共医療は人口の90パーセントをカバーしています.医療サービスは最高の質を保っており,しかも全国民に開かれています.

この二つの柱,医療と教育は,わが国の発展において重要なものでした.しかし中央アメリカの他の国では,それは依然として,はるか遠くの目標でしかありません.

 

Reding:  コスタリカが現在かかえる経済的問題の根源はどこにあるのか.

 

Solis:  国民的な経済が停滞したのは,主に対外債務のためです.

対外債務問題は多様な原因を抱えています.我々は財源の全てを一次産品に頼っています.土地と未開発の鉱物がそのすべてです.我々の農業輸出産品である牛肉,砂糖,バナナ,そしてコーヒーの大部分は,まだ十分に生産が効率化されていません.

バナナの栽培は非常に効率的です.しかしバナナ産業は,完全に外国の手の中にあります.コーヒーも同様に非常に生産的ですが,これは国民の手の中にあります.しかし砂糖と牛肉産業は,きわめて低い生産性に悩まされています.

現時点で,我々の農業生産高は,年間1ヘクタールにつき,5千コロン(1エーカー当たり40ドル:原注)に過ぎません.つまりコーヒーとバナナを除いては,生産構造はきわめて能率が悪いのです.これでは経済は停滞し続けます.人々の基本的ニーズにこたえることはできません.

国民が消費する基本的食物すら自給できないのは,不名誉なことです.我々は豆,米,トウモロコシを輸入しなければならないのです.そして,牛肉は主に輸出のために生産されています.国民の消費は量も少なく,品質も劣悪です.総じて我々の農業はきわめて非能率だといえます.

経済的停滞の主要な理由の第二は,同じく非効率な加工産業です.我々には,完全に土着の産業というものはありません.主要な材料の輸入を必要とする加工産業しかありません.これらの産業は,最終的な製品に対してごくわずかな付加価値にしか付け加えません.したがって,それは国内にほとんど雇用を生み出しません.

何よりも,これらの産業は,国家財政にとって最大の重荷になっています.何故ならそれらは,実際上,全ての税を免除されているからです.そして,外国人資本家と特許料が儲けを抜き取るからです.そのお金は海外へと逃げていきます.中米共同市場によって作られた組み立て産業は,国民的な窮乏の源になりました.

農業と産業の停滞に直面した政府は,一定の生産分野で,大規模な国営企業を作り,雇用と生産を推進しようとしました.1970年代初期のことです.

問題は,国家が建設の資金の70パーセントを間接税から確保するということでした.間接税ということは,売上税であり輸入関税であります.所得,資産,利益にかけられる直接税の比率はわずか30%に過ぎません.これは,その時代ずっと,国家が財務的に非常に弱体だったことを意味します.

国家は現金が不足していました.債務に対して,推進すべき生産プログラムに対して,そして国内需要に対して.これが,我々が膨大に対外債務に導かれた理由です.

政府は,国内資金を集めることができなかったので,二つの方策に頼ることになりました.ひとつは,お金を印刷することです.それは結局,我々の通貨の購買力を徹底的に減らすことです.もうひとつは,天文学的な額に上る借金でした.それが,現在我々の主要な問題です.すなわち45億ドルの対外債務です.

それは,利子支払いだけで,我々の輸出所得の3分の2を持っていきます.我々の輸出所得は年間およそ7億5000万ドルです. おそらく今年は8億ドルに達すると思いますが.しかし,我々は負債の利子だけで,昨年4億ドルを支払いました.これだから,我々の経済の停滞は継続するのです.

 

Reding:  これらの問題は,どのように解決されるのだろうか?

 

Solis:  人民統一は,ひとつの提案を持っています.それはIMFが我々に押し付けようとしているものとは逆のものでしょう.

IMFの処方箋は,外国の市場のための生産に基礎をおいています.すなわち何を作るのか,どのように作るのか,誰のために作られるのか,それらはすべて海外の事情です.

我々は食物を作ることになっています.それはカリフォルニアまたはワイオミングのレストランにおける需要のためです.彼らの欲望のために作るのであり,我々の基本的な食の要求のためではありません.

我々は,先進工業国のグルメのために,より効率的なテクノロジーを用いて,生産することになります.その生産技術は,彼らが我々にもたらします.彼らの投資と引き換えに,そして彼らの特許を通じてもたらされます.我々は,結局その代金を払わなければなりません.支払いは安価な労働,そして資源の叩き売りによって行われることになります.

当然,この道をたどる限り,我々は絶対に低開発と貧困を逃れることはできないでしょう.

我々は反対の道を提案します.それは,我々の国内市場を強化することを通じて発展する道です.これは,2つのステップによって達成されるでしょう.

最初は,なによりも製品へのアクセスを可能にすることが必要です.それには,全分野における給料の増加を通して,国民の購買力を補強することです.

そして,第二に,全ての人々の食料需要をまかなう増産計画です.当然,これは計画がより複雑になるという結果を招くでしょう.なぜなら食糧増産は,我々の主要資源である土地の生産性に依存するからです.したがって議論の中心となるのは,土地の配布というよりは,その生産性に関する問題になります.

もし10万ヘクタールの土地を持つ地主がいたとして,その土地が高い生産効率を持っているのなら,彼の邪魔をする必要はまったくありません.それどころか,その生産性を維持するために,我々は彼を手伝われなければならないのです.しかし,1万ヘクタールの土地を持つもう一人の地主がいて,5匹の牛しか飼っていないのなら,これはもはや終わりを告げなければならない状況です.

そこで,我々は彼らの能力に応じて土地を分類する必要があります.ここでは基本的穀物,食肉,そのほかの必要な食料を生産する能力が問われているのです.

もちろん,我々は輸出作物のために,一定の土地確保しておかなければなりません.それは国際市場で他の商品と交換されることになります.

この計画のすべての段階で,条件の整った信用供与,技術協力プログラムがもとめられます.そこには,先進技術へのアクセスもふくまれます.特にいままでのところ,何の便宜も受けていない中小農家のために,このことは重要です.なぜなら大土地所有者が,国民的な信用供与システムの全能力を吸収してしまってきたからです.

我々の開発計画の第二の柱は,積極的な国際貿易政策方針から成っています.

我々は,同じような境遇の国と政治的な連携を強めることから始める必要があるでしょう.それは現在の経済的秩序を打ち破り,交易条件を変更させるための連携です.

我々はもはや,安く売りつづけ高く買いつづけることはできなくなっています.我々は,交易条件というものを,新しい道徳標準の観点,そして人類の発展にかんする新しい政治的概念から,変えていかなければなりません.

我々は,それが可能であると思っています.すでにそれに取り組んでいる国もあります.新経済秩序という課題で,非社会主義者が同盟を構築する可能性すらあります.アフリカ,アジアの場合と同様に,この大陸でも可能性があります.

我々は,他の中米国だけでなく,ペルー,ボリビア,ベネズエラ,コロンビアなど,一連の政治的変化が起こっているほかのラテンアメリカ諸国とも,共通の利益を共有しているものと確信しています.

この積極的な国際貿易政策は,他ほかにも目標を持っています.

我々は,たとえばバーター交易(一種の物々交換)など他の通商形態を探究する必要があります.それは国際価格システムを回避するための方法です.バーター交易を通じて経済を発展させたいと思う国は,他にもあると思います.たとえばヨーロッパ諸国と中央アメリカには,バーター取引するだけの利点があるとおもいます.

また我々は,社会主義国との通商関係に関して考える必要性があります.それによって,我々の輸出のために長期の固定価格契約を取り決めることができるかもしれません.例えばコーヒーや砂糖の5ないし10年契約です.

従来の輸出市場はすでに飽和しています.いずれにしても,我々には新しい市場を開く必要があります.

この年の7月,ハバナで債務問題国際会議が開かれました.席上カストロは,「債務問題は政治問題であり,政治的解決が必要だ」とし,債務構造の根本的変革を訴えています.
ソリスの発言は,会議の内容の受売りのようなところがあり,具体的分析に欠けている印象です.やや期待はずれです.

 

Reding:  2年前,モンヘ総裁は,中立宣言を出した.しかしそれ以来,コスタリカ政府は,レーガン政府の中米方針にますます緊密に動いているように見える.「宣言」は未だ何か失われずに残っているのだろうか?

 

Solis:  あのころと比べて,状況はいっそう複雑になっています.

軍の中立の原則は,コスタリカの人々の圧倒的大多数の意志を反映したものです.だから,「宣言」は政治的に価値があるのです.「宣言」に忠実であろうとする人は,誰でもいつでも,大部分のコスタリカ国民の支持を受けるでしょう.

中立に対する支持は,コスタリカ人の人格の中にしみ込んで(ingrained)います. それが軍隊を抑制しようとする市民の決意となり,要求となっているのです.

モンヘ大統領は心から,中立の原則に誠実であろうとしました.しかし,二つのことが,中立に関するコスタリカの態度を変えました.まずレーガン政府は,モンヘ政府に対して圧力をかけ,恫喝を加えました.

ひとつの例があります.シュルツ国務長官は,我々の外務大臣に手紙を送りました.その中で彼は,ニカラグアとのいかなる相互的な交渉にも係わってはならないと指図しました.グティエレス外務大臣は,モンヘの指示の下にこう答えました.「我々は,ニカラグア問題に関しては,我々自身の利益に従って進める」と.

現在のアメリカ大使アーサー・ルイス・タムズは,もう少し洗練されています.しかし彼の前任者カーティン・ウィンザーはまったくエチケットを知らないカウボーイでした.彼は勝手気ままに,我々の国内の政治に干渉しました.そしてとどのつまりは,この国をほうり出されたのです.

レーガン政府は,この国の経済危機の中で圧力を強めています.高度のインフレーション,そして失業は,我々の政府を交渉する立場に残しませんでした.何かを申し立てることは,ワシントンによって提供される財政的な支援を失うことを意味するからです.

現在この国は,毎日平均130万ドルを,貸付あるいは援助金のかたちで受けとっています.それが,社会的な平穏を維持し,ひいては政府自身を維持することに結びついているのです.

それは,たとえば公務員の給料となっています.また,舗装道路,建物他の公共基盤に対する,政府の設備投資のために支払われています.この点で,実のところ政府は,USAIDの抵当に入れられているのです.

経済・財政上の方針は,大統領府でも中央銀行でも作成されません.それは,USAID総裁ダニエル・チャイジのオフィスで作られるのです.大臣たちは,それを認めるだけです.

情勢は極限に達しています.大統領によって指定される経済審議会は,ついに会合さえ持たずに終わりました.なぜなら会っても意味がないからです.彼らには決定権はおろか,交渉権もありませんでした.

これらのアメリカによるプレッシャーは,中立に影響を及ぼす第二の要因を引き起こしました.わが国領土におけるコントラの活動の自由を承認することです.コントラとは武装したニカラグアの反革命ゲリラのことです.すでにわが国の領土において,根拠地の存在,武器,糧食,飛行機,そしてゲリラそのものの動きが確認されています.

新聞各紙はこういうことを知っています.しかし,そのことは,ほとんど何も発表しません.なぜならこの国のマスメディアは,すべてコントラと同盟を結んでいるからです.そして,さらに重大なことは,これらのマスメディアが,ニカラグア政府との戦いにおけるきわめて重要な武器となっていることです.

コントラに対する自由の承認は,あらゆるレベルの公務員が活発な協力をすることで,補強されています.それは大臣からただの兵士まであらゆるレベルです.モンヘ総裁はそれを認めているわけではありませんが,彼は何が続いているかについて知っています.そのことに対して責任があります.しかし彼は非常に気弱で,戦闘性がありません.

市民警察のコントラへの関与については,出版された論文さえあります.彼らは,民間の準軍事的なテロリスト・グループの訓練に加わっています.このテロリスト・グループがコントラを支持していることは常識となっています.

他にも広く知られていることがあります.副内相カストロが収賄で逮捕された事件で,エデン・パストラは,当局を買収するために彼が使わなければならなかったお金について,公然と不満を漏らしました.罷免された役人は,コントラがどのように賄賂を贈り,どのように国境地帯で公安将校の援助を受けたかを暴露しました.

お金が決定的な役割を演じました.それなしには役人が協力するわけはありません.

結局中立宣言は,2つの要因のためにその意味を失ったことになります.ひとつはアメリカの圧力,そしてもうひとつはコントラの自由の承認です.このことは,コスタリカ政府に対する信用の失墜,その外交政策に対する不信をもたらしました.

ラテンアメリカの国で,コスタリカと提携する国はたったの四つです.ハイチ,パラグアイ,ホンジュラス,そしてエルサルバドルです.そしてホンジュラスとエルサルバドルは,いわば米軍によって占領された国です.

コスタリカの外交政策が国際的信用を失ったため,モンヘ大統領は,国連創設40周年記念式典に出席することができませんでした.もし出席すれば,代表団にすら見捨てられる恐れがあったからです.WTO総会のときに,そんなことがありました.

 

Reding:  なぜ,そのような反サンディニスタ路線が,コスタリカにはびこっているのか?
彼らは攻撃している.サンディニスタが,北の境界を越えて侵入したと,また,彼らが国境警察のガードマンを殺害したと,あるいは,彼らがコスタリカの村落を破壊していると,さらには,彼らがマナグアのコスタリカの大使館を襲撃したと.

 

Solis:  それには二つの理由があります.最初に,我々はサンディニスタが多くの間違いをしたということを認める必要があります.彼らは勇敢です.しかし彼らは若くて未熟です.手際もまずく,言葉も足らず,コスタリカ人のもつ懸念について分析も理解も足りません.

このことが我々の関係を複雑にしました.

しかし,そんなことよりコスタリカのメディアによるキャンペーンのほうがはるかに重大です.テレビ,ラジオ,新聞のすべてが,ワシントンの進める宣伝そのままに,反サンディニスタ攻撃を繰り返しました.いくらかの地方情報を付け加えてですが.コスタリカのマスメディアは,まったく一方的です.客観性とか誠実さなど一顧だにしません.彼らは,完全に反革命と結託しています.

彼らの立場はアメリカそのものです.メディアの責任者は定期の会合を持ち,ニカラグアに関する編集方針を調整しています.その会議は時にはアメリカ大使館で行われています.これは周知の事実です.すべての出来事はそうやって提示されるのです.

すべてはコントラに都合よく編集されて表現されます.そうして,コントラによって引き起こされた国境紛争は,すべてサンディニスタの責任に帰されることになるのです.

それでも,このすさまじいキャンペーンにもかかわらず,世論調査は,コスタリカ国民の63パーセントが戦争を支持しないことを明らかにしました.サンディニスタには反対だけれども,挑発,侵入,そしてサンディニスタとの戦争には賛成しない,というのがコスタリカ国民の声です.コスタリカ国民は,ニカラグア自身の問題はニカラグア自身が解決すべきだと考えています.彼らに任せるべきだということです.

この態度は,我々の心に深く根ざしているものです.

 

Reding:  新しく結成された稲妻大隊は,未熟とはいえ軍隊そのものだ.その目的は何なのか.稲妻大隊の創設は,立法議会に承認されたのか?

 

Solis:  いいえ.立法議会は彼らの形成を認可していません.コスタリカ警官隊の訓練に軍事顧問が参加することは,いまでも違法です.

しかし,アメリカと結託した国内勢力は,民主主義勢力と比べてはるかに強かったのです.軍事顧問による訓練を食い止めることは,力関係からみて不可能でした.

その事実にもかかわらず,タムズ大使は,年内にグリーン・ベレーが撤退すると発表しました.軍事面でのアメリカの関与に対するコスタリカの国民感情があまりにも強烈で,このままではワシントンへの信頼性を揺るがせかねないとの配慮が働いたためだと多います.特にニカラグア攻撃の政治的キャンペーンとの関係で,ごり押しは逆効果だと判断したのでしょう.

稲妻大隊は,初期の軍隊か.そのとおりです.彼らは初期の軍隊です.

稲妻大隊の表向きの目的は,ニカラグアの侵入に備え,国土の防衛を支えることです.コスタリカは国土を防衛しつつ,各方面に軍事支援を要請することになります.しかしそれは,軍隊をでっち上げるためのイデオロギー的正当化でしかありません.

稲妻大隊の目的は,その口実とはまったく逆です.明らかにそれは,アメリカによるニカラグア侵略のための,最終的な作戦要素です.少なくとも間違いなく,それは,ニカラグアが侵略者国家であり,我々は自衛の体制を作り上げる必要があるというキャンペーンの一環です.長い目で見れば,コスタリカ警官隊の職業軍隊化は,人民弾圧に結びついていくでしょう.それは疑いありません.

わが国が直面する「サプライサイド」経済体制は,民主主義の伝統とは相容れません.ネオリベラル派の経済体制は,人民弾圧,すなわち市民や大衆組織によるストライキ,デモ,バリケードの禁止を通してのみ実現できる体制です.

なぜなら,ネオリベラリズム経済が進行すると,人々は安月給の中から払わなければならなくなるからです.必需品が欠乏するからです.教育,医療,福祉などの公共サービスが低下するからです.そしてそれらが国民の不満を高めるからです.

国際市場のために,国内の発展を犠牲にして,農業輸出型の経済を維持するためには,強力な警官隊を必要とします.

その古典的な例がチリです.チリの民主主義は,資本主義的ビジネスマンの要求する発展モデルにとって耐え難いものでした.それゆえに,独裁になったのです.ウルグアイ,アルゼンチンその他の独裁者どもにとって,まさにそれは真実でした.

その結果が,必ずしも実業家の要求するものでなかったことも事実です.アルゼンチンの将軍たちは,もはや誰も続投を望まないほど統治能力が欠如していました.その結果,アルゼンチンは民間支配への復帰に導かれました.

しかし,アルゼンチンの政治的問題は,アルフォンシン民政の出現で解決されたわけではありません.我々には,労働者と国民の発展になにが起こるか,まだそこまでは見えていません.いまのところアルフォンシンは,軍事独裁のときと同じ額を支払いつづけています.そこにはまだ人民弾圧こそありませんが.

 

ここで記事終わり